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紀勢線の敷設問題とその周辺

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Academic year: 2021

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(1)紀勢線の敷設問題とその周辺 京. 武. 知. I. はじめに JI• 紀勢鉄道敷設運動 l. 明治後期における運動とその挫折 2. 大正中期における遮動とその成果 ill. 紀勢西線•紀勢中線の開通過程 l. 紀勢西線の開通と御坊臨港鉄道の設立 2. 紀勢中線の開通と新宮鉄道の買収 N. 若干の展望――むすびにかえて――. I .. はじめに. 鉄道史の研究は, 最近社会経済史・経営史・政治史・地理学・社会学など, 各分野からの関心が高まってきている. したがって, さまざまの立場からの視 点の設定と分析が鉄道史研究の1つの特徴となっているのであるが, われわれ は, 鉄道建設の具体的な歴史事実の発掘に, ささやかな作業を続けている. 小 稿も, その1つとして書かれるものである. この分野は, すでにすぐれた成果も数多いが, それでもまだ実証上の空白部 分が少なくないように思われる立 とりわけ地方の具体的事情については, 解 明すべき点が多く残されており, 小稿で扱う紀勢線の敷設問題も, まとまった 成果はみられないのが現状であろう立 われわれの立場は, 方法的には未熟な 面が否めないであろうが, 全体の鉄道史を再構成していくための基礎産業とし て, 地域の特殊事情を掘りおこしていく方法はまだ有効であろうと思うのであ -131-.

(2) る. 以下, 和歌山県側の動向を中心に, 紀勢線の建設過程をあとづけることに したい 1) 研究史の簡単な整理は, 別稿でとりあげることにしたい . 2) 一定の展望を与えた成果としては, 『和歌山県政史』第1巻(昭和42年), 同第2巻 (昭和46年), 同第3巻(昭和43年), 『日本国有鉄道百年史」第9巻 (昭和47年), 日 本鉄道建設業協会「日本鉄道請負業史」大正•昭和(前期)篇(昭和53年) などがあ る . また紀勢線敷設運動については, 主として新聞記事を中心とした『和歌山市史』 第8巻近現代史料II C昭和54年) , が詳しい.. II. 1.. 紀勢鉄道敷設運動. 明治後期における運動とその挫折. 紀努線の敷設は, 紀南地方の人びとにとっては永年の夢であり, 古くは, 明 治22年(1889)の大水害を契機として西牟婁地方を中心に,. 「船」を「鉄道」. にかえようとする気運が高まり, とくに同26年1月には田辺町(現田辺市)で 有力者数10人が会合し, 紀勢鉄道敷設の世論は大いに盛りあがった しかし, こうした紀南地方における鉄道敷設運動の熱意も, 日清・ 日露戦争の勃発によ って中途で挫折した. その後明治40年ごろになると, 再び全県下的に紀勢鉄道敷設促進の気運が広 がってくる. それは, 主として, つぎのような事情が背景となっていた立 1.. 本県は本土の南端に位置し, しかも京阪神をひかえた紀淡海峡に面し ているので軍事上要衝の地にあたり, 戦争のぼっ発に備え鉄道を敷設す る必要がある.. 2.. 県内には歴史的な名所旧跡や風光明びの景勝地が数多くあるので, 鉄 道で安全輸送を期さなければならない.. 3.. 県内の特産物である林産, 海産, 農産物の流通を鉄道輸送によって円 滑にし, 産業の振興と地域開発の実をあげなければならない. -132-.

(3) 4.. 紀伊水道, 熊野難は風浪激し<. 航路に危険が多いので, 鉄道で安 全 輸送を期さなければならない. 紀勢鉄道は. 和歌山を起点に黒江・箕島・湯浅· 御坊•田辺 ・ 周参見・串本 •新宮をへて, 三重県の木本・宇治山田に達する紀伊半島一 周の鉄道建設をめ ざしたもので, さきに西牟婁地方にみられたような地域的な運動から,. 一. 歩す. すんで当時の 全固的な鉄道建設の動きに刺激された, より規模の大きな構想と なった. この運動には, 和歌山. ・. 三霊両県選出の代議士の活躍が顕著であった. とく. に第26回帝国議会では, 和歌山県選出の代議士千田軍之助・中村啓次郎・山口 熊野・阪本弥 一郎および三重県選出の尾崎行雄ら7名が提出者となって, 衆議 院に鉄道建設に関する建議案を提出している. この建議案は, 衆議院本会議で 特別委員会に付託されて審議の結果, 「政府は速かに調査を遂げ相当の処骰を 取らむことを望む」と決議し, 本会議で可決された. さらに翌第27回帝国議会 では, 中村啓次郎ほか 3 名が鉄道敷設法中改正案(紀勢鉄道を敷設線に加える こと)を提出し, 衆議院で可決されたが. 資族院で審議未了となったまた翌 第2 8回帝国議会には, 千田軍之助ら7名が提出者 となって, 「政府は速かに鉄 道敷設法を改正し, 本線の建設に着手せよ」という建議案を提出. 山口熊野の 説明があって, 委員会付託となり, これが可決されるにいたった互 以上のような中央の動きは. もとより地元の総意を反映したものであり, 和 歌山県議会でも, 明治43, 44年(1910, 11)の通常会で紀勢鉄道敷設建議案を 全会 一致で可決し, 内務大臣に建議している. つぎに43年12月の建議を掲げて おこう3). 建. 議. 本県ハ帝国本土ノ南端二居リ紀淡海峡ノ咽喉ヲ拒シ国防上緊要ノ位置ヲ占 ム而モ其広衰東西十余里南北五十余里二亘リ人口七十余萬ヲ有シ気候温和 土地肥沃ニシテ林産鉱産農産海産等 ー トシテ豊富ナラザルハナシト雖モ沿. -133-.

(4) 海ハ潮流駿ク風浪激シク加フルニ暗礁多クシテ航路危険ナルガ為メ艇々汽 船覆没シ漕運ノ便全キヲ得ス陸ハ僻在ナルガ故二道路ノ開通全カラズ海陸 共二交通ノ設備ヲ欠クヲ以テ産業振興セス富力増進セス実二天与ノ物産ヲ 空シク遺棄シテ其利福ヲ享受ス)レコト能ハス是レ独リ本県ノ不幸ナ)レノミ ナラズ洵二帝国経済上二於テモー大損失ナリ且ツ夫レ本県ハ我皇祖発祥ノ 霊地ニシテ尊崇スヘキ霊跡極メテ多シ故二往時天皇行幸遊バサレ随ツテ皇 族大臣等ノ参拝セラレシ事朗ハ歴史上顕ラカナリ又風光ノ雄大ニシテ明媚 秀麗ナルハ古今内外ノ歎宜ス)レ所ナルモ交通不便ノ為メ世人ヲシテ其霊地 古跡ヲ訪探シ其絶景ノ地二遊貨セシム)レヲ得ザルハ真二遺憾ノ至リナリト ス故二紀勢鉄道敷設セラレテ関西鉄道卜連絡シ参宮鉄道二連結センカ貨物 ノ輸送ハ勿論熊野霊地ノ参拝二風光ノ遊賞二多大ノ便利ヲ与フル急切ナル 線路ナリト確信ス)レヲ以テ政府二於テ本県和歌山市ヨリ海草郡黒江町有田 郡箕島町湯浅町 日高郡御坊町西牟婁郡田辺町 日置村周参見村串本町東牟婁 郡古座町下里村勝浦町那智村新宮町及三重県下木ノ本村尾笠村長島村ヲ経 テ同県宇治山田市二至ル間二速カニ鉄道敷設セラレンコト翼望二堪ヘズ 右府県制第四十四条二依リ本県会ノ決議ヲ以テ謹テ閣下二建議致候也 明治四十三年十二月十四 日 和歌山県会議長 垣 内務大臣 男爵. 平 田. 東. 助. 内. 太. 郎. 殿. 紀勢鉄道の敷設は和歌山県の公益に大きな関係をもち, 県民一般の願いであ ったが, 提案者津田藤歴は, 「第一二此 鉄道ガ敷設致シマス)レト云フ事ハ軍事 上最モ必要ナル事デアラウト考へ)レノデアリマス」 「第ニニハ 経済上二於キマ シテ最モ必要ナル路線デア)レト云フ事ヲ確信致シマスモノデアリマス」 ニハ此沿道ハ実二雄大ナ)レ自然的公園デア)レノデアリマス」 ヲ敷設致シマシテ唯今国有鉄迫ノ関西線卜聯絡シ. ー. 「第三. 「第四ニハ此鉄道. ハ参宮鉄道二之ヲ聯絡致シ/. マシタナラバ唯今熊野二参拝ス)レノ便ヲ得)レノミナラズ伊勢大廟二参拝スルノ. -134-.

(5) 便ヲ得ルニ至リ……実二国民敬神ノ思想ヲ涵養ス)レニ如何許リ稗益ヲ生ズ)レデ ゴザイマセゥ今ヤ我帝国二鉄道ノ敷設セラレテ居)レ事ハ実二幾千哩ナルヲ知ラ ヌノデアリマス然ルニ我ガ和歌山県二於キマシテハ単二伊都郡卜那賀郡ノ一部 ヲ貫通致シテ居リマスル所ノ国有線ガア)レノデアリマス又大阪和歌山市二達シ テ居リマス)レ所ノ南海鉄道卜云フモノガア)レノデアリマス和歌山県ガ他府県二 比シマシテ比較的此鉄道即チ陸路ノ交通機関ノ備ツテ居ラヌト云フ事ハ実二慨 嘆ノ次第デア)レノデアリマス既二北海道ノ如キ又ハ東北地方ノ如キ山陰ナリ九 州ナリ其他ノ地方二於キマシテ我ガ和歌山県ョリ名所旧蹟モ少ナク又物産モ少 ナク又人ロモ疎ナル所二於キマシテ数百哩ノ鉄道ヲ敷設セラレ未ダ其上二敷設 セラレントシツ ヽア)レノデアリマス然ルニ斯ノ如キ有利有益ナル所ノ我ガ和歌 山県即チ沿道二於キマシテ鉄道ノ未ダ敷設セラレテ居ラヌト云フ事ハ実二本員 共ハ慨嘆二堪ヘナイ次第デア)レノデアリマス」 ° と, その理由を説明している. 一方, この間県内の東牟艇•西牟駆地方では鉄道期成同盟会を結成し, また 和歌山市内においては紀勢鉄道同盟会県民大会が開催されるなど, 請願・陳情 運動が絶え間なく展開されていた列. 一. 例として, つぎに明治44年 1月西牟嬰. 郡三栖村の羽竹茂久ら27名による貴衆両院議長あ ての紀勢鉄道敷設請願書を示 しておこう列 謹デ貴族院議長公爵徳川家達閣下二詰願仕候 尽シテ按ス)レニ本県ハ帝国本土ノ南端二在リテ紀炎海峡ノ咽喉ヲ批シ国防 上緊要ノ位箇ヲ占ム而シテ其広亥東西拾余里南北五拾余里二亘リ人口七拾 有余万ヲ有シ気候温和土地肥沃ニシテ農産林産砿産及ビ海産物等実二豊富 ナリト雖モ沿海ハ常二潮流駿ク風浪激シク加フルニ暗礁多ク航路極メテ危 険ニシテ駆々汽船ノ覆没又ハ座礁ヲ免レズ故二天候不良ノ時ハ数日間航海 中絶シ迎輸ノ道全ク杜絶ス而モ陸ハ僻在ノタメ地勢上道路ノ開通完キヲ得 ズ海陸共二交通不便ナルガ為メ産業発展上多大ノ障害ヲ与へ無尽蔵ナル利 源ハ未ダ開発セラレズ空シク天与ノ恵福ヲ埋没シテ今日二至レリ是レ営二 -135-.

