• 検索結果がありません。

"Demian"への道 : 社会的,個人的状況を手掛りにして

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア ""Demian"への道 : 社会的,個人的状況を手掛りにして"

Copied!
13
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1),,Demian``へ の 道 一社 会 的 ,個 人 的状況 を 手掛 り に して 一. 磯. 弘. 治. Hermann Hesseの 作品 は第 一 次世界大戦 を境 と して ,そ れまでを 前期. ,. 以後を後期 とす るのが一般 的な見方 とな って い るが , こ の 小 論 で は 詩 人. Hesseが "Demian“ (1917年 に書かれ ,1919年 に出版 され る)を 通 じて表現 Hesseの 転換期 の作 品 しよ うと試 みた もの ,ま たその故 に "Demian“ が詩人 と して位 置付 け られ る点を ,"Demian“ 誕生 の 背景 で あ る第 一 次大戦 当時 の. Hesseの 生活状況並 びに精神分析治療を受 け ることか ら次第 に興 味を いだ き 始 めた と思 われ る心理学 的領域 との関連を合 わせて 考察 してみた い と思 う。. は じめに前期作 品 の傾 向にふれ て み る と ,"Peter Camenzind“ (1904). "Unterm Rad“ (1906)"Knulp“ (1915)な どの作 品 で は ,失 恋 ,主 人公 を と りま いて い る大人達 の無理解 ,若 者 らしい夢 (理 想 )と 現実 の衡突か ら生ず る 挫折 な どによ って傷 つ く主人公 の こころ と寂 蓼感が殊更 に際立 って いた。更 に, これが読者を ひきつ け る前期作 品 の魅 力 で もあ るのだが ,逃 避 とも思 わ れ る romantischな 自然 へ の感情移入が あ った。 に於 け る Peterの さま ざまな女性 へ の憧 憬 ,"Unterm "Peter Camenzind“ Rad“ に於 いて は Heilnerの 神学校 か らの逃走 ,そ して で は ,主 人 "Knulp“ 公 の ア ウ トサ イダ ー的な言動 な どが示す もの は ,彼 方 に心 の 安息 と感動を そ して充足を与 えて くれ る「 何か あ るもの」 を求 め る詩人 Hesseの ひたむ きな 思 い と同時に、彼を取 り巻 く状況を変化 させ よ うとす る詩人 の努力 だ とい う 注. テキ ス トは. Hermann Hesse Gesammelte Werke Band 5 Demian Suhrkamp. Verlag 1970本 文 中で は. (S.)と 記す。.

(2) 3θ. 2. Demianへ. の道. こ とがで きる。 実際 ,1895年 に Baselへ ,1904年 に は Gaienhofenへ ,1911 年 に イ ン ド旅行 ,そ して1912年 に は Bernへ と度 々居所を変 えて い る。 しか し,傷 つ きやす い魂 の純 粋 さだけを 賛美 で きな い側面が あ るの も否定. Hans Giebenrathの 自殺 ,"Peter で きな い ,即 ち "Unterm Rad“ で は主人公 Camenzind“ で は父 の病気 とい う外 的要 因で帰郷 しそ こで再 出発を決意す る こ と ,そ して で は失意 の主人公 の死をや さ しく慰 め る神 の言葉 な "Knulp“ ど他 へ の依 存傾 向 ,自 己の 内的な弱 さをか ばお うとす る点 が見 受 け られ る。 1). 上記 の作 品を合 めて. Hesseの 作 品 のほ とん どが 自己告 白で あ るわけだが. 如何 な る犠 牲を払 お うと も真実を語 ることが 何 よ りも優先 されそ して その 時 芸術作 品が 自 己の存在 の真実 に手 さ ぐりす るひ とつ の手段 とな ることを は っ き り と自覚すれば こそ. の 冒頭 で 詩人 自 ら彼 の「. "Demian“ が 自己 告 白で あ り架空 の人 間 のそれで はな い」と述 べ て い る。 (S,7)し たが って. "Demian“. の のひ とつ と考 え られ る当時の "Demian“ 誕生 要 因 にふれ ることは意味が あ ると思われ る。. Hesseの 個人的な側面. Hesseは 第 一 次大戦 の 頃 につ いて , 随想 ,,Beim Einzug in ein neues Haus“ (1931)で 次 のよ うに記 して い る。. Es kam,nicht ganz zwei Jahre nach unsrer Ubersiedlung, der Welt― krieg,es kam fur mich die Zerstё rung meiner Freiheit und Unab― hangigkeit,es kaIIl die groSe lnoralische Krise durch den Krieg, die. mich zwang,mein ganzes Denken und und meine ganze Arbeit neu zu begrinden,… ……wahrend ich durch den Krieg amtlich iberanstrengt und inoralisch iminer inehr verzweifelt war,brё ckelte langsam alles. das zusamlnen,was bis dahin inein Gluck gewesen war,. 2). 第 一 次世界大戦を 引 き起 こした ヨー ロ ッパ の状況 は , ドイツ以外 の列強即. 1)Hermann. Hesse Gesammelte Werke Bandll S.81.. 2)Hesse G. W.Bd.lo S.151.. ,.

