阿 閑 佛 の 浄 土 の 起 源 (芳 岡 ) 一 六 〇
阿
閑
佛
の
浄
土
の
起
源
芳
岡
良
音
(一) 阿 含 経 典 と の 關 係 (1) 阿 閤 佛 國 の 表 現 の 中 で 最 も 重 要 な の は 三 道 の 寳 階 で あ る 。 阿 閾 佛 國 経 に 之 を 記 さ ぬ 先 に 、 風 が 梯 階 を 吹 い て 悲 音 聲 を 獲 す る こ と を 二 度 も 記 し て 居 り 、 維 摩 経 の 阿 閤 佛 國 の 極 め て 簡 輩 な 描 爲 の 中 で 、 三 道 の 賓 階 の 記 事 が 非 常 に 目 立 つ て い る こ と が 之 を 示 し て い る 。 然 る に こ の 三 道 の 寳 階 の こ と は 増 二 阿 含 巻 二 八 の 第 五 経 に 見 え て い る。(2)阿 閾 佛 國 経 に は 悪 魔 に 縫 餓 さ れ ぬ と か 降 伏 す る と か い う こ と が 繰 返 し 説 か れ て 居 り 、 小 品 般 若 経 見 阿 閣 佛 品 に 菩 薩 が 般 若 波 羅 蜜 を 行 ず れ ば 、 悪 魔 が 憂 愁 す る こ と を 記 し 、 増 一 阿 含 巻 二 九 の 東 方 奇 光 如 來 の 記 事 に も ﹁降 伏 魔 衆 怨 、 如 鈎 調 於 象 ﹂ と あ つ て 、 悪 魔 を 降 伏 す る こ と が 阿 閤 佛 の 主 要 な 徳 と な つ て い る の で あ る が 、 増 二 阿 含 二 八 の 同 経 に は ﹁ 如 來 在 彼 増 釜 天 衆 減 損 阿 須 倫 ﹂ と 説 い て あ る 。 (3) 阿 閤 佛 國 経 に ﹁ 用 無 瞑 惑 故 名 爲 阿 閾 、 用 無 瞑 患 故 住 阿 閤 地 ﹂ と あ る が 、 増 一 阿 含 の 同 経 に は 最 初 に 賑 悉 を 興 し た 悪 龍 を 降 伏 す る こ と が 詳 述 さ れ て いる。(4)増一阿含 の 同 経 に 於 け る 佛 の 説 法 の 主 題 は 施 論 戒 論 生 天 之 論 で あ る が 、 施 戒 等 の 六 度 を 修 す れ ば 阿 閾 佛 國 に 往 生 出 來 る と い う 教 説 は 、 こ ゝ か ら 生 れ た よ う に 思 わ れる。(5)増二阿含の同経 に 須 菩 提 が 三 道 の 蜜 階 を 降 り 來 る 佛 と 天 衆 を 見 て ﹁ 一 切 諸 法 皆 悉 空 寂 無 造 無 作 ﹂ と 述 べ て い る が 、 阿 閣 佛 國 輕 に も 須 葺 提 が 阿 閑 佛 や 諸 弟 子 や 佛 刹 を 見 る こ と 虚 空 の 如 く な る べ し と 述 べ て い る 。 以 上 に よ つ て 阿 閣 佛 國 輕 の 所 説 が 、 増 一 阿 含 輕 の 同 経 に 由 來 す る 所 が 多 い こ と が 解 る 。 次 に 阿 闊 佛 國 経 で は 六 度 の 行 の 外 に 念 佛 念 法 念 曾 の 三 随 念 を 往 生 の 因 と し 、 佛 徳 禰 揚 の 法 経 を 讃 論 す る こ と を 葡 め て 居 り 、 佛 徳 構 讃 の 法 門 を 説 く こ と が 経 の 重 要 な 特 色 と な つ て い る が 、 長 阿 含 の 繹 提 桓 因 問 経 に ﹁ 我 曾 於 切 利 天 法 諸 堂 、 聞 彼 諸 天 構 讃 如 來 、 有 如 是 徳 有 如 是 力 、 汝 常 懐 信 親 近 如 來 ﹂ と あ り 、 異 謬 の 帝 繹 所 問 経 に は ﹁ 諸 佛 如 來 具 天 耳 通 、 無 遠 無 近 皆 悉 能 聞 ﹂ と あ つ て 、 佛 徳 稻 揚 の 功 徳 が 強 調 さ れ て い る 。 又 阿 閣 佛 國 経 に は 佛 刹 の 女 人 の 徳 を 絶 讃 し て い る が 、 繹 提 桓 因 問 経 に は 美 し い 天 女 の 存 在 が 目 立 つ て い る 。 更 に 帝 繹 所 問 経 に ﹁ 我 復 聞 有 色 究 党 天 、 願 我 終 於 人 間 復 生 彼 天 ﹂ と あ つ て 、 浄 土 の 出 現 を 待 望 す る 動 き が 感 ぜ ら れ る 。 