Parade-Parade
2003 年サハリンツーリング
ノスタルジックではなく今を生きる俺がいる。
「金字塔」
目の前にある巨大な島、異国の地サハリンに行こうと思ったのは 5 月のことだった。理 由は単純で、「北の果て、利尻に赴任したから」「日本はちよっと飽きた」「でも夏だからバ イクで走りたい」「フェリーが就航してるから行けるだろう」と短絡的に考えていた。 毎日就航している訳ではないので、まずは行き帰りの便に合わせて日程を調整し、東日 本海フェリーに予約を入れる。これは電話一本で簡単に済んだ。後ほど送られてくる用紙 にバイクの排気量やフレームナンバーなんかを書き込んで送り返せば終わり。 次に、旅行の日程を決める。ガイドブックなど見ても日本領土だったときの旧地名や、 その当時に建てられた建物や鳥居、橋などしか載っていない。「かつての日本を訪ねて」の 旅じゃあるまいし、そんなところを巡っても仕方がないので、縦に長いサハリンを北上するように、一日に走行可能な距離とホテルが存在する街を線で結ぶ。行程及び情報につい ては、サハリンツーリングを三度経験済みのパクリ氏のホームページ「パクリのがらくた 箱」を参考にした。また、サハリンの情報は稚内市のホームページに詳しく出ていた。 稚内市のホームページ http://www.city.wakkanai.hokkaido.jp/main/sakhalin.info/index.htm パクリ氏のホームページ「パクリのがらくた箱」 http://www3.airnet.ne.jp/junk/ その行程を元に、1999年のタイ旅行でお世話になったアジア・ツアーセンターに手 配を依頼する。 しかし、回答は「現時点でのサハリンツーリングは時期尚早であり、現地旅行会社に確 認しなければならないため手配が難しい」とのことだった。困った。一方で現実にツーリ ングをしている奴がいるのも事実。他の奴にできて俺にできないわけがない。 さらにロシアを専門にしている旅行会社をあたる。その中の一社、ロシア旅行社に電話 をしたが、すでに出発 1 ヶ月前に迫っていたため、当社では手配できないと言われ、同じ くロシア専門の「インツーリスト・ジャパン」に問い合わせる。 インツーリスト・ジャパンの回答もまた希望した場所のホテルが取れなかったり、ホー ムスティだったり、宿泊料がべらぼうに高かったりして納得のいくものではなかった。宿 泊料だけ計算しても 7泊くらいで約 15万円。粗悪なロシアのホテルに払いたい金額ではな い。 現地の旅行会社なら安く、情報も得られるかもしれないと思い、サハリンの旅行会社「イ ンツーリスト・サハリン」にメールで問い合わせる。 「Intourist-Sakhalin」
36 Dzerginskogo St., of 213,Yuzhno-Sakhalinsk, Russia,693000 Tel/fax (4242) 72 73 43, Tel/fax (4242) 42 43 86 E-mail: [email protected] パソコンにロシア語への翻訳機能がなかったが、なんとか英語でやり取りし、以降毎日 のように仕事から帰ると英語のメールを訳す、送ると言った作業が続く。すでに出発予定 1 ヶ月前。互いに母国語じゃないから、伝えたいことが伝わりづらい。本当に行けるのか? 焦るぜ。 平行してインターネットで調べて必要書類の手配を行う。サハリンにバイクで行く際に
必要な手続きは下記の通り。 ① ビザ ② 自動車登録証明書 ③ 国際免許証 ④ 国際ナンバー ⑤ Jマーク ⑥ バウチャー ⑦ 通行証明書 まず、ビザを発行してもらうにはバウチャーが必要だ。バウチャーとはロシア独自のシ ステムで、日程と宿泊ホテルをあらかじめ決めて代金の支払いを証明する用紙だ。インツ ーリスト・サハリンの手配が終わり、バウチャーを発行してもらえなければ、ビザの申請 ができないので、ひとまず保留。手配にはパスポートのコピーが必要なので、早速郵送す る。 次に自動車登録証明書の申請。俺のバイク「Kawasaki KDX」は原付扱いの 125cc だ から、利尻富士町役場でナンバーの登録証書を発行してもらい、管轄の陸運支局で自動車 登録証明書の申請をする。 管轄と言っても旭川まで行かなければならない。「まいっちゃうよね」と思い電話を切っ た後、有給を使うことと金がかかることに二の足を踏んでいると、再度陸運支局の職員か ら電話が来る。なんと、数日後に公務で利尻富士町に来るので、そのときに申請できるよ うに計らってくれると言う。超ラッキー! 陸運支局の職員の話だと、旭川支局で外国に車両を持ち込む手続きを行なったのは初め てだと言う。今回の事例から次回は稚内事務局での申請が可能となった。道は俺が開く。 三つ目の国際免許証もまた、利尻島で申請することができず、平日に妻の美紀を代理人 にして稚内警察署まで行って貰う。しかも申請にはパスポートの全ページのコピーが必要。 あー面倒くせぇ。 自動車登録証明書が簡易書留で送られてきたら、国際ナンバーを作成してもらうために 東京の小松自動車に依頼用紙と自動車登録証明書をFAXし、現金封書で代金 2.500円を送 る。完成までは約 10日かかる。 外国を走る場合は国籍識別章(通称Jマーク)が必要だ。ただJと書いただけのマーク なのだが、オートバックス稚内店に問い合わせても入手できないと言われ、東京のJAF に頼んで送ってもらう。2枚セットで 500円。実際のところ、必要なかったような気がする。
しかも届いて思ったが、前後見やすい場所に貼れと言われたそれは、縦 8cm、横 10cm く らいある大きなステッカーだった。こんなでかい物をバイクのどこに貼れって言うんだよ! FAX でバウチャーが送られる。逆算してビザの発行がギリギリだが、なんとかなりそう だ。ビザは 1ヶ月以上前に申請すれば手数料は 1.000 円だが、出発 7 日前で 5.000 円、そ れ以降だと万単位になる。こいつはコピー不可なため書留で札幌領事館に代金とパスポー トの原本、アンケート用紙といわれる申請書を送る。アンケート用紙は、あらかじめホー ムページからプリントアウトした物を使うのが手っ取り早い。 次に通行許可証。これはサハリン州独自の制度で、都市間を移動する場合、ロシア政府 からだか情報局からだかなんだか知らないけど、許可が必要。実際、今年の 7 月で廃止さ れたと言う噂だけど、未確認なので一応取得することにする。こいつもインツーリスト・ サハリンに$25で頼んだ。 バイクを外国に持ち込むには、税関を通さなければならない。5.000円を払えば日通稚内 支店でやってくれるけど、ここまできたら自分でやる。稚内の税関に聞くと簡単にできる と言うことなので、出発前日に手続きすることにする。 最後は、インツーリスト・サハリンへの旅行代金の支払い。メールでは、ウエスタン・ ユニオンサービスで支払ってくれと書いてあったが、それが何かが分からない。職場に毎 日来る稚内信金の奴に聞いても分からない。ホームページを見ても英語で書いてあって余 計に分からない。他の質問と合わせて、ホームページ主催者のパクリさんに質問してみる。 ウエスタン・ユニオンサービスとは、海外送金の会社で、銀行口座を持っていなくても 外国から外国に金が送れる。ただしアメリカだと法人あてに送れるが、ロシアだと個人に しか送金できず、パクリさんはインツーリスト・サハリンの代表者と連絡先を聞き出し、 個人宛に送ったと言う。 日本の窓口銀行は、スルガ銀行東京支店にしかない。スルガ銀行東京支店に確認すると、 口座を開いていなければウエスタン・ユニオンサービスを利用できないと言う。まさに、 「これでもか」と言わんばかりな面倒の嵐。勘弁してよ、もう。 仕方がないので、インツーリスト・サハリンに、「ロシアの銀行に直接送金したい」とメ ールしたが、法人以外の銀行送金は行っていないと言う。結局、ユジノサハリンスクのホ テルにインツーリスト・サハリンの社員が出向いてくれ、現地で払うことになる。パクリ さんの話では、ウエスタン・ユニオンサービスを通すと、手数料が 5.000円くらいかかった らしいので、結果的に安く済んだ。8泊 9日(内夜行列車 1泊)+通行許可代等で、総額$500。
