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黄老思想に関する一考察

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Academic year: 2021

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(1)黄老思想に関する一考察 海 龍. なった.本研究では,上述のような思想史にお. Ⅰ 研究の目的 . ける歴史的課題にたいして,新たな資料を活か. 1 伝統的経済思想の意義. し,経済思想史の立場から,その空白部分を埋. 中国史上においては戦国末期から西漢初期に. めることを目的として,黄老の学における経済. かけて,黄老という思想が存在していた.司馬. 思想の特質を明らかにすることを試みる.以下. 遷 の『史記』に お い て は「慎到,田駢,環淵. では,まず経済思想として黄老の思想を扱う場. 皆学黄老道徳之術」1), 「楽巨公善修黄帝老子之. 合に,いかなる内容を研究対象とするかについ. しんとう. 2). てんへん. かんえん. 3). 言」 ,「申子之学本於黄老而主刑名」 , 「韓非. て,ふれておきたい.. 喜刑名法術之学而帰本於黄老」 等 が 多 く 見 ら. 「経済思想は経済現象を内容とする思想であ. れ, 更に, 西漢初期においても, 「蓋公善治黄老,. る」7)と言われるように,それは,人間生活に. 治道貴清静而民自定」5)「汲黯学黄老之言,治官. おける物質的側面を内容とする思想研究であ. 6) 理民好清静」 というような記述があり,その. る.従って,黄老の学における経済思想を研究. 黄老の思想に基づく無為の治が,生産力の回復. するということは,古代中国の経済現象を内容. とさらなる経済発展に大きな役割を果たし,そ. とした伝統的思想を研究対象とすることを意味. の結果「文景の治」といわれる中国史上初の好. している.. 景気をもたらしたほどであった.. しかしながら,西洋経済思想が主流となり,. しかしながら,司馬遷が依拠していたと考え. 資本主義が普遍的な価値基準としてみなされて. られる黄老関係の基本資料の喪失によってその. いる今日においては,中国の伝統的経済思想を. 実態が不明となり,黄老の思想としては「無為. 研究する価値がいかなるものか明らかにするこ. の治」 「清静無為」 「与民休憩」等が典型的な内. とは避けては通れない問題である.. 容とみなされるようになった.その結果,黄老. 周知のとおり,今日の中国における経済思想. の思想自体が不明になっただけではなく,その. は,近代以降の,西洋思想と中国の伝統的思想. 肝要な点である「無為の治」と経済との因果関. との融合の産物である.その今日も継続してい. 係を解明することが困難になり,中国の伝統的. るというべき思想の融合の過程において,西洋. 経済思想史の研究分野における,一つの大きな. の経済思想が占める重要性は言うまでもない.. 空白部分となってしまい,その解決が極めて困. しかしながら,その西洋由来の経済思想が,今. 難な状況にあった.. 日の中国における経済思想と完全に一致してい. し か し な が ら,1973 年,黄老思想 の 基本資. るのかといえば,必ずしもそうとは限らない.. 料とみなされる『黄帝四経』が発掘されること. そこにこそ,伝統的思想を研究することの価値. によって,黄老思想 のさらなる研究が可能に. が存在しうる.かつての伝統的経済思想にかん. 4).

(2) 62. (232). 横浜国際社会科学研究 第 18 巻第 3 号(2013 年 9 月). する理解が現在及び将来の思想を理解する上で. 年)によれば,黄老思想とは,道家思想から法. の鍵となり得るからである.. 家思想への転換ではなく,逆に,法家思想から. ところで,一口に伝統思想と言っても,その. 道家思想への転換でもない.黄老の学は道家思. 中にも様々な内容が考えられる.春秋戦国時代. 想と法家思想との統一であると論じている.ま. に生成した諸子百家の伝統思想もあれば,イン. た,道家の養生理論を修正して,これを法家の. ドから導入された仏教思想もあり,それに,マ. 治国の理論と結合させたのが,黄老の学の要点. ルクス主義も,伝統思想になりつつある.その. であるとみなしている11).. ため,特にその伝統思想においては基軸的な役. 呉光は『黄老之学通論』 (1985 年)において,. 割を果たしている思想に注目する必要が生じて. 黄老思想は黄帝学説と老子学説との単純な組み. くる.従来,儒家の主流説が一般的であったが,. 合わせではなく,秦漢の時代に,老子の学説を. 近年の研究成果によれば,その中身は絶えず道. 改め,先秦各学派の説における重要な内容を総. 家思想へ変化しており,道家思想こそがそれを. 合した理論体系であると指摘されている12).. 8). 内部から支えていたものとみなされている .. 台湾の研究者である陳麗桂の『戦国時期的黄. 伝統思想の発展の歴史は,戦国末期,道家思. 老思想』(1991 年)によれば,黄老の学は老子. 