長野大学紀要 第13巻 第2・3号合併号 117-133頁 1991
しろ うる り
―並列分散表現としての比愉―
Shi
r
our
ur
i
―Metaphor as Parallel Distributed Expressions―
1 まえが き 本論文の動機 は コンピュー タの ヒューマ ン ・イ ンタフェー ス設計にメタファを利用す るところに あった. わが国の通産省主導の ヒューマ ン ・イン タフェー ス構築 プ ロジェ クトFRIEND'21では コ ンピュー タと人間の よ りよい関係 を築 きあげ るた め、 インタフェー スに メタファ表現 を適用す る作 業 をは じめた。 それは情報処理に登場す る小 さな プ ロセスをメタファとして人間化 し、それ らがス タジオを介 して協調的に交信 しあ う様子 を現象 さ せ、人間の対 コンピュー タ関係 を親密に しようと す るものである。 メタファお よびその社会的協調 を実現 させ るための ソフ トウェアは「メタウェア」 とよばれるが、このユニー クなシステムのため メ タファの仕組 をどの ように とらえてゆこうか とい うのが こうして本論の動機 となった次第である。 本論ではまず、 メタファをふ くめ広 く比倫 を文 学の立場か ら、表現 を修飾 した りその表現力 を効 果的にす るための修辞術 であるとす る考 え方 をは なれ るとともに、直喰解釈や これに準 じる比職の 合理的解釈法 を排 し、相互作用説 を手が ゝりに、 比職の逆む き解釈法 を論 じる。 そこでは比職 を世 界変容 と創 出のフィル タとし、その仕組か ら、比 職が隠された直職か ら本来の メタファとして新 し く世 界 を創造す るはた らさを示すにいたること、 そ してこの ようなメタファがその成素2項である シンボライズす るもの とシンボライズされ るもの の究極的統合 である 「シンボル」たるべ きことを 論 じる。 つ いでにこのシンボル表現がダダにみ られ るオ ブジェの世界 とな り、並列分散構造 をもつ ことが 示 され る。 そ してこの理論 の妥当性 を例証す るた
川
野
洋
Hiroshi Kawano
め、現代哲学の現象学に言及す るとともに、いま ひ とつは現代芸術のプ リミテイヴな表現術 をとり あげ る。 この間、 これ ら比喰表現が ヒューマ ン ・インタ フェース としてはた らく仕組 を、アイコンおよび 仮想現実で とらえるとともに、最後、並列分散 イ メー ジ表現 をとるシンボル型比倫が未来のインタ フェー スにな りうるであろうことを示唆す る。2
潤 色 され た りテ ラル表 現 と しての 直愉 ふつ う直喰 (simile)では"XislikeP''(Taro islikeawolf)の表現が とられ る。 これはTaro がwolfの ように 「弱い者 を襲 う危険性」 (Q)を もつ ことをいっている。"like''はP
とQ
とが連想 関係 で意味的に直接密接につ ながっているこ とを 示 し、P
はQの代替であることが明白である。 し たが って "Ⅹ islikeP"といって も、 それは ``X isQlikeP''といっていることにな り、 その限 り この直喰表現は リテラルな (字義 どお りの意味 を もつ)表現 とみな してよいであろう。つ まりわれ われは "Ⅹ isQ (likeP)"の真理候件 を検証す ることが コンテ クス ト的に可能であるとい うこと になる。 こうして直境は リテラルな表現に準 じる もの といって よいであろ う。それは "ⅩisQ" と い うリテラル表現 を修辞的にひ きたて、受け手の 輿 をひ きおこす とい うはたらきを演 じている。 リテラル表現は世界、 そのなかの事象や対象 を 話者の主観 をぬいた形で意図 自由に正規描写す る ものであ り、科学者の理論や新聞記者のニュース な どその例 である。 この表現は1階述語論理式に 翻訳が可能であ り、一般 に真理値 を有 し、その検 証は経験的に可能であると考 えられ る。 そしてそ118 長野大学紀要 第13巻 第2・3号合併号 1991 の表現に主観的潤色は忌避 され、中性的で無関心 な静観的態度が求め られ る。そのため リテラルな 表現は無味乾燥 で リダンダン トなもの とな り、話 者の表現は きき手に訴える力に欠け る。 この リテ ラル表現の欠陥 を補 うため、それの潤色がなされ 直職が使用 され る。 Qのかわ りに QlikeP、つ ま り魚 をつ りそこなった漁夫が帰 って きて大 きく手 をひろげ (P)「こんなに大 き (Q)かった」とい う、あのQlike
P
の誇張表現である。もっともこ の例 でのP
は手 をひろげて作 った身振 りであるが、 この誇張表現 で話者はつ りそこなった魚-の未練 と無念 さをあ らわ し、 きき手は心に強い興味 と深 い印象 を刻 まれなが ら話者が魚 をつ りそこなった ことを知 らされ ることになる。 いまひ とつ直職は、比職 としてⅩ (Taro)とP (wolf) とのあいだにある意味のギャップ を、見 かけ上の もの とみな し、"like''によって これ を解 消 しよ うとす るもの といえ る。wolfその ものは Taroとのあいだに確かに意味上のギャップ をも つが、"likeawolf"すなわちwolfらしい もの、 wolfに近 い もの とす るこ とによって、wolfの リ テラルな意味はばか され、Taroとの距離 は短縮 されるとみてよい。 このことは直職が本質的には リテラルな表現 (ない し、その修飾) とみな して よい とい うことになろう。 この ようにⅩ とPとの あいだに本質的距離がない とすれば、直職は本質 的には比職のカテゴ リか らはず され、潤色 された リテラル表現 ということになる。 3 隠 され た直境 と しての メ タフ ァ さて比職表現が さらに進む と、直職に ともなっ た"like"が消失 し、直接Ⅹ とPとが結びつ く表現 ("ⅩisP"(Taroisawolf))が登場す る。 この 表現は 「メタファ(metaphor)」とよばれ、そこで はⅩをPへ結びつけ る"like"が欠如す るためⅩ とP
とのあいだの意味上のギャップは解消 されずに 残存す ることになる。Taroは人間であるのに、そ の人間がwolf(狼)であるとい うのは、 リテラル な表現 として偽 であろ う。 しか しこの正常 な文脈 か らす る表現の矛盾 と意味上のギャップはTaro をいきい きと描写す るメタファの不可欠の候件 を なす。Ⅹの リテラル表現 をみいだす ことが表現上 複雑 にす ぎた り、 また困難なばあい、 これにP
と い う異世界の形象 (figure)をあてがい、表現の矛 盾 を意図的に利用 してⅩの効果的表現 をうること をメタファはめ ざしているようである。 た とえば コンピュー タの内部状態は周知の ごと く2
進数 コー ドの構造 をとる。 この内部構造は コ ンピュー タの状態 (Ⅹ)の リテラル表現 といって よいであろ う、つ まりこの表現は2
進数 としての 一定の値 を示す。 しか しこの内部表現がその まま 外部 に出力 されたのでは コンピュー タのユーザは その意味の理解 に困惑す るはずである。 そこで高 級 コンピュー タはその内部状態 を外部表示す るの に英数字記号列 を使 うことになるが、最近の さら に進化 した コンピュー タはヒューマ ン ・インタフ ェースを備 え、た とえばMacintoshなどはこのよ うな外部表示 にアイコンを用 いる。 アイコンは内 部状態のプロセスやデー タを視覚的に形象化 した もので、ユーザはアイコンによって コンピュー タ の内部状態 を効果的に知 ることがで きる。 ここで は内部状態Ⅹに対 して、その2進数 コー ドの構造 はQ、アイコンはP
とい うことになろう。 ヒュー マ ン ・インタフェース としてのアイコンP
はユー ザが コンピュー タⅩの内部に直接ア クセスで きな いに もか ゝわ らず、それへの間接ア クセスを可能 に し、 また内部状態の内容 を直観的に とらえるこ とを可能に して くれ る. このようなインタフェー ス ・アイコンをコンピュー タの世界では、た とえ ば我が国のプ ロジェ ク トFRIEND'21では、 メタ ファとして とらえようとしている。つ ま りユーザ に対 して コンピュー タの中身はいつ もメタファP
として表示 されてお り、そのいみで "XisP"で ある。P
が コンピュー タのインタフェー スであること は コンピュー タがユーザに対 して人間の顔 をもつ とい うことがあるが、いまひ とつ重要 なことは、 このPの背後にⅩの中身 としての2進 コー ド構造 Qがあ り、P
か らQ-のアクセスが論理的に保証 されているとい う点である。 インタフェース コー ドになよってデー タQ
はP
にマ ップ され、 またア イコンP
はプ ロセスQ
を起動す る。 そ してこのp
-Q
変換の機構が インタフェー スP
を可能に して いる。 ここで見かけ上の "Ⅹ isP''はつねに ``X isQ" とい うリテラル表現に翻訳 され うると考 え られ ることができ、"ⅩisP"の本来の意味はその川野洋 しろ うる リー並列分散表現 としての比愉-背後にある
"
Ⅹi
sQ"
とい うことになる。 このい みでP
の背後にはQ
が隠れていて、P
は本来的Q
に もどされ るとい う仕組が コンピュー タには存在 す る。 ところで以上の コンピュー タ ・インタフェー ス としてのP
解釈 は、一般 にメタファ全体 にあては まると考 えられないだろ うか。前述 しした とお り、"
X i
sP"
にはⅩ とP
とのあいだに意味のギャッ プがあ り、 リテラル表現 としては偽 になる。 しか し話者は意図的にギャップのある表現 を用 いるの だ と考 えることがで きる。H.
