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『悲しき玩具』歌稿ノートの配列意識(5) : 「第五段階」の歌群(178~194番歌)について

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(1)

『悲しき玩具』歌稿ノートの配列意識(5) : 「第五

段階」の歌群(178∼194番歌)について

著者

大室 精一

雑誌名

佐野短期大学研究紀要

22

ページ

175-190

発行年

2011-03-31

URL

http://doi.org/10.15109/00000019

(2)

TheI7ormationof6`KanashikiGangu,,

SeiiclniOmuro※ AbStract: 9, ご HowevcⅢuptonowoTcscal・cl1ilj(oTakuboku,spoctryhasbccnlargclylimitcdtostudicsoI…Ichiakuno Sul11ao,、Thcreasonハ)rthismaybcllloton1vlhat・TchiakunoSuna,,iSbyimrthemo1℃RinIous,butalso‐ t}lal‘隠Kal1asbiki(〕iangu,,waspLlblisheda(icrTakubokL「sdeall1・Int11ispaper,b)’1()(〕kingatmanuscript l1oteslhatYakubokuwrolcsh(〕rl1vbeli〕rehcdied・lwollldlikelooliErallewp()irft()fviewli・omwhich t()considerthef()rmationof``KanashikiGangu,,. キーワード: 歌集初版直筆ノーI、構成推敲 灘佐野短期大学総合キャリア教育学科(旧社会福祉学科) 190(1)‐

(3)

『悲しき玩具』歌稿ノートの配列意識(5 ところで、『悲しき玩具」歌稿ノートの段階区分は(前稿でも詳述したように)藤沢全『啄木哀果とその時代』〈…〉に従うこ とになる。その藤沢説の詳細な分析によれば、『悲しき玩具』歌稿ノートの記入状況は、次の五段階と想定されている。 前稿までにおいては『一握の砂以後(四十三年十一月末より)」と扉に記されている「悲しき玩具』歌稿ノートに着目して、 従来殆ど考察されることのなかった「悲しき玩具』における啄木の編集意識を「第一段階」の歌群(3~68番歌)、及び『第 二段階」の歌群(69~114番歌)、そして「第三段階」の歌群(115~130番歌)、さらに「第四段階」の歌群に限定 して考察してきた一注’一。そこで本稿では続稿として、「第五段階」の歌群〈178~194番歌)における啄木の編集意識をして考察してきた一注’一。そこで本誌 可能な限り考察してみたいと思う。 第一段階 (3~68番歌)↓手控えの作品を適宜挿入することを基本に、ほぼ作歌順に浄書。 第二段階・前期〈69~98番歌)↓最初歌稿ノートに記入され、次にそのうちの一部が雑誌歌となった際に推敲。 ・後期〈99~114番歌)↓最初の寄稿歌によって浄書され、次の寄稿歌を準備しており、再度推敲。 第三段階 (115~130番歌)↓最初「精神修養」寄稿歌と未発表歌を組み合わせて浄書、「新日本」で再度推敲。 第四段階 〈131~177番歌)↓最初は歌稿ノートに浄書、一部を推敲しながら「新日本」「文章世界」等に寄稿。 第五段階 〈178~194番歌)↓「詩歌」に掲載された前後に浄書。浄書には別人(妻の節子)説もある。 (↓以下の説明は藤沢説の要約を記した。但し、「第二段階・後期」等の数箇所に関しては、稿者は藤沢説と異なる想定である。) はじめに

『悲しき玩具』歌稿ノートの配列意識⑤

!「第五段階」の歌群T7sI194番歌)についてI

大室精一※

189(2)

(4)

佐野短期大学研究紀饗蕊22号2011 なお、「悲しき玩具」歌稿ノートの全歌には一首ずつ○印が記入されているが、「第一段階」~「第三段階」の一部にはさら に色分けされた中点も付されている。中点の色は、「第一段階」が黒色、「第二段階・前期」が朱色、「第二段階・後期」は中

