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B.バーンステインのコード理論の展開過程と問題点(下)

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(1)Title. B.バーンステインのコード理論の展開過程と問題点(下). Author(s). 小内, 透. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. C, 教育科学編, 41(1): 45-58. Issue Date. 1990-09. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/5137. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 北海道教育大学紀要 (第1部C) 第4 1巻 第1号 lof Hokkaido Universi jouma ion(Sec tyofEducat i t l onI C) Vo ‐41 ‐I , No. 平成2年9月 September ,199O. B‐バ ー ンステイ ンのコー ド理論の展開過程と 問題点 (下). 小. 内. 透. 序 章 問題意識と視点 第1章 社会言語コー ド理論の形成・発展過程 第2章 教育コー ド理論の形成・発展過程. 以上前号 第3章 生産コー ド理論の登場と文化的再生産論の構築 終 章 コー ド理論の意義と問題点. 第3章. 生産コー ド理論の登場と文化的再生産論の構 築. 第1節 教育コー ド理論の深化 ( 1 )( バーンステインは 「教育と生産の関係の諸相」 1 977年) において, 再 び教育コー ド理論の問題 を取り上げている. しかし, この論文 では教育コー ド理論の位置づけや問題意識は従来とは異なる も の に な っ て い る. バ ー ン ス テ イ ン は こ の 点 に つ い て 次 の よ う に 述べ て い る , .. 「ボールズとギンティ スは 生産の様式が教育に及ぼす景雑響を分析し 教育のシステムは生産に , , 適合するパーソナリ ティ を産み出す担い手であ ると論じている ……アルチュ セールは 教育はそ . , の本性からしてイ デオロギーの統制, 伝達, 再生産の中心的な手段になると分析している また , . この分野での中心的な理論家のブルデュ ーは, 教育による文化的資本の分配と正当化の作用 に着目 し, 教育の場 でなされる伝達の構造・内容・過程が帯びているイ デオロギー的性格や 『型』 (ハピ , トゥス)の形成に加わる階級的規制 について, 文化的再生産の一般理論という視点から論じている ‐ ……両者は, その理論の形成にあたっ て, 教育と生産の変動や 対立 矛盾の側面にあまり関心を寄 , せていないようにおもわれる. これらの動態的な側面 は表層の現象にす ぎないと考えられているか ら だ ろ う‐ .…. .しか し, 『見 た 目 が いく ら 変 わ っ て も 同 じこ と』 な の で あ ろ う か」② .. つまり, 彼はボールズとギンティ ス, アルチュ セールやブルデュ ーらの再生産論に対して教育と 生産の変動や対立, 矛盾の側面を軽視していると批判し それをのりこえる新しい再生産論の構築 , 3 ) 教育と生産の関係 を目指したの である‐その際, 彼は教育を文化的再生産そのものとして把握し{ , , すなわち教育コー ドと生産コー ドの関連を明らかにする ことによ って 独自の文化的再生産 論を構 , 4 } 築 しよ う と し た と い え る こ の 点 に こ の 論 文 の 本 来 の 目 的 が あ っ た の であ る( ‐ , ‐. もちろん, 彼がこれま で展開してきたコー ド理論も客観的には文化的再生 産論の一種として位 置 づけることも可能である. とりわけ社会言語コー ド理論の場合 一つの文化としての言語の再生産 , が問題とされて いるという点からみて, 明らかに文化的再生産 論の一種であるといっ てよい しか . し, 彼自身か らみれば, それは必ずしも文化的再生産論として展開されたものではなかったという ことであろう. そこ では, バーンステインの文化的再生産 論の構築という 問題意識は ブルデュ ー , らの文化的再生産論に触発されて, 自らがこれまで進めてきた学校に着目した研究・教育コー ド理 45.

(3) . 小 内. 透. 論を, 文化的再生産論の 構築という視点から改めて位置づけ直すという意味を内包していたといえ る.. したがっ て, この論文において教育コー ド理論の残された課題が深められたとしても, それはあ くま で, 彼独自の文化的再 生産論を構築するための 作業の一環として取り 組まれたものに す ぎな か っ た と み なす こ と が で き る.. さて, それでは, これらの点をふまえて, まず, 新たな問題意識のもとで進められた教育コー ド 理論の深化につ いて検討してみよう. バーンステインは, この 論文において, 教育コー ドの概念を 「互いに関係のある 意味や, 意味を 5 ) { 実現する形式, 意味を生じさせる 社会的文脈を統合して規制する 原理」 であり, そのあり 方は類別 と枠づけの強さによっ てきまるとしている. その場合, 〈類別〉は教育 機関, 教師, 生徒といった諸 カテ ゴリー間の関係の原理をさす概念であり, 権力関係を規定する原理として把握される. なぜな ら, さまざまなカテ ゴリーを一定の関係に維持し再 生産するには, 何らかの形式をもつ権力が存在 しなければならないからである. それに対し, 〈枠づけ〉は伝達-習得の過程を規制し, 教育の場で 行われるコミュニケーショ ンを統制する原理を指す概念とされる. したがって, こう した類別と枠 づ け の 強 さ に 応 じて, 教 育 コ ー ドは い く つ か の ヴ ァ リ エ ー シ ョ ン を 示 す こ と に な る. た と え ば, 強. い類別と強い枠づけの収集コー ド,強い類別と弱い枠づけの収集コー ド,弱い類別と強い枠づけの統 合 コ ー ド, 弱 い 類 別 と 弱 い 枠 づ け の 統 合 コ ー ドと い っ た, 少 な く と も 4 つ の コ ー ド・ヴ ァ リ エ ー シ ョ. ンが考えられる‐時には,一つの学校の内部に教育コー ドの複数の ヴァリエーショ ンが見られること さえあり, その場合どの型の教育コー ドが支配的なコー ドになっ ているかが重要になるとされる. もちろん, これらの概念は, すでに 「教育知 識の類別と枠づけについて」 のなか で, 提示された も の であ る. しか し, そ れ ら は いく つ か の 点で, 概念規 定のあり方が変化していること に注意する 必要がある. 第一に, 従来明確な規定がなされていなかった教育コー ドそのものの概念規定が, 抽 象的な表 現であるものの, 教育知識を含め た, 学校の内部において展開される, 意味ある社会過程 全体のあり方を規制する 原理として, 明示されるように なっ ている. しかも, この段 階では, す で に教育知識コー ドという概念は見ら れなくなり, 教育コー ドという概念に一本化されている. した がって, かつてカリキュ ラムの類型を示すコー ドとして定義された統合コー ドと収集コー ドの概念 は, ここでは学校にお ける社会過程全体に かかわる類型概念に なっ ている. 第二に, 教育コー ドの あり方を決定する類別と枠づ けの概念が微妙に変化 している. 従来, 類別と枠づけはともに権力と 統制の2要素に 関わる概念とされていた. しかし, ここ では, 類別が権力, 枠づけが統制に関わる 概念となっ ている. また, この段階では, 従来のように, 類別と枠づけの概念が内容を示す概念で はないという 規定がなくなり, 少なくとも 内容と関連した概念として理解しうる余地が残されるよ うになっている. したがって, 従来よりたしかに理解しやすい概念に なっているといえる. , このように, 従来の概念を精撤化したうえで, バーンステインはさらに学校の内部構 造を分析す 「 るために 「地位の構造」 と 「伝達の場」 という分析概念を新たに設定している. 地位の構造」 とは 教師相 互・生徒相互あるいは教師‐生徒間の構造的な関係を示す概念で, そのあり方は類別の強弱 によっ て決まる. したがっ て, それは学校内の権力関係を示す概念となる. たとえば, 教師相互の 関係の場合, 強い類別のもとでは, 教科 ごとに教師がまとまり, 弱い類別のもとでは, いくつかの 教科を統合する原理に基づく教師の編成がとられる. また生徒編 成のあり方についてみると, 類別 の 度合が強ければ強いほ ど, 年齢別・性別・ 能力別・カリキュラム別といっ た相互排除のルールが 強くなる. 一方, 「伝達の場」 は教師相互・生徒相互あるいは教師・生徒間のコミュ ニケーショ ンや 伝達の形式を示す概念で, そのあり方は枠づけの強弱によって決まる‐ したがっ て, それは 学校内 46.

