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1943年1月2月の『朝日新聞』・『毎日新聞』紙面にみるスターリングラード戦

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(1)1943年1月2月の『朝日新聞』・『毎日新聞』紙面にみる スタ-リングラ-ド戦 木 The. 村. of Stalingrad. Battle. in the Asahi. February. in January, By. 亮*. 英. Year. of the. HIDESUKE. and. the Mainichi 1943.. EIMロRA. 本稿は1943年1月2月ドイツのスターリングラ-ドにおける敗北前後の状況を,日本の 新聞『朝日』,. 『毎日』がどのように報道し,どのように解説・評論していたかを検討して. みようとするものである。なお,株式会社大阪毎日新聞社は株式会社毎日新聞社と改めら れ, 『東京日日新聞』の題号はこの1月1日から『毎日新聞』に統一されたo スターリングラード戦ほ, 画した」. 「大祖国戦争と第二次世界大戦の根本的転換点のはじまりを. ("CTaJIHHrPaACKa兄6HTBa",. C:)C・. M・. 1980・. c・. 1275・)戦闘であり,ちょうど同. じころ2月1-7日に日本軍はソロモン諸島のガダルカナル島を撤退し,太平洋戦争の主 導権がアメリカ側甘こ移る転換点を迎えていた. 「ドイツは開戦以来三年余りで,また日本 (松谷誠『大東亜戦争収拾の其楯』,新版,. はわずか一年で,攻守の立場を変えるに至った」 芙蓉書房,. 1984,. 30ページ)のである。. 大戦中1938年から46年まで日本に滞在したフランスの記者ロベール・ギランほ,. 人と戦争』 (根本長兵衛・天野恒雄訳,朝日新聞社,. 『日本. 1979)の「日本製」海戦の勝利,ガ. ダルカナル,あるいは「転進」という章で,日本の新聞の報道と事実とのくい違いについ てくわしく述べているが,同盟国ドイツと,日本が中立条約を結んでいたソ連との間の戦 争についてはどうであろうか。また, 「スターリングラ-ド」を画期として報道の仕方に 変化がみられるであろうか。 「戦況等に 2月2日付『朝日』によれば,東条英機首相は2月1日の貴族院本会議で, 関して帝国の大本営発表がいかに正確無比であるかはこれほ世界の周知のことである」と 答弁している.また,. 「自由主義の打倒その他住商をかぶった共産主義の打倒という点に. ついてほ種々注意を払っている」とも答えている。新聞報道ほ1941年3月の国家総動員法 改正,国防保安法,治安維持法改正, 12月の言論出版集会結社等臨時取締法等によって統 制されていたことを念頭においておかなければならない。検閲は戦局の悪化とともにいっ そうきびしくなった.. 東条首相も2月4日衆院予算総会で,. 「本年は相当深刻な事態に,場合によっては突入. して行くかも知れぬという懸念はもっている。 歴史学教室(°ept.. of. History). -できるだけ国民の自覚に訴え国民の意.

(2) 2. 木. 村. 英. 亮. 識を昂揚してこの事態に即するように国民を指導して行きたいと思っている。」(『朝日』. 2. 月5日)と答え,さらに5日の衆議院戦時行政特例法案委員会において,陛下の信任の下 にある首相は,ヨーロッパの「独裁者」と違うと述べている(『朝日』. 2月6日付夕刊)0. すなわち,独裁が問題とされるはどの危機感があったと理解されるo 首相は先の貴族院本会議答弁では,この戦争に負ける場合は2つある。陸海軍が割れる 時と国の足なみのみだれる時であるが,このようなことほ考えられないと述べている(『朝 日』. 2月2日)。この首相発言に対して,弁護士の正木ひろし(1896-1975)は,個人雑 誌『近きより』 (第4巻,旺文社,㌔ 1979, 300-304ページ,ここでは2月29日貴族院での 答弁となっている)で,真剣に戦っている陸海軍が分裂するなど思いもよらないという発 言は論理的でなく,国の足並の乱れは原因でなく結果である。首相が自分の責任を他に帰 するような発言をするのは遺憾であると批判している。正木ひろしは東大法卒後,中学教. 負,画家,雑誌記者などを経て,. 1927年弁護士を開業,戦後は天皇制廃止を主張,また,. 三鷹,入海,菅生,白鳥などの諸事件を弁護している. この2カ月間の紙面には,国民生活が急速に悪化しつつあることがはっきりと反映され ている。おもな項目を拾っても,特級酒2倍以上の値上げなど未曽有の大増税の決定,ト 17より最高15割平均6割1分の煙草値上げ,. 1-19より衣料切符点数全体として2割5分引. 上げ, 2-1より家庭用電燈消費を2割から5割削減,ガスも節約運動,. 214からは業務用. 配給米7割減で勤め人は弁当持参,菓子の配給は子供と老人のみに,. 2-19日商が甘藷馬鈴. 薯の主食化徹底の意見書提出,. 2-26夕刊にほ商工省案として男子の国民服,女子の標準服. ・長袖や夏羽織追放の記事, 2-28銭湯も輪番制・切符制を検討中など,息つく畷もなく, 前年より続く鋼鉄の回収は,街路灯・トタン・鋳鋼製樋から家庭用の金鉱・鋸・鍬に及び, 浅草の199寺院が一斉に焚鐘・半鐘・天水桶・火鉢・燈寵を供出したことも記事となって いるo他方では空襲にそなえて2月から防空訓練やサイレン試験が始まっている。 「皇国民錬成の神拝 こういった生活切り詰めに一方では精神力で対応せよというのか, みそぎ 行事として『顧』の基本型決る」という記事があり,他方では, 2-15,前年3月21日実施. の戦時刑事特別法の改正案が貴族院を通過,言論取締りがいっそうきびしくなっている。 新聞報道は,このような条件下のものである.. Ⅰ. まず,独ソ戦と太平洋戦争の経過を概観しておきたい。 ドイツ軍は,. 1941年6月22日に突如ソ連に侵入,. 9月8日にはレニングラードを封鎖,. 9月19日にiまキエフを占領,10月18日にはモスクワ近郊キジャイスクを占領した.しか し,. 42年1月上旬ソヴュト軍ほモスクワ近郊で反攻に転じ,ドイツ軍を100-250キロ後退. させ,. 2-4カ月でソヴュト軍を破るというヒトラーの戦略を狂わせた。. 軍はスターリングラード攻撃を開始したが, 年2月2日に全滅した.この間,. 42年8月ドイツ. 11月23日には22個師33万人が包囲され,翌43. 1月12-18日,レニングラード封鎖も部分的に解除され. た.この年の夏クルスクの戦いと秋のソヴュト軍のドニ-joル進出によって戦局は根本的.

(3) 3. 1943年1月2月の『朝日新聞』・『毎日新聞』紙面にみるスター1)ソダラ-ド戦. 45. 44年10月にはソ連は領土を完全に回復,この後東ヨ-ロブパに軍を進め・. に転換するo. 年5月2日ベルリソを占領し,. 5月8日にドイツは無条件降伏する。. 日本は41年12月8日対米英宣戦布告,. 42年1月2日マニラ,. 12月25日に香港,. 2月15日. 6月5日のミッドウェ-海戦が転機 3月8日ラソグーソを占領したが, で, 43年2月カダルカナル島撤退, 5月29日アッツ島で全滅, 44年7月7日サイ′くソで全 8月8日ソ連の対日 演, 7月18日東条内閣は総辞職した。 45年8月6日広島に原爆投下, シンガポール,. 宣戦布告,. 15日「終戦」詔勅放送,. 東西において,. 9月2日降伏文書調印が行なわれた。. 1943年1月2月ほたしかに「転換のはじまり」であったo *. 独ソ掛こ対する日本政府の態度も,この時期を境として大きく変ったのである. 枢軸陣営は, 1941年12月11日に「日独伊共同行動協定」を締結し,翌年1月18日,陸海軍 統帥部と独伊最高統帥戟との間で作戦地域の分担等について軍事協定を結んだが,. 「独伊. はE]本と提携してまず英の屈服を図るという大眼目が欠けていたo」(松谷前掲書29ペ-ジ). ドイツほまずソ連を屈伏させることを企図していたが,日本はドイツ・イタリアの力な しにはイギリス屈伏を期待できなかったので,ソ連が制圧された後その力がイギリスに向 けられることを念願していたのである.ところがすでに1942年5月12日に,前駐ソ大便建 川美次中将は,. 「ソ連はドイツに屈伏しない。対独妥協等ほ思いもよらない。長期戦とな. るであろう」と帰朝報告している(松谷前掲書23ペ-ジ)o逆にドイツ側ほ日本が対ソ戦 に加わることを要望していた。しかし日本側はすでに,. 2.帝国は南方に対する作戦間,極九. 「1.極力戦争相手の拡大を防止す,. 対ソ戦争の惹起を防止するに勉む,. 3.日ソ間の静譜. を保持すると共にソ連と米英との連繋の強化を阻止し,なし得ればこれを離間するに勉 む」. (「『今後採るべき戦争指導の大綱』に関する上奏」(1942.. モ』下,. 1967,原書房,. 3.. 13)参謀本部編『砂山メ. 65ページ)を対ソ方針として確認していたo駐独大島大使は,. 年7月20日ドイツ外相の申し出を伝え,. 42. 「このままい桝i.,独ソ両国が単独講和を行なう. おそれがある」と具申したが,日本側は7月25日の大本営政府連絡会議で,対ソ積極方策 は日本の力を過度に分散することになるので目下とりえないと決め返答した(油橋重遠 『戦時日ソ交渉小史,. 1941年-1945年』,霞ケ閑出版,. 1974,. 115ページ)o. このころすでに日本側は対米英戦の見通しも酷くなりはじめ, 問題を契機として,戦争の早期終結論者の東郷茂徳外相が辞職,. 9月1日,大東亜省設置. 12月21日,御前会議決定. 「大東亜戦争完遂の為の対支処理根本方針」で「米英側反攻の最高潮に達するに先だち対 支諸施策の結実を図る」こととなった。. 独ソ掛こかんしては,スター1)ソダラードでドイツ軍が包囲された後の12月19日,参謀 本勤ま外務省に独ソ和平が43年3月までに結実するよう働きかけることを提議したが,外 務省は43年1月6日,成功の可能性が極めて少く,失敗した場合の弊害が大きいとしてた な上げとした。東条首相も独ソ和平実現を望んでいたが,それはドイツ次第と考えていた ようである。ドイツ外相は,スターリングラード敗戦後,駐独大使にふたたび対ソ戦-の 「対ソ静認保持の方針に変化はない」ことを大本営 参加を求めたが,日本側は2月24日, 政府連絡会議で決定し,その旨を発電した(油橋前掲書119ページ,松谷前掲書25-27ペ.