(6) 本県民ノ不幸ナルノミナラズ施テ帝国経済上二於ケルー大損失ナリトス且 ツ夫レ本県ハ畏クモ我皇祖発祥ノ霊地ニシテ崇拝スベキ霊地尊重スベキ古 跡頗Jレ多ク又風光ノ雄大ニシテ秀麗ナルハ古今内外人ノ歎償ス)レ所然モ交 通如斯不便ナルガ為メニ容易二此地二至)レヲ得ザ)レハ真二遺憾ノ至リ堪ズ 若シ本県和歌山市ヨリ海草郡黒江町 日方町有田郡箕嶋町湯浅町 日高郡御坊 町西牟婁郡田辺町 日置村周参見村串本町東牟婁郡古座町下里村勝浦町郡智 村新宮町三重県南牟婁郡鵜殿村本ノ本町北牟婁郡尾控町引本町長嶋町ヲ経 テ宇治山田市二達ス)レ鉄道ヲ敷設シ関西及参宮ノ両鉄道卜連合結スルニ至 ランハ本線路ノ物産タル紀州綿ネー)レ黒江漆器有田蜜柑湯浅ノ醤油 日高木 炭熊野木材及ビ海産物砿産物其他ノ製造工業等勃然トシテ興起振作シ以テ 本県富カヲ増進シ併セテ帝国ノ鴻益タルベシト確信仕候槌二衆談院二於テ 該鉄道敷設ノ急ヲ認メラレ建議セラレタルヲ拝承シ県民一般衷心感喜致居 候次第二付何卒前記ノ鉄道速二敷設相成候様切望ノ至二堪ヘズ候 稽首再拝 追テ本請願ノ鉄道線路二産ス)レ各種ノ物産調査表及名所旧蹟略記等御参 考迄別紙添付致候 明治四十四年壱月. 日 和歌山県西牟婁郡三栖村大字上三栖六十三番地 平民公吏 羽 竹 茂 久. ⑲. 明治十 一年 一月十二 日生 (以下二六名略) 貴族院議長公爵徳川家達閣下 衆議院議長谷場純孝閣下 紀勢鉄道線路(三重県ヲ除ク)物産調査表 種目. 価. 格. 製造工業 壱千四百八拾万五百六拾壱円 -136-.

(7) 綿ネー)レ 九百参拾五万七千八百九拾八円 器 百拾参万七千拾六円. 漆. 傘. 弐拾九万八千八百七拾九円. 建具類 四拾弐万弐千五百拾七円 足. 袋 参拾参万参千七百参拾七円. 縄. 五拾参万弐千九百弐拾七円. 酒. 類 百九拾弐万八千九百円. 醤. 油 五拾参万六千百七拾五円. 凍豆腐 弐拾五万弐千五百拾弐円 農産物 壱千五百弐拾六万六千四百拾六円 米. 八百八拾五万六千弐百四拾四円. 麦. 百五拾万九千五百六拾六円. 柑橘類 百五拾弐万七千九百六拾円 蚕. 繭 五拾七万四千五百弐拾壱円. 甘. 藷 四拾六万九千八拾弐円. 其. 他 弐百参拾弐万九千四拾参円. 林産物 四百五拾六万五千九百六拾五円 木材類 弐百九拾壱万八百参拾五円 木. 炭 七拾壱万五千九百九拾五円. 其. 他 九拾参万九千百参拾五円. 海産物 弐百四拾五万九千五百四拾弐円 砿産物 参拾五万七千拾円 以上総計 参千七百四拾四万九千四百九拾四円 紀勢鉄道線路名所旧蹟略記. (略). 日高郡(略). 海草郡(略). 西牟殿郡(略). 和歌山市. -137-.

(8) 有田郡(略). 東牟艇郡(略). 上述の請願書には, 紀勢鉄道線路物産表や沿線の名所旧跡なども添付されて おり, 興味深い点があろう. 諸願者27名の裁業は, 公吏1 名, 農業21名, 農業 兼山物商 1名, その他染物業・青物商• 酒造業・山物商 各 1 名である. こうし た請願書の類は, 他にも散見されるが, 地元の紀勢鉄道敷設への熱意がひしひ しと伝わってくる なお43年末の県民大会の結果, 紀勢鉄道速成請願書を貴衆 両院へ提出することを決議しているが, 貴族院は谷井勘蔵, 衆議院は中村啓次 郎を窓口としたようである. 当時の新聞は, 谷井・中村両氏のもとに差出され た請願者の数は, 貴族院8,326名, 衆議院8,41 5名に達し, さらに続々提出の見 込みなり, と その様子を報じているり また県においても, 沿線の 各町村に, (1)戸数表, (2)生産消費貨物表, (3)土地価格表, (4)輸入貨物表, (5)輸出貨物表, (6)車馬船舶表, (7)町村現況, などの 「統計報告」を求める方針を明らかにして いる. いずれにせよ, 紀勢鉄道敷設迎動は 全県あげての総意で あったのであ る. しかし, このような盛りあがりをみせた紀勢鉄道敷設運動も, けっきょく政 界が混頓としていたこともあって, 時期尚早ということで, 日の目をみずに終 わったすなわち国会における最後的な期待がかけられた, 明治4 5年5月の総 選挙で, 有カリ ー ダーの山口熊野が落選し, さらに 千田軍之助も政界を引退し たため, 国会における代議士の運動は中断されるにいたったのである . 『和歌山県政史J第1巻(昭和42年) 872頁. 同上,873-874頁. 『明治43年通常和歌山県会速記録」438-439頁. 同上, 439-446頁. 5) 紀勢鉄道速成同盟会会則などは, 『和歌山市史」第8巻近現代史料JI (昭和54年) に紹介されている . 6) 三栖文化財愛護の会所蔵. 7) 牟婁新報, 明治44年2月3日付. 1) 2) 3) 4). -138-.

(9) 2.. 大正中 期 に お け る 運動 と そ の 成果. ところで大正中 ごろになると, 再び紀勢鉄道敷設問題が具体 化してき た. 大 正7 年 (19 1 8 ) 1月政 友会和歌山支部 幹事会は, 「紀勢 縦貫鉄道速成の必要な るは今更咽々を要せず, 既往三度衆議院に於 ける速成建議案通過に 徴するも 明 なり, 而かも 未だ其敷設を 見るに 到ら ざるは,. 国 家交通機関の 一大欠 陥にし. て, 人 文の発 展, 産業の 開発に 障害を与ふるや頗る大なり, 是れ本決議をなす 所以也」と, 「紀勢 縦貫鉄道の 速成を 期する事」を決議し叫. ただちに政 友会. 本部へ送っ た. 紀南地方でも, 東 牟屡 郡 以下三 郡 連合の紀勢鉄道速成大会が新 宮 町において約 400 余名の参加のもとに 開催され, 同様の決議をしている 2) . さらに 東牟艇 郡の有志代表遊木 保太郎 • 宮本 志郎 • 久保嘉七らは, 同年2 月 大要つぎのような紀勢鉄道敷設請願書を衆議院 へ提出するところとなっ た 3) . 紀勢鉄道敷設に 関する請願 謹で 衆 議院議 長大 岡 育造 閣下に請願 仕候 和歌山県 下和歌山より海 草 郡 黒江町 日方町, 有田 郡 箕島町, 湯浅町, 日高 郡 御坊町, 西牟嬰 郡 田辺町, 日 置村, 周 参見村, 串本 町, 東牟要郡 古座町, 下里 村, 勝浦町, 那智村新宮町, 三重県南牟婁 郡 鵜殿村, 木本 町北牟婁 郡 尾笠町, 引本 町, 長島町を 経て宇治山田市に達する 紀勢縦貫鉄道敷設の必要なるこ とは貸院に於ても 既に 之を 認められ 第二十六, 二十七, 二十八の議会に於 て前後三次其の建設建議案を可決し第二十七議会に於ては 同鉄道敷 設請願 を採択せられ たるは地 方民 衆の感謝措 く 能は ざる所に有之加之のみならず 貨族院に於ても第二十七議会に於て詰願を採択せられ尚同年中府政よりも 測量班を 派せられ線路 其の他各種事項を調査せらるる時あり たれば 一 同 抹 喜相脱し 其の恵沢に 箔ふの 日 常に 近きにある べきを想 望期待 罷在候ひしに 荏再七歳今 日に及ぶも 杏然として 猶未だ御着手の 福音を 耳にする能はず於 是 冒憤を 顧みず重 ねて本 線御敷設の 愈緊急を告げ 一 日を 緩うすべから ざる - 139 -.

(10) 所以の事由を 叙陳し速に 御着手建設あら んことを請願 仕候 地 元における紀勢鉄道速 成の熱意は, 改めて 中央政界でも取りあげられると こ ろとなった 第40回帝国 議会で, 当 時政 友会の 実 力者であった 岡崎邦輔ほ か14名が 提出者となって, 紀勢鉄道敷設に関する建 議案が上呈のうえ, 特別委 員 会に 付託 さ れた特別委員 会の審 議は 順調にすすみ, 「政府は 早く建設計 画 を立て 予算措置をなし着工す べきである」 4) 旨の決 議を 行ない, 衆 議院は その 報告を満場 一致で可決した . これをうけて, 大正7 年4月 12 日和歌山における鉄道協議大会が県 下の有力 者 300余名の 参加のもとに, 和歌山県 会議事堂で 開 催 さ れた. 垣内太郎政 友会 和歌山支部幹事長が 開会の辞を 述 べ, 座 長に木本 主一郎県 会議長が選ばれ, 満 場 一致で, つぎの ごとき 宣言 ・ 決 議 ・ 請願書を可決している列 ...決議 和歌山市 より, 田辺新宮を経て宇治山田市に至る 間に鉄道を敷設するは刻 下の急務なるを 以て 之が速成を期す 右決議の 趣 旨を貫徹する為実 行委員 若干名を選定す �請願 書 内閣総理大 臣伯爵寺 内正 毅閣下に請願 仕候謹んで案ずるに紀勢の地帝国本 土の 中央南部に位し西は紀淡海 峡の 咽喉を 捉し 東は伊勢大廟の保障に当り 国防上重要の地を 占め広褻二百方里人口百五十万 気候温和土地 広くして農 産林産鉱産海産物等 ーとして無尽蔵ならざるはなし 然るに沿海は常に風浪 高くして 暗礁多く航海極めて危険なるため交通の 杜絶数 日 の 長きに 亘るこ と多く 陸又地 勢上道路の 全きを 得ざるを 以て人 文の 進歩産業の発達為に 阻 碍せられ天与の富源空しく地に 委して顧みられざるは独り地方民の不幸の みならず 真に 国 家の 一大損失なりと 謂ふべし 且つ夫れ紀伊の 国 土たる我 皇 祖発 祥の 霊地にして 熊野三社の 如き 古来天皇上 皇を 始め 奉り 皇族の 履々 参 拝せられし 幸にして歴史上著明の 霊域として尊崇す べき 神蹟極めて多く又 - 140-.

