スミスにおける経済学体系と国家範疇-香川大学学術情報リポジトリ

27 

Loading.... (view fulltext now)

Loading....

Loading....

Loading....

Loading....

全文

(1)

スミスにおける経済学体系と

1) 国家範崎

山 崎

怜 Ⅰ・・表象としての「文明社会」と国家。ⅠⅠい『諸国民の嵐』と国家の問題。 ⅠⅠⅠ.むすぴに.かえて。 Ⅰ 経済学体系の構想は,その体系の著者における当該経済社会についての具体 的な表象にはじまり,さまざまの反省規定と抽象度のことなる諸範疇の構成と に.よる,抽象的であるとともに具体的な叙述において完成する。著者のなかに は出発点における表象について,みずからの小さな論文や草稿やノ−・トや手・紙 類のなかでこれを赤裸々に.表明するものもあれほ,この表象についてほほとん ど無言のまま,完成した体系だけを公表するものもある。われわれがもしも後 者の類型に属する著者を研究するばあい,著者の出発点における表象ほ,完成 した体系の後半部分から想定するのほかほない。それほ後半部分紅おける総体 的な叙述のコンテクストのなか紅著者の表象が包摂されているからである。た とえ.ばケネ−やミルやマルクスなどが前者の類型に属するとすれば,わがスミ スほ後者に属する思想家であった。スミスのばあい紅も,『エディン㌧バラ評論』編 集者への手紙や『社会感情論』,『諸国民の富』の草稿,それに『グラーー・スゴク講義』 なとが以下に.のべるように屈要な表象を提示してくれてはいるのだが,その壷 1)小論の大部分は経済理論学会第15回大会(於東北大学経済学部,1967年10月28日)紅 おける筆名の報告原稿「経済学における国家の問題−アダム・スミスのばあい軸」 の第1部「『国富論』体系の論理構造十一国家論の論理的必然性−」である。当日,つ たない報嘗にたいして貿疑によりわたしを啓発された各仙にこ.ころからお礼申しあげた いとおもう。なお,篤2部「『国富論』体系の歴史的背計一国家論の思想史的必然性 岬」も近く改題のうえ,発表する予定である。

(2)

スミスにおける経済学体系と国家範疇 −β7 − 要性を触発し意義づけるのほ.『諸国民の富』の後半体系なのである。後半体系と いうのほ広義でほ第3編以降を,狭義では第4編以降をIより狭義には欝5編 のみをさすのであるが−一一その意味についてほ.後述Ⅶ,この後半体系のなか においてこそ,人間と社会と政府,すなわち社会的主体としての人間とその歴 史が登場しうるのである。価値範疇と蓄積範疇とを商品生産の物質的法則とし て把握する第1編と第2編でほ固有の意味での人間ほ前提とほされても,その ものとしては登場しえないが,後半体系ではこの物質的法則の担い手たる歴史 的主体としての,また社会的主体としての人間がおどりでなくてほならないか らである。2)それほあたかも,かの価値形態論と交換過程論のかんけいに似て いる。 そこでわれわれは『諸国民の富』後半体系とスミスの初期の諸論稿とを内面的 な連繋3)のもとで理解しなくてほならないし,かかる理解こそがスミスの経済 学体系に.ついて.の均整のとれた説明を可能にするのである。 2)もらろん,これほ広義における経済学体系の内部での「人間」であり,未完のまま 灰となった「法と統治の歴史と理論」,それをふくむ「文明史」に.登場したはずの「人間」 と比較すれば,これはおそらく依然として抽象的な「人間」であるにちがいない。しか し,もしもこの未完であり未知でもある「人間」を推定せざるをえないばあい紅は,そ れに・もっとも近い『諸国民の富』後半体系の「人間」と初期の具体的な表象とから逆算す るほかほないのである。 3)この点で社会政策学の体系を追跡された大河内一男教授はみずからのスミス研究に かんする述懐のなかで,『社会感情論』に『諸国民の富』以上の「カを入れで読んでいた」 こと,後者のなかで「いちはんおもしろいと思ったのは第5篇の「励政論」・。あの なかの,とくに「経費論」。これがスミスの2つの著作をつなぐ決め手の筋という感じ が,僕にほした」といわれ,「経費論」は『社会感情論』の「各論として書かれたかと思わ れるくらいのなまなましぎです」と評価し,対談者の内田義彦教授が「策5篇は,ある 意味では脱線が多いところですね」といわれれば,これにたいして「脱線が多いのは, スミスがこれを書くときにほ自信満々だったということですね。第4篇写もそうですが。 ところが,策1篇などは有名だが,それよりもかなり早い時期に書かれていて,それだ け紅『■道徳情操論』〔『社会感情論』〕との内的なつながりが,きちっとついていると言えな い箇所が多い。それから見ると,第5篇ほ非常に潰度が高い」と,じつにするどい見解 を示されたことほ注目される。参照,中央公論社版『他界の名著』付録25,1968年3月, 2−5ぺ・一汐。わたしはこの「内的なつながり」の理由を表象と後半体系という方法上 の必然的な連繋のなかでみいだしたい。したがって−脱線部分をふくめて後半体系のすぺ てが重視されるのである。なお,この対談において,大河内教授が「現在,社会資本の 投蟄という形で考えられる教育,公共施設など」のスミスに.おける叙述にふれて,「あの

(3)

J96β 香川大学経済学部 研究年報 8 ーーββ− さて,後半体系でのスミ.スから「文明社会」の表象を逆算して推定すればど うであろうか。 まず第3編では,「富裕の自然的なあゆみ」1)に.ついて−,農村を起点とする都 苗と農村の村会約分業を媒介する「文明社会の重要な商業」5)の視角から,農 村における資本の蓄積が封建的な土地独占,長子相続制ないしほ限嗣相続制尤・ より阻止され,資本蓄積の自然的岨序たる農業→製造業→外国貿易が転倒した 所以をあきらかにすることをとおして−,スミスは封建的規制と政治(国家)を 否定的なかたちで導入しながら,分業と資本蓄積の社会として−の「文明社会」 が一億の国内的な歴史的条件を前提することなくしてほ成立しえないこ.とを主 張した。こ.の歴史的条件ほ否定的に.うらがえして論定された国内的な政治的条 件であったのだから,それほ封建的規制匿.かわるあたらしい国家を内包するの である。これほ,この転倒の帰結たる原蓄国家群の対立とそれぞれの処方箋た るポリティカル・、エコノミー蘭を論じた算4編でいっそう鮮明となる。ここで ほ原蓄国家群相互の対外的な闘争の愚昧さを別決してその揚棄を主張する。し かし,それほ擬蓄周家の提要ではあるが,国家一・般の湯東ではない。だから, 分業と資本蓄積の内外の諸条件から必要であれば,航海条例や輸入関税が擁護 され,「国土防衛上,ある特定の産業が必要なばあい」紅は,これを保護する。6) 「国防は富裕よりもはるかに屈重なのである。」7)スミスほたしかに自由貿易を, これに.もとづくl司際分業をうたったのだが,それはあくまで国家ないしは国民 隼位のものであった。したがって算4編で後半体系をおわるこ.とほどうしても できないのである。 へんの解釈論をもう一度総ざらいしてみる必要が,いまのように社会資本の歪敦さが言 われているときに,とくにありやしないかと思う」とのべ.られたことも,社会政策とい う総資本の主体としての国家の政策に学問の対象をもとめられた教授であるだけに・,生三 粋の学史家紅は稀香な問題意識がきらめいている。わたしも従来おなしようなことをか んがえてきたので感眠ひとしおである。

4)Adam Smith,Wealth q/Nations,Cannan,s ed.,VOl”Ⅰ,p‖ 355l邦訳,水田洋 訳『国富論易く上>,世非の大恩光三14,1965年6月,319ぺ一首。ただし,訳文ほかならず

しも邦訳によらない。 5)邦よd邦訳,川ぺ・−ジ。

6)J∂ダd,pい 427.邦訳く上>,382ぺ一汐。 7)乃∠−d。,p.429.邦訳く上>,384ぺ−ジ。

(4)

