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<活動記録><教育事業> 2011年度先端社会研究所リサーチコンペ : 採択された研究の中間報告

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サーチコンペ : 採択された研究の中間報告

著者

葛西 映吏子, 笹部 建, 西牟田 真希, 福田 雄, 松

村 淳

雑誌名

関西学院大学先端社会研究所紀要 = Annual review

of the institute for advanced social research

7

ページ

173-180

発行年

2012-03-30

(2)

 先端社会研究所では、関西学院大学の全研究科大学院生・研究員を対象として2011 年 7 月にリ サーチコンペを開催し、計6 件の研究計画を 2011 年度の助成研究として採択した。これらの研究計 画の概要については、本紀要第6 号における紹介を参照されたい。本稿では、これらの研究の進捗 状況について、採択者による2012 年 1 月末時点での中間報告を掲載する。  なお、採択者6 名のうち、林梅(社会学研究科大学院研究員)の研究「村の選挙から見る村民委 員の両義性」については、本紀要の本号にその研究成果を論文として公表しているため、この中間 報告を割愛する。

◎環境開発と地域再生に関するローカル知についての研究

葛西映吏子(社会学研究科大学院研究員)

 本研究の目的は、生活環境の大規模な開発によって崩壊・変容した地域社会において、ローカル な視点から紡ぎ出される地域再編の有り様や道筋を明らかにするということである。今回の調査は、 ネパール連邦民主共和国、首都近郊の町であるキルティプル市において実施した。地方からの移民 や大学関係者といった「他者」を受け入れ、急激に拡大を続ける町でいかなる環境問題が顕在化し てきているのか、その解決にむけて海外からの支援という「他者」が介入する有様を象徴的に見て 取ることができると考えたからである。環境問題の把握と解決には、廃棄物に対する意識または廃 棄物を捨てるという行為自体がいかに変容し、その結果何を引き起こしているのか知る必要がある。  ローカルな文脈に沿った開発・援助・再編とはいかなるものかについて考察するため、本研究費 を使用させていただき、次のような現地調査を行った。2011 年 8 月 28 日から 9 月 21 日まで、カト マンズ市、パタン市、キルティプル市に滞在し、フィールドワークおよび資料収集を実施した。ま た、12 月 1 日から 3 日まで東京の JICA 研究所にて日本の対ネパール支援についての資料・文献調 査を行った。  これまでの調査により、調査対象地であるキルティプルの旧市街地で、伝統的ゴミ処理システム として機能してきたSA:GA(サガ = ネワール語で「肥料の穴」)および NAU:GA(ナガ =「灰の穴」) について、町の開発の歴史や他者(支援)介入のプロセスと関連してその使用方法や使用規範、消 滅の経緯などについて、明らかにした。  現在、カトマンズやパタンなどの都市ではサガやナガはほとんど消滅してしまっているのに比べ、 キルティプルでは未使用だが残存しているものを含めると、比較的多くの住居がこれらの場所を残 している。2011 年 9 月の時点で、38 箇所のサガ、16 箇所のナガを確認することができ、それらの 空間を介して取り結ばれる他者との関係や外部からの影響によるサガ・ナガの語られ方について データを収集した。サガやナガには、「ケガレている」とされる食べ残しや儀礼に使ったもの、尿も

活動記録

教育事業

2011年度先端社会研究所リサーチコンペ 採択された研究の中間報告

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捨て、堆肥化し田畑に蒔いたり、町の清掃というケガレを引き受けてきたポレとよばれるジャート (民族・カースト)の人々が出入りし、溜まった堆肥を処理していた。サガは異(低)カーストであ る「他者」と関わる場所であり、公共のサガはボウズ(宴会)を開くことで「他者」を受け入れる 場所でもあった。しかし、80 年代以降、外国の介入による「環境問題」解決のための生活改善や支 援プロジェクトによりトイレやコンポストビン(堆肥化のためのタンク)の使用が推進されてきた。 こうした外部からの影響により、「住民問題化」と「環境問題化」のあいだにギャップが生じ(古川 2004)、サガやナガが組み込まれた生活システムは崩壊したと考えられる。  サガやナガといった場所は、海外からの支援による廃棄物管理のプロジェクトや研究者でさえも 注目せず無視されてきた場所であるが、こうした最も身近なケガレの場所こそ、日常的に人々が他 者と関係を取り結んできた「境界的状況(関根 1995)」であり、ネパールという社会を理解するた めに必要なのではないだろうか。以上の調査データにより現在学術誌への投稿論文を執筆中である。  2 月以降に行う調査では、次の点を明らかにしたい。①家庭の「ケガレ」にかかわらざるを得な い女性に焦点をあてた、女性グループ(Samuha)活動の展開、②ゴミ埋立地における新たなビジネ スを対象とし、どのような規範やルールが存在しているのか、またそれにともないケガレにまつわ る社会的解釈・意識がどのように変化してきているのか、③資料調査を中心として、これまでネパー ルの都市近代化をけん引してきた開発援助や生活改善がどのような論理によってネパール社会に介 入してきたのか、またその介入にローカル社会はいかに対応してきたのか、そして境界的状況にお いて新たに生まれる関係性等について考察する。以上の調査をふまえ、『先端社会研究所紀要』への 投稿論文を執筆する予定である。 【参考文献】 古川彰,2004,『村の生活環境史』,世界思想社. 関根康正,1995,『ケガレの人類学―南インド・ハリジャンの生活世界』,東京大学出版会 .