(4) . B .バーンステインのコー ド理論の展開過程と問題点 (下). の統制の形式を示す概念となる. たとえば, 強い枠づけのもとでは, 習得者は伝達内容の選択・編 成・進度をコントロールする力をほとんど持たないが, 弱い枠づけのもとでは, 習得者にいくつか 6 ) の選択肢(選択科目)が与えられ, それらをコントロールし得る力を持つことが許されるとされる( . 「 「 バー ンステインは, 新たに 地位の構造」 と 伝達の場」 という新しい概念を それでは, なぜ, 設定したのだろうか‐ この点について, 彼は次のように述べている. 「類別と枠づけによってあらたに 〈地位の構造〉 と く伝達の場〉 という概念を設ける必要性につ いて触れておこう. その理由は次のとおり である. 生徒は地位の構造や伝達の場を直接的に経験す るのではない. 彼が直接的に経験するのは, あくまでも特定の教師と自分 との個々の教育上の関係 を規定している類別と枠づけの方法である‐ われわれの考え方によれば, 生徒は, このような個々 の教育上の関係の中での類別と枠づけにもとづく コー ドを習得していくなかで, それが表象してい るマクロの く地位の構造〉 と く伝達の場〉 , ひいては 〈権力の構造〉 と 〈統制の構造〉 とのつながり を習得していくのである」@ つまり, 「地位の構造」と「伝達の場」という概念は特定の教育コー ドが表象しているマクロな「地 「 「 位の構造」 と 「伝達の場」 , ひいては社会における 権力の構造」 と 統制の構造」 を生徒自身が内 在化していくメカニ ズムを分析するために設定されたの である. ここには, 明らかに, 学校の内部 の社会過程と外部の社会構造とのつながりを意識した概念設定の意図が見いだせる. いいかえれば, 「地位の構造」 と 「伝達の場」 の概念の導入は, 従来設定された教育コー ド理論の 問題領域を再整理するという 意味を有していた と把握することができる. つまり, 第一に, 従来, 教育 (知識) コー ドはフォ ーマルな教育知識の3つのメ ッセージ体系, すなわち, カリキュ ラム, 教授方法, 評価のあり方のうちに表現されているものとされていたが, 今やそれは 「地位の構造」 と 「伝達の場」 のうちに表現されているものとして位置づけ直されたと見なす ことができる. それ は, 教育コー ド概念が教育知識にのみ限定されたものでなくなっ たことと関連している‐ しかも, 第二に, 「地位の構造」 と 「伝達の場」 という分析概念を用いることによ って, 従来, 学校内部にお ける教師と生徒の間の問題に 限定されていた権力関係と統制の問題が, 社会におけるそれと結び付 くものとして位置づけ直されたととらえられる. したがって, 第三に, 教育コー ドが階級のあり方 とも容易に結び付けられるものとなっている.事実,「教育コー ドが維持し,再現しているものは…… 8 ( } 階級でぁ(り) , ……階級構造・階級関係が権力の分配方法と規制の原理を構成し規制している」 と されるのである‐ こう して, この論文において, 従前の教育コー ド理論において, 不明確であっ た概念が, より明 確化され, 十分に議論されていなかっ た問題領域が再整理されることによ って, 教育コー ド理論目 体力ゃ深化 し た も の に な っ た の で あ る.. 生産コー ドと教育コー ドの関連 しかし, ここでみた教育コー ド理論自体の深化は, す でに述べたように, 文化的再生産論の構築 という目的にそ って構成された点を忘れてはならない. それは新たに生産コー ドという概念が提示 第2節. され, 生産コー ドと教育コー ドの関連が問題にされている点に端的に示されている. バー ンステインによれば, 生産コー ドとは, 一定の生産様式のもとにおける生産の形式を規制す る原理である. それは, 学校を対象として構築された教育コー ド概念の考え方を, 生産の場に適応 させたものと理解することができる‐ 生産コー ドの概念は教育コー ド概念のアナロジーとして確立 されたといっ てもよい. それは, 生産コー ドのあり方が教育コー ドと同様, 類別と枠づけによっ て 決まるという 説明にも示されている. すなわち, 類別は, 生産の場においては, 社会的な分業に基 ・. 47.

