学術研究情報基盤整備の現状と課題
-電子ジャーナル、データベース導入にかかる
公私立大学図書館コンソーシアム(PULC)の形成とその展開-
中元 誠
*1.はじめに
永遠に拡大を続ける学術情報をいかにして適切に必要とする利用者にた いして提供するかは大学図書館がつねに直面し続ける課題である。とりわ け、刻々と生産される学術情報を迅速かつ一定の質を確保しながら提供す る媒体である学術雑誌の価格の動向と、大学図書館が必要とするこれら学 術雑誌を講読するための予算の関係は、1990 年代にはいると大学図書館の 存立を脅かしかねない課題として大きくクローズアップされることとなっ た。後年、「シリアルズ・クライシス」とよばれるこの問題は、我が国にお いては外国雑誌価格の高騰というかたちで機関購読のほとんどを占める大 学図書館を悩ませ続ける。統計によると1990 年から 2000 年にかけて科学 技術分野の学術雑誌の平均価格上昇率は178%、また、医学分野において は184%という数値が示されている。先進国における同時期の平均小売物 価の上昇率がおおむね30%前後であったことを考えると、いかに学術雑誌 の価格が高騰したかは明らかであろう。近年、こうした傾向は若干の落ち 着きを示しているようにみえるが、1999 年から 2003 年にかけて Science Citation Index に採録された学術雑誌価格の平均上昇率は依然として 40%と いう高い数値を示している。 こうした学術雑誌の価格高騰の背景には、とりわけ先進国における科学 *なかもと・まこと/早稲田大学図書館事務副部長技術振興政策とあいまって急激に量的な拡大をつづける学術情報の存在が 指摘されるが、これに加えて1990 年代に入るとインターネットの登場に代 表されるネットワーク環境の整備に対応した学術情報のデジタル化、つま り学術雑誌の電子化に向けた出版社による先行的な投資が価格に転嫁され てきたとされる。本来ならば、電子化により出版コストは低減していくこ とは明らかであるが、学術情報の量的な拡大とコスト低減にむけた基盤的 整備に一時的な価格の高騰は避けられないというのが出版社の主張であっ た。この主張を後押しするかのように、1990 年代後半から大手の商業学術 出版社の吸収合併があいつぎ、売上ベースによる市場占有度は、上位の大 手5 社でほぼ 60%、上位 12 社をとると 99%におよび、学術雑誌にかかる 国際市場は、寡占状態に達したと言って過言ではない。 大手の商業学術出版社による学術雑誌の電子化は、伝統的な学術情報の 流通形態を革命的に一変させる。ネットワーク環境下における情報利用に ともなう一般的な利便性の拡大にとどまらず、出版社の定めた一定の基準 にもとづく支払いさえおこなえば、その出版社が刊行するすべての電子 ジャーナルに対するアクセスを保障するとしたビッグディールと呼ばれる 取引モデルが、市場を席巻した。この取引モデルによって主要な大学図書 館は、「シリアルズ・クライシス」により失いかけていた研究情報基盤の地 位をふたたび取り戻したかに見えた。実際、研究者の視点にたてば、図書 館が購読する冊子体を基本とした学術コミュニケーションの時代から、一 気に、必要とされる全ての電子化された学術情報へのアクセスが可能とな り、また、このことによって研究成果の発信チャンネルも飛躍的に拡大す ることとなったのである。しかしながら、価格モデルに目をむけると、さ きに言及した出版社が定めた一定の基準にもとづく支払いとは、現状では 冊子体購読を基礎とした現行支払い(カレントスペンド)規模の維持にほ かならず、ここには依然として価格上昇が継続しているという実態が存在 する。いずれにしても、大学が使命とする研究教育活動をすすめていくう えで、ネットワーク環境下における学術コミュニケーションを事実上の前 提とせざるをえなくなった以上、これを支えるアクセス環境や情報基盤の 維持は大学にとってライフラインの維持と同義と言えるだろう。 さきごろ経済協力開発機構(OECD)から発表されたデジタル環境下に
おける科学研究出版の動向に関する報告では、2003 年において学術雑誌の 75%がオンラインで入手可能となっているとのことである。一方で、デジ タル環境下における学術雑誌の最適価格モデルについてはいまだに不透明 な状況が続いているが、いずれにしても現在の価格上昇が一定のペースで 継続していくと仮定すると、いずれこの市場が破綻することは想像にかた くない。 こうした状況にさらに拍車をかけたのが、1990 年代以降の我が国の高等 教育機関における政策的な競争環境の導入である。競争環境に対応をせま られた大学においては、ほぼ例外なく新規部門の拡大と経常的予算の圧縮 をはかりはじめ、大学図書館における図書購入予算も圧縮の対象となった 大学は少なくない。 大学図書館としては、当面、コンソーシアムの形成などにより横の連携 をはかりながら出版社との交渉においてこの価格上昇に一定の歯止めをか けながら、他方で、維持可能な最適価格モデルをこの市場(実は、学術コミュ ニケーションシステムそのものなのであるが)で探っていくという戦略を とらざるをえなくなっている。
