平家物語と宝物集
︱四部合戦状本・延慶本を中心に︱
今
井
正 之 助
ユ 宝物集の著者平康頼が平家物語の登場人物の一人であり︑帰洛後
宝物集を著したとの記事をも多くの平家物語諸本が載せるところがら︑両者の関わりがはやくから問題とされてきたが︑両者ともに多
様な異本を有し︑なお不分明な部分が多い︒その中にあって︑渥美
かをる氏が四部本灌頂巻﹁六道﹂と宝物集の密接なつながりを指摘 し︑その依拠本文については小泉弘氏が宝物集第二種七巻本系の一 召還であろうことを説き︑研究を大きく進展させた︒さらに︑考察の
範囲を平家物語全巻に広げ︑新たに延慶本に注目した武久堅氏によって︑第二種七巻本系の中でも身延山久遠寺本系祖本に絞られると るころまで論は精密化してきた︒すなわち︑すでに灌頂巻として特立
されている四部本の六道には﹁その灌頂巻編成に臨んで︑改めて宝
物集に依拠した︑つまり再参照﹂の可能性があり︑ ﹁灌頂巻のみの
記事を姐上に上せた原拠考ではなく︑その特立以前の︑しかも全巻
に及ぶ本文対照を経て立論される依拠関係の考察﹂が必要であると
説く武久氏は︑延慶本の宝物集依拠章句の検討を経て﹁その関係
は︑狭く<小原御幸﹀もしくは︿六道﹀の構成内に留まらず︑出家
に始まる女院往生伝の構成に及ぶ︒ ︵中略︶恐らく︑帰洛後の女院
関係の物語は︑現存諸本に関する限り︑ ﹃平家物語﹄としては延慶 本に潮源の姿を認め得るであろう﹂と結論し︑依拠した宝物集の性格については︑身延山久遠寺本︵以下︑身延山本と称す︶系の祖本との近似の可能性を提唱した︒ ただし︑武久氏はその後﹁﹃宝物集﹄と平家物語の関係は多分に重層的で︑一元的説明は成り立ち難い﹂ ﹁現存の延慶本の小原御幸の本文は︑その最終加筆期に︑かなり積極前な加筆と改作の試みられたものと判定してほぼ誤りがないように思う﹂と︑前稿とニュア な ソスが違うかに読みとれる発言をしている︒四部本︑延慶本それぞれの独自依拠章句と︑両本に共通する依拠章句とでは︑依拠宝物集の系統を異にするという本稿の結論も後者の発言に重なる面をもつが︑具体的な再検討はまだなされておらず︑別に︑宝物集を依拠資料とすることを疑問とする意見もあることを考え︑私見を提出する︒
二
延慶本︑四部本の問題の依拠資料を宝物集と確定できるのかどう
か︒高橋俊夫氏は︑延慶本・宝物集両者に酷似する記事の存在を認
めつつも︑なおその間に微細ではあるが見過しがたい異同のあるこ
とを問題とし︑当該説話が他の唱導資料にもその悌を伺わせること
を傍証として︑両者の関係は類似の唱導的資料をそれぞれが別個に
平家物語と宝物集︵今井︶
長崎大学教育学部人文科学研究報告 第三四号
摂取・導入した結果生じた同文現象とみなすべきだと主張してい
る︒氏は演舞大臣︵後瀬の番号①︶︑紺青鬼︵②︶︑日蔭︵⑦︶を
例とするが︑紺青鬼・日蔵についてはそれらが︑同じく宝物集に酷
似する他のいくつかの記事︵殊に日蔵説話の場合は宝物集同巻中
の︶と併せ︑平家物語の同一章段内に隣接して摂取されているとい
う現象をもって︑宝物集に非ざる或唱導的資料を想定するよりも︑
その依拠資料は︑未知ではあるが宝物集の或一本である可能性の方
が高いといえよう︒迦留大臣については氏の使用しなかった身延山
本が︑宝物集諸本の中では最も高い一致をみせている︒
延慶本
◎1
三三三大臣卜申.人ヲハシキ︒遣唐使ニシテ異国二幅一.御ワシ
ケルヲ何ナル事︒有ケン︑物 ⑤イハヌ薬.クワセテ五躰二絵ヲ ◎圭目ア額二燈カビヲ打テ燈台鬼ト
名.火︐トモス由聞ケレハ︑其
御子二弼宰相ト申ス人︹④︺万
里︐波︐凌キ他州.雲︐尋テ見給
ケレハ︹◎︺一十・鬼一涙ヲ流シテ ㊥!手.指︒食切テカクソ書給ケル
⑧野毛日本花塩客
⑮汝即同姓一手人
①為父為子前世契 身延山本@一 カル︐大臣ト申ケル人︑遣唐使 壬ア渡りロロケルヲ何㌃事︒有 ⑤ ケン︑物イハヌ薬ヲクハセテ ◎ 身昌ハ絵ヲ書︑頭一.ニハ燈カイト 云物︒打テ火︐トモシテ燈台鬼ト 名.付テアリト変事︐御子︒弼. ④ 宰相ト島人ホノカニ伝へ聞.万 里︐波ヲ分ア他州振旦マ︐ア尋オハ シテ見立ヒケレハ︹◎︺鬼涙 ヲ流.テ手.指︐クヒ切テ血︐出〆 ㊥一 カクソ近侍ケル ⑧我欲日本花京客 ⑪西下同姓一傷人
①為父為子前世契 ネンコロあり ①隔山琴海︒情単寧 ⑭経年流涙蓬蕎宿 ①子日馳思蘭悪説 ⑬形破他州成燈鬼 マへ ⑪争帰旧里翠黛身ト書タリ︒是ヲ見給ケム宰相︐心中漁期ナリケム︒遂︒御門 ⑥二申請テ帰朝シテ其悦一一大和国迦留寺︐建立スト見タリ︒⑨ 一六
①隔山隔海情意恋
⑭経年流涙蓬蕎宿
①逐日馳思戦記親
⑬形破他州成民活 ⑪争帰旧里棄斯身
是︐見給ケム子︐御心イカ斗
歎キ給ヶム︒サテ唐ノミカトニ
引取テ日本国へ具をアカヘリ給
ヘリトソ二三ムメル︵中略︶︒
大和.国︒カル寺ト云所アリ︒
彼大臣︐帰朝︐後建立ト云リ︒
延慶本との関おりにおいて問題となる宝物集諸本の詞章を検討する
と大略次のようである︒まず︑二巻本は⑧〜①の詩句を欠き︑⑥の
一文も持たない︒元禄本︑片活本︑一巻本も⑨を欠く︒記事全体が
対応しうるのは第二種七巻本系のみであるが︑光長寺本は◎に﹁日
本ノ客人来レリトテ︑此ノ鬼ヲ取出テミセケレハ﹂という独自異文
が入り︑律詩の詩句も①﹁労祖成子前世契﹂︑①﹁隔十寸海老情苦﹂
⑭﹁経年落涙宿蓬蕎﹂︑①﹁累月千思親蘭菊﹂︑⑪﹁何還旧里捨此
身﹂と大きく異なる︒吉田本は④を﹁軽﹂と宛て︵⑥も﹁軽寺﹂と
する︒因に光長寺本は﹁迦二十﹂とする︶︑⑤﹁のませて﹂︑◎﹁燈
台﹂︑①﹁雨着隔国恋情辛﹂︑⑪﹁争帰旧里寄判読﹂と異なる︒た
だし︑宝物集諸本中この吉田本のみが◎を欠き︑この点は延慶本に
