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教科書に表れた日帝支配期の歴史―

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奈良教育大学学術リポジトリNEAR

韓国の歴史教科書が示唆するもの―中学校『国史』

教科書に表れた日帝支配期の歴史―

著者 田渕 五十生

雑誌名 高円史学

巻 7

ページ 1‑12

発行年 1991‑10‑01

その他のタイトル What the History Textbook show in Korean Junior Highschool

URL http://hdl.handle.net/10105/8686

(2)

韓国の歴史教科書が示唆するもの

−  中学校﹃国史﹄教科書に表れた日帝支配期の歴史

一︑はじめに

田   測   五   十   生

一九九〇年三月︑韓国の中学校における教科﹁国史﹂の新しい教科書が刊行された︒前回の改訂が一九八二年三月で︑そ

の五ケ月後に﹁教科書問題﹂が生起したが︑改定直後でもあり︑そのまま使用されていたものである︒その意味で︑今回の

改定は非常に注目されていた︒章構成などの大きな変化はないものの︑新しく﹁学習の参考﹂欄が設けられ︑厳しい日本認

識がなされている︒﹁学習の参考﹂欄とは歴史像を豊かにする史料やエピソードなどで構成された囲み記事で︑本文とは独

立したものである︒ちなみに近代史に即して収録されたのは︑﹁独立新聞﹂︑﹁育英公院の設立﹂︑﹁提岩壁虐殺事件﹂︑﹁日帝

の徴用﹂︑﹁強制連行された労働者の体験談﹂等の解説記事や挿話である︒このリストに︑韓国側が﹁教科書問題﹂をどう受

け止めたが端的に示されている︒

小論の狙いは︑牌国の中学校﹃国史﹄教科書に表れた日帝支配下の歴史記述の詳細な紹介を行い︑その根底に流れている

韓国側の歴史観や歴史認識を確認することである︒その確認作業は︑韓国の﹃国史﹄教科書が日本の歴史教科書の隣国史記

一一l−1−−

(3)

述に何を示唆しているかを明確にするだけでなく︑どのような視点から隣国史を教授すれば正しい隣国理解に至るかを示す

もので︑教育現場における歴史授業の改善にも有益であると確信している︒

二︑韓国の﹃国史﹄教科書のなかの日帝支配期の歴史叙述

韓国の﹁教育課程﹂︵日本の﹁学習指導要領﹂に相当︶における﹁国史﹂は︑社会科から独立した教科で︑その教科書は

国定である︒以下紹介するのは︑一九九〇年三月︑韓国国史編纂委員会が編集し︑文教部が刊行したものである︒なお︑引

用した訳文は︑筆者もその一員である﹁広島朝鮮史セミナー﹂︵原田環代表︶の有志が翻訳したものである︒

韓国の﹁国史﹂教育は︑国民学校︵小学校︶では人物史︑中学校では政治史︑高等学校では文化・思想史に力点をおいて

学習することになっている︒そのため︑中学校の教科書の時代区分は王朝の興亡に即してなされている︒次の表は﹃国史﹄

教科書の章構成である︒

上巻

I

﹇山 Ⅲ

Ⅴ わが国の歴史の始まり 三国の発展とその文化 統一新羅と勃海 高麗社会の発展

朝鮮社会の発展 下巻

I

Ⅳ 朝鮮社会の新しい動き 近代社会の成長 民族独立運動の強化

現代社会の発展

(4)

ここで注目したいのは︑一九一〇年の﹁日韓併合﹂から一九四五年の解放に至る日帝支配下の三十六年間が︑﹁民族独立

運動の強化﹂という独立した早として記述されていることである︒次表はその章の詳細な目次である︒

Ⅲ 民族独立運動の強化

一︑独立運動の強化

国権の被奪 民族の試練 土地の収奪 産業の侵奪 義兵戦争の持続 結社を通した独立運動

独立基地の建設  海外各地での独立運動

二︑三・一運動

三二運動の胎動 三二運動の展開 三・一運動の意義 大韓民国臨時政府の樹立と活動

三︑独立運動の発展

植民統治の強化 愛国志士たちの抗戦 独立軍の抗戦 鳳梧道・酒山里戦闘 独立軍の再整備

実力養成運動  光州学生抗日運動  韓国光復軍創設 対日宣戦布告と韓国光復軍の活動

四︑民族文化守護運動

日帝の民族抹殺政策 言論活動 国学研究 民族教育運動 宗教運動 近代文学活動芸術活動

三︑植民統治下の歴史記述

川 ﹃国史﹄教科書は植民地支配期をどのように受け止めているか

(5)

