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ドイツ社会民主党の財政政策(一)

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(1)

ドイツ社会民主党の財政政策(一)

その他のタイトル Fiscal Policy of German Social‑democratic Party (1)

著者 広田 司朗

雑誌名 關西大學商學論集

巻 3

号 5

ページ 471‑489

発行年 1958‑12‑30

URL http://hdl.handle.net/10112/00021787

(2)

71

ドイツにおける資本主義発展の足跡を辿るとき︑﹁異例な経済発展をもたらし︑そして同時にいくつかの点では

l l  

次の十年間にすばらしい発展が行われるための基盤を築いた﹂といわれるように︑

展の過程が展開せられた︒資本主義発展のための強力な助産婦の役割を果す金融的基盤の確立︑蒸気機関の普及と

鉄道網の拡張はすでに五0年代にみられたし︑さらに六0年代における機械の改良︑労働の生産性の上昇︑七0

代における国民的統一の達成︑② する大きな役割を果した︒その急速な成長ぶりは︑すでに九0年代に英国等の先進資本主義国に比肩しうる国際競

争能力をもつにいたった点においても︑明瞭に窺い知られるところである︒

ところでこのような資本主義経済の発展は︑当然資本家階級と労働者階級の社会的比重の増大を意味する︒しか

しながらドイツにおいては︑資本家階級のもつ経済的実力はかならずしも政治上に反映されなかった︒

ドイツ社会民主党の財政政策H

ドイツ社会民主党の財政政策

0年以降にその飛躍的発

ニルザス・ロートリンゲンの併合等々は︑ドイッ資本主義経済の急速な伸長を促進

(3)

ドイツ社会民主党の財政政策H

することは︑その長い伝統となったのである︒彼等は︑経済的にもっとも強力な地位を占めるに至った後にも︑政④ 治的支配はなおこれを封建勢力にゆだねたのである︒

この封建勢力を支配したものは︑ ③ ﹁大衆を絶対主義よりもはるかにおそれた﹂この階級にとって︑封建勢力と妥協

いうまでもなくュンカーであった︒彼等は︑二0世紀にいたるまで種々の半封

建的特権を維持し︑ドイツの三分の一余りにあたる東ニルベ地方を支配し︑その子弟を軍隊・官僚機構に送りこむ

ことによって︑プロイセン︑したがってまたドイツの政治的支配者の地位を維持した︒さらにまたこの階級の多く

のものは︑火酒製造︑甜菜糖製造その他の農村工業をも営み︑この点において資本家階級と共通の利害関係をもち︑両者の接近の基礎をつくっていた︒ドイツ帝国がュンカー的・資本家的およびグーツヘル的・資本家的国家と特徴

義の急速な発展につれてしだいに伸長した︒六0年代以後の著しい経済発展にともなう労働者階級の成長は︑その

組織的活動への方向を辿らしめた︒すでに周知のように︑一八六三年にいたってまずラッサール

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の主導の下に﹁全ドイツ労働者同盟﹂

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が設立せられ︑やがてこの両派は

一八七五年ゴークにおいて合同し︑ここに労働者政党としてのドイツ社会民主党

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が成立するにいたった︒その後一八七九年にビスマルク政権は社会主義鎮圧法を制定し︑同党弾圧 ッ^派すなわち﹁社会民主労働者党﹂ これら両階級にたいして︑労働者階級の勢力は︑ づけられる所以のものは︑この点において見出されるのである︒ 以後︑大衆に訴えることをやめ︑

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いわゆるアイゼナ

一八四八年以後一時的な退潮を示したが︑その後上述の資本主

(4)

473 

(2)  (1) 