最も近い︒これらに対し︑身延山本は㊥﹁給﹂が﹁侍﹂に︑⑪﹁燈
鬼﹂が﹁燭鬼﹂にという小異及び④を持つという相違はあるもの
の︑総体として最も延慶本に近いといえる︒なかでも︑①は押韻
︵人︑辛︑親︑身︶の上から﹁1恋情辛﹂がこの詩句の原形と思わ
れるが︑延慶本︑身延山本が共にこの箇所のみ﹁1情辛恋﹂ ﹁一情
意恋﹂と語順を誤っていることは︑偶然の一致の可能性もあるとは フいえ︑注目に値する現象であろう︒
延慶本の宝物集依拠をなお完全には実証しえない︒しかし︑宝物
集現存本との比較において︑小異あるものの大略は細部にわたって
一致し︑しかも︑他にも同様の箇所を多く共有する唱導的文献資
料μとは結局のところ︑宝物集の或古本に逢着するのではなかろう
か︒ 四部本灌頂巻六道については︑これが﹁宝物集全篇を貫く仏教教
理をふまえて構成されて﹂おり︑﹁詞章上の関係も著しく宝物集か
ら集団的に引用した場合もある﹂との︑構成・詞章両面にわたる渥 美かをる氏の指摘を重視して宝物集とのつながりを追認してよいだ
ろうが︑なお次の箇所をもって補強したい︒
而れば白居易の詞に何れの日何れの時不レ待二出入息再会一︑永く隔てて被レ
︵マ︑︶ ︵マ︑︶ 奇二何れの野辺何れの山麓弍︑身体散二在.処々弔︑申吋欲けと交晩と泥魂 エル 屯 ︵後掲の番号L︒返り点及び平仮名の送り仮名等は私に補
つたものである︒︶
この前後も宝物集近似の記事が続いているのだが︑右に相当する箇
所は宝物集では次のようになっている︒
太子︐賓客白楽天ハ︑人生.テ一百年︑カソフレハ三万四千余日︒ シ 其︐百年.タモツ者二百ニモナクトナケキ︑首記厳院︐明賦与闇
身上︑磐.八十︐算ヲ保ッ人︑連日.カソフレハ僅︒二万八千余日︒
平家物語と宝物集︵今井︶ 況や︑中聖慮ナム者︑何ワ待トカセン︒何︐日何︐時キ︑出テ入ルイキ再会.旧事ナク︑永.隔ア︑︑何..野.間髪何..山.麓ニステラレ
テ︑身分処々二散在シ一.︑泥塊ニマシハラントスラントハ申ソカシ︒
誠二今生︐身ノハテ命.ヲハリ︑イカ・ヲポッカナカラスモ侍ラ
ソ︒ ︵身延山本︶
ところが見るように傍線部は︑白居易ではなく︑明賢の言葉であ
り︑そのことは明賢の著作﹁誓願講式﹂に カソフ 設.有智ド.持コ八十.算り者上︑連日︐日ヲ算.バ纏二二万八千八百七十
余日也︒況︒過か.年半二者残.命.無四幾ハク︒︒︵中略︶哀哉︒何.日
何︐時二.於出入︐息キ無レ待﹃再会馬弓.隔テ.哉︒何︐野.間山.麓二ヵ ス 被レ奇テ︑身分処々二散在シテ交野泥塊〜為堅.ン塵ト︒ とあることから確実である︒従って︑四部本の表現は宝物集を依拠
資料としそれを誤引したものと判断される︒
三
さて︑以下本題に入るが︑対象とする記事は内容に加えて詞章上
の対応をも認められるものに限る︒実際には厳格な線引はしがたい
のだが︑ たとえぽ一行阿閣梨︵第一末ノ六︶︑ 蘇武︵第一末ノ卦 二︶などは除いた︒扱うのは次の箇所である︒なお便宜上︑延慶本
は︵白天社刊︶活字本︑宝物集は古典文庫第二五入冊︵吉田本︶に
よって個数を示す︒ただし︑ ﹁吉田本の二五・巻六は瑞光寺本等の
巻五を二冊に分冊したものであり︑巻七︑八︑九の三巻は︑瑞光寺
一七
長崎大学教育学部人文科学研究報告 第三四号
本等の巻六・巻七を機械的に任意に編成変えしたにすぎないと想像 注10されるしことから︑漢数字にて示す巻数の下にO内に︑第二種七巻
本系一般の巻数を補っておく︒
延慶本平家物語吉田本宝物集
1第一末十五﹁迦留大臣之事﹂
①迦留大臣︵伽頁⑨行〜㎜頁②行︶
皿第二本八﹁中宮御産有事﹂
②紺青鬼︵㎜⑤〜⑧︶
③頼通︑法華経の効験により延命︵㎜⑧
〜⑮︶
皿第三本十三﹁太政入道他界事﹂
④摩詞止観云々︵螂③〜④︶
⑤倶舎論云々︵撚④〜⑤︶
⑥炎魔王︐使云々︵螂⑤〜⑧︶
⑦日蔵︵螂⑧〜⑭︶
W第六本廿二﹁建礼門院吉田へ入セ給事﹂
⑧王聖君︵蹴⑫〜⑮︶
V第六本法七﹁建礼門院御出家事﹂
⑨年少出家の功徳︵鵬⑪〜⑬︶
M第六末廿里﹁六代御前高野熊野へ詣給事﹂
⑩弥陀前生課︵⁝⁝⑥〜⑩︶
⑪出家菩提心の功徳︵蜘⑩〜⑬︶
W第六末廿五﹁法皇小原︑御幸成人﹂ 注11・法皇︑女院訪問 一38⑩〜40③二99⑨〜卿②九㈲捌⑦〜鋤⑤二m⑩〜⑪二型③〜⑥二巴⑦〜m③二88①〜⑨三塒①〜耐①四丁⑥〜⑪八㊨姻⑧〜⑩四耶⑥〜餅① ⑫延喜帝詠歌︵日蔵︶囮諸行無常の偶︵隔⑤︶囮極重悪人の偶︵⁝⁝⑩︶囮一切業障海の偶︵鵬⑫︶囮若有重業障の偶︵舗⑬︶⑰法身体遍諸衆生の偶︵騰⑭︶︒女院六道語り点綴梵士︵謝⑥〜⑦︶圃天上欲退時の偶︵槻⑨︶圃修羅八裂︵鰯⑬〜⑭︶團野心の憂︵鰯⑧〜⑮︶國鴛掘摩羅︵麟⑪︶團化預国王︵⁝⁝⑪︶図戒酵素師︑阿闊世王囮普明王︵鰯④〜⑦︶奇術婆心︵鰯⑫〜⑬︶圖倶那羅太子︵鰯⑬︶囮則天皇后︵⁝⁝⑬〜⑭︶圓紺青鬼︵鰯⑮︶図志賀寺聖人︵鰯⑮〜⑰︶国在原業平︵鰯⑰︶國諸有三千界の偶︵脚④〜⑤︶働大論の文︵脚⑤〜⑥︶ 図釈尊入滅︵蟷①〜②︶
囮崇峻天皇︵鵬⑥〜⑦︶
⑳貧女一燈︵鵬⑫〜⑬︶ ︵72⑯〜7一②︶︵鰯③〜④︶ 二88①〜89①二72②九㊨燭⑨七因窺④九㊨鰯⑧八㈹猫①〜② 一八
二m③〜④
三斜⑤〜⑥
二95①〜⑥
二89⑨〜90⑧
八㈹螂⑧〜⑩
八二蹴⑥〜⑧
二期⑨〜⑩
六㈲捌⑩〜蹴①
立川⑥〜躍⑥
素踊⑦・篇④〜⑥
六㈲脳①〜⑧
二99⑨〜鵡⑨
五㎜④〜⑤・珈①〜⑪
六㈲郷⑤〜⑧
五二②〜④
五運⑤〜⑥
三㎜①〜⑨
二三⑨〜⑩
八㈹覇①〜⑥
⑳東風吹ハの歌︵蜘④〜⑥︶
鐙弓削以言︵鰯⑧〜⑪︶
マこ 画陽貴妃・李夫人︵蜘⑫〜⑬︶
皿第六末廿六﹁建礼門院法性寺三ア終給事﹂
︒女院往生
