一 は し か き
興亜の聖戦方に三歳となるの秋、尉みでその官給を惟ふに、吾が皇軍の威武、支那全土に蛮ひ、戦果大いに摩 れるを見る。されと興畢の大柴は、崖政府常局者の整明せる如く、﹁面戦率他商社設の両面性を有する。而しで 前きに戦盛大いに奉るといへるはその前者、即ち戦争につきい.へるものにして1その後者即ち建設に至ぅでは未 だ造かに及ばぎるものがる。而して建設は勿論政治的、思想的の方面をも有すれども、常面の問題としては搾臍 的墳鼓を以て喫緊の嬰事とする。然かも現代が貨幣経済の時代にあれば、すべての群臍問題は側に紫つで貸間幣 題に膵するといひ得るであらう。商工経済観究 弟十四令弟三携︵鯛飯計卵桝︶
接伴封鹿の様々相法幣封発の種々 相
英一聯 銀 歩 ま で
宕
︹一九三︶ 一第十四巻 第三鶉 ︵︼九四︶ 二 然らば馳ハ亜の大柴中断くの如く緊妥なる貨幣糊他につき如何なる判策が試ぜられにか。先づ昨年三月十叫臼に は北支に於て中観聯合準備銀行の設立を兄、文法る五月両日には小文に輩興商巽銀行の設立となり、之が同月十 大牲上海にて開業の運びとなつた。而して前者は所謂聯銀券を登行し、後者は所謂華興券を蛮行んてその共同の 放た各所謂 に疎トて仙の貿易通貨︵TradのMOney︶とパ号経りたる如き観がある。賢人は此の硯葦を甘て、猫り鎌手傍硯欺 然としてあら得るか。 他に首ふ、﹁貨幣は控臍界の血液なり﹂と。果たしで然らば、雷が皇軍の占街地域内に於て尚且っ法幣の公々然 と流通するは未だ経済的渾化の及ばざるを物語れるものに外ならぬ。野人は此の現状を歎祀するに忍びない。依 って吾人は淡幣野栄の考究に努力せんとしつ∼あるが、兜づ之が足場として法幣の今日に至るまでの状況を回顧 し、次に之が第叫封態としての聯銀券の考察を行ひ、選に新封策として聾輿券の考究々なし、その間貿易通貨、 鯉渕等につき開設せんとするものである。︵但し原稿締切町期日に阻まれ聾興券につきては次の横合に之を議らざ るべからぎるに至りし革打法感の次第である︶
二 法幣の制定まで
︵ニ ケムメラ十幣制改思量 \法幣の制定に至る経過を略通するに首っては、かの所謂﹁ケムメラー襲貝合﹂にまで遡るを以て慮るであらう。 仙九二九年ケムメラー︵E.車内eいゴmerer︶.は中華民囲政府の箔により十三名の串間零員を選びで財政専門家 琴良禽︵COm邑siOnO﹃句iロanCia−E竜ertS︶を組撤し、巨lらその委員長となりて渡文し滞在十ケ月にしてその報 告等を民画政府に基山しにっその報告欝は ︵︿Pr音ctO巾Law詳t訂GMadua〓ntr。d訂ti。n。叫AG監立andardC∃のnCySysぶminChinb︸ TOge−F甘wi−FaRのp邑inSu葛邑穿ereO”“。 にんて、之が換繹されで﹁中団逐漸釆行金棒倍僻制洪草案﹂と超されてゐる。此の報告書は題名の示す如く蒜 纏った淡文の形式を備へ厳にその珊由が附せられてゐるが、今その垂鮎を示せば次の如くである。 即ち中国の幣制改革は叫画園内に於て葉風せる幣制を歩埋して統血的通貨を施行し、他面封外的には骨界の主 要国中猫す中国のみが銀本位を緋持することより生やる障碍を除去するにある。蓋し此の銀本位制によh一で、巾 図は外観貿易上及び政府の財政上に多大の不利益を袋ってゐる、それは財政の収入は大部分銀なるに、之が支出 には大部分金を以てしなければならぬからである。 伐つで上記の目的を達成する薦めにγ種の金為替本位制︵漢詩、会派允本位制︶を渦進的に探川し、封外取引 は金曜にて行ひ、は園内の各位流通貨幣牢武久に停止する方策を請じなければならぬっ それには新食単位としで﹁孫﹂︵Sun︶といふ名構を選び、叫孫は純金六〇二八六六﹁センチグラム﹂を含有す 沫幣封篤の嘩々相 ︵一九五︶ ≡
︵一九大︶ 四 第十四番 第三蟹 るものとする。佃ヤ孫を分ちて百分となし、伽分を分ちて十聡とする。この側孫は常時の米貨囲○仙、英貸与七 二六五片、日貨0人〇二五園に相督する。而して之は又常時中国の大部分の地方に流通する銀弗と略々同等の慣 値を有し、此の貸衛改革が中国の財界に多大の妨害を異へることなくして行はれる筈である。 かく金本位制を布針孫をその革位とするも金孫貨幣の鋳造又は流通は行はない、由つて此の金孫貨幣は叫つの ︵1︶ 計算貨幣に止まるものであり、而してそれは封外計穿上に用ひらるべきものである。 ︵1︶ 引算故郷Kつきては拙稀ノ﹁筐僻≠二論J商‡経済研究肇†三容鹿二酷参照。 然るに園内流通川の貨幣としては﹁銀孫﹂貸酪︵品位千分ノ八百にして、′その最日は二〇グラム、従って純傲 ∵六グラムを含有す︶の外患角、二角︵銀貨︶、十角、五分︵ニッケル貨︶、⊥分、敢厘、二犀︵銅貨︶の祁助貨幣を 鋳造して園内流通貨幣の統一を計るものとする。 以上がケムメラー改革案の主要内容である。 ︵こ︶ ケムメラ改革案の不葦魔 かく閥民政府は、貨幣改革につき多大の控除を有し、宣One叫d邑弓といはれるケムメラーぉ膳し、多額の費 用を出しで改革案を研究せしめ上述の如き案を得にが、.之を筒先するの横道には至らなかつに。 其後数年閻寄寓上幣制改亀の行はれなかつに甥由としでは次の如き鮎が考へられる。 l ケムメラー改革案が提出された二九二九年頃は、世界靡臍は好景気の潰鮎にあり、同年秋を境瀕して之が
