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オーストリアの土着少数派と言語政策

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Academic year: 2021

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(1)オ ー ス トリア の土 着 少 数 派 と言 語 政 策. 坂. 野. 0.は. 久. じめ に. 「オ ー ス ト リ ア は ヨ ー ロ ッ パ の 中 で 言 語 的 に か な り 不 均 質 の 住 民 が い る 国 家 で あ る 」 と Haarmann(1993)は. 指 摘 して い た が1、 オ イ ロバ ロ メ ー タ243(2006)に. で 日常 語 と し て ドイ ツ 語 を 話 す 住 民 数 の 割 合 は96%で ス 語 話 者93%に. 、 ドイ ツ の90%、. 較 べ る と比 較 的 高 い2。 し か し ま た2001年. 民 が ドイ ツ 語 以 外 の 言 語(22種. 類 の 言 語)を. よ る と、 オ ー ス ト リ ア フ ラ ンス に お け る フ ラ ン. の 国 民 調 査 結 果 を 見 る と、11.5%の. 住. 日常 語 と して 使 用 し て い る3。 ドイ ツ 語 以 外 の 言 語. を 日常 語 と し て 使 用 し て い る グ ル ー プ と し て は 、 オ ー ス ト リ ア ・ハ ン ガ リ ー 帝 国 以 降 定 住 し て い る い わ ゆ る 「土 着 少 数 派 」(主 に ケ ル ン テ ン の ス ロ ヴ ェ ニ ア 語 話 者 、 ブ ル ゲ ン ラ ン ドの ク ロ ア チ ア 語 話 者 と ハ ン ガ リー 語 話 者 、 ウ ィ ー ンの チ ェ コ 語 話 者 と ス ロ ヴ ァ キ ア 語 話 者 、 そ して ロ マ ー ニ ー 語 話 者)と. 、 東 の 解 放 以 降 に 移 住 して き た 旧 ユ ー ゴ ス ラ ヴ ィ ア 継 承 国 家 の 言 語 を 話 す 「新 少 数 派 」. (ボ ス ニ ア 語 、 ク ロ ア チ ア 語 、 マ ケ ドニ ア 語 、 セ ル ビ ア 語 な ど の 各 話 者)が トル コ語 話 者 ・ ク ル ド語 話 者 お よ び 東 欧 諸 国 の 言 語 少 数 派(ポ. あ げ られ る。 さ らに. ー ラ ン ド語 、 ア ル バ ニ ア 語 、 ル ー. マ ニ ア 語 の 各 話 者)、 そ し て 最 近 で は ア ラ ブ 系 言 語 話 者 と 中 国 語 話 者 が 目立 っ て い る 。 し か し 国 民 調 査 に よ る 日常 語 を 尋 ね る調 査 結 果 は 、 現 実 の 複 雑 な 言 語 生 活 を 反 映 し て い な い 場 合 が 多 い 。 た と え ば 多 数 派 住 民 に よ る少 数 派 住 民 に 対 す る大 規 模 な 弾 圧 が 行 わ れ て い る ケ ル ン テ ン で は 、 あ る過 去 の 調 査 に よ る と、 ス ロ ヴ ェ ニ ア 人 の 割 合 が 最 も 多 い 地 域 で あ るV61kermarkt地 ス ロ ヴ ェ ニ ア 人 は 全 住 民 の4分. の1に. す ぎ な い に も か か わ らず 、 全 住 民 の4分. の3が. 域 では ス ロ ヴ ェニ. ア 語 を 理 解 し て い た4。 ま た ブ ル ゲ ン ラ ン ドの 司 教 区 行 政 庁 に よ る ア ン ケ ー ト調 査 で は 、32,000 人 の 信 者 は ク ロ ア チ ア 語 で ミサ を 聞 き た い と望 ん で い た が 、 国 民 調 査 資 料 で は ク ロ チ ア 語 を 話 す 住 民 は19,000人. と い う 結 果 が で て い る5。 国 民 調 査 結 果 に 表 れ な い 実 際 の 言 語 状 況 を 検 証 す る た. め に 、 ま た 少 数 派 住 民 に 対 す る 「同 化 」 「言 語 変 換 」 を 理 解 す る た め に 、 さ ら に オ ー ス ト リ ア に お け る土 着 少 数 派 の 言 語 政 策 上 の 特 徴 を 把 握 す る た め に 、 以 下 の 項 目 に 沿 っ て 順 次 論 を 進 め る こ. 一185一.

(2) 近 畿 大 学 語 学 教 育 部 紀 要9巻2号(2009・12) と に し た いQ 1.土. 着 少 数 派 とそ の歴 史 的背 景. 2.言. 語 少 数 派 と言 語 政 策. 3.少. 数 派 の二 言 語 性 とア イ デ ンテ ィテ ィ. 1.0土. 着 少 数 派 と そ の 歴 史 的 背 景. 言 語 少 数 派 を 表 示 す る 用 語 と し て 、 ドイ ツ 語 で は 主 に と 。Volksgruppe"が. 使 用 さ れ て い る 。 前 者 のMinderheitは. 。sprachliche/ethnischeMinderheit" 形 容 詞 を 前 に 付 け て 、 「言 語 的 少. 数 派 」、 「民 族 的 少 数 派 」、 「社 会 的 少 数 派 」 な ど、 一 般 的 に 様 々 な 種 類 の 少 数 派 を 表 示 で き る が 、 後 者 のVolksgruppeは 家)で. 、 「独 自 の 言 語 、 文 化 、 伝 統 に よ っ て 特 徴 づ け ら れ る が 、 独 自 の 国(国. 生 活 して い な い 人 種 的 少 数 派 」 を 指 して い る 。 オ ー ス トリア の少 数 派 は 、 従 来 後 者 の. Volksgruppeで. 表 示 され る場 合 が 多 か った が 、 最 近 で は 多 種 多 様 な少 数 派 が 問 題 提 起 さ れ て い. る 関 連 で 、 土 着 少 数 派 に つ い て もautochthoneMinderheitenと. 一 般 的 に 表 示 さ れ て い る。. 本 稿 で と り あ げ る 土 着 少 数 派 と は 、 「三 世 代 以 上 そ の 土 地 に 定 住 し て い る 」 と い う 条 件 を 満 た し、 オ ー ス ト リ ア 政 府 に よ っ て 公 式 に 認 定 さ れ て い る民 族 グ ル ー プ で あ る。 そ の 中 で も特 に 問 題 を 多 く抱 え て い る ケ ル ン テ ン の ス ロ ヴ ェ ニ ア 語 話 者 、 ブ ル ゲ ン ラ ン ドの ク ロ ア チ ア 語 話 者 と ハ ン ガ リ ー 語 話 者 、 ウ ィ ー ン の チ ェ コ語 話 者 と ス ロ ヴ ァ キ ア 語 話 者 、 そ し て ロ マ ー ニ ー 語 話 者 を 中 心 に 、 彼 ら の 歴 史 的 背 景 を 概 説 す る こ と に し た い6。. 1.1ケ. ル ン テ ンの ス ロ ヴ ェ ニ ア人. ケ ル ン テ ン ・ス ロ ヴ ェ ニ ア 人 の 先 祖 は 、6世. 紀 後 半 に パ ン ノ ニ ア(現. 在 の ハ ン ガ リ ー)方. 面 か. ら東 ア ル プ ス の 東 側 地 域 に あ た る サ ヴ ァ川 上 流 に 移 住 し た 。 そ の 後 、 東 か ら攻 め て き た モ ン ゴ ル 系 遊 牧 民 ア ヴ ァ ー ル に 対 抗 す る た め 、 バ イ エ ル ン人 に 援 助 を 求 め 、8世. 紀 中 頃 バ イ エ ル ン ・フ ラ. ン ク の 支 配 下 に 入 っ た 。10世 紀 後 半 に 強 力 な バ イ エ ル ン王 国 の 植 民 地 と な り、 そ れ 以 降 こ の 地 域 は ス ロ ヴ ェ ニ ア 語 と ドイ ツ 語 の 言 語 境 界 地 域 と な り、 そ れ は19世 紀 中 頃 ま で 変 わ ら な か っ た 。 そ の 境 界 線 はGail川 Hermagor/Smohorか を 経 てLavamUnd/Labotま. 中 域 か らW6rtherseeとDrau川. 北 部 地 域 に沿 っ て 西 か ら東 へ 、 即 ち. らMariaGail/MarijanaZilji,MariaSaal/GospaSveta,Diex/Djekse で 走 っ て い る。. 比 較 的 安 定 し て い た 政 治 的 状 況 は19世 紀 中 頃 に 一 変 し た 。 聖 職 者 と知 識 人 を 中 心 に 進 め ら れ た. 一186一.

(3) オ ー ス トリア の土 着 少 数 派 と言 語 政 策 ス ロ ヴ ェ ニ ア 解 放 運 動 と、 ドイ ツ 系 住 民 の ナ シ ョ ナ リ ズ ム が 対 峙 す る こ と に な り、 学 校 政 策 の 変 更 な ど を 通 し て 、 多 数 派 住 民 に よ る少 数 派 住 民 へ の 同 化 圧 力 が 高 ま っ た 。1870年. 代 以 降 に聖 職 者. を 中 心 とす る保 守 的 な ス ロ ヴ ェ ニ ア グ ル ー プ が 、 選 挙 に 立 候 補 す る な ど政 治 活 動 を 活 発 化 さ せ た が 、 成 果 は 得 ら れ な か っ た 。 彼 ら の グ ル ー プ の 中 に は 、 政 治 的 ア イ デ ン テ ィ テ ィ よ り も民 族 的 ・ 言 語 的 ア イ デ ン テ ィ テ ィ を 重 視 す る人 々 が い た か ら で あ る。 南 ケ ル ン テ ン の カ ト リ ッ ク聖 職 者 達 は 、 母 語 に よ っ て 宿 命 的 に 結 び つ け ら れ 緊 密 化 さ れ て い た ス ロ ヴ ェ ニ ア 民 族 を,,Ubermutter" (超 母 親 的 な 存 在)と. し て プ ロパ ガ ン ダ して い た が 、 そ れ に 対 して ドイ ツ 系 ナ シ ョナ リ ス トは 、. 合 理 的 ・世 俗 的 イ デ オ ロ ギ ー を 対 峙 さ せ 、 ドイ ツ 語 と ドイ ツ 文 化 の 卓 越 性 を 強 調 し た 。 そ し て 教 師 は 聖 職 者 か ら解 放 さ れ 指 導 的 立 場 に 立 ち 、 村 の ブ ル ジ ョ ア 、 役 人 、 労 働 者 さ え も ドイ ツ 系 の ナ シ ョ ナ ル 色 の 強 い 政 党 に 入 党 し、 ゲ ル マ ン化 を 進 め るutraquistischeSchule(本. 来 の意 味 は、. 第 二 言 語 ドイ ツ 語 に よ る知 識 習 得 能 力 が 十 分 な も の と な り、 授 業 語 と し て 母 語 で あ る少 数 派 言 語 が 必 要 で な く な る ま で 、 母 語 と第 二 言 語 を 同 時 に 授 業 語 と し て 使 用 す る教 育 体 制 を と る学 校 の こ と で あ る が 、 実 際 に は 形 骸 化 し た 二 言 語 授 業 を 行 う教 育 体 制 の シ ン ボ ル と 受 け と め られ て い る)7 を 支 援 し、 ドイ ツ 語 化 に 賛 同 し た の で あ る 。 こ のutraquistischeSchuleは. そ の後 徐 々 に形 骸. 化 さ れ 、 少 数 言 語 の 社 会 化 を 妨 げ 、 ゲ ル マ ン化 を 進 め る象 徴 的 な 教 育 政 策 と な り、 ケ ル ン テ ン で は 今 日 ま で 依 然 と し て ナ シ ョ ナ ル 的 な 言 語 論 争 が 絶 え な い 要 因 と な っ て い る。 ハ プ ス ブル ク帝 国 崩 壊 後. 「セ ル ビ ア ・ク ロ ア チ ア ・ス ロ ヴ ェ ニ ア 王 国 」(dasK6nigreichder. Serben,KroatenundSlowenen=SHS)が (Ljubliana)の. 誕 生 し た 。SHS誕. ス ロ ヴ ェニ ア 政 府 は 南 ケ ル ン テ ン を 要 求 し た 。1918年. 生 と同 時 に リュブ リアー ナ. ン テ ン で は 防 衛 闘 争(Abwehrkampf)と. 呼 ば れ て い る)後. の 地 域 所 属 に 関 す る住 民 投 票 が 決 定 さ れ 、1920年10月10日 者 の 半 数 以 上(約59%)は. と1919年. の 国 境 論 争(ケ. ル. に 、 パ リの 平 和 会 議 で 南 ケ ル ン テ ン に そ の投 票 が実 施 され た。 選 挙 権 所 持. オ ー ス トリア に投 票 した が、 そ の 中 に は多 くの ス ロ ヴ ェニ ア系 住 民 も. 含 ま れ て い た と言 わ れ て い る。 第 一 共 和 国 で は 、 多 数 派 へ の 同 化 と ドイ ツ 語 化 が 顕 著 に な っ た 。 具 体 的 に は 、 ス ロ ヴ ェ ニ ア 語 地 域 か ら ドイ ツ 語 地 域 へ の ス ロ ヴ ェ ニ ア 系 司 教 と 教 師 の 配 置 転 換 、 形 骸 化 さ れ たutraquistischeSchuleの. 実 施 、 二 言 語 地 名 標 識 の 撤 去 、 ス ロ ヴ ェ ニ ア 系 農 園 へ の 「豊 か な ドイ ツ 系 」. 移 民 者 の 入 植 な ど が 挙 げ ら れ る 。 そ の 後1938年. の オ ー ス トリア に お け る ナ チ ス の権 力 掌 握 に よ っ. て 、 ス ロ ヴ ェ ニ ア 系 住 民 に 対 す る 過 激 な 迫 害 が 行 わ れ た 。 即 ち 、 強 制 収 容 所 へ の 移 送 、 抑 留 、殺 害 な ど で あ る 。1942年. に 「ケ ル ン テ ン の た め の 解 放 前 線 」(BefreifungsfrontfUrKarnten/. 一187一.