パクリさんは同じような日程で$460だったらしい。この差は何? 当日の相場で$500は 62.500円。日本の旅行会社に依頼するよりは半額のバリュー価格。
ともあれ、大急ぎで何とか用意を済ませ、すべてが揃ったのは出発 5 日前だった。まさ に綱渡り。仕事の都合で 10日間休みなしの激務をこなし、出発日を待つ。
8月7日 「昔のような夜」
利尻島鴛泊港を 11時に出たフェリーは稚内に向かう。どうしても稚内に一泊しなくては 明日のコルサコフ行きに乗ることができない。今日は、最終準備の日でもある。 フェリーを降りようとしたときにキーが磨耗してひん曲がり、使用不可能になっている のを発見。仕方なくスペアキーを使う。このとき、この事態が、そしてもう一本キーを作 らなかった怠惰が、のちのちに大きく影響することをこの時点では知る由もなかった。 12 時半に稚内に着き、まずは昼飯を食う。稚内で一番美味なラーメン屋と噂される「青 い鳥」を探す。気分はヘンデルとグレーテル。 繁華街…..と言ってもこじんまりしたものだけど、その一角、寿司屋の隣に噂の店があっ た。適度に混んでいて、繁盛店を伺わせる。 美味いと評判の塩ラーメンを頼む。俺は塩ラーメンにはうるさい。今まで食べた中で最 高だったのは蘭越にあった「蘭龍」をおいて他にはない。30 年以上続いた店も高齢化によ る店主の死亡で消えるように幕を下ろした。数回ほどしか食べられなかったのが心残りだ。 二番目は、江別市大麻の中町商店街にあった「味平」だろう。ここも既に店主の死亡で 幻の味となってしまった。もっとも営業しているのは平日の昼だけだったから、存在して いるときから幻のラーメンだったけどね。 現存する中では、苫小牧の味の五十番がいい線いってる。一時期味が落ちたような気が したけど、その後来店して見ると、あの味は継続されていた。次点として札幌市厚別、麻 布にある「名水ラーメン」が挙げられる。 塩ラーメンとは、透明に近い黄色のスープ、ガラを基調としたあっさり風味、それでい てあじけなくないと言う極めてデリケートな味でなくてはならない。このごまかしの効か ない繊細さが身上。昨今のこってり塩、とんこつ塩などは塩ラーメンにあらずだ。 運ばれてきたラーメンは上記の条件をクリアー。スープ、具、麺の固さとも申し分はな いが、取り立てて騒ぐほどのレベルではなかった。「所詮、舌の肥えていない田舎者の味覚 はこんなものか」と思いながらも、スープをすべて飲み干して店を出る。 まずは稚内警察署に行き、国際免許証を受け取る。次に税関に出向き一時輸出の手続き を行う。書類の記載は代行を頼む必要がないくらい簡単だった。明日もう一度出向き、記 載内容と車両の確認をして終わり。以前必要だったらしい「査定証明」は求められなかっ た。フロントタイヤが減っていたので、「サイクルスポーツたかはし」に行き、タイヤ交換を する。これで一通り準備完了。 他に日本の電化製品をロシアで使えるようにするアダプターが欲しかったが、市内の電 気屋には置いていず諦める。 駅前に戻り、今日の泊まり先を考える。ホテルでくつろぐって手もあるけど、金を使う のは最小限にしたい。持ってきた本から蒲団の貸し出しのあるライダーハウスを探す。ノ シャップ岬近くに適当なところがありそうだ。途中、稚内公園に寄りながらノシヤップ岬 へ。 ライダーハウスは、商店の二階を開放したものだった。場所を確かめて夕飯を食いに市 街地に戻る。行った先は再び「青い鳥」。 さっきは、どうってことない味に感じたのが、時間が経過するほどに口の中に後を引き、 もう一度食べたい味に変わった。二度目も美味い! 時間が合ったら、サハリンの帰りに も寄りたい。 ライダーハウスまでの戻り道、雨が降り出した。今年もツーリングに出ると必ず雨が降 る。「またかよ」と、舌打ちしながら走り、本降りになる前になんとか到着。ここはガレー ジ付きなのがありがたい。 ライダーハウスには既に 5 人くらいの客が来ていた。皆はシェラフを持っていたので、 大部屋に雑魚寝のようだが、蒲団を頼んだ俺は個室に案内された。 誰かと話でもと思い大部屋に行ってみたが、連れと話す者、携帯電話を手放さないで一 人の世界に没頭する者、一心不乱に何枚もの絵葉書を書いている者ばかりで話し相手にな れそうな奴は誰もいなかった。 時間が過ぎ、ライダーハウスが混んでくると、管理者から「この子と相部屋でお願いし ていい?」と言われる。紹介されたのは高校生くらいの少年だった。快諾し、二人で個室 に戻る。 新潟から着たと言う彼はフェリーで小樽に入り、自転車で釧路まで走り、その後自転車 を送り返して残りの行程を青春 18 きっぷで旅していると言う。年は 17 歳。俺が自転車で 二週間かけて道北を回ったときと同じ年だ。 目の前の少年は少しオドオドし、頼りなげに見えた。あのときの俺はどうだったんだろ う。 大部屋は相変わらず人が大勢いるにもかかわらず、寝静まったように静かだった。その 雰囲気に耐え切れず、ロックボーカリストの声を持つ金髪の若い男が俺達の部屋に話し相 手を求めてやって来た。 話をしているうちに、大部屋にスイカが運ばれたというので移動。先ほど連れとだけ話 していた俺より若干年上と思しき男が、大きな声で仕切り始めていた。
窓の外は本降り。明日の出航が気になる。全員の目が天気予報に釘付けになっている。 先ほど仕切っていた男が、「明日は皆どこへ行くのか」と尋ね始める。誰もが道内の地名を 答える中、ひとり「サハリン」と答えた俺は、大いに目立ってしまった。 一人が「何を目的に行くのか」と俺に聞く。理由は冒頭に書いたとおり単純なものだけ ど、もうひとつの目的があった。 今までの旅の中で、金字塔と呼べる旅があった。10代にも 20代にも、その年代を代表す る忘れがたい旅があった。30 代の今はそれがない。もちろんどこにも行っていないわけじ ゃないけど、楽な旅を選べる身分になり、全身に何かが残る熱いものがなかった気がする。 ユジノサハリンスクあたりで終わらず、30 代の金字塔を建てるために北部サハリンまで 走るディープでハードな旅をしたいってのがもう一つの目標。まぁ、それが金字塔になる のかスカなのかは、終わって見ないと分かんないけどね。 「サハリンツーリングなんて凄いですね。用意が大変だったんじゃないですか?」と俺 の後方に座っていた男が言う。振り向き、そいつの顔を見て驚いた。20 代の若い男だった けど、顔が高倉健そっくり! あの年で、あの顔だから「不器用な男なもんで」と渋く言ってもサマになるけど、今時 若い奴があの顔でも時代遅れは否めない。絶対女に縁がないだろうな。気の毒に。 昔俺がそうされたように、17 歳のガキにビールをおごってやる。将来フェリーの乗務員 になりたい、卒業したら新日本海フェリーの船乗り養成学校に行きたいと彼は言う。ただ、 まだ迷いがあるようで、俺は一つ一つの質問に答え、アドバイスをする。答えながら「無 駄なことを」と思う。 誰に何を言われようと意味がない。例え今の俺が 17歳の俺に何かを言ったとしても聞く 耳をもっちゃいないだろう。自分で壁にぶつかって見ないと、壁があることにすら築かな いものだ。失敗と挫折を繰り返して学習していくしかない。 もし、17 歳の俺が今の俺を見たときに満足できるだろうか。ガキの頃の夢と全然違うこ とをしている俺をどう思うだろうか。 あの頃、35 歳といえば、どうしょうもないオヤジの年だと思った。老いるくらいなら死 んだほうがマシだとも。この年になって、自分が思っていた 35歳に比べて今の俺なら全然 OKだ。本当は何もあの頃と変わっちゃいない。家庭を持って、子供もいると言うのにガ キのままだ。 少年はまだ話し足りなそうで、電気を消した後も話をしていたが、彼の話に付き合って いては夜が明ける。「おやすみ」と告げて眠りに付く。