(5) . 小 内. 透. づくさま ざまなカテ ゴリー (不熟練労働, 熟練労働, 技術, 管理, 経営の各層) 間の関係の原理と なる‐ そのカテ ゴリー間の関係は, 同じカテ ゴリーに属する成員 どう しの水平的関係と, 相異なる カテ ゴリーに属する人々の間の 垂直的関係の二つの側面を含ん でいる.「類別が強ければカテ ゴリー 間の関係は安定し, その区分も明確である‐ また, それぞれのカテ ゴリーに付随する機能も互いに 9 ( ) 類別が弱ければ その逆の特質が現れる 隔絶しており, カテ ゴリーの担い手の互換性は低い」 , . . これに対し, 枠づけは, カテ ゴリーの実現に加わる規制を指す概念である. 系列化された工程と単 純反復的な断片的作業を強いられる生産の様式が枠づけの強い生産の様式と捉えられ, 集団を 主体 とした協業に基づく生産の様式が枠づけの弱い生産様式とされる‐ しかし, この 生産コー ドの概念はもともと, 生産コー ド理論それ自体を独自に構築するために設 定されたもの ではない‐ それは, 教育コー ド理論の精微化それ自体がこの論文の 目的でないことと 全く同様である. 生産コー ドの概念はもともと文化的再生産論の 構築のために不可欠に 必要な概念 として設定されたものである. その意味で生産コー ド理論は文化的再生産論の一側面にしかす ぎな い‐ したがって, そこでは, 生産コー ドの概念によっ て生産の場を独自に分析するための理論を構 築することよりも, むしろ教育コー ドと生産コー ドの関連の分析を通して文化的再 生産のメカニ ズ ムを明らかに することの方が重要な問題であっ たといっ てよい. 事実, バーンステイ ンは生産コー ド独自の分析はこれ以上進めてはいない. むしろ, ①教育と生 産のシステム関係, ②教育と生産の類別という2つの側面から, それぞれ独自のコー ドを持つ教育 と生産の関係について, 考察を加えることに力 点をおいている. 教育と生産のシステム関係とは, 生産の側が教育に求める人員配分の割合, 技能や心理特性の形 成等に教育がどの程度答えているかという教育と生産の結び付きの様相を示している‐ もちろん, 「教育の様式と生産の様式とのシステム関係のあり 方にはさま ざまな ヴァリエーション があり得 「 制 る」 . しかし, それがどのようなかた ちになっ ていようとも, 階級を基礎にした権力の分配と統 の方法が一定の伝達/習得の 形式の存在を僕っ ては じめて確固たるものとなることに変 わりはな ( l o ) したがっ て い. 教育システムは, このようにして社会構造の支配の原理を維持するの である」 , . 教育と生産のシステム関係は一般には両者がほぼ大まかに対応した関係になっている. ただし, 生 産の側は望まないのに反抗的な生徒が創出され, 学校が非従順な労働者を創 出する場合もある‐ そ の場合, それは教育と生産のシステム関係の中で, 教育が相対的に自律していることを示す事態で あるとされる. 一方, 教育と生産の類別はその強さの程 度が重要になる‐「両者が強く類別されていれ ば, 教育の 場の原理や社会的文脈, 教育から得られる成果と, 生産の場の社会的文脈や過程, 生産から得られ { 1 1 } その場合 そう した状態を指し示すのに用いられるの が 「教 る成果が統合されることはない」 , , . 育の相対的自律性」 の概念である. したがっ て, 教育が相対的自律性を持っていれば, 生産の場の 原理が教育の場に直接的に持ち込まれること はない. その意味で,「教育の相対的自律性とは, 教育 1 2 ( } (傍 というカテ ゴリー と生産というカテ ゴリーの類別の強さに関係づけて定義される概念である」 点-原文) とみなされる. しかし, こうした教育と生産の関係に関する バーンステインの捉え方は, 十分に説得力を持つも の に は な っ て い な い.. 第一に, 教育と生産のシステム関係と教育と生産の間の類別という2つの側面の違いが, 十分に 理解 できるものになっていない‐ バー ンステインは, この両者を区別することが重要 であるとし, この両者の ヴァリエーショ ンの組合せによ って, ①類別が強く, システム関係 が単純な社会, ②類 別が強く, 複雑なシステム関係 の社会, ③類別が弱く, 複雑なシステム関係の社会の実例を示して 48.

(6) . B .バーンステインのコー ド理論の展開過程と問題点 (下). いる‐ にもかかわらず, 教育と生産のシステム関係と教育と生産の間の 類別という2つの側面の区 別は必ずしも明確ではない. なぜなら, 一般に, 教育と生産の間の類別が強いとき, 教育と生産の 対応性のないシステムが生まれ, 教育と生産の間の類別が弱いとき, 教育と生産が対応したシステ ムが生まれると考えられる からであり, それゆえ, 類別が強く, システム関係が単純な社会や類別 が弱く, 複雑なシステム関係の社会というイメージを抱くことは容易 ではないからである. 第二に, 2つの側面の違いの不明確さは, 相対的自律性の概念の位置づけに関して最も明確に現 れる‐ つまり, 教育の相対的自律性の概念は, 一方 で、 教育と生産の間の類別 の強さに関連した概 念として説明されている. しかし, 他方で, 教育と生産のシステムが対応しない場合の問題 を教育 の相対的自律性の問題として捉えている‐ そこでは, 明らかに, 相対的自律性の概念が2つの側面 の いず れ に も か か わ る も の と し て 使 用 さ れ て い る し か し, こ の 点 に 関 し て は ほ と ん ど 説 明 が な さ ‐. れておらず, 相対的自律性の概念の位置づけのあいまいさが教育と生産の システム関係と教育と生 産の間の類別という2つの側面の違いの不明確さをうきぼりに している‐ しかも, 第三に, 相対的自律性の概念が生まれる内在的根 拠が, 必ずしも明確に なっ ていないと いう問題もある. つまり, 教育と生産のシステム関係は, 一般には両者がほぼ大まかに対応した関 係になっ ていると考えられている‐ にもかかわらず, ときには, 教育と生産のあり方が対応 しない 場合もあるとして, それを教育の相対的自律性の概念 で説明しようとしている‐ たしかに, それは, アトキンソンのいうよう に, 学校が生産のあり方に完全に規定されるとする 「決定論」 を脱却する 1 3 } しかし どう して そうした事態 ために重要な意義をもつ概念であるという見方も可能である( , . , が生まれるのかに ついては十分に説明されていない‐ いいかえれば, 基本的には教育と生産のあり 方は対応関係にあるという原則があり, それからはずれる現実がある場合, それが生じる原因やメ カニ ズムは吟味せずに, それをすべて教育の相対的自 律性という概念で説明しようとしていると捉 えられる. その意味では, 基本原則で説明し得ない現実を, 基本原則そのものの 見直しではなく , 相対的自律性という概念を設定することによって処理し, 基本原則の正統性を擁護しようとしてい るとみなすこともできる‐ そこ では, 例外的な事実も含めた原則を構築する方向がさらに模索され る必要があるといえる. こう して, 「教育と生産の関係の諸相」において, 文化的再生産論の構築 を目指して, 教育コー ド 理論の深化と生産コー ドの概念の導入が行われ, 教育と生産の関係が検討さ れたが 教育と生産の , 関係は必ずしも十分 に 解 明 さ れ な か っ た と い え る‐ 第3節. コー ド理論の全体像 さらに, ここで問題となるのは, 既に完成されている社会言語コー ド理論がこの議論の中 では , 全く位置づけられていないという ことである いいかえれば 社会言語コー ド理論を含めたコー ド ‐ , 理論の全体像が問題となるといっ てよい そこ で, この点について バーン ステイン自身の考え方 . , を吟味してみよう‐ バーンステインは, 「教育と生産の 関係の諸相」 と同じ年に執筆 した 『教育伝達の社会学 (第2 』 版) の 「序説」 において, コー ド理論の全体像を説明している まず 彼は コー ド理論の一般的 , ‐ , 命題について, 以下のように 説明 している . 「その一般的命題 (注-コー ド理論の) は 次のような2 つの相関連した脈絡か ら成っ ている. , ( 1 ) 階級が家族内部のコミュニケーショ ン構造をいかに規制 し またその結果 子どもたちの当 , , 初の社会言語的なコー ド化の方向を いかに規制するか ‐ 2 ) 階級が, 教育における精密 コー ドの制度化, その伝達形式およ び その結果としての その現 ( , 49.

