Title
置県後の沖縄の海上交通について
Author(s)
金城, 功
Citation
沖縄史料編集所紀要(2): 30-55
Issue Date
1977-03-31
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/7630
Rights
沖縄県沖縄史料編集所
置
県
後
の
沖
縄
の
海
上
交
通
に
つ
い
て
金
城
功
周 囲 海 に か こ ま れ た 離 島 と し て の 沖 縄 に と っ て 、 海 上 の 交 通 は 沖 縄 県 民 の 生 活 に 深 く か か わ っ て い る 。 生 活 に 必 要 な 物 資 の 移 入 、 県 内 で 産 出 す る 産 物 の 移 出 は 海 上 の 輸 送 に た よ ら ね ば な ら な い 。 ま た 、 離 島 を 多 く か か え た 本 県 の 県 内 に お け る 離 島 と の 交 通 、 物 資 の 輸 送 も 船 に た よ ら ね ば な ら な か っ た 。 交 通 の 途 絶 え は 離 島 に 住 む 人 々 の 生 活 に じ か に 影 響 を 与 え た 。 こ の 小 稿 で は 、 廃 藩 置 県 以 降 の 他 県 と 沖 縄 間 の 海 上 交 通 や 沖 縄 本 島 と 離 島 間 の 海 上 交 通 が ど の よ う な 状 態 で あ っ た か を 概 観 す る 。 と 共 に 、 『 沖 縄 県 史 』 1 ( 通 史 ) の 「 第 四 章 ・ 第 6 節 諸 産 業 の 発 達 」 の 「 交 通 ・ 通 信 」 の 項 を 補 足 す る こ と を も 念 頭 に お い て 記 述 す る こ と に す る 。 一30一
二
琉 球 藩 か ら 引 継 い だ 蒸 汽 船 大 有 丸 が 就 航 し て い た と は い え 、 不 定 期 で あ っ た 。 県 内 に 定 期 航 路 と し て 蒸 汽 船 が 就 航 し た の は 明 治 二 十 年 代 以 降 の こ と で あ っ た 。 蒸 汽 船 が 就 航 し て も 、 当 初 は 就 航 回 数 が す く な い 上 に 、 特 定 地( 1 ) 域 に 限 ら れ て い た た め 、 海 上 の 物 資 輸 送 に は 多 く 山 原 船 が 利 用 さ れ た 。 山 原 船 は 沖 縄 本 島 ・ 離 島 の 津 々 浦 々 に 寄 港 し 、 そ の 土 地 の 産 物 を 積 み こ み 主 に 那 覇 港 ・ 与 那 原 港 に 運 ん だ 。 山 原 船 で 輸 送 さ れ た 物 は 次 の よ う な も の で あ っ た 。 那 覇 港 ・ 与 那 原 港 か ら 積 み 出 さ れ た の は 、 離 島 や 本 島 僻 遠 の 地 国 頭 の 人 々 の 生 活 に 必 要 な 、 米 で あ り 、 素 麺 で あ り 、 泡 盛 で あ り 、 板 材 等 で あ っ た 。 中 頭 ・ 国 頭 ・ 各 離 島 か ら 運 搬 さ れ て く る の は 薪 木 、 竹 材 、 木 炭 、 木 材 、 茅 、 黒 糖 等 が 主 な も の で あ っ た 。 山 原 船 積 載 の 荷 物 に つ い て 遭 難 し た 山 原 船 の 荷 物 を み る と 、 前 述 し た よ う な 荷 物 を 山 原 船 が 積 載 し て い た こ と ( 2 ) が わ か る 。 明 治 三 十 四 年 一 月 か ら 十 二 月 ま で の 与 那 原 港 に お け る 移 出 入 を み る と 次 の と お り で あ る 。 移 出 高 焼 酎 五 二 、 五 〇 〇 合 茶 七 、 九 四 八 斤 素 麺 一 三 、 二 九 五 斤 昆 布 七 五 八 斤 白 米 五 四 八 、 三 〇 〇 合 食 塩 一 、 八 〇 〇 合 大 豆 一 、 八 五 〇 合 石 油 九 、 二 〇 〇 合 石 炭 四 、 九 〇 〇 合 味 噌 三 、 七 〇 〇 合 甘 藷 一 五 二 、 七 四 〇 斤 豚 二 六 頭 船 舶 数 一 、 四 五 二 隻 移 入 高 薪 木 三 六 四 八 、 七 七 七 丸 イ ー ク 木 五 〇 本 雑 キ チ ニ 、 九 七 一 本 真 竹 一 四 、 八 〇 三 個 竹 茅 三 、 ○ 〇 五 束 木 炭 八 八 個 樽 板 一 六 五 、 五 〇 〇 枚 製 藍 二 五 筑 エ リ ッ ス 四 〇 、 一 二 二 個 砂 糖 一 、 七 三 八 挺 島 餅 二 七 個 船 舶 数 一 、 四 五 七 隻 ( 『 琉 球 新 報 』 明 治 三 十 五 ・ 一 ・ + 七 ) 二 、 三 の 『 村 史 ( 誌 ) 』 か ら 山 原 船 で 運 ば れ た 荷 物 に つ い て ぬ き 出 し て み る と 、 次 の と お り で あ る 。 『 北 谷 村 誌 』 に よ る と 、 桑 江 港 に は 国 頭 地 方 か ら 材 木 、 薪 炭 類 、 竹 茅 が 搬 入 さ れ 、 近 隣 の 黒 糖 を 那 覇 へ 積 み 出 し た と い う 。 比 謝 川 下 流 の 渡 具 地 港 へ は 国 頭 の 各 地 、 大 島 か ら 材 木 、 薪 炭 、 家 畜 が 、 那 覇 か ら は 日 用 雑 貨 類 が は こ ば れ て き た 。 近 隣 の 村 々 の 砂 糖 、 農 産 物 が 那 覇 へ 積 み だ さ れ た 。 日 用 雑 貨 、 家 畜 、 農 産 物 の 輸 送 の た め 山 原 船 一 31一
で に ぎ わ っ た 渡 具 地 港 も 一 九 一 七 年 ( 大 正 六 ) 県 営 鉄 道 嘉 手 納 線 の 開 通 で 、 日 用 雑 貨 、 砂 糖 そ の 他 農 産 物 類 が 陸 上 運 送 さ れ る よ う に な っ た た め 出 入 り の 船 も す く な く な っ た 。 そ の 後 も 、 渡 具 地 港 へ は 大 島 方 面 か ら 家 畜 が 山 原 船 で 移 入 さ れ 、 昭 和 の 初 期 の 頃 ま で 家 畜 市 が ひ ら か れ る こ と が あ っ た 。 『 今 帰 仁 村 史 』 に よ る と 、 今 帰 仁 村 に お い て も 大 正 の 末 ま で は 、 山 原 船 に よ っ て 運 輸 が 随 時 な さ れ て い た と い う 。 湧 川 の 港 か ら は 薪 炭 類 が さ か ん に 積 み だ さ れ た と い う こ と で あ る 。 与 那 原 港 に つ い て は 、 『 島 尻 郡 史 』 に つ ぎ の よ う に か か れ て い る 。 … … 与 那 原 と 中 頭 郡 各 離 島 及 び 国 頭 郡 の 東 部 及 大 島 と の 間 に 帆 船 の 航 行 が あ っ て 、 中 頭 郡 の 各 離 島 よ り は 農 産 物 、 海 産 物 を 国 頭 郡 よ り は 農 産 物 薪 炭 材 木 大 島 よ り は 材 木 を 移 入 し 、 与 那 原 よ り 米 、 酒 、 雑 貨 を 移 出 … … ( 九 〇 ぺ … ジ ) 蒸 汽 船 の 就 航 し て な い 離 島 往 還 の 山 原 船 は 別 と し て 、 沖 縄 本 島 の 沿 岸 を 航 海 し て い る ほ と ん ど の 山 原 船 は 客 を の せ な か っ た 。 