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社会イノベーション研究/社会起業家WG 報告書-社会的企業・社会起業家に関する調査研究-

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章資料 社会起業家に関する大学教育 事例概要

事例 1  ハーバード大学ビジネススクール(米国)

ハーバード大学ビジネススクールでは、1993 年から、「社会的企業」を選択科目として教えている。1990 年代初頭に、ジョン・ホワイトヘッド(1947 年にこの大学院を修了し、後に、レーガン政権時代の国務 副長官を務めた)が、NPO のマネジメントを教えるために、1000 万ドルを寄付したことに始まる。そこ で、この大学院の教授3 人が協議した結果、社会的企業(Social Enterprise)についての教育・研究をす るプログラムを設立することになった。 ハーバード大学ビジネススクールは、2 年間のコースで、1 年目はすべて必修科目であり、2 年目が選択 科目となっている。2008∼2009 年の社会的企業の選択科目は以下の 19 科目である。 (1) 信頼できるリーダーシップの開発 (2) グリーンビジネス(エネルギーや気候変動のビジネス)の創造 (3) ビジネスと環境 (4) ピラミッドの底辺の層を対象としたビジネス (5) 資本主義、民主主義と開発 (6) 顧客、ビジネスと社会(ビジネスの価値と社会的な価値) (7) エネルギー (8) 起業家精神と保健医療分野のベンチャー (9) 教育改革する起業家 (10) 保健医療分野のイノベーション (11) 社会的な機関、マクロ経済学とグローバル経済 (12) 飛躍発展の創造と科学の商業化 (13) 好業績の NPO の育成・統治 (14) 変化の管理 (15) 新興市場における経営と投資 (16) 製薬会社の経営 (17) 競争のマクロ経済学:企業、クラスターと経済開発 (18) 道徳的なリーダー (19) 新興市場における不動産業

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ハーバード大学ビジネススクールの社会的企業の19 選択科目は、経営大学院なので、おもに、企業経 営という視点から社会的企業を捉えている。保健医療、環境、製薬、不動産など、分野ごとの授業がある のが特徴となっているが、社会問題を扱った科目が少ない印象を受ける。ハーバード大学ビジネススクー ルを修了するには、1 年次 12 科目、2 年次 12 科目、合計 24 科目を履修する必要がある。 ハーバード大学行政大学院では、NPO マネジメントの科目を開講しており、ハーバード大学ビジネス スクールの学生も履修できるようになっている。

事例 2  タタ社会科学大学院の事例(インド)

インドのムンバイ市にあるタタ社会科学大学院では、社会起業家の専門コースを開設している。アショ カ(Ashoka: Innovators for the Public)は、社会起業家を世界に普及させる大きな役割を果たした社会 起業家支援組織であり、1980 年に米国で設立され、第 1 号のアショカフェローは 1981 年にインドで誕生 している。このような歴史的背景から、インドでは、社会起業家がよく知られており、社会起業家の実務 家を養成する専門コースが生まれたと考えられる。この大学院で学ぶ学生は、政府やNGO で、変革者と しての役割を担うことを期待されている。タタ社会科学大学院の社会起業家コースの履修科目は以下の通 りである。22 科目が必修科目、6 科目が選択科目となっている。 1 年次前期 (1) 社会の理解 (2) 経済学入門 (3) 経営における経済学、社会学、心理学の基礎 (4) 起業家精神:概念と理論 (5) 社会起業家とイノベーション (6) ビジネス倫理(選択) (7) 経験、社会的な衝突と変化の開発 (8) 人材開発、アイデンティティ、文化とメディア 1 年次後期 (9) 起業家的なリーダーシップと動機づけ (10) 社会セクター:展望と介入 (11) ビジネスプラン作成とプロジェクトの承認 (12) 銀行業とマイクロファイナンス (13) 研究方法論と統計学 (14) 社会ネットワークの分析(選択) (15) 起業家グループ(選択) (16) 組織の統治と業績評価

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2 年次前期 (17) 財務管理と会計 (18) 経営情報システム (19) 社会的企業の経営 (20) 社会的企業の法律的枠組み (21) 事実に基づく政策提言と政策策定(選択) (22) 社会的なインパクトと政策評価 2 年次後期 (23) ソーシャルマーケティング (24) ファンドレイジング (25) リスク管理 (26) 企業の社会的責任 (27) 地域経済と固有の起業家の育成(選択) (28) ベンチャーキャピタリストとベンチャーへの資金提供(選択) タタ社会科学大学院の社会起業家コースの28 科目は、行政への政策提言から、営利と非営利の組織経 営、さらには調査研究に必要な知識まで、社会起業家が身につけるべき幅広い専門分野を網羅している。 ただし、「経営における経済学、社会学、心理学の基礎」という科目があるように、工夫がされているも のの、ビジネスの色彩が強く、社会問題を扱う科目が少ない印象を受ける。この大学院修了に必要な単位 は、教室でおこなう授業56 単位、フィールドワーク 24 単位、ビジネスプランの作成(修了時)4 単位、 合計84 単位となっている。 このような海外の大学の社会起業家コースのカリキュラムは、日本の大学が、社会起業家のコースをつ くるときの参考になるだろう。

事例 3  同志社大学大学院の事例(日本)

同志社大学大学院総合政策科学研究科ソーシャル・イノベーション研究コースは、文部科学省の「魅力 ある大学院教育イニシアティブ」に採択され、2006 年度に開講した。理論と実践を学べるカリキュラムと なっている。 同大ではこれとは別に2007 年度に、文部科学省「社会人の学び直しニーズ対応教育推進事業」を受託 し、「ソーシャル・イノベーション型再チャレンジ支援教育プログラム」を開講している。このプログラム は、実務講座、研究講座、発展講座の3 段階に分かれている。このプログラムを修了した人のなかには、 大学院のソーシャル・イノベーション研究コースに入学する人が現れていて、この研究コースの入り口と しての役割を果たしている。 大学院のソーシャル・イノベーション研究コースのカリキュラムは以下の通りである。 論文指導関連科目

