はじめに(要約) 歴史認識は、価値判断を排する科学としての歴史学とは異なる。歴史 認識は、史実の評価そのものであるから国や立場によって評価の基準が 異なる。従って、必然的に多様かつ相対的である。そうした歴史認識の 重要な視点として筆者は、第一に歴史的評価は史実の真偽の問題ではな いこと、第二に価値観や倫理観の基準は時代と共に変遷すること、そし て第三に歴史的評価には個人や組織の“主観的意図”の存否よりも、 “客 観的結果”の方が重要であること、の三点を提言したい。 日本人の歴史認識の中では、大東亜戦争は侵略戦争だったのかという 疑問がいまだに人々の心の底にトラウマとなって影を残している。事実 は、日本は米国の世界戦略(特に欧州参戦)着手へのきっかけづくりを 強 要 さ れ た も の で あ る。 日 本 は 米 国 の 強 力 な 政 策 に 抵 抗 で き な か っ た。 しかしその“客観的結果”として、大東亜戦争のおかげでアジア諸国の 独立が推進されたというまぎれもない事実がある。 歴史認識は極めて重要ではあるが、一国の命運を左右するような政治 的課題の場合には優先させるべきではない。中国の軍事的脅威が高まっ ている現在、日本としての喫緊かつ最大の政治的課題は日米同盟の緊密
佳
作
近
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に
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歴
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認
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青
あ お柳
や ぎ武
た け彦
ひ こ 80歳 国際大学グローコム客員教授 (元教授) 学術博士 化による安全保障の確保である。高度な政治的判断を要する問題におい て安倍首相が、歴史認識よりも之を優先するのは当然である。 平成二七年四月の安倍首相の米・上下両院議員総会における演説、及 び戦後七十年の談話は、日米両国の同盟関係を強化するものであり歴史 的な快挙であった。安倍首相が歴史認識の点において譲歩し過ぎたと批 判する意見があるが見当違いだ。 第一章 歴史認識の多様性と相対性 歴史認識と歴史学の違い 歴史学は、歴史認識の概念とは異なり、マックス・ヴェーバーのいわ ゆ る 価 値 判 断 排 除 1 ( W e r t f r e i h e i t ) の 方 法 論 に 従 う べ き 社 会 科 学 で あ る。 歴 史 と い う の は 多 く の 場 合、 民 族 の 闘 争 の 史 実 の 集 合 体 で あ る が、 歴史家は過去の事実に対する特定の政治的・道徳的・イデオロギー的信 条からの評価、すなわち正義・不正義、善悪、適否、などの判断は慎ま なくてはならない。歴史家は裁判官ではないから正邪の判決を下すこと は 出 来 な い。 「 歴 史 的 事 実 が ど う で あ っ た か 」 だ け を 明 ら か に す れ ば よ いのだ。 ところが日本の歴史学者のほとんどは、イデオロギー的に極端に左傾 化しており、こうした観点からはかなり逸脱している。例えば日本最大 の学会である「日本歴史学研究会」などはいまだに東京裁判史観を支持 し、韓国における「慰安婦問題は実在した」などという、信じられない ような声明まで発している。この声明は米国の高校の教科書にまで取り 上げられて、国際社会で日本を貶める原因となっている。 対照的に歴史認識は、 一種の思想であって科学ではない。 “史実の評価” 1 マ ッ ク ス・ ヴ ェ ー バ ー( M a x W e b e r 一 八 六 四 ~ 一 九 二 〇 ) の 価 値 判 断 排 除: 客観的事実の探求を理想とした場合にも、あるべきものの探求という主観的価値 評価から離れることはできない。 そこで自らの拠って立つ価値を自覚し明確化し、 それに囚われぬ認識をし、その認識をまた、自他の価値評価からの自由にある他 者に認識させる、価値評価無強制姿勢による学問の方法である。 ( W i k i p e d i a )近現代史における歴史認識 佳 作 そのものなのだ。評価の基準は立場が変われば当然に変わるから、歴史 認識は必然的に多様で相対的である。国際関係は夫々の国益がぶつかり 合う戦場のようなものだから、国によって夫々固有の歴史認識があって 当然である。 本章では、歴史認識の問題を考察するにあたって重要と思われる視点 を三つほど提言する。 第一の視点「歴史的評価は史実の真偽の問題ではない」 事実は重いが全てではない ある史実について歴史的評価をする場合、それが事実であったかどう か“だけで”評価すべきではない。ただし中國と韓国が日本を執拗に非 難してやまない南京問題や慰安婦問題は、事実でさえないのだから歴史 認識以前の問題である。 日本人は事実であるかどうかを特に重要視するが、シナ人や韓国人は 自 己 の 主 張 や 面 子 の 方 に、 よ り 大 き な 価 値 を 置 く と い う 国 民 性 が あ る。 