ディオニュソスの肖像 : 後期ヘルダーリンを中心に
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(2) (3). ディオニュソスの肖像. に支えられ教育的に機能するもの、秘教性とは無縁な開かれ. 同じくシュライア-マッハ-の宗教哲学の影響下にあって、正統派. 作家たちほ神話と宗教を厳密にほ区別していなかったと指摘してい. たものというはどの意味のようである。フランクは、初期ロマン派の. (感性). つ歴史的なもの等と規定されていることから考えると、理性と想像力. 青木. oder. ヽ. ヽ. Europa)』冒頭で次のように述べている。「この広. (Die. -リス). 「ひとつの共通の関心. und. gemeinschaft)iches. (傍点ノヴァ lnteresse)」. Wein)』(特に第七連-第九連)、『あた Nacb{)』. の概観を通じて. Feiertage・・・・・・)』を考察し、ノ die. *. かも祝いの日に-・・・(Wiewennam 『夜の讃歌 (Hymnen. *. ヴァ-リスの. 比較を試みるであろう。 辛. いることだろう。酒の神、光輝にみちたアポロン的秩序の対極に位置. ニ-チェの『悲劇の誕生』やハイネの『流刑の神々』を思い出す人も. ディオニュソスと聞いて葡萄酒を連想する人は多いであろう。また. an. に『パンと葡萄酒(Brod. のものに何ら変るところはなかった。本稿は、右のテ-マのために主. 続けたこの二人が、同じ結論に達しなかったとしても、彼らの希求そ. 時代の現在を見つめ、内的な装いを一新した共同体の可能性を探り. 意識のありように他ならない。. とは、宗教を核とする共同体に護られ、かつそれを支えているという. (ein. ようとも、ひとつの共通の関心によって結ばれていた。」. ヽ. 大な宗教の王国を成り立たせる国々は、お互いどれはど遠-離れてい. Cbristenbeit. ヴァ-リスである。彼は『キリスト教世界またほヨ-ロッパ. 批判を行ないながら「新しい宗教」を求めた詩人がもう一人いた。ノ. る. (いわゆ. (秩序)、破壊と平和等々およそ対暁的な領域を包. の女神デ-メテ-ルの子(イアッ. である。彼ら. 手始めとしてアジアにまで征服の旅を進め、トラキアを経てギリシ7. ほ恐ろしい狂気をもって臨み、破滅させた。彼はエジプトやシリアを. 平和をもたらし、葡萄の栽培法と酒の作り方を広めた。抵抗する老に. (パッカイ)、シレノス'サテユロスを従え'行く先々で争いを鏡め、. の特質を決定づける大きな要因となっているようだ。彼は1団の信女. って際立っている。嫉妬深いへラの介入による狂気の体験ほ、この神. は様々な事績を残したが、なかでもザグレウスの転生である第二のデ ィオニュソスは、誕生から天界へ昇るまでの問に行なった大遠征によ. コスと呼ばれ、エレウシスの秘教会への参列者を導-). る)、第三はゼウスと大地(穀物). るテ-バイのディオニュソス。豊穣多産の女神レアから秘儀を授か. カドモスの娘セメレ-の交わりから生まれたディオニュソス. 千(オルペウス教におけるザグレウス)、第二はゼウスとテ-バイ王. ならない.すなわち第1は、主神デウスと冥界の女王ペルセポネ-の. くことにする。出自に関しては少-とも三つの場合を区別しなければ. (5). そこで本論の展開のためにディオニュソス神話の輪郭をなぞってお. ヘデリヒによれば八通りも確認されるという。. (4). いかず、ヘルダ-リソのディオニュソス像形成に大きな影響を与えた. 括しているのである。そもそも出自ひとつをとってみても一筋縄でほ. (混沌)とコスモス. のように変幻自在なありようを示し、その支配は陶酔と覚醒、カオス. てられているかにみえる。だがこの神も神話の通例に漏れず'仮面神. ほねのけて夢のように出現する狂操の一場面を操る神.こうして、デ ィオニュソスにほ最もふさわしい活動の場として陶酔の領域が割り当. して冥暗な混沌の世界を宰領する神、そして、キリスト教の非寛容を. 一〇.
(3) ようにさえみえるのである。たしかに『帰郷(Heimkunft)』第一連. のように、万象の混沌たるせめぎ合いのなかで明けてゆくアルプスの. に入り'故郷のテ-.I(イを席捲して地中海に向った.7説によればス ペインまで足をのばしたともい-。また、エウ-ビデスの. 雄滞な風景を「朝はバッコスのように昇り来る」と歌った例や、『パ. 『バッコス. の信女たち』から知られるように、松明を掲げ、霊杖を振って信女た. (ディオニュソス). の名が呼ばれたのであり、後者の場. 合、「狂気」には「喜ばしい(frohlockend)」という形容詞がついてお. ねてバッコス. 的にも象徴的にも夜から朝への移行、すなわち新たな秩序の誕生に重. ンと葡萄酒』第三連のように「聖なる夜」に突如として歌びとに襲い. にほ、ディオニュソスの破. に陶然と酔い痴れ、エクス. ちを狂乱の踊りへと誘い、祭儀の絶頂において獣を八つ裂きにして共. (オ-モバギア). かかる「狂気」を歌った例はある。だが前者について言うなら、具体. と生肉食い. に生肉を食らうという凄まじい神でもある。信女たちほ八つ裂き(ス パラグモス). タシ-を覚えるのだといシ。. このような特有の狂操状態(オルギア). り、その喜びほ「万人に共通の (allengemein)」「尺度(MaL3)」を求 めることから-るものなのである。いずれの場合も積極的な価値と結. 壊ないし解体する神としての横顔が典型的に現れている。社会的秩序. や規範のみならず運命までも含め、人間を制約するものいっさいがこ. びついた発語なのだ。. 一老』である.キリスト、ディオニュソス'ヘラクレスを兄弟として. (ディオニュソス). 捉えた詩行ほ三つの稿態に共通しているが、ディオニュソスの描写は. それぞれかなり異っている。エ-ゲィ-ル. は「各地の民の死への衝動を制し、昆を引きちぎったので、人びとは ものがよ-見えるようになり/死の道を歩んだりせず、節度を守るの. ながら/葡萄山を開き/民の食感を鎮めた。」(第一稿)エ-ヴィ-ル. ふんまん. を虎に引かせて/インダス河まで-だり/奉仕を命じて喜びを分かち. は「車. ヘルダ-リン的ディオニュソス像を最も明瞭に伝えているのは『唯. の神の示現によって解き放たれ'混沌とした状況が生み出されるので. ある。権力の側に立つ老にとってこの神は大いなる脅威以外の何物で もない。だが一方でほ、征服の旅の略述からもわかるように、混乱を おさめ、新しい秩序をもたらし'文化を促進する神でもある。まこと (6). な存在なのだ。. 題とする詩、あるいほこの神にゆかりの深い形象を取り入れた詩は一. 親しみ、『バッコスの信女たち』の一節を翻訳しているはどだから、. 壊や混沌とは別な位相に焦点を結んでいるのである。ユウ-ビデスに. -るディオニュソスの像は、申し合せでもしたかのように'狂操や破. 八〇〇年以降のものに限ってもかなり多いが、それらから立ち現れて. 性を否定するものではな-、混沌を制してコスモスを築くという一点. これらに認められる表現上の相違ほ、基本的パ-スペクティヴの同一. 正しい道と場所を命じ/各々のあずかるべき事柄を定めた。」(第三稿). 誰の目にも明らかなように、忌わしい迷誤を正し/(・‥)/瞬時にして. だった。」(第二稿)「その昔、この大地の神(ディオニュソス). ー一. ヘルダ-リンがスパラグモスやオ-モパギアを知らなかったとは考え. ディオニュソスの肖像. 青木. がディオニュソス像の要となっている。言い換えるなら、ヘルダ-リ. (7). たみ. にディオニュソスは、その津名のとおり、アイオpモルボス(様々な 形をした). *. さて、ヘルダ-リンの場合はどうであろうか。ディオニュソスを主. *. に-いのだが、そうしたディオニュソスの横顔を意識的に避けている. ほ/. *.
