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法科大学院 2004年秋期講演会 第一部 「司法とは何だろう」

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(1)法科大学院論集創刊号. 近畿大学法科大学院秋期講演会 日時 2 0 0 4 年1 0月3 0日(土)午後 2時 午後 4時3 0 分 場 所 法 科 大 学 院 (8館 )10 階 M M会議室. 第一部. 「司法とは何だろう」. 講師. 泉徳治氏(最高裁判所判事). 近畿大学法科大学院から何か話をするようにとのお誘いをいただきましたと きに,最初に頭に浮かんだのは,若いころハーバード・ロー・スクールで傍聴 した模擬裁判コンテストでした。このコンテストは,二十世紀初頭に亡くなっ た著名な法学教授のエイムズ教授を記念して毎年行われるもので,単にエイム ズと呼ばれております。 事実関係とそれに対する一審の判決を学生に与え,上訴人又は被上訴人の立 場で上告理白書又は答弁書を書かせ,かつ実際に弁論させるものです。 2年生. 8名ずつのグループ対抗という形で行. 以上になると任意参加ではありますが. われ,準々決勝以上になると,本職の裁判官や弁護士が裁判官席に並びます。 そして,決勝戦には現職の連邦最高裁判事がわざわさ守やって来て裁判長を務め るのが慣例となっており,ロー・スクールの・大行事となります。私の傍聴し た決勝戦では,連邦最高裁判事のマーシャル判事 ( ThurgoodM a r s h a l l 1 9 6 7 ・. 1 9 91)が法壇に座って,最後に論評を行いましたこマーシャル判事は,黒人と して初めて連邦最高裁判事に任命された方で,全米有色人向上協会. (NAACP) の弁護士として公民権運動に長く携わり,テレビドラマの主人公 にもなった人です。現職の最高裁判事も加わった模擬裁判コンテストは, ロー・スクールの教育が実務と強く結びついたものであることを実感させるも h 戸 U. FO.

(2) 秋期講演会「司法とは何だろう」. のであり,私の 1年間の留学生活の中でも最も印象深いイベントとして頭に 残っております。そして,ロー・スクールでもう一つ印象に残ったのは,教授 達が大変楽しそうに活き活きと講義をしていた姿です。そんな姿を見て,私も 日本に帰ったら,田舎の高校でもよいから一度教壇に立ってみたいなと感じた 程でした。ロー・スクールでのそのような思い出があったものですから,近畿 大学のお招きに即答したという次第です。 これまで、の,日本の法学教育は,抽象的な法概念を教えるという形を取って きました。私も,学生時代,民事裁判を見たこともなく,実際の判決などを読 んだこともない状態で,既判力とは何か,訴訟物とは何かというようなことを 教えられ,ほとんど頭に入らなくて,苦労した覚えがあります。一度でも実際 の民事裁判を見ておれば,民事訴訟法も少しは理解できたのではないかなと思 います。最高裁判決も,判例集に活字になっている形で読みますと,何か有り 難いもののようにも見えますが,実際の最高裁判事の顔を見ておきますと,あ あいうおじさん達が書いているのだな,そんなに難しいことを書いているわけ ではないんだな,絶対的なものとして読む必要はないんだなと分かるのであり ます。私が,本日ここに参りました,第一の目的は,最高裁判事がどんな顔を したおじさんであるかを見てもらうことにあります。 本題に入りたいと思います。 私どもが裁判官として仕事をしているときによくぶつかる問題が,. r 司法と. は何だろう」ということです。もう少し具体的に申しますと,私どもに持ち込 まれてくる紛争が,果たして裁判官が判断してよい性質のものかどうか,換言 すると司法権の範囲内に入るものなのかどうか,司法権の範囲に入るとしても, 裁判官がどこまで深く立ち入るべきものなのか,という問題に悩まされるので あります。今日は,この司法権の及ぶ範囲と深さについて,皆さんと一緒に考 えてみたいと思います。 私は,本日,近鉄を利用して近畿大学に参りました。近鉄は,昭和 5 5年 3月. -66-.

(3) 法科大学院論集創刊号. に特別急行料金を 5 0円値上げすることについて,大阪陸運局長の認可を得まし たO 近鉄沿線に住むなどして,日常的に近鉄の特急列車を利用している 3人の 原告が,値上げ認可は違法であるとして,その取消しを請求しました。 憲法 3 2条は,. I 何人も,裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。 Jと. 規定し,国民の基本的人権のーっとして,裁判を受ける権利を掲げております。 一見すると,近鉄沿線の住民や通勤客は,特急料金値上げの可否につき,裁判 を受ける権利があると言えるようにも思えます。 この事件で直接問題となったのは,行政事件訴訟法 9条の原告適格の問題で ありますが,この際,細かい解釈論は飛ばしまして,近鉄沿線の住民や通勤客 が特急料金値上げという問題を裁判で争うことができるのかどうかという問題 としてとらえたいと思います。 一審の大阪地裁は,特急料金の値上げは不特定多数の利用者一般に影響を与 える問題で,特定の利用者にのみ影響を与える性質のものではないが,不特定 多数の利用者一般の利益といっても,結局は個々の利用者の利益に基礎があり, 個々の利用者の利益が集積されたものであるから,個々の利用者が特急料金値 上げにより自己の利益を害されたとして,値上げの可否を裁判で争うことがで きると判断しました(註 1。 ) ところが,大阪高裁と最高裁(平成元年 4月1 3日一小判決・判例時報 1 3 1 3号. 1 2 1頁)は,大阪陸運局長が特急料金値上げの可否を判断して認可するのは, もっぱら公共の利益を確保するためであって,当該地方鉄道の利用者の個別的 な権利利益を保護することを目的としたものではなく. たとえ原告らが近鉄の. 路線の周辺に居住する者であって通勤定期券を購入するなどした上,日常近鉄 が運行している特急を利用しているとしても,原告らは,特急料金の改定の認 可処分によって自己の権利利益を侵害され又は必然的に侵害されるおそれのあ る者に当たるということができないから,認可処分の可否を裁判で争うことが できない,と判断しました(iJ2 。 ). -67-.