(4) 4. 木. -ジ参照)o 1943年1. ・. 村. 英. 亮. 2月,日ソ間では津軽海峡通航問題と漁業条約延長問題が交渉中であったが,. ソ連ほ,シベリアからトルコ経由で渡欧する日高大使と陸海軍武官一行へのビザを発給し. た。岡本陸軍少将を長とし,ドイツの戦争能力の検討と日本の実情伝達を任務とするこの 陸海軍武官一行の使節団ほ, 8月に「ドイツの国力は使節団が日本で判断していたより遠 かに低く,今後多くの難条件を克服しない限り,ドイツの勝利はむづかしい」という報告 を行ない,陸軍統帥部に衝撃を与えた(抽橋前掲書119ページ)o 1943年3月以降,天皇も終戦を真剣に考えるようになる。重光外相は6月19日の大本営 政府連絡会議で「当面の対ソ施策に関する件」を決め,北樺太石油及石炭利権のソ連への 有償移譲など日ソ間の懸案の積極的解決を図ろうとし,さらに43年9月,. 44年4月,. 9月,. 独ソ間の調停を行なおうとしたが,ソ連側から断わられた。 イタリアが43年9月8日無条件降伏によって脱落した後,日本は9月30日の御前会議で 絶対国防圏を固め, 「進んで対ソ関係の好転を図る」 (前掲『杉山メモ』下, 473ページ) ことを決め, 11月5日6日には大東亜会議を開催して結束を強化し,連合国の本格的反攻 に備えようとした。 1944年11月7日,スターリンは演説で日本を侵略国と呼び,. 45年4月5日,モロトフ外. 相は日ソ中立条約を延長しない旨通告してきた。. 45年7月日本は近衛文麿特使をソ連に派 遣し戦争終結のあっせんを依頼しようとしたが,ソ連側は回答を引伸し, 8月8日対日宣 戦布告を行なったのである。 *. 独ソ戦勃発の1カ月から1カ月半後のドイツ軍がモスクワに迫ったころ,ソ連をよく知 る3人の日本人がそれぞれ次のように考え,書きのこしている。 その1人,毎日新聞記者としてレーニン,スターリンをはじめとする指導者と会見した ことがあり,民衆の生活にも通じていた布施勝治(1886-1953)は, 『スターリソ線破れたり』(大阪毎日新聞社・東京日日新聞社)で,. 1941年8月発行の 「-∴・対独戦場において. は,政務官の日が行き届き,督戦隊制度がものをいい,赤軍ほ意外に強く抵抗を続けてい る.しかし独軍今後の進攻にして,いよいよ猛烈となり,ヒットラーの鉄拳にして,十分. 堅くかつ大きなものであれば,これを打ち下した途端に,ソ連の内部がガタガタと崩壊す (244ページ)と記している。布施は, ること,決して絶無とはいえない」 語学校露語部卒, 16年東京日日新聞入社,モスグワなどに特派されたo. 1907年東京外国 40年取締役となっ. 『スタ-リ 51年追放解除後産業経済新聞社に入り論説委員となったo ソ線破れたり』 (大阪毎日・東京日日, 1941), 『ロシヤ群像』 (北光書房, 1948), 『スター リソ伝』 (燈下書房, 1949)など,ソ連にかんする多数の著書がある。. たが46年公職追放,. この年,日本のpシア正教会の長司祭となった吉村忠三(1889-1972)紘,ちょうど同 じころ発行した『スタ-リン政権』 (東京講演会出版部, 186ページ)を次のように結んで いる。. 「スターリソ政権の現在の抵抗ほ,全ロシア人の犠牲において独軍の損害を多少で. も大ならしめんとするユダヤ的策動で,指揮と士気と武器の劣っている赤軍ほ,必ず極め て短期日に独軍に俄滅され,それが端緒となってスタ-リソ政権の没落,反共政権の樹立.

(5) 1943年1月2月の『朝日新聞』・『毎日新聞』紙面にみるスターリングラード戦 等目まぐるしい変化がロシヤ国内に続出するであろう」. 5. (186ページ).吉村は,. 1809年ニ コライ堂の正教神学校を卒業伝教師となり,一生ロシア正教の聖職にあり,そのかたわ ら名古屋の高等商業な.どでロシア語を教え,満鉄調査課等でソ連の調査研究に従ったo. 『露語大文典』 (露文軌1925),. 『日露の現在及将来』(日本公論社,. 1934),シチェグロフ. 『シベリヤ年代史』(日本公論社, ア正教長司祭のソヴェト観」,. 1943)など多くの著作・翻訳がある(なお拙稿卜-ロシ 『横浜国大人文紀要,第1類』第三○輯1984参照)0. 第3に・元信濃毎日新聞主筆の桐生悠々(1873-1941)は,廃刊直前の個人雑誌『他山 の石』 7月20日号に次のように記している。. 「ドイツ軍の驚嘆すべきブリッツクリ、-グ(電 撃戦)は恐らく瞬く間にモスクワを陥れるかも知れない。それすらも,今日でほ保証され ないが,一歩を譲って,これが実現したとしても,ロシ・ア人が例によって『ニチエオ』と. 言いながら・ウラル地方に退却して,長期戦を張るならば,唯それだけで,ドイツは更に 困難を増加するのみであろう.たとえバッ>)レ剛ま勝ち続けても,ウァ一にはどうである. か・にわかに判断されない」と書き,. 「だが,これはよそ事のみではない0. 日本は蒋介石. に対して・バットル毎に勝ってはいるけれどもウァ一にはまだ勝っていない。」. (太田雅夫. 編集・解説『桐生悠々反軍論集』,新泉社,. 1969, 460ページ)と付けカロえている。桐生は, 東京帝大法科大学卒,下野新聞,大阪毎日新聞,大阪朝日新聞,東京朝日新聞を経て,. 1910年信濃毎日新聞主筆となった.一時新愛知主筆となったがふたたび信濃毎日新聞にも どり・ 1933年退社,. 41年に開戦を見ず没した。危篤に陥る直前,病床の傍の友人たちに, 「日本の軍閥がワシソトソの戦犯法廷-引きずり出される最後の姿を見とどけないで死ぬ. のが残念だ」と語ったとのことである(前掲書,解説,. 493ページ)0 そして一年半を経た「スタ-リングラード」後の1943年2月1日,清沢嗣(1890-45)は,. 日記に次のように記した。. 「ロストフが赤軍り手に落ちたoドイツ軍の猛攻撃,赤軍敗退,. といった題目が続いた奄敷 こうした記事がでるのだ」 (「暗黒日記」 『世界ノンフィクショ ソ全集』,34,筑摩書房, 1962, 303-304ページ)。清沢は,アメリカ・ホイットウォース 大学卒業後サンフランシスコの新世界新聞記者等を経て1920年帰国,中外商業新報嘱託と なり・ 1927年東京朝日新聞に迎えられたが,著書『甘粕と大杉』が右翼の攻撃の的とな. り29年退社した。報知新聞論説委員,東洋経済新報社評議員,日本外交史研究所所長を歴 任, 45年5月敗戦をまたず没した。. (人名については, 『日本人名大事典・現代』,平凡社,. 1979,などを参照したo) 当時,ジャーナリズムで,全体としてどのように報道されていたのかの例として, 年12月発行の『日露年鑑』 (昭和十九年版,欧亜通信社,. 1943. 800ページ)の記述をみよう.凡 「東亜ソ額に重点を置」いたこと, 「独ソ戦闘係については,戦況,外交,民族及 人口・国内対策を詳細に検討し,今後-の参考指針とした」と記されており,とくに独ソ 例には,. 戦闘係に紙数がさかれているoすなわち,全体ほ第1部ソ連邦一般篇,第2部ソ連邦辺境. 篇・第3部独ソ軌第4吉相ソ・ソ支関係,という構成で,第3部はさらに,準ソ戦争, ドイツの旧ソ領統治に分けられている。執筆者は記されていない。 第3部の独ソ戦争ほ,まず「--第一段階におけるソ連の政治的中心地を目線し,その 政治的崩壊を狙う作戦は,ソ連国家の強固な抗戦団結により望み薄と見られたため,今度.