以 上 に よ つ て 阿 閤 佛 國 輕 の 構 想 に 、 繹 提 桓 因 問 経 が 重 要 な 資 料 を 提 供 し て い る こ と が 解 る 。 そ の 他 阿 閾 佛 國 輕 は 阿 含 部 浬 繋 経 の 所 説 を 借 り て 阿 閤 佛 の 入 滅 を 記 し 、 阿 難 が 恒 河 の 上 空 で 火 定 に 入 つ た と い う 有 名 な 傳 説 を 本 に し て 、 佛 刹 の 阿 羅 漢 の 入 滅 を 描 窟 し て い る 。 以 上 の 如 く 阿 閑 佛 國 経 に は 、 阿 含 経 典 の 資 料 が 殆 ん ど 生 の ま ゝ で 探 用 さ れ て い る 。 勿 論 菩 薩 利 他 の 願 行 が 教 説 の バ ッ ク ホ ー ソ を な し て い る が 、 こ れ も 異 部 宗 輪 論 に 述 べ ら れ て い る 大 衆 部 系 の 菩 薩 思 想 の 獲 揮 と 見 ら れ る 。 般 若 系 の 思 想 と の 連 り は 考 え ら れ る が 、 教 説 の 理 論 的 根 篠 は 阿 含 経 典 の 中 に 備 つ て い る の で 、 別 に 般 若 の 空 観 を ま た ね ば な ら ぬ よ う な も の で は な い 。 こ の 意 味 で 阿 閣 佛 國 輕 は 恐 ら く 大 乗 経 典 中 最 古 の も の で あ ろ う 。 (二) 西 北 印 度 西 域 と の 關 係-555-(1) 阿 関 佛 國 脛 は 西 紀 一 四 七 年 、 恐 ら く 龍 樹 が 生 れ ぬ 先 に 月 氏 の 支 婁 迦 繊 に よ つ で 早 く も 支 那 に 傳 え ら れ て い る 。 龍 樹 菩 薩 傳 に よ れ ば 、 龍 樹 は 雪 山 中 深 遠 の 虚 で 大 乗 経 典 を 得 た と い う が 、 こ れ は 當 時 印 度 で は 大 乗 経 典 が 珍 奇 な も の で あ つ た こ と を 示 し て い る 。 法 顯 入 竺 當 時 で さ え 、 大 乗 の 主 要 擦 黙 は 新 彊 省 西 南 部 と 西 北 印 度 に あ つ て 、 中 印 度 の 大 乗 の 勢 力 は 顯 著 で は な い 。 一 方 支 那 の 澤 経 史 を 見 る と 、 大 乗 経 典 の 繹 出 者 は 多 く 月 氏 等 の 西 域 人 で あ り 、 多 く の 大 乗 経 典 は 干 關 に 求 め ら れ た 。 玄 弊 は 研 句 迦 に つ い て ﹁ 此 國 中 大 乗 経 典 部 數 尤 多 。 佛 法 至 虚 莫 斯 爲 盛 也 ﹂ と 記 し て い る 。 (2) 西 紀 前 二 八 五 年 頃 Pusyamitra が 寺 塔 を 破 壌 し 檜 尼 を 虐 殺 し た の で 、 檜 徒 が 逃 亡 し 、 中 印 度 の 佛 教 が 衰 退 し た が 、 そ の 迫 害 は 迦 灘 彌 羅 に ま で 及 ん だ と い う 。 西 域 詑 に は 繹 迦 族 滅 亡 の 時 、 難 を 逃 れ た 繹 種 が 烏 侯 那 、 梵 衛 那 、 晒 摩 咀 羅 、 商 彌 の 王 と な つ た と い う 傳 承 を 記 し て い る 。 こ れ は 勿 論 そ の ま ゝ で は 信 を 置 け な い が 、 ス タ イ ソ に よ れ ば 鳥 侯 那 か ら チ ト ラ ル を 経 て 咽 摩 咀 羅 、 商 彌 等 の オ ク サ ス 河 上 流 地 域 に 出 る 通 路 は 挑 運 に 都 合 の よ い 所 で 、 古 代 佛 教 遣 蹟 も 鰻 富 で あ る と い う か ら 、 繹 迦 教 化 の 地 の 佛 教 徒 が 破 佛 の 難 を 逃 れ て 亡 命 し た と い う こ と は 、 考 え ら れ て よ い 。 玄 弊 は 研 句 迦 に は 古 來 印 度 人 の 來 住 者 が 多 い と 記 し て い る 。 