囮善知識の文︵鰯①︶
一方︑四部本については︑ 二撚②〜⑩
一17④〜⑦
三越⑪〜瑚①
八㈹朔⑩〜⑪
見落しもあるかもしれないが︑灌頂巻以 なね外の巻では宝物集に依拠したと思われる記事を見出し得なかった︒
灌頂巻については︑延慶本と重なる記事︵四角で囲った番号︒ただし︑後述のように両本にはまま異同あり︶の他︑A〜Zの独自依拠
記事をもつ︒角番号の下には汲古書院影印本﹃四部合戦状本平家物
語 下﹄の頁数を︑A〜Zについては同影印本の頁数の下に︑吉田
本宝物集︵古典文庫︶の寸々を示す︒
︒法皇︑女院訪問 囮㎜右6︑囮㎜左1︑A︵衆庶如霜露の偶︶瑚左2一七因鋭 5︑囮㎜左3︑十号左4〜5
︒女院六道語り 囮篇左3︑圃川左1︑B︵一人一日中の掲︶川左4〜61七㈹ 潮2〜3︑囮脇左1〜4︑C︵諸阿修羅等の偶︶珊左31二95 4〜5︑團鷲左6〜珊左3︑團捌右2〜3︑計量右3︑團㎜左 3〜5︑囮︵須陀摩王︶丁丁5〜捌右2︑囮捌左4〜5︑國捌 左5〜麗右1︑D︵阿育王八万四千人の后を殺す︶麗右1〜2 1三伽11・四獅8〜9︑E︵皇女欲近付海人云々︶職右2〜3 一五頒6︑囮窺右3〜4︑凶単玉5〜6︑豊麗右6〜左2︑画 捌左2〜3︑國鵬右1〜3
・女院仏法論議
平家物語と宝物集︵今井︶ 国掲左1〜㎜右1︑囮㎜左1〜2F︵博文少将︶㎜左1〜珈右3一三鵬11〜鵬3G︵藤原相思︶獅右3〜6一三覇6〜11H︵前少将後少将︶謝左1〜21三靭1〜3 図細左2〜6︑國蹴左6〜蹴右11︵和泉式部︶蹴右2〜4一一454〜461J︵出息摂待入気︶蹴右4〜51二728K︵妻子珍宝の偶︶蹴左1〜21二m7〜9L︵白居易詞︶蹴左2〜41二806〜811M︵大方流転生死云々︶蹴左4〜脇右4i二828〜9・二849 〜851N︵一念発起菩提心の文︶㍑右6〜左11四餅10〜110︵闇鍮珈唯識云々︶脳右2〜6一二649〜709P︵日蔵︶捌左3〜5i二881〜9Q︵不持菩提種云々︶測左5〜獅右11二825〜8R︵思知人モ在ナリの歌︶獅右5〜6一二7910〜11S︵一切有為法の偶︶獅左3〜41二705T︵世事ヲ何響エソの歌︶獅左5一二716V︵無言太子︶獅左6〜獅右2一二734〜5V︵此世社財知ヌレの歌︶獅左6〜斯右1iご839〜10W︵無量無数劫の偶︶蹴右1〜31二692〜3X︵女人地獄使の偶︶眠草6〜左21五雅3Y︵不軽大士︶蹴左5〜珊右11八㈹聯9〜10Z︵義孝往生︶繊右2〜左21三靭3〜8
・女院往生囮鋤左6〜獅右1
鳳九
長崎大学教育学部人文科学研究報告 第三四号
先述のように︑角番
号で示した記事が両本
に共通する︒これに対
し︑延慶本の⑫⑰働⑳@⑳︑四部本のABCDEは同じ記事構成中
にありながら︑一方に
のみ存し︑土入か他方
の削除・脱落か俄に判
定しがたい◎これらは 注13さらに検討を要する
が︑本稿では︑延慶本
・四部本の独自依拠章
句と︑両本に共通する
依拠章句とでは性格を異にしているのではないかとの仮説を
検証するために︑今回は除外し ︒延慶本独自記事︵宝物集依拠章句︶①〜⑪⁝これをα群と
称す︒・延慶本・四部本両本共通章句囮〜囮︑囮〜國︑図囮圓囮⁝ β群︒四部本独自章句F〜Z⁝7群
この三群の記事・章句を考察の対象とする︒
考察にあたっては次の二点に留意したい︒
α群の記事を除き︑β・rはいずれも章句の数は多いが︑
断片的でまとまりに欠け︑直ちには依拠した宝物集の系統を
確定しがたいこと︒
α
身三吉 曹連星二一
一①●▽⁝ □△△△△
二⑦ ② ④ ⑤ ⑥① ⁝□○ ・ ○□ . ○/ ︸ ▽▽ ⁝ ▽▽▽□①□○×▽○○○×○□◎×□●△△
三⑧● ⁝実父▽▽××
四⑪ ⑨□①⁝①/○⁝○□□△▽□□×▽
七⑩ ③□ ⁝ ○● ・ □○□○/▽△△/ β身喜吉元片二一
二圓 図 國 國 図 囮 囮○ ○□⁝□□ □① ⁝①○ ⁝○○ ⁝ ○① ⁝ ①○○○○①①□▽①①▽□□□×▽○○××○○○□× × × ×
三図 國 画◎ ⁝○○/⁝○○○ ⁝○○○○○□×××□○○○○
五國 國 囮 國 圏 図 囮○ ⁝○① ⁝①○ ○◎⁝○○ ⁝○○ ○○⁝○○○×/□□×/○○×/○○○/○□×/○□×/○○×/
面立 國○ ⁝ ○○ ⁝ ○○○×/○□□□
七囮 國 図 囮○ ○▽⁝▽/ ○/ ⁝○○○○/□●×/○○×/○○×/ 二〇
γ身撃吉 一元仁二一
一1□▽⁝ □○○×○
二W O S T J U R L Q M V P K□ ⁝□● ⁝□○ □① ⁝◎□ ⁝○□⁝●□ ⁝□① ① ︸□ □△ ⁝▽●⁝□□ ⁝ □○ 一〇○○○×▽▽△▽□□◎○□□××○○○○▽▽▽×①①××□□▽×▽▽●□□●□×× × × ×○○○○□x◎×
三F G H Z/ ︸○○ 一/ ⁝○○ ︸/ ⁝□□ 一/ ⁝□□□xO▽□□×○▽▽△◎□□▽◎
四N三咲⁝ □○○□○五X/ ⁝ ○○○○/六Y□ ⁝ ▽□●▽/
加えて︑宝物集には多様な異本があり︑諸本系統論が確立されて
いないために大雑把な言い方になるが︑それらの本文は相互に複雑
な影響関係にあり︑いずれの異本も部分的には古態を留めている可
能性がある︒現存本との比較を通じて依拠宝物集の姿を探るために
は︑これまでの出典研究の中で平家物語との対応記事数が少ないからと︑あらかじめ詳しい検討対象からは除外されていた二巻本・一
巻本等の略本と平家物語の記事との関わり方をも看過できないこ
と︒ 従って︑宝物集諸本との関わり方を全体的に眺め︑或傾向性とで
も呼ぶべき指標を見出し︑それを補強材料として依拠宝物集の系統
を確定するという方法をとらざるをえない︒この意図を容れるた