Gr
i
c
e〔4
〕は対話に おけ る協調の原理(
Coope
r
a
t
i
vePr
i
nc
i
pl
e
:CP)
なるもの を以下の ようにあげ る。 (1)表現には しか るべ き量の情報 をもること(
2
)
真 なることを伝達す ること (3)有効性のあることをい うこと (4)明瞭 な表現 をとること これ らの原理 は表現 ・伝達のプラグマティックな 原理 をな し、 リテラルであれ メタファであれ、あ らゆる言語表現 を構文的のみならず意味的に も縛 るもの とされ る。 そ うす ると"Xi
s
P"に外見上 み られ るCP
違反は単に修辞的な もの、非本来的 な ものであ り、プラグマテ ィックな原則上 、人は 本来、真 なること、有効性の あるしか るべ き情報 を伝 えようとしているとい うことになる。 こうし て きき手は話者の メタファを リテラルに解釈す る 誤 りを犯す ことな く、その背後にある隠れた真 な る情報(
Q)
をさがす。 そ してQ
がみいだされ る こ とによって、 さきのⅩ-P
のギャップが うめ ら れ"
Ⅹi
s
Q" とい う真 なる情報が得 られ ることに なる。 このようなメタファ解釈 の戦術 をJ.
Se
ar
l
e〔
1
3
〕
はつ ぎの ように纏括す る。 (1)話者の表現が リテラル としてみ るとき真た り えない欠陥文 となるばあい、当該文"
Xi
sP"
の リテラルな意味 とは異なる背後の意味 を求 め よ。(
2
)
P
か ら連想的にえられ るQ
群 をとりだせ。 た とえば 「狼」 だ と、動物Ql
、山奥 にすむQ2
、 ウォー と吠 えるQ3、弱者 をおそい危険であ るQ
。-等々(
3
)
ついでⅩに もどり、Q群の うちどれがⅩにふ さわ しい属性 た りうるか を、それ らの候補 の 119 なかか ら兄いだせ。 以上 の戦術 に よってQ。
dange
r
o
us
にX
が結 ばれ で`
Ⅹi
sQ
。"
が"
Ⅹi
sP"
か ら導 きだされ る。Se
ar
l
e
のこの戦術は "Ⅹ i
s
P"とい う違反文か ら推論に よって"Ⅹi
sQ4
"
とい う含意 を導出 し、それが リ テラルに真であることを示す ことによってメタフ ァ解釈が成功 した とみなす ものである。Gr
i
c
e-Se
ar
l
e
的 メタファ解釈 の特色は リテラ ル表現優先の合理主義 にあ るといえる。Gr
i
c
e
のCP
は経験的に真 なる事象 を明瞭に表現す る事 を 発 話 の原則 と し、"
Tar
oi
saJ
apa
ne
s
e
,
"
とか`
`
Tar
oi
shone
s
t
"
といった、主語Ta
r
o
のいる コンテ クス トで当該表現が リテラルに有意味があ ることが優先的に要求 される。 したがってこの戟 術 では(1)まず第1に "Ⅹi
s
P"の リテラル表現 と の意味上のギャップがみいだされ、 それは "Ⅹ i
s
P"の意味が正規の コンテクス トで検証不可能で あること、す なわちⅩのPか らの逸脱が問われる ことになる。ついで(
2
)
このギャップ をうめ る努力 がPの側 に求め られ、Pの連想記憶のなか 、らさ まざまなイメー ジ群Q
が とりだされ、(3)そのなか か らⅩ を有意味に編入す るこ とが可能 な特 定 のQ
iが選 出され る。 そ して最終的に(
4
)
"
Xi
sQ
iとい うメタファの言外の意味が抽出され る。 ここでは 主語Ⅹおよびそれ をのせ る世界は不変のままで、 譲歩は もっぱ ら述語P
に もとめ られ、P
のQ
.シフ トによって "Ⅹ i
s
P"の含意がつ くりだされ る。 そ してそれはあ くまでⅩをのせ る世界上の リテラ ル"Ⅹ i
sQi
"
とい うことになる。ゆえにここでは "Ⅹi
sl
i
ke
P"とい う直職の 1)テラル優先主義が 原理的に まだ温存 されているとみ ることができよ う。 あか らさまなl
i
ke
の表現は顔 をだ さないが、Qi
がl
i
keP
の産物 であるこ とは直職のばあいに 準 じている。 この ようないみで、 メタファはその なかに直境 を隠 しもっているといえよう。4
い まひ とつ の メ タフ ァ論 ところでⅠ.Ri
c
har
ad
s〔
1
2
〕は メタファ相互作 用説 を唱えるが、 それによれば、 メタファ "Xi
s
P"ではPのQ
シフ トによってⅩ-の譲歩が なさ れ、その結果Ⅹ-P
ギャップの橋渡 しが され る一 方、逆方向の橋渡 しも同時にお こなわれ る。それ はSe
s
r
l
e
式戦術 でた とえQ
がえられて も、Ⅹ-Q
120 長野大学紀要 第13巻 第2I3号合併号 1991 のあいだになお解消 しきれぬギャップが残存す る であろうとい うことである。 そのため
P
のQ
シフ トとともにⅩの方 もYへ と変容 し、"YisQ''にお いては じめて初期のⅩ-P
ギャップを橋渡 しす る というわけである。 こうしてⅩの p-のいまひ と つの譲歩がなされ るこ とになる。つ ま り狼 といわ れ る太郎は危険 とい う属性 をもたされ るた ゞの人 間ではな く、醜 さと苛寧猛 さをその面貌 として明示 的に もつ変容 した 「太郎狼」 とい うことになる。 ここにメタファ "Ⅹ isP"におけ るPを通 してひ とは逆方向のXのY変容 をみ るわけである。つ ま り、Richadsの相互作用説によ り、Searle型 メタ ファの仕組は転倒 され、"
Xi
sP
''メタファ表現で PによってⅩの側のY変容 と譲歩 とい うギャップ うめの逆作業がはた らくことになる。 安井稔〔
1
6
〕は以上 メタファ解釈法 をつ ぎの2
段 階戦術 で示す。 (1)正常 な解釈法に したがって、 まず言内の意味 を求め る。成功すれば"
Ⅹi
sP"
は真 なる リ テラル表現 とな り、 メタファは存在 しえない。 しか しGriceのC
P原理にて らして違反が発 見 され、言内の意味成立の真理候件がみたさ れず、ⅩとPのあいだに共起場面が不在のば あい言外の意味 を求め よ。 (2)ついでP
(-wolf)の指示候件 をみたす もの をさがす。 それは "somethingisP"が真に な るためsomethingが そなえ るべ き候件Q 群 となる (3)Q群 のなかの一部Qiがそれのア イコン とな るようなⅩ'をみいだす。Qiをみ るこ とに よ ってひ とりでにⅩ'が連想 され る とき、Qiは Ⅹ'のアイコンであるとい う。以上の解釈戦術 が成功すれば "ⅩisP''の言外の意味 (Ⅹ'is Qi)がえられ る。 安井の戦術 ではⅩ-P
ギャップをうめ る戟術は ふたつの方向か らの譲歩によってなされ る。 ひ と つはp-Qi譲歩である。ここでP
の指示候件Q群 か らQIを選 びだす戟術 は、Q群か らノーカウン ト される部分 を除去 し、アイコンの機能 をはた しう る未指定部分Qiをとりだす とい うものである。安 井はP
の継承す る上位概念 をもってQの ノー カウ ン ト部分 にあて る。例 えばwolfのばあい、これが 継承 している上位概念 としては 「動物である」 と か「4
足で走行す る」 とか ゞある。 これ らを除去 したwolf固有の性質は 「夜行性である」とか 「弱 者 を襲 う」 などがあるであろう。 その後者の固有 の性質 を安井はC.