8月8日 「鈍色の街」
目覚めても土砂降り。ガレージに入り荷物をくくる。荷物の重さにバランスを崩し倒れ、 いきなりブレーキレバーを曲げる。壁側に他のバイクとは逆向きに停めていたのは幸いだ った。同じ向きなら隣のバイクを傷つけるところだった。昨日と言い今日言い、何かつい てない。参っちゃうよね。 カッパを着こんで税関を目指す。簡単なチェックで終了。税関の前には二台のバイクが 止まっていた。どうやらその中の一人がパクリさんらしい。 パクリさんとは行程が重なっている部分が多い。もっとも彼の予定を参考にした上に、 日程が同じで走る道が限られているのだから重なっても仕方がないけど、あえてまったく 同じにはしなかった。これは自分のため。 まったく同じにしてしまうと、全行程一緒に走ることになる。パクリさん達と一緒に走 りたくないわけではなく、すべて一緒に走ると頼ってしまう部分が出るし、人に先導され て走るのであれば、俺の旅とは呼べなくなってしまう。 よく神道社なんかの海外ツーリングに参加して海外を走った気でいる奴がいるけど、引 率、トランスポーターつきで走ったとしても列をなして歩いているのと同じに過ぎないと 思う。 軽く挨拶し、「また後で」と言って、郵便局に行き旅費を降ろす。コンビニで朝飯を買い、 フェリーの発着場所、中央埠頭を目指す。 中央埠頭は、利尻・礼文航路のターミナルと離れた場所にあり、国際ターミナルとは程 遠いプレハブ小屋のような建物だった。「本当にここかよ」と思い、利尻・礼文航路のター ミナルに行って確認したが、やはりそこが正解だった。 ナンバーを国際ナンバーに変える。パクリさん達も 集まってきた。連れはバイクで冬の宗谷岬に集まる仲 間の BAKUさん。どうやらバイクは俺達 3 人だけら しい。カードでチケットを買い、朝飯を食いながら乗 船を待つ。荷物をすべて降ろすと、係員がフェリーに バイクを運んで行った。 出国手続きを終え、最後に乗船。船に乗り込むのと同時に碇が上げられ、霧笛とともに 定刻を遅れて東日本海フェリー「アインス宗谷」は、稚内中央埠頭を出航した。 台風の影響は、航路に大きく影響した。狂ったような高波。最初は門出を祝して朝から ビールで乾杯しながら柿の種なんか食っていたが、段々揺れが激しくなる。ちなみに船内のビールは免税なので 350ml 入りが 100円。税金高い! パクリさんと見送りの方 百円は安いが、運転があるのであまり飲めない 二人は酔いのためか寝てしまったが、俺は涼を求めて甲板に出る。海面が甲板を越えて 迫り、ジェットコースター気分。本当は書かなきゃならない書類が一杯あるけど、下を向 いただけで気分が悪くなる。歩くのもままならない。 甲板にいると、係員がバイク持込の書類を持ってき た。「コピーを取りたいのでパスポートを貸して欲し い」と言われ渡す。謎のロシア人じゃないだろうな? コルサコフまでは 5時間。船酔いで 5時間はきつい ので、なるべく酔わないように気をつけながら過ごす。 次第に波が収まり、昼飯の幕の内弁当が配られる。 俺の隣で寝ていた男が起き出す。ロシア人かと思ったら日本人だった。髭の男はいきな り起きると饒舌に話し始めた。 「いゃあ、サハリンの鉄道に乗りに行こうと思ったんですけど ね、途中でパスポート忘れたのに気付いて家に戻ったんで来れな いかと思いましたよ」開口一番埼玉から来た髭男が言う。パスポ ートなんて普通忘れないだろう? 旅慣れていないのかハイテンションなのが伝わる。 コルサコフ到着まであと 1 時間ほどに迫ると一等 機関士に別室に呼ばれ、バイクの税関用紙の記載説 明を受ける。訂正には印鑑が役立つ。しかしロシア 人が見て理解できるのか? それが終わり、甲板に出るとコルサコフが目前に 迫っていた。サハリンとの時差は 1 時間だけど、今 はサマータイムのため 2時間の時差になる。
コルサコフの印象は、釜山に似てるなと思った。ともに旧日本統治国だったせいかも知 れない。正確に言えば「落ちぶれた釜山」鉄くずと赤錆の街と言う感じで廃船寸前や沈没 船が並んでいる。
先ほどから何度か甲板で見かけるロシア人の赤ちゃん(母親!)がかわいかったので、「It is a very pretty baby. May it take a photograph? (とてもかわいい赤ちゃんですね。写真を 撮ってもいいですか)」と聞いてみる。OKの返事。俺も「この子は私の子です」と、もみ じの写真を見せる。すると、「かわいいですねぇ。服もピンクで統一されて。」と日本語で 返された。なんと日本語がぺらぺら! 下手な英語で話し掛けてバカみたい。 この子の名前はアリーナと言う。今頃、もみじは「パパいないのー」って言ってるんだ ろうなー。道楽な父親としての罪の意識を感じる。 フェリーが着岸し、ロシア人の入国管理官が乗り込む。どうやら本国ではその国の国民 が優先して下船できるらしい。バイク三人組は一番後回しにされる。 フェリーでの審査を終え、バスに乗って入国管理事務所へ向かう。ちなみにバスはかつ て宗谷バスとして活躍した中古の観光バスだった。社名は消されていたが、塗装はそのま ま。乗り込むと未だに宗谷バスの社名が残っていた。
コルサコフ〔Korsakov(旧称 : 大泊 / おおどまり)〕 サハリン州第 3の都市。人口は約 4万 6000人。1853年、著名なロシアの探検家ゲンナージ・ ネベリスコイが、現在のコルサコフの場所に軍のムラビヨフスキー監視所を作りました。 その後、監視所は撤去され、1869年、コルサコフスキー監視所として復活しました。この 名は、東シベリア総督の特命を受けたコルサコフ少佐の名誉を称えてつけられたものです。 コルサコフは、アムール川を利用した移住民や軍人の輸送を初めて組織した人物の一人で、 後に東シベリア総督になりました 日本時代は大泊(おおどまり)と呼ばれていました。現在の地名になったのは、1947年で す。漁業の中心地で、海洋漁業基地があります 他には、ダンボール工場などがあります。コルサコフ港はサハリン最大の不凍港で、ホル ムスクと並ぶ交通の要衝です 市内には日本時代の北海道拓殖銀行大泊支店の建物が残っていますし、日本人慰霊碑もあ ります。数年前、ホテル・アルファが営業を開始して、いままで、外国人が宿泊できるよ うなホテルが無かったコルサコフにも外国人が滞在できるようになりました ユジノサハリンスクからは車で約 40分(42km)で鉄道利用ですと約 50分です 稚泊航路 北海道・稚内駅から港に向かって歩いていく。そのうち、古代ローマのコロシアムを想起 させるような円柱を持つコンクリート造りの長い回廊が見えてくる。