(4) 秋期講演会「司法とは何だろう J. 近鉄特急料金値上げ事件によく似た事件として,ジ、ユース不当表示事件とい う有名な事件がありますので,併せてご紹介しておきたいと思います。 社団法人日本果汁協会が,ジ、ユースが天然果汁を何%含むかという表示につ きまして,例えば果汁含有率が 50%のものは果汁 50%と表示するが,果汁含有 率が 5 %未満のもの又は果汁を含まないものについては. 「合成着色飲料j と. か「香料使用」とだけ表示すればよいという規約を作りまして,公正取引委員 会の認定を受けました O 公正取引委員会のお墨付きを受けたわけです。これに 対して主婦連合会と会長の奥むめおさんが認定の取消しを求めて訴えを起こし ました。この訴えについて,最高裁(昭和 5 3年 3月1 4日第三小法廷判決・判例. 8 0号 3頁)は,公正取引委員会は,公共の利益の実現を目的として,国 時報8 民一般が共通して持っている抽象的,平均的,一般的利益,換言すると公益の 保護のために認定しているのであって,個々の消費者の利益を保護するために 認定しているものではないから,主婦連合会とか個人の消費者が認定の可否を 裁判で争うことができない,と判断しました。 最高裁は,特急料金値上げとかジュース表示とか,利用者一般,消費者一般 に共通の問題を裁判で争うことはできない,そのような問題は司法の領域には 入らない,と判断したわけです。 それでは,司法の領域とは一体何なのでしょうか。司法とは何なのでしょう か 。 憲法7 6条 1項は,. r すべて司法権は,最高裁判所及び法律の定めるところに. より設置する下級裁判所に属する。」と規定しておりますが,司法権が何であ るかについては規定しておりません。 そこで,憲法のあちこちの条文を集めて,司法権の輪郭をつかむほかありま せん。 第一のヒントは,憲法7 6条 3項の「すべて裁判官は,その良心に従い独立し てその職権を行ひ,この憲法及び法律にのみ拘束される。」という規定にあり. -68-.

(5) 法科大学院論集創刊号. ます。そして, 7 9条 , 8 0条で,裁判官は内閣が任命すると規定しております。 ここから,司法権の最終的な担い手である裁判官は,内閣により任命される公 務員であって,国民により選挙で選ばれる職ではない,独立して職務を行う公 務員であって,辞職して選挙により国民の信を問うなどということは予定され ていない職である,極言すると,国民の多数意見に従う必要もない職であるこ とが分かります。また,憲法と法律にのみ拘束される,逆に言うと憲法と法律 しか知らない人間であるということが分かります。 次に,憲法8 2条 1項は,. r 裁判の対審及び判決は,公開法廷でこれを行ふ。 J. と規定しております。ここから,司法権は,対審,すなわち二組の人達が法廷 という場所に出てきて原告と被告に分かれて判断材料を提供し意見を述べ, 議論し,裁判官が判決という形で最終判断を示すというものである,というこ とが分かります。 そして,憲法3 1条の「何人も,法律の定める手続によらなければ,その生命 若しくは自由を奪はれ,又はその他の刑罰を科せられない。」という規定から, 裁判が法律の定める手続に従って行われることが分かります。 これらの規定をつなぎ合わせると,司法権とは,内閣によって任命された裁 判官が,独立して,公開の法廷において,法律の定める一定の手続に従い,原 告と被告の二人から提供される証拠や意見に基づいて,法律を適用して裁判す るという形で行使されるものであることが分かります。逆に言うと,法律しか 知らない裁判官が,国民一般の意見を聴くことなく,公開法廷という場で原告 と被告の二人から意見を聴き,証拠を示された上.一人独立して最終判断を示 すに相応しい問題が,司法権の対象であるということになります。 近鉄特急料金値上げの可否,ジ、ユース表示の n f否をめぐる紛争について,最 高裁は司法の領域には入らない問題であると判断しました。これらの問題は, 何十万,何百万という不特定多数の一般利用者.一般消費者に共通の影響を与 える問題で,もし裁判所が判断を示すとなると.社会一般に影響を与えるとい. -69-.

(6) 秋期講演会「司法とは何だろう j. う意味で,立法作業に似た作業を行うことになる. O. そのような作業は,特定の. 個人が,自分の意思だけで法廷に持ち込み,個人で集めた証拠を提出し法廷 に出頭した原告と被告の二人だけで議論を展開し,他の人には意見を述べる機 会も与えられないという条件の下で行うには相応しくない,また,経済情勢, 企業活動,消費生活等に詳しくない裁判官が法律のみを頼りにして行うには相 応しくない,と判断したのでしょう. O. 法廷で争えるのは,原告と被告聞の問題. に限定される。よく,権利や紛争の「個別性」ということが言われますが,こ のことを指しております。 関連しでもう一点付け加えますと,特急料金値上げ問題でも,ジ、ユース不当 表示問題でも,原告となった近鉄沿線住民や主婦連合会及び奥むめおさんは, 特急券や無果汁ジ、ユースを実際に買わないかも知れない。そうすると,原告ら が権利利益を害されて損害を受けるというのは,仮定の問題にすぎない。仮定 の問題を裁判で争えるとなると,法律は制定されたがまだ権利侵害が発生して いないという段階で,その法律の違憲であることの確認を求める訴訟(抽象的 違憲訴訟)なども提起することが許されることになる. O. そして,実際に権利利. 益の侵害が発生しなかったとすると,裁判所は無駄骨を折ることになる. O. 所は訴訟の洪水に見舞われ,その機能を遂行する上で重大な障害が生ずる. 裁判 O. ま. た,いまだ権利利益の侵害を受けていない原告は,的確な主張を展開しあるい は適切な証拠を提出することができない。裁判所は,結局,抽象的な問題につ いて一般的基準を示すことになるが,裁判所にはそのような能力はない。国民 は裁判を受ける権利を有するといっても,実際に権利利益の侵害が発生してい ない段階から,自己の持つ抽象的意見の適否についてまで,裁判を受けるとい う権利はない,ということになります。よく,権利や紛争の「具体性」がない, ということが言われますが,このことを指しております。 以上述べたことをまとめますと,裁判所は,当事者間の個別具体的な権利義 務ないし法律関係の存否に関する紛争であって,法令の適用により終局的に解 門 I'. ハ U.