(3) 磯. 3θ. 弘 治. 3. ち フラ ンス ,イ ギ リス ,ロ シアの対 ドイツ政策 も批判的に検討せ ねばな らな い とい う重要 な側面が あ るにせい よ , ドイツが三列 強を ヨー ロ ッパ か ら退か せ 自 らが ヨー ロ ッパ の盟主た らん と した ドイ ツ帝 国主 義 の 独善 的膨張主義 と も 言 うべ き ものが大 戦勃発 の主 た る要 因 で あ ることは否定で きな いであ ろ う。 1914年 に勃発 した第 一 次世界大戦 とい う混乱 した状況 の 中で祖 国 ドイツは極 端 な愛 国的風潮 ,自 己のあ らゆ る欲 望を即座 に満足 させ よ うとす る Lebens―. prinzipが 蔓延 して お り,い たず らに愛 国的 で あ ることな どに現われ て い る 価 値体系 の専制的単 一 化が あ るばか りであ った。戦争 とい う集団幻想 に の み こまれ 自己自身を ,個 と しての人 間本来 の 姿を ,見 失 な って しま った祖 国 の 同胞達 へ の警鐘 と して ,同 時 に このよ うな状況 の もとで 懸命 に 自己を守 るた めに Hesseは 1914年 しその結果. "O,Freunde,nicht diese Tё. ne!“. を発表 した。 しか. Hesseは 売 国奴 の非難を浴 び ,更 に戦 争捕虜達 のた めの奉仕活. 動 によ る肉体 的疲労が加 わ り詩人 の精神 と生活 は覆がえ され るのであ る。. Hesseは 謙虚 に発表 したに も拘 らず "O,Freunde,nicht diese Tё ne!“ を 思 い もか けぬ報道機 関を始 め とす る世 間 の非難 と 中 傷 は , "Peter Camen― zind“. の発表以来 ,比 較 的順調で あ った作家 と して の道 を歩ん で きた Hesse. に とって初 めての経験 であ り失 望 と途惑 いを与 えた。詩人 の 身辺 に は ,更 に が続 く,1916年 に父 Johannesの 死 ,そ して三男. Martinが 重病 ,続 い て. 不幸 Bernへ 移 り住 んだ 時か ら不安 と息苦 しさを感 じて いた Maria夫 人 の ノ イ ローゼ が悪化 した ことな どであ る。結局. Hesse自 身 も神経衰 弱 のた め療. 養 せ ざ るを えな くな る。 Helena Welti夫 人 に宛てた書簡 で詩人 は自分 の 病 いにつ いて 次 のよ うに記 して い る。. 私 のな かで も,あ る危 機が成長 しつつ あ ります。 勿論 ,内 体的 なそれ は象 徴 的な意味を持 って はい るものの ,副 次的 な もの に過 ぎません 。. 1916年 の 4月 か ら 6月 の 終 りにか けて ,Luzerun郊 外 の Sonnmattの ク リ 3)H.HeSSe Gesammete Briefe Erster Band Suhrkamp Verlag S.324. ,.

