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刑事訴訟手続における法と現実の不一致

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八 講 演

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刑事訴訟手続にゐける法と現実の不一致

6 3 -1i'奈良法学会雑誌』第9巻 1号(1蜘 年6月〉

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め 一 九 九

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年三月に定年退官するまで、約四

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年間裁判官をしておりました。 そのうち三

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年以上の間刑事裁判に携わっており、特に、最後の一一一年間は、ずっと大阪の裁判所に勤務し、刑事裁 判を担当しておりました。ご承知のとおり、裁判官は、その意思に反して転官、転所をされることがないという身分 の保障を与えられていますが(裁判所法四八条﹀、私がこのように長い間同一裁判所に勤務したのにつきまして、身 分保障を理由に転勤を拒否したことは一度もありません。実際に、一度も転勤交渉を受けたことがないのであります。 憲法や裁判所法がどういう制度を予定しているかということは別として、現実にはキャリア・システムが採られ、頻 繁な転勤が常態となっているわが国の裁判所では、非常に珍しい例であります。特に、最後の一一年間ばかりは、大 阪高裁第五刑事部という一つの部に引き続き所属していましたので、如何に裁判に時聞がかかるといっても、この部 では私自身に関する限り、前任者から引き継いだ事件で退官の際後任者に残したものはもちろん一件もありません。 ご紹介いただきましたように、私は、

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第9巻 1

4 もっとも、この部の他の構成員の方は頻繁に変わっておりますので、裁判機関としての合議体がこの間ずっと同一性 を保ったわけではありません。 そういうわけで、私は、このニ

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年を越える期間あまり雑事に煩わされることなく、刑事裁判に専念することがで きました。したがって、刑事裁判に関しては、大変経験豊富な裁判官ということになり、すぐれた識見を持っている はずであうます。ところが、育った時代の影響もあるのでしょうが、私は大変勉強嫌いであります。そして、 ス ポ l ッ、それも見るのではなくて自分で身体を動かすのが非常に好きでありもす。スポーツ好きの人聞は、気分の転換が 早く、物事をくよくよ思い悩むことがないという傾向がある反面、万事忘れっぽく、一つの問題を突き詰めて考え抜 くということには不得手で、いい加減なところで妥協してしまうという欠点があります。私もその例に洩れず、担当 した事件を比較的に無難にこなしてきただけでありまして、退官後五年以上経ちました現在、担当した事件の内容は 忘れてしまっていますし、思索を重ねて刑事裁判に関する理論を確立しているわけでもありません。したがって、今 日の講演のテ l マを﹁刑事訴訟手続における法と現実の不一致﹂としましたけれども、もとより学術的に価値のある つまるところ、経験を通じて私が持った刑事裁判についての感想を申し上げることしかで 講演をすることはできず、 きません。羊頭を懸けて狗肉を売るの類ですが、私の能力不足のいたすところでありますので、勘弁していただくほ かはありません。ただ、刑事訴訟に関する学問的なご研究をされるについての一つの素材にでもなれば、大変仕合わ せ に 存 じ ま す 。

例 る 刑事裁判に関する感想を申し上げるにしましでも、抽象的にお話しても理解していただきにくいと思われますので、

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最初に一つの事例を挙げておきたいと思います。それも在官中に担当した多くの事件の中から適当な事件を選べばよ いのですが、先程も申しましたように、 ほとんど忘れてしまっておりますし、手もとの資料の整理もできておりませ ん。そこで、本日は、最近たまたま私が弁護したごくありふれた簡単な刑事事件、 しかも被告人が法廷で起訴された 犯罪事実を全部認めている自白事件を一つ取り上げ、 ﹂れをきっかけとして話を進めることにいたします。刑事訴訟 に関する問題点を取り上げて、皆さんに考えていだだこうという趣旨の講演でありますので、本来ならば、被告人が 法廷で起訴された犯罪事実を争っている事件、すなわち否認事件を材料としてお話するとよいと思われますし、更に 否認事件と自由事件の双方を取り上げるともっとよいのかもしれませんが、何分否認事件は、 おおむね複雑で、その 内容を説明するだけでも長い時間を要します。そこで、ごくありふれた自由事件を取り上げたわけであります。しか し、見方を変えれば、日常裁判所において判決が言い渡されている事件の大部分は、こういう自白事件ですから、こ れが普通の刑事事件であるということにもなるわけであります。 その事件といいますのは、昨年夏、私がいわゆる当番弁護士の割当を受けていた日に出動要請を受け、警察署の留 管場に勾留されていた一人の被疑者に接見した上、その被疑者の弁護人、後に申します扶助弁護人として選任され、 その一審判決が確定した事件 起訴後は、その被告人の国選弁護人として弁護に当たり、昨年秋に判決が言い渡され、 で あ り ま す 。 以下、この事件の内容と経過を若子ご説明しますと、この被告人(起訴前は被疑者です)は、平成七年四月一一一二日 未明に大阪市内のある会計事務所において、現金四万九

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円ぐらいを窃取したという被疑事実によって、同年七 月二五日に逮捕され、同月二六日に勾留されました。勾留場所は、逮捕によって引致された警察署と同一警察署の留 置場であります。同月一一一一日がたまたま私の当番弁護士の割当日でしたので、事務所に待機していますと、弁護士会

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第9巻1号- 6 6 から、当番弁護士出動の依頼があったから接見してもらいたいという連絡電話がありましたので、早速指定された警 察署に出掛けて接見した相手がこの被告人であったわけであります。後に述べますような事情によって、当番弁護士 の出動要請は、勾留直後にされることが最も多く、このように勾留後五日も経過した時点でその出動要請がされるこ とは、稀であると思われます。 ともかくも、被告人に接見して、 一応被疑者としてどういう権利があるかということ、今後どういう経週をたどっ て手続が進められるかということなどを告知した上、どういうわけで弁護士の接見を希望したのか、その理由を聞き ますと、こういうことのようなのです。すなわち、被告人の言うことを聞いてみますと、被告人は、 一 か 月 余 り 前 の 同年六月二二日に建造物侵入、窃盗未遂罪によって懲役一年、二年間刑執行猶予の判決を受けており、その判決で認 定されている犯罪事実は、 その年の五月二日の未明、窃盗の目的で学校に侵入して盗む物を物色しているところを警 備員に発見逮捕されたものであること、 一方、本件の勾留被疑事実は、それより前に犯したものであって、前の裁判 の際には、この事実は捜査当局にも判明しておらず、自分も黙っていたから、起訴・裁判を免れていたところ、その 後、本件の被害事務所に遺留されていた指紋が自分のものと一致することが判明し、逮捕・勾留されるに至ったこと、 以上の事実が分かりました。ところが、被告人には、本件勾留の被疑事実以外に、 いずれも判決を受けた犯罪を犯し た日より前に、同じように夜中に事務所に侵入して窃盗をした事件が数件あり、その一つは、この勾留の被疑事実と 同一の事務所に一週間前の深夜に侵入し六

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万円以上の現金を盗んだものであって、この事実は、当然警察にも判明 しているようであるが、その他の事実は、警察が被害事実を把握しているかどうかはっきりしない、取調警察官から は、余罪を供述するように要求されているが、どうしたものであろうか、というのが当面相談したい内容のようなの で あ り ま す 。

