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なぜ退職金や賞与制度があるのか(PDF:415KB)

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1 退職金の歴史的背景1) 藤井 (1967) によると, 退職金の由来は, 雇い主が 使用人に対し独立の業を営む権利 「のれん」 をおくる 習慣に発したもので, 研究によって明らかになってい る範囲では, 三井家に残る享保 7 (1722) 年の 「宗竺 遺書」 に 「もとで金」 という呼び名で退職金制度の記 述があり, 同年の 「三井家憲」 の中では 「退職手当て」 という言葉が現れているという。 当時の退職金制度は, 主人側と使用人側の双方が積み立て, 年季明けで退職 する者に金一封をおくる慣行であったらしい。 「のれ ん分け」 が市場の飽和や初期コストの増大で容易では なくなる中, 代わりの報償制度として発生したのかも しれない。 しかしながら, こうした商家における慣習が, 明治 の近代化の中で最初から多くの民間企業に持ち込まれ た訳ではない。 明治初期は, 三井系など一部民間企業 の特権階級であるホワイトカラーに限定されていた。 その後, 経済環境の変化に対応する形で, 企業の合理 的行動や国家の政策及び労働組合結成を通じて交渉力 を高めた労働側と企業とのインタラクションの結果と して, 形を変えながら制度的に確立されていったと見 るべきである。 まず, 退職金あるいはそれに準じる制度が, 労働需 要が拡大する中で, 離職を抑えること, すなわち労働 力を囲い込む手段として慣習的に使われ始めた。 その 一つの形が, 明治中期に広く見られた, 労働契約履行 を促すための強制貯蓄である。 繊維工業などは, 農村 からの女子出稼ぎ労働者に依拠してきたが, 劣悪な雇 用条件を嫌って逃亡による帰郷を試みる女工が絶えず, また労働需要が拡大する中で企業間の経験工引き抜き もおこった。 それに対抗して企業側でも, 何らかの名 目により賃金から天引きして雇用期間満了まで企業が 保管するという強制貯蓄が広く行われた。 ただし, 明 治 30 年代に入り, 日清・日露戦争を経て産業構造や 技術の高度化が進み, 労働市場も発達してくると, 強 制貯蓄という手段ではなく, 労使の共同出資でけが, 病気, 死亡, 退職に対する一時金を支払う共済制度や, 企業負担の満期賞与や退職一時金を導入する企業が増 えてくる。 退職金制度を広めた二番目の要因は, 第 1 次世界大 戦後の 1920 年戦後恐慌から 1929 年の世界恐慌の間に 多発した労働争議であり, その中で解雇手当としての 側面が見直された。 当初労働組合は失業保険を要求し たが, 政府は 1922 年に工場法を改正し, 解雇に 14 日 間の予告期間をおく, あるいは 14 日分の予告手当の 支給を決めることを義務づけただけで, 失業保険に対 して消極的であった。 そうした中, 組合と大企業の経 営側は, 退職手当制度の導入という現実路線を歩んだ ため, 第 1 次世界大戦から世界恐慌時にかけて退職金 制度が大企業を中心に普及することとなった。 しかし, 山崎 (1988) で紹介されている内務省調査によると, 1935 年時点で退職手当規定がある工場, 鉱山で働く 職工および鉱夫の比率はそれぞれ 38%, 60%にしか 過ぎない。 また, この時の退職手当は, 解雇によって 失業する間の生活保障という側面も強く, 会社都合と 自己都合では退職金に 2∼3 割の差がありかつ勤続年 数に対する累進性も低かった。 さらに, 功労金として の位置づけが大きいホワイトカラーの退職金と解雇手 当としての位置づけが強いブルーカラーの退職金では 支給額に大きな開きがあった。 第 2 次世界大戦前に退職金制度を広めたもう一つの 要因は, 1936 年の退職積立金及退職手当法の制定で ある。 この法律の下では, 常時 50 人以上労働者を使

なぜ退職金や賞与制度はあるのか

大湾

秀雄

(青山学院大学教授)

須田

敏子

(青山学院大学教授)