を強行したが︑弾圧下においてもその活動は非合法ながら継続せられ︑同党にたいする国民の支持もしだいに増加

し︑同法の廃止せられた一八九0年以降党勢は著しく拡張せられ︑世界最大の社会主義政党にまで発展するにいた

かかる党勢拡大の半面︑党内において理論と実践の両面にわたって対立と抗争の存在していたこ

して確立せられたといわれるが︑それ以前においてはラッサール派とアイゼナッハ派との間の対立と混乱︑全般的

な理論的未熟さが指摘せられ︑九0年代以降においてはマルクス主義と修正主義ないしは改良主義の間の抗争が指

摘せられる︒このことは︑その財政政策の歴史︑さらにはまたその政策を基礎づける理論においても︑例外なく看

従来の同党の財政思想に関する研究においては︑同党の発展過程に即してその思想の展開を跡づける試みはあま

りなされていないように思われる︒この論稿の意図するところほ︑この点に留意して︑ドイツ社会民主党の財政政

策の展開過程を若干の時期に分けて考察し︑そこにみられる政策的特質を明らかにすることにある︒さしあたって

ここでは︑帝国成立の前後から一八七九年ビスマルクの保護政策への転回にいたるまでの時期に限定したい︒

Ju rg en   Ku cz yn sk i, i   D e  B ew eg un g  d er   De ut sc he n  W ir ts ch af t  v on

1 

80 0 

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19 46 .  19 48 .

高橋正雄︑中内通明訳︑

﹁ドイッ経済史﹂九一頁︒

J•Kuczynski,

Di e  G es ch ic ht e  d er   La ge e   d r  A rb ei te r  i n   D eu ts ch la nd   vo n 

17 89  b i s   i n   d i e   G eg en wa rt .  B d.

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1 

95 4.  F ri ed ri ch   L i i t g e ,   D eu ts ch e  S oz ia l, un d  W ir ts ch af ts ge sc hi ch te

19 52 .

+

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融資本成立史論﹂参照︒

ドイツ社会民主党の財政政策日︵広田︶ 取されるのではなかろうか︒ とは︑すでにひろく指摘されているところである︒一八九一年エルフルト綱領によって同党はマルクス主義政党と

(5)

ドイツ社会民主党の財政政策

H

ニソゲルス﹁歴史における強力の役割﹂マルクス・ニンゲルス選集十六巻下︑四一六ー四一七頁︒

村瀕興雄︑﹁ドイッ現代史﹂参照︒

Zu r  G es ch ic ht e  d er e   N uz ei t 

(1 87 0

19 18 ),

Me th od is ch er

  Leitfaden•Herausgegeb.

vo n  P r o f .   W. M.   Ch wo st ow

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19 56 . 

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6 1.  

ここでいうところの初期は︑すでに述べたように︑帝国成立前後から一八七九年のビスマルク政策の転回にいた

る期間を指す︒このような時期区分は︑主として政策転回の事実と七八年の社会主義鎮圧法の制定によっている︒

すなわち︑自由主義政策から保護政策へのビスマルク政策の変化のほかに︑例外法の制定によって社会民主党自体

の運動の変質の機縁が与えられた︑という事情によっている︒

ところでこの時期における社会民主党については︑その理論的未熟さと内部対立が指摘される︒このような事情

は多かれ少なかれラッサール派とアイゼナッ^派の対立と関係しているように思われる︒それでは︑指摘されるよ

うな点がその財政政策にいかに反映しているか︑考察しよう︒

間接税批判

ドイツ社会民主党の財政政策史は︑カルマン

Ha nn s Ma xi mi li an   Ca lm an

てはじめられる︒ところでドイツ社会民主党は︑すでに周知のように︑正式には一八七五年ゴークにおいて成立し nによれば︑間接税廃止の要求をもっ

たということができるが︑しかしそれについて語る場合︑その母胎となる﹁全ドイツ労働者同盟﹂と﹁社会民主労③ 働者党﹂にまでさかのぼらなければならないだろう︒そこでまず︑ゴーク合同大会以前の両派の公式の財政政策的

(5)  (4)  (3) 

(6)