め︑上記三群の宝物集依拠章句の一つ一つについて︑宝物集諸本の
異同を調査し︑当該依拠章句に近い順に○から△にいたる記事で序列化する︒さらにその結果を宝物集︵吉田本︶の記事構成に従って
再配列して示したのが︑前頁に掲げる表である︒なお︑βは共通記
事とはいえ︑延慶本・四部本両本の表現には相違も少なくないが︑
繁雑でもあり︑全体としての傾向・様相に大差ないと判断し︑延慶
本による調査結果のみを表示する︒
︹凡例︺︒最上段の漢数字一〜七は宝物集信巻本の巻数である︒
ヘ ヘ へ︒宝物集の項︑上から順に身延山本・光長寺本︵巻一零本︶・最明 寺本︵巻四零本︶聴以上︑身延山本系第二種七巻本︿仮称﹀︑か
能寺本︵巻三零本︶・吉田本日吉田本系第二種七巻本︿仮称﹀︑
も へ も へ 元禄本︑片活本︑二巻本︑一巻本を配す︒
︒○□▽△は︑○を付した宝物集の表現が当該依拠章句に近く︑以
下□▽△の順に依拠章句の表現から遠ざかっていることを示す︒ さちに大きく隔たりをみせる本文もあるが︑便宜上△以下の階梯
は設けず△に一括した︒
・●は宝物集積本中︑ある一本︵系統︶のみが︑①は二本が最も当
該依拠章句に近い表現をとっている場合に付す︒なお︑身延山本
の記事省略の箇所については︑最も近い一本を◎で示した︒
・O凹▽△など︑記号の中に黒点を加えた宝物集は︑記事全体とし
ては他諸本にぬきんでて当該依拠章句に近縁性をもつわけではな
いが︑部分的に︑最近似の表現をみせているものである︒その様
子は事項によって異なり︑主なものは後述する︒
・身延山本の項に付したOは略述のため︑吉田本・二巻本の項に付
した0は吉田本系︵狭義︒瑞光寺本︑吉川本︶︑二巻本系諸本内
に各々異同があるため︑最終的な判定を下しえぬもの︒×は記事
のないことを︑/は欠巻︵一巻本︶・省略︵身延山本︶を示す︒
※
いまαβを一括して延慶本の依拠本文を特定するならぽ︑身延山
本が総体として最も近く︑前述武久堅氏の﹁身延山久遠寺本系祖本
依拠﹂想定は極めて適確な判断であったといえる︒しかし︑αと
β︑βとrとにはそれぞれ無視しがたい相違がある︒
一︑身延山本系に最も近似する記事・章句︵●︶が︑αには①⑧③ の三箇所︑γには0︵T︶Vの二︵三︶箇所あるのに対し︑βに れ はそれがないこと︒
①︵迦留大臣︶は先に触れたので省略する︒
延慶本
⑧︵巻十一−廿二﹁建礼門院吉田へ入セ惨事﹂︶︶
イツクモ旅ノ空ハ物哀昌テ︑モラヌ 身延山本王仁君力王宮︐出.胡国へ行シサ
マ胡国ノ后トハモテナセトモ︑ナ
平家物語と宝物集︵今井︶二一
長崎大学教育学部人文科学研究報告 第三四号
岩屋タニモナヲ露ケキ習﹇ナレハ
御涙ソ先立ケル︒ ソレニ付テモ
昔今.事思召ノコス事ナキマ・
即下 ナケキコシミチノツユニモマ
サリケリフルサトコフルソテ
ノナミタハ
ト王照君力胡国二旅立テ歌ケソモ理
也トテ更二人.上トモ思召サ・リ
ケリ ラバヌ旅ノ床露ケク︑月ノ光りハハヤケレトモ一業昌クラサレテクモレリ︒ ︵中略︶此心.詩寄少々侍ルメリ︒ 型染.右衛門 ナケキコシ道ノッユニモマサ リ也リケル同郷コフル袖ノナ︑・・タ州︵三−五ウ 74頁︶
※﹁ナケキコシ﹂の歌は宝物集の中では第二種七巻本系のみに
あり︑㊨㊥は傍線部を﹁なれにし里をこふる涙は﹂とする︒
延慶本と同じく宝物集を依拠資料の一つとする真名本曽我物語
が﹁ナケキコソ道ノ露ニモマサリケレ古郷コウル袖のナミタご
とする他は︑後拾遺集︑蓋置衛門集も﹁なれにしさとをこふる にイ涙は﹂とある︒なお︑延慶本は建礼門院の吉田入御を描くにあ
たって︑王子君説話そのものを引用しているのではないため歌
を除く詞章は直接重ならないが︑歌の表現の一致を重視して宝
物集依拠記事の一つに数えた︒
③又三条院.宇治殿頼通.御聾.︻
取ムトセサセ雨漏シマシケルニ
御病付テ大事ニナリ給.︑験者ニハ
心心僧都三尊阿閣梨︑陰陽師.ハ
賀茂.光栄安倍.古平ナムトヲメ
シテ音ヲアケテ旬シリケレトモ︑ 三条院.宇治殿頼通・フ御聾︐一取ラムトセサセヲハシマシケルニ︑御病ツキテ大事ニナリ給一ア︑験者ニ円心主僧部軸装阿閣梨︑陰陽師ニハ賀茂.光栄安倍ノ吉平ナムトカ︒尽シ声一.アケノ・シリケレト 忌月ハリニヨハラセマシくテ引入ラセ給ケルヲ御堂関白道長公ノオハシマシテ目本国昌法花経
︐是程︒ヒロマラセ給フハ我力也︑
コノタヒ我子︐蔓生サセ給ヘト
テナミタヲ流テ等量品ヲ一枚計リ
三皇ケレハ︑御シウトノ具平親
王物.ケニアラワレ給.︑子︐悲︒
サバ誰モ同シ事ニテコソアレ︑我
子二物︒思ワセムコトノ悲シケレ
ハ付奉タレトモ法花経ニカタサ
リ奉︒帰り侍ヌト宣︐.御病止ニケ
リ︒ 二二
モ︑タ・ヨハニナリ給テヒキ入
給ケルヲ︑
御堂道長ノオハシマシテ
日本国二法花経︐コレ程二弘セ給ハ
万力ナリ︒ 此度我子︐命イケサ
月給ヘトテ一涙ヲ流シテ寿量品ヲ一
※身延山本は延慶本とほぼ同文であるが︑
集諸本中︑ 身延山本のみが一致する表現である︒
例示する︒㊨﹁宇治殿雛を三条院﹂
院﹂︑㊥﹁宇治ノ関白頼通ヲ三条院﹂︑
はぐべいしんわうの御むすめをすてx︑
巻 四部本
0然闇ク喩珈唯識︑天台花厳モ不
膝︒眼︑空観次第争可知候︒乍
去問セ下事ナ.無伝承処︑令申片端
計︒先.諸法観空事︑一切諸法 枚計読給.ケレハ︑ 御シウトノ具平親王物.ケニアラバレ給︒︑子ノカナシバ誰︒同︒事そ.コソア
レ︑我子二物ヲ思ハセンスルコト
ノ悲シケレハ︑ツキ奉りタレトモ法花経ニカタサリタテマッリテ
返り侍︐ヌト言︒御薄ヤミ給ヒケ
リ︒ ︵七一一一ウ ⁝⁝頁︶
中でも傍線部は宝物
冒頭のみを
︑㊧﹁宇治殿蟹翻ヲ三条
◎﹁くはんばくよりみち