(11) 風光の 秀麗雄大なる特に 内外人の 嘆称措か ざる処今若し 幸にして紀勢鉄道 の敷設成らんか富源は 絃に 初 めて 開発 せられる 各 種の産業は 勃然として 興 り敬神探勝の 客踵を接して 至り 国 利民 福の 増進必ずや期 待し 得べし 夫れ 斯 く の 如 く 国防上より見るも産業上より案ずるも 将又人 文上より見るも 紀勢 鉄道の敷設は他の 凡百の鉄道敷設よりも急にして実に 一 日 も 緩うすべから ざるものなりと 確信仕り候槌に第二十六議会を始 め第二十七第二十八の 三 議会に於て更に本年 の第 四十議会に於て衆議院が本鉄道敷設建議案を可決 し 費族院 亦本請願は 採択す べきものと議決 せられ政府に 於ても 既に線 路の 測 砿及諸般の調査を終へ敷設の 必要を 認め有之候趣きに 承はり 及 び在 罷候 も 未だ御着手の 福音に 接すを 得 ざるに付き敢て尊厳を 冒潰 し 荻に 謹んで其 理 由を披握 し 重ねて諮願 仕候次第に 御座候希くは深 く 顧意のある所を 察し 一 日も 早く 御敷設あらんことを 奉願候恐愧謹言 郡・ 東 京在住者の中から, 和歌 引き続き, 木本 座 長は和歌山市および県下各 山7 . 海草10 · 那賀7 . 伊都6 . 有田6 . 日 高 9 . 西牟嬰8 . 東牟腿 9 . 東 京 2 の計64名の 実行委員を 指名し, あわ せて 三重県との連合運動交渉にも 遣憾な きことが確認されたまた 岡崎邦輔は, 「本 鉄道は二十二年頃より 計 画された るも当時は未だ其の時機に 非 ざりしを 以て 予等も反対し 来りしが 今や時分は本 鉄道の 開通を求ること 急なり 故に 此の 際 一 切政 党的観念を絶ちて県 下一致の 歩 調を 以て 之れが 実現に努 むるの要あり云々 」 と 述 べ, ついで児玉亮太郎ら各代 議士も熱烈な 演説を 行なった. さらに 紀勢鉄道の中 心地ともいう べき 田辺町で, 県下連合の鉄道大会を 5 月 中 旬 ごろに 開催することも決定 した. こうした運動を 背景に, 和歌山県議会も, 同年 11 月 の通常会で紀勢鉄道敷設 建議案を 可決して 内務大臣に 建議している .. その 内容は, つぎのとおりであ. る 6) . 建. 議. 紀勢 ノ地帝国本 土 ノ南端 二位 シ西 ハ紀淡 海峡ノ咽喉 ヲ 拒シ東 ハ伊勢大 廟ノ -141-.

(12) 障壁 ト ナ リ , 国 防上実二重要 ノ 位罹 ヲ 占 ム 而 カ モ其広 亥二百方里人 口 百五. 十万 ヲ 算 シ気候温和土地肥沃 ニ シ テ 海陸 ノ 産 物無尽蔵 タ リ , 然)レニ沿海ハ. 風浪荒 ク 暗 礁多 ク 航海極 メ テ危険 ニ シ テ 船舶 ノ 遭難覆没枚挙 二 退 ナ ク 交通. ノ 杜絶数 日 二 亘)レ コ ト 屈 ナ リ , 陸上又道路 ノ 開通完 カ ラ ズ , 運輸機関 ノ 設. 備 ヲ 欠 ク ヲ 以 テ 人 文 ノ 進歩産業 ノ 発達為 メ ニ 祖害セ ラ レ 天与 ノ 富源空 シ ク. 地 二委 シ テ 開 拓セ ラ レ ズ 是 レ独 リ 地方 ノ 不幸 ノ ミ ナ ラ ズ 国 家 ノ 大損失 タ リ. 卜 謂 フ ベ シ 且夫 レ紀伊 ノ 地 タ ル我皇祖発 祥 ノ 霊地 ニ シ テ 熊野三社 ノ 如 キ ハ. 古来天皇上 皇 ヲ 初 メ 奉 リ 皇族貴顕 ノ 参拝セ ラ レ シ 所 ニ シ テ 歴 史上著名 ノ 聖. 域及 ビ尊崇 ス ベ キ 神 跡極 メ テ 多 ク 又風光 ノ 秀麗雄大 ナ ル古今 内 外 ノ 歎宜措 カ ザ)レ所ナ ル モ 治 ク 世人 ヲ シ テ 其 霊地 古 跡 ヲ 訪探 シ 其絶景 ノ 地 二 遊‘貨 セ シ ム )レ ヲ 得ザ)レハ遺憾ナ リ 今若 シ紀勢鉄逍 ノ 敷設成 ラ ン カ 富 源 ハ 眩 二 開発セ. ラ レ テ各種 ノ 産業ハ勃然 ト シ テ興 リ 敬神探勝 ノ 客踵 ヲ 接 シ テ 到 リ 国利民福. ノ 増進必ズ ヤ 期待 シ得ベ シ 斯 ノ 如 ク 国 防上 ヨ リ 見)レ モ産業上 ヨ リ 見)レ モ 人. 文上 ヨ リ 見 )レ モ紀勢鉄道 ノ 敷設 ハ 他 ノ 凡百 ノ 鉄道 ヨ リ モ 緊切急要ニ シ テ 実 ニ ー 日 モ 緩 フ ス ベ カ ヲ ザル モ ノ ト 確信 シ 糊 二本会 ハ満場 一 致 ノ 決議 ヲ 以 テ. 去)レ 明 治四 十三年十二月 七 日 之 レ ガ速成 ヲ 建議 シ 爾来十年其実現 ヲ 待望 ス. ル コ ト 旱天 ノ 雲 覚 二 於 ケ ル ガ如 シ 奨 ク ハ 県 民 ノ 微意 ヲ 採納 セ ラ レ速 二紀勢. 鉄道 ヲ 敷設 セ ラ レ ン コ ト ヲ 切望 ノ 至 リ ニ 堪 ヘ ズ. 翠 二再本会 ノ 決議 ヲ 以 テ府県制第四十四 条 二 依 リ 建議致候也 大正七年十 一月. 内 務大臣. 床. 次. 日. 竹二郎. 殿. 和歌 山県会議長. 木. 本. 主一郎. 紀勢鉄道敷設 の県会建議 は , 明 治43年 (1910) 以来 3 度 目 で あ っ たが, 提 出. 者の 1 人 と し て , 木本主一郎 は ,. 「 昨年度来更二 此鉄道速成 二 関 ス )レ建識案ハ. 衆議院 二 現 レ テ 政党政派 ノ 別 ナ ク 満場一致 ノ 決議 ヲ 見 タ ノ デ ア リ マ ス , 而 シ テ. 貴族院 に 於 テ モ 更 二両県有志 ョ リ 請願 セ ラ レ タ ル所 ノ 此同 一 ノ 趣 旨 ノ 請願嘗ハ. -1 42 -.

(13) 是 亦採択スベキモノトシテ決セラレタノデアリマ ス斯ノ如ク中 央政界二波動ヲ 及 ボシマシタガ為メニ, 当 局卜致シマ シテモ大二考慮ヲ払ハレタ結果デアリマ セウ, 本年ノ初夏ノ交二於テ鉄道院総裁ハ親シク実地ヲ踏査セラレタノデアリ マ ス, 而カモ三分ノニ以上ノ沿線ヲ完全二実視セラレタノデアリ マ ス, 而シテ 鉄道院総裁ガ東京二帰ラレマ シテ此紀勢鉄道ノ沿線ヲ視察ヲ致シマシタ感想ヲ 或ル人二話 サレタノデアリマ ス, 其感想ナルモノヲ承リマ ス)レニ, 紀勢鉄道ノ 沿線ハ実二人口 桐密ニシテ林産鉱産多ク而モ霊地旧 跡多クシテ所謂熊野全体ハ 自然ノ大公園トモ云 フ ヘキ風致ニモ富ンデ居)レノデア)レ, 而モ其工程ノ如キハ 吾人ガ想像シタヨリハ容易デア ッ テ僅二四十分ノーノ勾配ヲ有ス)レ難所ハ一箇 所シカナイノデア)レ, 自分ハ此鉄道ノ実地視察二当 ツテ常二机ノ上デ見テ居ツ タノヨリハ予想外ノ感 ジ ヲシタノデア)レト云 フ コトヲ或)レ人二洩サレタノデア リ マ ス, 而シテ又其当時私共ハ東京二参リマシテ鉄道院二参ツテ総裁二御目 ニ 掛ツタノデアリマ ス, 其場合二総裁ガ親シク吾々共二申 サレ)レノニモ略々 ソ レ ト同様ノ意見デアリマシテ紀勢鉄道ハ敷設ノ必要卜云 フ コ トガ問題デナイ, 唯 其岩手ノ時期如何ガ問 題デアルト言ハレタノデアリ マ ス, ……(中略)•• • • • • 私 ハ 更二我和歌山県民卜致シマシテ当局二対シテ此鉄道ノ敷設ヲ最モ痛切二 肉 薄シ 得)レ所ノ権利ヲ有ス)レモノト主張スベキ事実ガア)レノデアリマス, ソ レハ現在 ニ於ケル鉄道図二依リマシテ鉄道敷設ノ分布ヲ見マ ス)レニ本県ノ如ク哀レ悲惨 ナルモノハ図面ノ中二他ニナイノデアリマ ス, 唯僅二御承知ノ通リ紀南ノ平原 ヲ縦貫ス)レ所ノ旧 紀和線ノ関西線ガアリマ スガ, 是レハ伊那両郡ノ先骰有志有 力者ガ殆 ド 私財ヲ捨テ ヽ, 私設鉄道トシテ計画 ジ タ鉄逆デアリ マ ス, 中 頃二至 ッ テ国家ハ之ヲ買 収 ジ タノデアリマ ス, 此意味カラ 申 シ マ スレバ 国 家ノ鉄道ト 致シ マシテ本県ハ国家ノカニ依リ国 家ノ財政二依テー 鎖ノ鉄道線路ヲモ敷設セ ラレテハ居ラヌノデアリマ ス, 一尺ノ鉄道二対スル光栄ヲモ有 ッ テ居ラヌノデ アリマ ス, 而シテ勿論国民トシテノ義務ハ敢テ他府県ノ人民卜異)レ所ナク尽シ テ居)レノデアリマ ス, 国民トシテノ義務ハ最 モ完全二尽シ得テ而シテ此交通政 - 143 -.