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用し, 工場法・鉱業法を適用される工場・鉱山などの 事業主は, 現場労働者の賃金から 100 分の 2 を控除し て 「退職積立金」 とし, 解雇, 退職, 死亡時に交付す る。 同時に事業主は 「退職手当」 として賃金の 100 分 の 2 を積み立てるほか, 利益金が一定以上の場合は賃 金の 100 分の 3 相当を積み立て, 解雇, 退職, 死亡時 に支給する, ことなどが定められた。 しかし間もなく, 国民健康保険法, 労働者年金保険法が制定され公的年 金が整備される中, 1944 年, 労働者年金保険法が厚 生年金保険法と名前を改められた際に, 退職積立金及 退職手当法は廃止された。 法律的な設置要件から外れた退職金が再度飛躍的な 普及を見たのは, 第 2 次世界大戦直後の労働争議に負 うところが大きい。 電気産業労働組合 (電産) は, 1946 年 9 月に始まった争議の中で, 生活費を基準と する最低賃金制 (生活保障給) の確立と並び, 退職金 規定の改定を重要課題として要求書の中に入れた。 賃 金については同年 10 月に妥結し, いわゆる 「電産型 賃金体系」 の実現を見たが, 退職金については 「生涯 を電気産業に捧げたる如き従業員に対しては定年退職 後約 10 年間の生活保障をなす」 という暫定協定を同 年 12 月に結んだものの, 具体的な合意については 1949 年 9 月に漸く妥結した。 電産の闘争は, 多くの 産業別組合に影響を与え, 退職金規定要求の流れを作っ た。 戦前の内務省および戦後の労働省による事業所対 象の調査によると, 戦前 2 割強であった退職金制度の 導入率は, 1951 年時点の調査では, 82.3%となって いる。 また従業員 500 人以上の事業所に限ってみると, 導入率は 95.7%に上った。 表には, 1956 年当時に退 職金制度を持っていた事業所の設置年次別内訳をみた ものである。 これによると, 戦後7年間の間に退職金 を導入した企業は半分以上に上り, この期間に急速に 普及した様子が窺える。 このように極めて短期間の間に, 退職金制度が普及 した背景としては, 次の 4 つが挙げられる。 まず, 戦 後の食糧難と急激なインフレを背景に, 生活保障給を 中心とする電産型賃金体系が支持される土壌が生まれ たが, 退職後の生活を保障するという発想は, 電産型 賃金体系の自然な延長線上にあった。 二つ目に, 戦後 の財政難から社会保障の整備が遅れる中, 完全な社会 保障実現までの代替としての退職金が経営側からも一 定の支持を得られたことが挙げられる。 三つ目に, 戦 中戦後の極度のインフレによる支給額の実質低下と企 業再編による勤続年数の低下により, すでに戦前退職 金規定を持っていた企業でも退職金制度が有名無実化 していたことが指摘できる。 最後に, ドッジライン実 施による不況下で多くの企業が人員解雇を余儀なくさ れる中, 解雇手当を補充する仕組みとして退職金が労 働組合の注目を集めたことが挙げられる。 政府はこうした流れを追認する形で, 1952 年, 所 得税法の改正を行い, 退職金は一般給与所得とは別途 に, 一定の基礎控除を行った残余額の 2 分の 1 につい て分離課税されることになった。 また同年法人税法改 正により, 退職金給付財源を社内準備するための 「退 職給与引当金」 が認められ, 退職金給付財源は非課税 と定められた。 2 退職金の経済合理性 戦前戦後の労働争議の中で, 経営者側は常に, 退職 金は 「勤続に対する功績報償」 であるという立場に立 ち, 慣習としての位置づけや, 退職金支給額の算出に おける経営側の自由裁量の余地を維持する努力を続け た。 一方, 労働者側は, 退職金は後払い賃金であると いう主張から, その運用に際し経営側の自由裁量の余 その裏にある歴史 表 退職金設置年次 (%, 1956 年調査) 第 2 次大戦前 1945∼50 年 1951∼52 年 1953∼54 年 1955∼56 年 9 月 全産業合計 21.1 34.5 17.2 14.8 11.3 鉱業 36.6 29.7 17.2 8.2 8.4 製造業 8.3 39.9 19.2 17.5 13.7 卸売・小売業 10.5 40.1 16.8 17.9 12.7 金融・保険業, 不動産業 52.9 20.0 14.2 7.8 4.2 運輸・通信業, 公益事業 40.4 26.0 13.3 10.9 9.2 建設業 21.2 36.7 15.5 13.3 11.1 500 人以上 31.5 38.9 12.7 6.4 10.0 100∼499 人 23.3 36.7 16.4 13.6 9.0 30∼99 人 19.1 33.1 17.9 16.1 12.4 資料 : 労働省 退職金制度調査 (山崎 1988 からの引用)。

