三角比の定義がもたらす概念理解
~記号論的表現の視点から~
宮 川 健 上越教育大学
1. はじめに
高等学校におけ る指導内容 の一つであ る 三角比の重要性 は,解析や 代数,幾何 を学 習する上で言う までもない であろう. しか しながら,その 学習は,定 義や定理の 暗記 に頼ることが少 なくない. 正弦は sin の頭 文字の筆記体の S, 余弦は cos の c, 正接は tanの tと,まったく数学と は関連のな い暗 記法(暗記には 有効かもし れないが) が,
しばしば利用さ れ,教科書 の教師用指 導書 にまで紹介され ている( 大島ほか, 2003, pp.
164, 167;松澤ほか, 2003, pp. 121, 124).
一方,三角比は ,高校生に 十分には理 解 されていないよ うである. 三角比・三 角関 数 の 学 習 困 難 性 が 報 告 さ れ て い る (cf. 長
岡, 2003)のみならず ,平成 14 年度高 等学
校教育課程実施 状況調査に おいても, 三角 比に関する問題 の通過率は24%と低か った
(国立教育政策 研究所, 2004).三角比 学習 の困難性と暗記 法との関連 は定かでな いが,
暗記は一般に概 念の十分な 理解へは導 かな い.暗記された ものは,多 くの場合そ の概 念の特定の側面 もしくは特 定の表現で しか なく,本来備え られるべき 他の側面や 他概 念とのつながり が薄い.
では,三角比の 学習はなぜ 暗記に頼る こ とが多いのか. 暗記に頼る しかないの であ ろうか.そもそ も教科書は 三角比のい かな
る概念理解をも たらしてい るのか.教 師用 指導書にまで暗 記法が紹介 されている こと からすると,暗 記に頼る要 因は,生徒 個人 にではなく,学 校数学にお ける概念の 扱わ れ方にあるので はないだろ うか.
これらの問いに 答えるため ,本稿では , 今 日 の 教 科書[1]が も たら す 三 角比 の 概 念 理 解の様相を明ら かにするこ とを試みる .ま た,三角比と言 ってもその 領域は広い こと から,三角比領 域において 最初に暗記 に依 存することが少 なくない三 角比の導入 部,
つまり定義に焦 点を当てる .数学学習 にお いて,定義は前 提であり暗 記するもの であ る,と考えるの であれば, 本稿は意味 をな さない.しかし ながら,次 章でより詳 細に 述べるが,数学 一般におい て,定義は 所与 ではなく徐々に 構成され変 化すること ,定 義が与える“意味”,つまり 可能となる 概念 理解が変化する ことを考慮 すれば[2],今日,
教科書で与えら れている定 義がもたら しう る概念理解を明 らかにする ことは,十 分意 義のあることと 考える.
なお,本研究の 位置づけは ,教授学的 転 置 理 論 (Chevallard, 1991; 1992) の 視 点 か らすれば,教科 書に見られ る知識,教 科書 が 生 徒 に 学 習 可 能 と し て い る 知 識 で あ る
「教えるべき数 学」として の三角比の 本性 の一部を探るこ とである. 転置理論の 枠組
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上越数学教育研究,第34号,上越教育大学数学教室,2019年,pp.23-38
みでは,「 教えるべき 数学」の他概念と の繋 が り や そ の 存 在 条 件 な ど 「 知 識 の 生 態 (écologie de savoir)」を探 ることが多 いが,
本稿では,概念 理解という ,より認知 的な 側面を探る.
さて,概念理解 の分析には 様々なアプ ロ ーチが考えられ る.本稿で は,その中で も,
認 知 的 側 面 か ら 概 念 理 解 を モ デ ル 化 す る
「 記 号 論 的 表 現 の レ ジ ス タ ー 」(Duval, 1995; 2006; 2017) を分析ツ ールとして 採用 する.暗記とい う活動が個 人の認知的 な活 動であるとすれ ば,この分 析枠組みを 用い て今日の教科書 の三角比の 定義が生徒 にも たらす概念理解 を明らかに することに より,
三角比学習を暗 記に導く要 因も明らか にな ると期待する. 分析の主た るデータは 教科 書である.だが ,本稿では さらに,レ ジス ターの視点から 別の概念理 解をもたら すと 判断されるもの を比較対象 として提示 する.
この別の概念理 解は,19 世紀の教科書 を分 析し導き出す. 教科書の定 義がもたら す概 念理解の他に, 別の概念理 解の可能性 を例 示することは, 今日の教科 書がもたら す概 念理解の追究に 対する助け となる.同 時に,
実際面を検討す る上でも有 用であろう .し かしながら,本 稿は,三角 比指導の現 状の 批判や,より優 れたと思わ れるカリキ ュラ ムや指導法を提 案・主張す ることを目 的と するわけではな い.現状の 批判より, むし ろ現状の把握を 目的とする .その現状 に対 し,何らかの対 策をとる必 要は喚起す るか もしれないが, ある特定の 指導法を提 案・
主張するわけで はない.な ぜならば, 指導 法の提案・主張 には,その実 現可能性な ど,
本稿で扱わない ,より実際 的な側面を 考慮 する必要がある と考えるか らである. 本稿 は,あくまで基 礎的な研究 報告であり ,実
際面は別の機会 に検討した い.
本稿の目的と方 法をまとめ ると,次の と おりである.
教科書における 三角比の定 義がもたら す概 念理解を明らか にすること を目的とす る.
そのために,今 日の教科書 をレジスタ ーの 枠組みを用いて 分析すると ともに ,19 世紀 の教科書から導 かれる別の 概念理解を 提示 する.これらを 通して,三 角比の学習 が暗 記中心になって いる要因を 明らかにす る.
本稿は 7章からなる.第 2 章では,定 義 に焦点を当てる ことが数学 教育学の研 究と していかなる意 味をもつの か示す.第 3 章 では,本研究の 分析ツール となる記号 論的 表現のレジスタ ーを概説す るとともに ,記 号論的表現を通 していかに 数学の活動 や思 考を認知的な側 面から分析 できるか述 べる.
