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1 3 0 余 年 の 林 業 経 蛍 のノウハウを 活 かしながら 秋 山 スギや 伊 ~ヒノキ 青 森 ヒパ 国 産 カラマツなど を

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(1)

学習院同窓会「桜友会」の会員誌

F

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.

桜友会設立90

周年記念号

[

N

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.

9

9

]

桜友会設立

90

周年

記念式典挙行

先人の事績に感謝し、

100

周年への決意を新たに!

90

周年記念特別フォーラム

細川護照氏

『閑居・私の生き方

J

平成

23

5

26

日開催

一般社団法人学習院桜友会設立総会

講演録

川内優輝

埼玉県職員・マラソンランナー

『いわゆる「常識」と私』

一般社団法人学習院桜友会

新年会

1

10

日〈火〉霞会館にて

桜友会ホームページ

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(2)

代表取締役会長

古 河 久 純

(S.34経済卒業) 代表取締役社長

古 河 潤ー

(H.2経済卒業)

国産木造住宅は、私たちにできる

環境保護のひとつです。

当社は、秋凹県北秩問、宮城県七ヶ宿、三重県大紀に社有林を保有してL、ます。 130余年の林業経蛍のノウハウを活かしながら、秋山スギや伊~ヒノキ、青森ヒパ、国産カラマツなど、を 住宅主要構造材に使った、高',,f',質低価格な家づくりをご提案しています。 国産木造住宅には、輸入材住宅とは遣い、腐れや日本特有の害虫に強いとLヴ特徴があります さらに、木のやさしい香りと、ぬくもりは心をいやしてくれるといったこともあり、ご家族の健康を考えて、 ご検討される)Jも構えています。 また、日本の森で樹齢に迷している木守で家をつくり、新たに苗木を柏えることは、大気中のC02の吸収を 促し、地球温暖化防止にもつながる大切なことです 「 古 河 林 業 の 家 」 は、総ヒノキづくり、三 階 建 て、二世 帯 住 宅 な ど、様 々 な ご 要 望 に お 応 え し て い ま す。ど う ぞ お 気 軽 に ご 相 談 く だ さ い。

未来をひ

5

く古河グループ

〈〉

古 河 林 業 株 式 会 社

本社住宅事業本部干 1000005東京都千代田区丸の内2・2-3丸の内仲通りビル Tel.03-3201-5

(3)

一般社団法人学習院桜友会

平成23

年5

26

会を開催

年記念会館にて

1

年余りの検討期間を経て、平成2

2

年5

'

Z

1

日の総会で、懸案の桜友会の

般社団法人への移行が承認され、

本年、平成2

3年5月2

6日には、旧桜友会最終評議員会・総会が開催された

引き続き開催された「

般社団法人学習院桜友会jの設立総会で桜友会は新たな

歩を踏み出したわけだが、

この年が桜友会設立9

0

周年記念の年であることを、私たちは折にふれて思い出すことだろう

あらためて会長に就任した内藤頼誼氏

平成

2

3

年5月2

6

設立

9

0

周年記念の年に、

衣替えをした桜友会。

設立総会は、

4

1

日に登記申請した定款にもとづき「会員 総会」とし、旧桜友会長の内藤頼誼設立時代表幹事を議長に 議事が進められた。議案は旧桜友会で評議員にあたる社員選 出の件。社員案が承認されたのち、選出された社員により、 引き続き中村昭嗣社員を議長に「社員総会

J

を開催、理事、 監事が選出された。また、会長推薦の件では内藤頼誼設立時 代表幹事を新たな理事会に会長として推薦することとし、引 き続き開催された「理事会」で会長として承認された。こう して一般社団法人学習院桜友会はスタートを切った。 内藤会長は、旧桜友会を閉じ、 一般社団法人に衣替えする にあたって、これまで4年間の会長としてのご自身に対する協 平成23年5月26日に開催された設立総会。内藤会長により新たな桜友会の進むべき姿、 また、平成23年度桜友会基本方針が説明された 力に感謝の言葉を述べ、引き続き、学習院卒業生のあるべき 姿を、会員が結束して追求していくべきとの挨拶をされた。 以下が新たな会長及ひ副会長だ。(敬称略) 会長内藤頼誼(昭泊高) 副会長大井昭彦(昭34経) 副会長葛城茂敬(昭34化) 副会長 三野祥彦(昭

3

6

経) 副 会 長 秋 山 豪 ( 昭

3

時差) ※耀英一副会長は退任、顧問に就任。副会長の各担当は本誌 40ページ参照。理事、監事、社員等は桜友会ホ}ムページを ご覧ください。

<今回、会費振込用紙を同封させていただいた方は会費が未納です>

絞友会は母校支援、会員相互の交流推進などを口的に、多彩な活動を 展開しております。本誌「桜友会報

J

の発行も含めて、それらの活動の 原資は同慾会会費としてお願いいたしております「桜友会基本会費」で す。未納の会員の皆様につきましては、ぜひご理解をいただき、当基本

1

桜友会報平成23年12月 会費35,000円(生涯会費で一度限りの納入です)を同封の振込用紙にて お納めいただければ幸甚です。(会費未納の}]は、当会の定款により「正 会員」とせず「普通会員」とし、会員の公平性を保つため、通常、会費 未納の方には本誌「桜友会報」はお送りしておりません)

(4)

じ ー さんこんにちは 。 埼玉県庁に所属し、

I

春日部高校定時制に勤務しております 川内優輝です 。 き ょ う は 、 陸 上 の 常 識 と 私 の 違 い に つ い て 、 具体的にはどういうところが違うのかという ところに重点を置きながら、現在、自分なり に考えていることをお話しできればと思って おります 。 時間の制約がモチベ

l

シヨンを高める まず、私と実業団選手の違いというのは 、 練習時間だと思います 。 私の場合、通勤時間 を含め ま す と 1 日のうち 日 時間位 は 仕事に拘 束されています 。 それ以外の睡 眠 時間、食事 時間を入れますと、自由に使える時間はほと んどありません。ですから 、 大体平日は 2 時 間位、土曜日は

3

時間位というのが現在の私 の練習時間です 。 一 方で、実業団選手は、まあ、実業団とい っても、私のようにフルタイムで働いている 実業団もあれば、午前中だけ働いて、午後は 練習というところもありまして、ひとくくり に す る こ と は で き な い の で す が 、 基 本 的 に は 、

2

部練習です 。 まず朝走って、午前中勤務し て、午後 ま た練習というスタイル 。 場合に よ っては夜も練習という 3 部練習をやったりし て い ま す 。 合宿練習についても、実業団選手の場合、 1 週 間 、

2

週間という単位で、北海道や中国 の昆明に行ったり、アメリカのボルダーに行 ったりしています 。 高地トレーニングを兼ね て海外での練習を行っている選手が多いので す 。 一 方、私は、仕事をもっている都合もあり ますが、そうしたところに行く必要性を今の ところ感じていませんので、合宿は山形県の 蔵王で行うというようなやり方ですし、昨年 の冬には、母校の春日部東高校の春日部市内 にある合宿所で合宿練習を行いました 。 練習時聞が少ないということなんですが、 これが決定的に不利かというと、必ずしもそ うではないというふうに私は感じています 。 例えば仕事が忙しいときに、もう少し時聞が あればなあと思うことはあるんですけど、ト ータルで考えますと、短い時間に集中して効 率よく練習できるのは、時間の制限があった

『いわゆる「常

j

和と私

j

ナーの

活と意見

2

0

7

桜友会「月例会」講演要旨

平成2

3

6

9

目白百周年記念会館にて

川内優輝

21政)

埼玉県職員・マラソン

ナー

から身についたことだと思っています 。 実業団ですと時聞がたっぷりありますか ら、余った時間をどうやって使ったらいいか わからないという選手も多いと思いますし、 あいている時間をすべて使って陸上をしてい るわけでもないようです 。 最近知り合いにな った実業団の選手の話を聞いてみましでも、 漠然とした練習になりがちのようです 。 逆に時間の制約がある私の場合、走りたい という気持ちは実業団選手に負けないと思い ますし、そうした意味では限られた時間の中 でやるということもそんなに悪い面ばかりで はないと思っています 。 実業団の中でも、ケ ガをしないように 1 時 間 半 と か 、

