• 検索結果がありません。

突き返される問い ―「研究」「研究者」「大学」を問う手前で考えるべきこと (社会調査の実践的課題)

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "突き返される問い ―「研究」「研究者」「大学」を問う手前で考えるべきこと (社会調査の実践的課題)"

Copied!
14
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

34 第 2 部 社会調査の実践的課題 第 3 章 突き返される問い 34 7-25. トヨタ財団,2006,『トヨタ財団 30 年史 助成実績編』トヨタ財団. 津田敏秀,2004,『医学者は公害事件で何をしてきたのか』岩波書店. 宇井純,1971,『公害原論(1)』亜紀書房. ────,1984,「絶対的無原罪の柔軟と再生」『エコノミスト』62(9): 94-97. 山本崇記,2009,「社会運動研究の方法論的課題に関する一考察── 『調査者-被調査者論争』が提起したもの」『現代社会学理論研究』 3:72-85. 安田三郎,1975,「『社会調査』と調査者-被調査者関係」『福武直著 作集 2』東京大学出版会:488-499.

突き返される問い

  「研究」「研究者」「大学」を問う手前で考えるべきこと 北村 健太郎 字を知っとる者は、なかなかツブケじゃ。ツブケじゃ言ういうがのう(という のは)、気が馬鹿じゃ(だということだ)。何も考えちゃおらん(考えてはいない)。 ⋯⋯皆さっさっさっさっ書こうが(書くだろう)。書くけえ、それより他のこと を覚えんのじゃ、物事を(小川 2006: 77-78)。

1.問題の所在

 私は血友病者本人もしくは彼らに深い関わりを持つ人々の視点から、日本の 血友病者とその家族の患者運動の歴史を記述し、医療技術、公費負担、学校 教育、マスメディア、優生思想などの様々な主題を考察してきた。その過程で、 血友病コミュニティに入って参与観察を行ない、ときには血友病コミュニティ の活動の一部を担っている1)  私のこれまでの経緯から座談会「研究に課された倫理と実践における問い ──被調査者/当事者/生活者/活動者との間で揺れる「研究者」なる存在 とは何か」2)の特定応答者の打診をされたと思うが、一度は丁重にお断りをし た。お断りをした理由は明快である。私は多くの人々に「研究者」と見られて いるだろうが、私自身は「研究者」と思って生活していないから、特定応答者 には適当でないと考えたのである。しかし、企画者の強い要請を受けて受諾し た。私は自らの定義づけを好まない。人にいろいろな側面があるように、私に もその場面にあった様々な表情があって当然だと考える。あえて何らかの定義 第 3 章

(2)

30 第 2 部 社会調査の実践的課題 第 3 章 突き返される問い 31 づけを行なうとすれば、「表現者」「観察者」「記録者」3)というあたりだろうか。 もちろんこれらは、私のすべてを表さない。  私たちには「研究」「研究者」「大学」を問う手前で、肩書きや立場、言葉 や文字、沈黙や存在など、多くの考えるべきことがある。本章の目的は、「研 究」の手前に踏み止まって、生活に密着した基本的な営みである「考えるこ と」「調べること」「在ること」「書くこと」「伝えること」について、今一度、 問い返すことである。また、「研究者」と呼ばれることに気恥ずかしさを覚え る私の基本的姿勢や考えを述べる。本章では、市村弘正「考える言葉」(市村 1994=2004)、小川徹太郎「現場の知」(小川 2006)を補助線として、一般的に 「研究者」と言われない作家や作詞家、劇作家などの文献も活用して論を進め る。  あらかじめ、本章の展開を示す。第 2 節で私がこれまで考えてきたことを披 露し、第 3 節ではフィールドワークと私の取り組みを述べる。第 4 節で言葉の 限界と沈黙に言及したうえで、第 5 節では「伝えること」について論じる。以 上を踏まえて、第 6 節では「時間」の堆積とその含意を述べる。第 7 節で「研 究者」「大学」に少し触れてから、フィールドから突き返される問いを提示す る。

2.思考の軌跡

 まず、私の個人的経緯を説明する4)。様々な紆余曲折があり、現在、「研究 者」と呼ばれる立場にある。正直なところ、このような立場になるとは思って いなかった。  振り返ってみると、幼い頃から計画性がなかった。良く言えば、目の前のこ とに集中する性質である。小学生くらいまではよいが、中学校の後半くらいに は高校受験などの進路について決断しなくてはならない。高校受験のとき、何 も考えていなかったので「これから考えるから 1 年休みたい」と親に高校浪人 宣言をした。すると「それは許さない」と親と担任によって、とある高校に推 薦で放り込まれた。高校時代は何事に対してもやる気を失っていた。その理由 は「高校の勉強に何の意味があるのか」と考え込んだからである。高校の勉強 は、味気ない薄っぺらな知識の断片のような気がした。もし、高校の勉強と日 常生活や将来の仕事とのつながりを感じていたら、少しはやる気が起こったか もしれない。私の様子を見かねた当時の担任が、校内弁論大会に出場すること を勧めた。気まぐれに原稿を書いたところ、出場することになった。以下は、 当時の原稿の一部である5) 例えば、鳥が鳴いているとします。あなたは本で名前を知っていますが、はた してその鳥自身は自分がそんな名前だと知っているでしょうか。ひょっとすると 別の名前があるのかもしれません。名前や分類を知ると鳥や草花のことを、「自 然」を知ったような気になります。しかしそれは人間のいいように「自然」をつ くりかえているだけなのです。「石は重力で落ちた。」なんて生活には何の関わり もないことです。落ちたいから落ちるのです。 もちろん、勉強することは悪いことではありません。 しかし、最近は、教科の内容が高度になり、教科と教科の溝が深まったような 気がします。ところが生活は総合的で、「自然」を基本としています。さらに教 科と「自然」は遠ざかっています。ですから、「将来のためだ。勉強しろ。」と言 われても、ピンと来ません(中山 1993: 42)。  引用箇所は、知識による生活の分節化を述べた部分である。事象を分析する にあたって、必要な分節化は避けられない。しかし、分析された知識は(とき は批判も含めて)再び「現場の知」へと還流されるべきではないだろうか。  高校を卒業する頃、ようやく現実的に「何らかのデスクワークで生きてい こう」と真面目に予備校に通った。一浪して大学に入ったとき、20 歳の記念 に懸賞論文に応募した。高校時代に考え込んだことについて、「為」の思想と 「在」の思想6)として一つの結論を出して区切りをつけた(中山 1997)7)。学 部生のときは、講義も部活も、ボランティア活動も謳歌した。大学に入った直 後は、大学生活を楽しみ、普通に就職し、淡々と生きようと考えた。しかし、 計画性がない私は、例によって就職活動に乗り遅れた。4 年間を終わって、大

(3)