(14) 策二於テ ー線 ノ 鉄道 ヲ モ政府 ノ 恩沢二浴 シナイ ト 云 フ コ ト ハ 甚ダ不公 平 ノ 結果 デ ア ル ト 私ハ 認 メ テ居)レ ノ デ ア リ マ ス 此理 由 二依リ マ ジ テ モ 私ハ 確 カ ニ政府当 局二対 シテ 此紀勢 縦貫鉄道 ノ 速成 ヲ 肉 薄 ス ル主張ハ十分 デ ア ラ ウ ト 信ズ ル ノ デ ア リ マ ス 」 ”と , その 必要性を論じている . さらに 同年 12月には , 和歌山・三璽両県鉄道 協議会が両県選出の 代談士・ 知 事・県会議員 以下有志 0 1 0数十名出席のもとに 開催され , 「和歌山市より 箕島湯 浅御坊田辺新宮 木本尾笠長 島 を経て 度会 多気の 二 郡 に入り参 宮線 に 接続する鉄 道 を敷設するは刻下焦屈の 急務なる を以て , 本年の帝国議会 に於て是が解決 を 切望し極力 其実行を期す」 8) と決議し , 気勢 をあ げた . こうした経緯をへて , 鉄道会議で紀勢鉄逆建設案が可決されたのち, 第41回 帝国議会で政府提出の鉄迎敷設法中改正法 律案が両院 (衆議院大 正 8 年2 月 , 貴族院 同年3月) を通過し , 待 望久しかった 紀勢線の 敷設は , 大 正 8 年度か ら , 向う10 カ 年計 画をもって着工される 運びとなったのである四 紀勢鉄道通過の報に 接した地元和歌山では , 在京の 諸先輩へ 謝電する 一方 , 奉告祭や祝賀会 を 開いて薔びを表 明している . た だ朗報の中にも , 「. . … •鉄道 が中 絶に 帰せしめられる様な 頓 挫は絶体にあるまいが拾 ケ年の 間には多少の 支 障あるべき を予期せ ぬ ばなら ぬ , 県民は決して 緊張の 気分を失 って はなら ぬと 同時に我が 郡 の 如きはこれと関 連して県下最劣等悪道路を改善して 交通機関の 活動能力 を十分にして余裕綽 々 と 此の鉄迎の 実現を 待ち受 け ね ばなるまい ,. 一. 輌の 自動車をすら通はせ 得ざる 狭く 粗悪な迎路 , 牛車, 人 車の通行にさへ 故障 多き町村相互間の道路を以て鉄道の海岸貫通に 臨まんとするは乳呑子が 鋭餅 を (栄). 噛らんとするか , 営捉不良の 虚弱者が 俄かに 磁養物 を 貪食せんとするに 似て 居 る , 完全な消化は必ず其処にない 筈である , 鉄道案の通過は県民 郡 民に 尚一層 の 責任を 負はし来る , チ ヨ ロ 臭い態度では 脚も腰も立た ぬとの 覚悟が 必要であ る 」 10) という 論調がみられたことも付 記しておきたい . ところで紀努鉄道の政 府予算は , 当 初 8 年度10万 円 , - 144-. 9 年度50万 円 , 10年度.

(15) 70万 円 , 11年 度200万 円 , 12年度250万 円 , 13年度480万 円 , 14年 度700万 円 , 15 年度700万 円 , され. 11). '. 16年度739 万 円 , 17年度800万 円 , 18年度788万 円 ,. 計4 ,787 万 円 と. 同年 5 月 以来鉄道院技師が 出 張 し て来て実測 を 開始 し た . 県民の 関 心. の 的 で あ る 該鉄道の起点は, 「和歌 山 に お い て は 現官鉄関西線和歌 山 駅 と 確定 し , 之 を 一層拡張 し て和歌山市駅を も 弦 に 移転 し , 洋風の 一大 ス テ ー シ ョ ン を 建設す る 」 1. 2). こ と が 期待 さ れ た よ う で あ る .. こ れ は南海鉄道 の 国有化問題を 背. 景 と し た議論で あ り , あ わ せて 大和歌 山市構想を実現せん と す る も の で あ っ た . な お紀勢鉄道 の起工 は , 和 歌 山 , 田 辺 , 新 宮 あ る い は三重県側 な ど, い ず れ も わ が方か ら と 切望 す る と こ ろ が あ り , ま た 線路の競争 も か ら み あ っ て , 早 く も 土地 の 買 収 に 奔走す る も の も あ ら わ れ た と い う 『和歌山市史」 第 8 巻近現代史料 JI C 昭和 54年). 1). .. 217 頁.. (和歌山新報, 大正 7 年 1. 月 9 日 付) .. 2) 3). 4) 5). 牟婁新報, 大正 7 年 1 月 16 日 付. 同上, 大正 7 年 2 月 14 日 付.. 「和歌山県政史」 第 2 巻 ( 昭和 46年). 478頁.. 牟婁新報, 大正 7 年 4 月 14 日 付 . 宣言は 請願杏の 内容 と ほぼ同意味.. 以下, こ の辺. の記述は同紙に よ る . 6). 『大正 7 年通常和歌山県会議事速記録」 ( 第 4 号) 7 頁.. 7). 同上, 8-10頁.. 8). 牟婁新報, 大正 7 年 12月 11 日 付.. 9). 紀勢線敷設が決定 し た こ と に よ り , 当 時和歌山水力電気経営の市内電車は, そ の拡 張策 と し て免許を え て い た紀南軽便鉄道線の免許状の返納を 申 し 出 る と こ ろ と な っ た こ と を 付記 し て お く . 車に つい て. こ の点に ついて は, 拙稿 「都市交通史の研究ー和歌山の市内電. 」 (『阪南論集』 社会科学編, 第 16巻第 3 号) を予定 し て い る .. 一. そ の他紀勢線の開通は, 県下の既設私鉄に少 な か ら ぬ影樫を与え た が, そ れ ら の全般 的検討は他 日 を期 す こ と に し た い . 10) 11). 12). 牟婁新報, 大正 8 年 3 月 1 1 日 付. 同上, 大正 8 年 4 月 25 日 付 . 前掲 『和歌 山市史」. 223頁.. (紀伊毎 日 新聞, 大正 8 年11月 25 日 付) .. - 1 45-.

(16) 直. 1.. 紀勢西線 • 紀勢 中 線 の 開通過程. 紀勢西線 の 開 通 と 御 坊臨港鉄道 の 設立. 現在の紀勢本線は, 関 西 本線の 亀山を起点とし, 紀伊半島を 一周して和歌山 にいたる381 .9 キ ロ メ. ー. ト ルの 線路であるが, この鉄道建設は 実に 長い 道 程を. 要したのである. し かも 本線は, 紀勢東 線・紀勢 西 線 ・ 紀勢中線 ごとの部分 開 通という 形をとらざるをえなかった. 紀勢西線は大 正 8 年 (1919 ) 3月, 紀勢東線は 同年4月 それ ぞれ敦賀建設事 務 所により 測量に着手, 同年11月岐阜建設事務所の 開設ととも に, 同事務 所の 所 管とされ, 大正 9 年 12月17 日 東線第 1 工区の 相 可 ロ ・ 栃原 間を着工し, ここ に 紀勢 線建設の 第 一歩が 踏み 出された.. 以下, まず紀勢西線の建設 過程から. みていこう . この 区間は, 阪和線の終点和歌山から, 紀伊由良 • 田辺 • 白浜をへて串 本 に いたる延長1 59 .1キ ロ メ. ー. トルの 線路である. 大正10年1月 に第 2 エ区の紀三. 井寺 • 加茂郷間の 工事に着手して 以来, 工事竣工に 伴って順次部分 開業した. 第 2 エ区の工事請負人は東京の前田栄次郎で, この請負 金額117万8 ,000 円, エ 事期間は30 カ月とされた第 1 工 区の和歌山市 ・ 内海村間は, 「 市駅 決定 次第 入札」のうえ工事に着手する 予定とされたのである立 一方, 和歌山県 内までは鉄道速成県 民大会が 引き続き開催されている. 大 正 10年10月和歌 山市で 開かれた 同大会では, つぎのような 「 陳情書」を, 鉄道大 臣に提出することを決議した り 陳. 情. 書. 和歌 山県 民は大会の決 談を 以て 謹みて鉄道大臣元田 肇閣下に 陳情仕り候槌 に鉄逍敷設法の改正を 企 □帝国議会の可決する処となるや荻 に 初めて紀勢 の 一線は新に 追加せられ ぬ, 当 時七十万県民は 宿望貫徹し 勧天喜地 聖恩の - 146-.

(17) 宏大なるに 感 侃し 以て 之れを 迎へたり 越えて本年一月起工に着手せられ 鶴 階椎槃の 言を 耳にするに 至り柴年 ならず文明の 恵沢に 浴するを得んと望蜀 應まず 然るに最近着手作業の状 態を案ずるに所定の計 画を 変更せしか 進行 遅々として 振はず 墜道の如きエ未だ半 に達せず 且工夫の如き僅に 九十名 内 外に減 じたるを目撃するに 至り尚聞くが如くん ば起点たる 昭和山 市及附近 の調査未だ完了を 告げず 随 っ て第二次工事着手の運びも 明 瞭ならずを吾等 県民は 過ぎにし耀に 換へ今又此情勢を 耳にし 棋手為所を 知らず 憂慮新に 深 し今後万 一此儘荏再せんか県民 危惧の 念に 駆られ 不安を 嵩め延いて動もす れ ば施設の上に 悪声を 聞くなきを 保せず 閣下は 既往に於ても現在に於ても 本県民を 撫せらる > の心県民の 渇仰を 諒せらる ヽ 意将亦交通政策上敷設の 必要なる所以は今も 尚守持せらる ヽ ものと 恐察す, 果して 然らば部下に 令 して 既定計 画を遂行することに 配慮を 煩はした < 就中第一期 区間の起工必 ず本年度中に着手するの命を下し 実 行せらる 叶 策御取計らひ下され 度絃に 県民の所思を 披猥して事情を具 申 仕り候 こうした鉄道速成運動は, くり返し続けられたのであるが, 紀勢西線 全26 エ 区の請負業者 ・ 請負金額・ 竣工時期などは, 第 1 表のとおりである . 第1表 紀 勢 西 線 の 工 事 工. I. 区. 請 負 業 者. 和 歌 第 1 エ 区 紀 山 三井寺 三井寺 第 2 エ 区 紀 加 茂 郷 加 茂 郷 第 3 エ 区 島 箕. 健次郎 西 営) 部 直 (一 本. 第 4 エ 区. 原. 塁. 箕. 藤 第 5 エ 区 藤 広 並 第 6. エ 区. 由. 第 7 工 区 畠. 広. 良. 翡. I. 請負金額 千円 25. I. 工. 事. 期. 間. 大11 . 8�大12 . 6. 1 , 178. 10 . 1� 1 2 . 8. 健次郎. 458. 1 1 . 4� 1 3 . 2. 庄右衛門. 218. 13 . 7� 1 5 . 2. 松 浦 伊 平. 104. 14 . 10� 1 5 . 10. 1 , 169. 14. 2�昭 3 . 6. 前 田 栄次郎 西 本. 西 本. 健次郎. 969. 同 - 147-. 1 5 . 4-. 3 . 10.