スミスにおける経済学体系と国家範疇 −β9一 節5前のスミスによれは,財産の蓄積が進行した「文明社会」ではひとりの 富者に.たいして5百人の貧者がいる。そのさい,「金持においては貪欲と野心, 貧乏人においてほ労働への嫌悪と眼前の安楽および享受への愛好」との双方が 「叔産の侵略を・そそのかす」8)のだが,この感情ほ身体や名声への侵害よりも ずっと強固なのだ,とスミスほいう。財産の大不平等が「文明社会」の個性で あり,したがって,この社会でほ「司法権カの強力な腕」の確立が要請される。 そして,同時に好都合にも人々ほ.高価で膨大な財産の成立軋つれて,「服従」の 4つの自然的原因を解体し、つつ,むしろ「服従」を明確な根拠で強化する。(1) 個人的資質,(2)年令,(3)財産,旭)うまれ,の優越において−,(1)は眼に・みえず不 明確であり,(2船明確でほあるが「政府」を必要とさせるほどの根拠に.ほなり えない。ところが,(3は(4トー・一後者は「朗産の古さ」に.,あるいほ「富に.とも なう高い地位の古さ」にあるから→の両者は「財産」の優越または権威とし て「服従」の明破かつ強力な「原因.」となり,「政府」の成立原因となるのであ る。9)「財産の不平等ほ,権威と服従をもちこむことによって,不平等それ自 身を維持するのにどうしても必要な政府を1導入したのである。」10)このば あい,注意すべきことほ「政府」ほ目的と手段の転倒の結果として自然に成立 したのであって,不平等を維持し財産を保護する職能を目的として意識的につ くられたものでほなかったこ.とである。つまり,「財産の不平等ほ,政府の導入 を,自然に,そしてみずからを維持するための必要性を考慮にいれることなく, おこなったようにおもわれる。」11)政府ほ自然史的な産物であって,社会契約に よる合理論的な人為の産物なのでほない。12)かくして「文明社会」はみずから の体制に.必須の国家をもつ。しかし,それだけでほない。「文明社会」の蓄積財 産は外敵にねらわれる。この防■衛にほ常備軍が必要だが,それほ分業の原理か らくる。常備軍とその使用する火器とを富裕な「文明社会」こそがまかなうこ とができるのである。防衛費はそれ自体としては社会の文明化とともに膨脹 8)〃は,VOl小ⅠⅠ,p.203.邦訳く.下>,世界の大恩想15,1965年7月,165ぺ一汐。 9)J∂∠dリpp.203山206‖ 邦訳く下>・,165−68ぺ−汐。 10)J∂よ■dりpハ 2071邦訳く下=>,169ぺ−汐。 11)J∂哀♂い 邦訳,同ぺ・−ジ。 12)山崎+愉「スミス財政思想の基礎視角一イギリス近代思想における国家の把握と アダム・スミスーー」,首 ̄励政学の説題』(千倉書房),1962年9月。

(5)

香川大学経済学部 研究年報 8 −9クーー ユタ6β し,これを支出する常備軍の主体たる国家が登場しなぐてほならない。13)しか し,さら軋それだけではない。分業と資本蓄積のため紅ほ.,公共事業と公共施 設が必要なのであり,今日のいわゆる外部経済,ひいてほ社会資本の充実が国 家の固有の任務であった。道路,橋,運河,港湾のほかに,民衆教育が労働力 の育成と社会秩序の保持のために.国家の仕事となる。14)そして−さらに,歴史の 進展とともにj三権老はみずからの尊厳を維持するため紅ゆたかな経費を是非と も必要とするのである。15)「文明社会」ほ,これを要するに莫大な公共支出を必 然化するし,16)国家をそ・の固有の本性として配備しなくてほならない。そ・こで は国家の物質的基礎たる財政規模ほ増大し,こ.れをささえる分業と資本者横も また拡大するというのが,後半体系から逆算してみた「’文明社会」の,したが ってその極北たる資本主義社会にかんするスミスの表象把撞であった。 ところで,こ.のようにして抽出されたスミスの表象把握を初期の論稿での出 発点として−の表象とつきあわせてみれほ,それほ.じつにおどろくぺき相似性を 示すのである。当然といえば当然なのだが,スミスの学問のたしかさのひとつ の例がここにあるといえよう。 資本蓄積の自然的順序についての表象はすで紅法学講義(『グラ−スゴウ講義』, 以下『講義』と略称)紅あるし,『諸国民の富』の草稿に.もある。それらはもちろん否 定的なかたちでの政治的条件の提示であり,自然史的な方法の直裁な駆使であ る。また原蓄国家の否定と同時に国防や裁判や財政収入の催保が荒けづりであ るだけに表象把握としてほとくに明晰である。機会あるごとに,わたしの引用 する『講義』での1文,「文明国の政府ほ,野蛮な固よりもほるかに費用がかか る。そして一・方の園が他方の国よりも費用がかかるというとき,それほ前者が 後者よりも進歩しているというのと同一・だ。政府に.費用がかかり,人民が抑圧 され・ていないというのは,人民が富裕であるということである。文明国でほ, 野蛮な掛こは用のない出費が必要であり,軍備・艦隊・要塞および公共の建物 A一Smith,OP。Cit.,pp.186ff邦訳く下>,149ぺ−L7以下。 J∂よ−d,pp..214ff\・邦訳く下>,176ぺ」−汐以下。 Jみ査d.,pり 299・邦訳く下>,232ぺ・−ジ。 山崎 怜「アタくム・スミスといわゆる“安価な政村”」,『■香川大学経済学部研究年報』 A撒撒肌用 ︶︶︶︶貨 3 4 5 6 1 1 1 1 ,1966年3月。

(6)

スミス紅おける経済学体系と国家範疇 −9J− や裁判官・収入官吏が維持されなくてほ.,ただちに.混乱がおこる」17)とか,い わゆるエディンパラ講義の「不変の主題」の全文もまたそのようなものの好例 である○ さらに,財産の大不平等をその属性とする「文明社会」の特徴づけ, 「服従」またほ「権威」の4原因論と「財産」の優越を中心に.これを解体・再 編成すること,常備軍の設定,教育の重視など,『講義』における「文明社会」の 表象ほ後半体系の先取であった。そしてさら紅,『社会感情論』に‥おける「同感」 の理論がある。「同感」とは富者や権力者への「同感」であり,この「同感」が 「階級区分や社会秩序の基礎」であり,この「階級区分と社会の平和と秩序 が,明白で認知しうる,うまれと財産の差異にもとづき,限に.みえず,しばし ば,不確実な知性と徳性の差異にもとづかない」18)とスミスほいい,また,か の「作用因」と「目的因.」の区別に.よる,目的と手段の転倒が社会秩序の保持 をあらわすだけでなく,それが「祖国愛」と「人類愛」とのかんけいに.応用さ れたのである。「目的因」たる「人類愛」は,「作用因」たる「祖国愛」の 結果として実現する。19)「祖国愛」を功利化して,これを擁護するスミスの所 説には防衛という名の国家が内包されているのである。 こうして,スミスの「文明社会」の表象把握ほ,一・方では,目的と手段の転 倒法則に.よって原蓄体制の「全体の利益」を批判し,「同感」の理論軋よって ㍑下からの”経験論的社会理論をうちたてながら,他方でほ,このことが同時紅 人々の自然な「服従」による自然な「権威」を財産と富裕を媒介につくりあ げ,財産の大不平等を維持し,富者を貧者から保護する「政貯」の成立をうな がすのでもあった○かれは『講義』のなかで,つぎのようにいう仙−「法と政府 ほ・・r自己の財産を増殖した個人がその果実を安んじて一事受しうるように,か れを保護する○法と政府によって,すべてのaItSほさかんになり,それがひき おこす財産の不平等は十分に保護される。法と政府によって,われわれほ国内 の平和を享受し,外敵の傑人をまぬがれる。・法と政府の設定は,人間の惧 17)Aり Smith,Lectures。,1896,p..239 18)ASmith,Theor.y ofMoY’alSentiments,D.Stewart,sed.,pp.262−63.ただ し,『社会感情論』ほ版によってかなりの重大な異同があるので,小論ではかならずしも 1759年の説としては利用していない。これについては別に考究する予定である。 19)∫∂査畝.,ppn 267−68.