2

時間位し か練習しないところもありまして 、 時間はあ るのですけれど、ケガをしないためにわざと 時間をしぼっているわけです 。 私のようにも ともと時聞がない選手の場合、少ない時間の 中でどうするかということを常に考えている わけで、そういう部分では、練習に対するモ チ ベ

l

シヨンがかなり違ってくるのではない かというふうに思っています 。 小さなケガは温泉で何とかしてきた 治 療 と か ケ ア に つ き ま し で も 、 一 般にはト レ ー ナーがついていたり、専門のメディカル の医師がついていたり、そうしたサポートを 受ける形です 。 実業団に限らず、箱根駅伝の 常 連 校 な ど で も 、 1 週間に

2

回 は 5000 円 以 上 す る ハ リ の 治 療 に 必 ず ム 行 く よ う に コ

l

チ に指示されていて、それを守らない選手には ﹁ケガをするつもりか﹂と怒られるというよ うなことを聞いたことがあります 。 私の場合 は学習院大学在学中からそうした治療には行

4

桜友会報 平成23年12月

(5)

CAFE

川内優輝(かわうちゅうき) 昭和62年3月5日生まれ。埼玉県立春日部東高校から学習院大学法学部政治学科に入学、陸上競妓部に所属。平成21年卒業。大学2年在学中の平 成19年、学習院大学の学生で初めて関東学連選絞の選手として箱恨駅伝に出場、 6区の山下りで区間6位。4年在学中の同21年にも学連選抜チー ムで再び6区を走り区間3位と健闘、学習院の名を一躍全国に轟かせた。卒業後、地域掻興の仕事を希望し地元の均玉県庁に入庁、教育委員会に配 属され淘玉県立春日部高校定時制の事務職をつとめる。市民ランナーとして餓妓生活を続け、各地のマラソン大会に出場。平成23年2月27日の 東京マラソンで2時間8分37秒で3位、日本人選手では1位となり、同9月4日の韓国・大邸での世界陸上競技選手権大会の出場を果たした。 っていませんでしたが、ただ温泉にはたまに 行くようにして、小さなケガは何とかしてき ま し た 。 それでも長引くようなケガはしてい ま せ ん 。 実業団や強豪校では、トレーナーや 専門の医師に常にいい状態にしてもらってい るということに慣れてしまって、長引くよう なケガが多くなってしまうのではと私自身は 思っています 。 次に走行距離という点ですけれど、やはり 実 業 団 は

2

部練習をやっていますので、月間

800

畑 、

900M

という距離を走っている ということを聞いています。また、先日高橋 尚子さんとお会いする機会がありまして、高 橋尚子さんは現役時代には月間

1300M

走 っていたそうで、これは

1

日刊加を常に走 っ ているということで、すごいなと思ったので すが、やはりそうでなければオリンピックで 金メダルを取れないのかなというふうにも思 ったのですけれど、そうした選手と比べて私 がどのくらい走っているのかといい ま す と 、 月間最大

600M

くらい、まあ大体

500M

か ら

550M

くらいしか走っていないので、 実業団選手の

3

分 の

2

、高橋尚子さんの半 分以下という状況です。実業団選手は

2

回 練習していますので、トータルとして

8

0

0

刷 、

900h

100OM

と い 、 つ こ と な ので、−回の距離ということでは、私も実 業団選手にそう負けていないということも い え る の で す 。 食べたいものはしっかり食べる方がいい ほかの違いとしては食事面のことがありま す 。 強豪校では体重を

0

・ −

M

単位で管理を していて、毎日体重を計っています 。 そ れ を コ ー チ に 提 出 し て 、

0

3M

増えると﹁なぜ こんなに体重を増やしてるんだ﹂と、怒られ る の だ そ う で し て 、 お 菓 子 な ど 食 べ て い る と 、 ﹁ お ま え チ

l

ム全体の士気が下がるぞ﹂とい われた、というようなことも聞いたことがあ ります 。 そうしたチ

l

ムでは、大体栄養士が いて、食事のメニューをキッチリ作って、コ ンディションの管理をしているのが普通で す 。 一 方で私はどうかといいますと、新聞記者 の方にもお話しして驚かれるのですけれど、 私 は 一 切食事の制限はしていません 。 基本的 には食べた分だけ走るということをモット ー にしていまして、そのためにほかの選手と比 べますとちょっと太いという印象を与えてい る か も し れ ま せ ん 。 私も高校時代までは強い学校におりました ので、体重に気をつけるというようなことも あって、食事制限をして、体重をしぼってみ たりということもしていました 。 し か し 逆 に そうした部分にこだわってしまうと、そのこ とによって精神的に追い詰められていくよう な状況になりがちなのです 。 や は り 人 間 に は 食 欲 が あ る 。 食 べ た い も の は し っ か り 食 べ る 、 その代わり練習でエネルギ ー を消費する、と いうほうが健全なあり方なのではないかと思 う よ う に な り ま し た 。

NHK

の 番 組 で ご 覧 に なられた方もいらっしゃると思いますが、あ んな超大盛りのラーメンを食べても、まあ何 とかこうして選手をやっていけるんです 。 普 通に考えれば﹁何であんなヘンなもの食べて るんだ﹂と怒られてしまうと思うんですけれ ど、私の場合、学習院大学時代、箱根駅伝に 出たときから、あんなラーメンを食べてみた り、食べ放題の店に行ってケ

l

キを食べてみ た り 、 強 ・ 日 家 校 の 常 識 か ら す る と 、 と ん で も な いことではありますが、私自身こうして、世 界陸上へのキップを手にすることができたわ けで、陸上界の常識も必ずしも

100%

で は ないと思っているところではあります 。 強化費も事寮仕分けの対象にする? 次に金銭面のことです 。 昨年、社会人

1

年 目の東京マラソンで

4

位となり、賞金をいた だ い た お か げ で 、 か な 灼 楽 に な っ た の で す が 、 それまではかなりきびしい状況でして、大学 時代にいただいた奨学金やアルバイトで得た お金を切りくずして競技生活の費用にしてい たというのが実体です 。 遠征の際もいいホテルに泊まれません。ネ ットなどで安いホテルを探したり、格安ツア ーの利用法を考えたりしていました。最近で は陸連からもサポ ー トの強化費をいただける ようになりましたので、今はようやく金銭的 に困っているという状況ではなくなりまし た 。 強い陵上の選手は、陸連からの強化費や、 合宿費、そのほかにも

JOC

の オ リ ン ピ ッ ク 育成プログラムの中からもお金が出ます 。 私 の場合は公務員という制約がありますので、 スポンサーなどがありましでも受けられない ということがありまして、そうした中で強化 費というものを使わせてもらっているのです けれど、おそらく実業団選手はスポンサーが ついておりますので、シューズ代やウエア代 はかからないと思いますし、合宿や遠征費も 会社から出ていると思いますので、そんなに 平成23年12月 桜友会報

5

(6)

