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歴史と文学におけるヒロシマ(小特集 :メディアとしての歴史と文学)

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歴 と文学におけるヒロシマ

南 谷 覺 正

情報文化研究室

Hisoshima in History and Literature

Akimasa MINAMITANI

Information and Culture

Abstract

This essay introduces the ways Hiroshima is represented in historical and literary writings, focusing on the differences between historical and literary perspectives in these narrative media.

2006年は,北朝鮮の核実験(核保有)をめぐって日本が震撼させられた年であった。潜在的にはずっ と存在していたに違いない,日本の核武装,ないし核武装についての の議論を求める声も,一部声 高に発せられるようになり,戦後かなり長い間存続していた,「原爆」という言葉に纏綿するタブーめ いた空気も薄らぎ,これまでとはかなり違った核意識の時代に入ったことを窺わせた。それから3年 が経ち,北朝鮮の核保有の現実にもいつの間にやら馴れてしまったわれわれは,核による報復をアメ リカに期待して,再び「何とも知れぬ未来」に向って,麻痺したような意識で「平和」の中を進み続 けている。 核大国意識というものがあるに違いない。万一自 たちに危害を加える国があったら,その国全土 を火の海にしてやる,自 たちにはその力があるという優越意識は,その国の大部 の国民には,口 には出さずとも心地よいものであろう。平時でも,核を持たない国民と接するとき,その優越感は潜 在意識下で働くはずだ。日本は戦後,非核を国是とし,ないし国是とするよう強いられてきたが,仮 に日本が,どんな国であれたちどころに全滅させることのできる新兵器を保有しているとしたなら, ないよりはずっと安心でき,外 上の威光も圧力も大いに増すことは疑いを入れない。そしていった ん核を持てば,金を持つと しかった頃の気持ちを忘れてしまうように,核を否定していた昨日まで

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の過去はさらりと忘れて,核意識に自然に染まってしまうことであろう。 多くのアメリカ人は,日本は今でこそ憫笑すべき「核アレルギー」に陥っているが,本心では核兵 器を持ちたがっているに違いないと思っているのではなかろうか。というのも,もし先の大戦で,日 本が核攻撃によってアメリカを叩きのめして勝利していたとすれば,アメリカは,いつの日か必ずや その百倍,否,千倍の核を以て日本を叩き潰してやると復讐を誓うのが自然だからである。日本は, 原子力発電 野ですでに大量のプルトニウムを産出しているから,これが核兵器製造に転用されれば あなどりがたい力となる。そのようなわけで現在も IAEA の常置委員8名もが日本に配備され,厳し い査察がなされている。周知のように,現在の国連安全保障理事会の常任理事国である米・ロ・中・ 英・仏は,いずれも第二次大戦の主要戦勝国であり,主要核大国でもあって,その権威は核兵器とい う最終絶滅兵器によって与えられているというのが れもない現実である。 一方こうした現代の破壊の邪神から何とか解放されたいと希う人々も少なくはない。呪縛を解く最 初の一歩は,それがどのような本性のものであるかをよく見極め,知識として体系化し相互に共有す ることである。広島,そして長崎に投下された原爆,及びその影響については,日本人ですらよく知 らされていないし,まして諸外国における情報の流通量はきわめて限られたものに留まっているであ ろう。もし核廃絶の道を求めるなら,それぞれの文化の中にそうした情報・知識を根づかせない限り, 政治的な maneuverだけでは各核保有国の利害打算の壁 たとえば,現段階で核を廃絶すればアメ リカとそれ以外の国の軍事力の格差は一段と大きくなる に阻まれて 挫せざるを得まい。核兵器は 文化的に,真綿で首を めるようにして殺していくしかない厄介な代物であり,反核は文化上の戦争 に他ならない。その戦いのための有力な武器が言葉,就中言葉を った「歴 」と「文学」というメ ディアであることに異論はないであろう。 本論は,ヒロシマ,ナガサキを伝えるメディアとしての歴 と文学について比較的に 察し,今後 の展望を模索したものである。なお標題は広島だけに留めてあるが,それは被爆地を代表させたもの であって,長崎を含むものであることは言うまでもない。また「ヒロシマ」「ナガサキ」というカタカ ナ表記は,一部の人々に反感を呼び起すことは承知しているが,「広島」「長崎」では意味に れを生 じると懸念される場合には,慣例に従って 用したことをご諒解願いたい。 * * * * * * 小林秀雄は「モオロアの『英国 』について」(昭和15年)において,「拙劣な歴 教育の為に歴 事実に対する根底の感覚を鈍らされた学生の群れが,歴 観とか歴 解釈とかいう言葉の氾濫するな かに出て行くくらい危険な事はない」と,本来1つであるべきはずの歴 感覚と歴 解釈が 離して しまっている知的病状を指摘した後で次のように言う。 過去の事実が,殆ど単に過去の事実だという理由で,現在の人間の虚心の裡に蘇る。歴 というものの持

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つ根柢の力は其処にあるので, 書の原始的な形が素朴な年代記である事が,それを証している。この根柢 の力は歴 がどの様に精緻に複雑に解釈されようと変わりはしない。この測り知れぬ力に関する感受性或は 情操の陶冶というものに,歴 教育の根幹があると僕は思っている。そうして瑣細な事実から豊富な想像を 生み出す鍵とも言うべき歴 感覚が養われるのだ。 歴 の面白さとは,過去が現在に生き返る面白さに極まると言うより寧ろ過去が現在に生き返るのと歴 が面白いのとは同じ事柄だと言いたい。それは過去でなくなる奇妙な事実の生活感情を通じての容認に他な らない。「過去は過去を惜しむ者にしか語りかけぬ」と或る大歴 家は言った。 小林がここで想定している論敵は,主として左翼系知識人であって,別の「歴 と文学」(昭和16年) では, 観を隈無く整備してどんな歴 的事実も逃さないぞということにしてしまえば,本物の歴 の方はもう要らないということになってしまう,唯物 観信奉者たちは,暖かい目を歴 に向ければ, 客観性や必然性が台無しになってしまうとでも思っているのだろうか,冷たい目で歴 を解剖して単 なる皮肉屋に堕してしまっているのに気づいていないだけである,と辛辣な批判を浴びせている。唯 物 観の骨格をなす科学主義,客観主義,進歩主義,因果論,決定論への安直な寄り付きに対するこ うした小林の批判には,現実の歴 展開に照らしても妥当なところがあろう。 小林は「無常という事」(昭和17年)を,彼自身が,比叡の山王権現あたりをぶらつき,「青葉やら 石垣やらを眺めて,ぼんやりとうろついていると,突然,この短文[「一言芳談抄」の中の一節]が, 当時の絵巻物の残欠でも見る様な風に心に浮び,文の節々が,まるで古びた絵の細勁な描線を る様 に心に滲みわたった」という「あやしい」個人的経験で始めている。それは,こちらの心の状態が整っ たとき,ふと過去は「(歴 )解釈などではびくともしない」その「美しい動じない形」を見せるとい う,小林の「過去が現在に生き返る」ことこそ歴 に他ならないという えの例証として意図されて いるようだ。 小林の歴 観は,このようにしばしば審美的で mysticとも言える色彩を帯びている。死んだ子供が 母親の目に甦るように,現在の生活感情と繫がった過去の姿がまざまざと甦るというその歴 観は, どこかわれわれがうっかり忘れてしまっている真実を含んでいるところがある。しかしこうした,ほ とんど霊媒的な歴 へのアプローチは,独断に陥る危惧をも強く感じさせるし,それにこの立場を強 調していけば,歴 は年代記だけで事足りるということにもなり,現在の歴 家が丹精込めて行って いる発掘調査や歴 資料の精査という作業は余計なご苦労になってしまいかねない。歴 的人物が, 文章や芸術作品を遺している場合は別として,言い伝えの類いしか残っていないような場合に,それ を鵜呑みにするだけで過去が甦るというのは,マルク・ブロック等を始祖とする西洋の近代歴 家た ちに言わせれば,幼児的な歴 観であろう。歴 家たる者は須く,歴 的資料のきわめて慎重な批判 的 証に終始すべきであり,想像力を働かせるにしても決して放恣になることがないようにというの が近代歴 学の大前提だからである。 小林の方法は,土地の売却譲渡を求められた際の Chief Seat-tleの,詩的・宇宙的なビジョンに充ちた discourseにも似た,近代科学に対する直覚的反撥として, つまり,合理性に対する神話の報復という構図の中で捉えることができるかもしれない。