三でうのみんの﹂O欠
身延山本
門ヤ︑アヤシノ山カツ争ヵ申宣侍
一.ン︒南都.修学皿眼︐サラサ・リ
シカバ鍮伽唯識ニモ暗ク︑北嶺︐聖
教ニヒチヲクタサ・リシカバ止
皆悉空寂︒︑無生磨滅無大無塩︑
被説法華経︑可柱心︒ 観玄義ニモマトヘリ︒ ︵中略︶錐
然ゐ中山寺二只且︒侍り.二諸法︐空
也卜観ス︒.仏法︐大心︐ハ甲ト.ソ承り
シカ︒ ︵中略︶山寺二︒承り︒文ト︒︒
少々甲侍ル︑︒︵中略︶一切諸法
皆悉空寂無生無減無大無二︵二
f一ウ 28頁︶
※傍線部㊨﹁諸経を空なりと観ずるこそ﹂︑㊧㊧◎﹁諸行無常
ヲ観ルヲ﹂︑e﹁諸行ハ無常ナリト観スルヲ﹂
ω越中ヲ何讐エ.秋.田.ホノ六国照.宵︐電ト 云︑ル可此心
②背中ヲナニ・警.秋ノ田ノホノカニテラスヨヒノイナッマ
︵二ーニウ 30︶
※㊨ほのうへ︑㊧㊥穂ノ上︑◎θ歌全体ナシ︒但し︑小泉弘氏
﹁﹃宝物集﹄の所収和歌一覧﹂ ︵﹃古冷冷宝物集 研究篇﹄痂
頁︶によれば︑吉田本系の瑞光寺本・吉川本も﹁ほのか﹂とあ り︑前掲表吉田本の項も①と表示した︒本稿のような微細な点 く にわたっての調査には︑瑞光寺本・吉川本の披見が欠かせない
が果せなかった︒本稿の結論の大勢は動かないと思うが︑他日
の補訂を期したい︒
こそ V此世社思知︒.桜花サ.ヵトうハ根
つつ 返宛 花忍院法印被三后也
※㊨傍線部ナシ︑㊧㊧◎θ歌全体ナシ︒
平家物語と宝物集︵今井︶ 法印元性匪山院 宮此世ヲソ思.知ヌル桜花サクカトスレハ根ニカヘリツ・︵二一七ウ 37︶ 又︑宝物集以外に本 歌を記載するものが管見に入らなかった︒二︑αには⑦︑γにはしQ︵さらに︑身延山本省略箇所であるので 不充分な比較ではあるが︑GHZも加えてよいだろう︶と︑二巻 本︑一巻本と関わりのある記事がみられるのに対し︑βにはそれ が見出せないこと︒
⑦昔.金考選.日蔵聖人︐二言断
食ニシテ行.スル間︑秘密喩伽. ユ鈴ヲニキリナカラ死入タル事侍一 200 3△△ムケリ︒地獄一7ア延喜御門二会マヒム ムム ムムム ム ムラセタル山畢アリキ︒地獄二来ル者
二度閻浮提二帰ル事ナシトイヘト
モ︑汝ハヨミ返ヘキ者也︒我父 るムムムムム寛平法皇.命︒タカヘモ実︒以︒菅
原右大臣ヲ流罪セシツミニヨリ
ほり む む テ地獄二落.苦患︐受.︒ 必ス我王
子二語一.苦︐スクフヘシト仰有ケ
レハ︑田零ア承ケルヲ︑冥途ハ罪ナ
キヲ以.主ト︒︑聖人我.敬.事ナ
カレト被仰ケル事コソ悲シケレ
※1身延山本とのみ共通表記︒㊨﹁死入侍リケル﹂
入タル事アリキL︑◎﹁しにいりたりけるに﹂
七日アリテヨミカヘリテアリキ﹂
※2・5二巻本とのみ共通表記︒⑧﹁にして﹂︑㊧㊧﹁行て﹂︑
≡ご 金峯山.日蔵聖人力無言断食ニテ行ナヒシケル程二︑秘密喩伽.鈴ヲニキリナカラ死.入タル事侍リケリ︒地獄ニシテ延野口︐聖主二奉け値ケレハ︑帝ト聖人ヲ見︒言ク︑地獄昌来ル者ノ再.人間二野事ナシ︒汝ハヨミカヘルヘキ三三︒我レ父寛平法皇ノ為二不孝︒りき又︑無実ヲモテ菅原右大臣︐流罪シタリキ︒此罪科ニヨリテ今地獄ニヲチテ苦患︐ウク︒必.我王子ニカタリテ苦患ヲ弔ヘシト仰有ケレハ︑畏一ア承ケレハ︑冥途ハ罪血酬︐モテ主ルシトス︒ 聖人我︐敬事ナカレト仰セラレケルコソ悲︒侍レ︒ ︵二一一〇ウ 39︶ ︑㊧㊧﹁死二 ︑公︶﹁カツヘテ
長崎大学教育学部人文科学研究報告 第三四号
む む ゴ ◎﹁にて﹂\㊨﹁今地獄に簸てくげんをうく﹂︑㊧㊧﹁今地獄
む む む む む む む む む む む む 二落テ苦患ヲ受也﹂︑O﹁ぢごくにおちて︑くげんをうく﹂︑
e﹁地獄ニヲチタリ﹂
※3・4一巻本とのみ共通表記︒㊨﹁あひ奉り︑御門︑上人を見
給ひてのたまはく﹂︑㊧㊥﹁逢奉リケルニ﹂︑◎﹁あひたてまつ △△ △ △ △ △ △△ △ りければ︑みかどののたまひける﹂︑○﹁アヒマイラセタルコ ムム ム ム ム トアリケリ﹂\㊥﹁為に不孝なりき︒又﹂︑㊧㊧﹁御命ヲ背奉 △ △ △ △ム リ﹂︑㊤﹁めいをそむきたてまつり﹂︑θ﹁命ヲタカへ﹂
L而.白居易詞︑何.日何時不︒ ママ む待出入息再会︑永隔被奇何.野
む
寄場山麓身体散在シ処々︑申欲 ママ 交泥魂︒
※㊨﹁野のあいだ﹂︑㊧㊥﹁野﹂︑◎﹁導べ﹂︑e記事ナシ
む むQ不シ持菩提種︑国王大臣貧人︑
而法華方便品被ヶ説︑見六道衆
生貧窮無福恵.ソ︒
※㊥﹁貧窮なる人﹂
窮ナル人﹂ 白楽天︵中略︶何︐日何.時キ出テ入ルイキ再会.旧事ナク永隔.︑何
︒︐野.間タ何.︐山.麓一ズテラレテ
身分処々二散在セ.泥塊ニマシハラ
ソトスラントハ申ソカシ︵二一
七オ 35︶
O O
︑㊧㊥﹁貧窮﹂ 法花経.方便品二見六道衆生貧窮無福恵ト申文ハ︑六道︐衆生︐見ルニ貧窮二.福ナシ︑国王大臣モ貧窮
ナル人︒り︵二一七ウ 36︶
む む む む む ︑O﹁まっしき人﹂︑○﹁貧 1△△△ △ △G又︑藤原相風後栗田関白 夢奈良︒又︒可瞬相君ナ一.ハネラレヌ伊 於母歎.サ.マシ 読深歎悲終回侍リヶルQ相如娘泣々 夢不見︐歎︒︒君ハ無程又我二看.悲 二四
※−e﹁為鬼臨か灘酔論一幹於酔外テマツリテ﹂・㊧㊥ナシ・◎ば
記事全体ナシ
2㊥﹁に﹂︑㊧㊥﹁失﹂︑○﹁ウセニ﹂
H又︑一条摂政子侍ヘリ前少将後 △ △△ △△少将︒一日乍二人煩涜瘡失︒
Z義孝少将詣世尊寺︑唱へ.臨終
正念往生極楽︑終遂往生素懐︒
其後賀縁阿閣梨︑年来契僧官
△退引蓬莱宮裏月 今遊極楽界
中風 則
△時雨一ヲ千草.花一散リマカウ何
古二袖濡スラン
告耶︒実不審事.ソ︒ 藤原の相如が 夢ならで又もあふべき君ならばねられぬいをもなげかざらまし とよみて︑なげきしに侍りければ 相如女夢見ずとなげきし君をほどもなくまたわが夢に見ぬぞかなしき