(4) Demlanへ の道. 3θ 4. ニ ックで Hesseは CoG.Jungの 弟子 で あ る Jo B.Langと 12回 に及 ぶ 最初 の 精神分析 のための会合を持 ち ,そ れ以後毎週 Bernか ら Luzernへ 治療 の た めに通 って い る。 この精神分析 の 専門家 Langと の親交 はそれ ま で 科学 的な 心理 学 に少 しの興味 も示 して いな か った Hesseを Jungや. Freudの 心理 学. 4). とその認 識 へ と導 びいたので あ る。 傷 心 の 日々のなかで ,Hesseは 自分 自身をみつ めなおそ うとす る ,そ して. Romain Rollandを は じめ とす る少数で はあ るが友情 と誠実 に溢 れた励 ま し と精 神分析 へ の興 味 な どによ って ,世 界 の. Chaosを. きっか け と して気付 い. た 自己の 内部 に もあ る Chaosを 直視す る勇気を得 る ,そ して Hesse自 身 の 言葉をか りると ``.… oft aufgnhenden,oft erlё schenden Hoffnung,jenseits 5). des Chaos wieder Natur,wieder Unschuld zu finden"と. 言 え るまで に 回. 復す る。. 新 しい 日々に向 って再 出発 しよ うとす る時. Hesseは 過去を振 り返 り,そ. の辿 って きた 日々を 作 品 と して表現す ることで意 義 づ けよ うとす る。 この現 われが ,,Demian“ の比 較 的小説 らしい構成 をな して い る第 1章 か ら第 3章 の部分 で あ ると言 え る。 第 1章 Zwei Welten.第 2章 Kain.第 3章 Schacherの 展 開を簡単 に記 し て お くと. ,. 厳格 だが愛 と清 らか さに満 ちた家庭 に育 まれた ラテ ン語 学校生 Emil SIn― clairが 子供 らしい虚栄心か ら嘘を つ いて しま う,そ の結果 自分 の慣れ親 んで い る世界 とは全 く異 った世界 に居 る不良少年. Franz Kromerに つ きま とわ. れ苦 しめ られ る。 そん な時 ,転 校生 で他 の生徒達 とは一風 異 った 雰 囲気を持 つ. Demianに よ って Sinclairは その苦境を救 われ る。 しか しこの間 に ,自. 分 とは無縁であ り ,ま た恐れ さえ感 じられて いた eine fremde Weltの 存在 が ,そ して典型的 な キ リス ト教徒 の敬虔 な家庭 での教 えによ って 身に備 わ っ. 4)Hesse G.W.Bd.lo S.48 5)Hesse Go W.Bd.6S.402.

(5) 磯. 弘. 治. Denkweisや Gesichtspunktが. た もの とは全 く異 った. Sinclairの 心 に入 り. 込ん で しま った こ とに気 づ く。その後 この物語 は ,不 思議 な感動を ともな った. Demianと の出会 いが ,彼 へ の興味 ,そ して更 には憧 れ とな り,ま た Demian の母 Eva夫 人 との不可思議 な心 の交 わ りとによ って SinClairの 心的状況が 更 に変化す る様が描 かれて い る。 以 上 のよ うな 3章 の要点を Hesseの 内的外 的状況 にあて はめ る と ,少 年. Sinclairを 囲んで いた キ リス ト教徒 的 な家庭 は Hesse自 身 の作家生活 の反 映 とい う こ とが で きる ,即 ち1904年 に "Peter Camenzind“ を発表 して好評を 博 し,そ して Maria Bernoulliと 結婚 ,9月 に は BOden湖 畔 の Gaienhofen に居を移 し,豊 かで はないが ,自 然 と心を許 せ る友人 に囲れた生活を始 めて 以来 ,少 くとも外面 的 に は順調だ った ので あ る。 Sinclairが 両親 に対 して も つ 秘密 や いつ わ りが ,自 然な心理 的発展 の一過 程 で あ るの と同様 に ,大 戦時 の 祖 国 ドイツの方 向を誤 った 熱狂 的状況 に対す るプ ロテ ス トも詩人 の本性 に と って は ,ご く自然 な こ とだ った のだが ,そ れ に も拘わず HesSeが 被 らねばな らなか った謂無 き汚 名 と非難 ,そ れ に ともな う詩人 の精神 的疲労が不良少年 と Sinclairと の 関 りを通 じて描かれ て い るので あ り更 に ,Langと の交友を 契機 に知 り,そ して 自 らも研究 した心理学 的領 域 の影響が ,物 語 のタイ トル で もあ る Demianと の 関 りの うち に象徴 的に描かれ て い ると思 われ る。ttesSe と心理学 との関連 につ いて Malte Dahrendorfは 次 のよ うに述 べ て い る。. Es ist CoG.Jung gewesen,von dem Wirkungen auf Hermann Hesse ausgegangen sind,die wir entscheidend nennen lntssen und die jene allbekannte Wendung des Dichters in der Krise 1916/17 wesentlich 6). mitbestimmt haben. した が って ,,Demian“ はあ の 苦 痛 に満 ちた 時 間 が ,HesSe lこ と って 何 で. 6)Malte Dahrendorf:Hermann Hesses“. Demian"uud C.G.」 ungo S.82.. Germanisch― Romanisch Monatschrift Neue Folge.8.1958.