(4) るo. ディオニュソスの肖像. (bezAhmen)」、(死の衝動を)「制する(aufhalten)」、(迷誤を)「正. ここに用いられた(葡萄山を)「開-(stiften)」、(念漕を)「鎮め. ンのディオニュソスは、覚醒と形成と制御を固有の働きとするのであ. 青木. ン的ディオニュソスのトポスがはば出揃うことになる。「ガンジスの. ます。沸き立ちと解体は必ず死滅か新たな形成に至り着-ということ. ろうか。一七九七年一月十日付のエ-ベル宛の手紙から引用しょう。. 「一般的なことだけれど、たったひとつ慰めに思っていることがあり. 岸辺は喜びの神のかちどきを聞いた/ものみなを平定しっつ、インダ ス河から若きバッコスがやって来たとき/聖なる葡萄酒によって民を. 解からは若々しい世界がふたたび姿を現すに違いありません.世界が. がついていることに注意しておきたい。ふたたびニ-チェを引き合い. だりを努駕とさせるこの手紙で、横行するエゴイズムとフランス革命. ヘルダ-リソは書簡体小説『ヒュ-ペ-リオン』のドイツ人弾劾の-. (9). に出すなら、ヘルダ-リンのディオニュソスはニ-チェのアポロンに. に端を発する一連の戦乱をひとつの徴とみて、来るべき世界への期待. 今ほど雑多な様相を呈したことほなかったと言って間違いほないでし ようO世界は途方もな-多様な矛盾と対立から成り立っています。」. 対応するのかも知れない。ポイマ-ほ、そのようなディオニュソスは. 掌る神ディオニュソスのまぎれもない示現を、そしてその背後に、新. (hei)ig)」という形容詞. ギリシア神話には全-見当らないとして「葡萄酒と狂乱のこのギリシ アの神ほ'いかなる場合にも秩序を与えたり、魂を授けたり、節度を守. の発酵や社会的制約からの解放や規範の崩壊を想起させるものとして. Organisati.n)」などほ、葡萄酒 (vemichtung)」「新たな形成(neue. と確信を語っている。あるいは、そうした時代状況そのものに混沌を. らせたりすることがない」と述べ、ヘルダ-リソ的ディオニュソスを. えてもよい。〔「沸き立ち(Garung)」、「解体(Aufl6sung)」、「死滅. たな秩序の誕生を前ぶれるディオニュソスの横顔を見ていると言い換 (8). リンによってディオニュソス神話の意味が根底から覆されたとみるめ. ディオニュソスにゆかりの深いことばである。〕だが、べ-レンドル. に見立てている。つまり彼は、ヘルダ-. けだが、アナクレオン派云々は措-としても、「秩序を与えたことが. 「賢明で有徳のバッコス」. アナクレオン派の'それも葡萄酒ならぬ「水を飲む」アナクレオン派. られているのである。この葡萄酒に「聖なる. は言うまでもない。葡萄酒と目覚めの結びつきは、一見'撞着語法か と思われるが'葡萄酒の約束する限りが高次の覚醒につながると考え. です。でも、死滅ということはありえないので、われわれの時代の分. し、1般の理解とほ異なるかたちで詩に定着させたことの意味ほ何だ. いたとすれば、ディオニュソスのアイオpモルボスなありようを整序. がディオニュソス神話をそのようなものとしてト-タルに受けとめて. 普遍性ないし共時的構造をもつものだとすれば、そしてヘルダ-リン. 神話が過去の出来事を再現する単なる物語ではな-、時代を越える. 二一. 眠りから覚ましながら。」新しい秩序の誕生が喜びに直結していること. そこに『詩人の天職(Dichterberuf)』第1連を加えれば、ヘルダ-リ. す(ricbten)」等の動詞は、ヘルダ-リンの基本語糞に属しており'. る の. ない」という断定は神話の事実に反すると言わねばならない。そもそ も葡萄山を開き、酒の作り方を教えること自体、新しい秩序の形成に. オニュソスもまた'そのような歌の対象となる限り'混沌や狂乱や陶. フ宛の手紙が伝えるように「祖国にかなった」歌をめざサヘルダ-リ. ンには、歌そのものが時代の指針とならねばならなかったので、ディ. 与り、文化の一端を担う行為にはかならないのである。. (10).