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歴 というもの,つまり死者たちの方に,主体的,人間的な生命を認め,歴 の受容者であるべき われわれ現在の人間は,歴 に学ぶべき,未だ形の定まらないやくざな動物的存在であるということ になれば,現在に生きる人間がよりよい未来を作り出そうなどというのは,とんでもなく傲慢なさか しら事ということになってしまう。なるほど,国債を大量発行し続けて子孫たちの未来を毒したり, 先物買いの野放図な横行で経済を混乱させたりと,現代人の「未来」の食い荒らしぶりは目に余るも のがあり,自然に対する人間の態度同様,今後改めていかなければならない面が大いにあるだろう。 しかし拱手傍観,未来について何も行動を起さない, えることもしないというのも不自然と言うべ きで,森林に火事が起こりそうならそれを未然に防ぐのが当然であると同様,核兵器を未来において 廃絶していこうと えることは決して傲慢なさかしら事ではない。 さらに小林流の歴 観では,個々ばらばらの過去のビジョンが並び立つばかりで,歴 事象相互の 有機的なつながり,連動性が希薄化する憾みがある。せいぜいが無常という1つの真実の中での個人 の見事な身の処し方について事を明かしてくれるというだけのものになってしまうのではなかろう か。個人を超えた社会というもの,個人を超えた歴 の流れというものが確と存在し,それが個々人 の えや行動に深く影響を及ぼしているというのが近代の発見の1つであり,その限りにおいて,近・ 現代人は,古代ギリシャ人よりも,「運命」についての,部 的にではあるにせよ,優れた視座を手に したのであるから,歴 家が,社会の趨勢や,歴 の流れというものを捉えてそれを描き出そうとす る試みは うべきものではない。偉人たち,天才たちについての歴 は,面白くはあっても,読んで いるわれわれ庶民の生活感情と直には結びつきにくい。どの時代にあっても大多数は庶民であるのだ から,彼らがどのような時代環境と生活条件の下で,何を感じ何を えながら生活していたのかとい うことが盛り込まれた物語(歴 )こそわれわれの参 になる歴 であろう。原爆の惨禍の中でさえ 御真影を大切に運び出した人がいたという実話1つで,戦前・戦中の日本がどれだけ深く皇国 観に 染まっていたかという時代の「空気」が生き生きと甦ってくる。われわれはそれを聞いて,われわれ 自身もその時代に生きていれば,時代の影響下で似たようなことを えたり行ったりしていたのかも しれないと想像できるのである。 しかし歴 の流れを強調するあまり,個人を歴 から抹殺してしまうのも浅薄な歴 主義というも のであろう。たとえばヘンリー・スティムソンは,結局は二級の人物としての馬脚を現してしまうの だが,彼がいなければ,トルーマンは,グローヴズらアメリカ軍部の,京都を原爆投下予定地の筆頭 に置くという圧力に屈した可能性が高い。グラフ用紙のような町並みに木造住宅がびっしりと並び, 100万もの人口が密集して住んでいた京都は,原爆の効果測定には最適であるとグローヴズらは狙いを つけており,通常の爆撃も,広島,長崎同様,原爆投下のために最小限に留められ,原爆のために取っ ておかれていた。スティムソンという個人の強 な反対がなければ,日本の歴 は大きく変わってい たであろう。 以上,小林秀雄の歴 観を批判的に 察しながら,その長所,短所を抽出してみたが,次に,歴

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哲学の現代の古典として今なお読み続けられている,E.H.カーの『歴 とは何か』(1961年)を,小林 の えと対比しながら見てみたい。カーのこの名高い講演は,科学,因果関係,進歩といった論点で, 現代の目で読むとさすがに古めかしさを感じさせるが,イギリスの知識人らしい,バランスの取れた 良識が働いていて,今なお歴 についての傾聴に価する えが示されているように思われる。 第一に,カーは,歴 的事実と歴 解釈が 離しがたいものであること,歴 は,歴 家の心の裡 に再現されたものであるということを認めている。それは,事実や理論や法則を偶像視する歴 家た ちとは一線を画するものとなっており,どことなく小林の えにも通うものがある。しかし一方でカー は,「歴 家の機能は,過去を愛することでもなく,自 を過去から解放することでもなく,現在を理 解する鍵として過去を征服し理解すること」 であると主張していて,それは,過去が神秘的に現在に 顕現し,その不動の美しい形に心動かされることを尊ぶ小林の歴 観とは趣を大きく異にしている。 われわれの庶民感覚から言わせてもらえば,今自 が生きている時代が,どのような過去からもたら されたものであるのかという歴 的「透視図」を得ることが,歴 を学ぶ大きな価値になっていて, その意味では,カーの えに賛同する人が多いのではなかろうか。小林,ないし別の例で言えば,鷗 外の 伝のような歴 は,詩的な醍醐味があってそれはそれで魅力を持つのであるが, に開かれた 歴 認識とはなりにくいであろう。 「過去を征服」するための歴 というカーの言葉は大胆なものであるが,それは逆に,現在の優位 (進歩)にどうしても屈してしまう歴 観の弱点を曝してもいる。というのは,過去と現在は別に敵 対する筋合いのものではなく,また優劣ということでは,過去の方が優れている場合が多々存在し, 過去から現代人が学ぶということはわれわれの日常の経験に織り込みずみの真実だからである。古典 が今なお読まれるのは古典が優れていればこそであり,またたとえば宋磁の古格や天平彫刻の気韻な ど,現代人による征服など夢物語であろう。ランケは『近世 の諸時代について』(1854)の中で,歴 の「進歩」の概念について,夙に次のような庶民的常識を示している。 われわれが歴 を追ってゆきうるかぎり,無条件の進歩は物質的なものに関係のある領域では認められる。 この方面では,非常な異変でもないかぎり退歩ということはまず起こりえないだろう。ところが,精神的な 方面では進歩は認められない。もちろん,精神的な理念も外 的には進歩することがある。たとえば,美術 や文学の生んだ偉大な作品が,今日では以前よりもはるかに多数の大衆によって楽しまれている,と主張す ることはできる。しかしホメロスよりも偉大な叙事詩人たろうとしたり,あるいはソフォクレスよりも偉大 な悲劇作家たろうと欲するのは,まさに滑稽千万というべきであろう。 そうした「進歩派」の歴 家の通弊とも言うべきところは措くとしても,「歴 とは歴 家と事実と の間の相互作用の不断の過程であり,現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話」であるというカー の有名なテーゼは,歴 家と歴 事実,過去と現在の弁証法的な力学,歴 資料に触れながらの歴 執筆というカー自身の経験に裏打ちされて,力強い説得力を持っている。原爆投下は間違いであった とアメリカで発言すれば,たちどころに revisionist(歴 修正主義者)のレッテルを貼られ,歴 は

