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企業の政治献金とメセナ : 日米法を比べてみれば: 沖縄地域学リポジトリ

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Title

企業の政治献金とメセナ : 日米法を比べてみれば

Author(s)

中原, 俊明

Citation

琉大法学 = RYUDAI LAW REVIEW(66): 125-148

Issue Date

2001-09

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/10056

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まえがき卵定年退職を前に法学専攻課程の安次富主任はじめ、スタッフの皆様のご好意で、去る二月 二日に最終講義の機会を作って頂いたが、日頃から多少関心のあったテーマを選び、話をすることとし た。といっても、数年来、諸般の事情から本格的な研究生活とは疎遠な関係にあったことから、準備不 足も否めず、当然、本論義は内容、形式ともにアカデミックな香り高いものには程遠い。従って「琉大 法学」にこれを収録したいという編集担当者からのお話を受けた時には、少なからず蹄謄を覚えたので あった。しかし、反面では内容的に十分にリファインされてはいないが、本学を去るに当たって、言い 残したいこと、書き残したいこと、そして訴えたいことを含んでいることも確かであったので、折角の ご厚情に甘えることにした。ただ、本稿は講義の忠実な再現ではなく、若干手直しを加えたり、当日時 間の都合で省略したり簡略化した部分を復活したりしたことをご了解頂きたい。なお、このテーマに関 して、かって発表した拙稿として、琉大法学二○号、同三五号、民商法雑誌七二巻一一一、四号、ジュリス ト一○五○号、同一四九号等があるが、本講義が随所でこれらに依拠していることもお断りしたい。前 号では退官記念号の発行という光栄に浴したことに加え、本号でもこのような拙い講義録を掲載して下 さるという格別なご配慮を頂いたことに改めて深く感謝申し上げたい(二○○一年三月八日)。

企業の政治献金とメセナ

ー日米法を比べてみればI

中原俊明

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企業とは何か。それは法律上の概念ではなく、経済、経営学上の概念とされるが、|般的な定義によれば、一定

の計画の下で営利行為を実現するための独立の経済単位とされる。その中に、個人企業もあれば、会社企業もある

が、特に今日の社会で重要な働きをしているのが、商法等に根拠をもつ会社である。会社は営利を目的とする社団

であり、法人であるとされるように、その存在の目的は営利性ということに尽きる。しかし営利のためにはいかな

、はじめに (目次) 一、はじめに 二、企業の政治献金 1、アメリカにおける法規制 2、日本での法規制 三、企業の慈善寄付 1、アメリカの場合 四、むすび(私見〉 政治献金と慈善寄付の関係逆転を 2、日本の場合

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ろ活動も許されるのか、といえば、むろん「ノー」である。法に従うべきはもちろんだが、法に触れなくても、内 在的制約として一般社会の人々の正義感情、倫理感そして社会的利益に違背する企業行動は慎むべきであり、これ が企業の社会的責任として論じられる問題の重要な一側面である。なお、ここでは会社企業を念頭に置きながら企 業という言葉を使うことにする。 では、企業の活動や支出行為は、すべて営利目的のものに限定されるのかといえば、そうではなく営利目的とは かけ離れた支出行為がある。例えば、はっきり違法な場合として、今も問題になっている政治家や官僚への賄賂な どがあるが、他方、合法的な場合として企業の慈善寄付、いわゆるメセナがあり、さらにグレイゾーンに位置する 政治献金がある。本日は特に政治献金と慈善寄付を取り上げるが、両者の類似点としては、どちらも企業資金を財 源とした非営利的な支出であること、相違点としては、この種の支出に対し、企業の櫛成員(株式会社であれば、 株主)の間で、潜在的に価値観の対立が、政治献金の場合にはあるし、慈善寄付に関してはそれがほとんどないこ と、である。これらを法的にどう規律するかは、それぞれの国民の意識や立法政策に関わるので、国によって違い が生まれる。そこで日本とアメリカを比べながら、この問題をみていく。 1、アメリカにおける法規制 政治献金について、まだ法律が制定されていなかった一九世紀末から二○世紀初頭にかけて、いくつかの企業に よる政治献金をめぐる争いが州レベルの裁判所にもち込まれた。中でも一九○五年のマッコーネル事件(菖只旨自の一 二、企業の政治献金

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弓・OCB宜口g】○二言目温陣富】」]旨、。P》い」冨・員・画&.『・勺・画室($&)・P馬』曽巨・日・温む》『@℃』程(」g』)

と一九○七年のパーキンス対モス事件(勺のCご]の①洪旦・勺の昊旨⑩ぐ・go;屋『z・曙・』]Pgz・国・喚困(]や三)が 有名だが、経営者が勝手に会社の金で政治献金をしたことに関し、いずれの裁判所もそれは会社の正当な目的の範 囲外の行為だとして否定する判断をした。しかし禁止法のないことを良いことにして、企業資金による目にあまる 金権腐敗選挙が繰り返された。 その頃、ペンシルバニア州出身のペンローズ上院議員(共和党)がある企業グループを前にしたスピーチで、政 治と企業の関係について、それは一種の分業であり、企業は政治献金を出して議員を議会へ送り、こうして選出さ れた議員は企業が金儲けしやすいように法律を作る、と本音を語っている。 こうした金権腐敗政治に対しては、世論の厳しい批判が高まり、それを背景にして、一九○五年一二月にはセォ ドア・ルーズベルト大統領が議会に対し、企業の政治献金を禁止する立法を勧告するメッセージを送った。 その二年後の一九○七年に、テイルマン法という画期的な連邦法が制定され、連邦レベルの選挙に関連して、会 社や銀行が金銭の寄付をなすことを一切禁止したのである。