(5) 酔の神でほなく'秩序と覚醒の神でなければならなかったのである。. った使命はと-もなおさず詩人のものであった。『パンと葡萄酒』第. がディオニュソスの口になるということであ-、ディオニュソスの負. 久しく親しんできた詩人の魂ほ/瞬時にして撃たれ、追憶に震える/. と詩人とディオニュソスの関係もまた示されている。「無限なものに. 日に--』第六連に至り着-。そこには歌のありようのみならず'歌. ら国を渡り歩いた/酒神の聖なる司祭にひとしい、とあなたは言う.」. 意味ほ容易に理解されるほずである。「だが詩人は、聖なる夜に国か. 項な形而上学をめざすのでない限り、この間に答えている後続詩行の. Dichter. 七連では「そして乏しい時代にあって何のための詩人か. 「祖国にかなった」歌のあ-ようを探ってゆ-と『あたかも祝いの. 聖なる光を受けて燃え立った魂にほ/愛のなかに生まれた果実、神々 と人間の作品/歌がめぐまれる、双方を証しするようにと/詩人たち. ここでほ詩人と酒神が等号で結ばれているわけではないが、両者の密. の関係がみえて-るであろう.ふたたびそれ. における「私」は、自分が「偽りの. ったことから-る悲しみによって傷ついたまま神々を歌おうとした点. によって、すなわち、ディオティ-マを失. って嘆いている。「偽り」は、ションディの卓見によれば'「私」自身. 司祭」であるがゆえに、神々から奈落の底へ突き落されてしまうとい. う。『あたかも祝いの日に--』. その間接性にほ詩人である「私」の内面の括れがみてとれるように思. と葡萄酒』は彼に献げられている)のことばの引用からなっているが、. 大胆に描き出した『アルディンゲロ』の作者ハインゼのこと、『パン. この詩行は「あなた(du)」(因みに「あなた」とは、官能の世界を. を授けながら渡り歩いたのである。仕える老、これが詩人の定義であ. Nacbt)」、とはすなわち智明への移行を約束する混沌のなかを、秩序. in. が放った「もう1本の欠」. る。. dtirftigerZeit)」という有名な問が発せられているが、煩. の言い伝えによれば、神を目のあたりに見ることを望んだセメレ-の. ヘルダ-リンが考えている詩人の位置を図式. 的に示せば、神々の世界-詩人-人間の世界となる.詩人ほ媒介者な のである。愛のまなざしをもって時代を見つめ、かつ神々の諸力を感 知できる存在でなければならないのだ。したがって歌もまた、二つの の交わりの所産. 世界によって支えられるという構造をとる。歌の誕生についてみるな ら'「聖なる光」(be主-igerStrabl)」と「魂(See-e)」. ということになるが、その交わりにほ「追憶(Erinnerung)」が関与 して'想起しかつ内化するという働きを示す。バッコス誕生のモティ. -フの導入ほやや唐突な感じを与えるが、歌の誕生に不可欠な光のモ. (ディオニュソス). ティ-フの継承だと考えればよいのでほなかろうか。すると歌とバッ コス. (魂・大地. を図式化すれば、歌-葡萄-ディオニュソスとなる。繰り返すことに と人間界. の協働の所産だからである。歌とディオニュソスの親縁関. なるが、三者はそれぞれ神界(光・天・ゼウス) セメレ-). 係ほ詩人とディオニュソスのあいだに認められるものに他ならないか. 人の定義をいまだ十分にほ満たしえていないという意識を生んでいる. 「私」のありようが『パンと葡萄酒』における「私」に重なって、詩. にあった。そのために、「司祭」たる「私」ほ、私的モメソトとほい っさい無縁な讃歌空間から締め出されているのである。そのような. (ll). ッコスを生んだのだ.」. 接不可分な関係そのものに変化はない。酒神は「聖なる夜(beilige. wozu. 家に/雷光が墜ち/神の直撃を受けた彼女ほ/荒天の結実、聖なるバ. (Und. 〓二. ら、詩人がディオニュソスを歌うということは、敢えて言えば'詩人 ディオニュソスの肖像. 青木.
(6) ディオニュソスの肖像. 1四. entb16L3temHauptzustehen)」、こ. のパ-スペクティヴを規定し、やがて実現するという期待と確信に転 化している。. そのような夜と密接に関わる「こころ」ほどのような現れ方をして. にしてセメレ-の運命を回避するのだろう。ヘルダ-リンほ「きよら. ならない。これが仕えることの意味内容だとすれば、詩人ほどのよう. デルフォイはまどろみに沈んでいる/(‥・)/父なるエ-テルよ、と呼. 神を喜ばせた歌は/どこ、どこに輝-のか、遠い未来を射抜-神託は. 「だが玉座はどこにある、神殿は、そして神酒に満たされた盃は/棉. ネクタル. いるだろう。まず栄光のギリシアを歌った一節から引用してみよう。. かなこころ」と「けがれのない手」をもつことをその要件として挙. の一体的な生のありようが浮き彫りにされているが'ここでほ「父な. やない」を基調とする歌い方によって逝に、現に営まれていた神々と. ぶ声は青から舌へ輪のように広がっていった(‥・)。」(第四連)「もほ. この至純のものも私たちのこころを焼-ことがない。」(第七連-八達). desLebens)』を書-ことで「偽りの司祭」の状態を乗り越え、真. 把捉されているからである。「エ-テルは遍在しっつ住まい、支配し. い。それが、かつてのギリシアの祝祭空間の中心を占めたものとして. ということばに注目しなければならな. の讃歌詩人として生まれ変るというわけなのだが、その途上にある. ている/愛を知る民がかつてのように人間としての喜びにあふれ/父. Aether)」. 「私」ほ、完全な脱皮を遂げるにほ、自分自身のなかに無私の「こころ. の腕のなかに寄り集い/ひとつの霊が万人に共通のものとなるように. るエ-テル. (Herz)」を見出さなければならないのである。「こころ」を見出す課題. の位相は詩の展開につれて変化してゆき、歌の冒頭で平穏に営まれた. テル」の恒常的な働きかけを感受する「こころ」が大前提とならねば. ファクタ-だと考えているのである。だから、ギリシアの衰退は両者. テル」と「こころ」の相関関係こそが時代の姿を決定する最も重要な. 老の表象であると答えるはかないのだが、ヘルダ-リンはこの「エ-. ならなかった。「父なるエ-テル」とほ何かと問われれば、根源的7 mehr)」あるいは. 「来るのが遅すぎた(wirk.mmenzuspat)」という思いは感傷的慨. 代そのものの比倫となる。「もはや-ない(nicht. と現代の対比を基軸とする歴史哲学によって象徴の力を与えられ、時. 市民の一日を祝福するものとして描き出された夜は、至福のギリシア. 的なありようにおいて文化の花を咲かせうるためには、「父なるエ-. るいほ共同体を構成する人びとについて言うなら、共同体がその調和. ほ人びとに等し-働きかけ、人びとを結び合せる力を備えていたoあ. この引用からも知られるように、「父なるニュアル」 と。」(『多島海』). *. が単に「私」だけのものでな-、時代そのものに負わされたも.のであ. (Vater. ろでいるなら/私たちの手がけがれないものであるならク父の雷火、. げ'次のように歌っている。「私たちが子供のようにきよらかなここ. ものの現われでもある「荒天」の直撃を受けとめ、歌を生み出さねば. れが究極の要請である。詩人は、時代の激動の比噴表現でも神性その. と(unterG.ttesGewittermit. 連で強烈に刻印されている。「神の荒天のもとに頭をさらして立つこ. こうべ. のだ。仕える老としての詩人の姿ほ『あたかも祝いの日に--』第七 嘆に流れることな-、むしろ状況認識と結びついて、象徴としての夜. 青木. ふたたびションディに従うなら、ヘルダ-リンほ『生のなかば(Halfte. (12). ることについてほ、以下で述べることにする。 *. エレギ-『パンと葡萄酒』は夜という主題を一貫させているが、そ. *.