第 4章では,今日の教科書 に用いられ てい るレジスターと その機能を 特定する. つま りこの章はデー タ(教科書)の分析であ る.
さらに第 5章では,データ の分析結果 をも とに,それがも たらす概念 理解につい て考 察する.第 6章では,古い 教科書に見 られ るレジスターと その性質を 考察し,別 の概 念理解の可能性 を示す.そ して,第 7 章を 終章とする.
2. 定義について
公理的にきれい に体系立て られ整理さ れ た数学は,長き にわたる数 学的な活動 の所 産 で あ り , 脱 文 脈 化 の 結 果 で あ る (cf.
Brousseau, 1997, pp. 21-22).実際,こ のよ うな数学では, その数学体 系に含まれ るあ る概念が発生し た際の文脈 が削除され ,あ たかもある重要 な定理を導 くためにそ の概 念が必要となっ たかのよう に記述され るこ とが多い.ラカ トシュの言 葉を援用す れば,
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「演繹主義的ス タイル」で 記述される こと が多いのである (1980, pp. 172-174). 例え ば,ユークリッド の『原論』第 1巻(cf. 中 村幸四郎他訳, 1971/1996) は,平面幾 何学 の数学体系を非 常に公理的 に記述して いる.
その体系の提示 の仕方は, 当たり前の こと だが,より基礎 的なものか ら,より複 雑な ものへと配列さ れている. そして,最 初の 方に出てくる公 理(及び公準)・定 義・命題 は,その多くが ,後々の命 題の証明に 必要 となる.第 1 巻では,三平方の定理( の逆)
はあくまで最後 の命題であ り,最初の 方で は扱われないの である.こ うした数学 体系 は,あたかもこ の公理的な 体系や順序 に基 づいて数学概念 が発生して きたかのよ うな 印象さえ与える .しかし, 数学概念の 発生 は,この公理体 系のように 順序立てて なさ れるわけではな い.それは ,後世には 消え てしまったかも しれない何 らかの文脈 にお ける必要に応じ て発生して くる.そし て多 くの場合,数学 における厳 密性という 要請 に応えるために ,後にその 概念の定義 が公 理等とともによ り明確にさ れ,数学体 系が 整備されるので ある.つま り,概念の 定義 はその文脈に応 じて変化し ているので ある.
これらのことは ,近代のヒ ルベルトに よる 平面幾何学の公 理化におい て,様々な 概念 が再定義されて いることか らもよくわ かる.
『原論』では「 点は部分を もたないも の」
であり(idem., p. 1),ヒルベルトの公理化
においては「三 種類の物の 集まり」の 「第 一の集まり」が「点」である(ヒ ルベルト,
2005, p. 15).この例はやや極端かもし れな
い が , ラ カ ト シ ュ (1980) で は , よ り 厳 密 な証明の要請に 応えるため に,多面体 等の 概念が拡張され ることが数 学史上の例 とと もに示されてお り,概念形 成の過程に おけ
る定義の変化が 容易に見て 取れる.
一方,定義の変 化は,それ が与える“ 意 味”の変化でも ある.ある 概念が扱わ れ始 めた頃に,その 定義から知 ることがで きる 意味と,整理さ れ無味乾燥 になった数 学体 系における定義 から知るこ とができる 意味 とは異なる.先 の「点」の 例において も,
それぞれから考 えられる意 味は大きく 異な るだろう.ヒル ベルトの定 義からは, 通常 考えられる図形 の“点”の イメージは 浮か ばない.実際, どんな“物 ”でも“点 ”に なりうる.した がって,公 理化され整 理さ れた数学の定義 は,脱文脈 化の結果で あり,
定義からうかが い知ること のできる意 味や 個人にもたらす 概念理解は ,その過程 で変 化するのである .
そこで本稿は, 今日の学校 数学で扱わ れ る三角比の定義 が与えうる 意味を探ろ うと するものである .数学教育 学における 定義 の研究は,定義 の役割や本 性,定義す る活 動など,これま で様々な側 面を扱って きた (e.g., Vinner, 1991; Borasi, 1992; De Villiers, 1998; 清水, 2000; Ouvrier-Buffet, 2006).本 稿は,こうした 定義という 概念そのも のの 性質を研究対象 とするので はなく,三 角比 の場合の定義が もたらしう る意味,つ まり 学習者にもたら しうる概念 理解の様相 を研 究の対象とする .そして, さらに三角 比の 定義が暗記に依 存する要因 を探りたい と思 うのである.
3. 数学の活動・思考におけ る記号論的 表現 数 学 教 育 学 に お け る 記 号 論 (Semiotics) に関する研究は 少なくない .数学的な 対象
(関係を含む) の筆記され た表現のみ なら ず,ジェスチャ ーなど人間 の動きをひ とつ の表現と捉え, 学習者によ る数学的な 意味
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の構築における 表現の役割 なども議論 され ている(cf. Edwards, et al (Eds.), 2009).記 号論は,言語学 の領域で扱 われること が多 いため,数学教 育学研究に おいても, 言語 学の用語がしば しば援用さ れる.しか し,
数学では数学特 有の記号が 用いられる こと から,本稿では,数学(数 学教育では なく)
における記号論 的表現に焦 点を当てた 数学 教育学(厳密に はフランス を起源とす る数 学 教 授 学 ) の 理 論 を 用 い る .Duval (1995;
2006; 2017) の認 知記号論で ある.
(1) 記号論的表 現
表現が,数学に おいて重要 であること は 言うまでもない .わが国に おいても, 数学 教育における様 々な表現の 重要さが指 摘さ れてきた (中原, 1995).今日の 学習指 導要 領における数学 的な表現の 強調も,そ の重 要さ故と考えら れる.しか し,本稿で 記号 論的表現に焦点 を当てる理 由は,数学 教育 におけるその重 要性にある のではなく ,数 学の活動や思考 を認知的な 側面から記 述す るために記号論 的表現の分 析が非常に 適し ていることにあ る.つまり ,記号論的 表現 が,数学的な活 動と思考の 認知モデル にな りうると考える のである.