32 第 2 部 社会調査の実践的課題 第 3 章 突き返される問い 33 学院前期課程などで時間稼ぎをしながら就職先を模索した。  転機は、修士論文のテーマを考えていたときに訪れた。ふと、日本の血友病 者の現代史を誰も書いていないことに気づいてしまった。私の身近なフィール ドであったがゆえに、これまで気に留めていなかったのである。修士論文を執 筆した後、今後について考えた。問題は二つである。第一に、研究で将来の生 計が立てられるのか。第二に、身近な血友病を研究対象として客観視できるの か。諸先輩にいろいろ相談したところ、懇切丁寧に待ち受けている困難を教え てくれた。繰り返し悩んだが、心の奥底からの「血友病者の現代史を書け」と いう声に背中を押され、大学院後期課程に進学し、現在に至っている。  私は研究対象を分析するとともに、研究で得た知見を統合して生活場面へ還 元することに注力している。私の基本姿勢は「ある主題の具体例として血友 病を扱うのではなく、血友病を視座に社会を捉え直す」こと、「血友病を立脚 点として現代社会の一側面を描き出す」ことにある(北村 2007)。したがって、 私は「マイノリティ」研究や「当事者」研究をしているつもりはない8)。例え ば、これまで一貫して考察してきた論点の一つに能力主義がある。この論点の 考察は、(中山 1993)、(中山 1997)、(北村 2001)と続けられ、血友病の視角 から(北村 2007)(北村 2008)に到達した。  他方、日本の血友病者の現代史に取り組むにあたって、「基本的視座を血友 病者の日常生活、ライフヒストリー」(北村 2007)に置いている。これは、先 に述べた生活の分節化への抵抗である。研究として事象を分析的に捉えつつも、 研究で得た知見が生活場面に還元され、生かされるように努めている。その 一端は、次の第 3 節で少し触れる。知の分析と統合は、簡単なことではないが、 決して矛盾するものではない。人文社会科学をはじめとする諸科学が高度に専 門化し、細分化している今日、その専門性を追究すると同時に、知の統合も必 要だと考える。  高校の勉強はつまらないと言っていた者が、いつの間にか「研究者」と呼ば れているのだから何が起こるか分からない。奨学金を返還している途中とはい え、大学院進学を可能にした周囲の環境に改めて感謝せざるを得ない。

3.フィールドへ

 フィールドワークと聞くと何やら特別なことのように思われる。しかし、人 文社会科学の研究対象は、現在、私たちが生活している世界である。「誰もが、 地球上の具体的な場所で、具体的な時間に、何らかの民族に属する親たちから 生まれ、具体的な文化や気候条件のもとで、何らかの言語を母語として育つ。 どの人にも、まるで大河の一滴の水のように、母なる文化と言語が息づいてい る。母国の歴史が背後霊のように絡みついている。それから完全に自由になる ことは不可能」(米原 2001=2004: 188)なのだ。身の周りを研究対象だと自覚し た瞬間、そこはフィールドになる。大学院後期課程の進学時に決めたことは、 血友病コミュニティに留まり、逃げ出さないことであった。鵜飼正樹を大衆演 劇の世界に導いた役者の勝富朝隆が示唆的なことを述べている。  論文に書くのはいいけれど、こういう団体生活は、外から見るだけじゃわか らないよ。それより、一カ月でもいいから、一緒に生活して、同じもんを食べ て、街風呂へでも一緒に行ったら、団体生活のよさも、また悪さもわかる。役者 さんの世界というのは、ほんとうに人情味のあるあたたかい世界。もし私が病気 で入院でもしたら、それこそ全国から見舞いに来てくれるような世界よ。それに 実際に触れてみて、見たこと、聞いたこと、感じたことを記録にでもつけながら、 やってみたらいいと思うよ。(鵜飼 1994: 7-8)  縁あって、血友病が身近であった私にとって、フィールド内部に視点を持ち、 「留まる覚悟」が重要であった。血友病コミュニティに「錨を下ろす」とでも 言えるだろうか9)  しかし、血友病コミュニティに留まることは容易ではない。現在でも、血 友病者やその家族、血友病コミュニティが 1980 年代から 1990 年代に受けた 「傷」は完全には癒えていない。HIV 感染は、血友病者の生命を激烈に奪い、 身体的/精神的苦痛を与えただけでなく、血友病者同士の関係や血友病コミュ

(4)

34 第 2 部 社会調査の実践的課題 第 3 章 突き返される問い 3 ニティを破壊し、血友病コミュニティを HIV 感染/非感染という二つに切り 裂いたのである(北村 2009a)。現在から、患者会会報などの「書きのこされた 文字のつらなりを丹念になぞること」は「記しとどめた文字の背後にひそむ数 知れぬ「嘆きや苦しみ」に、記しとどめた者とともに思いを馳せる」ことにな る。「小さな文字のつらなりは、まさしく紙碑として立ち現われてくるだろう。 「鎮魂」の思いの深さは文字をただの文字にとどめ」ず、「それは祈ることと して読むこと」につながる(市村 1994=2004: 59)。記録からこぼれる「だれも が体か心を冒されている」という厳しい現実は、「過去を変えることはできな いが、未来は変えることができる」「愛あるところに命あり」「命あるところに 望みあり」「今を生きよ」(Stratton 2004=2006: 347)という未来への祈りへと転 じる。  だからこそ、目で観察するだけではなく、身をもって血友病コミュニティを 経験することが必要となる。真木悠介は「〈目の独裁〉からすべての感覚を解 き放つこと。世界をきく。世界をかぐ。世界を味わう。世界にふれる。これだ けのことによっても、世界の奥行きはまるでかわってくるはずだ。⋯⋯「身」 による認識は、文字どおり「身をもって」せねばならない。熱ければ火傷、冷 たければ凍傷、その他対象による捕捉等々の危険を賭することなしに「知る」 ことはできない。ここでは「知ること」と「生きること」とはほとんど未分化 である」(真木 1977=2003: 102-103)と述べる。  血友病者の現代史研究にとって、真木の「身をもって」という表現は比喩で はない。血友病をめぐるフィールドでは「コミュニティ」の次元とともに「身 体」の次元がある。血友病を論じるとき、「痛み」という論点を忘れてはなら ない。北村(北村 2009b)では、「痛み」が血友病にとって重要な鍵概念である ことを示した。  遺伝にしても世界経済にしても、血友病者をめぐる各論点が「痛み」という鍵 概念でつながっていることを示唆した。世界経済と直結した身体を持つ血友病者 は、今後ますます産業社会との関係に鋭敏になっておく必要がある。しかし、血 液製剤が普及してもなお、身体から切り離して置き換えられない「痛み」は、血 友病者にとって思考の重要な基点となる(北村 2009b: 133)。  私自身が血友病コミュニティに留まり、血友病者の身体の息遣いも含めて認 識しようと努めるとき、私自身が血友病コミュニティや血友病者の身体という フィールドに深く潜り込むとき、北村健太郎という一人の人間であろうとする。 そうでなければ、「傷」を受けた血友病者や血友病コミュニティの苦痛や沈黙 に届かない。あらゆる肩書きは邪魔になる。必然的に被調査者/研究協力者や 調査者/研究者は未分化な状態にならざるを得ない。  しかし一方で、私は研究者/調査者であることを意識している。血友病者や 血友病コミュニティについて考え、調べ、書くとき、意識的に距離を取る。研 究者/調査者として血友病コミュニティに接するとき、私は闖入者/暴力者で ある。研究者としての私は、血友病者や血友病コミュニティに対して厳しいこ とも論文に書く。私はフィールドに入り込んで、ときに血友病コミュニティと 未分化な存在であり、ときに切断された存在である。  血友病者や血友病コミュニティが、一人の人間として北村健太郎という存 在を認めてくれるのか。そこが勝負どころである。「自分の帰属性を括弧に入 れること」「身動きのとれない状態を引き受け」ることが、フィールドに関わ る者の態度ではないか(市村 1994=2004: 117)。私たちは肩書きを名乗る以前に、 一人の人間としてフィールドに「在ること」を忘れてはならないと考える。  前述したように、血友病コミュニティは危機を経験した。「その経過報告な いし生存証明が記録と呼ばれる。⋯⋯私たちに手渡された記録は、闇のなか にかき消された無数の「声」によって支えられ」る。「二十世紀という時代の 「記録」は、その記録という行為そのものの危うさにおいて際立っている」 (市村 1994=2004: 54)。私の肩書きが「記録者」かもしれないと思うのは、フ ィールドから様々な記憶や記録を渡されるとき、これらを生かさねばと感じる からである。松下竜一は自らの歌は日々の記録であると述べる。  ぼくのつくるものなんか、ほんとうは歌じゃないと思っています。いわば歌の 型を借りた生活綴り方で、歌人の歌とは断絶したところにあるものです。ぼく