(7) の1困を蔓延するエゴイズムに求め、次のように表現している.「人. の関係の途絶に起因することになる。ヘルダ--ンはそのような途絶. 人びとを強-する。」(第七連). が迷誤ほまどろみと同じように救いをもたらす/そして、窮乏と夜は. を見出しえないでいる人びとのために温かい表現を贈っている。「だ. いのち. 支えられていることに注目しなければならない。ギリシアの神々とキ リストを同一系統に属するものとみているのであるo 「すなわち、い. さて、神々が立ち去ったときの様子を描き出す詩行が独特の把捉に. びとは自分の営みごとだけに執着している/彼らは喧しい仕事場で自 分の声しか聞こうとしない.」(『多鳥海』)これに続いてノヘルダ-リン は、そのような着たちの休息を知らない勤しみも決して実を結ばな いと謁刺しているが、そう表現したとき彼のなかではギリシアとヨ-. おもて. つのことであったか、遠い昔のことに思われるが/生をめぐむ神々が. すべて天上にのぼり/父が人類から面をそむけると/地上には当然に. も悲しみが広がった/その折しも、最後に静かな霊が現れ/神々しい. ロッパが重なったであろう。重ね合せるために詞刺を取り入れたと言 った方がよいかもしれない.『パンと葡萄酒』に話を戻すなら、「もほ やない」という歌い方で至福のギリシアの運命を嘆-声ほ'やほりギ. 慰めを贈りながら昼の終末を告げて消えたc」(第八達). Genius)」は'ヨハネ伝(九章、十二. ここに言われ. リシアの現在だけでな-'ヨ-ロッパの現在にまで届いているのであ. ている「静かな霊(ein. もなく聖餐を構成する当のものである。だがテクストは、その指摘だ. ものという規定がついている. Frucht)」、「葡萄酒」には「雷光を放つ神から来. けで済ますことのできないものも含んでいるようだ。「。ハソ」 Erde. kommet)」. には「大. にあたり、自らの存在の証しとしてパンと葡萄酒を遺した。言うまで. 呼ばれていない点に注意してみよう。この「静かな霊」は'立ち去る. と、キリストを指すと解するのが妥当であろう。だがキリストの名が. やルカ伝(二十四章)などで語られる光や夕べの比倫を考え併せる. sti--er. る.しかし'ヨ-ロヅパの現在に達したその声が、自己の対極に希望 を呼び出していることほ言っておかねばならない。むろん二つのシン ボルがその希望に結びついている。 「エ-テル」との関係が失われた状態'そして「こころ」の欠如し ている状態が負性をおびた時代のありようを規定する徽であったとす にかけて、言うまでもな-人間世. れば、その三つ目は'神々の不在ということである。このモティ-フ. donnernden. 地の実り(der. Gott. れたことを'後者については、ゼウスとセメレ-の神話を想起する必. (イアッコス)が大地の女神デ-メテ-ルとゼウスの交わりから生ま. 象を含んでいるからである。前者については、第三のディオニュソス. ことには無理があるのだ。というのも、双方ともディオニュソスの表. が'それらの規定を一義的にキリスト教のコンテクストに置いて読む. (vom. は特に第七連から第九連(最終連). 界との関係において、さらにまた、神々の帰還のモティ-フとの結び るキメソトほ'人間は立ち去った神々の働きかけを受けとめられるま. 付きにおいて漸層的に展開されている。帰還のモティ-フを必然化す. でになっていないが'働きかけそのものほいわば1方通行的に続いて いるということであった。神々との応答関係の回復こそ急務なのだ が、人びとはその実現の日まで、神々の不在によって生じた空隙に入 り込んだ「迷誤(Irrsal)」と「窮乏(Not)」の試練に耐えなければならな. 章) た. 要があるだろう。つまり、キリストを直接は名ぎさない歌い方には、. 一五. い.ヘルダ-リンは'そうした状況のなかで孤立し「仲間{Genosse)」 ディオニュソスの肖像. 青木.
(8) しまっているので、そこを越え出ようとする興味も考えもめったに抱. ディオニュソスの肖像. 慎みとは別な、意図された両義性が認められると思うのである。第八. Geistallen. gemein)」. (『多鳥海』) が欠けて. いるとヘルダ-リソはみた。その霊は、個の障壁が取り払われた開か. に共通のひとつの霊(ein. 込められているかのような状態に陥っている人びとの現実にほ「万人. 自分を守ろうとすればするはど孤立の度を高め、まるで鑑の中に閉じ. い。公共の名誉と公共の財産に対する冷淡さもここに由来する-。」. あるものを受け取るときの、あの卑屈で盲目的な態度といったらな. くことができない。(-)小心翼々と守っている狭苦しい領域の外側に. (n恥m)ich)」で始まっている。この副詞. ほ先行内容の理由づけないし敷術を基本的な働きとするので、第八達. ヽ. ると規定した詩行によって隈取られていることになる.ディオーニソ. 全体が第七連末の詩行、つまり詩人を酒神ディオニュソスの司祭であ. (freuen)」とい. とヘルダ-リソは述べている。既に. 「エ-テル」は遍在している. ことがないのだった.「霊」も「神々」も「エ-テル」も根源的1老を. のだが、人びとに「こころ」が欠けているためにその存在を知られる. みたように「こころ」と照応するはずの. 休らうからである」(『多島海』). でもない。「というのも、天上の神々は感受するこころにこそ好んで. その拠り所となるのが他を感受しうる「こころ」であることほ言うま. のような場でこそ人びとは相互的な応答関係を回復できるであろう。. れた場でこそ自らの働きを最もふさわしく現すであろう。そして、そ. ヽ. いる。第八達ほ副詞「すなわち. 達の詩想展開と措辞ほ、そうした見方を間接的にでほあるが裏づけて. 一六. ろう。だが蘇生した時代の姿は次の詩行のなかに浮かび上がってい. について'この詩はもちろん語っていない。また語りようもないであ. たらしめているのである。どうすればそのような状態が克服されるか. 影である「われら」が時代を夜たらしめ、夜の時代が「われら」を影. ち合せぬがゆえに「影・(Schatten)」として規定されている(第九遭)。. ともあれ『パンと葡萄酒』における「われら」は、「こころ」を持. ている。. は「天上のこだま. 指していると解されるが、それらと直に関わることのできる「こころ」 とも呼ばれ des Himme)s)」(『はげまし』) (Echo. ヽ. スのモティ-フが1賞しているわけである.十八行構成の第八達ほ三 (Freude)」ないし「喜ぶ. の欠如と結びついて. 「私」性のゆえに断片に終らざ 「私」性が「こころ」. の欠如した状態が時代の姿にかかわ. ヽ. つのセンテンスからなるが、前二者には、それぞれが担う内容に直接 間接に関わる形で、「喜び. ぅまさにディオニュソスの働きそのものを表わす語が含まれ、三つ目 には、この神の名が登場する。神々が立ち去った様子、遺された二つ. の徴の由来と意味が描き出された後、ディオニュソスに讃歌を献げる 詩人たちへの言及をもって第八達ほ結ばれる.「だから歌びとたちは、 こころをこめて酒神を歌うのだ/この老いたる神を讃える歌は決して むなし-響-ことがない。」「静かな霊」は、ディオニュソスの影によ. るをえなかったこと、その. 「こころ」. 次のように述べている。「誰もが自分の生まれたところに住みついて. 七九九年一月一日付の弟宛の手紙でドイツ人の偏狭な国民性にふれ、. せている当のものであることについては既にみた。ヘルダ-リンほ一. また「こころ」の欠如の状態が「父なるエ-テル」との関係せ途絶さ. るキティ-フとして『パンと葡萄酒』に継承されていること、さらに. いること、そしてその. *. (13). 青木. って包まれ'護られているかのようである。 *. 『あたかも祝いの日に-』が詩人の. *「.