こ こ で 言 う 「 記 号 論 的 表 現 (semiotic representation)」とは,Duval に従い,「記号 (signes) を 利 用 す る こ と に よ っ て 作 ら れ た もの」 (1995, p. 2) とする .日常言語 ,数 字,式,グラフ ,図など, あくまで記 号に よる表現を想定 しており, 内的な表現 (つ まり内的表象) は想定して いない.
ところで,わが国の先 行研究には ,「記 号 的表現 (symbolic representation)」とい う概 念が存在する (中原, 1995, pp. 251-271).こ れは,一 見,Duval の「記 号論 的表現 」に 近いように思え る.だが, 両者は必ず しも
一致しな い.Duval のもの は, 数学的 対象 を表現する記号 として図な ども「記号 論的 表現」に含め,「記号的 表現」より広く 捉え たものである.むし ろ,「記号論的 表現」は 中原 (1995, p. 194) で「表 現」と呼ば れて いるものに近い .両者とも “表現”を 扱う ため共通する点 はいくつか 見られるも のの,
表現に対するア プローチの 仕方や焦点 の当 て方は異 なる .実際 ,Duval は,数学 教育 における表現で はなく,数 学における 記号 論的表現に,そ してさらに 記号論的表 現の 中でも本章 3節で扱うレジ スターとい う記 号体系にのみ焦 点を当てる .それによ り,
数学的な活動や 思考の認知 モデルの構 築を 試みるのである .そこでは ,教育学で しば しば考慮される 規範性は見 られない.
二つの枠組みに はこれら以 外にも様々 な 相違があるであ ろう.理論 枠組みの詳 細な 比較はそれだけ で一つの研 究課題とな るた め別の機会にゆ ずり,本研 究では,三 角比 の概念理解をよ り詳細に分 析できると 思わ れ る Duval の 記 号 論 的 表 現 に つ い て の 枠 組みを分析ツー ルとして採 用する.
(2) 数学におけ る記号論的 表現の役割 数学における記 号論的表現 の役割は, 主 に二つ考えられ る.一つは ,数学的対 象を 表現し伝達する ことである .数学的対 象は,
抽象的な存在で あり,それ を直接知覚 する ことはできない .記号論的 表現を通し ての み,人間はそれ に触れるこ とができる .先 にあげた平面幾 何学におけ る「点」を 例に 考えてみよう.「点」は「部 分をもたな いも のである」が, そのような ものは物理 的に は存在しない. 紙に描いた 点も,顕微 鏡で 拡大すれば,幅 があり部分 がある.紙 に描 いた点は,あく までも数学 的対象とし ての 点を物理的に表 現したもの である.抽 象的
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な点を表現でき るものは紙 に描いた点 に限 らないが,表現 を通しての み,数学的 対象 としての点を知 覚し伝達で きるのであ る.
一方,記号論的 表現の役割 は数学的対 象 の表現・伝達の みではない .記号論的 表現 は,われわれが 数学的対象 を扱い,数 学的 な活動を行なう ことを可能 にする.こ れが も う 一 つ の 記 号 論 的 表 現 の 役 割 で あ り , Duval が 強 調 す る 機 能 で あ る (1995, pp.
1-14; 2006, pp. 106-107).こ こで言う数 学的 な活動とは,問 題への解答 や新たな数 学的 対象を生み出し たり,妥当 性を判断し たり することである .数学にお いては,表 現を 通してのみ数学 的対象を扱 うことがで きる ため,数学的な 活動や思考 ,さらにそ の発 展は表現に大き く依存する .
Duval の 前提は「sémiosis な しに noésis はない」(1995, p. 4) である.前者の sémiosis は,記号論的表 現を捉え作 り出すこと (つ まり記号の操作)を指し,後 者の noésisは,
ある対象を概念 的に把握す ることや他 の対 象との違いを区 別すること ,ある推理 を理 解することなど の認知的な 行為とその 結果 を指す (idem., p. 4).ここで,人間は 記号 論的表現を通し てのみ数学 的な活動や 思考 をなすことがで きるとし,sémiosisと noésis は切り離せない とするので ある.
このことは,数 学史からも よくわかる . 代数記号を例に 考えれば ,16 世紀のカ ルダ ノらの時代と現 代の代数記 号を用いる 時代 では,可能な数 学的思考が 大きく異な る.
カルダノらは, 方程式を解 くために図 と日 常 言 語 を 駆 使 し た (cf. 『 カ ジ ョ リ 初 等 数 学史』 (1997, p. 319)).し かし,現代 では 代数記号の計算 のみで比較 的容易に解 ける のである.
この Duval の前 提を認める のであれば ,
研究者は,記号 論的表現の 分析を通し て,
学習者の考えや 知識獲得の 過程を明ら かに で き , 困 難 性 の 根 源 を 発 見 で き る (Duval,
2006).逆に言えば ,記号論 的表現を通 さな
い思考の分析は ,知識獲得 の過程や困 難性 の根源の解明に は不十分な のである.
(3) 記号体系と 記号論的表 現のレジス ター 記号論的表現も しくは記号 の同種の集 ま りは,特有な規 則とともに 一つの体系 を作 り上げる(「記号体系 」と呼 ぶ).例 えば, “1, 2, 3 …” という数字の記号と “+, –, =, …”
の演算記号の集 まりは,一 つの記号体 系を 構成する.ここ で,数学に おける異な る記 号体系を 考慮 するこ とが,Duval の認 知記 号論で鍵となる .実際,数 学教育学の 研究 において,数学 における記 号論的表現 の全 体を一つの記号 体系として 捉え,異な る記 号体系 は必 要ない ,と する 主張 もある (cf.
Ernest, 2008a). しかしこの 後者の立場 は,
数学や数学教育 の特徴を統 一的に説明 しよ うとする立場で あり,学習 者の数学的 な活 動や思考とその 発展を認知 的側面から 解明 しようとする Duval の立場 とは目的が 異な ると考える.
さて,Duval は数学 にお ける主 な記号 体
系を「 記号論 的表 現の レジス ター (register of semiotic representation)」 と呼ぶ(以 下で は,簡潔に「レジスタ ー」とする).こ こで
「主な」とした が,これは すべての記 号体 系が人間の知的 活動や思考 を可能にす るわ けではないから である.記 号体系の中 で,
次 の 三 つ の 基 本 的 な 機 能 を 備 え る も の が
「レジスター」 である (Duval, 1995).