(4) 近 畿 大 学 語 学 教 育 部 紀 要9巻2号(2009・12) Osvobodilnafronta)と. い う ス ロ ヴ ェ ニ ア ・パ ル チ ザ ン が 、 ナ チ ス ドイ ツ に 対 す る 軍 事 的 抵 抗 勢. 力 を 形 成 し た 。 こ れ は ナ チ ス ドイ ツ に 対 す る 唯 一 名 を 挙 げ る に 値 す る オ ー ス ト リ ア の 軍 事 的 抵 抗 勢 力 で あ り、 こ れ は オ ー ス ト リ ア が ヤ ル タ 会 議 で ナ チ ス ドイ ツ に よ る最 初 の 「犠 牲 者 」 と位 置 づ け ら れ る根 拠 と な っ た の で あ る。 こ こ か ら オ ー ス ト リ ア の 政 治 家 達 が 好 ん で 用 い る い わ ゆ る 「犠 牲 者 テ ー ゼ 」8が 成 立 し て い る 。 ナ チ ス 政 権 崩 壊 後 、 旧 ユ ー ゴ ス ラ ヴ ィ ア は 連 合 国 か ら南 ケ ル ン テ ン の 分 離 を 要 求 し た 。 こ の 圧 力 の 下 に 第 二 共 和 国 設 立 時 に は 、 ス ロ ヴ ェ ニ ア 系 住 民 に 対 す る寛 大 な 政 策 が 実 施 さ れ た 。 そ の 最 も重 要 な 政 策 が 、 南 ケ ル ン テ ン地 域 に 住 む 就 学 義 務 の あ る全 て の 子 供 に 対 す る二 言 語 授 業 の 導 入 で あ っ た 。 し か し な が ら1955年 シ ョ ナ ル 勢 力 が 形 成 さ れ 、1980年. の 国 家 条 約 署 名 後 再 び ドイ ツ 系 ナ. 代 ま で に 漸 次 二 言 語 学 校 制 度 の 解 体 が 進 め ら れ た の で あ る。 そ. の プ ロ セ ス に つ い て は 第 二 章 で 取 り上 げ た い 。. 1.2ブ. ル ゲ ン ラ ン ドの ク ロ ア チ ア 人. 16世 紀 に 主 に 経 済 的 理 由 か ら、 ク ロ ア チ ア 、 ス ロ ヴ ェ ニ ア 、 北 ボ ス ニ ア の 農 民 が 西 ハ ン ガ リ ー 地 域 に 移 住 し た 。 さ ら に1533年. か ら1584年. ま で幾 度 もス ロ ヴ ァキ ア、 北 オ ー ス トリア、 そ して今. 日 の ブ ル ゲ ン ラ ン ドに 移 住 が 進 め られ 、17世. 紀 初 め に は 約12万. 人 の ク ロ ア チ ア 人 が 約200箇. 所 の. 村 で 生 活 して い た 。 ク ロ ア チ ア 少 数 派 の ドイ ツ 系 多 数 派 へ の 同 化 は 、 と り わ け ス ロ ヴ ァ キ ア と ニ ー ダ ー エ ス タ ラ イ ヒ の 村 々 で 、 す で に17世 紀 に 始 ま っ て い た 。 そ の 比 較 的 閉 鎖 的 な 移 民 地 域 で さ ら に孤 立 した. 「言 語 島 」 が 生 じ、 ク ロ ア チ ア 人 の 村 は 当 初 の200箇 所 か ら65箇 所 に 縮 小 さ れ た 。 ブ. ル ゲ ンラ ン ド ・ク ロア チ ア移 民 地 域 の大 部 分 は、 二 重 帝 国 時代 ハ ンガ リー側 に属 して い た が、 第 一 次 大 戦 後 そ の大 部 分 は オ ー ス トリア に属 す こ とに な った. 。 第 一 共 和 国 時代 に は、 教 会 が文 化 面. で の 活 動 と学 校 活 動 で の 中 心 的 な 担 い 手 で あ り、 宗 派 別 の ク ロ ア チ ア 語 を 授 業 語 とす る学 校 も存 在 し て い た 。1937年 の 約70%が. に州 学 校 法 に よ って、 ク ロア チ ア語 の学 校 制 度 が整 え られ、 少 数 派 所 属 住 民. 授 業 語 と して ク ロア チ ア語 を選 択 して い た。 ケ ル ンテ ン とは異 な って、 ブ ル ゲ ン ラ ン. ドで は20世 紀 ま で ナ シ ョ ナ ル 的 な 分 化 プ ロ セ ス は 存 在 し な か っ た 。 そ の 理 由 は 、 そ の 地 域 が 非 ゲ ル マ ン 的 な 東 半 分 の 帝 国 と 関 連 が あ っ た と思 わ れ る。 ナ チ ス 時 代 に は 、 ク ロ ア チ ア 系 の 教 会 と学 校 で の ク ロ ア チ ア 語 使 用 が 禁 止 さ れ た が 、 ブ ル ゲ ン ラ ン ドの ク ロ ア チ ア 人 は 、 ケ ル ン テ ン の ス ロ ヴ ェ ニ ア 人 の よ う に 、 ナ チ ス に よ る迫 害 ・被 害 を 受 け る こ と は 少 な か っ た 。1945年. 以 降 ブ ル ゲ ン ラ ン ドは 「鉄 の カ ー テ ン」 の 地 理 的 な 辺 境 が 故 に 経. 済 的 な 面 で 危 機 的 地 域 と な っ た 。 農 業 従 事 者 は1951年. ii. の63%か. ら、1971年. に は20%に. 激 減 した。.

(5) オ ー ス トリア の土 着 少 数 派 と言 語 政 策 そ して多 くの ク ロア チ ア人 は ウ ィー ンや グ ラー ツ地 域 へ移 住 を強 い られ た。 そ れ に よ って伝 統 的 な村 構 造 が破 壊 され、 そ の こ とが さ らに多 数 派 へ の 同化 傾 向 を強 め る こ とに な った。 ク ロア チ ア 人 で あ るLorenzKarallが1946年. か ら1956年. ま で ブ ル ゲ ン ラ ン ドの 州 首 相 で あ っ た と い う事 実. が 、 ク ロ ア チ ア 人 の 自意 識 を 強 化 さ せ た が 、 他 方 社 会 民 主 主 義 者 で あ る ク ロ ア チ ア 人 政 治 家 達 が ドイ ツ 系 多 数 派 へ の 同 化 政 策 を 推 進 さ せ て い た 。1970年. 代 に な って 同化 政 策 を と る グル ー プ は影. 響 力 を 失 い 、 自立 し た ク ロ ア チ ア 人 の イ ン テ リ層 が 生 ま れ 、 二 言 語 性 と保 証 さ れ た 民 族 グ ル ー プ 権 の 確 立 が 促 進 さ れ る こ と に な る。 現 在 の ク ロ ア チ ア 人 は 、 ブ ル ゲ ン ラ ン ド全 土 に ま き 散 ら さ れ た よ う に 散 在 し て い る 。 際 立 っ た ク ロ ア チ ア 語 の 言 語 島 と し て は 、Oberwart/Borta,Oberpullendorf/GornjaPulja, Eisenstadt/Zeljezno,Neusiedl/Niuzaljと. そ の周 辺 地 域 で あ る。 そ れ らの 地 域 で は ク ロ ア チ ア. 人 が 多 数 派 と な っ て い る。 ブ ル ゲ ン ラ ン ド ・ ク ロ ア チ ア 語 の 文 語 は 、 ダ ル マ チ ア 地 方 の 方 言 で あ る チ ャ 方 言(Cakavski)に. 属 し、 ク ロ ア チ ア 共 和 国 の 文 語 で あ る シ ュ ト方 言(Stokavski)9と. は 際 立 っ た 違 い が あ る。 そ し て ク ロ ア チ ア 母 国 か ら の 地 理 的 な 隔 離 に よ り、 比 較 的 閉 ざ さ れ た こ の 「言 語 島 」 が 、 言 語 的 な 面 の み な ら ず 、 社 会 的 ・経 済 的 な 面 で も、 少 数 派 の 維 持 に 長 年 寄 与 す る こ と に な っ た の で あ る。. 1.3ブ. ル ゲ ン ラ ン ドと ウ ィ ー ン の ハ ン ガ リ ー 人. ブ ル ゲ ン ラ ン ドの ハ ン ガ リ ー 人 は 、11世 紀 に マ ジ ャ ー ル 人 の 権 力 地 域 で あ る西 側 境 界 に 移 住 さ せ ら れ た 国 境 監 視 人 の 子 孫 達 で あ る。 彼 ら の 大 多 数 は 数 世 紀 の 間 に 西 ハ ン ガ リ ー の ドイ ツ 語 を 話 す 住 民 へ と 同 化 吸 収 さ れ た 。1835年. の フ ェ ル デ ィ ナ ン ド1世 即 位 の1年. 後 、 即 ち1836年. に役 所 言. 語 と し て ハ ン ガ リ ー 語 が 導 入 さ れ た が 、 そ の 事 実 が ブ ル ゲ ン ラ ン ドの ハ ン ガ リ ー 人 の 言 語 的 ア イ デ ン テ ィ テ ィ を 保 護 す る こ と に な っ た 。 当 時 彼 ら は 三 つ の 言 語 島 で あ るOberwart/Felsoor, 0ber-undMittelpullendorf/Felsopulya,Seewinkel/Konzepplulyaに. 分 散 移 住 し て い た 。1921. 年 の オ ー ス トリア へ の併 合 の流 れ の 中 で、 この民 族 グ ル ー プ は新 た に設 立 され た オ ー ス トリア第 一 共 和 国 の 中 で は少 数 派 とな った. 。 多 く の 中 間 層 と イ ン テ リ層 が ハ ン ガ リ ー へ 移 住 し た か ら で あ. る。 ブ ル ゲ ン ラ ン ドの ハ ン ガ リ ー 人 に と っ て も、 ク ロ ア チ ア 人 の 場 合 と 同 様 に 、 第 一 共 和 国 に お い て は教 会 が 中心 的 な文 化 的役 割 を果 た して い た。 ナ チ ス政 権 に よ る これ らの民 族 グ ル ー プ へ の 迫 害 は 、 ケ ル ン テ ン の ス ロ ヴ ェ ニ ア 人 に 較 べ る と遙 か に 少 な か っ た 。1945年. 以 降 「鉄 の カ ー テ ン」. の 設 置 と母 国 の 孤 立 化 に よ っ て 、 マ ジ ャ ー ル 人 に 対 す る ドイ ツ 系 多 数 派 に よ る 同 化 吸 収 化 が 進 ん. 一189一.