いっぱい強化費をいただいて 一 体何に使うの だろうと最近思っていまして、こうしたこと こ そ 、 事 業 仕 分 け し て も ら っ た ほ 、 つ が い い の ではないかと、冗談半分ですが、お金がない ところからはい上がってきた私としては思っ ているところです 。 仕 事 ・学業が第一の選手生活のために 金銭面でいうと、体験的に、やはり結果を 出すと周囲の人たちの善意が受けられるわけ ですが、その前段階でがんばっている選手に 対するサポ ー トが日本では少ないのではない かと実感しています 。 私も学習院大学のとき には、箱根駅伝に出たり、海外遠征に行った りということで奨学金をいただいたのですけ れど、その下の段階で、例えば関東大会では それなりの活躍をしているとか、そうしたレ ベルの人たちに対する金銭的サポートという のが手薄なのではないかと思っています 。 学習院大学はスポーツ推薦入学を導入して い ま せ ん 。 それは 一 定の学力を保つためにょ いと思っていますし、そんな中で学習院の学 生がスポーツでがんばることで、世間に﹁学 習院はすごい﹂と思ってもらえる部分もある ので、安易にスポーツ推薦を取り入れるべき ではないと私は思います 。 学生は、やはり学 業というのがまずあ っ て、余った時間に部活 動に精 一 杯取り組むというのが大事であると 思 い ま す 。 私の場合もそういうスタンスでやってきま したので、今でも 学業 が仕事に置きかわった だけで、時間の使い方としては学生時代と基 本的に変わりはありません 。 学習院のこうしたあり方というのは今後も 続けていただいて、学生が社会人になって、 フルタイムで勤務しながらでも世界で活躍す る人が出てくるような環境を整備していただ きたい、というふうに私は思っています 。 特 に学生に対する金銭的なサポートはもう少し 拡充していただければと思います 。 大学時代の話になりますけれど、陸上競技 部は目白の構内にグラウンドがありませんで したので、水曜日、土曜日には、学外に競技 場を探して練習をしていました 。 当然、往復 の交通費はかかりますし、競技場利用料金と いうものも、学生にとってはばかにならない 金額です 。 合宿に行くにもかなりお金がかか ります 。 そうしたお金を稼ぐために学業以外 にアルバイトをしている人も多いのです 。 そ うした人たちが、学業とうまく両立しながら、 競技生活が送れるような制度が学習院にある とすばらしいと思います 。 スポーツ推薦入学 制 度 が な く て も 、 一 定の試験を乗り越えて、 学習院大学に入学すれば、手厚いサポートが あるので、スポ ー ツと学業に集中できる 。 そ うした環境を作っていくのが健全な文武両道 のための学校運営のあり方ではないかと思い ます 。 たぶんこうした考えが学習院が昔から 受け継いでいるノプレス・オプリ

l

ジユにも つながるのではないかと思っています 。 誰かにいわれて で なく自分で考えてやる 次 に コ

i

チ が い な い と い 、

Z

瓜 で す 。 確かに 強いチ

l

ムには優れた監督、コーチがいて、 選手はその指導のもとに練習を重ねていま す 。 私は今自分ひとりで練習メニューを作って や っ ているのですけれど、やはり有名なコ

l

チに指導を仰いだほうがいいのではないか と、心配されることがあります 。 また逆に指 導者がいないということがすごいといわれる こともあります 。 マラソンでは、ある程度の年代までは監督 や コ

l

チの指導は必要だとは思うのですけれ ど、そうした指導を受け、基礎を身につける うちに、自分のやりたい陸上というものが見 えてきます 。 その段階で自分自身に考える力 があるならば、自分で考えたほうが自分自身 に余裕ができますし、やらされている練習で はなくて、好きでやっていることだというふ うにもつながっていきます 。 そうした気持ち でやっていくほうが、速くなるし、長続きす るのではないかと私は思っています 。 自分白川身を考えてみますと、陸上界の常識 とはかなり違うことをやっていると思いま す 。 陸上界の常識にしたがうことで本当に結 果が出るのかということを考えるからです 。 オーバートレーニングでケガをしてだめにな っ てしまうかもしれない 。 ビジネスに例えま すと、今の私は、私自身の競技については社 長のような立場だと思っております 。 会 長 、 名誉会長には必要に応じて経営方針のアドバ イスを受けることは必要だと思いますが、普 段から常に経営方針を作 っ て も ら っ て い る の ではだめで、それでは社長自身も満足いかな いだろうと思います 。 自分自身もいつまでも誰かにいわれてやっ ているのではなく、自分のやりたい陸上を目 指したいと思 っ ています 。 そ う し た 意 味 で は 、 今は非常にやりがいがありますし、例え韓国 に行 っ て結果が出なくても、期待して下さ つ

6

桜友会報 平成23年12月

(7)

ている人には申し訳ないのですけれど、自分 自身としては全く悔いが残らないと思い ま す し、現時点でも納得のいく陸上だと思ってい ま す 。 だからこそ、私自身これまで凶年間も 陸上を続けてこられたのだと思っています 。 ビジネスでは独立したり、社長になったり することがあるにもかかわらず、陸上ではい つまでも監督や指導者に頼り切っているとこ ろがあるように思います 。 陸上ではそれが常 識なのです 。 そうした陸上の常識はある人に とってはいいけれど、すべての人にと っ て い いわけではないと実感していますし、自分自 身そうした常識を、少しずつこわしていかな ければならないと思っています 。 私は全国のどんなレ

l

スにも出ていきたい コ

l

チのメニューが悪いのだと、実業団選 手はいえるかもしれませんが、私みたいに自 分の責任でメニューを作ってや っ て い る と 文 句はいえません 。 その分、プレ ッ シ ャ ー も か かります 。 強豪校の場合、レースの本数をし ぼったりするのですが、市民ランナーは小さ な レ

l

スでもそれが目的であ っ たりします し、また、速い選手がレ

i

スを練習としてや れば、ほかの参加者の方に刺激を与えられま す 。 速い選手が地方のレ

l

ス に 積 極 的 に 出 る ことによって、地方の人たち、特に子供たち に夢や希望を与えることもできるのです 。 しかしなぜか実業団の選手はそうしたレー スに出ずに、独自に目に触れないところで練 習をしています 。 それでは競技を広めていく ことにはつながらないと思います 。 私は日本 全国どこにでも行きたいと思っていますし、 私を目標にしてもらえればありがたいと思つ

て い ま す 。 そうした中で、もう 一 人、私のよ うな変わった選手が出てくるかもしれません し、日本の陸上の発展につながるのではない かとも思っています 。 最 近 レ

l

ス に 参 戸 加 し ま す と 、 い ろ い ろ な 人 に声をかけられます 。 小学校・中学校で話し てもらいたいということでお話をしにうかが っ た り も し ま し た 。 実業団、強豪校にかかわ らず、速い選手は地方のレ

l

ス に 行 っ て 、 競 技を広めるための広報をすることも大事だと 思います 。 自分自身のあり方を広く示していきたい 今 、さまざまな経験をさせていただいて、 まだ限界は見えていません 。 どこまでもいけ るような気がしています 。 そうした中でもの を見て、知って、さらにどんなことが体験で きるかを、私自身楽しみにしています 。 将 来 は 学 習 院 に も ど っ て コ

l

チとして自分の考え 方を学生に伝えていければいいなとも思って い ま す 。 そのためにはもっともっと強くなら なければと思います。とりあえず世界陸上に 行きますが、その後も東京マラソンや国際マ ラ ソ ン に は で き る だ け 出 場 し て 、

2

時 間

7

分 台 、

6

分台を目指したいと思っていますし、 可能性があればロンドンオリンピックも視野 に入れていきたいと思っています 。 そんな中で、なんとか自分自身のあり方を 示していきたいと思っていますし、陸上界に も日本にも刺激を与えていきたいというふう に思っています 。 今後もそうした気持ちでがんばっていきた いと思いますので、引き続きご支援、ご指導 をお願いいたします 。

平成お年

9

4

韓国・大郎で行われた

世界陸上競技選手権に出場

日本の団体銀メダルに貢献

韓国・大郎では、いったんはトップに 立 っ た 川内優輝選手だ っ たが、徐々に遅 れ 一 時却位台に後退したが、終盤持ち味 の粘りを見せ、結果は

2

時岡崎分日秒で 同位。日本人では

3

位に入り、上位

3

選 手の合計タイムで競う団体での国別銀メ ダル獲得のキ

l

マ ン と な っ た 。 応援には 波多野敬雄学習院長をはじめ、学校関係 者、陸上競技部

O

B

会、埼玉桜友会メン バ ー が 駆 け つ け 声 援 を 送 っ た 。 川内選手が持ち帰った銀メダル。帰国後「団体のメダル か取れて本当によかった」と笑顔で話してくれた 月例会で陸上競技部OB会前川昌夫会 長が川内選手を励ます 平成23年12月 桜友会報

7

(8)

特 集

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記 式 典 行

先人の事績に感謝し、 100周年への決意を新たに!