「ある決まった 体系におい て,何らか の 表現として特定 可能である 知覚的な形 跡 もしくはその集 まりを構成 すること. 次 に,体系に特有 な規則のみ により,も と
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の表現と比べて ある知的貢 献ができる 別 の表現が得られ るような仕 方で,表現 を 変換すること. 最後に,あ る体系にお い て作られた表現 を,別の体 系の表現に 転 換すること.こ の際,後者 の表現は表 現 さ れ て い る も の に 関 わ る 別 の 意 義 (signification) を明らか にする」(p.21)[3]
それぞれの意味 するところ を例ととも に 見ていこう.第 一の機能は ,与えられ た記 号が何らかの対 象を表現し ,同じ体系 にお いて別の対象の 記号とは区 別されるこ とで ある.例え ば,代数 記号体系の ab2 と (ab)2 は,体系の規則 に従い,異 なる数学的 対象 を示している. 第二の機能 は,体系内 にお いてある表現か ら別の表現 に変換でき る,
つまり別の表現 を作り出せ ることであ る.
本稿では,この 機能を Duval にならい 「処 理 (treatment)」(2006, p. 111) と呼ぶ.例え ば,演算記号 を含んだ数 記号体系で は,2 + 3 という記号が 5 という記 号に変換・ 処理 できるところに ,この機能 が見られる .第 三の機能は,あ る記号体系 の表現から 別の 記号体系の表現 へ翻訳でき る,つまり 別の 記号体系の表現 を作り出せ ることであ る.
本稿では,この機能 を「転換 (conversion)」 (Duval, 2006, p. 112) もしくは「翻 訳」と呼 ぶ.例えば,小 数記号体系 における 0.5 と いう記号と,分 数記号体系の 1/2 とい う記 号は,同じ数学 的対象を表 現している ため,
一方の記号体系 から他方へ 翻訳可能で ある.
記号体系のこれ らの三つの 機能は,乱 雑 な考えの整理や 情報の探求 などを可能 にす る.数学であれ ば,様々な 推論や計算 を進 めることが可能 となる.一 方,上の三 つの 機能をもたない ,つまりレ ジスターで ない 記号体系も存在 する.Duval (1995, p. 21) は,
体系内での処理 をほとんど 可能にしな い交
通標識の記号体 系やモール ス信号を例 とし てあげている. また,先に 触れたジェ スチ ャーなども,記 号体系内で の処理機能 を備 えていないこと や記号体系 の規則が曖 昧な ことなど から ,Duval の意 味で はレジ スタ ーではない.
なお,「レジスター」の語は,Duvalの 理論 に 限 ら ず , 言 語 学 で も 利 用 さ れ る .Halliday が 中 心 と な っ て 構 築 し た 「 機 能 言 語 学 (Systemic Functional Linguistics)」と呼ばれる 言 語 学 の 一 領 域 が そ の 例 で あ る (cf.
Halliday and Matthiessen, 2004).この 領域の 枠組 みは数 学教 育 学研 究 でも 近 年援 用 され るものだが (cf. Ernest, 2008a; 2008b),そこ でも「レジスター」の語 が登場し,言語 が使 用される領域や 場を意味す るものとし て用 いられている. わが国では 「言語使用 域」
と訳されるよう である.し かし,この 語は
Duval のものと大 きく異なり ,関連は ない.
(4) レジスター 分析のもた らすもの 本稿では,レジ スターの「 処理」と「 転 換」の機能に焦 点を当て, 教科書に用 いら れている記号論 的表現を分 析する.換 言す れば,記号論的 表現の処理 と転換の視 点か ら三角比の概念 理解を追求 しようとす るの である.一見, 記号論的表 現の操作の みに 焦点を当てると ,主体の認 知的な活動 の表 層しか捉えてい ないように 思える.し かし,
用いられるレジ スターを同 定し,その 処理 と転換の仕方を 明らかにす ることは, 認知 的な活動につい て多くの情 報を提供す る.
簡潔に処理と転 換において 明らかにで きる ことを見ておこ う.
レジスターの処 理において は,個々の レ ジスターに固有 な処理規則 が存在し, レジ スターによって ,その規則 が異なる. その ため,用いられ たレジスタ ーを同定す るこ
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とにより,可能 となる処理 操作や,操 作に 伴う考えが明ら かにできる .例えば, 小数 と分数それぞれ のレジスタ ーを考える と,
0.05 + 0.75 と 1/20 + 3/4という記号はそれ ぞれ同じ数学的 対象を表現 している. しか し,計算結果の 0.8 と 4/5 を生み出す 処理 操作はそれぞれ 大きく異な り,その処 理に 伴う考え(例えば,繰り 上がり,通分 など)
も異なれば,経 済性も異な るのである . 一方,レジスタ ーの転換・ 翻訳の視点 か らすれば,相互 に翻訳可能 なレジスタ ーに おいては,記号 レベルで対 応関係があ る(例 えば 0.5 と 1/2).数学の問題を解決す る過 程では,あるレ ジスターか ら別のレジ スタ ーへこの対応関 係を通して 転換するこ とに より別のレジス ターで処理 を施すこと が可 能となる.しか し,レジス ター間の対 応関 係は必ずしも一 対一とは限 らない.対 応関 係をもつ記号も あれば,対 応関係をも たな い記号も存在す る.そして ,この対応 関係 つまり翻訳可能 性は,ある 程度事前に 決定 されているので ある.さら に,たとえ 対応 関係があったと しても,相 互に対応す る記 号 そ れ ぞ れ が 形 成 す る 「 意 義 (signification)」 も 「 意 味 (référence)」 も 一 致しない.言語 学のソシュ ールの言葉 を用 い れ ば , 記 号 体 系 に お け る 「 記 号 表 現 (signifiant)」 が 異 な れ ば , た と え 数 学 的 対 象(指示対象:référent もし くは objet)が 同 じ で あ っ て も , 主 体 が も つ 「 記 号 内 容 (signifié)」 は 異 な り , 形 成 さ れ る 「 意 義 」 や「意味」も異 なるのであ る.ここで 「意 義」と「意味」 は,フレー ゲに倣って 用い て お り , 前 者 は 「 記 号 表 現(signifiant)」 と
「記号内容」との関 係,後者は「指示 対象」
と 「 意 義 」 と の 関 係 と し て 捉 え ら れ る (Duval, 1995, pp. 62-64).したがっ て,レジ
スターの対応関 係を明らか にすること によ り,可能となる 数学的な活 動や思考, さら には子どもが形 成可能な「意義」や「 意味」
が明らかになっ てくるので ある.