韓国には恨(はん=痛恨、悲哀、無常観)の文化があって、如何に自分 が不当に虐げられているかを訴えあって、悲哀や無常観を競いあう。そ れが事実かどうかは重要ではない。シナにも避諱(ひき=隠す、 避ける) という考え方がある。国家や家族のために不利なことは、たとえ嘘をつ いてでも徹底的に隠すことが倫理的に正しい行為であり、義務でさえあ る。 シナには戦乱で王朝が交代する度に、勝者の新王朝が前王朝を否定し て、 自らの正統性を示す新しい「正史」を編纂するしきたりがある。 『史 記 』、 『 漢 書 』、 『 元 史 』、 『 明 史 』、 等 は 全 て が そ の 例 で あ る。 そ こ に は、 内容が真実かどうかという視点はない。 イェール大学のサミエル・ビーミス教授は、F・ルーズベルト大統領 が日本の真珠湾攻撃を事前に知っていたにもかかわらずハワイの軍当局 者 に こ れ を 知 ら せ ず に、 「 日 本 の 卑 怯 な 不 意 打 ち 」 を 自 ら 演 出 し た こ と は事実であったと認めている。しかし、それにもかかわらずルーズベル トが米国民を憤激せしめて対日戦争に踏み切らせたやり方を、彼なりの 国 益 追 求 の 表 れ で あ っ た と 評 価 2 し て い る。 し か し ビ ー ミ ス 教 授 は、 米 国は日本に謝罪すべきであるなどとは決して言わない。それが米国の歴 史認識なのだ。 「歴史は虹を見よ」 この第一の視点は、渡部昇一・上智大学名誉教授が紹介された、オー ウ ェ ン・ バ ー フ ィ ー ル ド 3 の「 歴 史 は 虹 を 見 よ、 そ れ を 構 成 す る 水 滴 や 霧にまどわされるな」という言葉にも通じる。 バーフィールドがこれによって主張したのは、歴史は無数の史実の漠 然とした集合体ではなく、ある種の思想であるということだ。もし個々 の無数の史実を、ある時代の歴史を雑然と形成するものとしか認識でき ないならば、 その中から長期的な流れや意義を抽出することはできない。 歴史家の使命は、俯瞰する要素を抽出すること、及びそのための判断基 準としての思想を持つことであると、バーフィールドは言いたかったも のだろう。 虹を見出すためには、ある水滴や霧が歴史の流れを形成する重要な要 素なのか、 それとも無視すべき偶発事なのかを見分けなければならない。 それを判断する手掛かりは、 対象の史実が、 長期的な歴史の流れの中で、 「一般化を伴う “抽象化” ができるかどうか」 にあると筆者は考えている。 例えば日本の古代史において、中大兄皇子(のちの天智天皇)と中臣 (藤原) 鎌足らが計略を巡らして蘇我入鹿を刺殺した殺人事件 「乙巳の変」 があった。単一の事実に捉われれば、これは古代政治史の中の一殺人事 件に過ぎないということになる。 しかしこの事件を、公地公民制、地方行政組織の確立、戸籍・計帳の 作成と班田収授法の施行、租・庸・調の統一的税制の実施、という具体 的な一連の出来事の発端として見ることが出来れば、この一連の史実の 2 『日米戦争、ルーズベルト責任論と“歴史修正主義”非難の起源』福井義高 雑 誌「正論」二○一五年二月号 百二十六~百三十三ページ 3 オーウェン ・ バーフィールド : 英国の英語史家 ・ 評論家。一八九八~一九九七年。
“一般的かつ抽象的な側面” 、すなわち歴史の「虹」は、それまでの「豪 族を中心とした政治から天皇中心の中央集権国家への移行」という新政 であったという歴史認識を持つことができるのである。 残虐行為は絶対悪 この第一の視点にも例外がある。それは、原爆投下や東京大空襲のよ うな大量殺戮や残虐行為は、人倫に背く絶対悪であるので、他にどんな に大きなプラスに評価出来る点があろうとも、当該史実の歴史認識をプ ラスに転化することはできないということだ。 米トルーマン大統領は、日本が既にダッチロール状態であったことを 知っていたにもかかわらず、原爆投下の決定を行って「原爆投下があっ た か ら 戦 争 を 早 期 に 終 結 さ せ る こ と が で き た 」 と 強 弁 し た。 平 川 祐 弘・ 東 大 名 誉 教 授 で さ え も、 「 原 爆 の 威 力 を ソ 連 に 知 ら し め る こ と が 出 来 た ために、その後の冷戦時代に起きたかもしれない大戦を阻止することに よ り 少 な く と も 一 千 万 人 の 人 命 を 救 う こ と に な っ た 」 と 前 向 き に 評 価 4 した。 しかし、筆者は賛成できない。どんな理由があろうとも人倫にもとる 残虐行為は歴史認識の相対性から除外すべき絶対悪なのだ。 第二の視点「価値観や倫理観は時代と共に変遷する」 第二の視点は、価値観や倫理観は時代と共に変遷するものだから、現 在 の 基 準 で 過 去 の 出 来 事 を 評 価 す べ き で は な い と い う 点 だ。 「 侵 略 」 に ついての歴史認識はその好例だ。その底流には人種問題がある場合が多 い。