(7) . 小 内. 透. 実化の形 式をいかに規制するか. 2 ) ( )の間には, 重要な相互依存的な働きかけがあっ たことは明らかである. 家族により伝達 ……( 1 される精密コー ドの現実化はそ れ自体, 学校にお けるその伝達の 形式により規制されている. 精密 コー ドの階級的前提は教育知 識の類別と枠づけ, およ びそれらの類別や 枠づけが表現するイ デオロ 1 4 ) ( ギー に 見 出さ れる で あ ろ う」 . そ して, さ らに, こ れ ら の 命 題 を 分 析 す る 際 の 3 つ の レ ベ ル を 明 示 して い る.. すなわち, 分析のレ ベ ル1としてマ クロ一制 度的レベ ルをあ げる. この レベ ルでは家族と学校に 対する階級の影響に焦点をおく 分析と家族や学校におけるコー ド化の原則の獲得の検討が必要とな る. いいかえれば, これはコー ドの形成にとって重要な意義を持つ家族と学校に対して, 階級関係 1として伝達レ ベ ルを指摘す がどの様 な影響を与えているのかという間 鋤こなる‐ 次に分析レベ ル1 る‐ このレベ ルでは, 文化的再 生産に重要な意義を持つ象徴的システムの伝達諸機関, 主として家 族や学校の構 造の分析が中 心的な課題と なる. そこ での 基本的命題は 社会関係の構 造 がコミュニ ケーショ ンの原則を決定し, その結果, 意識形態の形 成が決定されるというものである. その際, 青況という操作的な概念が用いられる‐ 家族, 学校ともに, その分析にあたって類別と枠づけおよ び1 最後に, テクスト (構文) のレベ ルがレベ ル皿として設定される. ここでは, 特定の情況にお ける 特定のテクストの生産の分析 がおこなわれ, 精密コー ド変異体・限定コー ド変異体を通したテクス トの現実化に焦 点がおかれる. つまり, ここで, コー ドの現実化のあり方が, 具体的なテ クストの 生み出され方の分析によ って明らかにさ れる‐ こう して, コー ド理論の全体像が, 3つの分析レベ ルの図式化を通して, 明らかにされている. しかし, ここでの 説明はおおまかなデッサンの域をでていないというのが実状である‐ なぜなら, この図 式では, 生産コー ドの位置づけが不明確であり, 社会言語コー ドと教育コー ドそのものの関 連についても 必ずしも明確になっていないから である‐ しかし, それは, コー ド理論の全体像が精 級な形で描きき れていないということを意味しているだけではない. むしろ, それは, コー ド理論の全体像を描く 場合, 生産コー ド・教育コー ド・社 会言語コー ドと いう個々 のコー ドとその連関を厳密に検討することは必ずしも重要な問題ではないという認識が存 在していることをも意味している と考えられる‐ 事実, ここで描かれた図式は階級構造が諸コー ド に影響を 与え, その影響を受けたコー ドが家族と学校を通して伝 達され, そこで獲得したコー ドが 実際に現実化される 全体的なメカニ ズムを素描したものとして把 握することができる.したがっ て, 生産コー ド・教育コー ド‐社会言語コー ドという個々 のコー ドやその 関連ではなく, それらを貫く コー ドそのものの分 配・伝達・現実化の過程が問題とされていると受けとめること ができる. それ は, いいかえれば, 諸コー ドの連関を明 確にし個々のコー ド理論を統合することによっ て, コー ド 理論の全体像を明らかにするの ではなく, まっ たくあらたに文化的再生産論としてのコー ド理論の 体系を構想し, その中に従 来の諸コー ド理論を位置づけなおそうとしたために生じたことであると い え る.. こう して, バーンステインは, コー ド理論の全体像を, 文化的再生産論として 位置づけなおそう と して い る こ と が明 ら か に な る‐ し か し, 諸 コー ド理 論 の 関 連 自 体 が, 十分 に明確になっていない ため, コー ド理論の全体像を文化的再生産論として位置づけ直す試みは, 必ずしも成功していない と いえ る.. 第4節 文化的再生産論の体系化. 再生産論を体系化し 以上のような理 論展開をふまえ, バーンステインは, 近年, さらに, 文化的. 50.

(8) . B .バーンステインのコー ド理論の展開過程と問題点 (下). ようとする論文を執筆している‐ そこ では, 従来の社会言語コー ド・教育コー ド・生産コー ドの概 念はあまり見られなく なっ ており, この 朝こ大きな特徴が示されている‐ いいかえれば, 一度, 従 来の諸コー ド概念を離れて, 文化的再生産論を新しい角度から体系化しようとしているといっても i d ) の生産・分配・ よい‐ その場合, それは, 一つの文化としての 特定のテクストや言説 ( r s cou se 1 5 ( ) 伝達の過程を明確にするという形で進められている ‐ d i すなわち, バーンステインは特定のテクストや言説 ( ) の生産・分配・伝達の過程を 3 s cou r s e つ の 文 脈 か ら 把 握 し よ う と し て い る.. まず, 第一の文脈として バーンステインは言説の生産をとりあ げる‐ 言説の生産とは一つのテキ ストがその文脈の中で発展させられ位置づけられる過程を意味している‐ この文脈は, ブルデュー の言葉でいえば, 教育システムの ”知的な領域” を創造する. この領域とその歴史は, 教育の言説 や教育実践の再生産というよりむしろ, 生産から生ずる位置, 関係, 実践によって作り出されてい る. それは, 主として研究者によっ て担われる知的生産の過程であるといっ てよい‐ 次に第二の文 脈として, 言説の再生産の過程がある. 言説の再生産は, 主として教育機関において展開されてい る‐ そこでは, 第一の文脈において生産された言説が, 高等教育, 中等教育, 初等教育, 就学前教 育の様々 なレベ ルで, 教師の教育実践を通して選択的に再生産されている‐ そこで再生産される言 i i ldi t t ) と 特 定 の 秩 序, 関 係, 説は, 特定の能力の伝達に関する言説=教授言説 ( ns scourse ruc ona ivedi ) か ら な る 教 育 言 説 (pedを アイ デ ン テ ィ テ ィ の 伝 達 に 関 す る 言 説 = 規 制 言 説 ( re scourse を狽lat. i ) gogicd s cour s e. として把握される‐ その場合, 教授言説と規制言説の概念は, すでにみた学校の 手段的秩序・表出的秩序の概念のアナロジーとして理解することが できる‐ だが, 教師によっ て再 生産される言説は, す でに第一の文脈で生産された言説とは, 異なるものとなっ ている. なぜなら, 生産された言説が第三の文脈を通して位置づけなおされ, 変形されているからである. この第三の. 文脈を, バーンステインは再文脈化している文脈と名付ける. その場合, 第三の文脈は, 国家およ び地域の教育行政機関, 教員養成大学, 教育の特定のメディ アとその出版者, 他の教育現場や教師 に影響を及ぼしうる領域等々において展開される. それゆえ, ここに, 権力と統制のメカニ ズムが 1 6 } 明 確 に 介 在 す る こ と に な る と さ れ る{ ‐. したがっ て, 第一の文脈 (知的生産の場) で生産された言説が, 第三の文脈 (再文脈化する場) の中で変形され, それが教育実践をとおして教育現場の教師によ って, さらに変形された形で子供 たちに伝達されることになる(第二の文脈) . 