山 原 船 は 荷 物 を 専 門 に 風 に ま か せ て 運 ん で い た 。 山 原 船 は 帆 船 で あ る た め 、 そ の 日 そ の 日 の 風 向 き に 影 響 さ れ た の で 、 目 的 地 に 予 定 通 り 着 く か ど う か の 保 障 も で き な い 面 が あ っ た 。 二 、 三 日 の 日 程 の と こ ろ を そ の 時 の 風 向 き に よ っ て は 一 週 間 も か か る こ と が あ っ た 。 与 那 原 港 と 国 頭 郡 海 岸 の 各 村 と の 山 原 船 に よ る 往 復 は 最 も 近 い 所 で 三 、 四 日 、 遠 い 所 で 一 、 二 週 間 を 要 し た と 『 琉 球 新 報 』 ( 明 治 三 + 五 ・ 七 ・ 二 + 九 ) は 報 じ て い る 。 中 頭 国 頭 方 面 の 人 々 に よ っ て 、 山 原 船 で 那 覇 方 面 に で る よ り は 、 陸 路 を 利 用 し た 方 が よ か っ た こ と に な る 。 『 伊 是 名 村 誌 』 に よ る と 、 伊 是 名 ・ 那 覇 間 の 一 航 海 で 好 調 の 場 合 で 一 〇 日 、 一 五 日 を 要 し 、 ど う か す る と 二 〇 日 を 越 す の も 珍 ら し く な か っ た と い う こ と で あ る 。 『 琉 大 史 学 』 第 三 号 ( 名 嘉 真 宜 勝 「 山 原 船 」) に は 国 頭 の 奥 か ら 那 覇 の 泊 ま で 二 〇 日 以 上 の 日 数 を 要 し た と 記 載 さ れ て い る 。 一32一
蒸 汽 船 、 石 油 発 動 機 船 の 就 航 に よ っ て 、 山 原 船 の 海 上 交 通 に 占 め る 役 割 は 減 退 し て い っ た 。 が 、 沖 縄 戦 突 入 の 頃 ま で 、 沖 縄 沿 岸 航 路 に は な お 多 く の 山 原 船 が 就 航 し 、 貨 物 の 輸 送 に あ た っ て い た 。 平 安 座 島 あ た り で は 、 沖 縄 戦 後 の 昭 和 二 十 五 、 六 年 頃 ま で 山 原 船 が み ら れ た と い う こ と で あ る ( 前 川 守 夫 「 私 と 民 俗 学 」 『 沖 縄 民 俗 』 一 〇 号 ) 。 沖 縄 本 島 の 東 海 岸 側 で は 、 海 上 の 交 通 機 関 と し て 、 昭 和 に な っ て も 山 原 船 が 利 用 さ れ て い た こ と が 第 1 表 が 示 し て い る 。 『 島 尻 郡 誌 』 掲 載 の 表 で あ る 。 年 代 の 明 示 は な い が 、 大 正 末 期 か ら 昭 和 初 期 の も の だ と お も わ れ る 。 記 載 さ れ て い る 以 外 に も 動 力 に よ る 船 が 航 海 し て い た で あ ろ う か ら 、 そ の 表 か ら だ け で は 直 接 に 東 海 岸 側 に 発 動 機 船 の 就 航 が な か っ た と は い い き れ な い 。 が 、 西 海 岸 側 に く ら べ 帆 船 ( 山 原 船 ) の 海 上 交 通 に 占 め て い た 割 合 の 大 き か っ た こ と は い え る と 思 う 。 貨 物 の 輸 送 に あ た る 山 原 船 は 、 運 賃 制 度 を と ら ず 買 積 制 度 を と っ て い た 。 山 原 で そ の 土 地 の 産 物 を 買 石 油 発 動 機 船 帆 船 伝 馬 船 那 覇 港 と の 間 を 航 海 す る 発 動 機 船 名 糸 満 ○ ○ 三 具 志 頭 ○ 一 一 玉 城 ○ ○ 一 佐 敷 ○ 四 ○ 大 里 ○ 一 九 八 渡 嘉 敷 一 ○ 一 座 間 味 一 ○ 一 航 安 丸 二 二 噸 四 六 馬 力 具 志 川 一 ○ 四 名 護 丸 五 〇 馬 力 仲 里 一 ○ 四 第 目 名 護 丸 三 〇 噸 四 ③ 馬 力 渡 名 喜 一 ○ 一 渡 名 喜 丸 二 〇 噸 二 五 馬 力 粟 国 二 ○ 一 一 心 丸 二 六 噸 二 五 馬 力 米 島 丸 三 〇 噸 伊 平 屋 } ○ 五 伊 福 丸 計 八 二 四 三 〇 第 1 表 海 上 交 通 機 関 ( 島 尻 郡 ) し 一33一 9
取 り そ れ を 中 南 部 に 運 ん で 売 り さ ば き 、 山 原 の 地 で 必 要 な 日 用 雑 貨 類 を 那 覇 で 買 入 れ て 山 原 で 売 り 利 潤 を あ げ て 、 い た ( 名 嘉 真 宜 勝 「 山 原 船 」 『 琉 大 史 学 』 第 三 号 、 国 吉 真 永 「 遥 か な る 山 原 船 」 『 青 い 海 』 甑 57 参 照 ) 。 山 原 船 の 乗 組 員 は 反 帆 数 に よ っ て 差 は あ ’. た が 、 普 通 三 、 四 名 で あ っ た 。
三
前 項 で 述 べ た よ う に 山 原 船 は 、 津 々 浦 々 に そ の 姿 を あ ら わ し 、 そ の 地 で 品 物 の 売 買 を お こ な い 風 に の っ て 去 っ て い っ た 。 そ の よ う な 山 原 船 が 沖 縄 戦 突 入 の 頃 ま で は 多 数 み う け ら れ た も の で あ る 。 海 上 交 通 を 帆 船 に た よ っ て い た 沖 縄 の 海 に 置 県 後 海 上 交 通 機 関 と し て 、 蒸 汽 船 や 石 油 発 動 機 船 が 姿 を あ ら わ し た 。 山 原 船 に か わ っ て 客 貨 の 輸 送 に あ た る よ う に な っ た 。 動 力 船 の 県 内 就 航 を ひ ろ い あ げ て み る と 次 の と お り で あ る 。 日 本 郡 ( 八 重 山 郡 ー 注 ) の 航 路 は 、 明 治 + 五 年 頃 沖 縄 開 運 会 社 が 航 路 を 鳴 〆 − … ( 『 町 制 志 年 記 念 石 垣 町 誌 』 四 六 〇 ペ ー ジ ) 県 は 大 有 丸 を 同 社 ( 開 運 会 社 の こ と 1 注 ) に 転 托 し 或 条 件 の も と に 先 島 航 路 に 向 け る こ と に し た 。 ( 島 袋 源 一 郎 『 新 版 沖 縄 案 内 』 七 ニ ペ ド ジ )口
所
謂
先
島
三
地
方
鋒
鹸
難
鳩
ヲ
侭
一
巡
視
セ
ラ
レ
ン
コ
ト
ヲ
約
セ
ラ
ル
然
ト
モ
当
時
偶
々
先
島
通
行
ノ
汽
讐
効
丸
該