点なし、「第三段階」が青色と黒色になっている。又、「第四段階」には、最初の一首のみに黒色の中点が付されている(注3)。

本稿では、末尾の歌群である「第五段階」を考察することになるが、その歌群は以下に示す「詩歌」に対応する歌群になる。 なお、一部の歌の上部に※印を付してあるが、それは配列構成の意識を厳後に考察するための参照事項としたい。 「悲しき玩具」 178① 179② 180③ 181④ 「悲しき玩具』歌稿ノートと「詩歌」(明治四四年九月号)との比較①推敲の前後 (各歌の傍線部は表記の異同を示し、※印は歌順の改変箇所を示す) 186①やまひ癒えず、/死なず、/■日毎にこ、ろのみ険しくなれる七八月かな。 1 187②買ひおきし/“薬つきたる朝に来し/■友のなきけの為替のかなしさ。 1111 8888 5432 ④③②① 歌稿ノート(178~194番歌) 解けがたき影不和のあひだに身を処して、/■ひとりかなしく今日も怒れり。 猫を飼は讃、/その猫がまた争ひの種となるらむ。/■かなしきわが家。 俺ひとり下宿屋にやりてくれぬかと、/■今日も、あやふく、/■いひ出でしかな・ ある曰ふと、やまひを忘れ、/牛の啼く真似をしてみぬI/■妻子の留守に□ かなしきはわが父I〆綴■今日も新聞を読みあきて、/■庭に小蟻とあそくり。 たぎ一人の/をとこの子なる我はかく青てり。/■父母もかなしかるらむ。 茶まで断ちて、/わが平復を祈りたまふ/■母の今日また何か怒れる。 今日ひょっと近所の子等と遊びたくなり、/呼べど来たらず。/”■こ、ろむづかし。 二行目に読点なし) 二行目に読点あり) 二行目に読点なし) 188(3)

(5)

『悲しき玩具』歌稿ノートの配列意識(5 「詩歌」(明治四四年九月号)「猫を飼はぱ」 (178に対応)解けがたき、/不和のあひだに身を処して、/■ひとりかなしく今日も怒れり。(一行目に読点あり) T79に対応)猫を鋼はば、/その猫がまた争ひの種となるらむ。/■かなしきわが家。 〈180に対応)俺ひとり下宿屋にやりてくれぬかと、/■今日も、あやふく、/■言ひ出でしかなり T周1に対応)あ貢不図、やまひを忘れ、/牛の啼く真似をしてみぬI/妻子の留守に□ 丁82に対応)かなしきはわが父!/■今日も新聞を読み飽きて、/■庭に小蟻と遊くり。 T83に対応)ただ一人の/をとこの子なる我はかく青てり。/■父母も悲しからむ。 (184に対応)茶まで断ちて、/わが平復を祈りたまふ/■母の今日また何か怒れる。 (185に対応〉今日ひょっと近処の子等と遊びたくなり/呼べど来らず。/■心むづかし。(一行目に読点なし) (186に対応)やまひ癒えず、/籔織死なず、/〆廠■日毎に心のみ険しくなれる七八月かな。 (187に対応)貴ひおきし、/薬尽きたる朝に来し、/■友のなきけの為替のかなしさ。(一行目に読点あり) ※(192に対応)基督を人なりと言へぱ、/臣いもうとの眼が、かなしくも、/■我をあはれむ。 ※※※ 1111 9999 3210 ④③②① ※188③児を叱れば、/泣いて、寝入りぬ。/■口すこしあけし寝顔にざはりてみるかな。 ※1;④何がなしに/肺が小きくなれる如く恩ひて起きぬl/■秋近き朝. 194①庭のそとを白き犬ゆけり。/■ふりむきて、/■犬を飼はむと妻にはかれる。 大跨に橡側を歩けば、 橡先にまくら出させて、/■ひさしぶりに、/■ゆふくの空にしたしめるかな。 クリストを人なりといへば、/■妹の眼が、かなしくも、/■われをあはれむ。 ひる寝せし児の枕辺に/人形を買ひ来てかざり、/■ひとり楽しむ。 秋近しI/■電燈の球のぬくもりの/■さはれば指の皮膚に親しき。 二行目に読点なし) 二行目に読点なし) 187(4)