4. 今日の教科書 における三 角比の定義 本章では,教科 書における 三角比の領 域 がいかなる数学 的な活動・ 思考を可能 とし ているか探るた め,教科書 に用いられ てい る記号論的表現 のレジスタ ーとその本 性を 分析する.ここ では三角比 の導入部(定 義),
特に鋭角の三角 比に焦点を 当てる.分 析に は,川 中ほ か (2006), 飯高 ほか (2007), 岡
本ほか (2007), 3社の教科書を用 いた.
(1) 三角比の導 入
三角比は高等学 校の数 学 I で最初に登 場 する.いずれの 教科書も, 相似から直 角三 角形の辺の比が 一定である ことに注目 し,
三角比を定義す る.川中 ほか (2006)の 教科 書では,図 1のような相似 の直角三角 形を もとに,直角三 角形の底辺 と高さの比 が一 定である ことを 確認し たのち ,「PQ/OQ を 角qの 正 接 ま た は タ ン ジ ェ ン ト (tangent) といい,tan qで表す」 (p. 108) と正接 を定 義している.
図 1 川中ほか (2006, p. 108) その後さらに,図 2のよう に,新たな 直 角三角形の図と ともに定義 がまとめら れて いる.正弦と余 弦の定義は ,正接を定 義し たのち,ほぼ同 様の文言と 図で与えら れる.
3 つの概念が類 似の導入方 法を採って いる ため,以下では 正接を中心 に分析を進 める.
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正接
右の図の直角三 角 形 ABCにおいて
図 2 川中ほか (2006, p. 109) (2) 教科書に用 いられてい る記号体系
いずれの教科書 でも,図表 現,数表現 , 代数表現,日本 語表現の記 号体系が混 用さ れていた.なお,本稿で は,「図的な記 号体 系」「数的な記号体 系」「代数記号体 系」「日 本語の記号体系 」をそれぞ れ簡潔に「 図表 現」「数表現」「代数表 現」「日本語表 現」と 呼ぶことにする .
図表現は,相似 の関係を示 す際,定義 を 与える際に,例 ・例題など に用いられ てい る.その記号は ,図 1 と図 2で見られるよ うに,直角三角 形とその部 分(辺とな る線 分や角など),直 角三角形に 付随する図 的な 記号(直角の印 と角の印な ど)が中心 であ る.このレジス ターでは, 線分の長さ や角 度などを視覚的 に捉え(例 えば,どち らが 長い,大きい,直角),処理 することが 可能 になる.三角比 については ,特に代数 表現 における記号間 の関係(例 えば,角 Aの対 辺の長さが a) を視覚的に 捉えること (こ の場合,代数表 現と図表現 間の翻訳が なさ れている)が可 能になる.
数表現は,三角 比の導入に はほとんど 用 いられていない が,例や練 習問題で, 辺の 長さや角度,三 角比の値を 表現する際 (例 えば,tan 45° = 1)に利用 されている .こ のレジスターは ,生徒がも っともなじ み深 く,数値計算の 処理が容易 なことから 非常 に操作的な記号 体系である .しかしな がら,
教科書では定義 が一般的な 形で与えら れる ため,次に記す 代数表現が 数表現の代 わり
に多く用いられ ている.
代数表現は,図 表現と同様 ,頻繁に利 用 されている.相 似の三角形 において辺 の比 が一定であるこ とが代数表 現における 処理 によって示され ,定義の命 題も代数表 現の 記号で与えられ ている.さ らに図の中 にも 代数記号が用い られている .上の図に 関連 したものでは, ローマ字や ギリシャ文 字を 用いた P, Q, PQ, OQ, P’Q’, OQ’, A, B, C, a, b, q, a や,分数の記号ととも に少し塊と なっ た記号の PQ/OQ, tan q, a/b, さらにいくつ か の 記 号 を 結 ぶ “=” の 記 号 な ど が 代 数 表 現の要素となっ ている.こ のレジスタ ーは,
具体的な数値を 用いずに一 般形を示し たり,
問題における未 知数を表わ したりでき る.
さらに,操作的 (代数処理 ができる) であ ることは言うま でもない.
最後に,日本語 表現(もし くは日常言 語 表現)は,図表 現と代数表 現との記号 間の 対応の説明(例えば「図 のように」「半 直線 の な す 角q」), 他 の レ ジ ス タ ー に お け る 操 作・処理の説明(例 えば「垂 線を下ろす 」),
三角比の名称・定義(例えば「正接とい う」)
などに用いられ ている.頻 繁に用いら れる 記号体系ではあ るが,その 操作性が代 数表 現や数表現,図 表現より乏 しいことは 否め ない.特に,「正 接」や「タ ンジェント 」の 語は,日常では 用いられな い数学用語 であ り,他の用語と の関連がほ とんどない .少 なくとも,日本 語として漢 字だけを見 れば,
一定の比と「正 接」の語と のつながり はな い.若干「正し く接する」 などともと の語 の処理は可能だ が,生成さ れた語を正 接の 定義で与えられ た他の記号 体系(図表 現,
代数表現)へ翻 訳はできな い.このよ うに 考えると,「正接 」や「正弦 」,「余弦」の語 は,教科書の中 で日本語表 現としてほ とん
a a
tan tan
b
a b
a
=
=
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ど操作的でなく ,レジスタ ーとして捉 えら れるかどうかも 疑問である .