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﹁ようなのであります﹂というのは、弁護人として甚だ頼りない話ではないかという批判があるかもしれません。 一般に逮捕・勾留されている被疑者・被告人は、一回ぐらい弁護人と接見して しかし、本人の性格にもよりますが、 も、なかなか本心を打ち明けて、はっきりとものを言わないのであります。両者の聞に、それほどの信頼関係が成立 していないのが通常であるからです。多くの場合、被疑者・被告人は、逮捕以来警察官から長時間期にわたって取調 を受けるとともに、警察署の留置場に留置されている限り、起臥寝食すべてにわたって警察官の支配統制を受けてい ます。起訴前に弁護人を依頼しても、金を取られるだけだというようなことをいう警察官のいることも事実です。こ のような状態のもとで初対面の弁護人にいきなり、心を聞き真実を打ち明けて相談するということは、従来からの知 り合いでもない限り、 ほとんどないと言っても言い過ぎではありません。せいぜい警察官の言うことと弁護人の言う こととを天秤にかけて、あれこれ考えてみるというのが通常の事態なのです。弁護人との聞がツ I ヵ l の関係になる のは、相当に接見を重ねてからであるのが通常なのであります。ところが、裁判所からみますと、被疑者・被告人と 弁護人の聞には、常に信頼関係があり、弁護人が指示をすれば、被疑者・被告人は、その指示の趣旨に沿った対応を とることができるものと判断されがちであります。私も、裁判官時代理屈の上では、弁護人と被疑者・被告人との信 頼関係は、民事事件の依頼者と弁護士の関係と違って、そう簡単に出来上がるものではないということは分かってい たつもりであっても、実際にはとかく弁護人と接見すれば、被疑者・被告人は、弁護人の意向を体して行動をとって いるという判断をしがちであったことを今になって反省しているところであります。 ところで、この事件で相談を受けました取調に対する対応の仕方について、弁護人としてどのように答えるかとい うことは、それほど簡単なことではないのですが、それについては後ほどお話することとして、この被告人は、捜査 段階で結局自分の行った犯罪を全部自白しました。その内容は勾留被疑事実のほかに、その一週間前に同一の事務所

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第9巻1号一一68 に侵入して犯した六

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万余円の窃盗事件、他の事務所に侵入して金庫を窃取し、外へ持ち出したが、金庫を開けるこ とができやす、近くに放置していた事件のほか、建造物侵入窃盗未遂二件と被害者が被害屈を出さなかった建造物侵入 窃盗一件とでありました。これらの余罪について、被告人は、間もなく自ら供述書を書いて提出し、これらの犯行を 自白したのですが、これらの事実の取調が全部終わったのは、後に述べるように、大分後になってからであります。 どうしてそんなことになるのか、 ということも後に説明します。 勾留の対象となっている事件については、 八月四日に公訴が提起されました。勾留期間(勾留請求の日から起算し て 一

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日間)の最後の日です。起訴前の勾留期間中に起訴されますと、勾留の取消、保釈等の措置がとられない限り、 勾留(身体の拘束)が起訴後も続きます。この事件について、第一回の公判期日が九月八日と指定され審理が行われ ましたが、この段階ではまだ余罪についての起訴はありませんでした。第一回公判期日以後の進展についてお話する 前に、少し寄り道をして当番弁護士の説明をしておきたいと思います。

当番弁護士制度

当番弁護士という言葉は、最近マスコミに L ばしば登場しますので、関心を寄せられている方も多いと思いますが、 大変新しい制度であります。当番弁護士制度は、 どのようにして生まれたのでしょうか。現行の刑事訴訟法が施行さ れましたのは、昭和二四年一月であります。この新しい刑事訴訟法においては、旧法である大正刑事訴訟法上取調の 客体に過、ぎなかった被告人の地位を訴追側と対等な当事者にまで高め、捜査段階で作成された被告人以外の者の供述 を記載した調書は、被告人の同意がない限り原則として証拠とすることができないこととされ(伝聞法則)、 また被 告人の供述で任意にされたものでない疑いのあるものは、すべて証拠となし得ないこととされた(自由法則)のであ

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りまして、従来の捜査・予審に重点の置かれた刑事訴訟から公判中心主義の刑事訴訟へ画期的な転換を遂げたものと して、大きな期待が持たれたわけであります。ところがこの刑事訴訟法施行後四

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数年の成果はどうなのでありまし わが国の治安が大変よろしいことに象徴されているように刑事裁判の運用は非常にうまく行われ ているという評価がありますが、他方、公判中心主義は形骸化し、公判廷は捜査段階に作成された調書類を確認する ょ う か 。 一 方 で は 、 場所になってしまっているという批判も非常に強いのであります。 特に、刑事弁護を担当する弁護士から見た場合、いくら公判廷で、証人の尋問をし被告人の供述を求めても、裁判 所が捜査段階に密室で作成された被告人以外の者の供述調書や被告人の自白調書を採用し信用してしまい、公判廷で の証言や供述は取り上げてもらえないので、全く張り合いがない、 一所懸命刑事弁護をやっても空しい思いが残るだ 69 けだ、それに刑事弁護をやっても労力に見合うほどのお金はもちろん入らない、もう刑事弁護はやめておこう、とい うことになるわけであります。こうして働き盛りの弁護士は、すっかり刑事弁護から手を引いてしまい、いわゆる弁 護土の刑事弁護離れという現象が顕著になったわけであります。といっても、もちろん刑事弁護は弁護士でなければ できませんので、国選弁護人の割合が高くなって全弁護人中の大半を占めるに至り、その担い手は、露骨な表現をし ますれば、まだ駆け出しで弁護士事務所に一雇用されている俗にイソ弁といわれる弁護士や私のような年金生活者の老 齢弁護士が、その主体となるというようなことになるわけであります。現在の刑事訴訟法は、ご承知のとおり、当事 者主義を基本としておりまして、訴追側の攻撃に対して、被告人・弁護人側が積極的に防御活動をすることが予定さ れております。もし、被告人・弁護人側の積極的な訴訟活動が行われないならば、被告人の中に、特に起訴事実の全 部又は一部を争っている被告人の中に、賓罪に泣く者が出ることは、当然予測されることであります。果せるかな、 それを象徴する事実が現れました。

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第9巻 1号一一70 誤った裁判に対する救済の制度の一つとして再審があります。昭和五

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年の最高裁のいわゆる白鳥決定によって、 再審開始の門が広げられたということは、刑事訴訟法をまだ勉強されていない方もお聞きになっていると思いますが、 それでもなお、再審開始の門は非常に狭いのであります。また、現在の制度では、裁判所が判決で認定した事実を争 って不服を申し立てることができるのは、控訴審までであります。最高裁への上告は、憲法違反又は判例違反を理由 する場合だけに認められているに過ぎません。ただ、上告裁判所である最高裁は、原判決に重大な事実の誤認があっ てそれを破棄しなければ著しく正義に反すると認める場合には、例外的に職権で原判決を破棄することができるとい うことになっております。この理由に基づいて最高裁によって破棄される事件数は、多くても一年に数件、 一 件 も な い年も少なくありません。このように一再審による救済も、上告裁判所による原判決破棄も、 いずれも大変希有の事例 一旦死刑判決の確定した者や控訴審まで死刑とされていた者がこのように狭い円である再審 や上告裁判所の破棄手続の結果無罪となるという事例が、現行刑事訴訟法施行後一