(7)

香川大学経済学部 研究年報 8 ーー カセ・−− ノ96∂ 慮と知恵の至高の努力の結果である」20)と。「文明社会」では「冨の分配ほ仕 事に.相応しない」21)から,ほたらくととのすくないものがより富裕であり,戸 外でたえまなく労働する哀れなものがもっとも貧しい。「いわば社会の重荷を 担っているものほもっとも僅少の利益をうけと.る。」22)かかる「財産の不平等」 を維持するのが,法であり政府であり国家なのである。 −・方では「富裕の体制」,他方では「搾取の体制」。この「文明社会」の二重性 (ニ面的性格)とその転倒のうちにスミ.ス国家範疇の秘密があった。23)『講義』で のスミスによれば,「ヨ一口ツパの王侯でも人民に.たいして,後者が野蛮民族 の酋長に.優越するはとにほまさっていない」2隻)のである。ヨーロッパの貧し い人民が野蛮な社会の頭目よりも富裕である度合ほヨ」一口ツパの王侯がその貧 しい人民よりも富裕である度合よりもたかいとするスミスの主張ほヨコの比較 (差別)よりもタテの比較(差別)を塁祝する自然史的方法の所産である。おな じことほ,「野蛮な国民でほ,各人は自己の労働の全果実を事受するが,しかも かれらの窮乏は他のいかなるところよりもはなほだしい」25)という説明にもみ られる。まったく搾取されることのない人間よりも搾取されることのほなほだ しい人間の方がゆたかなのである。しかし,それほなぜであるのか。それは「分 業」である,「文明社会」固有の「分業」である,だから自分は経済学を「分 業」でほじめる,というのがスミスのこたえであった。28)それほ「分業」がお おくの人手の結集と支配を可能にするからである。だからこそ,「国民が文明 化され労働が分割されると」人々ほゆたか紅なり,「ブリテンのありふれた日 20)A..Smith,OP.cit.,p160・・傍点ほ引用者。 21)′∂∠d,p…163 22)Jみ之d 23)「搾取の休制」と「富裕の体制」の二重性をスミス経済学体系の表象把鎚とするこ とについては,わたしは内田義彦教授の労作『経済学の生誕』(1953年11月,未来社)後 編,とくに187−2POぺ−汐から教えられた。この部分の叙述ほ桁彩にとみ,読者をスミ スの甜男・に没入させる雄渾さにあふれている。しかし,教授の分析視角に国家範疇への 視座が微弱であるため,このことがわたしの長年の問題であったし,また,内田教授の スミス論の基調をめぐる問題件もここに端言を発しているようにおもわれる。 24)A.Smith,OP.cit,p。162 25)J∂∠d. 26)内田義彦,前掲乱195ぺ−汐一以下。

(8)

スミスにおける経済学体系と国家範疇 −93− 雇い人夫がインディアンの王侯よりも賛澤に#しているのである。」27)このは あいに,いままで看過されて1、たのほ,この「搾取」ある紅もかかわらず「富 裕」なのだとする転倒の論理での,「搾取」とは,「文明社会」紅おける王侯 個人,地主個人の「搾取」だけでなく,租税紅よる公的な「収奪」をふくんで いたのである。いいかえれば「文明社会」における財政規模の膨脹あるにもか かわらず,人民ほ「富裕」なのだとする転倒をふくむのである。「政府紅費用 がかかるのに,人民ほゆたかなのである。」 このととを重ねででほあるが,『諸国民の富』の草稿における,例の導入部の 1節によって敷街してみたい。 かれほ.こうのべた。「文明社会において,富者や権力者が,野蛮な孤立した国 においていかなる人が調達しうるよりもよく,生活の便宜品や必需品を供給さ れるということ」ほ,かれらが「おおくの労働を指図しうる」からであり,これ ほ「きわめて容易に想像しうる」のだが,「文明社会」の「労働者や農民が, 同様に,よりよい供給をうけているということが,いかにして生ずるかほ,お そらくそれはど容易紅理解されない。文明社会においてほ,貧乏人軋みずから 調達す畠とともに支配階級の莫大な督移にたいしても,供給するのである。働 惰な地主の虚栄をささえる基礎となる地代ほ,すべて:農民の勤労に.よってえ.ら れ」,「金持ほ.,大小の商人に.資本を利子つきで貸し,商人を犠牲に.して−,あら ゆる種類の下劣で卑懐な遊蕩にふける。遊惰で安逸な宮廷の従臣たちは,同様 紅,かれらを維持するための税金を負隠する人々の労働によって,衣食住をえ ている。これと反対に.,野蛮人のあいだでは,各個人ほ,自分自身の勤労の全 生産物を享受する。かれらのあいだには,地主も,高利貸も,収税吏もいな い。」だから,野額人の各個人ほ「文明社会の下層階級の人々が所有しうるより も,はるかに豊富な生活の必需品,便宜品を有するにちがいない」のに.,事実 は「これはど抑圧的な不平等のただなかで,文明社会の最下層の,もっともさ げすまされている人たちでさえ,もっとも尊敬されもっとも活動的な野蛮人が 到達しうるよりも,すぐれた豊富草と潤沢さとを,ふつうに享受している」28) ということほ,いったい,なぜか。それほ「分業」だ,この謎をとくのほ.「分 27)A.Smith,OPcitりp‖161. 28)水田 洋訳『国甫論草稿』く世界古典文庫>・,1948年11月,46−52ぺ一汐。

(9)

香川大学経済学部 研究年報 8 J−96β − 9J− 業」だけであるとして,つぎのどとく,いうのである−−−「分業軋よって,各 個人は仕事の特殊な1部門のみに.自己を局限するのであるが,文明社会に.生 じ,かつ財産の不平等にもかかわらず社会の最下層の人々にまでゆきわたる, 高度の富裕を説明しうるのほ,この分業だけである.」29)と。 すでに知れわたったこの文章のなか紅,わたしは,三重の国家規定をみいだ したいのである。その寛1ほ,労働者や農民という貧乏人たちが「−税金を負担 する」ものとして,そのメダルの裏側を「収税吏」としてうちだすことによ り,「搾取の体制」とは「租税の体制」であり,「財政の体制」であることを あきらかに.している点である。いわば国家の物質的基礎たる財政が「文明社 会」に必然のものとして,「収税吏のいない」野蛮な社会と対比されているこ とである。その第2ほ,「搾取」ないしは「大不平等の体制」を碓持するため の国家を即自的に内包せざるをえない点である。これほ「支配の体制」ないし ほ「抑圧の体制」である。こ.のことほもはや説明を要しないであろう。その筋 3は,「分業社会」としての「■文明社会」という表象から,たんにいわゆる社 会的分業や技術的分業のほかに,1分業部門担当老としての国家がおなじく即 自的に.みちびかれざるをえない点である。それほ,未分業のゆえに防衛も司法 も水利事業も金成員の公私未分の仕事であった野蛮な社会(財政の欠如した社会) から,軍事権・司法権・水利権が分化し自立化するこ.とをおのずから内包す るo「分業」に‥おける最大の「分業」ほ.公私の「分業」なのであって,これな くしてほ他の「分業」ほ1歩もすすむことはできない。そして,スミスでほ, さらに・「分業」に.起因する人間の骨化(全体性の喪失)や尚武の精神の衰退を救 済するものとしての,また,労働力養成としての教育が国家の仕事として要求 されるのだから,30)分業−・般はただちに分業としての国家を析出させるのであ る。これほ,「分業の体制」であり,国民的総分業の−・環またはLl分肢として の国家分業となづけうる。 国家の第1規定は.,その物質的基礎づけであり,さしあたり,そ・れほ財政学 的問題領域を形成するとともに,他のふたつの規定の財政的条件となる。31)第 29)同上 53ぺL−汐。 30)A.,Smith,Ob.cii.,pp.255−59 31)山崎 怜「『’安価な政府』の基本構成」,『香川大学経済論孤』貨41巻弗2号,1968年6 月。