Fillmoreのい う前提 (pres up-position)に対す る断定 (assertion)であ るとす る。(a)someoneisawo比 (b)someoneisnotawolf.
とい う肯定 と否定の文で(a)のsomeoneは前提 と 断定の南方 をふ くむが、(b)のsomeoneでは断定部 分 は否定 され るものの前提部分 は保存 されてお り、 その人は動物 であることまで否定 されているわけ ではない。 この断定部分 について安井はつ ぎのよ うに敷宿す る。「語の意味内容 を構成す る因子のな かには、情報価値の比較的高い もの と、そ うでな い もの とがあ り、その語が否定の文脈 に包 まれた とき、否定の影響 をよ りうけやすいのは、情報価 値の よ り高い部分 であるとい うことになるであろ う。 メタファを担 うとされ る単語のメタファを担 う部分が、 ここにい う情報価値 のよ り高い部分 で あるということもすでに明 らかであろう
。
」(1)ここ でい う価値の高い情報 とは継承 された既知の古い 情報 とは反対の、話者によって新 しくもた らされ る情報 をさす もの と考 えられ る。 こうしてわれわ れは安井の戦術 のひ とつ p-Q群-Qiとい うア イコン発見の方向での譲歩 をひ さだす とともに、 ついでここか らQiilヾそれの アイ コンであ るよ う なⅩ'をもとめ るとい うメタファ解釈の第 2段階 を うることになる。 ここで安井戦術 の重要 な点 は、Ⅹ'がQiをベー スに して発見 ない し創作 され るとい うことである。 Ⅹ'はは じめか ら発話 コンテ クス ト内に存在す るの ではない。"Taroisawolf.''とい うときTaroと い う正規 な形姿の男が メタファの発話 コンテ クス トにいるとは考 えない。wolfの形姿 をとる想像上 の太郎狼が発話 コンテクス ト上に登場 して、女性 に襲 いか 、ろ うとしているのである。 したが って、 wolfの形姿 をとる太郎狼Ⅹ'は正規 なⅩ(Taro)の 変身 (Y)とみ るべ きであ り、QlはⅩ変容 である Yのアイコンとなる。つ ま りⅩ-Y変容 によって Qiアイコンの主体がみいだされたのである。この ように して、メタファの解釈 は安井に とってQiか らYを想像的に創造す る仕組 をなす といってよい であろ う。川野洋 しろ うる リー並列分散表現 としての比職 Richsrdsの相 互作用説 で安 井 が と りあげ たⅩ -Y変換のギャップ橋渡 しをさらにお しす ゝめた のはS.Levin〔9〕であった。かれはSearleのメタ ファ論 を批判 し
、
Ⅹ-P
間のギャップ橋渡 しのた めの主語ⅩのY変容 による新 しい解釈戦術 を展開 してつ ぎの ようにその考 えをのべている。「Searle の メタファ解釈 には、発話P
と世界状況Ⅹ とのあ いだに両立不可能が生 じた ときは、状況Ⅹは不変 に固定 され発話P
のほ うが変 えられ るべ きだ とい う仮定が存す るが、われわれのみ るところその よ うなばあい発話P
のほ うこそ逆に固定 され、世界 状況 Ⅹが変 えられ るといえる。発話Pを世界Xの なか で意味 をうるよう(
Q
- と)作 りかえるかわ リ、われわれは発話P
を意味あらせ るよう世界Ⅹ
のほ うを (Yへ と)作 りか えるのだ。 こうしてⅩ -P間の逸脱不一致はⅩの側 に責任があ り、P
の 側 にあるのではない。逸脱変倍 した形の発話P
は リテラルに解釈 されねばならない。 それは発話P
の ままの意味 を有 している。つ ま り譲歩す るのは 世界 Ⅹのほ うなのだ。
」
(2
)こうしてLevinはつ ぎの ふたつの例 をあげ上述のふたつの メタファ解釈 を きわだたせ る。 (a)thebrookLsmiled. (b)thebrookismiled. (a)は標準的解釈 で、smiledとい う人間の顔の表情 (ゆ るやかな優 しさ)がbrookの動 きを擬人的に 形容 しているOこれに対 し(b)はbrookのほ うが流 れ動 く水の姿に変貌 し、そこでbrookが、smiled を形容す る特性 (ロを開いて低 い笑声 をもらす。 表情 をゆるやかに動かす) を自分の もの として と りいれ るこ とを示す。 こうして(b)ではbrook(Ⅹ) 、はsmiled(さらさらと流れ る)水 (Y)に変貌す る。Levinは、前者の擬人化 を融合(fusion)とい い、後者の変貌 を置換 (displacement)といって いる。 そ して置換 ではP (smiled)は リテラル を 保 ったまま、Ⅹ (brook)は可能世界Yへ と変換 さ れ る。 ここでこの可能世界Y (
さ ゞめ く流れ)は、 現実世界のなかでみいだされ るP (smiled)の焦 点づ け られた属性Q
を利用す ることによって新 し くつ くりだされ るこ とになる。 Levinはこの ような解釈の仕組 を 「メタファ解 釈のふたつの論理」 と題す るつ ぎのような図1
を つか って説明す る (図解 は川野の本論におけ る説1
21
明に したがって用語法 をか えられている)。標準的 解釈 では さきの例 (thebrooksmiled)の(a)の よ うに、P (smiled)がQ
変容 し、その適切 な候補 (Ql)がⅩ とマ ッピングが とられ、それの リテラ ルな属性 とされる(
Ⅹ-Ql)。それに対 していまひ とつの解釈 ではX
が可能世界Y (
さざめ く流れ) に変容 され、 このYにP (smiled)の リテラルが 不変の ままマ ッピングされ、独特の可憩的 イメー ジが成立す ることになる (Y- P)0P
(
s
m
i
J
e
d
)
(ゆるやかな優 L,さ)
Q
標準的解釈 (a)融 合
置 換
新 しい解釈 (b)Y(
さざめく流れ)
(
b
r
o
o
k
)× 図1 メタファ解釈のふたつの論理 Richardsの相互作用 説は直愉型比愉解釈 に対 して、その逆方向の メタファ解釈法 を示す ことに なるが、雨解釈 の方向を止揚 してⅩ-P
ギャップ の橋渡 しを最 終 的に完成 しよ うとしたのは、Ⅴ.