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名も現れるという衝撃的な事実 であります。ところが、 が発生したわけであります。 このような衝撃的な事実を突きつけられては、弁護士は黙っているわけには参りまぜん。全国の弁護士の間に、裁 判所や検察官のあり方に問題があるのは別にして、 一体刑事弁護は何をしてきたかという深刻な反省が生まれ、何と してでも刑事弁護の活性化を図らねばならぬ、そのためにはどうしたらよいかという問題提起がなされたわけであり ます。具体的な経過はすべて省略しますが、その結果生まれたのが当番弁護士制度であります。何故に当番弁護士制 度に行き着いたかと申しますと、次のような事情によるものと思われます。 先程も少し触れましたが、現在の刑事訴訟法は、伝聞法則・自由法則を定め、公判手続については公判中心主義を 徹底したことになっているのですが、公判の前段階である捜査については、捜査官、すなわち検察官・警察官の権限

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を大正刑事訴訟法下のそれよりむしろ強化し、捜査官がかなり長期間被疑者の身体を拘束状態において取り調べて自 由を追及し、被疑者以外の参考人についてもこれを密室で独自に取り調べる権限を明記したのであります。少しお分 かりにくいかもしれませんが、大正刑事訴訟法のもとで、予審判事と捜査官とが持っていた強大な権限を、令状制度 という制約のもとではありますが、すべて捜査官が持つことになったわけであります。令状制度と申しますのは、 ロでいえば、人の身体を拘束したり、物の占有を強制的に取得したりする強制処分は、捜査官だけで自由にすること はできず、逮捕状・勾留状・差押処分許可状などの裁判官の発する令状を得た上でなければ、これをすることができ ない、という制度であります。ところが、裁判官には捜査の実情は分からないことを理由に、令状発付の必要性につ いての突っ込んだ審査が行われないというような事情によって、捜査官の請求する令状は、ほとんど一

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発付さ 71 れるという現状になっているのであります。換言すれば、令状制度は、法律が予定しているような捜査官の行き過ぎ に 対 す る チ ェ y ク機能を果していないといってよいのであります。そのため捜査の段階で、膨大な参考人の供述調書 と被疑者の自白調書が、反対尋問権の保障もなくまた第三者の監視も全く届かない密室内で作成され、証拠固めが完 了してしまっておるのであります。そして、伝聞法則にも例外があり、その例外が緩やかに認められていることや、 捜査段階で作成された被告人の自由調書が、少々無理な取調が行われたとうかがわれる場合をも含めてほとんど一

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近く証拠として採用されていることなどによって、この捜査段階での証拠固めの結果、すなわち捜査段階で作成 された供述調書類で価値のあるものは、ほとんど例外なく公判の証拠として採用されているのであります。そのため、 わが国の刑事裁判では、無実の者が一旦起訴されますと、その賓を晴らして無罪判決を得るということが非常にむつ かしく、また、そのために気の遠くなるような労力と時聞を必要とするという事態になっているのであります。これ は、完全な無罪を主張している場合ばかりでなく、起訴されている犯罪の一部を争い、より軽い罪の成立を主張して

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第9巻1号一-72 いる場合についても同様であります。更に、起訴犯罪事実に争いのない場合でも、犯罪の動機その他の重要な事情に ついて、訴追側と被告人との聞に著しい主張の違いがあれば、事態は全く同様であります。このような状態を捜査の 肥大化、公判の形骸化と申しているのであります。先程、刑事弁護をした弁護士の心情として、刑事弁護をやっても 空しい思いだけが残るということを紹介いたしましたが、それにはこのような背景事情があるわけであります。 もちろん、現行刑事訴訟法も、このような捜査の肥大化、公判の形骸化に対する防止策を準備していないわけでは ありまぜん。刑事訴訟法の歴史は、弁護権拡張の歴史であると教科書には書かれておりますが、現行刑事訴訟法で新 たに設けられた弁護権拡張を象徴する制度としては、起訴前弁護と証拠保全とが重要であると思います。法は、令状 制度によるチェックとともに、被疑者の弁護人制度、被疑者・弁護人の請求による証拠保全制度などを規定して捜査 の当事者主義化を図ることによって、捜査官の強大な権限に対する対抗措置を講じたものと思われます。ところが、 これらの制度は、これまで全くといってよいほどその機能を発揮することができませんでした。証拠保全制度が利用 されたという事例は、これまで希有のことでありまして、それにはそれなりの理由があるのですが、本日は、この点 一方の起訴前弁護、すなわち被疑者の弁護人について申しますと、これは、大正刑事訴訟法ま に は 立 ち 入 り ま せ ん 。 でのわが国の刑事訴訟法がすべて起訴後の被告人についてしか弁護人を認めなかったのに対して、空前の大改革であ ります。起訴前弁護が普及することが、刑事訴訟の適正な運用の不可欠の条件であるはずなのであります。ところが、 起訴前の被疑者に弁護人が選任されることは稀であります。正確な統計はありませんが、従前被疑者に弁護人が選任 されたのは九牛の一毛に過ぎないといっても過言ではありません。では何故そうなったのでしょうか。 その原因の一つは、起訴前には国選弁護人の制度がないということであります。申すまでもなく、刑事被告人・被 疑者の大部分は、経済的な弱者でありますので、現在国選弁護その他公費による弁護制度を抜きにして弁護権の保障

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は考えられないのでありますが、被疑者に私選弁護人の選任権を認めただけで、国選弁護制度を設けなかったのは、 現行法の欠陥であります。次に、現行法は、起訴前弁護制度を設けながら、法律においても規則においても、被疑者 の弁護人がどのような権限を行使することができるかについてきめ細かい規定を設けることをしませんでした。例え ば、捜査官の被疑者・参考人に対する取調に立ち会う権利があるのかどうか、 どういう場合に立ち会うことができる のかについての規定もなく、 また、起訴前の強制処分についても不服申立を認めながら、その処分の根拠となってい る理由(資料を含む)と相手方の意見についてどの程度開示を受けることができるかどうか、というような点につい て、全く規定するところがないのであります。あまつさえ刑事訴訟法三九条三項のように、被疑者と弁護人との基本 的な権利である接見交通権について、原則と例外を逆にした運用を可能にするような規定を設けているのであります。 そして、第三にわが国の刑事訴訟の伝統においては、公判前弁護の経験の蓄積がなく(予審段階において弁護人制度 はあったが、全く有名無実でありました)、刑事弁護は公判段階に限られていたことであります。この公判前弁護の 経験の蓄積のなさが、憲法の要求によって、起訴前弁護制度を新設したものの、このような不十分なものになってい る根本原因であるのかもしれません。 このように見てまいりますと、弁護士としては、 ただ捜査の肥大化、公判の形骸化を嘆き批判するだけでは駄目で、 現行法で与えられておりながら冬眠状態にある被疑者段階における弁護活動を白らの努力によって活性化するのが先 決問題である、起訴前弁護を活性化してこそ裁判官の令状審査も厳格化させることができ、 ひいて捜査の肥大化、公 判の形骸化を防止することも可能になるのだ、という発想が生まれてくることは非常に自然な成り行きであります。 そこに、外国殊にイギリスにおける先進的な経験が紹介されるに及んで、当番弁護士制度が発足発展するに至ったの で あ り ま す 。 ま ず 、 一 九 九