樽落の露を迫って行つに。然るに支那のみはその後数年問恐慌、不況に見舞はれることがなかった。弼り竜郷
遠のみが世界的不況から隔離されてゐた原隙としでは、︵イ連邦の紺際貿易が支那仝偶の辟沸上に占める地位 が低いこと、︵ロ︶支那の辟臍が世界粧臍の動きに鈍感であることなどが額げられるが、之等は何れも其の原因と なすことを得す、只之が眞因と目すべきものは︵ハ︶支那が銀貨閻であったといふ寄賃∴日つ常時は銀安なりしこ と︶より外にない。之は完二両年に米闘の鉄男←げ政策︵高慣買上げ︶の数英が現はれ始めると支那饉済が疲 ハ2︶圧 弊し出しにことを以でも知られる。 ︵2︶ 飯島幡司博士著‘支那幣制の研究 劇五二貰以下諾し銀は金の如く貨幣用金屠であるよりも、議的商品にしで、その偵格の欒動を岬般的商品の償格と比較し
︵3︶ でみると、之が驚く可き槌の酬致を示してゐたr叉常時は銀安時代にて、自然文部の商品が困際貿易上安倍に仕入れられに薦め輸出が盛んであり、支那経済が比較的繁焚であつたのであらう。尤も世界の詔囲が不況に悩める
︵4︶時であるから諸外国の購買力減少により、銀安の利益も可成減殺されたものと見ねばならぬ。
︵3︶ 財閥法人 束並経済調査局編.銀及銀慣低落の研究 こ九、主○巽 ︵4︶ 前抱番 二二貰以下次に此の問に於ける硯銀の移動状況を癒するに鋲安の時期には銀は上海より奥地に韓入し、銀高ともなれば措
庇上海に集中して釆た。之が理由としては飴一に類麺的に解し過ぎるの嫌ひなもとも←ないが、次の如き詮明が
法幣封策の種々相 ︵一九七︶ 五︵山九八︶ 六 第十開巻 第三㌍ 為され得る。即ち支部奥地の農民は、曇にその収入を銅貨廼にて受取るが、その支挑は蓮に銀貨建にて行ふ。叉彼 等は借金を注すときは銀柴建で行ひ、仮令銅貨廼で借金をしてもその返済は銀貨超で行ふ。放つで銀安の場合に は銅貨建の計算が有利なることを意味し農民の牧入が増しその増加した収入が硯銀の形で貯へられる放規銀が奥 地に流入する。之に反しで銀高の場合には銅貨建の計算が不利となり、農民の収入に比し支出が大となる放その ︵5︶ 貯蓄せる硯銀が排出されて上海に集中するといふのである。 ︵5︶ 飯島幡裔l博士著 支那幣制の研究 〓ハ〓克以下、︼九九賞以下等 然るに叫九三叫年までは銀安なりしが、仙九ニ≡、三、桝年と銀償の騰賞するに及び、規鋭の上海蛮車は棲め で頗著なるものがあつた。 斯くの如き鋭の上海集中に拍繭あかけにもう仙の原閃は匪賊の跳梁と尉内勤乳による財務の不安を免れる矯 め、安全地帯上る上海殊に翔界に之が移されたことである。飯島将士は之を政治的理由とし、前きの錦倍騰貿を ︵6︶ 躍臍的址由とされ ︵6︶ 上端啓 二ハ六餌 ︵三︶ ケムメラー茶の是非 斯くして叫九二九年のケふメラー改革賽は終にその葦施を施やして叫九三五年蓬辟過した。尤もケムメラー案 がその億徴発哲見なかつたことは寧ろ支那耗臍にとつて車幅であつたといふ見解も存する。即ち、若し支那が叫
空○年に金本位制を採用してゐ左らば、毒以内誌度之を拗来し語ればならなかつたであらう。現に英
国は⋮九三年に金本位を離脱し、米撃L畠額の金保有高を擁し乍ら完−三毎には金本佗制を侍史したので ある。之を以って誓もケムメラー讐嘗行しても倒底哀感肯す、之が賓行不可能官し雷反て飴計の動播 ︵7︶を典へゃしてすんだことが文部にとつて睾隔であつたといふのである。
︵7︶ 宮下忠雄繹、カン支那退化禁錮 六九二貫以下あ紬之は事後の議論にして、雅たして支部が妄ニ○年に金本位制を深川しでゐ裟つたことが車両管と
し、仮令常時之を拭川しでゐても、英米その他の諸閣の金本位離脱に飽偏しでは弼小文那のみが之を固守ことが
出奔掟かつにとしても、此り事由−のみ急でケムメニフ一茶の是誓判寄ることはで貴い。琴しケムメラー案 に不備の琴晋としにならばその慧謁根城空不して2を反駁しなければならぬ。之につきカン語次の如く云 ふ。﹁ケム.メラー博士は支那の銀貨を統二することを提案せやしで、その代りに、混沌上る銀通貨より、嘉に金本位に乗越えんとす為直接方法を流用しでゐる。右計轟はその完成に驚や多年を聾すべきこと霊仙め、余はあ
へてケムメラー博士の提案に反対し、代りに、間接的封筒を捉琴レに。その際、金は支那の銀通貨及び銅通貨の
改革を柁行し、両を靡止し、銀元を統﹁し、支那の補勒銀貨に十進制を採用する・ことに賛成した。爾後三年の歳
月は余の主醇の忙しかったことを示しに○即ち近い牌釆に於いて、金を拭用することの不可能であるに顧み、支
︵8︶郊は筋二の最蓉審を選び、以つて、鋭通貨制皮の改革に進んだのであるっ﹂と。
