生物医科学的な認知能力増進の可能性と課題
〇 堀内進之介(東京都立大学) ※以下、未公刊資料のため転載・引用はお控えください(資料制作日:) 1.背景 生物医科学的処置により、認知能力を増進する技術開発が進んでいる。スマートドラッグなど、 薬理学的な方法で認知能力を強化しようとする実践は、すでに常態化しているとの報告がある。 また、経頭蓋直流電気刺激(W'&6)などの非侵襲的な方法で認知能力を強化しようとする実践も、 簡易な装置が一般に販売されるまでになっている。これらは総じて、「認知的エンハンスメント」 と呼ばれる。認知的エンハンスメントは、教育実践全般に多大な影響をもたらすが、(本邦に おける)教育学分野では、その可能性や課題が十分に検討されているとは言い難いく、先行 研究に見られる批判も、擁護派WHFKQRSURJUHVVLYHVの主張と正対できておらず、誤解や理 解不足に基づくものが極めて多い。そこで本報告では、適切に議論するための足がかりを提 供したい(紙幅で説明不足となる点が多いので、詳細は註()の文献等を参照されたい。) 2.既出の批判と反論 生物医科学的な介入については、 安全性・強制性・公平性などの観点から、すでにいくつかの 批判がなされている。しかし、これらの批判は既に確たる反論がなされており、介入を退けるに 足る論拠とはなっていない()。例えば、斎藤(:)()が、教育がエンハンスメントのよう な手法を取らない理由として挙げる、①自我の同一性、②人間の尊厳及び権利の承認、③人間形 成における熟慮を通じた欲求の取捨選択と長期的な展望にもとづく意思決定は、すでに反駁され るか、エンハンスメントを擁護しうる別の解釈が明確に示されている。さらに言えば、人間の判 断や行為およびその変容は、行為者自身の自律性に基づくという理解は、ケア倫理の観点からも ()、&ODUN()の「拡張された心」()や 9HUEHHN()の「技術媒介理論」()の観点から も、もはや支持できるものではない。つまり、これらは誤解や理解不足に基づく批判と言える。 3.課題と可能性 認知的エンハンスメントを始め、生物医科学的な介入の適切な使用は、国連開発計画にいう「人 間開発」の理念に貢献する可能性がある。というのも、幾つかの実証研究が、貧困と認知能力の 水準との関係を見出しており、分配的正義の観点から、技術を介した認知能力の底上げは福祉政 策に寄与する可能性があると示唆しているからである()。このような主張の背景には、認知能 力水準の高い者はエンハンスメントの効果が低く、反対に低い者はエンハンスメントの恩恵を受 けやすいことが明らかになってきている、という事実がある()。要するに、認知的エンハンス メントが、認知レベルの「超人」を生むのではないかという懸念は、現時点では杞憂といえる。 一般研究発表【 一般 A-1 】 教育理論・思想・哲学 21 -日本教育学会第79回大会しかしそれでも、このような技術を無規制にすることは、',< を試みる人びとに予期せぬ副作 用をもたらす可能性()や、認知機能の間のトレードオフを引き起こす可能性()があり、他方、 全面的な禁止は有害なブラックマーケットの創出につながる可能性もあることから()、この技 術に対しては、適切に恩恵を享受するための.............枠組みや制度の構築に取り組むことが不可欠である。 そのための第一歩は、総論的な評価でもなく、誤解や理解不足に基づくのでもなく、擁護派の 議論に正対しつつ、個別のケースに応じて適切に評価していくことである。 【註】 () 詳しくは、以下を参照されたい。堀内進之介技術的進歩と民主的社会変革の融合の 可能性テクノ進歩派によるエンハンスメントの正当化の試み科学基礎論研
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kisoron/47/2/47_97/_pdf/-char/ja
() 斎藤里美教育とエンハンスメントの社会学「よりよくなる」ことが公教育の目 的か〈教育と社会〉研究 () この点は、以下を参照されたい。堀内進之介道徳的エンハンスメントによる共助的 な社会関係の底上げの可能性―テクノ進歩派の理論的根拠に関する検討年報科学・技 術・社会 () &ODUN$ &KDOPHUV'-()7KHH[WHQGHGPLQG$QDO\VLV () 9HUEHHN30RUDOL]LQJ7HFKQRORJ\8QGHUVWDQGLQJDQG'HVLJQLQJWKH0RUDOLW\ RI7KLQJV&KLFDJR8QLYHUVLW\RI&KLFDJR3UHVV () 例えば、以下を参照されたい。0DQL$0XOODLQDWKDQ66KDILU( =KDR- 3RYHUW\LPSHGHVFRJQLWLYHIXQFWLRQ6FLHQFH分配的正義の観 点から、認知的エンハンスメントを擁護するものには以下がある。5D\.61RW just “Study drugs” for the rich: Stimulants as moral tools for creating RSSRUWXQLWLHVIRUVRFLDOO\GLVDGYDQWDJHGVWXGHQWV7KH$PHULFDQ-RXUQDORI %LRHWKLFV () 例えば、以下を参照されたい。0LKDLORY( 6DYXOHVFX-6RFLDOSROLF\DQG FRJQLWLYHHQKDQFHPHQW/HVVRQVIURPFKHVV1HXURHWKLFV () W'&6 などを自作(',<)することによる弊害は、以下を参照されたい。)LW]16DQG 5HLQHU3%7KHFKDOOHQJHRIFUDIWLQJSROLF\IRUGRLW\RXUVHOIEUDLQ VWLPXODWLRQ-0HG(WKLFV–() この点は、以下を参照されたい。Levy, N., and Savulescu, J. (2014). “The neuroethics of transcranial electricalstimulation,” in The Stimulated Brain, ed. R. C. Kadosh $PVWHUGDP(OVHYLHU– () この点は、以下を参照されたい。*UHHO\+7(QKDQFLQJEUDLQV:KDWDUHZH DIUDLGRI"&HUHEUXP 一般研究発表【 一般 A-1 】 教育理論・思想・哲学 22 -日本教育学会第79回大会