(7) 法科大学院論集創刊号. 決できるものを扱うところであり,司法権の対象となるのは,このような紛争 である,ということになります。 裁判所が訴え却下の判決をしますと,報道機関は,裁判所がまた門前払いを したといって非難しますが,訴え却下という判決は,裁判所に持ち込まれた事 件が司法権の対象ではない,すなわち当事者間の個別具体的権利義務に関する 紛争であって法律の適用によって解決できる性質のものではない,と言ってい るわけです(削)。 司法権の範囲について,一応のご説明を致しましたが,立法や行政との聞に 誰が見ても分かるような明確な境界線があるわけではありません。また,その 境界線は,時代によって動くのであります。私どもは, しばしば,目の前に持 ち込まれた紛争が司法権の範囲内に入るものなのかどうかと悩み,境界線がど こにあるのか探します。しかし,よく考えてみますと,あらかじめ客観的な境 界線があるのではなく,事件ごとに自分たちで、境界線を作っているのではない か,という感じも致します。実は,本日申し上げたいのは,そのことなのであ ります。 我が国の民主主義の下では,国民が選挙で選ぶ国会が,国権の最高機関とし て国の中心に座っています。その国会が法律を作り,行政は国民一般を対象に 国会の作った法律を執行しております。司法は,特定の国民の間で個別具体的 な紛争が生じた場合に,国会の作った法律を適用して紛争解決のための判断を 示します。これが. 民主主義の基本的構造ですが.私どものところへ来る事件. は,国会があらかじめ作った法律を適用すればすむというものは少なく,果た して司法権の範囲に入るのかどうかも問題になるものが少なくありません。裁 判所が,法律解釈という形で,自分で境界線を描き,判断基準を形成しなけれ ばならないのであります。 今度の司法制度改革の中で,裁判所の境界線の引き方が狭すぎる,法律解釈 が窮屈すぎて裁判所の入口を狭くしすぎているのではないかということが議論 Ei 噌. 門 i.

(8) 秋期講演会「司法とは何だろう J. になり,行政事件訴訟法の 9条 1項の,行政処分の取消訴訟は当該処分の取消 しを求めるにつき法律上の利益を有する者に限り提起することができるという, 原告適格を定めた規定に続いて,次のような第 2項が加えられました。. r 2 裁判所は,処分又は裁決の相手方以外の者について前項に規定する法 律上の利益の有無を判断するに当たっては、当該処分又は裁決の根拠となる法 令の規定の文言のみによることなく,当該法令の趣旨及び目的並びに当該処分 において考慮されるべき利益の内容及び性質を考慮するものとする. O. この場合. において,当該法令の趣旨及び目的を考慮するに当たっては,当該法令と目的 を共通にする関係法令があるときはその趣旨及び目的をも参酌するものとし, 当該利益の内容及び性質を考慮するに当たっては,当該処分又は裁決がその根 拠となる法令に違反してされた場合に害されることとなる利益の内容及び性質 並びにこれが害される態様及び程度をも勘案するものとする。」 この第 2項は,裁判所の法律解釈に対し非常に念の入った注文を付けるとい う,大変珍しい条文です。司法制度改革の一環として生まれてきたもので,通 常でしたら生まれてこなかったのではないかと思いますが,近鉄特急料金値上 げ事件,ジュース不当表示事件などがこの条文を生むきっかけとなっておりま す。近鉄沿線の住民や主婦連合会が裁判所の間口を広げたわけです。 私は,この条文を最初に見ましたときに,裁判所に対し法律条文をこのよう に解釈しなさいとあれこれ指図しているようなもので,いかがなものかと思い ました。しかし,よく考えてみますと,裁判所が,不特定多数の国民に共通す るような問題は立法や行政の領域ですよ,といって遠慮していたのに,立法や 行政の方が,いや裁判所でもっと取り扱ってよ,というメッセージを送って来 たのではないかと思うようになりました。つまり,司法の境界線を広げて,そ こに立法や行政の仕事と,思っていたものを持ち込もうとする動きの一つではな いか,と解釈するようになりました。そのように思えば,悪い気はしないので あります。 月 i. ワμ.

(9) 法科大学院論集創刊号. ただし,自分たちに都合よく解釈して自己満足しているわけにはいきません。 我々は,あくまでも一介の裁判官,一介の公務員に過ぎない,国民から選ば れたわけではない,国権の最高機関は国民の選挙で選ばれた国会であるという ことを忘れてはいけないでしょう=私は,そのような観点から,司法権の活動 範囲を考える際には,二つの点に気を付けております。 日本の社会を一つの大きな輪としますと,その輪の中に立法,行政,司法と いう三つの輪が入っている. O. その他に,大学であるとか宗教団体であるとか,. 部分社会をなす小さい輪も入っている. 社会の中で紛争が起こった場合,立法,. O. 行政,司法のどこかが出動しなければならない,互いに譲り合って,誰一人解 決に乗り出さないという真空地帯を作ってはならない。問題によっては,立法, 行政,司法の三者以外の,例えば大学,宗教団体,日本相撲協会などの部分社 会の自律にゆだねた方がよいものもあるでしょう. O. ともかく,どこかで解決す. べきで,空白部分ができないようにしなければならないということが,第一の 留意点です。司法権の境界外の問題であるといって訴えを却下するときも,そ の問題を処理するに相応しい機関が他にあるのかどうかを検証した上で却下す べきであると考えております。 もう一つ気を付けているのは,民主主義社会の健全な在り方として,司法が どのように行動するのがよいのかを考えるということです。民主主義社会の健 全な形として,司法はある時は積極的に行動し,ある時は深入りすることを控 えることも必要になるでしょう O この問題を考える際に,私が判断の拠り所と しているのは,アメリカ連邦最高裁判所の 1 9 3 8年カロリーヌ判決の脚注 4であ ります。今から 66年前の判決で,随分古いものを持ち出したなとお思いかも知 れませんが,これが決して古くさいものではなく,新鮮さを維持し続けている のです。 カロリーヌ判決自体は,州問の通商において,脱脂乳に午乳以外の植物油脂 等を混ぜた加工牛乳を出荷することを禁止している法律が,憲法に違反しない, 円 i. q δ.