想と法家思想の融合によって黄老思想が産れ,. の思想と法家思想の結合の産物であり,老子の. それがまた西漢初期に儒家の思想と融合するこ. 道と法家の刑名理論と結合させ,刑名理論に合. とによって,儒家思想へ展開していくものであ. 理的な根拠をもたらすとともに,刑名を以て老. る.この黄老の思想の融合の過程こそが,中国. 子の無為を解釈し,老子の哲学を正静・因時の. における伝統的思想の流れなのである.この思. 政術に変えたものであるという13).. 想の融合の過程においては,黄老思想が基軸に. 日本における黄老の定義にかんする主要研究. なっている.言い換えれば,黄老思想こそが,. についてみよう.. 中国の伝統的経済思想の本質を明かすための. 金谷治『秦漢思想史 の 研究』 (1960 年)に よ. 鍵となっている. 以下では,そもそも「黄老」. れば,黄老は, 「無為清静を標榜する一種の政. というのはどういう内容を持つものなのかその. 術 と し て,道家思想 の 現実的実践的 な 一派 で. 定義について検討してみる.. 14) あった」 と見なされているが,浅野裕一の『黄. 老道の成立と展開』 (1992 年)によれば, 「黄老 2 黄老の概念. 道とは,人物としては黄帝と老子,書物として. 近代では,黄老思想に対する認識としては,. 15) は黄帝書と『老子』を一括した称呼である. 」. 黄老思想すなわち老荘思想9),あるいは老子と. 以上,全体としてみると,黄老の定義につい. 申韓思想が融合したものが黄老思想だというよ. ては各研究者の見方には異なる点が多く見られ. うな見方10)もあり,黄老という概念およびそ. るものの,その根本的な点については,ほぼ意. の具体的な思想内容については判断するのが困. 見が一致していると言える.すなわち,黄老と. 難という問題があった.しかしながら,1973. は,『老子』の道論を基に,法家の法治理論を. 年に「馬王堆漢墓帛書」が発見され, 『黄帝四経』. 導入した道家思想であると言える.そこでの道. として称呼されるようになり,これによって黄. と法の関係は単なる折衷ではなく,道が本質的. 老思想を識別する手掛りが見つかり,黄老の特. な存在であるのに対して,法はその現象的な存. 質が徐々に解明されていった.以下,これに基. 在であり,その統一体として現実化したものが,. づいた,大陸中国と台湾における先行研究での. いわゆる黄老に他ならない.. 黄老の定義を整理しておこう.. 言い換えれば,黄老とは,『老子』の道理論を,. 馮友蘭の『中国哲学史新編(第 2 冊) 』 (1983. 法家の法理論を媒介としてより現実化させ,逆.

(3) 黄老思想に関する一考察(海). (233). 63. に,法家の法理論を, 『老子』の道理論を媒介. びで,今後の展望を提示することにしたい.. としてより合理化させた思想である.ただし,. それでは,中国の伝統的経済思想の研究がど. その前提条件として想定されているのは,その. のように展開され,そこには黄老道家の経済思. 思想の融合したものにおける道と法が平等な. 想がどの程度まで研究されているのか,どのよ. 立場にあるわけではなく,実定法が自然法に. うな問題を抱えているのか検討してみる.. 因り従わなければならないということである.. Ⅱ 先行研究の概況とその問題点 . 陳鼓応の言葉を借りれば,「黄老というのは古 代における自由・民主と法治の結合に他なら. 1 経済学の導入. ない.」16). 中国の伝統的思想においては,近代以降の経 済学に照応する独立した学問分野は存在してい. 3 黄老における経済思想研究の意義 . なかった.しかしながら,近代の「西学東漸」. 中国における黄老の思想が,経済をどうある. の影響によって,中国にも経済学という学問分. べきと考えていたのか.その特質を明らかにす. 野が生成し,発展してきたのが周知の事実であ. ることは,中国の戦国末期から西漢初期の経済. る.. 思想史上における一つの大きな空白を埋めるこ. 「西学東漸」の受容の過程について概してみ. とを意味する.. れば,「武器─宗教─経済─政治─文化」とい. 本論文においては,黄老思想研究の現状とそ. う流れに沿ってその西洋に対する認識が深化し. のあるべき姿の間にはどのような問題が存在し. てきたものといえる.本研究の対象である「経. ているのか,その原因と解決を必要とされてい. 済」は上記の過程の中間に位置づけられる.す. る課題などを検討することによって,研究対象. なわち,中国が西洋諸国に比して未発達である. の更なる具体化と,その方法を模索したい.. のは,武器よりも宗教,宗教よりも経済であり,. 以下,各節の構成・内容について整理してお. 「強兵」の基が「富国」であるというその認識. こう.2 から 3 節においては,研究目的として. の産物であったため,その対応として西洋への. の黄老道家の経済思想の解明と,その先行研究. 留学生派遣,経済学の導入,および西洋式企業. の現状との間に存在している問題,即ちその阻. の建設が行われたのである.その際,まず直面. 