(6) 近 畿 大 学 語 学 教 育 部 紀 要9巻2号(2009・12) だ が 、1980年. 代 終 わ り の ハ ン ガ リ ー の 民 主 的 解 放 に よ っ て 、 母 国 ハ ン ガ リ ー と ブ ル ゲ ン ラ ン ドの. ハ ン ガ リ ー 人 の 交 流 が 再 び 活 発 に な っ て い る。 ウ ィ ー ン の ハ ン ガ リ ー 人 の 歴 史 は 、 ウ ィ ー ン の チ ェ コ人 と ス ロ ヴ ァ キ ア 人 と 同 様 に 、1526年 FerdinandI.が. に. ボ ヘ ミア とハ ン ガ リー を 相 続 した史 実 と深 い 関 わ りが あ る。 ウ ィー ンはハ ン. ガ リ ー 王 国 の 首 都 に な り、 ハ ン ガ リ ー 出 身 の 多 く の 貴 族 フ ァ ミ リ ー が ハ ン ガ リ ー 人 の 使 用 人 と共 に ウ ィ ー ン に 定 住 し た 。 ハ ン ガ リ ー の 学 生 達 も ウ ィ ー ン大 学 で 学 び 、17世 紀 の 終 わ り以 降 多 く の ハ ンガ リー 出身 の有 力 な商 人 も ウ ィー ンに定 住 した。 ウ ィー ンで の ハ ンガ リー人 の数 は恒 常 的 に 増 え 続 け 、1910年. に は139,300人. と な っ て い た 。 オ ー ス ト リ ア ・ハ ン ガ リー 帝 国 崩 壊 後 、 当 然 の. 事 で あ る が 、 そ れ ぞ れ の 母 国 へ の 移 民 帰 国 者 が 増 え た 。 ウ ィ ー ン に 残 っ た ハ ン ガ リ ー 人 は 、 第1 次 共 和 国 の 国 民 調 査 に よ る と1∼2千. 人 ほ ど で あ る。 さ ら に 第2次. 世 界 大 戦 と冷 戦 が 、 ウ ィ ー ン. の ハ ン ガ リ ー 人 減 少 に 拍 車 を 掛 け た 。 ブ ル ゲ ン ラ ン ドか ら の 移 民 と1956年 る逃 亡 民 の 流 入 が あ っ た が 、 逃 亡 民 の 約6%ほ ン の ハ ン ガ リ ー 人 は 、1992年. の ハ ンガ リー動 乱 に よ. どが オ ー ス トリア に定 住 した に過 ぎ な い。 ウ ィー. に よ う や く土 着 少 数 派 と認 定 さ れ 、 現 在 で は ブ ル ゲ ン ラ ン ドの ハ ン. ガ リ ー 人 も ウ ィ ー ン の ハ ン ガ リ ー 人 も人 口 が 増 加 す る傾 向 に あ る。 そ の 結 果 、 ウ ィ ー ン と ブ ル ゲ ン ラ ン ドに お け る ハ ン ガ リ ー 語 の 需 要 が 高 ま っ て い る。. 1.4ウ. ィ ー ンの チ ェ コ人 と ス ロ ヴ ァキ ア人. ウ ィ ー ン に お け る チ ェ コ人 と ス ロ ヴ ァ キ ア 人 の 移 民 に 関 す る 最 初 の 記 録 はPremyslOttokar II.(1253-1278年)の. 時 代 に 遡 る が 、 と り わ けRudolfII.の. 死(1612年)と. プ ラハ か らウ ィー. ン へ の 役 人 と公 的 資 料 の 移 転 に 伴 っ て 、 多 く の チ ェ コ人 と ス ロ ヴ ァ キ ア 人 が 移 動 し て き た 。19世 紀 後 半 に は さ ら に 活 発 な 文 化 的 活 動 が 進 ん だ 。 特 に1865年 Bewegung/Slovnskabeseda)の. 創 設 と1872年. の 「ス ラ ブ 協 会 」(VereinsSlawische. の 学 校 財 団Komenskyloの. 設 立 が 注 視 さ れ る。. 後 者 は ウ ィ ー ン に お け る チ ェ コ人 の た め の 教 育 文 化 機 関 の 象 徴 的 存 在 と な っ た 。 ス ロ ヴ ァ キ ア 人 の 農 民 は 主 に 北 東 ニ ー ダ ー エ ス タ ラ イ ヒ のMarchfeldに. 移 住 し、 農 民 以 外 の 社 会 層 に 所 属 す る. チ ェ コ人 と ス ロ ヴ ァ キ ア 人 は ウ ィ ー ン に 集 中 的 に 移 住 し た 。 特 に1880年. か ら1890年. ま で、 産 業 ・. 道 路 工 事 従 事 者 と し て 労 働 者 の 大 き な 波 が 押 し寄 せ 、20世 紀 初 め に は ウ ィ ー ン は 約20万 人 の チ ェ コ人 と ス ロ ヴ ァ キ ア 人 が 住 み 、 ヨ ー ロ ッパ で 二 番 目 に 大 き な チ ェ コ人 と ス ロ ヴ ァキ ア 人 の 町 と な っ た。 帝 国 崩 壊 後 、 チ ェ コ 人 と ス ロ ヴ ァ キ ア 人 の 大 多 数 は 新 た に 設 立 さ れ たCSR(CeskaaSlovenka. 一190一.

(7) オ ー ス トリア の土 着 少 数 派 と言 語 政 策 republika、. チ ェ コ ス ロ ヴ ァ キ ア 共 和 国)へ. 戻 っ た 。 しか し1923年 の 国 民 調 査 で は 約8万. 人のチ ェ. コ人 と ス ロ ヴ ァ キ ア 人 が ウ ィ ー ン に 残 っ て い た 。 そ し て 両 次 大 戦 間 に す で に 公 立 と私 立 の 学 校 が ウ ィ ー ン に 存 在 し て い る。1926年. に は45校 の 私 立 、15校. の 公 立 学 校 と幼 稚 園 が 存 在 し て い た 。 ナ. チ ス 政 権 時 代 に は チ ェ コ協 会 が 消 滅 さ せ ら れ 、 民 族 グ ル ー プ の 代 表 者 達 も大 規 模 に 迫 害 さ れ た が 、 他 方 ウ ィ ー ン に は チ ェ コ人 の 抵 抗 グ ル ー プ が 結 成 さ れ た 。 共 産 主 義 者 、 社 会 主 義 者 、 そ し て 他 の 左 派 か ら 形 成 さ れ た 抵 抗 グ ル ー プ 「KP6チ. ェ コ セ ク シ ョ ン」 に は 、 約200人. た 。 彼 ら は 幾 多 の ナ チ ス 軍 事 施 設 を 破 壊 麻 痺 さ せ た が 、 約70名 者 と な っ た 。 ナ チ ス 政 権 崩 壊 後 、1945年 republika、. に は 約3,500人. の チ ェ コ人 抵 抗 運 動 闘 士 達 が 犠 牲. に チ ェ コ 政 府 はCSFR(CeskaaSlovenkafederativna. チ ェ コ ス ロ ヴ ァ キ ア 連 邦 共 和 国)へ. コ人 は1951年. の メ ンバ ー が 参 加 し. の 移 民 帰 国 を 宣 言 し、 ウ ィ ー ン に 残 留 し た チ ェ. ほ ど に 減 少 し た 。1968年. の 「プ ラ ハ の 春 」 制 圧 後 、 約1万. 人 のチ ェ. コ市 民 が オ ー ス ト リ ア に 庇 護 を 求 め て 移 住 し て き た が 、 そ れ 以 降 再 び ウ ィ ー ン の チ ェ コ人 住 民 の 再 生 が 進 む こ と に な る。 2001年. の 国 民 調 査11で. 11,035名)、. は チ ェ コ 語 を 話 す 住 民 は17,742名(そ. ス ロ ヴ ァ キ ア 語 を 話 す 住 民 は10,234名(そ. で あ る 。 土 着 少 数 派 と 認 定 さ れ て い る(国 ス ロ ヴ ァ キ ア 人 は1,732名 ア 人 も含 ま れ る)は. で あ る 。1951年. 、3,348名. プ は ウ ィ ー ン の 幾 多 の 地 域(主. の 内、 オ ー ス トリア 国籍 保 有 者 は. の 内 、 オ ー ス ト リ ア 国 籍 保 有 者 は3,343名). 籍 を 保 有 し て い る)ウ. ィ ー ン の チ ェ コ 人 は5,778名 、. の ウ ィ ー ン の チ ェ コ 人 国 籍 保 有 者(当. 時 は ス ロ ヴ ァキ. で あ る が 、 そ れ と 比 較 す る と増 加 傾 向 が 見 られ る 。 こ の 民 族 グ ル ー に2、3、10、15、16、20、21区)に. 分 散 し て 定 住 し て い る。 こ. の 少 数 派 の 社 会 的 な 関 わ り は 、 今 日 で は 基 本 的 に ドイ ツ 系 住 民 と大 き な 差 異 は な い 。 ま た 以 前 活 発 で あ っ た チ ェ コ共 同 組 合 と労 働 組 合 も復 活 し て い る。. 1.5ロ Roma(ロ. マ人 と ジ ン テ ィ人 マ 人 、 非 ドイ ツ 系)とSinti(ジ. ン テ ィ人 、 ドイ ツ 系)の. オ ー ス トリアで の歴 史 は. 15世 紀 ま で 遡 る こ と が で き る。 彼 ら は 、 今 日 の ブ ル ゲ ン ラ ン ド地 域 に15世 紀 頃 い わ ゆ る ツ ィ ゴ イ ナ ー(Zigeuner)と. して 遊 牧 民 的 な 生 活 を 送 っ て い た 。 冬 に は あ る 場 所 に 留 ま り、 夏 に は 箒 作. り職 人 、 篭 職 人 、 蹄 ・鍛 冶 屋 と し て 旅 に 出 て い た 。 彼 ら は ま た 馬 商 人 で も あ り、 音 楽 家 と し て の 才 能 も あ っ た 。18世 紀 以 降 に な る と ブ ル ゲ ン ラ ン ドの ロ マ 人 達 は 、 村 集 落 か ら外 へ 強 制 的 に 移 住 さ せ ら れ た 。1938年. 以 前 に は オ ー ス ト リ ア に 約11,000人. の ロ マ ・ジ ン テ ィ 人 が 数 え ら れ る 。. ロ マ ・ジ ン テ ィ 人 に 対 す る 何 世 紀 に も渡 る 迫 害 は 、 ナ チ 政 権 下 で そ の 頂 点 に 達 し た 。 「反 社 会. 一191一.

