経済 的効率性 を超 えて
安 田 藤 は じ め に 一一 問題の所在一一I
経済的効率性 と企業社会 Ⅱ 現代 日本の社会構造改革 と経済的効率性 Ⅲ 経済的効率性 と「 日本的経営Jへ
の反省 Ⅳ 経済的効率性 と収益性V
経済的効率性 に代 わる新 たな価値基準 Ⅵ 規制緩和 と自己責任 Ⅶ 金融 システム改革 と自己責任社会の問題点 Ⅷ 経済的効率性優先社会の帰結 お わ り に は じ め に 一― 問題 の所在―― 経済は,人
間にとつて生活するための手段であって目的ではない。経済の目的は,貧
困を失 くし て人々が安心 して暮 らせる社会を創造することにある。それなのに,い
つのまにか経済それ自体が 目的となってしまって,景
気回復のためには,リ ス トラによる大量解雇 も正当化 され,その結果, 失業による生活難 という深刻な貧困を招来 し,人
々が安心 して暮 らす社会を破壊する事態が進行 し ている。これでは,何
のための経済なのか,と問われてもしかたがない。根本的に,経
済が社会 に 対 してもつ意味を考えなければならない時期に,い
ま日本はさしかかっている。 経済だけではない。政治,財
政,社
会保障,教
育など,これまでわが国の社会 システムを構成 し てきた主要な要素についても同様のことが言える。 しかも,これ らが現在,こ とごとくシステム改 革の波に洗われようとしている。そ して,その改革が急激であればあるほど, もてはやされるよう な風潮にある。改革 を急 ぐあまり,そ
の目的と手段 をとり違え,人
間と社会にとって,と り返 しの ないダメージを与えて しますこ とがあってはならない。 そうした愚行 をおかさないために,現
在のような歴史的転換期 にあたって,安
易に「時代の流れ」 という改革の風潮に無批判に身をまかせるのではなく, どのような社会がそこで生 きる人間にとっ て必要なのか,が
真摯に問われなければならないであろう。そのような意味において,ま さに社会 の変化 を歴史の流れの中で位置づけ,未来に向けてその社会 にあ り方を総体 として問う社会哲学が, *FLT」ITA Yasukazu 経済学 (財政金融論, 日本経済論)専攻藤 田安一:経済的効率性 を超 えて 現在の日本ほど必要 とされる時代はないと言える。本稿は,こうした観点から
,従
来の日本社会の あ り方を反省 し,今
後の日本社会のあるべ き姿を示そうとした私のささやかな問題提起である。 本稿の課題 を,は
じめに明確 にしておこう。 「歴史の進歩 とは何か」あるいは「社会の発展 とは何か」 という問いを発するやいなや,そ
の問 いの中にある「進歩」や「発展」は, どのような価値基準にもとづいた進歩や発展 なのか力乳 たち まち問題 となる。 もちろん,人
によってさまざまな価値基準 を設定することは可能であろう。 しか し,そ
れぞれの 時代には,そ
の時代背景 を投影 した,い
わば代表的な価値基準が存在するものであ り,時
には,そ
れが強引に社会を現実に改革する指導理念 となる。 この理念が,こうして社会のあ りようを決定する力をもつだけに,その時代の価値基準 を抽出し, それが現実に果た している役割を明らかにすることは重要な意義 をもっている。 さらに,そ
の価値 基準が社会の「進歩」や「発展」にそ ぐわないものであれば,そ
の問題点を明 らかにしつつ,新
た な価値基準を設定 し直 さなれけばならないであろう。 本稿の課題は,以
上の問題意識にたつて,現
代 日本の支配的な「進歩」や「発展」の価値基準を 抽出し,そ
れの批判的検討をつうじて,新
たな価値基準 を提起 し,そ
の正当性 を論証することにあ る。 まず初めに,現
代 日本の支配的な価値基準 とは何か,そ
れを抽出することか ら始めよう。 経済的効率性 と企 業社会 経済企画庁は,『個人優先社会 をめざして』 というレポー トにおいて,戦
後わが国の社会 システ ムを経済効率第一主義 と特徴づけ,つ
ぎのように述べている。 「戦後,日本国民は経済復興,経
済発展に営々と努力を重ねて来た。そ して,国
民の勤勉 と関係 者の努力のおかげで,日本経済は開発途上国なみの水準か ら世界一 と言われるところまで発展 して 来た。これは確かに偉大な成功であったが,国
民のエネルギーを経済発展 に集中した結果 として経 済効率第一主義の社会 システムがで き上が り,また人々の考え方の中にもそれが強 く根 を下ろして しまった。 そのために狭い意味の企業,つ
まり民間会社だけでなく政府や公共機関,公
益事業や自由業など あらゆる分野にわたって,仕
事の効率第一,職
業中心のシステム,習
慣,考
え方が確立 して しまっ た。仕事のために個人生活や家庭生活を犠牲にすることを厭わない,或
いは悪 としない風潮 もでき てしまっている。長い労働時間と通勤時間,狭
い,或
いは質の悪い住宅,産
業設備に対する生活関 連社会資本の整備の遅れ等は,全
てこのような日本社会の経済効率第一主義の構造の生み出したも のと言えるであろう。」。) このように,上
記のレポー トは,現
代 日本の社会 を経済効率第一主義のシステムにもとづ くもの であるとの認識のもとで,そ
のようなシステムを「企業中心社会」 という概念で捉え,この「企業 中心社会」を「個人生活中心社会」へ と転換すべ きである,と主張する内容になっている。 ここで言う「企業中心社会」 とは,さ しあたり,「企業をはじめ とする組織の存在が拡大 しすぎ, その目的や行動原理が,個
人の社会のそれに優先 し,個
人生活の自由度が制約 された社会」9)であ ると定義 し,「個人生活中心社会Jとは,「人間として多面的な側面 を持つ個人が,各
々の価値観に 応 じて自己実現を試み,多
様なライフサイクルを志向する社会J。)であると定義 しておこう。鳥取大学教育地域科学部紀要 地域研究 第
2巻
第 1号 (2000) この企業中心社会のあ り方を,か
つて『朝 日新聞』は,そ
の社説「会社が幅をきかす時代 とは」 において,つ
ぎのように鋭 く批判 したことがある。 「それにしても, 日本ほど会社が幅をきかせている国はあるまい。経済大国を築 き,支
えている のが会社で働 く人 という意味あいだけではない。『効率』や『利潤』 という会社の行動原理が,国
や地域社会にも大手をふってまか り通 り,多
様 な価値観はすみっこに押 しやられている。」141 このように,効
率性を優先する企業の行動原理が,社
会の多様な価値観 を排除することの危険性 を指摘 したうえで,上
記の社説は,企
業を改革する3つ の視点を提示 した。 第1に,時
代 に合わなくなった企業の経営理念 を再構築 し,広
く社会に発信すること。第 2に, 地域社会 と環境への責任 を果たすこと。そのために,企
業 も社会の一員 としての自覚 を持ち,良
き 企業市民 (コーポレー トンチズン)と して振る舞 うこと。第 3に,働
くものに対 して,個
人の自由 な生 き方を認めるような柔軟な組織 を確立すること。 こうして,経
済的効率性 を最優先する企業社会のあ り方を,生
活者の視点から見直そうとする動 きが始 まった。それは,以
下のような時代背景のもとで,つ
ぎのような経緯 をたどったのである。 戦後わが国は,生
産優先,企
業優先にもとづ く産業朱護政策を柱 に,1970年代 まで,「経済効率 第一主義」の レールの上を,ひ