(5)

3 第 2 部 社会調査の実践的課題 第 3 章 突き返される問い 3 は、自分が文芸をやっているのだとは思っていません。ただ、日々の生活記を歌 や文の形で残そうとしているのみです。ぼくにとっていちばん大切なのは、日々 の現実生活そのものです。それを充実する手段として記録に励むのです(松下 1969=1983: 182)。  私の取り組みは、松下の「歌の型を借りた生活綴り方」を言い換えれば、 「論文の型を借りた血友病者の現代史記述」である。マスメディア10)と研究 者の両者を意識しながら、訴訟に偏った強固な認識枠組みを壊すことを考えた とき、事実を淡々と積み上げていく論文の形式が適切だろうと考えた。さらに、 単に過去に遡るだけではなく、これらの作業が未来へ向けた認識枠組みを構築 する一助になることを願っている。  2010 年 4 月 17 日から 18 日にかけて、全国社会福祉協議会灘尾ホールにお いて、全国ヘモフィリアフォーラムが開催された。私は、全国ヘモフィリアフ ォーラム実行委員会からの依頼を受けて、新しい血友病コミュニティ参加者向 けのスライド「日本の血友病者たち――1960 年代から現在まで」の原案作成 に協力した。後日、送付された報告書によれば、「歴史のスライドはとても分 かりやすくて良かった」「若い人・若いお母さんたちに過去の様々な出来事を もっと伝えていきたい」「若い医療者に聞かせたい」「過去に戦った方々のおか げで現在の状況があることを実感」「未来を拓くという意味で重要」(全国ヘモ フィリアフォーラム実行委員会編 2010: 85-86)と、おおむね好意的に受け止めら れたようである。血友病コミュニティの今後の活動に期待するとともに、これ からも支援していきたい。

4.言葉と沈黙

 言葉はすべてを表さない。言葉に限界がありつつも、私たちは何事かを伝え ようとする。そんなことを考えて「言葉」という詩を書いたこともあった。11) 他方、マスメディアなどではやる言葉もあり、「リア充」「婚活」「育休切り」 などの新しい言葉が次々と作り出される。私たちは普段どのように言葉と向き 合っているのだろうか。ただそこにあるから、すらすらと出てくるから、使っ ているのだろうか。言葉の重要な働きの一つに「考えること」がある。ところ が、私たちは普段の生活で「考えて」いるにもかかわらず、「言葉」の「考え る」という働きをしばしば忘れる。上農正剛は、聴覚障害児の書記日本語能力 の育成という観点から「言語力とは、具体的、実践的には、ことばの正確な 運用に裏打ちされた「思考力」のこと」(上農 2003: 253)だと考察する。もし、 普段の生活以上に何かを「考えて」書いたり言ったりする必要があるのなら、 言葉を充分に吟味して選び出さなくてはならない。  市村弘正は「新しい言葉の多くは早晩古くなる。しかし、いっこうに古びな い「古い言葉」も身のまわりにたくさんある。「すべて価値あるものは手垢の ついた名前で呼ばれやすい」(オーソン・ウェルズ)という言葉を思い出しても いい。私たちが目を向けるべきは、新しさと古さの境目だ。言葉が形成される 場所である。古びるにまかせるか、それに新しさをもたらすかの分岐点。その 境目にあって、形成力をもって分岐させてゆくのが「考える」ということであ る」(市村 1994=2004: 209-210)と述べる。また、中島みゆきは「能書き」とい う詩で、以下のように言う。 自由という能書きが もてはやされた頃があったな その前は 思想というのもあった 平和というのもあった 明るいというのが はやった頃もあったな それから個性というのもあった ゆとりというのが 取り沙汰された頃もあったな 自分らしいというのもあった 遊びだよ ないものを言い当てる遊びだ 結局どれも ないものねだりだ 実際に人間がやることは なんの変わりもありはせんな(中島 2001: 46)

(6)

