商業編
企業の振張と其の財政
室
谷 賢
治郎
小
引
本篇抵昨夏公刊した拙著﹁輕螢金融論﹂に於て論すべくして︑時聞と紙幅との關係上論じなかつた部分であ
る︒参考に供した文献の主たるものは次の通りで︑篇中脚註を附けない理由は凡そ文献以外に筆者の異読を多
く樹てるところが無いからである︒漸憶に堪えざる次第である︒
国︒︒70騨︾.い4目冨固口器oぎσqo{切器冒8︒︒国暮oぢ円幽器︒・︒Zn妻嘱o蒔自︒昌臼いo昌侮oロ鴇日⑩器・
頃母零冨3即司400弓o轟ユoロコ昌き8・Z・磯・紳ピo昌臼oρμ蕊躯3
U①宅冒σq"︾・9目冨国舜昌瓜孚︒一国呂昌o剛Oo弓o蚕ユo昌︒︒●GQ乙㌔oく.①畠・Z.唄ご]器爵
傷oこOo芒o§ユo昌田墨昌o①●器く・o傷・Z.煮這μ8日.
缶8﹃q冨昌畠︾口.国¢Oo60雷二〇昌固昌80①・ Z●嘱・粋Uo昌山oρH㊤Q◎QQ・
]≦o巴u国●oりこOo壱o雷ユo昌国ぎき∩o・①梓7巴・Z●照︒卿いo巳oPおGQ昌●
幻8自︾=.い4男H言ユ巳窃ohOo弓o蚕餓o昌固昌溝昌8・田oω8PおトっU●
希騰の昔萬物流韓の理を読いたのな哲學者へ﹄ラクレイ手スであるが︑現代に於ては菅に哲人のみなちす大
企業の据張と其の財政︑三二五
三三ハ
衆一般が世相の攣遜の急激を語つて居る︒分けても何等かの企業に從事する者は企業が逡歩し成敏するか否ざ
れば退歩し失敗するもので︑決して艀止するものでないことを強く主張するのである︒此の主張が果して正當
であるか否かは十分に吟味を要するところであらうが︑併し今日の如き維濟肚會にあつては或る程度まe正し
いと謂はねばならぬ︒何となれば現在に於ける経濟機構は自由競争と私有財産とを支柱となすもので︑自ら攣
動を生ぜしめる傾向を有するからである︒
以下企業が成敷し業務を損張する場合の財政を論じて見よう︒企業が失敗し業務を縮少する場合の財政は他
の機會に之を取扱ふこと玉したい︒但し注意せねばならぬのは企業の損張は必すしも財政問題に限られぬとい
ふことである︒掻張は事業の一切の部門に影響する問題を含み︑其の決定的關係は財政上の性質を帯びぬこと
もあるのである︒随つて︑或る場合には交通が決定的要因となり︑或る場合には螢働又は原料が決定的要因と
なり︑何れにしても財政部門の關係は見られぬ︒財政的考慮が加へられるのは他の條件が有利なときであるか
ら︑企業擾張の計劃の過程は財政と共に始まると謂ふよりは寧ろ財政と共に終ると謂つて宜いのである︒而レ
て財政部門が解答を與ふべき問題は次の二つである︒即ち一は企業擾張の資金を如何にして獲得すべきかであ
り一二は損張の計劃を何時實行すべきかである︒換言すれば企業の他の部門が接張政策を可とするとき之を實
行する方法が財務の問題となり︑同時に斯かる計劃を實行するに當り景氣攣動の時期を考慮することも財政問
題となるのである︒
然らば鼓に籏張の意味するところ如何と謂ふに︑それは事業活動の損大彊化を指すものとする︒工業會杜の
例を探つて謂へば製造及び販費製品の配給につき取扱量を増加せすに他のもの玉蜴せる職能を取得することが
蝕に謂ふ獲張である︒叉新しい領域へ商品市場を撲張することや更に多くの商品を販費せんが爲めに既得の市
場を集約的に開拓することも擾張であり︑或は叉援張を企て㌧居る會枇が現に製造して居らぬところの新製品
を製造し販費することも損張である︒此等の目的は會肚既有の能力を一麿集約的ならしめるか︑追加的能力を