稚内港北防波堤ドー ム(通称ドーム)といい、戦前は函館からの急行列車がここに到着しました。そして、当 時、日本領だった樺太の大泊へ向かう連絡船に接続した。この連絡船、稚内と大泊を結ぶ ことから稚泊連絡船と呼ばれた。稚泊航路が開設されたのは 1923年のこと。片道 8時間で 1 ヶ月 15往復しました。しかし、厳しい北海のこと。冬は 9時間かかり 6便に減便された。 大泊港の連絡船桟橋は、沖に向かって約 1km 突出し、島部と陸部を結ぶ鉄橋部とから構成 されていた。それでも 1月になると海面が氷結するので、桟橋までの 1.2km を犬ぞりや馬 そりで、あるいは徒歩で行かねばなりませんでした。輸送実績は、1937年の日中戦争勃発 とともに激増の一途をたどる。これは朝鮮人のサハリン強制連行が始まった時期と重なっ ている。日中戦争以前は年平均 10万人だったが、1942年になると 25万人を越えるように なりました。ところが、太平洋戦争における戦局の悪化にともない、輸送実績は急激に落 ち込みを見せ始めた。そして、1945年 8月 9日。ソ連軍の対日宣戦とともにソ連軍が北緯 50 度線を越えて南樺太になだれ込んできた。樺太に残っていた連絡船「宗谷丸」は緊急非 難民輸送を開始。8月 15日の終戦後も輸送を続けていたが、避難民の数は日を追って増え、 23 日には、とうとう定員の 6倍近い 4500人となった。想像を絶するスシ詰め状態で大泊 を出航。翌 24日の早朝に稚内港に入港。これが最後の航海となりました 戦後、宗谷海峡は往来のない「冷たい海」となりました。しかし、ペレストロイカの影響 でコルサコフは開放。1995年 5月には小樽・稚内港からロシア船を利用して定期フェリー
が就航し 50年振りに定期航路が復活しましたが、1997年、1998年は、旅行会社のチャー ター船による運航となりました しかし、1999年から日本船籍の〈アインス宗谷〉(2,628t・旅客定員 223名)が就航しま した 実に日本船籍の船の就航は 54年振りとなります 稚内市ホームページより 入国管理事務所では日本女の化粧を濃くして奇抜なファッションをさせたような女が通 訳として働いていた。 俺の前に入国審査を受けていた先ほどのハイテンションな髭男が止められている。入国 書類がないと言われている。俺達もフェリーで貰っていない。慌てて書類を貰い記入。 「ここ何て書くんだっけ?」とか言いながら隣と見せ合い記入する。出来の悪いガキが 宿題をやってるような気分だ。 無事入国できたところでフェリーにバイクを取りに行かなきゃならない。バスはもう出 ないようだ。荷物を入国管理事務所に置いていこうとしたが、既に閉まると言うので、先 ほどの派手な女に話し、別室に置かせてもらい 200m ほど歩きフェリーに戻る。 道が分かるパクリさんを先頭 に、BAKUさん、俺の順でユジ ノサハリンスクへ出発。途中の 「間違えやすい」ロータリーを 通る。真っ直ぐ行くと団地に言 ってしまうという最初の関門だ。 確かに事前に知っていなけりゃ 迷うだろう。 街を走る車は 90%日本製。ゆ っくり走るセダンがペースメー カーになる。しかし傍らでは猛スピードで追い抜いていく車もある。通行は右側。
前を走る BAKUさんが左車線に入っていく。危ない! よく見たらミラーが右にしか付 いてない! この人、完璧に右側通行だってことを理解してないな。大丈夫か? すっかり暗くなった夜 9 時、ホテルモネロンに到着。ユジノサハリンスク駅前にある古 いホテルだ。夜遅いにもかかわらずインツーリスト・サハリンのジェーニャは待っていた。 東洋系の顔なので、たぶん華僑か残地朝鮮の血を引いてるかも知れない。いずれにして も日本語と英語が分かるくらいだから、かなり高等な教育を受けているのは確かだろう。 早々とホテルに着いた先ほどの髭の男が相変わらずテンション高く他の日本人と話して いた。 ジェーニャに「待たせて済みません」と言い、とりあえず挨拶。旅行代金をルーブルで 払って欲しいと言うが、到着時間が遅く両替できなかった。ドルでもいいと言うが、持っ て来ていない。 ジェーニャは会社に電話し、社長のイワノワに指示を仰いだ。結局日本円で払うことに なったが、4.100円払えと言われビックリ。そんなもんでいいのかと聞き返すと、ジェーニ ャは、「イワノワさんがそう言いました」と答える。ラッキーと思って払うとすると、再度 電話があり金額を間違えたという。そりゃあそうだ。結局 3度やり直し最終的に 62.500円 を支払う。最初に提示された$500で落ち着く。 バウチャーの原本を持っていなかったので、「どうするの」と聞くと、「大丈夫だとイワ ノワさんがそう言いました」の一点張り。FAXのコピーを持ってきて良かった。海外旅 行をするときは、必要書類及びパスポート類のコピーと、パスポート再発行用の写真はお 忘れなく。あんなにコピー機と自動販売機が普及してるのは日本くらいなものだぞ。 日本円で払おうとしたが、500円を持っていなかった。つり銭をどうするか悩んだ結果、 ルーブルで貰うことにする。1ルーブル足りなかったが、こんな時間まで待たせたことを考 え、よしとした。 時計は既に 10時。ジェーニャは朝 8時から働いてると愚痴る。安全ピンがわりに持って きた「スマイルバッヂ」を渡し、「ご苦労さん。笑顔を忘れないで」と言って別れる。でも 普通そんな時間までこき使われたら笑えねーよな。実際。
撮影のためメガネを外したジェーニャ。俺も写真を撮るときはメガネを外す。同類。 5kg くらいある荷物を部屋まで運ぶわけだが、エレベーターも「お持ちいたします」なん て気の利いたことを言うボーイもいない。3階の部屋まで「えいやぁ」と担いで行くしか ない。これがこの先毎日続く。 唯一手に入れた 500円相当のルーブルを握り、バイクを駐車場に入れる。駐車料は 40ル ーブル。1ルーブルは約 4円。U字ロックをしようとしたら係員が何か言っている。パクリ さんも「ワカンネェ」って顔をしてる。 状況から判断すると、「そんなものしたら、前に入ってるバイクが動かせなくなるだろ う」と言っているようだ。ロックをしまうと何も言わなくなった。やっぱ、そう言うこと だったらしい。 次にマガズィーン(コンビニ?)に行き、パンとコーラを購入。金があるのに何も買え ないと言うありさまで、500円のありがたみを知る。コーラは 500ml で 19ルーブル、パン は 20ルーブルくらい。 ホテルモネロンの部屋にシャワーはなく、30ルーブルを払って予約制で利用するらしい。 面倒くさいので部屋の水道で頭を洗い、体をタオルで拭く。残り金はわずかだが、「ビール でもと」思い、ホテル内のキオスクに行く。最近サハリンのビールは多様になり、色々な 種類が売り出されている。 サハリンのキオスク及びスタンドなどは、昔の駅の窓口のように中に店員がいて、内側 に並んだ商品の名前を言い、小窓から金と商品の受け渡しをする方式だ。なので手に取っ
て「これ下さい」と言えないから、ロシア語ができないと買い物がもどかしい。
適当に黒いラベルで「9」と書かれたビールを指差し、「Give one pie ce of this beer.(その ビールを一本下さい)」と言う。すると、ロシア語で何か言っている。他に「3」や「6」と 書かれた姉妹品が在るのに気付く。どうやら、これはアルコール度が高いけどいいのか? と言っているようだ。見ると、数字が大きくなるにつれてアルコール度数が増えている。 ビールのアルコールなんて、4.5∼5.5%位だと決め付けていたが違うようだ。