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年に大分県弁護士会及び福岡県弁護士会において、当番弁護士制度が発足しましたが、

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第9巻1号一一74 忽ち普及し、現在では全国のすべての弁護士会において当番弁護士制度が行われていまして、 護士が出動したケIスは、約一万四

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件であります。同年度の起訴前の勾留状発付件数は九

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二七件(一人に 一九九四年度で当番弁 対して複数の勾留状が発付されることがありますので、人員数では若干少なくなります)ですので、その約一五・五 %に当番弁護士が出動したことになります。その後、当番弁護士の出動数は、増加の一途を辿っているようであり、 一方毎年の勾留数に大きな変動はありませんので、この比率は、 一 九 九 五 年 度 、 一九九六年度には更に上昇している は ず で あ り ま す 。 では、当番弁護士制度というのはどういう仕組みになっているのかと申しますと、待機式と名簿式との別はありま すが、要するに、当番弁護士の出動要請があった場合に出動する弁護士が決められており(現在大阪では四名待機﹀、 出動要請があれば、速やかに当該被疑者と接見し、被疑者に被疑者としての権利をよく説明して理解させるとともに、 刑事手続の流れを分かり安く説明し、被疑事実についての被疑者の言い分やその他の事情を聴取し、 できる限り被疑 者の受任を受けて弁護人となり、起訴前から弁護活動をするというものであります。この接見費用は、弁護士会で負 担し、被疑者は無料で接見を受け、相談をすることができます。被疑者が接見を受けた弁護士を弁護人として選任す るためには、報酬を払うことが必要になってきますが、貧困のために報酬を払えない場合は、法律扶助協会が起訴前 に限って報酬の立替払いをし(後に、当該被疑者が能力の限度で返済することになります﹀、この扶助を受けて弁護 人となった弁護士は、当該被疑者が起訴された後は、国選弁護人に選任されて引き続き弁護活動をするように、裁判 所との聞で了解ができているのであります。被疑者は、当番弁護士制度をどのようにして知って、その出動要請をす るのかと言いますと、裁判官が勾留質問をする場合(裁判官が被疑者を勾留する場合には、必ず被疑者から被疑事実 についての陳述を聞かなければなりません)、警察官や検察官が逮捕された被疑者の弁解を聞く場合などに、 口頭や

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掲示などによって、当番弁護士制度の内容を被疑者に告知するよう依頼してあるわけであります。現在のところ、検 察官は極めて消極的でありますが、裁判所ではかなり広範にその告知が行われているようであります。 し た が っ て 、 出動要請は、勾留状発付時に裁判所を通じてなされるものが最も多く、次いで警察官を通じてのものが多いようであ り ま す 。 従来、弁護士会の活動といえば、何か問題が起こる度に戸明を発することが目立っていました。少なくとも対外的 にはそうでした。しかし、この当番弁護士制度は、単に口先だけではなく、全国の弁護士会、そしてそれに所属する 多数の弁護士が一斉に行動に立ち上がったのです。その意味で画期的な事態であります。一言葉を変えれば、 それほど 刑事弁護の不振は、深刻であったわけであります。たしかに、当番弁護士として出動し、以後も又その被疑者の弁護 人となり弁護活動をするということは、現在の弁護士の職務遂行の実態から見ますと、 かなりの負担であります。今 後、この制度が発展すればするほど、その負担は増大します。しかし、今申しましたような趣旨で、この当番弁護士 の制度は、どうしても守り育て発展させて行かなければならないものと思われます。私のような老いぼれが今更当番 弁護士でもあるまい、とも思うのでありますが、この制度の定着と発展のために少しでも役に立てばと考え、あえて 老骨に鞭打って当番弁護士の割当も引き受けているのであります。 このようなわけで、先に申し上げた事件について、私が当番弁護士として接見したわけでありますが、その後この 被疑者の依頼により私撰弁護人となりましたが、法律扶助協会の許可がありましたので、先に説明した扶助弁護士と なり、被疑者が起訴された後は国選弁護人に選任されて、弁護活動をしたわけであります。 随分寄り道をしましたが、話を本論巴一戻します。

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第9巻1号一一76 四

幾つかの間題点

1 先程、被疑者から余罪についての取調に対する対応の仕方について相談を受けたが、弁護人としてそれにどう答 えるかは、それほど簡単なことではないと申しました。もちろん、被疑者は黙秘権を有しておりまずから、言いたく なければ何も言わなくていいのです。しかし、黙秘権を行使しておればそれでよいというものでもありません。被疑 者が弁護人に対し、その罪を犯したと述べているか、その罪を犯してはいないと述べているかによって、対応が異な ってくることがあるのは当然であります。後者の場合には、黙秘権を行使することが一つの対応の仕方になると考え られます。ところが、法は黙秘権の行使を権利として保障しているのですが、 わが国の取調の実際において、被疑者 が黙秘しますと言えば、取調を打ち切ってしまうというような捜査官は一人もいません。何だかんだと理由をつけて、 供述するように要求し、その追及が何日も続きます。その根拠には、捜査官による被疑者の取調に関する刑事訴訟法 一九八条一一項但書の﹁被疑者は、逮捕又は勾留されている場合を除いては、出頭を拒み、又は出頭後、何時でも退去 することができる﹂という規定が使われます。その反対解釈として、逮捕又は勾留されている被疑者は、取調が続く 限り、取調室に滞留し取調を受忍する義務があるというのであります。捜査宮は、同条二項に従い、取調に際して被疑 者に対し、あらかじめ、自己の意思に反して供述をする必要がない旨を告げる一方で、その舌の根のかわかぬうちに、 供述せよと執描極まる追及を続けるのであります。何とも奇妙な現象でありますが、これが現実の取調です。ですか ら、弁護人が本当にやってないのなら黙秘しなさいと助言しても、それを実行できる被疑者は非常に稀であります。 本件では、前に申したとおり、被疑者は、私が接見した当初から私に対しては勾留の対象となっている事件のほか に同じような手口の事務所荒らしの窃盗事件が数件あることを認めていました。だからといって、被疑者は、これら

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の罪を積極的に供述する義務のないことは勿論であります。もし、被疑者がこれらの余罪についても、すべてこれを 自白し、この機会にすべての余罪について裁判を受けて清算したい、というのであれば弁護人がこれを止めるのは妥 当でないでしょう。しかし、この被告人が警察にも探知されていない余罪をすべて自白し、勾留の対象となっている 事件とともに裁判を受けて懲役刑の実刑に処せられ、そのことの当然の結果として、先に受けた判決による執行猶予 も取り消されてその刑の執行も受けることになり、折角この執行猶予の判決によって更生の道を歩き始めたのを台無 しにしてしまうという結果になるのであれば、余罪のことは黙秘せよという助言も又相当性を備えたものということ もできそうです。それには、これらの余罪の警察による探知の可能性も又考慮しなければなりません。余罪について 黙秘し(黙秘する方法として、 ﹁余罪はありません﹂という消極的否定の言葉を使用せざるを得ないのが現実です) 77 余罪の起訴は免れたが、また、今回のように、後に余罪についてこの被疑者が犯人であるという動かしがたい証拠が 出ますと、被疑者は更に不利な立場に立たされます。 弁護士経験の乏しい私が、このような場合即座に適切な助言をするのは大変困難ですが、咽瑳に次のように判断し ました。すなわち、勾留の被疑事実となっている事件と同一の被害事務所における六