たす ら走 りつづけてきた。 しか し,1980年代 に入 り, 日本全体が経 済的豊かさに酔い しれているかに見えた足下で,そ
の地盤を激 しく揺 さぶる事象が襲った。言うま でもなく,対
外的には,貿
易摩擦の一層の激化 とそれを日実 とする日本経済への攻撃であ り,国
内 的には,過
労死 に至る長時間労働や労働強化,地
価の異常な高騰や住宅難などが,そ
れであった。 これらは,今
後の日本経済の発展を制約する深刻な要因として認識されただけでな く,従
来の企 業原理を優先 した経済効率至上主義的な日本社会のあ り方に,抜本的な反省 を加えるものとなった。 そして,経
済の豊かさを国民が実感できるように,既
成のさまざまな社会システムを生活者の視点 から見直そうとする動 きが,社
会各層の間か ら起 こってきたのである。 こうした生活者重視の発想は,1990年代 に入 り,企
業社会か ら脱却 し,「経済大国」 に代 わって 「生活大国」の実現をめざそうとするスローガンとなって,さっそ く政府の新経済計画にも盛 り込 まれた。経済企画庁が1992(平成4)年
7月 に発表 した『生活大国5カ年計画一一地域社会 との共 存をめざして一―』では,つ
ぎのように述べ られている。 「真に国民が豊かさを実感できるようにするためには,今
後,我
が国は生活者・消費者を重視す る視点に立って,経
済社会の在 り方を総点検 し,自己実現の機会が十分与えられたより自由度の高 い社会を実現すべ きである。その意味で,人
間一人一人を尊重する視点が重要である。……つまり, 国民一人一人が豊かさとゆとりを日々の生活の中で実感でき,多
様な価値観 を実現するための機会 が等 しく与えられ,美
しい生活環境の下で簡素なライフ・スタイルが確立された社会 としての『生 活大国』への前進が図られなければならない。」6) こうして,一
人一人の国民が生活の中で豊かさを実感でき,快
適な生活環境のもとで,等
しく自 己実現の機会 を得 られる社会を求めようとする国民の願いは強 く,政
府 をして「経済大国か ら生活 大国へ」 を政策のスローガンに掲げさせた。 しか し,こうした動 きもつかの間,1980年代後半つづいてきたバブル経済が崩壊 し,深
刻な不況 を呈するようになるにつれて,企
業社会 を変革 して生活大国へ,のスローガンはいつの間にか立ち 消えて,景
気回復のスローガンのもと,経
済的効率性が以前にも増 して声高に叫ばれていったので ある。)。藤 田安一:経済的効率性 を超 えて Ⅱ 現 代 日本 の 社 会 構 造 改 革 と経 済 的 効 率 性 しかも注 目すべ きは,この経済的効率性が経済分野だけの指導理念 となっただけではなく
,そ
の 他の分野の改革にも広 く,か
つ強力に適応 されていったことである。その象徴的な出来事が,1996 年H月 に打ち出された橋本首相による5大改革の提唱であった。 そこでは,現
在の高度情報化や急速な少子高齢化に従来の社会システムが適応で きな くなったと いう認識のもと,経
済的効率性にもとづいて,経
済構造改革,金
融システム改革,財
映構造改革, 行政改革,社
会保障構造改革を実施することが述べ られ,さ らに,翌
年1月 には教育改革 を追加 し て,計
6つ の分野での改革を一体的に実施することが宣言 されたのである。 したがって,以
上の6大改革を提唱 した橋本首相の所信表明演説 (1996年11月29日)や
施政方針 演説 (1997年 1月 20日)の
中に,効
率性ない し効率的という言葉が,い
かに多 く散 りばめられてい るか,読
んだものを驚嘆させる。まさに,効
率性のオンパ レー ドである。2, 3紹
介 しよう。 まず,経
済構造改革を提唱するに際 して,つ
ぎのように述べている。 「景気の回復に万全を期することは当然であ りますが,富
を拡大する経済力,技術力がなければ, 豊かな国民生活はもちろん,健
全な財政や質の高い福祉 は実現できません。国境を越 える企業活動 が飛躍的に増大 し,国
のシステム自体が産業の国際競争力を左右する時代 において,経
済全体の効 率性 と柔軟性 を高めることは,国
家的課題であ ります。産業の空洞化や本格的な高齢社会の到来ヘ の対応が手遅れにならないよう,経
済構造改革のための総合的な対策を早急に講 じなければな りま せん。」。)(傍点は引用者) また,行
政改革の提唱では,つ
ぎのように述べ られている。 「わが国の行政システムは,戦
後,貧
困や社会の不平等を解消 しなが ら,効
率的に経済を発展 さ せるという明確な政策 目標の下では有効に機能 してまい りましたが,近
年,複
雑多岐にわたる行政 課題に直面 し,そ
の限界を露呈 してお ります。時代の変化に的確 に姑応でき,国
民のニーズに合っ たサービスを効率的に提供できる行政に生 まれ変わらせるために,行
政サービスの内容 と提供の し かたを抜本的に見直 さなければなりません。」●)(傍点は引用者) さらに,社
会保障構造改革でも,つ
ぎのように効率性が強調 されている。 「急速な少子高齢化が進展する中で,給付 と負担の均衡が とれた社会保障をいかに実現するかは, 国民の公的負担水準 とかかわる重大問題であ りますが,社
会保障の費用は,本
人の負担か事業者の 負担か,税
金を使った国や地方の魚担かにかかわらず,だれかが負担 しなければならないものです。 個人の尊厳 と自立・自助努力を縦軸 として確立 した上で,社
会の連帯の精ネ申を横軸に据え,民
間の 参入 を促 しなが ら,利
用者の選択に応 じ,質
の高いサービスを効率的に提供で きる社会保障制度 を 整備 してまい ります。」。)(傍点は引用者) 「大幅な赤字体質 となっている医療保険制度を,このまま放置することは許されません。国民皆 保険の仕組みを維持 しなが ら,適
切かつ効率的な医療サービスを安心 して受けられるよう,今
国会 に提出する法案 を出発点 として,医
療の提供体制 と朱険制度全般にわたる総合的な改革 を行い ま す。」(10)(傍点は引用者) もう,この辺でいいであろう。こうした執拗 なまでの経済的効率性の強調が,上
記の橋本首相に よる演説の特徴であったと言ってよい。ここでは,社
会構造全般にわたる改革の指導理念が経済的 効率性であ り,この理念が社会発展の価値基準 と認識されている姿が,この演説の中に浮 き彫 りに鳥取大学教育地域科学部紀要 地域研究 第
2巻
第1号
(2000) なっているということを確認すれば十分であろう。 こうして,1990年代 に入って,わずか5年足 らずの間に,個人の多様な価値観 にもとづ くライフ・ スタイルの尊重 とそれに基礎づけられた「生活大国」の提唱は,ものの見事に背後 にしりぞいていっ た。この行政の変わ り身の早 さといい,経
済的変動に著 しく左右 される脆弱な社会の姿 といい,成
熟社会への日本の道の りの遠 さと険 しさを痛感させ られるのは,決
して私一人ではあるまい。 ともあれ,つ
ぎには経済的効率性 とは何かについて一考 した後,い
よいよ経済的効率性の問題点 の解明に移ろう。Ⅲ
経済的効率性と「日本的経営」への反省
経済的効率性 とは何 か。館 龍一郎氏 は次の ように述べている。 「経済学で効率 とい う場合,技
術 的な効率 と社会的な効率 の2つの効率性 を含 む概念 として使わ れるのが普通である。第一の技術 的効率 は,ある商品を生産す る場合,最
低 の コス トで生産すると いう意味での効率性であって,別