(9) それまでは影の状態が続-というので. る。「われらの父なるエ-テルがすべての人に識られ'すべての人の 所有となるまでほ。」(第九連) ある。. ここで'第四連が至福のギリシアについて「父なるエ-テルよ、と 呼ぶ声は青から舌へ輪のように広がっていった」と歌っていたことを 想起しなければならない。第四連と第九連のパラレルな表現をいわば. (unser)」という所有代名詞が加わったことによって' (ヘスペ. 平行移動してみると、両者の本質的な違いが明らかになる。後者におい て「われらの 時代の完成の場が「われら」の国、とはすなわち「夕べの国 リア=ヨ-ロッパ)」に特定された点である。「いにしえの歌が神の子. ギリシアに向っていたまなざしほ、微妙な. らについて予言しておいたこと'見よ、それはわれら夕べの国の果実 のことなのだ。」(第九連). 転位を行ないながらヨ-ロッパに焦点を定めたのである。果実のイメ -ジによって歌そのもののなかに時代の完成の姿を定着させた例とし. て、『ムネ-モシュネ-』の第三稿冒頭の詩句「果実は熟れている. いう形容詞を贈られるのである。. る生産性を苧むものとしてほ積極的に評価され、「聖なる. しては克服の対象となるが、負の要素を含みつつも昼の到来につなが. は、両義性を特徴としている。「生の連関を寸断し原子化する」ものと. (be主-ig)」と (14). die. Nacbt)』に求. ヘルダ-リンの同時代人ノヴァ-リスにおける夜の現われはどうで. あろうか。比較の糸口を『夜の讃歌(Hymnen. なところがあるのだ。その限りでヘルダ-リンもノヴァ-リスも同じ. ほ歌っている。これほ、. 看取して'それを夜と捉えた。だから光ほ希求の対象となった。ノヴ ァ-リスの場合、光が「国王 (K6nig)」、夜が「世界の女王. 夜は限りない神秘と死の枕惚を湛え、参入者に霊感を注ぐ。そこに. り、夜ほより高次の位相へと移っていくのである。. しも排斥的なものではないが、詩の展開過程でそこに質的な変化が起. 直接には勃発したフランス革命に寄せる期待から生まれた表現である のものになるという捉え方も板は同じである。『生の行路』. k6nigin)」と呼ばれていることからもわかるように、両者の関係ほ必ず. らだ」と『あたかも祝いの日に・‥』(第三連). もう一つの例をみて本章を締め括ることにしたい.「だが今、夜が. て忙しない日常を営む「痴れ者」たちの世界に顔をしかめているよう. に占める割合ほむしろ少ない。というか、詩人は、光の支配下にあっ. された光は、現世空間にその全能を行使するものとして、詩人の意識. 光の描写をもって始まるが、かすかな神秘を漂わせる筆によって定着. この作品はヘルダ-リンの『パンと葡萄酒』とは対照的に、遍在する. 空間、死と結んだ神秘空間の表象であるとひとまず言っておきたい。. を刻み上げた作品である。ここでの夜ほ、現世の彼岸に開ける高次の. し、神秘主義や敬慶主義の語法を取り入れながら独自の宗教的世界像. めてみよう。若い婚約者ゾフィ-・フォン・キュ-ンの死を契機と. an. だが'ヘルダ-リンほそのような世界にまぎれもない時代の現われを. Frdcht)」を挙げることができる.. *. 明ける'私は待った(・-)/自然が今、武具の響きとともに目覚めたか. sind・・・die. *. が、「自然が目覚める」という捉え方も、「父なるエ-テル」が万人 (第二連). に従うなら、自然の沈黙がとりもなおさず夜ということなのだが、今、. 自然は「武具の響き(Waffenk)ang)」に感応して眠りから覚めたので. (Welt・. (Reif. *. は官能の色さえもおびた自由空間'故郷となるべき「新しい国(das. 一七. ある.時代の激動が廻りの徴となったのだ.ヘルダ-リンの考える夜 ディオニュソスの肖像. 青木.