(10)

スミスにおける経済学体系と国家範疇 −95 − 2規定は,階級抑圧ないしほ階級支配としての,32)いわばスミスにおける「政治 的国家」であり,歴史形態的規定なのであるが,算3規定の国家ほ「分業社 会」における共同事務の専門処理機関としての,いわばスミスにおける「経済 国家」であり,自然的規定なのであって,問題の妙味は国家の「作用因」が欝 2規定の国家にありながら,「目的因」ほ第3規定の国家に.あるとする転倒的 複眼とその統一・の方法にあった。すなわち,かれにおいては,「自然的な国家.」 を実現するための担い手となるのが「歴史的な国家_」なのであり,その反対で はなかった。それは,価値実現のための素材的担い手というかんけいでほなく して,使用価値実現のための価値的担い手という転倒したかんけいであり,ス ミス国家範疇の自然的かつ生産力的な性格を示したものである。したがって, また,.スミスでほ.,じつは第2規定の国家でさ.えも「分業」の−・環として.の政 治的分業という意味あいをもつこととなり,政治と経済の「分業」が国民的総 分業を構成するのである。これほ「分業」に.もとづく政治と経済の相互作用を 意味する。 ⅠⅠ このように.して,「文明社会」に.かんするスミスの表象は,なによりも,そ・ れが「分業社会」ということであり,国家をもそ・の1分肢とする国民的総分業 社会なのであった。それゆえに,経済学体系は前半体系と後半体系との「分 業」を最大の分業体系とする諮分業休系として叙述されなくてはならない。そ れは人民の収入と国家の収入の2大部門からなる体系であり,33)『諸国民の富.盟 に.おける,「国民」とほ文字どおり「国」と「民」の両者からなりたっていたの である。 32)この階級抑圧は,貧者の侵害から富者をまもるという政府の職能をさしているので はあるが,このことを目的として富者の意志で国家はつくられたのではなく,国家は貧 者の富者への自然的「服従」から自然史的にうまれたものであり,だから国家は財産を 侵害する富者の「貪欲と野心」(個別資本の我欲)をもおさえるものとして総資本的に理 解されている。このことは策2規定の貨3規定的性格の一層を示すものとして重要であ ろう。

33)Aい Smith,Wealih ofNaiions,Carman,s ed,VOl.Ⅰ,p.3小邦訳<上>,11ぺ一

(11)

香川大学経済学部 研究年報 8 j土)(;占 ー96−− さて,これまでに.紛々のべたことから明白であるように.,経済学体系は「分

業」からほじめなくてほならない。「分業」こそほ「文明社会」の基軸であり,

それあれぼこそ,「屈」の収入も「国」の収入も野蛮な社会とは比較にならぬ はど増大しえたのだからである。しかし,そうした基礎過程における「分業」 ほ末分業の全体労働から分業としての軍事,分業として−の司法,分業としての 公共事業,分業としての教育,ひっくるめていえば分業としての国家を分離し 自立化させるだけでなく,そ・れらとの相互依存と相互作用なしにみずからを定 立させることほできない。そこで ,経済学体系とほこの基礎過程における「分 かなめ 業」をいわば扇の要としてそこからさまざまの諸分業をあたかも大木の幹から 枝にひろがるように,またあたかも生物学の分類のように門→綱→目→科→属

→種のように体系づける七ととなるのである。そ・して.,比喩ほあくまで比愉で

あって−,そのよう紅分化し具体化された諸分業ほ分類学紅おける諮系統のよう に孤立分散的なのでほ.なくして,相互につよいむすびつきと依存のかんけいに あったのである。 叙述ほ基礎過程における「分業」から開始されなくてほならないし,そこか らのみ,開始されることができる。分業としての国家34)ほ.基礎過程における 「分業」の原因でほなくて結果であるから。分業としての国家は基礎過程に.お ける自然成長的な「分業」の叙述なしに,それ自身として一説明することほでき ないから。 第1編でほ,「分業」と交換によって人々の生活する「商業社会」35),した がって君主が商人を兼ねた王領地制から,君主ほ君主,商人ほ商人,大工ほ大 エとなった分業社会の基礎過程における「分業」とそれによる飛躍的な生産力 の前進の所以が分析される。それだから,算1編ほ君主は君主,政府ほ政府と なったi国家範疇を前提としながら,ここ.でほ.基礎過程の「分業」が自然軋みずか らを媒介する価値範疇をうみ成し,同時にそれが3階級の所得範疇である状況 がえがかれる。−・方では富の作出であり,他方でほ剰余労働の作出である「分 34)この「分業としての国家」とほ三重の国家規定のすべてをふくむが,概念的には, とりわけ第1規定と難2規定の両者を内包しつつ,いつのまにやら巧妙にも罪3規定に 収赦させているものであり,スミス国家規定の全容のひとつの表現である。 35)A小 Smitb,¢♪.c∠才‖,p‖ 24邦訳<上>,26ぺ′鰍汐。

(12)

スミス紅おける経済学体系と国家範疇 −−97− 業」ほかの「文明社会」の財産の大不平等の物質的表現であった○それほ,国

家の定在たる租税の源泉であるのだから,欝1編ではこの定在が国家範疇の直

接の叙述となる。価値範疇と所得範疇のなか紅,国家ほ税源というカテゴリで 内蔵されるのである。「すべての租税およびそれにもとづぐすべての収入,すべ ての俸給,恩給,およびあらゆる種類の年金は,窮極的に,収入のそれらの3 源泉のうちのどれかから,ひきだされるのであり,直接に・あるいほ間接に,労働 の賃金か資財の利潤か土地の地代から,支払われるのである。」3¢)この税源論の 明確な設定ほ,スミス以前に.みられた原理的な税源規定をもたない政策論的な 時論風の租税論に.たいして経済学体系にはめこまれた租税の経済学を意味する とともに,経済学が租税範疇を追いだして−ほ成立しえないことをも意味するの である。第1編でほ,表象にうかぺられた国家がその物質的基礎たる税源範疇 において先取され,いいかえれば国家の第1規定が早くもここであらわれ,後 半体系を望見しているのである。しかし,同時紅,「分業としての国家」は表 象に.ありながら,抑制されてここ.には登場しえないのであった○それゆえに, ここでは「分業」の二宮陸のうち,・その肯定面がとりだされるのだが,その負 の否定的側面たる(1慣富の拡大,(2)全体性の喪失,(3)尚武の精神の衰弱につい ては,抑制されてこれを後半体系に.ゆずり,「分業としての国家」がこ・れらを 是正するものとして登場するのである。分業の二面性を同一・箇所で統一∴的に・と りあつかわずに,それらを前半体系と後半体系とに分化させて体系化するスミ スの方法を味読しなくてほ.ならない。まさ紅これは『諸国民の富』の国民約総分 業の体系たる証示であろう。 それだから,第1編では「分業」の積極的側面を作業内(技術的)分業と社 会内(職業的)分業の両者の区別なく,両者をこみに.した分業一・般のかたちで とりあげた。これはスミスの表象からすれば当然の端緒的カテゴリであった。 さて,かかる「分業」を成立させる条件とほ何か。それは,市場の存在と直 接の消費をこえるストックの蓄積のふたつである,とスミ.スはいう。「市場」 ほこのばあいストックの蓄積という後者の別表現なのであるから,結局,この 条件はストックの蓄積,いいかえれば資本の蓄積に帰着する。資本蓄積なくし てほ,一・定の分業労働に特化しえないため,人々ほ全体労働に従事せざるをえ 36)J∂よd.,p.55“邦訳く上>・,50ぺ」一汐。

(13)

