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大正大学大学院研究論集35号 018横山裕明「PradIpoddyotana第七章を中心としたCandrakIrtiの注釈傾向について」

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Academic year: 2021

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14( Candrakīrti 著作 Pradīpoddyotana-tīkā(以下 PU.)第七 章は,菩提獲得の方法・五仏と五境・各種憶念の方法 といった後期密教の核心部分が説かれる Guhyasamāja-tantra(以下 GS.)第七章の註釈をしている重要な章で ある . ここでは,PU. 第七章に引用されている経典お よび PU. に見られる特殊な文法用法を明らかにするこ とによって , Candrakīrti の註釈の傾向を考察する . まず , 引用経典の確認によって未発見経典のSkt. を 12 偈とTib. を 2 偈回収することができた.それぞれ 文中での経典の名称は異なるが , 確認されたのは以下 の4つの経典からの引用である . ・Sandhivyākaraṇa-nāma-tantra.(以下SV.) デルゲ版(以下D.)No. 444. 北京版(以下P.)No. 83. ・Śrī-sarvabuddhasamayogaḍākinījālasaṃbara- nāma-tantra. (以下DS.) D. No. 366. P. No. 8. ・Śrī-vajramālābhidhānamahāyogatantra-sarvatantrahṛdaya -rahasyavibhaṅga-nāma. (VM.) D. No. 445. P. No. 84. ・Vajroṣṇīṣa-tantra. (Skt.およびTib.未発見経典) これらの経典の中でも特にSV. は PU. 第七章に引用 されている 12 偈中の 9 偈を占めており , Candrakīrti が特に重要視した経典であることが分かる.この中 のSV. と VM. は GS. の釋タントラであり , Candrakīrti のGS. 理解の礎となっていると考えられる . また, PU. の Tib. D. 5(a3, P. 66b5-6 に見られる DS. から引 用されている偈について , 唯一存在するPU. の版本は これが偈であることにすら気付いていない.今回 , 写 本研究によってこれを偈と認識した上で引用箇所を確 認し , Skt. の回収もできた.さらに , この直後の偈は Indrabhūti 作の Jñānasiddhi にも引用されていることが 先行研究で示されている . 父タントラであるGS. の註 釈において母タントラであるDS. の偈を引用している ことはCandrakīrti の思想を強く反映しているといえる . 次に , PU. に見られる特殊な文法用法について考察 する . PU. 第七章には iti prāpte という表現が随所に見

受けられる.しかし , ここで註釈文献での特別な読 み方として使われていると考えられる.pra√āp には 「獲得」といった意味の他に “L. M. Sukla A Dictionary

of Sanskrit Grammar.” p. 2(8. l. 24 によれば prāpti- に は‘application of a rule’ という意味がある . また , “M. Monier-Williams Sanskrit-English dictionary” p. (0( ll. 6-8 によればprāpta- には ‘obtained or following from a rule.’ という意味があり , その直後に iti prāpte の意味が ‘while this follows from a preceding rule.’と書かれている. すなわち「先行する規則に従った場合」というような 意味がある.PU. における iti prāpte の用法で共通する ことはGS. 本文に出てくる単語(以下 X)とそれと 同様の単語の性・数・格が異なっている形(以下X’) がiti prāpte の近くに位置していることである.この ことから , iti prāpte は X と X’ の関係を現すために用 いられたと推測でき , 各用例を比較研究した結果「(X がX’)であるのが[文法]規則に従った場合におけ る[形である]」という著者の主張を導き出すことが できる . また , 続いてārṣaṃ という単語を共に使用す る場合が多く見られる . “M. Monier-Williams Sanskrit-English dictionary” p. 152 ll. 80-81 によれば ārṣaṃ に は「ṛṣi に関する」という意味の他に ‘the speech of a ṛṣi the holy text’ という意味がある.すなわち , 聖なる言葉 や聖典といったものを指す場合にārṣaṃ が使われる.

以上のように , Candrakīrti は iti prāpte を用いて文法 規則に従った場合における正しい形を示しながらも GS. を指し示すのに ārṣaṃ という単語を用いて聖典と してのGS. の権威を主張している.つまり , これは決 してGS. 本偈の文法的な誤りの指摘ではない.それで は , なぜ聖典を尊重しながら文法規則における正しい 形として解釈を示す必要があったのか.以下に可能性 が高いと考えられる2つの仮説を提示したい. 仮 説 1  元 々Sanskrit と は 異 な る 言 語( 例 え ば Prakrit)で書かれていた GS. を Sanskrit 化する過程で 各語の本来意味する格の変化ではmetre に合わなくな った.したがって , metre に合わせるためには本来の

Pradīpoddyotana 第七章を中心とした

Candrakīrti の注釈傾向について

横 山 裕 明

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146 文意と異なる格変化をせざるを得ず , 異なる意味に読 めるようになってしまった.または意味が通じなくな っていた.そこで , Candrakīrti は伝承に基づいた意味 での正しい形を PU. で示した. 仮説2 多少の文法上の問題があるにせよGS. 本偈の 格は伝承されている写本の形で読まれていた.しかし , Candrakīrti が受け継いだ GS. の実践または Candrakīrti 自身の手によるGS. の実践の意義付けと GS. 本偈の 内容に整合性がとれなくなっていたため , GS. 本偈の 読み方を無理にでも弟子たちに伝えようとした.その ため半ば強引にでもCandrakīrti が求める文意を基にし た場合の文法規則における正しい形をPU. で示した. すなわち , GS. 本偈の形を意味の上で解釈し直して文 法的に正しい形として示した. 上記のどちらの仮説にしても聖典をどのように解釈 すべきか , というCandrakīrti の懸命な姿勢が窺える . 以上 , PU. 第七章に引用されている経典および PU. に 見られる特殊な文法用法を明らかにすることによって Candrakīrti の註釈の傾向を考察した . 1)C. Chakravarti : Guhyasamājatantrapradīpodyotanaṭīk āṣaṭkoṭivyākhyā, Patna, 1984.

2)Sāṅkṛtyāyana. 112. The Pradīpoddyotana-ṭīkā, photograph of Sanskrit MS. belonging to the Jayaswal Institute, Patna. なお , 本研究ではその写真版を使 用した .

3)高橋 尚夫 : Jñānasiddhi 第 15 章―和訳― : 『豊山教 学大会紀要』5

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