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(1) ソーシャル・イノベーション研究基礎論(理論編、臨床編) 演習科目 (2) ソーシャル・イノベーションの理論と実践 (3) 社会革新の理論と実践 (4) 福祉政策論 (5) 協働デザインプロセスの理論と実践 (6) 地域学習拠点形成の理論と技法 (7) まちづくりのグループ・ダイナミックス 展開科目 (8) 地域政策論 (9) 市民社会論 (10) 地域福祉論 (11) 地域協同労働論 (12) 政策ネットワーク論 (13) 現代社会起業論 (14) ワークショップの理論と技法 (15) 臨床まちづくり学 (16) 地域環境教育論 (17) パートナーシップ論 (18) 食科学・食育論、自立・自給型生活論 (19) 地域インターンシップ 共通展開科目(他コース共通) (20) 情報メディア論 (21) 情報社会論 (22) 情報法制論 (23) 情報産業論 (24) システム開発・管理論 (25) データベース・マルチメディア論 (26) 情報コミュニケーション論 (27) スポーツ政策論 (28) スポーツ行政論 (29) スポーツ経営論 (30) 海外政策事情 (31) 政策科学特講 (32) 調査研究プロジェクト

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(33) フィールドリサーチプログラム, ほか この研究コースでは、学生が、地域社会の協力を得ながら、社会実験を行うのが特徴となっている。論 文では、仮説を組み立て、社会実験を通して検証する。新しいタイプの大学院の社会起業家コースといえ るだろう。ただし、授業の傾向は、NPO やまちづくりを対象としたものが多く、ビジネスの側面が薄い 印象を受ける。社会起業家は、一般的に、社会問題をビジネスの手法で解決する場合も多く、社会起業家 コースでは、ビジネスの側面と社会の側面の両方を広く学べることが望ましいだろう。この大学院修士課 程の修了に必要な単位は、30 単位となっている。

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章資料 社会起業家のビジネスプランコンペ 事例概要

事例 1  カリフォルニア大学バークレー校ハースビジネススクール     国際ソー

シャルベンチャーコンペティションの事例(米国)

主催者:カリフォルニア大学バークレー校ハースビジネススクール 連携校:コロンビア大学ビジネススクール、ロンドン大学ビジネススクール、インドビジネススクール、 タンマサート大学(タイ)

「国際ソーシャルベンチャーコンペティション(Global Social Venture Competition)」は、世界中か らやってきたソーシャルベンチャーに対して、助言し、スポットライトを浴びせ、賞を授与する、米国で 最も大きく古い学生主導のビジネスプランコンテストである。2007 年は、14 カ国の 55 大学から 129 のビ ジネスプランが参加した。 このコンペのミッションは、ソーシャルベンチャーの起業の触媒となり、将来のリーダーを育成して、 社会的企業の概念を普及させることである。コンペは、持続可能な方法で、前向きな社会変革をもたらす” 本当のビジネス”の創業を支援する。 毎年、世界中から参加したチームは、専門家による価値あるフィードバックを得る一方、4 万 5 千ドル を超える現金と賞品の旅行券の獲得を競い合っている。1999 年のコンペ創始以来、新興のソーシャルベ ンチャーに25 万ドルを超える賞金を授与して、創業期のソーシャルベンチャー起業家を投資家コミュニ ティに紹介する役割を果たしている。これまでのコンペ参加者の25 %が、現在も、事業を継続中である。 2008 − 2009 年のコンペでは、高い社会性と事業性の両方を達成したビジネスプランに 2 万 5 千ドルのグ ランプリが与えられる予定である。

事例 2  ハーバード大学ビジネススクール/ケネディ行政大学院      ∼変革の

ためのピッチ∼ 社会的インパクトのアイデアコンペの事例(米国)

「社会的企業大会(Harvard Social Enterprise Conference)」は、毎年 3 月に、ハーバード大学で開 催される。この大会は、重要な社会的な課題に取り組む営利、非営利、政府セクター間の相乗効果を模索 するためのフォーラムである。この大会の目的は、ハーバード大学ビジネススクールのミッションである 「世界を変えるリーダーを育成する」と同大学のケネディ行政大学院のミッションである「民主的な社会

に奉仕するリーダーを準備する」に置かれており、すべて、この2 つの大学院の学生によって運営されて

いる。

「変革のためのピッチ(Pitch for Change: A Competition about Ideas for Social Impact)」は、この

社会的企業大会の1 つのイベントとして開催される。「変革のためのピッチ」は、新しい社会的企業のア イデアを持つ個人やチームを対象とした”エレベーターピッチ(エレベーターに乗っている間のような短 時間でアイデアを発表する)”と呼ばれるスタイルのコンペである。伝統的なビジネスプランコンペとは 違って、参加者は、整ったビジネスプランを提出する必要はなく、最初に思いついた2 ページ程度のプラ ンを提出すればよい。 一次審査は書類選考である。二次審査は、「社会的企業大会」のなかで、1 分間のプレゼンテーションを

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する。三次審査(最終審査)は、同じく「社会的企業大会」のなかで、500∼800 人の聴衆を前に、2 分間 のプレゼンテーションをする。イノベーション、インパクトの可能性、持続可能性、説得力のある書類や プレゼンテーションの技術、の4 項目が審査基準とされる。 賞は、1 位が 3,000 ドルの賞金と 7 時間の社会的企業コンサルタントの助言、2 位は 1,500 ドルの賞金と 5 時間の社会的企業コンサルタントの助言、3 位は 500 ドルの賞金と 3 時間の社会的企業コンサルタント の助言、となっている。

事例 3   NPO 法人 ETIC.    STYLE の事例(日本)

NPO 法人 ETIC.(エティック)は、ソーシャルベンチャーのビジネスプランコンペである「STYLE(ス タイル)」を不定期で開催している。これは、ETIC. が、2000 年に開始されたカリフォルニア大学バーク リー校ハースビジネススクールの国際ソーシャルベンチャー大会を参考にして、日本で初めての社会起業 向けのビジネスプランコンテストとして東京で始めたプロジェクトである。社会問題に事業的手法を活用 して取り組むビジネス、NPO、プロジェクトのプランを募集し、1 次審査は書類選考、2 次審査はプレゼ ンテーション、3 次審査は、参加者が最終発表会でプレゼンテーションをする。参加者にメンターがつき、 1 次審査を通ったプランを実現に向けてブラッシュアップしていく「ブラッシュアップコンテスト」という 形式のコンペである。STYLE は、日本の社会起業家のビジネスプランコンペの草分け的存在であり、現在 までに、「STYLE 2002」「STYLE 2003」「STYLE 2004」「STYLE 4th(2006 年度)」の 4 回開催されている。