島 へ 渡 航 中 二 際 ス ル ヲ 以 テ … … ( 『 沖 縄 県 史 』 11 五 五 ペ ー ジ ) 口 ( 明 治 二 + 九 年 ) 開 運 会 社 所 有 の 第 三 運 輸 丸 ( 百 噸 ) が 政 府 よ り 参 千 円 の 補 助 を 受 け て 那 覇 名 護 間 及 離 島 命 令 航 路 を 受 け て 其 の 濫 膓 と … … ( 島 袋 源 一 郎 『 新 版 沖 縄 案 内 』 八 一 ∼ 八 ニ ペ ー ジ ) 明 治 二 十 九 年 第 三 運 輸 丸 が 名 護 に 巨 体 を 運 ん だ … … ( 比 嘉 宇 太 郎 『 名 護 海 運 史 話 』 一 四 ぺ ; ジ ) 一一 34 一四 ( 大 阪 台 湾 線 を ) 明 治 二 十 九 年 五 月 一 日 よ り 命 令 航 路 と し て 開 設 し 、 汽 船 三 隻 を 以 毎 月 三 航 海 … … 。 寄 港 地 は 神 戸 ・ 鹿 児 島 ・ 大 島 ・ 沖 縄 で 、 内 一 回 は 門 司 ・ 長 崎 二 二 角 ・ 八 重 山 に 寄 港 し 、 就 航 船 と し て 須 磨 丸 ・ 明 石 丸 ・ 舞 鶴 丸 が 使 用 さ れ た 。 ( 『 大 阪 商 船 株 式 会 社 五 + 年 史 』 二 二 三 ぺ … ジ ) ㈲ 然 れ ど も 皆 是 れ 山 原 船 の み に し て 未 だ 文 明 の 利 器 を 用 ふ る に 至 ら ず 且 港 湾 一 般 に 浅 く 巨 船 を 繋 留 す べ き も の 只 大 浦 湾 あ る の み 。 … … 近 頃 金 武 与 那 原 間 石 油 発 動 機 船 の 往 来 あ り 。 ( 津 縄 県 国 頭 郡 志 』 大 正 八 年 刊 一 五 ペ ー ジ ) ← の こ と か ら 置 県 後 間 も な く 県 内 の 一 部 の 航 路 に 蒸 汽 船 が 使 用 さ れ て い た こ と が わ か る 。 使 用 さ れ て い た 大 有 丸 は 藩 制 時 代 に 政 府 か ら 下 附 さ れ た 船 で 、 廃 藩 置 県 の と き に 県 が 引 継 い だ 蒸 汽 船 で あ っ た 。 一 時 三 菱 会 社 が 使 用 し て い た が 、 明 治 十 五 年 に 鹿 児 島 県 人 林 が 開 運 会 社 を 設 立 し た の で 、 県 は 大 有 丸 を 三 菱 会 社 か ら ひ き と り 、 開 ( 4 ) 運 会 社 に 下 附 し 、 先 島 航 路 に 就 航 さ せ た 。 が 、 那 覇 先 島 間 を 月 何 往 復 し て い た の か 定 か で な い 。 ま た 、 開 運 会 社 が ど の よ う な 条 件 で 、 何 年 頃 ま で 大 有 丸 を 先 島 航 路 に 就 航 さ せ て い た の か 、 今 の と こ ろ 確 認 で き な い 。 ま た 、 口 の 『 沖 縄 県 史 』 11 に は 、 上 杉 県 令 一 行 が 久 米 島 経 由 先 島 へ 渡 航 し た 際 に 利 用 し た 汽 船 は 、 先 島 通 行 の 貫 効 丸 で あ っ た と 記 さ れ て い る 。 置 県 後 、 大 有 丸 は 既 述 の よ う に 県 が ゆ ず り う け て 、 先 島 ・ 久 米 島 ・ 伊 平 屋 島 等 の 諸 島 に 就 航 さ せ て い た 。 そ の 大 有 丸 を 明 治 十 四 年 に 三 菱 会 社 に 下 渡 し 、 三 菱 会 社 は 大 有 丸 の 代 船 と し て 貫 効 丸 ( 号 ) を 就 航 さ せ た 。 貫 効 丸 は 那 覇 港 を 定 繋 港 と し て 、 久 米 島 ・ 先 島 ・ 伊 平 屋 島 へ 航 海 し た 。 そ の あ い 間 を ぬ っ て 、 鳥 島 や 大 島 を 経 由 し て 、 鹿 児 島 に 航 海 す る こ と も あ っ た 。 明 治 十 五 年 三 菱 会 社 が 貫 効 丸 を ひ き あ げ る こ と に な っ た の で 、 県 は 同 年 に 大 有 丸 の 下 げ 渡 し を 申 請 し 、 そ れ を 一35一
ゆ ず り う け 鹿 児 島 県 人 林 に そ れ を ま か せ て 運 航 さ せ た 。 大 有 丸 が 開 運 会 社 の 手 で 、 沖 縄 の 各 離 島 ・ 鹿 児 島 問 に 就 航 す る よ う に な っ た の は 、 明 治 十 六 年 で あ っ た 。 大 有 丸 が 就 航 す る 前 に 一 時 筑 紫 丸 が 就 航 し て い た 。 政 府 は 置 県 後 、 郵 便 船 と し て 汽 船 を 先 島 や 久 米 島 ・ 伊 平 屋 島 に 就 航 さ せ て い た 。 が 、 航 海 が の び て し ま う こ と が 多 く 、 た め に 他 に 与 え る 影 響 が 大 き か っ た よ う で あ る 。 『 沖 縄 県 史 』 11 ( 上 杉 県 令 関 係 臼 誌 ) に よ る と 、 明 治 十 四 年 に は 、 一 月 以 降 七 月 十 九 日 に い た る ま で 、 先 島 へ は 「 只 二 回 之 回 航 二 過 キ ス 依 之 諸 事 相 滞 」 ( 三 三 七 ぺ ー ジ ) る あ り さ ま で あ っ た 。 県 内 離 島 に 就 航 し て い る 貫 効 丸 の 航 海 が 延 引 す れ ば 、 先 島 離 島 の 諸 事 に 影 響 を 与 え る の で 、 本 土 那 覇 間 に 就 航 し て い る 郵 便 船 を 先 島 に 回 航 さ せ て ほ し い 旨 、 県 は 政 府 に 要 請 も し た (『 沖 縄 県 史 』 11 三 一 二 七 ペ ー ジ 参 照 ) 。 先 島 ・ 離 島 へ の 蒸 汽 船 の 航 海 は 不 定 期 で あ っ た よ う だ 。 先 島 へ 汽 船 が 月 一 、 二 回 航 海 す る よ う に な っ た の は 、 大 阪 商 船 株 式 会 社 が 台 湾 航 路 を 開 設 し 、 広 運 会 社 が 先 島 へ 汽 船 を 就 航 さ せ る よ う に な っ て 後 の こ と で あ る 。 前 掲 四 の 史 料 か ら 、 大 阪 商 船 株 式 会 社 が 明 治 二 十 九 年 五 月 以 降 大 阪 台 湾 線 を 開 設 し 、 毎 月 三 航 海 を お こ な い 、 う ち 一 回 の 寄 港 地 と し て 八 重 山 が 選 ば れ 、 明 石 丸 や 須 磨 丸 が 那 覇 ・ 台 湾 間 の 航 海 中 寄 港 す る よ う に な っ た 。 そ の 後 、 先 島 航 路 に は 広 運 会 社 の 船 も 就 航 す る よ う に な る が 、 先 島 航 路 に 多 く 就 航 し て い た の は 大 阪 商 船 の 汽 船 で あ っ た 。 前 掲 の 史 料 日 に も あ る よ う に 、 開 運 会 社 は 政 府 よ り 三 〇 〇 〇 円 の 補 助 を 受 け て 、 那 覇 を 起 点 に し て 、 名 護 . 本 部 ・ 久 米 島 ・ 慶 良 間 ・ 渡 名 喜 ・ 粟 国 ・ 伊 江 島 ・ 伊 平 屋 間 の 航 路 に 蒸 汽 船 を 就 航 さ せ て い た 。 明 治 二 十 九 年 、 第 三 運 輸 丸 が は じ め て 那 覇 ・ 名 護 間 の 航 路 に 就 航 し た 。 第 三 運 輸 丸 は 、 那 覇 ・ 名 護 間 の 航 路 に 主 に 就 航 し 、 時 に は 本 部 ・ 伊 江 島 ・ 伊 平 屋 へ と 航 路 を の ば し た 。 『 仲 里 村 誌 』 ( 六 〇 ペ ー ジ ) に よ る と 、 久 米 島 へ は 年 間 一 八 回 の 義 務 就 一36一