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の労使交渉の中で, 労働組合側は, 退職金は 「失業後 ならびに老後の生活保障」 であると必要性を説き, 経 営側もある程度それを受け入れている。 こうした経緯 から, 戦後, 労使関係や労務管理の専門家が, しばし ば退職金の目的として, 功績報償説, 後払い賃金説, 生活保障説などを挙げてきたが, こうした分類には, 問題があると言わざるを得ない。 まずこうした呼び名 は, 労働者の既得権益を制限あるいは拡大するための レトリックとしての側面が強く, 交渉を自分たちの有 利な方向で進めるために使われてきた。 退職金が本来 持つ経済合理性の所在を明らかにしようという観点か らは, 厳密に定義されているとは言い難いこういう用 語を安易に使用することは控えたい。 第二に, 功績報 償と生活保障は制度設計の目的と捉えられるが, 賃金 の後払いは賃金構造の特徴を述べたものであり, 相対 立する概念ではなく, 併記すること自体おかしい。 目 的が功績報償であろうと生活保障であろうと, 退職一 時金や年金を払う企業が, 平均的に, まず生産性以下 の賃金を払い, 後に生産性以上の賃金を払っていると いう点で, 後払い構造を持っていることは決して否定 できない。 こうした後払い報酬契約の効果については, すでに多くの研究成果がある。 退職金の持つ経済合理性を議論する前に, まず, 後 払い報酬契約は, 法的拘束力のない暗黙の契約 (im-plicit contract) であるという点を確認したい。 つま り, 従業員が所有権を持つ (日本や米国の) 401k プ ランと違い, 通常の (あるいは昔の) 退職金引当金プー ルは企業が所有・運用し, また退職金制度の変更も可 能なので, 入社した際の退職金制度に沿って退職時に 退職金が支払われるとは限らない。 仮に企業が経営難 に直面すれば, 退職金支給額が大きく削られる可能性 がある。 大企業が暗黙の契約である退職金 (一時金, 年金) 制度を維持しようと最大限の努力をするのは, 従業員, 労働市場, 製品市場における, 会社の評判を 維持しようとするからである。 評判を落とす行動を取 れば, 将来優秀な人材を確保することが困難となる。 したがって, 会社の評判が高ければ高いほど暗黙の契 約は機能する。 戦前戦後の労働争議の中で, 労働組合 側が敢えて, 後払い賃金説を展開せざるを得なかった のは, 当時は経営側が暗黙の契約を守るインセンティ ブに乏しかったからであろう。 退職金は, 通常は大企業が好む制度であり, 信用力 にあまり意味はない。 別の言い方をすれば, できて間 もない中小企業が, 退職金を払うから低賃金で我慢し てくれと言っても, 社員や求職者はそれを信用して行 動することはしない。 それならば, 退職金ではなく現 在の報酬を増やした方が, インセンティブや採用面で の効果は大きい。 さて, 以下ではそういう後払い報酬 の経済合理性について議論したい。 まず第一に, 労働需要が迫し, 官営八幡製鉄所が 発足し工業化が進展した明治 30 年代に大企業で導入 が進んだことに着目して頂きたい。 後払い報酬は, 勤 続による所得増を拡大することで離職率を下げ, 人的 資本の蓄積を促す効果がある。 Carmichael (1983) は, 後払い構造を持った職の階級 (promotion lad-ders) をうまく設計することで, 企業特殊的人的資本 をもつ従業員が過度に辞めたり解雇されたりすること によって生じる非効率性を回避できることを示した。 また, Acemoglu and Pischke (1999) のモデルは, (後払い構造のもとで見られる) 賃金が生産性を上回 る現象のもとで, 一般的研修からの収益を企業側が回 収することが可能となるため, Becker (1962) の理 論とは異なり, 雇い主が一般的研修を提供するインセ ンティブを持つことを示した。 これらの理論は, 後払 い賃金構造の下で技能引上げのための人的資本投資を 増やす誘因が強く働くことを意味する。 このことは, 技術変化が進み, 従業員の技能レベルを向上させる必 要が高まったことが, 退職金導入の一つの背景として 存在していた可能性を示唆している。 第二に, 生産性の計測 (モニタリング) が困難でエー ジェンシー問題が生じるような職種においては, 後払 い報酬によってインセンティブを高めることが有効で あることが, Lazear (1979) によって指摘されてい る。 つまり, 勤勉に働けば, 解雇される可能性は小さ くなり, 定年まで働き高額の退職金を得ることができ る。 他方, 怠けたり不正を働くと, 見つかった時に, 解雇されたり, 左遷されたりして, 得られる退職金支 給総額が大きく減額されたり, 場合によっては受け取 ることができなくなってしまう。 かつて経営側が退職 金功績報酬説を主張したことは, こうしたインセンティ ブ効果を重視していたことを意味する。 モニタリング が簡単な場合には, 後払い報酬契約を結ばなくても, 成果報酬によって適切なインセンティブを与えること ができるため, モニタリングが困難な場合ほど, 後払