(8) 近 畿 大 学 語 学 教 育 部 紀 要9巻2号(2009・12) 的 で 人 種 的 に 劣 等 な も の 」 と し て 、 彼 ら は ナ チ 政 権 の 人 種 絶 滅 計 画 の 流 れ の 中 で 、1938年. 以 降組. 織 的 に 迫 害 さ れ 、 強 制 収 容 所 へ 連 れ 去 ら れ 殺 害 さ れ た 。 定 住 し て い た ブ ル ゲ ン ラ ン ドの ロ マ 人 の う ち 、 ナ チ 時 代 を 生 き の び た の は 約10%に た が 歓 迎 さ れ ず 、1960年. す ぎ な い 。 彼 ら は1945年. 以 降彼 らの戦 前 の住 居 に戻 っ. 代 に は 多 く の ブ ル ゲ ン ラ ン ドの ロ マ ・ ジ ン テ ィ人 達 は ウ ィ ー ン へ 移 住 し. た 。60年 代 の 労 働 移 住 の 流 れ の 中 で 、 旧 ユ ー ゴ ス ラ ヴ ィ ア か ら も ロ マ 人 達 の 移 住 が 行 わ れ た 。 し か し ロ マ ・ジ ン テ ィ 人 達 に 対 す る差 別 は 、 第 二 共 和 国 で も終 る こ と は な か っ た 。 多 くの 者 は 国 籍 ・ 市 民 権 が 得 ら れ ず 、 適 切 な 補 償 も与 え られ な か っ た 。1993年. に よ う や くオ ー ス ト リア 政 府 は ロ マ ・. ジ ン テ ィ人 を 少 数 派 グ ル ー プ と認 定 し、 オ ー ス ト リ ア は ヨ ー ロ ッパ で 彼 ら を 公 的 に 認 定 し た 最 初 の 国家 とな った。 ロ マ ・ ジ ン テ ィ人 に 関 し て 信 頼 に 値 す る人 口統 計 学 上 の デ ー タ は 存 在 し な い 。 彼 ら は1993年 で 公 に は 少 数 派 と し て 認 識 さ れ て い な か っ た か ら で あ る。 し か し こ の 民 族 グ ル ー プ は1945年 自 ら住 民 登 録 を 避 け て い た 理 由 が あ る 。 そ れ は 第 一 共 和 国 時 代 にEisenstadtに Zigeunerkartothek(ツ. ィ ゴ イ ナ ー 台 帳)が. 、 ナ チ ス 当 局 に よ って. の 「価 値 あ る」 書 類 と し て 利 用 さ れ た か ら で あ る。2001年 の ロ マ ・ジ ン テ ィ 人 は 、4,348名(国. ブ ル ゲ ン ラ ン ドの ロ マ ・ジ ンテ ィ人 達 は 、1945年. 以 降. 設 置 され て い た. 「抹 殺 キ ャ ンペ ー ン」 の た め. の調 査 で は公 式 に認 定 され た 国籍 保 有. 籍 を も た な い 住 民 を 含 め る と6,273名)と. ユ ー ゴ ス ラ ヴ ィ ア か ら移 住 し て き た ロ マ 人 を 含 め る と約1万. ま. され て い る が、 旧. 人 ほ ど い る と推 測 さ れ る。. 以 降 も集 落 内 部 へ の 移 住 を 拒 否 さ れ 、 ゲ ッ トー. 化 が 継 続 的 に 進 ん で い る。 そ れ 故 、 彼 ら の 多 く は 遊 牧 民 的 な 生 活 様 式 を 捨 て 、 ウ ィ ー ン の よ う な 大 都 会 へ 身 を 潜 め る傾 向 に あ る。 ブ ル ゲ ン ラ ン ドに 残 留 し て い る ロ マ ・ ジ ン テ ィ人 達 も行 商 人 や 中 古 品 販 売 業 者 と し て 働 く者 が 増 え て き た 。1990年. 頃 か ら他 の 少 数 派 と共 に 少 数 派 の 権 利 を 主. 張 す る 団 体 で あ るVereinRoma(1989)、Kulturverein6sterreichischerRoma(1991)、 RomanoCentro(1991)、Verband6sterreichischerSinti(1993)が. 設 立 され た 。 こ れ らの組. 織 ・団 体 は 、 少 数 派 に 対 す る多 数 派 の 意 識 改 革 ・改 善 活 動 に 貢 献 し て い る。. 2.0言. 語 少 数 派 と言 語 政 策. 第 一 章 で概 説 した オ ー ス トリア土 着 少 数 派 達 は、 彼 らの少 数 派 権 利 を どの よ うな法 的根 拠 に基 づ い て主 張 し、 ま た状 況 改 善 を要 求 して い るの で あ ろ うか。 次 に言 語 政 策 的 な面 か ら検 討 す る こ とに した いQ 今 日の ヨー ロ ッパ に お い て は少 数 派 保 護 の 理 念 は、 国 際 的 な各 機 関 、 例 え ば欧 州 評 議 会(Eu一. 一192一.

(9) オ ー ス トリア の土 着 少 数 派 と言 語 政 策 roparat)、. 欧 州 安 全 保 障 協 力 機 構(OSZE-OrganisationfurSicherheitandZusammenarbeit. inEuropa)、. あ る い は 欧 州 各 国 の 憲 法 ・基 本 法 に 含 ま れ る人 権 宣 言 等 で 表 明 さ れ て い る 。 し か. し憲 法 上 の 規 定 を 現 実 化 す る こ と が 如 何 に 困 難 で あ る か と い う事 実 を 、 次 に 指 摘 す る オ ー ス ト リ ア の 例 が 端 的 に 示 し て い る。 そ こ で ま ず 憲 法 上 の 規 定 を 、 さ ら に オ ー ス ト リ ア 第 二 共 和 国 に お け る言 語 政 策 上 の 諸 規 定 を 検 証 す る こ と に し た い 。. 2.1言. 語 少 数 派 と憲 法 ・国 家 条 約 ・民 族 グ ル ー プ法. 言 語 少 数 派 の保 護 は歴 史 的 に見 て比 較 的古 い 出来 事 で は な い。 そ れ は19世 紀 末 に政 治 的要 因 と して活 発 に な り、 国家 に よ る少 数 派 保 護 理 念 の基 盤 は、 オ ー ス トリア帝 国 とそ の帝 国領 地 で立 案 され た と言 わ れ て い る。 故 に、 オ ー ス トリア の歴 史 家 で あ るG.Stourzhは. 、 「言 語 少 数 派 は今. 日の共 和 国 よ りも帝 国 時 代 に お い て よ り優 遇 され て い た」12と述 べ て い る。 帝 国 時 代 の言 語 少 数 派 の法 的 な状 況 に つ い て、1867年12月21日. の 国家 基 本 法 の第19条(少. 数 派 の権 利)に. は、 次 の よ. うに規 定 され て い る。. 「国家 の 全 て の 種 族(Volksstamm)は. 同権 で あ る、 そ して 各 種 族 は そ の ナ シ ョナ リテ ィ. と言 語 を保 持 育 成 す る不 可 侵 の権 利 を もつ」(第1項)。 「全 て の州 地 域 で 通 常 使 用 さ れ て い る言 語 の 同権 が、 学 校 、 役 所 そ して 公 の 生 活 で 、 国家 に よ り認 識 され て い る」(第2項)。 「幾 多 の種 族 が 住 ん で い る州 地 域 で は、 公 共 の授 業 施 設 で 、 第 二 の州 地 域 言 語 の 習 得 を強 制 す る こ とな く、 各 種 族 が彼 らの言 語 に よ る教 育 の た め に必 要 な手 立 て を と るべ き で あ る」 (第3項)13。. さ ら に 少 数 派 保 護 規 定 は1920年 ま で)に. 以 来 サ ン ジ ェ ル マ ン(St.Germain)国. 家 条 約(62か. ら69条 項. よ っ て 次 の よ う に 確 立 さ れ て い る。. 「オ ー ス ト リア 国 家 に所 属 す る全 て の 者 は、 種 族 、 言 語 、 宗 教 の違 い に か か わ らず 、 この 法 の下 で 平 等 で あ り、 同 じ市 民 権 利 お よ び政 治 的 権 利 を享 受 す る。(中 略)オ ー ス トリア 国 家 に所 属 す る者 に と って は、 個 人 の会 話 や商 取 引 で、 宗 教 、 報 道 、 あ るい は何 らか の公 の施 設 で、 あ るい は公 の集 会 で、 何 らか の言 語 を 自由 に使 用 す る こ とに 関 して制 限 され る こ とは. 一193一.