置 県 後 の 沖 縄 の 海 上 交 通 に つ い て 航 で あ っ た と い う 。 ニ ケ 月 に 三 回 の 割 で 汽 船 が 就 航 し て い た こ と に な る 。 那 覇 港 を 中 心 に し て 、 東 シ ナ 海 に う か ぶ 離 島 へ は 年 に 僅 か な 回 数 で あ れ 、 汽 船 が 就 航 し て い た が 、 太 平 洋 側 で は 前 掲 圃 の 史 料 か ら み る と 、 動 力 船 が 就 航 す る の は か な り お く れ 、 大 正 の 世 に な っ て か ら で あ る こ と が わ か る 。 那 覇 港 を 起 点 に し て 、 先 島 ・ 久 米 島 ・ 伊 平 屋 島 等 へ は 置 県 後 汽 船 が 就 航 し て い た の に 、 太 平 洋 側 へ の 汽 船 ( 動 力 船 ) の 就 航 が お く れ た の は 気 に な る こ と で あ る 。 海 上 交 通 に お け る ア ン バ ラ ン ス が で て き た の は 、 経 済 的 な 面 も さ る こ と な が ら 、 行 政 上 の 面 か ら の 配 慮 が 大 き か っ た の で は な か ろ う か 。 先 島 ・ 久 米 島 ・ 伊 平 屋 島 等 に は 島 を あ ず か る 行 政 機 関 が あ り 、 県 行 政 を 末 端 に ゆ き わ た ら せ る た め に は 、 そ れ ら の 機 関 と の 緊 密 な 連 絡 が 必 要 で あ っ た た め で は な か ろ う か 。 そ の た め に 、 蒸 汽 船 を 置 県 後 早 々 に 就 航 さ せ た も の と お も わ れ る 。 四 県 内 航 路 の 那 覇 ・ 名 護 間 の 航 路 に 蒸 汽 船 第 三 運 輸 丸 が 就 航 し た の は 明 治 二 十 九 年 で あ っ た 。 第 三 運 輸 丸 の 所 有 ら 社 開 運 会 社 は 明 治 十 五 年 に 鹿 児 島 県 人 林 等 に よ っ て 設 立 さ れ 、 明 治 四 十 年 に 解 散 し た 。 明 治 三 十 年 頃 、 沖 縄 航 路 に 進 出 し て い た 鹿 児 島 汽 船 株 式 会 社 ( 開 運 会 社 の 航 路 権 を 譲 り う け た 時 に は 、 鹿 児 島 郵 船 株 式 会 社 と な っ て い た ) が 開 運 会 社 の 解 散 後 そ の 航 路 権 を 譲 り う け 名 護 航 路 に 汽 船 を 就 航 さ せ た 。 明 治 三 十 九 年 頃 か ら 古 賀 辰 四 郎 所 有 の 汽 船 辰 島 丸 ( 後 に 三 浦 丸 と 改 称 ) が 就 航 し 、 第 三 運 輸 丸 と 覇 を き そ っ た 。 が 、 三 浦 丸 も 明 治 四 十 三 年 十 月 に 遭 難 し 多 く の 犠 牲 者 を 出 し た 。 鹿 児 島 郵 船 は 、 「 国 頭 郡 の 物 資 集 散 を 独 占 す る 名 護 航 路 は 荷 客 共 に 豊 富 で 相 当 大 型 の 汽 船 で も 採 算 が 採 れ る と い う し ( 比 嘉 宇 太 郎 『 名 護 海 運 史 話 』 一 二 ∼ 二 二 ペ ー ジ ) 考 え と 、 三 浦 丸 遭 難 後 名 護 航 路 独 占 を 考 え て 第 三 運 輸 丸 の 外 一37一
に 海 城 丸 を 、 後 に 名 草 丸 を 配 し た 。 名 護 航 路 に は 、 鹿 児 島 郵 船 の 運 輸 丸 と 名 草 丸 が 交 互 に 運 航 し て い た 。 ( 6 ) 大 正 三 年 頃 、 鹿 児 島 県 の 人 浜 崎 藤 四 郎 が は じ め て 石 油 発 動 機 船 で 今 帰 仁 の 炬 港 と 那 覇 間 を 航 行 し た 。 『 名 護 海 運 史 話 』. で 浜 崎 汽 船 会 社 と 呼 ん で い る の は 、 浜 崎 藤 四 郎 設 立 の 会 社 だ と お も わ れ る 。 そ の 会 社 が 鹿 児 島 郵 船 株 式 会 社 の 独 占 航 路 で あ っ た 名 護 航 路 に 、 経 済 的 な 発 動 機 船 を 就 航 さ せ る こ と に よ っ て 競 争 が 展 開 さ れ た 。 そ の 時 期 を 、 『 名 護 海 運 史 話 』 で は 、 大 正 二 年 と し て い る 。 大 正 二 年 の 初 期 に 、 本 部 ・ A 7 帰 仁 ・ 伊 平 屋 へ 運 航 し て い た 海 運 丸 が 浜 崎 汽 飴 } の 持 船 で あ れ ば 、 浜 崎 汽 船 の 発 動 機 船 が 北 部 へ 就 航 し た の は 大 正 二 年 か 元 年 と い う こ と に な ろ う 。 が 、 名 護 航 路 で 浜 崎 汽 船 と 鹿 児 島 郵 船 が し の ぎ を け ず る よ う に な っ た の は 第 2 表 か ら し て 、 大 正 三 年 以 降 だ と い え る 。 浜 崎 汽 船 の 名 護 丸 の 就 航 状 況 を 第 2 表 か ら み る と 、 一 日 こ し に 那 覇 ・ 名 護 問 を 運 航 し て い た こ と が わ か る 。 鹿 児 島 郵 船 の 名 草 丸 ・ 運 輸 丸 も そ れ ぞ れ 月 一 〇 回 程 の 航 海 を し て お り 、 那 覇 名 護 間 に は 毎 日 汽 船 ( 機 船 ) が 運 航 し て ( 7 ) い た こ と に な る 。 両 社 の 競 争 の 中 へ 、 山 五 運 送 店 が 割 り こ み 、 名 護 航 路 で は 三 社 問 で 貨 客 の 奪 い 合 い が お こ な わ れ た 。 そ の た め 、 運 賃 値 下 げ が お こ な わ れ 、 大 型 汽 船 を 配 し て い た 郵 船 会 社 は 営 業 不 振 に お ち い り 、 営 業 を 縮 少 し 、 大 正 五 年 に は 名 草 丸 を 鹿 児 島 に 売 却 し た 。 山 五 運 送 も 競 争 に や ぶ れ 大 正 六 年 名 護 航 路 を 放 棄 し た 。 大 正 四 、 五 年 頃 、 名 護 航 路 で は 鹿 児 島 郵 船 、 ・ 浜 崎 汽 船 、 山 五 運 送 が 三 巴 に な っ て 競 争 を 演 じ て い た 。 競 争 の 結 果 、 運 賃 は 途 方 も な く 安 く な っ た 。 そ の こ と に つ い て 、 『 名 護 海 運 史 話 』 は 、 「 艀 船 賃 一 〇 銭 の も の を 三 銭 貰 っ て お 負 に 本 船 賃 も 取 ら ず 、 船 上 で は 之 等 の 無 賃 客 を サ ー ビ ス す る 」 状 況 で あ っ た と 、 記 し て い る 。 那 覇 ・ 名 護 間 ( 9 ) の 旅 客 賃 は 、 二 〇 〇 ト ン ク ラ ス の 蒸 汽 船 で 五 銭 、 三 、 四 〇 ト ン の 発 動 機 船 で 三 銭 と い う あ り さ ま で あ っ た 。 旅 客 は 船 の 優 劣 等 は 黙 殺 し て 運 賃 の 安 い 船 に 乗 っ た と い う 。 そ の 結 果 が 、 三 銭 、 五 銭 と い う と て つ も な い 安 い 運 賃 と 一38一