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万円以上の現金を窃取した事 件については、被害も届けられているに違いないし、手口が非常に類似していることからこの被疑者が犯人であると いう強い推定を受けますし、本人も事実自体は争わないわけですから、これを自白せざるを得ないであろう、問題は、 この事件を含めて余罪を自白し起訴された場合、果して刑の執行猶予が得られるだろうかということなのですが、財 産犯なので被害弁償ができるかどうかが一つの大きなポイントになる、被疑者がどこまで打ち明けているか確信は持 てないが、被害額は余罪全部を合わせても一

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万円を越すことはないであろう、 であれば母親に会って、どれくら いの弁償が可能か聞いた上で結論を出そう、ということになりました。翌日、母親に会って、本人の生活状況や家庭

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第9巻1号一一78 事情を詳しく聞いてみましたところ、母親は、病弱で現在無職無収入であるが老後に備えた蓄えが少しあるので、何 とかして弁償をするから、本人にこの際全部自白して過去を清算し、早く立ち直って働いてもらいたい、と中します。 そこで、私は、今回の勾留被疑事実を含めて余罪は、すべて前の執行猶予の判決以前の犯罪であり、この判決以後の 犯罪はなく、被告人もそれなりに更生に努力していたようですので、深夜計画的に事務所に忍び込んで窃盗を働くと いう犯罪の態様はよくないけれども、被害弁償さえできれば、余罪全部を起訴されても執行猶予の判決はもらえるで あろうという見通しをつけました。直ぐに被疑者に接見して、もう一度余罪を確認し、全部自白するように助言しま したが、被疑者の気持ちもその方向を向いていましたので、即座にそうしますということで、余罪を全部供述書に書 いて警察官に差し出すことになったわけであります。これが多分八月一日のことでありました。被告人は、七月一一六 日に勾留請求され勾留されていますので、 八月四日が勾留満期の臼であります。この日までに起訴されなければ、釈 放されますが(別の事件で逮捕・勾留されれば別ですが)、起訴されますと勾留が続きます。被告人は、余罪を含め て事実を全部認めておりますし、被害者から被害屈が提出されている限り、この八月四日までに余罪を含めて全部の 事実を起訴できるのではないか、と思われるかもしれませんし、それが常識ともいえるのですが、実際は、そのよう になりません。本件の場合でも前述したように、 八月四日に起訴されたのは勾留被疑事実になっている四万九

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円に関する建造物侵入窃盗の事件だけでした。 2 九月八日の第一回公判では、この起訴事実について審理が行われましたが、被告人は、事実を争っておりません し、検察官から提出された証拠(すべて捜査段階で作成された書類ですが)を証拠とすることに同意してこの起訴事 実に関する証拠調を終わりました。余罪についての追起訴を待つということで期日は続行となり、次回期日は一

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月 一三日と指定されました。そして、立会検察官は、九月末日までに余罪の追起訴を必ず行うと発言しました。実際に

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余罪について追起訴がされたのは、 一

O

月五日でしたが、起訴された事実は、六

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万余円の同一事務所における建造 物 侵 入 窃 盗 と 、 やはり夜間他の事務所で金庫を窃取した建造物侵入窃盗(この金庫は、聞けることができなかったの で、被告人が被害現場の近くに放置し、被害者に返還されています)の二件だけでした。そのほかに自白していまし た窃盗未遂二件と被害届の出されなかった窃盗一件とは起訴されませんでした。 一

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月二ニ臼に第二回公判があり、この期日に追起訴された事実に関する検察官側の証拠調を終わりました。この 第二回期日までに弁償を終えたかったのですが、追起訴が遅れたこともあって間に合いませんでしたので、続行を求 め、第三回公判期日が一一月一

O

日と指定されました。第二回と第三回期日との聞に弁償の交渉をし、第一次起訴の 事件と追起訴事件のうちの一件は、同じ被害者にかかるものですから、その窃盗被害金額六五万八九二七円を母親か ら弁償し、被害者から寛大な処分を希望する旨の裁判所あての上申書をもらうことができました。もう一つの事件に ついては、被害物品である金庫が返還され、数字で表示された有形的な損害がありませんでしたので、弁償はしませ んでした。当初の段階で予測していた被害金額より少なく、ともかく数字で表示されていた損害は全額弁償すること ができ、被害者が理解のある方で上申書までもらえたのは幸いでした。第二回期日の直後に、被告人は、警察署の留 置場から大阪拘置所に移監されました。第一一一回公判期日に、被害者の上申書を含む弁償関係の書証の取調、母親の証 人尋問、被告人質問を行い、審理を終わりました。私としては、被告人の就職先を審理終結前に確定したかったので すが、何分被告人、が拘束されていますので、これはできず、単に被告人が公判廷で決意を表明するに止まりました。 一

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月二四日に判決の宣告がなされましたが、懲役一

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月、コ一年間執行猶予、執行猶予期間中保護観察に付する、と い う も の で し た 。 先程も申し上げましたように、この事件では、 八月四日に第一回の起訴が行われましたが、追起訴は一

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月五日 3

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第9巻1号 80 になりました。この約二か月の問、捜査当局は何をしていたかといいますと、被告人の取調を継続していたのです。 一

0

日間の起訴前の勾留期間内に勾留被疑事実について起訴されましたので、起訴後も勾留理由がある限り勾留は続 きます。起訴されますと、被告人に保釈を請求する権利は生じるのですが、この被告人の場合、保釈保証金に充てる お金があれば、むしろ被害弁償に回して保釈請求はしない、執行猶予の判決をしてもらうという最終日的を考えます と、そうせざるを得ない、 したがって保釈請求もできず、勾留が続きます。その問、被告人は代用監獄である警察の 留置場に勾留されていて、警察官は何時でも被告人を取り調べ得る状態にあり、現に余罪についてずっと取調が続け られたのです。被告人は、余罪をも含めて被疑事実はすべて認めており、殊更争うつもりもありませんし、黙秘する つもりもなく、素直に供述していますので、取調にそんなに時聞がかかるわけでもないのですが、それでも追起訴ま で約三か月も勾留されて取調が続けられたわけです。このように、起訴された犯罪についての勾留を利用しますと、 随分長い間勾留されている状態で被疑者(起訴された罪については被告人)を余罪について取り調べることができる の で あ り ま す 。 この追起訴までの約二か月聞における被告人に対する取調状況をみますと、その間に、 八月二九日、九月二