(10) 近 畿 大 学 語 学 教 育 部 紀 要9巻2号(2009・12) な い 」(66条. 項)14。. ま た68条 項 に は 、 公 共 の 授 業 施 設(学. 校)が. 扱 わ れ 、 そ こ で は 民 族 学 校 で の 独 自言 語 に よ る授. 業 が 確 約 さ れ て い る。 ドイ ツ 語 の 授 業 は 、 こ れ ら の 学 校 で は 「必 修 義 務 科 目」 で あ っ た が 、 ドイ ツ 語 は 「授 業 語 」 と さ れ て い な か っ た 。 今 日 の 第 二 共 和 国 の 言 語 政 策 の 基 礎 と な る の が 、1955年5月15日 条 で あ る 。 第1条. の オ ー ス ト リ ア 国 家 条 約 第7. 項 で は 、 「ケ ル ン テ ン 、 ブ ル ゲ ン ラ ン ド、 シ ュ タ イ ア ー マ ル ク の ス ロ ヴ ェ ニ ア. と ク ロ ア チ ア の 少 数 派 に 所 属 す る オ ー ス ト リ ア 国 籍 保 有 者 は 、(中 略)他. の 全 て の オ ー ス トリア. 国 籍 保 有 者 と 同 様 に 、 組 織 ・集 会 ・報 道 の 各 分 野 で 独 自 の 言 語 を 使 用 す る権 利 を 持 つ 」 と定 め ら れ て い る 。 第2条. 項 で は 、 「ス ロ ヴ ェ ニ ア 語 あ る い は ク ロ ア チ ア 語 に よ る 初 等 学 校 授 業 へ の 要 求. と、 適 切 な 数 の 独 自 の 中 学 校 開 設 要 求 」 が 掲 げ ら れ て い る 。 第3条. 項 では、混交言語 地域 での. 「役 所 言 語 」 と して の ドイ ツ 語 に 加 え て 、 ス ロ ヴ ェ ニ ア 語 と ク ロ ア チ ア 語 の 許 可 が 規 定 さ れ 、 そ の 地 域 の た め の 二 言 語 に よ る 地 名 表 示 が 約 束 さ れ て い る 。 第4条. 項 で は 、 「文 化 的 施 設 、 行 政 及. び 司 法 上 の 施 設 」 へ の 平 等 の 関 与 が 定 め ら れ て い る 。 そ して 第5条. 項 で は、 ク ロ ア チ ア と ス ロ ヴ ェ. ニ ア 住 民 に 「少 数 派 と し て の 権 利 、 自治 組 織 ・機 関 の 活 動 」 が 認 め ら れ て い る15。 こ の 国 家 条 約 第7条. は 、 少 数 派 権 利 認 可 の た め に 、 「数 に よ る 原 理 」 導 入 を 意 識 的 に 避 け て い. る。 領 土 に 関 す る記 述 と し て 「ス ロ ヴ ェ ニ ア 人 、 ク ロ ア チ ア 人 、 あ る い は 混 合 住 民 の い る ケ ル ン テ ン、 ブ ル ゲ ン ラ ン ド、 シ ュ タ イ ア ー マ ル ク の 行 政 ・司 法 地 域 」 が 記 載 さ れ て い る が 、 「数 原 理 」 導 入 は 、 国 内 に 少 数 派 民 族 問 題 を 抱 え て い た 当 時 の 条 約 提 携 国 の 一 つ で あ る ソ ビ エ ト連 邦 か ら拒 否 さ れ た こ と が 、 国 家 条 約 交 渉 か ら明 らか に な っ て い る16。 し か し こ の 「数 原 理 」 を1976年7月7 日 の 民 族 グ ル ー プ 法(VGG=Volksgruppengesetz)が 政 府 は 第7条. 導 入 して い る。 これ を オ ー ス ト リア連 邦. に 対 す る施 行 法 と み な し て い る が 、 少 数 派 代 表 者 達 か ら は 憲 法 違 反 と し て 拒 否 さ れ. て い る 。 こ のVGGに. は 「連 邦 領 土 の 一一 部 に 住 居 を も ち 定 住 化 し、 オ ー ス ト リ ア 国 籍 を 持 ち 、 ド. イ ツ 語 以 外 の 母 語 と 独 自 の 民 族 性 を もつ 者 」(第1条 ら れ 、 ま た こ のVGGに. 第2節)17と. い う民 族 集 団 の 概 念 規 定 が 定 め. よ っ て 連 邦 総 理 府 内 に 「民 族 集 団 諮 問 会(VGB-Volksgruppenbeirat)」. が 設 置 さ れ 、 民 族 問 題 を 専 門 的 に 審 議 し て い る。 国 家 条 約 で 認 め ら れ た ス ロ ヴ ェ ニ ア 系 と ク ロ ア チ ア 系 少 数 集 団 以 外 に 、 ハ ン ガ リ ー 系 と チ ェ コ 系 も こ のVGGに. よ っ て 正 式 に 少 数 派 集 団 と認. め ら れ た18。 こ の 民 族 グ ル ー プ 法 に よ れ ば 、 二 言 語 地 名 標 識 は 、 住 民 の25%以. 一194一. 上 が そ の民 族 グル ー プ に所 属.

(11) オース トリアの土着少数派 と言語政策 す る と認 め られ る地 域 で取 り付 け られ る。 役 所 言 語 に 関 して は、 住 民 の20%以 上 が民 族 グ ル ー プ に所 属 す る と認 め られ る地 域 に 限 られ て い る19。そ の数 字 は役 所 に よ る統 計 調 査 結 果 に基 づ い て い るが、 そ の民 族 調 査 結 果 の信 愚 性 を疑 う少 数 派 住 民 が多 い こ と も事 実 で あ る。 役 所 に よ り確 定 され た共 同体 地 域 以 外 に住 ん で い る少 数 派 の人 達 は、 彼 らの母 語 を役 所 言 語 と して利 用 す る こ と が で きな い。 もち ろん少 数 派 に確 約 され た政 治 的代 表(た とえ ば、 イ タ リア や ドイ ツ の地 方 政府 ・ 州 政 府 、 あ るい は 国民 議 会 ・連 邦 議 会 に お け るよ うな少 数 派 に保 障 され た代 表)は 、 オ ー ス トリ ア で は法 的 に認 め られ て い な い。 政 治 活 動 で の少 数 派 の 関与 は、 既 成 政 党 の枠 内 で、 あ るい は民 族 グル ー プ委 員 会 の協 議 委 員 会 に お い て の み可 能 で あ る。 独 自の政 治 的代 表 は少 数 派 に は割 り当 て られ て い な い。 ケ ル ンテ ンの 場 合 は、1970年 代 に ス ロ ヴ ェニ ア人 リス トに よ る選 挙 区設 定 が変 更 され、 ス ロ ヴ ェニ ア語 を話 す 住 民 は 四つ の 異 な る選 挙 区 に分 断 され 、 州議 会 選 挙 での 少 数 民族 代 表 選 出の 可 能 性 が低 くな った。 民 族 グ ル ー プ法 を さ らに詳 細 に観 察 す る と、 二 言 語 地 名 標 識 と役 所 言 語 に 関 して以 下 の事 実 が 確 認 され る。1977年3月31日. 実 施 の ス ロ ヴ ェニ ア語 に 関 す る民 族 グ ル ー プ法 に よ り、 ケ ル ンテ ン. の二 言 語 使 用 地 域 の六 分 の一 で の み二 言 語 地 名 標 識 が設 置 され た。 役 所 語 に 関 して は35か 所 の二 言 語 共 同 体 の 内14か 所 に お い て の み ス ロ ヴ ェニ ア語 が 役 所 語 と して使 用 され て い る20。ブ ル ゲ ン ラ ン ドの ク ロア チ ア語 に 関 して は、 州 政 府 は11年 間 も詳 細 な規 定 を公 布 す る こ とを怠 り、1987年 に民 族 グル ー プ は 「役 所 言 語 に 関 して民 族 グル ー プ法 は憲 法 違 反 で あ る」 と憲 法 裁 判 所 に告 訴 し た。 そ の結 果1990年 に役 所 言 語 と して の ク ロア チ ア語 の使 用 が認 め られ た。 しか し州 首 都 で あ る Eisenstadtは. そ の 使 用 が 除外 され て い る。 ゲ ル マ ン化 を進 め る多 数 派 行 政 機 関 の シ ンボル 的 な. 場 所 で の少 数 派 役 所 言 語 の使 用 が政 治 的 な立 場 か ら拒 否 され た の で あ る。 ブ ル ゲ ン ラ ン ドの複 数 言 語 に よ る地 名 標 識 は、 そ の権 利 が憲 法 で確 立 され て か ら45年 経 た2000年 に よ うや く設 置 され た の で あ る。 現 在 の オ ー ス トリア第 二 共 和 国 に お け る言 語 政 策 上 の規 定 は、 主 に 国家 語 ドイ ツ語 と土 着 の少 数 言 語 に 関す る もの で あ る。 両 者 に共 通 す る言 語 法 上 の最 重 要 規 定 は、 連 邦 憲 法 第8条 第1項. で. あ る。. 連 邦 憲 法 第8条 第1項:ド. イ ツ語 は共 和 国 の 国家 語 で、 連 邦 法 に よ って少 数 民 族 に与 え られ た権 利 を害 す る こ とは な い。(1945年5月8日). 一195一.

(12) 近 畿 大 学 語 学 教 育 部 紀 要9巻2号(2009・12). 第2項. 共 和 国(連. 邦 、 州 、 市 町 村)は. 、 土 着 の 民 族 集 団 で 表 現 さ れ る彼 ら の 豊 か な 言 語 的. 文 化 的 多 様 性 を 認 め る。 こ れ ら民 族 集 団 の 言 語 と文 化 の 存 在 ・存 続 は 注 視 さ れ 、 保 護 さ れ 、 促 進 さ れ る。(2000年8月1日). 第3項. オ ー ス ト リ ア 手 話 は 独 立 し た 言 語 と して 認 識 さ れ る 。 詳 細 は 法 に 規 定 す る 。(2005 年9月1日)21. 連 邦 憲 法 第8条. 第1項. が1945年. し た の は 、 当 時 のEU内. に 制 定 さ れ て か ら55年 経 過 し た2000年8月. に そ の 第2項. が成 立. の政 治 的 な 判 断 が 影 響 して い る。 外 国 人 を敵 視 し人 種 差 別 的 選 挙 戦 を. 展 開 し た オ ー ス ト リ ア 自 由 党(FP6)と. オ ー ス ト リ ア 国 民 党(6VP)の. に 誕 生 した 時 、 オ ー ス ト リア 以 外 の 当 時 のEU加. 盟14ケ. 国が. 連 立 政 権 が2000年2月. 「オ ー ス ト リア 政 府 に 対 す る 抗 議. 措 置 」 を と っ た 。 そ れ に 応 じ る形 で 、 知 識 人 の 代 表 と し てMarttiAhtisaari,JochenFrowein, MarcelinoOrejaの. 「三 賢 人 」 が 、 「共 通 ヨ ー ロ ッパ 価 値 、 特 に 少 数 派 と 移 民 者 の 権 利 」 と い う. タ イ トル の 報 告 書 を 作 成 し 、 オ ー ス ト リ ア 政 府 が そ の 内 容 を 支 持 し て い る こ と 、 ま た 同 時 に 「FP6の. 政 治 的 特 性 」 に 関 す る 報 告 も行 っ た 。 こ れ が い わ ゆ る 「賢 者 報 告(Weisenbeirat)」. 言 わ れ る も の で 、 こ れ に よ っ て オ ー ス ト リ ア 政 府 の 少 数 派 に 対 す る 政 策 が 他 のEU諸 め ら れ 、 そ の 内 容 が 連 邦 憲 法 第8条. 第2項. と. 国 に も認. に も記 載 さ れ る こ と に な っ た の で あ る22。. 次 に メ デ ィ ア 政 策 に 関 し て 若 干 の コ メ ン トを 述 べ て お き た い 。 オ ー ス ト リ ア 政 府 は 独 占 メ デ ィ ア で あ る オ ー ス ト リ ア 国 営 放 送(ORF)に. お い て 、 少 数 言 語 を あ る 程 度 配 慮 す る政 策 を と って. い る。 ケ ル ン テ ン と ブ ル ゲ ン ラ ン ドの 地 方 テ レ ビ放 送 は 週30分 、 ケ ル ン テ ン で は ラ ジ オ 放 送 が 毎 日45分 放 送 さ れ て い る 。 さ ら に ク ロ ア チ ア 人 の た め に 週 約300分 の た め に 週25分. の ラ ジ オ 放 送 と年 間4回(1回25分)の. の ラ ジ オ放 送 が 、 ハ ンガ リー人. テ レ ビ放 送 が 、 少 数 派 言 語 で 放 送 さ れ て. い る23。 しか し こ の 電 波 メ デ ィ ア に よ る 放 送 時 間 数 で は 、 少 数 派 子 供 た ち の 少 数 派 言 語 習 得 と維 持 に 宿 命 的 な 影 響 を 与 え ざ る を 得 な い で あ ろ う。 放 送 局 開 設 を 巡 っ て も幾 多 の 問 題 が 生 じ て い た 。 1994年. に ブ ル ゲ ン ラ ン ドで 、 ク ロ ア チ ア 人 、 ロ マ ・ ジ ン テ ィ 人 な ど に よ り構 成 さ れ たMORA. (mehrsprachigesoffenesRadio)協. 会 が 、 私 的 な ラ ジ オ ラ イ セ ン ス の 申 し込 み を 行 っ た が 、 許. 可 さ れ な か っ た 。 そ の 後 、 最 高 裁 判 所 の 判 断 に 基 づ き 、1997年 ジ オ 周 波 数 の 振 り 分 け が 行 わ れ 、 ブ ル ゲ ン ラ ン ド に1998年4月. に少 数 言 語 を配 慮 した地 域 地 方 ラ 以 降MORAの. 関 与 した ロ ー カ. ル ラ ジ オ 放 送 局 が 開 設 さ れ た 。 他 方 ケ ル ン テ ン で は 、derAgora/KorotanGmbHに. 州全体 に. 及 ぶ 二 言 語 の ラ ジ オ 放 送 ラ イ セ ン ス が 認 め ら れ 、 さ ら に ケ ル ン テ ン の 一 部 地 域 にRTV. 一196一.