(6) 3θ. 6. Demianへ. の道. あ ったの かを確認す るとと もに ,そ の苦痛 に訣別を つ げ よ うとす る試 み ,換 言すれば 自己を客観的に見 つ め ,そ れを 書 き表 わす こ とで 自己自身を脱皮 さ せ るいわば Selbstrealisierungの 目覚 め といえ るであ ろ う。. す でに多 くの 作品 で夢 や空想が重 要な モ チ ー フとな って いた が ,"Demian“ で はその傾 向が一層顕 著 であ る。 ひと りの人 間 の 置かれて い る環 境が夢 とか 空想を生 みだす因果 関係を構成 す る ものだ とすれば ,“ Kindheit des Zaub― erS“. (1923)で「 小 さな イ ン ドの偶像 の形を した Panの 神 や ,さ らに他 の神. 々が私 の幼年時代 の世 話を して くれ ,私 が読み 書 きで きないず っ と以 前 に. ,. 私 に東 洋 の大昔 の 絵や考え方を い っぱい 詰 め込んで くれた」 と述 べ て い るこ とか らも解 るとお り ,ヨ ー ロ ッパ 文化 (キ リス ト教文化 )と は異質 な ア ジア 文化 に も囲まれて育 った Hesseの 場合 ,彼 の Seeleが 多分 に夢 や空想 に浸 ったの は ご く自然な こ とであ ったのだ ろ う。. Ich fand,anes in anem,in ihrer (Freud,Jung,Steckel)Auffassung des seelischen Geschehns fast alle lneine aus Dichtern and eigenen. Beobachtungengewonnen Ahnungen bestatigtl. Hesseは 上記 のよ うに ,文 学 ばか りでな く,Leben自 体 に とって夢 や空 想 が如何 に見逃せ ない貴重な側面を もつ もの かを近 代心理学 が彼 に教 えた こ と を認 めて い る。 そ こで ,Dahrendorfが ,「 た とえ ,Jungの 精神分析が物語 の 中で ,特 殊 な宗教的 体験 が その裏 に秘んで い る暗号 と してだ け理解 され る と して も,Juugの 精神分析 は我 々に とって. "Demian“ の みな らず Hesseの. 他 の作 品や詩人 の 姿を理解す るための 不可欠 な資料 で あ る」 と強 調 して い る. Hesseと C.G.jungの 関連 にふれてみたい。「 彼の二つの発見 ,即 ち “das kollektive UnbewuSte" “die psychologischen Typen''が その中心をな し 7)Hesse GoWo Bd。 6S.371. 8)Hesse Go W.Bd.lo S.48. 9)Malte Dahrendorf:Hermann Hesses“ Demian"uud C.G.Jung S.89。.

(7) 磯 て い る心 理 学 の 創 始 者」 で あ る. 3θ. 弘 治. Jungは Seeleを. 7. 次 の よ うに三 段 階 に分 け て. い る。. 1.das Bewu13tsein 2。 das persё nliche UnbewuSte 3。 das kollektive. UnbewuSte"そ. して das kollektive UnbewuSteは 次 の よ う に定 義 され て. い る。“das kollktive Unbewu3te,welches als ein Erbgut an Vorstellungs― mё glichkeiten nicht individuell, sondern allgemein menschlich, ja sogar allgemein tiersch ist und die eigentliche Grundlage des individuell ll). Seelischen darstellt" この. das kollektive UnbewuSteの 定 義 の 影 響 が "Demian“ の い た る と こ. ろ で 見 い 出 さ れ る。 例 え ば. Wir bestehen aber ans dem ganzen Bestand der Welt,jeder von uns, und ebenso wie unser Kёrper die Stanllntafeln der Entwicklung bis zum Fisch,und noch viel weiter zurick in sich tragt,sO haben wir in der Seele alles,was je in〕 唖enschenseelen gelebt hat(S105). 論 点 を ,こ の daskollektive UnbewuSteに しぼ り ,更 に. Juugの 説 明を. 要 約 す る と ,das kollektive UnbewuSteは , ず っと歴 史 を 湖 った あ らゆ る 体 験 の 沈積物 で あ り ,ま た個人 生 活 を規 定 す る生 き 生 き と し た Reaktions―. systemで あ り Bereitschaftssystemな ので あ る。 das kollektive Unbe‐ wuSteは Instinkの 源泉 で あ り,本 能 つ ま り生 の源泉か ら創造 的 な ものが 流 れ るので ある ,し たが って das kollektive UnbewuSteは ただ歴史的制約 で あ るだ けでな く,同 時 に創造 的刺激を も生 む ので あ る。 」.B.Langと の精神分析療法が Hesseの 心 の 奥か ら引 き出 した無意識的な ものを 象徴 して い る Demianが Sinclairに 次 のよ うな忠告を与 え る。. 「 われわれ の 内部 に,す べ てを 知 り,す べ て を望み ,す べ てをわれわれ 自 10)HeSSe G.Wo Bd.12. 11)Gesammelte Werke C.G.Jung Walter Verlag Bd.8S.176.