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章資料 事例ヒアリング

事例 1  コーチズ

NPO 法人コーチズ 児玉宏(代表理事) 1.社会起業家プロフィールおよび事業概要 児玉宏(こだま・ひろし)氏は、広島県生まれ。1977 年、文化服装学院卒業。1980 年∼1986 年に、広 島県の婦人服の小売店で働く。1986 年∼1998 年に、広島県の婦人服のメーカーで働く。ユニクロが出現 し、アパレル業界は大きく変わった。アパレル業界に見切りをつけて、1998 年に独立。2000 年に、NPO 法人コーチズ起業。広島県の市町を対象に、健康づくり運動教室を開始。2006 年に、株式会社「コーチズ インターナショナル」を起業。 2.沿革 㪉㪇㪇㪇 䌎䌐䌏ᴺੱ䇸䉮䊷䉼䉵䇹⸳┙ ᐢፉ⋵䈱Ꮢ↸ะ䈔䈮ஜᐽ䈨䈒䉍ㆇേᢎቶ䉕㐿ᆎ 㪉㪇㪇㪉 ᐢፉ⋵✕ᕆ㓹↪ኻ╷੐ᬺ䉕ฃ⸤䋨䌾㪉㪇㪇㪋䋩 ᦝ↢ዋᐕ䈮⎇ୃ䉕ⴕ䈇ஜᐽ䈨䈒䉍ㆇേᢎቶ䈱⵬ഥ䉴䉺䉾䊐䉕㙃ᚑ 㪉㪇㪇㪍 ᩣᑼળ␠䇸䉮䊷䉼䉵䉟䊮䉺䊷䊅䉲䊢䊅䊦䇹⸳┙ 䌎䌐䌏ᴺੱ䇸䉮䊷䉼䉵䇹䈱䇸䉧䊮䊋䊦䊷䊮䇹⽼ᄁ੐ᬺ䉕⒖▤ 㪉㪇㪇㪎 ᩣᑼળ␠䇸䉮䊷䉼䉵䉟䊮䉺䊷䊅䉲䊢䊅䊦䇹䈏㪋Ꮢ㪊↸䈎䉌੺⼔⹺ቯᬺോ䉕ฃ⸤ 2000 年、広島県の高校教員グループとともに、子どもたちに競技スポーツを教える指導者を育成する ことを目的として、NPO 法人コーチズを設立し、児玉氏は事務局を担当した。しかし、講座の参加者は 思うように集まらなかった。そこで児玉氏は、空いている時間を活用できる高齢者向けの健康づくり運動 教室のアイディアを思い浮かべ、市町村に営業したところ、大きな反響があった。児玉氏は、健康づくり 運動教室の知識や経験がないので、スポーツクラブのインストラクターを採用して、一緒になって取り組 んだ。2006 年に、NPO 法人の収益事業を分社化し、株式会社「コーチズインターナショナル」を設立し た。非営利組織と営利組織の二本立てとなって経営が安定した。

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3.社会イノベーション・プロセス

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2002∼2004 年度になると、広島県からの受託事業により、事業基盤が整った。広島県の緊急雇用対策 事業として、3 年間、元暴走族の少年をトレーニングして、「健康づくり運動教室」の補助スタッフを養成 し、少年の更生を助けるという、年間4000 万円の事業を受託し、当時は有給職員が 14∼15 人いた。 2001∼2002 年、地元の新聞は広島県が日本一暴走族が暴れる県だと書き立て、広島県や広島市は暴走 族対策の条例をつくった。警察官僚(当時)の竹花豊氏が県警本部長として赴任すると、広島県警は対策 室をつくって暴走族の取締りを強化し、全国一の検挙率になったが、少年の再犯率が高く問題になった。 少年たちは逮捕されて少年院や鑑別所に入り、裁判を待って保釈、退院されると、その間に暴走族のメン バーから誘われて再び暴走族に戻り、バイクに乗って交通違反で逮捕されるということを繰り返してい た。県も警察も、元暴走族メンバーの社会復帰を支援する必要性があると考え、地域や社会がどうやって 彼らを支えていくかを考える空気になっていた。広島県は緊急雇用対策事業「青少年活動居場所づくり事 業(青少年ケア・サポート事業)」として、NPO 支援の事業を募集し、これに児玉氏がアイディアを思い ついて申請し、事業を受託した。 行政は、逮捕されて少年院や鑑別所にいる少年を雇用することができないので、コーチズがこれを引き 受けるため、広島県と対等な関係で3 年間の事業をおこなった。広島県の警察や教育委員会から、受け入 れて欲しいと元暴走族の子どもたちを紹介され、お荷物だった連中を雇用するので、コーチズの評価が高 くなり、元暴走族の子どもたちをトレーニングして、社会復帰させる知識や技術を持っている団体と認知 された。最初、地域社会や老人ホームから、そんな少年を連れて来られては困ると断られたために、広島 県は、事業を委託しながら、受け入れ先もつくった。広島県職員のための健康づくり教室から始まり、次 第に暴走族の子どもたちを受け入れても大丈夫だと思われるようになった。その意味で、行政の役割が大 きかった。 この「青少年活動居場所づくり事業」が終了後の2005∼2006 年度に継続して雇用した元暴走族の少年 2 人は、資格の勉強をして、介護の世界に巣立った。彼らが次の仕事を見つけるのに役立ち、当初の事業 目的を達成している。「青少年活動居場所づくり事業」は全体の収入の50∼60 %を占めたために、この事 業の終了後の2005 年度は経営が若干苦しくなった。また、広島県で市町村合併が起こり、86 の市町村が 23 の市町に激減したために、1 つの市町村で 1 つの「健康づくり運動教室」を請け負っていたコーチズは 受注が激減してしまった。たとえば、東広島市では5 町が東広島に併合され、5 カ所から仕事があったの が1 つになってしまった。さらに、NPO 法人の収益事業を株式会社として分社化したために NPO 法人 の売上げは激減した。 「健康づくり運動教室」では、「ガンバルーン」というボールを使った体操を全国に広めている。広島 県の株式会社モルテンに委託して2004 年度から生産を始めたこのボールの特長は、空気を抜いてあるの で転がらないこと、そして、ピンク、オレンジ、グリーンの3 種類あり、部屋に置いても違和感がないこ とである(その後、中国の工場に生産を委託している)。参加者から売って欲しいという要望が強いので、 業務を委託している自治体の許可を得てから、インストラクターが「高齢者向けの健康づくり運動教室」 のなかで、1 個 1,000 円で売り始めた。2004 年度と 2005 年度のこの売上高はそれぞれ 1,000 万円あった が、「自治体から受託した事業で商品を販売するのはおかしい」という批判を受け、2006 年度に、この事 業を分離独立させて株式会社「コーチズインターナショナル」を設立し、この株式会社が物販をするよう になった。市町村合併による「健康づくり運動教室」の収入減少、物販事業の分離独立、「健康づくり運 動教室」事業への独立行政法人「福祉医療機構(WAM)」の助成金がなくなった、などの理由で、2006 年度にNPO 法人の売上高は 1,900 万円減少した。 この株式会社は、さらに、2007 年度から東広島市の指定市町村事務の受託を開始した。それまで、介護 認定は市町村が担っていたが、余力のない市町村は介護保険事業者に委託していた。しかし、介護保険事 業者は自分たちに有利な介護認定をするという利益誘導の問題が起きるため、2007 年度に介護保険事業 者以外の業者に委託する制度に変更された。「コーチズインターナショナル」は、この事業を受託するこ とにしたものである。ケアマネジャーや介護福祉士の専門スタッフが東広島市の事務所に合計4 人在籍し ている。