(6) 木. 6. 村. 英. 亮. は経済的崩壊を企図するソ連の重要資源地コーカサス進撃を窺い得ていたのであるoそし て独軍があくまで戦局の主導性を振り,ソ連が全く受身であることは些かも変りなかった 「独軍は折か. ところである」と総括する。モスクワ戦におけるソ連軍の反撃については・. らの厳寒のため全戦線にわたって突出前線陣地の整理を行ない後方撤退を行った」とし, ソヴェト軍の奪還地はドイツ軍に決定的打撃を与えるような重要地ではなくドイツ軍の戦 略的後退にもとづく,いわば濡手で粟式の反撃成果であったと記している。. 次いで42年3月以降のドイツ軍によるケ,レチ再攻撃,. -1)コフ付近俄滅戦・セヴァスト. ーポリ攻防戦をまとめ,開戦1カ年の独ソ両軍の損害を決算するo続いてドイツ軍の南部 2度目の冬のソ連軍の反攻についてまとめるo 方面-の大攻勢についてふれ, 11月19日のスタ-リングラ-ド北西部南部からするソ連軍の反撃作掛も「前年冬季の. 独軍新陣地に便乗した局部的反撃と異り・夏の陣たけなわなる当時から準備されたもの」 42年夏以降1カ年の と述べ, 43年2月にパウルス軍は優勢なソ連軍のために圧倒されたo 戦局は次のようにまとめられるoすなわち・. 「---夏の陣におけるドイツ軍の作戦が折角. 長駆ヴォルガ河畔と中部コーカサス山脈南麓に達しながら挫折したことは世界戦局の点よ りして枢軸側にとって誠に痛恨の限りであったo兵端線の長大化,冬季の急速な襲来等・ 大自然力に制約される上にソ連軍の組織的抵抗力もあって戦局の決定的道標にほ達しえな かったが,ドイツ軍は常に戦局の主導性を握り,次期作戦の足場を固めるに成功した点は 銘記されようo」. 43年夏以後の戦局については, して,赤軍の大規模な反撃を見,. 「--反枢軸軍の北阿略取に続いてシチリヤ上陸に呼応 8月4日に至りオ1)ヨ-ル郊外に殺到した赤軍は・独軍. の強陣との間に未曽有の激戦を展開し, 4日に至り独軍は新陣地に撤取したと報ぜられ る。」 「次いで-リコフ方面の戦局も次第に苛烈となり・ ・--予備軍の大挙出動を行って, 遮二無二反撃を繰り返している赤軍の勢はあなどられぬものがあるo」. 「独軍は地域の確得. よりは赤軍の損害に重きをおき, ・--赤軍は大損害を蒙りながら手に入れたものは何等軍 「・-・・夏季戦は局部的に赤軍に有利に動 事的重要性のない一片の地域である・と報じた.」 きつつあるかに見える.しかし,大局的に見るとき・独軍は特定の守備線によって赤軍を 圧え,余力を割いて,西方に向わせる作戦だともいわれるoその真相は時の経過が物語る であろう。」と績んでいる。 ⅠⅠ. ソ連関係の新聞記事のうちからまず,論説および解説記事について内容を検討してみよ うo. 1月31日付朝日夕刊には,クイブイシュフ畑中特派員29日発の「ソ連の国内戦線と陰 影・激減した農業生産.工業燃料にも薪を代用」と題した226行の記事があるo畑中政春 29年神戸高等商業学校卒, 32年朝日新聞社紅入社し,北京特派員を経て (1907-73)紘, 40年モスクワ特派員となり,ドイツ軍猛攻下唯一の日本人記者であったo当時新聞記者な 「世界に意 どはクイブイシェフに疎開しており,貴重な現地報告と思われるoはじめに,.

(7) 1943年1月2月の『朝日新聞』・『毎日新聞』紙面にみるスタ-1)ンダラード戦. 7. 想外の驚きを与えたソ連の戦時生産力の背後をなす労働戦線につし「て最近の諸事を綜合し て打電する」とし,国防資金の献金運動が全国的に行なわれていること,ウラル地方の新 軍需工業地帯建設が進んでいることを述べ,量より質の重視が方針とされていること,軍 需工業が当面する根本問題として,採炭・発電・鉄道輸送の3点をあげている。また食糧 増産も困難に面しているが,. 「ソ連政府ほ今日でも一般人民に対してパンの正常配給を行. っている--食糧問題ほ健全な銃後の国民生活を維持する決定的な要素であるから,ソ連 政府も現在の消費規正を保持すべく努力している」と述べる。労働力補給のため青少年と 婦人の動員,労働時間の延長がはかられていることを説明して結んでいる。 畑中特派員ほ44年帰国,. 50年7月L,ツドバ-ジで退社,その後中国在留邦人の引楊柳こ. 尽力, 55年アジア諸国民会議に出席,. 57年ナセル,フルシチョフと会談, 66年にはキュバのAALA三大陸人民連帯会議に出席した。日本原水協代表理事,日本AA連帯常任委 員会理執 日朝協会理事長,日ソ協会顧問などをつとめている. 『ソヴェト社会と人間』 (思想社, 1949),. 『ソヴュトの労働』(吉良勝と共著,日本評論社,. 1950), 『ソヴュトの外. 交』 (岩波新書, 1952)他多数の著作がある。 スターリングラード戦の後2月19日付毎日夕刊には,. 「働く女性」シリ-ズの3として,. ドイツ,イタリアに続きソ連が,森正蔵氏談として写真付68行で「労力の七割を担う女駅 長実に八百名」という見出しの下にとりあげられている.森正蔵(1900-1953)は, 東京外国語学校露語部卒,. 24年. 26年大阪毎日入社,. -ルピソ,奉天,モスクワ各特派員を経て 40年大阪本社外報部ロシア課長,その後東京本社社会部長,編集総務,出版局長,論説委 員長などを勤め50年取締役。 『旋風20年』,『転落の歴史』, 『風雪の碑』, 『戦後風雲録』の 4部作ほベストセラーとなった。 毎日夕刊には, (1886-1953)が,. 2月27日付, 28日付, 3月2日付の3回にわたり前述紹介した布施勝治 「世界の謎・ソ連の底力」と題して解説記事を執筆している。. 上は「杯事砲の行進,米英も指す偽装観兵式」と題し124行で,はじめに,. 「独軍はポリ. シェヴィキ-の戦力を正しく評価することができなかった」という2月18日付のゲッベル. 閉ざされた国という3つの スの演説のことばを引き,ソ連は国内旅券制度,ゲペウ組瓢 理由で実態の把握が難しいと説く。中は「千万の予備隊,ウラルで隠密の訓練」という見 出しで110行である.ソ連は今回の反攻にあたってぼう大な予備隊をくり出したo全土か. ら千万近くの壮丁がウラルの山間,ヴォルガの上流にヴォロシーロフ,プジョソヌイのf に招集され,昨年11月19日の反攻作戦に使用されたと記す。下, 「ウラルエ業躍進,増産 の『こつ』は工場移転」 (107行)は,この冬南ソ戦場に現われた米英製戦車ほほとんど十 指をもって数えるに足りないはどで,ソ連軍の装備は主としてソ連製のものであると記 し,ウラルの山々とヴォルガの上流が反攻の予備隊の編成基地と同時に,赤軍の造兵廠に なったとする.これは,ウクライナからスヴュルドロフスク,チェリャビンスク,マダニ. トゴルスク等への横械設備移転によるもので,第2年目のウラルの生産の2, 3倍増につ づき, 「今年年次におけるウラル工業の『二倍増産の誓約』 `も単なるソ連例の宣伝として 看過するわけに行かぬようである.」と結ぶo 以上,. 1,. 2月に掲載されたソ連国内状勢についての畑中,蘇,布施3記者の解説記事.

(8) 木. 8. 村. 英. 亮. ソ連邦諸地区別国民経済投資(%). cTp.. 大戦中のソ連の経済指標. 237. 1940-100 1941. I. 1942. 1944. 1. 1945. 国民所得. 92. 66. 88. 83. 工業総生産 うち航空機・戦車・武器弾薬工業人民委員部生産 農業総生産. 9 CO. 77. 90. ー0 4. 92. 日リ.4. O. ー8 6. 22 4. 25ー. 62. 38. 37. 54. 60. 貨物総輸送量. 92. 53. 61. 7ー. 77. 国家・協同組合投資. QU. 6. 53. 53. 72. 89. 労働者・勤務員数. 88. 59. 62. 76. 87. 国家・協同組合商業小売量. 84. 34. 32. 37. 45. 国家予算支出. 98. 92. ー3. ー6 8 C T. p. ー8 9. ソ連・ドイツの軍備 ソ. 戦車. と. 自走砲 1941年. 6. 月. 1, 475. 連 大砲. 軍 と. 機関銃. ドイツと同盟国軍 軍用機. 戦車と. 大砲. 攻撃兵器. 機関銃. と. 軍用機. 37, 500. 1, 540. 4, 300. 47, 200. 4, 980. 1, 954. 22, 000. 2, 238. 1, 940. 26, 800. 2, 830. 7, 350. 77, 854. 4, 544. 5, 080. 51, 700. 3, 500. 10, 200. 105, 000. 10, 200. 5, 850. 54, 300. 2, 980. 1944年1月. 5, 258. 83, 600. 10, 200. 5, 400. 54, 600. 3, 000. 1945年1月. ll, 800. 100, 400. 12, 700. 8, 000. 56, 000. 4, 100. 12月. 1942年11(月 1943年. 7. 月. cTp.. 259.