3 第 2 部 社会調査の実践的課題 第 3 章 突き返される問い 3  なぜ、私たちの周りで多くの「能書き」がもてはやされるのか。市村は「手 垢にまみれることが忌み嫌われる新しい言葉の帝国。そこでは、出来立ての名 詞が歓迎され、洗いざらしの形容詞が愛用され、手垢のつきにくい抽象語や難 解な言葉が重んじられるだろう。その分かりにくい言葉たちは、いわばわかり やすい欲求に支えられている」(市村 1994=2004: 212)のだと答える。  「薬害エイズ」も「わかりやすい欲求」に支えられた言葉である。もちろん、 当時の国家賠償訴訟やその運動が分かりやすい言葉を必要としたこともある。 私が日本の血友病者の現代史に取り組み始めたとき、マスメディアや研究者の 言説は、国家賠償訴訟の被害/加害の対立的な認識枠組みが強固だった。第 18 回日本エイズ学会学術集会・総会の会長シンポジウム「HIV 感染症と血友 病――回顧と展望」において、私は「薬害エイズ」という呼称の問題点を指摘 し、認識枠組みに揺さ振りをかけた。  中長期的に将来への教訓とする場合、「薬害エイズ」という呼称を問い直す時 期に来ていると思われる。それは「薬害エイズ」という呼称が、その事象の構造4 4 44 4 を何ひとつ表していないこと44 4 44 4 44 4 44 4 4が最大の理由である。⋯⋯「薬害エイズ」がどうい う事象だったのかを明確に認識しなければ、将来への教訓を引き出すことはでき ない。⋯⋯「薬害エイズ」は、血友病者本人、家族、医療専門職、製薬企業、行 政という、少なくとも五つのファクターが複雑に絡み合っている事象である。⋯ ⋯これを「産官医の癒着」などという薄っぺらな一言で片付けてはならない(北 村 2005: 69-70)。  私たちは言葉の「深さ」を考えなくてはならない。市村は「言葉が言葉であ ることをやめる瀬戸際で引き返すという経験の堆積」「様々な意味を担い、あ るいは抽きだされるという言葉がおびる運動、厚みと奥行きと重層をもたら す運動」を捉えるために、言葉に対する「動態視力を要請する」と言う(市村 1994=2004: 208)。  しかし、どのように言葉を並べても沈黙には辿り着けない。平田オリザは 「『黙ってしまう』『いない』『コミュニケーションしない』⋯⋯それを全部合 わせて人間の言葉なんだ、しゃべらないのも言葉」(平田 2003: 109)だと述べ る12)。松下は「父の沈黙に圧倒されることがある。⋯⋯文筆を生業とするよ うになっておのれのことを書き散らす機会が多くなればなるほどに、父の底知 れぬ沈黙は私にこたえた。父の沈黙の前では、私の文章の軽薄さがあぶり出さ れる」(松下 1994: 56-57)ようだと言う。  父はまったくおのれのことを語らない。そのことでは仰天させられたことがあ る。⋯⋯私が仰天したのは、父が思いもかけず隻眼であったという事実にではな く、そのことをついに一度も洩らすことがなかったという父の徹底した沈黙に対 してだった。おそらく、亡くなった母にすら語っていなかったと思われるのだ。 もし母が知っていれば、母は必ず私には告げたはずだという確信を抱くだけの理 由が私にはある。⋯⋯片眼しか見えないことを妻にすら打ち明けなかった父の沈 黙を、どう考えればいいのだろう。別に恥じて隠したのだとも思えない。ただ単 に、おのれのことを語らないという父の習性によっているとしか思えないのだ。 ⋯⋯無理に書いてもらった父の鉛筆書きの略年譜に眼をとおして、唖然としてし まった。〈明治三十九年二月九日に生まれる〉に始まる年譜はわずかに十項目し かなく、そのうちの六項目が〈長女陽子生まれる〉〈長男竜一生まれる〉といっ た六人の子供の出生記録で占められていたのだ(松下 1994: 57-58)。  それでもなお、何事かを考え、調べ、書き表そうとする者もいるだろう。何 かが自明だと指摘されるときは、言葉の「深さ」が足りないのである。「見た とおりの追認ではないところで、言葉は生きる」から、「見ていて見えていな いもの、埋もれているもの、隠されてあるもの、伝わりにくいもの」を捉え なくてはならない。「考えるという機縁を手放さずにもちつづけようとすれば、 私たちの言葉は動態感覚をともなう深度」を保持したまま、考え続けることが 必要である(市村 1994=2004: 208)。沈黙に抵抗して、何事かを書き表さんと欲 する者は、よく考え抜かれた言葉を使わねばならない。そうでなければ、前述 の「能書き」のように一瞬にして消えてしまい、圧倒的な沈黙に塗りつぶされ

(7)

30 第 2 部 社会調査の実践的課題 第 3 章 突き返される問い 31 る。  触れるものすべてを傷つけるような言葉は、私は言葉だとは思わない。けれ ども、吟味された言葉は守りたいものを守り、斬りたいものを斬る力となり得 る13)。私は常に言葉を畏れながら、言葉の可能性に賭けて書いている。

5.まだ見ぬ読者へ

 私たちが何事かを書き表そうと欲するのは、どのようなときだろうか。いろ いろあると思うが、人に「伝えること」がある場合ではないだろうか。医師の 岡井崇は、人生初の小説を書こうと思い立った。  学会や研究会で如何に関係者の理解が得られようと、一般社会の方々にその声 〔産科医師が直面している困難――引用者注〕を届けるのは難しいことでした。 社会の理解が得られなければ厚生労働省も動けないのではないかと考えていたと ころに前述の余韻〔産婦人科の医局説明会で口惜しさから学生の前で号泣したこ と――引用者注〕が重なり、小説を書こうと思い至ったのです(岡井 2007: 434)。  岡井は、親戚の試読で指摘された素人執筆の“おかしな箇所”の直しで「根 を詰め過ぎたせいで、髪は白くなり、目には飛紋がちらつき、前歯が二本抜け、 頸椎症まで患う破目」(岡井 2007: 435)に陥ったが、努力の甲斐あって出版に こぎつけた。岡井が体調を崩しながらも原稿を直したのは、まだ見ぬ読者へ伝 えたい強い意思があったからである。  私は、論文をはじめとする執筆活動は読者がいて初めて完結すると考える。 つまり、執筆して発表しただけでは未完成である。だから、発表するならば、 読者に対する謙虚な姿勢を忘れてはならない。執筆者は自分の原稿に責任を持 つ覚悟を持たなければならないし、どんな批判も受け止めなければならない。 積極的な存在に見える執筆者も、実際は受身であって、それも「積極的な受 身」の存在である(北村 2000a)14)。他方、米本昌平は、科学の説明責任の観 点から「社会の側が専門論文についての「攻撃的な読み手」を確保すべき時に きている」(米本 2000: 29)と論じる。  「研究」を問う手前で、私たちは論文とは「伝えること」であると認識しな くてはならない。ときに、興味深い研究テーマを選んでいながら、まったく伝 わらない論文がある。研究は「抽象語や難解な言葉」を駆使することだと誤解 し、「書くこと」に気を取られ、読者に「伝えること」を忘れている。上農は、 自分の考えや気持ちを他者に伝えることの大切さを述べる。  思考を論理的に組み立てて、自分の考えや気持ちを表す、つまり他者に伝える というこの基本姿勢は、家庭においても小さい時から日常的態度としてしっかり 育んでもらいたい事柄です。その際、重要なことはそれが音声言語で表されてい るのか、手話言語で表されているのかという言語の種類(モダリティ)なので はありません。本質的問題はその表された思考が論理的に組み立てられているか どうかという「中身」の問題です。そして、論理的に組み立てられているという 意味において、他者との言語的コミュニケーションに向けて開かれたものになっ ているかどうかということです。論理という骨組みがなければその思考を他者に 伝えることは出来ません。つまり、重要な点は言語コミュニケーションの「種 類」ではなく、思考の「中身」(論理性=組み立てられ方)なのです(上農 2003: 223)。  平田もまた、演劇の視点から言葉を「開いていく」こと、観客との共有の幅 を広げることを強調する。  口語ではない、難しい言葉を使うと、「ごまかす」ことになるからでしょうね。 ごまかすのと権威主義的になるからだと思うんです。先日、たまたま谷川俊太郎 さんと対談したんです。⋯⋯「平仮名で書くと当たり前のことだけど、漢字を使 わない。それは漢語を使わないということで、漢字や漢語を使った瞬間に何か自 分を権威づけたり、それがわかる人とわからない人を区別したり、そういう作用 が働くからだ」と。それをやめることでしょうね。⋯⋯言葉を「開いていく」と いうのは非常に重要なことで、基本的には、私たちはどんなに難しいことでもそ

(8)