﹁日韓併合﹂の一九一〇年から独立回復の一九四五年まで︑朝鮮半島は日本の植民地支配下に置かれた︒韓国﹃国史﹄教

科書は︑この間の歴史を﹁日帝の政治的弾圧︑経済的収奪︑文化抹殺に屈服しないで独立運動を展開した﹂時代として位置

づけている︒そして︑﹁独立運動の強化﹂︑﹁三・一運動﹂︑﹁独立運動の発展﹂︑﹁民族文化守護運動﹂の四つの節に分け︑そ

の全体を﹁民族独立運動の強化﹂という章名で総括している︒ここに韓国側の歴史意識が象徴されている︒すなわち︑日帝

の強権的支配下にあっても︑朝鮮民衆が唯々諾々と隷属したのではなく︑国の内外で激しい独立運動が展開され︑朝鮮文化

や伝統への民族意識が研ぎ澄まされて新しい宗教︑文学︑芸術等の文化創造がなされた時代として受け止めているのである︒

また︑韓国﹃国史﹄教科書では﹁韓日併合﹂という用語は使用されず︑﹁国権の被奪﹂という用語でその歴史的局面が記

述されている︒それは﹁併合﹂という用語が﹁韓国ガ全然廃滅二帰シテ帝国ノ領土ノ一部トナルノ意ヲ明ラカニスルト同時

︵ 1 ︶

こ︑其語調ノ余り過激ナラザル文字ヲ選マント﹂して発案され︑侵略の実態を糊塗する機能を果たしてきたからである︒こ

こでは﹁民族の試練﹂と題する項目を紹介したい︒

民族の試練︵﹃国史﹄︵下︶一一二〜一一三頁︑以下引用頁のみ記す︶

国権を奪われたのち︑わが民族は日帝の植民地支配のための朝鮮総督府によって弾圧された︒朝鮮総督府は行政︑司法︑

軍事の全ての権限を奪い︑武力で韓民族を弾圧するために憲兵警察制度を実施した︒

そして一般官吏はもちろん︑教員にまで制服を着せ︑剣をつけさせ︑わが民族を威嚇して屈伏させようとした︒

全ての政治活動は禁止され︑集会結社の自由も刺奪された︒また︑韓国語で書かれた新聞の発行も禁止された︒教育に

おいても普通教育と技術教育の機会しか与えられず︑わが民族の成長と発展を阻害した︒また多くの愛国志士たちが日帝

(6)

に よ っ て 逮 捕

︑ 投 獄 さ れ 命 を 失 っ た

② 植民地支配の実態と﹁植民統治恩恵論﹂

植民地支配下で行なわれた﹁土地調査事業﹂について︑﹃国史﹄教科書は︑その事業を総督府による﹁土地の収奪﹂ の手

段として捉え︑次のように記述している︒

土地の収奪︵一一三−二四貢︶

⁝⁝前略⁝⁝ 日帝は土地を奪うために土地所有関係を近代的に整理するという口実をつくり︑農民たちの土地を登録さ

せた︒ところでわが農民は登録手続きがわずらわしくて日帝がすることに反発して登録をしない場合が多かった︒こうし

て登録しない土地は所有者がいない土地とみなされて朝鮮総督府の所有になった︒

⁝⁝中略⁝⁝ こうして全国農土の約40%に相当する莫大な土地が朝鮮総督府に占有された︒朝鮮総督府はこの土地を東

洋拓殖株式会社等日本人土地会社に払い下げたり︑わが国に移住してきた日本人たちに安い値段で分けてやった︒こうし

てわが国農民たちは突然土地を失い︑日本人地主の小作人に転落してより貪しくなり︑故郷を離れて移住する場合が多かっ

た︒ 日本側の理解によれば︑﹁土地調査事業﹂は近代的な土地所有関係を確立する政策であり︑その結果として︑共有地や国

有地が総督府の所有に帰したことになっている︒しかし︑韓国側の理解では︑この﹁土地調査事業﹂は︑そのような所有者

(7)