波酵封策の種々相 ︵劇九九︶ 七︵8︶ 宮下忠雄静 カン支那亀鑑論 六九〓賞 牌ふにケムメラー案とても薗内通貸の統仙を説き且つ之が銀への統括を毒張したのであるが、それ、に で、封外関係の蔑めに金為替本位制牢二修力弼く主張したので園内通貨琉仙の主張が梢軽視されるに至ったかの 如き感がある。之に反してカン氏は園内通貨の統;芸議し之を強調せる蔑め自然銀本位制の絆持と捏アり、且つ 廃嫡改元の主張となつたのではなからうか。併し今は此の問題に洗く沈潜して行く飴裕を有しない。只之に関連 して次の二鮎を附言すむに止めたい。 その叫はγ九ニ6年二月一日より賛施せられたる海関金賞位︵C宏tOmSGO−d⊂nit略して﹁関金﹂、C.G.≠と いはれる︶制度に於て、ケムメラー案に於ける﹁孫﹂箪倖と同仙の内容のものがこの海関金歯位として定められ たことである。此の海関金単位制は常時銀惜の下落により、銀遼による関税吸入上多大の不利益を感じっゝあつ ︵9︶ 王国民政府が館今関税収入を金建にて徴収する楼改めたものである。 ︵9︶ 海鍋金阻位制度につきては左記に説いて詳し。 宮下忠雄著 支那党幣制度論Lニ毛七貫以下 弟六紫痕銅金阻位制度論 その二は﹂九三三年の腰桶改元により、支那の問内通貸が鍵冗叫本建となり、且つ′その細分畢位が十進洪的 ︵贋の十進法とはいへない︶になつたことである。即ち従来案那には爾貸と銀元貸との丙者が適用し、共に銀貨で ぁるに拘すその雨着に比債︵洋恕︶の攣劫を巷サる有様であつた。蓋し爾貨は称盈貨幣︵C呂enCybyweight︶ 第十四令 弟.≡蟹 ︵こ00︶ 八
であるのに銀元は計数貨幣︵C旨en童by−a訂s︶であり、よつてその計瀞芳淡を異にし又倖統的にその取引分
野を墳にしでゐた、従って雨着の需給表せやその比偶に欒励を釆にすことも亦巴むなき爽醜であつた。殊に雨
貸は本来馬蹄銀を主鰭とする驚銀であったが漸次↓蜜鹿の銀なくして、叫定の品位と普及を基礎とする計算軍使
︹〓し
だけが遊離して﹂扁ひられ、それに教程のものが存在してゐた。よつてこの種々なる丙につきで計算を行ひ贋際
の受殊には銀元を以つでするといふ如きことも歴々行はれてゐた。磨繭改元は此の根本的弊寄並に之に附随する
拷櫨の不利不便を除かんとするものにして、之は既に民圃の初年から掟栴されてゐたが、民団二十二年︵∵九三 三年︶初めてその軍規を見にもので、ぁる。之には主としでカツ氏その他支那に於ける財政粁臍専門家の意見が参 ︵12︶ 酌されてゐる。 ︵11︶ 宮下忠雄著 支那貨幣制度論 七六貰 ︵12︶ 宮下忠雄繹 カン支那過度論 二九六貰以下殊竺ニ・〇四貢三 怯 幣 の 制 定
上述の如き事情の下にその鸞魔の避妊せられにる支那の幣制改革は、果然必然的威力の下に一九=五年十方四日より驚施せられることゝなつた。それは⋮九≡五年十刷月仙日南京に於て六申仝命開合式が行はれたるが、
此の時に常り兇漢が要人を乱射七時の行政院長江兆銘も亦畢傷を負ふに至った。よつで政府は南京に戒舵令を
法幣封集の種々相 ︵こ〇山︶ 九︵二〇二︶ 州○ 第十四谷 第主血鶉 布いた。かくして政治的動播は勿論であつたが、他方之によりて銀行の取付、商取引の不安を宥恕し寸刻も檜預 すべからざ竃情勢となつた。常に於て政府は十嘲月三日夜累葱令︵財政部布告︶を以て幣制改革の大綱を蟹表し、 梁川口より之を驚施することゝなつたぐ之が内容の概略は身の如くである。 ︵こ∴ 中央・小図・交通三銀行の敢行非を以で法幣とするっ︵後に中間農民銀行の敏行券をも淡幣とした。︶而し てあらゆる租税の納付及び公私の支彿にはこの淡幣を以てし、甥銀の任川を許さない。 ︵二︶∴中央・申団・交通三珠行以外の銀行券にしで骨って財政部の認可哲経て智行せられだるものは、現在の まゝ流通を許すも、その敢行覇は十叫月主日の流通高を限度とし、且つ漸次中央銀行穿と引換へるものとする。 ︵三︶ 淡愕準備金の保管及び法幣の敢行牧換を魔球する矯め奇行準備管理委員倉を設鹿する。 ︵囲︶ 銀銀行枕、商店、公私の機関及び仙人にしで本位銀貨、その他の銀貨、銀塊、銀類を所持する者は張行 準備管理費良禽或はその指定する銀行に引渡して法幣と兜換すべし。 ︵五︶銀貨を以て定ゆにる契約は、期日に至り各々原定の金額を淡鹿養以て受瀾決済すべし。 ︵六︶ 法幣の対外為替相場を硯赤の相場に安定せしめる蔑め中央・中観・交通≡銀行は無制限に外囲焉替を碧 質すべし。 .以上に蟄約せる此の∵月の布告によりで、固民政府は、従釆極めて困難とされてゐた幣制改革に加へて錬の国 有、為替の安定︵封英‘∵芯二片年基準︶等の効果をも収めんとしたのである。