32 第 2 部 社会調査の実践的課題 第 3 章 突き返される問い 33 れを相手と共有する努力をしなくてはいけないんです。⋯⋯偉そうにすることを やめるということだと思います(平田 2003: 36-37)。  では、難しい言葉を使わなければ、読者に「伝えること」を意識した論文が 書けるのか。物事の理解と説明の関係について、池上彰とともに確認しよう。  自分がそのことを本当に知っていないと、わかりやすく説明できないのです。 ⋯⋯出来事の全体像が理解できていれば、それぞれの要素の価値が評価できます から、大胆に切り落とすことも可能になるのです。⋯⋯イラク政治の専門家であ る酒井啓子さん(当時はアジア経済研究所の所属、現在は東京外国語大学大学院 教授)に、「こどもニュース」のゲストとして解説していただいたときのことです。 酒井さんは、イスラム教やイラクという国について、本当にざっくりと説明し てくださいます。⋯⋯「え、そんな説明でいいの?」と思うぐらい、子どもにも わかりやすい説明でした。/本当に理解している人は⋯⋯大胆に省略できるから です。⋯⋯よく理解していれば、わかりやすく説明できる。わかりやすく説明し ようと努力すれば、よく理解できる(池上 2009: 78)。  よく理解できているから分かりやすい説明ができる。よく理解できていなけ れば、読者に伝わりやすいと思われる言葉を選ぶことができない。  「伝えること」についてまとめる。第一に、まだ見ぬ読者へ伝える強い意思 があること。第二に、読者に対する謙虚な姿勢と具体的な読者像を持つこと。 第三に、読者と共有する部分を広げるような適切な言葉を選ぶこと。論文執筆 が「伝えること」の一手段である以上、読者を無視した執筆は本末転倒である。

6.時間の堆積

 本節では再びフィールドに立ち戻り、捉えることが難しい「時間」の堆積15) について考える。ここで指す「時間」とは、日が昇って日が沈むまでの時間や 雨が降り続く時間である。生活に密着した研究では「時間」の記述は避けて通 れない。西の魔女のおばあちゃんは、まいに「人々は皆、先祖から語り伝えら れてきた知恵や知識を頼りに生活していたんです。身体を癒す草木に対する知 識や、荒々しい自然と共存する知恵。予想される困難をかわしたり、耐え抜く 力。そういうものを、昔の人は今の時代の人々よりはるかに豊富に持っていた んですね」(梨木 1994=2001: 53)と話す。小川徹太郎は、瀬戸内の漁師たちが 一人前として「食えるようになる」までの過程に「時間」の堆積を見る。  漁師たちが自分の腕や勘をたよりに漁を行い、しかも、そのことを通じて一人 前として「食えるようになる」には、「一〇年」前後といわれるような、親、船 頭、ジュウセンを手本として、徐々に種々な技能を身につけていくだけの期間を 要したのであり、しかも、船具・漁具などの仕掛けの修理、加工、製作を行う手 は、出漁中以外にも片時も休められることはなかったのである。そして、前述し た、終始無言のまま遂行される漁行為のその沈黙の背景に、こうした「時間」の 堆積の認められることについて、私たちは思いをいたすべきであろう。もちろん、 ここでみられたような漁行為にかかわる種々な作業が「できるようにな」ろうと する「前向き」な気構えや行い、あるいは、終始、手先や体を動かしながらの生 活リズムなどは、一人前になったあとも、むしろ「何十年かかっても、それで満 足というのはない」といわれるように、終生保ちつづけられたことであろうが、 こうした着実な営みのなかで、⋯⋯漁師としての自信が培われていくことも、無 視されてはなるまい(小川 2006: 36-39)。  「時間」は微妙にずれながら堆積する。例として、瀬戸内の漁師たちを想起 すれば、漁法の技能の授受・習得は「道具やそのあつかいはつねに改良・改変 され、それに応じて漁の「流れ」の構成のされ方やシオの見方も一様では」 (小川 2006: 35)ない。しかし、「シオをつくる」16)という言い方に代表される 「身体性の強い漁行為のコツ」(小川 2006: 13)は確実に授受・習得される。漁 師たちは「一人前の船頭になるには一〇年前後の歳月」(小川 2006: 35)が必要 だと口をそろえる。

(9)

34 第 2 部 社会調査の実践的課題 第 3 章 突き返される問い 3  「一〇年」という期間は、およその目安としてシオ・ヤマ・網代をみることが でき、自分の腕や勘をよりどころに、一人前として一家を構えて「食えるように なる」にはなかなか難しいという含意があるのであろうが、一〇年というと、ほ ぼこれまでみてきた親の船、他家の船で漁を行う期間に該当する。⋯⋯ヤマ・シ オ・網代の見方や道具のつくり方、あつかい方などの技能の習得とは、上達した 腕の者を手本として、「同じように」自分の体を動かしながら「やる」ことのな かで身につけられていく性格を有していることがわかる(小川 2006: 35-36)。  「時間」は少しずつずれながら堆積することで、何事かを譲り渡し、手渡す。 何事かがゆっくりと伝わる。瀬戸内の漁師たちは、腕のよい漁師を真似ること で、漁における「勘どころや経験」(小川 2006: 36)を自らのものとした。  いったん、ここでまとめよう。換言すれば、「時間」の堆積とは「人生」で あり、伝えられてきた知恵の「相続」である。また、人に限らない「生命の連 なり」17)である。これらを記述するのは困難をともなう。私たちもまた、「時 間」の堆積の一部であることに変わりはない。私たちは過去を受け取りながら、 未来の読者に向かって書くのである。冒頭で、私を定義するなら「表現者」 「観察者」「記録者」ではないかと記したのは、血友病者の現代史研究が未来 に向かう強い志向性を持つからである。埴谷雄高は、講演で「精神のリレー」 について述べる。  魂の渇望型の文学は読者の向こうに独立していると共に、読者に向かって何ら かの放射的なものを投げかけている。⋯⋯渇望型の文学というものは自分の中か ら、ある目に見えない放射を放っていて、同じような魂の渇望をもったひとにま た同じようなことを考えつづけさせることを強制しているわけです。⋯⋯ある触 発性をもっていて、それに触れるものに向かってある精神のリレーの競争者にな ることを強要する。そして、その魂の渇望が強ければ強いほど、精神のリレー競 走の場へひきこんで、ある意味では永遠に離さなくなってしまう。⋯⋯リレーす る時渡されるバトンをよく見ますと、そのバトンには「より深く考えること」と 刻り込まれている。そんなふうに「より深く考えろ」といわれても、ドフトエフ スキイ以上により深く考えろということなど大変なことであります。とうていで きないことであります。けれども、リレーのバトンには「より深く考えること」、 と刻まれている以上、仕方がないから、より深く考えようとする姿勢だけはもっ て、リレーに走り出さなければならない(埴谷 1976: 15-17)。  別言すれば、「時間」の堆積とは「リレー」である。想像してみよう。一人 ができることには限界があるのだから、可能ならばフィールドにある課題も多 くの人々によって「リレー」されたほうがよい。また、論文で先行研究の整理 が求められるのは、研究の堆積の「リレー」に参加するからである。  私たちは「時間」の堆積に対して、今まで以上に動態視力を働かせるべきで ある。僅かにずれながら堆積する「時間」は、譲り渡すこと、手渡すこと、ゆ っくりと伝わることを促す。それは人生や相続や生命の連なりである。人文社 会科学の研究は知のリレーに否応なく巻き込まれている。