この法律の目的は二つあるとされ、第一には、政治過程から金権支配を排除すること、即ち会社が利益を図るた

めに政治献金をなすのであれば、政治過程が腐敗するのでこれを防止するねらいである。ご且巨の閂員旨の旨の。。ごg目 と呼ばれる。第二の目的は、会社の中の少数派、または反対株主の利益の保護である。つまり企業献金が経営者の 政治的意見の反映としてなされる以上、彼らは自分の政治的目的のために株主に資金拠出を強要していることにな るわけで、その不当さを排除することであり、宣旨。Hご勺8←の昌○曰oop8目と呼ばれる。この法律は、その後 何度も改正されたが、’九七一年には「連邦選挙運動法」に受け継がれ、その四四一条b項として今も生きてい

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故意に違反した者は、 方の刑に処せられる。 ただ、実際にも法坐 故意に違反した者は、二万五千ドル以下または献金額の三倍の罰金刑、または一年以下の懲役刑、もしくはその両 連して献金または支出をなす行為を禁止し、候補者がその事情を知りながら献金を受け取ることも禁止している。 る。その内容は、銀行や会社が(労働組合も含め)連邦レベルの選挙、即ち、正副大統領、上下両院議員選挙に関 ただ、実際にも法律通り政治献金は行われていなかったのかといえば、七○年代初めのウォーターゲィト事件で 明らかになったように、国の内外で巧妙に違法な企業献金が行なわれていた。一九七一年法では会社(労組も)が 政治的目的に活用するため、分離独立の基金(これを俗に勺少○というが、勺o]昼8}シ畳○二○・日目耳の①の頭文 字を採ったもの)を作って、その運営経費、献金勧誘のための費用を負担できることになり、その限りで規制が緩 和されたといえる。この、鈩○が事実上、企業献金のトンネルになっていると指摘されている。また、ソフトマニー と呼ばれる脱法献金もまかり通っていて大きな問題になっているが、その詳細について興味のある人は、耳苔叩 、、尋冨菖・・・日日・ロ・自切の・・局、にアクセスされるようお勧めしたい。しかし、連邦法の基本が今日に至るまで、 企業の政治献金を性悪視し、禁止政策を採っており、最高裁判所も会社の政治的言論権を制限するという挑戦を幾 度か受けながらも、禁止政策の合憲性を一貫して支持してきたのは確かである。 以上は連邦法の概要であったが、州法はまちまちでり、連邦法に近い規制をしているところ、比較的自由にして いるところ、その中間のところ(例えば会社のみ規制し労組は自由)等があるらしい。 2、日本における法規制 日本における企業の政治献金を考察する場合、まず一九七○年に判決の出た「八幡製鉄政治献金事件」に触れる

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必要がある。本件(最判昭和四五年六月二四日、会社判例百選第六版八頁(中原)参照)の概要は次のとおりであ る。当時、会社企業の政治献金については、法律上できるとも、できないとも規定がなかった。ただ民法の四三条 で法人はその目的の範囲内でしか権利も義務を有しないという明文規定が当時も今もある。そんな中で、八幡製鉄 の取締役が会社の資金の中から、三五○万円を自民党に献金したところ、株主からそれが会社の目的の範囲外の行 為で無効であり、その取締役は忠実義務に違反したとして代表訴訟が起こされた。東京地方裁判所では、原告の株 主が勝ったが、会社側が上訴し、東京高等裁判所でも最高裁判所でも、株主が負けた。最高裁判決はこう述べた。 まずそれをなす権利能力があるかどうかについては、会社が社会の期待に応えて災害救援などの慈善寄付をなすこ とは、社会的な義務行為として可能かつ必要であり、会社の目的の範囲内の行為として有効と解しても株主利益を 害するものでない。政治献金も同様に考えられ、株主の信条が違っているとしても、会社には政治献金をなす能力 あり、とした。また、憲法に定める国民の権利や義務に関する条項は、法人(会社)にも適用されるので、会社は 公共の福祉に反しない限り、政治的行為の自由の一環として、政党に対する政治資金の寄付の自由を有するのであ り、政治の腐敗は立法政策に待つべき問題だと述べた。さらに金額が合理的である限り取締役の忠実義務違反もな いとした。いわゆる「能力外理論」が衰退した現在、そこに制限根拠を求めるのは無理だったとしても、判決自体 は明らかに政治献金をしぶしぶ認めるというより、慈善寄付を媒介にして積極的に肯定の論理を展開したもので、 これを商法学者の中村一彦教授は「政治献金奨励判決」だと批判した。 予想通り、この最高裁判決がその後の日本の金権腐敗政治を助長する働きをしたことは否定できない。即ち、そ の後、田中角栄さんが首相のときに金権腐敗政治が頂点に達したが、間もなくロッキード事件で失脚した後、一九 七四年にクリーンなイメージの三木総理が登場した。三木さんは最初企業献金の廃止を打ち出したが、それは自民