Aldrich〔1〕である。かれはメタファ表現"Ⅹ isP" において「
ⅩをP
としてみ る」 とき、素材 として のⅩ と主題 としてのPのほかに第3の項Mをたて る。ⅩをPとしてみ るときそれはXとPか ら分離 Lがた くとらえに くい ものであるが、 それは美的 見方 (メタファ解釈)に とって非常に重要 な契機 をなし、 このMによってⅩ もPも変容 され るとい う。 このMをAldrichはPのイメー ジであ り同時 にⅩによって生気化 され るイメー ジで もあるとし、 Mは美的知覚の内容、Ⅹはその素材、そ してPは その主題 をなす とい う。"Taroisawolf"という とき、内容Mは主題wolfと してみ られ た素 材 (Taroの身体)であるとともに、また逆に素材に よって具体化 された主題(Taroの扮す るwolf)で122 長野大学紀要 第13巻 第2・3号合併号 1991 もあ り、 このMにおいてⅩとPは相互に変容 して 影響づ けあってい る。そのなか で主題wolfも素 材Taroも第3の項Mへ と統合 されて 目だたな く な り、ひ とり内容 のMが具体化 されたイメー ジと して前面 に表われでる。 た ゞこの内容現出によって素材 も主題 も消失 し て しまうのではない。ⅩがPとしてみ られ るため には素材 Ⅹは 日常的 コンテ クス上の もの以上の も の、つ ま り微妙 な配置におかれて生気づけ られた ものになるが、内容Mはこの素材の変容 を規制す る構想原理 となって素材Ⅹを外か ら統整す るし、 主題
P
はM
においてみ られ るとい ういみでこの内 容M
に依存 しつつ、内容M
の指示 とい う性質 を失 うことはない。MはこうしてⅩ とPを変容統合 し た もの に な るがAldrichは これ を 「シ ンボル」 (symbol)とよんでメタファか らも区別す る。そ のいみす るところは、 メタファではⅩ-Pの2項 関係が基本におかれ、そのギャップ橋渡 しをⅩの 譲歩 (Y変容)によって達成 しようとしたのに対 し、 シンボルではⅩ-Pの2項関係が第3項Mに 吸収 され るとい う仕組でギャップの解消 をはか っ てお り、"ⅩisP"でな く太郎狼Yが単独 で比倫 コ ンテクス トQ止 に登場す るとい うこ とであろ う。 「太郎は狼 である」 とい うのでな く、太郎Ⅹをみ て直接 「狼Yが きた」というばあいのQ
,をとお し てみ られた狼YがAidrichのい うシンボルであ る。 Aldrichの以上の所説 をみ るときわれわれはわ れわれの比倫仕組の図式 をつ ぎのように拡大解釈 できるであろう。"ⅩisP"においてⅩ-P間に意 味上のギャップがあ り、 これ を比愉解釈 によって うめ ようとす るとき、一方ではⅩ-Q型の短縮法、 他方Y-P型の短縮法が考 えられ るが、それぞれ の方法で橋渡 しが十分 に達成 され ないばあい、 Richardsの相互作用説によってY-Q間の短縮 をはかればよい とい うことになる。Q
は厳密には 主題P
の特定アスペ ク ト・イメー ジQiである。 そ うす るとQiに よってⅩはY変容 し、Qiをとお し てPはYとしてみ られ るで虜)ろ う。 したが ってY -Qi間の ギャップはここで解消す るはずであ る。 そ してAldrichの い う内容Mは ここでい うY-Qiをさす もの と考 え られ るこ とが以上 の考察か ら可能 となるであろ う。形式的再配置 をうけたⅩ
(-Y)はP
のイメー ジ (Qi)によって生気づ け られ、そこにY-Qiとしての新世界Yにおける新 イメー ジQl(M)が出現す る。 この ように してシ ンボル現象によって比倫的表現の解釈は最終的に 達成 され るこ とになる。つ ま りそこでは素材Ⅹ と 主題P
の双方か らの譲歩によって、 シンボルが成 立 し、それの担 うひ とつの新 しい想像力の可能世 界が創造 されたことになる。5
メ タ ファは新 しく世 界 をつ くる 上述のようにAldrichは相互作用 をベー スに し たシンボル解釈法 を示 し、 よって、 メタファ表現 の創造性に対 し、かれ独 自の現象学か らす る基礎 づけ を与 えたが、 このシンボルの世 界創 出の仕組 の基本は標準的解釈法-の反立 をなすⅩ-Y変容 にP(-Ql)をマ ップす るLevinの逆む き戦術に あることは明 らかである。かれはこの道む き解釈 によるメタファがひ とつの新 しい世界 をつ くるも のであることを、つ ぎのように結論づけている。 「言葉が リテラルにあ らわす意味 を保有 したまま、 例 えば詩の メタファ解釈 を考 えるな らば、 このよ うにメタファを使 う詩人 を見者(seer)、 占師、霊 感で気が狂 ったような予言者 とみなす ことは当を えている。 さらにまた、詩人が創造者であ り、詩 が創造 された世界であるとい う主張 も、 ここで示 されたメタファ解釈によって信用で きるであろ う。 詩の言葉が リテラルな意味 を保 ち うるならば、そ れによって表現 され る世界はひ とつの新 しい創造 となる。 とい うのは、その ような世界は現実世界 の単純 な興味のない融合型変容 によってではな く、 その ような世界か らの根源的な離脱 によって達成 され るものである。 そこで もたらされ るものは不 可能 な可能世界 とで もい うこ とがで きよう。 その ような世界は単純 な経験のなかでえ られ る もので はない。それは新 しく創造 され るのである。
」 (3) メタファが新 しい可能世界 を現出させ るとい う Levinの考 えは、古 くはM.Black〔2〕のフィルタ 理論によって穏やかなが ら示 されている。"Taro isawolf''とい うとき、wolf(P)の共有連想体 系 (QI)(system ofassociatedcommonplaces) が フィル タとなって "wolf" とされ る当のTaro (Ⅹ)の化 身 (Y)をつ くりだす とかれはい う。 それはTaroの リテラルな意味 を有す る現実世 界 のなかの正規の人間のイメー ジⅩではな く、wolf川野洋 しろ うる l)-並列分散表現 としての比愉-の共有連想体系にみちびかれて新 たにつ くりださ れ る太郎狼Yで、連想 イメー ジ
Q
群 のなかの焦点 Qiによって語 られ る部分のみエン- ンスされ、そ うでない部分 は後退す ることによって選択的につ く りだ され たTar
o
の 演 じ るwol
f
で あ る。Bl
ac
k
は夜空の星 をみ るスク リー ンの例 でフィル タ としての メタファのはたらきを説明す る。 ス ク リー ンは不透 明をス リガラスであ り、その うえに スケてみえる透明な線模様が配置 されている。 さ て このス ク リー ンをとお して夜空の満天の星 を眺 め た とす ると、そこにみえる星は線模様 に したが って散布 していることになる。つ ま り夜空の星は 線模様の ように構造化 されているとみえよう。つ ま りBl
a
c
k
は メタファP
は独 自の フィル タQiを 有 し、このQlをつか ってⅩの中身を取捨選択 して これ をY
へ と変容 させ ると考 える。以上のBl
ac
k
の立場は相互作用説 をベー ス とす るが、Le
vi
n
と おな じく、 メタファPがⅩ-Y変容力 をはたらか せ て新 しい世界像 を組織す る点 を強調す るもの と みて よいであろう。G.