害要因 と し て の 儒家思想基軸説 の 問題 を 検討. しなければならなかったのは経済学の概念の問. し,中国の伝統的経済思想の研究に関する新た. 題であった.. なあるべき姿を明らかにする.. 最初 に 西洋 か ら「経済学」を 導入 し た の が. 4 節では,黄老道家の経済研究に関する資料. 厳復(1854~1921 年)である.彼は 1877 年か. 的問題と,浅野裕一の『黄老道の生成と展開』. らイギリスに留学し,帰国後,1896 年 10 月か. (1992 年)などに代表される関連研究の概況を. ら 1901 年 1 月の間に,アダム・スミスの『国. 検討 し,そ れ ら の研究が,本研究の対象とし. 富論』を『原富』という題名のもとで翻訳し,. ての黄老道家の経済思想に対する意義を検討す. その訳本が 1901 から 1902 年にかけて上海南. る.. 洋公学(現上海交通大学)の訳書院から出版さ. 5 節においては,道家思想基軸説に基づき,. れた17).厳復による『原富』(1901 年)の「訳. 『黄帝四経』などの資料を活かし,浅野裕一の. 事例言」で,economic の語源はギリシャ語か. 研究成果などを踏まえた形で,中国の伝統的経. ら来ており,家政の管理を意味すると述べられ. 済思想の研究において,解決が必要とされてい. ている.これを日本では「経済」 ,中国では「理. る新たな課題としての,黄老思想に対する経済. 財」と訳されているが,経済では広すぎ,理財. 学的アプローチの可能性について検討する.結. では狭すぎると考えて自ら「計学」としたと論.

(4) 64. (234). 横浜国際社会科学研究 第 18 巻第 3 号(2013 年 9 月). じている18).その後,梁啓超は political economy. 年)の中では,経済上の欲望については「派生. の中国語訳語として「富国学」 「商学」 「資生学」. ノ欲望ニシテ同時ニ外界ノ欲望タルモノ,一種. 「財政理財学」などを考案するが,日本語の「経 済学」を容認できなかったため,結局「生計学」 19). 25) 類トシテ経済上ノ欲望ナルモノアリ」 という. ように定義し, 「経済用ノ財産トハ,経済主体. を用いることとしている .. ガ経済上ノ欲望ヲ満足スルノ用ニ供セントノ目. 上述のような近代的概念としての「経済」と,. 26) 的ヲ以テ処有シ居レル財産ナリ」 , 「従来ノ学. 中国の古義における「経済」との接点として,. 者ガ経済行為ヲ以テ純然タル利己心ニヨリテノ. それらの矛盾する契機を統合的発展へと導いた. ミ支配サル,モノ,如ク思惟シ,又ハ仮定シタ. のが,日本の江戸時代における知識人たちに. 27) ルハ,大ナル誤解ト云ハザルベカラズ」 と指. とって の「経済」で あった20). 「経済」と い う. 摘し,そして,経済学の定義については, 「経. 日本語の語源は,江戸時代の知識人としての太. 28) 済学トハ経済ノ社会的方面ヲ研究スル学ナリ」. 宰春台『経済録』 (1729 年)や,佐藤信淵『経. と述べている.. 済要略』 (1822 年)の「経済」という書名に由. 総じて,河上肇の『経済学原論 上巻』 (1905. 来しており,その源をさらに遡れば,中国の古. 年)によれば経済とは,物財に対する営利的欲. 典『文中子』 (6 ~ 7 世紀)における「経済之道,. 望の満足のために,生産や交換によって財貨の. 謂経世済民」 ,神仙家の著作『抱朴子』 (317 年). 調達を行う行為を指すが,この経済行為が必ず. における「経邦済国」などの宿略語としての「経. しも利己心のみによるのでなく,利他心にもよ. 21). 済」から生じたとみなされている .. る可能性があるということが主張されている.. しかしながら,太宰春台と佐藤信淵の影響は. 河上肇のこのような思想が,中国人留学生達を. あくまでも間接的であって,その伝統的思想の. 通 じ て,1919 年以降中国語 へ 本格的 に 翻訳 さ. 教養を備えた中国人留学生達が, 「経済」とい. れ,中国における経済学の定着,ひいてはマル. う日本語を抵抗なく中国語に取り入れ,近代的. クス経済学の中国における発展に大きな影響を. 概念としての「経済」を定着させることに,直. 与えたのである.. 接的に多大な貢献した代表的人物こそ河上肇に. 日本から経済という概念が導入された当初. 他ならない.. は,一部の研究者達によって,その語源が中国. 彼は経済については「凡ソ天下国家ヲ治ムル. 古典における「経世済民」から由来しているこ. ヲ経済ト云ウ,世ヲ経テ民ヲ済フト云ウ義ナ. とを根拠に,経済学が国家を経営し,民を治め. リ」22)という太宰春台の定義をもって,徳川期. 29) る学問であるならば「古代にすでにあり」 と. の経済思想における「経済」に共通する定義と. いうように認識され始めた.しかしながらこう. 23). 考えていた .彼は,徳川期の経済学の特徴は,. した認識は間もなく否定され,「経済学という. 経済を国家学と同一視する点,農業を国家の基. のは,財貨を蓄えるための合理性を重視するあ. 