O

目 、 九月一一三日、九月二五日、九月二六日に警察官によって供述調書が作成されています。この中には、起訴されなかっ た窃盗未遂等の事実に関するものも含まれておりますが、これだけの調書が作成されているのです。取調は、調書作 成の目だけに行われているのではなく、取調をした日に調書が作成されないことも少なくありません。また、被疑者 を犯罪現場に連れて行って現場を確認させる、というようなこともしています。第一次起訴の前には、七月二五日、 八月一日付で警察官の供述調書が作成され、その他に検察官による供述調書も作成されて おります。非常に簡単な自白事件でも、これだけの取調をしているのです。このような本件における被疑者(被告 七月二八日、七月三一目、

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人﹀取調状況からだけでもいろいろな問題があるのが分かるのですが、これからその説明を若干いたします。 まず、第一に、被疑者の逮捕・勾留は、現実には被疑者の取調を主な目的としてなされているということです。 本件で、追起訴が行われた時までの逮捕・勾留期間中、捜査のための時間と労力は主として被疑者の取調に使われて 4 いるのです。こういう簡単な事件でもこのとおりなのです。もし、被疑者が事実を争っている事件になりますと、通 常朝から夜までほとんど連日被疑者の取調が行われます。他の捜査ももちろん平行して行われますが、私が最近経験 した事件では、警察官が朝から夜まで被疑者を取り調べた結果被告人が自白したのですが、その日は被疑者が自白し そうだというので、検察官が夕刻から警察署に出向いて待機しており、警察官が自白調書を作成した後、夜中の一一一 時過ぎから検察官が更に被疑者を取り調べて自白調書を作ったという事例がありました。被疑者が自由を撤回しない うちに、早く検察官による自白調書を作成しておこうというのでしょうか。 ところで、逮捕・勾留の目的は何か、ということになりますと、学者の聞にもいろいろ考え方の違いがあります。 逮捕は、被疑者の身体の自由を拘束する行為及びそれに引き続いて一定の期間留置しておく行為で、逮捕者が行う事 実行為と考えられているのに対し、勾留は、起訴前の勾留も起訴後のそれと同じ性質のもので、裁判官が被疑者を拘 禁する裁判とその執行だといわれております。しかし、現在の捜査の実務では、両者は、その期聞に長短の差はあり ますが、同じ目的を持った制度として扱われています。大正刑事訴訟法では、現行犯逮捕はありましたが、それ以外 に逮捕という制度はなかったのです。逮捕制度は、英米法の

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丘の制度が持ち込まれたものと思われます。現行 刑事訴訟法制定の過程で、当初耳目えは勾引と訳されていたのですが、後に逮捕と改められています。当初、占領 軍当局から示された案は、被疑者を逮捕すると速やかに裁判官のもとに連れて行く、裁判官は連れてこられた被疑者 を引き続き留置する必要があると認めれば勾留状を発付し、それ以後検察官は被疑者を起訴することができるという

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第9巻1号一-82 も の で 、 一定期間被疑者の身体を拘束して取り調べるというようなことは予定されていなかったようであります。こ 日本側では、裁判官のもとに連れて行った後にもなお取調の必要があることを強く主張し、七日間だけ 仮勾留を認める、すなわち、裁判官のもとに連れて行った後も、七日間の仮勾留の期間だけは捜査官の被疑者に対す れ に 対 し て 、 る取調を許すという案が一旦作られたようです。ところが、制定の過程でなおやりとりがあって、仮勾留という制度 がなくなり起訴前の勾留期聞が長くなって、結局現行法の規定になったわけです。本来、逮捕は裁判官のもとに被疑 者を連れて行くための制度、勾留は裁判所への出頭を確保するための制度として構想されていたのです、が、 日本側と 占領軍当局との交渉過程で随分変わってきまして現行法が出来上がったもののようであります。 このような経過を経て立法されました現行法の規定は、 かなり暖味な点を含んでいます。 一方で、逮捕・勾留の理 由は、逃亡及び罪証隠誠の防止であって、取調の必要ということはその理由とされておりません。しかし他方で、法 は、捜査官に対して、被疑者に対する取調権を明示的に付与した上、逮捕・勾留されている被疑者に対しては、前述 しましたように、取調に対する受忍義務を負わせるかのような規定を設け、 しかも起訴前の勾留期間については、原 則 一

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日 、 更 に 一

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日間の延長を認めることとしました。そのため、少しむつかしい事件では、起訴前の拘束期聞が 逮捕・勾留合わせて一一一一一日間になるというのが通常の状態となり、現実にはこの間に捜査官による被疑者に対する徹 底的な取調が行われることになりました。そこで、学説の上では、逮捕・勾留は、起訴前のそれも公判のための出頭 確保と罪証隠誠の防止を目的とするものであるという考え方が強いのですが、実務の上では、それは捜査官による被 疑者の取調を目的とする制度であるように運用されているのであります。 このような運用がなされるについては、次のような歴史的背景もあるように思われます。すなわち、大正刑事訴訟 法 の 下 で は 、 一般的に捜査官の被疑者に対する取調権は認められておらず、捜査官が被疑者を尋問することができる

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の は 、 一定の場合だけに限られていましたし、起訴前の勾留期聞は一

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日間だけで、延長は認められませんでした。 ところが、それでは公訴を維持するに足りる捜査はできないということで、任意に被疑者から事情を聞くという名目 を 用 い 、 しばしば﹁たらい回し﹂といわれる行政執行法上の行政検束や、違警罪即決令による拘留処分に名を借りる という違法手段により、被疑者の身体を長期間拘束して事実上厳しい取調を行い、聴取書という現在の供述調書にあ たる調書を作成したのです。ただ、この聴取書は、地方裁判所においては原則として証拠とすることができないこと になっていたのであります。もともと、大正刑事訴訟法で捜査官による被疑者の取調が非常に制約されていたのは、 予審という制度があったことと関係があります。すなわち、起訴後、予審によって果して事件について公判審理をす るだけの価値があるかどうか審査されたわけであります。予審判事は、被告人尋問・証人尋問をはじめすべての証拠 調を行う強大な権限を有し、予審で作成された調書は公判で無条件に証拠能力を有していました。ところが、予審制 度が本来の目的を逸脱して、むしろ捜査の上塗りをすることになり、予審判事が勾留されている被告人(勾留期間は、 更新手続を繰り返すことによって事実上無制限になっていたといわれています)を長期間徹底的に取り調べたわけで あります。このように、大正刑事訴訟法自体は、職権主義を基調とするものではあるとはいえ、被疑者・被告人の人 権にも細かい配慮をした自由主義的・進歩的な法律であったのですが、事実上同法のもとで、公判前に被疑者・被告 人を徹底的に取り調べるという運用が確聞として出来上がっておりました。第二次大戦後、現行刑事訴訟法が制定さ れ、公判中心主義が強調され、科学的捜査の必要性が叫ばれるようになってからも、このような戦前大正刑事訴訟法 の下で培われた取調の慣行は容易に改まらず、捜査の実態は旧態依然のまま推移したというのが現行刑事訴訟法四

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余年の歴史だと思われます。どうもわが国の捜査当局といいますか、訴追側は、捜査段階では証人が公判へ出頭して 大体どのような証言をするかを確認しておけばよく、証人が具体的にどのような供述をするかは、本番である公判廷