Lakof
f
〔8
〕 もメタファに関 しておな じよう な見解 をとっている。かれは表現の意味の客観的 指示理論 と主観的 自由主義に反対 しいわゆ る経験 主義 (e
xpe
r
i
e
nc
i
s
m)
をとるが、就 中、一見ゆ る やかな客観主義 を粧 うさきのGr
i
c
e
を 「導管 メタ ファ」(
t
hec
ondui
tme
t
a
phor
)
偏見 として しりぞ け る。導管理論によれば表現の意味は客観的 リテ ラル を有 し、 それが話者か らきき手に送 られ る。 したがって もしききとった意味に逸脱があれば、 きき手は話者の意図か らもとの リテラル を逆計算 的に理解す る必要があ るとす る。 そ うではな く、Lako
ffは人間 を環境 (自然 ・社会 ・他 人) との相 互作用のなかで とらえ、その経験 は本来 コンテ ク ス ト依存で相対的であ ると考 える。 しか しこの経 験 をとお して人間はそれぞれに固有の認識カテゴ リ (上下、遠近、 内外 -) を育てあげ、 このカテ ゴ リを選択的に使 って拡張 され る経験のあらたな 構造化 をす る。 メタファはこの ようなカテゴ リを 有 し、 これ を眼鏡 ない しフィル タとして人間は世 界 を認識す る。したが ってLako
ffに よれば、メタ ファは想像力の論理 にか ,わ る。 それによって既 成 の経験的カテゴ リ(Ql)を眼鏡 とす る新 たな世 罪 (Ⅹ)の新 たな理解 が達せ られ、 その固有の意 123 味ある世界像(
Y)
が創造 され る。新 しい メタフ ァは新 しい世界理解 を、そ して新 しい可能的現実 を創造す ることになるのである。こうしてLakof
f
は前述のBl
a
c
k
とともに、世界認識の基本形式 と して メタファをとらえる。 メタファは人間の経験 に もとづ く世界認識のカテゴ リ機能 をもち、 この 自然 と文化 の コンテクス トに依存す る固有のフィ ルタ論理 (想像 力) をつか って新 しい世界の理解 と創造 を可能に して くれ るもの となる。 以上 の よ うな メタファ新解釈 法 に関 して、D.
Spe
r
be
r〔
1
4,
1
5
〕は独特 な体 系的戦術 をつ ぎの よ うな 4段階で示 してみせ る。(
1
)
知覚装置(
pe
r
c
e
pt
ualdi
s
po
s
i
t
i
o
n)
において 新 しい情報表現 を入力 し、 これ をつ ぎの知的 概念処理装置にひ きわたす。(
2
)
概念処理装置(
r
a
t
i
o
naldi
s
po
s
i
t
i
on)
は現 コ ンテクス トにふ さわ しい短期能動記憶 を所有 してお り、新入力情報 と能動記憶 とか ら現 コ ンテクス ト上の結果(
e
f
f
e
c
t
)
を推論によって 導 出 し、与 え られ た新 情報 の有効 性(
r
e
l
e
-va
nc
e
)
を立証 して、これ を解釈 システムの標 準的百科全書的知識に統合編入 しようとす る。 しか し能動記憶の古情報が不十分で推論が未 完 におわった り、 そこに偽が演縛 され るこ と によって概念処理が失敗す るばあいがある。 このばあい統合 されえなか った表象は破棄 さ れるのでな く、 その ま ゝ保有 され引用 されて つ ぎの シンボル処理装置へ とひ きわたされ る。(
3
)
シンボル処理装 置(
s
ymbol
i
cdi
s
po
s
i
t
i
o
n)
は、引用 された概 念処理装置の出力情幸鋸こさ らにつ ぎのふたつの処理 を加 える。 (3-1) 焦点あわせ(
f
o
c
al
i
z
a
t
i
on)
では入力 した引用 情報の統合失敗 をもた らした欠陥部分が明示 的に とりだされ、処理の対象 となる。ついで(3-2)
受動記憶の 「よびおこし」(
e
voc
a-t
i
o
n)
がなされる。受動記憶 とは解釈 システム がその全経験に由来 して長期 的にもつ広 く深 い記憶 で、 システムの経験 に依存 して不定可 変 なイメー ジ群 をな している。(能動記憶 は概 念処理にあたって受動記憶か ら臨機 に とりだ され、統合 された概念表象はふた ,び受動記 憶 に もどされ る。)そ してそれはシンボル処理 装置が欠陥部分 を再評価 した り、それ を別次124 長 野大学紀要 第13巻 第2・3号合併号 1991 元で統合す るために必要 となるであろうあ ら ゆる情報 を蓄 えている。「よびおこし」はこう した古情報 を受動記憶か ら検索す る 「想起」 のはた らさである。 こうしてよびおこされた 古情報はふ た 、び概念処理装置-返送 され る。
(
4
)
概念処理装置はシンボル処理装置のフィー ド バ ック出力 を入力 し、 さきに残 した引用 され た統合不能情報 と組合 わせ て、今度は有効 な 新 しい概念的表象 を構成 し、能動記憶の百科 全 書 的 知 識 - ふ た た び も ど し て や る。 Sperberはこうしてえ られた新表象 を、は じ め知的概念処理 では統合 同化のできなかった 欠陥表象の、 シンボル (S) としての解釈 で あるとす る。 (図2
参照)・- I-
;
・
言「
⊥ 図2 メタファ解釈システム ここでの メタファ解釈法では、 システムのⅩを のせ る正規 コンテクス ト上での概念処理 をパスで きなかった欠陥表象 "Ⅹ isP"が、受動記憶か ら よびおこされた もろもろの百科全書的でない情報 Qlをうけいれ る新 たなYのための コンテ クス ト をみいだ し構成す ることによって、新 コンテ クス ト上では今度は有効 なものに変換す るとい うこ と が示 され てい る。概 念処理 でみ られ た よ うに、 Sperberに とって一般にある表象 (または仮説)が あるコンテクス ト上で有効 なものであるとい うこ とは、それがその コンテクス ト内においてある成 莱 (effect)をはたす とい うことである。かれはい う、「いまここに欠陥のある奇異な情報が与えられ た としよう。それは概念的処理 をうけいれない。 この とき別の他 の新 しい情報があってこの欠陥あ る情報 と結合 され、それ らが推論の前提 としては たらくことによってさらに新 しい情報が成果 とし て導缶 で きたとす るこそ れはてこ の新 旧情報の組 合わせ を前提 とす ることな しには推論 されえなか ったであろうところの新情報である。 この ように 新情報の成果が乗算効果 を生みだす とき、われわ れはその欠陥情報 を有効 であ る とい うこ とにす る。
」 (4)と。た とえば緑の羽募金 とい うコンテクス トがある。 ここで (A)「お願 い しま-す !」は正 規 な意味表現であるが、それに対 して(B)「私 は 赤十字会員だ」は (A)と概念処理的に統合 され がたい欠陥表象 をもつ。 ここでシンボル処理装置 はつ ぎの ような情報(
C