(8) 3θ. 8. Demianへ. の道. 身 以 上 に よ り良 くな す ものが い るの を知 る こ とは とて もよ い こ とだ 」. これ は das kollektive UnbewuSteを 暗示 して はいな いだ ろ うか。意識 の 代 表 と も言 うべ き科学 的知識が豊 富 にな り ,狭 い意 味に於 け る社会秩序 の維 持 に合 わせ た思 考方法 ,あ るいは信仰す らも組識的にかた ちづ くられ ,そ の 結 果 ,人 智を超 えたあ るいは ,因 果律的 な見 方や合理 的な考 え 方 な どで理解で きぬ もの は簡 単 に不合理 と して片付 け られ ,極 端 な場合 は危 険 で あ ると拒 否 されて しま う。更 に 自 己の内面 につ いて さえ も ,心 の 暗 黒 の部分を 自 ら恐れ るあま り ,そ れを悪魔 などに擬 人化す ることで 隠蔽 しょうさえす る。 Hesse は このよ うな偏 向 した. Lebenに つ いて Demianに 次 のよ うに語 らせ て い る。. 「 しか し世 界 は他 の ものか らも成 り立 って い る。 ……世界 の この部分全体. ,. この 半分全体が ごまか され ,黙 殺 されて い る」 (S62) 万能 の神 でない人 間 の意識 は ,す べ て を包合す ることは不可能 であ り ,当 然 そ こに は , “entweder A oder B"が 生ず る。 そ して あ る基 準を よ りど こ ろとす る選択 は必然的 に偏 るといえ るであ ろ う。 このよ うな. Lebenの 歩 み. を ,心 の深奥 の das kollektive UnbewuSteが 本来 の方 向へ と矯生す るので あ る。 空想や夢 ,更 に は所 謂 直感 と呼ばれ る もの は意 識界 だ け で は困難 な問 題 の解決 に手掛 りを与 え得 る し,ま た解 明す ること もしば しばあ る ,つ ま り 心 の 奥底 にあ って 普段 は表面 にあ らわれな い偉大 な体験能力 と して の無 意識. Lebenを 支 えて い る の で あ る。das kollektive UnbewuSteは Lebenの 連続 と も言 え る歴 史 の原動力で あ り,そ の力 によ が意識 と手をたず さえて. る歴 史 の倉1造 こそ が人 間 に課 せ られた使命で あ ることを 暗示す るために夢 や 空想 とな って しば しば浮びあが って くる の で あ る。 し た が って 前 述 の. Demianの 忠告 は意 識 の機能 と同様 の時 によ って は ,そ れ以上 の機能を発揮 す る das kollekt市 e UnbewuSteの 存在意義を Hesseが 明確 に認 識 した こ とを示 め して い るといえ るだ ろ う。. Jungは 意識 の主 体を 自我 (Ich), 無 意 識を含 めた こころ全体 の主体を 自 己 (Selbst)と よんで い るが ,こ の こころ全 体 の 主体 Selbstに 注 目 してみ る 12)Gesammelte Werke C.G.Jungo Bd.6.S.471..

(9) 磯. 3θ. 弘 治. 9. と ,例 え ば ,神 経 症 患 者 や 同性 愛 者 な どに も ,外 的 に は如 何 に異 状 と しか見 えな い も のの 中 に も人 格 的全 体 へ の 内部 か ら望 ま れて は い るが ,し か し不 安 の 故 に逃 れ よ うとす る発 展 の 印 と して解 され ね ば な らな い もの ,即 ち個 性 は 勿 論 こ こ ろ の 全 て の 可 能 性 を 実 現 し よ う と す る Selbstrealisierungの 現 わ れ と考 えね ば な らぬ 側 面 が 同時 に あ り ,こ の よ うな Selbstrealsierungを. Lebenの 最 終 日標 とす る考 え 方 が ,,Demian“ の 扉 に掲 げ られ た て い る言 葉. Ich wollte nichts als das zu leben versuchen, was von selber aus mir. heraus wollteo Warum war das so sehr schwer?(S。. 7). あ るい は. Es gab keine,keine,keine Pflicht fur erwachte Lttenschen als dieeine:. sich selber zu suchen, in sich fest zu werden,den eigenen Weg vorwarts zu tasten,cinerlei wohin er fuhrte。. (S126). の 中 にみ ご とに反 映 されて い る と思 わ れ る。. 第. 4章 以 後 の. ,,Demian“ の 展 開 は Emil Sinclairと 名 づ け られ た主 人 公 の. 内 面 的成 長 過 程 が ,あ るい は Lebenの 目標 と して の Selbstrealisieruugの 過 :程 が描 か れて い る。 やがて. Demianと 別 れ た あ と ,し か しSinClairは 父 母 の も. とで の 明 る く清 らか な 世 界 に 戻 る こ と はで きず ,と は い え確 固 た る の拠 所 を得 る こ と もで きな か った 。 一 度 は. Leben. Demianに 教 え られ た高 邁 な精. 神 を求 め は した が ,今 は「 な らず 者 で 不潔 漠 で ,酔 っぱ らって よ ごれ た私 」. にな り「 外的 には堕落 した ,発 作的な衝動 のままに動 く自己破壊的な日々」 をお くっている。そんな Sinclairの 前 に一人 の若 い女が出現する,気 高 いそ の姿を彼 は Beatriceと 名付け る,や がて彼女を一枚 の 肖像画 に描 くことに よ り,再 び快楽よりも清浄さを得ようと試み る。完成 した 肖像画 の少女 の顔 は現実の彼女 のそれではなか った。やがて しば しば Sinclairの 夢 にまで現 われることで ,そ の顔が実 は Demianの それであった ことに気づ く。. Dahrendorfは 「 Beatrice,Frau Evaな どの人物は Hesse自 身 によっ.