「
置 県 後 の 沖 縄 の 海 上 交 通 に つ い て 第 2 表 月 毎 の 船 の 航 海 回 数 \ 画 月 、\ 大正 大正 2年 3年 1 2 3 4 5 6 7 8 9 1011 12 1 2 3 4 5 6 7 8 9 101112 名 丸 草 7 5 6 6 6 8 9 7 8 3 9 7 10 8 7 9 7 3 0 0 2 1110 6 運 丸 輸 8 7 8 10 8 8 ’3 12 11 5 10 8 11 6 10 6 13 7 1 2 5 1010 8 1 名 護 行 名 丸 護 3 151313151210 渡 久 丸 地 2 5 久 米 丸 島 4 名 丸 草 4 4 5 5 4 4 5 4 5 1 4 4 5 4 5 3 7 3 4 3 4 久 米 島 行 運 丸 輸 2 1 3 1 3 2 2 1 1 海 丸 運 4 1 本 丸 部 3 8 名 丸 草 1 1 2 1 1 1 伊 名 4 謹 塞 森 運 丸 輸 3 1 1 2 2 1 1 1 2 2 2 1 2 1 2 1 1 2 1 2 3 2 1 名 丸 草 1 1 1 1 蝶 鑛 国 運 丸 輸 1 3 3 2 1 1 1 2 2 2 1 2 2 2 1 2 1 1 2 2 2 1 2 伊 本 江 部 本 丸 部 備 考 ① 名 草 丸 ,運 輸 丸 は,鹿 児 島 郵 船 の 持 船 で あ り, 他 は 浜 崎 汽 船 の 持 船 と お も わ れ る, ② 新 聞 に で て い る 那 覇 港 に お け る 汽 船 の 発 着 広 告 を も と に 作 成. 表 に 記 載 さ れ て な い 機 船 が 運 航 し て い た こ と も 新 聞 記 事 か ら う か が え る. ③ 大 正 3 年 の 6 月 ∼ 9 月 間 は 名 草 丸 , 運 輸 丸 の 定 期 検 査.
な っ た 。 第 2 表 か ら 、 大 正 三 年 の 後 半 を み る と 、 那 覇 ・ 名 護 間 の 月 々 の 航 海 回 数 が 二 〇 回 、 時 に は 三 〇 回 を こ え て い る こ と が わ か る 。 と に か く 毎 日 の よ う に 那 覇 ・ 名 護 聞 に 汽 船 や 発 動 機 船 が 走 っ て い た こ と に な る 。 乗 客 が い か ほ ど い た か は お さ え ら れ な い が 、 毎 日 多 数 の 客 が い た と は お も え な い 。 そ の 上 、 山 五 運 送 が 加 わ り 競 争 は 激 化 し て い っ た 。 競 争 の 激 化 は 、 安 全 性 を 眼 中 に お か な い で 航 海 し た た め 船 の 事 故 が お き た 。 大 正 五 年 に は 浜 崎 汽 船 の 伊 江 丸 の 船 火 事 が あ り 、 大 正 六 年 に は 明 治 二 十 九 年 以 来 就 航 し て い た 第 三 運 輸 丸 も 遭 難 し た 。 そ の 頃 か ら 那 覇 ・ 名 護 間 に 自 動 車 運 輸 が 開 け た の で 、 自 動 車 を 利 用 す る 客 も ふ え た 。 そ れ で も 、 な お 海 上 交 通 は 大 衆 の 交 通 機 関 と し て 利 用 は さ れ て い た も の の 年 々 陸 上 交 通 機 関 に 客 を う ば わ れ た 。 そ の こ と に つ い て 『 名 護 海 運 史 話 』 は 次 の よ う に の べ て い る 。 自 動 車 等 の 隆 盛 、 二 三 日 も 前 に 申 込 ま な い と 乗 車 で き な か っ た 。 … … 此 の 趨 勢 に は 汽 船 会 社 も 諦 め が つ い た も の か 旅 客 に 対 す る 執 心 を 捨 て 、 営 業 方 針 も 貨 物 運 送 を 主 眼 に お い た 。 ( 三 ニ ペ ー ジ ) 前 記 三 社 が 競 争 を 演 じ お 互 に 傷 つ い た 後 の 那 覇 ・ 名 護 間 の 航 路 の 推 移 を 『 名 護 海 運 史 話 』 か ら ま と め る と 、 次 の と お り で あ る ( 詳 し く は 、 比 嘉 宇 太 郎 『 名 護 海 運 史 話 』 お よ び 『 名 護 町 六 百 年 史 』 を 参 照 ) 。 、 大 正 八 年 一 月 、 国 頭 運 送 株 式 会 社 が 設 立 さ れ 、 鹿 児 島 郵 船 か ら 国 頭 丸 ( 大 正 六 年 に 遭 難 し た 第 二 蓮 輸 丸 の 機 関 を 使 用 し て で き た 汽 船 ) と 航 路 権 を 譲 り 受 け 、 そ の 外 に 浜 崎 汽 船 の 名 護 丸 を 加 え 、 二 隻 で 航 路 を 継 続 し た が 、 会 社 設 立 の 際 の 債 務 が 大 き か っ た た め 、 会 社 経 営 は 当 初 か ら 苦 し か っ た 。 国 頭 運 送 会 社 の 松 田 な る 男 は 、 大 正 十 三 年 七 月 国 頭 運 送 を 飛 び 出 し て 、 松 田 運 送 店 を 開 店 し 、 龍 宮 丸 を 誘 致 し て 個 頭 運 送 と 競 っ た 。 大 正 十 四 年 の 春 か ら 、 丸 三 商 会 は 松 田 運 送 店 と 結 ん で 優 秀 船 弁 天 丸 ( 百 六 + ト ン ) を 名 護 専 用 航 路 に 配 し 、 那 覇 。 一40一
置 県 後 の 沖 縄 の 海 上 交 通 に つ い て 名 護 間 日 帰 り 航 海 を 企 画 し た た め 、 陸 上 交 通 機 関 に よ っ て い た 客 が 汽 船 へ と 流 れ た 。 弁 天 丸 の 出 現 で 、 国 頭 運 送 は 致 命 傷 を 受 け た 。 な お 、 自 動 車 業 者 へ の 影 響 も 大 き か っ た と い う 。 国 頭 運 送 は 、 大 正 十 四 年 十 二 月 野 間 裕 史 の 手 中 に 入 り 、 翌 十 五 年 丸 三 商 会 の 弁 天 丸 、 久 米 島 運 送 を 併 合 し て 沖 縄 汽 船 を 名 乗 っ た 。 荷 主 で あ る 名 護 商 人 と 沖 縄 汽 船 と の 間 で 運 賃 に つ い て 物 議 を か も し た た め 、 名 護 商 人 は 独 自 の 運 送 業 を は じ め る 企 画 を た て た 。 昭 和 に な り 、 仲 宗 根 運 送 店 が 設 立 さ れ 、 船 を チ ャ … タ ー し て 運 送 に あ た っ た が 、 お も わ し く な か っ た 。 