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介護認定事業では、自宅に訪問して、「歩けますか」、「自分でご飯をつくれますか」、と認定表を作り、 特記事項を記して市町村に返信する。これが認定会議の資料となる。介護認定は、認定調査員が認定する 介護認定の調査表と、医師の所見書と、調査会という会議の3 つを総合して実施される。調査表はマーク シートになっており、コンピュータに結果を入力して出す判定結果と、特記事項欄に書き込まれた調査員 の所見、医者の所見書や認定会議の所見を照らし合わせて、介護認定の判断材料となる。そこで異議申し 立てがあれば再確認が行われる。介護認定事業では介護認定と介護予防の認定の2 種類の認定業務があり、 コーチズが受託しているのは認定会議のための調査表を作成する業務である。 (3)ディフュージョン・ステップ 児玉氏には、県外に拠点を増やしたいという思いがあった。しかし、 これはスタッフのなかで共有しているわけではなかったので積極的活動には至らなかった。ところが、広 島県での「高齢者向け健康づくり教室」の実績が評価され、児玉氏が他府県に講師として呼ばれるように なった。その中で、様々な人との出会いがあり、話し合いの機会が増えた。「地元で同じ問題があるので自 分たちでやりたい、どうやったらいいのか」と相談を受け、佐賀県(2004 年度 NPO 法人「健康づくり佐 賀コーチズ」設立)、鹿児島県(2005 年度 NPO 法人「鹿児島コーチズ」設立)、大阪府(2006 年度 NPO 法人「コーチズ大阪」設立)と、1 年に 1 カ所くらいずつ拠点が増えた。 「鹿児島コーチズ」は現在休眠状態だが、佐賀県と大阪府は継続して活動している。コーチズの事業は 営業力のある人材がスタッフにいないと持続的な運営が難しい。拠点を置くための人材育成が必要になる ので、2005 年からは指導者養成事業を始めた。都道府県にスタッフを出向させ、有力メンバーを集めてノ ウハウを移転することを事業にした。人材育成を事業にすることで、参加費をもらったり、自分たちで作 成した教材を参加者に販売したりして、お金を生み出す方法を考えている。 2008 年度、コーチズは「高齢者の健康づくり運動教室」をコミュニティビジネスとしてとらえ、経済産 業省の地域新事業創出発展基盤促進事業費補助金を受けた。2008 年 7 月から、事業内容をマニュアル化 して、島根、山口、大阪、静岡、北海道、千葉、大分、熊本でノウハウを移転している。児玉氏は、ノウ ハウ移転の秘訣は、システムではなくて人材に行き着くと考えている。コーチズを経営しているのは児玉 氏の能力であるが、その力が発揮されなければ他人に伝わっていかない。経済産業省の補助金を受け取っ た団体の全体ミーティングでは、プレゼンテーションする人々の熱意を感じた。助成を受けている13 団 体の人々は優秀であり、この人達は何をやってもうまくいくだろうと思われ、そういう思いを持った人に 移転先で出会えるかどうかが移転事業の大きなポイントになると考えている。 経済産業省の補助金は、マニュアル作成費と年間8 カ所の技術移転の費用(交通費を含む)を対象とし ている。2008 年度の単年度事業だが、2009 年度も申請する予定である。8 カ所の内訳は以下のとおりであ る。島根県、熊本県、千葉県、北海道、大阪府。準備の手前が、静岡県、山口県、大分県。大阪府は、コー チズの名前をつけない別のNPO 法人に移転し、摂津市の法人の 1 事業として立ち上げる。フランチャイ ズの要件はなく、心意気や信頼関係でノウハウを移転している。事業がうまくいかなかったら、途中で辞 めても仕方がないものであり、10 カ所に技術移転しても、10 カ所がうまくいくとは限らない。児玉氏は、 10 カ所に技術移転して、3 カ所が残ればいいと思っている。その 3 カ所からさらに拠点が広がる可能性が ある。できるだけ、間口を広げておいて、必要な人に出会うことをやったほうが良い。児玉氏は経済産業 省に、「全部はうまくいきません。半分残ればいいのではないですか」と言い、「半分無駄になるのではな いですか」と言われたら、「先を考えれば無駄にはなりません」と回答している。 4.社会的価値 (1)サステナブルになるまでにかかった時間 NPO 法人コーチズは、2002∼2004 年度に、元暴走族の 少年をトレーニングして「健康づくり運動教室」の補助スタッフを養成する事業を、緊急雇用対策事業と して広島県から受託した。年間4000 万円の事業を 3 年間受託したので、このときに、持続可能な経営体

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制を築くことができた。事業を開始してから2∼4 年目なので、早かったといえる。