桜友会は本年、平成

2

3

年(

2011

)に設立

9

0

周年を迎えた

大正

1

0

年(

1

9

2

1

)の設立以来、さまざまな困難を乗り越えての

9

0

周年である

そして1

1

1

3

日、学習院目白キャンパスで設立

9

0

周年記念式典が挙行された

この日、式典に出席した誰もが、

自分が今大きな歴史の中に置かれているという厳粛な気持ちに包まれたに違いない

この気持ちをいかに次代につなげていくか

これからも道はさらに続く

内藤絹誼桜友会長 波多野敬雄学習院長 会長以下大井昭彦・葛械茂敬・三野祥彦・秋山豪副会長 ボーイスカウトにより国旗、桜友会旗が入場 式典の司会・進行はテレピ朝日の木下智佳子氏 平成お年11月13日、百周年記念会館正堂において、桜友会設立90周年記念式典が挙行さ れた。式典は13時より、国旗・桜友会旗の入場セレモニー、学習院大学応援団吹奏楽部伴 奏による国歌斉唱の後、内藤頼誼・桜友会長の式辞、波多野敬雄・学習院長の祝辞で始ま った。内藤会長は、 90周年にあたり、桜友会設立の 3つの目的である、学校への後援、会 員相互の親睦、社会貢献のうち、今後は社会貢献に力を注ぎたいと強調した。波多野院長 は、学習院らしい、品格があり、おおらかな人材を社会に送り出すことを、今後も考え、 実行していくとの決意を述べた。引き続き、桜友会功労者個人表彰、設立回周年以上の支 部表彰、功労支部長表彰が行われ、学習院歌の斉唱で式典は幕となった。 休憩後は、学習院高等科出身の細川護県・元内閣総理大臣による「閑居・私の生き方」 と題した特別フォーラムが開催され、学外からの聴講者を交え、式典に花を添えた。

目白・学習院創立百周年記念会館にて

平成23年12月 桜 友 会 報

8

(9)

[桜友会功労者]個人表彰

本部役員として顕著な功績があった4名に、内藤会長から 感謝状と記念品が授与された。亀井名誉会長が代表挨拶。 正 田 宏二 ・ 群 馬 桜 友 会 名 誉 会 長 ( 昭25旧高) 菅 原 陪 ・ 岩 手 桜 友 会 名 誉 会 長 ( 昭16旧高) 勘 解 由 小 路 資 淳 ・ 山 口 桜 友 会 会 長 ( 昭18旧高) 池 田 隆 政 ・ 岡 山 桜 友 会 会 長 ( 昭23旧高)

9

桜友会報 平成23年12月

亀井

i

弘・桜友会名誉会長(前会長・昭241日高) 小野田博・桜友会顧問(元副会長・昭30化) 草刈康・桜友会顧問(元副会長・昭31政) 村上智也・桜友会顧問(元副会長・昭31政)

[設立

·

~~周年以上支部]団体表彰

昭和30年代に設立された3つの全国支部が団体表彰され、記念桜友 会旗が授与された。

3

支部を代表して長奇川会長が挨拶。 北九州桜友会(昭和お年5月24日設立) 神奈川桜友会(昭和お年

6

月初日設立) 関西桜友会(昭和36年5月17日設立) 山口桜友会世話役・波多野知三氏(代理) 岡山桜友会世話役・有松安氏(代理)

(10)

組川護照氏を講師にお招きし

桜友会特別フォーラム開催

コレ念式典後、細川 護鼎氏による ユコロ特別フォーラムが開催され た。演題は﹃閑居・私の生き方 ﹂ 。

ω

歳の還暦を機に政界を引退。そ の後、テレビは見ない、新聞・週 刊誌は手にしない、といった生活 ぶり。しか し ﹁ 実 は そ う し た ﹃ 閑 居 ﹂ のイメージは大学在学中から 理想の暮らしの表現として体に染 みついていた。そうした隠棲的な 生き方に年 とともに強く引かれる ようになった﹂という 。 若いころ の漢籍の勉強の影響の ようだ 。 最 後に今の若い学生に対するメッ セ ージとして﹁真剣に生きてもらい たい﹂との言葉をいただいた 。 細川護照(ほそかわもりひろ) 昭和13年東京生まれ。栄光学園中学校から学習院高等科に入学、昭和31年卒業。卒業後上智大学法 学部に進学、閑38年卒業。朝日新聞記者を経て、昭和46年参議院議員に初当選(全国区・自由民主 党公認。)その後、昭和58年から同62年熊本県知事。平成3年には日本新党結成、党代表。翌年日本 新党公認で旧熊本1区から衆議院議員となった後、平成5年8月9日から同6年4月28日まで第79代内閣 総理大臣をつとめる。平成10年還暦を織に政界引退。現在、公益財団法人永青文庫理事長、京都造 形芸術大学・東北芸術工科大学学園長。熊本桜友会名誉会長

演題

閑居・私の生き方』

神奈川県湯河原の「不束庵」で

作陶や

などの創作活動にいそしむ

2

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1

1

回 ヨ

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1

込 エ五【 百周年記念会館小講 堂だけでなく3階の フロア全部カず懇親会 場になるほどの盛況 だった 市民ランナーの星、 川内優輝氏も鶴国・ 大路での世界陸上マ ラソン2位(国別団 体)のメダJレを手に 懇親会に参加

1

0

桜友会報 平成23年12月

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桜友会設立

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周年記念式典挙行

特集

多数の卒業生が集まった

懇親会も記憶に残したい

それぞれの思いを胸に90周年を迎えた 葛械副会長が開会宣言 黒団長策顧問カず乾杯の発声

新たな交流、つながりを求めて、

学校関係者、全国支部役員ほ

多くの人たちが目白に参集した。

大井副会長が閉会の挨拶 阿部伸一成城学園同窓会長 懇親会の司会は学習院 女子大学出身のNHK

柳亜矢子アナが

ヒ 十

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別フォーラム終了後の懇親会 配 ホ は百周年記念会館小講堂で開 催された 。 応援団の太鼓を合図に、 桜友会葛城副会長が開会宣 言 。引き 続き、来賓としてお招きした成城学 園同窓会長の阿部伸 一 氏より祝辞を いただき、桜友会黒回顧問の乾杯の ご発声で、卯周年記念の懇親会がス タートした 。 前日に全国支部長会が あり、支部会長や世話役の方々も多 数参加しており、本部・支部問、ま た支部 ・ 支部聞の交流も深められ た 。 桜友会大井副会長のお開きの挨 拶で、記念式典、特別フォーラム、 懇親会と続いた桜友会設立卯周年の 記念すべき 一 日を終えた 。

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周年へとつなぐのは

学生たちの「元気」だ。

式典から懇親会までお手伝いをいただいた応援団の諸君 。 学習院の元 気を実感させてくれた 。 山 山 年 後 の 100 周年には、卒業生となり 、 今 度は桜友会員として活属して く れるのだろう 平成23年12月

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桜友会報

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大正1

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今に受け継ぐその歴史

華族会館にて設立総会を開催

桜友会の歴史がここに始まる

学習院の創立は明治叩年︵

1877

︶ に さ かのぼるが、卒業生が出はじめ、その数が増 え る に 従 っ て 、 後 に 陸 軍 出 身 者 の 会 と な る が 、 当初は文武官有志によって作られた﹁桜会﹂ ゃ、海軍出身者によって作られた﹁水桜会﹂ など、有志によるいくつかの同窓会が作られ た 。 その後、明治犯年︵

1900

︶ に は ﹁ 同 志会﹂という卒業生組織が発展的に解消して ﹁学習院同窓会﹂が発足。この﹁学習院同窓 会﹂が母体となって、今から卯年前の大正叩 年 ︵

1921

︶ 、 今 日 の ﹁ 桜 友 会 ﹂ が 誕 生 す る。当時の経緯を記した記事が ﹃ 棲友会史 ﹄ にあるので参照してみよう 。 ︿卒業生の年々増加するにおよび卒業生の 聞に、警世の志を持つ者が相寄り、当時の親 睦団体の同窓会に飽き足らず全卒業生を結集 した大同窓会を設立しようとの機運が急速に 高 ま り 大 正