香川大学経済学部 研究年報 8 一9β− J96g ないのである。 第2編ほこの基礎過程における資本蓄積論なのであった。ここでほ,「分業」 ほ資本蓄積紅ささえられ,資本に包摂された「分業」となり,「分業労働」ほ 資本と交換される「生産的労働」紅転化する。これは,分業論の具体化として の資本論であり,スミスほ資本蓄積を「生産的労働」という名の「分業労働」 の蓄積とかんがえたのである。このような資本蓄積ほ眉主は君主,政府は政府 という国家範疇を前提とする。なぜなら,それほ.資本蓄積の欠如による,君主の いわば全体労働たる王領地の崩壊を意味するからである。そこで第2編でほ,

国家範疇の直接の叙述ほ,全体労働を放棄した「政府は政府」なる国家範疇と

しての「不生産的労働」,資本と交換されないで収入と交換される「不生産的労 働」とならざるをえない。ところでこのばあい,よくよく注意すべきこ.とほ資 本に.包摂された「分業労働」たる「生産的労働」だけの一・義的世界をスミスが 描出したのでほ.なく,この「生産的労働」と資本に.直接には包摂されない「分 業労働」たる「不生産的労働」との比率をかれが問題としたことであった。そ うすることで,かれほ「生産的労働」に維持されるものとして,第2編の国家 範疇を第1編の「税源」から1歩をすすめて,「不生産的労働」なるカテゴリに. 具体化させえたのである。この第2編の国家範疇ほ一・方では国家の物質的基礎 をその相対的な増大に.おいて定立させる点では国家の第1規定に.つらなるが, 他方では第5編での「有用的労働」につらなる点で基礎過程と後半体系の国家 範疇(分業としての国家)を媒介するカテゴリなのである。そういう意味で,第 2編はそれ自身としては基礎過程の分析でありながら,第1編の具体化であ り,「文明社会」の表象に.それだけ近づいたものである。 それほともかく,こうして第1に「生産的労働」と「不生産的労働」の比 率,すなわち,生産的分業と不生産的分業(じつほ肩用約分業)の比率として, 欝1編の分業論の具体化がこ.こにある。これほ資本の本源的規定に.よる分業論 の具体化である。第2に.このうちの前者たる「生産的分業」は資本の蓄積され る構造的規定によってよりいっそう具体化される。それほ,分業の産業構造的 具体化,または産業部門別分業構造といわれるべきものであり,農業・工業・ 国内商業・外国貿易の4分業であった。これらの4分業群のなかでほ.前者の分 業群はど後者の分業群よりも剰余労働ないしは生産的労働としての生産力が高

(14)

スミスにおける経済学体系と国家範幡 ー99 − 位軋あり,したがって4分業群の自然的発展の順序は農業・→工業→国内商業→ 外国貿易であった。ところが,人も知るようにヨーー・ロツパでは両者ほともに転 倒して・しまった。第1の資本の本源的規定でいえば,前期的な規制と封建的大 土地所有による長子相続制や限嗣相続制やが「生産的労働」の自然的成長を妨 害し,蓄積すべき社会のファンドを「不生産的労働者」のみの雇用紅ふりむ け,かの「比率.」の/ミランスを崩し,生産的分業と不生産的分業との「分業」 の成立を阻止してしまう。その結果として,第2の産業構造的規定でいえ.ば, より低位の「生産的労働」の蓄積たる外国貿易一→国内商業→工業→農業の順に 社会のファンドをふりむけ,この4分業の自然的なバランスと成長を阻止する のである0それゆえに,君主は君主,政府は政府でほなくして,君主は大土地 所有者として文字どおり君臨し,資本蓄積を阻止しながら,みずから王領地を 確保して,全体労働としてのいわば虚偽の「生産的労働」に従事し,人民ほ奴 隷労働またほ.農奴労働におちこみ,可能性としての「生産的労働」は現実性を もちえ.ない。生産的分業と不生産的分業との範疇的区分ほ成立しえず,両者の 「分業」ほありえない。かくして君主から人民にいたるまで全体労働にしたが わざるをえないのである。同様にまず外国貿易に社会のファンドをふりむ仇 以下,順に.農業聡いたる転倒的資本蓄積ほ4分業の成立ではなくして,これら の「分業」を阻止する。なぜなら,安全な国内市場ではなく,危険な国外市場 をあてにせざるをえない外国貿易とは国内の資本蓄積という名の国内市場の, したがって「分業」の未成熟ないしは欠如を前提とするからである。転倒的な 資本蓄積の第1順位にある外国貿易とほ,国内の全体労働のうえに咲いた徒花 なのであった。 こうなると,「生産的分業」と産業部門別分業とを,したがって.資本蓄積と その自然なみちゆきとを妨害するものは何か,ということ紅なる。「分業」の条 件とは何か,を問いつつ,第1編から第2偏にすすんだスミスは蓄積の条件と ほ何かを問いつつ,第2編から第3編に.すすまなくてはならない。ストックの 蓄積なしに.,人は第1編での「分業」をいか紅進展させようとしてもできな い○ 蓄層という条件を欠如しては「分業」は成立しえない。パン屋が「利己 心」37)を発揮し,いかに.交換性向を高揚させようとしても,蓄積の欠如ほパン 37)J∂g♂りp.16u 邦訳<上>,20ぺ一汐。

(15)

J9ββ 香川大学経済学部 研究年報 8 ーJOO− 屋としての「分業労働」にみずからを特化しえないのである。この蓄積ほ人々 の「節約本能」に′よるのであり,「貯蓄紅かりたてる本能は,われわれの生活状 態を改良しようという欲求であり,それは,−・般に平静でおちついたものでは あるが,母親の胎内からわれわれとともに.きて,われわれが墓穴にほいるまで けっしてほなれることのない欲求」38)に.よるのである。第1編の「利己心」ほ 欝2編での「節約本能」に具体化され,こ.の「節約本能」の発現を阻止するも のは何か,ということになる。「利己心」の発揮を阻止しているものほ何か, という問いほ「節約本能」を阻止しているものほ何か,89)という問いに.具体化 されなくてほ実践倫理に.なりえないのである。もともと,算1編も第2編もと もに.人間の行為の結果としての経済的な対象悼・界の叙述なのであり,そこでほ 具体的な人間は登場しえないのであるが,40)その基礎過程においても,常1編 と第2編とでは,抽象度にこうした相異があったのである。 蓄積の論理は,こうして蓄積の倫理をその背後にもち,後者の発現を阻止し たものは何か,という問いほ,自然に.前期的な社会の政治構造を蓄積の政治的 条件として否定的な歴史のなかでかえりみるこ.と,そして一同時紅そ・のなかか ら,蓄積のありうべき条件とほ何かを析出させなぐてほならない。「節約本能」 を方面開花させる政治構造とほ何かぅ これを国内的政治条件としてさまざまの 国民の比較史のなかでとりあげたのが,欝3編である。この欝3編ではじめ て,国際的条件と「分業としての国家」とを除外したかたちでの仙その意味 での抽象性ほあるが仙;具体的な人間が歴史的人間としてあらわれ,人間が 物質的に.歴史をつくり,あるいほつくりえないというのはいかなる国内的政治 構造に.もとづくかをあきらかにする。もっと1_t三傑にいえば,蓄積を属しすすめ ようとする人間とこれを阻止する制度や人間の両者が登場し,後者の反対要因 38)Jあよ♂.,p.323.邦訳く上>,290ぺ−汐。 39)なお,このばあいも,「支出本能」と「節約本能」との比較において,スミスほ圧倒 的に後者の強力なことをくどいほど主張しつづけていることほ,政府の浪費ある虹もか かわらず,人民の節倹によっで蓄積の増進がほかられるという,例の国家の第1規定の 系論がひそめられていること紅なる。乃材.,pp・323−28・邦訳く上>,290−95ぺ一汐。 40)とはいえ,社会哲学者スミスはいずれの編でも人間を登場させており,そこがリカ −ドゥの『原現』のような客観的機構分析とほことなる所以であるが,それ虹もかかわら ず,具体的で金一的な人間ほ後半体系の最終範疇に近づくはど,いっそう開明となる。

(16)