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第9巻1号一-84 の証人尋問に委ねるということができず、あらかじめ密室で実質的な証人尋問を詳細に行い、それを調書に記載して おき、そのとおりの供述を公判廷で繰り返させるというやり方をしないと気が済まない、被告人の供述についても同 様であるようなのであります。おおまかにいえばそのような事情で、逮捕・勾留は、取調を目的とする被疑者の身体 の拘束だという取扱が定着しているのだといっても差し支えないと思います。 ご承知のように、被疑者の取調は、任意の取調であるはずであります。被疑者は被告人と同様、憲法と刑事訴訟法 とによって黙秘権を保障されておるということについては異論がありません。したがって、被疑者に供述を求めるの は、あくまでその任意の供述を求めることができるだけであるはずであります。このことは、被告人・被疑者が勾留 また公判廷であろうと取調室であろうと全く変わらないはずであります。ところが、実際 はなかなかそうはいかないようであります。公判廷でこそ、被告人は終始沈黙することもできるし、個々の質問に対 されていようといまいと、 して供述を断ることもできるし、 また任意に供述することもできることを丁寧に告知され、現にそのように扱われて おりますが、捜査の段階では、先に申しました刑事訴訟法一九八条を根拠に大変執鋤な、時に乱暴な取調が行われて いるようであります。これは、私が直接経験した事例ではありませんが、ある事件の法廷で検察官が詰問調で大きな 声合-出して被告人質問を始めたのに対して、裁判長が﹁検察官、ここは法廷ですぞ﹂と注意したということを聞いた ことがあります。法廷では、そういう質問をしてはいけないが、密室である検察官の取調室ではそれくらいのことは あってもいいという考え方が背後にあって出た発言だと思います。憲法や刑事訴訟法の規定と実際の運用とはこのよ うに違っているのであります。 次の間題点は取調期間であります。本件は、自由事件ですので、取調に際し厳しい追及などは行われていないよ うであります。しかし、追起訴が行われるまで取調期聞は随分長くなっております。これは、すでにお話しましたよ

5

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うに、起訴された犯罪事実に基づく勾留状態を利用して余罪の取調を行っているからです。起訴後の勾留期聞は、起 訴の日から二か月ですが、 実 は 、 本 件 の 場 合 、 一か月ずつ更新することができるようになっています。もっとも、更新は、無制約に何回 一定の条件がある場合以外は一回に限られますが、それにしても三か月は勾留が続きます。 八月四日の起訴ですから、 でもできるわけではなく、 一回勾留更新をしただけでは一一月一一一日までしか勾留できません。だ のに一一月二四日の判決宣告の日まで被告人は勾留されていました。そのために裁判所は、何とか理屈をつけてもう 一回勾留更新をしていたのであり、この点には問題があるのですが、細かくなるので省略します。このようなやり方 の最も悪質なのが、違法な別件逮捕といわれているもので、犯罪の嫌疑が十分でなく逮捕状や勾留状の発付を得られ ないある事件についての取調をする目的で、それ自体逮捕・勾留の必要のない別の事件で逮捕・勾留して取り調べる というやり方なのですが、ここではその問題にも触れないことにします。 このような他の事件についての起訴後の勾留を利用して、余罪の取調をするというやり方を容易ならしめている一 つの条件として、被告人が代用監獄である警察署の留置場に勾留されているという事実があります。本件でも、追起 訴 後 の 一

O

月一六日まで代用監獄に勾留されておりました。代用監獄に勾留するという運用が非常に問題のあるとい うことはお聞きになっていると思います。強制的な自白の追及が行われやすい、任意でない供述がなされる、その温 床は代用監獄であると言われています。何故かと言いますと、正規の拘置監である拘置所に勾留されていますと、警 察官が被疑者の取調をする場合には拘置所まで出向いて、その取調室で取調をしなければならず、その際にも規則的 一定の時聞が来れば帰らなければならないのに対

L

、警察署の留置場に勾留しておけば、何時でも、 な 運 用 が な さ れ 、 また夜遅くまで長時間取り調べられるし、処遇上も、少なくとも取調室においては、喫煙や飲食の撰取を許すなど手 いわゆる飴と鞭とを使い分ける取調をすることができるからであります。それ故、代用監獄 心を加えることができ、

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第9巻1号一一86 は廃止されなければならないと考えられるのでありますが、何分現況では拘置所の収容能力が足りませんので、代用 監獄への勾留が日常化していますし、 また、代用監獄の方が実際便利な面もあるのです。何分弁護士は忙しいもので すから、接見に行くのに夕方や夜を利用したいのですが、拘置所では午後五時を過ぎると接見させてもらえないが、 警察署の留置場では融通をきかせて夜間まで接見させてくれます。また、新しい留置場は設備が整って冷暖房なども ありますが、拘置所にはそういうところはありません。昔と違って今通常の日常生活をしている人にとって、酷暑厳 冬期に冷暖房なしに過ごすことは大変苦痛であります。本来、無罪の推定を受けている未決拘禁者を収容するに相応 しいように拘置所の設備を良くすべきでありますし、また、拘置所でも、検察官・警察官による取調を可能としてい ると同じ時間帯に、弁護人の接見をも可能とすべきものなのですが、ともかくも現状では、そういう状況なのです。 この事件でも、私は、早く拘置所に移監してくれという要求はしませんでした。被告人の勾留されていた留置場には 冷房設備もありましたし、それに自白している被告人・被疑者は酷い自に遇わされることもありませんし、家族の面 会にも便利であるからであります。 ともかくも、このように起訴されている事件の勾留を利用することによって、長期間被疑者(起訴されている事件 では被告人)の身体を拘束して取調をすることができることになっており、そのような運用が広く行われているので あ り ま す 。 6 では、このような方法を止めさせる方法はないものなのでしょうか。その手段としてよく取られている方法は、 起訴された罪の勾留について保釈請求をすることです。保釈になって釈放されれば、勿論拘束から解放されます。し かし、その場合、余罪について再逮捕・勾留されるということがしばしば起こります。再逮捕・勾留されますと、折 角保釈保証金を積んでも釈放されないということになります。もっとも、その場合でも再逮捕・勾留には、起訴前の

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勾 留 期 間 一

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目、延長されてもニ

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日という期間の制限があり、検察官はその期間内に起訴するか釈放するかの判断 をしなければならなくなります。しかし、保釈は保釈保証金を積むことができなければなりませんので、本件の被告 人のように、金銭の余裕のない者は、この方法をとることはできません。 なかなか追起訴をしないのであれば、 さっさと起訴された事件だけ審理して判決をもらったらどうか、ということ を考えられるかもしれません。しかし、この方法は、被告人に不利益となって到底採ることができません。それは、 併合罪は、同時に裁判を受けないと大変不利益になるということです(有罪の場合)。皆さんはすでに刑法は履修さ れているそうですので、ご存じと思いますが、確定裁判を経ていない二個以上の罪を併合罪といい、確定裁判がある ときは、その確定裁判にかかる罪とその裁判確定以前に犯した罪を併合罪ということになっております。本件では、 すでに確定裁判のあった建造物侵入・窃盗未遂罪と第一次起訴及び第二次起訴の一二個の建造物侵入・窃盗罪とが併合 罪ですが、そのうちの建造物侵入・窃盗未遂罪について確定裁判がありますので、その余の確定裁判を経ていない三 個の罪(併合罪)について裁判を受けることになるわけです。ところで、現行刑法は、併合罪に科する刑のうち有期 懲役刑については加重主義をとっており、例えば、窃盗罪一個の刑は一か月以上一