の言い方 をすれば無駄 をつ,除するとい うことである。他方,社
会 的効率 とい うのは資源 ・資金 を最 も必要 とする分野 に配分す るとい う意味であって,パ
レー ト最適 の状態では当然,この条件が満た されていなければならないのである。J(11) 上記の引用文か らも明 らかなように,前
者の技術 的効率 とは,同
一の商品をで きるだけ低い コス トで作 ることを可能 とす るような技術上の効率性 を意味す る。それに射 して,後者の社会的効率は, 資源や資金部門の分野 に配分 されるとい う配分上の効率性 を意味する。経済的効率性 とは,この両 者の意味 を含み,一
見,何
の問題 もないようにみえる経済的効率性の定義ではあるが,この効率性 が現実の経済活動や企業活動で追求 されるようになる と,さ まざまな問題が生 まれて くることを 知 っておかなければな らない。 ここでは,製
造業 とサー ビス業である金融業 とを取 り上 げ,そ
れぞれの分野 における経済的効率 性の問題点 をみておこう。 まず,製
造業 について。 わが国では,1980年代 に入 り,自動車 ・エ レク トロニクス ・工作機械 な どさまざまな分野での効 率性の追求 と,国
際競争力の強化 を背景 として輸出の急増が はか られていった。その結果,海
外 と の貿易摩擦 をます ます強め,そ
れは経済問題 にとどまらず政治問題化 した。特 に,欧
米各国で,自 国市場へのこれ以上の 日本製品の進出を法的 。政治的に阻止 しようとする動 きが強 まっていった。 こうした事態 を背景 に,か
つてソニーの会長であつた盛 田昭夫氏が,「『日本 的経営』が危 ない」 ([文芸春秋』1992年 2月 号)とい う論文で,つ
ぎの ように 日本企業の経済的効率性 を批判 した こ とがある。 当時,海
外か ら声高 に日本批判がお こなわれていることに対 して,日本企業 の経営者か ら「良い 製品を安い価格 で提供す ることが, どこが悪いのか」 と反発 の声が強かつた。当初 は,盛
田氏 自勇 もこうした考 えであった と認めた うえで,そ
の後,経
団連 を代表 してヨーロッパのビジネスマ ンやECの
リーダー達 と意見交換することにより,徐
々に考 えが変わっていつたことが説得的に述べ ら れている。端的に言 えば,日本企業の国際競争が フェアーでないや り方で強化 されていることに気 づ くのである。 第1に , 日本企業の価格設定のや り方が,まず ライバル企業 を打 ちまかすべ き市場獲得のために 販売価格が先 に決定 され,そ
の価格で売れるように,コス トや利益 を削 ってい くとい う方式が取 ら藤田安一 :経済的効率性 を超 えて れる。 これでは
,欧
米企業の ように,材
料費,人
件費,研
究開発費,広
告費などの生産 ・販売 にか かるコス トの積 み上げプラス利益 の合計で製品の価格 を決定す るや り方 とは明 らか に違い,は
じめ か ら日本企業 に有利で欧米企業 に不利である。市場での フェアーな競争 とはいえない。 第2に,企
業で働 く従業員の労働時間お よび給与水準 において, 日本企業の労働者 は欧米の労働 者 に比べて,極
めて不利 な状況 におかれている。1989年の年間総労働時間を比較 してみると,日本 が2159時間なのに対 して,ア
メリカは1957時間,旧
西 ドイツは1638時間,そ
してフランスは1646時 間 と大 きな格差が存在 している。 また,労
働分配率 を比較 してみると,1980年か ら84年の5年間の 平均でみて,日本の77.80/0に対 してアメリカは80,3%,旧
西 ドイツは88,8%,そ
して89.2%と 開 き がみ られ,日本 と欧米 とは,勤
労者への成果配分上 において大 きな格差がみ られる。 第3に,企
業の株主 に対する配当が, 日本企業の場合 には欧米企業 に比べて非常 に低 い。いま, 株主配当性向をlヒ較す ると, 日本が30%であるのに姑 して,ア
メ リカは54%,イ
ギ リスは66%とそ の格差 は歴然 としている。 第4に ,日本 における大企業 と下請企業の関係 においては,欧
米では両者 に対等の関係がみ られ るのに姑 して,日本では納入価格 や納期 などの取引条件 の面で,大
企業 に有利 で下請企業 には不利 なシステムになっている。 第5に,企
業 とその企業が立地 している地域社会 との関係 をみると,日本企業 は米国企業 と比較 して地域社会への貢献 は極 めて消極 的である。それを表す指標 として対税引前利益比 をとると, 日 本が0.33%であるのに対 して,アメリカは1.55%と大 きな開 きがある。 以上の諸点 を上 げ,具
体的に日本企業のアンフェアーな体質 を明 らかに した後,盛
田昭夫氏 は結 論 として,日本企業の経済的効率性 を,つ
ぎのように批判 した。 「これまで 日本企業 は競争 に勝 ち抜 くことに意 を注 ぎ,効
率ばか りを追求す るあま りに,企
業活 動 に際 して,前
述の ような諸側面 を十分配慮 して来なかったのではないで しょうか。今後,効
率の 犠牲 となって きたこうした諸点 を,企
業 は十分考慮 し,適
正 なマージンを付加 しつつ価格 を決定 し ていかなければいけません。そ してその うえで競争力 を維持 してい くことを心がけなければな らな いのです。」(1め このように,日本 を代表する大企業の経営者が,これ まで正当だ と思 ってきた経済的効率性 とい う価値基準 を自ら反省 し,グ
ローバル化が進む現在の国際市場 においては,も はや経済的効率性 を 優先 させた 日本企業のあ り方が不適切であると述べたことは,非
常 に重要 な意味 を持つ。 なぜ なら,第
1に,盛
田氏の指摘 にもかかわらず,現
在 日本企業の主な動向は,依
然 として国際 競争力 をよ リー層強化す るために経済的効率性 を優先 させ る経営路線 をつ き進 んでお り,ゆき着 く 先は,再
び諸外 国 との貿易摩擦の激化 によって激 しい 日本批判が起 こる可能性があるか らである。 第2に,そ
れを避 けて 日本の企業が フェアーな競争 を展開 し国際協調 を維持 しようとするならば, その改善方向が盛 田氏 の論文 において,企
業の価格決定の方法,従
業員の労働時間や給与,企
業の 株主への配当,大
企業 と下請企業 との関係,企
業 と地域社会 との関係 など,多
方面か ら提起 されて いるか らである。 Ⅳ 経 済 的 効 率 性 と収 益f性 つぎに,金
融業における経済的効率性の問題点を検討 しておこう。 1970年代 に始まった金融 自由化の動 きは,わ
が国の場合,80年代 に急速に進展 し,従
来の日本の│ 十 鳥取大学教育地域科学部紀要 地域研究 第
2巻
第1号
(2000) 金融システムに大 きな影響 を及ぼした。 とりわけ各金融機関は,金
融 自由化による生 き残 りをかけ て,厳
しい環境 に耐えるための経営体質の改善をめざし,効
率性 という名で,あ
か らさまな収益至 上主義に傾いていつた。例えば,住
友銀行の頭取・小松 康氏は,1985年夏に開かれた金融財政事 情研究会主催の「 トップ・セ ミナーJで ,次
のように語つた。 「そこで,今
後の銀行経営はいかにあるべ きか。私が常々考えているところをお話 したい。まず, 基本的な経営姿勢 として重視すべ きであると思 うのは,次