(18) 第 8 エ 区. 誓 篇. 御 稲. 第 9 エ 区 稲 印 第 10 工 区 印. 南. 代. 岩. 第 11 エ 区 第 12 エ 区 第 13 エ 区 第 14 エ 区 第 15 エ 区 第 16 エ 区 第 17 工 区. 旦. 岩 南. 部 辺 田 田 辺 西 富 田 西 富 田 朝 来帰 朝 来帰 田 野 井 田 野 井 南. 日. 日. 松 第 18 エ 区 松 周 第 19 エ 区 周 口. 置. ノ. 置. 本. 西 本 健次郎. 849. 同. 215. 3. 8-. 5. 3. 同. 632. 4 . 2-. 6. 5. 同. 333. 4. 6�. 6. 3. 同. 2 48. 5. 10�. 7. 8. 同. 219. 7. 3-. 8 . 11. 同. 399. 18 . 1-. 9.11. 同. 403. 8 . 11- 1 1 . 2. 同. 162. 9 . 4� 1 1 . 2. 東 海 工 業. 353. 9. 2� 1 1 . 3. 昭 2 . 11-昭 4 . 10. ノ 本 参 見. 鴻. 池. 組. 93. 10. 2- 1 1 . 8. 参 見 和 深. 下. 田. 組. 194. 10. 8- 1 2 . 1 1. 第 20 工 区. 口 和 深 和 深 川. 鴻. 池. 組. 197. 10 . 8- 12. 9. 第 21 エ 区. 和 深 川 見 老 津. 西 本 健次郎. 489. 10. 8- 12. 9. 第 22 エ 区 見 江. 老 津. 住. 東 海 工 業. 530. 10 . 12� 13. 1. 第 23 エ 区 品. 畠. 西. 組. 538. 12. 1� 14 . 3. 郎. 338. 12. 3- 14. 2. 池. 組. 388. 1 2 . 1� 14. 3. 野. 組. 372. 12. 4� 1 5 . 5. 第 24 エ 区. 和. 田 田 第 25 エ 区. 有. 第 26 エ 区 有 串. 塁 子. 田 田 本. 本. 藤 田 鴻. 一. 星 (一 部 直 営). 注)日 本鉄道建設業協会 「 日 本鉄道請負業史J 大正 ・ 昭和 (前期 ) 篇, 367-368 頁. 全26 エ 区のうち, 昭和20年(19 4 5)に三井建設に合併された西本組は, 西本 健次郎 ぁるいは西本組の名儀で, 1 5エ区, 請負総額の645lるにあたる710万8 ,000 円 の工事を施工している叫. 工事の進捗に伴って, 順次部分開業してい く ので. あるが, 紀勢西線の最初の営業開始は, 大正13年 2月28日の和歌山 ・ 箕島間で -148 -.

(19) あった刈. 紀勢鉄道 開通の当 日 , 和歌 山 市の祝賀会が市公会 堂にお いて, 鉄道. 大臣代理の ほか約500余名の 参 加のもとに 盛大に行なわれた . 発起人を代表し て, 垂井清右衛門和歌 山商業会議所会頭は, つぎのような 挨 拶をして いる列 垂 井 会 頭 挨 拶 本 日 は, 県民の多年 熱望致し ました紀南の 宝庫を開発 いたし まする紀勢 鉄道の 最初の 開通の 日 であり ます. 実に本県として最も疫質す べきことで あり ま す. 諸君よ, 回顧致 し ますれば, 明治 四十二年二十五帝国議会にお いて本県 代議 士 千田軍之助君紀勢 縦貫鉄道 架設の 議 を 唱 え, 以来十有余 (者). 年, この 間県地の有志社は狂奔努力紀勢鉄道期成 同盟会なるもの を組織い たし ま して, 各地の有志が 東 奔西走して 苦心して運動 いたし ま した . 我が 商業会議所におき ましても屈々政府 当 局に建議 いたし ま して, 我等上 京す ること数回, 幸 に 旧藩主徳川 侯爵閣下の有力なる賛 同あり, 又我県の先 輩 岡崎邦輔氏は 畢生の事業として 尽力せられたるは, 県民の 忘る可からざる ものであり ま す . 終に県民の 声は時の 原内閣を動かし ま して, 大正七年十 一月 初めて政府案としてこの紀勢鉄道は三十八議会 に顕れ ました. 今 日こ れ を回想致し ますれば, 男眺として その当時が 転た 胸間に往来 いたし ます . : 今 日紀勢鉄道 開通の 祝賀会に 臨み, 諸君と 共 に 列 席することは誠に 欣快に 存じ ます. 本 席へは鉄道 省よりも多数 御来臨 を 辱なくし, 県 及び 郡 市の 有 力なる諸君の 御奮臨下され, 発起 人 一 同光栄と 存じ ます. 発起人に於き ま しても万事準備不行き 届きの 段は 御宥恕下され, 諸君御愉快に本 日 の 祝 杯 を挙げられんこと を 希 ひ ま す . その後, 翌14年 12 月 11 日 に 箕島 • 紀伊宮 原 間, 15年8 月 8 日に紀伊宮原 • 藤 並間叫. 昭和 2 年8 月14 日 に藤並 • 紀伊湯浅(現湯浅) 間, 3 年10月 2 8 日 に紀. 伊湯浅 • 紀伊 由良間, 4 年4 月 2 1 日 に紀伊 由 良 ・ 御坊間,. 5 年12 月14 日 に 御坊. 11月 8 日 に南部 • 紀伊田 辺 間, • 印南間, 6 年9 月 2 1 日 に 印南• 南部間, 7 年 12 月 2 0 日 に紀伊田 辺 • 紀伊富田 間, 10年3 月 2 9 日 に紀伊富田 •紀伊椿_(現 8年 - 149 -.

(20) 椿) 間, 11年 10月30 日に紀伊椿 ・ 周参見 間, 13年9月7 日に周参見 •江住間が 順次開通した さらに南へは, 和深付近の難 工事と 西牟婁 郡 田 並村 (現串本 町) 山林の 土地収用問題が 重さなっ て, 予定より工事は 遅れ たが, 昭和1 5年8 月 8 日 に江住・串本 間が 開通し た . 本線の 大部分は, 海岸線に沿っ て 走っ ているが, 紀伊湯浅• 紀伊 由 良・ 御坊 間と紀伊富田 ・ 周参見 ・ 見老津間は海岸を 離れ てい た ために, 勾配区間となり, 多くの 隧道を 掘さくし た. 主要なものは, 第6 区 に 含まれる紀伊湯浅 • 紀伊由 良 間の 由 良隧道 およ び第7 工 区 に 含まれる紀伊由良• 紀伊内原間の 小坊師隧道 工事で, こ れらは当時着工し てい た 紀努東線の 荷坂隧道とならんで紀勢線の 3 大隧道 工事といわれ た . つ ぎに鉄道 開通に 伴う, 若干の動 向をみ て おき たい . 紀勢 西線の 一 部営業が 開始され た 昭 和 2 年 (1927) 12月, 和歌山県議会は, 輸送力改善の ため, 以下 のような 意見書を 内務 大臣に 提出し ている ” • 鉄道運輸施設改善急施 二関 ス )レ意見書 県 下 二 於 ケ ル主要ナル迎輸交通機関 ヲ見 )レ ニ, 省線 二在 リ テ ハ 和歌山王寺 間並 二紀勢西線 ノ ニ線, 私設線 ト シテハ 南海鉄道 及京阪 電鉄 ノ ニ線 ノ ミ , 然 シテ 之 レ ガ運 輸交通 ノ 能カ ニ ツ キ 考 査 ス ル ニ, 私設線 ニ ア リ テ ハ 其設 備 運送能カ 二於テ現在 ノ 処著 シキ 欠点 ア ル ヲ 認 メ ザ)レモ, 独 リ 官線 二 至 リ テ ハ, 運 輸経済 卜 交通能カ ノ 点 二於テ迫憾ナル モ ノ 頗)レ 多 キ ヲ知 )レ, サ レバ 関 係沿線 団体 二於 テ数次具体的 資料 ヲ供 シ当局 二 怒 フ ル事甚ダ切ナル モ ノ ア リ , 本県会 マ タ新卵産業 ノ 趨勢, 交通文化 ノ 必然的要求 ト シテ 洵 二 然 カ ア )レベ キ ヲ信 ジ テ憩マザル モ ノ ナリ , 試 ミ ニ 誰 レ カ 一度本線 二足ヲ印 セ ン カ, 其 ノ 要求 ノ 痛切ナル其 ノ 欠 陥 ノ 顕著ナル ニ 驚 カザ)レ モ ノ ナシ, 今 ヤ政 府 ハ産業立国 ノ 本 諦二則 リ 交通機関 ノ 改善 卜 充実 二努カ セ ラ )レ ヽ 際特二本 線 ノ 実状 二顧 ミ ラ レ施客専用 列車及混合列車ノ 増発 ヲ計画セ ラ レ, 沿線物 資 ノ 輸送二支障ナカ ラ シメ , 旅客 ノ 迎 輸 ト 一般通勤者 ノ 不利 ヲ緩和 シ以テ - 1 50-.

(21) 輸送機能本来 ノ 使命 ヲ 全 フ セ ラ レ ン 事 ヲ 切望 ス )レ所以ナ リ. 右府県制第四十四 条 二 依 リ 意見書及提 出 候也 昭和二年十二月 十五 日. 内 務大臣. 鈴. 木. 喜三郎. 殿. 和歌 山県会議長. 木. 本. 主一郎. い わ ゆ る 列車増発 の建議で あ る が, 提 出 者 の 1 人成川 善太郎 は , 主 と し て紀. 勢 線 の 速成に 関連 し て,. 「実ハ私共 ノ 直接 二 関係 ノ ア )レ ノ ハ 紀勢線デ ア リ マ シ. テ , 紀勢線ハ永年沿岸地方 ノ 希望 シ タ 線路デ先輩諸君 ノ 御努カ ニ依 リ マ シ テ ,. 大正十三年 ノ ニ月 二 箕 島 マ デ開通サ レ タ ノ デ ア リ マ ス , 其 当 時 ハ 僅 カ ニ七回 シ 力 往復 シ ナ カ ッ タ ノ デ ア リ マ ス ガ , 其沿岸地方民ハ 大 二 喜 プ ト 同時 二 ,. 一. 方回. 数 ノ 極 メ テ 少ナ イ ノ ヲ 卿 チ マ シ テ , 十四年二 関係町村ハ鉄道 当 局 ノ 方へ回数 ノ. 増加 卜 客専用 ノ 列車 ヲ 多 ク シ テ 貰 ヒ タ イ ト 云 フ 陳情書 ヲ 出 シ タ ノ デ ア リ マ ス 幸 ヒ ニ 当 局 ハ 吾 々 ノ 意思 ヲ 容 レ テ 湯浅マ デ開通ス )レ ト 同時 二 回数 モ 九回 ニ ナ ツ タ. ノ デ ア リ マ ス , 所 ガ此紀勢線 ノ 貨物及旅客 ノ 数ハ全国 ノ 市町村 中 二 於 テ 非 常 ニ. 多 ク ナ ツ テ 居 リ マ ス カ ラ , 其数字二 依 ツ テ モ , 如 何 二 此鉄道 ヲ 地方 ノ 人が利用 ス ル カ ト 云 フ コ ト ガ分)レ ノ デ ア リ マ シ テ , 吾 々 モ 此紀勢線 ノ ー 日 モ 早 ク 速成 ヲ. ス )レ, 即 チ 伊勢 卜 握手 ヲ ス )レ コ ト ヲ 希望 ス )レ ノ デ ア リ マ ス ガ, 差 当 リ ノ 問題 卜. シ テ 回数 ヲ 今少 シ殖 シ テ 貰 ヒ タ イ , 而 シ テ地方民ガ更 二 此上 ノ 利益 ヲ 受ケ ル コ. ト ニ努 メ テ 戴キ タ イ , 斯 ウ 云 フ 意 味 二 於 テ 紀勢線及 旧 関西線 卜 共 二列車 ノ 増発. ヲ 其筋 二 意見 ヲ 提 出 ス )レ次第 デ ア リ マ ス , 卜 思 ヒ マ ス 」 8) と 述べ て い る .. ド ウ カ 満場 一致 ノ 御賛成 ヲ 願 ヒ タ イ. ま た 昭 和 4 年 (1929) 4 月 21 日 に紀勢西 線 は , さ ら に 南に 延 び て 御坊 ま で達. し た の で あ る が, こ れ に は政治が 一枚 か ん で , 日 本 一営業キ ロ 数 の 小 さ な 御 坊. 臨 港鉄道が創設 さ れ る 運 び と な る . 以下, こ の 問題 を 瞥見 し て い く が , 当 時 の. 新 聞 は , 「 『 あ す に も 汽車 の 汽笛が 聞 か れ る 』 と 瞼 さ れて か ら で も 二十年 に 近 い. 春秋が空 し く 流 れ た , 幾つ か の 尊 き 犠牲の結晶 も あ れば, 幾つかの 塾 き 私欲の - 1 51 -.