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年 ︵

1920

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月 に 岡 部 長 景 、 大河内正敏、有馬頼寧、木戸幸 一 氏 ら が 中 心 となって﹁学習院同窓会﹂の中川良長、黒田 長和氏らとも諮り、新しい同窓会設立につい て 協 議 を 重 ね る こ と 二 十数回、当時の同窓会 を 発 展 的 に 解 消 し 、 新 し い 同 窓 会 を ﹁ 桜 友 会 ﹂ と命名して設立することを決定し、会員を募 集する等諸準備を重ねて、大正

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年︵

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日﹁桜友会﹂設立準備評議員 会 を 開 催 、 次 い で 同 月 幻 日 に 理 事 会 を 聞 き 、 設立の準備を完了、同月お日華族会館にお いて設立総会を開催し、ここに﹁桜友会﹂ の 創 建 を 見 る に い た っ た の で あ る ﹀ 歴史年表を調べてみると、この年の

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月 か ら

9

月にかけて、皇太子裕仁親王殿下が ヨ ー ロ ッ パ

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カ国を歴訪されている 。 ま た 、 帰国後の日月お日には、大正天皇のご病状 悪化を受けて摂政宮となられた 。 そ し て 、 翌 々 年 の 9 月

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日には関東大震災 が 首 都 圏 を 襲 っ た 。 そ ん な 時 代 で あ っ た 。 それから卯年を経た平成お年︵

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︶の﹁桜友会﹂の会員数は約ロ万 人 。 ちなみに設立時の会員が

2000

人程度だったことを考えると、隔世の 感 が あ る 。 今、百円キャンパスを歩くと、桜友 会設立当時からあった建物が静かに私 たちに語りかけてくる 。 さまざまな苦 難を経て確かに伝えられているもの、 そ の 声 に あ ら た め て 耳 を 傾 け て み た い 。

桜友会の歴史とともに歩んだ

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学習院が目白に移転したのは明治引年のこ とだったが、目白キャンパスには当時の建物 をはじめ、桜友会設立時から泰明期にかけて の 建 造 物 が 大 切 に 残 さ れ て い る 。 ま さ に 桜 友 会の歴史とともに時を過ごした、桜友会にと っ て も 文 化 財 と い っ て い い か も し れ な い 。 平成21年3月に固の登録有形文化 財となった目白キャンパスの7つ の建物には、それぞれ由来が書か れた説明板が設置されている。散 歩がてら母校の歴史に思いをはせ るのもいいだろう 西1号館・旧中等科/昭前応 商1号館・|日理科教場/昭和2年築

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桜友会報 平成23年12月 正門/明治41年築(目白移転時) 乃木館・旧総寮部/明治41年築 厩舎/明治41年築・昭和2年移築

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桜友会設立

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周年記念式典挙行

特集

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周年を視野に入れて、

新たな歩みをはじめた桜友会。

多彩な記念行事で

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年が過ぎた。

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平成

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般社団法人学習院桜友会として

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周年記念の年に生まれ変わる

平成お年度基本方針から

多彩な活動の現状を読み取る

︿ 平 成 お 年 度 は 、 設 立 卯 周 年 に あ た る 節 目 の 年である。この機会に学習院全体の同窓会 としての﹁桜友会﹂の果たすべき役割を再 認識し、良き伝統を引き継いでいく決意を 新たにしたい 。 法人格︵ 一 般社団法人︶の 取得に伴い、活動の中心となる本部組織の 整備を進め、全国支部、職域桜友会等との 連携を 一 層密にしていく 。 会の活動が惰性 に流されることなく、常に清新の気風を保 つように努め、さらに多数の会員の積極的 な参画を得ることを目標とする ﹀ 以上は、設立から卯年を経た﹁桜友会﹂ の﹁平成お年度基本方針﹂の前文である。 この基本方針にある法人格の取得について は、前年

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月幻日の桜友会総会での承認を ふまえ、本年

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日に﹁ 一 般社団法人学 習院桜友会﹂として登記申請、同

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月初日 の桜友会総会を経て実質的にスタートした 。 ロ万人という大人数の組織となった﹁桜友 会﹂が、これまでの任意団体のままでは不 都合の生じるケ

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スが想定されるようにな ってきたというのが、法人格取得の理由で あ る 。 ただし、組織の概要は、法律の規定 により﹁評議員﹂を﹁社員﹂とするなど 一 部の変更のみで、これまで培ってきた良き 伝統は継承されている 。 ともあれ﹁桜友会﹂が法人格を持ったこ とは、﹁桜友会﹂の歴史に鮮やかに刻まれる 桜友会設立卯周年を迎えた平成お年

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月 初 日、桜友会設立総会が開催された。当日発表 さ れ た ﹁ 平 成 お 年 度 基 本 方 針 ﹂ に は 、

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会 員 向け活動の充実|設立卯周年記念式典の挙 行 / 記念事業の 一 環としての桜友会会員名簿 の 発 行 / 東日本大震災被災地への復興援助 / 全 国 支 部 と 本 部 の 緊 密 な 連 絡 、

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組織の強化 | 一 般社団法人として関係法令にもとずく組 織運営 /

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学部会、中高桜友会、草上会との 連 携 / 海外桜友会との連携、および

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学習院 への支援、があげられている。設立卯年後の 多 彩 な 活 動 が こ こ に 読 み 取 れ る 。 ことだろう。また、設立卯周年という区切 りの年も、将来、それぞれの時期に振り返 ってみれば、重い意味のある年であるのか もしれない 。 叩年後は﹁桜友会﹂設立

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周 年 で あ る 。 ﹁ 一 般 社 団 法 人 学 習 院 桜 友 会 ﹂ 発足刊周年ということにもなる 。 こうした 思いを胸に、今、伺周年を卒業生および関 係 者 全 員 で 祝 い た い 。 ピラミッド校舎が竣工したのは昭和35年8月。その「ピラ校」も時代の流れの中で、学内外の多くの人たちに惜 しまれながら姿を消し、平成22年3月、跡地に12踏建ての中央教育研究棟か冨挫した ピラミッド校舎跡地に建てられた中央教育研究棟は、目白キャンパスで最も新しい校舎だ。最上 階の12階には桜友会員がだれでも利用できるレストラン&ラウンジ「目白倶楽部jがある。学習 院、そして桜友会の歴史と宋来について思いをはせるのにこれほどぴったりの場所はないだろう 平成23年12月

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桜友会報

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圃圃圃圃E扇言置f必1?:1•圃圃圃 昭和49年(1974) 50年(1975) 53年(1978) 54年(1979) 57年(1982) 62年(1987) 平成02年(1990) 03年(1991) 05年(1993) 06年(1994) 08年(1996) 09年(1997) 10年(1998) 11年(1999) 13年(2001) 14年(2002) 16年(2004) 18年(2006) 19年(2007) 20年(2008) 21年(2009) 22年(2010) 23年(2011) ※学習院は明治10年(1877)東京にて創立されたが、前史というべき京 都学習院の時代があった。そもそもは弘化4年(1847)京都御所日御門 前に開講された「学習所Jが始まりで、その2年後の嘉永2年(1849)孝明 天皇より「学習院Jの勅額が下賜され正式名称となった。明治10年の創 立時には明治天皇よりあらためて勅額が下賜されている。

置翠圃

学 習 院 ・ 桜 友 会 の で き ご と

04.01 経済学部に経営学科設置 04.01 文学部に心理学科設置、文学部イギリス文学科を英米文学科に改称 10.18 女子部創立90周年式典挙行 09 学習院創立百周年記念会館竣工 (10月12日より桜友会事務局が移転、使用開始) 10.18 天皇皇后両陛下をはじめ皇族方をお迎えして、学習院創立100周年記念式典挙行 (実際は昭和52年が 100周年に相当) 05.14 米国前大統領ジェラルド・R・フォード氏に大学から名誉博士号を贈呈し、桜友会は特別会員に推戴 12.02 「経済学部会」 (現・経済学部同窓会)設立 03.10 バイオリストのユーディ・メニューイン氏に大学から名誉博士号を贈呈し、桜友会は特別会員に推戴 03.31