O

年以下の懲役ですが、併合罪の 場合はすべて、二個の罪があろうと何百の罪があろうと、 一か月以上一五年以下の懲役です。実際の裁判でも、併合 罪全体として量刑しますので、個々の罪について別々に量刑する場合よりも遥に軽くなるわけです。本件の場合でも、 四個の併合罪が、二つに分かれて裁判を受けましたので、どちらの刑も執行を猶予されていますが、刑期を合算する と 一 年 一

0

か月になります。確定裁判があった建造物侵入・窃盗未遂の方が一年で、ゴ一個の建造物侵入・窃盗の方は 実質被害額が六

O

万円を越えている(被害弁償ほされていますが)のに一

0

か月であるというのは、如何にも均衡を 失していますが、これは、明らかに併合罪の一部についてすでに懲役一年の刑が確定していることを考慮した量刑で

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第9巻1号一一88 あ り ま す 。 しかし、そのような配慮にも限界があります。もし、本件で四件の併合罪が同時に裁判されていたならば、 どんなに重く量刑されても懲役一年六か月を越える刑に処せられることはなかったと思われます。このように、併合 罪について別々に判決を受けるのは明らかに被告人にとって不利でありますので、起訴された罪についてだけ早く判 決してくれとも言えないのであります。 7 次に、捜査段階ではどのように、微に入り細にわたった取調をし、これを調書化するのかということを本件につ いて、見てみたいと思います。本件は正式起訴(公判請求)される事件の中では、最も軽徴で簡単な部類に属するも のであります。被告人(被疑者)の取調にしても、各罪についてそれぞれ、二、三時開も取調をすれば、十分である ように思われるのですが、実際はそうではないのであります。 本件で起訴されています同一の会計事務所での二つ事件では、追起訴状で起訴されました四月一六日の事件の方が 先に発生したものですが、六

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万円以上のお金がなくなっていますので、直ぐに被害者から警察に届けられ、現場の 実況見分、が行われております。その時、出入口のドアに円筒形のシリンダー錠がドライバーのようなものでこじ開け られた形跡が発見されているのです。被害者もこれに気づいており、犯人がこの錠をこじ開けて室内に侵入し、 お 金 を窃取した後、錠を閉めて帰ったという届け出をしていました。警察官も、もちろんそのように考えて被告人を追及 しましたが、被告人は、この錠をこじ開けて出入口から入ったようなことはなく、廊下側の窓に錠がかかっていなか ったので、その窓を聞けて侵入した、と供述し続けました。被害者の供述と被疑者の供述が異なっている場合、被疑 者の供述はなかなか信用してもらえず、厳しい追及が続くのが通常ですが、この被告人の場合、その他の事件の内容 については、非常に素直に供述していましたので、警察官もどうも被告人の言っていることが本当かもしれないと思 ったのでしょう。改めて被害者(会計事務所の経営者) に事情をよく聞いて見ますと、被害の前日の夕方最後に事務

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所を出たのは自分であるが、その時窓の施錠を忘れたかもしれないし、また、表の出入口のドアの錠のところにこじ 開けたような跡があるのは、以前鍵を室内に置き忘れたまま施錠して外に出たため、ドライバーで錠をこじ開けたこ とがあったからである、と供述しました。そして、その旨の供述を録取した被害者の供述調書を作成しております。 こういう細かい点についてまで、関係者の供述が一致するまで取調を続けるわけであります。本件では、比較的簡単 に被告人と被害者との供述が一致したようですが、なかなか供述が一致しない場合、関係者を何度も取り調べて一致 供述を獲得するよう努力が続けられるわけであります。 また、この会計事務所の後の事件(第一次起訴の事件)の被害発見の際、事務所にまんじゅうが一

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個ほど残され ておりました。事務所の関係者は、誰も知らないと言っておりました。そこで、これについても又、被告人がお前が 置いて帰ったのだろうと追及されましたが、被告人は、 まんじゅうを持って侵入したような事実は全くないらしく、 このまんじゅうについては何も知りませんと言い続けました。もし、否認事件であれば、このまんじゅうを何という 庖で誰が買ったかというような事実が問題になるのですが、この事件のような自白事件(この場合は被告人の指紋も 残っていました)の場合には、犯人が残したものであろうと、事務所の従業員が置き忘れて帰ったものであろうと、 格別の意味はありません。それでも、警察官は事務所の職員に改めて事情を聞き、その時のことはよく記憶しており ませんが、時々まんじゅうを買って来る人もいますので、誰かが買って来て食べきれなかったものを置き忘れて帰つ たものかもしれません、という趣旨の供述を得て、これを書面にしているのです。 このような細かいことまで一々取り調べて、これらをすべて調書化しておくということになりますと、少々極端な 表 現 で す が 、 いくら時聞があっても足りないということになります。しかし、現にこのような簡明な自由事件の例で さえそうであるように、詳密な取調とその結果の調書化が広く行われているのであります。このように捜査が精密に

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第9巻1号 90 行われることは、調書化された結果が正確なものであれば、少なくとも結果的には問題がないといえないこともあり ません。しかし、問題は、これらの取調・調書化が対立当事者や第三者の批判にさらされることなく、捜査官と被取 調者との間だけで密室で行われることにあるのです。もちろん、憲法の保障する証人審問権は全く行使されていませ ん。もし、このような捜査の結果がそのまま公判に引き継がれるということになりますと(伝聞法則の例外の拡張、 自由の任意性に対するゆるやかな判断によって、 そういう傾向が顕著になっているのです)、憲法や刑事訴訟法の掲 げている原則が無視されることになるばかりでなく、実質的にみても、無実の者が誤って犯人とされ起訴された場合、 無実であることを明らかにして無罪判決を得ることが非常に困難となり、 また、そのために異常な労力と長時間とを 必要とすることになるのです。これは刑事裁判のあり方として、致命的ともいえる欠陥であります。 現在のような捜査のやり方を擁護する人達は、特に選挙違反の罪や汚職罪などの直接の被害者のいない事件につい ては、被疑者、共犯者、必要的共犯者(選挙買収罪や汚職罪における金品の供与者と被供与者など)などの身体を拘 束して相互に連絡をとれないようにした上、密室でこれを徹底的に取り調べてその供述を調室同化しておかないと、公 判廷では口裏を合わされて真相を明らかにすることができない、と主張します。たしかに、そういう面があることは 否 定 で き ま せ ん 。 しかし、詳しくは申しませんが、これは、公判廷における立証方法の工夫によってかなり解決する ことが可能な問題であります。実務では自白の追及に急で、このような公判立証の工夫研究はあまり進んでいないと ころに問題があるように、私には思われます。それに根本的な問題は、憲法や刑事訴訟法の原則に忠実に、刑事裁判 の目的を無実の者の速やかな解放にあると考えるのか、それとも刑事裁判の目的を有罪者を一人でも逃さず処罰する 点に求めるのか、という考え方の違いにあるのであります。 科学的捜査の必要ということは、言葉の上では随分強調されています。しかし、実務をみておりますと、本当に科

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