7.突き返される問い

 本章では、あくまでも「研究」「研究者」「大学」の手前を論じてきたが、本 節で少し「研究者」「大学」に触れる。第一に「大学」組織や学校制度、第二 に「研究者」という立場、第三に「研究者」「大学」、ひいては現代社会を支え る認識枠組みについて述べる。  まず、確かに「研究者」「大学」特有の問題や課題はある。私見では、五味 太郎や米本が言うように、将来的には「大学」組織や学校制度の平和的「解 放」(米本 2000)か、もしくは根本的「解体」(五味 2010)に向かうだろう。も ちろん、簡単ではないし、現行制度を固守する動きも現われよう。しかし、大 学院生や大学生の多様化は着実に進行しており、内部からの「何らかの変化」 は確実に起こると思われる。むしろ、私が興味深く注目するのは、現在「大 学」に属する「研究者」と呼ばれている人たちが、制度や組織の変化に対して、 いかなる態度や立場を取るのか、である。  私は「研究者」の肩書きと仕事を分けて考えている。私が重きを置くのは仕

(10)

3 第 2 部 社会調査の実践的課題 第 3 章 突き返される問い 3 事である。ときには、肩書きは名刺に印刷された文字に過ぎないと思ってい る。一方、その文字によって、私は禄をはんでおり、なくなれば困窮するに違 いない。また、「研究者」と見られることで利益を得ていることも多々あるだ ろう。これらは率直に認めなくてはならない。しかし、フィールドで「一人の 人間として北村健太郎という存在を認めてくれるのか」という賭けを繰り返し、 常にフィールドでの関係を模索し続けるとき、肩書き云々を頭で考える余裕は ない。フィールドでの関係の模索それ自体が「研究者」の肩書きの問い返しで ある。少なくともフィールドから拒絶されない関係を築きつつある私は、おそ らく「新たな段階」の関係を試されているのではないかと感じている。  踏み込んで言えば、私はフィールド以外の生活でも「研究者」という肩書 きは捨ててしまいたい。できる限り「研究者」と名乗りたくない。けれども、 「研究」という仕事を果たすことに異存はないから、「研究者」という社会的 立場を引き受ける18)。肩書きは可能な限り空白に開きながら「研究者」の仕 事を引き受けるのが、私の基本姿勢である。「研究」「研究者」「大学」に対す る私の態度は、他の座談会参加者と比べて異質かもしれない。  次に、「研究者」は本質的に孤独な存在である19)。孤独に耐える力を必要と する。それは「個人事業主」「独り立ち」「一人前になる」と言い換えることが できる。再び、瀬戸内の漁師たちを想起してみる。  構成された「時間」「土地」「シオ」に、実際にうまく自らの船、漁具、体を 「合わせ」られるか否かが、漁の善し悪しを決定するということであろう。だか ら、この一連の行為を「抜け」なく行えることは、そのまま一人前の船頭として の自立をも意味することになる。⋯⋯漁行為全般にわたっても、「自分の腕」と いうような個々人の技能・技量がことさらに強調される傾向も認められる(小川 2006: 15-19)。  では、最近「大学」で推進される「プロジェクト型研究」は、いかに考えら れるか。これも瀬戸内の漁師たちのカタフネあるいはジュウセンと呼ばれる漁 形態が示唆的である。以下は、カタフネおよびジュウセンの説明である。  沖で行動をともにする集団(船団)、および、それを構成する個(船)を表す。 本拠地を同じくする者の間のみならず、たまたま沖で漁をともにすることになる 者についても、この名で呼称される。関係のあり方としては、(1)「張り合う」 (漁のさい)、(2)「助け合う」(事故、故障、病気、出産、死亡、餌の購入、魚 介の販売のさい)、(3)「付き合う」(出漁、共食、寄合などのさい)、(4)「固ま る」「いっしょにやる」(漁その他)などがいわれる(小川 2006: 41-42)。  ここで注意すべきは、一人前の漁師たちが自立して関係を持っている点であ る。突き詰めて言えば、孤独を基礎として関わりを持っている。  私は「研究者」を問う前に、一人の人間として考えるべきこと、なすべき ことは山積していると考える。座談会の副題は、「研究者」なる存在とは何か、 であったが、What という問いは静的な問いになりやすい。そうではなく、「研 究者」なる存在はいかに在るのか、と How で動的に問われるべきだろう。  最後に、本章は、言葉で、文字で、「帳面」に付けるように構成されている。 この記憶 ― 認識の仕組みに対して、瀬戸内の漁師たちはまったく違う仕組み を提示する。  記憶 ― 認識を成立させる二つの仕組みが対比されて説明されている。一つは、 道具で遊びながら、また、道具をこの石に引っ掛けたりして、「現場」で仕事を しながら、この山にはあの石があるということを覚え、再び道具を手にしてみる ことによって記憶が呼び戻される、「腹」と「分かる」・「知れる」という言葉で 言い表わされる仕組みであり、もう一つは「口」で話したり聞いたりすることに よって、「図面」として書き込まれ(読まれ)ることによって、成立する仕組み である。そして、漁労を基本的なところで成立させているのは前者なのであると (小川 2006: 52)。  小川は、瀬戸内の漁師たちの説明が「その場に居合わせた私」になされた説 明であることを踏まえるなら「『帳面』や『図表』を扱うものとしての私やそ の他の者による、自分および自分たちの日頃行なっていることへの『無理解』

(11)

3 第 2 部 社会調査の実践的課題 第 3 章 突き返される問い 3 に対する不信の念が潜んでいるように思われる」から、「『無理解』を支える仕 組みに対する批判と不信の念をこそ、この主張のうちに読み取らなくてはなら ない」と述べる(小川 2006: 52-53)。小川は「書くこと」が自明化されてしまっ た社会の仕組みの問い返し、捉え返しへと向かう。  「書くこと」や「書かれたもの」の影響は、私たちのものの見方、感じ方、考 え方、あるいは生活のすみずみの様々な事物にまで浸透しているわけだし、漁師 や漁商のおじさん、おばさんたちにしてもこうした動きから逃れられているわけ ではない。問題は、このようにあまりに「書くこと」や「書かれたもの」を読 むこと、あるいはそれらを通じて形成される社会の仕組み自体が自明化されてし まっているためにそれらをしっかりと把握できず、しかも、そのことによって知 らず知らずのうちに本稿でも触れたような様々な「無理解」を起こすことになっ ている、ということではないか。それ故、課題となるのは、このような問題を しっかりと認識しようとしたり、認識していくためにはどのようにすればよいの かを考えていくことであり、「書くこと」や「書かれたもの」の単純な否定では、 自分の日々行なっていることからの横着な責任逃れにしかならないであろう。そ して、このような課題と取り組むことによってのみ、「身に染みる」分かり方や 道具を介した「知り方」、あるいは「現場の知」についても問題にしていくこと ができるように思われる(小川 2006: 80)。  瀬戸内の漁師たちに直観的に指摘される「私たちの社会や学問の仕組み」 (小川 2006: 79)とはいかなるものか。漁師たちから突き返される問いに、私 たちが答えようと思考するとき、「研究」「研究者」「大学」に対する一つの答 えを見出すのではないだろうか。