475 

同網領の要求をみれば︑ 現存の国家機構にあっては︑

一八六八年九月七日にニュルンベルクで開催せられた第五回ドイツ

労働者同盟大会

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﹁間接税は︑個々の納税者に自己の負担額の大いさの測定をほとんど不可能にするような方法で徴収されるこ とによって︑あらゆる統制を回避するものである点を考慮し︑

かかる租税が︑国家の負担を主として特権︵支配︶階級から労働者階級に転嫁す る主要手段である点を考慮して︑第五回ドイツ労働者同盟大会は次の如く決議する︑

同盟は︑倦むことなき活動力をもって︑あらゆる間接税の排除と公正な直接税の採用に努力しなければならな

③ ついでまたわれわれは︑六九年八月八日アイゼナッハで採択せられた社会民主労働者党綱領の第三部第九項を指

摘することができる︒それによれば︑④ 

われている︒またラッサール派の党綱領にはじめてあらわれた財政政策的要求としては︑

﹁すべての間接税の廃止と唯一の直接的累進的所得税と相続税の採用﹂が謳 ウグスブルクにおいて確立せられたバイエルンのラッサール派労働者党の綱領の第九項をあげることができる︒こ

れは今述べたアイゼナッハ派の網領とほとんど同文である︒最後に一八七五年五月ゴータにおいて決定せられた合

﹁国家および自治体にたいして︑すべての現存の租税︑ことに人民に負担を課する間接税

の代りに︑唯一の累進所得税を代置すること﹂と謳われている︒以上ゴーク綱領にいたるまでの党の財政政策的要

ドイツ社会民主党の財政政策

H

間接税はもっとも不可欠な生活資料に主に負担を課する点を考慮し︑

う︒それは次のように述べている︒ 見解に眼を向けると︑第一にあげられるのは︑

年一月二三日ア0 において採択せられた決議であろ

(7)

ドイツ社会民主党の財政政策H

求に関する公式的見解を列挙したが︑これらを一見してただちに明らかなことは︑カルマソのいうごとく︑党が間

接税廃止の要求と公正な直接税︑とくに累進所得税設置の要求をかかげていることである︒

このような党の公式の見解の下に︑社会民主主義者は︑間接税による労働者階級の負担にたいして1致した闘争

一八六七年北ドイツ連邦憲法の成立とともに与えられた普通選挙法の結果︑社会民主主義的両党は少

数ながらその代表をライヒ議会に送ることができたが︑これらの選出議員達は︑議会を通じて間接税反対の活動を

行った︒例えば︑フェルステルリソク

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は第一議会において塩課税

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は間接税の所得税による代置を要求し︑さら

にまたベーベルは︑ホーヴェルベック男爵

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等の提案に関して︑ラッサールの見解を⑧ 引用することによって︑間接税体系にたいしてはげしい批判を加えた︒

この間接税反対に先立って︑ラッサールは一八六二年に﹁労働者網領﹂

﹁間接税と労働諸階級の状態﹂

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を発表して

いる︒就中後者によって示されたラッサールの間接税批判は︑有産者階級による租税負担転嫁に関する︑徹底的か

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つ論駁の余地のない証明という評価をうけている︒ここでその所説自体を問題にする余裕はないし︑ドイツ社会民

主党の財政政策︑とくにその租税政策に与えたラッサールの影響についてにわかに断定を下すことは︑かなり困難

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である︒しかしそれにもかかわらず︑ベーベルの例においてある程度窺えるように︑ラッサールの見解が間接税反

対の理論的武器となったであろうことが察知される︒それと同時に︑

たこと︑換言すれば︑ かかる間接税批判が現実的な意義をもってい

かかる間接税批判が展開される現実的根拠が存在していた点を指摘しなければならない︒そ

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︑翌六三年には

(8)

‑477 

(2)  (1) 

北ドイツ連邦憲法は第二帝政にその本質的な面において継承せられたといわれているが︑このことはその財政制

度にも妥当する︒

﹁一八七一年四月一四日ドイツ帝国議会によって承認せられた同年一月一八日公布のドイツ帝国

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いかなる財政構造の変更をも意味しなかった﹂のである︒さしあたって必要な財政収入面についてみると︑