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党内主流の合意が得られず、結局一九七五年の政治資金規正法の改正では、正面から企業献金を認めた上で、その 量的、質的制限を設定して終わった。七五年改正後の政治資金規正法等で企業献金はどうなったか。 まず量的な制限として、会社の場合、資本金の額に応じて区分され、年間七五○万円以下から、一億円以下まで 〈労組の場合は、組合員数が基準となる)を献金できる。ただし、政党と政治資金団体(自民党の国民政治協会の 如き)は別として、政治家個人やその後援会へは一企業から年間・’五○万円が限度とされた(ただそれに違反した 場合の罰則が罰金二○万円であったことは、金丸事件でご承知の通り)。 次に質的規制としていくつかあるが、第一に、三年連続で赤字の会社は献金が禁止される。しかし、朝日新聞の 二○○○年九月八日付けによれば、実際には赤字企業からも堂々と献金を受けていた代議士として、河野外務大臣、 森山真弓、小沢一郎議員等の名前が報じられた。沖縄でも三年連続の赤字会社である那覇交通が九八年の県知事選 挙で稲嶺陣営に違法な政治献金をしていたことが報じられた(琉球新報二○○○年一○月二七日)。第二に政府や 県から出資や補助金を受けている会社も献金は禁止である。例えば、沖縄電力の場合、沖縄県が最大の株主である から、県レベルの選挙では献金できない。寄付や献金という場合、金銭だけを考えがちだが、それに限定されず、 金銭以外の利益も含まれる〈規正法四条三項)から、事務所や車両や人手の提供も同様に禁じられるであろう。第 三に、公職選挙法上の制限として、政府や自治体と請負契約関係がある会社や個人企業が献金をなすことも、これ を政治家が受領することも禁止されているが、実際にはこのような請負契約関係にあるゼネコンなどが自民党に対 して違法献金をしている(九○年代初期に鹿島のなしたヤミ献金では株主代表訴訟が提起ざれ最近四千万円で和解 となった。朝日、二○○○年一二月二○日)。 こうした新たな規制にも拘らず、企業の政治献金は、表でも裏でもかなり自由に行われてきた事実がある。九二

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企業から政治へ流れる金銭といえば、賄賂か政治献金である。前者は違法で、後者は一応合法である。だから賄 賂であっても、政治献金と主張するのが通常であり、そうなると、賄賂性を立証して有罪判決までこぎ着けるのは なかなか難しい。従来、刑法の賄賂罪二九七条)が成立するには、職務に関して、その賄賂が渡され、また受け 取っていることが必要であるが、政治家の場合、その職務権限があいまいで、この点を法的にクリアするのが困難 である。斡旋利得罪の新設は一歩前進とはいえ、抜け穴があって余り期待はできない。 このような資金は、企業の側では使途不明金(厳密には使途秘匿金というべき)として合法的(?)に処理され、 さらに巧妙に違法な帳簿操作によって裏金として生み出されることもある。 一九七五年改正後も企業献金は温存されたので政財界の癒着を示すような事例が跡を絶たなかったのはご承知の とおりである。八九年には一三○人の代議士を巻き込んだリクルート事件、九二年には自民党の副総裁だった金丸 代議士にかかる佐川急使事件、鹿島その他の大手ゼネコンによる巨額脱税へのお目こぼしをねらった現職閣僚や自 民党議員らへの賄賂や献金事件等が発覚した。その頃、沖縄タイムス紙(九一一年一○月二○日)の論壇に金権腐敗 を批判する雑文を書いたのがお手もとに配布したコピーであるが、今読み返しても何ら自説を修正する必要を感じ ないほど問題は未解決のままである。それは次のような事情による。 厳しい社会的批判を受ける形で、一九九四年には政治改革法が制定されたが、「政治に金がかかるのは中選挙区 制のせいだ」という議論で、金権政治の改革は小選挙区制度の採用にすり替えられ、企業献金はまたも温存された 考えられる。 むろんヤミ献金はこれに入らないし、最近のいろんな事件から推して、保守系の政党には相当のヤミ献金があると 年度の報告によると、日本全国ですべての政党が中央、地方で集めた政治献金総額は、約一一一、三二○億円であった。

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を得ていることになる。

また企業献金から個人献金へのシフトという方向性は打ち出されたが、それが定着するまでは公費での援助が必

要との理由で、一九九四年には政党助成法も制定され、毎年約三○○億円以上の税金が各政党に配分されるが、共

産党だけはこれを受けるのを拒否している。だから自民党等は、会社企業からも公費助成からも二重に巨額の資金

金が企業献金を上回っている背後に、会社の金を比較的規制の自由な個人献金という形にしている可能性が高

り(企業献金が)やれますよ」(朝日、九三年二月九日)。実際そのとおりになっている。後で見るように個人献

だから、ある自民党の代議士秘瞥がこう豪語した。「多数の会社役員など、個人名に分散したりして、今までどお

やり取りは自由、また年間一五○万円の限度で、個人からの献金を後援会も資金管理団体も集めることができる。

通って政治家の懐へ入るという抜け穴が用意されている。後援会はいくつでも作れるが、資金管理団体との資金の

政治団体」を作れる。資金管理団体は、政党(政治資金団体)からの資金の受け皿になるので、企業献金はこれを

た。また、政治家個人は、「政治資金管理団体」を一つだけ作れるのと、それとは別に後援会などの「その他の

支部に対するもの、政党が一つだけ指定できる政治資金団体(自民党の国民政治協会など)に対するものは存続し

会等の政治団体に対する献金を廃止する(但し、実施は五年後の一一○○○年一月に先送りされた)が、政党とその

のである。その改革のあらましは次のとおりである。まず従来の企業献金のうち、政治家個人に対するものと後援

い 0 現行法の下での政治資金をフローチャートにすると、次のようになろう。

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(現行の政治資金規正法等の下での政治資金の流れ) 公費助成、年間約 320億円(共産 党のみ受領せず)

