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旅順博物館蔵崇禎帝琉球国王を冊封する勅諭について: 沖縄地域学リポジトリ

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Academic year: 2021

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(1)

Author(s)

胡, 忠良; 外間, みどり(訳)

Citation

沖縄史料編集紀要 = BULLETIN OF THE

HISTORIOGRAPHICAL INSTITUTE(41): 61-68

Issue Date

2018-03-23

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/23832

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旅順博物館蔵崇禎帝琉球国王を冊封する勅諭について

中国第一歴史檔案館副館長 胡 忠良 翻訳:外間みどり 旅順博物館に明の崇禎2年(1629)、崇禎帝が琉球国王を冊封する勅諭がある(図1)。 この檔案(勅諭)は明清時期に中国皇帝が琉球国王を冊封した勅諭の原本であり、文書の 形式や規則等について視覚的に語ってくれるものである。以下、この勅諭の内容的な特色、 由来および明清時期に琉球国王を冊封した勅諭の文書について、見解を述べたい。 1.勅諭の内容 明清時期、中国政府と琉球を含む周辺諸国との関係は、宗主国と藩属国の関係(宗藩関 係)にあり、この関係を支える二つの大きな柱が冊封と朝貢貿易であった。冊封について、 宗主国(中国)の皇帝は通常、頒封(使節を琉球へ派遣して冊封する)と領封(琉球使節 が中国に到り冊封文書を受け取り持ち帰る)の二つの方法を採用することができた。しか し中国と琉球間の冊封は、夭折により冊封を受けられなかった若干の王位継承者を除いて、 明清時期の琉球国の王位継承者(国王)21 名は、ひとしく頒封の方法で冊封を受けている。 このことより中国・琉球の双方が冊封を重視していたことがわかる。冊封の儀式を行うに あたり、中国皇帝は新たに冊封する琉球国王に対し冊封の詔書を与え、また同時に勅諭も 与える。正式な冊封の詔書があるという前提のもとで、勅諭の主な役割とは新しい琉球国 王へ礼物を賞賜することである。明清時期において、通常、中国の皇帝が琉球国王に出す 文書には、ただ勅諭のみが用いられ、冊封以外に詔書が用いられることはない。 この勅諭の原文は以下のとおりである。 皇帝勅諭琉球國王世子尚豐、得奏尓父 王尚寧於泰昌元年九月十九日薨 逝、尓為世子、理宜承襲。特遣戸科右 給事中杜三策・行人司司正楊掄封

HU Zhongliang, transl. HOKAMA Midori: On Imperial Instructions of the Chongzhen Emperor to the King of Ryukyu, housed at Lushun Museum

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尓為琉球國中山王、嗣理國政。併賜 尓及妃冠服彩幣等物。念尓父紹膺 國統、作鎮海邦、率職輸誠、慎終如始、 中遭鄰侮、旋致堵安、克綏提封、迄於 没世。尓以元胤、國人歸心、嗣服之初、 倍宜兢惕其尚、祗循侯度、恪守王章、 禔身以率勵臣民、飭政而輯寧邦域。 綢繆牗戸、保固藩蘺、庶無忝尓前人、 用副予之顯命。欽哉。故諭。 頒賜 國王 紗帽一頂 展角全 金廂犀束帶一條 常服羅一套 大紅織金胸背麒麟圓領一件 青褡穫一件     綠貼裏一件 皮弁冠一副 七旒皂皺皮弁冠一頂 旒珠金事件全 玉圭一枝 袋全 五章絹地紗皮弁服一套 大紅素皮弁服一件 素白中單一件 纁色素前後裳一件 纁色素蔽膝一件 玉鈎全 纁色粧花錦綬一件 金鈎・玉玎璫全 紅白素大帶一條 大紅素紵絲舄一雙 襪全 丹礬紅平羅銷金夾包袱四條 紵絲二疋 黒綠暗花八寶骨朵雲一疋 深青素一疋 羅二疋 黒綠暗花八寶骨朵雲一疋 素青一疋 白氁絲布十疋