(10) 秋期講演会「司法とは何だろう J. と判断したものです。この判決は,通常の通商取引に関する規制立法について は合憲性の推定が働き,既知の事実や一般に広く想定された事実に照らして不 合理であると考えられるような場合ででもなければ違憲と判断されることはな い,としています。経済的な自由を制限する立法の合憲性の問題については, 裁判所はあまり立ち入って審査すべきでないという態度を示したものである O いわば司法権の深さを問題としております。 日本にも,似たようなケースとして,サラリーマン税金訴訟があります。同 志社大学の大島教授が,所得税の課税について,農業や商業等の事業所得者の 場合には,収入金額から実際の必要経費を控除した所得金額を自分で申告して 納税できるにもかかわらず,サラリーマンの場合には,収入金額を 100%捕捉 された上,必要経費の実額控除も認められないという仕組みになっており,憲 法1 4条 1項の法の下の平等原則に反すると訴えたものです。これに対し,最高 9巻 2号247頁は, 裁昭和 60年 3月27日大法廷判決・民集 3. I 租税法の分野におけ. る所得の性質の違い等を理由とする取扱いの区別は,その立法目的が正当なも のであり,かつ,当該立法において具体的に採用された区別の態様が右目的と の関連で著しく不合理で、あることが明らかでない限り,その合理性を否定する ことができず,これを憲法 1 4条 1項の規定に違反するものということはできな い。」と判断しました。租税法については,裁判所は,基本的には国会の裁量 的判断を尊重して,その合憲性について深く立ち入って審査することはしない, という態度を採用したものです。私は,この大法廷事件の担当調査官でありま したが,カロリーヌ判決の違憲審査基準というものを十分意識しておりました。 ところで,カロリーヌ判決には,. FOOTNOTE4という有名な脚注がつい. ておりまして,法廷を代表して判決を書いたストーン判事が付けたものです。 カロリーヌ判決は,先ほど紹介した本文よりも,脚注 4で有名な判決です。 脚注 4は若干難解な文章ですので,分かりやすくその趣旨をご説明しますと,. ① 民主主義の政治過程を制約する法律については,裁判所はその合憲性を厳 門 i. A斗 4.

(11) 法科大学院論集創刊号. 格に審査しなければならない。政治過程を制約する法律とは,選挙権の制限, 情報を広めることの制限,政治団体に対する干渉,平和的集会の禁止などの 法律を指す。. ②. 憲法が掲げる基本的人権を制約する法律については,合憲性の推定が働か ず,裁判所はその合憲性を厳格に審査しなければならない。. ③ 特に,特定の宗教的,人種的,民族的少数者に向けられた法律,すなわち 個々の孤立した少数者の人権を制約するような法律については,裁判所はそ の合憲性を厳格に審査しなければならない。 というものです削)。 更に要約しますに選挙権,表現・集会・結社の自由など民主主義の政治過 程に不可欠な権利を制約する法律や,基本的人権,特に宗教的,人種的,民族 的少数者の人権を制約する法律の合憲性については,裁判所は厳格に審査すべ きである,というものです。これらの権利が問題になるときは,まさに裁判所 の出番である,司法が積極的に活動すべきであると言っているのです。 この裁判所の出番について,具体的な事例に即して考えてみたいと思います。 今年の 7月に参議院議員選挙がありました。大阪府では, 7 1 8, 0 0 0 票を取っ た方が次点で落選しました。しかし,この得票数は,東京,千葉,神奈川,兵 庫以外の 4 3の選挙区であれば当選できた得票数でした。鳥取では, 1 5 1, 0 0 0票 の人が当選しました。議員 1人当たりの人口で、比較しますと,大阪府は鳥取県 の4 . 8倍です。大阪府民は 4 . 8人で,やっと鳥取県民の 1人分の投票権を与えら れているのです。それでは,大阪府の選挙人は.大阪府選挙区における参議院 議員選挙は憲法 1 4条の法の下の平等に違反し無効であるとして,選挙無効確認 訴訟等を提起することができるでしょうかご ここでも,問題になるのは,選挙権というものが個人の個別的な権利である か否かです。先ほど申しましたように,司法というのは,法廷に原告と被告が 出てきて自分たちの権利関係の存否を争い,裁判所がこれに対し裁定を下す作 h 戸 d. 門 i.

(12) 秋期講演会「司法とは何だろう」. 用である O 原告や被告が主張できるのは,自分たちの個別的な権利である D 選 挙権が,原告の個別的な権利であるとすれば,その権利について不当に差別を 受けているとして,訴えが提起できる O それに対し判断を行うことは司法権の 範囲に属するということが言えそうです。 国民の権利について定める実定法には,二つの種類があると言われています。 一つは,個人の権利利益を保護することを目的として法律が定められている場 合で,この個人の権利利益が侵害されたときにこれを救済するのは司法である. O. 先程から個別具体的権利の保護と言っている「個別性」が肯定されるからです。 侵害されたと主張する原告と侵害したと名指しされた被告の二人だけで法廷で 決着を付けることになじむ権利利益です。もう一つは,一般的な公共の利益と か,民主主義体制の確保といった目的の下に,国民一般に権利を与えている場 合で,国民としては,他の一般国民と全く同じ条件で一律にその権利を享有す ることになります。その権利に問題が生じても,それは国民一般の問題として 立法とか行政の場で解決すべきで,特定の個人が法廷で争うには相応しくない 問題です。選挙権は,国民一般に一律に与えられた権利と考えられており,大 阪府の府民が鳥取県の県民と比較し投票の価値に差があるとしても,それは立 法で解決すべきである D 大阪府民や鳥取県民が裁判所へやってきても,法廷に はとても入りきれない,代表を選んで国会で多数決で決めるべきであると考え られております。これが通説判例であります。 もちろん,現実には,定数是正訴訟というのがあり,法廷で投票価値の格差 が論じられておりますが,これは公職選挙法 204条の「選挙の効力に関する訴 訟」に乗っかったものです c 選挙の効力に関する訴訟は,選挙の効力に異議の ある選挙人又は公職の候補者は選挙管理委員会を相手に提起することができる というもので,民衆訴訟,客観訴訟と呼ばれているものの一つであります。公 職選挙法の規定に違反して行われた選挙の効果を失わせて,改めて同法に基づ く適法な選挙を行わせることを目的としたものですが,適法な選挙を実現する. -76-.

