エチオピア・ジブチ訪問記
著者 半澤 朝彦
雑誌名 明治学院大学国際学部付属研究所研究所年報 =
Annual report of the Institute for International Studies
巻 22
ページ 53‑55
発行年 2019‑10‑01
その他のタイトル Visting Ethiopia and Djibouti
URL http://hdl.handle.net/10723/00003773
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エチオピア・ジブチ訪問記
半 澤 朝 彦
本報告は、報告者が2018年3月に訪問したエチオピア、およびジブチ共和国に関するもので ある。アフリカの東北部にある両国は、歴史的に域外大国の帝国主義による複雑な影響を受けつ つ、現在に至っている。エチオピアは、第二次世界大戦の際にイタリアによる短期間の占領を許 したものの、植民地とはならなかった。アフリカでは数少ない独立を保った国である。他方ジブ チは 19 世紀以来フランスの植民地となり、現在も安全保障をフランスに依存するなど、いまだ に従属的な地位にある。そうした状況の中、最近では中国のアフリカへの進出が目立っている。
ジブチには現在、アメリカ、フランス、イタリア、中国のほか、日本の自衛隊が基地を置いてい る。我が国の外交政策、国際平和協力にとっても、この地域の理解は重要である。
最初に訪問したエチオピアの首都アジスアベバでも、まず印象的なのが中国のプレゼンスであ った。ボレ空港に到着すると、周りの乗客はほとんどが中国人技術者や労働者とおぼしき人々。
空港の改修工事は中国の会社が請け負っており、そのあと市内に入っていくにつれ、そこかしこ にみられる建設中の新しいビルには中国語による建築業者の看板が目に付く。文書調査で訪れた アフリカ連合の本部も、中国の出資による、ニューヨークの国際連合本部より立派な新しいポス トモダンのビルが威容を誇っており、中国の貢献は実に見える形で外壁やモニュメントに表示さ れていた。
中国のアフリカへの関心の歴史は短くなく、1960 年代からタンザニアなど社会主義国に対す る援助を行っていた。しかし、その関心がより強くなり、国際政治の中で大きな注目を浴びるよ うになったのは、おそらく 2000 年代前半のスーダン紛争のころからであろう。冷戦終結による 地域の不安定化の中で、経済成長を推進するためのエネルギーの供給先として、中国はスーダン やナイジェリアなど、アフリカの資源保有国に関心を向けたのである。すでに中国はアフリカ全 体に対して援助や投資を活発に行うようになっているが、そのやり方は、従来の西側先進国が採 用してきたDAC(開発援助委員会 Development Assistance Committee)の援助規範と異なること が多い。人権の軽視や乱開発、独裁政権に力を貸すなど、西側からの批判の的となっている。習 近平政権は、2014 年から「一帯一路」というスローガンで、中央アジア、インド洋、アフリカ への進出をさらに明確にしている。
その「一帯一路」政策の大きな要の一つが、ジブチに 2017 年に新規に設置された大規模な中 国軍基地である。今回の訪問では、ジブチの自衛隊基地を訪問するとともに、ジブチ市内の各所 を回ることができ、中国軍基地も外側から見て、中国のプレゼンスを感じることができた。
ただ、ジブチに関して一番気がかりに感じたのは、この国のある種の「不安定」さであった。
3 日間のアジスアベバの滞在を終え、エチオピア国内線同様の扱いとなっているアジスアベバ=
ジブチの航空機路線を利用して、ジブチに入国すると、歴史が長く、決して豊かではなく地味で
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はあるが人々が落ち着いた感じのエチオピアとは異なる、「アラブ的」で抜け目のない世界に接 することになる。到着した観光客のスーツケースを勝手にタクシーまで運び、法外なチップを要 求するといった行為がはびこっていたが、そうしたことは基本的にエチオピアには普通見られな い。誇り高く秩序を重んじるエチオピア人と、可能であれば最低限であっても目先の利得を得よ うとするジブチ人の対照的な気質は、歴史的に形成されたものなのか。ジブチのタクシーは、運 転手がカートと呼ばれる麻薬を噛みながら暴走するものも多く、治安は悪くないようだが、秩序 の感覚は薄い。