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妃 紵絲二疋 黒綠暗細花一疋  深青素一疋 羅二疋 黒綠暗細花一疋  素青一疋 白氁絲布一疋 崇禎二年八月十六日 (前半の勅諭文読み下し)  皇帝、琉球国王世子尚豊に勅諭す。奏を得たるに、尓が父王尚寧、泰昌元年九月十九 日に於いて薨逝す。尓は世子為たれば、理として宜しく承襲すべし。特に戸科右給事中杜 三策・行人司司正楊掄を遣わし、尓を封じて琉球国中山王と為し、嗣いで国政を理めし む。併びに尓及び妃に冠服彩幣等物を賜う。念うに尓が父は国統を紹膺し、海邦を作鎮し、 職に率したがい輸誠し、終わりを慎むこと始めの如し。中ごろに鄰侮に遭うも、旋かえりて堵安を 致し、克よく提封を綏やすんずるも、世を没するに迄いたる。尓、元胤たるを以て国人帰心するに、 嗣服之初、 倍ますます宜しく兢惕し、其れ、祗つつしんで侯度に循したがい、王章を恪守し、身を禔やすらか にして、以て臣民を率ひきい励まし、政まつりごとを飭ととのえて邦域を輯寧するを尚ぶべし。牗戸を綢繆し、 藩蘺を保固すれば、尓が前人を忝はずかしめること無く、用て予の顕命に副うに庶ちかからん。欽し めよ哉や。故に諭す。 この勅書の抄録が、台湾大学刊行『歴代宝案』第一集、巻二、第 87 頁に収録されている。 全文は以下の通りである。 皇帝勅諭琉球國王世子尚豐、得奏、爾父王尚 寧示泰昌元年九月十九日薨逝、爾為世 子、理宜承襲。特遣戸科右給事中社三策・ 行人司司正楊掄封爾為琉球國中山王、 嗣理國政。併賜爾及妃冠服彩幣等物。念 爾父紹膺國統、作鎮海邦、率職輸誠、慎絡 如始、中遭鄰侮、旋致者安、克緩提封、遠於 没世。爾以元胤、國人歸心、嗣服之初、倍宜 兢惕其尚、祗循侯度、恪守王章、禔躬以率

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勵臣民、飭政而輯寧邦城。綢繆牗戸、保固 藩蘺、庶無忝爾前人、用副予之顯命。欽故 諭。頒賜有條式。 この崇禎2年の勅諭原本は二つの内容に分かれている。前半は型どおりの皇帝勅諭文で あり、後半は賞賜品の清単(リスト)である。この点からすると、明と清の勅諭は同じである。 当然、皇帝が与える勅諭本文の文言と後半の賞賜の物品名は、時期により多少の違いはある。 台湾版『歴代宝案』の記載は、ただ本文を抄録しただけで、本文の後の賞賜の物品名は 省略されている。筆写者が「頒賜有條式」と注記しており、明らかに故意に省略されたも のである。また『歴代宝案』の勅諭本文はわずか 200 字余りの中に、9箇所も誤字あるい は欠字があり(下線を用いて示す)、特に勅諭の結びとなる定型の公文書用語の「欽哉、故諭」 は、「欽故諭」と筆写されており、明らかに筆写者の勅諭に対する理解が不十分であった ことがわかる。一方、勅諭原本の本文の後の「頒賜條式」(詳細な賞賜品リスト)により、『歴 代宝案』で省略された内容を補うこともできる。そのほか勅諭原本の7カ所の「尓」字が 「爾」の簡体字になっているのは、明代の勅諭が用いた文字の特徴をあらわすものである。 形式からみると、この勅諭は縦 55 センチ、横 172 センチ、紙質は硬黄榜紙で、勅諭の 周囲四辺は木版印刷された雲龍模様の縁取り(雲龍花辺図案)があり、始めと終わりにそ れぞれ2匹の龍が、上下にそれぞれ6匹の龍が対称に描かれている。勅諭本文は全 13 行、 各行 14 字で、文書の書き方をみると、「皇帝」の2字は2字擡頭、賞賜品部分の文字の 大きさは本文より小さめである。文書の作成は規定に照らし、「頒賜」の2字は改行して (本文から)1字下げ、「国王」と「妃」の文字はそれぞれ改行して(本文から)2字下げ、 賞賜品の名称は改行して ( 本文から)3字下げ、賞賜品の名称のあとの細目は改行して(本 文から)4字下げとなっている。勅諭文末の年月日落款の箇所には皇帝の「廣運之寶」の 印が押されている。清代では通常、皇帝の「勅命之寶」の印が押される。このように形式 の細部について、幸いなことに、私たちはこの勅諭原本からその全貌をうかがい知ること ができるのである。