(10) ディオニュソスの肖像. と歌われているように、キリストは死であり、従ってその死は死その. ものの死ということになり、そこに生が成り立つという構造である。. 「光には自らの時が分かち与えられた。だが夜. の支配にほ時も広がりも無縁である」と第二讃歌ほ歌っている。この. キリス-において生きること、すなわちキリストにおいて死ぬこと、. Land)」があるo. ようないわば形而上空間への通路は'眠りや愛の陶酔によって一時的. を歌っている。特に第五讃歌について. の.場合、人びとは逆にキリスト(と神々)の帰還を待望するのであるJ. 場合'人びとほキリストのもとへの帰還を切望するが、ヘルダ-リン. のである。形而上的帰還とでも呼べばよいだろうか.ノヴァ-リスの. ら、逆説め-が、光輝に溢れる永遠の夜のもとへ帰ってゆこうという. るが、人びとは新生を約束して-れるところ、故郷へ、言い換えるな. 「なおも私たちの帰還を阻むものがあろうか」と第六讃歌は歌ってい. への憧れであり、内的な新生をさして言われたものに他ならない。. これが人びとの課題となる。死への憧れとは'恋人でもあるキリスト. に用意されもするが、恋人の死を媒介とする「私」わ神秘な合一体験. neue. 1<. 第六讃歌の標題に倣って言えば、「死への憧れ」をもって生きること、. にこそ参入の典型的なありようが現れている。「青いかなたから いきなり生誕. 光の軽構が断ち切られた.地上の栄光が、それとともに私の. なつかしい浄福の高みから黄昏の戦懐がやって釆て. -. 悲しみが消え去り 憂愁は新しい測りがたい世界へと流れこんだ-夜の陶酔よ、天のまどろみよ、おまえが私の上に降りて来たのだ。」 (第三讃歌)第四讃歌までが主に「私」とその恋人の死とのかかわり を通じて、夜への信仰告白を述べているとすれば、第五讃歌ほ黄金時. (つまり新生への憧れ). 代の終需、キリストの誕生と死という順で詩想を展開させ、人類にと ってのキリストの死の意味を問い、第六讃歌はそれを踏まえて、死へ の憧れ. みるなら'神・々と人間との祝宴、死の介入'立ち去る神々、孤独に庁 む自然といった1連のキティ-フがまるでヘルダ-リンを思わせるよ うな仕方で展開されており、その意味でほ、第五讃歌と『パンと葡萄 の構造上の親縁性を言うことができるであろう。 だが全体的にみて、キリストの死の意味づけという点でほ両者ほ大 き-隔たっている。ヘルダ-リンの場合、それほ昼の終末つまり夜の時 代の訪れに直結するものとして位置づけられた。大地のめぐみである パンと葡萄酒は、キリストのみならずギリシアの神々の帰還のシンボ. 態ないし陶酔状態をノヴァ-リスにおけるディオニュソスの現われと. 像について述べる余裕はないが'ポイマ-が、特に詩人の心の充溢状. 間接性を斥けたということだろうか。ノヴァ-リスのディオニュソス. かな花嫁」たるキリストへの切なる思いが、そうしたシンボルのもつ. 女神が生い育った」というデ-メテ-ルを示す表現でパンが暗示され る程度で、聖餐とじかに関わるパンと葡萄酒への言及はない。「甘や. のとしての葡萄酒が話題になり、「金色の麦の束のなかで母のような. 房に宿る神」(ディオニュソス)との関連で、主に陶酔に結び付くも. ところで『夜の讃歌』でほギリシア神話を踏まえながら、「葡萄の. *. -. ルとなり、人びとが現世を生きてゆ-拠り所となっている。ノヴァ-. *. して挙げていることを付け加えておこう。. ともあれ'『讃歌(Hymne)』や『キリスト教世界あるいはヨ-ロッ. パ(DieCbriste㌢eitoderEuropa)』などの作品でほ、キリスト教の. 。. 青木. リスにあっては、「死のなかに永遠の生が告知された。あなたは死で. *. -. す。そして私たちをほじめて健やかにして-ださいます」(第五讃歌). (15). -. の粋 酒』.
(11) コンテクストに連なるパンと葡萄酒、いや、からだと血が主題化ない し言及されているが、そこにはヘルダ-リンに親しんできた老なら驚. 「食べる」ことを通じ、究極的にはキリストと合1することが歴史空. リスの感性の問題として片付けることができるのかどうか。さらに. ることは、ない。. こと」を通じてキリストに同化するという側面が作品の前面に出てく. 萄酒が享受の対象であることに変りほないが、「食べること」、「飲む. らほ今後の課題として残されている。ヘルダ-リンの場合、パンと葡. 空間の関係はどうなっているのだろう.繰り返すことになるが、これ. 間とどのようにかかわるのだろうO言い換えるなら、夜の空間と歴史. ティ-フが作品化されるとなぜあれはど生々しくなるのか。ノヴァー. かざるをえないような貧埜で官能助な捉え方がみられることを言って おきたい。たとえば、「かつて愛しい人の熱い唇から/生命の息吹を 吸った老は(-)/その限が開き/天国の底知れぬ深みを測った老は/. あの人の体を食べ/あの人の血を飲むだろう/とこしえに/(-)/甘 美な宴は果てることな-/愛は満たされない/(-)/こころほ/なお も渇き、なおも飢える/こうして愛の悦楽ほ/とこしえにうち続く-」(『讃歌』)「あの人」とはキリストのこと、「愛」とほキリストへ. の愛のことである。ランゲンによれば、神を「飲む(trinken)」、「食. *. う。それが何かは俄には決められず、今後の課題としなければならな. にはその影響を指摘するだけでほ済まない何かが現れているように思. るという。ノヴァ-リスも敬慶主義の洗礼を受けているが、この作品. オニュソスを呼び出す役割をも負っているということであった.第九. 二つのシンボルが自明のこととしてキリストを想起させる一方、ディ. れた両義性を認めることができた。その要点は'パンと葡萄酒という. 相においてキリストを、他はキリストの位相においてディオニュソス. を呼び出しているのである.修辞学の用語を借りるなら、詩想の展開. に一種の交差配列法が取り入れられているのだ。すなわち、第九連冒. 頭は「この神(ディオニュソス)は昼と夜を和解させ/天空の星たち. 部を食べるのであり、友人を橿として生きるのである。(-)パンを口. ストこそ昼と夜を和解させるにふさわしい老だと思い込んでいる読者. ネ-』・(第五幕)によったこの詩句は、昼の終末を告げて消えたキリ. -.友情を結べば、実際に友人の1 の出没を聖退に掌る」と述べているが、ソフォクレスの『アンティゴ. にするたびに彼の肉を味わい、酒を飲むたびに彼の血を味わうこと、. べることを通じて表現されうる. lの象徴的行為である。(・・・)あらゆる精神的享受ほ、したがって、食. ること」をどう考えていたかを教えて-れる。「共に食べることほ合. ろうか。いずれにせよ、一七九七-九八年の『断章と研究(Fragmente undStudi2n)』には次のような一節があって'ノヴァ-リスが「食べ. 連にもそのようないわば二重映しの構造が継承され、最も重いテ-マ. ふたたび『パンと葡萄酒』に戻ろう。第八達の歌いぶりには意図さ. *. いが、ここにディオニュソス的なものの現われ、あのオ-モバギア. (2SSen)」、「享受する(genieBen)」などほ敬慶主義の語嚢に属す. *. を担う二つの箇所で有機的に働いている。7方はディオニュソスの位. (16). (生肉食い)を想わせる凄絶な宗教性を読み取るとしたら行き過ぎであ. べる. これこそが本当の転義法というものだ。」「食べる」行為の象徴的な意. に肩すかしを-わせるのである。シュ,、、ットによれば、後続詩行は天. ディオニュソスの肖像. 一九. 体の運行にかかわる叙述で、その具体的な意味が先行詩行の比倫的な. (18). 味が徹底化されているわけで、その限りで了解できるものの'このモ. (17). 青木.