(13) オ ー ス トリア の土 着 少 数 派 と言 語 政 策 Ljubliyanaの. ケ ー ブ ル テ レ ビが 受 け 入 れ ら れ て い る。 そ れ はORFが. 、 現 在 イ タ リア に所 属 す. る南 チ ロ ル の ドイ ツ 語 少 数 派 を 気 遣 い 、 南 チ ロ ル を 含 む 天 気 図 を 放 映 し て い る事 実 と 関 連 づ け ら れ る 政 治 的 な 処 置 と 言 わ れ て い る 。 ま た ス ロ ヴ ェ ニ ア 語 に よ る 新 聞 は 、 週 刊 新 聞Slovenski Vestomolとnastednikが. 発 刊 さ れ 、 少 数 派 特 有 の テ ー マ と そ の 地 域 ・地 方 情 報 を 掲 載 し て. い る。. 2.2学. 校言語政策. ケ ル ン テ ン の 学 校 問 題 は 、19世. 紀 中 頃 か ら の 同 化 を 促 進 す るutraquistischeSchuleの. 以 来 、 常 に 論 争 が 絶 え な い 。 ブ ル ゲ ン ラ ン ドで は 学 校 政 策 上 の 取 組 が1920年 始 ま り、1994年. 導入. 代 の初 め に よ うや く. に そ の 規 則 が 確 立 さ れ た 。 ケ ル ン テ ン と ブ ル ゲ ン ラ ン ドの 学 校 言 語 政 策 に つ い て 、. 以 下 に そ の 概 略 を 述 べ る こ と に し た い24。. 2.2.1ケ. ル ン テ ン の学 校 言 語 政 策. 1955年 の 国 家 条 約 第7条. の 少 数 派 保 護 規 定 に よ り、 ケ ル ン テ ン の 言 語 混 合 地 域 で は 、 教 育 上 の. 観 点 か ら は 非 常 に 懐 疑 的 なutraquistischerUnterrichtと る 授 業 が 国 民 学 校(Volksschule)で. い う形 で は あ る が 、 二 つ の 言 語 に よ. 実 施 さ れ て い た 。 し か し1955年. SchulvereinSUdmark(ジ. ュ ー ドマ ル ク 学 校 協 会)の. (KarntnerHeimatdienst、. ケ ル ン テ ン郷 土 局)と. の国 家条 約提 携 後 に、. よ う な ドイ ツ 系 ナ シ ョ ナ ル 勢 力 がKHD. い う上 部 団 体 の下 で形 成 され 、 二 言 語 授 業 規. 則 の 撤 廃 を 激 し く要 求 す る こ と に な っ た 。 い わ ゆ る多 数 派 住 民 に よ る 「学 校 ス ト ラ イ キ 」 後 に 、 こ の 規 則 は1958年. に 次 の よ う に 変 更 さ れ た 。 親 は 「親 権 」 に よ っ て 二 言 語 地 域 に い る彼 ら の 子 供. を 、 二 言 語 授 業 か ら転 出 さ せ る こ と が 可 能 に な り、 事 実 上 こ の 二 言 語 授 業 規 則 は 機 能 し な く な っ た 。1958年. に こ の 転 出 届 け を 出 し た 子 供 達 は 約1万. ニ ア 語 を 話 し て い た と言 わ れ て い る。 さ ら に1959年. 人 に 達 し、 そ の 内 約 半 数 が 母 語 と し て ス ロ ヴ ェ の 「少 数 派 学 校 規 則 」 に よ っ て 、 ス ロ ヴ ェ ニ. ア 語 授 業 に 出 席 す る場 合 は 、 特 別 な 個 別 の 「届 け 出 」 が 必 要 に な っ た 。 そ の 結 果1958年 二 言 語 授 業 を 受 け て い た 国 民 学 校 の 生 徒 は ま だ10,030名 に は1,602名 る、1994/95年. 、1980/81年. に は1,115名. と減 少 し た 。90年. い た が 、1958年. 以 前 に は、. に は2,094名 、1965/66年. 代 初 め か ら受 講 生 数 は上 昇 傾 向 が 見 られ. に は1,368名 の 登 録 が あ り、 そ れ は 少 数 派 学 校 法 適 用 地 域 全 生 徒 の23.66%に. す る。 そ の 割 合 は 、 さ ら に2000/01年. 度 に は28.20%、2005/06年. 度 に は36.25%に. 相 当. 増 加 して い る 。. し か し こ の 二 言 語 授 業 参 加 生 徒 の 半 数 以 上 が ドイ ツ 系 住 民 の 子 弟 で あ っ た25。 こ れ は ナ シ ョ ナ リ. 一197一.

(14) 近 畿 大 学 語 学 教 育 部 紀 要9巻2号(2009・12) ズ ム 的 色 彩 の 強 い ケ ル ン テ ン州 政 府 指 導 者 に 対 す る一 般 住 民 の 抵 抗 と反 発 の あ ら わ れ と い え る か も しれ な い。 こ の 学 校 問 題 は1980年 KHDは. 代 に ケ ル ン テ ンで 新 た な 激 しい 言 語 政 策 上 の 論 争 テ ー マ とな っ た 。. 州 レ ベ ル で 国 民 請 願 を 発 案 した が 、 そ れ は ケ ル ン テ ン の 生 徒 達 を 言 語 と い う基 準 に よ っ. て 区 分 す る こ と を 求 め る も の で あ っ た 。 即 ち 、 そ れ は ドイ ツ 系 の 住 民 に 彼 ら の ドイ ツ 語 を 話 す 子 供 達 を 言 語 混 合 ク ラ ス へ 入 れ な い よ う に 要 請 す る も の で あ り、 明 ら か に 分 離 授 業 を 強 制 す る も の で あ っ た 。 こ の 国 民 請 願 は 大 衆 政 治 家 の プ ロパ ガ ン ダ に も か か わ らず 大 多 数 の 見 識 の あ る有 権 者 に 支 持 さ れ な か っ た 。 し か し そ れ に も か か わ らず オ ー ス ト リ ア の 主 要 政 党(6VP,SPO,FP6) は 、 少 数 派 学 校 法 の 条 項 追 加 と い う形 で 、1988年. に 国民 議 会 で この分 離 モ デ ル の承 認 決 議 を行 っ. た の で あ る。 そ の 結 果 、 両 言 語 が 同 一 頻 度 で 使 用 さ れ る二 言 語 授 業 が 実 施 さ れ た の は 、 国 民 学 校 の 四年 間 の み とな った。 言 語 社 会 的 に 重 要 な 意 義 が あ る と見 な さ れ つ つ あ る幼 稚 園 で の 二 言 語 教 育 は 、 ケ ル ン テ ン の 幼 稚 園法 に は存 在 しな い。 ケ ル ンテ ンの州 議 会 政 党 は民 族 グ ル ー プ諮 問委 員 会 に よ る この種 の提 案 を 無 視 し た か ら で あ る 。 さ ら に1989年. に 国 民 議 会 に 提 出 さ れ た 「二 言 語 教 育 幼 稚 園 」 に 関 す る. 「全 オ ー ス ト リ ア 幼 稚 園 法 」 と い う 草 案 もオ ー ス ト リ ア 国 民 議 会 に よ っ て 反 故 に さ れ て い る 。 ケ ル ン テ ン の 共 通 言 語 地 域 に24校 存 在 す る 基 幹 学 校(Hauptschule)で. は、 少 数 派 学 校 法 に基. づ い て 、 ス ロ ヴ ェ ニ ア 語 授 業 を 選 択 す る場 合 、 次 の 三 つ の 可 能 性 が あ る。1)必 ロ ヴ ェ ニ ア 語 授 業 を 選 択 す る、2)選 間 選 択 す る、3)自. 修 科 目 と して ス. 択 必 修 科 目 と し て 英 語 の 代 わ り に ス ロ ヴ ェ ニ ア 語 を 週4時. 由 選 択 科 目 と し て ス ロ ヴ ェ ニ ア 語 を 午 後 に3時. 間 選 択 す る。 登 録 者 数 が 非 常. に 少 な い 場 合 は 、 多 く の 学 校 で こ の 三 タ イ プ の 内 い ず れ か 一 つ の 講 座 が 開 講 さ れ て い る。 中 等 ・高 等 学 校(ギ. ム ナ ジ ウ ム)の 段 階 で は 、 ス ロ ヴ ェニ ア 人 は1957年. に設 け ら れ た 「ス ロ ヴ ェ. ニ ア 人 の た め の 連 邦 ギ ム ナ ジ ウ ム(BG(Bundesgymnasium)undBRG(Bundesrealgymnasium)fUrSlowenen/ZveznagimnazijainzveznarealnagimnazijazaSlovence)法 一 つ の ギ ム ナ ジ ウム を 開設 す る こ とが で きた. 」 に よ って. 。 そ こ で は ス ロ ヴ ェニ ア語 が 授 業 語 と して導 入 さ れ、. そ れ に よ り ス ロ ヴ ェ ニ ア 語 を 話 す 卒 業 試 験(Matura)に. 合 格 し た イ ン テ リ層 が 増 加 して い る 。. 1990年 に は さ ら に 二 言 語 使 用 の ギ ム ナ ジ ウ ム 「連 邦 商 業 ア カ デ ミ ー(Bundeshandelsakademie)」 も開設 され た。 し か し こ の よ う な ケ ル ン テ ン の ス ロ ヴ ェ ニ ア 人 に 対 す る学 校 言 語 政 策 で は 、 両 言 語 に よ る一 貫 し た 二 言 語 社 会 、 と り わ け 十 分 な 母 語 に よ る社 会 化 は 、 全 く不 可 能 と言 わ ざ る を 得 な い 。 母 語 に. 一198一.