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2.勅諭の伝来

明清両王朝は琉球国に対して 23 回の冊封を行った。明代の冊封は 15 回あり、この勅諭 は明代最後の琉球国王を冊封する文書である。崇禎2年 (1629) に作成された文書であるが、 冊封は崇禎6年(1633)になってようやく行われ、冊封の後、勅諭は琉球にとどめ置かれ た。尚豊は崇禎 13 年(1640)に逝去、その後、明と清の王朝交替により、戦乱が度重なり、 琉球と中国の中央政府とはしばらく連絡が途絶える。世子尚賢や尚質の時には一時南明政 権と貿易を行っていたこともあった。順治9年(1652)になって、琉球は使節を北京に派 遣し、順治帝の即位を祝い、あわせて冊封を要請した。順治帝は新たに冊封を行う交換条 件として、前王朝の明が冊封時に与えた琉球国王印と冊封の詔と勅の返還を求めた。順治 11 年(1654)、琉球は使節(馬宗毅・蔡祚隆)を再度北京に派遣し、冊封を賜るよう請願 した。順治 11 年3月 28 日礼部尚書胡世安の上奏した題本の記載によると、琉球使節が返 還したものは、「故明万暦 31 年に頒布した琉球国王の爵位を襲封する詔一道・崇禎2年に 頒布した爵位を襲封する詔一道・爵位の襲封により礼物を賞賜する勅諭一道及び洪武 16 年に頒布した鍍金銀印一つ」とある。文中で言及している「爵位の襲封により礼物を賞賜 する勅諭一道」こそが、すなわちこの勅諭檔案である。その後、この勅諭は清朝宮廷の内 閣実録表章庫で保存された。 20 世紀初、「八千麻袋」事件が起こった。1921 年春、北洋政府(北洋軍閥)は財政的に 困窮し、清の内閣にあった一部の檔案を八千の麻袋に入れて、北京の同懋増紙店に売却し たのである。その大部分は羅振玉によって高値で買い取られたが、その後、羅振玉もまた その大部分を李盛鐸に高値で転売した。ただ羅振玉はこの崇禎2年の勅諭檔案を珍品と見 なし、ずっと身辺に保存し、その表題には親筆で「明崇禎諭琉球国王世子尚豊勅」と書き しるしている。のち羅振玉は旅順で逝去、勅諭は転々として旅順博物館に購入されるにい たったのである。

3.明清時期の外藩を冊封する勅諭

明清王朝の皇帝が、もっともよく用いた二種類の公文書が詔と勅である。重要で、人々 に周知させる必要があるものには詔書を用い、一般的なもの、例えば指示とか任命につい ては勅を用いた。詔が必ず公開するものであるのに対し、勅は比較的機密性を持つもの で、小範囲の人々を対象とする。実際に用いる上では、勅の使用は詔と比べるとさらに広 く、よく見られる。しかし、勅に関しては、なお多くの検討を必要とする問題があり、けっ して明瞭となっているわけではないが、人々は通常、勅命・勅及び勅諭を同列にして論じ