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佐野短期大学研究紀饗蕊22号2011 あノ1のは又 る11ざ談聯、さて「悲しき玩具』においては、第一段階(3~68番歌)が「諸雑誌」↓「歌稿ノート」の推敲であり、第二段階(69~ 114番歌)では逆に「歌稿ノート」↓「諸雑誌』の推敲、そして第三段階T15~130番歌)では「精神修養」↓「歌稿 ノート」↓『新日本」という推敲、さらに第四段階(131~177番歌〉では「歌稿ノート」↓「諸雑誌」の推敲の流れで あることを前稿までにおいて確認してきた。その論拠の一つは句読点の異同に基づく推論であるため、第五段階の歌群におい ても、まず句読点の調査から推敲の前後を確認しておきたい。すると、両歌群における句読点の異同は次のようになっている。 右の歌群を眺めるなら、両者には句読点の異同を含めて実に二十七箇所も表記の異同が存在することがわかる(傍線部参照)。 又、後半部の五首は配列が異なっていることにも気付く(※印参照)。両歌群におけるこの極端な差異の意味については、実 は従来殆ど考察されてこなかったように思われる。そこで本稿では両歌群の差異に着目しながら、『悲しき玩具」末尾十七首 の謎について考察してみたいと考えている。 ※※※※ 【両歌群における句読点の異同一覧} 「悲しき玩具』歌稿ノート 〈178の第一句〉 解けがたき(読点なし) 〈185の第三句〉 遊びたくなり、(読点あり) 〈187の第一句〉 買ひおきし(読点なし) 〈187の第三句〉 朝に来し (読点なし) (190に対応) (189に対応) (188に対応) (191に対応) (193に対応) (194に対応) 秋近し!/■電燈の球のぬくもりの/■触れば指の皮膚に親しき。 何がなしに、/肺が小さくなれる如く恩ひて起きぬ1口■■秋近き朝。 児を叱れば、/泣いて、藤入りぬ。/■口すこしあけし寝顔に触りてみるかな。 昼寝せし児の枕辺に、/人形を買ひ来て飾り、/■ひとり楽しむ。 橡先に枕出させて、/■ひさしぶりに、/■ゆふくの空に親しめるかな。 庭のそとを白き犬ゆけり。/■ふり向きて、/■犬を飼はむと妻にはかれる。 「詩歌」(明治四四年九月号) 解けがたき、(読点あり) 遊びたくなり〈読点なし) 買ひおきし、〈読点あり) 朝に来し、 〈読点あり) ※唯一の例外 二行目に読点あり) 二行目に読点あり) 186(5)

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『悲しき玩具』歌稿ノ の配列意識(5 右の両歌群における配列意識の変容を考える場合、まず気付くことは「歌稿ノート」と「新日本」との配列が一部異なると いうことである。冒頭からの十首(178~187)、及び末尾の二首(193~194)は両歌群とも同じ配列なので、こ こでは残る五首の配列意識を検討することになる。すると「歌稿ノート」の段階では認められない鮮やかな配列構成が『詩歌」 において現出してい愚ことに気付く。そこで「詩歌」の歌群を再度記して、歌順が改変された五首(A~E)の配列意図を中 心に、その独自の世界を考察してみたい。 右の両歌群における推敲の前後に関する考察は、管見の及ぶ限りでは存在しない。最も詳細な分析を試みた藤沢説でさえ「浄 、、、 書はこれが「詩歌」九月号に掲載された前後に別人lおそらく妻の節子によって行われたものと推定される」との記述があ るのみである(前:2)。その他の殆どの研究書(注釈書)では単に「詩歌初出」と記すのみで、「歌稿ノート」と「詩歌」掲載 歌との〈作歌時点に遡っての)推敲の前後には論及していないように思われる。 さて右の【両歌群における句読点の異同一覧]を眺めるなら、「歌稿ノート」と「詩歌」には、読点の有無の差異が六箇所 に認められる。そして、六例の差異のうち五例までもが、「歌稿ノ1卜」に読点がなく、「詩歌」に読点があることになる。こ の差異には実は重要な意味がある。これまで第一~四段階の歌群において、「悲しき玩具』の句読点は推敲を加えるたびに「な し↓読点↓句点↓諸符号(?11など)」と改変されていたことを論証してきた(注4》・そのことを踏まえるなら、(右の場合に は一首の例外はあるが)読点の異同からも両歌群における推敲の前後は推定できるように思われる。つまり「歌稿ノート」が 推敲前、「詩歌」掲載歌が推敲後ということになる。そのことを確認したところで、両歌群における配列意識の比較検討に入 りたい。 〈189の第一句〉 〈191の第二句〉 〃 『悲しき玩具』歌稿ノートと「詩歌」(明治四四年九月号)との比較②配列意識 何がなしに 児の枕辺に (読点なし) (読点なし) 何がなしに、 児の枕辺に、 (読点あり) (読点あり) 185(6)