此の触制改韓の張襲サヰれたるとき多くの論者はその不成功に終るべきことを懸念した。その最も罪嬰なる理 由は支那は年々輸入超過の固である、伐っで規銀の固有を行ひ、之を貿易英覇の文殊に充常して行けば湛ひに銀 の洞渇となり此の幣制の抑持が困難に陥るであらうとの見透かしであつ仁。然るにか、る幣制改革の蔭には英米 の援助があり、殊に常時支那に衆てゐた英閣政府の最高拝啓顧問リースロス卿ハSir耳ed乳ckL監7ROS∽︶が 多大の助富を指しにことは疑なからう。佃その上英閥政府が慮鋼の金融的技勒をも劇へ、叉常時の駄文大使カド ガシ刑︵S恒rA訂andeぺCadOgan︶は支那在留の英団民に判し法令︵只ing.s野鼠a沖i。n︶を以で鎌の使川禁止を 命じその違犯者には描罰を以て臨んだ。 叉仙訟にはリースロス掴は支部は囲際貸僻上の債務財にあらやして驚は偵構図である、その浮揚には鉄蹄問に 非らざる支那に二十五億オンスの鋭を保有する寄琶を見る、よつて支彿藤過によ鱒幣制維持の困難といふ如きは ︵13︶ 仙の杷嚢に過ぎやとなしたといはれでゐる。それはとに角と心ても事驚上、此の幣制改革の行はれたる禦年、.即 ら叫九三六年は数十年額稀に見る壁用物の大豊作にして、約二十億元の超過所得を生じたりとさへ云はれる。 ︵13︶ 土足計左右迎 接解の詩︵国際パンフレツー通信i劇四九鶉︶七貰以下参照 支那が仙般的に輸入超過国なりや輸出超過圃なりやは速かに決し難しとするも、此の⋮九三六年の大盤作は成 ︵14︶ 程度造事密にして、之は多くの論者の辣想せざりし、幣制改革成功の仙犬嬰園で偽つだであらう。 ︵14︶ 大島讐琵もざのエ入なるご.と盈昌ざれてゐる9大息慧還由際金融の表替問題 三二罷参照 法幣封館の様々相 ∧こ○≡︶−−
︵二〇四︶ 〓一 革十四番 第三渋 期くて、仙九三去年秋の幣制改革は支那の政治梓溶の動乱の中に誕生したるものにも拘らず、良くその成功を放 め、支那全土に亘る幣制の統⋮、焉衝安定の驚を奉げ、依って固民政府の威信を海内に布くよすがともなつた。 併し反面之が固民政府をしで封日統率に防ち得るとの過信を抱かしめたる禍根ともなつたであらう。
四 貿 易 通 貨
以上昏人は法幣制定の過程を略述した。勿論それが穀雨的な経過の記述に止つて内面的洞察に偶れてゐないこ とは何人よりも筆者の最も良く知るところである。併し限られた紙数に比較的多くのことを盛らなければならぬ 今の場合叉巴むを得ざるところである。仇って次に吾人は進んだ番欒教生後に於ける情勢の考究に入りたいと忍 ふ。 昭和十二年七月七日凝然今回の事蟹が勃賛するや吾が図に於ても臨時軍時費の支出となつ仁が、困民政府に於 ても茸覇の軍事費の支出を必要とするに至ったであらう。︵その額に於ては到底常闇の出費に比すべくもなからう けれども11藤し支那は質問の如く速く派兵するのではなくして甥地にて故ふのであり、又その軍隊に射る給輿 の如きも極めで貧弱であるから︶。併しかくの如き臨時の椚姥に勤しては兎角不換紙幣の埼牽を誘致する傾向があ り、叉支部従来の方淡に顧みるとき常然か∼る方途に呵づ好きであつたのが、今回は特に紙塵即ち淡幣の韓行を 憐登に行ひ、補しも財卯の戯稀を惹起すが如き埼敬を避けに。されば仙九≡七年七月に於ける淡幣の敏行級額十四億四千鍔元程度ならしものがその年末には十六億四千筒先程度となり、今日に於ても準淡幣の贅行額を加へて
傭十九億に達しないと親られでゐる。誠に番欒→に於ける支那としではその檜肇向極めて僅少と云はねばなら
ぬ。之には勿論獲行準備森島宙の努力に侠つもの大であらうが他方英園側に放て淡幣至境の貿易邁僚となし之
が擁護に乗出し、淡幣の封外債値安定上
多大の努力を彿つにものゝ如くである。而て今日に於ても侍浜幣の慣値
擁護に︵仮令その馬懲基準に欒化を釆たしにとはいへ︶蓋盈と桔つでゐる。韮に好て吾人は所謂貿易通貨につき少しく俄れて選きたいと思ふ。
貿易通貨は通常英語にては→radのm昌eyOニradecOin猫逸語にてはHande訂mぎ琵といはれ、犬偲に於て貿易苗傾に於ける文雄手段を指すものゝ如くである。而して抑之は金屠主義的貨幣制度の下に於ける所産なる
が故に従来は銭貨として概念されて釆た。それ故に屡々﹁貨幣﹂︵害n巾¥Ge宮といふ文字を用ひゃして、特に ﹁銭貨﹂︵COinu竜野N①︶といふ文字を川ひでゐるのであらう。 さてかゝる貿易通貨の最も題著なる山例はかの益銀︵M乳canD。−︻ar︶である。墨銀は一五三五年以釆メキシコにて鋳造されたる銀貨にして、その鋳造の時代によら多少の相違はあれども近代の晶銀は叫七七二年のズペイ
ン弗と近似した量目と品位︵即ち品位子分の九百〇二の棟準銀二七九七グラム、換言すれば囚二七・七五グレーン の恩目を有し、経つで純銀三七七三ニグレーンを含有する︶とを有する。併し後年に至b多少その品位並に最自の増加㌢不しじ。此の愚鈍は降りメキシコ園内の通貨たるに止まむす、諸外国に輸出され、南北アメリカ、比律
法幣封魔の種々相 ︵こ〇五︶ 〓ニ帝十川容ノ 女王択 ︵二〇六︶一週 寅、海峡癒民地、彿領印度支部、受郵等に放て貿易川通焦としで川ひられたものセぁる。後年敢行され仁、香粘 弗や日本の貿易銀や、彿蘭酉の貿易ピアスケル︵Pia賢①d00COmmerCe︶或は米機の所謂資易弗︵TradeDヒ訂︶ ︵15︶ は犬惜この鼻銀の品位と螢目、とを基準としたものであつた。 ︵15︶↑pu篭ilざJ・Fal弓enC2、A欝w−首OS旨nCnぎneYC完d訂呂d買ces・邑﹂・CEe宅一室pp・N︸巽︶ OU切︹AN∞芦ete. 其他左記参照 枠下剛執筆﹁遣西昏蝕﹂金融大酢典 第≡容 二ハO丁重〓ハ01一箪 根岸倍.大谷窄太郎執筆 ﹁叢銀﹂縄済聾辞典 第五番 二三六八−÷二二六九冤 五 吾閻 の貿∵易二執 丘乱発易通貨の小﹁貿易銀﹂は日本が持った厨易通貨としてその流通状態の研究ほ常人の興味を誘ふものが犬で ある。されど今之を詳論すべき蹄期には非すと考へられるが故に只その概要を示すに止める。 貿易銀は初め登園銀、叉ほ園銀と糾しで、明治の初年政府が﹁貿易上の利便を謀﹂る馬め躊造せるものにしで、 従亜流通の蓑銀、即ち墨酉滅﹁ドルテル﹂と並行的に流通せしめんとしたものである℃夫れ故に之は園内通債と しでではなく寄ら貿易通貨としで用ひしめんことを趣旨としに。此の鮎は明治川年制定の新貸條例に明示されて ゐス芯