ヘンリー ・ S ・ ストークスは 5 、「第一次大戦以前の時代においては、 白人が有色人種を侵略するのは“文明化”で、神の意向に副う善でさえ 4 『戦勝国の歴史解釈に異議ないか』平川祐弘 産経新聞「正論」欄 平成二七年 四月六日 5 『 連 合 国 戦 勝 史 観 の 虚 妄 』 ヘ ン リ ー・ S ・ ス ト ー ク ス 祥 伝 社 二 ○ 一 三 年 四十ページ あった。 」と指摘している。 米大陸は一四九二年にコロンブスが“発見”したものであり、それま では人間が住んでいたとは見做されなかった。米国の原住民(現在では 反省を込めてネイティブ・アメリカンと呼ばれている)に対して白人の 侵略者たちが行った、大量殺戮、土地の収奪、迫害行為、などの数々の 非人道的行為は全て神の意向に沿う“文明化”であり、雄々しい「西部 開拓魂」の発露でさえあった。 コ ロ ン ブ ス が 到 達 し た 時 点 で は お よ そ 八 百 万 人 も い た と さ れ る ネ イ テ ィ ブ・ ア メ リ カ ン は、 殺 戮 や 迫 害 の 結 果、 一 八 八 ○ 年 迄 に は わ ず か 六万六千四百七人になってしまった。当時の基準でいえば、それが彼ら の言う「神の意向に沿う文明化」なのだ。ただしこの数字は公認抑留地 の住民のみであって、調査方法には問題がある 6 。 人種偏見に根拠を与えた人類学 一 九 世 紀 後 半 の 人 類 学 に は、 “ 人 種 差 別 を 正 当 化 す る 科 学 ” と い う 一 面 が あ っ た。 中 心 的 な 組 織 は「 ロ ン ド ン 人 類 学 協 会 」( A n t h r o p o l o g i c a l S o c i e t y o f L o n d o n )である。協会の創設者のジェームス ・ ハントは、 「人 種 多 元 論 」 を 支 持 し て、 「 白 人 の み が 人 類 学 的 に 言 っ て ヒ ト( ホ モ・ サ ピエンス)であり、黒人などの有色人種は、種としては猿のように太古 の時代にヒトの系統から分岐したものである」とした。そして黒人は奴 隷として白人に仕えることによって、はじめて生存の意義を実現できる とした。 こうした見方は当時としては特別なものではない。著名な哲学者デイ ヴ ィ ッ ド・ ヒ ュ ー ム、 作 家 の ト ー マ ス・ カ ー ラ イ ル、 文 豪 チ ャ ー ル ズ・ ディケンズ、歴史家・宗教家のチャールズ・キングズリー、美術評論家 6 N U M B E R O F I N D I A N S I N T H E U N I T E D S T A T E S I N 1 8 8 0 : 一 九 ○ ○ 年 以 前にはアメリカインディアンは連邦国勢調査に殆ど対象になっていない。一八六 ○年に公認された一般集団に住むインディアンのみが初めて同定された。 h t t p : / / i m a g e s . l i b r a r y . w i s c . e d u / H i s t o r y / E F a c s / S e t P e r A m e r I n d / N e w s o n / r e f e r e n c e / h i s t o r y . n e w s o n . i 4 3 . p d f # s e a r c h = ' A m e r i c a + I n d i a n + + 1 8 8 0 + + + 6 6 4 0 7 '
近現代史における歴史認識 佳 作 ジョン・ラスキン、詩人のアルフレッド・テニスン等は、当時の世界最 高の知性を代表する人物と目されていたが、すべて人種差別主義者であ ったのだ。 トルーマン大統領も日本人を動物視していた。原爆投下にはアイゼン ハワー将軍等、 多くの軍関係者が反対したが、 トルーマンは 「獣 ( B e a s t 7 ) と接するときは相手を獣として扱わねばならない」とまで言って、押し 切ったのである。 慰安婦問題 韓国が日本に謝罪と賠償を求めてやまない慰安婦問題は、人類の歴史 が始まって以来の「戦争と性」の問題を矮小化して、日本政府の韓国女 性の強制的拉致問題に仕立てあげているものだ。当時は、売春は非合法 ではなかった。軍隊につきものの性病問題や現地女性への暴行問題など を合理的に解決せんがために民間と軍が協力しあったものだった。 現在の倫理観や道徳観からは問題なしとはしないにしても、韓国政府 の非難は、価値観や倫理観は時代と共に変遷するという事実を無視した ものだ。かつてのヴェトナムにおける韓国兵士の大量強姦事件や、韓国 政府が自ら関与した米軍慰安婦問題には口を拭って知らん顔である。 第三の視点「歴史認識は“主観的意図”よりも、 “客観的結果”が重要」 客観的結果こそが重要 歴史においては国家であれ個人であれ、その主観的な意図がどうあろ うとも客観的に生じた結果こそが重要だ。逆に、国家や個人が何かを意 図して行動しても、客観的結果が伴わなければ意図の存在は無効である から、評価されないことになる。 日本は植民地経営を目指したことはない。