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当時のコンテクストの中で見なければならないと攻撃されるのであるが,それは「過去原理主義」と でも呼ぶべき主張であって,過去が現在から遠ざかるにつれてその姿を変えていくのは自然のことで あり,そうであれば,歴 は常に reviseされて然るべきものである。芸術作品の真の価値は,制作当 時の世評に存し,それを後世の人間が変 することはままならぬと言えば,その愚は明らかであろう。 ヒロシマ,ナガサキは時代ごとの新しい歴 を待っていると言ってもよい。 そうなると,小林のように過去に主体を持たせすぎても,進歩 観信奉者のように現在に重心を置 きすぎても,その歴 は大きな偏りを見せてしまう危険があるということになる。過去を虚心に心の 鏡に映すという静的態度と,不断に過去と対話を繰り返すという動的態度は,優れた歴 家の中で併 存していなければならないもののようである。 カーは,未来というものも彼の歴 観の中に取り入れており,歴 とはむしろ,「過去の諸事件と次 第に現れて来る未来の諸目的との間の対話と呼ぶべき」 であるとしている。安易に予言などするも のではないというのは歴 家の基本的なたしなみとなっているが,歴 家が過去の無数の事実の中か ら選択をしなければ歴 は編めないとしたら,それは当然現在の視点から見ての選択にならざるを得 ない。しかし現在に生きているわれわれは,可塑的な未来に投企している存在でもあって,現在の中 には既に未来が胚胎していることにもなるのだから,歴 は,未来と過去の対話と言っても矛盾には ならない。ある種の危険を孕む えではあるが,このように歴 が未来に向って開かれていないと, 現在の位置を確認しにくいのもまた事実である。たとえば,人類社会は現在の核兵器をこれからどう していくべきなのかは問わずにおれない問いであるが,それに対する答如何で,過去−現在の透視図 は変わってくるだろう。小林の歴 観では,未来は捨象されているに等しく,ヒロシマ,ナガサキに ついて語ろうとすれば,一体何を語るのであろうか。 『歴 とは何か』では,他国民に対する想像的理解の必要性が強調されているもの今日的意義を持 つ。ブルクハルトの三十年戦争に対する手厳しい批判を,他国民の想像的理解の難しさの例証として 挙げ,カーは次のように言う。 こういう難しさは,現在の私が研究しております領域では特に烈しいのであります。この十年間に英語 用諸国が生んだソヴィエト連邦諸国の文献の大部 ,また,ソヴィエト連邦が生んだ英語 用諸国関係の文 献の大部 が無価値なのは,相手方の心の動きを想像的に理解するということのイロハにも達し得ず,その 結果,相手方の言葉や行動がいつでも悪意に満ちた,非常識な,偽善的なものに見えるようになっているか らです。歴 家が,自 の書いている人々の心と何らかの触れ合いが出来なかったら,歴 は書くことが出 来ないものであります。 これは,おそらくヒロシマを歴 に描く上で,今なお乗り越えにくい大きな障害となっている。ア メリカ人の歴 家のほとんどは日本人の心の襞など歯牙にかけておらず,その結果彼らの書いた歴 がヒロシマに触れると,日本人読者にはそれが「イロハにも達し」ていないような印象を与えるであ ろうし,他方その逆もまた真であって,日本人の歴 家の書く歴 がどれだけアメリカの心を理解し

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ているか甚だ心もとない。事実,スミソニアン論争をめぐっての両国の反応にはこの断層がくっきり と露呈したようである。 現在の日本における歴 哲学は,そのほとんどを西洋に負っていると言っても過言ではなく,その ために,西洋の罹る病をことごとく持ち込むということにもなってしまった。よく言われるように, 元来歴 は,時の権力や特定の宗教を正統化するために書かれる「御用学」的な性質を強く帯びてお り,フランス革命あたりから,疑似神学としての近代ナショナリズムが 生すると,今度はナショナ ル・ヒストリーとして,自民族の栄光に嬉々として仕えるようになっていく。日本の歴 も,西洋由 来のナショナリズムの熱病に感染し,皇国 観のような偏頗な歴 観を生むに至るのである。 西洋近代の驚異的な「発展」の結果ついに「世界」が発見され,それに伴ってナショナル・ヒスト リーと並び立つ形で「世界 」が構想されるに至ったのは慶賀すべきことだが,それは勢い西洋中心 となって,その他の世界は存在しないかの如く,あるいは存在しても西洋の偏狭な概念の枠に合うよ うに歪められたり,稚拙な文明段階のまま停滞した歴 として描かれるようになってしまった。日本 も,ナショナリズムとはうらはらの西洋への憧憬の中で,西洋中心の世界 を受容し,非西洋諸国の 歴 に目も心も閉ざしてしまうという弊を招いてしまった。そのようにして,日本の歴 家の描く第 二次世界大戦も,一方ではナショナリズムに偏したり,他方では西洋をよしとする「自虐 観」に阿 たりと,「神国日本」と「脱亜入欧」の 裂を今なお引きずっているかに見える。 西洋的思 の1つの源流をなす古代ギリシャでは,ヌース(精神)を持つ人間とピュシス(自然) は対立する概念として捉えられてはいたが,人間の歴 は自然と同じような循環性を持たされていた。 キリスト教はそこに神による人間の 造から最後の審判に至る直線的な時間と,神の摂理としての歴 という概念を持ち込むようになった。このように歴 を単線的な時間軸に うものと え,キリス ト教的救済に向けての目的論的な biasをかけてしまったことが西洋歴 学の1つの大きな特徴をな している。ヘーゲルの世界精神の自己実現としての歴 観,マルクスの唯物 観は,いずれもこうし た「進化」と(西洋中心の)「普遍」を基軸概念としている。近年の「歴 の終わり」論争もその1つ の versionと言えよう。無論西洋の歴 学の中にも,シュペングラーやトインビーのような「生態 観」 もあるにはあるが,それらは変種として捉えられ,西洋歴 学の主流にはなっていないし,それらの 背景にはやはりキリスト教的なものが潜んでいる。 この点についてカーは,ポアンカレの「多様性および複雑さへ向って」と「統一性および単純性へ 向って」同時に進む過程を知識の必須条件とする視点を取り入れ,(優れた)歴 は(優れた)歴 家 に応じて多様であるべきだし,同時に,それぞれに共通する統一的要素の模索も進められて然るべき だという中庸の立場を保っており,われわれの日常の生活感覚に馴染むものとなっている。 西洋が,近代科学によって,迷信, 困,非衛生,病苦等,前近代社会の負の側面からのある程度 の解放をもたらしてくれ,人類社会に大きな貢献をなしたことは誰しも認めるところである。また個 人の「自由」を制度的に保証した社会を 出し,前近代社会の圧制や息苦しい身 制度の拘束から, 個人の 意を生かせる可能性のある社会への道程を示してくれたことも確かなことである。しかしこ

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うした「自由のマーチ」的な歴 の陽画には必ずその陰画が伴うのも否めない。 キリスト教によって抑圧された「人間性」は,ルネサンスで息を吹き返し,宗教改革で富の蓄積に 対する禁忌に密かに が穿たれ,その欲望を原動力にした産業革命で運輸力と商品生産の上に革命が 起きると,農業に地盤を持つ旧勢力は市民革命で打破され,「自由」の旗印の下,ブルジョワのための 「豊かな社会」への展望が拓かれる。そして火器の力において非西洋世界に圧倒的格差をつけた西洋 列強は,「有色人種」の土地に競って進出して植民地化し,そこから物資と労働を搾取する帝国主義へ と変貌していく。生物学上の進化論は白人種の人種的優越に援用され,世界を指導することが白人種 の 命であるとのイデオロギーが冷酷な支配を掩 する。そして二十世紀に入ると,覇権を争う帝国 同士の間で二度に及ぶ大戦が勃発し,兵器の破壊力の革命的な進化によって,第一次大戦では1千万, 第二次大戦では5千万を超えるとも言われる人々が犠牲となる 西洋の「神の摂理に う」歴 とい うのは,圧迫を受けてきた非西洋の人間の目にはそのようにも映るであろう。 第二次大戦はアメリカ人がよく言うように「よい戦争」だったのだろうか?「善玉」の民主主義勢 力が「悪玉」のファシズム勢力を打破した戦争であったというのは,「民主主義」国家の多くの歴 家 には誘惑の大きな構図であろうが,われわれ非西洋の庶民は,そうした歴 には一面賛同するにして も,眉に唾するところもある。ヒロシマ,ナガサキは「よい戦争」の一部だったのだろうか?二十世 紀の高名な歴 家の一人ホブズボームも,この構図に嵌まり込んでいるが,「野蛮化の進行」という面 を指摘するのを忘れていない。彼は,戦争が人間の中に潜む残虐さと暴力への性向にはけ口を与えた というよりも,1)全体戦争となったために,非戦闘員とその生活も攻撃目標に加えられたこと,2) 戦争の高度技術化で,攻撃が非人格化され,犠牲者を攻撃者の目に見えないものにしてしまったこと によって,残虐さの増幅に拍車がかかったと えている。 1) に関してホブズボームは,全体戦争においては,「敵を憎々しげな,少なくとも軽蔑できるもの にうまく仕立て上げるために,敵対者を悪魔であるかのように描き出すのがいわば自然のこと」 に なったと巧妙なプロパガンダの台頭を重視している。ヒロシマに即して言えば,戦時中のアメリカで は,国策としてのプロパガンダにより,黄色い猿のようなサブヒューマンとしての日本人のステレオ タイプ・イメージが広められた。出っ歯で目玉の飛び出た残虐なジャップたちが原爆で吹き飛ばされ るイメージは,西洋人には快哉を叫びたくなる 実際に多くの人々が快哉を叫んだ ような痛快な ものであったに違いない。 人種差別はアメリカではデリケートな問題であって,歴 家が 然とそれに言及するのは憚られる であろうが,アメリカ人の歴 家ジョン・ダワーは,第二次大戦は「人種戦争」の性格を色濃く帯び ていたことを率直に認めている。日本軍による外国人に対する残虐行為はよく問題にされるが,連合 軍による,投降日本兵の殺戮,火炎放射器による嬲り殺し,日本兵の死体に対するおぞましい行為等 の戦争犯罪は,連合国側の歴 にはほとんど書かれないものの,決して稀なものではなかった。そこ には,日本軍にあったのと同質の,冷酷さ,嗜虐性,倒錯,狂気さえもが見て取れる。ソ連軍のドイ ツ市民,日本市民に対する身の毛のよだつような蛮行も「正 」に書かれることはついにないだろう。