(10) Demlanへ の道 て とい うよ りも,む しろ. C.G.Juugに. よ って 語 られて い る」 と述 べ て い る. が ,Sinclairの 夢 は ,彼 のよ り高次 の 自己自身 の象徴的な夢 に他 な らず ,放 蕩無頼 な生 活 の なかで ,即 ちさまざまな意欲 の衝 突 にあえ ぎなが ら,主 人公 は. Demianを 無 自覚 だが 内心で求 め手探 り して い るので あ る。 Demianは 可能 性 と して Sinclairの 内部 に も存在 してお り , Beatriceと 名付 け られた少女 の 肖像画が結果的 に は. Demianで あ ったの は ,内 的可能性を実現 させ よ う. とす るdas kollekt市 e UnbewuSteの 働 きか けを意味す るので あ り,Sinclair の 自己破壊的な 日々は ,前 述 した ,不 安 の故 に逃れよ うとす るよ り高次な存 在 へ の発展 の 印 なのであ る。 Beatriceの 肖像を独 自の祭壇 に す ることで 再 び 自己自身 へ の道を歩 み は じ めた Sinclairは. Demianが 暗示 していた「 神 で あ り,悪 魔で あ り明 るい世. 界 と暗 い世界を 内蔵 して い る神」 (S109)へ の礼拝を孤独 に行 って い るオ ル ガ ン奏者 Pistoriusに 出会 う ,そ して 彼 との対話を通 じて ,自 分達 の 内な る. Seeleが 欲す る ものを恐れず に実行す るよ うに励 まされ る。Sinclairは ,か つて. Demianが Kromerの 強迫か ら彼 を救 った よ うに ,今 度 は ,禁 欲生活. が一段高 い精神 的な道 だ と しなが らも,そ の故 に悩み ,遂 に は自殺を 図 る少 年. Knauerを 助 け「 …… ぼ く達 は人 間 だ。ぼ く達 は神 々を作 りそれ と戦 うの. だ。 神 々はぼ く達 を祝福す る」 (S120)と 悟 し,互 いに 自分 の本質 か ら出て くる ものを実行 す る道を歩 もうと励 ます。 Sinclairは 更 に一 歩 自己自身 へ の道を進んだ といえ るだ ろ う。「 私を元気 づ けた ものは ,私 自身 の 内部 の発見 の進歩で あ り,私 自身 の夢 や思想や 予感 に対 す る信 頼 の増大で あ り,そ して 私 自身 の 内部 にあ る力 の 自覚 の増大で あ った」 (S120)と い う言葉が それを示 して い る ,し か し同時 に Knauerに 見 られ る如 く,生 きよ うとす る強い意志 はあ るに も拘 らず ,そ の 表現 し得 る道 を完全 に はまだ見 い 出 して はいない側面 もそ こにはあ る。. HeSSeが 自己自身を見 いだそ うと努力す る姿を描 く際 ,明 と暗 ,善 と悪 13)Malte Dahrendorf:H.Hesses“ Demian"uud C.G.Jung S。 91.. ,.