(3) レジスター 間の対応関 係
ではこれらの異 なるレジス ターがお互 い にいかなる関係 にあるか明 らかにした い.
ここで扱われて いる数学的 対象は,点 ,線 分,角,その大 きさ,正接 ,比の値な どで ある.これらの 表現として 用いられて いる 記号を,記号体 系間の対応 ・翻訳の関 係か ら見ていく.
① 基本図形単 位とその大 きさ
数学的対象とし ての点,線 分,角,そ の 大きさの表現を まず見てい こう(以下,点,
線分,角を「基本図形 単位」と呼ぶ).代数 表現においては ,これらは すべて P, Q, PQ, OQ, P’Q’, OQ’, A, B, C, a, b, q, a の記号で 表現されている .図表現に おいても, 基本 図形単位は,図 1 と図2 のように表現 され る.点は線の交 わるところ ,線分はま っす ぐな線,角は 2 本の交わる 線で表現さ れて いる.同じ数学 的対象を代 数表現の記 号と 図表現の記号に よってそれ ぞれ表現し てい るため,教科書 では,基本 図形単位に おい ては記号体系間 の対応関係 が一対一に 存在 し,相互に翻訳 可能と判断 できる.
一方,基本図形 単位の大き さ(長さ, 角 度)も,代数表 現の記号の みならず, 図表 現の記号として 表現されて いる.線分 の長 さは,線として 図に示され ており,角 度は 2 本の交わる線 として図に 与えられて いる.
ここで,線分の 長さと角度 いずれの場 合も,
図表現の記号は ,ある基本 図形単位と その 大きさという二 つの数学的 対象を表現 して いる.実際,図 に描かれた 線は,線分 を表 現しているとも ,線分の長 さを表現し てい るとも解釈でき る.言語学 の言葉を用 いれ ば , 一 つ の 記 号 表 現 (signifiant) が 二 つ の
指示 対象 (référent) を 表現 して い ると 言え る.一方,代数 表現におい ては,線分 と線 分 の 長 さ に 異 な る 記 号 が 用 い ら れ て い る
(例えば,BC と a).この ことから, 図表 現と代数表現に おいては, 記号体系間 の対 応関係はあるも のの,一対 一の関係で はな いと判断できる .しかし, 大きさの代 数表 現が図の中に与 えられてい ることから ,高 等学校では,こ れらの対応 関係に対し て大 きな認知的混乱 は生じない であろう.
このように,基 本図形単位 とその大き さ においては,代 数表現の記 号と図表現 の記 号との間に対応 関係があり ,ほぼ相互 に翻 訳可能と言える[4].この翻 訳可能性に より,
代数表現の記号 を図表現上 で視覚的に 捉え 処理できるとと もに,図表 現の記号を 代数 表現に翻訳し処 理を施すこ とができる ので ある.
② 正接と比の 値
次に正接と比の 値の表現に ついて見て い こう.代数表現 では tan a やa/b, PQ/OQな ど の 記 号 が 与 えら れ て い る. ま ず ,a/b や PQ/OQ は 基 本 図 形 単 位 の 大 き さ の 記 号 を 分数の記号で組 み合わせた ものであり ,こ れらは比の値を 表現したも のである. ここ で,この代数記号を 比の値では なく PQ:OQ のように関係( つまり,比 )と見るこ とも できる.しかし教 科書では,「PQ/OQの値」
や「値を求めよ 」などの語 が定義の前 後に 利用されている ことから, 比の値と捉 える のが妥当であろ う.
さて,この比の 値は図表現 の記号とし て いかに表現され ているか. 教科書の図 表現 には,この比の 値を表現す る記号は見 当た らない.実際, 与えられた 図において 「こ
の比の値 (a/b) は この線分の 長さ(も しく
は面積)です」と いった情報 は得られな い.
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教科書では,対 辺と底辺の 比の値とい う数 学 的 対 象 は ,a/b と い う 代 数表 現 の 記 号 で しか与えられて いないので ある.これ は,
a/b として定義さ れている tan a につ いて も同様である. このことは 当たり前の よう だが,レジスタ ーの視点か らすると非 常に 重要な点である .代数表 現の記号で ある tan a や a/b が図表現に対応す る記号をも たず,
相互に翻訳する ことができ ないとなる と,
その数学的対象 (比の値, 正接)の図 表現 での操作・処理 も不可能と なる.
な お , 教 科 書 の 定 義 で は , 代 数 表 現 の
PQ/OQの比の値が一定 であること が,図表
現の複数の相似 直角三角形 により表現 され ている(図 1).平行線の定 理に慣れ親 しん だ者や,複数の 相似三角形 を見れば一 定の 比の値を考える ことができ る者であれ ば,
ここで,この図 表現に「一 定の値」と いっ た記号内容を与 え,代数表 現の PQ/OQ = c や日本語表現の 「一定の値 」に翻訳可 能で あろう.しかし ,これはあ くまで値が 一定 であることに対 する記号論 的表現であ り,
正接の値の記号 論的表現で はない.
③ 等号:二項 関係
正接の定義では tan a = a/b, a = b tan a の記号が与えら れ,等号が 用いられて いる.
等号は,数学的 対象として の二項関係 もし くは同値関係を 表現した記 号である. 代数 表現のみならず 数表現にも 用いられる .こ の数学的関係の 表現を見て いこう.tan a = a/bについては,代数表現の みを考えれ ば,
代 数 的 に 表 現 さ れ た 何 か の 値 (a/b) が tan a と い う 別 の 記 号 に 恣 意 的 に 定 義 と し て 結びつけられた ものと捉え られる.こ こで は,両辺が同値 だという以 上の意味は ない.
また,上で述べ たように比 の値 a/b は図表 現に対応する記 号をもたな いことから ,こ
の等号に対応す る記号が図 表現に存在 する わけでもない.した がって,代数表 現の tan a = a/b における等号 を図表 現へは翻 訳で きない.
一方,a = b tan a の等号はどうであろ う か.代数表現の みを考えれ ば,等号は 両辺 の同値関係を表 現している だけである .し かし,教科書で は示されて いないが, 左右 の記号の起源に よっては, 等号は他の 記号 体系に表現をも ちうる.