本となす点及び奢侈への戒めの三点に集約し,. まりに,その本来のあり方を失ったのではない. このような中国古典に由来する経世済民的経済. か」30)という認識に移り変わる.その必然的な. 観を重視し,西洋から輸入した学問としての. 結果として,主流文化とみなされていた儒家の. 1900 年代初頭 の 経済学 は,徳川期 の 経済学 の. 思想における「義利の弁」などの思想を改めて. 24). 範疇の一部を占めるに過ぎないと指摘した .. 見直して,これらの伝統的思想に対して,経済. 彼は,佐藤信淵の『経済要略』 (1822 年)の強. 学的視点からの把握を試みる動きが始まった.. い影響の下に, これを経済学に取り込み,欲望,. 以下では,経済的自己意識がどのような経過. 財物,経済行為などの視点から考察を展開して. で変化・発展していったのか,その展開に従っ. いる.例えば,彼の『経済学原論 上巻』 (1905. て整理してみよう..

(5) 黄老思想に関する一考察(海). (235). 65. 2 中国の伝統的経済思想の研究の展開. が充分認識されなくなるのである.この思想の. ⑴ 先秦諸子の経済思想研究. 存立のみに着目し,その黄老の思想が融合する. 1920 年代から先秦諸子を対象にした経済思. 過程に対する認識が欠如しているという問題. 想研究が現れ始めた.甘乃光の『先秦経済思想. が,更に通史の研究へも引き継がれていくので. 31). 史』 (1926 年)や唐慶増. の『中国経済思想史』. (1936 年)などの経済思想の研究がそうである.. ある. ⑵ 通史的経済思想研究. このようなスタイルの研究は中国だけではな. 1960 年代からは,研究の関心が先秦という. く,日本にも見られる.穂積文雄の『先秦経済. 一時代に限った特殊史から中国の歴史の全体を. 思想史論』 (1942 年)も同時代の産物と言える.. 通観した総合的研究へ移って行き,儒家の基軸. その研究の中心としては基本的には儒家,墨家,. 説に基づいた通史の研究が現れた33).胡寄窓の. 道家,法家の経済思想を各々検討するものだっ. 『中国経済思想史』 (1962~1981 年)は そ の 代表. た.その諸研究としては,日本において,井澤. 的な研究である.その研究内容も先秦のみでは. 弥男『春秋戦国の経済思想─諸子百家にみる経. なく,上古時代から近代まで扱うようになっ. 済と道徳』 (1987 年) ,中国において巫宝三の『先. た.その研究方法としては,マルクス経済学に. 秦経済思想史』 (1996 年)などがみられる.. おける生産・分配・流通・消費という四分法を. 以上の諸研究は,春秋・戦国時代から秦国に. 以て,先秦諸子から近代までの人物に対して時. よる天下統一までの時期を一つの時代区分とし. 間的順序に従って分析を行っていくという点が. て,その時代における儒家,墨家,道家,法家. 大きな特徴である.. の経済思想を検討している. その共通点として,. その研究における思想の発展・変化の流れと. 儒家の思想に関しては孔子から孟子,荀子へと. しては,先秦諸子の思想の検討から西漢初期に. 分かれていき,墨家の思想については,前期墨. おける人物の思想の検討へと移っていくが,黄. 家から後期へと,道家は,楊子から老子,荘子. 老の学にたいしてはほとんど言及されることが. へ,法家の思想は,管子から商鞅,韓非子へと. なかった.. 分かれていく過程に注目していることである.. このような通史の研究は,北京大学の趙靖に. しかしながら,先秦時代における諸子百家の. よってさらに発展させられる.趙靖は弟子たち. 思想発展の過程においては,一つの学派の思想. と共に,趙靖編『中国経済思想通史』 (2002 年). が多くの流派へ分かれていくという流れが存在. を完成させた.この趙靖らの研究は,儒家思想. していると同時に,多くの学派が一つの学派,. を基軸とし,マルクスの理論をもって分析を. すなわち黄老の学へと融合していくというもう. 行っているという点では,胡氏の研究と基本的. 一つの流れが存在していた.司馬遷は『史記』. に大差はない.先秦諸子を重点的に分析し,以. にもこの思想変化の流れに基づき, 「孟子・荀. 後の時代における経済思想にたいしては,先秦. 卿列伝」というように同一学派の思想を一つの. 思想の歴史的循環としてみなし,その思想の融. 列伝に位置づけると共に, 「老子・韓非子列伝」. 合の問題については依然として問題関心が稀薄. というように異なる二つの学派の思想に属する. であった.. 老子と韓非子の思想を一つの列伝にまとめてい. とは言え,黄老道家の経済思想については,. 32). るのもその所以である .. 趙靖編『中国経済思想通史』 (2002 年)第 16 章. 従って, 「孔子─孟子─荀子」 「楊朱─老子─. において,孫樹霖が「漢初黄老の学における経. 荘子」 「管子─商鞅─韓非子」というように検. 済観点」というテーマで,経済思想研究の視点. 討するだけでは, 「老子─管子─黄老─韓非子」. から黄老思想を検討している.同研究では,黄. というような黄老を中心とした思想の融合過程. 老の経済思想を西漢初期における特殊な歴史的.