大東亜戦争の開戦当時、東 条内閣の重光葵 ・ 外務大臣は米国と戦わざるを得ないことを悟って、 「戦 7 B e a s t :獣、畜生、牛馬。粗野で軽蔑すべき生物というイメージがある。 うことに決した以上、日本国の名誉の為にも堂々たる主張がなければな らぬ。それは『アジア諸国の解放と独立』である」と進言し、政府は天 皇 陛 下 の 御 嘉 納 を 得 て 大 東 亜 共 栄 圏 の 構 想 を 国 策 と し て 推 進 し た の だ。 大戦中に日本軍が占領地を植民地化しようとしたことは全くない。日本 は侵略も植民地経営もしたことはないというのが事実なのだ。 東 京 大 学 総 長 も 勤 め た 歴 史 学 者 の 林 健 太 郎 氏 が「 ( 大 東 亜 戦 争 が ) 結 果的にアジア諸民族の独立をもたらしたことは確かだが、それは日本が 敗 退 し た 後 の こ と で、 戦 争 中 に 日 本 が 独 立 さ せ た も の で は な い 8 」 と 述 べた。これは大東亜共栄圏構想の事実としての存在を軽視した上に、 “客 観的結果”の評価をおろそかにした結果だ。 慰安婦問題において、河野洋平談話は日本と日本国民を辱める元とな っている。河野氏は、講演会で「私が日本を侮辱するなどということが あるわけがないじゃありませんか」と弁明をしている。しかし、これは 彼の“主観的意図”の問題ではない。国際関係に及ぼしている“客観的 結果”の問題なのだ。河野氏には、ことの重大さと深刻さに思いをいた して、勇気をもって当時の韓国との折衝状況と調査の詳細を、相手の担 当者の名前と共に明らかにして頂きたい。 第二章 「侵略」の歴史認識 「侵略」概念のはじまり 「 侵 略 」 と い う 言 葉 は、 人 倫 に も と る 絶 対 悪 の 戦 争 犯 罪 を 意 味 す る も のとして現実に広く使われている。しかしながら、学問的にはその概念 形 成 す ら も 出 来 て は い な い。 国 際 法 上 の 侵 略( A g g r e s s i o n ) と い う 言 葉が出現したのは、第一次世界大戦後に連合国がドイツに多額の補償金 を 課 し た ベ ル サ イ ユ 条 約 9 に お い て で あ る。 そ の 理 論 的 根 拠 に つ い て は 8 林 健 太 郎 氏 の 主 張: 別 冊『 正 論 』 二 ○ ○ 六 年「 大 東 亜 戦 争 ~ 日 本 の 主 張 」 百十五~百十六ページ。 9 ベ ル サ イ ユ 条 約 第 二 百 三 十 一 条: 連 合 国 政 府 は ド イ ツ お よ び そ の 同 盟 国 の 侵 略 により強いられた戦争の結果、連合国政府および国民が被ったあらゆる損失と損
何の客観的検証もなされなかったにもかかわらず、ドイツは「侵略」の 咎 に よ っ て 連 合 国 の 戦 費 す べ て に つ い て の 巨 額 の 賠 償 責 任 が 負 わ さ れ た。 その後、国際社会における平和維持活動の一環として侵略の定義づけ の努力が長年の間続いている。膨大な作業が行われてきたが、現時点に 至るまで確立された有効な定義は存在しない。筆者は、歴史認識は多様 で相対的なのだから、定義が成立することは永久にないだろうと考えて いる。 パリ不戦条約 長 年 に わ た る 第 一 次 大 戦 の た め に 欧 州 諸 国 が 疲 弊 し き っ て し ま っ た。 せめて侵略戦争は禁止しようという運動が起こって、大戦から約十年た った一九二八年に「パリ不戦条約」が生まれた。当時の列強諸国をはじ め と す る 六 十 三 ヶ 国 が 署 名 し た。 た っ た 三 ヶ 条 し か な い 条 約 10で、 日 本 国 憲 法 第 九 条( 前 半 ) の 元 に な っ て い る。 自 衛 の 定 義 も 侵 略 の 定 義 も、 また条約違反に対する制裁なども規定されていない。運用の判断は当事 国の自主的裁量に任されている。 米 国 は、 「 こ の 条 約 は 自 衛 権 を 制 限 す る も の で は な く、 各 国 と も 事 態 が自衛のための戦争に訴えることを必要とするか否かを独自に決定する 権限をもつ」と主張して、自己の勢力圏とみなす中南米に対する行為に 関しては、この条約は適用されないとの留保を行った。英国も、たとえ 国境外であっても英国の平和と安全に特別で死活的な利害関係がある地 域を武力行使をして護ることは、英国にとって一つの自衛措置であると 害を生ぜしめたことに対するドイツおよびその同盟国の責任を追及し、ドイツは これを認めた。 10パリ不戦条約:第一条「締約国は、国際紛争解決のため、戦争に訴えることを非 とし、かつその相互関係において、国家の政策の手段としての戦争を放棄するこ とを、その各自の人民の名において厳粛に宣言す」第二条「締約国は、相互間に 起こる一切の紛争または紛議は、その性質または起因の如何を問わず平和的手段 による以外、 これが処理または解決を求めないことを約す」第三条(加入と批准、 運用、事務連絡について。略) の留保を行った。 