(2)組織形態、CIC との接点 児玉氏は、NPO 法人と株式会社の二本立てで経営している。NPO 法人

コーチズは、「ガンバルーン」というボールを販売して儲け主義だと批判され、2006 年度に株式会社「コー チズインターナショナル」を設立し、事業を移管した。この「コーチズインターナショナル」では、2007 年度から広島県の市町の介護認定の仕事を受託している。 児玉氏は、自分たちの強みは株式会社でビジネスをすることでスタッフが給料を得ているので、安定し た生活ができることだと考えている。安定した生活ができるから、お金にならない仕事もボランティアで することができる。学校など教育の世界はほとんどお金にならない。3∼4 人が車に乗って、高速道路を 使って遠方に出かけても、交通費は2,000∼3,000 円程度しかもらえず割に合わない。給料をもらって、生 活ができるから、遠方に行ける。活動が先なのか、生活が先なのかというとき、生活ができて、その後ろ 側に活動があると考えれば、コーチズの活動の安定性が高い。 株式会社「コーチズインターナショナル」は、「健康づくり運動教室」の教材販売と介護保険の認定調 査をしているが、利益は上がらない。CIC 制度のように、配当制限などの制約を設けて、営利の分配組織 ではないと明言できるならば社会から認めてもらえるかもしれない。児玉氏は、CIC のような制度があれ ば、NPO 法人と株式会社の 2 つに分けるのではなく、1 つの法人格でできるのではないかと考えている。 (3)行政とのコミュニケーション 児玉氏は、広島県の市町と高齢者の健康づくり教室の協働事業をす るとき、行政とコミュニケーションをとった。行政がNPO と協働事業をしたいと考えていたので、行政 と事業を構築する話し合いをした。コーチズでは、行政の下請けをしたり、行政から事業を丸投げされた りということが一切なかった。健康づくり教室に参加した高齢者の健康データを継続して測定して、参加 した高齢者の健康状態が改善されたという測定データを行政に送っている。 (4)既存制度との軋轢 特になし。 (5)各ステップで政策的にはどういう支援が必要か コーチズは2002∼2004 年度に、広島県から年間 4000 万円の緊急雇用対策事業を受託して事業基盤を築いた。児玉氏は、NPO 法人が行政に提案して協働 事業を実施することによって、NPO 法人が自立する手助けになるのではと考えている。

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事例 2  はらから豆腐

社会福祉法人はらから福祉会 武田元 1.社会起業家プロフィールおよび事業概要 武田元(たけだ・はじめ)氏は、1942 年 11 月 30 日生まれ。1966 年に宮城県公立学校教員となり、肢 体不自由児対象の養護学校教員として31 年間にわたり勤務。教職のかたわら地域の障害者支援活動にも 積極的に参加し、1979 年に障害児とその家族が抱える問題を話し合う会を立ち上げ、これを母体として 1984 年「はらから会」を発足させる。現在、社会福祉法人「はらから福祉会」理事長。著書に『豆腐づく りは夢づくり―給料10 万円への挑戦』(きょうされん刊・2007 年)。 社会福祉法人はらから福祉会は、「蔵王すずしろ」をはじめとする知的障害者の就労支援・授産施設を 県内に10 拠点運営し、豆腐、豆乳、湯葉等の製造・販売を通じて、障害者が働く場づくりを実践すると ともに、「手づくりとうふ工房」事業を通じて「はらから豆腐」のノウハウを全国の障害者施設に伝授し 普及拡大に努めている。 2.沿革 㪈㪐㪎㪐 䇸ᩊ↰↸㓚ኂఽ⠪䈱໧㗴䉕⹤䈚ว䈉ળ䇹਎⹤ੱળ⊒⿷ 㪈㪐㪏㪉 䇸䈲䉌䈎䉌౒ห૞ᬺᚲ䇹⸳┙Ḱ஻ᆔຬળ⊒⿷ 㪈㪐㪏㪊 ᦨೋ䈱౒ห૞ᬺᚲ䇸䈲䉌䈎䉌౒ห૞ᬺᚲ䇹㐿ᚲ 㪈㪐㪏㪋 ૞ᬺᚲ䈱ㆇ༡࿅૕䈫䈚䈩䇸䈲䉌䈎䉌ળ䇹⊒⿷ 㪈㪐㪐㪍 ␠ળ⑔␩ᴺੱ䈲䉌䈎䉌⑔␩ળ⸳┙⹺น 㪈㪐㪐㪎 ⍮⊛㓚ኂ⠪᝼↥ᣉ⸳䋨ㅢᚲ䋩䇸⬿₺䈜䈝䈚䉐䇹㐿ᚲ ⼺⣣⹜૞㐿ᆎ 㪉㪇㪇㪍 䉫䊦䊷䊒䊖䊷䊛䇸㆙ಿ↰䈲䉌䈎䉌䈱ኅ䇹䇸ᮎᧁ䈲䉌䈎䉌䈱ኅ䇹㐿⸳ 䈲䉌䈎䉌ળ䊶ᴺੱᧄㇱ䊶࿾ၞ↢ᵴᡰេ䉶䊮䉺䊷㐿⸳ http://www.harakara.jp/management/history/index.html  より抜粋 はらから福祉会」の母体となった「柴田町障害児者の問題を話し合う会」世話人会は、1979 年、武田元 氏を始めとする養護学校教職員組合の組合員有志によって立ち上げられた。養護学校の卒業生たちの行き 場づくり、働く場づくりが解決を急ぐべき課題であるとの認識から、1983 年、無認可の共同作業所を開 所。世話人会を任意団体「はらから会」に改組して共同作業所の運営を続けるが、利用者に所得保障でき るだけの商品を生み出すことができず、10 年間にわたり試行錯誤が続いた。1993 年ごろ、物販活動を通 じて豆腐関連商品の収益性の高さに気づき、製造技術の習得など準備期間を経て、1997 年からは本格的に 豆腐製造業に乗り出す。相前後して設立認可を受けた社会福祉法人「はらから福祉会」の第1 号の認可授 産施設となった「蔵王すずしろ」を拠点に製造される「はらから豆腐」は現在、年商1 億円を超えるブラ ンド商品となっている。 また、2004 年ごろから始まった「はらから豆腐」の成功を全国の障害者施設に広めるための「手づくり とうふ工房」事業では、豆乳製造から後の工程についてインターン研修生を受け入れることを通して技術 移転を図っている。