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ナチスのユダヤ人やロマに対する人種差別はよく知られているが,ポーランド人も“Untermen-schen”として,ヒトラーから次のような命令を受けていたという。 私は命令を下した。 批判めいた言葉を一言でも口にする者は,残らず射撃部隊に処刑させる。 我が国 の戦争目的は国境の拡張ではなく,敵を壊滅させることである。当面は東ヨーロッパのみ。だが,すでに準 備は整えてある。ポーランド人でポーランド語を話す成人,子供を,容赦なく死にいたらしめる命令を下し た。ドイツに必要な生存圏を確保するには,これ以外に道はない。アルメニア人がこの世から消えたところ で,嘆く者がいるだろうか。 ホロコーストの思想は,ナチス・ドイツにだけにあったのではない。日本の「無条件降伏」の後の 戦後処理について,日本人は全員抹殺すべきであると答えるアメリカ人も少なからずいた。冷戦とい うのも euphemism であって,実質上ホロコーストを前提とした戦争に他ならない。 第二次大戦の「野蛮化」のもう1つの主要な理由としてホブズボームが挙げている,戦争の非人格 化については余 な説明を要すまい。アウシュヴィッツもヒロシマも,意思決定においても実行にお いても官僚組織化されていて,特にある個人が責務の全てを負わなくて済むようなからくりになって いる。どちらも最終的な実行はボタンを押すことであり,後は機械仕掛けによって,目に見えないと ころで殺戮が粛々と行われるようになっている。決裁者は遠隔地にいて,きれいな机の上で軍人官僚 たちの作成した書類にサインをすれば,両者とも手を血に染めずとも済む。 これにさらに1つを加えれば,「戦略爆撃」の思想も「野蛮化」を間違いなく加速させた。飛行機が 発明されて空からの爆撃が可能になれば,味方を殺すことになる兵器を敵が次々に製造するのを座視 しているのも間抜けな話であろうから,敵の兵器製造工場を爆破することも fairな戦術として認めら れるようになる。工場を破壊すれば非戦闘員も巻き添えを食うことになるが,兵器を造る工員は準戦 闘員と見なすことができると言えば正当化される。そうなると,そうした工員に食料を供給している 会社や,工員を工場に運んでいる運輸機関も破壊していいということになる。こうして爆撃許容範囲 は次々に拡大していき,必然的に女性,子供,老人までもが多数殺されるようになるわけだが,それ についても“necessary cost”だの,敵の志気を挫くためだのという口実を持ち出せば,同国人はそれ を支持こそすれ,糾弾したりはすまい。ゲルニカ,南京,重慶,ロンドン,コヴェントリー 先に戦 略爆撃の無差別爆撃化を行ったのは枢軸側である。ベルリン,ハンブルグ,ドレスデン,東京,大阪, 神戸 しかし連合国側の「報復」は,前者を児戯と思わせるほどに苛烈を極めた。 アメリカにおける B29長距離爆撃機の開発は戦前からのものであり,空爆の戦術上の有効性は広く 認められていて,たとえ真珠湾が宣戦布告後の“fair”なものであったとしても,早晩無差別爆撃は行 われたに違いない。日本の焼失した都市は96都市に及び,そのうち大半(72都市)は軍事的に重要な 都市ではなく,一般市民の犠牲者は数十万に達した。東京大空襲に限ってみても,油脂弾(ナパーム 弾)で周囲に火の壁を築いておいてから,逃げ場を失った人々に焼夷弾の絨毯爆撃を浴びせ,1晩で 10万人以上とも言われる,空爆 上類のない数の人々を殺した。日本の家屋をアメリカに再現して爆

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撃方法を研究し,風の強い日を狙って実施しており,周到に計画された無差別大量虐殺である。しか も防空能力をすでにほとんど喪失してしまっている都市に対するものであるだけに,一層残虐の感を 免れない。ヒロシマ,ナガサキはその 長線上にあるだけの話だ。 しかし戦争とは言いながら,広島,長崎の,それぞれ数万人を超える人間を一瞬で焼き殺すという のは,平時の庶民感覚からすると正気の沙汰ではない。秘密のヴェールに包まれたマンハッタン計画 に注がれたあの膨大な金と労力,509混成部隊の原爆投下の猛特訓,日本への「パンプキン」投下訓練, ポツダム行きの遷 ,アラモゴードでの原爆の火柱に対する興奮と陶酔,実験の成功を聞いたポツダ ムにおけるトルーマンの態度の変化,日本の降伏意思を知りながら日本が受け入れそうにない無条件 降伏に固執したポツダム宣言,空襲警報が解除された直後にふわりと広島の上空に現れたエノラ・ゲ イ,軍事施設ではなく市街の中心部への,殺戮を極大化するよう計算された投下,ポツダムからの帰 途オーガスタ号上で原爆投下成功の報を聞いたトルーマンのはしゃぎよう,そしてティニアン基地で のお祭り騒ぎ こうした一連の歴 的事実は,破壊・殺戮に対する人間の暗い情念の凄まじさととも に他国民の犠牲者の苦しみに対する無関心をよく伝えてくれる。そしてそれは鏡のように,日本が戦 争において犯した暗い罪と無関心を照らし出してもくれる。 原爆は戦争の終結を早め,多くの「善き」アメリカ兵の命を救ったという所謂「原爆神話」の欺瞞 性については既に多くが語られているが,煩瑣な議論に入らずとも,もし自軍の兵士の命を救い,敵 国の戦意を削ぐという大義名 の下に,一般市民を大量虐殺し,ホロコーストの威嚇(“rain of ruin”) をしてよいというなら,もうすべての戦争モラルはないと宣言しているに等しい。人質を取ることも, 化学兵器や生物兵器を 用することもどこが悪いのだかよく からなくなる。9.11も,アメリカ国民 の志気を阻喪させるためのものと言えば,テロすら正当化しなければならなくなってしまうのではな いか。そのあたりのモラルの倒錯については,R.J.リフトン,G.ミッチェル『アメリカの中のヒロシ マ』大塚隆/訳(岩波書店,1995)に既に詳しいのでそちらに譲るとして,庶民的な良識を捨て去り, 「正義」の理屈をつけて核を肯定してしまったがために,冷戦期には,人類全体が核戦争の危機に怯 えながら暮さなければならなくなってしまった。朝鮮戦争のマッカーサー,ベトナム戦争のラドフォー ド,キューバ危機のカストロは,いずれも何の良心の呵責もなしに原爆の 用を提言している。政治 首脳ですらホロコーストを平然と口にするようにすらなった。 一九五七年から六一年にかけて,フルシチョフは西側にたいして何度も 然と,核による絶滅という血も 凍るような威嚇を行っている。彼はソ連のミサイル戦力はアメリカをはるかに凌駕しており,アメリカとヨー ロッパのどの都市でも消滅させられると主張した。それぞれの目標はいくつのミサイルと弾頭を要するかま で,特定してみせた。 このようなモラルの倒錯は,50年代の「黄金時代」のアメリカの花芯部に cankerとして巣食い,ア イゼンハワーの離任演説で重く懸念されることになる軍産複合体へと結節し,アメリカの政治経済を 次第に重篤状態に陥らせる。ベトナム戦争での空爆では,枯葉剤(ダイオキシン)やクラスター爆弾

