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<特集:研究生活を振り返って>今は恵みの時

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Academic year: 2021

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<特集:研究生活を振り返って>今は恵みの時

著者

増山 初子

雑誌名

教育学論究

12

ページ

iv-v

発行年

2020-12-15

URL

http://hdl.handle.net/10236/00029164

(2)

【T:】Edianserver /【関西学院】/教育学論究/第 12 号/

iv

増山 初子

(ますやま はつこ) 名 教育学部 教授 最終学歴 関西学院大学大学院文学研究科博士課程前期課程 日本文学専攻修了 関西学院大学大学院文学研究科博士課程後期課程 日本文学専攻単位取得後退学 位 文学修士 学位論文:鴎外初期三部作の世界 主な職歴 1987年⚔月 聖和大学教育学部幼児教育学科専任講師 1992年⚔月 聖和大学教育学部幼児教育学科助教授 2004年⚔月 聖和大学教育学部幼児教育学科教授 2009年⚔月 関西学院大学教育学部教授 専門分野 日本文学 主な著書・論文等 「鴎外『舞姫』序論」(単著)(日本文学会「日本文芸研究」第35巻⚓号1983年) 「鴎外『舞姫』論」(単著)(日本文学会「日本文芸研究」第36巻⚓号1984年) 「鴎外『青年』の世界」(単著)(日本文学会「日本文芸研究」第37巻⚓号1985年) 「森鴎外『山椒大夫』の世界」(単著)(関西学院大学人文学会「人文論究」第36巻⚔号1987年) 「漱石『こころ』の世界」(単著)(「聖和大学論集」第16号1988年) 「雑誌「基督教童話」の解題と細目(その一)」(単著)(「聖和大学論集」第19号1991年) 「雑誌「基督教童話」の解題と細目(その二)」(単著)(「聖和大学論集」第20号1992年) 『日本のキリスト教児童文学』(分担執筆)日本児童文学会、冨田博之、上笙一郎編(国土社1995年) 「幸田文『みっそっかす』の成立」(単著)(「聖和学論集」第32号A・B2004年) 「中勘助『銀の匙』の成立」(単著)(「聖和大学論集」第33号A・B2005年) 「堀辰雄『幼年時代』の成立」(単著)(「聖和大学論集」第35号A・B2007年) 『太宰治研究』第19輯(分担執筆)山内祥史編(和泉書院2011年)

(3)

【T:】Edianserver /【関西学院】/教育学論究/第 12 号/

v

今は恵みの時

増 山 初 子

大学⚓年生のとき、ゼミの先生と甲東園からバス に乗って大学に行くことになった。どうしてそのよ うなことになったのか、記憶は定かでない。通学は いつも仁川から徒歩で行っていた。電車の中で、 「バスで行きますか」と先生に聞かれて、「はい」と 答えたのは覚えている。バスのつり革を持ち緊張し て先生の横に立っていた。途切れがちな会話が申し 訳なくて、何か話さなければと、以前から気にか かっていたある小説の読後感を話した。 入学して間もない頃、新入生ばかり十数人の読書 会で、山本周五郎の『柳橋物語』を読んだときのこ とだ。皆、主人公の女性の生き方に感動していた。 私一人だけが、どうして彼女は死を選ばなかったの か、と発言していた。 先生は、「そうですね、確かにそういう展開もあ りますね」と、『平家物語』の小宰相の話をしてく ださった。夫、平通盛に、「明日のいくさで私は討 たれるだろう、私が討ち死にしたら、その後、あな たはどうしますか」と聞かれたとき、小宰相は、「い くさはいつものこと、あなたが死ぬようなことはあ りません」と答える。そのような小宰相の行く末を 案じて、通盛は臣下に、「この通盛がどのようになっ ても、おまえは命を捨ててはならぬ、小宰相の行方 を捜すのだ」と言う。通盛の死を知った小宰相は、 どうしてあのとき、通盛の心に思い及ばなかったの か、とおのれの昏さを嘆き、そして通盛の後を追っ て海に身を投げる。 先生は続けて、「しかし、周五郎はそういう結末 にはしなかった、どうしてだろう」とおっしゃった。 本が好きで、一人でやみくもに読んでいた者に、た わいない読後感から小説の世界に入っていく道を指 し示してくださった。「そういう展開もありますね」 とは、「人間」という存在そのものへの思考を促す 言葉だった。ここから歩いて行こうと思った。日本 文学を研究するなら、現代文学ではなく、まず近代 文学を研究して基礎を造らなければならないと先生 は言われた。 それから十数年後、聖和大学に就職したが、教育 学部のことも、ましてや幼児教育については全くわ からず、学生とどのように関わればよいのか、不安 を抱えながら、一般教養科目としての文学、児童文 学などを担当することになった。授業中での学生た ちとのやりとりや、研究室での茶話会で、彼らが熱 く語る子どもたちのエピソードを聞くうちに、子ど もという存在について考えるようになった。その 後、日本語表現法という科目を担当することにな り、そこで、「子どもの頃、どのような子どもでし たか」という課題を出した。ほとんどの学生が、生 き生きとまるで昨日のことのように子ども時代を 語った。そして、子どもの頃、言葉にできなかった 思いを、懸命に言葉で表現しようと試みていた。彼 らのレポートを読みながら、子ども時代とは人間に とってどのような意味があるのか、と考えるように なった。授業で、多くの絵本を学生たちと読み合 い、考察したことも、子ども時代について考える機 会になった。 思えば、近代の作家たちも子ども時代を語ってい る。子ども時代を描いた作品と言えば、中勘助の 『銀の匙』が有名であるが、鴎外や漱石、芥川にも 子ども時代を描いた作品がある。なぜ、作家たちは 幼い頃の記憶を辿って、子ども時代をわざわざ作品 にするのか。 かつて、大学院に進んで、鴎外の『舞姫』が回想 形式であることに注目し、語り難きことを語るとい う回想形式の意味を論じた。では、子ども時代の情 景、人、言葉、物、記憶の断片を言葉にすることに よって、何が立ち現れるのか、あるいは何がついに 失われたままなのか。そもそも子ども時代を言語化 しようとする行為にどのような意味があるのか。こ うして振り返ると、長い時間をかけて、始まりの場 所に深く立つために帰ってきたかのようだ。 懐かしい先生方のお顔が目に浮かびます。学生た ちの笑顔も思い出されます。これまで多くの方々に 励まされ、支えていただきました。心より感謝申し 上げます。

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