阿 育 王 時 代 に 印 度 人 が 干 聞 へ 植 民 し た と い う 西 域 記 や 干 聞 國 史 の 所 傳 は 、 ス タ イ ン の プ ラ ク リ ッ ト 古 文 書 の 獲 見 に よ つ て 確 め ら れ て いる。(3)西域記には烏侵那に繹尊が帝繹天であつた時の本 生 談 を 二 つ も 牧 録 し て い る 。 干 聞 國 史 に は 阿 開 佛 國 の 聖 者 が 二 人 干 聞 へ 來 て 、 阿 閾 佛 國 を 現 出 し て 見 せ た と い う 傳 承 さ え 記 さ れ て い る 。 (4) 三 道 の 寳 階 も 帝 繹 天 の 問 法 も 阿 難 の 火 定 入 滅 も 、 法 顯 傳 や 西 域 記 に 記 さ れ て い る 中 印 度 の 最 も 有 名 な 傳 説 で あ る 。 こ れ を 殆 ん ど 生 の ま ゝ 探 り 入 れ て い る 阿 閤 佛 図 の 表 現 が 、 中 印 度 で 承 認 さ れ る と は 考 え ら れ な い 。 こ れ は 古 里 を 遠 く 離 れ た 亡 命 者 が 、 繹 迦 教 化 の 故 地 を 偲 ぶ 自 然 の 情 か ら 生 れ 出 た も の と 見 る の が 自 然 で あ る 。 (三) 波 斯 教 と の 關 係 な ほ 阿 閾 佛 國 経 に は 波 斯 教 に 通 ず る 教 説 が 多 い 。 (1) 悪 魔 の 降 伏 が 強 調 さ れ て い る 。 (2) 阿 閾 佛 の 徳 號 の 法 輕 を 講 持 す れ ば 、 佛 は 死 者 が 魔 の 障 害 を う け ぬ よ う に 見 護 つ て 、 佛 土 に 生 れ し め る と あ る が 、 Yasna 36 に は 之 と 全 く 同 檬 の こ と が 説 か れ て いる。(3)構揚諸佛功 徳 経 に 阿 閾 佛 の 名 を 稻 す れ ば 、 他 の 千 の 佛 名 を 構 す る よ り も 功 徳 が あ る と 説 い て い る が 、Ormuzd Yasht に も 構 名 の 功 徳 が 強 調 さ れ て い る 。 (4) 三 道 の 寳 階 は 天 國 と 現 世 と の 間 に か ・ つ て い る 波 斯 教 の Cinvato の 橋 に 似 て いる。(5)阿悶佛國に諸好藥樹があり、三悪病が な い と か 出 謹 の 難 が な い と か い つ て あ つ て 、 讐 療 と 深 い 連 り が あ る と い う 印 象 を 與 え て い る が 、 波 斯 教 の 天 國 に も 生 命 の 樹 が あ つ て 、 周 園 に 藥 草 が 繁 茂 し て い る こ と が Vendidad 6 に 説 か れ て い る 。 (6) 美 女 が 居 る 。 (7) 波 斯 教 の 磯 冒 鋤 は 檜 職 と な る よ う に と の 勧 告 を 斥 け て 世 界 を 養 育 す る 王 と な つ た 人 で 、 そ の 王 と な つ て い る 間 は 世 に 災 害 や 老 病 死 が な く 、 魔 王 に 烙 印 を 捺 さ れ た 悪 人 も な く 、 何 人 も 怨 恨 ま ず 嫉 妬 ま ず 、 人 間 は 彼 の 造 つ た 城 郭 の 中 で 幸 輻 に 暮 す の で あ る が 、 神 は 天 上 の 聖 衆 を 召 集 し 、 彼 も 人 間 の 中 で 最 も 優 れ た も の を 呼 び 集 め て 、 一 所 に 會 同 し た と い う (Vendidad 2 ) 。 こ れ は 阿 閾 佛 國 輕 や 維 摩 輕 の 構 想 に 似 通 う た 所 が 多 い よ う で あ る 。 阿 悶 佛 國 輕 は 印 度 本 來 の 佛 教 思 想 の 種 子 か ら 生 れ た も の に 相 違 な い 。 然 し 西 域 や 西 北 印 度 に は 波 斯 の 影 響 が 強 い の で 、 之 が 濫 床 と な つ て 西 域 や 西 北 印 度 に 相 慮 し い 教 説 を 生 ん だ と 見 る べ き で あ ろ う 。 阿 閨 佛 の 浄 土 の 起 源 ( 芳 岡 ) 一 六 一