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が大量に われ,勝ってしまえば言い繕いは後でどうにでもできるという第二次大戦の「教訓」を胸 に,第二次大戦での爆弾の 投下量をはるかに上回る爆弾がベトナムに投下され,残虐さは日常化し た。ルメイは威嚇としてでもあろうが,「北ベトナムを石器時代に戻してやる(“bomb them back into the Stone Age”)」と豪語したとされる。空爆の犯罪性を知った上で実行するこうした冷酷非道な人間 を重要ポストに起用し続けるところに,アメリカが「勝てば官軍」の陥穽に深く落ち込んでしまって いる様が窺える。そしてそれは,湾岸戦争,アフガン戦争,イラク戦争で,芸もなく繰り返されるの である。 ヒロシマ,ナガサキについて,戦争の早期終結,戦略爆撃の 長,真珠湾の報復,日本軍の残虐行 為に対する罰,といったような観点がこれまで強調されてきたが,われわれ庶民が強く感じるのは, 原爆を正当化するモラルはどこにも見つけられないということである。それは逆に言えば,これまで 外 の 長として片目を瞑って認められてきた戦争行為(=制度化された殺人)の中に既に存在して いた無慈悲,残虐,虚無が,ヒロシマ,ナガサキにおいて巨大な規模で顕現し,とても人間の正視に 堪えるようなものではないことが示されたということである。そこからは,戦争はいかなる理由があっ ても,美化してはならないという結論しか出てこないのであり,キノコ雲の下ではそれがはっきりと 見えたのである。ヒロシマ,ナガサキを特別扱いするなという批判があるが,それは える方向が逆 であって,あらゆる戦争犠牲者が,ヒロシマ,ナガサキの犠牲者と同じ苦しみの中で死んでいったこ とを思うべきである。戦争の害と矛盾が,ヒロシマ,ナガサキほどよく現れている歴 的事実はない。 「戦争放棄」は GHQ憲法草案の目玉であり,日本を「去勢」しようとするあからさまな意図を有して いたが,ヒロシマ,ナガサキの啓示からすれば,「戦争放棄」は自然な,唯一の帰結でしかあるまい。 ヒロシマ,ナガサキで戦争の終結が早まり,多くのアメリカ人,さらには日本人の命が救われたと いう説を,万歩譲って信じるとしても,それなら少なくとも,双方が原爆の犠牲者に対して感謝し, 彼らに対する後ろめたさを感じて然るべきではないか。笹本柾男氏は,その労作『米軍占領下の原爆 調査 原爆加害国になった日本』(新幹社,1995)において,感謝どころか,いかに日米双方が被爆者 を利用したかを追跡調査している。8月10日,日本がポツダム宣言に条件付き受諾の回答をしたその 日に,グローヴズは原爆効果調査団の結成を命じ,8月15日以降は,広島は今後75年間人畜の生存を 許さぬ土地であるから,調査は自殺行為に等しいという海外放送を流して日本側の初動調査を牽制し, 同時にアメリカ国内に向けては,放射能障害は存在しないという隠 報道を行う。(実際には,周知の ように,マンハッタン計画自体の中で,既にアメリカ人に対してプルトニウム注入等の人体実験が行 われ,アラモゴードでは動物実験が行われており,どのような殺戮になるかは先刻承知の上だったは ずである。)9月8日,マンハッタン管区調査団は,日本人科学者・撮影技術者を連れて現地入りし調 査・撮影を開始する。そして長期に亙る人体への被爆の影響の調査が必要ということになり,広島, 長崎,呉 呉は,比較対照都市として,非被爆者の調査地として選定された に ABCC が設置され, 治療はなしの,被爆者の冷徹な研究調査が行われ,データはすべてアメリカに持ち帰られ,アメリカ の今後の「 益」のために われるのである。ヒロシマ,ナガサキの撮影や報道は占領軍によって厳

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しい検閲下に置かれたが,それは他国(特にソ連)に情報が漏れないようにするためと,原爆の残虐 性を日本国民に知られて占領政策が円滑に進まなくなるのを阻止するためであった。これによって, 6年8ヵ月に及ぶ占領期間中,生々しい被爆の実態に覆いが掛けられ,多くの歴 的事実が失われた り埋もれてしまうことになる。 国民を庇護するのが最大の役割である日本政府の被爆者に対する処遇はどのようであったのか。笹 本氏によれば,被爆者は政府によって,最初は敗戦の口実として利用され,次に占領軍の到着前は, その惨状を海外放送で訴えることによって,到着後は,被爆者調査に全面的に協力することによって, いずれも日本の戦争犯罪に対する処罰を軽減する取引材料として われた節があったという。 被爆者はこのようにして日米の権力者たちから骨の髄までしゃぶられただけではない。日本人同胞 の多くからの冷たい差別をも忍ばねばならなかった。顔面の火傷や醜く引き攣れたケロイドは近し かった人たちさえも遠ざけてしまい,生まれてくる子供の二次被爆への懸念から,結婚の相手として は忌避された。被爆のトラウマや生き残った後ろめたさに苛まれ,周囲の理解が得にくい体のだるさ に苦しみ,いつ発症するか からない原爆症への恐怖を抑えながら懸命に生きても,国は被爆者の生 活援助には冷淡であった。日米の権力者たちの目には,被爆者は不快な記憶を呼び起こす目障りな存 在でしかなく,生き残った数十万人とも言われる被爆者たちは,死者たちと同様,あるいはそれ以上 に,戦争の不条理の犠牲となったのである。殊に朝鮮半島や中国の出身者で,日本で重労働に就かさ れていたときに被爆した人々の味わった艱難辛苦は,到底筆舌に尽くせるようなものではなかったに 違いない。 もし以上のようなことがヒロシマ,ナガサキについての歴 的真実であるなら,そのような真実を 中核に据えた歴 が書かれてもいいように思われる。厳密な 証を経た資料と証言からヒロシマ,ナ ガサキをできる限り再現し,このような事態を招いた歴 的脈絡を,人類のあるべき未来の視点から, ヒロシマ,ナガサキの過去と対話しながら明らかにし,現代,及び未来の人々のための透視図として 提供してほしいものである。人種差別の現実,政治的,経済的打算の醜悪,軍組織の非人間性 そう した人間社会の邪悪さと愚かしさを正直に記録しておくことは,特に将来の若い世代にとって千 の 重みを持つ歴 となろう。そうしたことを知らされないがために,いかに多くの青年が,国を守ると いう美名にほだされ,勇気を讃える甘言に籠絡されて,軍隊や戦争の冷酷・醜悪な現実にその青春を 歪められ,奪われてしまったことであろう。臭いものに蓋をしたような歴 は,青年を惑わせる有害 な歴 以外ではない。 進歩 観 それは,Whig 観という言葉がよく示しているように,畢竟産業社会の 観にすぎな い の機械的な枠組みに合うように歴 を切り貼りすることは危険な業である。歴 は歴 家の数だ けあるのが自然であり,ヒロシマ,ナガサキをどのように描くかは,他のどの重要な歴 的事象にも 劣らず,その歴 家の真価が問われるものになるであろう。そしてどの歴 を古典として残すかは, まさに歴 が決めることである。