年額2000万円 以内 r---レ 資本金に応じ年額750万以内、 ~1億円 ---句

個 年額150 万円以 内÷ 業体組金 企団労献 ←---禁止 人

年額150万円

|以内

------仁 その他の政治団体(○ ○後援会など、いくつ でも作れる) ←----- 禁止 (これは、朝日紙1999.11.9に掲載されたチャートを筆者が若干手直 ししたものである) 政党、同支部(いくつ でも作れる) 政治資金団体(政党が 一つだけ指定できる。 例、自民党の国民政治 協会) 政治家個人 政治資金管理団体(政 治家が一つだけ作れ る)

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さて、アメリカの企業献金禁止政策を米軍統治下の沖縄に導入した歴史があることに触れておきたい。一九六○ 年代初めに、銀行、保険会社、配電会社などによる数万ドルにのぼる賄賂や政治献金を見過ごすことができず、そ の公益的使命に反するとして、最終的に当時の琉球政府行政主席名で全面禁止を命じたが、これを実質的に推進し た立役者は、当時の金融検査部長・外間完和氏であった(詳しくは同氏の回顧録「キャラウエイ旋風」一五九頁以 下参照)。この措置はキャラウエイ高等弁務官も歓迎したという。金権と利権にまみれた日本の政治が、アメリカ にほぼ一世紀遅れてもまだ実現し得ない企業団体献金の禁止措置を、この沖縄で実現する勇気と見識をもった金融 となっている。 なお、それ以外に政治改革法で改善された点として、献金の公開基準が従前の一○○万円から五万円に引き下げ られたこと、パーティー券購入の開示基準も購入者一人当たり一○○万円から二○万円に引き下げられたことで透 明度が増した。また連座制も強化された。しかし、腐敗癒着に終止符が打たれたわけではなく、却って巧妙化して おり、会社以外の公益法人にまで賄賂や政治献金が拡大していることを最近のKSD事件から知ることができる。 尤も直接なせば、民法四三条に触れるから、通常、ダミー組織を作りこれを経由させる。 では実際に、政党や政治団体が集めた政治資金の総額は、どれくらになるのだろうか?正確な追跡は不可能に近 いと思われるが〈その実態解明の貴重な試みとして、佐々木毅他「代議士とカネ」(朝日選書)がある)、公表され た一九九九年度分の数字を見ると、前年度比で一一%減の一一一、二三五億円〈朝日、二○○○年一二月五日)だった。 減少の理由は、私の推測だが不景気と法規制の効果が多少表れたのかも知れない。中央選管分が一五一八億円、地 方選管分が一、七一七億円であるが、その内訳は三二○億円弱の政党助成費も入っている他、各党の機関紙収入合 計が一、六一五億円、個人献金が四三四億円、企業団体献金が約二○○億円、パーティー収入が九一一億円、その他

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1、アメリカの場合 フィランスロビー、メセナ、アルトルーイズムといった言葉を聞いたことがあるであろう。今日、いずれも企業 の社会貢献、文化支援活動を意味するものとして使われる。 フィランスロビーの語源は、ギリシャ語で勺三一とショゴ『・己○mの合成語といわれ、その意味は「人間を愛する」、 つまり人間愛ということだとされる。 メセナの方は、初代ローマ皇帝アウグストゥスの腹心の部下だったマエヶナス(三四の8目切Ⅱ旨のgpg)に由来 するそうで、彼はローマ人ではなく、エルトリア人でありながら初代皇帝アウグストゥスに誠心誠意仕え、その厚 い信頼を得た人物である。アウグストゥスが三年間ローマを留守にしたとき、ローマの統治をすべてそのマエケナ スに任せたところ、彼は、貧しいが、才能を見込んだ後の大詩人ホラチウス、等を支援したとされる。これに因ん で今日「メセナ」は、広く文化支援活動を意味する語として使われる。 三、慈善寄付 れる思いである。 新報、二○○○年六月五日)、金権腐敗政治の根の深さとこれを助長した米軍統治のダーテイーな面を見せつけら 万ドルという巨額の政治資金が提供されていた事実が、最近、沖縄県公文書館所蔵の資料から判明しており(琉球 公選の際、西銘順次候補に対し、米国のCIAから日本の自民党そして沖縄自民党の吉元副総裁を経由して、七二 行政担当者があったことはぜひともわれわれの記憶に止めておくに値する。しかし残念ながら、一九六八年の主席

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もう一つ、今度は有名なカーネギーのことに触れたい。スコットランドから貧しい移民としてアメリカにわたっ て、一代で巨万の富を築いたアンドルー・カーネギーは、十分な教育も受けなかったが、隣のアンダーソンという 親切なおじさんの書斎からいろんな本を貸してもらって勉強した。成功した後、自分が恩恵を受けた図書館を、特 に貧しい人たちために、・全国に作る援助活動をしたのである。彼は、「金持ちが天国に入るより、らくだが針の穴 を通る方がやさしい」という聖書(ルカによる福音書一八章二五節、他)の言葉をいつも口にし、「富んで死せる は恥辱の死なり」と自らいっていた。 こうしてみると、フィランスロピ1は、非常に個人的な倫理、あるいは信仰的な基盤に支えられているような気 がする。こんな話もある。一九八五年にジャパン・ソサイエティーでの会合で、日本のある著名な財界人が「なぜ 日本人が国の内外で、社会貢献活動に不活発、不熱心なのか」と質問されて、こう答えたという「われわれはクリ そのフィランスロビーの草分の話を紹介しよう(これは、出口正之「フィランソロビー函企業と人の社会貢献』 二八-二九頁、一一一一一一頁以下による〉。 アメリカの有名なハーバード大学は、ジョン・ハーバードという人に因んで名付けられたものである。一七世紀 の初めに、イギリスからピューリタンの群れが新大陸のマサチューセッツに上陸した。彼等は信仰上の理由と政治 的圧迫を逃れてそこへやって来たが、入植後わずか六年後の一六三六年には大学を作った。その翌年にイギリスか ら植民地へやってきた三○才の青年宣教師があった。しかしニューイングランド地方の厳しい冬に耐えられず、翌 年亡くなってしまう。その青年は死ぬ前に自分の財産と四○○冊の蔵書を創設間もない大学へ寄贈することを決め た。そこで大学はその無名の青年宣教師ジョン・ハーバードの志を記念して、彼の名前を大学の名としたそうであ るた 00