(13) 法科大学院論集創刊号. という,国民一般の利益を図るため,法律が特に作った制度で,選挙人等の個 人の権利を保護するための主観訴訟ではなく,本来は,司法権の対象ではない。. 2条の裁判を受ける権利の対象とはならない。選挙の適正を期するため, 憲法3 選挙人たる資格という原告らの個人的な法律上の利益にかかわらない資格で提 起するものである O 本来の司法権には含まれないが,法律が裁判所の仕事とし て特に作ったものであると考えられています。. 3年の参議院議員選挙に関する定数是正訴訟についての判 本年 1月に,平成 1 6年 1月 1 4日大法廷判決・民集 58巻 1号 2 4 7頁)がありました。 決(最高裁平成 1. 東京都選挙区,千葉県選挙区,神奈川県選挙区の三つの訴訟がありましたが, . 0 6でした。 この選挙では,投票価値の最大格差は東京都と鳥取県との聞の 1対 5. 千葉県選挙区,神奈川県選挙区に関する判決において,多数意見も反対意見も, 1対5 . 0 6の格差のある公職選挙法の下で行われた選挙が有効か無効かを論じて. 対5 . 0 6は東京都に関する格差で,千葉県や神奈川県に関する数 おりますが, 1 値ではありません。千葉県や神奈川県の判決では,千葉県や神奈川県の数値を 使うべきではないか,ということが疑問になります。これは,選挙の効力に関 する訴訟は,民衆訴訟であって,千葉県や神奈川県の特定の選挙人の権利を救 済する主観訴訟ではない,千葉県とか神奈川県とか個別の選挙区は問題ではな く,公職選挙法の定数規定が全体として違憲か合憲かを判断すればよい,とい う考えに基づくものです。 それでは,国会が,選挙ごとに定数是正訴訟を提起されることを避けるため, 公職選挙法 204条を廃止したり,定数について異議を申し立てることはできな いと法律を改正したとしたら,どうなるのでしょうか。 民衆訴訟は,法律で特に定められている場合にのみ認められるものですから, 公職選挙法 204条が廃止されれば,もはや定数是正訴訟が提起できない,定数 是正問題は国会で解決を図るべきである,となりそうです。 定数是正の問題は立法的に解決するほかありませんから,国会が解決の場で. -77-.

(14) 秋期講演会「司法とは何だろう」. あることは間違いありません。しかし国会に任せきってよいかどうかが問題 です。「悪い議員配分は,立法的な医薬によっては治らない病気である。」と 言った人がおりますが,議員配分に問題があるとすると,問題のある議員配分 により当選してきた人たちに,問題の解決を全面的にゆだねることは無理なよ うに思います。そうすると,司法が一部介入すべきではないか,という考えが 出てまいります。 もっとも,司法が介入できるというためには,問題を解決する基準を司法的 に発見できること,言葉を換えると,基準を法廷で見つけられることが必要で あります。中選挙区制がよいか,小選挙区制がよいかといった問題は,法廷で は拠り所とすべき基準を見つけることが困難かも知れません。しかし,投票価. 4条 , 1 5条 , 44条等の規定を拠り 値の平等という問題は,裁判所でも,憲法の 1 所として導き出すことができます。 そして,選挙権は,確かに国民一般に共通に与えられるものではあるが,個 人としても,民主主義社会にあって,他の人と平等に意見を表明し,政治に参 画したいと考えるのは当然で、あって,その意味で,選挙権は個人的な面も含ん でいると考えます。 そこで,私は,定数是正訴訟は,司法権の本来の範囲に入る問題である. O. 定. 数是正訴訟は,主観訴訟である O やや専門的に言えば,行政事件訴訟法上の無 名抗告訴訟であると考えるのであります。そういう考えの下に,私は,今年 1 月の大法廷判決の中で,千葉県選挙区の判決では,千葉県の選挙人の投票価値 を説明し,神奈川県選挙区の判決では,神奈川県の選挙人の投票価値を特に説 明したわけです。 私と同じような考えを述べた先輩もおりますが,今のところ少数説でありま す(注 5)。裁判所は国会に対し定数是正を必ず実行させるた、けの権限を持ってお らず,国会が従ってくれないと,裁判所の権威が失墜するだけであるから,裁 判所はこの問題に深入りすべきでないという有力な考え方もあります(注ヘ. -78-.

(15) 法科大学院論集創刊号. しかし,. 私は,投票価値の不平等は,憲法 14条の法の下の平等にかかわる. 立法であり,また,ストーン判事の脚注 4が指摘するところの政治過程を制約 する立法の一つであるから,その是正,救済には司法の介入が必要である,司 法の出番である,と考えるのです= 今年 1月の参議院議員定数是正訴訟判決の反対意見の中で,私が次のように 書きましたのも,今述べたような考えに基づくものです。 「民主主義国家にあっては,司法は,国民の代表たる議会の行った立法の相 当性に立ち入って審査すべきではなく,また,違憲判断も慎重であるべきであ るO 立法が賢明であるか否かは,国民が投票所における投票によって審査すべ きことであり,不賢明な立法の是正は,投票と民主政の過程にゆだねるべきで ある. O. しかし,それは,選挙制度を中心とする民主主義のシステムが正常に機. 能し,全国民が投票所で正当に意思を表明することができ,その意思が議会に 正当に反映される仕組みになっているということが前提となっている O 選挙制 度が国民の声を議会に届けるシステムとして正当に構築され,議会が国民代表 機関として正当に構成されているということが大前提となって,議会には広範 な立法裁量権が与えられ,その裁量権行使の是非の審査は投票と民主政の過程 にゆだねるということができるのである O 選挙制度の構築,特に投票価値につ いてまで議会が広範な裁量権を有することになっては,議会に対する立法裁量 付与の大前提が崩れることになるのであるこ本件の東京都選挙区の選挙人の立 場に即していえば,立法裁量論に依拠する場合.他の地域の選挙人に比して低 い投票価値しか与えられていないことの是正を.低い投票価値の故にその声が 一部しか反映されることのない国会の広範な裁量にゆだ、ねなければならないこ とになるが,それが不合理であることは明らかというべきであろう のシステムが正常に機能しているかどうか.. O. 民主主義. ( : F I 氏の意思を正確に議会に届ける. 流れの中に障害物がないかどうかを審査しシステムの中の障害物を取り除く ことは,司法の役割である. O. 議員定数配分の問題は,司法が憲法理念に照らし i. 月. ハ可 U.