の明確でない土地を占有・掠奪する目的で推進されたことになっている︒

目的と結果を運転させた韓国側の歴史理解は︑鉄道敷設︑道路や港湾の建設︑耕地整備事業等の植民地政策についても一

貫してなされている︒この相反する因果関係の歴史認識が﹁植民統治恩恵論﹂をめぐる日韓両国の論争に発展していく︒そ

の具体例を﹁産業の侵奪﹂の項目に見てみよう︒

産業の侵奪︵二四−五黄︶

わが民族は産業活動も制約され︑資源さえ奪われた︒さらに日帝によって朝鮮銀行がつくられたが︑わが民族は経済活

動の主導権さえ失ってしまった︒

また朝鮮総督府によって会社令が制定され︑会社の設立は必ず朝鮮総督府の許可をうけねばならなかった︒これは韓国

人の会社設立を妨害して日本人の会社の設立を容易にするための措置であった︒

そして朝鮮総督府は人参︑塩などに専売制度を実施して大きな利益を独占する一方︑経済的掠奪と韓国人に対する弾圧

をより実施するため鉄道︑道路︑通信︑港湾などの施設の整備をした︒

こうしてわが国は︑日帝の商品を売る商品市場になり︑食糧と原料を補給する供給地になった︒こうして民族産業はそ

の発展を抑圧されて︑停滞するはかなかった︒

︵ 2 ︶

自前の近代化の道を封じた上で植民地化するのが資本主義︑帝国主義の常套手段である︒民族資本を抑圧するための﹁会

社令﹂が︑いかに朝鮮経済を披行的に変質させたか明快に記述されている︒しかし︑﹁経済的掠奪と韓国人に対する弾圧を

(8)

より効果的に実施するため鉄道︑道路︑通信︑港湾などの施設の整備をした﹂という記述に︑納得しがたい感情を抱くのは

筆者だけではないはずである︒この感情は︑日本人としての民族的殆持と﹁植民統治恩恵論﹂とが渾然一体となったもので

ある︒特に︑後者は過去の歴史教育のなかで無意識に形成された歴史意識である︒

﹁併合﹂が︑猛烈な反対を押し切ってなされたのであるかぎり︑それは絶対的矛盾であり︑朝鮮民衆の意志に反するもの

であった︒また︑植民地への資本投下の意味についても︑大英帝国のインド統治を例にとれば容易に理解できる︒英国の鉄

︵ 3 ︶

遺敷設は植民地収奪の手段であり︑決してインド民衆のためではなかったはずである︒まず︑この基本認識を確認すること

が 大

切 で

あ る

﹁日本の朝鮮統治は朝鮮人に恩恵を与えた面もある﹂と発言した﹁久保田発言﹂にはじまり︑﹁高杉発言﹂︑﹁桜田発言﹂と︑

日韓関係を紛糾させた﹁問題発言﹂が幾度となく繰り返されてきた︒それらの発言が︑﹁誰のための施設整備か﹂という重

大な問いを欠落させていることはいうまでもない︒さらに︑その背後に﹁日本人が植民地化しなければ朝鮮の近代化は不可

能であった﹂という嘱慢な﹁朝鮮民族=無能諭﹂が存している︒金素雲が指摘するように︑﹁総督政治によるソロモンの栄

華より︑飢え︑かつえても真の自由

︵1︶

それが国を失ったものの悲願であった﹂ ことを銘記すべきであろう︒

㈲ 三・一運動をどのように記述しているか

一九一九年︑挙族的な三・一独立運動が展開された︒韓国﹃国史﹄教科書には︑﹁三・一運動﹂という独立した一節が設

けられており︑﹁三・一運動の胎動﹂︑﹁三・一運動の展開﹂︑﹁三・一運動の意義﹂︑﹁大韓民国臨時政府の樹立と活動﹂ の四

項目に分けられて︑運動の全体像と歴史的意義が詳述されている︒さらに﹁学習の参考﹂として設けらられた﹁提若里虐殺

(9)

事件﹂の解説記事を合わせると︑その記述量は8貢に達している︒ここでは﹁三・一運動の展開﹂と﹁大韓民国臨時政府の

樹立と活動﹂の項目を紹介しておきたい︒

三・一運動の展開︵一二二貢︶

⁝⁝前略⁝⁝ 三・一運動は︑全民族の独立決意を国内外に宣言した平和的闘争で︑侵略者日帝からわれわれの独立を

取り戻すための世界万邦に訴える独立万歳デモだった︒しかし︑独立万歳デモは日帝の憲兵警察と軍隊によって苛酷な弾

圧を受けた︒柳寛順の殉国︑草城の提岩壁住民の無差別虐殺事件等日帝の暴悪な武力弾圧によって︑死傷者は2万人をこ

え︑以後3ケ月間に監獄に監禁された人だけでも5万人になった︒

大韓民国臨時政府の樹立と活動︵一二五−一二六貢︶

三・一運動はわが民族の独立運動に貴重な教訓を与えた︒この時まで多くのところで行なわれていた独立闘争をより組

織的︑積極的に展開するためにはわれわれの政府が必要だということがわかった︒しかし︑日時が過ぎると︑多くのとこ

ろでたてられた臨時政府を一つに統合するのが効果的だという考えで上海の大韓民国臨時政府に統合して初代大統領に李

承晩を選出した︒

徒手空拳の運動に加えられた苛酷な弾圧︑それを乗り越えて発展・継承された独立運動︑その血のにじむ歴史については︑

韓国民の精神的遺産として末代まで語り継がるべきものであろう︒

(10)