(22) 塊り もあったろう」9) と 述べるとと もに, 例の 御坊駅争奪戦について, こう 記 している 10> _ 内原駅をさらに 三キ ロ あまり, そこが問題の 御坊駅である, い づこの 土地 を問はず鉄道の敷設が その地方の 白熱的歓迎を 受くる 以上, 党勢の 拡張に 汲々たる政 党の目が先づ鉄道に 光るのはむしろ当然で, 御坊駅はいは ゞさ うした政 党的動乱の中から生れでた 騎形児だと もいへ よ う, な ぜかなら名 前は 御坊駅に もか 叶まらず事実は 御坊町とは何の ゆかり もない湯川村小松 原に 置かれたからである, 御坊の名を 冠するなら もっと 御坊町と 血のつな がりのある 場所 もあったらうし,. それ ほど御坊の 町をさけた いのだった. ら, もっと 徹底的に湯川 駅と 呼べ ば よかったのであらう, 技術的に事実上 の 御坊駅が不可能なら, 内原駅は より 以上に 不可能事だと死んだ児の齢を 数へて ゐる 連中 もある.. ゜. 御坊町にして見れば 日高中学の 附近か, 少なくと も 熊野街道にで も 沿つて ゐれ ばと思つて ゐたのに, 出 来上つた 御坊駅は町から十四, 五町 も 隔つて ゐるし, 県 道 筋から も 随分山の手に入りこんで, 所在地たる湯川村にして も現在の村からいへ ば決して百パー セ ン ト便利の場所で もない, まさかい かに有力な政 党の 力が動いて も, 日高 郡 の首都御坊を索通りする 気遺ひは あるまいと, たかを< ':,. つて ゐたところ, こんなことになるのだったら も つと 金をつかつて ゞ も 大々的に 運動するはずだつたにと, 今さら ヽ しい 愚 痴 もこ ぼれて ゐれ ば, 同 じ 出 来ないのなら, 今までつかつた数万の連動 金 が 惜いと悔んで も ゐる . と もかく御坊駅は小松原に 開設されたのであるが, 同紙は, 続いて 「か ねを まか ぬに 鐘巻道成寺, 松を植 ゑ ぬに小笠原」 の 俗謡は, かくて 「 松を 植( ゑ) ぬに 小笠原, 御坊にないのに 御坊駅」 と 早変りし そうな 気配と 皮 肉っている . さらに, 「 一 昨年鉄道 省が 買ひ上げた 駅の 用地は 一坪 一金三円, 開通を 目 前に. - 152 -.

(23) 控へた 家一軒ない 同駅附駅の地 価は, 場所と地 主の 違ひこ そあれ 一 金百 円 也と いふ途方もない大風 呂敷をひろげて ゐるところもある」 という. こうした 趨勢の中で.. 昭和 2 年11月 田 淵栄次郎らは, 資本金2 5万 円で, 「 紀. 勢西線御坊停車場 ョ リ和歌山県 日高 郡 湯川村及御坊町 内 ヲ貫通 シ 同 町大 字名 屋 御坊港 二達 ス )レ此延長弐 哩弐分」 11) の 御坊臨港鉄道の敷設を計 画した. 同社設 立の 意 図は. つ ぎに掲げる 申請書に 詳しく 述 べられたとおりである 12) , 第. 号. 御坊臨港鉄道敷設免許 申請書 多年翅望シ テ 歌 マ ザ リ シ紀勢西線ハ益々南進 シ テ目下御坊町附近施行中 二 御座候, 然)レ ニ確定 セ )レ御坊停車場ハ御坊町中 心 ヨ リ離)レ)レ コ ト 北東 弐 哩 余 田 圃ノ 裡 二設 置セ ラ レ タ ル ニ ヨ リ 開通ノ 暁同町 ト ノ 連絡頗)レ不便 二有之 候 元来御坊町 ノ 今 日 ア )レハ同町ノ位置ハ農産物豊焼ナル 日 高川 流域 ノ 沃野 弐 千町歩ノ要地 二在 リ, 熊野 灘 ノ 水産物 ヲ衆 ト シ テ南紀沿岸中 百貨 衆散最モ 頻繁ナル御坊港ヲ控工 且優良豊富ナル所謂木 之国 ノ林産物 ヲ有シ 流域八十 余哩二及 ブ 日高川 ア リ テ 之二舟揖ノ 便 ヲ寄 ス )レ 日高川 ロ ヲ拒シ テ物貨衆散 商 工業ノ中 心 タ ル地位ヲ占 ム)レ ガ 為 二 御座候 現二 町村合併ノ議 二上 リ ア ル接続村 ヲ合 シ テ人口 弐萬八千余, 裁判所. 笥 察署, 税務 署, 中学 校. 女学 校, 紡織工場三ケ所, 製材工場八 ケ所, 製紙工 場, 製糸工場 火力発 電所, 水力発 電所, 木 材検 査所, 米穀検 査所,郡内各 種産業団体事務所等 ア リ, 加 フ ル ニ 沿海漁業豊富 ニ シ テ発 動機船漁業 . 地 曳大網漁等盛ナリ, 之二対 シ テ 金融機関 ト シ テハ三個 ノ 銀行ヲ備へ行政 , 教育, 産業 二関 ス )レ機関 ヲ具備 シ南紀ノ首都 ト シ テ 尚将来特二工業地 ト シ テ活躍 セ ン ト ス )レ町民 ノ 意気旺盛ナル コ ト 紀勢地方 稀二見 )レ処二御座候然 ル ニ御坊停車場ハ逝 二 同 町 二 距リ 道 程如 斯遠ザ カ リ テハ物資ノ 輸送 二旅客 ノ 交通二不便一方ナラ ズ, ヒ ヰ テハ御坊町 ノ 繁栄 ヲ 阻害 ス )レノ ミ ナラ ズ 郡 - 153 -.

(24) 内農林産物ノ主要ナル米穀, 木材, 木炭ヲ始メ綿糸 , 紙類等ノ大量貨物及 迅速輸送ヲ要スル水産物工業ノ諸原料製品等ノ輸送二至Jレ迄水陸連絡ノ途 ヲ欠キ将二発展セントスル商工業ノ計画ハー大頓挫ヲ視Jレコト火ヲ賭Jレヨ リ瞭二御座候 翠二我々非常ナル大決心ノ下二該線路ヲ敷設シテ海陸ノ連結ヲ計リ交通機 関ノ使命ヲ果シ地方産業発達二資セントスル微意二外ナラズ候間, 事情御 賢察ノ上特別ノ御詮議ヲ以テ本鉄道敷設ノ儀御認 可被成下度関係図書相添 ヘ此段 申 請仕候也 昭 和弐年拾弐月十二 日 御坊臨港鉄道株式会社 創立発起人惣代 和歌山県 日高郡御坊町大字薗七百四十四番地 田. 淵. 栄 次 郎. 大阪市天王寺 区松ケ鼻町三四番地 大. 川. 英 太 郎. 和歌山県日高郡御坊町大字御坊三八番地 津. 村. 英三 郎. 同県同郡同町大字薗六九 一番地 蘭. 喜 太 夫. 同県同郡同町大字御坊百四番地 小. 竹. 岩. 楠. 同県同郡同 町大字御坊八十五番地 野. 村. 又 兵 衛. 同県同郡同町大字同七十 九番地 川 同県同郡同町大字九十. - 154 -. 瀬. 一. 番地. 九. 助.

(25) 上 鉄道大臣. 小. 川. 平. 吉. 田. 金 兵 衛. 殿. 要するに, 御坊臨港鉄道は, 昭 和 4 年 4月に待望の紀勢西線が御坊まで開通 するものの, 御坊町に停車場が実現しなか ったことを背景に計画 さ れたのであ る. この点は, ここから非政友無所属で, 「孤塁を守 った代議士」 田 淵豊吉13) が 出 ていたことに関係があ ろう. 御坊臨港鉄道社長の栄次郎は, 彼の次兄にあ た る なお和歌山県知事の副 申 書によれば, 「 申 請書ハ 地方屈指ノ富豪ニシテ 上田ノ五百万円 園 • 田淵 • 野村ノ各ー 百万円其ノ他合計一千 万円 近クノ資産ヲ 有スル実業家ニシテ各種会社ノ重役タリ一面田淵外五名ハ御坊町会議員又ハ所 得税調査委員トシテ公識二在)レ者又ハ在リシ者ニシテ何レモ信用 厚シ」14) とあ る. 発起人の引 受株数は, 田淵栄次郎 ・ 大川 英太郎が 各 500株, 小竹岩楠 · 上 田金兵衛が各300株, 津村英三郎. ・. 薗喜太夫 • 野村又兵衛 · 川瀬九助が各200株. であ った. 田 淵はまた合名会社田淵商店としても300株を引き受けている15) • 同社の営業収支は, 収入 1 カ年 5 万4 , 075円 (旅客運賃 3 万4 ,200円, 貨物運 賃 1 万9 ,275円, 雑収入600円) , 支 出 1 カ年 2 万1 , 9 82円(客車連転費4 ,625円 , 貨車運転費 66 0 円 , 車両修理費 1 , 500 円 , 運輸事務所費6 ,800 円 , 保線費5 ,89 7 円 , 役員報酬1 , 500円, 諸 鎖却費1 , 000円 )で, 差 引 1 カ年 3 万 2 , 09 3円 の 利 益 を見込んでいるが, 収入算定の基礎として協浅駅 ・ 箕島駅などの諸事情が参考 までに記 さ れている. 興味深い点が多いので, つぎに掲げておこう. 旅客迎賃 に関して は, 「湯浅駅昭和三年 三月迄平均約 ー ケ年四十八万人此八掛卜見)レ但 シ八掛卜見タルハ紀勢線湯浅駅開業後昨年八月ョリ本年三月マデ平均― ヶ月間 ノ乗 降客四万人ハ楊浅町及附近村落卜 白 浜自動車二拠)レ由良及田辺間ノ乗降客 ナリ然)レニ此人員ノ内自動車ハ ー ヶ月約六千人ナルヲ以テ残リ三 万四千人ハ当 然湯浅町及其附近村落 ヨ リス)レ乗降客ノ人数ナリ今紀勢線御坊駅ヲ経由シテ本 鉄道ヲ利用 ス)レ勢力 範囲ノ人員ハ湯浅町方面以上ノ多数二上)レモ自動車二拠)レ 乗 降客ヲ考販シ安全率ヲ取リ八掛卜見タリ箕島駅昭和元年度(藤並開通後)乗 - 155 -.