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楼友会史j刊行 04.01 文学部の国文学科を日本語日本文学科に改称 10.14 アイスランド大統領ヴィグテーィス・フィンボガドウテイル女史に大学から名誉博士号を贈呈し、 桜友会 は特別会員に推戴 11.26 英国前首相マーガレッ卜・サッチャ一女史に学習院から栄誉章を、大学から名誉博士号を贈呈し、桜友 会は特別会員に推戴し、名誉会員章を贈呈 12.03 「法学部会

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(現・法学部同窓会)設立 01.20 パキスタンのベーナス‘ィール・プット首相に学習院から栄誉章を、大学から名誉博士号を贈呈し、桜友 会は特別会員に推戴し、名誉会員章を贈呈 03.31 昭和寮閉寮 04.01 学習院女子短期大学を改組して4年制の「学習院女子大学」を開設 10.17 「中等科・高等科桜友会」設立 04.01 「学習院生涯学習センタ−

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設置 05.15 皇太子殿下をお迎えし、学習院大学関学50周年記念式典挙行 01.20 皇太子同妃両殿下をお迎えして、桜友会創立80周年記念式典挙行 09.19 タイ王国マハー・チャックリー・シリントーン王女に学習院から栄誉章を、大学から名誉博士号を贈呈 し、桜友会は特別会員に推戴 12.13 天皇皇后両陛下をはじめ皇族方をお迎えして、学習院創立125周年記念式典挙行 04.01 学習院大学に法科大学院設置 07.09 皇太子殿下をお迎えして、桜友会創立85周年記念式典挙行 04.01 文学部ドイツ文学科・フランス文学科をドイツ語圏文化学科・フランス語圏文化学科に改称 04.01 文学部英米文学科を英語英米文化学科に改称 04.01 理学部に生命科学科設置 学習院大学関学60周年 06.28 文学部の哲学科、史学科、日本語日本文学科、英語英米文化学科、ドイツ語圏文化学科、フランス語圏 文化学科、心理学科の7学科による「文学部同窓会

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設立 12 理学部南7号館竣工 03 ピラミッド校舎解体後の跡地に中央教育研究棟竣工 09.16 中央教育研究棟12階にラウンジ「目白倶楽部

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オープン 03.06 女子中等科・高等科創立125周年記念式典挙行 04.01 「一般社団法人学習院桜友会」となる (登記申請) 11.13 桜友会設立90周年記念式典挙行 平成23年12月 桜友会報

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学習院と桜友会の主なできごとをふり返る

桜友会設立

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周年略年表

圃圃圃圃圃~fti.官事圃圃圃圃

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学 習 院 ・ 桜 友 会 の で き ご と 明治10年(1877) 41年(1908) 大正10年(1921) 12年(1923) 昭和03年(1928) 10年(1935) 20年(1945) 21年(1946) 22年(1947) 23年(1948) 24年(1949) 25年(1950) 26年(1951) 27年(1952) 28年(1953) 31年(1956) 32年(1957) 34年(1959) 35年(1960) 36年(1961) 38年(1963) 39年(1964) 41年(1966) 45年(1970)

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桜 友 会 報 平 成23年12月 10.17 天皇皇后両陛下をお迎えして、神田錦町にて開業式挙行、学習院創立 08.05 中等科、高等科、北豊島郡高田村に移転 (現在の目白キャンパスの始まり) 01.25 明治33年に発足した「学習院同窓会」を発展的に解消し、「桜友会

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を設立 04.23 学習院高等科卒業生を高等学校高等科卒業生と同等とみなす旨の文部省令 06.28 中等科と東京高等師範学校付属中学校との定期戦 (付属戦)開始 09.01 関東大震災により多くの校舎が焼失 03.30 豊多摩郡落合村下落合に「昭和寮」設置 10.18 学習院開校50年記念式典挙行(実際は昭和2年が50周年に相当) 11.13 女子学習院開校50年式典を挙行 04.13 空襲により目白の木造校舎の大部分を焼失 05.25 四谷の初等科と青山の女子学習院の大半の校舎を焼失 12.08 学習院、女子学習院学制改正、華族教育機関としての性格を変更 04.08 女子学習院、牛込区戸山町の騎兵連隊跡に移転 04.30 学習院の財団法人化が表明される 05.01 中等科北多摩郡小金井町に移転 10.18 安倍能成氏が第18代学習院長に就任 03.31 学習院、女子学習院が合併し、財団法人学習院の経営する私立学校となる(4月1日私立学習院発足) 初等科が男女共学を実施、新制中等科・女子中等科開設 04.01 新制高等科、女子高等科開設 05.01 「女子教養学園」設置(旧制の高等女学校卒業生を対象とした1年課程の各種学校。昭和27年3月31日廃止) 04.01 文政学部(文学科、哲学科、政治学科、) 理学部(物理学科、化学科)の2学部5学科で、新制の「学習院 大学

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開学、安倍能成院長が初代学長に就任。中等科が小金井から戸山に移転 04.01 「学習院大学短期大学部j設置 11.11 第1回四大学運動競技大会開催 (学習院大学・成践大学・成城大学・武蔵大学) 03.14 財団法人学習院を学校法人学習院に改組 05.18 安倍能成作詞、信時潔作曲の学習院歌発表 09.17 桜友会再出発第1回例会開催 04.01 文政学部が、文学部 (文学科・哲学科)と政経学部 (政治学科・経済学科/新設)に分かれる 09 これまでの昭和寮を売却、新たに新宿区下落合に大学男子寮としての昭和寮が置かれ、入寮開始 04.01 「学習院大学短期大学部

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を「学習院女子短期大学jに改称 05.19 対甲南大学総合定期戦開始、この年「理学部同窓会

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設立 04.01 文学部の文学科を、国文学科、イギリス文学科、ドイツ文学科、フランス文学科とする 08.27 中等科が戸山から目白の新校舎に移転 11.29 学習院女子短期大学卒業者により「草上会

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設立 08.31 ピラミッド校舎竣工 04.01 文学部に史学科設置 04.01 「学習院幼稚園

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開設、理学部に数学科設置 10.18 学習院創立85周年記念式典挙行 (実際は昭和37年が85周年に相当) 04.01 政経学部が、法学部 (法学科/新設・政治学科)と経済学部 (経済学科)に分かれる 06.07 安倍能成院長逝去 03.18 桜友会会則を改正 (改組)

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2011.12.1

会員の皆様相互のコミュニケーションの場でホ

STN:FROOM

『桜友会報』編集室より

東日本大震災義援金

東日本大震災の被災地、そしてお住まいの桜友会員の皆様 方には心よりお見舞い申し上げます 。 さて、本誌﹁桜友会報﹂前号偲号および桜友会ホ

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ム ペ ー ジで桜友会員の皆様にご協力をお願いした﹁東日本大震災義 援金﹂は、平成お年 5 月末日をもって締め切りとさせていた だ き ま し た が 、 皆 様 方 の ご 厚 志 の 総 額 は 、

790

5724

円となりました 。 義援金はその際のご案内のとおり、学校法 入学習院を通じて、日本赤十字社に全額寄付させていただき ま し た 。 ご 協

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ありがとうございました 。 桜友会では、その 後も、被災の著しかった岩手、宮城、福島

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県の桜友会支部 に お 見 舞 金 を 送 ら せ て い た だ く な ど の 対 応 を し て お り ま す が 、 現地の被災状況、また、復旧状況を見れば、まだまだ気持ち が足りない、十分な手当てとなっていない、と感じる方も多 いと思います 。 今後も引き続き桜友会としてできる限りのこ とはさせていただく所存です 。 ご意見、ご提案がございまし た ら 、 事 務 局 ま で お 寄 せ く だ さ い 。 ︿ 桜 友 会 事 務 局 の ニ ュ ー ス ﹀ 一 般社団法人としてスタートした