憲法第七0条の規定による帝国財政収入は︑北ドイツ連邦から継承したものであり︑それは︑関税およびその他の

共同の租税収入︑鉄道︑郵便および電信等の官業収入ならびにその他種々の行政収入から成り︑そのほかに︑これ

で以て不足額が生じた場合にそれを補填する連邦分担金︑さらに特別の支出を充す公債収入が存在した︒このうち

租税収入についてみれば︑それは︑関税以外に塩税

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︑煙草税

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︑火酒税

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︑砂糖税

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︑ビール税

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︑手形印紙税

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等から成り立っていた︒これで明らかなように︑帝国の税制は間接税体系によってつらぬかれていたのである︒しかも後に示

すように︑帝国の財政的基礎の強化が間接税体系の拡充強化の方向を志向し︑

税﹂という考え方がドイツ財政制度の指導原理であったとすれば︑ドイツ社会民主党が間接税による大衆課税に反

対する現実的根拠は明らかであり︑またその反対運動が帝国税制にたいする批判という現実的意義をもっていたこ

とも首肯できるであろう︒

1

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れは端的にいって帝国の租税制度そのものに求められる︒

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70 

﹁帝国には間接税︑支分邦には直接

(9)

UO}  (9)  (8)  (7)  (6)  (5)  (4)  (3) 

ドイツ社会民主党の財政政策日︵広田︶

した党は︑当初﹁ドイツ社会主義労働者党﹂

S o z i a l i s t i s c h e A r b ei t e rp a r te i e   D ut sc hl an ds

と呼ばれ︑﹁ドイツ社会民

So zi al de mo kr at is ch e P ar t e i  D eu ts ch la nd s

と改称せられたのは︑一八九0年^レ党大会においてであった︒

Ha nd bu ch   de r  s oz ia ld em ok ra ti sc he n  P a rt e i ta g e   v on

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Wa lt he r  M a rt i n i,   Di e  W an dl un ge n  i m  P ar te ip ro gr am m  d er   S o z i al d e mo k r at i e , 

19

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7.  

ここで注意すべき点は︑ゴーク網領以前の公式的見解において要求の一項目をなしている相続税の採用がゴーク綱領にお いて存在しないことである︒この点についてカルマンは次のように述べている︑﹁当時議会において︑社会主義者は︑網 領で要求されている相続税を主張していない︒シュヴァイツァーは︑バーゼルでの第四回インクーナショナル大会に関連 して︑相続権の廃止がプロレクリアート独裁の時期に実践的にはきわめて重要であるが︑しかし資本主義社会においては

空想的である︑と考えている︒︵マルクス主義的な︶イクーナショナル総務委員会の見解は︑相続権は私有財産制とともに

存在し︑それとともに崩潰するという点にあった︒このことが必然的に闘争手段としての相続税を排除するのは当然であ

り︑しかもマルクス主義の観点の下では︑それは﹃月並みの租税改革﹄と思われた﹂と︒︵

Ca lm an n, a .   a .   0 . ,   S . 7 1

7 2. )

Ca lm an n,   a .   a .   0 . S . ,     7 1 .   Fr an z  M eh ri ng ,  G es ch ic ht e  d er   De ut sc he n  S o zi a l de m o kr a t ie ,   St u t t g a r t ,  

19

19

. 

B d.   ] [ , S .     1

29

. 

ラッサールが間接税批判を展開した上掲二書は︑すでに知られているように︑前者はオラニエンプルクの手工業者組合に おける購演として︑また後者は前者をめぐる訴訟事件における弁護演説として発表されたものである︒この間接税批判の 意図は︑税体系そのものの批判にあったのではなく︑直接税納税額による制限選挙︑現実にはプロイセンの

1

Dr ei kl as se nw ah ls ys te m

の不公正を告発することにあった︒

(F er di na nd L a s s a l l e ,   G es am me lt e  R ed en   un d  S c hr i

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B   d.   I l ,   S .  