(26) 降客ハ五拾参万九千人ナリ前記計算ハ箕島ノ七掛トナル 尚鉄道省ハ現在 日本国 内二敷設シ営業セル約壱萬哩以上ノ官私鉄道ヨリ挙ゲツ 、 ア)レ収益ヲ基礎トシ テ編製セル此種ノ調査規程ノ統計二依レバ地方鉄道二於テノ乗降客ハ其地方沿 線勢力範囲二属スヘキ壱ケ年 一人哩当 リハ最高四拾人哩最低十三人哩ナレバ仮 二最低人員十三人哩卜見テ計算スレバ本鉄道沿線勢力範囲内ノ人口 弐 万七千人 ニ対シ壱ケ年七十七万弐千人哩二相当 シ一人哩ノ賃率金五銭五厘トセバ壱ケ年 間ノ収入四万弐千四百七拾壱 円 ト ナリ本予算ヨリ超過ス)レコト約二割以上ノ多 額二上)レモ猶安全ヲ計リ本計算ヲナセリ本会社ハ乗降客ノ利便ヲ図リ且 自 動車 ノ競争ヲ避ク)レガ為メ 自 動車運転ヲ兼業ス)レ計画ナリ」 と あ り. 貨物運賃に関 し ては. 「御坊港輸出入 大正十四年度拾三万壱千屯但御坊町役場ノ 調査二依レ バ大正十四年度二呑吐スル貨物数量ハ前記ノ通リナルモ紀勢開通ノ暁ハ依然海 運二拠ル貨物及 日高川筋ノ貨物ハ紀蟄御坊駅及以南ノ各駅二於テ消化セラレ其 他ノ貨物モ直接紀勢二発着ス)レモノトシテ大削 減ヲ加へ本鉄道二依)レ貨物最小 限度三 万屯トセリ然)レニ将来本鉄道ノ恩恵二依リ商工業ノ隆盛ヲ来シ貨物ハ頓 ・. 二増加シ予想以上ノ収益ヲ見)レナラ ソ 」 16) とされている. いずれにせよ. 御坊臨港鉄道は省線との連絡連輸を特色と したわ け で あるが. 省線御坊駅決定の事情も あ っ てか. 地方鉄道法による補助 金は辞退することに し ている17) . 補 助 辞 退 願 昭和弐年十二月十二 日付ヲ以テ和歌山県 日高郡御坊町紀勢鉄道線(目 下工 事施工中ニテ御坊駅開通ハ昭和四年二月ノ予定)御坊停車場 ョ リ同県同郡 同町大字名屋御坊港二至)レ区間地方鉄道法ニ ョ ル地方鉄道敷設御免許申 請 仕 置候二就テハ是非共本鉄道ノ達成ノー 日モ早カランコトヲ沿線紡織及製 材工場経営者並ニ 一般町民挙ゲテ熱望仕居候事惜二有之完成ノ上ハ相当運 輸屈モ有之御補助ノ御支給ナクモ相 当 ノ収益ヲ挙ゲ得)レコト ヽ確信仕候ハ バ地方鉄道補助法ニヨ)レ御補助ノ義ハ謹デ拝辞仕候ハバ 何卒格別ノ御詮議. - 156 -.

(27) ヲ以テ地方鉄道敷設 ノ 儀御 免許被成下度此段奉願上候 和歌山県 日 高 郡 御坊町大字薗七 四 四 御坊臨港鉄道 株式会 社 創立発起人総代 田. 淵. 栄次郎. ⑲. 鉄道省監督局長 福. 富. 正. 男. 殿. さて御坊臨港鉄道 は, 昭和 3 年3 月 2 2 日 付けで 免許を え た. そして紀勢 西線 紀伊 由 良・御坊間の 開通と 同時に 運輸営業の 開始をもくろみ, レ ー ル. ・. 客車・. 枕木 その他諸般の 準備をととのえてい っ たが, 用 地 買 収は 意 外と 困難をきわめ たようである . 4 年9 月 ごろ までに, 「 御坊町 地域ハ 町 当 局始 メ 町会議員 諸彦 ノ熱心 ナ ル援助 ニ ヨ リ略解決 ヲ見 」 たものの , 「 隣村湯川村 地 内 ハ 尚 幾多ノ 障 害横ハ リ 目 下百方接渉中 二属 ス ト 雖モ 円 満 ナ ル 一致点 ヲ見出 ス ヲ得ズ」 という 状態で rsi, その 解決には 相 当な 日 数を要した翌 5 年3 月 にかけて,. 「御坊駅. 及名 屋駅両端 ヨ リ土盛 工事」 がは じ ま っ たが, 湯川村財部方面は土地収用法の 適用が 予想されるほ どであ っ た 19) . ただこの点は , 同 5 年8 月 に 急転示談がと とのい 解決をみた 20) . しかし, このように 用 地問題に時間がかか っ たこともあ っ て, その営業 開始は , 昭和6 年6 月1 5 日 にも ちこされた そして 同年9月2 5 日 省線との 連帯運輸を 開始 した 21) . さらに10年には, つぎの ごと< ' 日 ノ 出 紡 織の 「 ト ロ 線」 に 連絡する支線を敷設するな ど, 新たな発 展策を模 索したので ある 22) . ただ, その 後の 推移は, 本 稿の 課題をこえるも のなので 省略する 23) . … …(前略) • • • • • •今秋九月 ョ リ大阪鉄逆局 ニ テ モ西御坊ョ リ 日 ノ 岬 ヲ経テ紀 伊内原 二 到)レ 「 ハ イ キ ン グ コ ー ス 」 ヲ指定 シ阪 和, 南海 各鉄道会社 卜 協 同 シ テ旅客ノ 誘致 宣伝 二努 カ シ我 ガ社 モ マ タ 之二参画 シ テ乗 客 ノ 吸収二努 メ ツ ヽ ア )レヲ以テ将来益々 増収 ヲ見 )レ ヲ 得ベ シ 貨物ハ今期発送 ノ 増加 セ ルニ反 テ 到着貨物 減少 ノ タ メ 総額二於 テ少 シ ク 減 - 157-.

(28) 少セ ル モ 極 力 得意 ノ 開拓二努 メ 今 回 日 ノ 出 紡織株式会社松原工場 ノ 大拡張 シ機会 二 同社 ノ 諒解 ヲ 得而西御坊駅 ヨ リ 分岐 シ テ 其 「 ト ロ 線」 二 連 絡 ス )レ 支線 ヲ 敷設 ス )レ コ ト ヽ ナ リ タ ル ヲ 以 テ 之 卜 相 侯 テ 将来 ノ 増 収 ヲ 期待 セ リ 日 高川駅ハ本年五月 二十八 日 ヨ リ 省線 卜 旅客, 貨物 ノ 迪帯迎輸 ヲ 開始 セ ル 処未ダ成績思ハ シ カ ラ ザ)レ モ 日 ヲ 追 フ テ 増加 ノ 傾 向 ニ ア リ 依 テ 同駅以南塩 屋, 名 田 村方面 二 連絡上適 当 ナ )レ設備 ヲ 為 セ ハ相 当 ノ 成績 ヲ 揚 グ )レ ヲ 得ベ ク 目 下其 ノ 研究 中 ナ リ そ の 他, 紀勢西線開通 に 伴 う 特筆すべ き 事項 と し て , 昭 和 8 年 (1933) 1 1 月 に 阪和電鉄 と 紀勢西線 と の 直通連絡が完成 し , 省線へ の 乗 り 換えが便利 と な っ た こ と が あ げ ら れ る 叫 毎土曜 日 に は , 天王寺 ・ 白 浜 ・ 楊崎両温泉間 に 週末列 車 「 黒潮号」 を 運転 し て 観光客の 便 を はか っ た の で あ る な お ,. 大正末期以. 降, 和歌 山県下で は 自 動車営業が 目 立 っ て く る が, 紀勢線が南へ伸 び る に 伴 っ て,. 自 動車会社の営業 も 活発 と な っ た こ と を付記 し て お く. 1). 牟婁新報, 大正10年 1 月 7 日 付 .. 2). 同上, 大正10年10月 27 日 付 .. 3). 25). .. 日 本鉄道建設業協会 『 日 本鉄道請負業史』 大正 • 昭和 (前期) 篇 (昭和53年) 368 頁.. 4). 紀勢線の敷設は,. 県下の私鉄 に も 影膀を与えて い る が, 大正13年 2 月 の紀勢西線一. 部開通に伴い東和歌山駅が で き た こ と に よ っ て,. 山東軽便鉄迅は, こ こ を起点 と す る. こ と と な り , 「岐阜建設事務所長 卜 当 会社長 ト ノ 協定二依」 り , 大栢 • 中 の 島問を 廃 線 と し た . (「 申請」 鉄適省文書 「和歌山鉄逍 (元山東軽便鉄逍) 」) . 5) 6). 『和歌山市史』 第 8 巻近現代史料 II ( 昭和54年) 223-224頁.. (和歌山新報,. 大正13. 年 2 月 29 日 付) .. 紀勢西線の延長に伴い, 大正 1 5年 5 月 省線藤並停車場に 有田鉄道線路を連絡 す る た め の工事契約が締結 さ れて い る . 「移転費用ハ全部省費 ヲ 以テ 施エ ス ) レ モ ノ 」 と さ れ た . ( 「鉄道連絡工事契約密 (写 ジ) 」 「工事方法書」 鉄逍省文害 「有田鉄逝」) .. 7). 『昭和 2 年通常和歌山県会議事速記録」 第17号, 15-16頁.. 8). 同上, 17頁.. 9). 大阪朝 日 新聞, 紀伊版, 昭和 4 年 4 月 12 日 付 .. 10). 同上, 昭和 4 年 4 月 13 日 付. 以下同 じ .. 11). 「起業 目論見書」 ( 日 本国有鉄道中央鉄道学園 「御坊臨地鉄道営業報告」) . な お 同 目 - 158 -.