スミスにおける経済学体系と国家範疇 −JOノー にもかかわらず,前者が勝利するものとして,したがって後者の役割は蓄積を 完全阻止したことにあるのでほなく,蓄積の進展を「遅延」させたことに.ある。 このことほ叙述における基礎過程の先行理由と同時にスミス国内政治批判の経 済主義的性格を示し,国家の第1規定につらなる問題領域を形成するであろう。 そこで第3編ほ蓄積の「遅延」の比較史を展開するのであるが,そのさい, 第2編での産業部門別分業構造を歴史の裁断道具として使用し,農業を起点と する農工分業の自然な再生産構造とこ.の再生産の産物であり,これを媒介する 国内商業との3分業の自然な分業的発展を検出し,これ紅よって蓄積の比較史 的分析をおこなうのであり,外国貿易ほ主に第4偏にあとまわしとされた。そ のわけほ.,蓄積の各国民内部に.おけるちがいとその苗穂の国内的諸条件の各国 民でのちがいが国際的な諸対立をほらみ,原蓄国家群の対外的闘争を帰一・させ ている事情を,欝3編でほ対立と抗争の各国民の歴史的な固有の国内的条件の 検出をこころみ,第4編では諸国民の内部条件から発生する国際的な諸対立を 正面に.すえたいためである。欝3編ほ「歴史」,第4編ほ「政鼠」というのでほな くして,資本蓄魔という名の「分業」の国内的政治条件を主として欝3編が, その国外的(対外的ないしは国際的)政治条件を主として欝4編がとりあつかうの であり,両編ほ蓄積の政治条件を対象とする点ではまったく同一・の課題をおう のであり,叫ただ,そうするためには前者の叙述は歴史的となり,後者のそれ ほ現状分析的とならざるをえなかったのである。 第3編からえられる蓄硫の国内的政治条件ほ,「秩序と藩政」やこれらに.と もなう「個人の自由と安全」であり,それほ.封建的諸特権(長子相続権・限嗣相 続権)や封建的諸課徴の廃棄されるこ.とであり,また,領主や大土地所有者の 土所所有にむすびついた軍事権・裁判権・鋳造権などが廃棄されて,規則的な司 法権の確立することである。42)こ・のばあい,スミスはまたもや,かかる諸変革 41)A.Smith,ObCit.,p 354,邦訳<上>,318ぺ・−i>。このように・して,苗墳範疇 が分業範疇と国家範疇の中間に位置して両者を媒介するものであることほ明白であろ う。 42)雑3編では軍事魔の確立をにおわせながらも,それは対外的なものであるため紅, 第4編以降にまわし,ここでは司法行政という国内的秩序と安全に力点をおいている。 スミスの叙述がつねにこのように.端緒箱鳴・中間範疇・最終範疇をl真別し,それぞれの カテゴリとして体系化するぺく,抑制されること紅注意をはらうべきである。

(17)

香川大学経済学部 研究年報 8 ・−JO2− ヱ96∂ がr●公共社会に奉仕しようという意図などすこしもない」43)ふたつの階級,一・ 方は大土地所有者,他方ほ商人が前者ほ賓移に.より,後者はインダストリと節 倹に.より,この廃棄の物質的基礎をつくりだしながら,それほいささかの予見 も計画もなく結果としてそうなったというのである。国家は自然史的産物であ り,目的と手段の転倒それ自体の内部から発生したのである。こうして自然史 的に成立した国家は蓄蔵の所産であるとともに.蓄積という名の「分業」の国内 的政治条件をみずから体化したものであり,ここから規則的な司法権の確立ほ 封建的大土地所有の解体による封建的な裁判権の解体にあることも明白であっ た。しかし,第3編はあくまで過去の否定的に叙述された蓄積の国内的政治条 件なのであるから,国家範疇そのものとしてのポジデイグな叙述ほ司法行政と して−も欝5編紅もちこされる。 いずれにせよ,第1編での抽象的な分業論と第2編での抽象的な資本蓄積論 とが,44)第3編でほそれらを条件づけるものとして−,またほ「文明社会」の具体 的な表象にむけで理論をより具体化させるものとして,しかし,否定的形式と 国内むけという限定をもつ,ふたつの抽象性において国家範疇がここに.ほめこ まれたのである。かくして資本蓄積と国家との相互作用が国内的に.規定され, 政治と経済の相互作用が事実上,論定されたのである。スミスにおける経済の 世界ほたんに.分業と資本蓄積という最初の2編では完結しえないのである。 しかしながら,基礎過程の分析で前提とされていたものは国内的政治条件だ けではない。自由競争は国内的にだけでほなく,国際的に.もー・定の国家的な前 提をもつ。むしろスミス紅とってほ国内的な蓄積構造の転倒とそれ紅もとづく 国内的政治条件のゆがみは鷹番国家群間の闘争を惹起し,ますます国内的な蓄 積構造とその政治条件を歪曲させていくのであり,眼前の重商主義的諸対立と それに.よる分業構造=蓄蘭構造のゆがみを別挟しなくてはならない。かくし て,基礎過程における分業−・般がここでほ,第1に.は国内分業と国際分業との 「分業」として具体化し,第2紅は国家という主体の政策による国内分業と国 43)A.Smith,OP.ciiりpp。389−90.邦訳<上>,3481−49ぺ−・ジ。 44)ただし,すでにのぺたどとく,第2編の資本蓄積論が寛1編の分業論の具休化であ り,物質的条件でもあったから,抽象度の程度には判然たるちがいがあり,そのため に,国家範疇に直接つながるのは蓄積論の方であることをふたたび強調しておきたい。

(18)

スミスにおける経済学体系と国家範鵬 −JOβ一 際分業との「分業」への反作用をふくむものとして具体化する。 第4編において−ほ,叙述ほこのふたつの方向での具体的表象へのみちゆきで ある。まず,第1についていえば,対外貿易ほ国内の剰余品を売りさばき,逆 に.安価な原材料の輸入は国内の生産をたかめて,国内分業をゆたかに.する。ス ミスによれば外国貿易の利益はふたつであり,国内紅.需要のない剰余部分を国 外にもちだし,反対に国内に.需要のある他のものをもちかえ.る。アメリカの発 見は「ヨーロッパの全商品紅無尽蔵の新市場を開放」し,「あたらしい分業と 技術の改善とをひきおこした」のであり,国内市場が狭院でも,どの特定部門 の国内分業でも外国貿易によって最高度に完成しうる,とさ.えいう。45〉っ ま り,「分業」ほ.具体的にほ国内分業と国際分業の相互依存と相互作用なのであ る。48)だが,もちろん,こ.うした相互作用ほ各国の蓄積構造のゆがみからくる 原蓄国家群の排外主義と植民地主義とに・より,他国の産業と植民地産業とを枯 死させるべく狂奔しつ、つ,′自国産業と母国産業との保護と振興とをめざしたこ. とからの自然な国際分業の破壊により,またアメリカ植民地での分業と蓄積の 急速な成長による独立戦争とこれによる国際的・国内的諸分業の不成立と破壊 とにより,買徹しえないのである。かれは国内分業と国際分業との互恵的な分 業の利益を主張して国際的な自由競争をうたうのである。しかし,第2に.つい ていえば,「分業」の国際的関係はたんに純然たる自由貿易によってあたえら れるのではなく,原材料の輸入の奨励や原材料・技術などの輸出抑制という重 商主義政策ふら継受した諸政策の介在により,また,とくに.「商業上の規制の なかでも,もっとも賢明」な航海条例により,保持されるのである。スミスが 航海条例を是認するコンテクストのなかで「防衛は富裕よりもずっと重要なも の」とさえのべたことほ,すでに表象把握のさいに,ふれた。国内分業と国際 分業との「分業」と相互作用ほ,自由貿易のための国家主体を媒介とするばあ いと貿易統制のための国家主体を媒介とするばあいとをふくみ,スミスはブリ テンの生産力水準を考慮にいれて,この両者をつかいわけたのであった。 第4編ほこのように蓄積の国際的(対外的)政治条件を対象として,これま での叙述で抑制された「分業」の国際的関係での具体化をとりあつかう。かつ 45)A.Smith,0♪.Cit。,pp.I413−14”邦訳<上>,369、70ぺ,汐。 46)J∂∠dりVOlⅠⅠ,p108.邦訳く ̄F:>,95−6ぺ・一汐。