㈲ 民族文化をどのようにしてまもったか

一九三一年︑日本軍国主義は︑いわゆる﹁満州事変﹂を引き起こし︑朝鮮は日本の大陸侵略の兵姑基地となっていた︒ま

た︑一九三七年から本格的な日中戦争に突入すると︑﹁内鮮一体﹂︑﹁皇民化政策﹂の美名のもとで︑学校では朝鮮史教育や

朝鮮語使用が禁じられた︒また︑家庭や社会では︑﹁創氏改名﹂や﹁神社参拝﹂が強要されて︑ハングルの新聞発行も禁止

された︒その意味では︑個人のアイデンティティである氏名から︑民族のアイデンティティである言語や歴史に至まで︑朝

鮮文化そのものが破壊されようとした民族的危機であった︒

韓国﹃国史﹄教科書は︑そのような日帝の民族抹殺政策に対して︑朝鮮民衆がどのように朝鮮文化や民族的伝統を守りぬ

こ う

と し

た か

︑ ﹁

言 論

活 動

﹂ ︑

﹁ 国

学 研

究 ﹂

︑ ﹁

民 族

教 育

運 動

﹂ ︑

﹁ 宗

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動 ﹂

︑ ﹁

近 代

文 学

活 動

﹂ ︑

﹁ 芸

術 活

動 ﹂

  の

項 目

に 亘

っ て

明に記述している︒そのなかの﹁国学研究﹂についての記述を紹介したい︒

国学研究︵一四三−一四四貢︶

⁝⁝前略⁝⁝まず︑国語研究では李允雫︑住鉱培など周時経の弟子たちが集まってつくった朝鮮語学会が中心になっ

てハングルの研究と普及︑ハングル辞典の編纂︑正綴法と標準語の制定など大きな業績を残した︒また︑ハングルの日を

制定して民族文化の宣揚に助けとなった︒

国史研究においては民族の伝統と鶉持をとりもどそうという主体的な立場で民族史研究をしていった︒特に朴般植︑申

采浩︑那寅普などが民族主義の史学者として日本の御用学者たちの歪曲した韓国史研究に反発して︑震檀学会を組織して

震檀学報を発刊し︑われわれの歴史と文化を研究するのに努力した︒

しかし国学運動も日帝の苛酷な弾圧を受けた︒いわゆる朝鮮語学会事件を口実にして国学者たちが圧迫を受けて震檀学

(11)

報も廃刊され遂に国学研究の道が閉ざされてしまった︒

われわれが利目させられるのは︑朝鮮文化の危機という厳しい歴史状況のなかで︑彼らの民族意識が覚醒され︑新しい民

族文化の創造がなされたという事実である︒民族抵抗の精神と切り結ぶなかで︑円仏教をはじめとする仏教革新運動が起こっ

ている︒また︑演劇︑映画︑文学等の芸術運動における近代的展開がなされている︒

このような民族文化や伝統精神を強調する韓国の歴史教科書への批判として︑その強烈な民族主義的性格がよく指摘され

る︒しかし︑帝国主義の侵略に対抗した民族主義運動の叙述に関するかぎり︑筆者はその批判に与しない︒自国民を侵略に

駆り立てたナチスや日本軍国主義の偏狭なナショナリズム ︵民族主義︶と被植民地地域のナショナリズムは峻別して考える

べきである︒侵略に曝される民衆にとっては︑民族的であることが侵略に対抗する論拠であり︑民族の自主と民衆の民権を

守る普遍性をもち得たのである︒それは︑﹁三・一独立運動﹂が中国の﹁五・四運動﹂に連動し︑アジア諸地域の反帝運動

に引き継がれたことに看取される︒

ー10−

四 ︑

お わ

日 ソ

一九九〇年五月︑慮泰愚大統領の訪日直前︑天皇への謝罪要求をめぐって﹁土下座発言﹂が飛び出し︑日韓関係が緊迫し

たことがあった︒﹁これ以上の謝罪は土下座しろに等しい﹂という反発であった︒もちろん︑その不穏当な発言は識者によっ

て厳しく指弾された︒しかし︑この発言への共感が巷間で噴かれたのも事実であった︒むしろ︑植民地支配への反省を欠落

(12)