の2点である。第 1は,収
益重視 を行内 のすみずみまで徹底することである。加速的な環境変化に直面 して,何
をするにも最終的に頼れる のは自らの知恵 と体力だけであると思 う。その知恵 と体力 を,最
も効率的かつ最大限に導 き出すた めには,た
めらうことなく収益拡大を最優先の経営 目標 として掲げること力潮干要であろう。……第 2は,明
確 な経営戦略を策定 し,経
営者 と従業員,本
店 と支店が一体 となって経営,業
務に通進 し うる体制を整備することである。」(19(傍 点は引用者) こうした銀行や証券会社による収益至上主義的な経営戦略の必然的帰結 として,小
口投資家 を犠 牲にした大国投資家への損失補填や,暴
力団と癒着 した株の仕手戦での株価のつ り上げとそのため の融資,都
市銀行による架空預金証書の偽造 とそれをもとにした不正融資等,数
々の金融・証券ス キャングルが発生 した。そして同時に,1980年代後半から90年代 にかけてのバブル経済の発生 と崩 壊は,金
融機関の不良債権問題等に由来する金融システムの不安定性 を,一
躍,国
民の前にクロー ズアップさせたのである。 それだけではない。この時期,銀
行では,従
業員の残業手当の支給に関 し「時間外賃金の予算化」 を進めたため,予
算枠を超える残業時間があつても従業員 に残業手当を支払わない,いわゆる「サー ビス残業」が常態化 したのである。これは,明
らかに金融機関による労働基準法違反であ り,従
業 員の基本的人権 に対する侵害であ り,金
融機関が果たすべ き自己の労働者への社会的責任の放棄で ある。その結果,長
時間労働や過密労働か らくるス トレスと疲労に銀行貝がおそわれ,1980年代の 銀行は「過労死」を代表する企業 となった。 さらに重要なことは,こうした銀行員のおかれた職場での苛酷な状態が,一
連の金融不祥事 を引 き起 こす要因となったことである。この点を,『読売新聞』は「残業手当,都
銀など労働法違反」 という見出 しで,つ
ぎのように述べている。 「現在,都
銀の男子行員の月平均残業時間は20∼ 40時間程度 と言われる。バブル (泡)の崩壊で, ひところよりはかなり労働密度は緩和 されてきたとされるが,今
回の調査結果は依然 として一部で 長時間残業が恒常化 していた。『条件が次々と入 り,書
類作成などの処理に深夜 までかかつた』 ●【 銀幹部)といい,一
連の金融不祥事の遠因となった収益至上主義が過密労働 に拍車 をかけた。ノル マ達成を迫 られた余裕のなさが,不
祥事にたいする自己ブレーキが働かなかった原因のひとつ,と の指摘 もある。」(10 1980年代後半のバブル経済期,銀
行がその公共性 を投げ捨てて極端な効率性重視の経営に傾 き, ついに,不
正融資事件や出資法違反事件などの社会的犯罪にまみれていった背景には,個
々の金融 機関で働 く労働者が競争促進的な長時間かつ過密労働 を強いられていたこと, したがって,こ うし た状態におかれた銀行員は,日々ノルマの達成に追われ,自己の仕事のもつ社会的意義 と責任 を自 覚する余裕 もな くなるばか りか,自己の属する金融機関の行動 とその経営状況をチェックで きる立 場から,ますます遠ざけられていたという事情がある。ここに,内
部から金融機関の反社会的行為 を抑止できなかった根本的原因があったと言えよう。 以上の事例は,分
野を経済面に限つただけで も,経
済的効率性 を優先させた経済活動の問題点を藤 田安一:経済的効率性 を超 えて 明確 に示 している。 さらに
,現
在わが国の社会的危機 を深刻 にし,社
会不安 を高めている原因に,この経済的効率性 が経済以外の分野に大 きな影響 を与えていることに注 目しておかなければならない。後に本稿のⅧ 「経済的効率性優先社会の帰結Jに
おいて検討するように,現
在すすめられている年金制度や医療 制度など社会保障制度の改革や,消
費者保護の分野などに,経
済的効率性優先 を指導原理 とするや り方が もち込まれて,深
刻な問題を引 き起 こしている。それにもかかわらず,総
理大臣の諮問機関 である経済戦略会議は,1999年2月 に出した最終報告において,日本の社会 を平等社会か ら競争社 会に創 り変えることをスローガンに,つ
ぎのように述べた。 「規制・保護や横並びに体質,護送船団方式に象徴 される過度に平等 ,公平 を重ん じる日本型社 会 システムが,公
的部門の肥大化・非効率化や資源配分の歪みをもたらしている。 このため,公
的 部門を抜本的に改革するとともに,市
場原理 を最大限働かせることを通 じて,民
間の資本,労働・ 土地等あらゆる生産要素の有効利用 と最適配分 を実現 させる新 しいシステムを構築することが必要 である。」(1め (傍点は引用者) こうした市場万能主義にもとづ く社会システムの改革は,経済的効率性にな じまない分野に,いつ そう深刻な問題を生 じさせることになるであろう。経済学的には,これらの分野は「市場の失敗」 のために,行
政のサポー トが不可欠な分野である。それなのに,市
場万能主義の考え方にもとづい て効率性 を追求すれば,再
びこれらの分野に「市場の失敗Jを
ひきおこすのは明らかである。なぜ なら,「市場の失敗」が起 こるのは,市
場原理が不十分 にしか機能 しないか らではな く,市
場原理 が徹底すればするほど起 きる現象が,ま さに「市場の失敗Jだ
からである。V
経 済 的 効 率 性 に代 わ る新 た な価 値 基 準 以上で,現
代の支配的な価値基準である経済的効率性の問題点が,ほぼ明らかになったであろう。 では,これに代わる価値基準 として何が適切なのか。つ ぎに,その問題を考えてみよう。 市井三郎氏は,そ
の著 [歴史の進歩 とはなにか』において,「進歩」 を科学・技術 の効率性 を基 準に判断 してきたこれまでの進歩史観を否定 しなが ら,つ
ぎのように進歩の価値基準 を提起する。 まず,市
井氏は,社
会集団を形成する人間が,これまでのあらゆる時代 において,人
為的・自然 的諸原因によって自ら責任 を聞われる必要のない事柄から,お
びただしい苦痛 をこうむってきたと いう歴史的事実を確認する。つぎに,人
間がこの責任 を問われる必要のない事柄か ら受ける苦痛を 「不条理な苦痛」 という言葉で表現 した後,この不条理な苦痛が科学・技術によって軽減されたこ とは評価 しなが らも,科
学・技術の成果 を利用 して自己集団のエゴイズムを他の人間集団にお しつ けることによって,と りかえしのつかない新たな不条理をつ くりだしてきた歴史的事実 も,同
時に 確認 しておかなければならないと主張する。ここに氏は,科
学 ・技術の「進歩」が歴史にもたらし た深刻なパラ ドックス (逆説)の
存在 をみるのである。 このパラ ドックスから逃れるためには,従
来の進歩史観すなわち科学・技術の発展 を歴史の進歩 とみなす見方を根本的に転換 しなければならない。こうした考え方にたって市井氏は,歴
史の進歩 とは何かに答えて,「個人が自ら責任 を魚 えないことが らに起因する不条理な苦痛 を社会的に除去 するかあるいは軽減すること」 と定義するのである。氏 自らの言葉では,つ
ぎのように表現 されて いる。 「科学的発見がそれ自体でもつ価値 (知的好奇心の充足 という価値)は十分に理解するとしても,鳥取大学教育地域科学部紀要 地域研究 第
2巻
第1号