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い報酬が導入される可能性が高いとみられてきた。 後 払い報酬の形としては, 右上がり賃金カーブ (年を取 るほど賃金が生産性を上回るような報酬体系), 退職 一時金, 年金などがあり, 右上がり賃金カーブが採用 される場合には, 後払いされた賃金が完済された時点 で退職することが望ましいため, 定年制を導入するこ とが必要となる。

Hutchens (1987) は, 米国の National Longitudinal Survey (NLS) と Dictionary of Occupational Titles (DOT) を使って, 実際にモニタリングが困難な職業 ほど, 高齢層の労働者の賃金が高く, 企業年金や定年 制が導入される可能性が高く, 平均勤続年数が長くな るか, 検証を行った。 モニタリングの容易さの指標と しては, DOT に含まれる 40 余りの職業特性の中で, 「あらかじめ決められた手順に従い行う繰り返しある いはサイクルの短い作業」 を含んでいるかどうかとい う評価に対する結果が変数として使われている。 Hutchens は, 労働者本人の特性をコントロールした 上で, 実際に繰り返し作業を多く含む職業に就いてい る労働者ほど, 賃金が低く, 年金や定年制のある企業 で働いている確率は低く, 勤続年数も短くなる傾向が あ る こ と を 示 し た 。 Hutchens の 研 究 は Lazear (1979) の理論を検証することであったが, 仮に繰り 返し作業を多く含む職業ほど要求される技能レベルが 低 い の で あ れ ば , 結 果 は Carmichael (1983) や Acemoglu and Pischke (1999) らの理論とも整合的 であり, 二つの説明を区別することは出来ない。 次に表を再度みて頂きたい。 民間の退職金制度が社 会保障を補充するものと位置づけられていなかった第 2 次世界大戦前の導入の割合を見てみよう。 生産性の 計測が困難であると予想される, 「金融・保険業, 不 動産業」 と 「運輸・通信業, 公益事業」 において, 大 戦前導入の割合はそれぞれ 52.9%, 40.4%と高く, 生産性の計測が可能である 「製造業」 と 「卸売・小売 業」 で比率が極めて低い。 これは, Lazear (1979) の理論と整合的であると言えるのではないだろうか? ただし, Lazear の理論は, 怠慢, あるいは不正を 働いた従業員を解雇できる時に初めて強いインセンティ ブ効果を持つ。 70 年代以降次第に解雇権濫用の法理 が確立される中, 解雇には実質的な制限が課せられて おり, 日本の特に大企業において後払い賃金が本当に インセンティブ効果を持つか疑念を禁じえない。 最後に, 退職一時金や (確定給付) 年金には, 保険 機能もある。 仮に, 労働者が退職金ではなく, 賃金の 引き上げという形で同等な報酬を得たとしよう。 老後 に備えて労働者が収入の一部を預金, 債券, 株, その 他金融商品で運用したとする。 従業員各自による投資 は, サブプライムショックに見られるように, 投資環 境が悪化すれば, 低い投資収益率をもたらし, 退職後 の生活費を賄えないかもしれない。 企業がリスク中立 型であれば, こうした投資リスクを企業が背負い, 従 業員には退職後にあらかじめ決まった一時金あるいは 年金を支払うことがパレート改善をもたらすであろう。 ただし, こうした保険機能は, 投資家から労働者への 所得移転となる可能性があり, 本当に退職金や企業年 金が果たすべきかは, 議論が残る。 社会保障制度の評 価と共に議論すべき役割である。 3 賞与の歴史的背景2) 鍵山 (1984) によると, 江戸時代の商家で丁稚・手 代に支給された代が年末賞与の起源といわれている。 餅代の支給額は主人の自由裁量による。 丁稚から手代, 番頭への昇進は勤続年数との連動が強いため, 代の 支給額の格差も勤続年数に連動したものと考えられる。 加えて勤務ぶりによる差も入り, この面では褒賞や懲 戒の意味がある。 夏の賞与は, 盆の藪入りに手代・丁 稚に支給された小遣い, お仕着せがその起源と思われ る。 小遣い, お仕着せは代に比べると小額であった。 当時は奉公人には月々の賃金は支払われず, 一生を通 じて奉公させ人材育成するという丸抱え的な雇用慣行 であり, その中で代のような恩恵的な給与があった。 また, 賞与のもう一つの特性である利益配分という形 が江戸時代にすでに見られたという。 寛政元 (1789) 年の記録によると, 西川家において 「三ツ割銀」 とい う制度で, 毎年二期の勘定のたびに各店の正味 「純利 益額」 の 3 分の 1 を (店の経費の使いすぎを差し引い た上で) 西川家が預かり, 店員が別家として独立する ときに自営資金として渡された。 「褒美銀」 という名 称で似たような制度を持つ商家もあったという。 明治時代に入ると, 官庁・官営工場・軍工・銀行・ 民間企業で賞与が登場する。 当初は, 利益の一定割合 を職員に分配するというのが一般的であった。 例えば, 明治 6 年創立の第一国立銀行は利益配当規制を制定し, 毎期純益金の 17%が銀行諸役員配当 (3%を頭取交際 費, 2%を (下級) 職員賞与, 12%を頭取以下役員賞 与) として配分された。 その後, 企業規模が拡大し職 その裏にある歴史