8.考え続けること

 本章では、生活に即した営みである、物事を「考えること」「調べること」、 フィールドに「在ること」、論文を「書くこと」、書いて「伝えること」につ いて、言葉の限界を念頭に置いて論じた。そのうえで、「時間」の堆積が含意 する「人生」「相続」「生命の連なり」「リレー」について述べた。最後に「研 究者」「大学」に若干触れ、瀬戸内の漁師たちから「研究者」に突き返される 「批判と不信の念」を記し、「私たちの社会や学問の仕組み」を問われるべき 課題として提示した。  私の基本的姿勢や考えを記述するにあたって、古い拙稿はもちろん、一般的 に「研究者」と言われない作家や作詞家、劇作家などの文献を多数引用した。 ふざけていると思われたかもしれないが、物事を「考えること」、何かの表現 を使って「伝えること」においては「研究者」を凌駕する方々は多い。むしろ、 「研究者」は、そういう方々に学ぶべきである。  私は生活を、世界を、自然を感受したいと思って生きてきた。たとえ言葉に ならなくてもよい。「複雑さは複雑なままに」「近道言葉は、事態に向かいあう ことを阻む力として作用する」から。「考えること」「書くこと」に身を置く現 在、私は可能な限り、「埋もれているものの深さ、隠されてあるものの奥行き、 沈黙するものの拡がり、見えないものの動き、忘れられているものの遠さ」 (市村 1994=2004: 213)を捉えたい。  私は「分かった振りをしない」ことを自戒としている。それは、瀬戸内の漁 師たちに指摘される「書くこと」によって形成される社会の仕組みと「書くこ と」では分からない「現場の知」も含まれる。換言すれば、「分かった振りを しない」ことは「考え続ける」ことである。私の最終的な研究目的は「血友病 を立脚点として現代社会の一側面を描き出す」ことにある。そのためには、私 に現代社会を的確に捉える動態視力、それらを表現する言葉の力20)がなくて はならない。だからこそ、あえて「研究」「研究者」「大学」を問う手前に踏み 止まって、基本的な営みを確認したのである。  言葉への畏怖、言葉の限界を感じつつ、これからも私は、未来の読者に手渡 したい何かを紡ごうとするだろう。  最高の目的を達成するために努力策励し、こころが怯むことなく、行いに怠る ことなく、堅固な活動をなし体力と智力とを具え、犀の角のようにただ独り歩め

(12)

30 第 2 部 社会調査の実践的課題 第 3 章 突き返される問い 31 (Sutta-nipata 1-3-68)。  音声に驚かない獅子のように、網にとらえられない風のように、水に汚されな い蓮のように、犀の角のようにただ独り歩め(Sutta-nipata 1-3-71)21) [注] 1)2008 年 3 月から、ヘモフィリア友の会全国ネットワーク世話人を 務めている。 2)本章は、座談会「研究に課された倫理と実践における問い――被 調査者/当事者/生活者/活動者との間で揺れる「研究者」なる存 在とは何か」に対する応答として書かれている。 3)「表現者」は言葉によって何かを表現する者、「観察者」はフィー ルドを含む社会を観察する者、「記録者」は記録したいと思うこと を記録する者という緩やかな意味合いである。 4)本節は、座談会でのコメントと一部重複するが、永田貴聖の報告「以 前の思考」及び有薗真代の報告「収容所的なもの」を念頭に展開さ れている。 5)当時は「中山」姓を名乗っていた。 6)後に「為す思想」と「在る思想」に変更した(北村 2001)。端的に 言えば、「為す思想」とは「学校に限らず、業績で人格評価を行う こと」、「在る思想」とは「共同体のなかに「身を置くこと」を重視 する考え方」である。当時の指導教員から似たような概念があると 指摘を受けた。 7)懸賞論文を書き終わったとき、「これを超えるもの、匹敵するもの は、一生、少なくとも 10 年は書けないだろう」と感じた。私は書 き上がっただけで満足だったが、思いがけないことに論文集に掲載 された。この予感は間違いではなく、それから博士論文完成まで 10 年の歳月を要した。 8)戦略的に「当事者」研究と名乗る必要のある者は名乗ればよい。なお、 私は「当事者」は曖昧な概念だと考えているので、基本的に引用以 外では使わない。 9)永田報告の「死ぬまで続く人間関係」に対応している。 10)医師の西田恭治がマスメディアの訴訟前後の偏った報道を指摘し ている(西田 1997)。問題のある著者として、櫻井よしこや広河隆 一の名前を挙げている。 11)詩「言葉」全文。スラッシュは改行を示し、原文の行間を詰めて 表記した。 読書感想文/この感動を どう言葉にすればいいのだろう? 初恋をして/このときめきを どう言葉にすればいいのだろう? 社会の矛盾/この憤りを どう言葉にすればいいのだろう? 大人たちは いつも/はっきりしなさいと迫る。 でも/すぐに言葉にできないことだってある。 微妙な 繊細な この気持ちを/大切に心の中で温めておこう。 そしていつか/言葉を選り抜いて この思いを伝えよう。 けれど この思いが/半分でも伝わるだろうか? 言葉はとても曖昧だから。 それでも人は/気持ちを伝えようとするのだろう。 声と 手と 顔と⋯⋯。/すべての言葉を使って。 12)管見では「語り」や「ナラティヴ」を無自覚に称揚する研究が見 られる。アーサー・フランクの批判を行なった論文に、山口(2009) がある。 13)この言い回しは、ロロノア・ゾロに剣術の手ほどきをした師範、 コウシロウの教えがもとになっている。“最強の剣”を“最高の言葉” などに置き換えて読むことができる。  「“最強の剣”とは⋯ 守りたいものを守り 斬りたいものを斬る力」 「触れるものみな 傷つけるような剣は 私はね⋯ “剣”だとは思 わない」(尾田 2001: 161) 14)北村(2000a)の冒頭と第 1 節「シンガーとオーディエンスの在り方」 で、「発信者」という大きな括りで論じた。論文執筆の文脈に合わ せて改稿している。 15)バルトークは樹木や森から「時間」を感受した。「私たちもバル トークとともに、「昆虫、鳥、毛虫」の働きを忘れないようにしたい。 この生成過程には、人間が作るどんな高価な絨毯よりも「労力」が かかっているだろう。すなわち、人間の力の及びえない、「時間の 堆積」だけがそれを作り上げることができるからである。この大い なる「時間」に対する畏敬こそが、かれを樹木へ向かわせるのである。 そうしてその時間は、たえず生と死が相半ばする持続的な運動を内 包するものであった。バルトークが新鮮な驚きをもってその生成過 程に立ち会うのを知るとき、私たちはこの畏敬の念の大切さを肝に

(13)