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* * * * * * 以上見てきたように,歴 メディアは, 証を経た確度の高い資料を歴 的情報として用い,歴 家としての鋭敏な歴 感覚と想像力を働かせながら,ヒロシマを生み出した社会的,時代的脈絡と, そしてヒロシマがわれわれの現在,そして将来にどのような relevanceを有しているのか,その透視図 を描き出すのが役割である。しかしそうした歴 的 narrativeでは,表現できないものや漏れ落ちてし まうものがどうしても出て来る。そうしたことに声を与えるのが文学というメディアの役割である。 それは1つには,個人的な思 ・感情である。原子野の中で胸に溜った思い 怒り,憎悪,怨念, 口惜しさ,苦しみ,悲しみ それらのほとんどは,墓場に埋められるまで沈黙のまま忍ばれ通すので あろうが,あるものは,遠い場所,遠い時代に生きている人間の胸に伝えるための言葉を求め始める。 かわゆい ひとり娘を 学徒動員で それにまた 夫を 亡くした ひとに 手記を 書いてください と 頼みに 行きました 「なにを書いても つまらないよ 大きな流れには ながされて したいだけ させれば いいよ ほんものを ドカンドカン と おとしゃげて 世界中の 人間が みんな まっ黒こげになって死ね ば いいよ」と いい放って うつろな まなこで 一点を みつめた まなうらからは 止処なく 涙が 流れて いました わたしは なんにも 言えず 黙って 泣きました 正田篠枝「みんな死ねばいいんだ」(1962)より 原爆に焼き殺され吹き飛ばされることがどんなことであるかを最もよく知っている人たちは,即死 したか,それについて何も語らぬまま息絶えた人たちなのであるから,歴 の資料として残っている 証言は,言うまでもなく,短時間でも原爆を生き びた人たちのそれである。しかしそういう人たち の直接,間接の言葉は,歴 の narrativeからは浮かんでこないような種類の真実を伝えてくれる。 閃光に火ダルマとなりて死にし子のこと告げしまま息絶えし母 古賀光子(1962) あかあかと街の燃えゐる夜十二時焼けふくれし顔が「さよなら」といふ 深崎道子(1954)

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原爆を扱った文学についての研究のパイオニア的存在である,長岡弘芳氏は,『原爆文学 』(1973) で提起した4期を,『原爆文献を読む』(1982)で,次のように5期に拡充して整理している。(各時期 についての説明は『原爆文学 』と『原爆文献を読む』の両方の記述を参 にして適宜編集した。主 要作品については,散文の文学に限定して選択した。) 第1期:1945年∼1950/51年頃 占領軍による報道管制の時期。それでも雑誌『中国文化』が 刊(1946)され,初期体験記,作品類が執 拗に書き続けられた時期。 主要作品:大田洋子『屍の街』(1948),原民喜「夏の花」(1949),永井隆『長崎の鐘』(1949) 第2期:∼1955/56年頃 朝鮮戦争,対日講和条約の発効による報道管制の解禁,メーデー事件,ビキニ事件と続く,反戦平和の叫 びがナショナリズムの昂揚と結びついていた時期。文学的には,原爆被害(ケロイド,白血病等)の問題が 文学の中に色濃く反映された。 主要作品:阿川弘之『魔の遺産』(1954),蜂谷道彦『ヒロシマ日記』(1955) 第3期:∼1961/62年頃 原水禁運動の昂揚がやがて安保論議をめぐって揺れ動くが,文学的には,量的にも退潮し,質的にも曲が り角に来た時期。 第4期:∼1968/69年頃 原水禁運動の 裂,戦後20年,日韓条約,ベトナム反戦運動,学園 争,沖縄返還と,高度成長下での戦 後の軌跡が改めて省みられると同時に,多様化・拡散・変質論がしきりとなった時期。文学的には,いわゆ る「戦後文学」の系譜をひく新たな試みがくり返され,『黒い雨』がクローズアップされた。 主要作品:井上光晴『地の群れ』(1963),井伏 二『黒い雨』(1966),福田須磨子『われなお生きてあり』 (1968) 第5期:∼1977(『原爆文献を読む』執筆現在) 高度成長の破綻, 害・エネルギー論争がしきりとなる。原爆資料・文献関係の整理がすすみ,児童文学・ 平和教育のひろがりも目立った半面,文学的には,いわゆる「内向の世代」に対応する新人たちが現れてき た時期。 主要作品:福永武彦『死の島』(1971),後藤みな子『刻を曳く』(1972),佐多稲子『樹影』(1972) こうして「原爆文学」の歴 を通観してみると,広島,長崎の復興による原爆体験の「風化」につ れ,文学も不可避的に転換期を迎えているが,それでもそれぞれの時代ごとに,少しずつではあって も,執拗に書き継がれていっていることが かる。特筆すべきは,このテーマに執着的に取り組んで いる作家がかなり存在することで,それは他に類を見ない現象と言っていいのではなかろうか。黒古 一夫氏は,彼ら(大田洋子,原民喜にはじまって後藤みな子,小久保 ,林京子につながる作家たち) を「現代の語り部」と呼び,「彼らは,日常性あるいは生活といったものの只中に存在しつつ,多くの

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人たちが本来は忘れ得ぬはずなのに忘れたとすることでその場をしのいだことにしてしまっている 戦争(原爆)>の引き起こした諸罪悪を,決して忘れることは出来ないのだという当り前の事実を拠 所として,自 たちが許してしまった過誤や忌わしい悲惨の意味を未来の世界に問いかけるべく,「作 品」化に自らの限りある生を燃焼させている」 と述べている。 特に上記の表の第1期における原民喜と大田洋子という既成作家の著作は,原爆関係の出版には厳 しい検閲の目が光っていた占領期にあっての,身の危険を冒しての執筆,出版であった。原の「夏の 花」における「このことを書きのこさねばならない」という呟き,大田洋子の『屍の街』における, こんなことが書けるのかという妹の問いに対する,作家である以上いつかは書かなくてはならないと いう答えは,8月6日当日の被爆者を写真に撮った 重美人同様,この歴 的な出来事を記録してお かなければならないという「語り部」意識を表明したものである。当時1枚の紙も1本の 筆も持っ ていなかった大田洋子が,村人から 筆2,3本をもらい,はがした古障子紙やちり紙に『屍の街』 の草稿を書き付けていったというのは有名な逸話である。しかしそうした執念を燃やしても,「なんと 広島の,原子爆弾投下に依る死の街こそは,小説に書きにくい素材であろう」(「『屍の街』序」)とい う嘆きが出て来るのは容易に想像できる。「文学」に必要な距離感が保てないのだ。最初期の「原爆文 学」が私小説的なルポルタージュになっているのもやむを得ないことであろう。 原爆は描きにくいばかりではない。原爆を文学にすれば,「原爆を売り物にしている」のではないか という猜疑の目がついて回ることになる。爆発の凄まじさ,犠牲者の惨たらしい死に様は,1つのセ ンセーションとして読者の好奇心を らずにはおかないところがある。しかしそうしたセンセーショ ンは,繰り返されると,「またか」という反応を生むようになるのが宿命で,大田洋子もそうした周囲 の反応に悩まされることになる。 実際,被爆者の肉体的な惨状 ちぎれた肉塊,眼窩から飛び出た目玉,身体から垂れ下がった皮膚, 赤剥けの肌,飛び出た内臓,男女の違いも からない黒焦げの死体,傷口に湧く蛆虫,腐敗して膨れ 上がる死体,破れた死体から れ出る膿汁 は,第二次大戦の戦場ではそれほど珍しくない光景で あったという。ポール・ファッセルの『誰にも書けなかった戦争の現実』宮崎尊/訳(草思社,1997) には,連合軍側の,なかなか言いにくいような本音や実体が描かれており,その中には,死体の凄ま じい損壊が一般的であったことも含まれている。われわれ一般社会の目には触れないように注意深く 避けられてきたのであろうが,十 想像し得るように,戦場では露出した内臓は日常的な光景であっ た。また,硫黄島の洞窟に立て篭る日本兵を掃討するために,米軍がガソリンを混ぜた海水を洞窟内 に流し込んでそれに火をつけると,日本兵は生きたまま焼かれ,皮膚はめくれて垂れ下がり原爆被害 者と似た惨状を呈した。とすれば,そうしたことが恰も原爆に特有のものであるかのような書き方を すれば,戦場の地獄を知っている人間は鼻白むに違いない。 しかしそのことは認めるにしても,8月6日の広島,8月9日の長崎がどのようであったかについ ては,実は日本人ですら観念のレベルに留まり,実感としては把握されていない。まして日本人以外 の人々にとっては,所 は対岸の火事,被爆地の酸鼻を極めた状況についての切実な感覚は抱きにく