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主義の糟神』( は確かである。 主義の糟神』(大塚久雄訳)一一二八、二五九頁等)。このような個人レベルの倫理が企業や会社に影響を与えたこと を還元することで天に宝を積むことを教えている(例えば、M・ヴェーバー「プロテスタンテイズムの倫理と資本 と自体を肯定し、ただその上におごり高ぶり自己のためにだけ使うことを戒めた。そして隣人や他人のためにそれ 悪としたし、中世にはカノン法で利息禁止を命じた。しかし、他方では、勤労と節約によって財産が蓄積されるこ 欧米のキリスト教倫理との深い関わりは無視できないように思われる。キリスト教は一面ではすべての金儲けを罪 企業のフィランソロビー、アメリカ人が見た日本の社会貢献」(一九九一一年)二三頁に出ているものだが、確かに 副社長であり、ハーバード・ロースクールを出た弁護士でもあるナンシー・ロンドンさんという方が書いた「日本 スチャンじゃないからですよ」と。この返答が適切であったかどうかは別として、この話は、」・田モルガン社の では、アメリカでどれくらいの寄付金が社会貢献、文化支援のために集まるのか。少し古い資料(出口、九七頁) だが、一九九一年のフィランスロビーのための寄付金総額は一、二四七億ドル(約一二兆円で、当時の日本の国家 予算の六分の一)だった。その約八三%が個人からのもので、企業からはわずか四・九%(六一億ドル)であり、 あと財団からのものが六・二%(七七億ドル)、遺産からが六・二%となっている。アメリカのフィランスロビー は個人主導であるといえる。 いうまでもなく企業というのは元来利潤の追求をなし、あがった利潤を構成員である株主に分配する仕組みであ る。株主のために利益を最大限にすることが、会社経営者の使命とされてきた。それとの関係で、企業の慈善寄付 を認めることにいろいろ問題と肝余曲折があった。しかし、慈善寄付は、お金を捨てるわけでなく、それが長い目 で見たら利益として返ってくるというふうに考えて、是認されるようになってきた。その流れを示す判例と法制度

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を見ておく。 ①「ダッジ対フォード事件」(C・局の弓・句・匙巨・芹・円○・・》g凸巨】9.《田巴『Cz・三・mg(ここ))。この 事件の主役、ヘンリー・フォードはフォードモーター社の経営者であり、事実上のオーナーであった。取締 役もほとんど彼の意向で選ばれた。同社は、業績もよく、世界的にも利益ではトップの会社と見られた。と ころが、一九一六年、彼は、同社が利益をあげすぎており、この際会社の製品を値下げすることで、一般の 人々にも利益を共有してもらうという方針を打ち出した。このプランに反対して、訴訟を起こしたのが、株 主のダッジ兄弟であった。彼等によると、会社の目的は、あくまでも株主の利益を増進することに尽きるも ので、従業員や一般社会の利益を配慮すべきではない、と主張。これに対し、フォード側は、会社が利潤の ために組織されているという事実は、会社の主たる営業に付随する慈善的活動を人道的動機をもってなすこ とを妨げるものではない、と反論した。ミシガン州の最高裁判所は、こう判決した。「営利会社は、株主の ために設立され、活動するもので、取締役の権限もその目的のために与えられている。取締役の裁量は、そ の目的達成のための手段において行使されるべきもので、その目的自体を変更したり、それ以外の目的のた めに利潤を減少したり、株主への利益を配当しない、というところまでは及ばない」。これがいわば古典的 な会社目的観である。 ②「スミス対バーロー事件」(し・勺・の目夢冨狩.。。『・国胃一・三・]寧亘・]・匡回患シ’旨麗」・呂己・ &、目印、の。逃急p.m.患』(巴忠))・本件では、スミス社が取締役会で、会社としてプリンストン大学へ一、 五○○ドルの寄付をなすことを決めたのに対し、会社本来の目的からみてそんな権限があるのか、と株主か ら問題提起され、その判断が裁判所に求められた。スミス社の社長は、こう説明した「寄付は、健全な投資