日本は「集団的安全保障プラットフォーム」の構築を目指せ 日 本 の 憲 法 第 九 条 の 前 半 は パ リ 不 戦 条 約 そ の も の に 等 し い の だ か ら、 第九条は二項さえ自然法に反すると無視してしまえば、この英米両国の 主張と留保条件が第九条前半の解釈として通用する筈だ。日本が完全な 集 団 的 自 衛 権 を 持 っ て 当 然 で あ る こ と の 根 拠 と な る。 「 必 要 最 小 限 の 戦 力」論も「歯止め」論も本来は不要なのだ。 日本はフルセットの集団的自衛権を持つことが出来る筈だから、長期 戦略として米国と共同して太平洋周辺諸国に働きかけて、NATOをモ デ ル と し た「 環 太 平 洋 条 約 機 構 」( 仮 称 ) な る “ 集 団 的 安 全 保 障 プ ラ ッ トフォーム”の構築をリードすべきだ。国連は中国とロシアに牛耳られ ており、日本は旧敵国として集団的安全保障の枠から外されてしまって いるのだから、脱退しても良いだろう。 国連の「侵略の定義」決議 パリ不戦条約から半世紀近く経った一九七四年に至って、国連総会の 場 で「 侵 略 の 定 義 に 関 す る 決 議( R e s o l u t i o n 3 3 1 4 ) 」 が 採 択 さ れ た。 こ の決議は国連憲章が定める所により、国連の安全保障理事会が侵略の有 無を認定する際の“ガイドライン”にする前提だ。 決議の第一条は定義で「侵略とは、国家による他の国家の主権、領土 保全もしくは政治的独立に対する、または国際連合の憲章と両立しない その他の方法による武力の行使である」となっている。安全保障理事国 はさぞかし困ったことだろう。これでは先進国の多く、特に常任理事国 ( 中 国 を 含 む ) の 全 て が 過 去 に 侵 略 を 行 っ た こ と に な っ て し ま う か ら で ある。 これは特に白人国家にとっては絶対に受け入れることが出来ない決議 であった。この国連総会の決議による定義は、現実に常任理事国全員の 拒否反応によって有名無実のものとなっている。
近現代史における歴史認識 佳 作 個人の責任を追及する「ローマ規定」 国 連 は 二 ○ ○ 三 年 に 国 際 刑 事 裁 判 所( I n t e r r n a t i o n a l C r i m i n a l C o u r t I C C ) を ハ ー グ に 設 置 し た。 国 際 刑 事 裁 判 所 ( I C C ) の 構 成、 管 轄 犯 罪、 手 続 な ど を 規 定 す る 国 際 条 約 が 通 称「 ロ ー マ 規 定( T h e R o m e S t a t u t e o f t h e I C C )」と呼ばれている。このローマ規定の組織が「国 際犯罪としての侵略」の概念形成作業を行うことになった。 注 目 す べ き な の は、 「 侵 略 」 問 題 が“ 国 家 の 国 際 犯 罪 ” を 対 象 と し て い る 国 連 の 国 際 司 法 裁 判 所( I n t e r n a t i o n a l C o u r t o f J u s t i c e I C J ) の 所 管 で は な く、 “ 個 人 の 国 際 犯 罪 ” を 対 象 と す る 国 際 刑 事 裁 判 所 の 担 当 になったことだ。つまり、犯罪行為としての侵略の概念を、国内法にお ける個人による民事上の不法行為や、刑事上の強盗・殺人・傷害などの 暴力犯罪のアナロジーとして概念形成を図ろうとすることになったもの である。 前述の国連総会の決議を継承して、二○一○年にウガンダのカンパラ で国際刑事裁判所のローマ規程検討会議が行われ、侵略犯罪の定義も再 検討されることになった。以来、毎年の膨大かつ頻繁な検討作業が始ま ったのである。もちろん個人の国際犯罪ベースの検討と議論である。 本来、戦争は国際法上の国家の正当な権利とされている。その行為の 主体は国家であり、個人としての指導者や政治家ではない。侵略戦争は 国家を主体とする国際犯罪である筈だ。それにもかかわらず、ローマ規 定では個人の国際犯罪として概念形成を図ろうとしたのである。 ここに、 これ以降に延々と続いた膨大な作業と検討が全てムダになってしまって いる原因があると、筆者は考えている。 米国は、この種の国際機関による定義づけ作業に対しては基本的に拒 否反応が強い。作業段階の覚書すらも一旦は署名したのを後に撤回した 位だから、完全に背を向けているといってよい。米国が背を向けたら国 際的に通用することはない。 米 国 は オ バ マ が 大 統 領 に 就 任 し て 以 来、 自 国 の 過 去 の ネ イ テ ィ ブ・ ア メ リ カ ン に 対 す る 仕 打 ち を 反 省 し て お り、 更 に 過 去 の メ キ シ コ (一八四八) 、スペイン(一八九八) 、ハワイ(一八九八) 、フィリッピン (一八九九―一九一三) 、グレナダ(一九八三)などに対する侵略行為に 関しても極めて厳しい見方をしている。それだけに、それを他国や国際 機関から指摘されたり、是正を強制されたりするのを極端に嫌がる。 