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~:か宰念践的布6沼的声ぞ求として、華[

(10)

479 

通選挙権の獲得と国家の補助による生産組合の設置を掲げたことは有名である︒それでは彼の間接税批判はいかなる内容 をもつものであったか︒彼の所説の主要な論点をごく筒単に述べると︑第一点として彼は︑問接税と貨金の関連について︑

述べる︒生活必需品にたいする課税は︑それが生活慣習として必要なものにおいても︑さらにまた穀物などの絶対的に必 要なものにおいても︑賃金の上昇をもたらさず︑したがって企業家に転嫁されることもない︒かくて間接税は労働者にと って生活の圧迫を結果する︒︵

a . a .   0 . ,  

S.

 3

56)

第二点として︑ラッサールは間接税が主として労慟者階級の負担とな っている点を指摘する︒いうところによれば︑いわゆる奢移税は︑部分的にはもはや奢修税の性格を失いつつあり︑他方 では現実の奢修税収入は国家収入としてはとるに足らないほどに些少である︒これに比して︑無産者の独占的消費物資に かかる租税の収益はほるかに大きい︒それのみでなく︑直接税にあってもその負担は大部分貧困な諸階級にかかり︑さら に予算の上では直接税に組み入れられる租税でも︑たとえば地租のごとく間接税的な性格をもつものは︑その多くが下層 階級によって負担されるのである︒

( a . a .   0 . ,  

S.

 3

64

"

3 95 ) 第三点として︑彼は問接税制度とブルジョアジーの支配と の間の必然的な結びつきを立征しようとする︒すなわち︑フルジョアジーは︑彼によれば︑間接税の発明者ではなかった が︑しかし未曽有の一体系にまで発展させた︒というのは︑支配階級は︑公共福祉のための費用を無産階級に転嫁しよう とするものであり︑問接税こそこの目的にもっとも適合するものと考えられたからである︒︵

a . a .  

0 . ,  

S.

 1

80 11 83 }  ところでラッサールの社会民主党の租税政領に与えた影響について︑いかなる評価がなされているだろうか︒﹁ドイツ およびオースリアの社会民主党が︑その網領において︑その他の点ではほとんどなんの痕跡をものこしていないラッサー ルの遺産を、この点(間接税反対ー筆者註)で忠実に守ったことは、本来おどろくべきことである」

(W•Gerloff,

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s .  

28 1) と述べてラッサールの影饗をたかく評価したゲルロフは︑政治的社会主義という言葉でもって︑ラッサールと修 正主義を︱つの系譜として取扱っている︒

( a . a .  

0 .

s .   2 9 4 )

同様の傾向はマンにおいてもみられるように思われる︒

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,  Steuerpolitische 

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  3

0( } 30

2)

さらにまたカルマンもラッサールの影響を認

めている︒

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, a .   a .  

0 . ,  

S .  

62 ) しかしながら︑この点については︑社会民主党のその後の財政思想の発展をみ ドイツ社会民主党の財政政策

H

(11)

(12)  (11) 

ドイツ社会民主党の財政政策H

なければ︑断定しがたい︒ここでは︑このような見解にたいする反証が後になってあらわれるということを︑指摘するに

とどめたい︒

F ri t z   T e r ha l l e,   Ge sc hi ch te   de r  D eu ts ch en   Of f e nt l i ch e n  F in an zw ir ts ch af

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om e  B gi nn   de s 

19 . 

Ja hr hu nd er ts   b i s   z um c   S hl us se  d es  Z we it en

  Weltkriegs•Handbuch

de r  Fi na nz wi ss en sc ha ft   h er au sg eg eb .  vo n  Wi lh el m  G e r l o f f   un d  F r it z   Ne um ar k.   Bd . 

I ̀ s .