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く,むしろ原爆の破壊の凄まじさに対する関心の方が強くなるのではないかとすら懸念される。文学 に求められている第二の機能は,こうしたリアリスティックな再現,記録性ということであり,誇張 や歪曲のない,原爆被害の惨状の的確な描写によって,読者に,こんなことがあってはならないとい う臨場感と疑似体験を与えることである。(映像メディアはその性格上,目を背けたくなる事象のリア リスティックな再現は困難である。) 文学に課せられた第三の重要な 命は,生き びた被爆者の人生をたどることである。無論通常の 戦争であっても,たとえば『チャタレイ夫人の恋人』のクリフォード,『山の音』の修一のように,少 なからぬ帰還兵が,家 生活を台無しにするような肉体的な傷や,周囲には理解してもらえない精神 障害を負って戻って来た。また戦場の悪夢の記憶,自 が生き びた後ろめたさの心理も終生引きず らなければならない。原爆被災の場合にもそれが顕著に見られるが,被爆者にはそれに加えて,いつ 原爆症が発症するかもしれないという絶えざる不安と,一般社会からの激しい差別という苦しみが付 き纏うことになる。こうしたことについては,井伏 二『黒い雨』,福田須磨子『われなお生きてあり』 などに既に克明に描かれているが,数十万人とも言われる被爆者のそれぞれが苦しみを背負ってきた ことを思えば,もっと多くの文学が書かれてもいいように思われる。 第四に文学は,特に批評,評論のジャンルにおいて,ヒロシマ,ナガサキを生み出した状況,そし てそれに対する権力者や社会の不正な態度に対する批判を行うことができるし,またそれをしなけれ ばならない。前に挙げた,R.J.リフトン,G.ミッチェル『アメリカの中のヒロシマ』は大きな業績で あるし,日本においても,たとえば金井利博『核権力』(三省堂,1970)は,様々な問題について率直 な問いかけを行い,批判すべきを的確に批判している。一例を挙げると,兵器を 用するに際しては, その兵器がどのような殺傷力を持つのかを確認した上で 用するのが戦争におけるモラルであるの に,アメリカは「未知兵器」としての原爆を投下し,事後に,原爆が人間を緩慢に殺していく効果が 予想以上に残酷であることを知って ABCC を設立し,そこで行っていることを隠 しながら たと えば,原爆症の患者が死ねば,その遺体をこっそり ABCC に運び込ませて病理解剖を行うなどして データ収集を行っている。一方日本政府も日米親善ムードを損ねないよう,原爆の問題は恰も存在 しないかのように振舞い,為に被爆者は棄民として見殺しにされてしまったのである。 日本は講和条約によって一切の戦災賠償請求権を放棄した。米軍の軍医部はこの「貴重」な数十万例の人 体実験によって,「未知兵器」の効果をはじめて「既知兵器」にまで成長させる手段を獲得した。被爆者の生 命は骨までしゃぶられ,さらにその「死」までしゃぶりつくされた。しかもこの現実に背中を向けて,日米 友好の微笑を絶やさないことも,犠牲国民から遊離した政治家にとっては容易であった。 現地住民への生命蔑視の悪習が,やがてベトナム戦争の失敗と残虐さのエスカレーションへの鈍感さを導 いたとしてもふしぎではない。 (このように厳しい批判はなされて然るべきだが,アメリカ,ないしアメリカ人全体を犯罪者のよ うに糾弾することは避けるべきで,戦争に参加した兵士たちにしても,厳重な秘密裏に進められたマ

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ンハッタン計画など知る由もなく,日本本土上陸の恐怖に密かに耐えているときに不意に原爆が投下 され魔法のように戦争が終わったのであれば,原爆が自 の命を救ってくれたと思うのは戦場心理と して当然であり,そのことまで咎めるのは酷であろう。原爆投下の決定を行ったのは,アメリカの上 層部のほんの一握りの人間たちであったということは重々認識すべき前提となる。その一握りの人た ちについて言及する際も,日本が原爆を保有していたら間違いなく っていたであろうこと,アメリ カ人側に,(日本人が軽視しがちな)日本軍の真珠湾攻撃,捕虜虐待に対する烈しい怒りと復讐心が滾っ ていたこと,有色人種に対する本能的な恐怖心があったことは斟酌しなくてはならない。また日本人 だけが被害を受けたわけではなく,朝鮮人,中国人,東南アジア人,アメリカ人,日系アメリカ人, イギリス人,オランダ人,オーストラリア人等々 これらの人々も被爆者となったことを忘れてなら ないのは言うまでもないことである。) 最後に文学は,人間,および人間社会というものに対する深い洞察を示すという文学の持ち得る最 高の機能を,いつかヒロシマについても発揮すべきである。歴 の narrativeは意味が平明に伝わるよ うな合理的なものでなければならない。しかし人間や人間社会は,多重性や複雑微妙な機微,陰翳を 帯びており,不合理であることがほとんどであって,文学の narrativeであればそれが巧みに表現でき るからである。 たとえば次は『テンペスト』の,行方不明になったファーディナンドとミランダが発見される場面 であるが,ある劇団による演出では,二人と観客の間に白いスクリーンが垂らされ,後ろからの光で そのスクリーンに二人の若者の上半身のシルエットが映し出されていた。二人はチェスに興じている らしく,盤面を見つめてじっと え込んでいる。観客は,この怪物たちの棲む島で見るその人間のシ ルエットに,「理性」というものの美しい姿形(英語の“reason”という言葉に感じられる崇高さ)を 見て深く心を動かされる。しかし,彼らが え込んでいたのは,いかにして相手の King を詰ますか(= 殺すか)ということであり,そこには理性の恐るべき性質も匂わされているのである。 MIRANDA

Sweet lord, you play me false. ファーディナンド様,汚くてよ FERDINAND

No, my dearst love, 愛しいミランダ,何を言う

I would not for the world. たとえ世界と 換にと言われても, 私はそのようなまねはせぬ。 MIRANDA

Yes,for a score of kingdoms you should wrangle, And I would call it, fair play.

(The Tempest, Act V, scene i)