真理としての知識が二重に変形されて伝達されること に な る の で あ る‐. こう してバーンステイ ンはこれま での諸コー ド理論の精級化から, 文化的再生産論の体系化に自 らの努力を移行させている. 事実, この段階においては, すでに社会言語コー ド・教育コー ド‐生 産コー ドという概念はあまり用いられなくなっている. その意味で, 文化的再生産論の体系化は諸 コー ド概念の位置を相対的に低下させたと 見なす ことができる. それは, 言語コー ド概念力や情況概 念の導入にともなっ て相対的にその位置づけを低下させたことと類似している‐ しかし, こうした事実は, コー ドそのものの意義が全く 失われたことを必ず しも意味していない ‐ な ぜ な ら, こ こ で 問 題 と さ れ て い る, 特 定 の テ ク ス ト や 言 説 (d i ) の 生 産.分 配. 伝 達 の 過 scourse. 1 7 ) それらの過程を 程をコー ドそのものの生産・分配・伝達の過程として把握することもできるし( , 規制している原理を, コー ドそのものの機能と見なすことも可能であるからである いいかえれば , . コー ド概念は文化的再生産にとっ て, 所与の前提として特別な地位を与 えられ, いわば絶対的な存 在, あるいは文化の生産-再生産 の過程を展開させる主体そのものに転化しているといっ てもよ 1 8 ) その意味において バーンステイ ンの文化的再生産論はコー ド理論の完成された姿を示すも い( . , 51.

(9) . 小 内. 透. のであるとみ なすこともできる のである.. 〔注〕 I ro ioが, C1 ” t i a鵠, Codes and Cont on and produc i tween educat lat ons be t i te s ofthe re n ( 1 ) Bems , B. Aspec 2ndedn Vo lwme3 . ,1977 , 97 7(萩原元昭訳 『教育伝達の社会学』 明治図書, 2ndedn 1 d n IVO t C 1 i B ne3 ro uc B ten 2 ( ) ems ,1 , , a器,Codesan Co , ‐ 頁 8 9 書 1 8 8~1 訳 1985 年) ‐ , ,. 3 ( ) 教育=文化的再生産という彼の認識は, 次のような論述に端的に示されている. 「教育と生産がはっきりと類別されていると, 教育の相対的自律性が確立する条件がみたされ, 生産に携わる 者と文化的再生産 (教育) に携わる者との分業 (権力の行使と統制に携わることとの分業) が成立する‐ 社会統 制に関する諸理論は, 文化的再生産を担う機関として制度化され, それぞれの時代の生産の社会的諸関係の中に 9頁) 組み込まれる‐一 (前掲訳書, バーンステイン 『教育伝達の社会学』 , 18 - 『 社会学』 (第2版) の 「序説」 において自 教育伝達の 題意織は 産論の構築という問 独自の文化的再生 4 ( ) こうした , ら述べているように, 彼がブルデューの主宰するヨーロッパ社会学センターに一時的な地位をえ, その機会に ブ ” i t e n ‐ ,B ルデューらの研究と自らの関心が相補的なものであると感じたことに基づいていると思われる (Bems 『 バー 教育伝達の社 ’ 1 7 7 ンステイン 9 d 前掲訳書 2nde n IVo l lnt iod,C1 t ro ume3 a器,Codesand Co n roduct , , , , { 5 ) 6 ) ( ( ) 7 8 ( ) ( ) 9 ( ) 1 0 ( n ) ( ) 1 2. 3頁) 会学』 , 22~2 同上, 19 5頁‐ 同 上, 192~194 頁-. 同上, 194頁. 同 上, 195 頁‐. 同上, 1 96頁. 同 上, 201 頁.. 03頁‐ 同上, 2 04頁. 同上, 2. in IBenl i te i lo l s i t o i esoc onto せ きけ ofBas t roduc , on :Anlnt tureand Reproduc c ( 1 め Atki nson ≦副age ,Stnl ,Lan ,P. 1 7 0 )1985 thuen (Me p . . ,. 1 4 ) 前掲訳書, バーンステイン 『教育伝達の社会学』 ( , 31頁‐. ia l ) ( i ed e ” n Appl lreproduc t l tura :a moder,i on . l i i t sofCu ,Soc i ,M‐ esandtheproces te ( 1 め Berns n ,moda ,B. Codes i B.“on pedagog i B c 2 t P l 9 8 e n )1 お よ び ems K l d R & a u L d t e a n i e e d ( u g l I R t o , C n o n g . and utura epro uc on , , o ion i lo hin the Soc o dR T を穿 of 取iucat , ) d i ed chardson scours ,in Ri . , .( , Handbook of heory an esearc P 9 8 5 参照 d )1 G e s s o o r r e e n w tpo忙,Conn (Wes . ‐ . , i t i B s te n . i .209~211 i t ‐ .c te ,1985 ,pp ( 1 め Be n l 1 l s ,B. ,op ‐351~353 . .c , およ び enl ,pp ,1982 ,B. ,op Q ) た と え ば, バー ン ステイ ン は 次の よう に 述べ て いる‐ 7. 「象徴的統制の領域における代理機関はコミュニケーションの特定の言説を規制している‐ すなわち, それら は社会諸関係, 意識, 配列の位置づけにおいて特殊化している支配的な広範囲にわたるコードと呼ばれうるもの. )‐ i in t te す べ てを 操 作 して いる」 (Bems .229~230 ‐ .c ,pp ,1985 ,op ,B‐ Atkinson . ,Pり op Q8 ) ア トキ ン ソン も バ ーン ステイ ン の 「コ ー ド」 概 念 が 主 体 化 して きて いる こ と を 指 摘 して いる ( 1 1 0 1 8 8 ) i t ~ c p p - , . -. 終章 コー ド理論の 意義と問題 点 生産論 以上の如く, バーンステインのコー ド理論は社会言語コー ド理論からはじまり, 文化的再 バー として 完成されつつ あることが明らかになっ た. それは, 社会言語コー ド理論にのみ注目して, 最後 ンステインの理論を理解しようとする 議論が不十分なものであることを示している‐ そこ で, 如くな にこれまで述べてきたことをふまえ, コー ド理論の全体を貫く 問題点をまとめると, 以下の 52.