((A省略︒吉田本三一燭頁︶
△ △ △ △△
一条院摂政伊弄御子前少将挙賢︑
後少将義孝とて︑時めき給ふ公
達おはしき︒もがさをわづらひ
て︑おなじ日にうせ給にけり︒一︵中略︶おとうとの君は︑もと
より道心おはしN人にて︑世尊
寺の桜のしたにて︑命終決定︑
往生極楽といふつかをそっきた
まひける︒あはせて︑求縁阿閣
梨とて頼み給ひたりける僧の夢に︑こころよげにてかくそよみ
給ひける︒
時雨とそ千種の花はふりまが
ふなに古郷に袖ぬらすらん
昔契蓬莱宮裏月 今遊極楽界
一 中風︵②省略︒㊨三−珊︶
※H▽傍線部㊥﹁おなじ日に﹂︑㊧㊧﹁同日﹂︑O﹁はかなく﹂ △ △ △ △△︵二人力︶△△△ e﹁一日之内二三ロナカラ﹂
Z一巻本のみ四部本と同じく<詩←歌﹀の順をとる︒
別稿で指摘したように︑鎌倉時代から室町時代にかけて種々の第
二種七巻本系の諸本が輩出したが︑それらは二巻本︑一巻本との詞
章上のつながりの濃淡により︑大きく身延山本系︑吉田本系に分け 注15ることができる︒以上述べきたった二点にわたるα・γとβとの相
違は︑α・γの依拠宝物集を身延山本系︑βのそれを吉田本系と区
分しうることを示すものと思われる︒
四
考察の必要上︑これまでβ部︵延慶本・四部本に共通する宝物集
依拠章句をもち︑記事構成上も重なる部分︶については両本の共通
側面にのみ目を向けてきたが︑現存本のβ部には︑延慶本において
はα部︑四部本においてはγ部︑それぞれの宝物集再依拠︵一回と
は限らない︶の際︑新たに手が加えられた可能性もまた存するはず
であり︑極めて複雑な様相を呈しているものと予想される︒
この点に関わって注目すべき箇所がある︒
延慶本頁㊨数宝物集︵吉田本︶巻頁㊨数
量戒賢論師
腰強明王囮術婆迦
平家物語と宝物集︵今井︶ 鰯③〜④鰯④〜⑦鰯⑫〜⑬ 二 斯⑨〜⑩六㈲㎜⑩〜蹴①五 加⑥〜㎜⑥ 画十三羅太子 團則天皇后 四紺青鬼 画志賀寺上人 画在原業平 國諸有三千界云々 一大論云々この箇所は︑ る久氏の指摘のように︑いる︒が︑ 鰯⑬鰯⑬〜⑭鰯⑮鰯⑮〜⑰螂⑰蜥④〜⑤蜥⑤〜⑥ 五 皿⑦・鵬④〜⑥六㈲脳①〜⑧二 99⑨〜鵡⑨五 ㎜④〜⑤︑踊①〜⑪六㈲珈⑤〜⑧五 加②〜④五 麗⑤〜⑥
最後の働を除いては延・四両本に該当記事があり︑武
巻五を中心として集中的に宝物集を採択して
詞章的に宝物集と重ならない面も多い︒
囮昔︐普明王ハ班足王ニ
トラレテ九百九十九王
ヲ可レ被レ諌数二入給タリ
ケルニ︑吾々沙門供養
︐願アリ︒柾.暫.暇ヲエ
サセヨト申テ指笛︐文︐
謡噸シケレ寸描ユルシテ
帰ケルトカヤ︒サシモ
ノ悪王ソラ情有︑申伝
タリ︒囮天竺ノ術婆迦ハ后ノ
宮二契︐ナシテ墓ナキ夢劉 むかし︑須陀摩王︵略︶野に出てあそぶほどに・耀王︵略︶取て・数べき九百九十九王の中におきつ︒須陀摩王なみだをながし︑声をあげていはく︵略︶野べに出る時一人のぼらもん物をこひつ︒今野べより帰りてあたふべしといひて出ぬ︒ ︵略︶いま七日がいとまを得て︑婆羅もんを供養してかへりくべし︑といひ 班㊧ければ︑銅線王︑七日のいとまをとらせてけり︵後略︶︒ ︵身延山本略述のため吉田本を引用︶后ノ網人ニアハムト契ル事ハ︑天竺ニアミウトアリ︑名︐術婆迦ト云︒ ︵略︶思ハサル
外二后︒奉レ見テ︵略︶煩悩︐車輿ムル時ナシ︒
︵略︶后アハレト覚シテ︵略︶社頭ヘマ
二五
長崎大学教育学部人文科学研究報告 第三四号二六
國阿育大王︐子倶那羅
太子ハ継母蓮花夫人二思
︒被.懸ウキ名︒流シ
囮震旦ノ則天皇后ハ長
文成二逢.遊仙堀︐得給
ヘリ圓文徳天皇ノ染殿ノ后
ハ紺青鬼ニヲカサレ
図亭子.院.女御京極御
息所ハ時平︐大臣ノ女
也︒日吉詣給ケルニ志
賀寺聖人心ヲ喚け懸今生
之行業︒奉遷シカバ︑
哀︐懸給テ御手ヲタヒ︑
実ノ道ノ指南セヨトス
サマセ給キ︒ イリテアミ人ニアハソト契り給事ナリ︒ キラバ女ハ不レ砕心貴賎↓但如是随ト云ハ是ナリ︒細カニハ大虚二見タリ︒倶那羅太子のまなごをくじると云は︑阿育王のきさき︑ま玉子のくなら太子をおもひかけ給ふを︑太子かたく辞し申給ふによりて︑ふたつのまなごをくじり給ふ事なり︒ ︵身延山本略述のため吉田本を引く︒︶振旦︵略︶則天皇后ハ玄宗.后ナリ︒長文成︒アヒ給.︑イウセンクツト雪乞︐エタマフ事ナリ染些些︒︵略︶南山︒リ貴キ聖人︐一人尋ネ出サレタリケルヲ︵略︶聖人南山二移リ︒紺青︐色シタル鬼トナリテ頃.︑后︐犯奉ル︒后︐御目ニハ︑我.ヲツト文徳天皇トソ見工給ケル︒滋賀.聖人ハ京極.ミヤス所.滋賀寺へ参り給︒見テ御手︐トラヘテ バッハルノハッネノケフノタマハ・キ 手ニトルカラニユラクタマノヲトヨミテ今生.行業︒ユツリタテマツルトソ申ケル︒ しかも︑右のような素材をまとめて提示することは宝物集に限ったことではないらしい︒後出の作品ではあるが﹃三国伝記﹄巻第六第 注16廿七﹁志賀寺聖人恋路事﹂に次のようにある︒ ︐ 和云︑志賀寺上人︐云︒聖アリ︒京極︐御息所ト申シテ︑時平左大 臣女︑比叡参︐シ給.ケル道ニテ見合︑御手ヲトラへ奉りテ︑ 初春ノハッネノ今日ノ玉箒手ニトルカラニユラグタマノ緒 此.歌家持ノ集二有リト詠.一.︑多.行業ヲ譲り︑忽二紺青鬼ト成りケル コソヲソロシケレ︒廻章.山谷伽ハ妃ヲ恋テ火焔ト成り︑震旦ノ則 天后ハ張文成二心ヲ傷︒.給.︒春駒ノ身ヲ殿.︑秋.鹿.命︒失.︑皆 是此.道ヨリ起ル︒可ゆ恐ル可レ慎ム也︒
ここには囮術婆迦︑学則天皇后︑團紺青鬼︑圃志賀寺上人︑の四素 ヒ エ材が集合している︒加えて﹁比叡参﹂が﹁日吉詣﹂の転化とすれ
ば︑一層何らかの関わり︵平家物語と︑三国伝記の依拠資料との︶ 注17が想定されるところである︒しかし︑それ以外には宝物集より以上