(9) 9. 1943年1月2月の『朝日新聞』・『毎日新聞』紙面にみるスター1)ンダラ-ド戦. ソ連とほ中立を維持し をみてきた。当時日本は反共という大わくの中にあったとはいえ,′ 「対蘇開戦を主張し,或は北方危機説を強調し其の他我 て行かざるをえない条件にあり, (「選挙. 国に蘇連攻撃の意図あるが如き印象を与え徒に蘇連を刺激するが如き虞あるもの」 演説会に於ける言論取締標準」昭和17年3月26日内務省警保局,藤原彰他窮『近代日本史 の基礎知識』, 〔増補版〕,有斐閣, 1979,. 400ペ-ジ)は禁止されるという状況にあり,皮. ソ的な記事は政府の方が取締っていたとはいえ,内容は,冷静かつ正確であるように思わ れる。 ここで述べられているウラル地方の凝展,ソ連経済の動向,ソ連とドイツの兵器の状況. について参考までに, 3f(OF10・Waf{a. MocKBa,. HcmopILH. fia7{afiyFie 1978. a. 8. COtilLaJiuCmLI-i,Oli. nePl10∂ BeJllLfCOd. 3f(OfiOJWIL7(Lt. Ome-mβeFtfLOd. V, Co8emCf(aq. CCCP 801ifibL. 1938-1945. 22,. 〔『ソ連社会主義経済史,第5巻,大祖国戦争直前と戦中期(1938-45)の. ソヴュト経済』,モスクワ, 1978〕の統計をあげておきたい。 ソ連をめく小る国際関係についての解説でほ, 「スクーリングラード」後のトルコの動向 が注視されており, 2月6日付朝日夕刊にべルリソ守山特派員の「米英の保障額み難し, トルコ,赤化に怯ゆ,アダナ会談対ソ関係割切れず」という18)行の記事がある。守山義 樵(1910-64)は1931年大阪外国語学校独逸語部卒,大阪朝日入社,. 39年3月ベルリソ特. 派員となり大戦中のヨーロッパ戦線の動向についての報道の評価は高かった。 国, 49年大阪本社社会部長,. 45年7月帰. 51年サンフランシスコ対日講和会議を報道,その後東京本社. 学芸・社会各部長,大阪本社編集局次長等をつとめた。 [)レコは,イギリスと相互援助条約,ドイツと友好経済協貢邑. ソ連と不侵略条約など八. 方美人主義の外交政策をとってきたが,最近ほ「ドイツの圧力」にかわって「ソ連の脅 威」に直面している。イギリスの新聞はロードス,クレタ上陸作戦を主張しており,チャ ーチルはカサプランカ会談後トルコに飛んでいるが,このような動きは枢軸側も警戒する 必要がある。アメリカも武器貸与法によって接近しているが,米英が「ソ連の脅威」にど [}レコが対日■・対独宣 う答えようとしてい・るのか注目される,という論旨である.なお,. 戦布告したのは, 45年2月23日である。 連合国内部の問題については, て,. 2月19日付朝日夕刊にチューリッヒ田口特派員発とし. 「米英とソ連,宿命の相魁,戦後の牡を探合う,. 『反共』の声,対策に困惑」と題して,. 271行の記事がある。 2・ 1.ドイツがとくに東部戦線に兵力を集結していること, -そこでは欧州の軍事状勢を, 3.米英の北アフリカ制覇が挫折しているこ 「ソ連軍が今日まで意外の反撃をした」こと, との3点にまとめ,これは, 「戦争が徐々に決定的段階-と進みつつあると同時に,とく. にソ連軍に反し米英が軍事的に著しく立遅れていることを示すものであるとみなされてい る。」今次大戦は民主主義,全体主義,ポリシェゲイズム問の戦争でもあるが,大西洋憲 章をこ対するソ連の態度は明確でなく,また第二戦線, -ス処刑などで米英とソ連との間に 確固とした政治的諒解がなく,とくにイギリスは労働運動の復活,労働者の要求の革命 化・地中海・ア.フリカ・イソドにおける地位の低下をおそれているoドイシの宣伝は新秩 序建設から反ポリシェゲイズム十字軍結成-と移行しており,一方アメリカの-ル国務長.

(10) 10. 木. 村. 英. 亮. 官らはソ連討伐論を唱え・ポ-ランド亡命政府・セルゲィアのゲリラ戦に対する見解の食 いちがい等・米英とソ連の間の矛盾が増大している,とする。 毎日新聞では,. 1月18日付社説「ソ連の反撃挫説」. (82行)は,東部戦線の独軍の反撃 で赤軍の冬季反攻は失敗しており・米英の北アフリカ作戦の影響がみられず,米英は落胆 しているという主旨であるoしかし・. 28日付夕刊の無署名解説記事「厳冬下独ソ死闘の現 状勢,ソ軍ロストフ狙う,隠忍次期戦に備う独軍」 (161行)では詞子が変る。すなわち,. 南部戦線でのソ連軍の反撃目標ほロストフを落として北カフカスの独軍を孤立させ,さら に-リコフを手中にせんとするもののようで,ソ連軍ほ量にものをいわせて執拙な攻撃を. 繰返しているo申削ヒ部の反撃規標は小さく・戦局は厚着している。独軍ほ現在東部戦線 の部分的不利を認め・春から夏にかけての戦いに決意をみせている,という内容である. さらに2月18日付ベルリソ大島特派員特電として「独ソ第二次冬の陣の推移,独無謀の死 守を遅く・戦局政治的に複掛ヒ→. (ml14行)があり,ついでこのような独ソ戦の状況をふ. まえて2月23日付夕刊の上海北川特派員特電「転期に立つ米英・ソ関係,のし掛るソ連の 重圧・米英国論しどろもどろ」. (192行)ほ,. 「ソ連がとにもかくにも自力で対独戦をここ. まで戦い抜いて来たこと」によって・次のような状勢が生まれてきたとし,それを3点に 要約するoすなわち・. 1・ソ連の要求が,第二戦線をこえ広範な領土獲得に拡大したこと, 2・ソ連が米の西アジア・地中海・アフリカ進出を必ずしも喜んでいないこと, 3.米英に ほ即時第二戦線をという世論と同時にソ連の勢力増大に反棲も強まり混乱が生じているこ と・であるo. 1・. 2,については,亡命ポーランド首相シコルスキーの動向にからんで,ソ 連の沿バルトべッサラビア併合の意図が明瞭になった.リップマンほスカソジナゲィア・ フィンランド・沿バルトをソ連にまかせよと言っており・トルコ・イランをめぐっても角 逐がみられるoソ連はバルカン半島に第二戦線を作ることを歓迎していないとさえ言われ ているo. 3・については・アメリカの新聞界・指導層の人々が公然と世界各地における基地 獲得の必要を叫んでいるが,これほその世界制覇の野望を露骨に示したものであると同時 に,. ソ連の意図を抑えようとしたものでもあるoイギリスでも反ソ勢力が台頭しつつあ. る。. なお,朝日1月6日・毎日7日付夕刊には,満ソ国境のルポ,朝日2月7日には満ソ国 境地方での関東軍演習のルポがある。 ドイツとソ連にかんする社説としては,次のようなテーマのものが掲載されているo 『朝日新聞』 (A) ・『毎日新聞』 (M)ト4駐日ドイツ大使の交替, 立・. Aト12枢軸国潜水艦隊の活躍・. の窮状・ Aト17再び第二戟線要望, 立,. Aト23西地中海の空海戦・ A2-1軒昂たるドイツ・ A2-16独軍ロストフ撤収,. A2-26ヒ総給の党大会布告,. Aト14厳寒下の独ソ会戦, Aト18ソ連の反撃挫折,. Aト5独土借款の成 Ml-14米英北阿遠征軍. Al-22日独伊経済協定成. Al-26独伊トリポリ放棄,. Aト30ソ連猛攻に備うる独 M2-5独軍スターリングラード放棄, M2-13枢軸潜艦の威 M2-20ゲッベルス演説,. A・M2-21北阿米軍惨敗,. A2-28独米英の潜艇攻防戦 *. 最後に1943年1月2月の朝日・毎日の独ソ連関係の全記事の見出しを拾っておきたい。.

(11) 11. 1943年1月2月の『朝日新聞』・『毎日新聞』紙面にみるスターリ1/ダラ-ド戦. 当時,夕刊(e)の日付は翌日付となっていたようである。写真付はP・地図付はm,数字は 行数であるoなお,現在におけるソ連側の評価を示すため, ToM. βoliFtbL 1939-J945,. 1976. 6,州ocKBa,. LIcmopLtH. 8mOPO虎MLIPO801i. 〔『第二次世界大戦史』,第6巻〕の巻末年表に. 記載された事項を日付のあと一段下げで翻訳挿入した。 1月 -1北カフカスからロストフ-の敵の撤退を阻み韓滅するための南部・南西方面軍の攻撃. 作戦の準備と実施についての最高司令戟大本営の諸指令o ザカフカス方面軍北集団軍部隊,ドイツ第一戦車軍攻撃に移る.. -1--3. 1月-5月. ソ独戦線におけるドイツエフアシスト《A》集団軍敗北,ソヴュト講部隊に. ょる大部分の北カフカス領土解放,タマン半島のドイツ第17軍撤退o 南・ザカフカス(北-カフカス)方面軍諸部隊の北-カフカス攻撃作戦o. -1-2-4. M船舶三四隻撃沈独潜艦の戦果12。 A連合軍大西洋の損失5, 米濠部隊日本基地ブナ(ニューギニア)占領。 -2 M29, A商船撃沈九百万屯独海空軍-箇年の戦果35・ Aヒ総統確信を按摩新年の辞30,. M. 二千三百万屯開戦来の撃沈数8。 -3. ザカフカス方面軍部隊,モズドクとマルゴベタ解放。. -4. ザカフカス方面軍部隊,ナリチタ解放。. MP137・ A駐日ドイツ大使更迭スターマ-氏新任オット氏ほ本国要職-Pl13, 款協定成る22, M 7, M戦車二千を撃滅独ソ軍の反撃粉砕20,ムルマンスク爆撃7,. A独土借 A米. 英艦船各所で撃沈独伊空海軍の戦果挙がる48,独パンチラリア島に揚陸20,独軍依然優勢 M46。. チュニジア11,独ソ激戦続く独エリスタ撤退21,長期戦態勢完し独宣伝相放送38, ザカフカス方面軍部隊,プロフラードヌイ解艶第172砲兵工廠の従業員集団,赤軍 -5. 25周年を記念して社会主義競争を提唱。 Me8, Me赤軍全面 Ae独対敵外交陣の強化95,東部戦線活況23,スターリソの激励13, A日独必勝達成の年スターマ一新大 ・敗退21,空陸協力の猛進撃チュニジア枢軸軍優勢43, 使の抱負118,. M結束で米英を撃滅85,. A独の武器生産増大占領地の穀物供出快調57,莱. 本土爆撃燐烈化独空軍軍需工場を徹底攻撃15, M独伊攻防一体化北阿の米英作戦に甑鮭)5, 独仏会談再開か6,独磯英東北部猛襲14,カリーニソ議長新年演説10o ソヴェト軍の新しい階級章一肩章導入についてのソ連最高会議幹部会令。. -6. A随所に反撃を粉砕独軍戦果を拡大東部戦線赤軍の損害著し45,独軍戦況発表22・ソ連モ ズドック奪回5,補給路を猛爆北阿で独機活躍46,英本土を連爆5,モスクワ新地下鉄8, M. 8,. M枢軸軍ス-サ西北に大攻勢チュニジア戦線新展開15,中央戦区でソ軍撃砕14・英. 本土東部連爆4,独軍需生産額増大17,独潜艦護送船団襲撃5。 -7. Ae北阿の決戦迫る独軍米英軍を断乎圧迫69,独三地区で猛反撃東部戦線ドン河で激. 戦35, Me独コーカサスで大反撃ドン中流地区で激戦32,独で人造血液完成10,. 撃挫折33,赤横三十一機撃墜6,. A赤軍反. M人気の焦点大島大使ドイツ週間雑誌が特輯号P16o. Ae独高地争奪で圧倒チュニジア大攻勢展開迫る38,独梯状陣地戦法東哉戦線29,皮 枢軸戦完遂独宣伝相強調22, Me独軍の精鉄チュニジア反枢軸軍を圧倒57・予備軍相棒つ -8.