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佐野短期大学研究紀要第22号2011 歌歌 順順 同改 変 まずAの歌の配列意図について考えてみたい。Aには「いもうとの眼が、かなしくも/我をあはれむ』とあり、直前の歌の 『友のなさけの為替のかなしさ」の表現とともに『哀れなわが身」を表出する類想表現となっていることに気付く。次にEの 歌の配列上の意味を考えてみるなら、Eには「枕辺に」とあり、直後の歌に「枕出させて」とあるので、この二首は素材に基 づく配列意図であることが明快である。同様にBとCは「秋近し」と『秋近き」との連想、DとEは「寝顔」と「昼寝せし児」 との連想であると思われる。すなわち両歌群(「歌稿ノート」と「詩歌」)においては、十七首のうちの五首の歌順を改変させ ることにより、歌群全体の構成が完成されていったことになる。 ところで、右の「詩歌」に展開されている鮮やかな配列意識が、「歌稿ノ1ト」には全く認められない表現世界であること 歌順同一 三詩歌」(明治四四年九月号)の配列意識] 一 (178に対応)解けがた野 戸一一一一 ---ムーーーヘ AT92に対応)基督を人なりと言へぱ、/■いもうとの眼が、かなしくも、/■我をあはれむ。 BT90に対応)秋近し!/■電燈の球のぬくもりの/■触れば指の皮膚に親しき。 〈「秋近し」↓「秋近き」〉 CT89に対応)何がなしに、/肺が小さくなれる如く恩ひて起きぬI/■秋近き報 D(188に対応)児を叱れば、/泣いて、寝入りぬ。/“■口すこしあけし寝顔に触りてみるかな。 〈「寝顔」↓「昼寝せし児」〉 E(191に対応)昼寝せし児の枕辺に、/人形を貴ひ来て飾り、/■ひとり楽しむ。 〈『枕辺」↓「枕」〉 (193に対応)橡先に枕出させて、/■ひさしぶりに、/■ゆふくの空に親しめるかな。 (194に対応)庭のそとを白き犬ゆけり。/綾■ふり向きて、//鍔■犬を飼はむと妻にはかれる。 (187に対応)買ひおきし、/薬尽きたる朝に来し、/■友のなきけの為替のかなしさ。 〈哀れな我が身「友のなきけの為替」↓「いもうとの眼」〉 解けがたき、/不和のあひだに身を処して、//’■ひとりかなしく今日も怒れり。 184(7)

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『悲しき坑具』歌稿ノ の配列意識(5 ここまで『第五段階」の歌群における推敲の前後と、雑誌「詩歌」の配列意識について論証してきた。但しこの「第五段階」 の歌群には、実はまだその他にも長年の課題が残されている。それは「歌稿ノート」の記入者が誰なのかという問題である。 具体的に述べるなら、「歌稿ノート」末尾十七首のみが、それ以前の筆跡と異なって見えることから、記入者が断定できない という問題になる。例えば今井泰子は『なお、以下最後までの一七首と中絶の一行のノートの字体は、ここまでの啄木の字体 と明らかに違う。妻の節子に清書、ないしは代筆、口述筆写させたことが考えられる。」と記し、「第五段階」の十七首は啄木 本人による記入ではなく妻の節子筆と想定し問題を提起しているが、この論争は未だに決着を見ていないように思われる。そ こで、管見に入った両説の一部を以下に列挙してみる。 【啄木以外の別人(節子・光子〉による記入説] ・湯澤比呂子「石川啄木の筆跡老」(「岩手大学教育学部研究年報」平成十三年) ・吉丸竹軒〈疋夫)「石川啄木の筆跡」(『みちのくサロン」三・四合併号・昭和五十年) {啄木本人による記入説} 歌』の十七首の配列構成が、啄木が最後に辿りついた表現世界ということになる。 躍があったが〉配列意識の変容を重ね合わせるなら、この段階で推敲の前後は確定することになると思われる。すなわち、「詩 同による調査から推敲の前後を「歌稿ノート」↓「詩歌」と仮に推定してきたが、(その調査には一首の例外もあり断定に祷 には重要な意味がある。それは両歌群における推敲の前後を確定する根拠となるからである。ここまでの考察で、句読点の異 『悲しき玩具』の研究史においては、従来「歌稿ノート」と「諸雑誌」掲載歌との推敲の前後が殆ど考察されてこなかった という印象がある。しかし推敲の過程を明確にしない限り、配列意識を含めた啄木の短歌史には辿りつけないと稿者は考えて いる。本稿までの五年間にわたる拙論の連載も、そのような視点から、新たな『悲しき玩具』論の誕生を念願しての一つの試 みであった。『悲しき玩具」論の礎を築くためにも、厳しいご批正をお願いする次第である。 「歌稿ノート」宋尾十七首の記入者 183(8)