正義はそれを主張する国と同じ数だけあり、道徳観も倫理観も時代と 共に移り変わるのだ。 第三章 日米戦争開戦の歴史認識 本章では、大東亜戦争の経緯を考察する中で往時の米国の政策に対し て厳しい批判を加える部分がある。しかし、筆者は決して反米論者では ない。今後の日本は米国と密接な同盟関係を維持することが安全保障上 極めて重要であると考えており、日米関係は未来志向の積極的なもので あるべきと考えている。 ただし、日本人の心の中にはいまだに大東亜戦争の開戦の経緯につい ての罪悪感が大きなトラウマとなって影を残している。責任の追及はと もかくとして、真相はどうであったのかを理解して日本民族の精神の回 復を計る必要がある。 大東亜戦争は米国の無理強い 当時の日本は米国の属国になるか、民族独立の尊厳を賭けて乾坤一擲 の 勝 負 に 出 る か の 決 断 を 迫 ら れ て い た。 「 軍 国 主 義 者 が 先 の 見 通 し も な いままに無謀な戦争に突入して日本を敗戦に導いた」などという筋書き は、戦後、GHQが日本に押し付けたWGIP(戦争責任情報プログラ ム)の作文に過ぎない。 日本は、ルーズベルト大統領の世界戦略参画への強力な意思に抵抗す る こ と が 出 来 な か っ た の だ。 開 戦 迄 の 間 に 日 本 が 如 何 に 対 米 戦 争 を 回 避 し よ う と 努 力 し た か、 そ れ を ル ー ズ ベ ル ト は 如 何 に 悉 く 拒 否 し た か は、 米 国 の 第 三 十 一 代 大 統 領 の ハ ー バ ー ト・ フ ー バ ー が 書 い た 回 想 録 『 F r e e d o m B e t r a y e d (裏切られた自由) 』に詳細に記述されている。 米国は、日本が真珠湾攻撃に踏みきる以前から対日戦争を実質的に開
始していた。国際法に違反して軍需物資をいわゆる「援蒋ルート」で対 日戦争中の中国軍に供給し、昭和一二年(一九三七=盧溝橋事件、南京 入城の年)には既に義勇軍の名目でシエンノートを指揮官とするフライ ン グ・ タ イ ガ ー ス 航 空 隊 を 蒋 介 石 軍 に 派 遣 し て い た 11。 更 に 真 珠 湾 攻 撃 の 五 ヶ 月 も 前 に 中 国 本 土 か ら 日 本 へ の 長 距 離 爆 撃 計 画( J B ― 三 五 五 ) を ル ー ズ ベ ル ト は 承 認 し て い た 12。 そ の 後 も ハ ル・ ノ ー ト に よ り 無 理 難 題を吹っかけ続け、ABCDラインという石油禁輸政策を行って、何と してでも日本をして開戦に踏み切らせたかった。 大東亜戦争における日本の為政者の誤りは、開戦の決断にあったので はなく、むしろ終戦のタイミングと外交(ソ連に終戦斡旋の依頼を試み るなどの外交音痴など)においてのミスにあったと考える方が妥当だろ う。もっとも、もしアッツ、サイパン、ペリリュー、硫黄島、沖縄にお ける激戦も特攻隊も無かったら、日本は属国化が可能と見做されて、独 立国として存続させてもらえたかどうかは分からない。 米国自身の民主主義のコストを日本が支払わされた スタンフォード大学のトーマス・ベイリー教授は、ルーズベルトの画 策は対日戦争開始の為というよりは、米国の欧州参戦による世界戦略の た め に 必 要 で あ っ た と の 認 識 だ 13。 ル ー ズ ベ ル ト の 行 為 は そ れ 自 体 で は 卑怯であったにしても、ナチス・ドイツを破るためには米国の参戦は不 可欠であったので、それを可能ならしめた有効な政策であったと評価で きるという。そして「ハワイで沈められた軍艦などは、米国人を一致団 結させる代償としては不必要であったにしても安いものであった」とま 11一九九一年平成三年七月六日付のロスアンジェルス・タイムズ紙によれば、フラ イングタイガース航空隊の約百人の生存者が国防総省に名誉回復をするよう請願 し、国防総省が彼らを退役軍人として正式に認めた。同航空隊の実体は初めから 米空軍だったことを米国自身が認めたものだ。 12長距離爆撃計画( J B ︲三五五)の報道:一九一一年一一月二二日の米 A B C テ レビは報道番組「二○/二○」 13『 日 米 戦 争、 ル ー ズ ベ ル ト 責 任 論 と“ 歴 史 修 正 主 義 ” 非 難 の 起 源 』 福 井 義 高 雑 誌「正論」二○一五年二月号 百三十一ページ で言ってのけた。 実際、第二次世界大戦における米国の主戦場は欧州であった。米軍の 戦死者(病死、事故死も含む)の数は欧州が二十五万人で、太平洋方面 が十六万六千人、合計四十一万六千人であった。つまり、米国にとって 対日戦争は参戦の口実作りが主体で、いわば片手間の感があった。しか るに当初の戦闘においては日本軍が意外に頑強だったので、欧州戦線に 派遣する筈だった艦船を急遽太平洋に回付するほどであった。 ルーズベルトは戦争をしないことを公約して当選した大統領だったの で、世界戦略に着手するためには国民を憤激せしめて参戦の世論を喚起 する必要があった。しかしそれは、米国自身の“民主主義のコスト”で あったのだ。