に平家物語に近い表現は見出せず︑三国伝記は志賀寺上人が紺青鬼
になったと記すなど︑その依拠資料に潮っても︑平家物語との直接 注18的な関係はほとんど考えられない︒逆に︑宝物集は囮國が平家物語
の詞章にほぼ重なり︑囮の﹁后﹂﹁契り﹂という表現が一致する他︑
國においても︵﹁滋賀寺詣﹂とし︑ ﹁実ノ道ノ指南引明﹂の歌を載
せないなどの相違があるものの︶︑狂言﹃枕物語﹄や︑﹁実ノ道﹂
の歌を伝える﹃後頼髄脳﹄などの歌論書及び﹃天正本太平記﹄など
には見出せない﹁今生︐行業︒ユッリタテマツル﹂という表現を︑平
家物語と共有する︒従って現段階では︑宝物集以外の資料の可能性
もなくはないが︑宝物集の或古本︵前項での結論からすれば吉田本
系古本︶に他資料を併せ用いたとみておくのが穏当なところであろ
鵬・ 以上の囮國四図は延・四両本に大異なく︑共通祖本段階にかかわ
る問題と思われる︒ところが︑圓の主人公を﹁普明王﹂︑彼の供養
の対象を﹁沙門﹂とし︑さらに﹁時偶ノ文﹂に言及する点において
延慶本は宝物集と対立し︑三国伝記巻第二第七﹁斑足王欲二千王ヲ
殺↓︐事﹂に近いのである︒三国伝記と類似の話は︑原典の仁王経の
他︑流布本﹃曽我物語﹄巻七︑﹃塩嚢砂﹄巻七一二十七にもみえる︒ しかし︑國の倶那羅の実母ならぬ継母の名を﹁蓮華夫人﹂とする点
については︑池上洵一氏︵﹃三国伝記﹄三七補注四︶が詳しく述べ
るように︑三国伝記巻第七第四﹁倶那羅太子事﹂の他には見当たら
ない︒ 一方︑四部本の囮國は延慶本と大きく異なり︑囮では主人公は
﹁須随一王﹂としている︒
困戒賢論師不可申凡夫︑玄弊三蔵師︒阿閣筆王非只人︑霊山聴
衆︒回錐然︑有加九百九十九王流涙︑乞暇被阪︒是無類鳥膚苦︒
圏昔須志摩王︑后妃采女被華足王︒置足王情︑是少無情︑無弥重
事︒いま仮に困回囲三つの部分に分けたが︑団は先に囮とした部分で︑
延慶本もほぼ同様の文章である︒問題は回の部分である︒文章の流れからいけば囲のみが囮相当記事のようであるが︑内容上回も囮の
一環をなすと思われる︒しかも︑斑足王にとらわれたのは須陥摩王
自身のはずが︑四部本では﹁后妃采女﹂のことと読める︵須陥摩王
へ へ もと后妃采女とがとらわれたとも読めなくはないが︑これも問題を残
す︶︒主人公の名を﹁須陥調髪﹂とする点︑﹁流涙乞鴇.バ暇.﹂の
表現などにおいて宝物集に近いのであるが︑現存の四部本の詞章に ユは相当の混乱があるといわざるを得ない︒いま一つの圖は次のよう
平家物語と宝物集︵今井︶ である︒ 國阿育大王后︑思を懸謝継子︑蓮花夫人の子追駆羅太子イ 不喝聞下は 恨︑事を︑取二上げ歯印遭︑抜診両眼噌︒回依嘱大王亡ゴモ八万四千人 后遭浅猿カリ.︒圃又皇女欲ゆ近引付海人略︑皇后親︾︐下フ馬下力子来御 事なり︒ ︵返り点及び平仮名を私に補った︶四部本はみるように﹁蓮花夫人﹂を実母の名とし︑さらに﹁歯印﹂にふれるなど︑延慶本のみならず宝物集にもない表現をとる︒この
﹁歯印﹂は阿育大王の歯印であり︑四部本の表現は誤解を招くまで
に簡略化されている︒D・Eは四部本独自記事であるが︑Dにいう
阿育大王が后を殺したのは︑倶那羅課とは別の話で︑宝物集では國
が巻五鵬頁︵吉田本︶︑Dは三二嗣頁・巻四篇頁に︑それぞれ掲出 注20されているものである︒Dについてはいま措くとして︑Eは宝物集
における術婆迦諺︵囮︶の題目提示の一文﹁皇后ハアミ人ニアハム
ト契り︑王女ハ馬下.児.縁.結.﹂ ︵身延山本︶に関わりがあろう︒従 るって︑武久氏が四部本に宝物集書参照の可能性を想定したのも︑こ
うした様相を思えば︑もっともなことであった︒
しかし︑現存四部本の記述に混乱があることの指摘は︑四部本が
溝形を全面的に改めてしまったことをも︑延慶本が祖形をそのまま
保持していることをも意味しない︒國の倶那羅課における﹁窯印﹂
は︑三国伝記では﹁手印﹂となっており︑池上氏︵﹃三国伝記﹄補
注四︶によれば﹁﹃今昔﹄以前の話では王の歯印︵粘土で封をした
上に封じる人の歯形をつけたもの︒インドの風習だった︶と語られ
ていた﹂とあり︑四部本がこうした︑表現としては古い形を受けつ
いでいることに注意したい︒また︑囮の須陥摩王についていえば︑
言様摩王とするものは﹃湿度論﹄三四に端を発し︵﹃織田仏教大辞
二七
長崎大学教育学部人文科学研究報告 第三四号二八
典﹄︶︑ ﹃三宝絵詞﹄︑ ﹃金沢文庫本仏教説話集﹄ ︵温語洞叢書
四ウ︶︑宝物集︑ ﹃平家族伝抄﹄ ︵汲古書院影印本︒獅左⑦〜⑧︶
などに︑延慶本のように普明王とするものは﹃仁王経﹄にはじまり
︵﹃織田仏教大辞典﹄︶︑三国伝記︑流布本﹃曽我物語﹄︑ ﹃壇嚢
砂﹄︑ ﹃玉藻の草子﹄などにみえる︒管見の及ばぬ事例が予想され
強弁しえぬものの︑須陥摩王系の宝物集の中でも︑早くとも室町期
以降の成立と思われる元禄本が記事の最後に﹁仁王経二見ヘタリ﹂
と付言していることとも併せ︵平家族伝記にみるように︑須随摩王
系があとを絶つわけではないが︶︑次第に普明王系が一般的になっ
ていったという傾向が窺えよう︒すなわち︑四部本の表現には大き
な混乱がみられるが︑素材としての記事内容そのものは︑延慶本よ
りも古い形を留めている可能性がある︒
一方︑延慶本編者の手許には身延山本系祖本望物集㊨他に︑三国
伝記の依拠資料に近い︵或は︑何らかの関わりをもつ︶資料があ 注21り︑これによる記事の補訂をも行なっているのではないか︒
このように断定するにはなお材料に乏しく︑別の解釈の余地もあ
ろうが︑四部本のみならず︑延慶本のβ部にもやはり改訂の手が加
わっている可能性が濃く︑両本ともにβ部はきわめて複雑な様相を