(15) オース トリアの土着少数派 と言語政策 よ る社 会 化 は 国民 学 校 の第 四学 年 以 降 中 断 を強 い られ て い る。 子 供 や若 者 が学 校 教 育 を終 え るま で の言 語 的知 的発 達 全 体 が、 現 実 に は母 語 以 外 の外 国語 あ るい は第 二 習 得 言 語 に よ って行 わ れ て い る。 中 ・高 等 教 育(ギ. ム ナ ジ ウム)段 階 で は二 言 語 に よ る授 業 が整 備 され て い るが、 そ れ に つ. な が る初 等 教 育 段 階 の二 言 語 教 育 に は、 大 き な課 題 が残 って い る と言 え よ う。. 2.2.2ブ. ル ゲ ン ラ ン ドの 学 校 言 語 政 策. ク ロ ア チ ア 人 と ハ ン ガ リ ー 人 の た め の ブ ル ゲ ン ラ ン ドに お け る学 校 言 語 政 策 上 の 諸 規 則 は 、 第 一 章 の 歴 史 的 背 景 か ら も推 測 で き る よ う に. 、 ケ ル ン テ ン の 諸 規 則 と は 本 質 的 に 異 な る。 ブ ル ゲ ン. ラ ン ドで は 両 次 大 戦 間 に 教 会 が 少 数 派 諸 言 語 を 促 進 さ せ る 国 民 学 校 の 役 割 を 担 っ て い た 。1937年 に よ う や く 「ブ ル ゲ ン ラ ン ド州 学 校 法 」(BurgenlandischesLandesschulgesetz)が そ れ は1994年. ま で 有 効 で あ っ た が 、1962年. の8学. 公 布 さ れ、. 年 制 国 民 学 校 の 廃 止 が 否 定 的 に 作 用 し た 。1937. 年 の 学 校 法 に よ っ て保 証 され て い た 諸 規 則 、 特 に ク ロ ア チ ア語 とハ ンガ リー 語 授 業 の 国 民 学 校 (Volksschule)で. の 保 証 が 、8学. 年 制 国 民 学 校 の 廃 止 と 共 に 消 滅 し、 新 た な. (Hauptschule)で. は 保 証 さ れ な く な っ た か ら で あ る 。1937年. 族 グ ル ー プ が い る ゲ マ イ ン デ(Gemeinde)で. 「基 幹 学 校 」. の 学 校 法 に よ れ ば 、70%以. 上 の民. は、 少 数 派 言 語 が 授 業 語 で あ らね ば な らな い と さ. れ て い た 。 ドイ ツ 語 は 必 修 義 務 科 目 と し て 各 ゲ マ イ ン デ の 全 て の 国 民 学 校 で 導 入 さ れ て い た 。 そ れ らの 国民 学 校 の一 部 で は二 言 語 授 業 が導 入 され、 ク ロア チ ア語 あ るい は ハ ンガ リー語 が授 業 語 と さ れ た が 、 実 際 の 授 業 時 間 は 週3時. 間 と い う制 限 さ れ た 時 間 数 で あ る。 こ れ は 実 質 的 に ドイ ツ. 語 が 授 業 語 で あ っ た こ と を 意 味 し て い る。 幼 稚 園 に 関 して は 、1989年 そ れ に よ り約30の. の ブ ル ゲ ン ラ ン ド幼 稚 園 法 に よ り、 二 言 語 幼 稚 園 制 度 が 設 け ら れ た 。. ゲ マ イ ン デ で 、 ク ロ ア チ ア 語 が 教 育 言 語 で あ る ドイ ツ 語 の 補 助 と し て 使 用 さ れ. て い る。 こ れ ら の ゲ マ イ ン デ 以 外 で は 、 教 育 権 を 有 す る者 の 少 な く と も25%以. 上 が二 言 語 に よ る. 補 助 授 業 を 望 む 場 合 に 、 実 施 さ れ て い る。 ハ ン ガ リ ー 語 を 話 す グ ル ー プ に 関 し て は 、1990年. か ら. 同 様 の 規 則 が 三 つ の 幼 稚 園 で 実 施 さ れ て い る。 し か し そ れ ら の 規 則 に よ る と、 少 数 言 語 を 使 用 す る 時 間 数 は 最 低 週6時 1994年. 間 の み と さ れ て い る。. に 新 ブ ル ゲ ン ラ ン ド少 数 派 学 校 法 が 公 布 さ れ 、 国 民 学 校 、基 幹 学 校 、 一・ 般 中 等 ・高 等 学. 校(AHS=AllgemeinbildendeH6hereSchulen)、 dung)の. 教 育 者 教 育 機 関(Lehrer-undErzieherbil-. 授 業 を 法 制 化 して い る。 そ れ に よ る と ブル ゲ ンラ ン ドに は ク ロ ア チ ア語 あ る い はハ ン. ガ リ ー 語 を 授 業 語 と す る 国 民 学 校 が 存 在 し、 そ の 国 民 学 校 に 通 う た め に は 登 録 が 必 要 と さ れ て い. 一199一.

(16) 近 畿 大 学 語 学 教 育 部 紀 要9巻2号(2009・12) る。 二 言 語 授 業 の 国 民 学 校 ク ラ ス を 開 く た め に は 最 低7名. の登 録 者 が必 要 と され て い るが、 親 に. は 子 供 達 が 二 言 語 授 業 に 出 席 す る の を 拒 否 で き る権 限 が 与 え ら れ て い る。 基 幹 学 校 に は 二 種 類 の タ イ プ が 設 け ら れ た 。 一 つ は ク ロ ア チ ア 語 と ハ ン ガ リ ー 語 を 授 業 語 とす る タ イ プ で 、 ドイ ツ 語 は 必 修 科 目 と し て 週6時. 間 の 範 囲 で 授 業 が 行 わ れ て い る。 も う一 つ の タ イ プ は 、 ドイ ツ 語 が 授 業 語. と さ れ 、 ク ロ ア チ ア 語 あ る い は ハ ン ガ リー 語 に よ る 授 業 が 補 足 的 に 行 わ れ る タ イ プ で あ る。 中 等 ・ 高 等 学 校(ギ. ム ナ ジ ウ ム)で. は 、90年 代 初 め ま で 少 数 派 言 語 は 実 質 的 に 顧 慮 さ れ て い な か っ た 。. 現 在 で はEisenstadt,Oberschutzen,Oberpullendorf,Stegersbachの. ギ ム ナ ジ ウム で 、 ク ロア. チ ア 語 とハ ン ガ リ ー 語 を 選 択 必 修 科 目 と し て 、 あ る い は 自 由 選 択 科 目 と し て 履 修 可 能 に な っ て い る。Oberpullendorf/GornjaPljaに 少 数 派 言 語(即. あ る い わ ゆ る 。PannonischesGymnasium"26で. は、 他 の. ち ク ロ ア チ ア 人 に と っ て は ハ ン ガ リ ー 語 、 ハ ン ガ リ ー 人 に と っ て は ク ロ ア チ ア 語). が 第 二 外 国 語 と し て 英 語 に 追 加 さ れ る 形 で 、 選 択 が 可 能 に な っ て い る 。Oberwart/Bortaで. も、. 1992年 に 三 言 語 に よ る民 族 グ ル ー プ ギ ム ナ ジ ウ ム が 開 講 さ れ 、 ドイ ツ 語 と ク ロ ア チ ア 語 、 ドイ ツ 語 とハ ン ガ リ ー 語 の 二 言 語 授 業 が 実 施 さ れ 、 一 般 的 な 二 言 語 授 業 以 外 に 、 補 足 的 に 週5時. 間 の民. 族 グ ル ー プ 言 語 に よ る授 業 も実 施 さ れ て い る。 この法 規 定 に は以 前 に比 べ る とい くつ か の改 善 が み られ るが、 民 族 グ ル ー プ の意 志 に反 して実 行 さ れ た 問 題 点 が あ る。 即 ち 、 二 言 語 授 業 を 拒 否 す る権 利 が 含 ま れ て い る こ と で あ る。. 「生 徒 は 教 育 権 に 逆 ら っ て 、 ク ロ ア チ ア 語 あ る い は ハ ン ガ リ ー 語 を 授 業 語 と して 使 用 し、 あ る い は 必 修 科 目 と し て 学 習 す る こ と を 、 義 務 づ け ら れ る こ と は な い 。」(§1(2)条. 項)27. これ は ケ ル ンテ ンに お け る 「親 権 」 重 視 の見 解 が影 響 して い るよ うに思 え るが、 この観 点 に基 づ く と、 親 は彼 らの子 供 達 に数 学 、 英 語 、 ドイ ツ語 な ど他 の授 業 も登 録 拒 否 させ る こ と もで き る よ う にな る。 「親 権 」 が憲 法 で保 証 され て い る生 徒 の 「教 育 権 」 を侵 害 す る こ と は許 され な い の で は な か ろ うか。. 2.2.3ロ. マ ・ジ ン テ ィ人 、 ウ ィ ー ン の チ ェ コ 人 ・ス ロ ヴ ァ キ ア 人 と 学 校 言 語 政 策. ロ マ ・ ジ ン テ ィ人 、 ウ ィ ー ン の チ ェ コ人 と ス ロ ヴ ァ キ ア 人 、 あ る い は ウ ィ ー ン で 生 活 し て い る ク ロ ア チ ア 人 と ハ ン ガ リ ー 人 に 関 す る学 校 規 則 に 関 し て は 、 現 在 全 く法 的 な 基 盤 は 存 在 し な い 。 そ し て 彼 ら の 母 語 を 学 校 で 母 語 と し て 発 展 さ せ 学 習 す る可 能 性 が 彼 ら に は 提 供 さ れ て い な い 。 学. 一200一.

(17) オース トリアの土着少数派 と言語政策 校 運 営 に 関 して非 常 に長 い経 験 と知 識 を有 す る ウ ィー ンの チ ェ コ人 の み が、 ウ ィー ンに私 的 な教 育 機 関 を も って い る。 そ れ はKomensky学 ら上 級 段 階 ギ ム ナ ジ ウ ム(Matura取. 校 財 団 に よ って運 営 さ れ て い る。 そ こで は幼 稚 園 か 得)ま. で 、 チ ェ コ(ス. ロ ヴ ァキ ア)語. と ドイ ツ語 に よ る. 二 言 語 教 育 が実 施 され て い る。 ロマ ・ジ ンテ ィ人 の 子供 達 は ブル ゲ ンラ ン ドで伝 統 的 に二 言 語 あ る い は複言 語(ロ マ ーニ ー語 ・ ク ロア チ ア語 ・ハ ンガ リー語 な ど)で 成 長 した が、 遊 牧 生 活 を 中心 とす る彼 らは学 校 の授 業 に常 時通 学 で き ず、1938年 に彼 らに対 して登 校 が禁 じ られ た こ と もあ った。 古代 イ ン ドの サ ンス ク リッ トと同族 関係 に あ る ロマ ー ニ ー語 は地 域 的 な差 異 が強 く、 この言 語 が母 語 と して習 得 され るの は 個 人 的 な社 会 、 特 に家 庭 内 に 限 られ て い た。 従 って、 標 準 化 され て い な い言 語 を学 校 で教 え る こ とは、 大 き な 困難 を伴 って い た。 第 二 共 和 国 に お い て ロマ ・ジ ンテ ィ人 の子 供 達 は学 校 に 吸収 統 合 され た。 即 ち、 彼 らが異 な る 母 語 を話 して い る とい う事 実 が無 視 され た の で あ る。 そ の結 果 と して、 通 常 の基 幹 学 校 修 了 が与 え られず 、 特 別 学 校 に残 る生 徒 が増 え た。 そ れ は移 民 子 弟 に よ く起 こ る事 で あ るが、 彼 らは母 語 で授 業 が受 け られ ず、 外 国語(ド. イ ツ語)で. ア ル フ ァベ ッ トを教 え られ、 不 十 分 な言 語 に よ って. 偏 狭 な知 識 を詰 め込 ま れ、 学 習 領 域 全 般 が未 消化 に な った。 家 族 達 も家 庭 内 で彼 らの言 語 を話 さ な くな るケ ー ス も増 え て き て い る。 彼 らが少 数 派 と して公 の機 関、 特 に学 校 な どの教 育 機 関 で、 どの程 度 認 識 され て い るか は疑 問 の余 地 が あ る。 この民 族 グル ー プ は1993年 に オ ー ス トリア政 府 に よ って公 的 に少 数 派 グ ル ー プ と認 定 され て い るに もか か わ らず 、1994年 の ブ ル ゲ ン ラ ン ド少 数 派 保 護 法 で は全 く顧 慮 され て い な い の で あ る。. 3.0少. 数 派 の 二 言 語 性 と ア イ デ ン テ ィ テ ィ. 上 述 した よ う な言 語 政 策 の 下 で 、 い わ ゆ る (Zweisprachigkeit,Bilingualismus,Diglossie)は. 「二 言 語 性 、 二 言 語 使 用 、 二 言 語 併 用 」 、 言 語 少 数 派 の 社 会 に お い て どの よ う に展. 開 され て い るの で あ ろ うか。 Bilingualismusは. ケ ル ンテ ンで は、 実 質 的 に ス ロヴ ェニ ア 民 族 グ ル ー プ に 所 属 す る人 た ち に. 関 わ り の あ る現 象 と さ れ て い る が 、 そ こ で は 一 面 的 な 二 言 語 性 で あ り、 そ の 限 り で は 本 来 の 意 味 で の ダ イ グ ロ シ ア 的 な 状 況 と は 言 え な い 。 な ぜ な ら少 数 派 言 語 で あ る ス ロ ヴ ェ ニ ア 語 は ドイ ツ 語 多 数 派 住 民 に と っ て は 実 質 的 に 機 能 し て い な い か ら で あ る。 ま た ス ロ ヴ ェ ニ ア 住 民 に と っ て も ス ロ ヴ ェニ ア 語 を 使 用 す る 社 会 的 場 面 と状 況 が 限 定 さ れ て い る 。 彼 ら の 半 数 以 上 が 家 族 内 で ス ロ ヴ ェ. 一201一.