それにもかかわらず、そのコストを日本に支払わせたのだ から、どんな理窟があろうともフェアではない。 日本は自虐史観を脱却しよう 日本は結局ポツダム宣言を受諾して大東亜戦争は終結した。同宣言の 第 六 条 14は「 日 本 国 民 を 騙 し て 世 界 征 服 に 乗 り だ す と い う 過 ち を 犯 さ せ た勢力とその影響は永久に除去する。なんとなれば我々は、無責任な軍 国主義が世界から駆逐されるまでは平和と安全と正義の新秩序は不可能 であると主張するからである。 (訳:筆者) 」となっている。 実 際 は 日 本 に は、 “ 日 本 国 民 を 騙 し て 世 界 征 服 に 乗 り だ す 過 ち を 犯 さ せ た 勢 力 ” も、 “ 無 責 任 な 軍 国 主 義 ” も 存 在 し な か っ た。 こ れ は 戦 後 G H Q が 日 本 国 民 の 精 神 的 武 装 解 除 を 行 う た め に 行 っ た 洗 脳 工 作 そ の も の で あ る。 し か し 平 均 的 な 日 本 人 は、 G H Q と 日 教 組 が W G I P( W a r G u i l t I n f o r m a t i o n P r o g r a m )に基づいて敷いた路線以外の教育を受けた ことがない。しかもGHQは厳重な言論統制、検閲、焚書、追放まで行 14ポ ツ ダ ム 宣 言 第 六 条: 6 . T h e r e m u s t b e e l i m i n a t e d f o r a l l t i m e t h e a u t h o r i t y a n d i n f l u e n c e o f t h o s e w h o h a v e d e c e i v e d a n d m i s l e d t h e p e o p l e o f J a p a n i n t o e m b a r k i n g o n w o r l d c o n q u e s t , f o r w e i n s i s t t h a t a n e w o r d e r o f p e a c e , s e c u r i t y a n d j u s t i c e w i l l b e i m p o s s i b l e u n t i l i r r e s p o n s i b l e m i l i t a r i s m i s d r i v e n f r o m t h e w o r l d .
近現代史における歴史認識 佳 作 ったから、これを全面的に信じてしまった。日本人は日本固有の歴史認 識を確立して自虐史観を脱却すべきである。 日米戦争に至る経緯については、昨今新しい史実が続々と発掘されて いる。米国のフェアなところは、たとえ自国に不利な資料でも「連邦情 報 公 開 法( F O L A = T h e F r e e d o m o f I n f o r m a t i o n A c t )」 や 各 州 の 情 報公開制度の定める所に従って順次公開していることだ。通常は三十年 後に公開されるが、真珠湾攻撃にまつわるルーズベルト大統領の卑怯な 謀略に関する書類はさすがに最高の機密扱いとされて、これが公開され たのは二○○六年、つまり実に六十五年経ってからのことだった。 第四章 高度な政治的判断は歴史認識に優先 安倍首相の米・上下両院議員総会における演説 安倍首相は平成二七年(二○一五)四月に訪米して上下両院議員総会 において「未来志向の日米同盟関係の強化」を自らの言葉で発信する歴 史的な演説を行った。これほどの賞賛を浴びた演説をかつて日本の首相 が行ったことがあったであろうか。称賛は単なる儀礼であったとケチを つけるむきもあるが、当たらない。 米国は安倍首相を歴史修正主義者と決めつけていたので、演説におい ても日米間の歴史認識のギャップについて何らかの言及があるのではな いかと若干身構えていた。しかし米国は、中国の傍若無人ぶりが分かっ てきつつある中で中国政策を見直すべきではないかと意識していた所だ し、 毎年、 多額の軍事費の削減をしなければならない状況であったので、 何としても強力な同盟国が欲しかったのである。 日本にしても、ここで米国を敵に回したら、中国が敵対行為を行った と し て も 日 米 安 保 条 約 は ヴ ァ ン デ ン バ ー グ 決 議 15に よ っ て 発 動 さ れ な 15ヴァンデンバーグ決議:一九四八年に米上院で行われた決議で現在でも有効。米 国が相互防衛協定を締結する場合には“自助の精神”と“相互援助”の原則に基 づくものでなくてはならないと定めている。 この原則を欠く場合には協定は無効、 もしくは発動されないことになる。現在の日本の集団的自衛権行使へのアレルギ い、あるいは「遺憾である」旨の声明発表程度で終わらせてしまわれる 危険性もある。 日米安保条約自体もたった一年の事前通告で終結できる。 安倍首相はそうした悪夢が起こらないように、先手を打って訪米し歴史 認識の面では大幅に譲歩して、米国の警戒心を和らげた。