「Give one with the lowest alcohol degree.(一番アルコール度が軽い物を下さい)」と言い、 青いラベルに 3と書かれたものを買う。ビールの名前はバルティカ 3。1 本 25 ルーブル。 意外とあっさり味で美味い。昨日買って食わずに持ってきたチーズ鱈をつまみにする。こ うしてロシア初日のシケた夜が終わる。 日本の最低ランクのホテルにも劣る「ホテル・モネロン」 部屋のベッドは硬く、完全に閉まらない 大きくて役立たずな冷蔵庫が置いてある。 ユジノサハリンスク〔Yuzhno-Sakhalinsk(旧称 : 豊原 / とよはら)〕 サハリン州の州都。約 17万人が住む州最大の町です。広く、ほとんど森林がないススナイ スカヤ盆地に位置し、東はススナイスキエ山地によって、西はユジノサハリンスク山地の 丘陵によって区切られています。市内は北から南へススヤ川が流れています。ユジノサハ リンスクの名は、サハリン島の南に位置することに由来します。州の行政中心地であり、 経済と生活の心臓部をなすとともに、文化と科学の中心でもあります 日本語も教えられている教育大学と 5つの中等専門学校があるほか、モスクワの大学を含 む他地域の大学の支部がいくつか置かれています 学術機関では、海洋地質・地球物理研究所、太平洋地球物理研究所、太平洋海岸・漁業研 究所サハリン支部、サハリン農業研究所があります 街の中心部、レーニン通りの州立美術館は、旧北海道拓殖銀行豊原支店の建物を利用して います。館内には日本をはじめ韓国・朝鮮などの美術品やロシアのイコンといわれる宗教
的な壁画などが展示されています コムニスチーチェスキー大通りにあるサハリン州立博物館は、かつての樺太庁立博物館を そのまま活用しています。日本の城を模した建物で、サハリンにあっては唯一日本情緒を 感じさせます。ここには、第 2次世界大戦終焉までの日本人の生活を紹介するコーナーや、 北緯 50度線の国境に設置されていた標石が何気なく置かれているのが印象的です コムニスチーチェスキー大通りの駅を背にした突き当たりの丘の中腹には、樺太神社(別 名 : 豊原神社)があったそうですが、今はその面影もありません。神社があったといわれ る横の小道を登ると、ユジノサハリンスクの市内を見渡すことの出来る、旧旭が丘展望台 に辿り着きます。その背後には昔も今も冬には、ジャンプも楽しめるスキー場の勇姿がそ びえ立っていますが、ジャンプ台老朽化のために使用不能となっています
稚内市ホームページより
8月9日 「海神へ向かう」
サハリン二日目。喉渇いた。くそっ、ビールなんか飲んじまったから金がない。有り金 はたいてホテルのキオスクでジュースを買おうとしたけど全然足りなかった。まずは両替 しなけりゃ始まらない。 日本語が通じる「みちのく銀行」に行って見たが、残念ながら今日は土曜日のため休み。 ホテルに戻って聞くことにする。 朝のユジノサハリンスク駅前フロントにいるパンツが見えそうな豹柄の服を着た熟女に「Is there a place whe re it is possible to make money changing to be the neighborhood of this?(この近くに両替のできると ころはありますか)と聞いてみる。すると、「このホテルでは両替できない」と答えられた。 そんなこと分かってるよ。だから、どこで両替できるのかって聞いてるんだよ。 そのやり取りを見ていた増田明美似の日本人観光客が、市役所の裏に土曜日でも営業し ている銀行があることを教えてくれた。例のテンションの高い髭男も一緒にいて、「闇じゃ なくて、正規の銀行なん でしょうねー」と念を押 していた。人にものを聞 いているくせに、あまり な態度だなと思ったけど、 旅慣れていないんだろう。 興奮と不安が見える。も しかして海外の一人旅は 初めてなのかも知れない。 ちゃんと帰れればいいが ….. 通りすがりに「バイクを売ってくれ」と言って小銭を出してきたロシア人がいた。バカか? 銀行に行き両替を済ませる。今日はホルムスクまで行くだけだから、時間的余裕がある。 コーラとピロシキを買い軽く食事を済ませる。 まずは自由市場へ。自由市場は露天と店舗に入っているものがあり、食料品、衣類、雑 貨などが並ぶ。近年観光客が多くなっているとは言え、函館や輪島の朝市のように観光客 専門ではなく、ユジノ市民のための買い物の場として賑わっている。その証拠に外国人は 見当たらない。 今何か買っても仕方がないので、とりあえずサンダルだけ買って他の物には目星だけを つける。今回忘れた目覚し時計と稚内で買えなかったコンセットアダプターを買い、軽く 市内観光に出発! サハリーンスカヤ通りを抜けてガガーリン公園を目指す。街は埃っぽく外国特有の匂い がする。車の排気ガスが異常に臭い。これはタイのバンコクでも同じだった。 ガガーリン公園の道を間違え、ジェーツカヤ通りに入る。「間違えたな」と思い、Uター ンしようとしたが、馬が放し飼いになってるのを発見。子供達が抵抗感なく寄っていき、 馬と触れ合ってる。ほのぼの感がいい感じ。動物と触れ合うって言うのは、檻に入った動 物を見るのでも柵の中に入り込むのでもなく、同じテリトリーで触れ合うってことなんだ なと実感。でも後ろに回っちゃ危なくないかい?
ユジノサハリンスクの街 歩道に放置? それとも駐車? サファリパーク状態 ガガーリン公園 しばらくボーっとした後、再度ガガーリン公園に向けて出発。有料駐車場(40ルーブル) に停めてガガーリン公園に入る。パクリさんは 2 年前にここで殴られ、カメラを盗られた と言うが、人がいっぱい、家族連れがいっぱい、幸せ家族の集うこの公園で何故事故にあ ったのか不思議なくらい平和ムード。 遊園地らしく遊具があり、ベビーカーを押した家族連れが多いけれど、遊具自体は 30年 前の日本レベルで、今はなき札幌の「中島公園こどもの国」を彷彿とする。 自慢の遊具は、立ったままグルグル回る円盤状のもの、鎖に吊るされたブランコが回る もの、15m位しかない観覧車、宙返りしないジェットコースターなど、イカしたアンティ ークばかり。それでも皆楽しそう。
公園には、いろんな露天が店を広げている。中には多分香港製らしき、赤を青に塗り替 えられたウルトラ兄弟ソフビセットが違うネーミングで売ってたりする。間抜けだ。 トルコ生まれのファーストフード「ドーネルサンド」に似たものと飲み物を買い、昼飯 とする。さらに公園には子供鉄道が走っている。子供鉄道と言っても所有はサハリン鉄道 だし、運転している子供も鉄道養成員らしい。俺の目の前を列車が通り過ぎて行った。 近くでバーベキューを焼いている。名物らしい。日本のように備長炭なんかないから、 薪で焼いてる。池のほとりで休んでいると、「おい、兄ちゃん何か食えや」と声を掛けられ る。食いたいのはやまやまだけど腹が一杯で食えない。残念だ。また今度にするか。 終戦記念碑 勝利の広場 ガガーリン公園を出て終戦記念碑に向かう。日本の敗戦は他国の勝利。次に向かったの は勝利の広場。千島樺太交換条約でサハリンをロシアの領土にする代わりに、北方四島を 日本の領土にしたはずなのに返してもらえない。 昔は 2 月の「北方領土の日」が近づくとテレビなんかで声高らかに「返せ!北方領土」 なんてコマーシャルをやっていた。「返せ!」と言っても、誰に対して言ってるんだ? ロ シア人が日本のコマーシャルを見てるのか?