(6) 66. (236). 横浜国際社会科学研究 第 18 巻第 3 号(2013 年 9 月). 現象とみなしているとはいえ,従来の先行研究. であった34).. に比しては稀少な研究であった. 孫の研究では,. 更に,陳鼓応による道家思想が基軸であると. 黄老の思想が西漢初期においてはいかなる原因. いう主張35)に基づけば,「『易経』─『老子』─「黄. によって導入され,どのような役割を果たした. 36) 老」─『易伝』」 こ そ が,中国古代哲学思想. か を 検討 し, 「無為 の 治」理論 が「与民休憩」. の中心的な流れをなしており,従来の「孔子─. 政策の思想的基礎たることを明らかにせんと試. 孟子─荀子─董仲舒」というような思想の融合. みている.しかしながら,その理論の来歴,具. は歴史的事実と合致しないという問題が判明し. 体的な思想の構造および,後世への影響などに. つつある.その儒家思想というのは,馮友蘭に. 関しては検討されることがなかった.. よる, 「もう一つの西洋哲学史を中国において. Ⅲ 先行研究における問題点と黄老思想の重要性. 37) 書くことを目指した」 ことの産物である.す. なわち「ソクラテス」─「プラトン」─「アリ. なぜ黄老の学の歴史的役割が研究者達には注. ストテレス」というような西洋哲学からの影響. 目されなかったのか,その阻害要因として考え. が考えられる38).. られるのは,資料の問題を別とするならば,ま. 従って,中国の伝統的経済思想の研究のあり. ず,黄老思想に関する位置付けの問題である.. 方として考えられるのは,正統派の思想などの. というのは,中国の思想史の研究分野において. 固定観念に捕らわれることなく,歴史における. は,儒家思想が正統化された歴史的影響を受け. 思想の発展・変化の流れに基づいて研究すべき. て,孔子─孟子─荀子─董仲舒という過程こそ. ではないかということである39).. が,中国の伝統的思想の主流だという意識があ. 中国における伝統的思想の発展としては,道. り,その儒家思想の発展過程を以て,中国の伝. 家思想と法家思想が融合して,黄老思想が生成. 統的思想の先秦から後世への融合の過程とみな. してきた.それはまた儒家思想との融合によっ. してしまう傾向がある.. て後世の思想へ展開していくのである.この過. しかしながら,中国における伝統的思想の流. 程こそが,中国における伝統思想の本質的流れ. れを見れば,先秦諸子の百家争鳴から徐々に黄. である.この思想の融合の過程においては,黄. 老の思想を基軸とした思想の融合が展開され,. 老こそが基軸になっており,それを充分に認識. それが西漢初期頃から儒家の思想と改めて融合. していなかったために,従来の経済思想研究は,. しながら,正統化された儒家思想へ変貌して行. この思想としての特質を把握することができな. くのである.. かったのではないかと考えられる.したがって,. そして例えば,戦国末期における儒家の代表. この新しい視点から中国の伝統的経済思想の研. 的人物としての荀子や,西漢初期における董仲. 究を再評価する必要性が考えられる.. 舒の思想に関しては,黄老の思想なしには検討 が困難である.陳鼓応の研究によれば,中国の. Ⅳ 浅野裕一の黄老研究からの示唆. 思想史上,儒家は先秦時代における荀子,漢代. それでは,なぜこうした経済思想史研究が黄. における董仲舒,宋明理学といった三回に渡っ. 老の思想にたいして深い関心を払ってこなかっ. て重大な質的変化を経験している.. たのか.そのもう一つの原因として考えられる. このうち荀子の自然哲学及び認識論は直接的. のは,黄老思想に関する基本的資料の亡失の問. に黄老の思想を継承しおり,董仲舒の天道観も. 題であった.道家の中では『老子』『荘子』な. また黄老の思想を沿襲している.思想の方法と. どの資料は比較的安定した形で保たれてきた. 理論構成の視点から見れば,儒学の発展過程に. が,黄老道家などの関連資料は亡失し,その制. おける深層構造が実は道家思想へ変化する過程. 約を受けて,関連する研究も困難になっていた.