(19)

J96β 香川大学経済学部 研究年報 8 −JO4・−− て第2編では他の3分業部門と比較して外国貿易ほ.「生産的労働」を運用する 点で最小であったが,ここでは.それは輸出入の全般的な観点から,とらえなお されたのである。これこそは外国貿易の具体的で総体的な再把擦であった。 第3編と第4編とは,さき紅かいたように,蓄積の政治条件を対象とする点 でほ軌を一・にし,両者のちがいほ国内的か国際的かにあったがゆえ紅,前者で は司法権としての分業国家,後者では軍事権としての分業国家が析出され,後 者ほ対外的であるだけに.,また国際社会という複数の主権の競合する流動的な 他界であるだけにリ スミスの主張は強烈である。後者においても叙述は否定的 になされるべきほずであり,国家範疇そのものほ.たとえ防衛権ないしほ軍事権 についても第5編にまかせるぺきであるのに,ここ.でほ抑制がややゆるめられ てしまったのである。もとより,第4編全体としては抑制ほせいており,さす がであるとおもわざるをえないのだが】−−−−。 それと同時紅,帝4偏に.おいても,国家の第1規定たる国家範疇の物質的基 礎が明瞭に位置づけられた。国際間の自由競争(自由貿易)による植民地主義 と排外主義の放棄の結果,プリテ∵/および各国の分業と資本蓄積およぴ「生産 的労働」とは相互に発展し,またスミ.スの容認する貿易規制と防衛力とほブリ テンの分業と資本蓄積の現実政治的条件として不可避であり,両者による諸分 業の進歩と前進とが,ブリテンの人民の収入を増加させるだけでなく,国家の 収入をもゆたか軋する。「はとんどすぺて−の固で,主権者の収入は人民の収入 からひきだされる。それだから,人民の収入がおおきければおおきいはど,かれ らの土地と労働の年々の生産物がおおきければおおきいほど,かれらが主権者 に提供しうるところもおおきい。したがって,その年々の生産物を可能なかぎ り増大させることが,かれ〔主権者〕の利益なのである。」47)国防力もまた,人民 の富裕の程度に依存する。現世紀においては対外戦争を維持していくファンド ほ金銀の分鼠でほなくして「商品」の分屋であり,分業と資本蓄額により「商 品」をふやす以外にり なかでも価値のたかい糖巧なエ業製品をふやす以外にほ ないのである。48)もとより,ここで第4編冒頭のPOliticaleconomyのふたつ の目的設定が想起されなぐてほならない0 47)J∂どdリp.136い 邦訳く下>,122ぺ・−汐。 48)J∂よd.,VOlⅠ,pp.407−11.邦訳く上>,363−68ぺ−ジ。

(20)

スミスに.おける経済学体系と国家範疇 −JOβ一 さて,.以上の4編がスミス紅よって\人民の収入とはいかなるものか,人屈湛 年々の消費物を供給したファンドほいかなる性質のものであるか(l ̄序論および本 書の構想.」)を分析する,いわば「諸国民」のうちの「属」の収入紅ついて−の部 分であった。したがって,そ・こでほ「分業としての国象」は固有の意味では登 場しえないし,現に登場して:もいないのではあるが,しかレ,他面でほ,第1 に4編のそれぞれの叙述段階に.おいて,「分業として−の国家」を論理的紅.内包 し前提していたこと,そしてそれらはスミスの慎重な抑制と捨象のもとにはあ ったが,第3編と第4編とでほ否定的な方法でLれを正面から対象としつつ, ネガティヴのなかからポジタイプな国家範疇が両偏において検出せられ,とく に.第4編でほ対外的な主体としてかなりあらわな論述になったこ.と,第2に国 家の第1規定,すなわちその物質的基礎についは,それぞれの叙述段階に.応じ て必要なかぎりポジタイプに.内蔵されていたのである。国家収入を人民の収入 の派生形態とかんがえ,国家収入を増加させるに.ほ人民の収入をふやすに.如か ずとかんがえたスミスに.とってほ,これほ当然のことであろう。いずれに.して もこのふたつの視角から,「人民の収入」を論ずる最広義の意味での前半体系 に.も国家範疇が鋳こ.まれていたのであった。 第5編ほ最狭義の意味での後半体系である。スミスほ.ここで「国家の収入」 をとりあつかうから,これを前4編と区別した。しかし,小論でほ第5編がほ じめてポジデイブに「分業としての国家」(固有の国家範疇)をとりあげるの で,そのようになづけたい。それゆ.え.に,広義の後半体系というものが想定さ れるのであって,わたしほ第3編一発5編を最広義の,第4編一節5編を広義 の後半体系とかんがえる。その意味は第3編から国家範疇が過去の陰画として ではあれ,登場し,第4編ではそれが現代の陰画としでではあれ,とりださ れ,筆の進行につれて,ネガティグからポジデイブな国家範疇がたしかにあら われたからである。第3編が第4編の準備であり,前者からの司法権と後者か らの軍事権の検出とがあいまって第5編の準備であることをおもえば,これら 両編が「人民の収入」を対象とするにもかかわらず,国家範疇の序説的分析と みられて−もよいであろう。こ.れを逆に.いえば第1編と帝2編とは基礎過程のみ をそのものとして対象とし,国家範疇を前提とほするが論述では捨象する点 で,狭義の前半体系といいうるし,第2編では不生産的労働があらわれ,また

(21)

香川大学経済学部 研究年報 8 ーヱ06叫 J96β 国内商業と国際貿易とが登場して再生産上の「正義」と規制とから,それぞれ 後3編を準備するのだから,49)最狭義の前半体系ほ」第1編だけであるといいう る。 「分業としての国家」を直接に対象とする第5編ほ最狭義の,かつ純粋の後 半体系である。まず鱒1に軍事権としての「分業」がある。これは喧接にほ第 4編からもちこした国家分業であるが,第5編欝1葦第1郎での叙述に.みられ るよう紅,狩猟民族・遊牧民族・農耕民族のあいだにほ「分業」としての軍事 権ほ存在しえない。かれらは猟師であると同時に戦士であり,農民であると同 時に兵士であった。族長や主権者も家畜や土地所有に.依拠した。人々ほ.要する 陀」全体労働に.従事し,小さな戦争しかなく,支配者といえども貧しかった。だ が,製造業の発達と戦争技術の進歩とほ,軍事権として−の「分業」をうみおと さざるをえないし,また,うみおとすこともできる。製造業の発達ほ「分業」 の発達であり,・それほ一方では人々を分化し特殊技術人とするのだから,人は 戦士に.不適となり,常備軍という軍事専門の分業人をうみおとし,他方でほこ の常備軍とその使用する近代火器とを維持しうる莫大な軍事費ないしほ防衛費 を供給しうるからである。こうして,防衛としての,軍事権としての「分業」 が分業社会の必然の論理的帰結として範疇化される○もともと分業論体系構築 の当初から表象に.うかべられていた軍事権としての「分巣」はここにポジデイ ブに措定されたこ.とになる○しかも,常備軍としての分業労働ほ「慎慮」紅.よ っででほなく「国家の英知」によってのみ導入される。「軍事力という手段に ょってのみ」,「文明社会」ほ「他の独立の諸社.会による暴力と侵略から」まも られるのであり,しかもなお,「文明社会」こそほこの「軍事力」をうみおと し,維持しうるのである0 寛2紅,司法権としての分業がある○これほ.第3編からもちこした国家分業 なのであるが,こ.れもまた,軍事権とおなじく分業と蓄積の進展が財産をめぐ るあらそいをうみ,司法権を必要とするに/いたり,そ・のさい必要な「分業.」と しての司法権の確立,行政権から分離・独立した央のiり法的権威の確立ほ, 「分業」の高度化による領主の裁判権という全体労働の解体にあったのだか 49)このばあい,いずれも後3編を準備するが,「不生産的労働」はとくに竣5編を,国 内商業ほとく紅舞3編を,国際貿易(対外商.柴)ほとくに葦4編をそれぞれ準備する。