(18) 近 畿 大 学 語 学 教 育 部 紀 要9巻2号(2009・12) ニ ア 語 を 話 し て い る が 、 祖 父 母 と は50%、. 両 親 と は47∼48%、. 兄 弟 姉 妹 間 で は30%と. 、家族 内で. も話 し相 手 に よ っ て 使 い 分 け を し て い る。 家 族 外 で は ス ロ ヴ ェ ニ ア 語 の 使 用 範 囲 が 極 端 に 少 な く な る。 教 会 の 牧 師 と の 会 話 で は54.4%の 隣 人 と は54.1%、. 仕 事 仲 間 と は29.4%、. ス ロヴ ェニ ア 人 が ス ロ ヴ ェニ ア語 を話 して い る。 さ らに 教 師 と は17.8%、. 医 者 と は14.8%、. 警 官 と は10.3%と. い う. デ ー タ が あ る28。 ブ ル ゲ ン ラ ン ドの ク ロ ア チ ア 人 と ハ ン ガ リ ー 人 も、 彼 ら の 言 語 を 主 に 家 族 内 と宗 教 領 域 に 限 定 し て い る。 ゲ マ イ ン デ 内 で 彼 ら の 言 語 を 話 す 割 合 は 、 ク ロ ア チ ア 人 で61%、 %、 家 族 内 で は そ れ ぞ れ61%、54.1%、. 教 会 で は63.5%、28.7%、. ハ ン ガ リ ー 人 で40.3. 職 場 で は39.8%、35.7%で. あ る29。. 従 って、 ケ ル ンテ ンの ス ロ ヴ ェニ ア人 に お け るよ うに、 言 語 使 用 相 手 を家 族 内 に極 力 制 限す る と い う厳 しい 状 況 は 、 ブ ル ゲ ン ラ ン ドで は 見 ら れ な い。 ブ ル ゲ ン ラ ン ドの ク ロ ア チ ア 人 もハ ン ガ リー 人 も 日 常 の 会 話 で 、 そ れ ぞ れ79.2%、86.3%の. 人 々 が 彼 ら の 言 語 を 使 用 して い る30。 こ の よ う な. デ ー タ か ら、 ゲ マ イ ン デ 、 教 会 、 家 族 に お い て は 、 ブ ル ゲ ン ラ ン ドの ク ロ ア チ ア 人 と ハ ン ガ リ ー 人 は 、 ケ ル ン テ ン の ス ロ ヴ ェ ニ ア 人 よ り も、 彼 ら の 言 語 使 用 ネ ッ ト ワ ー ク を よ り強 く活 発 に 活 用 し て い る と判 断 で き る。 言 語 少 数 派 の 「二 言 語 性 」 は 言 語 政 策 的 に 法 規 定 な ど で 制 限 さ れ る場 合 が 多 い が 、 少 数 派 自 ら の 自意 識 、 つ ま り少 数 派 自身 の ア イ デ ン テ ィ テ ィ と 関 わ り が 多 い こ と も確 か で あ る。 そ こ で 次 に ア イ デ ン テ ィ テ ィ の 観 点 か ら、 ケ ル ン テ ン と ブ ル ゲ ン ラ ン ドの 言 語 少 数 派 に つ い て 考 え て み た い 。. 3.1ケ. ル ン テ ンの 少 数 派 と ア イデ ン テ ィ テ ィ. ー 般 的 に 言 語 は ア イ デ ン テ ィ テ ィ の 本 質 的 な 構 成 要 素 で あ る と言 わ れ て い る. 。 オ ー ス トリア に. お い て も、 言 語(オ. ー ス ト リ ア ドイ ツ 語)は. 同 じ ドイ ツ 語 圏 に 属 す る 隣 国 ドイ ツ と ス イ ス に 対 し. て、 オ ー ス トリア 内 の外 国人 に対 して、 ま た土 着 少 数 派 に対 して、 ア イ デ ンテ ィテ ィを主 張 す る 重 要 な 要 素 で あ る31。 そ の 場 合 、 同 じ オ ー ス ト リ ア 人 で あ っ て も母 語 が 異 な る 土 着 少 数 派 の 人 た ち に と って、 言 語 とア イ デ ンテ ィテ ィの 関 わ りを どの よ うに理 解 す れ ば良 い の で あ ろ うか。 少 数 派 の 多 数 派 へ の 同 化 プ ロ セ ス 、 ゲ ル マ ン化 プ ロ セ ス は 様 々 で 非 常 に 多 様 で あ る。 少 数 派 言 語 の 維 持 も、 多 数 派 言 語 へ の 同 化 も多 大 な 心 的 労 力 を 必 要 と す る。 し か し こ の 努 力 は 少 数 派 側 の み で 、 多 数 派 住 民 に は 必 要 で は な い の が 現 実 で あ る。 ケ ル ン テ ン の ス ロ ヴ ェ ニ ア 人 に 関 し て 、Merkacは を 次 の 三 つ の 理 念 タ イ プ に 区 分 し て い る32。. 一202一. イ ンタ ビ ュー した若 者 達 の. 「自 己 理 解 」.

(19) オ ー ス トリア の土 着 少 数 派 と言 語 政 策 1「. 自 意 識 の 高 い ス ロ ヴ ェ ニ ア 人 」:た と え 不 利 益 を 被 ろ う と も、 日常 語 と し て 常 に ス ロ ヴ ェ. ニ ア 語 を 話 し て い る。 2「. 中 性 的 な ス ロ ヴ ェ ニ ア 人 」:民 族 グ ル ー プ に 所 属 し て い る の を 隠 し、 自発 的 に ス ロ ヴ ェ ニ. ア 語 を 話 さず 、 そ の 少 数 言 語 使 用 を 第 三 者 か ら制 限 さ れ て い る と感 じ て い る。 3「. 多 数 派 に 重 心 を 置 い て い る ス ロ ヴ ェ ニ ア 人 」:子 供 時 代 に は ス ロ ヴ ェ ニ ア 語 を 話 し て い た. が 、 現 在 で は 日常 語 と し て ドイ ツ 語 を 頻 繁 に 使 用 し て い る。 自 ら は 多 数 派 と少 数 派 両 グ ル ー プ に 所 属 し て い る と感 じ て い る が 、 第 三 者 か ら は 多 数 派 に 所 属 し て い る と見 ら れ て い る。 さ ら に 「二 言 語 性 と ア イ デ ン テ ィ テ ィ」 研 究 プ ロ ジ ェ ク トで は 、 次 の 五 つ の 理 念 タ イ プ に ケ ル ン テ ン の ス ロ ヴ ェ ニ ア 人 が 区 分 さ れ て い る33。 1「. 政 治 的 に 活 発 で 意 識 の 高 い タ イ プ 」:た と え 不 利 益 が 生 じ る場 合 で も、 彼 ら は 出 来 る 限 り. 少 数 派 の 言 語 を 話 す 。 さ ら に 少 数 派 を 敵 視 す る政 策 を 批 判 し、 民 族 グ ル ー プ に も参 加 す る。 2「. 意 識 の 高 い タ イ プ 」:彼 ら は 自 己 定 義 の 維 持 を 支 援 す る ス ロ ヴ ェ ニ ア 人 組 織 の ネ ッ ト ワ ー. ク 内 で 生 活 し て い る。 彼 ら も 出 来 る 限 り少 数 派 言 語 を 話 す 。 3「. 両 文 化 圏 へ 行 き 来 す る タ イ プ(Kulturpendler/in)」:彼. ら は 日常 生 活 で は 、 民 族 グ ル ー. プ と の 接 触 を 失 っ て い て 、 主 に ドイ ツ 語 を 話 す 人 々 と 関 わ り が あ る。 し か し ま だ ス ロ ヴ ェ ニ ア 出 身 で あ る こ と を 意 識 し て い る。 彼 ら は 話 し か け ら れ る と少 数 派 言 語 を 話 し、 両 言 語 文 化 へ の 親 近 性 を 強 調 し て い る。 4「. 多 数 派 へ 同 化 さ れ た タ イ プ 」:彼. Urangst(根. 源 的 な 不 安)が. らは 経 済 的 に 多 数 派 へ の 順 応 を強 い られ た。 いわ ゆ る. 彼 らの ア イ デ ン テ ィ テ ィ変 換 の 要 因 で あ る 。 他 者 か ら話 し か け. ら れ な け れ ば 少 数 派 言 語 は 滅 多 に 話 さ ず 、 少 数 派 の 現 在 の 権 利 に 満 足 し て い る。 5「. ラ デ ィ カ ル に 同 化 さ れ た タ イ プ 」:彼 ら は 貧 窮 化 し た プ ロ レ タ リ ア ー ト出 身 で 、 多 数 派 へ. の 順 応 を 強 い られ た 。 彼 らの 社 会 的 な 地 位 は 、 ス ロ ヴ ェニ ア 出 身 を 公 的 に 否 定 す る こ と に よ っ て 得 ら れ た と思 っ て い る。 彼 ら はUrangstが. 自 己嫌 悪 を正 当化 す る手 助 け とな って い る と. 思 っ て い る。 そ れ 故 、 彼 ら は 自身 の ル ー ツ を 隠 蔽 し、 少 数 言 語 も話 さ な い 。 む し ろ 少 数 派 敵 視 サ ー ク ル に 参 加 し、 少 数 派 の 権 利 維 持 に 反 対 し て い る。 Markacの. 三 タ イ プ 区 分 は コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン 場 面 で の 心 理 的 な 状 況 を 示 し、 一 般 的 に ど の. 少 数 派 社 会 に も見 ら れ る が 、 「二 言 語 性 と ア イ デ ン テ ィ テ ィ 」 研 究 プ ロ ジ ェ ク トの 五 タ イ プ 区 分 は 、 彼 ら の 置 か れ て い る特 殊 な 立 場 を 社 会 的 に よ り リ ア ル に 反 映 し て い る よ う に 思 え る。 後 者 の 「タ イ プ1」. は ス ロ ヴ ェニ ア 人 と し て の ア イ デ ン テ ィ テ ィ 意 識 が 高 く、 ま た ス ロ ヴ ェ ニ ア 語 を 重. 一203一.

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