(16) 秋期講演会「司法とは何だろう」. て厳格に審査することが必要であると考えるこ」 そして,ストーン判事の脚注 4は,もう一つ,少数者に向けられた立法を取 り上げております。この問題も,司法が積極的に介入する必要があるものと考 えます。民主主義のシステムがどんなに適正に運用されていても,そこでは多 数決によって物事が決せられますから,民主主義の政治過程に代表を送り出す ことができない孤立した少数者の権利救済は,司法が担当しなければならない と考えます。 最高裁第一小法廷は,非嫡出子の相続分が嫡出子の相続分の 2分の 1である ことを定めた民法 9 0 0条 4号ただし書前段の規定が合憲であるという判決(最 高裁平成 1 5年 3月3 1日一小判決・判例時報 1 8 2 0号 6 2頁)を致しましたが,私は, 今述べたような考えから,次のような反対意見を書きました。 「私は,民法 9 0 0条 4号ただし書前段の規定(以下「本件規定」という。)は, 憲法 1 4条 1項に違反して無効であり,原判決は破棄すべきであると考える。 本件規定は,嫡出でない子の相続分を嫡出である子の相続分の 2分の 1とす ることによって,嫡出でない子を差別するものである. O. しかも,その差別は,. 自己の意思によらずに,出生によって決定された嫡出でない子という地位ない. 4条 1項は, し身分によるものであるが,憲法 1. I 社会的身分」を特に掲げて,. すべて国民は社会的身分等によって差別されないと規定している. O. また,かか. 3条及び2 4条が掲げる個人としての尊重,個人の尊厳の理念を る差別は,憲法 1 も後退させる性質のものである O もとより,憲法 1 4条 1項は合理的理由のない差別を禁止する趣旨のもので あって,各人に存する経済的,社会的その他種々の事実関係上の差異を理由と してその法的取扱いに区別を設けることは,その区別が合理性を有する限り, 同条項に違反するものではない。本件規定は,法律上の婚姻を尊重し保護する という立法目的に基づくものであって,その目的には正当性が認められるが, 本件規定が採用する嫡出でない子の相続分を嫡出である子の相続分の 2分の l. -80-.

(17) 法科大学院論集創刊号. とするという手段が上記立法目的の促進に寄与する程度は低いものと考えられ, 上記立法目的達成のため重要な役割を果たしているとは解することができない。 したがって,本件規定の持つ合理性は比較的弱いものというほかない。一方, 嫡出でない子が被る平等原則,個人としての尊重,個人の尊厳という憲法理念 にかかわる犠牲は重大であり,本件規定にこの犠牲を正当化する程の強い合理 性を見いだすことは困難である. O. 本件規定は,憲法 1 4条 1項に違反するといわ. ざるを得ない。 本件が提起するような問題は,立法作用によって解決されることが望ましい ことはいうまでもない。しかし,多数決原理の民主制の過程において,本件の ような少数グループは代表を得ることが困難な立場にあり,司法による救済が 求められていると考える。」 本日は,. I 司法とは何だろう Jという問題について,私の考えていることを. 述べさせていただきました。先程も申しましたように,司法権,あるいはその 範囲が明確に定まっているわけではありません O 裁判所の窓口を広げよ,とい う行政事件訴訟法の改正も行われました。このような司法の門戸を広げよ,と いう動きにつきまして,その底にあるものは何だろうかと考えてみました。 一つには,国民の行動が広がり,思考も多様化し,個性が強くなり,社会が 激しく変化する中で,あらかじめ社会の各方面までカバーするような固定的, 網羅的な法律・規則を定めておくことが困難になってきた。細かい規則を作っ ておくよりも,法律・規則は基本的方針を示すにとどめ,問題が起これば,そ の都度,その事案に沿って柔軟に解決する方法,つまり司法的解決の方が複雑 化した社会にマッチするようになったのではないでしょうか。 二つ目は,国民の選出した国会があらかじめ国民の行動基準となる法律を作 り,行政がこれを執行する O そして,行政は,経済界や民間のいろいろな分野 に指導力を及ぼす。民間の中心には金融機関があって,各方面の業界をまとめ るO 業界は組合,協会を作って内部統制を行う O 大きな企業は系列会社,下請 i. o o. , ー.