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であり、社会一般は、会社が慈善的な団体を援助することを期待しているし、慈善寄付は、会社の営業活動 にとって有利な環境を作りだすことである」と。ニュージャージー州の最高裁は、こう判決した「……明文 規定のあるなしを問わず、会社が合理的な慈善寄付をなす権限は存在するから、スミス社の寄付の効力を支 持するにおいて、われわれは何らのためらいもない。その寄付は無差別になされたわけでもなく、取締役の ペットチャリティーとしてなされたというわけでもない。それは著名な高等教育機関になされたし、その額 においても適切であり、制定法の範囲内でもある。それが公共の福祉と、私的企業として、またそれが活動 する地域社会の構成員としてのスミス社の利益を増進するとの合理的な信念の下で善意でなされたものであ る。コモンロー原則の下で、会社の黙示的、付随的権能の合法的行使であって、関係州法の明示的権限の範 囲にも属するものだった、と判断する」。こうして会社の慈善寄付を認めた。 ③「シュレンスキー対リグリー事件」(淫」の皀切ごく・三円】、]の】・垣自」・疹弓・臣]畠・畠『z・目・臣ゴロ (巴&))。本件での被告は、シカゴ・カブス球団と、その社長F・リグリーからなり、原告シュレンスキー は同社の株主だった。原告によれば、一九三五年に初めて夜間試合が開始されて以来、メィジャーリーグ二 ○球団のうち一九球団が夜間試合を採用し、それによって収益を最大限にしようとしてきた。ところが、カ ブス球団は、一九六一年から六五年にかけて、野球試合に起因する運営赤字を出している。原告によると、 リグリー社長らは、リグリー球場への夜間照明設備の取り付けに関し、会社の利益のためでなく、彼個人の 意見、即ち、野球は昼間のスポーツであって、証明設備を取り付けて夜間試合をすれば、周辺住民へ悪影響 を与えることになる、として拒否した。斯くて被告らは、会社の利益とは無関係な目的のために活動してい る、と主張した。これに対しイリノイ州最高裁サリバン判事は、こう判決した「リグリー社長らの動機が、

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次に法律制度面での慈善寄付の扱いにふれたい。判例の動きとともに、各州では、制定法である会社法に

よって、会社の慈善寄付を認める方向が生れた。一九一九年のテキサス州を皮切りに、今では殆どの州(例外は、

アリゾナ、アイダホ)が同じ条項を制定していると言う。一九九四年のアメリカ法律協会の会社統治原理(しロ・

勺『ごCs]のmomoo8・『日の。。『の日目8》留々C])を見ると、会社が営業活動の過程で、倫理的配慮を為しうるこ

と、合理的金額を公の福祉、人道的、教育的、慈善的目的のために捧げることができること、を規定する。ただ、

それも会社の自己利益との両立まで否定してはいないし、長期的な会社利益と言う考え方が根底にあるようである。

もう一つは、税制面での所得控除政策がある。一九一二年までの歳入法では、慈善寄付の所得控除が認められた

のは、個人だけだった。その背後には、立派な目的のためであっても、会社の経営者が、株主の金を使って気前よ

く振る舞うのを奨励するのは危険だと考えられたからだという。しかし、その後、会社にも控除が認められたが、

実態は依然として、前述のとおり個人が主流である。現行の連邦内国歳入法では個人は五○%まで控除されるのに

対し、会社の慈善寄付は被課税所得の一○%が限度(以前は、五%であったがレーガン政権時代に引上げられた)

会社とその株主の最大利益に反するという主張には必ずしも同意できない。取締役らが周辺住民への影響を

配慮したのは当然であったし、リグリー球場の資産価値から見た会社の長期的利益は、周辺住民を悪影響か

ら守るべく、あらゆる努力をすることが要求される。だからといって、取締役の決定が正当であったという

つもりはない。言いたいのは、決断が正当に取締役会でなされており、その決定をなすにつき動機に何ら詐

欺、違法、利益相反は見当たらないことである。赤字会社だからと言って、その取締役が、他の会社のやり

方(]の目)に従わねばならないと言うことはない」と。かくて企業利益より地域住民に配慮した取締役会の 方(]の目)に従わねば力 決定を裁判所が認めた。

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企業の場合はどうか。これも、消極的で寄付をする場合にもかなり打算的な姿勢が強いとの指摘がある。有名な米 国の社会貢献団体の関係者が、日本で企業等を回って高額の募金活動に成功するにはしたが、日本側寄付者が、そ ない、といえそうである。 とすれば、やはり他人の』 2、日本の場合 慈善寄付が、日本では余り活発でないといわれるが、その要因は何か。日本にも伝統的に富の上に徳をおく発想 (例えば、近江商人の西川庄六家の家訓には、「義を先に利を後にするものは栄え、富をよしとしてその徳を施せ」 とあったという)やいわゆる篤志家があったはずだが、その志を生かし切れない仕組みや制度そのものに問題があ る、との指摘もある(出口、一二○頁)。しかしやはり個人レベルのメンタリティーが大きいのではないか。この 点で山本七平によれば、「日本人は、(会社や役所のためなら)喜び勇んで、しかも無報酬で残業にいそしむ反面、 隣人のためには何にもしたがらない」し、また国際文化会館の加藤幹雄氏は、「(日本では)恩恵や感謝の気持ちは、 いまだかって会ったことのない人や団体の間では発生しない。だから社会貢献活動でも、そのような間柄では行な われない……未知の人や団体に対しては寄付は行なわれない」と述べた(N・ロンドン、二五、一一一三頁)。ロンド ン氏のいうように「フィランスロビーは、包括的で抽象的な概念であって、実在の個人ないしグループの間に存在 する具体的、実際的結び付きを問題とする伝来の日本的考え方とはおよそ縁遠いもの」(同、二六頁)らしい。だ とすれば、やはり他人のために金を出すことに向けての動機付け、インセンティヴが個人レベルでまだ成熟してい 三%を寄付するのに対し、会社は税引前利益のほぼ一%程度といわれる。 である(内国歳入法一七○条(ず)項二号)。こうした税法上の奨励策を反映して、個人は所得中、平均二ないし