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3.社会イノベーション・プロセス

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(3)ディフュージョン・ステップ 地元で生産される大豆を使い、味と品質の向上に努めた結果、豆腐 1 丁が 210 円と、平均的な価格の倍となった。販路の研究・工夫が必要だと考えた武田氏は、全国の障害 者施設に豆腐づくりを広め同業者をつくることで、販路開拓だけでなく、全国の障害者の利益につなげよ うと、「手づくりとうふ工房」事業を開始する(2004 年ごろ)。豆腐製造事業には多額の設備投資や廃水 処理、廃棄物(おから)処理などの問題もあり、また、「はらから会」が10 年かかった技術の習得も容易 なものではない。そこで、豆乳づくりまでの工程は「はらから会」が行い、豆乳から豆腐をつくるまでの 後半の工程について5 日間のインターン研修で技術指導を行い、「はらから」ブランドの豆腐工房を開設 してもらうというフランチャイズのような形で、技術移転を進めており、全国に37 の工房が開設されて いる。社会福祉法人設立の翌年、97 年には認可第 1 号の作業所「蔵王すずしろ」を開設、現在はここが年 商1 億円の「はらから豆腐」の製造拠点となっており、見学者は毎年 1000 人を超える。 4.社会的価値 (1)サステナブルになるまでにかかった時間 教員を務める養護学校の卒業生のために「行き場」を創 ろうと、83 年に最初の共同作業所を無認可で立ち上げてから、ようやく年間を通じて需要があり利用者に 所得保障が可能な収益性をもつ「豆腐」という主力商品に行き着く93 年までだけで、武田氏の試行錯誤 は10 年間続いた。この間、武田氏をはじめとする教職員組合の有志メンバーは養護学校の教職員として の職務のかたわらで活動を続けており、「はらから」の活動はまったくのボランティアにより運営された。 「自分で金は1 円も出さなかったし、智恵と、時間だけはあったから、無制限なんですけど。でもそれほ ど大したことはない。だからあんまり、大変だったなという思いは無いんです」と武田氏は笑うが、武田 氏が「はらから」専従となったのは、97 年 4 月、社会福祉法人となった「はらから福祉会」が「蔵王すず しろ」を開所するのに合わせてである。じつに14 年間にわたり、無償の奉仕活動に粉骨砕身してきたこ とになる。 (2)組織形態、CIC との接点 任意団体「はらから会」を後ろ盾として共同作業所4 箇所とグループ ホームを運営しながらも、永らくボランティアによる任意組織であった。法人化のきっかけとなったのは、 95 年の皇族(常陸宮)による蔵王視察。当時はまだ無認可施設であった「蔵王共同作業所」(「蔵王すずし ろ」の前身)が見学場所となったことで、浅野史郎知事(当時)や宮城県議、県の障害福祉課が施設を訪 れた。「福祉の浅野」と呼ばれる知事から、社会福祉法人の認可を受ければもっと設備を充実させられる、 と勧められ、翌96 年、社会福祉法人「はらから福祉会」の設立が認可された。しかし武田氏のスタンス としては、組織形態がこうでなければならないというこだわりは全く無いという。どんな形態、どんな組 織で作っても、作る豆腐に変わりは無い。ただ、現在の日本の株式会社と社会福祉法人を比べれば、どう 考えても社会福祉法人のほうが、より困難な課題を抱えている人に対応できる。それが、武田氏が法人化 にあたり「社会福祉法人」を選択した理由である。「はらから」の場合は、障害者の仕事の質と所得保障 をミッションとしている。所得保障できる採算、経済性、収益性を追求して行っている事業内容はまった く民間企業と同じであることから、単なる金儲けという誤解を受けないための理屈づけとして、CIC のよ うな法人形態があってもよいし、それが経済的にあまり困難でないやり方であれば、そちらのほうがよい だろう、というのが、武田氏の意見であった。 (3)行政とのコミュニケーション アーリーステージでの行政との課題調整組織は、あったほうがいい、 と武田氏は断言する。「はらから」の取り組みは当初から行政とのコミュニケーションがほとんどないま ま純然たるボランティア活動として自発的に推進されてきた。法人化され、組織だった活動展開ができる ようになったのは、浅野知事のような人物との「まったく偶然の出会いからひょっこり生まれた」(武田 氏)成果に過ぎない。偶然の産物が社会に与えたインパクトが大きかったとしても、それだけでは不十分 だ。「はらから」のような取り組みの存在を早期に行政が吸い上げてくれるような制度があれば、もっと

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早く社会福祉法人の認可を受けていたかも知れない。偶然に頼るのではなく、定期的に開かれるとか、必 ず開かなければならないというのが制度であることの意味であって、行政とのコミュニケーションを制度 として実現できるのなら、そうした機関はあったほうがいい、と武田氏は話し、「ただし、どんなに優れ た制度や仕組みを創っても、それをどう動かすかとなると、問われるのはその制度・仕組みに関わる「人」 だろう。制度・仕組みに実効性を持たせるためにも、きちんと「人」を育てることが肝要であり、それは 作物を育てるときにいかに土壌を耕しているかということと同じだ」と付け加えている。 (4)既存制度との軋轢 「はらから」の取り組みはそもそも、養護学校を卒業して社会に出た後の障害 者が働いて所得を得て生きていくということを保障し支える仕組みが社会に無い、というところから始 まった。武田氏の地元であり活動拠点でもある宮城県柴田郡柴田町は、宮城県内で唯一、高等部のある肢 体不自由児養護学校が設置されている町であるにもかかわらず、昭和50 年代当時、障害者の共同作業所は 一箇所もなかった、と武田氏は活動の動機を語った。養護学校を終えた人たちが社会に出てくること、あ るいは障害者一人ひとりの人生を支援する必要性といったことが想定されていなかったといえる。勿論、 制度のみが障害者福祉ではないが、障害福祉分野での社会起業家の取り組みのほとんどが、親(家族)亡 き後の障害者の地域社会での生活(生存)への懸念から生まれていることを考えれば、「はらから」の取 り組みは既存制度の真空部分を埋める形で登場した新しい福祉サービスであったといえるだろう。 (5)各ステップで政策的にはどういう支援が必要か 本事例で大きなハードルとなったのは、所得保障 できるだけの収益性をもつ商品の模索と、活動を支える人的資源が専従できる枠組とであった。前者はど のような事業者も通常直面するハードルだが、後者については組織のマネジメントや営利・非営利のさま ざまな事業形態に関する知識を持つ人物が起業チームあるいは活動チームのなかにまったくいない場合に は、外部からの何らかの支援なしには乗り越えることが難しいと考えられる。 特に本事例のように非営利が前提とされる分野で営利事業の枠組を用いる場合は、適切な組織形態やそ れに係る制度、認可、手続きなどについて早い段階で相談できる窓口があるかないかによって、利用者の ニーズと社会的意義の大きな活動を効果的な形で実践できるかどうかが左右される面もあるのではないだ ろうか。ヒアリングにおいて、「制度があればもっと早く(社会福祉法人の)認可を受けてたかも知れな い」と武田氏が明言しているとおり、アーリーステージで適切なアドバイスを受けられていれば、豆腐と いう収益性の高い商品に行きつく前に、組織体制をよりサステナブルな形にでき、引いては活動に専従で きる人員を確保することで、より早く「はらから豆腐」の成功を実現できたのかも知れない。