(12) 12. 木. 村. 英. 亮. 独ソ南部戦線の激闘30・ソ連戦車56を撃破ドン河地区5,ソ連の分割まで策す英紙尻を割 る25・ -9. A独英本土爆撃4・独軍発表戦況26・英紙危倶す東部戦線のソ連振わず14,. M. ソ連人民委員会議・党中央委員会決定「MTSとソフホーズのトラクター隊のための トラクタ-手・コンバイン手・械械化専門家・班長の養成について」。 南京の備儲政府,英米に宣戦布告。日本と南京偵偏政府,租界返還と治外法権撤廃に ついての協定に調印。. Ae不敵の独潜艦ミシシッピー河に進入8・. Me12,. Aeウェリキ-・ルキ喪失独否定14,. A再反撃を粉砕北阿枢軸軍9, M撃沈五割増を目標独伊通商破壊戦に拍車30,独潜艦威力 増大16,一万三千撃墜独対ソ戦果11・頗軸軍ボナ港猛爆13,独十二新工場竣工8。. 也. I-■ヽ. =--■■■■. 90.

(13) 13. 1943年1月2月の『朝日新聞』・『毎日新聞』紙面にみるスクーリングラード戦. ザカフカス方面軍部隊,キスログォツク解放。 Ae赤軍ジモフニキ-6 -10. ラステンプルクでヒトラーとアントネスク交渉.. -ll--12. スターリングラードに包囲されたドイツ=ファシスト軍部隊残滅のためのドン 方面軍部隊の攻撃(『環』作戦).. -10-2-2. -・11米英と蒋介石政府,中国における特殊権益を拒否する協定に調印。 ネラリ. ザカフカス方面軍部隊,ビャチゴルスク,ジュレズノヴォツグ,ミ. --ll--12. ヌ. イ=ヴォディ解放o M12,. A独敵油槽船団を覆滅13,. M四百三十隻を撃沈独海. A枢軸空軍活躍リビア戦線21,. 軍-カ年の戦果12,ロストフ東方で激戦赤軍の損害愈々甚大24,赤軍一個連隊葡滅9,英 南岸も爆撃4,独棟ムルマンスク爆撃5。 バルト海艦隊と協同してレニングラード方面軍・ヴォルホフ方面軍部隊の攻撃. =12--18. 作戦,レニングラード封鎖解除. Me. Ae五十万の米英軍窮すチュニジア戦線枢軸軍圧倒72,. 29,. 問題13,ドン下流激戦独赤軍を反撃22,赤軍を強圧ウェリキ-. 同作戦を協議か反枢軸軍事代表濠に集る14,. Aeソ連米英に抗議北阿 ・ルキ17,. A赤軍の猛反攻を撃退す13,. Me. Ae協. 47,. M敵機七十一撃. 墜独北阿戦果19,ベンガジ猛爆6。 ヴォロネジ方面軍部隊,オストロゴシスク=ロソシ攻撃作戦o. -13--27. ソ独戦線でこうむった人的・物的損失を補充するための非常措置一総動員について. -13. のヒトラー命令. Ae赤軍の大規模な反攻独軍着々と撃破東部戦線苛烈な戦闘150,赤軍戦況を発表7,. Me A. 独反攻の赤軍撃退ソ連極東軍も繰出す44,ロストフ攻撃断念か独反攻の赤軍を痛撃34, 赤軍戦車五百台を撃破13, イツの戦力を視る128,. M. 5,. A十六隻撃沈5,. M13,. A海底を走る「補給船」闘うド. M赤軍一個師磯波ス市戦線17,開戦以来油槽船七百隻撃沈7,メジ. ュス=エル=バブ南方で激戦。 合衆国大統領とイギ1)ス首相,カサプランカ(モロッコ)で会談。 -14--24 ビルマへの「独立」賦与についての日本連絡会議決定。. -14. Ae独伊潜艦の新攻勢敵の喉首を絞む新鋭艦一日一隻進水17,十二日間に二十六万屯独潜 Me 23, Ae土の立場微妙米英抱き 艦の戦果加わる17,魚雷二本で撃沈米重巡の最期23, Me撃沈艦船二十五独伊空 込みに必死57,赤軍戦車五千五百撃破独軍五十日間の戦果5, A敵漸く陶酔から覚む北阿戦局停 軍新年の戦果49,独攻勢に転ずソ軍反撃を悉く撃砕32, 頓に焦慮125,独羅紐帯を強化ヒ総統羅首相と会見12, 退15, -15. M28,. M24,. A独ルイバチ半島を空襲13,独英本土を爆撃5,. Aコ←カサスでも赤軍を撃 M独仏沿岸鉄の城壁P. 6. ラトヴィア・パルチザソ運動本部創設についてのラトヴィア共産党中央委員会ビュ. -ロ-決定。. 対ドイツエフアシスト占領軍闘争民族戦線創設をポーランド亡命政府「代表団」 びかけるポーランド労働党中央委員会メッセージ。 Ae地中海新作戦の気蘇る土最後関頭に立つ米英好餌で釣り作戦で威嚇55,独クレータに. -呼.

(14) 14. 木. 村. 増強11,協議ほ広汎独羅首脳の会談16,. 英. 亮. Me21,. Me独潜艦の脅威に戦く英紙政府の無能 痛撃83,艦船六隻撃沈破独海軍北氷洋の戦果12,三百磯喪失反枢軸軍北阿の損害11,独軍 猛反撃コ-カサス戦線23,ソ連紙国府の参戦を報道11,. A独ソ全戦線に死闘レニングラー ド独の包囲陣堅し51,赤軍攻勢を焦る戦車損害一日百五十台91,米英の憂色探し北阿戦局. も全く不利22,. M独の防線微動もせずソ軍突入陣地も奪還42,独軍エーゲ海に新鹿5,ソ 労働者数十万独へ6。 イラン,ドイツ・イタリア・日本に宣戦布告。・. -16. Aeヒ総統・勃陸相大本営で会見10,. 反撃態勢成る北阿の枢軸軍30,. A独軍鉄壁の防衛陣北コーカス空前の死闘展開41, M14,. A北阿の仏兵停虜を釈放ヒ総統命令17,. M12,. Mソ. の反攻撃捲9。 カリーニソ方面軍,ヴュリ-辛-・ルキ解放.. -17. A赤軍の反撃にぶるドン河下流の激戦36,バルカン諸国独伊と協力22,. Mソ連機七十七撃. 墜破独戦果4。. ラドガ湖南岸沿いポリャ-ヌイ(ジ-レヴォ)-シリッセ.)プルグ間の鉄道線建設に. -18. ついての国家防衛委員会決定 内閣と首相に独裁権を与える「戦時行政特例」. 「戦時行政職権特例」勅令. A其の戦車砲兵を撃退リビア戦線枢軸軍振う48,独力サブランカ初爆撃7,ス市の独軍鉄 壁中戟戦線重から補給83,英検ベルリン盲爆6,赤軍新階級を創設10,ソ連兵器増産に躍 起19。. Ae英軍を分散撃破リビア枢軸軍の誘導戦術40,赤軍の攻撃鈍るドン河中流17,ウェ. -19. リキエ・ルキ撤収8,. Me. A独ロンドンを猛爆22,. 8, M17,. Ae独機報復爆撃ロンドン夜襲14,. Meス市独軍頑守13,. A其の二十四機を撃墜6,英ベルリソ再盲爆5。. ウラルおよびシベリアの鉄道業務改善についてのソ連人民委員会議・党中央委員会. -20. 決定。 チリ政府,ドイツ・イタ1)ア・日本との外交関係断絶. ドイツ=ファシスト軍怒隊のユーゴスラグィアへの最初の攻撃とユ-ゴス -20-4月未 ラグィア人民解放軍の反撃 Ae. バルカン攻防作掛こ独伊鉄壁の布陣米英に廼る前大戦の夢107,土首相中立を強調21,. Me17,. Ae独機ロンドンを連爆42,. Me撃沈二千四百万屯独潜艦開戦来の戦果16,七隻を 撃沈破護送船団襲撃14,其の攻撃企図粉砕口軍戦車百廿余台破壊24, A英戦車地雷原で撃 滅リビア独軍巧妙な戦術51,赤軍攻勢焦る独軍各地で反撃39。 -21ザカフカス方面軍部隊,パルチザソと協力してスタグローポ1)解放o ドイツの工業中心地に対する「空襲」組織についての英米参謀長連合委員会布告o Ae. ポーヌ港空襲商船多数撃沈10,. Me. A赤軍新元帥を任命9,独榛の倫敦空襲続く -22. 9, Ae西使節ヒ総統会見8,. Me. 8,. 7。. 軍勤務者の家族援助のためのソヴェト諸機関と党地方組織の活動改善についての党. 中央委員会政治局決定。 Ae日独日伊の経済協定成る仏印とも決済に関する公文交換二大経済圏の総力結集戦後協.