群) を記憶の内側か らよ びおこしてきた とす る。 (C1)赤十字会員 は赤十字に献金 している。 (C2)赤十字は緑の羽募金に金 をだ した。 (C4)-ペ ん緑 の羽募金 に金 をだ した者は も うださないでよい。 C1とC2とか ら中間的 につ ぎの情 報 C3が導 出 さ れ る。 (C3)私 は もう緑の羽募金 に金 をだ した。 そ うす る とBか らは C3,C4と結合 してつ ぎの よ うな成果Dが演鐸的に導出され るであろ う。 (D)私は もうださないでよい。 この結論Dの導出は緑の羽募金の赤十字全局 とい う特殊 な面か らの コンテクス ト設定 によって、B が正規 コンテクス トで無意味 な欠陥表象であった に もか ,わ らず、有効性 を うるようになったとい うことを示す ものである。Sperberの メタファ解川野洋 しろ うる り一並列分散表現 としての比倫一 釈法 の要点は以上み るように、 メタファが正規の コンテ クス トで
Ⅹ-
Pギャップによ り欠陥 を有 し なが ら、Ⅹをのせ る旧正規 コンテ クス トにかわ るY
のための新 しい コンテ クス トを深い記憶の内側 か ら探索 し構築す ることによって、その有効性 を 論理的に回復 しうること、そしてこの新 コンテ ク ス ト上の想像的世界のなかでそれが生気 ある表現 をもつ ようになるとい うことを語 ってお り、そこ か らメタファが新 しい世界 をつ くりあげるもので あることをわれわれに論理的に示 しているといえ る。 この ように メタファP
は解釈 の フィル タQI
に よって可憩の世界Yをつ くりあげ るわけであるが、 われわれは ヒューマ ン ・インタフェー ス とい う点 か ら、 コ ン ピュ ー タ が つ く りな す 仮 想 世 界(
v
i
r
t
u
a
l
r
e
a
l
i
t
y
)
をメタファ表現の仕組のなかに おいて考 えることがで きるようにお もう。 これは シ ミュレー タを拡張 したものであるが、 コンピュ ー タは現実世界は もちろん、現実的経験 としては 到底不可能 なさまざまな ミクロの世界や想像上の または理論的計算上の仮想の世界 をダイナ ミック な形象 として可視化 して くれ る。ユーザはこの コ ンピュー タの可想空間に身体的操作 を加 え、その 世界 を隅 な く探索 し、 その構造や機能 をあたか も 体験す るように知 ることがで きる。 この コンピュ ー タの仮想世界は、前述 した 「隠れた直愉」 とし てのアイコン型 メタファが コンピュー タの内部世 界 を部分的に形象化 しえたのに くらべ、いわばア イコンだ らけの全面的形象化 となっている。 その 結果、 コンピュー タⅩは背後に隠れてみえな くな り、現象 しているのはそれがつ くる想像 の世界Y
だけ となっている。 そこでユーザは コンピュー タ Ⅹの インタフェー ス として、 メタファP (その属 性Ql
)
を通 じて世 界Y
をみ、 これ と交渉す るo こ の新 しい世界Yは擬似現実的に現象 し、 その シ ミ ュレー ションが深 くなればなるほ どそれはユーザ に とって現実性 をおび、 メタファP
の生動力が強 ま り、それに比べて背後の コンピュー タⅩはYに とって代 られ ます ます隠れてゆ く。 こうして ヒュ ーマ ン ・インタフェー ス としての疑似形象世界は、Bl
a
c
k
やLa
ko
ffがいっているメタファがつ くる 可能世界 と類似の構造が与 えられているとみ るこ とがで きるであろ う。 125 6 これ までの比 愉論 の線括"
Ⅹ (
Ta
r
o
) i
sP (
awo
l
f
)
"
において、X
が 正規の世界の ものであるのに対 してP
がⅩの世界 に属 しない ところか らⅩ-P
ギャ ップが生 じ、そ れ を解消す るのに (1)
p-Q
譲歩 と(2)
Ⅹ-Y
譲歩のふたつの道が示 された。
p-Q
譲歩は標 準的なメタファ解釈法 をなすのに対 し、Le
v
i
n
が 示 したⅩ-Y
譲歩によるメタファ解釈 は きわめて 革新的なアイデアをは らむ ものであった といえる。Le
v
i
n
はBl
a
c
k
のメタファ ・フィルタ論 をバ ッ クにPに よるⅩ-Y変容 の仕組 をみいだ した。 こ のことは現実世界のⅩがPを含意すべ く、その素 材 を組替 えてYに姿形 をかえた とい うことである。 太郎が舞台で狼 を演 じていると考 えていた ゞきた い。このばあい実はAl
d
r
i
c
h
のい うように、太郎の 変容 とともに、いまひ とつ狼のほ うの変容 もおこ っているとみなければならない。 とい うの太郎の 演 じる狼 は、狼一般 で もなければ、ほかの俳優次 郎の演 じる狼 ともちがい、演出家が太郎に与 えた 固有の解釈 によって演 じられた 「太郎狼」である か らである。 こうしてⅩの変容Yは発話者の意図 に よって関心づ け られ たP
のあ るアスペ ク トQ】
を表現す ることになる。Al
d
r
i
c
h
は素材世 界Ⅹ と 主題P
のあいだに第3
項 内容 としてY-Q
iをた て、 これ をシンボル とよんだのであった。それは Yとい う非正規 な構成 をとる素材の組立 をす ると ともに、 それによって新 しく解釈 された主題のア スペ ク トQ
iを もつ新 しい意味の世 界 を創 出す る とい うはた らきを示す。 この新 しい世界の創造はBl
a
c
k
流にみ るとメタファP
によるⅩ世界のY
変 容 と解 され るが、
La
ko
f
f
の議論 な どもす こし掘下 げて考 えれば、逆のY
によるP
のQl変容 とい うこ とにな らないか。世界 を創造す るとい うのはイメ ー ジとしての世界 を新 しく構想 し直す とい うこと で、 この世界 とは表現の含意 となるものでなけれ ばならないであろ う。つ ま りP
とい う主題のイメ ー ジ世 界がQ
lとい うアスペ ク トか ら新 し く見直 され るとい うことである。
Ⅹの世界は もの として の現実世界であ り素材対象にみ ちみちているが、 それが素材構成 をかえてYに変容 して も、それは あ くまで もの としての素材の世界であることにち がいはない。表現 とい う点か らみて表現す るもの は もの としての素材の集 ま りであ り、表現 され る126 長野大学紀要 第13巻第2・3号合併号 1991 ものは観念的なイメー ジとい うべ きである。 ここ でシンボ
ルY-Qi
を考 えると、表現 を担 うのはY
の側 にあ り、表現 され るイメー ジ対象はQlの側 に あ り、 これ までP
をメタファとして きた立場 は今 や逆転 され る。 Pが メタファ ・フィルタとして新 世界Y
を創造す るのでな く、Y
が メタファ (シン ボル)としてP
をQlアスペ ク トか ら新 たに創造す るのである。 こうしてシンボルにおけ る表現の担 い手はY
となる。Y
は例 えば 「黄金の山」であっ た り、上半分の人間 と下半分 の魚がつ ながちた「人 魚」であった りす る。そしてそれは正規の コンテ クス トでは不条理 な欠陥のある素材構成 をな して いるo Lか しそれは新 しい コンテクス トを与 えら れ ることによって有意味な生気 をおびて くる。 と い うことは、欠陥形象 としてのYがQiとい うアス ペ ク トを通 じて意味づけ られ、 これ まで見 られた ことのない姿で主題Pを再創造す るとい うことで ある。 ここでのQiの役割はLa
ko
ffのい う新 コン テクス トをつ くる小 カテゴリとして、
Ⅹ-Y
変容 を演出す るY
解釈のはたらきということになる。 こうしてわれわれは、素材ⅩをQiコンテクス ト上 でY