﹁各開港場貿易便利の薦め常分S内申外人民の誓に應じ一.園の銀貨を錦過し之を貿易銀と虜して通商の流通を 賛ぐべし。 此▲仙 て内地の諸税椚方等公なる彿方に周ふべからぎるは勿論其他州般の通用を得ぎるべしされども私の取引に付相 封の示談を以で受取渡しいたす分は何れの地にても勝手次鋳たるべし。 各開港場諸税受取方に付叫閲銀と本位金貨との慣格比餃は首分銀貨冒園に付本位金貨官等仙園の割合たるべ し﹂ 上述の如く此の劇園銀貨は新貸候例により﹁貿易銀となししと規定されてゐるが、之は取りも直さず﹁貿易川 銀貨、換言すれば貿易通貨と指し﹂といふ意味である、而しで常詔銀貸をのものは表耐に﹁﹁閲﹂と刻印の附せ られた銀貨、即ち閲銀であづに?葡此の閲銀の品位は千分の九石、盈官は囲叫六﹁トロイゲレイン﹂、純銀濠は三 七川・四﹁トロイゲレン﹂であつた。 然るに政府は明治八年二月二十八日太政官布告堕二十花蛇を以て左の如く改正した。 ﹁大阪迫幣寮に於で農道鋳造の貸園銀今般蒐に亀田相檜貿易銀と唱ひ絶て袈裟の模棟数目の公蓋競琉邁痩の割 合等夫々別紙の通改屯鋳造候條此旨布借候事﹂ 之によりて貿易鋭は農園川二〇﹁ゲレイン﹂となり、〓園につき囲﹁ゲレイン﹂噌蟄となつた。叉小紙に貿易銀 鴻伴対魔の種々相 ︵こ〇七︶ 一五
発きに法幣の蟹行額の檜太せざりし春賀は之を述べじが、恨令之が増額を抑制するとも、戦時中政府支出の丘 額に上aとき、叉従って民間の貨幣流通が増加するとき、何等かの貨幣代用手段を用ふることなくしては到底蜜 際上の取引の疎通釘便じ得ない。依つで之が便放として採用されたものに泄割判慶がある。 第十四番 発言班 ︵こC八︶ 〓ハ はその銀貨砂嚢簡に﹁貿易銀﹂と刻印せられることゝなり、いはゞ名嘗共に﹁貿易銀﹂となつに。 此の檜鹿は・仙人七≡年︵明治六年︶米観政府が、東洋語閲に於て量銀を排除して自問通貨を耽適せしめん馬め に恐行せるTradeDO−一aユ貨幣両の下部に此の文字に記威せらる、品位九〇〇、量目川二〇グレーン︶に追随せ ︵16︶ るものでぁる。然るに米国にても之が普及に成功し得す、亦吾が囲に於でも同様の運命に路つに。 殊に政府は明治十叫年露月に至り貿易銀を革なる貿易通牒王るに止めや、史に撫制限の強制適用力を有する本 ︵17︶ ︵18︶ 位貨幣に迄其の地位を高めたにも拘らず、その十叫月には之が鏑造を見合はせ園銀将敢行のことゝした。 ︵ほ︶ 卜ggE訂−J●訂urenee︸つFⅦHistつr当亀望昆et註isminl訂亡已tedS琶歩きF Ed.芦Yい一駅芦 篭・一〇N持 ︵17︶ 明治十山年五月こ十七日 太政官布普 弟十二舵及東十三披 ︵18︶ 明治十1年十−月二十六日、太政官海曹 界三十五輩 六 億
瀾割とは元来手形相殺の意にしで従確守り備す透写句でぁる?然るぷ漕割制度とは今春腰後周民政群がモラト リアム人非常時期安定妙法︶を布き預金の引出Ⅵ﹂毎週預金残高の苫分の五迄に限定せる篭め﹁之に基く金印層 塞を腰和することを直接目的として上海銀鎗摘発同柴公愈に伐つで蟄零し、財政部の許可を得て賓施された安 ︵牲︶ 定金融補充塀故にょり生れたものである。蕎に云ふ臆測は次のものを指す。 仙、八月十六日︵山九≡七年、民団二土ハ年︶号フtリアム賓施後に費行せられる上海支那人銀行の自己振出 小切手及び預金者が引出制限を超えて振出たる小切手。 二、八月十二日前に敢行された上海垂加人銀行の岳竃振価小切手俊び層金者振出の銀行宛小切手。 三、湛割の取得者がそれを支部人銀行に預入れで得たる金額に封しで振出した小切手。 ︵19︶ 大島皇遺著 国際金融の虫嬰問題三こ三賞 此の湛劃中銀餞軋潜航掛出したるものには二伸に、同輩髄謝庵る印を押捺することゝなつてゐる。而しで此の 騰剖の特選とんでは法幣又は外囲為替と允換せられざることがその最も頗著な㌃ものである。依ってカン氏は之 を以て閉鎖預金︵B−OC訂ddのpOSitaccO亡nt︶とし、閉鎖貨幣︵空OCk乱dOロar︶に非やとなすが、エルスターや べ√ノダイクセンの如く振替貨塵︵Gir思已d︶を許す立場よち革へば叉軸横の貨幣といひ待よう。併しそれにして も涯割は濱侮並に外囲馬替と絶縁闘係にある便宜的支彿手段なるが故に、割引かれたる慣格を以て取引される。 然かもその割引率﹁盤せや、歳時は年三〆位叉或は八%となりて叫定を見ない。ノ之れ篭し涯劃の流通閲滑を得る 港衛封舘の種、々相 ︵二〇九︶ ︼地