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佐野短期大学 研究紀震 ノ( 月 十 二 日 第22号2011 この時期、啄木は一一握の砂』に続く第二歌集の構想を練ることに精魂を傾けていた。その結実が「歌稿ノート」であり、 啄木が筆を持てぬほどに重病でない限りは代筆を想定することは困難であると思われる》そこで右の日記を眺めるなら、啄木 の病状は二十日に回復し、二十一日には作歌活動に没頭し十七首の歌を「詩歌」に送っていることがわかる。逆に妻の節子は、 十一一日に容体が悪くなり、二十一日になって少し回復したとの記述が認められることになる。 八月二十一日 八月二十日 八月十七日 八月十六日 所(八月十一一日~二十一日) く日記の記述を辿るなら、罹 両説の紹介と比較検討は、右の湯澤論文に詳細な説明があるのでここでは触れない。ただ啄木筆か否かをめぐる筆跡鑑定で は、書道家の判定も対立して論争に終止符が打てないまま、その研究自体も近時は中断しているのが現状である。 しかし、この論争は不毛であると稿者は考えている。なぜなら、最も重要な前提条件が無視されたままで、単に筆跡の特徴 に基づく推論から論争が展開していると思われるからである。その前提条件とはすなわち「啄木日記」の存在であり、注意深 く日記の記述を辿るなら、啄木筆であることは明らかと思われるからである〉そこで『明治四十四年当用日記」八月の該当箇 ・久保田恵子「石川啄木の書」(「岩手大学教育学部卒業論文」平成八年) ・藤沢全「啄木哀果とその時代』(桜楓社・昭和五十八年) ・今井泰子『日本近代文学大系期石川啄木集」(角川書店・昭和四十四年) 今夜より電燈つく。 夜箙木煮来る。一宗 歌十七首を作って夜「詩歌」の前出夕暮に送る。朝に秋が来たか 『何がなしに/肺の小さくなれる如く恩ひて起きぬ/■秋近き朝」 日曜なれば妹は教会に行けり。子の病状やうやくよし。発熱三十七度五分以上にのぼらず。 椅子を三十五銭に賀ひ来る。この日より光子炊事一切の任に当る。 宮崎君より手紙、返事書く。谷静湖より手紙、返事書く。夜せつ を引用してみる。 この家の店受けの保証人になりて賞ふ。 朝に秋が来たかと恩ふ程涼しかりき。 夜せつ子の咳の薬を買ひに初めて電車通りに出で、 妻の容態も漸くよし せつ子容体少し悪し。 182(9)

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『悲しき玩具』歌稿ノ の配列意識(5 但し、今回は「第五段階」の歌群に限定しての報告であり、他の歌群との関連から意識的に発言を控えた箇所も多かった。 全体を見渡しての詳細な論述は別の機会に譲り、ここでは本稿のみの結論を四項目に絞り確認しておきたいと思う。 さて、そこで本稿での考察結果が重要な意味を持ってくることになる。本稿において十七首の歌群は「歌稿ノート」が推敲 前であり、「詩歌」は推敲を加えた後の、配列構成の完成した歌群であることを論証してきた。そして、右の二十一日の日記 、、、 によれば「歌十七首を作って夜『詩歌」の前田夕厄蟇に送る」の記述があるので、作歌日も当然のことながら限定されることに なる。すると十七首を作歌して「歌稿ノート」に記入したのも、それを推敲して「詩歌」に送ったのもすべて二十一日の出来 事であることが判明することになる。その二十一日には啄木は病状も回復していて作歌活動に没頭しているので、節子や光子 の代筆説には根拠は全くないように思われる座5)。 の意義はあると思う。 さて以上のように、『悲しき玩具」歌稿ノート「第五段隅』の歌群(178~194番歌)の配列意識について考察してきた。 「一握の砂」に比較して「悲しき玩具」の形成論的な研究はかなり遅れていると思われるので、この拙論にも少しは問題提起 本稿のまとめ(確認と課題) 本稿「第五段階」の歌群(178~194番歌〉の確認事項 〔確認皿〕「歌稿ノート」と「詩歌」の十七首を比較してみるなら、句読点や表記の差異が実に二十七箇所も認められる。 推敲の前後に関しては、これまで考察がなされてこなかったが、本稿での句読点の異同調査により二首の例外は あるが)「歌稿ノート」↓「詩歌」という推敲の流れであることが推定された。 〔確認別)「歌稿ノート」と「詩歌」の十七首を検討したところ、後半部の五首に歌順の改変が認められた。その五首の配 列意図を考察した結果、「歌稿ノート」にはない繊細な配列構成の世界が「詩歌」において現出していることが判 明した。その結果、推敲の異同調査だけでは不完全であった推敲の前後関係も「歌稿ノート」↓「詩歌」の流れで 明した。その結果、推敲の異同銅 あることが確定したことになる。 181(10)