(11) 磯. 弘. 治. 公認 された神 の世界 と黙殺 された悪魔 の世界 な ど の対立性 も主要 な モ チ ー フ とな って い る。 これ らの対立性 は ,大 戦 とい う大 きな いた 自 己の内的 な. Chaosを 契機 に気付. ChaOsの デ ィ レンマの現 われで もあ るが ,む しろ現状を. 越 えて よ り良 い存在 ,異 った存在を願 うこころの深淵か らの 意識 の主体 Ich へ の刺激を示 して い ると考 え るべ きだ ろ う。人生を歩 むため の体験的推積 で あ るdas kollektive UnbewuSteの 欲求が ,非 現的 あ るいは誤 謬 で あ るはず がな く,意 識 と無意識が一見対立 して い る如見 え はす るが ,実 は互 いに補 い なが ら. Lebenを 継続 し高 めよ うと してい るので あ る。 したが って第 5章 に. 於 け る「 巨大 な鳥 」 と「 卵」 の比較 も ,SelbStrealisierungの ための共 同作 用を示 して い ると考 え られ る。卵 と して一応安定 して い る das BewuStsein を das k011ektive Unbewu3teが 束J激 し,破 壊 して は じめて 巨大 な鳥 は誕生 す るので あ り,そ してそ の 時 ,生 命体 と して の卵 はよ り高次 の存在 へ と新 た な一 歩 を踏 み 出 したので あ る。 Schicksal 以上 の ことを ふ ま えて ,Hesseが 引用 して い る NOvalisの 言葉 “. und Gemut sind Namen eines Begriffs"(S84)に つ いて考 えてみ ると ,こ れ は苦悩 のはて に詩人. Hesseが 再 び立 ちあが ろ うとす る決意 の現れ といえ. る。Hesseは 人 間内部 の深淵を「無意識 界」あ るい は「 Seele」 と呼んでお り. Gemutは. ,. seeleの 呼びか けに他 な らな い。人 間 あ るい は こころの表面 と も. 言 え る意 識が安定 して いて も ,更 に奥 のよ り内な るものが ,た とえ現 在 の 意 識 と対立す る もので あろ うとも ,高 次 の存在 へ 導 くた めに意 識をゆ り動かす その結果 この Seeleの 呼びか けが数 々の対立性を生 みだす ので あ る。 したが って ,Selbstrealisierungの 過程で必然的に生 じるところの この対 立 の 間を 人 間 は歩 まねばな らな い ,そ れが運 命 な ので あ る。 このよ うに生 ず る運命を 誰が愛 さず にい られ るで あろ うか 。 運命 へ の愛 に 目覚 めた Sinclairを め ぐり更 に物語 は 展 開 し て ゆ く が. Demianの 母 Eva夫 人 につ いて次 の一 節が あ る。. 14)Hesse Go W.Bd。 11.S.197.. ,. ,.

(12) Demianへ の 道. 312. Das war mein Traumbild!Das. ar sie, die gro13e, fast lnannliche Ⅵ戸. Frauenfigur,ihrem Sohne ahnlich,nlit Zugen vOn. ⅣIutterlichkeit,Zugen. von Strenge,Zugen von tiefer Leidenschaft, schё n uud verlockend, schё n. und unnahbar,Damon uud卜任utter,Schicksal und Geliebte.Das. war sie!(S130). す べ て の 対 立 を 内 に蔵 し ,し か もそれ が 調 和 を 保 ち ,あ たか も宗 教 的 シ ン ボ ル の 如 に 述 べ られ て い る. Eva夫 人 の Bildは ,Hesseに. と って Selbst―. realisierungを な しえた人 間 の 理 想 像 で あ るの だ ろ う ,し か し完 全 な Selbst― realisierungは 可 能 な の だ ろ うか , む しろ. Eva夫 人 の Bildは Lebenの. 唯. 一 無 二 の 目標 で あ り ,生 あ る限 り常 に よ り高 次 へ と自 己を 昇 華 させ た い と願 う詩人. Hesseが. た が って. 自 己の. Lebenの. あ りよ うを 再 確 認 した の だ と思 わ れ る。 し. Sinclairは この 理 想 に 到達 して は い な "Demian“ に 於 いて も勿 論. い ,た だ 出征 し負 傷 した Sinclairが 友 で あ り導 き手 で あ った. Demianと. 自. 分 の 姿 が今 や 酷 似 して い るの に気 づ く描 写 で 物 語 は終 って い る。 これ は das. kollektive UnbewuSteの 象 徴 と して の Demianが 意識 を 困乱 させ は した が. ,. 自我 に 問 い か け ,刺 激 し ,そ して常 に見 守 りな が らやが て 意 識 内 に 定 着 し調 和 を 保 った こ とを示 して お り ,Selbstrealisierungの 一 過 程 の 終 了 を 意 味 し て い るので あ る。 Demian,Beatrice,Pistorius,Knauerな ど Sinclairが 出 会 った 様 々 な Bilderは , 彼 自身 の 内的可能 性 と して の 未 知 な る ものが ,各 々異 った Bildと な った 彼 の 前 に 出現 した といえ るだ ろ う。. HesSeは 第 一 次 大 戦 以 後 の 困難 だ った 内的 ,外 的状 況 を Selbstrealisierung の一 過 程 と して 捉 え る こ とで克 服 し ,そ して. "Demian“. Anfang von Endeの 如 く Erzё hlung"Demian“. の 最 終 章 の タ イ トル. と と もに 自 己 自身 へ の 道 に. 続 く新 た な 第 一 歩 を 踏 み 出 した の で あ り ,こ の 歩 み は ,Hesseが "Demian“ 発 表 の 際 , 著 者 名を 自分 の 名前 で な く Emil Sinclairと した こ とか らも窺 え る。. Hesseの 興 味 が 精 神 分析 か ら次 第 に ,よ. り詳 細 な近 代 心 理 学 の 領域 へ と拡.