  278 

ドイツ帝国の成立によって具現せられたドイツ統一は︑法制的にみれば︑立法府の統一としてあらわれた︒この帝国の立

法権に属する事項は︑軍事を中心として︑関税︑貿易︑商工業︑貨幣制度︑銀行︑鉄道︑郵便および電信等にわたってい

るが︑このような帝国への権限の集中にもかかわらず︑司法︑行政機構の統一は実現されず︑ドイツ国内の諸邦は︑

それぞれ独自の政体と法律の下に行政権を自己の掌中に保持していたのである︒

( F r i t z H ar tu ng ,  De ut sc he   Ve r f as ,   su ng sg es ch ic ht e  v om

1 

5.  Ja hr hu nd er t  b

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um e   G ge nw ar t.   St u t t g a r t .  

19 50 . 

{ , a n q翠﹁職品邦制gUC

3

雄﹁ドイッ現代史﹂︑綿貫芳源﹁近代ドイツに於ける公法上の諸制度の発展

H I

近代行政法の一類型の研究ー﹂東京教育

大学文学部︑社会科学論集3参照︶したがって陸海軍等帝国によって担当せられたものもあるが︑多くの行政は各支分邦

によって執行せられた︒このことは当然帝国財政支出に反映する︒

ゲルロフは帝国財政の簡潔な叙述において﹁一八七二年から一九一年までのこの時期において︑帝国財政の物質的形成

は︑陸軍支出および海軍支出の発展によって規定せられており︑その他の支出部門はこの叙述では概ね無視できるほどで

ある﹂と述ぺている︒

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un d  F .   M ei s e l,   B d.   ] [ , S .    

18)いま一八七二年から七八年の時

期に限定してみた場合にも︑このことはあてはまる︒これに関してゲルロフは︑それが帝国の任務の範囲に対応するもの

であり︑対外的対内的保全のための配慮が最大の課題であったことを指摘する︒そしてその他の課題として司法および公

共福祉事業

(R ec ht s, un d W oh l f ah r t sp f l eg e ) をあげた後に︑彼は次のようにいう︑すなわち﹁しかしこの湯合帝国の

活動は︑憲法上ほとんど立法と監督に関するものであるが故に︑その財政支出はまった<僅少なものである﹂と︒

(12)

481 

五七

( G e r l o f f D ,   ie   Fi na nz

u nd   Zo l l p o l i t i k d   es   De ut sc he n  R e ic h e s.   J en a 

19 13 , 

S.

 1

00 ) 

この帝国財政支出を賄うべき財政収入は︑すでに本文において述べたところであるが︑

0

年五月一七日の関税定率による関税

0

月︱二日の法律による塩税

(B ra nn tw ei ns te ue rg em ei ns ch af t)

収益

⑥︱八七二年五月︱︱︱︱日の法律によるビール税組合収益

m

一八六九年六月一0

日の法律による手形印紙税

⑧ドイツ国内での流通を認められた外国割増証券にたいする一八七一年六月八日の法律による印紙税

なおビール税組合および火酒税組合に参加しないバイニルソ︑ヴェルテムベルク︑バーデンおよびエルザス・ロートリン

ゲソならびに若干のテューリンゲン諸邦︑また共同関税区域外にある^ンブルクとブレーメソは︑それぞれ帝国に補償額

を支払わなければならなかった︒

( G e r l o f f , a .   a .  

0 .

s .  

52 ) 

ところで上述した帝国の立法権を行使する機関は連邦参議院

( Bu n d es r a t)

︑と帝国議会であったが︑しかしドイツ統一

の特殊的性格Iプロイセソの権力欲にもとづく統一

( F . Ha rt un g,   a . .   a .  

0 .

S. 27 4

27 5)

ーーを反映して︑ブロイセン

の支配下にある前者の強大な権限に対比して︑後者の権限はきわめて狭く制限せられ︑事実上予算審議権に限定せられ︑

しかもそれすら当初は軍事支出に関して制限をうけざるをえない実情にあった︒

(H ar tu ng , a .   a .   0 . ,  

S. 27 9. ) 

ドイツ社会民主党の財政政策

H

参照

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