昇十四攣 弟≡朗
︵二岩︶ ス や否やがその割引率欒動の主要原閑をなすむの1如くである。而しT涯劃そのもの∼是非よりはその割引率の不 ︵20︶ 安定が問題である牟いはれてゐる0 ︵仰ご 正金週報 昭和十四年・発六戟排撃﹁上海市筋金融と漑劉﹂ 参讐七 初潮の韓幣封象
事欒勅語の嘗初は吾が政府は不鏡大方針を持してゐたが政に族称に封する封策も自ら積極性を示さなかった
し、又通貨改築とし′でも北真の.みが目棟であつた。兜づ軍隊の行動する場所にて皿必ず兵貼が伴ひ、之に必要な物資は本国より輸送を仰ぐ場合もあるが叉現地に
で調達するものも決して少くない。その際如何なる方法を以で物資を調達するかは決して趣からざる問題であ
る。而して若し無償徴収するのでなければ、何等かの封慣が支梯はれなければh苫ぬ¢併し封慣として排出すも のもさなきだに物資の充分ならぎる出発に於では何等かの貨幣を用富こと∼誉。この貨幣に頭他流通のも劇を使用寸るか、田鹿軍隊の本図の滴貸を利用するか骨せ層々の番情恵よ句相違あるべきである。
吾が政府に於ては北支に於て粛眈美事欒前朝鮮銀行弁の流通せる番管ぷ基き、、之が流通の環東強食を計らんと
した。尤もその他に慧加々俊明する賽もあつたが、之が印刷の急の間や曾げなぃ笥悼もあり、叉徴窄謹穿たる軍
票が交郡民衆に輿へる影響をも考慮して之を使川し雪い方針とした。従・つ・てこ・∼に兜づ群銀器械通の計測を以て臨んだが、恐らく之が流通に劃する強制力も強大枯らや、叉鮮銀券所持者が他の、商品或は外囲薦懲を碓得するこ とを待ざる禿めに、鮮銀券の遍的流通をば期待することができなか′つた。依って第三のエ作として玖地の額券 銀行を育成せんとのカ針に時じ、河北省銀行を選んでその勢行券の流通を計った。而して折柄出廻りの棉花買付 は∵切この河北省銀行界によること、した。然るに奥地農民は河北券を受取らやして法幣を要求した。よつて商 人は巴むなく河北券を中囲・交通銀行等に預託しで淡常に代へ以て棉瀧の買付をしなればならなかった。河北券 を受取った中開・交通銀行等は自行に於ける河北省銀行預金を切落して河北券を返却して釆た。かくして切角助 成せんとしに河北歩も只市場を▲叫巡したるのみで叉敢行者の手に炭ってしまつた。かくては到底通貨たるの使命 を兇たすことを得ない。 ︵21︶ 韮に於て強力なる〓軍容銀行を創設するの案を樹て︵昭和十二年十小月朋議の決定によるといふ︶、それが臨時 政府の﹁中図聯合準備銀行傑例﹂︵民団二十七年二月七日公布︶となつて硯はれ.三月十日同行の開発とまでなつ㌔ ︵21︶ 今村忠男著 支那新幣制の話 二六−七賞 二︶ 中国聯合準備鈍行の組級 今、中国聯令準備銀行の組織薬療等の大要を話せば次の如くである、。 漁欝封麓の種々相 八 聯 へ土エこ 〟九
弟十四海 東三罰 ︵ニー二︶ こ○ 同行は臨時政府の命により、股扮有限公司︵株式倉敢︶として設立され、絶行を北京に琶き、分行を国内主要 地に設ける、人中国防合準備銀行儀例第二傭、琴二催︶ 資本金五千萬元とし、之夢二株百元五十萬殊に分ち、第叫次彿込はその二分の鵬とする。︵蟹ハ條︶ 引受株の割宛は政府に於て二十五萬株、筏飴の二十五萬株は中図法人たる銀行に於て分拾引受けとする。︵第七 條︶ 此の株式引受者の第叫次彿込金は爽の通りである。
此の剤宛に基き臨時政府は二十五瀾株数引受け差借り第山吹彿込金とし・て千二百五十薦充の彿込を甘さねばな
巽 中 塑 大 金 河 交 中 政東南染陸城北通園
倉 銀銀銀銀銀超銀銀 行 行 行 行 行 行 行 行 政 一、二五〇萬元 四五〇商売 ≡五〇萬元 八〇萬元 八〇筒元 入〇両元 八〇南元 八〇偶元 五〇萬元らぬ、よつて之が彿込資金をば藩閥の童銀行よりの融資に和いだ。即ち朝鮮銀行よ旦ハ百五拾萄元︵現銀にで一二 濫○薦元、園札にて三〇〇薦元︶−正金銀行、興業銀行より各三〇〇掲元︵閲札︶の融資を受け、槍保に.は政府名 義の聯銀株を差入れ、期限は十サ郁利率は準用分の約定とした。 由比の他吾が方としてはご肩七日、大腰省並に日本銀行斡旋の下隼∵吾が開銀行固より中開聯銀宛一倍鳳のク レデイツーを設定すること∼なつた。その期限は一ケ年更改とし、驚際にクレデイツーを利用する場合の條件は その都度決定することゝし圭。此のクレデイツ†供輿に参加した銀行はjE金・興銀・鮮銀・三井・三撃安甲 鶴高・住友・三和・野村・愛知・名古屋・盗銀・神戸の十五行である。 聯銀株の引受をなしたる支那側銀行は各行とも硯銀を以て彿込をなす筈であ牒。而して大多数の銀行はそれぞ れ之が彿込をなせるに、中国・交通の柄行のみは言を左右にしで規銀の彿込を履行せやといはれてゐる。 中閲聯合準備銀行は政府より墳簡の琉追及び準行の特権哲戯興せられ︵第九條︶、その貨幣は公竺律に藩用す るもめとせられでゐる︵第十億︶。之によつてみるに聯銀の張行する貨簡は、紙幣たると硬貨たるとを間はゃ、無 制限の強制通用力が附興せられてゐ乙のである。 聯銀の牽行する貨幣の種類は次の如く定められでゐる。︵申観聯合準備銀行貨幣奇行苛程第二僚︶ 紙 幣 髪膚園・拾園・料簡・璧園 硬 貨 克角・就角・璧角・五分・塵分・五度 法館封簾の種々相 ︵二〓ニ︶ 二膚