名 護 商 人 は 浜 崎 汽 船 に 支 援 を 与 え 、 名 護 航 路 に 誘 致 し た 。 昭 和 二 年 七 月 、 沖 縄 汽 船 会 社 は 浜 崎 汽 船 会 社 と 航 路 協 定 を 結 び 、 名 護 航 路 は 浜 崎 汽 船 に 譲 っ た 。 沖 縄 汽 船 は 久 米 島 航 路 に そ の 営 業 を 集 中 し た が 営 業 は お も わ し く な か っ た 。 昭 和 六 年 設 立 さ れ た 沖 縄 近 海 汽 船 株 式 会 社 に 、 沖 縄 汽 船 の 業 務 は う け つ が れ た 。 名 護 商 人 を バ ッ ク に し た 仲 宗 根 運 送 店 が 独 自 に 運 輸 業 を 開 始 し た の と 、 沖 縄 近 海 汽 船 の 優 秀 船 の 名 護 航 路 へ の 配 船 に よ っ て 、 浜 崎 汽 船 は は さ み う ち に あ い 昭 和 九 年 一 月 つ い に 名 護 海 岸 に あ っ た 営 業 所 を 引 き 払 っ た 。 優 秀 船 が 就 航 す る と 、 陸 上 の 交 通 機 関 を 利 用 し て い た 客 を 吸 引 す る こ と は で き た が 、 長 く は つ づ か な か っ た 。 自 動 車 運 輸 の 発 達 は 名 護 航 路 就 航 の 船 を 貨 物 輸 送 用 へ と お し や っ て し ま っ た 。 名 護 商 人 等 は 県 外 航 路 の 汽 船 を も 誘 致 し て 、 那 覇 を 経 ず に 直 接 名 護 で の 取 引 き を も 考 え て い た 。
五
本 島 厨 辺 の 離 島 へ の 汽 船 の 航 海 も 置 県 後 間 も な く 開 始 さ れ た の は 既 述 の と お り で あ る 。 置 県 の 際 県 に 引 継 が れ た 大 有 丸 や そ の 代 替 船 で あ っ た 貫 効 丸 が 郵 便 汽 船 と し て 就 航 し て い た が 、 航 海 回 数 と し て は 僅 か な も の で あ っ た 一41一と お も わ れ る 。 一 、 ニ ケ 月 に 一 回 航 海 で き れ ば い い 方 で は な か う た ろ う か 。 前 に も ふ れ た が 、 先 島 を 例 に と る と 六 、 七 ケ 月 間 で た っ た 二 回 の 航 海 し か な か っ た と い う こ と も あ っ た 。 た め に 、 お の ず と 帆 船 に た よ る 確 率 が 高 く な っ た 。 そ の こ と に つ い て 「 那 覇 と の 交 通 は 明 治 時 代 に な っ て も 相 変 ら ず 山 原 船 で あ っ た 。 」 と 『 仲 里 村 誌 』 に は か か れ て い る 。 開 運 会 社 が 命 令 航 路 を 受 命 し 、 第 三 運 輸 丸 を 就 航 さ せ た の が 、 明 治 二 十 九 年 で あ っ た 。 第 三 運 輸 丸 は 那 覇 . 名 護 問 に 就 航 す る と と も に 、 久 米 島 、 慶 良 間 、 粟 国 、 渡 名 喜 の 各 離 島 へ も 就 航 し た 。 一 方 、 名 護 航 路 を 延 長 し て 、 本 部 、 伊 江 島 、 伊 平 屋 島 へ も 就 航 し た 。 鳥 島 へ も た ま に 航 海 し 年 一 回 程 度 先 島 へ の 航 海 も 義 務 づ け ら れ て い た 。 『 仲 里 村 誌 』 に よ る と 、 久 米 島 へ の 義 務 航 海 回 数 は 年 間 一 八 回 、 ニ ケ 月 に 三 回 の 割 合 で あ っ た と い う 。 大 正 に は い り 、 名 草 丸 が 名 護 航 路 ・ 久 米 島 航 路 に 就 航 す る よ う に な , っ て 、 航 海 回 数 は 増 加 し た ( 第 2 表 − 三 九 ペ ー ジ 参 照 )。 蒸 汽 船 、 石 油 発 動 機 船 が 那 覇 ・ 久 米 島 間 に 就 航 し て い た と は い え 、 薪 木 や ワ ラ 、 砂 糖 樽 や 砂 糖 を 積 む た め に 山 原 船 も 航 海 し て い た 。 大 正 初 期 の 久 米 島 航 路 に つ い て 『 伸 里 村 誌 』 は 次 の よ う に の べ て い る 。 久 米 島 航 路 は 大 正 の 初 め 頃 名 草 丸 が 運 輸 丸 に 代 っ た が 、 そ の 後 一 州 丸 ( 三 一 〇 噸 ) が こ れ に 代 り 、 運 輸 丸 は 那 覇 ・ 名 護 間 に 就 航 し て い た が 、 … … 大 正 六 年 四 月 か ら 一 州 丸 に 代 っ て 高 知 丸 が 就 航 す る よ う に な っ た 。 高 知 丸 は 沖 縄 近 海 汽 船 会 社 の 船 で 三 〇 六 噸 、 年 間 三 十 六 回 ( 月 三 回 ) の 義 務 就 航 で 、 政 府 の 補 助 金 も 運 輸 丸 の 頃 よ り 遥 か に 増 額 さ れ 、 お っ て 名 護 丸 ・ 亀 津 丸 等 も 就 航 す る よ う に な っ て 、 不 便 は 幾 分 緩 和 さ れ た 。 ( 六 〇 ぺ … ジ ) 先 島 へ は 前 に も ふ れ た よ う に 、 大 有 丸 と そ の 代 船 で あ っ た 貫 効 丸 が 三 菱 会 社 の 手 で 就 航 し て い た 。 が 、 明 治 十 五 年 開 運 会 社 の 設 立 に よ っ て 、 大 有 丸 が 開 運 会 社 の 手 で 経 営 さ れ る よ う に な り 先 島 へ も 就 航 し た 。 そ の 大 有 丸 も ( 10 ) 明 治 三 十 一 年 頃 ま で は 先 島 へ 航 海 し て い た よ う で あ る 。 ま た 、 明 治 二 十 八 年 よ り 広 運 会 社 の 広 運 丸 も 回 航 さ れ る 一42一
「