◎戦後日本における文化人のメディア表象――寺山修司を事例として

笹部建(社会学研究科博士課程前期課程 2 年)

・ 2011 年 8 月 12 日には愛知学院大学の教授である清水義和氏にインタビューを行った。氏は国際 寺山修司学会の現会長にして創設者であり、氏から同学会における設立の背景や活動の歴史など を聞くことができた。清水氏は文化書房博文社から『寺山修司海外公演』(2009 年)や『寺山修 司海外キネマテアトロ』(2010 年)など、寺山の作品に関する著作を多く刊行しており、現在最 も寺山に関する旺盛な研究活動を行っている人物である。1946 年生まれの清水氏は団塊の世代に 属し、彼は寺山の活動する60 ∼ 70 年代には演劇活動も行っていたのだが、むしろ三島由紀夫や 福田恒存などの寺山よりも先行する演劇人に興味を持っていたという。しかし自身が大学院に進 み、演劇研究を進めながらイギリスに留学し、指導教授から寺山を研究することを薦められ、改 めて彼の作品に触れ、寺山研究に進むことを決意した。彼のこういった留学先での経験から、海

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外での寺山評価を知り、現在の国際寺山修司学会を設立したのだという。 ・ 9 月の 10 には株式会社ポスター・ハリスカンパニーの代表取締役であり、現在は青森県三沢市の 寺山修司記念館の副館長である笹目浩之氏(1963 ∼)にインタビューを行った。笹目氏は寺山の 活動を真近で見ることのできた最後の世代であり、その後ポスター収集の仕事などを通して寺山 の作品の保存などのプロジェクトに参加していく様子を語ってくれた。笹目氏は1980 年代に上京 し、寺山や小劇場ブームの中の劇団の活動に触れ、自らも演劇に関連する仕事に関わっていきた いと感じていた。そして劇場で九條今日子氏に出会い、演劇活動の保存プロジェクトに参加した り、ポスターの貼りつけなどを手伝ったりするうちに、演劇のポスターの保存や収集を手掛ける 会社を設立していくに至る。現在では寺山修司記念館の副館長を務め、様々な寺山修司関連のグッ ズを考案してもいるが、そういった彼の思い切った行動には内部からの批判もあるという。 ・ 2011 年 9 月 27 日は元松竹の女優であり、寺山との結婚後は劇団『天井桟敷』の製作に携わって、 現在は有限会社テラヤマ・ワールドの代表取締役である九條今日子氏(1935 ∼)にインタビュー を行った。九条氏は2011 年の 7 月に青森県三沢市から観光大使に選ばれており、寺山の故郷であ る青森の観光事業の担い手としての活動や、彼の作品の保存、または若い世代の寺山の作品受容 などに関しての体験を聞くことができた。 ・ 2011 年 10 月 29 日は清水氏の誘いから国際寺山修司学会の第 12 回秋季大会に参加し、他の発表 者や大会の聴講者に簡単なアンケートを配り、また自身も寺山の活動について発表した。大会の 参加者は年配の世代が多くを占めるものの、若い学生や院生なども観客や発表者として参加して おり、研究発表者の半分は女性であった。 ・ 11 月には青森県立図書館で寺山修司関係の資料を閲覧・収集した。県立図書館に隣接する青森近 代文学館でも寺山修司の常設展示や特別展示の際の資料などの閲覧・収集を行った。今後の予定 としては、青森県三沢市の寺山修司記念館の学芸員に聞き取り調査を行い、可能であればこれま でインタビューした清水・笹目・九条氏にそれぞれもう一度インタビューし、より深い話や今後 の活動の予定などに関しても聞き取り調査をしていきたい。

◎事件・災害を含む文化遺産の再解釈――三池炭鉱の保存・公開を事例に――

西牟田真希(社会学研究科大学院研究員)