例えば,a = b tan aの両辺 の記号は, そ れぞれ図表現か ら翻訳され たものと考 えら れる.実際,a は図表現 に対応する 線分 BC をもつ.さらに,b tan a の値 も線分 BCと して表現されて いると考え うる.する と,
両辺にある代数 表現の記号 が,それぞ れ同 じ線分として表 現されてい るから等号 で結 ばれている,つ まり等号は 図表現にお ける
「同じ線分」で あることを 代数表現に 翻訳 したものと解釈 できる.し かし,教科 書で
「線分 BC の長さを b tan a と書き表 わそ う」としている わけでもな いため,こ の解 釈はあくまで勝 手な解釈で あろう.
また,a = b tan a が tan a = a/b から代数 表現における処 理の結果生 じたもので ある ならば,等号は 代数処理に おいて保存 され たものであり, 図表現に対 応する関係 や記 号は,やはりも たない.
④ 日本語表現
ここまで主に代 数表現と図 表現の対応 関 係を見てきた. しかし,教 科書で与え られ た日本語表現も 代数表現, 図表現とそ れぞ れに対応関係を もつ.
図 表 現 を も た な か っ た 代 数 表 現 の 記 号 a/b は,「辺の比 」もしく は「正 接」な どの 日本語表現の記 号に対応し ,代数表現 の等 号は「~を~と 書く」とい った文章に 対応
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する.教科書で は必ずしも 代数表現の すべ ての記号に日本 語表現の記 号を与えて いる わけではないが ,両者の記 号体系には 対応 関係が多く,相 互に翻訳可 能である.
一方,日本語表 現と図表現 の対応関係 は,
代数表現と図表 現の対応関 係に近い.「 辺の 比」や「正接」 の語は図表 現に対応す る記 号をもたないが ,基本図形 単位とその 大き さを表現する「 点」「線分」「角」など の語 は,図表現に対 応する記号 をもち,翻 訳可 能である.
(4) 分析結果の まとめ
以上,教科書の 三角比の導 入部におけ る 記号論的表現の 分析結果を 示した.今 回は 三社の教科書の みを分析に 利用したが ,三 角比の導入部は 高等学校数 学 I の多く の教 科書で類似した ものであり ,他の教科 書に もあてはまる結 果であろう .
ここまでの分析 結果をまと めてみると , おおよそ図 3 のように図式 化できる. 図表 現と代数表現の 間には,点 ,線分,角 など の基本図形単位 において対 応関係があ るも のの,正接の定 義に用いら れている比 の値 や等号において は対応関係 がほとんど ない.
日本語表現にお いては,代 数表現と多 くの 対応関係が見ら れるものの ,図表現と の対 応関係は代数表 現とそれと の関係と大 きな 違いはなく,さ らに,記号 体系内で処 理を 施すことが難し かった.
図 3 今日の教科書で の記号体系 間の対応
5. 考察:今日の 教科書がも たらす概念 理解 ここでは,第 4章で得られ た分析結果 を もとに,今日の 教科書がも たらす三角 比の 概念理解につい て考察して みたい.
(1) 図表現の小 さな役割の 帰結
レジスターの転 換・翻訳の 視点からす れ ば,三角比の導 入部におい て,図表現 と代 数表現(さらに は日本語表 現)の記号 体系 間の対応関係は 貧困であっ た.定義に 用い られる基本図形 単位(点, 線分,角) にお いては,相互に 翻訳可能で あったが, 比の 値や同値関係に ついては, 代数表現に はそ の表現をもつも のの(a/b など),図表 現に はもたなかった .そのため ,図表現で は,
点や線分,角な どの位置関 係を示すこ とが 主となり,三角 比自体の処 理や操作が 行な えなかった.図 表現が,記 号体系とし て,
限られた役割し か果たして いないと言 える.
このことは,代 数表現のレ ジスターで 三角 比を扱うことに 導く.代数 表現におい て三 角比に対する十 分な意味を 生徒に構築 させ ることができれ ばよいが, 一つのレジ スタ ーのみでは限界 があろう.
正弦の定義の概 念理解を例 に考えてみ よ う.ある直角三角形 ABC(角の対辺の 長さ を a, b, c とする)の正弦 sin Aを考える.
ここで,教科書 のように, 正弦が辺の 比の 値であるという 考えを相似 の直角三角 形か ら学習していた とする.す ると,正弦 が,
代数表現の記号 としては m/n という形 に表 現されることに 容易に導か れる.では,m, n に何を入れるの か.直角三 角形は 3 つの辺 をもつ.相似の 直角三角形 においては ,い ずれの 2 つを 取ってもそ の比は等し く,3 つの組み合わせ が可能であ る.そのう ちい ずれか1つの組み合わ せが正弦のm, nに用 いられ,他の組 み合わせは 正弦として 認め
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られない.さら に,正弦に 用いる 2辺にお いて,その 長さの比の 値は,a/b と b/a の 2 つの可能性があ り,どちら か一方のみ が正 弦である.前者 が正弦であ れば,後者 は正 弦ではない(実際,後 者は「余割」「コ セカ ント」と呼ばれ る)[5].
し た が っ て , 正 弦 を 与 え る た め に は ,2 つの決定を下さ なければな らない(ど の 2 辺,どちらを分母に するか).しか し,教科 書の図では,正 弦が表現さ れておらず ,図 表現で,この 2 つの決定は 下せないの であ る.代数表現で そのことを うまく決定 でき ればよいが,sin A = m/n という記号の みで は,m と nに何 を入れるべ きか教えて くれ ない.すると, 図表現のど の辺・どち らを 分母にするかの 決定は,教 科書におい て数 学的な根拠をも ちえない .そのため ,sin A
= a/b(対辺/斜辺 )の理由づ けを「教 科書 もしくは教師が 言っている から」など とい う権威的な根拠 に頼らざる を得なくな り,
m, n に何を入れるのかは暗 記に委ねら れる.
このように,今 回分析した 教科書では , 正弦等を図表現 の記号で表 現・処理で きな いために,権威 と暗記に頼 った正弦の 概念 理解しか可能に しないので ある.