(15) 15. 1943年1月2月の『朝日新聞』・『毎日新聞』紙面にみるスターリ1/ダラード戦. 力の基礎を樹立P71,仏印との決済は円6,米英の金権支配一掃181,世界経済を再建日 独伊三国の諒解全し59,長期戦を保障独伊の確信55!天皇皇后両陛下独大使夫妻と御別宴 17, Me23, Me独の新式地雷リビアで英軍を悩ます34, Ae智対枢軸断交宣言4,必勝へ Me日独伊経済. 大きな足場日独経済協定を祝う伍堂氏52,銃後も握手廿九日親善大会22,. 協定成る亜欧の経済力を連繋共同の敵打倒-協力116,独東亜銀行設立東京支店も近く開 設21,倣慢米英を逆封鏡協定の意義39,独磯倫敦大爆撃35, 鳴あ(o喪失船舶二千四百万屯126,. M23,. A枢軸潜艦の脅威に英朝野悲. A十七隻を撃沈破独伊海空軍の猛威25,其の前 Me25,独の夏. 進阻止リビアで独重砲部隊活躍40,独ロンドン空襲5,赤軍首脳異動28,. 季攻勢に畏怖16, M躍進する日独伊協力ウォルタート独経済使節団長と語る同盟の理想逮 成永久結ぷ亜欧共栄圏70。. ソ連人民委員会議・党中央委員会決定「ドイツ-ファシスト占領軍から解放された地 区内のMTSおよびユルホーズの復旧措置について」.. -23. イギリス軍,トリポリ(リビア)入城o Ae米英大船団を描捉独伊地中海で決勝戦果既に十豊作戦続行50, 撃枢軸病院磯撃墜13,. Me. 16,. Me41,. Ae米機不法射. Ae冬将軍赤軍に味方せず二戦線の反攻悉く失敗33,ソ連 A理. 印支人を徴用11,大島大使ヒ総統と会見7,新欧洲建設の要田独財界新協定に信頼, 想的協力独当局日独協定を讃美29,. M有利な高地奪取チュニジア戦線独山岳部隊23,トリ. ポリ南方で激戦12,独擁莱本土連襲4。 ザカフカス方面軍北集団戟隊,アルマヴィル解放o. -24. ザカフカス方面軍部隊北集団の北カフカス方面軍-の改組についての最高司令戟大本 営の指令。 ヴォロ-ネジ,プリャソスタ両方面軍部隊のヴォロ-ネジ=カストルノ-攻撃. -24-2-2. 作戦。 Aeトリポリ南方で激戦チュニジア決戦迫る42,枢軸軍兵力を増強20,. Me冊八隻血祭り. 枢軸軍西地中海の戦果25,南米水域でも活躍12,撃沈月百万屯米英枢軸潜艦に悲鳴29,独 軍東部戦線で消耗戦法53, 攻防戦36,. M. 6,. A英の計画は挫折枢軸軍トリポリ撤収48,. M23,. A独英本土爆撃5,独横頻りに英機撃墜7,独勝利を確信32,. 反枢軸月百万屯失う7,. Aス市激烈の M28,. M独米英防衛陣に棋中部チュニジア13,独伊空軍ボナ港を猛爆商. 船五隻撃沈破9,ウラルを兵器廠化ソ連生産強化に大童71。 -25. ヴォロネジ方面軍戟隊,ヴォロネジを解放.. A独果然攻勢に出ずチュニジア戦線仏坂軍を撃退68,果敢に防禦ス市の独軍10,独伊結束 を囲む51,. M伸縮自在の防衛線独戦略的に戦線整備31,銃後一丸で戦勝-独国民緊張33,. 新軍隊大動員8,攻防戦焼烈サリスク附近15,ソ連両市奪回発表9,英撤収阻止失敗中部 チュニジャ枢軸軍奮戦35,枢軸軍チユニジャに入る6。 ドソ方面軍第21・第62軍部隊,スターリングラードのママ-エフ・クルガンで合体, 126 包囲されたドイツ・ファシスト集団を二分。. Ae赤軍侵入を釘付けス市独軍の英雄的防戦40,赤軍後方混乱ドン河戦線20,枢軸チュニ ジア席巻仏坂軍の空軍全滅す33,枢軸集結完了英紙逸機を口惜しがる72,欧測食糧戦の前. A.

(16) 16. 木. 村. 英. 途独伊の対策ほ万全英ソも一応の自給態勢188, 8,独ス市西方地区で死闘赤軍の猛攻阻止16,. 亮. Me枢軸軍丘陵地帯占領チュニジア戦線 A.ドン河下流で激戦独軍の消耗を待つ76, M3,. ロストフに大軍集結10,独ウォロネジ撤退18,. M独落下傘部隊活躍チエニジャ戦線. 180. ソ連・ウルグアイ,外交関係復活. Aeソ軍の反攻頓挫独の堅陣遂に揺がず26,独国内車線を強化画期的な蘇人労働力動員実 -27. 施29,. 「ス市に英雄的奮戦」・31,英の上陸企図を撃退独軍の北欧沿岸防備固し25,枢軸軍. 優勢チュニジア-続々集結26,. Me勝利-の一大試錬独耗戦局の重大性認む78,赤軍攻勢. 弱化正面防衛線不動17,枢軸軍有利態勢-チュニジア戦ロンメル作戦成功52,撃沈一日に 五隻平均米英独潜艦の猛威に悲鳴あくt.46, A凄絶極む独ソ冬の陣独軍空前の試煉死物狂い 赤軍の反攻264,全戦局を支う独中将ス市防衛軍を称う43,中南部で激戦ス市防衛戦21,. 千七百余機赤軍の損失6,. M6,. A独榛英本土を空襲5,. M4,. Aソ連イラク復交か7,. M7,. M峻峰競う自然の要塞チュニジア戦線枢軸鉄壁の備え87,独空軍赤軍を強襲12。. -28. ルーマニア共産党の非合法紙「自由ルーマニア」創刊号発行。. Ae独軍の抵抗力増大赤軍躍起の攻勢鈍化すP39,ロストフ東方激戦26,. Me. Meス. 36,. 市の独軍抗戦続行13,和蘭爆撃5,伯林爆撃の被害8,マ-レス線に堅陣チュニジア戦線 戦況順調30,厳冬下独ソ死闘の現状勢ソ軍ロストフ狙う隠忍次期戦に備う独軍Pm161, 総力挙げ赤軍打破戦局推移に独不動の構え152,独又も英本土爆撃7,. M7,. A. A枢軸の契り. 固しあす日独伊銃後大会26,. Mドン河で赤軍撃退独軍各戦線で激闘14。 北カフカス方面軍部隊,マイコプとティホレツク解放。. -29--30 -29-2118. 南西・南方面軍部隊,ドンバスで攻撃作戦.. Aeヒ総統三十日に演説6,. A敵船十六隻撃沈独潜艦輸送船団を猛襲20,米機独の両港を 盲爆7,英検も独西部盲爆7,ようこそ新独大使思い出の東京着任p52, MP36, Mス市 地区頑守11,独全面的動員令断行15,国民を鼓舞ヒ総統あす演説7。 -30-31アダナ(トルコ)でイギリス・トルコ首脳会談,トルコを対独戦にひき入れる 試み。. イラン人民党検閲紙「ラフパル」創刊号発行。 デーニッ捷督をドイツ海軍司令官に任命o Ae独伊軍の集結完了チュニジア決戦迫る43,米の死傷一千余名8,独強制労務令公布断 -30. 乎婦人労働力を徴用48,独英本土報復爆撃9, 就々17,. Me9,. Ae驚くべき新性能英独潜艦に戦々. Meソ軍完全掃蕩ドン河下流独猛反撃を展開28,攻勢を完全阻止ス市の独軍抗戦. 続行21,戦車五百余撃砕イルメソ湖地区反攻挫折14,重しき宣伝効果カサブランカ会談独. 情報部長談23, Aナチス執政きょう十周年決戦-隆々の国力新興の気現世界新秩序へ蕎進 P124,きょう伯林の盛儀17, M8,. M13,. Aソ連全自動車代燃化8,. M8,. A伯林-の料亭も休業20,コロンビア対ソ復交8, A米英撃滅-血盟の叫び日独伊銃後大会P26,. MP. 200 -31-415. クルスク・スムイ・ポルタヴァ・キ-ログォダラード・オデッサ・ゲィニッァ・. キエフ・ジトミール各州の嶺域でM.. Ⅰ.ナウモフ指揮下のパルチザン騎兵編隊の奇襲..