(2000) そのような科学的探求が社会的にもつ価値はいったい何 なのか,という問題提起は当然に生 じねば ならない。……一言でいうならば,科
学的探求が社会的 (ま たは歴史的)に
もちうる価値 とは,そ
の探求がわた しのいう意味での 《不条理な苦痛》を人間たちから除去 (あるいは減少)す
ることが できる,という価値なのである。」Q0 この引用文にある不条理な苦痛 とは,「おのおのの人間 (ホモ・サ ピエンス)は
,自 らの責任 を 問われる必要のないことか らさまざまな苦痛」(1のを意味 している。 市井三郎氏が提起 した,この歴史的進歩の価値基準に照 らして,現
代社会の進歩や発展を検証す ると,現
代社会は, どのように特徴づけることができるか。 先に私は,現
代 日本の社会 を,経
済的効率性が優先的に追求される社会であるという観点から見 てきた。この経済的効率性 を優先 させる社会は,他
の言葉で表現すると,そ
こで生活する人間自ら は責任が負えないことが らに起因する不条理を増大 させてい く社会であ り,そ
れにもかかわらず, その責任 を社会的に魚おうとするのではなく,もっぱら個人が責任を自ら負 うことを強要 される社 会である。その理由を,現
在のわが国で声高に叫ばれている「自己責任Jと「規制緩和」をキーワー ドに見ておこう。 ごく最近まで,現
在の社会 を読み解 くキーワー ドとして,国
際化,高
齢化,高
度情報化などがあ げられていた。 しか し,今
日では,これに加えて「自己責任」 という言葉が強調 されつつある。あ たかも,来
たる21世紀は,まちがいなく自己責任の時代だと言わんばか りに,自己責任 という用語 が私たちの回 りに氾濫 してきている。例えば,つ
ぎのように。 「それから,自分の家計設計を見直すことです。保険,預
金,ローン,年
金 と,バ
ランスを考え て組み直す。これか らは,銀
行員や生保 レデイを当てにせず,自分で調べなくてはダメ。彼等のい いなりになると, とんでもないことになりますからね。これからは,す
べて自己責任の時代なんで す。J。働(修点は引用者) さらに,い
ま私の手元 に,「心の安 らぎを求めて」 というサブタイ トルをつけた『自己責任時代 のライフプラン指南』 という本がある。そこには,つ
ぎのように書かれている。 「多 くの日本人の傾向として,これまでは他人 もしくは集団に依存 しなが ら自己の存在を認識 し てきたきらいがあ ります。その代わ りに帰属意識をもって所属する集団の期待に応えてきたのです。 しか し,い
まやそうした人間関係だけでなく,自己責任が問われはじめてきています。すなわち, 所属する集団と個々の関係 を維持発展 してい くために,自己の責任を明確 にして自律的に果た して い くことが21世紀の生 き方 といえます。」(Ю)(傍点は引用者 ) みるように,「自己責任 は21世紀の生 き方」 とまで強調 されている。そ して上記の著書 には,こ
の自己責任の原則にもとづいて,い
かに家庭生活を送ってい くか,い
かに生 きがいや働 きがいをも つか,は
たまた,人
生最後の大往生をいかに準備するかに至るまで懇切ていねいに説かれている。 以上のように,別
に目新 しい言葉ではないこの「自己責任」が,なぜ今,声
高に叫ばれてきてい るのか。それは,現
在の社会および今後の社会にとつて, どのような意味をもつのか。つぎにこの 点を,規
制緩和 との関連で明 らかにしておこう。Ⅵ
規制緩和 と自己責任
経済学的には,ケ
インズ主義的福祉 国家 を批判す る新古典派経済学,マ
ネタリズムや合理的期待 形成学派 などのサ プライサイ ド経済学 を理論的基礎 に,政
治的には,1980年代初頭か らイギ リスの藤 田安一:経済的効率性 を超 えて サ ッチャー政権
,ア
メリカのレーガン政権, 日本の中曽根政権に代表される権力をバックに,資
源 の効率的配分を,市
場における自由競争のもとで実現 しようとする考え方が急速に台頭 してきた。 それを新 自由主義 と呼び,A・ ギャンブルは新 自由主義の特徴 を,「自由経済の伝統的自由主義擁護 と国家権威の伝統的ltt護の結合である」Oのと述べている。 規制を敵視 し,市
場メカニズムの働 きを過度に評価する,この新 自由主義の原理にもとづいて, 当然のことのように近年,社
会のあらゆる分野にわたって強力 に規制緩和がすすめられている。本 稿のテーマにある「自己責任」 との関連で言えば,この規制緩和論には,失
敗のリスクを自ら負 う 「自己責任」社会 を確立することによって,は
じめて市場競争が促進され経済的効率性が高まると いう考えがつきまとっている。それゆえに,必
ずこの種の考 え方には「自己責任」が強調 されるこ とになる。 たしかに,商
品交換社会の中で自己責任 という概念は,商
品やサービスを提供する側の自己責任 と,そ
の商品やサービスを提供 される側の自己責任 との2通りの意味をもっている。 しか し,い
ま 声高に叫ばれている「自己責任Jは
,明
らかに後者の商品やサービスを提供される者,す
なわち消 費者の自己責任に重点がおかれていることは言 うまでもない。 この消費者の自己責任 を規制緩和論 との関連で論 じれば,つぎのような鈴木淑夫氏の主張 となる。 「規制緩和で消費者が豊かになれるということですが,そ
れはそのとお りで,規
制緩和 して競争を 促進すれば,安
い もので質のいいものが出て くるわけです。」ODと,規
制緩和 を無条件で肯定 して おいて,す
ぐさま次のように述べている。 「消費者に言いたいのは,そ
のようにさまざまな品質,さ まざまな値段のものが出てきて,選
択 の幅が広がるということは,消
費者の選択が難 しくなることでもあるわけです。その場合,規
制緩 和 して市場メカニズムを貫徹 させるということですか ら,これは消費者 も自己責任でよく調べて, 自分の好みに合った質で安いものを買わなければいけないわけです。ところが, 日本の消費者 とい うのは,そ
れで変なものをつかむと,す
ぐに監督不行 き届 きだといって監督当局を非難する。する と,そ
れを得意になって代議士が国会で しゃべる。すると,び
っくりして,行
政は規制を強化する ということの繰 り返 しをしていますが,絶
対 にこれか らそういうことをしてはいけない。J。の(傍 点は引用者) こうした消費者の自己責任が強調されるようになったきっかけは,1993年9月に発足 した首相の 私的諮問機関「経済改革研究会」(座長・平岩外四経団連会長)が
まとめた中間報告「規制緩和 に ついて」(1993.11.8)にある。 この中間報告は,新
自由主義の競争原理による経済的効率性の向上,市
場経済重視 という基本原 理に立って,そ
の妨げとなっている公的規制を大幅に緩和・撤廃することをねらいとした。中間報 告では,この公的規制を経済的規制 と社会的規制の2種類 に分け,「需給調整の観点から行われて いる参入規制,設
備規制,輸
入規制及び価格規制」などの経済的規制は原則 として廃止 し,「安全・ 健康の確保,環
境保全,災
害の防除などの社会的見地から行われるJ社
会的規制は,必
要最小限に とどめるとした。 このうち後者の社会的規制の緩和は,消
費者の安全性や生活環境の悪化 をもたらす危険性 をもつ だけに,極
めて深刻な問題であった。 とりわけ,中
間報告では,消
費者に対する保護の見直 しを強 調するために,「自己責任Jを