(12) ディオニュソスの肖像. であることほ言うまでもない。両者の和解の担い手とし. 歌い方に取り込まれているようだが、比喰の内実が古代ギリシア(昼) と現代(夜). の翻訳などを通じて. の姿に親しんでいたし'ヘデリヒ辛. (1-5行目以降)によってディオ. ニュソスと「シリア」の深い結び付きを知っていたほずである。だか. エウリビデスの『バッコスの信女たち』. 「松明をかざすディオニュソス」. ンほ、たとえばソフォクレスの『オイディプス』. ディオニュソスの影が払拭されてしまったわけでほない。ヘルダ-リ. いたことがわかる。最終的にほ現にみる形で変更が行われたのだが'. なっており、明らかにディオニュソスがヘルダ-リンの念頭を占めて. 者として神から送られた葡萄酒の霊が影たちのもとへ降って来る」と. (19). ら、該当の詩行がキリストを指すとするバイスナ-の解釈や、ディオ. ニュソス説をとるアレマンには同意しがたいのである。むしろシュ-. ットのように「松明をかざす者」はディオニュソス神話に由来する名. 辞で'ディオニュソスにもキリストにも関わっているとする方がよい. への展開の要をなす三つの箇所に. であろう。ディオニュソスのイメ-ジがキリストのイメ-ジに溶けこ んでいるのだ.. 第八達後半から第九連(最終連). 観察される二重映しないし重なり合いほ'結局、昼と夜、ギリシア世. 界とキリスト教世界ないしヨ-ロッパ世界の和解・総合の実現を先取. りする詩的表象として意味づけられると思う。しかし、この課題は果. たされたわけでほない。時代ほ依然として闇に包まれている。詩に則. は「降って来る. (berabkommen)」. のであって、到着したわけ. して言うなら'神々が帰還したわけでほないのである。「松明をかぎ す老」. (der. kommende. Gott)」. なのだ.もう1度だけノヴァ-リスに登場. ではない。第三連の規定に従えば、ディオニュソスほ「やって来る神. (7七九九-一八〇〇年)第二三. 九番に「キリスト教的ディオニュソス讃歌。(-)キリスト教的セメレ. してもらおう.彼は『断章と研究』. (20). てディオニュソスが登場した背景にほ、たとえばソフォクレスに、同 一のコンテクストを形成する典拠が見出されることとは別に、エレギ -『シュトクツトガルト(Stuttgart)』第二連(「葡萄酒ほ頑なこころ にみられるように、ヘルダ-リンがこの神の「溶かす. 二〇. (21). を溶かす」). よ」と重なることなどを総合すると、この. (22). (schme)zen)」働きに着目したということがあっただろうし、またデ ィオニュソスと詩人の親縁関係から逆に、媒介者としてのディオニュ ソスが想起されるということもあっただろう。. もう一箇所ほ「だがそのあいだにも松明をかざす老として/至高老 の子、あのシリアびとが影たちのもとへ降って来る」にみられる二重 映しである。現代に生きる「われら」が「こころ」を欠き'いまだ. Sohn)」、. 「父なるエ-アル」を知りえないがゆえに「影」の存在たらざるをえ ないという旨を述べた詩行を承けての表現である。問題は「松明をか ざす者(Fackelschwinger)」、「至高者の子(desH6chsten. などの、闇を照す光という聖書的トポス. 「あのシリアびと(derSyrier)」をどう読むかにある。「松明をかぎ す老」ほヨハネ伝(一-五). をまつまでも. に直結するイメ-ジであるし、「至高老の子」については'『パトモス』 (キリストは「歓呼する至高老の子」と言われている). な-、はとんど異論の余地がないほどの指示力を備えていると言えよ. ぅ。さらに'「あのシ-アびと」も、『宥和する者よ-』.(第二稿). (=キリスト). 「あのシリアの椋潤の下でやさし-かつ厳かに人間たちにこころを傾 けたおんみ. 詩行はキリストに献げられたものとするのが自然な読み方であろう。 しかし該当箇所のヴアリアントは「だがそのあいだにも、喜びの便. の. (23). 青木.
(13) -」と書いている。これほ覚え書きにすぎないものだが、敢えて推測 するなら、このロマン派の詩人もディオニュソスを介しての二つの世 界の総合を夢みていたのかも知れない。 全篇を締め括る四行は、特に動詞の使い方に細心の工夫をこらし、 「見る (seben)」、「輝-. あたかもキリストとディオニュソスの働きが隅々にまで及んでいるか のようである。光にかかわるものとして. (schlafen)」「飲む. すなわち、. (trinken)」がある.しかも、「飲む」と「眠. ()euchten)」があり、葡萄酒にかかわるものとして「夢みる(traumen)」 「眠る る」を最後に置-という心憎い計算まで行われている。(当初予定さ れていた標題が『酒神』であったことを想起しておこう.). 「至福の賢者たちにほその様がみえる.囚われた魂からは/微笑が輝 きでる/その老の目は光を受けて溶ける/巨人は大地の腕に抱かれて. (selige. Weise)」ほシンボルであるパ. おだやかに眠り、夢をみる/嫉み深いあのケルベロスでさえも飲み、 眠っている。」「至福の賢者たち. の光が高次の覚醒をもたらすものである. ンと葡萄酒の意味を解し、第八達に言われる「感謝」を知る人たちで もあって、彼らにほ「松明」. のようである。. ケルベロスほ冥府の番犬。英雄ヘラクレスのうち立てた最後の、つ. des. (neidiscb)」という. まり十二番目の功業がケルペロスの描獲であった。そうした背景をも. つこの一行ほ唐突な感じを与えるが、「嫉み深い. 形容詞に注目するなら、むしろ詩の展開に沿うものと言えるように思 う.「こころ」の欠けた状態ほ夜の時代の顕著な特徴であったが、「嫉. み深さ」もまた時代の徴標だからである。一八〇一年二月中旬、ヘル. ダ-リンは友人のランダウア-に宛てて次のように書いている。「ぼ. Geist. -は戦争と革命とともに、道徳上の北風、あの嫉み深い霊もおさま. (der. り、臆面もない市民的社交より美しい人間的な交わりが成熟すると考. えています。」市民社会に吹きすさぶ「妖み深い霊. N2id2S)」の風は、詩的に形象化されて'冥暗な世界に棲む「巨人」. と「ケルベロス」に姿を変えたのである。むしろ、これら異界の住人. たちを呼び出す契機になったと言うべきだろうか.彼らは今、ディオ. ニュソスの宰領に服して眠りについている。. こうして第九連は、ディオニュソスとキリストの形姿を交差的に配. し、そこに時代の廻りの指標として光のイメ-ジを印象深く刻みなが. もし勝手な想像が許されるなら、第1. Seele)」ほその光を. ら穏やかに結ばれるのである。. gefangne. 葡萄酒に誘われて心地よい夢路を辿っ. ことがわかるのだ.「囚われた魂(die. ている頃かも知れない。. は'未来のこ. 連で描き出された市民たちは、 Lacheln)」. て「こころ」をもたぬ老たちの. 「微笑(ein. とがらに属するが、詩の現在において既に実現していると言えよう。 ギリシア神話からモティ-フを採った最後の二行についても、未来時. めた霊杖によって秩序をもたらす神であることをみてきた。むろん、. テユルソス. 以上'ヘルダ-リンのディオニュソスが覚醒と形成と制御の力を秘. 単独の存在ではな-、ゼウスを頂点とする栄光のオリンボス体制への. 二1. 作品のなかにその秩序の何たるかが具体的に示されているわけではな. Titan)」は、. *. 敵対者、すなわち巨神族を指すであろう。秩序の素乱着たちが、秩序. (der. *. い。それを問うことは、たとえば共和主義者ヘルダ-リンを問うこと ディオニュソスの肖像. 青木. のもたらし手であるディオニュソスの神威の前に鉾をおさめているか. が現在時に入り込んでいると考えられる。「巨人. *. 受けて、いわば開眼するのである。彼ら、とほすなわち、闇に囚われ. (25). (24).