(22)

スミス紅おける経済学体系と国家範疇 −ヱ07一・ ら,「文明社会」に.特徴的な,かの富の大不平等にもとづく貧者紅よる「所有 物の侵略」から富者を保護すべき司法権の樹立は,「分業」によってこ・そ可能 なのであった。いいかえれば,「分業」は富の不平等の蓄積をひきおこしつつ も,同時に.その「分業」こそはこの不平等を維持する国家分業たる司法権をう みおとすのである。 この国外むけと国内むけの分業と蓄槙のための政治条件の措定に・より,「文 明社会.」という名の「分業社会」とは,経済と政治との「分業」を必然的紅有 する社会なのであった。「分業」ほ元来,分業主体相互の依存であり交渉であ り結合であり相互作用なのであるから,「分業社会」とほ第5編にいたると, 政治と経済の相互依存であり,相互作用であることがポジティグに証明され る。 しかし,それだけでほない。第3に,個別資本には損失の魂をもたらすのだ が,社会的に.ほ有益な(経済的にしぼっていえば総資本紅は利潤をもたらす)いくつ かの公共事業と公共施設(道路・橋梁・運河・港湾・郵便事業など,さらに民衆の基 礎教育のための事業と施設)め設定という国家分業がある。これほ,みられるよ うに.今日でいえ.ば物的な社会的生産手段と人的な社会的労働力の設営と供給の ふたつに.わかれ,前者は論理的には第3編の全体労働の解体過程から副次的紅 前提とされ,具体的な表象のなかに.おもいうかぺられて:いたはずのもの,後者 ほ論理的には第1編の基礎過程に.おける分業一・般の分析に.さい し,「分業」の 骨化,尚武の椅神の衰退,さらに「分業」の要求する−・定の技術水準とそれを 論理的紅内包する「分業」としての教育労働の成立として,つよく表象のなか にあった範疇である。これらほ「分業としての国家」なのではあるが,軍事 権としての,また司法権としての国家分業とはことなり,直接紅は分業と蓄積 のための経済的条件であり,「経済国家」であった。国家はこうして基礎過程 の内部に「分業」の−・環としてふかく根をおろすのである。「分業」ほこのよ うに.公共事業と民間事業との「分業」であり,教育事業と居間企業との「分 業」であり,「分業」による相互依存と相互作用とほ.ますます具体化され総体 的につかまれるのであった。このばあい,注意すべきことは,即自的には経済 的条件であるとほいえ,たとえば民衆教育が政治的秩序の安定紅あったよう に,「政治的」と「経済的」とはスミスでほ表裏関係にある点である。

(23)

香川大学経済学部 研究年報8 一九は− J96β この第5編での3つの「分業としての国家」は,さき紅第2編で不生産的労 働として生産的労働と対比され,両者の比率としての蓄積論的分業把握−十資 本の本源的規定による分業論の具体化山・一−のさい紅不生産約分業として措定さ れつつ,後半体系に留保された「有用的労働」ないしは「有用的分業」なので ある。直接にほ生産的労働でほないが,分業と資本蓄積のためめ「有用的労 働」なのである。そこで容易にきづかれるように,「分業としての国家」の第 3のもぁの大部分紅ほ,物的生産力の機能があり,したがって寛2編に.おける 生産的労働の流動的な規定とスミスの国民的総分業論の規定とから,「生産的 労働」と「有用的労働」の区別の溶融化がこ.の「分業としての国家」のなかに 胚胎し,J.S.ミルへの追をひらいたのである。いずれにせよ,第5編のスミス は「生産的分業」と「有用約分業」との「■分業」を強調し,「生産的」と「有 用的」との相互依存と相互作用をあらためて総体的に範疇化したのであった。 かくして欝1編の分業−・般から第5編の「有用約分業」にいたれば,「分 業.」は基礎分業範疇(第1編)→産業部門別分業範疇(籍2編)・→国内的分業範 疇(籍3編)→国際的分業範疇(第4編)−す国保的絵分業範疇(第5編)という よう紅具体化されるのだが,これほ同時に「蓄積範疇」にいいかえることもで きる。また第3編と算4編とほ否定的で媒介的な論述の場所であるから,こ れほ第2編の続論であり第5編の序論とかんがえ.,両編を非独立的なものとし てあえて除外すれば,剰森労働範疇(第1編)r→生産的労働範職(籍2編)→有 用的労働範疇(第5編)であり,これを分業論的にかけば,剰余労働相互間の 「分業」(第1編)→生産的労働と不生産的労働との「分業」(第2編)→生産 的労働と有用的労働との「分業」(沸5編)となる。 第5前の分業労働を固屈的総分業範疇となづける所以ほ.,それが第1編以来 の基礎範疇をとく紅第3編で国内的に,第4編では対外的に.総括しなおして, それをさらに.欝5編で国民約に具体化したものだからである。国際的分業範疇 が国民的分業範疇匿先行するのは,前者がもういちど国民的な立場から再規定 をうけるからであり,スミスのナショナリズムの休系的帰結がここに.ある。わ れわれはふたたび想起したい。スミスの「国民」は「国」と「民」の称−であ り,「国」は「戌」の内部から規定され(「服従の自然町原乱けてみずからを総桁 する。『諸国民の富』紅おけるnationsとは,peOPleとgovernmentの分業体系

(24)

−ヱ09− スミスにおける経済学体系と国家範疇 であり結合体系であったのである。そ・れが『諸人属の富』とはいわれえなかった 事情をわれわれほおもいさだめなくてはならない。「諸国屈」であって「国民」 でほなかったことの重要性と,「諸国民」であって「諸人民」ではなかったこ との重要性とほ,産業資本の歴史的な性格のなかで十分に.整合しうるものとし てかんがえなぐてはならない問題である。 このよう紅して『諸国民の富』体系ほ,諸分業の国民的体系であり,諸分業間 の相互依存と相互作用の体系であり,国家範疇はこの国民的絵分業体系の必然 的な分肢であり環であるだけでなく,この体系の総括の位置濫あった○そして スミスにおいてほ.「蓄積範疇」ほすべて「分業範疇」のよみかえ紅すぎなかっ たのである。『諸国民の富』が「分業」にはじまることの意味ほこのようにふか く大きかったのである。 さて,そうであれば,「分業」の所産であり「分業」を媒介する「価値=価 格範疇」も「分業」の具体化に照応して欝1縮から第5編まで具体化されるも のといえよう。こころみにいえば,基礎価値=価格範疇(第1編・第2編)→国 内的価値=価格範疇(第3編)ヰ国際的イ酎直=価格範疇(第4編)?国民的価値 =価格範疇(第5編)であり,基礎過程的な自然価値と自然価格と市場価格とは 「政治的」な自然価値と自然価格と市場価格に具体化されるのである。国民的 価値=価格範疇にほ蘭衛費や司法費,公共事業費・教育費などの財源たる「租 税範疇」といわゆる「租税転嫁論」とがポジティグに内包されている○それほ 第5編払おける正面きっての国家の算1規定なのであるが,こ.こでほ租税根拠 論と租税配分論があらわれ,具体的で現実的な総体としての「価値=価格範 疇」が措定される。また,「分配範噂」を具体化するものとして,基礎分配範 暗から国民的総分配範疇紅まで追跡することも十分に可能であり,租税や年金 は国民的総分配範疇に属するが,賃金や利潤は基礎分配範疇に属するのであっ た。ただ,スミ.ス自身がこれらの諸範疇匿ついて明晰な分析と構成とを明示し ているのではなく,かれのさまざまの所説から,このように.ならざるをえない のでほないかとおもわれるのである。叫 50)これらについてほ他の械会にくわしく追求したいとおもう。

Updating...

参照

Updating...

関連した話題 : 経済学における