持ち出 して,つぎのように述べた。 「消費者保護のために行われる規制は,自己責任原則 を重視 し,技
術の進歩,消
費者知識の普及 などを踏まえ,必
要最小限の範囲,内
容にとどめる。」90鳥取大学教育地域科学部紀要 地域研 究 第
2巻
第1号 (2000)
■ 今 まで,これほどまで明確 に,消
費者の 自己責任 を強調 した公文書 はなかった といってよい。そ れだけに,この中間報告 はセ ンセーシ ョナルであった。 Ⅶ 金 融 シ ス テ ム 改 革 と 自 己 責 任 社 会 の 問 題 点 その次に衝撃的であったのが,1996年11月に打ち出された金融 システム改革,い
わゆる日本版金 融 ビッグバ ン構想であった。そこでは, Fl・cc(市場原理が働 く自由な市場)Fttr(透
明で信頼で き る市場)Glob江 (国際的で時代 を先取 りする市場)の 3原則 を金融 システム改革のスローガンにし, 2001年までに東京をニューヨークやロン ドンに並ぶ金融市場 として再生する目標 を掲げた。 こうして,い
よいよ日本 において も1998年から,大
胆で急激な金融システムの大改革三日本版金 融ビッグバ ンが始まった。このビッグバ ンは,単
に銀行,証
券,保
険会社 など金融機関の規制緩和 を進めるだけではない。外国為替や会計制度から税制,商
法,雇
用慣行 まで,お
よそ金融システム 全般を,国
際基準 (グローバル・スタンダー ド)に
合わせて徹底的に改革することを目的としてい る。 予定 どお り,こうした金融 システム改革が実施 されていけば,株
式売買手数料 や金融商品の設計 は自由になるばか りか,銀
行,証
券,録
険会社 の相互参入は促進 され,銀
行,証
券,保
険 とい う業 態の枠 を越 えた再編が急速 に進んでい く。 さらに,持
株会社 の解禁や外資系企業の参入が,この再 編 を加速 させ,体
力のない金融機 関に淘汰 を迫 るのは確実であろう。 事実,ビ
ッグバ ンの波は,早
くも私 たちの眼前で金融機関の相つ ぐ破綻 とい う形で現れている。 1997年11月の三洋証券の会社更生法適用 申請 に始 まった金融破綻の波 は,北
海道拓殖銀行の北洋銀 行への営業譲渡,山
一証券の 自主廃業,徳
陽シテイ銀行 の仙台銀行 などへの営業譲渡や 日本長期信 用銀行の経営破綻へ と広が ってい き,ま さに止 まるところを知 らない感がある。 それにつれて,自己責任 をとる主体が金融機 関側か ら,その利用者である消費者 にす りかえ られ, 消費者の 自己責任が強調 されは じめるのである。そ してこの頃か ら,き まって金融 ビッグバ ンに関 する手 ごろな解説書 には,金
融機 関を利用する者の 自己責任が,つ
ぎの ように強調 されるようにな る。 「ビッグバ ン実施後は金融機関の自由競争が促進され,優
勝劣敗 による金融機関の洵汰が進み, 敗者 となった金融機関の経営破綻が数多 く発生することが懸念 される。また,ビ
ッグバ ンによる抜 本的な規制緩和は,金
融行政が金融機関の参入規制,商
品規制など事前予防的規制が後退 し,事
後 的監視強化の方向への転換 を迫ることになる。そうした中で,預
金者,個
人投資家,保
険契約者等 の消費者は取引先の金融機関や金融商品・サービスの選択 とその結果に関 して,厳
しく自己責任 を 求められるようになってい く。」。り(傍点は引用者) 「ビッグバ ンで,金
融資産の運用方法は多様化 し,様
々なチャンスが増加 したことは事実です。 しか しそれは,『自己責任Jの
原則 と裏腹の自由です。これからはとにか く,自分 自身でよく勉強 して決める時代です。セールスマンのせいにしないこと。他人の言 うことをそのまま信 じるのは危 険なのです。JQの 現在わが国では,個
人金融資産の55。70/Oが銀行や郵貯などへ預貯金 として向けられ,株
式や投資 信託,債
券への投資は■.9%と なってる。①。一方,ア
メリカでは預貯金は16.10/Oで,株
式や投資 信託,債
券への投資は43.1%である⑫の。 したがって,1200兆円といわれる日本の個人金融資産を, アメリカのようにもっと投資に向かわせ,証
券市場 を活性化 させることが,金
融 ビッグバ ンのねら藤 田安一:経済的効率性 を超 えて いの1つとなっている。 今後,この莫大 な個人金融資産の獲得 をめざ して
,外
資系 を含めた激 しい金融機 関 どうしの競争 が,規
制緩和 ・自由化のなかで展 開 されるため,元
本保証のない リスクの高い金融商品が,続
々 と 売 り出されてい く危険性が高 まってい くであろう。金子 勝氏 は,こうした事態での国民の投資行 動 を,す
べての人にギ ャンブラーになれ と言 うに等 しいと述べて,つ
ぎの ように述べ ている。 「規制緩和 の名の下 にセーフテ イーネ ッ トを外 してゆ くと,市
場が不安定化す るために自己決定 の領域 は著 しく狭 まって しまう。た とえば主流経済学者 は,ビ
ッグバ ン後 は自らが失敗 の リスクを 負 う『自己責任』原則で貯蓄 ・投資 を しなければな らない と主張する。 しか し,毎
日の ように乱高 下する株価や通貨 を眼前 にして,人
々がな しうる自己決定 とはギャンブラーのそれに他 ならない。 つ まり市場の不安定性 を問題 にす ることな く,市
場競争の下では失敗すれば自らリスクをとるべ き だ とす る主流派経済学の主張 は,す
べ ての人にギ ャンブラーになれ と言 うに等 しい。」90 このギャンブラー的行動 によって国民の側 に被害が出るが,そ
の ことで,金
融機 関の 自由で効率 的な経済活動が妨げ られるようなことになっては困る。被害の責任 は国民 にかぶつて もらって,国
民 自身が金融商品を選ぶ眼が足 りなかった とあ きらめて もらいたい。一一 この ような金融機 関側の イデオロギー的役割 を担 って,消
費者 の 自己責任が,つ
ぎのように強調 されるのである。 「将来の財産形成のために投資 を勧 め られ,結
果 として財産 を失 った場合,これ までの発想 です と,まず勧 めた相手 もしくは会社 を責めるで しょう。 しか し,これは自己責任 の考 えか らい くと聞 違いです。最終的に決断 したのは自分 ですか ら相手 を責めるのはお門違い とい うものです。」。の この ように金融 ビッグバ ンは,従
来の護送船団方式か ら自己責任への大転換 である と宣伝 され, 金融機関の 自己責任か ら,そ
れを利用す る消費者の 自己責任へ と,そ
の強調点が移 しかえ られてい く契機 となった。 そ もそ も自己責任 とは,商
品交換社会 における契約の 自由 という観念か ら生 まれた もので,契
約 の当事者 どうしは赳等でなければな らない とい うことが,そ
の前提 となっている。 しか し,金
融の 専 門家集団である金融機関 と素人である消費者個人 とが,対
等の契約者であると想定す ること自体 が問題である。 この問題性が,最
も鋭いかたちで表面化 したのが,つ
ぎのような,バ
ブル経済 とその破綻 にとも なってお こった各種の金融 トラブルであった。 銀行が顧客 に十分な説明 もしないで土地や株,ゴ
ルフの会員権 な どをすすめ,そ
の資金 を融資 し たが,そ
の後の地価や株価 の暴落,ゴ
ルフ場の倒産 によって,顧
客が銀行へ資金の返却がで きな く なったケースが続出 した。なかで も,裁