(2) 三角比の暗 記法
なお,わが国の 高等学校で しばしば用 い られる三角比の 暗記法(正 弦・余弦・ 正接 に筆記体の S, c, tをあてる)[6]は,ま さに 前節の問題を解 消するため のものであ る.
この暗記法は, 図表現が本 来備えるべ きも の,教科書に欠 けていたも のを補って いる,
と捉えられる. 実際,この 暗記法では ,図 表現が,用いる 2 辺と分母 ・分子の位 置の 2 点を同時に教 えてくれる .しかし当 然な がら,暗記法で 与えられた 図的な意味 は,
数学的な意味で はない.筆 記体の S, c, tは
数学的対象の図 表現の記号 (例えばあ る線 分)ではないた め,数学の 他の概念と の関 係をもつことや 何かの処理 を施すこと はで きない.つまり ,この暗記 法では,教 科書 同様,図表現と いうレジス ターで三角 比を 扱えず,教科書 以上の概念 理解を可能 とは しないのである .
(3) 実社会の文 脈:三角比 の実用性 以上のように, レジスター の視点から す れば,教科書の 定義も三角 比の暗記法 も大 した概念理解を 促さない. ところで, 三角 比の領域では, 測量など現 実世界の文 脈が しばしば利用さ れる.これ は,生徒が 数学 の意義を感得で きるように ,と考えら れた ものであろう. 測量の文脈 は,生徒の 概念 理解を促進する か.
三角比の起源は ,測量や天 文学の計算 に あると言われて いる.する と,三角比 を必 要とする測量の 文脈を三角 比の導入に 利用 することは,三 角比という 概念に大き な意 味を与えそうで ある.しか し,レジス ター の視点からする と,この文 脈は必ずし も概 念理解を促進す るものでは ない.なぜ なら ば,測量の場面 は,新たな レジスター を三 角比に提供する わけではな く,新たな 処理 や転換を既存の レジスター に促すわけ でも ないからである .教科書で 与えられた 現実 の場面はすでに 紙上に表現 されており ,そ れを少し一般化 した紙上の 三角形の図 と比 べてみても,記 号体系とし ては,さほ ど違 いがない.小学 校の算数で は,現実社 会の 文脈や具体物の 利用がしば しばなされ るが,
これらは三角比 の測量の文 脈とはその 本質 が大きく異なる のである. 例えば,四 則演 算の授業で具体 物(例えば ,おはじき )を 利用することは ,演算にお いて数表現 とは 異なるレジスタ ーを用いる ことである .実
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際,具体物には 操作や配列 の規則が存 在し,
処理が施せるも のである. 一方,測量 の場 面は,レジスタ ーとして何 か特別の処 理を 施せるものでも ない.
なお,これらの 見解は,あ くまでレジ ス ターの視点から 測量の文脈 を捉えた場 合の ものである.別 の視点から すれば,別 の概 念理解をもたら すとの判断 も可能だろ う.
例えば,概念が 必要となる 状況を考慮 に入 れ る 教 授 学 的 状 況 理 論 (Brousseau, 1997) の視点からすれ ば,測量は 三角比の必 要性 や発生に対して 一つの文脈 を与えると 判断 されうる.した がって,い かなる分析 枠組 みも十全ではな く,説明で きる概念理 解は 用いる枠組みに よるのであ る.しかし ,本 稿から,少なく ともレジス ターの視点 が三 角比の概念理解 の中心的な 部分を説明 して いると言えるの ではないか .
6. 19 世紀の教科書に おける正弦 ・余弦等 ここまで,今日 の教科書の 三角比にお け るレジスターの 特徴,特に レジスター 間の 対応関係が貧困 であること を示し,そ れが もたらす三角比 の概念理解 について考 察し た.しかし,こ れはあくま で今日の教 科書 においてのこと である.数 学が発展し てき た過程では,レ ジスターの 働きが大き く異 なる.以下,異 なる概念理 解の可能性 を示 し,今日の教科 書のもたら す概念理解 に対 する比較対象を 提示すると ともに,三 角比 指導へのヒント を示したい .
三角比は,それ に相当する ものが古く は 古代ギリシャ時 代から異な った地で測 量に 使われてきたと 言われる. しかしそこ まで さかのぼらずと も,18, 19世紀の平面 三角 法や測量の教科 書を見れば ,そこには レジ スター間の対応 が非常に多 い,特に図 表現
で の 処 理 を可 能 に した 「 三 角比 」 の 定義[7]
が見られる.
正弦・余弦等は ,ヨーロッ パの教科書 を 見ても,わが国の 教科書を見 ても,19 世紀 頃までは円にお ける弧(も しくは角度 )に 対 す る 線 分と し て 定義 さ れ てい た[8]. 例 え ば,重版を重ね たラクロワ の三角法の 教科 書 (Lacroix, 1807) では,正 弦が「弧の 正弦
(sinus) は ,その 弧の一方の 端点から他 方の
端点を通る半径 へおろした 垂線である 」(p.
4) と定義さ れており ,余弦は「任意の 弧の 余 弦 (cosinus) は , そ の 弧 の 残 り (complément) の 正弦であり ,中心と正 弦の 足との間の 半径の 一部に 等しい」(p. 4) と されている.線 分として定 義されてい るた めに,フランス では正弦・ 余弦等をま とめ て 「 三 角 線 (lignes trigonométriques)」(cf.
Lacroix, 1807; Guilmin, 1863)と呼んで いた.
また,わが国 においても ,福田理軒 (1856) の『測量集成 四』の二編 巻之一では,「八 線」の名のもと に線分の名 称として, 図 4 の よ う に あ る 角 度 に 対 す る 線 分 と し て 正 弦・余弦等が定 義されてい る.ここで ,正 弦は角の正面の 半弦であり ,余弦は余 角の 正弦つまり余角 の正面の半 弦であり, 正接 は正面の接線と の交点まで の線分であ る.
図 4 福田理軒『測量 集成 四』(1856) このように正弦 ・余弦等が 図表現で線 分 として定義され ると,レジ スターにお ける
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