呈しており︑それは一回性の依拠や転写による単純な誤写では説明
のつかないものであることを確認しておきたい︒
五
以上︑平家物語諸本成立のある段階で︑宝物集吉田本系古本︿仮 テキスト称﹀を一資料として灌頂巻︵相当記事︶を形成した本があり︑そ
の本を基に︑延慶本︑四部本は身延山本系古本︵本稿では﹁祖本﹂ との用語の使用は留保しておく︒また︑延・四両本の依拠宝物集が同一かどうかも不明︶を新たな資料として︑前者は全巻に及んで ︵清盛︑女院︑維盛の記事がその過半を占める︶︑後者は﹁六道﹂
に集中的に補訂の筆を加えたものを思われることを論じてきた︒ 武久三遷稿は﹁現存の延慶本の小原御幸の本文は︑その最終筆・期
に︑かなり積極的な加筆と改作の試みられた﹂︑ ﹁﹃宝物集﹄に依
拠した本文の加筆もその一つであろう︒しかもその改作時に︑基盤
となった︵長門本との一今井注︶共通親本以外に︑もう一つの小原
御幸の本文を参照しているように思う︒その本文の性格を知る上で
有効なのが四部合戦状本の灌頂巻である︒﹂ ﹁現存本︵四部本一今井注︶との直接の親子関係の判定はむつかしいが︑或るいはその元
となった親旧の女院六道語りの本文を大幅に採用して︑現存延慶本
の最終加筆改作が試みられたのではあるまいか︒﹂と述べる︒はじ
めにも断ったように︑氏のこの発言と本稿の結論とは重なる面もあ
ろう︒ただし︑氏の論は全巻にわたる﹁延慶本最終加筆の輪郭と特
・徴﹂の解明をめざしてのものであり︑本稿の課題からすれぽ︑延慶
本が参照したとされる四部本の﹁親本﹂における宝物集依拠の実
態︑また︑それと現存四部本の詞章︑及び﹁身延山久遠寺本系祖
本﹂による現存延慶本の加筆改作とがそれぞれどのような関係にあ
るのか︑なお不分明に思われ︑私見を試みたわけである︒
また︑宝物集依拠句にかかわっての発言ではないが︑水原一氏は
延慶本︑四部本の関係を﹁四部本はそうした︵現存延慶本との差は
主として量的な1今井注︶旧態延慶本の別途増補本︵現存延慶本と
兄弟関係になる一原注︶に依拠しつつ︑表記・編成を改変し略述し 注22 た﹂ものとみている︒たしかに四部本にはその母胎に延慶本のよう
な本文を想定しないと説明困難な箇所があり︑稿者も先学の騨尾に 注23付してそれを論じたことがある︒が︑少くとも宝物集依拠という窓
を通してみる限り︑四部本の母胎を現存延慶本の兄弟本といえるかどうかには︑なお検討の余地があるように思う︒いずれにせよ︑四
部本・延慶本両本に限り︑しかも宝物集との関わりを探ったにすぎ
ない本稿としては︑延慶本︑四部本のどちらが共通祖国の性格を濃
厚に受けついでいるのかといった推論は慎しみ︑
﹁四部本灌頂巻﹂の﹁大原御幸﹂ ﹁六道物語﹂ ﹁女院往生﹂の叙
述と︑﹁延慶本﹂第六末の﹁法皇小原へ御幸成ル事﹂﹁建礼門院
法性寺ニテ白丁事﹂とは︑相互に共通する祖本を原拠にして︑そ
れぞれが別個に潤色添加を企てた姿が遺存しているものであると
推測したい︒ 注24との佐々木八郎氏の発言を裏付けたものとして︑自らを規定してお
きたい︒ 以下は私自身の反省としてであるが︑これまで︑延慶本の古態性
をいうのに急で︑その引きあいとしてのみ四部本を論う嫌いがあっ
たように思う︒延慶本古態論による洗礼を受けた四部本にも最近再 注25評価の気運がみえ︑今後は単なる優劣論を超えて︑両本の特質が明らかにされていくであろう︒本稿はそうした階梯への捨石でもあ
る︒ ︹使用テキスト︺平家物語11四部合戦状本︵四部本と略称︒汲古
書院影印本︶︑延慶本︵汲古書院影印本︶︒宝物集一巻本︵続
群書類従所収︶︑二巻本︵﹃校合二巻本宝物集﹄碧沖洞叢書︒北
大本︵国文学研究資料館より複写頒布を置く︶を参照︒なお︑平
仮名古活字三巻本︑平仮名整版三巻本も大異なく︑二巻本グルー
平家物語と宝物集︵今井︶ プとして一括した︶︑片仮名古活字三巻本︵片貸本と略称︒静嘉堂文庫蔵本︒複写頒布いただいた写真による︶︑第一種七巻本
︵元禄本と呼ぶ︒名大小林文庫蔵本︒国文学研究資料館より複写
頒布いただいた写真による︶︑第二種七巻本i吉田本︵古典文庫
珊︶︑身延山本・光長寺本・本能寺本・最明寺本︵小泉弘氏編
﹃古副本宝物集﹄角川書店︶︒
注
1︑麻原美子氏﹁宝物集の世界﹂ ﹃日本の説話3中世1﹄ ︵東京美術 昭48 ・11︶は編者とみる0
2︑ ﹁四部合戦状本平家物語灌頂巻﹁六道﹂の原拠考1宝物集との関係を中
心に一﹂ ﹃軍記物語と説話﹄ ︵論文初出 昭44・12︶
3︑ ﹃古紗本宝物集研究篇﹄ ︵角川書店 昭48・3︶
4︑﹁﹃宝物集﹄と延慶本平家物語−身延山久遠寺本系祖本依拠について
一﹂人文論究︵関西学院大学人文学会︶25の1 昭50・6
5︑﹁平家物語読み本系諸本の成立過程一延慶本・長門本から源平盛衰記へ
一﹂国語と国文学55の1 昭53・1
6︑﹁延慶本平家物語説話放一宝物集との関係をめぐって︵上︶ ︵中︶l﹂
国学院雑誌76の11︵昭50・11︶︑77の7︵昭51・7︶ ロ7︑一巻本︑片活本に﹁隔山隔海恋情悲﹂という形があることを考えると︑ カナシフ 隔山隔海恋情辛←︵恋情意︶←1恋情悲 ︵︶内の形は現存しなしい︒
@ @
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^ん口総このような展開過程を想定することが可能で︑この場合︑身延山本と現存 ネンコロナリ 延慶本の語順の類似は偶然の一致となる︒ただし︑延慶本﹁情三野﹂の
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