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月より、前田福則氏 ︵ 昭 必 経 ︶ が 事 務 長 、 階 戸 悟 氏 ︵ 昭 弘 政 ︶ が 次 長 と し て 勤 務 し て お り ま す 。 目白キャンパス正門脇の百周年記念会館

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階 が 事務所です 。 お困りのこと、お調べになりたいことがありま し た ら 、 お 気 軽 に お 訪 ね く だ さ い 。 情報発信広告委員会委員 委員長/黒川光隆(日目43政) 副委員長/吉江隆信 (昭ぬ仏) 堤 暁 美 (昭36短家) 児玉茂幸 (昭39経) 杉量産子 (昭39哲) 一候賓昭 (昭39高) 鈴木昌明伺B41法) 朝来野静子 (昭42突) 東倉彰子 (昭43短国) 中村清昭 (昭43法) ま林覧子(臨6短英) 村松康行 (昭47化) 佐野義規 (昭47数) 普利秀臣 (日目48経) 甲斐せつ子 (昭49短文) 粟野彰子 (昭ω経) 上 野 彰 (昭5'.3営) 吉田千栄子伺百55法) 村上俊夫 (昭55法) 武中雅人 (昭55史) 日置岳人 (昭60営) 水 野 崇(平8営) 五十嵐匡一 (平10史) 林 東 洋 (平11哲) 中山慎太郎 (平14仏)

学習院桜友会「社員」「理事」候補者推薦のお願い

候 補 者 鵬 委 員 会 委 員 長 福 田 貞 男 ( 昭40経) 本会は、現在約ロ万人の会只が活動する団体となりまし た 。 こ の 活 動 の 中 核 を 担 っ て い た だ く の が ﹁ 社 員 ﹂ ﹁ 理 事 ﹂ 及び﹁監事﹂であります 。 ﹁ 社 員 ﹂ ﹁ 理 事 ﹂ 及 び ﹁ 蛇 事 ﹂ は 定 款 の 定 め る と こ ろ に よ り、学習院桜友会の正会員の中から選任されています 。 私ども社員・役員候補者推薦委員会は正会貝の皆様から ご推薦をいただいた﹁社員﹂﹁理事﹂及び﹁監事﹂候補者 を社員、理事及び監事定数の中で選考の上、第 二 次 推 薦 の 形で学習院桜友会の議決機関である﹁会員総会﹂には社員 候補者を、また﹁社員総会﹂には理事及び監事候補者を上 程する役目を担っております 。 この度、会長から平成担年度定時会員総会において社員 を、また社員総会において理事を補充したいとの事が本委 員会に対してございました 。 本委

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会といたしましては、社員・役員候補者推薦委員 会規則に従い手続きを開始いたします 。 つきましては、以下の通り、正会員の皆様に社員及び理 事候補者の推薦をお願い申し上げます 。 ー・推薦対象 社 貝 ︵ 正 会 員 の 中 か ら ご 推 薦 下 さ い ︶ 理 事 ︵ 正 会 員 の 中 か ら ご 推 薦 下 さ い ︶ 2 ・ 任 期

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年︵平成お年度定時会員総会または同定時社員総会 ま で ︶ 3 ・推薦される方へのお願い 推薦しようとされる方が、学習院桜友会の活動に積 極 的 に 参 / 加 さ れ る ご 意 思 を お 持 ち の 方 で あ る こ と を 確 認していただきたくお願いいたします 。

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・締切日平成

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月 担 日 ︵ 火 ︶

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・ 注 意 事 項 巾 誕推薦者を複数名で推薦されることはご遠慮下さい 。 ② 審議の結果、社員または理事への推薦を見送らせてい ただく場合がございます 。

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・用紙指定の用紙をご利用下さい 。

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−送付先・お問合せ先学習院桜友会事務局 干

171

8588

東京都豊島区目白

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学 習 院 内 電 話

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3288FAXm

3988

3853

平成23年12月 桜友会報

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活動ア・ラ・カルト

周年式典を催す運動部から

汗を流す

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畢習院大畢臆援園

創圃

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周年記念行事開催

平成お年叩月

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日に挙習院大 事膳援囲創園印周年記念行事が 学習院創立百周年記念会館にて 開催されました 。 2 部構成での開催となり、第 1 部は、リーダー部・チアリー ダー部・吹奏楽部からなる応援 園 三 部でのリーダー公開︵ステ ージ︶です。被災者への支援を 目的に﹁東日本チャリティ

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﹂ というタイトルを付けて実施し た と こ ろ 、

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名を超す庁々 のご来場と多くの募金を賜り、 盛況のうちに終了いたしまし た 。 この募金は、全て﹁朝日新 聞厚生文化事業団﹂を通して被 災者支援のために寄付させてい ただきました 。 第 2 部は記 A 堂 入 典 で す 。 院長 先生をはじめ、多くのご来賓に お越しいただきました 。 胸にし みるご祝辞・ご挨拶だけでな く、和やかな雰囲気での歓談も あり、最後は参 J加者全員での院 歌斉唱で幕を閉じました 。

拳習院大祭膳援聞は昭和幻 年、学生相互の和を図り、学習 院のリーダーたるべく志を同じ

くする者が集まり結成されまし た 。 同年春の東都大学野球リー グ 戦 二 部 で 優 勝 し 、 一 部最下位 である国学院大学と戦うことに なったため、急速編成されたの が創聞のきっかけです 。 昭和お年日月には、京都大学 野球 一 部リ

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グ の 優 勝 を 導 き 、 栄冠を手にしました。その後、 運動部応援が地味になりがちに なると、校内朝清掃を始めるな ど活動の幅を段々と広げていき ま し た 。 昭和田年にはチアリーダ ー 部、平成元年には吹奏楽部が創 設され、現在の 三 部体制にいた りました 。 本年は約卯名で活動 しており、新しいことにも挑戦 し続けております 。 近年では、運動部の応援やオ ー ル学科院の集い、大学祭での リーダー公開などの堂内行事に とどまらず、献血活動の呼びか け、社会福祉法人友愛ト字会主 催の合同運動会への参加など、 福祉活動にも力を入れておりま す 。 また、学校直属の独立同体 となり、院長表彰も受賞いたし 幸 子 し h

今 年 で

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周年という節目を迎 えた撃習院大型磨援園は、これ からも母校の発展のため、より 多くの人々に勇気と感動を届け るため、努均精進して参ります 。

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平成辺年日月初日に輔仁会合 気道部の創部印周年記念式典が 開催されました 。 式典は大学内 道場における

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稽 古 で 幕 を 開 け 、 総 勢 回 数 名 の 参 / 加 者 が世代の枠を越え、同じ合気道 を目指した青春時代を思い起こ し、和気あいあいとした雰囲気 の 中 の 稽 古 で 汗 を 流 し ま し た 。 続 い て 、 第

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で も あ る 、 遠勝征阿郎師範︵八段位︶によ る説明演武が行われ、福井憲彦 学習院大学長をはじめとする多 くの来賓に対し、合気道の魅力 と数々の技の紹介が行われまし た 。 その後、祝賀会は会場を百周 年記 A 芯 会 館 に 移 し 、

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名 の 参 / 加 者 で 華 や か に 開 催 さ れ ま し た 。 開会に先立ち、物故者に対 し、黙祷が捧げられ、クラブの

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の組織である合桜会 の加藤悦夫会長による主催者挨 拶で始められました 。 波多野学 習院長からは、文武両道の精神 の伝統のある学習院で、これか らも次の