(17) 17. 1943年1月2月の『朝日新聞』・『毎日新開』紙面にみるスターリ./グラード戦. -31スターリングラ-ドでパウルス元帥指揮下のドイツ=ファシスト軍南集団降伏,北ア フリカの連合軍最高司令官にアイゼソ-ワー将軍任命。 イタリア軍参謀本部長カグアレロ将軍退職,後任にアムブロジオ将軍任命。 1月-2月. ミュソ-ソおよび他のドイツ諸都市に,抵抗運動の学生組織「自バラ」の反. ファッショ・ビラ流布。 1月-3月 ドイツで外国人及びドイツ人労働者,サボタ-ジュとストライキのため大量 逮捕。. Ae赤軍一個師を残滅独コ-カサスでも戦果32,独アルジェ←爆撃10,独軍需工業の威力 十周年記念三首脳強詞す37,ソ連の国内戦線と陰影激減した農業生産工業燃料にも薪を代 用216,. Meドネッ河畔に遊撃独戦車百四十を粉砕33,. 滅ナチス執政十周年ゲーリング元帥喝破P78,. A春季大攻勢を待て誓って赤軍撃 MPl12,. Aウルグアイ対ソ復交6,. M5,. M独戦時国民労務申告令公布女子動員に重点18,卑劣な其の宣伝独軍ス市になお死闘29, 赤軍クロボトキソ奪還を発表5,イルメソ湖方面の戦闘終結10,敵艦船七隻撃沈破枢軸空 軍ブージー襲撃14,全独兵器廠化資源局長強調11,英沿岸白昼爆撃6o 2月. 日本軍ガダルカナル島(ソロモソ諸島)撤退。. -1--8. Aヒ総統必勝の宣言ナチス執政十周年いまぞ存亡の関頭全欧解放の日まで戦うP128,MP 124,. A沸る愛国の至情緊張のナチス記念日33,ウォロネジで激戦36,独海軍総司令更迭 デニッツ元帥新任すPll, MP37, A十四隻を屠る独伊潜艦活躍12,ナチス誹讃文書発表. 13,. M徹底的な全体戦ゲ宣伝相国民の結束力説71,艦船十一隻撃沈破枢軸空軍散大護送船. 団襲撃9,英軍の侵入阻止北阿の枢軸軍奮戦26,帰国の友-銘刀オット前大使に真心の贈 物P15。 -2-3-6. ヴォロネジ方面軍およびプリャソスク(後中央)方面軍左巽諸戟隊のクルスク=. ルイリスク・-リコフ=ポルタヴァ方面攻撃作戦o スタ-1)ソダラード北地区のドイツ=ファシスト部隊降伏o. -2. スターリングラード鉄道中継点・スターリングラ-ド=ティホレツク・スターリング. ラード=リ-ヤ鉄道線復興についての国家防衛委員会決定。 メダル「祖国戦争′1)レチザソ」功一級・功二級制定についてのソ連最高会議幹部会令o ログノ・ジトミール・キエフ各州でS.A.コフバク軍団の奇襲o Me独パウルス大将元帥-ス市地区司令官6o -2-5-25. ドイツでスターリングラード「英雄」を追悼.. -3--6. A凄烈ナチスの闘魂ス市の独軍重囲下に奮戦217, M屍山血河の激闘ソ連大軍を支うス市 南部独軍抵抗を停止64,独陣容を再編決戦の磯狙うビクともせぬ銃後戦線128,満ソ国境 報道隊の錬成18。 -4-4-6. 北カフカス方面軍部隊黒海グル-プ黒海艦隊とともにノヴォロシイスク上陸作. #. -4. ムイス-コ地区(ノヴォロシイスク南方)でソヴュト上陸戟隊橋頭壁を確保o ソ連政府,ソ連とコロンビア間の公使交換についてのコロンビア政府の提議受入れ。.

(18) 18. 木. 村. 英. 亮. Me35,. Aeス市北部独革も連絡杜絶す5,. A独柔軟防禦の秘策対ソ戦線随所で反撃63, 零距離で最後の斉射壮烈ス市死守の両将軍戦死50,六万トン撃沈独潜艦の新戦果6, M対 日戦-誘導の軒計ス首相看破して一蹴カサブランカ会談米英の日算外る135,春季攻勢の 基礎築くス市死守独軍の功績19,独軍撤退サドソ河下淀地区10,赤磯八百を撃墜破6,商 船三隻撃沈独潜艦新戦果6o 2月15日付ドン両軍の中央方面軍-の再編成についての最高司令部大本営指令. 南西方面軍部隊,イジェムとクラマゴルスタ解放。. -5. ムソ1)-ニ・イタ1)ア政府改造. Aeスターリングラード戦闘を停止独総統大本営で発表5,英雄を追悼独国民一斉自粛15, 新攻勢-の礎石最後の一兵まで戦う51,将兵みな英雄ス市龍城の独軍を見る88,チュニジ Me P16, Meス市の戦闘終了独軍巻土重来 ア猛攻8,スターマ一大使信任状捧呈P19, 期す30,第六軍の奮戦を称賛独国民も関心27,演芸娯楽停止8, A限界のない日独友情ス. ターマ一大使の決意強化に強化重ねんP60,. M63,. A南北枢軸軍握手成るチュニジア全域. の制圧近し23, M独各地でソ軍を撃退20。 敵のデミアンスク橋頭堕一掃のための攻撃作戦準備についての北西方面軍に対する最. -6. 高司令部大本営指令。 Ae米英の保障額み難しトルコ赤化に怯ゆアダナ会談対ソ関係割切れず179,独小売店閉鎖 石炭節約のため31,. A日ソ関係は不変ソ連も中立条約を尊重せん外相言明19,赤軍新肩章. を採用13,独料理店時間短縮9,. M独小売商店等を整理24。 国家防衛委員会決定「鉄鋼業緊急助成措置について」。. -7. 南部方面軍部隊,バタイスクとアゾフ解放。 Ae独本土窺い米空軍惨敗重爆八検撃墜31,独米英換五百余撃墜18, 海戦9,さらば私生活徹底したドイツの賛沢粉砕61, 22,独横敵陣猛爆チュニジア戦線4,. Me. Me. 25, Ae地中海で. ソ軍の上陸企図撃退ノ軍港北方. A満ソ国境第一線から関東軍第一次報道演習156,. M凍る北満国境線声なき緊迫感銃後の便りに歓声沸く130,米軍退却すチュニジア戦線9, ス市の独軍四万八千脱出8。 ヴォロネジ方面軍部隊,クルスク解放。 -8 MIO4, A日ソ漁業条約外相答弁暫定協定も交渉中57, M独潜艦敵艦船廿四隻撃沈破16o 北カフカス方面軍部隊のクラスノダ-ル攻撃作戦. -9-3-16. チャーチル,ヨ-ロッパ第二戦線の開始を1943年8月-9月に延すことについてスタ ー1)ソに書簡. Aeナチス党大会挙国総力戦運動を展開12,ロストフ南方激戦展開独軍集結完了37, 十四隻撃沈独滞艦新戦果9, -10. M. 90. M.ガンジー,インドのイギリス植民地当局の政策に抗義して3週間の断食開始.. アルジェ1)アで民族ブルジョアジー指導者,自治と民主化を要求した「アルジェリア 人民の宣言」を作成。 Ae必勝へ挙国溝進ヒ総統ナチス指導者と会談20,三千万トン撃沈開戦以来の枢軸海軍の 戦果13, Aソ連の東亜兵力最小限度は保有佐藤軍務局長言明16。. A又.

(19) 19. 1943年1月2月の『朝日新聞』・『毎日新聞』紙面にみるスターリングラ-ド戦. -11南=西方面軍部隊,重要な鉄道中継点ロゾヴ7ヤ解放。 Aeクルスク地区で激戦展開9,勇将--ゼ大将逝去15,. Me. 4,. Mジ海峡で海戦7o. -12-3-21オリョール=プリャソスク方面でブリャソスクー中央方面軍及び西方両軍左 翼の攻撃作戦。 -12. 北カフカス方面軍部隊,パルチザソと協力してクラスノダール解放。 南方面軍部隊,シャフトイ解放o. A赤軍蹟摩す-リコフ戦線28,. M独横英本土猛襲5,長距離砲も猛威8,ドイツ人の性格. 男の身奇麗と女の健康美戦時伯林風景194。 ドイツ=ファシスト軍集団「ドン」,軍集団「南」. -13. -再編成o. 南方面軍部隊,ノダォチェルカスク解放。 Me独軍猛反棲赤軍ロストフ包囲放棄か29,. Aソ連の戦力破壊独今夏の第三次攻勢117,. Mソ棟六十撃墜4。 -14--23 -14. 南部チュニス(マタナシ地区)でドイツ軍の反撃o. 南方面軍部隊,ロストフ=ナ=ドン解放o. 南西方面軍葡隊,ヴォロシロフグラード解放o Ae枢軸潜艦の活躍強化相次ぐ戦果に米英戦く93,赤軍の攻勢弱まるなお数地点で激戦展 Me電髪酒場姿を消す燃えたつ愛国. 開41,赤軍戦車九十を喪失5,独さらに増税せん10,. A英独潜艦に陶々10,. の情を二法令に完勝へ突撃するドイツ105,. Mクラスノダール撤退. 独側発表4,独近く増税断行12。 -15--28. 北西方面軍部隊によるデミセンスク橋頭壁一掃o. A独軍ロストフ死守赤軍新鹿猛攻を開始31,ソ連使節南米通過8。 スターリン,北アフ1)カにおける英米部隊活動の積極性向上の必要性についてアメ リカ大統領ローズベルトイギリス首相チャーチルに書簡. Ae欧州上陸を焦る米英ソ連の進撃に疑惑100,英ソ土三国代表会談10,ロストフ撤収独 -16. 軍秩序整然と移動16,. Me17,. Ae反攻を撃退ノヴォロシスタ方面の独軍24,仏教軍退却. Me数-リコフで猛反撃赤 チュニジア放棄13,独英海岸を砲撃5,ソ連チ元帥渡米か9, 軍を包囲残滅戦展開36,働く女性ドイツの巻徴用は女の誇りガプチ1)守る生産陣PIO8± Mソ連戦車百廿九台喪失4,独保護領. A来襲英機八棟を撃墜6,ソ連将星ナタ-ル着7, も総動員7。 Ae. ソ連-二千磯米が既に供給26,土ソ友好条約締結か12,其の交換船地獄-独海 軍が撃沈のパリ号48, Me対独借款調印土外務省発表8,拳闘家も騎手も戦場へ軍工場へ -17. 全面動員にドイツ蕎進40,アルゼリア-迫るチュニジア枢軸軍ガフサを占領45,. M9,. 撃沈英船三千四宙jil六隻12,強硬不満表明かソ連軍事使節の訪米英27. Me5, Ae独-リコフを組織的に撤退11, Ae凄烈な市街戦10,チュニジアの枢軸軍 -18 好調10,. 1)ヒトホ-フェソ男元帥に昇進Pll,. A加コルグェット艇撃沈8,. M5o. Mロメル軍の進撃急潰走の米軍殆ど蔵滅24,ドネッ攻防独優. 勢の予備軍動員37,赤軍損害莫大5,独英本土爆撃5,蒸返す第二戦線バルカン上陸を妄 想37,ソ土混合委員会ソ連提議か22,. MIO,. Mチモシュンコ元帥華府着4。. M.