2.「公私立大学図書館コンソーシアム」の形成と展開:
「私立大学」
から「公私立大学」へ
1999 年後半に端を発した Elsevier 社による円価格問題、並行輸入問題は、 この間、大学図書館を悩ませ続けていた、いわゆる「シリアルズ・クライ シス」を象徴する事件となった。この問題にたいして、私立大学図書館協 会は、2000 年度より Elsevier 社問題特別委員会を設置し、不当な価格設定 にもとづく過払金の返還請求というかたちで同社と直接交渉をすすめる。 2000 年 12 月には日本医学図書館協会、日本薬学図書館協議会とともに Elsevier 社による一連の不当な販売行為について独占禁止法違反の疑いを公 正取引委員会に対して申し立てることとなった。 一方、国立大学図書館協議会(2004 年度より国立大学図書館協会)は、 この問題にたいして当初、図書館長連名による抗議声明を明らかにするな どの対応をとっていたが、2000 年度より協議会内に電子ジャーナルタスク フォースを設置し、協議会を代表してElsevier 社を含めた学術出版社との統一交渉をすすめる。この交渉により国立大学図書館は2000 年度より 3 ヵ年 のコンソーシアム契約をElsevier 社ととりかわす。また、すでに 1999 年度 より国立大学図書館はAcademic Press 社との直接交渉によりコンソーシア ム契約をとりかわしており、この後、国立大学図書館は一気に図書館コン ソーシアムによる電子ジャーナル導入のための組織的基盤を整備していく こととなった。 私立大学図書館協会のElsevier 社問題特別委員会は、2002 年よりリリー スされたScienceDirect の価格体系等について、いくらかの譲歩を引き出し たが、この委員会はあくまでも過払金の返還と不当な価格設定、価格体系 の是正を求めることが目的とされたため、公正取引委員会の独占禁止法違 反にあたらないとした裁定(2002 年 7 月)が示された段階で、委員会を解 散することとなった。 いわゆる大学図書館における「シリアルズ・クライシス」のひとつの帰 結として登場した電子ジャーナルに対する日本の大学図書館の対応は、こ こにおいて国立大学図書館と私立大学図書館とで際立った対照を示すこと となった。財政的基盤を政府におく国立大学図書館が一気にスケールメリッ トを発揮しうる図書館コンソーシアム形成に向かったのとは対照的に公立 および私立大学図書館はひきつづき非常に困難な図書館運営を強いられる。 私立大学図書館の横の連携で、まず想起されるのは私立大学図書館協会 であるが、同じ4 年制私立大学といえども学部学科構成、教職員学生数な どをはじめとして加盟校の規模や特質は多岐にわたり、電子ジャーナルへ の対応についても加盟校の事情によってそれらの必要性、理解度に相当な 温度差が存在する。また、協会運営にあたる役員校も加盟校の持ち回りに よる2 年任期とされ、電子ジャーナル導入をはじめとした変化の激しい大 学図書館の経営環境に対して協会として機敏な対応をとることが困難で あった。さらに、すでに地域ないし医学、薬学といった単位でのコンソー シアム交渉がすすめられている事例があり、協会を枠組みとしたコンソー シアム交渉の開始を仮定すると、先行するコンソーシアム交渉との調整に 多大な困難が想定された。
この間、2002 年 1 月より、ISI 社 Web of Science 導入、利用にかかわり、 国立大学図書館協議会からの非公式の打診をうけ、すでにISI 社同製品を
導入している五私立大学(慶應義塾大学、東京慈恵会医科大学、関西大学、 九州産業大学、早稲田大学)により新たな枠組みによるコンソーシアム契 約のための協議が開始された。ISI 社との交渉の結果、同年 10 月に、15 の 私立大学とISI 社との間でコンソーシアム契約(2002 年~ 2004 年)が成立 した。これを契機として、2003 年 7 月、私立大学図書館 Web of Science コ ンソーシアム発足にかかわった5 つの私立大学図書館を基本として、関東 地区では慶應義塾大学、東京慈恵会医科大学、早稲田大学、関西地区では 関西大学、関西学院大学、同志社大学、立命館大学、九州産業大学が中心 となり、全国の私立大学図書館に対して私立大学図書館コンソーシアムの 設立とそこへの参加を呼びかけることとなった。呼びかけでは、コンソー シアム形成の目的として「私立大学図書館における電子ジャーナル、デー タベースの導入、利用にかかわり、導入、維持にかかる価格、提供、利用 などの諸条件について、関連する学術出版社、販売代理店等と加盟私立大 学を代表して統一的な交渉をおこなうこと」がうたわれ、70 余りの私立大 学図書館の参加をえて2004 年度契約交渉がすすめられた。