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年に向けて切嵯 琢磨してほしいとの祝鮮をいた だきました 。 福 井 学 長 か ら は 、 物質優位の風潮の中で合気道の 理念に共感されたこと、肉体と 精神の向上、鍛錬に日々精進し てほしいとの 言 葉がありまし た 。 乾杯に続き、財同法人合気会 の植芝守央道主から、﹁印年と いろ素晴らしい伝統ができまし たのは、合気道に対する大学の 理解、指導者、諸先輩方のご尽 力、精進の賜物であり、現役部 員は、日々の稽古を充実させ、 この伝統を次の代に繋いでいた だきたいと思います﹂との祝 電が紹介されました 。 歓談の聞には歴代の部員の映 像が上映され、初代師範であっ た、多田宏師範からのスピーチ も行われました 。 創部当時の若 手師範として熱 血 稽肯を行って おり、幾多の逸話が語り継がれ ているとのことで し た 。 また、長年にわたり、学生の 指導をされていた顧問の泉田芳 重先生に対する感謝状の贈呈が 行 わ れ ま し た 。 後半は先代部長の川口洋先 生、現在の部長である狩野智洋 先生、遠藤征四郎師範、第却代 片山雄介主将による挨拶と、学 習院大学院歌斉唱とエ

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ル に て、盛大なうちに幕を閉じまし た 。

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周年記念桜氷会

平成お年

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月日日、品川プリ ンスホテルにて、学習院大学ア イススケート部フィギュア部門 の 創 立

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周年を祝う﹁学宵院大 学フィギュアスケート部創立

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周年記念

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メモリアル絞受話

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﹂が催され、現役部員ロ名、

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臼名、総勢万名が集 まり創部

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年を盛大に祝いまし た 。会 では、現役部員の普段の 部活動の様子の映像や大会の映 像、また

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の現役時代 の大会の映像もスクリーンで上 映され、会場は大いに盛り上が りました 。 また、平成日年度卒 業 の

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に よ る

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へ の 質問コーナーでは、﹁現役時代 一 番大変だったことは?﹂や ﹁現役時代、フィギュアスケー ト を し て い て 異 性 に モ テ た か?﹂などの質問も飛び出し会 場は笑いに包まれました 。 終始 和やかな雰囲気のなか現役部員 と

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と が 交 流 を 深 め 、 また久々の再会に思い出話の花 が咲くなど充実した

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時間でし た 。

剣桜会・柔桜会

記念サイン板お披露目会

平成お年

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月日日、南

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号館 前に﹁旧柔剣道場跡記念サイ ン 板 ﹂ の 設 置 が 無 事 ム 元 了 い た し ました 。 そのお披露目会・除幕 式が大井昭彦剣桜会会長、木下 和之柔桜会会長も出席のもと、

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月 幻

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に剣桜会、柔桜会合同 で開催されました 。 式典終了後は、記念食事会と なり、両

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会合同の賑やかな 食 事 ム 耳 と な り ま し た 。

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桜友会報 平成23年12月

(18)

桜友会通信

OB

OG

平成お年同月

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日、大学体育 館にて、清水杯︵OB − O G 戦 ︶ を 開 催 い た し ま し た 。 毎年、この時期に当部の発展 に多大な貢献をいただいている 清水名誉会長︵今年剖歳で現役 フエンサ!︶のお名前を冠にし た団体戦をしております 。 当 日 は、現役及びOB・OG合わせ て、約河名が参加し、現役 ・ O

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− O G 混 成 チ

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ム の 団 体 戦 を 実施しました。試合を白熱した ものにするために、女性、初心 者 の

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年生、組歳以上にポイン ト で ハ ン デ を 与 え て 、 今 年 フ ェ ン シ ン グ を 始 め た

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年 生 か ら ベ テラン選手がひとつのチ

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ム と なり、先輩と後輩の鮮を深める ことができました 。 また、叩月お日には、全日本 学生選手権大会︵インカレ︶に 出場するため、上京した関西の 古豪、関西学院大学を迎え、大 学体育館にて交流戦を始めて実 施しました 。 結 果 は 、 2 勝

3

敗 の成績で、僅差で関学に敗れま したが、試合後、合同練習をし て、交流を図ることができまし た 。 今年度、フェンシング部は、 現役部員が訂名と他大学が羨む ほどの大所帯となり、関東学生 リ

1

グでは、男子 ・ 女子

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種 目 す べ て 、

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部 リ

l

グ に 定 着 し て おり ま す。インカレにも、個 人・団体で予選を勝ち抜き、出 場しております 。 木 曜 会 は 、 3 月 の 4 年生の追 い 出 し コ ン パ 、

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月 、 前 期 納 会 、 ロ月、後期納会と年間を通し、 現役とのコミュニケ ー シ ョ ン を 密にし、タイムリ ー な支援 と 援 助ができるようOB − O G が 一 体となり、幹事会を定期的に開 催しております 。 学習院大学フェンシング部 監 督 宇 野 哲 司

車桜

会・回

大学車球部

OB

OG

報告

平成お年目月

1

日、第

m

回 記 念四大学卓球部OB − O G 戦 が 成際大学卓球場で開催されまし た 。 学習院からのお名も含め四大 学から町名の選手が出場。加代 から最年長加歳のOBも参加。 1 年ぶりの再会を喜び合いまし た 。 試 合 は 4 ダ ブ ル ス / チ

l

ム で 全 て 混 合 の

8

1

ムでの団体 戦 。 大 接戦の連続で 3 位決定戦 ではセット数勝ち負け同数で順 位がつかず全員でジャンケン勝 負の大盛上りとなりま し た 。 当日はゲストに元世界チャン ピオン伊藤繁雄さんが招待さ れ 、 ワ ン ポ イ ン ト レ ッ ス ン あ り 、 サイン会ありの素晴らしい大会 となりました 。 試合後の懇親会 は学生食堂で行われ現役学生も 含 め

100

名が参加。四大学校 歌 院 歌 斉 唱 や エ

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ルの交換があ り、あらためて四大学の鮮と友 情を深めた集いとなりました 。 岡 本 誠

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③ 巳 片 山 ﹃ ・

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水窪華成幻年度

水桜会恒例五部対抗戦を9月 4 日 、 大 学 プ

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ルにて開催しま したので詳細を報告します 。 当 日は晴天に恵まれ、OB ・ O

G

・ 大 学 水 球 ・ 大 学 競 泳 ・ 男 子 高等科水泳部・女子高等科水泳 部︵計

5

部︶卯名が参加し、賑 や か に リ レ

1

競技および水球競 技を行いました 。 そ の 後 、 創 立 百 周 年 記 ︿ 愛 古 館 に移動しご来賓叩名様にもご参 加いただき懇親会を開催

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− OGと現役との懇親を深め ま AF1 レ h

川 日 時 ・ 会 場 平成お年9月

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日 第一部五部対抗戦

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時却分 / 大 学 プ

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ル 第 二 部懇親会 H 日 時 却 分 / 学習 院創立百周年記 A 去 百 館

ω

来場・出席 数 計

100

名 来 賓 叩 名 水泳部顧問長谷部由起子先生 ︵ 大 学 ︶ 、 松 下 昭 先 生 ︵ 高 等 科 ︶ 、 森本貴志先生︵高等科︶、山本 智志先生︵女子高等科︶、石橋 美樹先生︵初等科︶、堀ノ内祥 平先生︵初等科︶、本間︵旧姓 元好︶美和子先生︵元水泳部シ ンクロコ

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チ︶、杉山哲也様 ︵ 水 球 特 別 コ

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チ ︶ 、 宇 田 川 博 生 様︵備品類アドパイサ

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︶ 、 岩 瀬正史様︵塩素消毒指導︶、O

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− O G m 名 、 大 学 現 役 回 名 、 男子部女子部却名

ω

イ ベ ン ト 内 容 第 一 部五部対抗戦

ご葬儀

の全てを

会員

特別価格で

承っております

'

団 体 葬

家 族 葬

楽 葬

お 別 れ 会

偲 ぶ 会

葬祭

ひとすじ

45

24時間

3

65

年中

す~

東京都民互助会

経済産業大臣許可(互)第3066号 〒167-0042東京都杉並区西荻北51 8

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544

談 役

干 家 光 雄

(昭和29年政治経済学部政治学科卒) 平成23年12月

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桜友会報

参照

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