置 県 後 の 沖 縄 の 海 上 交 通 に つ い て よ う に な っ た 。 そ の 上 、 二 十 九 年 よ り は 大 阪 商 船 の 汽 船 も 寄 港 す る よ う に な っ た 。 開 運 、 広 運 、 大 阪 商 船 所 属 の 汽 船 の 寄 港 に よ っ て 、 各 会 社 の 取 扱 所 や 出 張 所 が 設 置 さ れ 面 ) 。 が 、 那 覇 ・ 先 島 問 の 汽 船 の 航 海 は い た っ て す く な か っ た よ う で あ る 。 明 治 三 十 一 年 六 月 三 日 の 『 琉 球 新 報 』 は 次 の よ う な 記 事 を か か げ 、 帆 船 を 就 航 さ せ る 旨 し る し て い る 。 ( 那 覇 ・ 先 島 問 ) の 定 期 航 海 船 ハ こ れ ま て 郵 船 会 社 の 汽 船 を 以 て 月 一 回 は 必 ず 航 海 す る こ と と な り 居 り し が … : ・ 朝 近 右 定 期 船 往 来 至 て 稀 な り け れ ば 両 島 人 民 特 に 商 人 な ど に 於 て は 大 に 不 便 を 感 じ 居 た り し 程 な る が 柳 元 平 エ 衛 氏 に は 今 右 航 路 の 便 利 を 謀 ら ん が 為 め 西 洋 風 走 船 第 八 号 伊 勢 丸 を 以 て 今 後 引 続 き 月 二 回 程 航 海 せ し む る こ と を 定 め … … 右 の 引 用 資 料 中 「 定 期 航 海 船 ハ こ れ ま て 郵 船 会 社 」 云 々 と で て い る と こ ろ を み る と 、 日 本 郵 船 の 汽 船 が 明 治 三 十 一 年 の 初 め 頃 ま で は 航 海 し て い た こ と に な る 。 明 治 三 十 一 、 二 年 頃 、 先 島 へ 航 海 し て い た 汽 船 は 『 琉 球 新 報 』 の 汽 船 発 着 広 告 や 記 事 か ら す る と 、 十 指 に あ ま る 。 が 、 郵 船 会 社 の 広 告 や 所 属 船 の 記 事 が で て こ な い の で 、 果 し て 明 治 三 十 一 年 の 初 め 頃 ま で 郵 船 会 社 の 船 が 航 海 し て い た か ど う か 気 に な る が 、 明 治 三 十 一 年 三 月 頃 ま で 、 日 本 郵 船 は 沖 縄 に お け る 航 路 権 を 保 持 し て い た こ と を 考 え る と 、 月 一 回 の 割 で 航 海 し て い た で あ ろ う と お し は か ら れ は す る が 、 A 7 の と こ ろ は っ き り し た こ と は い え な い 。 先 島 へ は 、 本 土 ・ 那 覇 問 の 航 路 の 延 長 と し て 航 海 す る こ と が あ り 、 ま た 大 阪 商 船 の 汽 船 は 台 湾 へ の 往 来 に 途 中 先 島 に 寄 港 し て い た 。 が 、 浅 田 回 漕 店 扱 い の 金 州 丸 と 開 運 会 社 の 仁 寿 丸 は 那 覇 先 島 問 に 主 に 就 航 し て い た 。 金 州 丸 と 仁 寿 丸 に つ い て 、 『 琉 球 新 報 』 ( 明 治 三 ± 二 ・ 九 ・ 三 ) は 次 の よ う に 報 じ て い る 。 二 一 二 年 前 造 は 先 島 を 航 海 す る 汽 船 は 一 ケ 年 に 僅 か 四 五 回 に 過 き ざ り し も 近 頃 は 仁 寿 丸 と 金 州 丸 の 両 汽 船 が 毎 一43一月 二 、 三 回 の 航 海 を な し 且 つ 又 荷 客 に 付 て も 互 に 競 争 を な し 居 る 故 先 島 航 海 を な す も の 又 は 全 地 の 商 人 に は 最 も 便 利 を 与 へ 居 る と 云 ふ ま た 、 明 治 三 十 六 年 の 『 沖 縄 県 統 計 書 』 に よ れ ば 、 沖 縄 県 の 離 島 航 路 は 次 の よ う な 状 況 で あ っ た 。 八 重 山 宮 古 諸 島 其 他 本 島 附 近 ノ 離 島 ハ 政 府 ノ 保 護 二 属 ス ル 汽 船 ヲ 以 テ 一 箇 月 一 回 ノ 定 期 航 海 ヲ ナ セ リ 最 低 一 ケ 月 一 回 の 航 海 の 確 保 は 政 府 も 施 策 の 中 に い れ て い た こ と に な る 。 勿 論 、 こ れ ま で み て き た よ う に 政 府 の 補 助 を 受 け て な い 船 の 航 海 も あ っ た こ と 故 、 明 治 三 十 六 年 頃 に な る と 一 ケ 月 一 回 の 航 海 と は 限 ら な か っ た よ う で あ る 。 船 会 社 間 の 競 争 、 整 理 統 合 が お こ な わ れ 、 や が て 先 島 航 路 は 大 阪 商 船 が 独 占 し 、 受 命 航 路 と し て 、 那 覇 よ り 宮 古 の 漂 水 港 を 経 て 石 垣 港 に 至 り 、 更 に 西 表 を 経 て 台 湾 の 基 隆 に 至 る も の で 、 月 四 航 海 、 湖 南 丸 。 湖 北 丸 と 云 ふ 二 千 七 百 噸 の 近 海 航 路 の 大 型 優 秀 船 が 就 航 し て … … (『 町 制 十 周 年 記 念 石 垣 町 誌 』 〈 昭 和 十 年 〉 四 九 五 ペ ー ジ ) い た 。 大 正 も 半 ば 以 降 に な る と 、 先 島 航 路 は 県 内 離 島 航 路 と し て と ら え る よ り は 、 台 湾 航 路 の 一 環 と し て と ら え た 方 が よ い と 思 っ て い る 。 八 重 山 の 人 々 の 台 湾 へ の 出 稼 ぎ と も 深 く か か わ っ て く る の で は な か ろ う か 。 大 正 も 十 年 以 降 に な る と 、 離 島 や 国 頭 郡 の 僻 遠 の 地 で は 、 村 が 村 有 船 を も っ て 、 直 接 自 分 の 村 と 那 覇 と を 結 び つ け る よ う に な っ た 。 客 の 輸 送 は 勿 論 の こ と 、 地 方 の 生 産 物 や 日 用 雑 貨 の 輸 送 に あ た っ た 。 大 宜 味 村 の 例 を と る と 、 村 有 船 大 宜 味 丸 が 昭 和 十 九 年 の 米 軍 の 空 襲 で 撃 破 さ れ る ま で 、 大 宜 味 と 那 覇 の 間 を 月 五 、 六 回 往 復 し て 、 貨 客 を 運 ん で い た 。 一44一
占
ノ 、 本 土 沖 縄 間 の 航 路 に は 、 大 阪 商 船 、 日 本 郵 船 、 沖 縄 広 運 、 沖 縄 親 睦 会 ( 後 に 鹿 児 島 汽 船 株 式 会 社 を 設 立 )、 後 に 鹿 児 島 郵 船 の 会 社 が 汽 船 を 就 航 さ せ て い た 。 そ れ ら の 会 社 以 外 も 臨 時 に 船 を 就 航 さ せ て い た の で 、 か な り の 船 が 就 航 し て い た よ う で あ る 。 沖 縄 航 路 に 汽 船 を 就 航 さ せ て い た 各 社 は 互 に 競 争 し 、 同 盟 を 結 び 他 を 排 し 、 他 を 合 併 し 、 沖 縄 航 路 に 確 固 た る 地 位 を 築 い た の は 大 阪 商 船 株 式 会 社 で あ っ た 。 本 項 で は 、 大 阪 商 船 株 式 会 社 の 沖 縄 航 路 進 出 を 中 心 に し て 、 本 土 沖 縄 問 の 海 上 交 通 に つ い て の べ る こ と に す る 。 廃 藩 置 県 後 、 政 府 は 沖 縄 へ 汽 船 を 配 し た 。 汽 船 の 就 航 と は い え 商 船 と し て で は な く 、 郵 便 船 と し て 、 月 一 、 二 回 程 度 の 航 海 で あ っ た 。 政 府 の 補 助 の も と で 三 菱 会 社 の 船 が そ の 任 に あ た っ て い た 。 置 県 後 、 郵 便 汽 船 と し て 、 黄 龍 号 、 赤 龍 号 、 社 寮 号 等 が 就 航 し て い た こ と が 『 沖 縄 県 史 』 11 ( 上 杉 県 令 関 係 日 誌 ) に よ っ て わ か る 。 