させた日本人の本音が表出されたものと解すべきであろう︒

一方︑戦前世代には﹁皇国史観﹂に裏打ちされた歴史教育により︑隣国民に対する民族的偏見が根強く残っており︑その

考えは︑戦後も払拭されることなく再生産され続けられてきた︒そのような隣国・隣国民への偏見を支えているのが﹁朝鮮

︵ 5 ︶

民族は歴史や文化形成に貢献していない﹂という﹁朝鮮史=他律史観﹂である︒その意味では︑戦後の歴史教育も民族的偏

見の叙去には機能しなかったといっても過言ではない︒

しかし︑一九七〇年代から歴史教科書における隣国史叙述に変化が見えはじめ︑朝鮮侵略の加害事実も記途されるように

なった︒そして︑最近の中学校歴史教科書の大半には︑﹁土地調査事業﹂や﹁三・一独立運動弾圧﹂︑また戦時下における

﹁皇民化政策﹂や﹁強制連行﹂など︑植民地支配の実態が不十分ではあるが記述されるようになった︒このような加害の視

点からの歴史叙述の重要性についてはいくら強調してもし過ぎることはない︒けれども︑その視点は日本近代史への内在的

批判・反省としては不可欠であっても︑朝鮮民族を主体に据えた歴史叙述ではない︒侵略され収奪される朝鮮民衆をいかに

詳細に記述しても︑﹁朝鮮民族=悲哀イメージ﹂を与えるだけで︑民族的偏見を除去するものではない︒むしろ︑隣国民を

憐憫の対象と見る新しい﹁朝鮮史=他律史観﹂というべきであろう︒

韓国の﹃国史﹄教科書は︑﹁⁝⁝された﹂という被主動的な歴史叙述から脱却して︑苛酷な歴史の現実のなかで︑韓国民

︵ 6 ︶

衆が何をなし︑何がなしえなかったかを厳しく見つめようとしている︒そのような相手民族の主体性を認める視点らの歴史

叙述が日本の教科書にも求められている︒

筆者は日本人の民族的偏見を克服する立場から︑韓国﹃国史﹄教科書の二つの叙述視点が日本の教科書にも不可欠だと考

えている︒その一つは︑隣国民の文化活動へ注目することである︒個性豊かで内容ある朝鮮文化の確認が︑それを生み出し

−111−

(13)

た民族への敬意につながるのである︒それとは逆に︑朝鮮文化の否定が植民地支配を合理化し︑朝鮮文化への無知が朝鮮人

蔑視を作り出したのである︒

今一つは︑多様な抵抗運動の叙述である︒その事実が伝えられなかったことが︑﹁朝鮮史=他律史観﹂を温存させたので

ある︒李元淳は︑﹁侵略に猛列だ抵抗し︑国権を回復するための民族的闘争に対する理解を与えないとすれば︑わが民族は

民族的自存意識の欠けた無能な民族と誤認される⁝⁝異国に隷属される国家的危機に際して︑猛烈な民族的抵抗があった事

実を見のがすとか︑あるいは抹殺する態度は非歴史的である﹂と断じ︑﹁侵略を受ける被侵略民族の悲劇的状況に対する歴

史的把握は︑侵略を敢行した国にとっても貴重な歴史的教訓である﹂︵シンポジウム﹁日本史教育における韓国史の問嘩巴︶

と 述 べ て い る ︒

歴史教育は︑歴史形成における主体者意識を育成する教科で︑その過程で学習者は︑国際理解の精神を獲得したり︑民族的偏

見を除去することができる︒その意味で︑人格形成の一翼を担う教科であり︑歴史教育に関わる教師の役割は非常に重大である︒

−12−

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妻 在彦

奥田晴樹

高崎宗司 渡 旗 金 都 田

素 学 兢 雲

﹁﹃併合﹄前後期の日本と朝鮮﹂ ﹃季刊三千里﹄ 十三号一九七八

﹁日本の教科書にみる韓国﹂ ﹃世界の教科書=歴史 韓国⁚Ⅱ﹄ ほるぷ出版一九八二

﹃﹁妄言﹂の原形﹄ 木犀社一九九〇 二二四〜二五二貝

﹃霧が晴れる日﹄ サイマル出版会一九八一五〇頁

﹃日本人の朝鮮観﹄ 勤葦書房一九六九 に朝鮮史の他律史観の系譜が整理してある︒

﹁国民意識の方針が浸透﹂ ﹃世界の教科書=歴史 韓国⁚I﹄ ほるぷ出版一九八二 ︵奈良教育大学教育学部︶

参照

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