(18) 秋期講演会「司法とは何だろう J. け会社をまとめていく。そういうピラミッド型の社会でみんなが法律や行政指 導,申し合わせ,しきたりに従って行動する。こういう中央集権的なシステム は,外国との競争を強いられるグローバル時代の経済活動等に合わない面が出 てきた。また,中央集権的な体制の持つ閉鎖的な側面が,国民や外国から批判 されるようになってきた。各人,各企業に自由な活動を認め,問題が生ずれば, 司法の場で解決していけばよい。公開の法廷で透明・公平な手続に従って当事 者が議論・論証を展開し,中立性・独立'性を持った裁判所が解決策を提示する 正義は法律などの中に客観的な姿としてあるだけでなく,正義を発見するため の討議,手続過程そのものの中にも正義がある. O. そういうことで,政治・行政. 的な解決よりも,オープンな手続を通して何が社会的に正しい行為であるかを 見つけだしていく司法的解決方法の方に,国民がより高い正当性を感じるよう になったのではないか,ということも感じられます。 三つ目に,代表民主制の中では,国民の生の声というものが埋没しがちとな り,個性を増してきた国民は,自己の生の声を直接世間に伝える場を求めてい るということもありましょう. O. 個人が国家と対等な立場に立って声を発するこ. とのできる場を求めております。 このような社会の変化が,司法はもっと門戸を広げよ,法廷を中立的な公的 空間としてもっと活用せよという動きの底流になっているのではないか。その 一つの現れが行政事件訴訟法の改正ではないか。今回の司法制度改革の中で, そのような感じを抱いた次第であります。 そして,これからの法律家は,個別事件に法律を適用するだけの職業ではな い。法律は柱だけを立てた未完成建築物である. O. 法律家は,個々の事件ごとに. 法律を完成させ,正義を発見していかなければならない。法律家は,紛争の解 決をゆだねられる都度,自ら判断基準を創っていかなければならないのであり ます。法律家は,いわば共同立法者であり,法の語り手であります。医者にた とえますと,患者は一人一人が個性を持ち,病状も様々です。一人一人につい. -82-. O.

(19) 法科大学院論集創刊号. て,その時その時の最善の治療方法を見つけ,それを実行しなければなりませ ん。そのためには,できる限り広く,過去の治療経験を知り,最新の知識を頭 に入れて,患者から正確な病状を引き出し,日ごろ鍛えた技術を発揮しなけれ ばなりません。法科大学院は,病気に対する医者のように,紛争に対する最善 の紛争解決案を見つけだすための訓練をする場所だと思います。 「推定無罪」などの法廷ミステリーを書いているスコット・タローという人気 作家が勉強に追いまくられるハーバード・ロー・スクールの 1年生の経験を書 いた「ハーバード・ロー・スクール. -わが試練の一年一」という本の中に,. アメリカにおける消費者訴訟の先駆者であるラルフ・ネーダー弁護士から聞い た言葉が出ています。「法学教育は,正義の力を助長するために必要な,分析的, 経験的技術を,精綴な倫理的枠組の中で開発することを,その主目標と考えて いる。」という言葉です。そのとおりだと思います。 近畿大学のある東大阪市といえば,私の好きな司馬遼太郎さんが住んでいた 街です。司馬さんは,. I 教育とは何か」という講演の中で,音楽などの技術教. 育では,徹底的な技術の刷り込みが行われると言った後で,. I 法学部なら講義. r. に行っても行かなくても,家に帰って本を読めばいし ¥0 六法全書 Jと学説を丸 暗記すれば,運がよければ司法試験に通ります。文学部にいたっては国家試験 もない。学ぶべき技術が音楽関係ほどにはない。」と述べておられます。いか に司馬さんのファンであっても,このコメントに対しては異議を差し挟みたい ところですが,残念ながら従来の法学教育には司馬さんがいうような面があっ たことを認めざるを得ません。しかし,これからは,丸暗記ではなく,ラル フ・ネーダーの言うように,正義にかなった法,紛争解決の判断基準をいかに して創り出すかを勉強をしなければならないと思います。アメリカのロー・ス クールの学生のように,法科大学院の皆さんにとっては,今が試練の時です。 どうか,精一杯頑張っていただ、きたいと思います。. -83-.

(20) 秋期講演会「司法とは何だろう」. (注1) 大阪地裁昭和 57年 2月1 9日判決・判例時報 1 0 3 5号 2 9頁 i (地方鉄道法21条 1項が運賃等の定めについて認可を必要とする趣旨が,鉄道利 用者の利益を保護することにもあるから, )ここにいう鉄道利用者の利益とは,鉄 道利用者の個別的具体的な利益を含むものとしなければならない。なぜならば, (1)運賃等の改訂の認可は,運賃等の改訂そのものではなく,また,当該鉄道を 利用しない限り運賃等の支払義務が生じないけれども,鉄道運送事業の独占的地位 のために当該鉄道を利用せざるを得ないことや,認可は,自動的に運賃等の具体的 改訂に結びつくことからみて,運賃等の認可処分は,個々の鉄道利用者の利益に直 接影響を及ぼすものであるということができ, (2) 不特定多数の一般利用者が持 つ共通の利益は,結局,個々の利用者の具体的利益の抽象化されたものであるから, 個々の利用者の具体的利益に基礎があるものであって,個々の利用者の具体的利益 に還元されるからである。」 ( 注 2) 最高裁平成元年 4月 1 3日第一小法廷判決・判例時報 1 3 1 3 号1 2 1頁. 1条は,地方鉄道における運賃,料金の定め,変更につき監督官庁 「地方鉄道法2 の認可を受けさせることとしているが,同条に基づく認可処分そのものは,本来, 当該地方鉄道の利用者の契約上の地位に直接影響を及ぼすものではなく,このこと は,その利用形態のいかんにより差異を生ずるものではない。また,同条の趣旨は, もっぱら公共の利益を確保することにあるのであって,当該地方鉄道の利用者の個 別的な権利利益を保護することにあるのではなく,他に同条が当該地方鉄道の利用 者の個別的な権利利益を保護することを目的として認可権の行使に制約を課してい ると解すべき根拠はない。そうすると,たとえ上告人らが近畿日本鉄道株式会社の 路線の周辺に居住する者であって通勤定期券を購入するなどしたうえ,日常同社が 運行している特別急行旅客列車を利用しているとしても,上告人らは,特別急行料 金の改定(変更)の認可処分によって自己の権利利益を侵害され又は必然的に侵害 されるおそれのある者に当たるということができず,右認可処分の取消しを求める 原告適格を有しないというべきであるから,本件訴えは不適法である。」. ( 注 3) 平成 1 6 年 7月 2 9日の新聞報道によると,この日,東京地裁で受精卵診断訴訟 の第一回口頭弁論が行われた。受精卵診断というのは着床前診断ともいわれ,生ま れてくる子供の遺伝子の異常の有無などを着床前の受精卵で診断するもので,体外 受精した受精卵が 4~8 個の細胞に分割した段階で 1 , 2個の細胞の遺伝子を調 べ,異常のない受精卵を子宮に移植し妊娠,出産させるというものである O 被告の 日本産婦人科学会は,受精卵診断を行う場合にはあらかじめ学会の審査承認を受け るようにとの会告(指針)を定めていて,この方針に従わないで、受精卵診断を行っ た産婦人科医師を学会から除名したところ,その医師が学会の指針や除名処分の無 効確認などを求めて訴訟を提起した。被告の日本産婦人科学会は,この問題は高度 に倫理的な問題で司法判断になじまない,任意団体である学会の自律権にゆだねる. -84-.