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ざるを得ないという状況の中, 職員に対する賞与は利 益配分から外れ経費扱いになったと見られる。 当時, 職員はエリート層であり, 彼らの働きが会社の繁栄を 左右していたため, 利潤配分型の賞与は望ましいと考 えられていた。 それに対し, 工員は短期雇用の下, 決 まった作業を行うだけで, 会社と利害を共にする基幹 社員とはみなされず, 賞与は支払われなかった。 労働需要が高まるにつれ, 定着率をあげるため 「勤 続賞与」 「賞与」 「賞与金」 「満期特別恩給金」 の名目 で退職時に勤続年数に応じた報酬が支払われるように なるが, これらは実際には退職一時金である。 さらに 精皆勤・生産能率・改善発明などに対する奨励の手当 や賞金が賞与の名称で支給される制度が紡績工場など でみられたが, これらは今日での精皆勤手当, 生産奨 励金, 提案賞にあたるもので, 現代の賞与とは性格が 異なる。 大正 3 年に第 1 次世界大戦が起こり工業化が進むと, 大正 3 年から 10 年の間に職工の数は 7 割増加し, 名 目賃金は 2 倍から 3 倍となる。 労働組合運動も急速に 進展し, 大正 9 年には第 1 回メーデーが開催される。 賞与に対しては, 職員と一部役付工のみに支給されて いたことを不満として, 平工員から要求がだされ, ス トライキに発展するケースもあった。 大正 5 年に三菱 造船長崎, 芝浦製作所, 9 年に日本製鋼所広島で賞与 闘争が起こる。 企業側は要求を認め, 工員への賞与が この頃から次第に広がった。 しかしながら, 職員と工 員の賞与の支給額の間には大きな開きがあった。 鍵山 (1984) で紹介された大正 12 年の河田蜂朗氏による調 査によると, 対象企業 45 社の平社員 (職員) に対す る賞与は, 平均 7.4 カ月であった。 それに対し, 賞与 を導入した企業での工員に対する賞与の規模は, 平均 1 カ月相当であったと見られる。 また工員の賞与基準 は, 欠勤日数によって支給率を減少させることが一般 的傾向であった。 とはいえ, この大正期に, 賞与とい う名前が一般化し, 支給対象が従業員全般に広がり, 賃金の一部としての概念が固まり, 規定化・基準化が 少しずつ進んだことは, 特筆すべき事実であろう。 ま た配分基準に, 成績査定・勤続年数・精勤度・階層・ 社内身分資格が取り入れられ, 一部ではあるが, 利益 配分への志向が, かなり明確な形で行われる事例が現 れたことも注目される。 こうした賞与の性格は, 第 2 次世界大戦まで大きな 合との団体交渉の対象となると, 戦時に平準化されつ つあった職員・工員の支給率格差はほとんど消滅する。 この時期に賞与が労使の協議事項となり, 賃金の一部 としてはっきり位置づけられる。 昭和 25 年の朝鮮戦 争時より, インフレがおさまり, 経済が安定すると, 賃金に占める賞与の割合も上昇し始める。 利益配分的 な性格が復活し, 企業業績を反映して支給額が決めら れるようになる。 功労褒賞的な性格も加わり, 成績査 定による配分方式も多くなった。 しかしながら, 戦後 ほぼ一貫して大企業における賞与の支給は利益の変動 よりははるかに安定していたし (一方, 中小企業にお ける賞与はかなり変動が激しいことはよく知られてい る), 同じ等級に属する従業員の間の賞与支給格差は かなり限定的であった。 4 賞与の経済合理性 賞与の持つ潜在的な役割は, 以下に述べるように, 3 つにまとめられる。 ただし, これらの役割が実際に 働いているかどうかについては, 否定的な含意を持つ 先行研究が多いことにも留意が必要である。 まず, 賞与は, (1)利益配分 (profit-sharing) と(2) 成績査定に基づく支給格差, によるインセンティブ報 酬としての役割を持つ。 前者については, 会社の利益 が増すと報酬が増え, 利益が減ると報酬も減るならば, 報酬を受け取る従業員は会社利益を増やすために努力 することになるからである。 別な言い方をすると, 個 人の所得と会社の利益をリンクさせることにより, 両 者の間の利益相反が弱められ, 個人がより会社の利益 に沿った行動を取ることに他ならない。 後者について は, 大正時代より成績査定を賞与配分に反映させる企 業はあり, 後述するように近年再度増えているようで ある。 ただし, 個人の成績査定を通じたインセンティブ契 約は, 上司による主観的評価に基づく以上, 支給に関 し企業側の裁量性が高い。 経営陣が支給額削減を狙っ て一方的に評価を下げる問題を常にはらむため, 一般 的にはその運用は難しい。 Kanemoto and MacLeod (1992) は, 労働組合が平均賃金を注意深くモニター 出来るのであれば, 評判のメカニズムによってこうし た種類のインセンティブ契約を実施することは可能で あることを理論的に示した。 つまり, 企業が, 社員の 査定を引き下げることにより賞与支給額を削減すると