交渉は、当初よ り基本的に各版元との直接交渉を原則として、呼びかけ大学図書館を中心 にPULC 幹事会を組織し実務的な交渉の受け皿とし、2004 年度については、 Oxford University Press 社、Blackwell 社、Wiley 社について最終提案がまとめ られた。また、2005 年度契約交渉については、関東地区から慶應義塾大学、 法政大学、明治大学、東京慈恵会医科大学、早稲田大学、関西地区から関 西大学、関西学院大学、同志社大学、立命館大学からなる幹事会を組織し、 必要に応じた役割分担をしながら交渉をすすめることとなり、2005 年度に ついては、Elsevier 社、Springer 社、Blackwell 社、Wiley 社、Oxford University Press 社、Thomson Scientific 社に加えて、SPARC Journal である UniBio Press、 BioOne などについても最終提案がまとめられた。とりわけ Elsevier 社との 2005 年度契約交渉においては、交渉の受け皿をもたない公立大学図書館の 参入を認めることで合意し、結果として公立大学3 校が加わることとなっ た。2006 年度契約交渉については、交渉を終了した出版社は 18 社となった。 また、2006 年度より交渉のまとまったすべての出版社との合意について公 立大学図書館の参入を認めることとした。公立大学図書館からの参加の拡 大をふまえ、2007 年度から本コンソーシアムの名称を「私立大学図書館コ
ンソーシアム(PULC))」から「公私立大学図書館コンソーシアム(PULC)」 とあらため、幹事会に公立大学より新たに横浜市立大学と大阪市立大学を 加え、あわせて出版社との実務的な交渉の底上げをはかることを目的とし て、私立大学より新たに中央大学と東海大学を加えた。2007 年度契約交渉 においては、2007 年 1 月現在、交渉をとりまとめた出版社は 19 社となり、 現在も交渉を継続している出版社は2 社となっている。この間の出版社と の交渉のひろがりとコンソーシアムに公立大学の参加を認めたことにより、 参加大学数は飛躍的な拡大をとげ、2007 年 1 月現在、230 大学(うち公立 大学は25 大学)となり、大学図書館コンソーシアムとしては国際的にも世 界最大規模のコンソーシアムに成長した。 今後、大学図書館における電子ジャーナルの提供は、加速度的に拡大し ていくことが予想される。このことは、学術コミュニケーションにおける 学術雑誌のあり方にもおおきな影響をおよぼしながら、学術雑誌の価格高 騰、図書館における所蔵タイトルの減少などの問題とあわせて、ひろく大 学図書館における学術研究情報基盤整備の課題となりつつある。国立大学 図書館においては、一大学図書館としての対応に限界があることを共通の 認識として実質的な国立大学図書館コンソーシアムの形成にむかった。上 で述べた国立大学図書館協議会からの打診の背景には、枠組みを拡大する ことにより交渉を優位にすすめると同時に、交渉相手である学術出版社に たいして日本の大学市場を現実的、具体的に認識させることにより日本の 市場が欧米に劣らず巨大な市場であることを再認識させることなどの狙い があると推察される。こうした危機意識と現実的な対応については、大学 の設置形態をこえて幅広く共有されるべきである。私立大学図書館におい ても、個別の大学図書館における対応はすでに限界をこえており、大学図 書館間の連携をさらにすすめる必要がある。
3.回顧と展望
これまで、私立大学図書館におけるコンソーシアムの形成とこれにかか る背景的状況について事実関係を中心に概観してきたが、以下にこれらに 関する私見を述べる。2003 年 7 月の私立大学図書館コンソーシアム形成の呼びかけの直接的な 契機となったのは、2001 年から開始された国立情報学研究所による Oxford University Press 社電子ジャーナルパッケージの無償提供実験が 2003 年末で 打ち切られることが通告されたためであった。当時、すでにこの実験に参 加をしていた私立大学は250 校余り存在しており、国立情報学研究所から いわば、梯子をはずされることになった場合の影響を最小限に回避するた めにはコンソーシアム形成による私立大学図書館の連携の枠組みを早急に 模索する必要があった。 2004 年度の私立大学図書館コンソーシアムの緊急かつ最優先の課題は Oxford University Press 社との交渉を早急にとりまとめることであった。しか し、とりまとめられた交渉の結果に参加の意思を表明した私立大学はわず か10 校であった。いうまでもなく無償から有償となることが最も直接的な 要因と考えられるが、背景には日本の大学における教育研究体制の実態と 構造が推察される。以下に、2005 年度における(1)4 年制大学に在籍する 学生、教員数の分布と、(2)大学等の研究機関に対する科学研究費補助金 の配分実績を示す。 (1)学部学生数、大学院学生数、教員数の分布 国立大学87 校 公立大学86 校 私立大学553 校 合計 学部学生数 (平均数) (5,285)459,804 (1,247)107,254 1,941,030(3,510) 2,508,088(3,454) 大学院学生数 (修士課程) (平均数) 93,742 (1,077) (9,300108) (61,508111) 164,550(226) 大学院学生数 (博士課程) (平均数) 52,478 (603) (50)4,373 18,056(32) (103)74,907 大学院学生数 (専門職課程) 4,560 255 10,208 15,023 教員数 (平均数) (60,937700) (11,426132) (89,327161) 161,690(222) 平成17 年度学校基本調査報告書(高等教育機関編)文部科学省
(2)科学研究費補助金の配分実績 電子ジャーナルによる学術研究情報の提供は、研究情報基盤整備の最優 先課題となりつつあると思われるが、周知のとおり、4 年制大学に在籍す る学部学生の75%以上を受け入れる私立大学において新たな研究情報基盤 整備に限られた財源をふりあてることは大変な困難を伴うことは想像にか たくない。さらに、表に示したように大学における組織的な研究活動を支 える人的基盤、すなわち一義的な研究者と位置づけられる教員数とその予 備軍である大学院学生数を設置形態別に比較すると、誤解を恐れずに言え ば、明らかにそこには「格差」が存在する。このことを高等教育政策の歴 史的文脈におきかえるならば、研究大学としての政策的整備が国立大学を 主軸にすすめられたこと、一方、私立大学は、国立大学との対比において 戦後のベビーブームによる大量の学部学生の受け皿として主に高等教育を うけもつ機関として整備されてきたことが推察される。このことは、上に 示した科学研究費補助金の配分実績からもうかがえる。これまで述べてき た電子ジャーナルの導入、利用環境の整備が研究支援情報環境の整備の根 幹であると仮定するならば、私立大学においては、国立大学とその人的財 政的基盤の違いにおいて優先度が異なったものとならざるをえない実態を うかがうことができる。 おそらく、公私立大学図書館コンソーシアムは、国立大学図書館の場合 とは異なり、いますぐにすべての公私立大学図書館を糾合する存在とはな らないであろう。さらに、一方では私立大学に限らず日本のすべての大学 におけるあらゆる活動の場面での競争環境の一層の深化が想起される。電 国立大学87 校 公立大学 86 校 私立大学 553 校 その他 合計 大学教員数 (37.7%)60,937 (7.1%)11,426 (55.2%)89,350 (100.0%)161,713 配分額 (直接経費)(a)105,280,453,324(70.2%) 7,257,773,681 (4.8%) 20,180,695,785(13.5%) 17,188,500,000(11.5%)149,907,422,790 (100.0%) 配分額 (間接経費)(b) 9,784,860,000(78.0%) 259,950,000(2.1%) 1,004,940,000(8.0%) 1,497,060,000(11.9%) 12,546,810,000(100.0%) 配分額 (合計)(a+b)115,065,313,324(70.8%) 7,517,723,681(4.6%) 21,185,635,785(13.1%) 18,685,560,000(11.5%)162,454,232,790 (100.0%) (金額単位:円) 平成17 年度科学研究費補助金配分状況(研究機関別)文部科学省
子ジャーナルの導入、利用環境の整備が、すでに述べたように研究支援情 報環境整備の根幹にかかわるとするならば、そこでの優劣は研究大学間の 競争に大きな影響をおよぼすこととなる。また、他方では研究大学とはまっ たく違った方向への大学の差別化(たとえば大学院をもたないリベラルアー トカレッジへの特化)の進展も容易に想起される。 大学図書館は歴史的に図書館間相互貸借や分担収集など互恵ないし連携 と協調を前提とした相互協力の制度的枠組みを発展させてきた。しかし、 このことは、うらがえせば、大学間の競争を無条件に喚起することを暗黙 のうちに避けてきたと言って過言ではない。最近の大学図書館コンソーシ アムの活動は、こうした図書館間の相互協力とは、まったく質を異にする ものと考えるべきであろう。すでに述べたように日本における大学図書館 コンソーシアムは、大学間の競争と連携・協調の分岐点ともいうべき危う いバランスを常に内包していくように思われる。 (注)本稿は、中元 誠 “電子ジャーナル・データベース導入にかかる私 立大学図書館コンソーシアム(PULC)の形成とその活動について”『早稲 田大学図書館報ふみくら』(No.73)(2005.12.15)に加筆、修正したものであ る。