共和党は、安 心して中国寄りのオバマへ批判を強め、オバマも中国寄りから日本寄り に転換せざるを得なくなった。 日本としては無制限に米国の期待に応えるわけにはゆかないが、これ を 日 米 間 の 非 対 称 関 係 を 是 正 す る 大 き な チ ャ ン ス と と ら え る べ き で あ る。現状では、米国から提供してもらえる航空機などの兵器は全て一周 遅れのものだ。ソフトウエアも暗号も、 全て米国制に頼らざるを得ない。 日米地位協定上の不合理を是正してもらわなければならない諸問題もあ る。しかし、こうした非対称関係を是正することは、従来のような殆ど 片務的な軍事同盟関係のままでは、極めて難しいだろう。これらの問題 点は、日米間の協力体制をより緊密化する中で解決すべきだろう。 漫画家の小林よしのり氏は、首相の歴史認識の面における譲歩を強く 批判している。同氏はブログ 16で、 「今後、 安倍首相が靖国参拝をしても、 わしはアメリカのポチに成り下がった奴(原文のママ)が英霊を愚弄す るんじゃないと怒るしかない。 」とこきおろした。 しかし、金美齢氏は「教科書に載せるべき歴史的名演説だ」と称賛し た。筆者も同感だ。もし安倍首相が歴史修正主義者の本領を発揮して米 国と論戦を行ったら、米国も身構えて応戦することになる。首相は一国 の 命 運 を あ ず か る、 “ し た た か な 政 治 家 ” と し て 国 際 政 治 学 上 の 力 学 的 配慮をすることが求められている。ここで米国と歴史認識のギャップを 言い立てて、米国の痛い腹をキリキリとえぐっても何の利益もない。 歴史認識を優先させて国益を損なった韓国 ー反応、オスプレイ反対運動、沖縄基地反対運動などは、明らかにこのヴァンデ ンバーグ決議に抵触すると思われる。尖閣諸島有事の場合でも「遺憾」声明の発 表程度で済まされる恐れがある。 16小林よしのり氏のブログ: h t t p : / / y o s h i n o r i - k o b a y a s h i . c o m / 7 5 3 5 /
安 倍 首 相 と 対 照 的 に 朴 槿 恵・ 大 統 領 は、 「 日 本 は 歴 史 認 識 問 題 の 謝 罪 に応じないので、首脳会談も出来ない」と執拗に米国に訴え続けた。米 国も、さすがに辟易とするに至った。韓国は歴史認識の問題をあらゆる 政治的判断に優先させるという極めて愚かな政策を執り続けたのだ。 歴史認識問題は、国家と国民の尊厳にかかわる問題であるから極めて 重要であることは論を俟たないのであるが、それでも国家統治の基本に 関する高度な政治性を有する国家の行為については道を譲るべきである ことは付言しておきたい。 おわりに(結語) 日本人の心の中には大東亜戦争の経緯に関する誤った歴史認識から来 る自虐史観が、トラウマとなってオリのように滞っている。しかし真相 は、戦争をしないことを公約して大統領になったルーズベルトが、世界 大戦(特に欧州)に参戦する口実作りのために、日独伊三国同盟を保持 していた日本を戦争に引き込んだものだった。 米国は首尾よく欧州戦線に勝利し、マーシャルプランによって戦後の 疲弊した欧州諸国を救い、もってNATOにおけるリーダーシップを確 立した。 しかし欧州諸国は米国の過度の支配力とドルに対抗するために、 EU体制を作り上げて抵抗し、現在に至っているものだ。 し か し 今、 米 国 を 恨 ん で 攻 撃 し て も 日 本 に と っ て 何 の プ ラ ス も な い。 それよりも、まず第一に歴史認識の多様性と相対性を認識して自虐史観 から脱却して日本民族の誇りと尊厳を取り戻すこと、第二に国際関係の 真の姿は食うか食われるかであることを認識して、これまでの友好第一 の軟弱な謝罪外交を改めて、情報戦争を勝ち抜くことである。靖国神社 へも首相をはじめとする全国民が参拝してほしい。 日本にとっては、歴史認識で争うよりは米国との同盟関係をより緊密 化して安全保障体制を確立する方がはるかに重要だ。安倍首相は七十周 年の談話において、 「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、 国 際 紛 争 を 解 決 す る 手 段 と し て は も う 二 度 と 用 い て は な ら な い 」 と 述 べ、一般論としてこれを論じることによりニュアンスを穏やかなものと した。これは日本だけでなく中国を含めた世界諸国に通じることを示唆 したものである。 ま た、 大 戦 へ の 深 い 悔 悟 の 念 を 述 べ て、 「 子 や 孫、 そ の 先 の 世 代 に 謝 罪を続ける宿命を背負わせてはならない」と述べて、謝罪の繰り返しに 歯止めをかける考えを示した。 主語を省略したり、文脈により問題を一般化したりする(ドイツ流の 謝罪に通じる)ことによって、首相の「未来志向」の信念や支持者の主 張、及び中韓との間の緊張緩和への配慮、の間のバランスを見事にとっ たものと考える。この政治的なしたたかさを身につけた宰相を、今後と も盛り立てることが日本にとって極めて重要である。 (完)