 本研究の目的は、事件や災害を含む記憶が文化遺産にどのような役割を果たすかを明らかにする ことである。三池炭鉱を事例に、以下の2 点を具体的な問題として研究を進めている。  第1 に、労働争議時の組合の分裂において、組合の労働争議に対するスタンスが異なることが、 文化遺産の概念が導入された後にどのように見られるかを、当時と現在の文献資料、映像資料の比

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較、聞き取り調査から明らかにすることであった。文献資料・映像資料の収集を行い、予備調査の 時点で、文化遺産としての炭鉱をアピールするためにつくられた証言収集に関して、証言をした当 事者から、実際の映像を見ると違和感をもつという声が少なからずあったことが分かった。そのた め、そのうちの1 人に映像資料を実際に見てもらい、証言収集の様子を聞き取り調査した(2011 年 10 月)。今後の課題は、さまざまな調査結果から証言映像と聞き取り内容および文献資料の分析し、 (大野 2011)などを参考に、記憶の「社会的枠」がどこに準拠し、どのように「記憶の再構成」が 見られるか、考察をまとめることである。  第2 に、文化遺産を用いた現在の活動から、事件・事故の記憶はどのように認識されるかを、文 化遺産の活用を取り巻く人々の活動から、明らかにすることであった。2011 年 8 月 1 日(月)∼ 12 日(金)の間に、現地調査を行い、8 月 2 日(火)∼ 6 日(土)は、インタビュー、生活史調査、参 与観察を行った(熊本大学文学部総合人間学科「社会調査実習Ⅰ・Ⅱ」に同行して調査)。8 月 7 日 (日)∼12 日(金)は、参与観察、資料収集を行った(うち、8 月 9 日(火)は「大牟田市世界遺 産登録推進セミナー2011」への参加)。調査結果から、行政と観光協会、NPO 法人などの団体の推 進者とその他の住民との活動理由と意図や内容には明確な差異が見られた。一方で、文化遺産の保 存により地域再生をめざすことが活動意図であることははっきりしており、現在の推進運動の中心 は、地域活性化や世界遺産登録運動が中心であることが明らかであった。事件・災害の記憶はそれ よりも消極的で、博物館や図書館の文献資料、証言映像、記念碑などにみられるにとどまっている。 今後、地域再生の担い手の推進内容や役割と、それらの違いがこれまで指摘されてきた博物館学的 欲望の行為者の3 タイプ(「文化遺産化の担い手・専門家」、「欲望の対象になる・生産者、所有者」 と「公共機関」)および「遺産化現象の加速化をめぐる三極構造」(荻野2002:13)のなかで、どのよ うな関係にあり、また本研究の事例ではどのように特徴づけられるかを明らかにすることが課題で ある。  以上、残された課題を遂行しつつ、研究結果を先端社会研究所紀要に投稿する予定である。 【参考文献】 荻野昌弘,2002,「文化遺産への社会学的アプローチ」荻野昌弘編『文化遺産の社会学――ルーヴル 美術館から原爆ドームまで』新曜社,1-33. 大野道邦,2011,「災害の集合的記憶――伊勢湾台風の場合」および「記憶と文化――『赤穂事件』 記憶をめぐって」『可能性としての文化社会学――カルチュラル・ターンとディシプリン』世界 思想社,117-96.

◎東日本大震災の慰霊祭等にみられる集合的記憶の研究

福田雄(社会学研究科博士課程後期課程2年)

 本研究の目的は、2011 年 3 月 11 日に発生した東日本大震災の慰霊・追悼行事への参与観察を通 して、そこにどのような災禍の集合的記憶が創出されうるかを検討するものである。そこで実践さ