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のことを広く、かつ派手に宣伝してくれることを期待していることを知って失望し、その人は「もう今後一切日本 側寄付者に頼みに行こうとは思わない」と述べたという(ロンドン、一六頁)。 さて、日本国内で企業がいくら慈善寄付をしているのか、その全容を企業別に把握できる資料はないといわれる が、不完全ながら、経団連でその一パーセントクラブ法人会員向けにアンケート調査(一九九一年実施)をした報 告書(経団連編「社会貢献白書岬一九九二年』)があり、几その傾向を知ることができる(六○、三一頁)。調査 に対する回答企業は一一五三社(三七・六%)で、それによると一九九○年度で社会貢献活動に対する企業のなした 寄付金総額は一、二一一一一億円だという。その対象を重点分野別に見ると、芸術文化部門が二四・六%でトップ、次 が地域社会のイベントで一一四・三%、三位が環境関係で一一一・五%の順である。また岸田雅雄「ゼミナール会社法」 (二六頁)によれば、一九九八年度の日本企業の寄付総額は、政治献金を含めて、約五千億円で、そのうち公益の ための寄付金額は、「七六八億円で、企業全体の課税所得の○・○|%だという。因みにアメリカの会社の場合、 税引前利益の約一%であったことは前述した。 慈善寄付に対する税制面での優遇措置で日本はアメリカに比べて、消極的だといわれる。そのメカニズムを少し 見ておく(なお、参考文献としては、経団連、前掲白書六四頁以下、電通総研編「企業の社会貢献』(一九九二年) 一一一一六-三九頁、N・ロンドン、前掲書一一○頁以下、雨宮孝子「フィランソロピ1税制の現状と課題」林雄二郎・ 山岡義典編「フィランソロビーと社会」所収、二七八頁以下、等)。 企業が寄付をして、税務申告上損金算入できるかどうか?次の四つの場合がある。 ①国、地方公共団体への寄付~これは全額控除される。例えば、災害救助法に基づき、雲仙普賢岳災害、阪

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④一般寄付金Iこれは民法に基づく公益法人一般、宗教法人、政党や政治団体などへの寄付等であるが、先 の③特定公益増進法人と同じ計算で、控除される。経団連調査では、この寄付金額は二六九億円(一八五社) ②指定寄付金~公益法人などに対する寄付で大蔵大臣が指定したもの。これも全額控除される。 神大震災、有珠山や三宅島の災害への寄付が行なわれる場合などが考えられる。 経団連調査では、一九九○年度に①と②を合わせた金額が一四二億円〈一七八社)となっている。 ③特定公益増進法人への寄付~教育、科学、文化、社会福祉に貢献する法人として、認められた団体への寄 付金がこれに当たる。これは法人税法三七条と政令により一定範囲で損金算入が認められる。その計算は少 し面倒であるが、資本金に○・○○二五プラス所得の○・○○二五をそれぞれを乗じた分の二分の一以内の 支出寄付金について認める。経団連調査では、この金額が、二一二億円(一七四社)となっている。学校法 人への寄付は、通常これに当たるといわれる。ただ、これは全体像がなかなかはっきりしなかったといわれ るが、最近やっとそのリストが大蔵省から公表されたところによれば、民法の法人で特定公益増進法人とし て認められたのが八八三、学校法人と社会福祉法人を含めると約一万五千団体だという。アメリカで同じよ うに寄付金控除が受けられる団体の数が五○から六○万団体といわれるので、この点でも日本がいかに少な 実は、この一般寄付に認められる控除限度を、政治家や政治団体あての献金で一杯にまで埋めてしまう企 業が多いといわれている。つまり、ある大蔵官僚によれば、企業による「一般寄付」の大部分は、政治献金 だという(ロンドン、一二五頁)。 である。 いかが分かる。

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こうしてみると、日本で企業の慈善寄付が、不活発だとされる大きな原因の一つがそこにあると思われる。政治 献金に追われ、社会貢献に振り向ける余力が失われているということではないか。つまりある種のゼロサムゲーム であり、同じパイ、同じ金庫からお金を出すので一方が増えれば、他方が減る関係である。 少し身近な例でメセナと政治献金を比較してみると、わが琉球大学では数年前から昨年にかけて創立五○周年記 念募金が行なわれ、大学関係者や県内企業の熱意と協力によって、約二億六千万円の莫大な寄付が集まったときく。 これに対し一九九八年の沖縄県知事選挙で集めた政治資金の総額は、開示基準に達した分のみで、稲嶺陣営で約五 億七千万円(その相当部分が、源流をたどれば企業ないし企業関係者に行き着くと推測される)だったし、大田陣 営が約一億三○○万円であった(沖縄タイムス、九九年一○月二九日)。因みに公職選挙法一九六条による県知事 選挙の法定選挙費用(支出)は三千八○万円であった(その違反に対する罰則は二四七条)。七億円対一一億六千万 円という数字が日本での政治献金とメセナの現状を典型的に表していると思われる。 このように、日本では法律制度のうえでも、実態においても、企業の政治献金は性善説にたって奨励され、活発 であるが、企業の慈善寄付は逆に抑制されている。これに対し、アメリカでは、企業の政治献金は性悪説に立脚し 原則的に禁止され、慈善寄付は奨励されていることが分かる。 私の持論ないし結論は、会社民主主義と選挙の公正と公共善を確保し拡充するという視点から、日本もアメリカ と同じ方向に価値観と法制度を転換すべきである、ということである。その理由は、次のとおりである。 四、むすび(私見)