(29) 論見書の附録と し て, つ ぎの諸点が展望さ れて い る . 本会社ハ予定線 ト ジ テ 道成寺線和田松原 線 ヲ 布設セ ン ト ス. `. 本会社ハ将来適当 ノ 時期二於テ軌道法二依 l) 塩屋村名 田 村二延長セ ノ ト ス 本会社御坊町内 必要ノ 地二軌道法二依 リ 支線 ヲ 延長セ ン ト ス 本会社ハ町村及沿線地主 卜 協定 シ 線路 二 道路 ヲ 増設 ジ. 般 ノ 利便ヲ 図 )レ ト 同. 一. 時二会社専用 自 動車ノ 述転 ヲ 為 ス モ ノ ト ス 已二御坊町 ヨ リ 右道路二対ス )レ補給金一万五千円 ヲ 交付 ス )レ コ ト ニ 決定セ リ 12). 「御坊臨港鉄道敷設免許申請書」 (鉄道省文書 「御坊臨港鉄道」) .. 13). 田 淵豊吉に つ いて は , 小 山仁示編 「 田 淵豊吉議会演説集 (1)(2)(3)―哲人政治家の帝国 議会での活動ー』 ( 関西大学 出 版 ・ 広報部, 昭和48- 50年) , が詳し い.. 14) 「地方鉄道敷設免許 中諮二 関 ス ル件」 (前掲鉄道省文害) . 15). 「発起人 ノ 住所氏名 及引受ケ タ ル株式数,. 主ナ ル賛成人及引受株式数」 (前掲御坊臨. 港鉄道営業報告」 ( 同上) . 16). 「営業収支概算書」 (同上) .. 17) 18). 「補助辞退願」 ( 前掲鉄道省文書) . 「御坊臨港鉄道株式会社第 1 回営業報告書」 ( 昭和 4 年 9 月 ) .. 19). 「御坊臨迷鉄道株式会社第 2 回営業報告書」 ( 昭和 5 年 3 月 ) .. 20). 「御坊臨港鉄道株式会社第 3 回営業報告書」 ( 昭和 5 年 9 月 ) .. 21). 「御坊臨港鉄道株式会社第 5 回営業報告書」 ( 昭和 6 年10月 ) .. 22). 「御坊臨港鉄道株式会社第 13回営業報告書」 ( 昭和10年10月 ) .. 23). な お現在は, 東京の不動産資本に買収さ れ, 紀州鉄道 と な っ て い る .. 24). 阪和電気鉄道に つ い て は , 阪和線前史の. 蛸. 一. 鉄道建設に つ い て. 宇田正 「阪和電気鉄道の 成立 と 泉南人 ・ 谷 口 房蔵一国鉄. 」 (『泉南市史紀要」 第 8 号,. ー. 昭和55年) , 拙稿 「大阪 ・ 和歌山 間の. 国鉄阪和線生誕の過程 」 (大阪市史編簗所 『大阪の歴史』 第 2 ー. 一. 号, 昭和55年) を参照 さ れたい. 25). た と えば,. 明光バス の昭和 6 年 ご ろ の 状況をみる と , 「 白 浜線二於テ ハ 白 浜温泉 ノ. 名 且 ヲ 遂テ 都市人 口 二腑灸セ ラ )レ ヽ ニ 至 リ , 来著 ジ ク 乗客 ノ 増加 ヲ 来ジ ,. バス十台, ツ. 一面鉄道電鉄 ト ノ 連帯運輸ノ 便ニ ヨ リ 近 ー. リ ン グニ十台 ノ 精鋭 ヲ 以テ 多忙裡二本期. ヲ 経過セ リ 」 (「明光バス株式会社第 2 回営業報告害」 昭和 6 年 7 月 ) と あ り ,. また昭. 和 1 1 年 6 月 に は, 南海 自 動車が道成寺駅構内 で乗 合 自 動車の営業を開始 し て い る .. 2.. 紀勢中線の 開 通 と 新 宮 鉄道 の 買 収. 昭和. 7 年 (19 32) 8 月 の 鉄道会議で は第 6 3回 帝国議会 に 提 出 すべ き 建設費予. 算改定案 の 議論が な さ れ た が , そ こ で は財界不 況の 折柄, 建設予定80線中 , 開 - 15 9 -.

(30) 通後収支の 均衡が 期待できる2 5線を 選んで, 工事の 繰り上げ施工をすることが 諮詢されている このた めの 予算措置と して, 同7 , 8 両年度に1, 500 万 円の 建設費 予算増額を 計上することとされた . 和歌山・相可 間鉄道 (和歌山 カ ラ 紀 州半島ヲ 一周 致 ジ マ シ テ, 参 宮線 相可口 駅二達 ス ル海 岸線 ) も その対象となっ ており,. 「今回工事ヲ繰上 ゲ テ, 新宮 卜 大阪方面 ト ノ 連絡ヲ速 メ , 有名ナル紀. 州木 材 ノ 搬 出 ヲ計 リ, 之二伴 ツ テ 全線 ノ 完成 ヲ速 カ ナラ シ メ ン ト ス ル ノ デ ア リ マ ス 」 !) と, 提案理 由が 述べられたのである.. 同じ<' 翌 8 年12月の鉄追会 議. で は, 「是ハ (紀勢線一武知注) 竣工年度ハ今 ノ 所デハ十六年度 卜 云 フ コ ト ニ ナツ テ居リ マ シ テ,. ド ウ シ テ モ早 ク ナル ト 云 フ 見 込ハ マ ダ付 キ マ セ ヌ ガ, • • •元. 来此 ノ 線ハ可成 リ 重要ナ線路デ ア リ マ シ テ, • • • 昨年中 間促 進 ヲ シ タ ノ デ ア リ マ ス ガ, 最近測蘊モ進 ミ マ シ タ ノ デ, モ ウ少 シ 促 進 セ シ メ ル ト 云 フ 意 味デ ア リ マ ス」2) とある . さて紀勢中線は, 串本から熊野 灘の海岸に 沿って, 紀伊勝浦 • 新 宮をへて紀 伊木本 (現熊野市) にいたる6 4. 2 キ ロ メ. ー. ト ルの線路である . 建設 にあたって. は, 新宮を 境に して紀勢中線と紀勢中線東の 二つに 区分された . 紀伊勝浦・串 本 間を 昭和7 年 10月に 者エ し, ま ず 同10年7月 18 日に紀伊勝浦 ・ 下里間が, 続 いて1 1年12月 11日に下里 ・ 串本 間が 開通 した 紀勢中 線の建設に当った 各工区の 詰負業者 ・ 訥負金額 ・ 竣工時期な どは, 第 2 表のとおりである . 主要工事は, 紀勢中線 東 第 2 エ 区に 含 まれる新 宮 • 鵜殿 間の熊野川 柄梁工事であった . この 工事施工中には数 回にわたって, 洪水に見 ま われるな ど 予想外の 労力を要 した 工事の 進捗に伴って, さら に部分開業 していくのであるが, 新 宮 • 紀伊勝浦 間は地元の木 材業者が中 心となって, 明 治44年 (19 11) に設立 した 新 宮鉄道を 買収 ・ 改築利 用 することとなり,. 昭和10年9月 2 エ区 に 分割施工されは じ め. た . 旧路盤を 使用 したのは6 0形程度で, 残りは 隧逍 • 栢梁の 新設および勾配 ・ 曲線改良のた め線路変更を 行なった そ していく度かの線路切替を して, 同 12 - 160-.

(31) 第2表 紀 勢 中 線 の 工 事 · 紀勢中線 (那智一 串本閻) 工. I. 区. 第. 1. 工. 第. 2. エ. 第. 3. エ. 第. 4. エ. 区 胄. 第. 5. エ. 区 嘉. 区. 智. 塵. 里. 里 区 下 紀伊 田 原 区 紀伊 田 原 荷 津. 悶 嬰. 請 負 業 者 間. l. 請負金額. 組. 千円 458. l. エ. 事. 期. 間. 昭 7 . 10�昭 9 . 5. 同. 299. 8 . 4-. 9. 9. 同. 223. 7 . 7-. 9 . 12. 組. 167. 9 . 6-. 10. 8. 木 下 新太郎. 77. 9 . 8-. 10. 9. 下. 田. 紀勢中線改築区間 (那 智一新宮間) 改 築 第 1 エ区 那 宇 改 築 第 2 エ区. 宇 新. 智 久 井 久 井. 宮. 木 下 新太郎 栄. 森. 紀勢中線東 (王子浜 (新宮). 蔵. 千円 142 201. 昭10 . 9-昭12. 5 10 . 9-. 12. 8. 紀伊木本 (現在の熊野市). 一. 千円 129. 東 第 1 エ 区. 王 子 浜 岸 JII. 森. 栄 蔵. 束 第 2 エ 区. 熊 野ょ 川 橋り つ. 間. 組. 59. 8 . 12-. 11. 2. 東 第 3 工 区 成 紀 伊 井川 田. 永 砂 喜 典. 97. 1 1 . 8�. 12 . 12. 伊井 東 第 4 エ 区 紀 阿 田 和 田. 原. 庄右衛門. 149. 10. 10�. 13. 3. 和. 阪 神. 工 業. 218. 12. 3-. 13. 8. 東 第 5 エ 区. 阿. 田. 紀伊 木本. 昭11 . 3-昭12 . 1 1. 注) 日 本鉄道建設業協会 「 日 本鉄道請負業史」 大正 • 昭 和 (前期) 篇, 365頁. 年 1 0月 2 日 に 熊野地 • 紀伊勝浦 間 (現在 は 廃線) ,. 1 3年 5 月 22 日 に 新宮 ・ 三 輪. 崎間が開通 し た . 以下,. し ば ら く 新宮鉄道 の 買 収過程を み て い こ う . 昭 和 8 年 7 月 同鉄道社長. か ら 鉄道大臣 あ て に , つ ぎ の よ う な 買 収促進 に 関 す る請願がな さ れ た列 紀勢中 線建設工事 ノ 促進 二 就 テ ハ , 地方民 ノ 熱望, 特別 ノ 御厚配 ヲ 蒙 リ エ - 161 -.

(32) 程着々進行シ ッ ツ ア ル ハ欣喜措ク能ハザ)レ所ニシテ. 定二難有奉深謝候. 弊鉄道ハ恰カモ紀勢線 ノ 中央二位シ今 日 ト ナリテハ建設工事上. 将又連絡 運輸上緊密 ノ 関係ヲ有シ, 弊鉄道 ノ 買収ハー 日 ヲモ忽ガセニス可カラザ)レ 焦眉 ノ 急務卜存候間. 何卒特別 ノ 御詮議ヲ以テ是非共来ル昭和 9 年度御買 収線 ノ ーツニ御加へ被成下度. 左記二事由 ヲ具シ此段奉 懇願候也 昭和八年七月 新宮鉄道株式会社 社長 松 鉄道大臣 三 土. 忠. 江. 武二 郎. 造 殿. 同年11月には. 以下のような買収協定書を鉄道省とむすんでいるり. そして. 同年12月の鉄道会議で. 新宮鉄道 ほか 3 鉄道買収に関する こ とが 諮詢され. 議 決をみた. 協. 定. 書. 地方鉄道法第三十条以下ノ 規定二依リ新宮鉄道株式会社所属鉄道及其 ノ 附 属物件ヲ買収 スルニ付 鉄道省 (以下単二省卜称ス) 卜 新宮鉄道株式会社 (以下単二 社卜称ス) ト ノ 間二協定ス)レ コ ト 左 ノ 如 シ’ 第 一条 法第三十. 社所属鉄道勝浦, 新宮間及其 ノ 附属物件 ノ 買収代価ハ地方鉄道 条第 一項第 一号 ノ 規定二依)レ金額ガ買 収 ノ 日二於ケ ル建設費ヲ. 一. 時価二依リテ国債券面金額二換算シタ ル金額二達セザルトキハ第三十 一条 第 一項第 一号 ノ 規定二依)レ金額 卜 買収 ノ 日二於ケ ル建設費ヲ時価二依リテ 国債券面金額二換算シタ ル金額ト ノ 和ヲニ分シタ ル金額(国債券面金額) トス 第二 条. 買 収 ノ 期 日 ハ省之ヲ指定ス)レモ ノ トス. 第三条. 社ガ本鉄道及其 ノ 附属物件二関シ株主又ハ第三者二対シ有ス)レ. 権利義務ハ別二協定ス)レモ ノ ヲ除ク ノ 外一切省二於テ之ヲ承継セザ)レ モノ ト ス -162 -.

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