造成するか︑將た他會肚の有する能力を吸牧するかにより達することが出來︑其の法律上の形式は幾多相岐れ
るけれども︑経濟上の機構に於ては左程異るものではない︒
さて企業擾張の動機は純粋に経濟的と謂ふよりは寧ろ心理的であるとは︑多くの論者の一致するところであ
る︒即ち其の動機は征服及び成敷に封する闘争に件随するもので︑デユウイングの形容を籍りて謂へば﹁掠奪
的野螢﹂の貴重な遺産である︒凡そ人聞の努力の範園内に於ける損張の動機は一個人の庭園の損張から一國民
の版國の損張に至るまで︑形の大なるものは債値も亦大であるといふ潜在意識から獲するのである︒個々の企
業の狭い範園でも會肚の成致を測るに先づ規模の大を以てし︑次いで利潤の大を以てすることが普通に行はれ
るのも異とするに足らぬところであらう︒左に摘出するのは企業援張に導く主要な動機である︒
一︑名馨心
企業の援張に導く最も有力な動機は人を其の骨稲によつて評便しようとする幻想と似て居る︒即ち企業が大
企業の擾張と其の財政三二七
三二入
なれば大なる程人も亦大であると謂ふのである︒所謂朧を獲て蜀を望む類である︒此の動機は事業以外のこと
に關心の向けられる場合には強く現はれぬ︒蓋し斯かる場合の人物は経濟學上の意味に於ける企業者と謂ふこ
とは出來ぬからである︒然るに荷も企業夫自身の裡に債値を見出す人には事業成敷の外的兆候を示さざれば焙
まぬ慨がある︒而も形の大といふ籔量的卓越こそ共の兆候の最たるものでなければならぬ︒・征服といふ古い國
民的本能は第二十世紀の経濟界に至つて會杜振張といふ散交的言僻に翻されたと謂つて宜い︒
二︑創造的本能
第二の重要な動機は創造的本能である︒凡そ企業者の嫌ふところは停滞であり︑好むところは建設である︒
企業者は漠然たる進歩の幻影を現實に化せんとすることを望むのであり︑其の熟知する唯一の領域は己れの事
業であるから事業の財産の裡に理想の實現を見んと努めるのである︒建設せんとする本能は同時に稜明的天才
や巧妙な技能に於て飲くべからざる要素である︒斯かる本能を表現する特定の形式は尋常一様の入にとつては
到底求められぬところであるが︑企業者にとつては共の事業こそ右の特定形式に他ならぬのである︒
三︑利潤
第三の動機は経濟的である︒事業の援張を圃る大多数の者が本來金鈍を多く獲得しようとする衝動によつて
動くものでないことは右見た通りであるが︑併し利潤の増大は直接の影響を與へ他の如何なる動機よりも他人
の金鏡を投資せしめる上に有力であるから︑利潤の動機を離れて損張を語ることは到底出來ぬのである︒
四︑投機心
第四の動機ば投機的の時機を捕へるに就ての満足である︒企業者は全然不定な將來を取扱はうとし︑螢業政
策に直接の経濟的吟味を加へようとするのであるが︑共の結果たるや實は不明に属ブる︒即ち建設的計劃の嚢
展は謂はば一種の遊戯であつて︑各人は共の試み得ると信する遊戯を樂むのである︒
併しながら企業櫨張の心理的動機を姑く措いて損張の経濟的信條を求めるとせば︑それは資本に封する生産
の増加率及び牧盆の檜加率は必然的に規模の増大から生するといふことである︒換言すれば一企業の運螢する
軍位が大なれば大なる程牧釜も大であるといふ個定である︒斯かる根本的假定が果して理論上及び實際上正し
いか否か︒企業擾張の財政問題は先づ以て之が分析並びに批判から始めねばならぬ︒
一
凡そ一の企業が大規模生産の下にあつて繁榮するに封し︑他の企業が大規模のとき利潤を齎すこと少く小規
模のとき牧釜大となるのは何故であるか︒之を解く原因は甚だ微妙であつて︑入の経験的観察及び普遍化的方