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第二に、会社が政治献金に充てる資金があるなら、もっと有意義な還元方法があるという点である。まずそれは 利益の社会還元の原資にすべきである。慈善寄付、つまり企業メセナからのサポートを待ち望んでいるNGOや NPO、社会貢献グループは無数にある。もしそれが嫌なら、もっと企業の身近かに還元することも考えられる。 例えば、配当を増やして株主に還元すべきである(因みに日本の会社の配当性向は、年度や時期によっても違うが、 一般に英米仏に比べてかなり低いといわれる)。また賃金として従業員に還元すべきでもある(同じく、労働分配 率も日本は、一九九○年までの五年間の平均が七六・六%と先進諸国中で低い)。更に、消費者にも還元すべきで ある(因みに日本の物価の内外格差もしばしば指摘されている。例えば、九九年の経企庁調査では東京の物価はニュー ヨークの一・二倍だという。朝日紙、二○○○年五月一七日)。こうして株主、従業員、消費者に還元された金を 個人としてそれぞれの政治信条に従って政治献金するのが筋である。 第三に、企業献金は民主政治を金権腐敗に導く危険がある。選挙では、個人が平等・対等な立場で、参加を認め られる。会社・法人には選挙権が与えられない。その会社が金銭をふんだんに注ぎ込んで選挙に影響力を行使する Iま付 なは い、 。唇

第一に、「会社の金は他人の金」という原点に帰るべきことである。アメリカでは、○夢のH己のo己の㎡日。pの旨と

して、会社経営者には強く意識されるが、日本の経営者の間では、「会社の金は自分の金」のようなルーズな意識 がないであろうか。その他人(つまり株主)の金を本来の営利目的外に使う点で、政治献金と慈善献金は共通する が、前者は明らかに株主の政治信条が対立するので、自分の支持しない政党のために献金されるとき、少数・反対 株主にとっては、不利益だし苦痛である。株主がそこまで委任したと考えることは不合理である。その点、慈善寄 付は、反対があるにしても、本質的な対立とは考えられないし、先ず株主の推定的承諾がある、とみてさほど無理

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ことを許すと、民主的な選挙過程は歪められる。シンデイー・ローパーの歌のように、三。どの望号自、の:ごのどg旨、 では民主政治が泣く。このような不公正さをアメリカのオクラホマ州出身の上院議員フレッド・ハリスは、ある学 者の言葉を引用して、こう表現した。「G・EやA・T&Tやスタンダードオイル(z』・)等が多元的領域(選挙 の場面〉へ閲入(ちんにゅう)してきたら、ひよこたちの間で象がダンスをするようなものだ(因]の已自訂8月旨m PB・口、弓の。三百二の)。なぜなら会社組織は構成メンバー個々人の任意の結合体ではなく、財産の結合体であり、 今までに現れたいかなる説によっても、機械(目色呂旨のい)に民主的政治過程での発言権を与えるべしと論じたも のはなかった」(句『の二m・西口同肘・弓彦の句・]昼8.冷○oBCHgの勺○三g旨三目の円陣○円の①この・・・○・召○吋目の 厄・言臼冒し曰圏・色『践路(]召堕))。つまりひよこが集まって戯れているところに、象が入り込んできて踊ると どうなるか、踏みつぶされるのは明らかである。 第四に会社の本質は、民主主義の選挙過程の予定するところと両立しない。即ち、会社は利潤追求至上主義によっ て行動するので、個人レベルでの正義や公正といった基準をもち込むことはまず望めない。この辺の問題について 法哲学者のジョン・ロールズから学ぶことができる。彼によれば、正義とは「公正」(甘時ロの、、)だという。そし て公正かどうかは、合理的な人間が現実に占めている地位を全く知らされていない状況下で(:四目]己。、旨・ロ) で選択が行われるというルールに服しているかどうかで決まるという。これを会社の政治献金に当てはめてみると、 会社の意思決定に与る経営者や取締役は、忠実義務等によって会社の利益になるかどうかという一元的視点から判 断することを法的に義務づけられている。そもそもオリジナル・ポジションに立つことを禁じられるのである。即 ち、会社から離れて個人と同じ立場で、正義や公正に基づく配慮、判断をなす能力を欠いているわけで、こうして 決められる会社の政治献金は、本質的に公正ではあり得ず、民主主義の選挙過程の予定するところからかけ離れて

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道だと私は確信する。 要するに、わが国におけるあるべき法制度として、企業・団体の政治献金には性悪説に立って禁止政策を採り、 企業メセナの方は奨励策を採ることであり、これこそが企業と政治の関係を正しくし、民主主義を本来の姿に戻す い}わ。 (追記) 脱稿後に森首相が退いて小泉首相の誕生となり、クリーン・イメージと決断・実行力への期待感から人気を異常なまでに 高めている。この際、クリーンな民主政治実現のため企業の政治献金についても何らかの改革を期待したいところであるが、 残念ながら、小泉氏自身は「企業献金が悪だとは思わない」と言い切り、実際にも政治活動費の九割以上を企業献金に依存 してきたようなので(朝日、九二年三月二日)、その事情が変化していない限りこの問題は聖域となり、改革の期待をする 方が無理ないし無駄となろう。なお、大企業の政治献金に対する批判的活動を展開している団体として「株主オンプズマン」 があるが、それは次の三:サイトでアクセスできる。 亘吾叩き三三],ロの三のご・どの・)で、冨画、戸:こ◎曰g、ご」の×・耳目』 (二○○一・七・九) (以上)

参照

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