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佐野短期大学研究紀愛蕊22号2011 〔課題1〕紙面の制約により本稿での考察は、藤沢説の「第五段階」の歌群のみに限定した。しかも論拠を示すために初出 〔確認皿〕すでに〔確認4〕で触れたように、啄木は死の直前、土岐哀果にノートを渡しながら「それで、原稿はすぐ渡さ なくてもい、のだらうな、訂さなくちゃならないところもある、癒ったらおれが整理する」と発言している。本稿 での考察の結果、その言葉通りに「第二段階」~「第五段階」の歌群においては「歌稿ノート」は推敲前の歌メモ であり、推敲を加えて「諸雑誌」に掲載する際に、配列構成を完成させていることが判明した。従って我々が(『歌 稿ノート」を元資料としている)「悲しき玩具」を読む時には、啄木の遺志を充分に受け止める必要があると考える。 これまで本稿に連載してきた『悲しき玩具』全体の推敲関係を一覧表にするなら、以下の通りに整理される。 寓悲しき玩具』における「歌稿ノ1卜」と「諸雑誌」との推敲の前後関係] 第一段階 (3~68番歌) 「諸雑誌」 ↓「歌稿ノート」 第二段階・前期(69~98番歌) 「歌稿ノート」↓「諸雑誌」 ・後期(99~114番歌】「歌稿ノート」↓「諸雑誌」*藤沢説とは逆の推敲 第三段階 (115~130番歌) 「精神修養」↓「歌稿ノート」↓「新日本」 第四段階 (131~177番歌) 「歌稿ノート」↓「諸雑誌」 第五段階 (178~194番歌) 「歌稿ノート」↓「詩歌」 *藤沢説では前後に浄書 〔確認Ⅲ〕「歌稿ノート」の末尾十七首は、それ以前の筆跡と異なって見えることから、記入者が啄木本人なのか否か断定 できないため長年にわたる論争になっている。そこで啄木の日記(明治四十四年八月二十一日)の記述に着目しな がら、本稿での考察結果である「歌稿ノート」↓「詩歌」の推敲の前後関係を重ね合わせて検討し、啄木筆である ことを論証した。すなわち八月二十一日に十七首を作歌して啄木本人が「歌稿ノート」に記入し、同日に推敲し配 列構成も完成させて「詩歌」の前田タョ蟇に送ったことになる。 従来の諸説の誤謬は、いずれも日記の重要性に気付かなかったこと、及び「歌稿ノート」と「詩歌」との推敲の 前後関係に配慮しなかったことにあると思われる。末尾の十七首は啄木筆と断定し、論争に終止符を打つべきと稿 者は考えている。 180(11)

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『悲しき玩具』歌稿ノートの配列意識(5 『悲しき玩具」歌稿ノート「第五段階」の歌群(178~194番歌)は、歌集全体の末尾部に該当する。従って本稿での 報告により「悲しき玩具」全歌の配列意識についての考察も(現段階では)終了することになる。そこで五年間に及ぶ連載の 総括を兼ねて、以下に『第一段階」~「第四段階」における「確認」1~焔を再掲載しておきたい。 前稿までのまとめ宮第一段階」~「第四段階」における「確認」の再掲載) 〔確認2〕「悲しき玩具」における歌の配列に関しては、諸研究書の殆どが「作歌順」と説明している。しかし、本稿での調査の通り閾歌 稿ノート」の掲載順や配列意識は初出誌とは全く異なっていて、新たな『歌集」として再構成されていることがわかる。 〔確認3〕「歌集初出歌」の一部には、初出誌での歌群を再構成するため〈つなぎ〉の効果を意図して作歌され、新たな編集意図のもと に『悲しき玩具」歌稿ノートに増補されたと思われる歌(例えば、l4i5i951の◎印)も存在する。 〔確認4〕「悲しき玩具』歌稿ノートの配列構成は、もちろん完全な状態ではない。それは、啄木が死の蔽前、土岐哀果にノートを渡し ながら「それで、原稿はすぐ渡さなくてもい、のだらうな、訂さなくちゃならないところもある、癒ったらおれが整理する」 と発言していることからもわかる。従って本稿での考察によっても、『悲しき玩具」における配列は「一握の砂」のように精綴 を極めた編集意識ではないということは確認しておく必要がある。 (再掲載)旧稿「第一段階」の歌群(3~68番歌)の確認事項〔黒色の中点あり〕 〔確認1)近藤典彦「切断の歌」の理論によって証明された宣握の砂」における、四首単位」を基本にした配列意識は、「悲しき玩具』 歌稿ノートにも認められる。それは例えば、初出誌の冒頭歌が殆ど①に配列されか末尾歌が殆ど④に配列されていることなど から、啄木が単に作歌順に記入したのではなく、『四首単位」の版面構成を意識しながら配列していることが明らかになるからから、冠 である。 いる。 て不本意ではあるが、論証の部分は大幅に省略し要約のみを記すに留めた。別の機会に充分に論述したいと考えて 誌掲載歌のすべてを列挙する必要があるため、それだけで殆ど研究紀要執筆規定の制限字数に達してしまった。従っ 179(12