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いう機会主義的な行動を取った場合, 組合は, ストラ イキをちらつかせて翌年の支給額を増やすか, 裁量性 が高い報酬制度そのものを拒否することができる。 い ずれにせよ, 長期的には企業利益にマイナスに働くの で, 企業側は正直に評価を行うことになる。 明治時代における賞与は, インセンティブ報酬とし て期待される役割が大きかったと考えられる。 その理 由は, 第一に, 導入当初は, 今でいう役員報酬と同様, 利益配分として賞与が決定されていたことが挙げられ る。 賞与は, 利益の増減に敏感に反応して変化した。 従って, 賞与が経費扱いとなり, 利益との相関が次第 に弱まってくると利益配分を通じたインセンティブ効 果は低下してきたはずである。 第二に, 基幹社員であ る職員にのみ支給されたことである。 インセンティブ・ スキームの基本は, 出来るだけ, その意思決定や努力 水準が会社の利益に影響を与える人に対して, インセ ンティブ報酬を与えることにある。 大正に入り, 工員 に対して賞与が支給されるようになってからも, 戦時 までは職員と工員の間で支給額に大きな差が見られた。 このことは, 当時の職員が, より会社の収益性に影響 を与える基幹業務に携わっていたと見られることを前 提にすると, 何ら不思議なことではない。 これに対し, 戦後の賞与制度では, その対象が職員 と工員の区別なく全社員に広がり, 格差も大きく縮小 した。 こうした利益配分の仕方は, 一般的には, イン センティブ効果は小さいと見られている。 何故なら, 大企業においては, 支給範囲が広がれば広がるほど, 自分の努力が会社全体の利益に目に見える何らかの影 響を与えることは, 上級管理職でない限り期待しにく く, いわゆるただ乗り問題が生じる。 加えて, 賞与の ための成績査定も形骸化した企業は多数あり, その効 果は限定的だったのではないだろうか。 ただし, 最近の研究の中で, 利益配分は効果がない という見方に異を唱える向きもある。 たとえば, Mohnen, Pokorny and Sliwka (2008) らは, チーム 報酬のあるチームワークにおいて, (1)各メンバーが 他人と異なる努力水準を選ぶことから負の効用を得る, つまり不公平な努力水準を不快に思う傾向があり, か つ(2)チームワーク作業の途中で, お互いの努力水準 を互いに観測できるならば, 自分の努力水準を高める ことで相手にプレッシャーを与えることが出来ること を理論と実験で示した。 この場合, チーム内生産にお いて, ただ乗り問題が顕在化しない可能性がある。 同