終戦記念碑では、通りすがりの酔っ払いに何か話し掛けられる。腰のあたりで指で円を 作って何か言っている。たぶん「このバイクはいくらするんだ?」か、「このバイクを売っ てくれ」と言ってるのだろう。シートにある「Kawasaki」の文字は読めるようだ。 ローマ字は分かるのか。読めるからといって「Konnichiwa」と書いて渡しても も理解は出来まい。 次に市内を一望する展望台に行く。道は舗装が途絶え荒地に変わる。「本当にこの道かな ー」と思いながら進む。今後の北上ルートの予行練習だ。次第に廃屋と捨てられたジャン プ台が見え、ゴミだらけの広場についた。どうやらそこが展望台のようだ。 そんな場所なら通常、土産屋だの望遠鏡だの日付を刻印するメダルだの、スタンプなど 「これでもか」と言わんばかりに何かあるのが日本だが、ロシアはすべてにおいて、シン プルで大雑把。共産主義は崩壊したが商売っ気はまだ足りない。 KDXとサハリンの街。よく見ると広範囲で街から煙が上がっている。火事か? しばらく街を眺めた後、何人かロシア人がやってきたので退散する。次に立ち寄ったの は「勝利の広場」 バイクを停めると周りにいるロシア人のガキどもが羨望の眼差しで俺を(本当はKDX
を)見ている。すっかり体が硬くなっていることを忘れ、パッと足を上げてカッコよく降 りる。バン! 巨大な荷物を後ろにくくりつけていたことを忘れていた。痛ぇ、スネ打っ たよ。 「勝利の広場」では、女の子を遊ばせていた父親に話し掛けられる。ロシア語だから、 何を言っているのか分からないが、「展望台に行ったかい? あそこが展望台だ。そこの道 を通って行くんだよ」と言っている気がする。 「展望台は今行って来たよ」と伝えたいんだけど、ロシア語はおろか、英語さえも浮か ばない。ま、仕方がないので話題を変える。
「It goes to Kholmsk(ホルムスクに行く)」と言うと、彼は少し考え込んだ末にホルムス クに行く道を説明してくれた。どうやら道を聞かれたと思ったらしい。親切な奴だ。 今日は、早めにホルムスクに行って市内観光してレストランでロシア料理を食べようと 思い走り出す。道は舗装され軽快なワインディングが続く。「どうせ近いんだし」と思い、 間違って入った旧道を突き進む。日本の林道に似た走りやすい道だ。 話によると、この旧道は橋が落ちて通り抜け出来ないと聞いたが、その辺にいるロシア 人に聞くと、「行けるよ」と言うのでさらに進む。 しかし走りやすい林道は突如走行困難な泥のぬかるみに変わる。「こりゃいかん」と思い、 方向転換をするときにバランスを崩しバイクを倒す。足場の悪いところで荷物をつけたま ま起こす。俺のどこにそんなパワーがあったんだ? あーあ、せっかく綺麗だったバイクが汚れちまったよ。それに靴も……やっぱり普通の 道を通ればよかった。参っちゃうよね。約 1時間のロス。 ちゃんと舗装された道に戻り再度ホルムスクを目指す。車は平均 100㎞ペースで流れて いる。KDXでも付いて行ける範囲だ。途中に検問があったが、停められることもなく通 過。ついでに熊笹峠の戦勝記念碑も気付かずに通過。 途中のカフェで一休み。新婚旅行中らしい車が停まっている。車にゴミをくくりつけた ようなデコレーションが目印なのですぐ分かる。しかし、ロシア人の喫煙率はかなり高そ うだ。老若男女、ガキ大人問わずタバコをふかしている。「どう見てもお前は小学生だろぅ」 と思うガキすら、♪ス―パッパッパって具合だ。 未成年にタバコを禁止する理由として、発育に悪影響を与えるって言うけど、ロシア人 は一様にでかいぞ! その話、信憑性ねーな。 一服した後再出発。タンクがリザーブになり、そろそろ給油しなきゃならない。外国で
燃料を入れたことがないから、どうしたらいいものやら。とりあえずガソリン車が入れた 後なら、そこは必ずガソリンの給油口だってことだろう。 峠を降りたところに一件のスタンドを発見。さっきまで考えていたことを忘れ、物珍し さに集まってきた若い店員に燃料を入れられる。「バイクが軽油で走らないことくらいコ イツらだって知ってるだろう」と思い、なすがまま。 その間、勝手にメットは被るは、グローブは着けるは、乗りたいから貸してくれと言う は、ガキどもは手が付けられない。給油を済ませてそそくさと出発。 しかし、しばらく走ったところでKDXがピタリと停まる。やっぱ、軽油かオクタン値 の低いガソリンだったんだ! 日本のガソリンと混ぜればまだ良かったんだろうけど、空 きっ腹に入れたんで、バイクが腹を壊したんだろう。これはガソリンを入れ替えるしかな い。勘弁してよ、もう。 幸い携行缶にガソリンが入ってる。ポンプで燃料を掬い上げるとしても捨てる容器がな い。仕方なくビニール袋とペットボトルに入れたが、ビニール袋は油で溶けたため、周囲 を汚してしまった。 1 時間半けてサハリンの環境を汚染する。まわりもコールタール状の泥の塊が多いから目 立たないが罪の意識を感じる。収集可能な廃油はゴミ捨て場になっているドラム缶に投棄。 通りかかった老婆が怪訝な顔をする。そりゃそうだ。自分のテリトリーを土壌汚染されて 喜ぶ者はいない。日本で見つかったら罰金ものだよ。 キャブに残った油を取り去らないとエンジンがかからないんじゃないかと心配したが、 バイクをシェイクし何発もキックする。くすぶっていたエンジンが何とかかかる。やった! 考えてみりゃ、ポンプなんか使わなくてもキャブのホースを抜いて燃料を抜き去れば手 っ取り早かった。何か冴えてねーなー。 ホルムスクに着くと既に夜 7 時。サハリンは 9 時くらいまで明るいから問題ない。まず はホテルを探す。宗谷支庁発行の地図を見たが、よく分からない。バスが発着しているタ ーミナルに停めて確認する。どうやらそこは大陸へのフェリーターミナルだった。 ひとりのロシア人が俺に話し掛けてきた。何を言っているのか分からない。「ラチあかね ぇや」と言う顔で帰っていった男の車を見てたまげた。 日本のハイエースらしきワゴン車なのだが、故障しているらしく後部をジヤッキアップ している。そのジヤッキアップに使われている道具は、通常車に積まれている器具ではな く、なんと長い角材だった。 どう考えても「えいやっ」と車を持ち上げないと、はめられないよな。恐るべしロシア
人のパワー! でもそんなもの挟めただけの車の下に潜って危なくねーか? さらにホテルを探して街をさまよう。踏み切りを越えて右に曲がる。レーニン広場や市 役所の辺りな筈なんだけど、見当たらない。 街を掃除しているオバサンに聞いてみる。「この通りを真っ直ぐ行って二本目を左だよ」 と教えられる。教わったとおりに行って見たが、団地の中に入ってしまう。 もう一度戻ってマガズィーンで聞く。今度は外に連れ出され白い建物を指差し、「あれが ホテルチャイカだよ」と教えられる。「目の前の道を通っても行けないから裏から回りな」 と言われ、さっきウロチョロした団地付近で考え込む。 最初に道を聞いたオバサンが現れ、「あれ、まだ迷ってたのかい?」と言い、「ほら、来 な。だからこっちの道だって言ってるだろう」と言われ、再び団地の中につながる道を指 差す。 礼を言い、その道を真っ直ぐ行くと….あった、あった、ホテルチャイカが。しかし、団 地の小道を通り抜けないとたどり着かないホテルなんて地元の者以外誰がわかるって言う んだよ! フロントに行き、名前を告げてチェックインしようとしたが、「予約されてない」と言わ れる。