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れるであろう、津波を記念し死者を追悼する身体的実践(儀礼や語り)のなかに、「われわれ」の記 憶はどのように表出されるのであろうか。調査実施計画の第1 期では被災地における被調査者との 信頼関係の構築、第2 期では慰霊・追悼行事の準備過程の聞取り調査、第 3 期では 1 周年(1 周忌) を記念して行われる慰霊・追悼行事への参与観察が予定されていた。2012 年 1 月末までに実施され た調査状況は以下の通りである。  第1 期の調査では、2011 年 7 月 29 日から約 3 週間のボランティア活動が行われ、盆過ぎの 21 日22 日にかけて行われた「第七回みやぎ民話の学校」という津波を語る催しへの調査が行われた。 このボランティア活動においては、仙台市に拠点が置かれる「共生地域創造財団」を通して、石巻 市を中心とした被災者支援活動が行われた。そこでは被災した水産加工工場の清掃活動や、寺院の 墓地のがれき撤去活動、養殖事業の支援活動が行われ、支援者/被支援者という関係のなかで多く の方と出会った。とりわけこの活動期間が、亡くなった方々と生き残った人びとの時間的区切りの ひとつである初盆の時期であったため、聞き取りのなかでこれまでの数ヶ月を想起する様々な語り を聞くことができた。またこの期間に行われた慰霊・追悼行事として、日和山で宗教者を中心に行 われた「東日本大震災 石巻祈りの集い」、門脇町の西光寺で行われた法要施餓鬼、仙台市で行われ た「第22 回広瀬川灯籠流し」に参与観察が行われた。  また8 月 21 日から 22 日にかけて行われた「第七回みやぎ民話の学校」(於:南三陸町)という津 波を語る催しにも参加した。「みやぎ民話の会」によって主催されたこの催しは、気仙沼で被災され たリアス・アーク美術館副館長川島秀一氏による基調講演と、6 名の津波体験者の語りによって構 成されていた。採択者はこの集いにおける調査をもとにエッセイ(「災禍を語ること/語られること はいかにして可能か」)を執筆した。このエッセイは3 月刊行予定の『KG 社会学批評』に掲載され、 また「みやぎ民話の会」からの申し出により、3 月 11 日に発行される「記録集」(第 7 回みやぎ民 話の学校実行委員会編『みやぎ民話の会叢書第十三集「第七回みやぎ民話の学校」の記録:2011.3.11 大地震 大津波を語り継ぐために―声なきものの声を聴き 形なきものの形を刻む―』)にも、掲載 される予定である。  さらに2011 年 11 月には追加調査が行われ、8 月に出会ったインフォーマントへの聞き取り調査 が行われた。そこで再会した人々は、8 月初旬に女川町の墓地で聞き取りを行った際に、女川町の 歴史や過去について貴重な語りをお聞かせ頂いた方々である。その3 ヶ月後に行われた調査では、 災禍がどのように受容されたのか、その主観的解釈過程を聞き取ることができた。  以上がこれまでに実施された調査である。今後は以下の2 つの調査が行われる。2011 年 12 月に計画されていた第 2 期の調査は、やや遅れて 2 月初旬に石巻市および気仙沼市で 行われる。そこでは1 ヶ月後の慰霊・追悼行事の準備に向け、これまでのどのような式典や集いを 参考にして計画されているのかという点が、自治体職員や宗教者を対象として調査される。  そして第3 期においては、3 月 3 日から 3 月 11 日に向けての約 10 日間、石巻市、女川町、気仙 沼市において、「あの日」をめぐる集合的記憶にかんする調査が実施される。  これらの調査を通して得られたデータをもとに、3 月末には調査報告書が、7 月には『先端社会研 究』に掲載予定の論文が執筆される予定である。

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◎地方建築界の研究―建築家 / 建築士と他者問題について―

松村淳(社会学研究科博士課程後期課程1年)

 地方在住の建築家のリアリティに迫るために、香川県を調査地に選び、そこで建築家/ 建築士に 聞き取り調査を行った。 1.調査の概要 2011 年 6 月 25 日 10 時∼ 12 時: 高松市内にて、建築家/ 建築士へのグループインタビューを実施。 参加者: 一級建築士(構造一級建築士)男性、60 代、構造設計事務所自営 二級建築士、女性、50 代、建築設計事務所自営 二級建築士、女性、40 代、建築設計事務所自営 二級建築士、女性、30 代、住宅メーカー勤務 2011 年 9 月 5 日:1 時∼ 3 時 高松市内にて建築家へのインタビューを実施 建築家(一級建築士)、建築設計事務所自営、男性、50 代 2011 年 10 月 3 日:10 時∼ 12 時 高松市内にて建築士(構造専門)へのインタビューを実施 一級建築士、構造設計事務所自営、男性、30 代 2011 年 10 月 9 日、10 日:15 時∼ 17 時、16 時∼ 18 時 高松市内にて建築家へのインタビューを実施 建築家(一級建築士)、建築設計事務所自営、女性、40 代 2011 年 11 月 5 日:10 時∼ 12 時 高松市内にて建築士へのインタビューの実施 一級建築士、(設備設計一級建築士)、設備設計会社勤務、男性、50 代 2011 年 11 月 12 日:19 時∼ 22 時 高松市内にて建築士へのインタビューの実施 二級建築士、住宅メーカー勤務、女性、30 代 2.報告  建築家/ 建築士という職能はいかなるものなのか。そして「建築家 / 建築士にとって「地方」と