様 に , 実 証 研 究 に お い て も , Knez and Simester (2001) は, 全社的な業績目標の達成に応じて時間給 従業員に対しボーナスを支払う, コンチネンタル航空 のインセンティブスキームが, 生産性を押し上げる効 果を持っていたことを示した。 その理由として, Knez and Simester は, コンチネンタルの従業員が 自主管理チームによって組織化されていたため, 相互 モニタリングが働いたと分析している。 これは, 上述 の Mohnen, Pokorny and Sliwka (2008) らの研究 と整合的である。 日本の製造業企業のミクロデータを 使った Jones and Kato (1995) の研究においても, ボーナスの (競合相手のそれに対する) 相対的引き上 げは, 翌期の生産性に有意な影響を与えていることが 示された。 彼らの推計によると, 同一産業内の競争相 手のボーナスが据え置かれた時に, 自社のボーナスを 10%引き上げると翌年の生産性を 1%押し上げるとい う。 さらに, Jones and Kato は, 持ち株会の存在と ボーナスの間には補完関係があり, 持ち株会を持つ企 業において, ボーナスの生産性押し上げ効果がとりわ け強く表れることを示した。 これは持ち株会を有する ことで, 従業員の長期的なコミットメントが高まると 同時に, 同僚によるモニタリングが機能し易くなり, 上述のただ乗り問題が顕在化しなくなるのではないか と彼らは推測している。 賞与の二番目の効用は, 人件費が利益に対しより弾 力的になることで, 不況期に人件費を比較的早く抑制 することが出来, コスト競争力を回復できることが挙 げられる。 大正期や戦後比較的間もない時期など, 景 気変動幅が大きかった時期に, 経営陣が賞与の導入や 引き上げに比較的前向きに対応したのは, 賃金引き上 げよりも賞与の導入や引き上げで対応した方が, その 後再度不況に突入した時に人件費を抑制し易いと判断 したためではないだろうか? 戦後 80 年代まで日本経済が欧米に比べはるかに安 定した成長をしてきたのは, 給与よりも弾力的な賞与 の存在によって, 賃金調整がより速く進み生産調整を 緩 和 し た か ら だ と い う 説 が あ る (Gordon 1982, Freeman and Weitzman 1987)。 しかしながら, 多 く の 研 究 は そ う し た 見 方 に 否 定 的 で あ る (Taylor 1988, Ohashi 1989)。 たとえば, Taylor (1988) の推 計によると, 日本では景気変動に対し賃金が欧米より も早く調整が進んだために, インフレが長期化しにく かったという。 そのため, 金融政策も景気過熱時に急 その裏にある歴史