ジブチでは、ソマリ系のイッサ人 60%と、エチオピア北部にも多いアファル人 35%が大多数 を占める。両者のバランスの上に、1970 年代のフランスからの独立以降、比較的安定した独裁 政権が続いている(ただ、現在のゲレ大統領は 70 歳を過ぎた高齢のため、今後の不安要素であ る)。国の主な収入源は紅海に面した港湾の使用料であり、内陸国エチオピアの海の出口である ことから、エチオピアから大きな収入を得ている。ほかに、アメリカ、フランス、イタリア、日 本、中国の基地使用料も大きい。自前の産業や資源はなく、常に域外国の顔色をうかがいながら、
地政学的利点を生かして外国に依存し、国の財政を維持しているのである。
日本の視点からも見てみたい。自衛隊は、1990 年代からカンボジア、東チモール、イラク、
南スーダンなどに施設部隊などを派遣してきた。しかし 2017 年南スーダンから撤退して以降は、
海外にまとまった人員を維持しているのは、ここジブチだけになった。日本の外交政策、国際平 和協力政策を考える上でも、その実情を知ることは大切である。
自衛隊がジブチに駐留している理由は、2000 年代後半から国際的に問題となった海賊対策で ある。ジブチの隣国であるソマリアでは、1990 年代以降内戦がさらに激化し、破綻国家の状況 に陥っている。そこでは、ソマリア自体の問題というより、さまざまな国際的なネットワークに よって海賊が発生する。アラブの密輸商人の暗躍、先進国の民間軍事会社が作ったプライベー ト・アーミーが暴走したり、先進国と地元軍閥が勝手に結んだ契約により危険な産業廃棄物が投 棄され、ソマリア漁民の健康被害や漁場の喪失などが起こったり、といった複合的な要因で、平 均寿命が短い中の貴重な若者世代が海賊の手先となって商船を襲うなどの行為が頻発してきた。
2008 年に海賊対処についての国連決議が採択され、2009 年から、海上自衛隊もアデン湾に警備 活動を開始、2011 年にはジブチに基地と大使館(それまでは、JICA が活動していたほかは、パ リのフランス大使館がジブチ大使館を兼ねていた)を開設した。
現在、ジブチにおける自衛隊の地位は安定している。アメリカ軍の場合は、反米感情やテロの 危険から、隊員が基地の外に出ることは禁止されているが(アメリカ側がそのようにしている。
イラクのサマーワに自衛隊が駐留していた時もそうであった。)、しかし自衛隊員は休暇の日には 市内のカフェでくつろいだりできる。東日本大震災の際に追悼式が行われた「トウキョウ広場」
があったり、基本的に親日感情はあるようである。自衛隊の基地内にも現地の人々が雇用されて いた。もっとも、この基地内の雇用に関しては、すでに昨年秋に、労働組合とのトラブルがあっ た模様で、ジブチにおいて安心は禁物であることを証明している。新しい中国軍の基地ができた 背景としても、アメリカがジブチ政府の求めてきた無理難題に取り合わなかったことの意趣返し として、中国に大きな利権が与えられた顛末があった模様である。国際感覚を養い、アフリカや
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<参考文献>
大芝・藤原・山田編『平和政策』有斐閣、2006(第6章半澤)
平野克己『経済大陸アフリカ』中公新書、2013 勝俣誠『新・現代アフリカ入門』岩波新書、2013
ミッシェル(中平訳)『アフリカを食い荒らす中国』河出書房新社、2009 川島真『中国のフロンティア』岩波新書、2018
上杉・藤重編『国際平和協力入門』ミネルヴァ書房、2018 瀬谷ルミ子『職業は武装解除』朝日新聞出版、2011
<Youtube:検索>
「未来世紀ジバング:沸騰現場の経済学:特別編:ジブチで活躍する自衛隊」
<参考ブログ>
「海外生活日記:ジブチ編:ここが我が家」
「takumiの世界ぶらぶら歩き:ジブチ編」