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ている。勅・勅諭・勅命の三種類の文書は、当然、その根源において、ある程度の関連は あるが、実際に文書の用い方をみると、勅・勅諭・勅命は文書の形式や規則において、や はり多くの違いがある。 明清の皇帝が頒布する三種類の「勅」について。 一つ、勅命は、政績評価された官僚(考満)の父母・祖父母及び妻子に封贈する際に用 いられる文書である。一般に六品及びそれ以下の官僚に対して敕命を用い、「奉天承運皇 帝勅曰」( 奉天承運の皇帝勅して曰く)で始まり、「欽哉」で結び、年月日のところに「勅 命之寳」の印が押されている。文書に用いられる材質の多くは絹で、編号があり、「某字 多少號」(某字○○号)と書かれ、明代であれば、編号のところに通常は必ず「廣運之寳」 の半印が押されている。 一つ、勅は、官僚を任命あるいは派遣する時に、その職権範囲を規定するのに用いられ る文書である。「勅某某」で始まり、「故勅」で結び、年月日のところには、明代には「廣 運之寳」の印が、清代では「勅命之寳」の印が押されている。龍文縁辺黄紙(龍の文様の 縁取りのある黄紙)が用いられ、通常、任務が完了すると返還された。 一つ、勅諭は、賞賜・優奨(褒め称える)・戒飭(いましめ)・准許承襲(爵位継承の許可)・ 約束・保護などの一般的事務に用いられる文書である。「皇帝勅諭」で始まり、「故諭」で結ぶ。 文書に用いられる材質には金龍箋、あるいは龍文縁辺黄紙、またあるいはその他の紙が用 いられ、年月日のところには、明代は「勅命之寳」あるいは「廣運之寳」が押されている (清代で押されているのは「勅命之寳」のみである)。明の崇禎帝が琉球国王尚豊に与えた 勅諭はこれに属するものである。 現存する明清の勅諭に関する考察を通して、また文献の記載を総合して、以下のいくつ かの初歩的な結論を得ることができる。 (1)勅諭の書式は決まっており、「皇帝勅諭」で始まり、「故諭」で終わる。これとは別に(勅 諭には)何らかの内容、たとえば賞賜する物品類に関する内容を付け加えることがで きる。 (2)現存する勅諭の用途は比較的広く、保護・戒飭・褒奨・襲職の命令・外交を公表する 際にも使用することができる。 (3)文書で用いられる玉璽(印)については、護勅(=保護)・褒奨の勅諭には「勅命之寶」 が用いられ、戒飭・賞賜・外藩の冊封あるいは辺境の少数民族の僧侶の襲職を任命す る勅諭には、明代は均しく「廣運之寶」が用いられている。 (4)文書で用いられる用紙については、護勅には金龍箋が用いられ、襲職の任命・授職の 勅諭には龍文縁辺黄紙が用いられている。しかし賞賜関連の勅諭には金龍箋が用いら

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れているもの、また墨版龍文縁辺黄紙(墨版の龍の文様の縁取りのある黄紙)が用い られているものもある。たとえば日本国沖縄県立博物館・美術館蔵の明成化 23 年(1487) 12 月 25 日の『明孝宗より琉球国中山王尚真への勅諭』には泥金雲龍紋蝋箋紙が用い られている。具体的な指示がある勅諭については、龍文縁辺黄紙が用いられているよ うである。清代においては規格のあまり厳格でない勅諭には、龍の文様の入っていな い素黄榜紙のみが用いられているものもある。 以上をまとめると、明の崇禎帝が琉球国王尚豊に与えた勅諭は、まさに宗藩外交関係に おいて用いられるもので、崇禎帝が新しい琉球国王尚豊に礼物を賞賜するために、墨版龍 文縁辺黄紙を用い、「廣運之寳」を押印した勅諭であるということがわかる。 ※本稿は 2017 年 11 月 17 日(金)、平成 29 年度沖縄県歴代宝案編集委員会(第2回作業部会) において、中国第一歴史檔案館の胡忠良副館長が行った報告「談談旅順博物館蔵崇禎帝冊封琉 球国王勅諭」の翻訳である。 平成 29 年度沖縄県歴代宝案編集委員会(第2回作業部会) 教育長表敬訪問(2017 年 11 月 16 日)左より平敷昭人教育長、胡忠良氏、李健民氏 平成 29 年度沖縄県歴代宝案編 集委員会(第2回作業部会) にて報告する胡忠良氏

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