(20) 20. 木. -19-3123. 村. 英. 亮. ドンバスと-リコフ地区でドイツ=ファシスト軍集団丁南」の反攻のソヴュ. ト軍による撃退。. Ae米の機械化部隊全滅チュニジア敗戦英却って冷笑す17,米軍損害一万14,作戦の主導 権完全に枢軸軍の掌中49,独英南岸爆撃スワンジー要港7, Me枢軸軍前進チュニジア戦 緑lo, A独軍艦船二隻爆沈8,来襲の八機を撃墜5, -リコフ撤収公表4,独軍の撤退と 新攻勢への期待戦術観に一転横国防軍への倍額絶対181, M枢軸軍猛撃を続行チエニジャ 米軍重囲に陥る28, -リコフ南方で独機甲部隊猛反撃撤収ほ整然,と実施22,市街戦を展開 独ノヴォロシースクを頑守6。 Ae全欧に赤化の危機独宣伝相頗起の急を叫ぷP248,. Me独新攻勢-全力ゲヅベル ス宣伝相国民の奮起促すP238,アルジェリア国境廿キロに迫る枢軸軍破竹の進撃11,. -20. チュニジアを席巻枢軸軍中部鉄道を掌握m73,ワ大将元帥に昇進8,ソ連敵わが戦果報道. A. ll,. Mゲ9ベルス演説を聞く伯林東京国際電話達しきドイツの自信最悪時に全国民頗起. 80,反枢軸軍総退却かチエニジャ戦線北部の英軍も危機m32,赤軍を黒海岸に圧迫9。 Ae米軍アルゼリア-潰走枢軸軍要衝ピショソを占領m32,ロメル軍急追撃アトラ. -21. Me第二戦線に先手打つチュニジア 戦線枢軸軍勝利の意義m93,アルジェリア-退却反枢軸軍司令部も自認26,中部鉄道網 ス山麓に殺到36,仏坂軍も退却7,赤軍攻撃減退17,. を掌撞17,独総動員施策26,. A米英軍連絡企図空しチュニジア米軍の損害は深刻48,独機 蘇格蘭を空襲5,艦船四隻撃破アルジェリヤ沖枢軸軍戦果8,トリポ.)ベンガジを爆撃6o 国家防衛委員会決定「ドンバスの炭鉱復興について」. -22. ヒトラー-ドイツへのフランス労働者の新割あて数派遣についてのゲィシーニラヴァル. 政府首脳声明。 A米英軍大混乱に陥るチュニジア枢軸軍更に追撃m29,独軍の反撃機烈赤軍騎兵部隊を 残滅68,赤軍をス首相激励15, M15, A独西欧の備え固し8, M枢軸軍更に西進チュニジ ア戦線米戦車師団大半戴滅31,独猛反撃オリョ-ル地区29。 敵のトーチカの銃眼を自分の胸でふさいだ親衛兵A.M.マトロ-ソフの不滅の武勲o 123 Ae仏占額地の境界撤廃9,. Me5,. Meカッセリヌ占領北阿枢軸軍の猛威10,ソ連対米軍 事使節派遣を否定5,転換期に立つ米英ソ関係のし掛るソ連の重圧米英国論しどろもどろ 192,. Aまず重慶ソ連が戦え米の募兵計画に輿論の反対124,枢軸軍愈々振うチュニジア米. 軍全線動揺20,独土にクレジット提供21,独潜艦大戦果12,. M. 8,. MノヴォPシースク軍. 港を強化独軍新銃哉隊上陸m13,新攻勢開始チュニジア17,独戦車部隊監督長官ヅ将軍 任命7,独淘通商協定更新へ・8. -24. タイプイシュフの勤労者のイニシアティヴで1943年国家計画の超過遂行とソヴェト. 軍総司令戟特別フォンド創設をめざす社会主義競争始まる。 、 強制的義務の撤廃・衣食供給の組織化・賃金引上げを要求するアテネとビレウスの労. 働者・勤務員・学生のゼネストと大衆的デモ. Ae赤軍の攻勢衰う独当局言明14,赤軍戟串八千を撃砕5,米兵ら八百余溺死北大西洋 で二輸送船撃沈23,独升一万トンを撃沈12,諏訪根白子嬢に名提琴天才的演奏に独朝野の 感銘P25, Me独軍総攻撃ドネッ考曲戟8, A枢軸軍急進チュニジアm20,ヒ総統の新.

(21) 1943年1月2月の『朝日新聞』・『毎日新聞』紙面にみるスター.)ンダラード戦. 21. 統帥方針12・ Mソ軍の攻勢失敗30・独力で抗戦ス首相激励13,今こそ火の玉のドイツ繁華 街は大戸下して女子供も祖国に起つ悲報の翌日細った私生活P153.. 25- 28ドイツ外相リベソトロプと国防軍作戦指導本部副部長ウォーリモソト将軍,今 後の戦争指導の問題についてイタリア政府及び軍指導層と話し合い0 第92砲兵工廠の従業員集団,メ-デー記念社会主義競争を提唱. Ae反撃赤軍を包囲東戟戦線弘戦死傷千三百万開戦来の赤軍損害12, -25. 三百喪失欧州盲爆英機13・ 虜四千チュニジア戦線40,. Me. 10,. Me三千. Meソ軍数個師残滅ドネッ地区42,枢軸ターラ肉薄二日間で描 Aク市の赤軍記念日15,. M敵船十七隻撃沈独軍大西洋に新戦果. 4,駐米ソ大便召還説26. ベロルシア共産党(ポ)中央委員会総会,共和国の被占領地区の党組織の任務. 26- 28. を審議。 Ae. P全欧の総動員断行歴史の大業完成東蕃戦線こそ勝敗の鍵183,猛撃赤軍を捲くオリ. ョ-ル地区大赦観40・十七隻を撃沈大西洋独潜水艦の猛威16,独軍の戦果大チュニジア戦 6, Me必勝-全欧総動員ユダヤ人根絶を期すと総 10,名提琴を贈られる諏訪板白子嬢P 統鉄の信念を按摩130, A新動員で戦力強化独決戦-満を持す補給難でソ軍足踏みm 独国民鉄の団結盟邦を信じ勝利へ蓮進坂西中将談P176,. MP329,. 6,チュニジア作戟の目的を達成独軍言明東西の米英軍を分断36,. 化米ソ関係をも冷却34,ソ軍歩兵部隊を葡滅ドネッ地区7o Ae独軍猛反撃-リコフ地区で激戦16・独公使葡首相会見5, -27. 103,. A赤軍司令官を描虜 Mソ亡命波蘭め反日激 Me独軍再反撃空陸の. 戦果拡大34・世界の謎ソ連の底力上林串砲の行進米英も隔す偽装観兵式P124。 A独反撃の自信満々ドネッ要衝確保を決意95・ソ連空軍中将殉職6, 隻を撃沈15,. Mll,. M. 6,. A独括艦十七. M独軍の再攻強化ソ連側も不利を認む34。. -28リュ-カソ近郊でノルウェーのパルチザソ,重水工場を爆破。 Ae赤軍を各個包囲独軍の大規模反撃進展45・ Meドネッの赤軍撃退独軍既に攻撃に移る m66,世界の謎ソ連の底力千万の予備隊ウラルで隠密の訓練110, 印共へ釈放請願を指令9,独磯倫敦夜襲6・ドイツで競馬禁止6,. Aソ連ガンジー軒こ注目. Mイエーメソ対枢軸断. 交8。 2月. デンマークで大ストライキ. ソヴュト連邦の被占領地区住民にたいし,ドイツ-ファシスト占額当局労働義務制を 導入。. 結. び. 「独ソ戦争の推移帝国のため有利に進展せば武力を行使して北方問題を解決し北辺の安 定を確保す」という1941年7月2日の御前会議決定(「情勢の推移に伴う帝国国策要綱」, 服帝卓四郎『大東亜戦争全史』,原書房, な考え方があらわれているo. 1965,. 79,. 83べ-ジ)には,日本政府の基本的. 1931年に始まる中国侵略ほ,中国を半植民地とし,ここをソ 連共産主義に対する防壁としたいという帝国主義的要求にもとづくものであった。中国便.

(22) 木. 22. 村. 英. 亮. 略の行詰り打開の政策ほ,. 1941年対米英戦を引きおこした。 緒戦を奇襲によって勝ち進んだ対米英戦は, 1943年初めにはまったく展望のないものと. なり,独ソ戦は「有利に進展」せず,ソ連とは中立関係を維持せざるをえず,さらには米 英との講和のあっせんを繰返し打診するような立場にさえ追いこまれたのであるo 他方ドイツは,スターリングラード敗戦後1943年2月18日のゲッベルス宣伝相の演説 で,. 「赤魔」と「ユダヤ禍」の脅威を訴え,米英とソ連の離間をねらった.毎日新聞ほ社. 説で,. 「あの演説は,予想外に強力なソ連の武力及びその武力を推進力とする欧州赤化の. 危険について正直にありのままを世界に告げたもので,. --引出さるべき結論とてほただ 二種類に限られる.即ち赤化を善しとするもの及び赤化を非とするもの,ただこれだけで ある」 (2-18)と論じている。 日本はこのように,ドイツとソ連に両またをかけるような矛盾する政策をとっており, 国際記事にかんして,一貫した検閲方針をとることほ不可能であったであろう.そのため か,国際解説記事などには欧米の論調もふまえた意外に水準の高いものもあり,戦争の実 状を示すヒソトも出されているような印象をうける. 本稿では, 「転換期」. 2カ月間の統面を独ソ戦争関係に限って見たものであるが,より. 期間を長くとり,対米英戦・対中国戦・「南方」関係をふくめて検討すれば,もっと総合 的な分析になりえたかも知れない。 しかし,この限定された資料からだけでも,言論の自由のなかった時期の新聞とほい. え,並の知能と常識をもって紙面を普通に読んでいれば,すでに1943年1. ・. 2月に危壊的. 段階を迎えており,日本の勝利の展望がまったくないことは理解されたほずのように思わ れるのであるが,この後2年半も勝利を居じ戦争を継続したのは不思議なことである。こ のような国民的規模での判断力の衰弱とその日(oらしの状況に,ふたたびおちいらない保 証は今日はたしてあるであろうか。.

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