(13) 磯. 弘. 313. 治. 大 した結果 ,彼 は混 沌 か らの脱 出手段 と して無意識 の再認識を見 い出 した と 言 え る。 因みに ,Hugo Ballは. ,精 神分析 と Demianの 関連 につ いて 次 の. よ うに述 べ て い る。 「 集 中的 な ,そ して新 しい精 神療法 の あ らゆ る問題 におよぶ対話 の成果 が ドイ ツ文学 の傑作 Hesseの "Demian“ で あ る」 第 4章 以後 ,,Demian“ の展 開 は以 前 の章 のよ うな明確 な小説 らしい構成 を な して お らず ,関 連を見 いだ す の が困難 な程 に過去 と現在 の 時間 の枠 が超越 されて いた り, 虚構 の 世界 と 現実 の 出来事が複雑微妙 に絡 みあ って い る。. Hesseが ま るで ,心 に浮 んで くる ものを その まま素直 に記 して い るかの如 き 印象 を与 え る この小説 構成 は ,Freudが 精神 の苦痛 を訴 え る患者 に対 し用 い た freie Assoziationを 思 い起 させ は しな いだ ろうか。 この構成 は,無 意識 を解放 し,心 の 奥底 を知 り苦悩 す る自我 を 自 ら救 い高 め よ うとす る試 み ,即 ち Andre Gideが 最高 の美徳 と賛美 した「 自 己だけに聞 き ,自 己だ けを尊敬 す る従順 さで あ るJ Eigensinnの 現 われに他 な らな いので あ る。 したが って. ,. た とえ前期 作 品 の持 つ 美 しさが失 われ よ うとも ,読 者 に露悪 な印象を与 えよ うと も Hesseは "Demian“ を他 の形式 で は表現 しえなか った といえ る。また 大戦 当時以上 に述 べ た Hesseの 態度 に対す る Romain Rollandの 称 讃 は. Faustに 見 る次 の言葉 :「 自由や生活を常 に戦 い取 らねば な らぬ者だ けが 自 10. 由 や生 活を得 るのであ る」 に こめ ら れて い る. Goetheの 精神 と Hesseの. それが一致 して い たか ら で あ り , 混乱 の 日々を 戦 い 抜 いた. HesSeの 真 に. Goethe的 精神 の所産が "Demian“ であ ると思 うので あ る。. 15)HugO Ball:Hermann Hesse.Suhrkamp.1972.S.137. 16)Andr6 Gide「 秋 の断想」S.245原 田義人訳 17)Romair Rolland:「 戦 いを超えて」宮本正晴訳 彼 は Hesseに つ いて ,「 悪魔 的な戦争 のなかで真 に Goethe的 な態 度 を保持 した唯 一 の人」 と述 べて い る。 18)」 ohann wOlfgang von Goethe Ⅵrerke.Hamburger Ausgabe,Christian Wegner Verlag Bd.3 Faust.zweiter Teil S.248.. ,.

(14)

参照

関連したドキュメント

 基本的人権ないし人権とは、それなくしては 人間らしさ (人間の尊厳) が保てないような人間 の基本的ニーズ

そればかりか,チューリング機械の能力を超える現実的な計算の仕組は,今日に至るま

(( .  entrenchment のであって、それ自体は質的な手段( )ではない。 カナダ憲法では憲法上の人権を といい、

「社会人基礎力」とは、 「職場や地域社会で多様な人々と仕事をしていくために必要な基礎的な 力」として、経済産業省が 2006

・本計画は都市計画に関する基本的な方 針を定めるもので、各事業の具体的な

に本格的に始まります。そして一つの転機に なるのが 1989 年の天安門事件、ベルリンの

 此準備的、先駆的の目的を過 あやま りて法律は自からその貴尊を傷るに至