(7) 黄老思想に関する一考察(海). (237). 67. 表 1 黄老道における無為の治の構造 A 寛大・柔軟な法治 政治体制. B 荷細な法治による民間秩序への介入・規制の排除 C 民間の自由な経済活動の保障 D 効率的な富の生産と蓄積 E 新規事業の回避と経費の節減. 経済政策. F 国家財政の充実 G 収奪の抑制 H 民間の経済活動の一層の発展 I 新たな富の生産と蓄積. 倫理・道徳. J 民生・民心の安定 K 犯罪・騒乱の鎮静化 L 国家の安定的統治. 出所 浅野(1992),p. 463 に基づき,筆者作成.. のである.. 体系的に検討し,その黄老思想における重要性. ところが,既述のように 1973 年にいわゆる. を明らかにしている.. 『黄帝四経』が発掘され,黄老道家の研究が改. 上記の表 1 は浅野が明らかにした西漢初期頃. めて可能になり,関連する研究も多くみられ. における黄老的無為の治の構造である.この構. るようになった40).1990 年代に入ってからは,. 造を通じて,黄老思想における天人相関思想が. 基礎研究の蓄積につれて,黄老道家の経済思想. 無為の治としてどのように現れ,同時に,その. に関する研究,若しくはそれに関する研究者の. 無為の治の中には天人相関思想がどのような形. 関心が徐々に高まってくる.こうした中で,黄. で含まれているかは把握しうる.. 老道家の経済思想について,深く関心を寄せた. この黄老思想における無為の治の仕組みを見. 研究者の一人に日本の浅野裕一がいる. 彼の 『黄. れば,統治者による無為無策というような消極. 老道 の 成立 と 展開』 (1992 年)の 第一部 で は,. 的な無為の治ではなく,積極的な無為の治が読. 黄老道が形成されるに至った経緯を追跡してい. み取れるのである.A,B,C から D への過程. る.第二部では,秦の法術思想から漢初の黄老. は,政治制度と経済との因果関係をしめしてお. 道へと,思想の潮流が大きく転換した原因を. り,E,F,G から H への展開は,経済政策と. 探っている.第三部では,黄老道が漢の中心的. 経済との因果関係をしめしている.そして,I. な政治思想の座を儒学に奪われ,凋落して行っ. から J,K,L の段階においては,経済発展と. た原因を探っている .. 社会の風俗・習慣,倫理・道徳との因果関係が. その具体的な内容を見ると,道家,法家,儒. 示されている.その倫理・道徳の上昇がさらな. 家から兵家の思想までが扱われているが,浅野. る政治経済の発展へ貢献していくことが示唆さ. が黄老思想の最大の特徴と考える天人相関思想. れているように考えられる.. を中心に考察が展開されている.更に,その天. し か し な が ら,浅野 の『黄老道 の 成立 と 展. 人相関思想の西漢初期における実践として,無. 開』(1992 年)は,経済思想を中心とした研究. 為の治を「天人相関─無為の治」という構造に. ではなかったため,その中では,無為の治につ. 位置づけ,その無為の治における構造を初めて. いては,その源泉から思想としての発展・変化. 41).

(8) 68. (238). 横浜国際社会科学研究 第 18 巻第 3 号(2013 年 9 月). の流れに沿って研究する事もなかった.とはい. 漢初期における「黄老の治」を中心としたその. え, 上述のような浅野裕一の研究成果を活かし,. 実践的側面にたいして経済学的アプローチを行. 以下の節においては,黄老思想への新たなアプ. い,その理論と実践の結果を相互に検証するこ. ローチおよびその実行可能性についても検討し. とによって,経済思想としての黄老の学をより. てみる.. 客観的に把握することが可能である.. Ⅴ ‌ 黄老思想に対する経済学的アプローチの‌ 可能性 結論としては,今まで見てきたように,その 黄老的思想融合の歴史的過程とは,基本的には 諸子百家の思想が分立から統一へ融合していく その過程に他ならない.もし,この歴史的過程 を疎かにする場合は,戦国末期から西漢初期に おいて思想的ギャップが生じるだけではなく, 歴代 の 初期 に お け る「与民休憩」 「清静無為」 などの現象にも説明がつかなくなり,それらの 歴史的必然性を持つ出来事に対しても,偶然性 に支えられた現象として片づけてしまう恐れが 考えられる.従って,思想の分立と同時に,黄 老的思想融合の歴史的過程に対しても十分注意 を払うことが重要である. そして,その黄老思想においても,特に重視 すべきなのは,天人相関思想に基づいた無為の 治思想である.浅野裕一の研究にも見られるよ うに,その無為の治思想は,消極的無為無策で はなく,体系的制度主義的発想に支えられた無 為の治であることは明らかである.