判 に持 ち込 まれたケースで最 も多かったのが,変
額保険 を め ぐる トラブルであ り,全
国で600件 にもお よぶ裁判がおこされている。 この変額保険 とは, もっぱ ら株式 によって運用 される保険商品で,従
来の定額保険 とは違い,死
亡時の最低保障 こそあるものの,生
命保険会社の運用が うまくいかず損失が出れば,そ
れは全額加 入者の損失 とされる。いわば,変
額保険は保険 とは名ばか りで,む
しろ証券投資信託商品 と類似性 をもち,極
めて リスクの高い商品である。 この ような性格 をもった変額保険 を,バブル経済期 に銀行員がその リスクの説明 も不十分 なまま, 顧客 に「相続税対策になるか らJと勧 めて加入 させ たのである。その際,顧
客 は保険料 を一括 して 保険会社 に払い込むために,多
額の金 を銀行か ら借 りるのだが,そ
の際 にも銀行員 は,「い ま保険 の運用成績が よいので,そ
の解約返戻金で銀行か らの借入金 を返済すればよい」 ともちかける。そ の言葉 を信 じて加入 した ものの,そ
の後 の株価の値下が りによって保険の運用成績 は落 ち込み,期
鳥取大学教育地域科学部紀要 地域研 究 第
2巻
第1号 (2000) 13
待 した解約返戻金 は少 な く,銀
行への返済がで きな くなって しまったのである。 しか し裁判 において,銀
行 は一貫 して借 り手の 自己責任 を主張 し,貸
し手である銀行側の責任 を 決 して認めようとは しない。 ここに,先進国では判例 として確立 しつつある貸 し手責任(レンダー・ ライアビリテ イ)を
認める流れに逆行す る, 日本の銀行 の無責任 さがある。 真 に自己責任 を感 じなければな らないのは,金
融機 関 自身ではないのだろうか。なぜ なら,金
融 機関お よびそこで働いている人々は,金
融のエキスパー ト(専門家)で
ある。 この金融専門家がそ の専 門性 を悪用 して,バ
ブル期 にさまざまな金融必E罪 や反社会的行為 を行 なった事実 を,私
たちは 忘れてはいない。 したが って,まず問われなければな らないのは,金
融機 関の自己責任であるはず だ。 それにもかかわ らず,現
在流行 している「 自己責任」 とい う言葉は,こうした金融機 関の反社会 的行為 を免罪 し, もっぱ らその責任 は金融機関を利用す る国民の側 にあると思わせ,金
融機関の被 害にあって も,「自分の責任 だか ら」 と国民にあ きらめ させ る役割 を果たそ うとしている。 国民が「自己責任」 を感 じれば感 じるほど,金
融機 関は自己責任か ら免罪 されるとい う,金
融機 関には都合の よい状態 をつ くり出 しているのである。 しか も,現
在の政府のや り方は,以
前 にも増 して金融機関へ の莫大 な公的資金 の投入 によつて金融機 関 を保護することにある。 これでは,い
つ までたって も金融機関に自己責任意識が育ちようがない。金融機 関にモラルハザー ド(倫理観 の欠 如)を助長 しているとさえ言 える。 そ うだ とすれば,これは大変危険なことだ。本来,責
任 をとるべ き者が責任 をまぬがれ,被
害者 である国民がその責任 をとらされる社会 は,無
責任社会その ものである。 Ⅷ 経 済 的 効 率 性 優 先 社 会 の 帰 結 さらに日本での特徴は,行
政側の無責任 さが付 け加わって,銀
行取引における消費者保護法 。制 度が全面的に欠落 していることにある。この点,ア
メリカの証券取引法やイギリスの金融サービス 法が,株
,債
権,ゴ
ルフ会員権,保
険に至るまで誤解 をまね く売 り込みや取引の禁止,広告の制限, 違法の際の損害賠償 まで消費者保護を規定 しているの と極めて対称的である。 このように,わ
が国の場合 には,消
費者に自己責任 を求めるにしても,そ
のための前提条件の整 備は極めて不十分である。 したがって今後,金
融 ビッグバ ンが強力に実施 されていけば,本
来,金
融機関が負 うべ き責任 を,そ
の利用者である消費者が一方的に負わされる危険性は,ますます増大 してい くことになるであろう。現在,金
融の分野ほど「個人が自ら責任 を負 えないことが らに起因 する不条理な苦痛」 を味わわなければならない分野はないと言える。 しか し,このような事態は,現
在の日本において金融以外のさまざまな分野においても見ること ができる。 まず,労
働の分野では,雇
用の不安定化や労働者の権利の縮小が進んでいる。企業のリス トラに よつて,過
去最悪の失業率4.9%,失
業者327万人 (2000年2月)に
のぼる大量の失業者が生み出さ れているとともに,サ
ービス残業を合法化する裁量労働制・変形労働時間制の拡大,職
労紹介事業 や労働者派遣事業の原則 自由化 ・民営化がすすめられ,不
安定雇用や無権利労働者の拡大がすすん でいる。さらに,失
業者に対する失業手当の給付 日数の削減や,雇
用保険料の労働者負担の増大 を 柱 とする雇用保険法の改正が行われようとしている。 また,社
会保障の分野で も,医
療保険の患者 自己負担が増加 され,1997年9月から従来の10%負藤 田安一:経済的効率性 を超 えて 担か ら20%魚担へ と倍増 された。加 えて
,老
人医療では1998年 4月 か ら高齢者の入院医療費が 1日 1100円にアップされ,県
険か ら外 されて自己負担 となった入院食費 1日650円と合 わせて1カ 月 自 己負担額 は55,800円 とな り,国
民年金の平均支給額46,000円 を上回つた。 さらに,厚
生年金の支給 開始年齢 を段階的に65才まで遅 らせ ることや,現
役サ ラリーマ ンの手取 り資金の伸 びにあわせて年 金額 を改正す る「賃金スライ ドJ制
を廃止することによって,年
金の額の伸 びを抑 えようとす る年 金制度の改正が進め られ ようとしている。 消費者保護の分野では,わ
が国のWTOへ
の加入 に伴 って,輸
入食糧の安全基準の緩和 ・低下が 進んでいる。特 に,わ
が国の食糧 自給率の低下 に歯止めがかか らず,食
糧確保の問題が懸念 されて いるだけでな く,輸
入食糧の安全基準が規制緩和 によつてグローバル・ス タンダー ドにあわせ る方 向で下方4公正 されていることは,国
民の食糧 に関す る不安 を今後 も高めることになるだろう。 これ は,国
民の健康 に直結す るだけに,決
して見過 ごす ことので きない重大 な問題である。 こうして現在 日本の社会 は,金
融 システムや労働,社
会保障,消
費者保護 などの広範 な分野 にわ たって,個
人 自らが責任 を負 えないことが らに起 因す る不条理 な苦痛が増大 してい く社会である。 しか し,それにもかかわ らず,これ らの リスクを社会が負担するのではな く,い
っそう個人の責任 が強要 される自己責任社会 となってい きつつある。 この ような社会 は,先
に検討 した歴史の進歩の 指標である価値基準 に照 らしてみれば,明
らかに歴史の逆行であると言 える。 こうした社会がつづけば,そ
こで生活する人間は自ら責任 の魚 えないことに起因する不条理 な苦 痛 を背負い込み,経
済的効率性 にもとづ く競争社会の中で,ます ます連帯感 を失 くした孤独 な存在 と化 してい く危険性がある。 とてつ もな く不安定 な社会 を背景 に,ど
うしようもない リスクを自ら 背負い,そ