変容す ることによって主題P
の新 しい世界 を 創造で きるとす るメタファ解釈に到達す る。7
シ ンボル -オ ブジ ェの世界 ここでえられたシンボルの表現機構 にSpe
r
be
r
のメタファ解釈論の引用 と注釈の仕組 を適用 して み る。
Spe
r
be
r
では、メタファ表現は正規の コンテ クス トでは欠陥 を有す るに もか ,わらず、 キャン セルされ ることな くそのまま引用によって保有 さ れ、それに新 コンテ クス トに関す る「よびおこし」 が加わって有効 な もの となった。 ところでこの引 用は欠陥表象Yを対象化す るメタ表現のはた らき の存在 を示 してお り、 このメタ表現は 「よびおこ し」の対象 とな り、欠陥表象Yに有効性 を与 える ものであるが、Sp
e
r
be
r
はこのメタ表現 をY
の注 釈(
c
o
mme
n
t
ar
y)
とよび、その注釈法 をつ ぎのよ うに定式化す る。「
Y
」は真 である。 「あなたの脚は色彩 を夢み る」はソックスの 宣伝文句である。 「転石苔を生ぜず」はこれこれのばあいに用 い られる諺 であ る。(5) この ように引用 と、注釈 によるメタ表現 として欠 陥表 象Yは百科 全 書 的知 識 に 同化 され うる とSp
e
r
be
r
はいう。引用 されている表象 自体 は明 ら かに矛盾であるに もか ゝわ らず、引用 と注釈 をま とうことによってその不条理性 は保 たれたまま無 力化(
He
ge
l
的a
u
f
he
be
n
にに る) され、われわ れはそれ を有効 な もの として拒否 しない。 この注 釈 をみるに、それは表現Y
の発話者の意図や態度 のメタ表現であった り、かれの よって立つ コンテ クス ト情報 である。Spe
r
be
r
によればそれは表現Y
にメタファとして与える解釈 である。 かれのあげるパ ン トマイムの例 をみ よう。パ ン トマイムの役者は白粉 をつけて 自然の表情 を消 し、 手には何 ももたないで無言のまま立廻 る。 しか し そこには蝶が飛び、かれは捕綱 をふ ってそれ を追 い ともめ る。忍び足で蝶に近づ き、や っ ととらえ て見えない蝶 を指先 でお さえる。無表情で無言な 頭 と手足の動 き、それは 日常世 界の リアルな生活 動作か らみて奇妙 な動 きをなす といわぬばならな い。 しか しそれは 「蝶 をとらえる子供」であ り、 そこには正規に存在 しない蝶や捕網 それに青空や 葦原 までが現出 している。 そ してこの メタファ表 現 を可能に しているのが役者の解釈 (演技)であ る。 ここでは役者の正規 な姿形 (抽象 された手、 足、頭など)は奇妙 な姿形の まま引用 され、演技 とい う注釈 を解釈 として ともな うことによって、 「蝶々 とり」の場面が構成 されているとみ ること がで きる。つ ま り、抽象的な頭、手、足などに解 釈演技がほ どこされ ることによって、それ らは メ タファとな り新 しい世界 をつ くりだ している。 ここでわれわれは、 メタファYに有効性 を与え る新 コンテ クス ト情報 (発話者の コンテ クス トに 関す る命題)が、 メタファYの欠陥 を回復 させ る 注釈のはた らきと一致す るの をみ と ゞけ ることが できるとお もう。 メタファの もつ背後の含意 を推 論によって導出す るため必要 とされた発話者の コ ンテクス ト命題は、正規 コンテ クス トにおけ るメ タファ表現の不条理 を、その まま救 出 してわれわ れの百科全書的知識に同化す るための注釈 として、 メタ表現 の役 割 を演 じる もの に他 な らな い。Spe
r
b
e
r
では明示 されていないが、発話者の主体 的 コンテ クス ト表現 -発話の引用 ・注釈 -発話の シンボル解釈 とい うメタ表現使用の論理的仕組がメタファを成立 させ る。 た ゞここで重要 なことは、 メタ表現は対象化 された表現Yの解釈 をのべ る上 位表現で、対象表現
Y
と同レヴェルで形象化 され るこ とはない とい うことである。 それはメタファ 解釈 によって現出させ られ る新世界P
のアスペ ク ト構成のはた らさをなす もので、新世界表現のな かで も発話Yの不条理 な姿形はその まま保有 され て表 にあ らわれ いで、 したが ってY
の リテ ラル(
Ⅹ)
が解消 され ることはないO い まひ とつ、P.Picassoは彫刻 を制作す るのに 好んでガラクタ (壊れた中古品) をさが しまわっ た。F.GilotとC.Lakeの 「ピカソとの生活」〔3〕 によれば、かれは例 えば 「山羊」の構想 をいだ ( と、 ゴ ミ捨場 をあさってまわ り、古い枝編の クズ 篭 をひろいあげて 「これは山羊の肋骨に必要だ」 といい、海岸 でひろった椋椙の葉 をみて 「山羊の 顔 にいい」 と思 った りす る。そ してPicassoはこ れ らの具象素材 を組立てて 「山羊」の像 をつ くる。 Picassoの愛 人Gilotはかれに 「こんな クズばか りを彫刻に組立てるような面倒 なことは しないで、 なぜ最初か ら簡単に、例 えば、石 膏の ような使 い やす い素材で形 をつ くることをしないのか」 とき く。 それに答 えてPicassoは 「素材 その もの、つ ま りこの ような具象的物体の形や感触が よ くわた しに彫刻全体への鍵 を与えて くれ るのだ。鶴の尾 羽のヴィジ ョンをシャベ ルにみてわた しは鶴 をつ くるこ とを考 えた。---わた しは比倫 をつか って 現実 を表現 したいのだ。わた しの彫刻は造形的比 職だ」(6)とい う。そ してこの比職の メカニズムにつ いてひきつづ きつ ぎの ような説明 を加 えている。 「人は昔か ら女性の ヒップは花瓶 のような恰好 を してい るといって きた。 これは古 くさいきま り文 句だ。わた しは花瓶 をもって きてそれで女性 をつ くる。 わた しは古い比倫 をつか って反対の方向に 効果 をだ しそれに新 しい生命 を与 える。例 えば山 羊の胸の構造 に して も同様 だ。肋骨の構造が枝編 の篭 ににているとはだれで もがいえるだろ う。 わ た しは反対に篭のほ うか ら肋骨の構造 を考 える。 比倫か ら現実 に もどすのだ。 わた しが比倫 をつか っているためにあなたは現実がみえる。比職の形 自体 はポロポロになっていた り壊れていた りす る か もしれないが、 た とえどんなにみすぼ らしい恰 好になっていて も、わた しはそれ をとって きて予 127 期 しない形でっかい、み る人の心に新 しい感情 を おこさせ るのだ。
」 (6) ここでPicassoは直職型比倫解釈法ではない、 前述 のLevin等が示 した逆 む き比職解釈法 を語 っているのが よみ とれ る。"ⅩisP"とい うとき「
Ⅹ
(篭)がP(肋骨)に似 る」のでな く 「(肋骨)P が篭 Ⅹの姿 をとる」のであ り、主題Pにあわせ て 素材 Ⅹをさがす とい うことをかれはや る。石膏像 だ と石膏素材は 自由な可塑性 によってP
がなんで あれそれに似せ られ るが、逆方向にP
(例 えば山 羊)が不定の素材である石膏にに るとい うことは あ りえない。つ ま り石 膏像 は写実 またはせ いぜい の ところ直愉表現の域 をこえでるこ とはで きない であろ う。 しか し既成の中古品 (Ⅹ)はその具象 性のゆえに、構想Qlを具体化す る恰好の道具 とし て再利用価値 をもち、主題P