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佐野短期大学研究紀涜第22号2011 〔確認皿)推敲後の雑誌掲載歌では、歌群としての構成をさらに鮮明にするために、他の歌群から新たに二首を増補して配列している ことがわかる。この二首の増補により、歌群としての配列構成は、より繊密になり「歌群」としての輝きを増しているように も思われる。従って、「前期」歌群と同様に、啄木の(最終的な)推敲意識や配列構成の意識は歌稿ノートよりもむしろ雑誌掲 載歌に近いように思われる。この推敲の経緯を踏まえないと、啄木の短歌史を理解するのは困難であると稿者は考えている。 〔確認9〕 (再掲載)旧稿「第二段階・後期」の歌群(99~114番歌)の確認事項〔中点なし〕 〔確認8)この歌群は、通説とは逆に、歌稿ノートが推敲前、雑誌掲載歌が推敲後であることをⅦ句読点の異同」の比較検討を通して 論証した。仮に稿者の想定が正しいとするなら、「第二段階」の歌においては前期・後期ともに歌稿ノートが推敲前の姿を示し ているということになる。 〔確認7)歌稿ノートにおける「歌集初出歌」の意味も、「第一段階」と『第至段階」では全く異なることが明確になった。「第一段階」 では、諸雑誌の掲載歌を推敲し編集して歌稿ノートに記入する際に、配列構成を完成させるために新たに創作、又は増補した 歌が「歌集初出歌」であったのに対して、「第二段階」では、歌稿ノートが推敲前の姿であることから、その歌が後に雑誌に掲 載されなかった場合のみ「歌集初出歌」と呼ばれるからである。 (再掲載) 旧稿「第二段階・前期」の歌群(69~98番歌)の確認事項〔朱色の中点あり〕 〔確認5)この歌群は、可第一段階」とは逆に、歌稿ノートが推敲前、雑誌掲載歌が推敲後であると思われる。そのことはすでに藤沢説 に書誌的な研究による指摘があるが、本稿では「句読点の異同」分析の調査報告により補足を試みたことになる。 〔確認6)この歌群では、推敲前の歌稿ノート当該歌群には殆ど構成意識が認められず、推敲後の雑誌掲載歌においてはじめて「歌群」 としての構成意識が鮮明に認められるようになる点に特色がある。従って、啄木の(最終的な)推敲意識や配列構成の意識は 歌稿ノートよりもむしろ雑誌掲載歌に近いように思われる。啄木の短歌史を考察する場合には、このことは重要な意味を持つ この歌群は、‐前期」歌群とは異なり、推敲前の歌稿ノートの次元においてすでに配列構成の意図が明確に認められる。それ は例えば、両歌群における冒頭歌と末尾歌とが同一であること、及び区分はされているものの両歌群の配列順が全く同じであ ることなどから理解できる。 てくると思われる。 178(13)

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『悲しき玩具』歌稿ノ の配列意識(5 (再掲載)旧稿「第三段階」の歌群(115~130番歌)の確認事項〔黒色と青色の中点あり〕 〔確認型推敲の前後に関しては藤沢説の想定通り「精神修養」↓「歌稿ノート」、及び「歌稿ノート」↓「新日本」と思われる。但し 藤沢説では十全な論拠を示していないため、本稿では補足の意味で「句読点の異同」「句の解体」の調査結果を報告した。 又、「精神修養」↓「歌稿ノート」では推敲により読点が削除されるという、他の箇所には見られない逆転現象が認められる。 これは「精神修養」から『歌稿ノート」への浄書の際に(突如として)行頭の上げ下げ表記を導入したためと思われる。 〔確認皿〉「第一一一段階」の歌稿ノートには青色と黒色の中点が付されている。青色の中点は「精神修養』の歌が初出であることを示し、 黒色の中点はそれ以外(「歌稿ノート初出」と「新日本への転載」)であることを区分するために付されてあると思われる。 又、119番歌に対応する「精神修養」の歌は、従来の解釈では初出と考えられてきたが、中点が黒色であることから啄木 自身は列初出歌」ではなく「別歌」と意識していることが判明した。啄木の作歌意識(推敲意識)を考察する際には、この中 点に色区分の存在することは極めて重要であると思われる。 〔確認Ⅲ)この歌群では『精神修養」↓「歌稿ノート』↓「新日本」の推敲の流れに対応して、配列意識の変容が明確に認められる。 まず叩精神修養」の一○首では、病中の様子を様々に描写していてそこには配列構成の意識は殆ど認められないことがわかる。 次に「歌稿ノート」では、冒頭四首に「寝られぬ状況」を含む歌を配置したり、「医者」の歌句を含む歌を並べたりしていて、 配列構成の意識が少しだけ認められるようになる。そして「新日本」では、職めて繊細な配列構成の意識が認められるように なる。例えば、冒頭の七首だけを眺めても「胸の痛み」に「眼を閉づ」歌が二首並んだ後に、『医者」の歌句を含む歌が四首配 置され、次にⅡ看護婦」の歌が二首続き、そして「病院」の風景を描写する歌を配置してから、以後の歌群においては病後の様々 な状況の歌が描写されていくことになる。この段階で初めて、『悲しき玩具』歌稿ノート『第三段階」に関わる歌々は「配列に な状況の歌が描写されていくことになる。} よる編集」が完成していくように思われる。 つまり、推敲の最後となるこの『新日本」 味で、「悲しき玩具』という歌集は「歌稿ノ 終的に辿り着けないことになると思われる。 新日本」の歌群こそが、啄木の鹸終的に意図していた配列構成ということになる。その意 「歌稿ノート』のみに着目しているなら、我々は啄木の(編集意識を含めた)作歌意識に最 177(14)