法を以てしては容易に捕へ難きところである︒夫れにも拘らす其の原因を指示する大艦の傾向は知られるので
ある︒即ち今日の経濟歌態が貨幣経濟に依存することを顧るならば︑大規模生産の利釜に野する制限は次の四
貼に要約せられることを見出すのである︒
企業の櫨張と其の財政三二九
三三〇
一︑自然法則により蒙る制限︒之は如何なる生物も食物や佳居を求める上に受けるところの制限で根本的の
ものである︒人間の努力は此の法則の峻嚴を或る程度まで緩和することは出來るけれども全撚排除することは
出來ぬのである︒
二︑工業の技術により蒙る制限或は投下資本と人聞勢働力との均衡により蒙る制限︒
三︑製品を配給する條件により蒙る制限︒
四︑大資本利用の危瞼により蒙る制限︒
以下漸を逐うて之が論明を加へよう︒
第一の自然法則なる語は第十八世紀の合理主義が之に聖位を賦與して以來陳腐となつた嫌はあるけれども︑
入闘界に樹する自然界の關係や事象を表現するには今省ほ適當である︒所謂牧獲逓減の法則は最初土地の生産
力に關してのみ論及せられたが︑次第に人聞の経濟活動に關する廣汎な現象にも適用せられること製なり︑今
日の如き複雑な企業活動にさへ適用せられるに至つた︒働へば一日に歎千の車輌を操縦する鐵道絡端騨は一日
に共の四分の一乃至十分の一の車輌を操縦する騨よりも比例以上に大なる土地資本及び勢働者を要するのであ
る︒然るに大工場の経螢にあつては牧獲遊減の法則の適用は種々に現はれる︒一の経螢から他の経螢に原料.
部分品・牛製品等が運ばれねばなちぬ距離は大工場の方が小工場よりも大である︒而して各部門の生産活動を
調和せしめる上の困難は生産の規模の増大するに伴ひ累積的となる︒固より之を償ふ長所も存するけれども︑
財貨の製造工程に加へられる自然法則にょる條件は︑一定の生産の規模が達成せられた後は規模の掻張に俘ふ
だけの螢働と費本とを要するといふ軍純な事實を依然として淺すのである︒
第二の工業の技術は自然法則に次いで重要な制限を大規模生産の利盆の上に與へるものである︒上述の如く
牧獲遽減の法則は農業に適用せられる場合には土地及び経螢といふ二つの不攣的要素と資本及び勢働といふ二
つの可攣的要素とを有する︒故に若し二つの不攣的要素が不攣であるとせば此の法則は生産物の比例的藪量が
一定勲の後二つの不攣的要素の何れか又は爾者を檜加するに伴ひ遊減することを言表すものである︒斯くして
此の法則は一片の土地につき適用せられるのであるから︑農業に關心を有する者は各種の土地につき叉は各種
の農業につき牧獲遽増の焼み牧獲遽減の始まる黙を比較することを得るであらう︒叉資本及び勢働といふ可攣
的要素が耕作に於ける集約の度の異るところに適用せられるに伴ひ生産量の遍減する割合を決定することをも
得るであらう︒併し問題が工業に關する場合にば生産物の輩なる増加よりも敗釜が注意を受けるのである︒夫
故に牧獲遊減の法則を工業にも適用し得ると稻するのみでは未だ以て生産要素の攣動するにより︑各種工業に
現はれるところの利釜や生産産物遊減の割合を決定することは出來ぬ︒一工業に於ける生産規模の異るにより
墨げられる牧釜の程度を決定し︑且つ各種の工業につき生産規模の異るにより墾げられる相封的牧釜を比較す
ることこそ正しく當面の問題でなければならぬ︒
上述の如く生藤規模の大小といふ問題は経螢といふ不攣的要素︑換言すれば同一経螢の下に於ける大小企業
企業の擾張と其の財政三一一=