を実現す る動機 とし てはた ら くこ とがで きる。Levinは "thebrook smiled"の例 をあげたが、Picassoの解釈によれば「
川が微笑の ような柔い感 じがす る」のではな く て、「微笑の姿形 をした (さらさらゆれ動 く)川の 流れがある」とい うことになるし、 また"Taroisa
wolf''のおな じ解釈 は 「狼 の姿形 をした人 (狼 を演 じる役者)」とい うイメー ジをもた らす。 ここ で、brookやTaroは素材 とな り、主題smiledや wolfを具体化す る道具の役 を担 うとともに、主題 は素材の演技に解釈 をあたえそれに生気 をふ きこ むことになる。厳密にはこの解釈 を与 えるはたら さは主題P
その ものではな くは、そのアスペ ク ト、 すなわち肋骨の骨模様や 中空のふ くらんだ形 とい った、関心づ け られ焦点化 され たイメー ジ特性 (Qi)であ り、P
を指示 とす るイメー ジQiをP
の アスペ ク トとして、中古の枝編篭 (素材Ⅹ) は山 羊の肋骨Yに変 身 したのである。 こ うして新 しい 山羊の肋骨がつ くりだされ る。 ここで注意すべ き は上述 したⅩ-P間の意味上のキャップの決定的 大 きさである。 そこには類似関係 はない。 このこ とが石膏像のばあい と異なって逆む き解釈 を加速 強化 し、 メタファ表現の創造性 を可能に している という点が忘 られてならないだろう。 「鳥が飛ぶ」 とい うとき、鳥の飛行P
の もつ焦 点特性Qi(羽 をひろげ、上下にばたつかせ、羽 を 下 ろす とき後方にけ る-)によって、初期の鳥 を まねた飛行機が出現 した。そこには飛行機 と鳥の128 長野大学紀要 第13巻 第2・3号合併号 1991 あいだに素朴な類似関係がある。 ところで 「ジェ ッ ト機が飛ぶ」 とい うときこの類似関係は一見失 われ、そこにⅩ-Pギャップが生 じてこの表現 を メタファならしめ る。 しか しこのメタファ表現は 主題飛行Pの新 しいイメー ジ特性 Qi(ェンジン噴 射の逆作用 としての強力で早い推進力、空気流体 による浮力をあげ抵抗力を低 くす る薄い三角形の 異-・) をうることによって、これ までの鳥の世界 をこえた新 しい飛行の世界 をつ くりあげた。車の ばあい も同様である。「車が走る」とい う有欠陥な メタファ表現のなかに、 2本の足が交代 で動 く人 間の歩行 のイメー ジは皐の回転によってつ ぎつ ぎ の素速 く交代す る多 くの足の運動がつ くりだす走 行のイメー ジに とってかわ られる。 こうして車の メタファは新 しい走行の世界を生みだす革新 をも たらした といえよう。 また花子はオフェ リアを演 じる芝居 を考 えてみ よう。花子はオフェ リアに扮す る。オフェ リアが どの ような姿形の少女 であったかは-ム レッ トの 記述があるか ら、花子はそれに したが ってオフェ リアにな りす ますことがで きる。花子は-ム レッ トに描写 されているオフェ リアそっ くりで見紛 う ばか りになる。 しか しこれ までのべて きたメタフ ァ解釈法によると、花子は うま くオフェ リアを模 倣 したか らその表現が芸術的であるとい うのでは ない。花子がオフェ リアであるのはオフェ リアが 花子の身体演技 をか りて具体化 された とい うこと であ り、花子がオフェ リアの解釈 をアスペ ク トと して変身 した ということである。つ ま り花子にオ フェ ))アの藍が.;・LiRいた とみ ることがで きる。 この ばあい花子の正常 コンテクス トでの姿形 と-ムレ ッ トのなかのオフェ リアにはまだ類似関係がある が、花子が現実的に存在 しえない仮空の存在 ヴィ ーナスを演 じるばあいを考 えると、そこには もは やⅩ-P間の類似関係 はな くな り、花子はヴィー ナスを模倣す るわけにはゆかず、 もっぱ らヴィー ナスを創造す るしかないこ とになる。 ここではヴ ィーナス
P
のイメー ジQ
lは新 たに構想 され、花子 はこの新 しいQiイメー ジを手がか りに ヴィー ナ スの役 を自分の身体の部分や道具 をつかって構成 す る。アスペ ク トQiに照合 しえない身体部分 は仮 面や無地の衣装 で隠蔽 した り抽象化 した りし、照 合す る素材はフルに活用 されて、そこに独特 な花 子のヴィーナスが創造 され るこ とになる。 ここで ヴィーナスは 日本人の少女花子にの りうつ って花 子を変身させ た とい うことがで きる。 そ して俳優 の演技にはこのようなメタファとしての創造的表 現性がそれ を芸術 たらしめ る原理 としてはたらい ているとみてよい。 こうして芸術的表現 である役 者の演技は メタファとなって 自己変身による新 し いイメー ジ世界 を創造す るわけであるが、そこで の役者はこのようなメタファ解釈法か らみ るとき、 藍に葱かれて トランスした韮女 にた とえることが できよう。つ ま り花子はヴィーナ スの露に恵かれ て トランス した丞女 として 「生 きヴィーナス」に なったのである。 ヴィーナスは花子の外に存在す ることはな く花子の上に化 身す る。 こうして花子 は即身ヴィーナス となる。 徒 然草の60段 につ ぎの よ うな くだ りが あ る。(7) 「この僧都 (真乗院の盛親僧都)ある法師 をみて、 しろ うる りとい う名 をつけ た りけ り.
Fとは何物 ぞ』 と人の間いければ、『さる物 をわれ もしらず、 もしあらましかば、 この憎 の顔に似ん』 とぞいい ける。
」盛親 はここで 「ある法師 (Ⅹ)は しろうる I) (P)だ」 といっている。 しか し、 しろ うる り なるものは仮空の非存在である。 それに もか ゝわ らずこのメタファ表現はあ る法師の面影 をうきだ たせ るものがある。 そしてその面影は非存在の し ろうる りだ とい うわけである。芋頭 を好んだ大食 漢の強力 自由奔放 な盛親の 削 こ、 この或 る法師は かれ とは一風違 った、未熟で弱々 しいが漂々 とし て とらえどころのない柔の 自由人 と映 ったのであ ろう。この ようなしろうる りP
の イメー ジ内容 Q】 とい うアスペ ク トをとお して盛親 はその若い法師 の新 しい像 をつ くりあげている。 こ うして非存在 の しろうる りは若 い法師の姿形 をか りて出現す る にいたると同時にこの法師 もしろうる りとで もい う以外にないQl型の姿形Yに変容 して しまう。こ こには もうQi-Yとしての即 身 しろ うる りの法 師があるのみで、素材 としての元の法師Ⅹ も主題 の しろ うる りPも見事 に即 身 しろ うる りにauf -hebenされている。 ここでわれわれはさきの肋骨の篭やヴィーナス の花子の身体、そ して しろ うる りの若法師の顔 な ど主題表現 を担 う素材 を 「オブジェ」 とよんでみ たい。それはこれ らの素材が レディメイ ドな意味川野洋 しろ うる リー並列分散表現 としての比喰 -を独立 して もっ ことにより、主題 とのあいだに決 定的なⅩ-Pギャップを有す るところにあ る。柔 軟不定の素材 (例、石膏や絵具 など)はい くらで も