いいえ,しておいでよ。あなたは20の王国を相手に 戦うべきなのだわ。それでこそ, 正な戦いよ。

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あせらずじっくり料理しようとしている局面らしい。ここには sexual overtonesが重ねられている が,ミランダはそうした男の「汚い」やり口に抵抗の声を挙げる。勝負にきれいも汚いもないことを 知っている男のファーディナンドは,(シェークスピアの女性観の一部であったと思われるが)敗けそ うになると法外な言いがかりをつけてくる女性の泣き言として取り合わない 文学的 narrativeには,こうした複雑なニュアンスや ironyやユーモアを一挙に表現できる特質が ある。ヒロシマ,ナガサキのような様々な要素が絡み合っている場合には,こうした文学的テクスト でないと 合的に表現できないことが多々あるのではなかろうか。 ヒロシマ,ナガサキが次第に遠い過去になっていくにつれ,原爆を直接に知っている人たちは次々 に他界していく。しかし原爆を直接に知っていなくても,このテーマについての文学を書くことは可 能だし,また離れているからこそ書けるところもある。小久保 氏の言う「原爆を意識的契機として 生まれ原爆にかかわる過去,現在,未来の一切の問題を人間との関連において深く えようとする文 学」 というのが「原爆文学」の最良の定義であろう。そしてこれからの「原爆文学」で大切なこと は,原爆の問題を,孤立させたり日本に跼蹐させたりしないで,他の様々な人間の抱える諸問題と連 関させていくことであろう。原爆は,日常を一瞬にして引き裂き,老若男女国籍を問わず惨殺し,愛 する人たちを自 の目の前で焼き殺し,放射線を脳髄に突き刺して痴呆化させ,発狂させ,生ける者 を襤褸切れのような姿に変え,差別に曝し,窮乏させ,孤独とトラウマに突き落し,緩慢に人体を焼 いて堪え難い苦しみの果てに殺し,動物を殺し,植生を根絶やしにし,文化遺産を灰にし,ありとあ らゆるものを焼き尽し,暮らしの文脈を抹殺してしまう兵器であり,それによって犠牲者に加えられ る苦しみは,この世のどんな苦しみにも,そしてどんな国民の苦しみにも通じ合うからである。 その意味で,別稿でやや詳しく論じてある福永武彦の『死の島』(1971)は,1つの可能性を示した 文学になっている。この小説は,虚無と狂気がメインテーマとなっているが,サブテーマとして,原 爆を知らない人間が,どこまで被爆者の心に近づけるかということも探られている。奇妙な結末の後 で,小説家志望の相馬鼎は,文学の可能性について次のような認識 被爆者の生と死は,われわれの 生と死に繫がっているという認識 に導かれる。 人生は常に恐るべき体験に充ちているだろう。その中には,他人の死が自 の死であるような,他人の虚 無が自 の虚無であるような,他人の失敗が自 の失敗であるような,そういう場合もあるだろう。己は決 して自 の体験だけが恐ろしいと言いたいわけじゃない。己はもっと謙虚に,人生はこのような体験から, このような失敗から始まると思いたいのだ。こうした体験によって,人は生の内部にはいって行くことが出 来る。生の内部,それはひょっとすると死と等質のものかもしれない。この窓の手前が生であり,窓の向う が死であるとして,その死から射すこの陰鬱な明るみが窓の内部にあるものを仄白く照し出すように。死が 照し出してこそ,己たちは生の実体を知ることが出来るのだろう。窓の外にある空が虚無にすぎなくても, その虚無に照された自 の心が他人の虚無を思い出し映し出すことのできる鏡であるならば,初めて己たち は虚無と虚無とをつなぐ関係を,結びつきを,連帯を,そして愛を,持つことが出来るだろう。

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それが小説を書くという行為ではないだろうか。小説もまた,現実のさまざまの破片を思い出すことによっ て成立するのだ。思い出すということの中には,無意識の記憶も含まれるだろう,無意識の願望も含まれる だろう,もっと暗く混沌とした暗黒の意識も含まれるだろう。思い出すということは殆ど想像するというこ とと同じだ。しかし小説によって,己の「小説」によって,死者は再び甦り,その現在を,その日常を,刻々 に生きることが出来るだろう。己の書くものは死者を探し求める行為としての文学なのだ,いなそれは死そ のものを行為化することなのだ…… 引用部後段に言及されている「暗黒意識」の中に,われわれ人間相互を結びつける懸け橋の契機が 予感されており,文学はその架橋の試みとして捉えられている。 福永は別の作品「夜の時間」の中で,時間は,物理学や近代歴 学が 宜上措定したように直線的 に未来に向うだけではなく,過去へ向って 行する場合もあると言う。それはわれわれが日常馴染ん でいる時間経験とよく符合している。 人は誰でも過去を忘れて生きている。時間の潮流が日常のざわめきを孕んで,或る時は早く或る時は遅く, きららかな印象も,新鮮な感動も,誠実な思 も,すべて一様に押し流して行く間に,外部から与えられた もののうちに多くの軽い部 は,内部に傷をつけることもなく,水の表面を滑っていつしか見えなくなる。 ただずっしりと手応えのある,重たい,本質的な部 だけが,意識の底に沈澱してやがて記憶として定着さ れるが,それさえも日が日を重ね,月が月を重ね,年が年を重ねて行くにつれて,瑣末な日常の繰返しに, 恰も繰返される磯辺の波涛に岩石が削り取られて砂粒となるように,少しずつ大海の忘却の中に運び去られ て行く。…(中略)…しかし或る人々にとってはそうではない。いつか或る瞬間に,失われたと思った過去 の経験が,その時のとはまた違った方向から,違った色彩を帯びて,ふと思い返される時がある。それが異 常な重みをもって,現に生きていることの意識に干渉し,時間は今までのように未来に向ってのろのろと進 行することを止めると,同時に過去にも溯って行き始める,もう終っていた筈のことが,実際は少しも終っ ていないことが る,人々は時間の夜の闇の中で方向を見うしない,過去の事件の持っていた本当の意味を あらためて え込む, とそういう時があるものだ。 1983年,米国カトリック司教たちは,その司教教書に,「われわれはこの国が1945年の原爆攻撃に深 い哀悼の意を表明することを可能にする 囲気を作らなければならない。この哀悼の意なしには,核 兵器の将来の 用を否定する方法を見出す可能性はない」と宣言したという。 その通りであろう。 しかし現代のアメリカ人の多くが,広島,長崎の犠牲者に対する純粋な哀悼の心を持つというのは, 戦後生れの日本人が,遠く隔てられた過去の,朝鮮半島,中国,アジア,太平洋で,日本人の手にか かって命を絶たれた朝鮮,中国,アジア,太平洋諸島,イギリス,オーストラリア,オランダ,カナ ダ,アメリカの人々,そして彼らを愛していた人々の苦痛と悲しみと無念とに対し,心からの哀悼の 気持ちを見出すというのと同じくらい難しいことのようにも思われる。 現代では神話や宗教はすっかり力を失い,われわれの生は,生に意味づけを行ってくれるそうした 脈絡から疎外され,合理性のうす暗い部屋の中にじっと蹲っている。人間が再び,戦後世代が知らな いままで生まれ育ってきた晴れやかな青空の下に戻っていくには,元来は血縁関係にあった「歴 」

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と「文学」が協働して,今は顧みられることの稀になってしまった,厚い埃に埋もれた過去の出来事 に 行し,それぞれに本 を尽くし,よりよい透視図と死者たちとの対話を提供することによって, 犠牲として葬られた命の鬼哭が今も として止まないでいるに違いない過去を甦らせることができ れば,ひょっとしたら,鎮魂という意味でも,またわれわれの魂の蘇生という意味でも,宗教の代替 となるような微かな契機が生まれてくるのかもしれない。 原稿提出日 平成21年9月16日 修正原稿提出日 平成21年11月18日 注 ⑴ 『小林秀雄全作品』第13巻(新潮社,2003)p.65. ⑵ マルク・ブロック『歴 のための弁明 歴 家の仕事 』讃井鉄男/訳(岩波書店,1956) ⑶ E.H.カー『歴 とは何か』清水幾太郎/訳(岩波新書,1962)p.33. ⑷ レーポルト・フォン・ランケ『世界 の流れ』村岡哲/訳(筑摩書房,1998)pp.17-18. ⑸ 上掲『歴 とは何か』,p.184. ⑹ 上掲『歴 とは何か』,p.33. ⑺ エリック・ホブズボーム『20世紀の歴 :極端な時代』上巻,河合秀和/訳(三省堂,1996)p.74. ⑻ マイケル・ベーレンバウム『ホロコースト全 』芝 介/訳( 元社,1996)p.134. ⑼ J.L.ガディス『冷戦 その歴 と問題点』河合秀和・鈴木 人/訳(彩流社,2007)p.87. 黒古一夫『原爆とことば』(三一書房,1983);『日本の原爆記録』第16巻(日本図書センター,1991)p.303より引 用。 金井利博『核権力』(三省堂,1970);『日本の原爆文学』第9巻(日本図書センター,1983)p.263より引用。 小久保 「再び『原爆文学』について」(『中国新聞』1953年2月4日);『日本の原爆文学』第15巻(ほるぷ出版, 1983)p.255より引用。 『福永武彦全集』第11巻(新潮社,1987)p.487. 『福永武彦全集』第3巻(新潮社,1987)pp.271-272. R.J.リフトン,G.ミッチェル『アメリカの中のヒロシマ』大塚隆/訳(岩波書店,1995)下巻,p.208.

参照

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