(10) . B .バーンステインのコー ド理論の展開過程と問題点 (下). ろう. 第一に, コー ド理論の諸概念が, 理論の展開過程において 頻繁に変化しているということであ , る. つまり, 一度用いられた 概念が簡単に消滅し, 繰り返し新しい概念が設定され 一つの概念の , 規定が微妙に変化しているということである‐ もちろん, こう した事実は 一般に 一つの理論を , , 形成・発展させる場合, 多かれ少なかれ, 生じるものである しかし バーン ステインの場合 そ , . , れが頻繁に行われること, しかもそれが, 理論の本質に影響を与える形で行われる場合もあること 豹テに典型的にみられる) (言語コー ド理論から社会言語コー ド理論への移 ,彼の理論的な努力の集大成 ともいってよい独自の文化的再生産論を体系化しようとする現段階においてもそうした傾向が見られ ること -- これらの点で, 特異な姿を示している‐ ここに, 彼のコー ド理論の分かりにくさの原因 , またコー ド理論が誤って理解される原因の一端があるといえる これは シャー プが理論の 「未定 , ‐ 1 ( }という言葉で示したように 理論が未だに一定の完成したレ ベ ルにま で達していない 性」 ことを示 , して い る‐. ただし, 第二に, 一つだけ, 決して変化せず, 消滅しない概念がある それは 「コー ド」 の概念 .. であ る‐ も ち ろ ん, 「コ ー ド」 概 念 そ の も の は 社 会 言 語 コ ー ド・教 育 コ ー ド・生 産 コ ー ドを 貫 く 概 ,. 念であり, コー ド理論の根幹に関わる概念であるにもかかわらず 必ず しも明確に規定されていな , 2 ) しか い. した が っ て, ジ ャ ク ソ ン や 杉 尾 の よ う に 「コー ド」 概 念 の 不 明 確 さ を 指 摘 す る 者 も 多 い( .. ( 3 )と理解す し, アトキンソンのよう に 「コー ド」 概念を 「文化的要素の選択と結合を規制 するもの」 る論者も存在している. だが, いずれにしても, 「コー ド」 概念は一貫して社会言 語‐教育.生産の あり方を規定する最高の原理として生き続けていることも否定 できない事実である いいかえれば , . このことは, 「コー ド」 概念が文化的再生産に関わる全ての社会過程において 「絶対的存在」 として の 地 位 を 与 え ら れ て い る こ と を 意 味 し て い る そ こ では 「コ,一 ド」概 念 が ジ ャ ク ソ ン の い う 神 格 的 ‐ , な 実 体 に な っ て いる こ と, あ る い は ア ト キ ン ソ ン の い う 「コ ー ド」 の 主 体 化 が 進 ん で い る こ と を 示 ( 4 } い わ ば コ ー ド使 用 者 は 主 体 者 と し て の 地 位 を も ち え ず して い る と い っ て よ い. , ‐ , コ ー ドと いう 主. 体にとっ ての客体として措定されていると考えられる その意味で コー ド理論は次第に客観的観 ‐ , 念論としての傾向を強く してきており, バー ンステインのコー ド理論に大きな問題が内在化されて きているといえる◎ 第三に, 社会言語コー ド理論から教育コー ド理論を経由して彼独自の文化的再生産論の体系化を 目指すという理 論展開の中で, コー ド理論と彼の初発の問題意識である階級的不平等の再生産のメ カニズムとの関わりが, 次第に, わかりづらいものになっ てきたことを指摘する必要がある すな . わち, バーンステイ ンのコー ド理論は, 言語に着目した研究から始まっ た そこでの初発の問題意 ‐ 識は労働者階級の 子弟が教育の場 で成功することが困難 であるという現実が何によ っ てもたらされ ているのかという点にあった. 社会言語コー ド理論はこの点を言語と階級との関連という視角から 解きあかそうと したものである‐ しかし, 学校に着目した研究・教育コー ド理論の段階になると ,. 問題意識は学校における生徒の社会化過程の解明に変化し, 文化的再生産論の構築の段階ではブル. ブ ュ -の影響を受け, 独自の文化的再生産論を体系化し, その中に諸コー ド理論を位置づけ なおす こと自体が問題意識となった. そこには, 問題意識が確 実に抽象度の高いものになっていく過程が みられた‐ それにともなって, 文化的再生産論 として位置づけなおさ れたコー ド理論と初発の問題 意識である階級的不平 等の再生産のメカニ ズムとの関わりが むしろ不明確になっ てい たのであ っ , る‐ そこでは, むしろ, 初期の言語コー ド理論において みられた論理 いいかえれば一種の単純な , 文化的再生 産論 (彼自身, 言語コー ド理論を文化的再生産論 としては位置づけて いなかったが) の 論理の方が, 素朴ではあるが, 理解しやすいもの であっ た 皮肉なことに 自らが文化的再生産 論 ‐ , 53.