それが,現 象化したのは,すなわち西漢初期における中国 史上初の好景気「文景の治」であり,その好景 気が,すなわち黄老的無為の治思想の中に潜ん でいる制度主義的性格の具体化に他ならない. 従って,黄老的無為の治がどのように発展・ 変化してきたのか.その歴史的な過程を重視す る必要性があると同時に,そうした歴史的な文 脈の中で黄老的無為の治思想がどのように経済 的な現象として現れていたのか,経済学的視点 からアプローチする必要性が考えられる. 今後の課題として考えられるのは, 『黄帝四 経』を中心とした黄老思想の理論的側面と,韓 非子の思想に媒介された形で改めて蘇った西. 参考文献 (日本語) 浅野裕一『黄老道の成立と展開』創文社,1992 年. 井澤弥男『春秋戦国の経済思想─諸子百家にみる 経済と道徳』創造社,1987 年. 磯貝明徳『制度経済学のフロンティア─理論・応 用・政策』ミネルヴァ書房,2007 年. 上野直明『中国経済思想史』恒星社厚生閣,1971 年. 大森郁夫『日本 の 経済思想「経済思想第 9 巻」 』 日本経済評論社,2006 年. 河上肇『経済学上之根本観念「河上肇全集 第一 巻」 』岩波書店,1981 年. 河上肇 『経済学原論 上巻 「河上肇全集 第二巻」 』 岩波書店,1981 年. 金谷治『秦漢思想史 の 研究』日本学術振興会, 1960 年. 金谷治『老子』講談社,1997 年. 川口浩『江戸時代の経済思想─「経済主体」の生 成』中京大学経済学部,1992 年. 川口浩『日本 の 経済思想世界─「十九世紀」の 企業者・政策者・知識人』日本経済評論社, 2004 年. 佐藤信淵『経済要略 日本思想大系 45 』岩波書 店,1977 年. 桑田幸三『中国経済思想史論』ミ ネ ル ヴァ書房, 1976 年. 澤田多喜男『黄帝四経』知泉書館,2006 年. 太宰春台『経済録 日本思想大系 37 』岩波書店, 1972 年. 中島隆博「哲学としての中国哲学史」 『大航海 特集 中国 歴史と現在』第 66 号,SHINSHOKAN, 2008 年. 穂積文雄『先秦経済思想史論』有斐閣,1942 年. 三田剛史『甦る河上肇─近代中国の知の源泉』藤 原書店,2003 年. 森三樹三郎『老子・荘子』講談社,1994 年. 八木紀一郎『非西欧圏の経済学─伝統的経済思想 とその変容「経済思想第 11 巻」 』日本経済評 論社,2007 年. (中国語) 班固『漢書(1~12 冊) 』中華書局,1982 年..

(9) 黄老思想に関する一考察(海). 陳麗桂『戦国時期的黄老思想』聯経出版事業公司, 1991 年. 陳鼓応『黄帝四経今注今訳』商務印書館,1995 年. 陳麗桂『秦漢時期的黄老思想』文津出版社,1997 年. 陳鼓応『易伝与道家思想(修訂版)』商務印書館, 2007 年. 段玉裁『説文解字注』上海古籍出版社,1988 年. 范瞱『後漢書』中華書局,1965 年. 馮友蘭『中国哲学史新編(1~7 冊)』人民出版社, 1982~1992 年. 葛洪『抱朴子』中華書局,1988 年. 甘乃光『先秦経済思想史』商務印書館,1926 年. 桓寛『塩鉄論』中華書局,1992 年. 候家駒『先秦法家統制経済思想』聯経出版事業公 司,1985 年. 河上公章句『老子道徳経』福建人民出版社,2008 年. 胡寄窓『中国経済思想史(1~3 冊)』上海人民出 版社,1962~1981年. 胡寄窓『近代中国経済思想史大綱』中国社会科学 出版社,1984 年. 賈誼『新書』中華書局,2000 年. 劉安『淮南子』北京大学出版社,1997 年. 董仲舒『春秋繁露』世界書局,1967 年. 梁啓超『中国古代学術流變研究十篇』中華書局, 1947 年. 梁啓超『中国学術思想変遷之大勢』中華書局,1957 年. 梁啓超『生計学学説沿革小史』北京出版社,1999 年. 陸佃『鶡冠子』中華書局,1985 年. 陸賈『新語』吉林大学出版社,1992 年. 陸徳明『経典釈文』上海古籍出版社,1985 年. 慎到『慎子』上海書店出版社,1986 年. 司馬遷『史記 (1~10 冊)』中華書局,1982 年. 司馬光『黄老之治』中国友誼出版公司,1985 年. 司修武『黄老学説與漢初政治評議』台湾学生書局, 1992 年. 唐慶増『中国経済思想史』商務印書館,1936 年. 王弼『老子道徳経』中華書局,1980 年. 王冰『黄帝内経』商務印書館,1936 年. 王冰『重廣補注黄帝内経素問』芸文印書館,1967 年. 王夫之『読通鑑論』漢京文化,1984 年. 王夫之『老子衍』岳麓書社,1992 年. 王先慎『韓非子集解』中華書局,1954 年. 