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事例 3  チャレンジドクリエイティブプロジェクト

社会福祉法人プロップ・ステーション 竹中ナミ 1.社会起業家プロフィールおよび事業概要 竹中ナミ氏は、1948 年兵庫県神戸市生まれ。神戸市立本山中学校卒。重度の心身障害をもつ娘を授かっ たことから独学で障害児医療・福祉・教育を学ぶ。手話通訳、介護などのボランティア活動を経て、1991 年、草の根グループ「プロップステーション」を発足させ、ICT を活用して challenged(障害を持つ人た ち)の自立を支援する活動を神戸・大阪を拠点に展開している。現在、社会福祉法人「プロップ・ステー ション」理事長。著書に『プロップ・ステーションの挑戦―「チャレンジド」が社会を変える』(筑摩書 房刊・1998 年)、『ラッキーウーマン―マイナスこそプラスの種』(飛鳥新社刊・2003 年)。 社会福祉法人プロップ・ステーションは、障害者の就労促進のためのパソコンセミナー、相談事業、フォー ラムやシンポジウムの開催などのほか、株式会社フェリシモとのコラボレーション事業「チャレンジドクリ エイティブプロジェクト(CCP)」を通じてオリジナル商品を全国に通信販売する取り組みも行っている。 2.沿革 㪈㪐㪐㪈 છᗧ࿅૕䇸䊒䊨䉾䊒䊶䉴䊁䊷䉲䊢䊮䇹⸳┙ 㪈㪐㪐㪉 䉼䊞䊧䊮䉳䊄䈱ዞഭ䈮ะ䈔䈢䉮䊮䊏䊠䊷䉺䉶䊚䊅䊷䉕㐿ᆎ 㪈㪐㪐㪌 㒋␹ᄢ㔡ἴ䈪⥄ቛో὾䇮䉴䉺䉾䊐ోຬⵍἴ䈚䇮 ቟ุᖱႎ䈭䈬䈱䊌䉸䉮䊮䊶䊗䊤䊮䊁䉞䉝䈮ข䉍⚵䉃 㪈㪐㪐㪎 䊎䊦䊶䉭䉟䉿᳁䈫㕙ળ 㪈㪐㪐㪏 ෘ↢ᄢ⤿⹺น╙㪉⒳␠ળ⑔␩ᴺੱ⹺น 㪉㪇㪇㪉 ᅚᕈ⼏ຬ᡽╷ឭ⸒ද⼏ળ㩷䇸䊡䊆䊋䊷䉰䊦␠ળ䈱ᒻᚑଦㅴ䊒䊨䉳䉢䉪䊃 䉼䊷䊛㩷䌾䉼䊞䊧䊮䉳䊄䉕⚊⒢⠪䈮䈪䈐䉎ᣣᧄ䌾䇹ኾછ⻠Ꮷ䈮ዞછ 㩿ᐳ㐳䋺㊁↰⡛ሶⴐ⼏㒮⼏ຬ䇮೽ᐳ㐳䋺ᵿ྾ᵤᢅሶෳ⼏㒮⼏ຬ㪀 㪉㪇㪇㪎 䉰䊑䉥䊐䉞䉴䉕࿖㓙䌉䌔⽷࿅䋨᧲੩䋩ౝ䈮㐿⸳ 㪉㪇㪇㪏 䇸䊒䊨䉾䊒䊶䉴䊁䊷䉲䊢䊮䇹᧲੩੐ോᚲ㐿⸳ 䇸䉼䊞䊧䊮䉳䊄ዞഭᡰេ㪠㪚㪫䉶䊚䊅䊷䊶᧲੩䇹䉕㐿ᆎ http://www.prop.or.jp/about/history.html  より抜粋作成 「プロップ・ステーション」は、アテンダント制度の普及を目指す団体「メインストリーム協会」に竹 中氏が創設した就労支援部門を独立させ、1991 年、神戸・大阪を拠点とする任意団体としてスタートし た。全国の重度障害者を対象に就労意識調査を行った結果、回答の8 割が高い就労意識とコンピューター への期待を示したことから、ICT を武器に障害者の就労を促進しようとセミナーを開催、これが現在まで 「プロップ・ステーション」の活動の大きな柱となっている。 1995 年の阪神・淡路大震災では「プロップ・ステーション」のスタッフ全員が被災しながらもパソコン 通信の技術を駆使した安否情報確認などの活動が日本で初めての専門技術者によるパソコン・ボランティ アとして一躍脚光を浴び、マスコミで取り上げられる機会が急増した。各界からの協力を得て、1998 年に は社会福祉法人の認可を取得。ICT スキル習得のためのセミナー事業、就労コーディネートと相談事業、 高品質な商品をチャリティではなく一般の市場に出す枠組としての企業・自治体とのコラボレーション事

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業、と、障害者の就労に関する支援サービスを総合的に展開している。 3.社会イノベーション・プロセス

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の矢崎和彦氏の訪問を受けた竹中氏は、その心中を矢崎氏に相談。必要なところにプロのアドバイスを入 れてプロフェッショナルな商品を障害者の手から世に送り出すプロジェクト、という構想に即、意気投合 し、わずか3ヵ月後の 2003 年春、地元自治体を巻き込んだコラボレーション事業としてチャレンジドクリ エイティブプロジェクト(CCP)を立ち上げた。神戸市から始まった CCP は、矢崎氏と竹中氏とで大々 的に新聞発表したこともあり、官と企業と非営利活動がタッグを組む新たな社会事業の形として、和歌山、 愛媛、静岡、岩手など、全国の自治体に飛び火している。さらに、2008 年 6 月からは、CCP と同様のコ ラボレーション事業によりプロのパティシエを養成する「神戸スウィーツ・コンソーシアム」を始動させ ている。 4.社会的価値 (1)サステナブルになるまでにかかった時間 92 年の「プロップ・ステーション」としての活動開始か らとすれば、成毛眞氏とマイクロソフトという大きな後ろ盾を得る95 年までの 3 年は比較的短い。しか しこの間、竹中氏個人が離婚により生計の途を閉ざされ、「プロップ」の活動が成毛氏の目に留まる直前 には阪神・淡路大震災により被災していることを考え合わせれば、イノベーター・ステップからアントレ プレナー・ステップに至る時期の最大の障害は運転資金の調達であったことは想像に難くない。ただ、「プ ロップ・ステーション」の活動形態は、竹中氏自身、ヒアリング調査のなかで述べているとおり、「なま じお金があって自分たちで何でもできていたら、できなかった」タイプのものといえる。お金が無かった から、人と人をつないでネットワークの力でやりたいことを成し遂げてきたというパートナーシップ型の このケースは、竹中氏の突出した行動力・渉外スキルもさることながら、「影響力があって、同じ志を持 つ人と組めるかどうか」が鍵となるという意味では、出会いやタイミングの運に拠るところも大きい、セ レンディピティ的な要因を孕んだアーリーステージであったといってよいだろう。 (2)組織形態、CIC との接点 「プロップ・ステーション」が草の根グループから法人組織となるにあ たって社会福祉法人という組織形態を選んだのは、いわば消去法の結果である。障害者の就労支援という 事業内容を営利法人で行うつもりは、竹中氏には初めから毛頭なかった。組織として事業を推進していく 必要が出てきた際、非営利法人には何があるかと考えた。まだ特定非営利活動促進法が設立しておらず非 営利活動の法人化について議論の段階であった当時、「プロップ」の事業内容に合う非営利の組織形態と しては、社団、財団、社会福祉法人の3 つしか選択肢が無かった。同業者の親睦団体という印象が強かっ た社団には違和感があり、財団を設立するには億単位の基金が必要とされた。「残るは社会福祉法人」と いう結論に達し、社会福祉法人としての設立認可を受けたのである。しかしながら、法人認定を受けて組 織化されたことは必ずしも即「プロップ・ステーション」の基盤安定につながったわけではない。財政的 基盤の弱い(いつつぶれるか分からない)新規の団体を国が補助するわけにはいかないと判断され第二種 社会福祉事業を行う法人としての認可となったため、国からの補助金はない。障害者の就労支援という、 営利法人が行うのにそぐわない、公共性の高い事業をこれまでにない新しい形で展開し、サステナブルに 運営していける法人形態は、非営利活動の法人化がまだ議論の只中であった90 年代の後半、他に選択肢 がなかったに等しい。当時NPO 法人が選択肢にあったとしても私は社会福祉法人を選んでいたとは思う が、と前置きしたうえで、竹中氏はCIC 法制については肯定的に評価した。「日本の株式会社でも、定款 で『配当については事業に再投資する』と決め、それを理解する人だけが株主となる会社の設立が可能と されており、実際にそのような会社もいくつか存在します。NPO 法人よりも運営に関わる資金調達がし やすいことを考えると、今後はそのような会社が増えるかもしれないですね」(竹中氏) (3)行政とのコミュニケーション 「私はつなぎのメリケン粉の役割」というのが口癖の竹中氏は、そ の言葉どおり本事業に係るあらゆる局面でのコーディネーター役として、行政とのコミュニケーションに ついても一手に引き受けてきた。行政とのやり取りが最も困難だったのは法人化の際。社会福祉法人にな