(21) 法科大学院論集創刊号 問題である,という答弁を行った,とのことである。司法の判断基準の問題のほか に,司法などの国家機関が介入できるかという部分社会の問題を取り上げているの であろう O ( 注 4) UNITEDSTATESv .C : ¥ROLE:¥EPRODUCTSC O . .3 0 4U .S .144 ( 1 9 3 8 )f o o t -. n o t e4 「①立法が,その文面上,憲法修正 l条から修正 1 0条までの 1 0 箇条(これらの条 項が修正 1 4 条の正当な法の手続及び法の平等なる保護の原則の中に包含されると考 えられる場合も同様であるが)による禁止のように,憲法による明確な人権制限禁 止の範囲内に入っていると考えられる場合には,合憲性推定の働きはより狭い範囲 となろう ②望ましくない立法の廃止をもたらすことを通常期待することができる政治過程 を制約する立法は,修正 1 4条の一般的禁止の下で,他の多くの類型の立法の場合よ りも,より厳格な司法審査に服すべきかどうかということを,州際通商の問題を 扱っている本件では考える必要がない。ここで政治過程を制約する立法とは,選挙 権の制限,情報を広めることの制限,政治団体に対する干渉,平和的集会の禁止な どの立法を指す。 ③特定の宗教的,人種的,民族的少数者に向けられた立法の審査について,政治 過程を制約する立法の審査と同様の考慮が及ぶかどうかを,本件において調査する 必要はない。すなわち,個々の孤立した少数者に対する偏見が,通常は少数者を擁 護するために頼りとされる政治過程の働きをひどく抑制し,それに対応してより厳 密な司法審査を要求するであろうというような特別の状況となり得るかどうかを, 本件において審査する必要はない。 J O. ( 注 5) 最高裁昭和 5 1年 4月 1 4日大法廷判決・民集 3 0 巻 3号2 2 3頁の岸盛一反対意見抜 粋. 「多数意見は、従来の当裁判所の判例を踏襲して、公選法二 O四条が選挙の効力 を争うことのできる現行法上唯一の手続であるとの理由から、同条の規定によりつ つこの種訴訟の特殊性を考慮にいれ、これに若「の修正をほどこすことによって右 の目的を達しようとするのであるが、私は、この種訴訟の民衆訴訟的な性質を考慮 しながらも、その抗告訴訟的性質を重視し、権利救済についての一般的な手続法で ある行訴法を手がかりとして、この種訴訟の性絡にふさわしい手続を案出するのが 適当ではないかと考える O ただ、このように考えるとしても、もともと、公選法も 行訴法もこの種訴訟を予想していないのであるから、行政訴訟上の既成の法概念を もってしては律しきれないものがあり、法体系の理論的整合の点で多少の無理をお かすことは免れない。しかしながら、平等な選挙権という議会制民主政治に不可欠 な国民の基本権が憲法に直結するものであることにかんがみるならば、在来の理論 的障壁を乗り超えて、ある程度の自由な法創造的思考の加わることは当然なことと. h 戸 u. o o.

(22) 秋期講演会「司法とは何だろう」 考える。 j ( 注 6) 最高裁昭和 39年 2月5日大法廷判決・民集団巻 2号 270頁の斎藤朔郎意見抜粋 「ある事項を原則的には裁判所の司法審査の対象から除外しながら、例外的には その事項につき司法審査のおよぶ場合のあることを留保していることは、司法権の 権威を守り、裁判官の職務に忠実ならんとする熱意の現われともいうべきものであ って、それは延いて国民の基本的人権の擁護に奉仕するものである。この心構えが、 裁判官にとって必要なことはいうまでもないが、実際問題として、そうすることに よって果して所期の知くに司法権の権威を高め、国民の信頼をえることができるで あろうか。私は、この点を再考してみる必要があると思うのである。アメリカ合衆 国最高裁判所が一九六二年三月二六日にした B a k e rV .C a r r事件の判決についてい るフランクフルター判事の長文の少数意見を通読して、その感を一層深くした。(以 下の記述のうちで、 I Jをもって表示しである部分は、同判事の意見またはその 引用の先例中の文句を意訳したものである。) 「財力も武器も持たない裁判所の権威は、最終的には、国民の道義的な信頼によ って支えられているのである。そのような国民感情を培養するには、裁判所は、事 実上も外観上も、政治的紛争から完全に離れること、政治的決定に際しての政治的 勢力の衝突の渦中に身を投じないことが必要である。」司法審査の門戸を広げるだ けでは、司法権の権威を必ずしも高めることはできない。司法審査の範囲を拡大す るよりも、「司法権の効果的な実行に内在する本来的な限界」を守っていくことの 方が、むしろ肝要であらねばならない(斎藤朔郎・法と国家権力、法哲学年報一九 五五年一六頁参照)。 選挙区別の議員定数を決定する要素は、多数意見も説示しているように、選挙人 の人口比率以外の幾多の要素をも包含している O そして、それらの諸要素を考慮に 入れて判断するには、「司法的判断のための満足すべき基準 Jがないということに、 留意しなければならない。フランクフルター判事は、「かかる問題の決定権を裁判 所に与えることは、裁判官に神の力を与えようとすることである。 Jとまで極言し ている。「わが憲法の下では、すべての政治的な過誤や立法権の望ましからぬ行使に 対し、常に司法的救済が与えられるものとは限らないということを、卒直に認識し 民主社会においては、国民の代表者の良識を呼びさます国民 なければならない。 JI の良識に、救済を求めるより外はないのである。」ということで満足すべき場合も あるのでないだ、ろうか。 J. -86-.

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