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佐野短期大学研究紀要第22号2011 (注記) Ⅲ大室精一勇悲しき玩具」歌稿ノートの配列意識Ⅲl「第一段階」の歌群(3~68番歌)についてI」(『佐野短 期大学研究紀要」第一七号平成一八年三月)、以下「第二段階」~「第四段階」の歌群について五年間にわたり毎年 〔確認旧〕 〔確認Ⅳ) 前稿「第四段階」の歌群(131~177番歌)の確認事項 〔確認基推敲の前後に関しては藤沢説の想定通り「歌稿ノート」↓諸雑誌(「新日本」「文章世界」「層雲』)と思われる。但し藤沢説 では十全な論拠を示していないため、本稿では補足の意味で「句読点の異同」の調査結果を報告した。 〔確認略)「新日本」の配列意識は「歌稿ノート」と異なっていて連続する五組の歌群〈二首・四首・五首・四首・一二首)から構成され ている。そして、その五組の歌群はすべて連想によって結び付けられていることが明らかになった。 「ポロオヂン」の名を含む歌〈144)は、社会的な影響を配慮して「新日本」への推敲の際に削除し別歌に入れ替えたもの と思われる。又、「閑古鳥」を含む歌も推敲の際に配列を変えているが、それは、ふるさと」↓『ふるさとを出でて五年、』↓「ふ るさとに行きて死なむと恩ふ。」という展開を新たに導入したためと思われる。 〔確認肥〕「文章世界」は「歌稿ノート」と配列順が全く同一であり、推敲による配列意識の変容は認められない。その理由は、「五歳 の子」をテーマにした一○首の歌々は様々な視点から「わが子」を描写することに眼目があり、配列そのものに拘泥しなかっ (3)(2) 度 大藤に 室沢連 精全載 『層雲」の配列意識は‐歌稿ノート」と全く異なっていて、連続する四組の歌群(五首・二首・二首・二首)から構成されて いる。そして、その四組の歌群は「新日本」の手法と同様に、すべて連想によって結び付けられていることが明らかになった。 つまりこの第四段階では推敲後の「新日本」『層雲」の歌群こそが、啄木の最終的に意図していた配列構成を反映しているこ とになる。我々が目にする歌集『悲しき玩具』は「歌稿ノート』を元資料としているため、本段階のように雑誌掲載よりも推 敲前である場合には、啄木の編集意識がそこには充分に反映されていないことを確認する必要がある。 たからであると思われる。 の子」をテーマにした責 「啄木哀果とその時代』(桜楓社・昭和五八年一月) 『『悲しき玩具」歌稿ノートの中点」(「佐野短期大学研究紀要』第一一○号平成二一年三月) 176(15

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『悲しき玩具』歌稿ノ の配列意識(5 (補記) 本稿は、国際啄木学会春季セミナー(明治大学・平成二十一一年四月一一十五日)における「「悲しき玩具』末尾の十七首」の 報告内容を骨子としている。その際に、望月善次・塩浦彰・太田登・亀谷中行氏らから多くのご教示をいただいた。ご指摘に 従い、表現を改めた個所もある。記して感謝したい》

側「悲しき玩具」の句読点は、推敲を加えるたびに「なし↓読点↓句点↓諸符号」と改変されるという原則があること

を連載中の拙論において繰り返し指摘してきた。但し、拙論(注1.「第三段階」)ですでに報告したように、行頭の 上げ下げ表記を〈突如として〉導入した際には一部に逆転現象も認められる。又、一首内における句読点の移動(交換) は原則の中に含めないこと、及び本稿の『第五段階』には一例のみ例外があ愚ことも念のために付記しておく。 旬しかし、それでもなお啄木の筆跡に違和感を覚える場合には、松田十刻「恥年2か月啄木の生涯』に「啄木はい ろんな意味で真似がうまかった。たとえば及川に文学指導を受けていたときには及川、金田一と親しくなると金田一 の筆跡そっくりの字を書いていたことの記述があるので参考にしていただきたい。実は稿者も教えを乞いたいと考え ている。 175(16

参照