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りたいと地元自治体の担当窓口に相談をしても、重度の障害者がコンピューターを使うなどという活動が 社会福祉法人なわけがない、と、けんもほろろだったという。ではどこが「うん」と言えばいいのかと食 い下がる竹中氏に自治体担当者の答えは「厚生省(国)」だったことから、竹中氏は直接厚生省と交渉を 続け、非営利活動の法人化と立法をめざす運動が数年前から続いていた背景も手伝って、社会福祉法人認 可を得るに至る。行政とのコミュニケーションに苦労した経験からも、中立的な第三者調整機関の必要性 については「信頼性が高ければ」あったほうがいい、と竹中氏は考える。最終的には「プロップ・ステー ション」のような団体が存在しなくても障害者が仕事をして稼ぎで自立できる社会を目指したい、という のと同様に、中間にコーディネート組織がなくとも官と民(企業)とNPO や市民のセクターとが対等にコ ミュニケーションできればよい、但し第3 のセクターが官や民と互角な力を持ち国民・市民が各セクター からサービスを選べる米国社会とは違い、日本の場合はまだ中間組織が必要な時期なのかもしれない、と いうのが竹中氏の意見であった。 「…こういう異端なことなんだから、どこにでもかしこにでも味方がいるわけではないでしょう。だけ どあの高い壁の向こうにも(味方が)いるかも分からん。だとしたら、それを叩き破って何かを取ってく るんではなくて、ドアを叩いたときに中からこっそり門を開けてくれる人がおったほうが早いよね、中と 外の両方でその活動を広めていけるっていう風になればいいよね、ということで、私自身は、ケンカする エネルギーは全部、つながれる人を探すエネルギーに集中してきたわけです」と竹中氏は言う。 調整のための中間組織は必要であっても無理に創るものではなく自然発生的にできるもの、という思い から竹中氏は、非公開・非公式で各省の事務次官を対象とした勉強会を定期的に開催している。人と人の つながる力が組織間・セクター間の壁を融かすというのが、あくまでも”つなぎのメリケン粉”に徹して地 道な人的ネットワークづくりに尽力する竹中氏の信念であり、求められる調整機関の役割を一身に体現し てきているように見える。 (4)既存制度との軋轢 法人化の際には、重度の障害者がコンピューターを使って働くなどという活動 が社会福祉であるわけがないだろうと、「プロップ」の社会福祉法人認可に反対の大合唱があった。この 活動趣旨に理解・賛同する人は立ち上げ当初は少数派であり、主に福祉関係者の反感を買ったのだという。 また、同時期に行われていた非営利活動法人法制の議論が、民法第34 条(公益法人の設立)の改正※1 はハードルが高すぎるとして、特別法としてのNPO 法制定へと軸足を移しつつあったが、早期に法案が 成立する保証がなかったこと、そして「既存の法のど真ん中に入り込んで、法の精神や運用を変えたい」 との思いが強かったことから、竹中氏は敢えてNPO 法人化ではなく社会福祉法人の認可取得を選択した。 結果として補助金の無い第二種社会福祉法人という認可となったが、補助金が無い分だけ自由度が高く、 きわめてNPO 的な実践活動ができている、と竹中氏は満足している。 (5)各ステップで政策的にはどういう支援が必要か 「プロップ・ステーション」の活動が大きな批判 の嵐にさらされたのは、活動を始めた当初と、社会福祉法人化の際の二度であった。「プロップ」が掲げ る「チャレンジドをタックスペイヤーにできる日本」というスローガンの裏には、親が亡き後も重度の障 害をもつわが子の存在を社会が支えてくれる日本であってほしいという切実な願いがあり、裏を返せばそ のような福祉制度になっていないのが実態であると思われる。しかしその一方で、介護を必要とするよう な重度の障害者を働かせるのか、一般の人でも使うのが難しくて高価なコンピューターを障害者に買わせ るのか、といった批判の多くは福祉関係者から寄せられた。「不特定かつ多数のものの利益の増進に寄与 する」特定非営利活動法人が、「公益」法人制度に包摂されていない既存法制の枠組みのひずみが指摘さ れる点であろう。 ※1 当時の条文は以下のとおり。「〔公益法人の設立〕第三四条 祭祀、宗教、事前、学術、技芸其他公 益ニ関スル社団又ハ財団ニシテ営利ヲ目的トセサルモノハ主務官庁ノ許可ヲ得テ之ヲ法人ト為スヒトヲ得」

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