32 第 2 部 社会調査の実践的課題 第 3 章 突き返される問い 33 銘じるべきだろう」(市村 1994=2004: 18) (6)「漁行為全体を一言で言い表す、格言めいた言い方」(小川 2006: 12)である。 17)例えば「いのち愛づる姫」は、以下のように歌う。 たった一つの細胞が 生きものすべてのはじまり 自然界に手ぬきはない ものみな 一つの細胞から 生まれたいのち 尊いいのち(中村・山崎・堀 2007: 50) 18)「名乗ること」と「引き受けること」は異なる。含意は各自で考 えてほしい。 19)「孤独」と「孤立」は異なる。念のため、混同しないように注意を促す。 20)あさのあつこは現代社会で言葉を扱う困難を述べる。スラッシュ は改行を示す。「非力なのだ。わたしの言葉があまりに、非力なのだ。 /今、この国で言葉を使って表現しようとすることは、力が要る。 若い魂と肉体を余すところなく書き切りたいと望むなら、なおのこ と、言葉の力が要るのだ。癒しのためだけの優しい言葉も、威勢の 良いだけの空虚な掛け声も、巷に溢れたありきたりの修辞も、砕 けてしまえ。無用だ。そんなものをいくら駆使しても、少年の髪の 毛一本、表すことはできない。/力が欲しい。本物の言葉を創りあ げる力を手に入れることができるなら、惜しむものなど何一つない のに。/⋯⋯/わたしは書かねばならない。⋯⋯力が欲しいなどと 嘆いてみせて、どうなるものでもなかった。自らの身体感覚を感性 を欲望を想いを研ぎなおさなければならない。言葉を自分自身から 遊離させない。耳触りの良い、ふわふわと浮遊するような言葉を砕 くのだ。粉々に。/⋯⋯/決して砕けぬ強靭な言葉をもって⋯⋯/ ⋯⋯/自らが自らを引き受けて屹立すること」(あさの 1998=2004: 346-350) 21)Sutta-nipata の訳は、中村元訳(1984,『ブッダのことば――スッ タニパータ』岩波書店)を利用した。ちなみに、引用は「第一 蛇 の章 三、犀の角」の一部である。中村の註には「「犀の角のごと く」というのは、犀の角が一本しかないように、求道者は、他の人々 からの毀誉褒貶にわずらわされることなく、ただひとりでも、自分 の確信にしたがって、暮すようにせよ、の意である」(中村訳 1984: 253)とある。 [文献] あさのあつこ,1998,『バッテリー II』,教育画劇.(文庫版 2004,『バッ テリー II』,角川書店.) 五味太郎,2010,『勉強しなければだいじょうぶ』,朝日新聞出版社. 埴谷雄高・島尾敏雄・小川国夫・秋山駿・真継伸彦・小田実,1976,『精 神のリレー講演集』,河出書房新社. 原田詠志斗,2003,『アイヌの治造──ふたりの男が出会わなければ、 生まれなかった物語。』,「アイヌの治造」刊行会. 平田オリザ,2003,『「リアル」だけが生き延びる』,ウェイツ.That’s Japan 012. 市村弘正,1994,『小さなものの諸形態──精神史覚え書』,筑摩書房. (増補版 2004,『小さなものの諸形態──精神史覚え書』,平凡社.) 池上彰,2009,『わかりやすく〈伝える〉技術』,講談社. 北村健太郎,2000a,「静夜独言」,未発表. ────,2000b,「言葉」『Hello My Friend』,久留米大学雑誌研究会. ────,2001,「現在の学校とこれからの在り方」久留米大学文学 専攻科論文. ────,2005,「社会学の視点から──第 18 回日本エイズ学会会長 シンポジウム記録〈HIV 感染症と血友病―回顧と展望―〉」『日本エ イズ学会誌』7-2:69-70. ────,2007,『日本における血友病者の歴史── 1983 年まで』立 命館大学大学院先端総合学術研究科先端総合学術専攻博士論文. ────,2008,「大西赤人君浦高入学不当拒否事件」『障害学研究』4: 162-187. ────,2009a,「侵入者──いま、〈ウイルス〉はどこに?」『生存学』 1:373-388. ────,2009b,「「痛み」への眼差し──血友病者をめぐる論点の 構図」『出生をめぐる倫理』:113-142.生存学研究センター報告 10 Lowry, Lois, 1993, The Giver, a Walter Lorraine Book.(=2010,『 ギ

ヴァー──記憶を注ぐ者』,新評論.) 真木悠介,1977,『気流の鳴る音──交響するコミューン』,筑摩書房. (文庫版 2003,『気流の鳴る音──交響するコミューン』,筑摩書房.) 松下竜一,1969,『豆腐屋の四季──ある青春の記録』,講談社.(文 庫版 1983,『豆腐屋の四季──ある青春の記録』,講談社.) ────,1994,『ありふれた老い──ある老人介護の家族風景』,作

(14)

34 第 2 部 社会調査の実践的課題 品社. 中島みゆき,2001,『ウィンター・ガーデン』,幻冬舎. 中村桂子・山崎陽子・堀文子,2007,『いのち愛づる姫──ものみな 一つの細胞から』,藤原書店. 中山健太郎,1993,「生きる」,『西南』31:41-43,西南学院高等学校. ────,1997,「生きる!」,『九州電力 ’96 論文入賞作品集──テー マ「生きる」』:54-67,九州電力株式会社広報部広報課. 梨木香歩,1994,『西の魔女が死んだ』楡出版.(文庫版 2001,『西の 魔女が死んだ』新潮社.) 西田恭治,1997,「輸入血液製剤による HIV 感染に関する一考察(承前) ──ジャーナリズムおよび和解所見の功罪」『日本医事新報』3802: 57-60. 尾田栄一郎,2001,「第 194 話“鉄を斬る”」『ONE PIECE』21,集英社. 小川徹太郎,2006,『越境と抵抗──海のフィールドワーク再考』,新 評論. 岡井崇,2007,『ノーフォールト』,早川書房. 小野順子,2008,『オモニ──在日朝鮮人の母として生きた母』,幻冬舎. Stratton, Allan, 2004, Chanda’s Secrets, Annick Press Led.(=2006,さ

くまゆみこ訳『沈黙のはてに』,あすなろ書房.) 上農正剛,2003,『たったひとりのクレオール──聴覚障害児教育に おける言語論と障害認識』,ポット出版. 鵜飼正樹,1994,『大衆演劇への旅──南條まさきの一年二ヵ月』,未 來社. 山口真紀,2009,「〈自己物語論〉再考──アーサー・フランクの議論 を題材に」『コア・エシックス』5:351-360. 米原万里,2001,『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』,角川書店.(文 庫版 2004,『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』,角川書店.) 米倉斉加年,2006,『いま、普通に生きる』,新日本出版社. 米本昌平,2000,「民主主義の基盤としての研究の解放」『日本ボラン ティア学会 1999 年度学会誌』:24-31 よしながふみ,1998,『こどもの体温』,新書館. 全国ヘモフィリアフォーラム実行委員会編,2010,『全国ヘモフィリ アフォーラム開催報告書』,全国ヘモフィリアフォーラム実行委員 会.

第 3 部

講演録

参照

関連したドキュメント

 介護問題研究は、介護者の負担軽減を目的とし、負担 に影響する要因やストレスを追究するが、普遍的結論を

北陸 3 県の実験動物研究者,技術者,実験動物取り扱い企業の情報交換の場として年 2〜3 回開

現実感のもてる問題場面からスタートし,問題 場面を自らの考えや表現を用いて表し,教師の

「1 建設分野の課題と BIM/CIM」では、建設分野を取り巻く課題や BIM/CIM を行う理由等 の社会的背景や社会的要求を学習する。「2

懸念される リクルート 就職みらい研究所

さらに体育・スポーツ政策の研究と実践に寄与 することを目的として、研究者を中心に運営され る日本体育・ スポーツ政策学会は、2007 年 12 月

現在,環境問題が大きく懸念されており,持続可能な社会の実現のためにもそ

バブル時代に整備された社会インフラの老朽化は、