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に対応したので, 景気循環も緩やかになったと見てい る。 しかしながら, ここで賃金調整が早く進んだ理由 としては, 賞与の影響は極めて限定的であったという 実証結果を示し, より重要な要因は春闘だという主張 を行った。 Taylor (1988) の研究は, 総体としては, 賞与はさほど弾力的には調整されず, 春闘という同期 化された賃金決定の仕組みが早い調整を加速したとい うことを示唆する。 賞 与 の 持 つ 3 つ 目 の 潜 在 的 役 割 は , Weitzman (1987) の主張した Share Economy の持つ雇用拡大 効果である。 仮に, 利益のある一定割合を労働に分配 するという取り決めがなされたとする。 この時, 雇用 水準を選択する企業から見ると, 雇用を増やすほど賞 与を含めた賃金水準は低下するため, 固定賃金の場合 に比べ, 雇用量が増大する。 したがって, 多くの企業 がこうした利益配分を導入すると, 失業率は低下する はずである。 しかしながら, 既に雇用されている従業 員の側から見ると, こうした契約は過大雇用による賃 金水準の低下をもたらし好ましくないため, 制度とし て定着しにくい。 Brunello (1992) は, 社内昇進制度 が確立されていれば, こうした賞与による雇用増が管 理職ポストの増大を通じて自分たちの昇進の確率を高 めるので, 従業員にとっても期待利得の増大につなが ることを示した。 賞与と社内昇進制度の間に補完性が あるという上記の議論は極めて興味深いが, Ohashi (1989) などの研究から賞与と企業利益の関係はかな り低いことがわかっており, Share Economy モデル は日本の賞与制度を説明する上で説得力に乏しい。 上記以外にも, 日本の賞与は, 企業特殊的研修のコ ストとリターンを労使でより柔軟に分け合うための仕 組みであるという見方がある (Hashimoto 1979)。 し かしながら, 実際には, 賞与がより硬直的に運用され ている現状を鑑みれば, こうした議論が成り立つかど うか極めて疑わしい。 最後に, 賞与の貯蓄性向は高く, 過去の日本の高い貯蓄率をもたらした要因の一つであ ると考えられてきた。 しかし, 年2回のまとまった支 給が貯蓄を容易にしたという説明以外には, 説得力の ある理由は提示されていない (Horioka 1990)。 また, 最近の研究によると, ボーナスの存在が貯蓄率と高い 相関を持つのは, 負の貯蓄率を持つ家計がボーナスを 受け取らないグループに集中しているためであり, 貯 蓄率が正であるセグメントだけで比較すると, ボーナ いという (清水谷・堀 2005)。 議論の余地のないほど有力な経済合理性が見出せな いにもかかわらず, 日本の賃金制度において賞与の割 合は極めて高い。 賞与が支給されている企業において, 平均的には 3.5 カ月, 全収入の 24∼26%が賞与の形 で支給されている。 5 退職金や賞与における近年の変化 以上見てきたように, 日本では, 制限的な解雇権濫 用の法理が確立され, 退職金の持つインセンティブ効 果が薄れた。 また, 利益配分や成績査定との相関が弱 まる中で賞与のインセンティブ効果も希薄となった。 だが 1990 年代以降いわゆる成果主義人事の高まりと ともに退職金, 賞与ともにインセンティブ目的が再認 識されるようになったと見られる。 まず退職金について見てみると, 1990 年代後半以 降に急速に導入が進んだポイント制退職金がある。 従 来, 退職金の額は, 基本給 (あるいは退職金基本給) に在職年数 (あるいは在職月数) を係数化したものを かけて算出される場合が多かった。 つまり, 退職金額 はほぼ勤続年数に比例して増加していき, 個人の成果 や貢献度が反映される余地はほとんどなかった。 だが 1990 年代以降の成果主義人事の影響を受け, 退職金算定に当たっても, 個人業績, 会社への貢献度 を加味していこうというポイント退職金制度が導入さ れてきており, 導入割合は, 1998 年の 18.8%から 2007 年には 53.2%まで上昇した (社会経済生産性本 部 2008)。 ポイント制の決定基準としては, 勤続年数 についで, 職能・職務・役割など各種社員等級, 人事 考課結果などが多く用いられている。 ポイント退職金制度の導入は, これまで多くの日本 企業がとってきた長期雇用促進という人事施策からの 転換という側面もある。 成績による格差が小さく, 勤 続年数に対する累進性の高い退職金は, 従業員の側で 長期勤続に対する強力なインセンティブ効果をもたら す。 だがポイント制の下では, 個人業績, 会社貢献に 応じて退職金に差が生じるため, 生産性が低いと評価 された従業員に早く転職, 引退を決意させる誘因が働 く。 実際に, ポイント退職金制度をいち早く導入した ことで知られる武田薬品工業では, 「職務等級に連動 した一時金加算ポイントを新設し, 定年加算は廃止す る」 などの施策も導入している。

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賞与についても, 1990 年代の成果主義人事の高ま りと同時に, 賞与がもつインセンティブ機能が重視さ れ, 賞与査定幅が拡大されつつある。 それでは, 賞与 で考慮される査定内容は, 昇格で考慮されるそれとど う違うのであろうか? 労務行政研究所 (2006a) に よる人事考課要素のウエイトに関する調査では, 平均 すると, 昇給に関しては, 担当者クラス (総合職) で 業績考課 33.9%, 能力考課 40.8%, 行動考課 25.9%, 管理職で業績考課 51.0%, 能力考課 29.7%, 行動考 課 18.3%のウエイトであったのに対して, 賞与に関 しては担当者クラス (総合職) で業績考課 60.9%, 能力考課 17.2%, 行動考課 20.7%, 管理職で業績考 課 76.4%, 能力考課 11.5%, 行動考課 11.0%であり, 賞与のほうが業績考課の反映割合が高いことがわかる。 これは, 給与のほうが人的資本価値に対する代償とい う側面が強いのに対し, 賞与はインセンティブ報酬と しての位置づけが与えられているからであろう。 近年見られる成果との連動強化のもうひとつの動き は, 会社業績や部門業績との連動である。 先述のよう に, 従来, 日本の賞与制度は組織業績との連動度合い が薄かったが, 組織業績連動型賞与の導入比率は 1999 年 34.4%から 2004 年 49.8%へと上昇している (社会経済生産性本部 2008)。 こうした一連の流れか ら, 従来日本の賞与制度で比重が低下していた利益配 分と総人件費コントロールという二つの側面が再度重 視されてきていることが窺える。 1) 本項にある退職金に関する歴史的記述は, 特に他文献から の引用を示した場合を除いては, 藤井 (1967) および山崎 (1988) に基づいている。 2) 本項にある賞与に関する歴史的記述は, 特に他文献からの 引用を示した場合を除いては, 鍵山 (1984) に基づいている。 参考文献

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