バウチャーの原本は貰えなかったが、コピーを持っていたのでそれを見せる。する と「えー聞いてね―よ」と言う感じで、どこかに電話をし始める。勘弁してよ、もう。 その後、いきなり三階の客室に連れて行かれドアをノック。「ここが日本人のいる部屋 だ」と言っているようだが、インツーリストの現地駐在員でもいるのか? 現れた男は、インツーリストとは無関係なただの日本人旅行者だった。「相部屋だぞ」と でも言っているのか? とりあえずフロントに戻る。またどこかに電話をしている。なん とか相部屋は逃れたようだ。 「バイクをホテルの中に入れるから裏に回せ」と言われ通用口から搬入。ドアも厳重に 鍵が掛けられる。これで安心……だけど、レストランにバイクで行けなくなっちゃった。 部屋は五階なので、コンテナはバイクにつけたままにして最低限のものをリュックに詰め 込む。 結構広いツインルームにトイレ、シャワーありのテレビなし。シャワーは水しか出ない。 この水シャワーは浴びるのに覚悟がいる。心臓に少しずつ水を掛けて、次に手足を慣らし ていく。海水浴の要領だ。けっこう慣れるまで辛い。 三日分の衣類の洗濯をして部屋に干す。洗面所でもみ洗いしただけだからあまり綺麗に ならない。しかも乾くかどうか。ホテルの石鹸は独特な香料が入っていた。これがロシア
人の体臭の源か? 時計を見るとすでに 9時。今日も全然ゆっくりできないな。窓から見える街も暗くなっ てきた。ホテルのパブで飯でもと思ったが、静か過ぎてやっている気配がない。地図によ るとレストランミヌートゥカが近そうなので歩いて行って見ることにする。 すでに街は真っ暗。夜歩きはあまりしたくなかったけど仕方がない。顔の確認ができな いような暗さでも、やっぱり日本人だって分かるのか? 周囲にいくつかの巨大な廃墟を 発見。一体何が建ってたんだろう。 レストランに行く道が思いのほか暗く、仕方なくマガズィーンでチキンのレッグを 1本 買う。105ルーブルかと思い、「高いなぁ」と言い金を出す。店のオバサンは、血相をかか えて何か言っている。礼によって、「ラチあかねぇや」って顔をされ、大量のつり銭が返っ て来た。「桁違ってるぞ」って言ってたのか。キオスクに寄り、冷えたビールを買って戻る。 テレビも何もないので淡々とビールを飲み、チーズ鱈を頬張る。トイレに入ると排気口 から軽快な音楽が聞こえてきた。たぶんパブだろう。なんだ営業してたのか。 0時近くなり、そろそろ寝ようと思ったが、無性に喉が渇いた。さっきキオスクかマガズ ィーンで水を買っておくべきだった。パブで売ってくれるだろうと思い、地下まで降りる。 ひとりビールを飲む
「It want wate r.(水が欲しい)」と頼むと、何か言っている。近くにいた「私は通訳のよ うな者です」と言うロシア人の女が、「ガス入りとガス抜きとどっちにしますかと言ってい ます。」と教えてくれる。有難う。しかし君の遠まわしな自己紹介はなんだ?
ガス抜きを頼んだが、少し炭酸が入っていた。メチャまずい。寝起きのことを考えて仕 方なく 1.5㍑のペットボトルを購入。
時間も時間だったので店に客はいず、三人の店員が暇そうにしていた。水を飲みながら 彼女達と話す。美人が多いサハリンの人たちの中で彼女達は例外だった。残念。 彼女達は 30歳、38歳、47歳だと言い、名前も聞いたが外国人の名前なんて覚えられな いので、聞いた端から忘れてしまった。 俺も退屈しのぎに話をし、持ってきたツーリング雑誌を見せながら、日本の温泉や蕎麦 のことなどを説明する。 明日は、ポナイスクに行くと言うと、38歳の女は「私はホロナイスクの隣町ガステロの 出身だ」と言う。お前は幾つだと聞かれ 35歳だと答えると「見えないネェ」と言われた。 子供もいるぞ! と言うとまた驚かれた。 24 歳のときにユナイテッド航空に乗ったときにスチュワーデスにビールを頼んだら「21 歳以下には出せない」と言われたことがある。日本でも実際より若く見られるけど、外国 人には幾つくらいに見えるんだ? 水じゃ物足りなくなりビールを注文する。ついでに「イクラを食うか」と聞かれ、これ も注文。イクラはロシア語でもイクラと言うらしい。 どうやって食うのかと思ったらパンの上にバターを塗り、さらにイクラを載せて食べる。 バターがしつこくなく意外といける。さらにパンを追加。 梅干もあるぞと言われ、これも頼む。昨日来たばかりだから懐かしの味ではなかったけ ど、飲みすぎた後には実にすっきりする。「持っていけ」と言われ、瓶一個分の梅干を貰う。 味まろやかな高級はちみつ梅だぞ、これ。こんなに貰っていいのか? 「あんたらも食えば?」と言ってみたが、梅干は好きではないようだ。梅干と納豆、漬 物が食えればかなりな日本ツウだな。テーブルには醤油や練りわさび、生姜なども並んで いる。さっきから気になってるんだけど練りわさびは開封後、冷蔵庫で保存しろよ! 今日、このホテルには 15人の日本人が泊まっているという。ホテルを探してたときに日 本料理レストラン「くしろ」に大勢の日本人らしき年配者が集まってたから、「かつての真 岡、祖国を訪ねて」の団体でもいるんだろう。さっきの遠回りな自己紹介をした女は、そ の通訳だったのかも知れない。やべぇよ、もう 1時だぜ。最初からここで飲んでれば良か った。また来たいパブだった。
■ホルムスク〔Kholmsk(旧称 : 真岡 / まおか)〕 人口 5万 2000人の州で 2番目に大きな都市。昔は南サハリンで最大のアイヌ村「エンドウ コモ」(エントルコモ)があり後に「マウカ」と呼ばれるようになりました。1870年にロ シア軍の見張り所が置かれました 1905年の日本領有に伴い、その響きから「真岡(まおか)」と呼ばれるようになりました。 1946年にホルムスクと改名。工業都市で旧王子製紙が残した製紙工場(現在は株式会社「ホ ルムスク製紙」)があるほか、船団基地、缶詰工場、ブリキ缶工場、船舶修理工場などの 漁業関連企業があります。交通の要衝でもあります。特に不凍港で、ハバロフスク州のワ ニノ港とフェリーで結ばれています(不定期)。観光に適した場所は特にありませんが、 サッカースタジアムや日ロ合弁レストラン〈釧路〉があります ユジノサハリンスクから車で約 2∼3時間、鉄道で約 3時間(約 83km)の場所ですが、現 在、鉄道は、ユジノサハリンスク∼ホルムスク間にあるトンネルが落盤事故で使用できず におり、アルセンチエフカを経由して運航されています。情報によるとトンネルの再開を ロシア側は諦めたという情報もあります 「9人の乙女の悲劇」 樺太では 8月 15日以降も戦争が行われたのです。ソ連軍は真岡(現ホルムスク)に迫りま した。当時、真岡郵便局で電話交換業務を行っていた若き交換手 9名は、戦火に包まれて いる中でも仕事を全うしていました。しかし、近くまでソ連軍が迫ってきたのを知ると、 まだ通じる電話で最後の言葉「皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら」の言 葉を残し青酸カリで集団自決したのです 現在、郵便局があった場所は、壊されてアパートになっています しかし、北海道・稚内市のサハリンが望める丘の上の稚内公園には、彼女たちの霊を慰め るために「9人の乙女の碑」が建てられています 戦争により夢多き若い生命を絶った彼女等に捧げられる鎮魂の碑でもあります 最近の街の様子 客船ターミナル内のカフェやバーにはしばしば、現地のマフィアが現れ、トラブルになる ケースが発生しているとのことですので、夜は利用しないのが懸命です。ニセドルも出ま わっているようですので、お釣りなどでドルを渡された場合は注意が必要です 両替場でも古いドル紙幣は、それが日本から持ち込んだ本物でも両替を拒否される場合が ありますので、ご注意下さい 稚内市ホームページより