れに対処 しなければな らない個人 を襲 う無力感 は,そ
の袋小路か ら逃れ ようともが き苦 しむ。求める先 は,個
人 を超 えて疑似的に安 らぎを与 えて くれる全体主義的な国家体制である。二 度 と繰 り返 してはな らない ファシズムの足音 を,この ような 日本の社会状況か ら感 じとるの を,い
ちがいに早計である とばか りは言 えないであろう。 お わ り に あらゆる社会科学がそうであるように,自己の狭い研究か ら得 られた原理を,そ
の他の社会分野 に機械的に当てはめる愚をおか してはならない。当然のような,こうした考え方が,現
在では通用 しないかのようである。その典型が経済学にみられる。経済的効率性 という名の経済合理主義が社 会保障や教育および政治などの分野に,社
会の進歩や発展 を保証する価値基準 として広範に適応 さ れている事態 を観察することは容易である。本稿では,そ
の一端 を経済的効率性の問題点として検 討 した。そこで得 られた結論は,つ
ぎのとお りである。 現在の日本では,経
済的に効率性が高いことが,あ
まりにも無条件に良いこととされ,この効率 性が,社
会のすみずみにまで強引に入 りこもうとしている。すなわち,教
育や社会保障や政治,文
化などの,本
来入ることを許 されないような分野にまで,効
率性が土足で入って くるという実態が ある。 別に私は,効
率性全股を否定するつもりはない。経済的効率性 も,必
要な場合がある。必要な場 合があるけれども,そ
の効率性が,あまりにも肥大化 して,教
育の分野であるとか,社
会保障・社 会福祉の分野であるとか,教
育,政
治,文
化や人の心の問題にまで も,影
響力 を発揮 しす ぎている のではないか。鳥取大学教育地域科学部紀要 地域研究 第
2巻
第1号
(2000) 物事 には,は
つきりと「これは良い」「これは悪い」 とい うふ うに答 えられる もの もある。 しか し他方で,物
事 には程度 とい うものがある。薬で も,適度であれば病 を治す ことがで きるけれ ども, その薬 を一度 にた くさん飲 めば,か
えって病気 になって しまう。場合 によれば,死ぬか もしれない。 これ と同 じで,経
済的効率性 は,あ
る分野 においては必要であるけれ ども,そ
れをいろいろな分 野 に, しか も程度 を大 きくして適応す るとすれば,そ
れは明 らかに,社
会 にとつて不幸 をもた らす 方向に作用する。 日本は極端 な「効率性優先社会Jに
な りつつある。私 は,この点 にこそ,現
在 日 本社会の病理の原因があると考 えている。行 き過 ぎた効率性の追求は,徐
々に人間お よび人間社会 を崩壊 させてい くにちがいない。 それを避けようとすれば,経
済的効率性 に代 わる進歩や発展の価値基準 を新 たに設定 し,この基 準 に基づいて社会 システムを改革 しなければな らないであろう。経済的効率性 に代 わるこの新 たな 価値基準 とは,本
稿 で検討 した ように,「個人が責任 を負 えない ことが らに起 因す る不条理の苦痛 を社会的に除去するか軽減することである」 と設定す るのが有効である。 すなわち,社会の進歩や発展 を計 るメルクマールは,個人で解決 しえない リスクを社会 的にサポー トする制度が,いかに充実 しているか どうかである。 この制度が充実 している社会 こそ,進
歩や発 展 とい う言葉 を付するのに値す る社会 と言 える。それなのに,現代社会 はわが国にみ られるように, 個人が責任 を負 えない ことか ら生ず る不条理 を社会的 に除去 あるいは軽減 しようとす るのではな く,もっぱ ら個人の責任 に任せ ようとす る自己責任社会へ と向かって突 き進 んで行 こうとしている。 現在すすめ られている規制緩和 。自由化 に基づ く経済的効率性 を優先 した競争社会の中で,そ
こ か ら生 じる不条理の苦痛 を, もっぱ ら個人的に負 わされ,そ
の負担 に耐 えられず人間が歴史に翻弄 されてい くことを許容する社会 を,決
して,進
歩 した社会や発展 した社会 と呼ぶ ことはで きないで あろう。 江(1)経
済企画庁 国民生活局編 『個 人生活優 先社会 をめ ざ してJ1991年11月,序文 1∼ 2ペー ジ。 (2)同上,本文1ページ。 (3)同上,本文19ページ。 (4)『朝 日新 聞』1991年 1月 4日 。(5)経
済企画庁 『生活大国5か年計画――地球社会 との共存 をめざして一―』1994年, 2ページ。 (6)この状況を見るために,橋本首相の施政方針演説か ら,つぎの一節 を紹介 しておこう。 「強 じんな日本経済 を再建するためには,富をもたらし新たな雇用 をつ くり出す重要 なか ぎとなる 新 しい産業 について,資金,技
術,人材 な どの観点か ら環境 を整備 し,成長が期待 される分野 に応 じて総合的な施策 を展開 しなければな りません。 また経済的に,効果の大 きい規制の撤廃や緩和, 企業税制の改革や持株会社 の解禁 などを通 じ,魅力ある事業環境 を整備 し,経済の効率性や柔軟性 と産業の競争力 を高めることが不可欠です。」(傍点は引用者) (『朝 日新聞』(夕刊)1997年 1月20日) (7)『朝 日新聞』(夕刊)1996年11月 29日。 (8)同上。 (9)『朝 日新聞』(夕刊)1997年 1月20日。 (10)同上。 (11)館 龍一郎「金融制度の改正 について」全国銀行協会連合会『金融』1991年 8月 号, 5∼6ページ。藤田安一 :経済的効率性 を超えて (12)盛田昭夫「『日本的経営』が危 ないJ『 文芸春秋』1992年 2月 号,102ページ。 (13)小松 康「ユニバーサルバ ンクの構築が ワール ドバ ンクの条件」F金融財政事情』1985年 8月19日号, 25ページ。 (14)『読売新聞』1992年 1月28日。 (15)経済戦略会議「 日本経済再生への戦略」(答申)1999年 2月26日。 (16)市井三郎 『歴史の進歩 とはなにか』岩波書店,1971年 ,197ページ。 (17)同上,196ページ。 (18)「株価15000円台で戦後最大の不況が来 る !J『 週干J文春』1997年11月 13日号,37ページ。 (19)日 本人生設計士協会編 『自己責任時代のライフプラン指南――心の安 らぎを求めて一―』 きんざい, 1998年, 4ページ。 (20)A・ ギ ャンブル著,小笠原欣幸訳『自由経済 と強い国家』みすず書房,1990年,49ページ。 (21)中谷 巌,大田弘子『経済改革の ビジ ョンーー 「平岩 レポー トJを超 えて一―』東洋経済新報社, 1994年 , 175ペ ージ。 (22)同上。 (23)日 刊工業新聞特別取材班編 『平岩 リポー トーー世界 に示す 日本の進路――』 日刊工業新聞社,1994 年,191ページ。 (24)日 興 リサーチセ ンター編 『全詳解 金融大改革のすべて一― ビッグバ ンで現れる世界一―』東洋経 済新報社,1997年 ,120ページ。 (25)長島恒雄 『手にとるようにビッグバ ンがわかる本』かんき出版,1997年,184ページ。 (26)『ファイナンス』1997年 7月 号。 (27)同上。 (28)金子 勝 『反経済学――至上主義的 リベラリズムの限界一―』新書館,1999年,305ページ。 (29)前掲 『自己責任時代のライフプラン指南―一心の安 らぎを求めて一―』5ページ。 (2000年 5月 1日 受理)