(14) ディオニュソスの肖像. に通じるであろう。だが作品には、高次の共同体の姿がまさにヴィジ ョンとして浮かび上がっていた。神々の不在、こころの欠如等々を徴. 標とする負の時代の彼方に展望されるその共同体ほ、個我の殻を抜け. Geist a)len. 出た人びとによって形成される開かれた場であり、そこに集う人びと. ほ「万人に共通のひとつの霊(ein gemein)」(『多島海』). によって結ばれている。『ドイツ観念論最古の体系計画』では、より. h6herer. Geist. vomHimme)gesandt)」によって打ち立てら. 高い生の営みに不可欠な「新しい宗教」が「天界から送られた高次の. 塞(ein. れるとされた。それぞれの表現ジャンルの質的差異を考慮するなら、. 二つの霊がどのような関係に立つか俄には決め難いが、少なくとも、. 人びとを個我の束縛から解き放ち、より高い位相において結び合せる. という働きに両者の共通性を認めることほできそうである。ディオニ. ュソスについてはどうだろう。『シュトクツトガルト』でほこの神が. 者』のヴァ-アン-がこの神を「卦朴の霊(Gemeingeis 定していることを想起するなら、ディオニュソスもまた、その働きに おいて前二者に連なると言えよう。ヘルダ--ンは、発酵する葡萄酒 さながらに沸き立ち、とよもす時代そのものに新たな時代の胎動を感 (一八〇一年二月九日)を. (4)(3) (2) (1) (5). (26). がいっさいの上に、いっさいの中. 〔注〕. StA(GroBe. StA4,),S.299.. Brief. Brief. Stuttgarter. Ausgabe)4,).S.278H.. Darmstadt)967S.501ff.. L.:Dionysos. und. C.U.B6h)endorff.Woh)in. das. an].G.Ebe).)0.).)797,StA6,1,S.229.. H6)er)in・]ahrbuch)973[74,S.))5.. Baeumer,Max. Nov.1802.S.433. Dionysische. 二二. Lexikon.Leipzig. beiH6)derlin.)n‥. 『唯一者』'『パンと葡萄酒』、『あたかも祝いの日に・・・・・・』など。. 『詩人の天職』、『ネッカ-河』、『ケイロ-ソ』、『シュ-クツトガルト』、. 吉田敦彦‥前掲書二五三ペ-ジ. した。. 九六〇)、吉田敦彦‥ギ-シア文化の深層(国文社、一九八四)を参照. ヘデリヒの前掲書、高津春繋‥ギリシア・ロ-マ神話辞典(岩波書店一. 1770,Nachdruck. Frank,Manfred:DerkommendeGott.Frankfurt[Main)982,S.279.. Mytho)ogisches. den. Szondi.Peter:ebd.S.56ff.. )968,S.409. S.)47.. )978.S1409.. L.:ebd.S.99.. und. Vereinigung.Stuttgart)975,S.. Briefe. Elegie"Brod. Hrsg.vonHansI]OaChimMah)undRichard. und. undL. von. )968. Hardenbergs.. Samue).Bd.2,Mtinchen. Frierich. Langen}August‥DerWortschat2desdeutschenPietismus.Ttibingen. Baeumer.Max. 147.. Kurz.Gerhard:Mittelbarkeit. Brief. Bruder.).(.1799,StA6,),S.303.. szondi.Peter:H6)derlin-Studien.Frankfurt]Main)970,S.60f.. an an. 't3L(雛警規. Hederich,Benjamin:Grtindliches Schmidt.]ochen:H61der)ins Novalis.Werke.Tagebticher. (27). に行き渡るということ(-)、これこそぼくの言いたいこと、現に見て いること、信じていることなの溺'o](&3). Wein".Ber)in. じ取っていた。リユネヴィルの和議の成立. ヽ. (14)(13)(12)(ll)(10)(9). 青木. 間近に控えた頃の手紙の一節を引用して結びとしよう。「さまざまな ヽ. エゴイズムが身を屈して、愛と優しさの聖なる支配に服するというこ ヽ. と、そして共同の霊(Gemeiロgeist). ヽ. (16)(15) (17). 「頑なこころを掛かす]R'(雛警歌われて.
(15) StA2,2,S.607. Hederich,B.. StA2,2,S.620.. ・ebd.S.507.. Al)emann,Beda‖H61der)in Schmidt,I.:ebd.S.)62. )69.. Bruder.Wohl. ■▼ヽ. und. Heidegger.Freiburg i.Br.)954,S.. z苛eitenHalftedesMarz)80).. Neujahr)80).StA6,).S.407.. Chr.Landauer.Woh)inder. Novalis.Bd.2.S.788.. StA6,),S.4)7.. 完・宗旨臣. StA2,),S.1)0. 4.),S.299. 2.).S.87.. den. 2,2.S.75).. ディオニュソスの肖像. 青木. um. Brief. td. an an. ∽ ∽ U). 鰯¢g)C21)(20)(19) ¢車軸 eo)軸内的鯛.
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