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は何かという問いが今回の聞き取りにおいて照準された。ここでいう「地方」とは「大都市/ 地方 都市」という弁別における「地方」である。  高松市は中核都市であるとはいえ、その人口は四十万人を少し超える程度である。人口の絶対的 な少なさは、潜在的なクライアントの絶対数の少なさを意味する。受注生産である住宅の設計にお いて、人口の少なさは大きなハンディであるはずだ。  その影響の一端は、各人が語ってくれた節々からも垣間見ることができるが、今回の聞き取りに 限って言えば、「地方(都市)」という語彙に基づいた直接的な語りとして聞かれることはあまりな かった。たしかに、長年「地方」で活動をしていると自分がおかれている「地方」という場所を相 対的に俯瞰する機会は少ないだろう。なんとなく仕事が少なかったり、業界に活気がなかったりす ることの理由を漠然と「地方」だからという理由に帰結させている発言があった程度である。  むしろ、「建築家」に対する聞き取りから浮かび上がってきたのは、「文化的な周縁地域としての 地方」である。たとえば、40 代の女性建築家 N 氏は自己啓発のためにわざわざ東京に建築家の話を 聞きに行くという。その理由を「東京の先生と話すとすごい夢があるんですよ。全然違うというか、 こちらはなかなか学ぶ場面が無いというか。」と語っている。  また、50 代の建築家 T 氏は、「建築家」の倫理規定を徹底して内面化することで、生活を犠牲に してでも「建築家である自分」を守ろうとしていた。彼らが「建築家」であることのリアリティと 実践上の困難は、「大都市/ 地方都市」という比較軸よりも、「グローバル / ローカル」という視座 からみることでよりその輪郭が浮かび上がってくる。  T 氏が遵守している「建築家」の倫理規定は国際標準に準拠したものであり、ゆえに彼はグロー バルな職能倫理を体現し、グローバルな志向性を有して仕事をしている。しかしながら、クライア ントたちはT 氏がグローバルな職能倫理を体得した「建築家」であるという事を知らない。それは、 T 氏の「建築家は外国ではレベルが高い、でも日本ではすごく軽々しく扱われている」。といった語 りや「香川県で国際標準の建築家を認定しようとしたら該当者がいなくなる」。という発言があった が、そこからわかるように、グローバル志向の建築家という職能と、自分自身のローカルな実践と しての建築設計活動の実態とが、大きく乖離してしまっている現状がある。  故に、彼が「建築家」足らんとするためには、下請け業務や施工業務などとの兼業をすることで 生計を立てる建築家たち、つまりローカルな実践の世界にのみ生きる者たちや、住宅のブランディ ングを高め、クライアントに対する訴求効果の高いワードとして人口に膾炙し始めた意味での「建 築家」という名称を都合よく使う者たちから自らを卓越化/ 差別化することに「駆られ」てしまわ ざるを得ない。  彼は「建築家に相応しくない」番組に出た建築家に対して「このような番組に出る人は建築家協 会から外すべきだ」と述べていたが、その語りに表れているように、建築家という職能の強い自覚 は、ときに「同業他者」への斥力として作用する。そして、彼が「(建築に対して)意識の高い」建 築家仲間五人でチームを結成し独自に活動を行っている事例からも明らかなように、斥力は、同じ 志向性を持った者を繋留する引力として反転する。  このように「建築家」という職能の中に内在する「グローバル/ ローカル」という大きな乖離は 斥力/ 引力という力が作用した磁場を発生させ、「地方」の建築業界を再編し続けている状況が確認

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できた。  現在までに、聞き取りを済ませることができた建築家は二名であるが、彼らは共に建築家協会に 所属する建築家である。しかし、その意識には大きな違いがあった。T 氏のほうは、建築家である ことを強く意識し、規範的な建築家らしさを体現している。一方のN 氏は、「絵を描いている人は 画家じゃん、建築を作っている人は建築家じゃんってそれでいいような気がします」。と述べている ように、建築家という職能に強いこだわりを持ってはいない。このように建築家の中にもその職能 意識の濃淡に少なからぬ違いがあることが分かった。 3.今後の予定  前節の最後で述べた、建築家の職能意識の濃淡が、世代によるものか、学歴によるものか、それ ともジェンダーのよるものなのか、その違いを明らかにするために、さらに聞き取りの事例を増や していく予定である。  また、建築家協会を脱退した建築家や、若手の建築家、あるいは県外でも活動する建築家などに もインタビューをする予定である。加えて、調査票を用いた量的調査を実施し、対応分析を実施す ることによって、建築家/ 建築士のライフスタイルやサブカルチャーの分析を行う予定である。

参照

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