(11) . 小 内. 透. として 位置づけていなかっ た言語コー ド理論の方が, 意識的に構築しようとした文化的再 生産論よ りも, 階級的不平等の再 生産のメカニ ズムを明らかにするという点では明解 であっ たといえる‐ 第四に, コー ド理論全体を通じて, 理論を裏付けるための実証研究が欠如しているという問題を 指摘しておく 必要があろう. もちろん, 社会言語コー ド理論の構築を目指す段階においては, いく つかの 実験を行い, 彼自身それを実証的な裏付けとして位置づけていた‐ しかし, それは, 理論の 裏付けとなる有効な実験として見なすことができないものであっ た‐ そう した傾 向は, その後の学 校に着目した研究以降になると, より 一層顕著になっ た‐ ほとんど, 実証研究を伴わなく なったの である. こうした 彼の理論における実証的裏付けの弱さにつ いては, 言語コー ドに関する 実験の問 題も含めて彼自身、 一定の認識を有していた. しかし, 彼の場合, そうした 割こ関しては, それほ ど大きな問題を感じていなかったことも事実である. それは,「評拠は存在しないであろう‐ なぜな ら理論はめっ たに論ばくさ れないからだ‐ 理論は探究され, いっ そう単純で, いっ そう明瞭で, いっ 6 ( ) そう繊細で,いっそう一般的でかついっそう刺 激的な考えによっ て補充されるのだ」 という彼特 有 の理論観があったからである. そこには, 理論の有効性は首尾一貫し, 単純化された論理性そのも のに依拠しているという考えが存在している. それゆえ, ここからは, 実証的裏付けを確実なもの とするよりも, 論理性を追求することの方が有効だという考えがもたらされる. いいかえれば, こ のことが, 理論の展開過程の中で, 新しい概念と古い概念が入れ替えられ, 概念規定が変化させら れる一つの根拠に なっていると考えられる. その意味では, バー ンステインにとって, 実証的研究 はそもそも, それほど重要な意義を持っ ていなかっ たといってもよい‐ ていないの であろうか. それでは, バーンステイ ンのコー ド理論は, 積極的な意義をま ったく持っ ば 多くの批判もある. 彼のコー ド理論につ いては, すでに述べたように, きわめて高い評価もあれ , ま た, バ ー ン ス テイ ン 自 身 の い つ 単 た しか に, 理 論 が 現 実 を 反 映 した 妥 当 な も の に な っ て いる か,. な評価が強くならざる を 純で明 瞭な首尾一貫した理 論になっ ているかという 点から見ると, 否定的 てきた諸 問題やそ れを解明 しよ えない. しかし, コー ド理論の 展開過 程の中で明 らかに しようとし うとする視 点には大いに 学ぶべきものもある といえる‐ う非経済的・文化的要 すなわち, 第一に, 階級的不 平等の再生産の原因解明にあたって言語とい べき である. アメリカやイ ギリスに 因の問題が重要な意義を持つことを示唆 した点は大いに評価す であろう‐ おける補償教育の失 敗をふまえると, この 点の重要性は 容易に理解できる 的意味を, 社会構造・社 の社会 第二に, 日常生活において 自明な事象と考えられがちな言語活動 それは 社会と個 人の関係 会階級との関わりで吟味したこと自体も積 極的に評価する必要 があろう. 現代の社会構造の 中における個 性という 社会学にとっての根本問題を, 階級社会として規 定される 主体性を含めて) いかに して 人が, その社 会に特有の 主体性を (その社 会に特有の変革者と しての がゆえに, 見落とされがちな一つの 作り 上げていく のかという視点から議論する際に, 自明 である 視点を示唆したものとしてうけとめることが できる@ 内の社会過 程に分析のメス 第三に, 教育社 会学にとっ ての 「ブラッ ク・ ボッ クス」 として の学校 か たため, 十分 に 説得的 をいれたことである. たしかに, 彼の分析は実証研 究をともなっ ていな っ 学校内の社会過程 を問題に な分析にはなっ ていないし, 体系的な分析にもなっていない‐ しかし, 場 教育言説といっ た側面 する際に, 儀礼, カリキュ ラム, 教授方法, 評価, 地位の構造, 伝達の , 一端を示唆 したという点で を取り 上げることによっ て, 今後の研 究にとっ て問題にすべき諸側面の 評価すべきであろう. ようとしたことである‐ もち 第四に, 社会過程のミクロな構造とマクロな構造を統合的に解明し ド・セオリー化したという問題 ろん, これは, 同時に, 彼の理 論図式が次第に抽象度の高い グラン 54.

(12) . B‐バーンステインのコード理論の展開過程と問題点 (下). 点をはらんでいる‐ にもかかわらず, こう した課題は近年の教育社会学の分野において, とくに弱 い 点 であ る と いう こ と か ら み て, 重 要 な 意 義 を 持 っ て い る と い っ て よ い.. 以上のような意義は, もちろん, コー ド理論の有効性そのものを示すものではけっ してない. そ れは, コー ド理論の展開過程の中から教訓として学ぶべ き点であるといいかえてもよい. したがっ て, これらの点をふまえると, ここで述べたコー ド理論の意義を生かすことは, 今後の教育社会学 そのものの課題であり, それを浮き彫りにした点にコー ド理論の最も大きな意義があるといっ ても 過言ではないのである.. 〔注〕 l i i l i l t )1980 (新 井 秀明 ‐ edge ng edge & Kegan Paul ( 1 ) Sharp,R. oをw andthePo csofSchoo , 的ロowl ,ldeol ,(Rout 岩橋法雄‐植田健男・細井克彦共訳 『知識‐イデオロギー・教育政治』 杉山書店, 19 ) 4年 , 訳書, 6 8 3頁- ion Rev i 2 ( )1974 { ) Jackson,LPThemy ew,6 2 t hofanelaboratedcod(ヂ,HigherEducat ‐およ び杉 尾宏 「社 会化 , 『兵庫教育大学紀要』第5巻)1 論の再検討 -- B 9 85年, 参照. 」( ‐バーンスタィ ンの言語コード論を批判して ion:Anlnt i i lo i IBems in t t te tureand Reproduc o roduc ontothesoc ( 3 ) Atkinson,P. ruc き押 ofBas ,Lan罫iage ,St , (Me thuen )1985 .85 . ,p. ion Revi 2 )1974 ( 4 ) Jackson,L‐”Themythofanelaboratedcod ,Higher霞iucat ew,6 ‐およ び Atkinson ‐ ,( ,P‐ ,op i t c ‐ ‐180~181 - ,pp. ( 5 ) こうした問題の背景に, バーンステインの理論が基本的にデュルケームの社会学理論に依拠していたという点が あると思われる. 事実, 「コード」 の絶対化.主体化は個人に外在するデユルケームの 「集合意識」 の概念に負うと ころが大きいといえる‐ 彼が多用する概念の二分法的設定もデュルケームの機械的連帯と有機的連帯のアナロジー として把握することができる‐ もちろん, バーンステイン自身は, 自らの理論的な立脚点として,「私はマクロレベルでデュルケームとマルクス に依拠し, ミクロレベルではミー ドに依拠してきた」 (前掲訳書, バーンステイン『言語社会化論』 9頁)と述べ , 20 ている‐ しかし, 彼の理論や使用している概念からみると, 少なくともマルクスに依拠した理論として受けとめる ことはできない‐ それは, シャープのいうように彼の階級概念がきわめて操作的なものであるということからも容 「 易に理解できる (前掲訳書, シャープ 『知識・イデオロギー・教育政治』 , 78~87頁- なお, 今津孝次郎も バーン 『 『 ステインの言う 階級』 はむしろ 階層』 の意味だといってよい‐ したがって, マルクス主義の立場からはその階 級概念が批判されるのである」〈今津孝次郎 「バジール.バーンステイン」 『現代社会学』2 1号, アカデミア出版会, 1986 年, 112~113 頁〉 と して いる)‐. ただし, より厳密にいえば, アトキンソンの指摘するように, 近年のバーンステインはブルデューやフーコーら を通じて, デュルケームを源流とした近年のフランス構造主義思想の影響をきわめて強く受けるよう に なっ て き て i いる と いえる (Atkinson tりchapte ). r2 .c - ,お よ びchapter8 ,Pりop バー ( 6 ) 前掲訳書, ンステイン 『言語社会化論』 0頁. ,4 ( 7 ) 事実, こうした言語活動と階級の関係についての吟味は, 社会と個人の関係を階級論の立場から検討してきたマ ルクス主義階級論においても軽視されていたといわざるをえない‐. 〈参考文献1〉 -- バーンステインの論文・著作 ” i io l lde i io lr, Br i i lofSoc i lo 1 te ter t t )1958/ 1- Bems n r n nan sofper cept shJouma o ca ogi をW,9 ,( ,B‐ Somesoc C1a鵠,Codesand Cont I Vo l lmnel 〉 に収録/和訳: 「知覚の社会学的決定因」 (萩原元昭 ro un nel〈以下, Vo 訳 『言語社会化論』 明治図書, 1 98 ) 1〈以下, 『言語』〉 ‐. ” in i io l i lim i ionsofal ingu i i i i te t t 2‐ Bems cl an罫lage:somesoc og ca cat s cf omn” shjoumalof ,B‐ A publ ,Br 『言語』 Soc i 4 lumelに収録/和訳: 「共用言語 )1959/Vo ol o ) 言語形式の社会学的意味 き四,IQ( 」( . ”Soc in B i k l l l D i L K l i i i ia d ず Z h 貧f s i l dS I te t t t 3- Bems t u o u u u r e e e e r ・ n n a n e n n n r r e s eme 0 e e e s c r o z o o eu n o z g ‐ , , Psycho ia li int io l logi 1 i tedby He )(Spec )1959 e s sue oを評 oftheSchooL z ‐ ,P. ,on 伍e soc ,4 ,( ,ed in ia lc l i i i lo 3 l te ミ逗’ t )1960/Vo 4‐ Bems a shJoumalofSoc o umelに収録/和 をw,11 ,B三Lan罫lageandsoc ,Br ,(. 『言語』 訳二 「言語と社会階級」 ( ) ‐. 55.