8 月 10 日 「灰神楽な道」
ルールルルッルー今日もいい天気。窓から射す陽射しは温かい。8時に目覚め支度を始める。 何故か 8時に目覚めたのに出発できる準備が整ったのは既に 10時。一体俺は何をやってる んだ! しかも昨日に続きまたバイクを倒す。せっかく交換したレバーが折れた。この先また倒 すことが考えられるので、適当に接木をしてガムテープで巻いて直す。 昨日いきなり部屋に連れて行かれ、劇的な紹介を受けた日本人と再会。彼は自転車で回 っていると言う。当初俺が考えたとおり日本の旅行会社で宿の手配をしたため、俺より宿 泊日数が少ないにもかかわらず 15万円も払ったと言う。 「俺も現地に頼みたかったんだけど、英語でやり取りすることを考えたら出来なくって」 と言う。俺だって英語能力は中学校一年生レベルだけど、パソコンの翻訳機能を使えばな んとかなった。世の中、便利になったものだ。ホテルの壁の落書きをバックに…って、こんなところに落書きするなよ! 【1994 年型 Kawasaki KDX125SR 】 全長:2.115mm 全幅:855mm 全高:1.190mm シート高:860mm 乾燥重量:104kg エンジン:水冷2サイクル単気筒 排気量:124cc 最大出力:22ps/9.500rp タンク容量:9㍑ 連続走行可能距離 約 200㎞ カスタム:ライト:アチャルビス縦目二灯ライトカウル ブレーキ&クラッチレバー:Kijimaカラーショーレバー(ゴールド) キャリア:純正+社外品ワイドキャリアー デカール:社外品デカール ご愛嬌:各部のラスカルのステッカー 気に入っている点 ① 4 スト 250cc を凌駕するパワーと車格 ② カワサキカラーのライムグリーンと完璧なスタイル ③ 剛性の高い倒立フロントサスペション 気に入らない点 ① ニュートラルが出しづらい ② スタンドが立ちすぎで止めたときに不安定
「俺の英語はネガティブだぜ」と威張る。「ネィティブ」だってば! すでに失格!
バザールは賑やか キオスク。小さな窓口からやり取りをする
街に出て見るとフェリーターミナル付近にバザールが開催されていた。主に食料品を中 心としている。ピロシキ売りを見つけ朝飯を購入。 一言でピロシキ言っても日本でお馴染みの揚げパンだけじゃなく、ソーセージ入り、チ ョコ入りといろいろな物を売っている。形はそれぞれに違うが外側からじゃ何が入ってる か分からない。日本の中華まんに似た形をしてたので肉が入ってるのかもと思い買おうと したら、「チョコだ」と言われた。 フェリーターミナルの中に入って見る。駅のような作りだ。キオスクでロシア語が書 かれた何かのケースを購入。国際免許を入れるのに丁度いいかと思ったが小さすぎた。よ く見たらパスポートと書いてある。早速パスポートを入れる。なんとピッタリ。国際標準 規格だったのか? このまま海側を北上してポロナイスクに行こうと思ったが、先ほどの自転車青年から、 その方面の道は酷く悪く、水没寸前だったことを聞いたので、一度ユジノサハリンスクに 戻り、比較的道のいいオホーツク側を通ることにする。 街外れでオクタン値 96のガソリンを給油。これなら問題なし。快適に峠を越える。途中 でホテルで別れた自転車青年を発見。手を振って抜き去る。 アニワの分岐点で検問に止められる。何度か検問は通過したが、実際に止められるのは 初めてだ。とりあえずパスポート、イミグレーションカード、国際免許証、通行許可証を 見せる。それでも何かが足りないと言っている。 仕方がないので、ありったけの書類を見せる。これは見せなくてもいいだろうと思って よけた書類を「それも見せろ」というので見せてやったら笑われた。そりゃあ、そうだ。 ロシア語の日常会話を書いただけの紙だもの。 緊張した場に、いきなり「おはようございます」とか、「こんなちは」とか、「ピロシキ を下さい」って書いた紙を出しても、笑われるしかねーよな。 「ラチがあかないので事務所に来い」と言われ中に入る。先ほど取り調べをしていた若 い警官が責任者クラスと思われる男に何か言っている。 想像するに7月で正式な通行証が廃止されたことを周知していず、若造は「親分、こい つ正式な通行証を持ってませんぜ」とでも進言してるのだろう。 責任者クラスが、「お前、あれは先月廃止されたからいいんだよ」と言い(想像)、その 後釈放された。展開から見て想像通りのやり取りがあったんだろう。 ユジノサハリンスクに戻ると既に 1時だった。確か今日は 350㎞くらい走らなきゃなら ない日なんだよなー、先を急がなきゃならないんだよなーと思いながらも、バザールを見 てると1時間が過ぎていた。ちよっとゆっくりし過ぎ!
ニワトリを見ていたら「買って行かないかい」と言われた。旅行者に売ってどうする? 真ん中のスタイルのいい女を撮ろうと思ったら、パラソルに邪魔された。 街外れでKDXと携行タンクにガソリンを入れる。給油方法は窓口で希望の数量を言い、 あらかじめ金を払う。次に給油機械のボタンを押すとガソリンが出てくる。ただし、その ボタンがあったりなかったりでまちまち。 最初に言ったリッター数が入った時点で止まる。基本的にセルフだが場所によっては係 員がいることもある。要領をつかむまで迷う。
ドリンスクまで36 ㎞! ポロナイスクはさらにずーっと先! 舗装がよく問題なくドリンスクに到着。駅前で例のバーベキューを焼いていたので遅い 昼飯代わりに食おうと思いバイクを止める。すると、ラリった目をした中学生くらいのガ キが何かを言いながら寄ってくる。不気味なので場所を変えて止めたが、また寄ってくる。 頼むからバイクに興味があるなら、せめて微笑みながら寄って来いよ! くそっ、朝ピロシキ一個食ったきり何も食ってないのに落ち着いて飯も食えねぇ!仕方 なく止まらずにドリンスクを後にする。勘弁してよ、もう! ■ドリンスク〔Dolinsk(旧称 : 落合 / おちあい)〕 人口 1 万 6000 人。かつて、アイヌ民族の村「シャンチャ(シアンチャ)」がありました。「シ アン」は「一番大きな川」、「チャ」は「川の岸」を意味するといいます。1884 年ロシア人 の村ができ、最初は「シアンツイ」と呼ばれました。 その後、ロシア監獄総局の M.ガルキン=プラスキー局長の名に因んでガルキノ・プラスコ エと改名されました。現在の名前になったのは、1946 年のことで、幅広い川沿いの底地(ロ シア語で「ドリナ」)に位置することから名づけられました。 パルプ・製紙工場の一大中心地で、州最大のパルプ・製紙工場があります。製品の主要な 部分はコルサコフのダンボール工場に行きます。 稚内市ホームページより 製紙工場を眺める橋を渡り、鉄道を横に確認しながら進む。ノグリキまで鉄道が通ってい るから、線路があるということは道が正しいと言う証だ。 しばらく行くと、小さな集落にキオスクを発見。食えそうな物は売ってないからジュー スだけ購入。俺が買い終わると店のネェちゃんは鍵を閉め男の車でどこかへ行ちまった。