弟十四革 第≡既 ︵こi四︶ こ〓 此の規定にきれば五角以下はすべて硬貨として鋳造される箭であつたが、その後小額紙幣の恐行もなされるこ とゝ月り、 方の端に人物が刷込まれてゐて、百園余は黄帝、十園券は閲射、五園券は兵飛、空風券は孔子の像七なつてゐる。 ︵こ︶ 掛銀券の幣制的性格 之等Ⅵ紙幣につきでは何等の免換規定も存せす、叉他に本位貨幣と目すべきものなきが故に、取りも直さすこ の申開聯合準備銀行券は臨時政府治下の本位貨幣である。換言すれば臨時政府治下にある北支の幣制ほ、謝洲団 の幣制と同様香それ以上の意味に於て純然たる紙幣本位制でぁるといって七い。蓄し満洲固の幣制に於ては召園 十園・五園・仙風・五角の紙幣その他祁助硬貨があり︵満洲図貨幣法帯川俵︶、紙幣は無制限に淡貸として適用し、 錯覚は額面の百倍追放貨としで蟻川する︵彷五條︶定めなるが﹂此の紙幣には免換規定は何等存しない。併し乍 ︵22︶ ら貨簡閲位﹁瀾﹂の内容はクナ、ップ\︵G・F・習竃p︶切断溺金属主屠的甘定義の仕方により、鋭の分畳を以で定 めてゐ宣。即ちその貨幣淡鎗二條に於て﹁純銀の最目二三・九二郎を以で愕格の畢位とし之を園と柄す﹂と規定す
る。棄て之は番驚上紙幣本位莱富儲が銀嘗芳定誓れてゐるが故に拘賓位監誓ゐる。
然るに中開聯銀盤の場合は々の貨幣革位﹁園Lを金風的に定義することなく、叉允換の規定も勿論ないからであ る0 ︵22︶ G・増・舛npp−︺ふぎこiehe↓FeO計desGeld袋●ひ.Au留民昏註en亡nd訂ip臥恥一紆一㌫小叫.︵幻︶︰内芝目e︸謬rieh小︾琵¢e芦PA墓﹂Leip已的︼諾ぃ・S・至当・ 併し乍ち斯ヰの如き聯鉄幹にも錦敏行準備の規鬼は存すそ=之恵ん瑛蟹の貸借法制上予放解慣他の安定を計る 薦め必審査る最少限度の規定なるが放であるとも考へられる。されどかく允換規定の存する限りは、ディールの ︵24︶ いふ意味lこ於ては贋に紙幣本位制慶の下あるもめとはいひ得ないかも知れない。併し若し然りとするも、中尉聯 銀券の場合は硯貰に存する幣制細魚も紙幣本位制度の貰質の豊か芳藩のといはねばならぬ。 ハ餅︶ 舛aユ崇eE−芦竃eti釜¢欝tぎ註hOn。已e・p署・訂苫ヨn登首鼠声.Jenp一得勺・∽・∽じび巧・ とまれ聯銀券に封する準備率は∵その磯行胡の四〇勿以上の硬貨準備と、六〇〆以下の保澄準備となつでゐ る﹄正貨準備の内容ぼ金銀、一外囲通貨或は外樹通貨預金でめち、後の二者は寄留上円本葉酸でぁる。保羅準備の 内容は公憤、政府蟄行成は政腐保詮の手形及び静券﹂或は蹄柴手形、その他確驚なる誇券、或は貸付金となつて ゐる。 ︵三︶ 聯銀券の日本風へのリンク 正貨準備の内容中恐らくその主要部分が日本貸簡である関係もあり、叉搬洲困貸簡が日本の園にリンクして居 り、北安は浦洲とは事情を異にするとは云へ又隣接地域にある事情等によりヽ′或は、もつと・根本的な観察をなせ ば、貨幣が日浦安経済ブロツノクの紐帯としでの草野な役割に顧みて、その慣倍を相互に共通にせんとの意圃.によ つにものであらスノか1せに角聯銀券の鳳は日韓の▼園と等慣関係に置かるゝことゝなつた。これを等倍関係に置く 法幣封簾の様々相 ︵こ山五︶ 二≡
第十阻撃・準三野 ︵二二ハ︶ 二四 といふことは予然らば何を基準に心て此の目的を達するかの問題を直ちに伴ふT来る。その際考へられる方法が 二つあや。⊥.は貨幣の封内債億一︵いはゞ購買力︶を等しくすることであり、他はその渕外債値︵大凡外囲馬琴相 場にて知り得る︶を等しくすることである。その前者ぼ密行上至難なる鮎もあり、叉之が欝績の必やしも明瞭な らざる理由にも依るものか、驚際上には彼の方淡が搾印された。即ち封英為替相場を日・轡北支とも共通に一 志二片盤準に釘付けせんとの方針がとられた。 すべて物事には功罪両面が楓件ふ、並の場合も亦その癖則を免るゝことを得ない。即ちかく浦洲閲の園と共に 北真の園を日本の閲にリンクせることより生する利鮎は、 て上記の日清支経済ブロックの細野を緊密抗するとの一大眼目に轟きるのであるが、錦細論すれば、 二、資本の移動に際しで虜替相場奨励の危険密除き得ること。 三、貨幣受沸上の伴食により日立問の貿易関係を仙骨好調に向はしめ得ること。 四、苦し貿易上北真の輸出超過となれば、それ焚け日本の封外玄孫忽軽減し得ること。 克とが考へられるゆ ∴次に反面不利益の鮎七蓼げれば左の如ぺであるバ て北受Ⅵ仝航的簡際収支が真珠超過となれば聯鋭券の封外債値絆持が困雑上なり、之とリンクせる日本国に も影癒する。
二、日本より北支へ・の輸揖は所謂園ブロック内の輸出であり、その受取代金は直ちーこ外貨とならぎるが激震野
本の輸入資金の手首は騨途に考究しな射ればならぬ? 三、一日本園の為替相場は︵常時の状況厄於て︶北克と申碑文とで多少相違し、北真に安く中南真に高き薦め北支資本の中碑文向け逃避の危険がある。