王先謙『荀子集解』中華書局,1988 年. 魏源『老子本義』漢京文化事業,1981 年. 呉光『黄老之学通論』浙江人民出版社,1985 年. 巫宝三編『先秦経済思想史』中国社会科学出版社, 1996 年. 厳 復『侯 官 厳 氏 評點老子』辜公亮文教基金会,. (239). 69. 1998 年. 厳復『天演論』商務印書館,1981 年. 厳復『原富』辜公亮文教基金会,1998 年. 余明光『皇帝四経与黄老思想』黒竜江人民出版社, 1989 年. 余明光『中英対照 皇帝四経今注今訳』岳麓書社, 1993 年. 趙靖編『中国経済思想通史(1~4 冊)』北京大学 出版社,2002 年. 中国経済思想史学会編『中国経済思想史研究』上 海財経大学出版社,2008 年.. 注 1)司馬遷『史記 74 巻 孟子荀卿列傳』 2)司馬遷『史記 80 巻 楽毅列傳』 3)司馬遷『史記 63 巻 老荘申韓列傳』 4)同上 5)司馬遷『史記 54 巻 曹相国世家』 6)司馬遷『史記 120 巻 汲鄭列傳』 7)穂積(1942),p. 1.同様に,川口浩によれば 「経済思想とは,広い意味での思想の一部であ るから,その中でも特に経済事象にかかわる諸 観念を指す. 」 (川口(2004) ,pp. 3─4.) 8)陳(2007) ,pp. 49─50. 9)魏(1981 年)に基づく. 10)厳・評・王(1931 年) ,pp. 27─28. 11)馮(第二巻 1983) ,pp. 194─196. 12)呉(1985 年) ,pp. 107─109. 13)陳(1991 年) ,pp. 3─5. 14)金谷(1960) ,p. 151. 15)同上,p. 4. 16)陳(1995) ,p. 26. 17)頼(2009 年) ,p. 8. 18)厳(1998 年) ,p. 7. 19)梁(1999 年) ,pp. 982─987. 20)同上,p. 125. 21)中国経済思想史学会編(2008) ,p. 7. 22)河上(1981 年) ,p. 125. 23)三田(2003 年) ,p. 62. 24)同上,pp. 61─62. 25)河上(1981 年) ,p. 23. 26)同上,p. 61. 27)同上,p. 72. 28)同上,p. 148. 29)胡(1984) ,p. 9. 30)同上,p. 476. 31)彼はハーバード大学で学んだ財政学・西洋経 済思想史の知識を活かし,中国の先秦時代にお ける儒,墨,道,法などの学派別の経済思想を 検討しただけではなく,中国の経済思想の西洋 各国への影響をも検討した.彼は, 「本国の新.

(10) 70. (240). 横浜国際社会科学研究 第 18 巻第 3 号(2013 年 9 月). たな経済思想を創造するための準備をし」,「中 国独有の新経済学を創造するために努力する」 ことを自任していた. 32)馮(1983),pp. 195─196. 33)その研究内容に関して簡単にまとめてみると, 先秦時代における経済思想研究は学派別研究の 内容を,時間的順序に並べ替えた形を取ってい る.それ以降の時代における経済思想の変遷に 関する研究を見ても,基本的には,当時におけ る有名な人物の思想を主な特徴とする. 34)陳(1995),p. 25. 35)陳鼓応は長年に渡って『易』と道家思想の関 係を研究しており,その「道家哲学主観説」は 多くの学者に認められている.陳鼓応の研究に 因れば,先秦時代には儒家系統の『易』は存在 せず,後に生成した『易伝』は道家系統の著作 であり,それは,『周易』古経─『老子』─「黄 老思想」─『易伝』という思想変遷発展の産物 だという.. 36)陳(2007) ,p. 12. 37)中島(2008) ,p. 186. 38)同上. 39)儒家思想主流説はもちろん古今に渡って定説 のような前提条件になっているものの,このよ うな誰も疑わなかった前提に疑問を持ち,その 新たなスタートの必要性と可能性を発見し,そ の問題の解明を試みたのが台湾大学の陳鼓応で あった. 40)黄老思想の解明については,そのカギの役割 を果たしたともいえるべき「帛書」資料に関す る命名はいろいろあったが,結局「黄帝四経」 という称呼に定まり, 「黄帝四経」が黄老思想 研究の一番の代表的資料と見られるようになっ た. 41)浅野(1992) ,p. 6. [ハ イ ロ ン 横浜国立大学大学院国際社会科学 研究科博士課程後期].

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参照

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