(13) . 小 内. 透. ” i i t ” sh l e l dren e chi i .,Br i .and opi t ,P ew of The Loreand LanguageofSchoo ,1 e n 5‐ Ben・ s ,by opi ,B. A rev 『 「 『 ) 0/Vo l lofSo 1 2 9 6 i l )1 jouma un ne 目こ収録/和訳: 児童の伝承と言語』 の書評」 ( 言語』. o o c ≦専,1 ,( “ ld l ofCh i j i l proce i l a softhesoc a ミ ヌ sな jom, s t i ea z コ コ ngin the gene anguageand1 te sof1 rns 6‐ Be n , B. Aspec 6 4 9 1 P h i 1 t ( )1 lo d Psycho r s c a n a y y きw . ,, 3 )1961 IResearch i i g’ Ed cat ’ ia ona ‐ dl ,( ,3 ls ture t in luc te s 7. Ben・ ,languagean ean]n , u ,B/ Soc ’ ’i Ha l oud i 1 1 i sey f n n a 1 n h , e g ’ ’ 1 o soca ’F1 i ,A・日. deve nt:at eo 1 i i 1 γ t m e d o 1 , i l s c p n B S a n in g u a c a$ te o c s 1 1 ・ 8. Be ,・ 6 1 1 9 l l i M ) l l i a n C a c m L d e r‐ . i n o t ( n o dS o i ) , on , J , &;onomyan ocey ,Educat .& Anderson,C.A.(eds 1 )1962/ ” n l l igencぜ,Lan罫lageandSpeech,5 te i i tat i t in onphenomenaandin ,( te s ccodes 9. Be rns をmi ,hes ,B. Li 『 「 言語 ) 知能 ( Vo いいよどみ現象及び 言語コード l 』. umelに収録/和訳: 」 , h 5( 4 dS )1962/ ” ia l i le i i ements’ lc l t ca in s ccodesandgrammat B n a熊,l te ≦副i 10 ,Lan罫〆agean peec , , ,B. Soc . ems 『言語』 ) ( Vo 文法要素 lumelに収録/和訳: 「社会階級, 言語コード 」 ‐ , ’ ’in Gmmperz ” aborated andres insandsomecons lor ig S i equence i i a rsoc t tedcodes:the , in r c B1 , te 11 1 1 s ,B. E1 . e i 6 6 t2 l t ( ) A h i t i A o o s i par n n r o me rca p g , 6 Ethnography ofCommuncaton T h D , H d ) , , & e ( J m e s e s J , y . , , ‐. 1i i a s 潟uel964 spec . 1 io loを胃,15 )1964 lofSoc “ i i i t shJouma temsandpsychothe . rapゾ’ l lc B in ,( te as s a 12 ,Br ,speechsys ,B. Soc . ems fthe in su P ” d l d e o i i G 1 ( ) l w e n i ll y ht e o u ≦ 里 i i nご n i l i e am A t os o c a i B r B o a c t s ca . . o- n s o c p p 3 e n , 1‐ ems , . 圭醜 , , lumelに収録/和訳:「社会的学習に対する社会言語学 th )1965/Vo i n Soc i ISc ences a ,Pen郡i ,(Harmondswor. 『言語』 ) 的ア プローチ」 (. . ’ ’ l ldcon t ro i ternsofmatemalandchi d id th di oが and“Pat rat in , B te 14 ,B.& Cook,JPCo nggr : eoryan ope ‐ erns l )1965 ld e & KeganPau R t L d il i i . z ‐Gmnper nCook chs2and5i . ,J ,SociaIControlandSoca zaton,( on on, ou e g i i tant i “ S s ion”Journalofthe A祭 at onofA様 oc f ionineducat ; i t dd in saf ec B s te 15 ,B‐ Sourcesofconsensusan ‐ en. l 3 〈以下, Vo IVo l n ne3〉 に 収 録 /和 訳: 「教 育に お け u C dC t C 1 d l n e 1 7 1 9 6 6 n r o u sa n o Mi 1 / a 鮎 o e t ( ) s res ses , , , ) 98 5〈以下, 『教育』〉 る合意と離反の起源」 (萩原元昭訳 『教育伝達の社会学』 明治図書, 1 .. l ive “ l turede ionofcu ture l redtothe ec t ndt s s hi th d l ransmi l f in B s te 16 ,B. 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Asoc . e l則ne W i 1 9 7 har ton ) 1/Vo Hol Ri t& k N Y t n s i i io l i n e s t ( i i i o r D e w d t n s c s D.& Gumper ( ) s o c e c o n n ≦ m j e s r z , , , , ,.. 『言語』 ) lに収録/和訳: 「社会化に対する社会言語学的ア プローチ」 ( ‐. l tTrendsin ) ta eds l i iod’ ia l n Abramson ia lc zat B i te .( a器,lan .A.e n ,Ct口ren 27 ≦mageandsoc ,S ,i ,B三Soc . ems 『言語』 「 社会化 V l 言語 1 9 7 l 和訳: 社会階級 M ton )1 / oume に収録/ t i Li 」( t erdam, ou n s cs , ≦mi , ,(Ams ,12. ) 80 および力ラベル・ハルゼー 『教育と社会変動』 下, 東京大学出版会, 19 ‐. i i i IStud ol ogyofLanguage t l l estowardsa Soc ca in umel:Theore Bl ro , te as s 28 l . s ,Vo ,CodesandCont ,B- ,C1 ‐ e. 56.

参照

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