以上は聯鈍非番行触後切情勢であつたが、愈々乏が流通に常つては∵その以前に恐らくは橡期せられなかった
=・・・・∧抽象的にはとに角、少くとも具髄的常は漁期されなかった1事情が勃教㍑に。此の鮎は後に学べるこ上として、聯銀幕敢行塩田り淡特に判して探らわた態度ぉ先づ以て顧みでおかねばならぬ。
九 北支に於げる駄幣の清濁
申閲臨時政府は聯食滞備銀行の細誉粗目たる三月十日附を似て・﹁葡通貨塾理耕法﹂並に﹁粁洒撹乱行為に関す
る取締桝淡﹂の二法令を出しで聯銀券の流通の普及と撤庶とを計らんとし七。加ち之が説明の必要上の最少限度
としで葡通磯路理桝淡彷∴二、⊥二條を左に掲げる。
第﹂條 申圃聯合準備銀行の菟行する貨幣は図解として放ての支彿ほこれ芯よる・ものとす、。侭←従来流通せ
し各紙常については本耕法により流通を認むるものとす。
第二條鹿爽流通したる坤園銀行及び交通銀行の紙幣︵碁商に天津・蘭島交は鉦寵の銘記あるもの︶河北省 法幣封寵の種々㌧相∵ ︵こ岬七︶ こ五発十醤啓 発lニ壁 ︵三八︶ 三ハ
倣わ及び巽東銀行敢行の紙幣ほ本郷淡施行の日ヰ£讐年間を限り流感する串を得。
前項に摘ぐる紙幣は圃常に勤し常分の問図微細園につきM囲の割合を以T流通するものとす。節三條 徒兼流感したる中央銀行饅行紙幣並に前條に銘記の地域外の申輯銀行及び交聴銀行勢行の紙幣は本
鞘洪施行の日より三ケ月を限り流通することを得。
由頓に掲ぐる紙幣は図鮮に封し訂分の樹図解側聞につき鵬園の割合を以て流通するものとす。
元来北真に流通する洪幣即ち固民政船系の紙幣には所謂北方弁と南方発との別がみる。北方弁は紙幣前に天津
蘭島・山東といふ銘記の存するものにしで、そか以外の地名の記入されたるもの、又は何等地名の記入なきもの
を南方弁といふ。よつで簡通貨典型耕洪の示す洪簡封策は、要するに北方弁はいはゞ地元の通貨なるが故に比較
的俊過し仙ケ年間の碓通檜預期間を輿へ且つ常分の閉園簡と洪簡とをパーにて流通せしめることゝした。然るに
南方券に封して最初より確乎扱にしてその流通期間旦ニケ月と限定んその以後の流通は原則上許さぬことゝし
た。併しその三ケ月の南方券流通独橡期間内は囲簡とパーにて流通せしめる†心と∼した。 而して恰かも三ケ月艇過せる民団廿七年︵昭和十二養︶六月十日以降は緒方穿につきては、その他の雑穿と共 その流通を禁止した。此方券につきては一ケ年の流通抱預期間は偏するもの∼可及的速かに之が回収を計る薦 めヽ八月八日よ、り陶解即ち瀾銀券に封も二劉の引下げを行つた。次に民国二手八年︵昭和十四年︶ 叫旦二日に至 り財政酢布儀を以で、凍る二月サニ日以降更に三割の引下げを行ふ可き旨を明示し、.北方券の回収を岬暦速かならしめんとした。而しで預定通り≡月十日以後は北方券その他仙切の懲通貨の流通を褒≠し、敢へて之を犯す者 ︵25︶ に酎しては鰻刑或は罰金を課することゝした。 ︵25︶ 金融凄胤幽閉法 ︵:方寸脚日公布︶ されと事葦上に於て中国聯合準備銀行設立常時北支に於て約二感元の流通額ありとせられたる法幣その他の雑 ︵公︶ 券がその後Wケ年間に交換又は回収されたる金額は僅々三千耗元群鹿に過ぎないといはれでゐる。而して二、≡ ︵27︶ 千些冗は天津租界に在り、二億五千薦先程度は所謂踵属地幣に逃れてゐるものと考へられてゐる。それに・も拘ら す聯銀券の敢行高は二億に達した。 ︵鮒︶ 大阪毎日新聞 ≡月八牒費 北京特電 ︵27︶狂時璧聯銀塊裁の蟹明啓北京三月九自費同盟 韮主於て臨時政府は極めて巧妙なる便法を採用した。そ弟履蔵初の新剤通う淡解その他の衛通貨の流滝は原則 上禁止せねばならぬが、事貰上街多額に戎存するとすればその流通は自ら行はれぎるを得ない。然かも之を悉く 虚聞する如うは到底不可能であそ由へで之を行へば偶然その違犯を姿見されたる者のみ應罰を受け、大多数の 未適蓉の違犯者が虚荊を貌がれるといふ結兼と打†り、治安工作上面白からぎる影響を生するからである?よつて 常局が採用せる便法といふのは、北支を伐りに聯銀地幣と匪院地帯と五分ち、前者王放ては聯銀券の流通を徹痙 し、葡通貨の使用を許さす、ノ後者にありでは十本地帯︵郎慣地滞︶にして温帯の劉鮨治安工作進捗に作ひ現地隊 法幣封策の種.々相 ︵こサ九︶ 二七
弟十四巻 弟≡輩 ︵二こ○︶ こ八 長より聯銀券との交換命令ありたる地帯は右命令布告の日よ五言月を限旦ハ割の慣値を以て聯銀券との交換を 認め爾後葡適薯の流通怠写﹂ることである。璧桐ふところの聯銀券地帯とは﹁従来の余翻諸士作よりみて常然 聯鋭券の流通徹底しめるべしと認められる地帯にして現地各兵園長よら﹁聯鋭券地帯と右傾す﹂旨の布草のりた ︵ガ︶ る地帯﹂をいひ、﹁聯銀弁地帯以外を匪笛地滞とす﹂るぐ ︵28︶ 臨時政府の通達、北重工月八日賛同盟 以上によりで北支に於て聯銀券の制覇に壷る迄の大株を窺ひ得たであらう。然るに之に関連して計らすも、一 大通貨戦争を醸成すること∼合†り、文中安に於ける薬興券の敢行となり、之に封する腐々驚々の戦略を奮ふこと ゝなつた。稿を栗めて之を述べよう。 ︵七・二〇︶