沖 縄 を 一 県 と し て 位 置 づ け た 政 府 は 、 政 府 の 意 向 を 伝 達 す る た め の 一 手 段 と し て 、 本 土 か ら 遠 く は な れ て い た 交 通 不 便 な 沖 縄 に 郵 便 汽 船 を 航 海 さ せ た も の と お も え る 。 沖 縄 県 と 政 府 と の 連 絡 、 文 書 の や り と り 等 は 一 ケ 月 一 回 か 二 回 の 郵 便 汽 船 に た よ ら ね ば な ら な か っ た 。 那 覇 港 へ 入 港 し た 郵 便 汽 船 は 県 の 都 合 で 五 日 間 の 滞 船 を 命 ず る こ と が で き る ( 2 圭 ) よ う に と り は か ら れ て い た 。 そ の よ う な 措 置 に よ っ て 、 離 島 県 た る 交 通 不 便 な 沖 縄 県 と の 連 絡 を 密 に し よ う と は か っ て い た の で は な か ろ う か 。 置 県 後 し ば ら く の 問 は 、 三 菱 会 社 の 船 が 郵 船 汽 船 と し て 本 土 沖 縄 間 と 先 島 離 島 へ 就 航 し て い た 。 大 阪 商 船 株 式 会 社 の 汽 船 が 沖 縄 に 最 初 に 寄 港 し た の は 明 治 十 七 年 の こ と で あ っ た 。 大 阪 商 船 株 式 会 社 は 明 治 十 六 年 か ら 発 起 人 会 が も た れ 、 十 七 年 の 五 月 一 日 よ り 開 業 し た 。 開 業 の 年 に 、 汽 船 が 一45一那 覇 港 に 姿 を み せ た こ と に な る 。 当 初 は 不 定 期 の 航 海 で あ っ た 。 大 阪 鹿 児 島 線 に 就 航 し て い た 三 隻 の 汽 船 の 内 一 ( 13 ) 隻 平 安 丸 ( 木 造 ) が 大 島 ・ 沖 縄 ま で 航 路 を の ば し た の で あ っ た 。 明 治 十 八 年 九 月 、 大 阪 商 船 は 大 阪 沖 縄 線 を 開 設 し 、 汽 船 一 隻 が 毎 月 一 航 海 し 、 鹿 児 島 ・ 奄 美 大 島 へ も 寄 港 し た 。 二 十 年 以 降 は 、 朝 日 丸 パ 鉄 船 三 〇 七 ト ン )、 金 龍 丸 ( 木 造 船 三 四 ニ ト ン )、 球 陽 丸 を 就 航 さ せ 、 月 一 、 二 回 の 航 海 で あ っ た 。 明 治 二 十 年 頃 に な る と 、 尚 家 を 中 心 と す る 士 族 た ち に よ っ て 広 運 社 が 設 立 さ れ 、 五 、 六 百 ト ン の 球 陽 丸 を 購 入 し て ・ 沖 縄 ゜ 本 土 間 ぼ 就 航 さ せ 廓 ) 。 『 那 覇 市 史 』 通 史 篇 第 二 巻 ( 四 二 六 ペ ー ジ ) に よ る と 、 鹿 児 島 県 人 林 が 設 立 し た 沖 縄 開 運 会 社 は 三 菱 会 社 に か わ っ て 神 戸 ・ 沖 縄 間 の 依 託 権 を う け 、 政 府 よ り 助 成 金 を う け て い た と い う こ と で あ る 。 明 治 二 十 四 年 頃 、 沖 縄 航 路 で 互 に 競 争 し て い た の は 、 大 阪 商 船 、 広 運 社 、 沖 縄 親 睦 会 、 日 本 郵 船 の 四 社 で あ っ た 。 四 社 は お 互 に 激 し い 競 争 を な し た が 、 競 争 の 不 利 を さ と り 、 明 治 二 十 四 年 大 阪 ・ 沖 縄 航 路 に 各 社 の 協 定 が 成 ( 16 ) 立 し 、 共 同 計 算 を お こ な う よ う に な っ た 。 日 本 郵 船 は 三 菱 会 社 を 引 き つ い だ 会 社 で あ り 、 沖 縄 親 睦 会 は 鹿 児 島 県 人 の 集 ま り で あ り 、 開 運 会 社 と は 通 じ て い た と お も わ れ る 。 そ の 沖 縄 親 睦 会 は 発 展 し て 、 明 治 二 十 九 年 十 二 月 鹿 児 島 汽 船 株 式 会 社 を 設 立 し 、 本 土 沖 縄 聞 に 薩 摩 丸 を 就 航 さ せ た 。 明 治 三 十 一 年 三 月 に 大 阪 商 船 、 広 運 社 、 鹿 児 島 汽 船 の 三 社 が 日 本 郵 船 よ り 同 社 の 本 土 沖 縄 間 の 航 路 権 を 買 収 し ( 17 ) た た め 、 日 本 郵 船 は 沖 縄 航 路 よ り 撤 退 し た 。 日 本 郵 船 の 撤 退 後 沖 縄 航 路 は 大 阪 商 船 、 鹿 児 島 汽 船 、 広 運 社 の 三 社 に ょ っ て 牛 耳 ら れ た 。 大 阪 商 船 は 、 明 治 十 八 年 大 阪 ・ 沖 縄 線 の 開 設 以 来 継 続 し て 汽 船 を 就 航 さ せ て い た の で は な か っ た 。 明 治 二 十 七 一46一
置 県 後 の 沖 縄 の 海 上 交 通 に つ い て 年 日 清 戦 争 の 勃 発 に よ っ て 大 部 分 の 船 舶 が 補 助 船 ・ 輸 送 船 と し て 徴 発 さ 禰 ) ・ 船 腹 が 極 度 に 不 足 し ・ 呆 海 運 界 は 傭 船 に よ っ て 窮 地 を き り ぬ け ね ば な ら な か っ た 。 日 清 戦 争 勃 発 後 、 大 阪 商 船 は 一 時 沖 縄 航 路 を 休 航 に し た 。 御 用 船 と し て 、 船 舶 を 徴 発 さ れ た た め 、 そ れ が 沖 縄 航 路 に 影 響 し た 結 果 で あ っ た 。 日 清 戦 争 後 沖 縄 航 路 は 再 開 さ れ た が 、 台 湾 が 日 本 の 領 有 に な っ た た め 大 阪 商 船 は 明 治 三 十 年 四 月 沖 縄 経 過 台 湾 線 開 始 の た め に 大 阪 ・ 沖 縄 線 を 休 航 に し た 。 既 述 の よ う に 、 日 本 郵 船 が 沖 縄 航 路 か ら 撤 退 し た の は 明 治 三 十 一 年 三 月 で あ っ た 。 そ れ よ り 先 、 大 阪 商 船 は 休 ( 19 ) 航 中 の 大 阪 ・ 沖 縄 線 を 再 開 し 、 月 二 乃 至 四 回 の 航 海 を お こ な っ た 。 日 本 郵 船 の 撤 退 後 の 大 阪 ・ 沖 縄 航 路 を お さ え 第 3 表 総 運 賃 と 荷 物 運 賃 と の 比 較 表 年 度 総 運 賃 荷 物 運 賃 総 運 賃 二 対 ス ル 荷 物 運 賃 ノ 割 合 明 治 十 七 年 円 五 二 四 、 六 五 一 円 一 九 九 、 九 八 〇 三 八 ・ 一 % 二 十 一 年 七 九 四 、 八 〇 九 三 七 六 、 八 九 二 四 七 ・ 四 二 十 六 年 八 六 五 、 六 八 九 四 六 三 、 五 七 三 五 三 ・ 五 三 十 一 年 二 、 五 八 三 、 九 三 四 一 、 三 八 九 、 四 二 四 五 三 ・ 八 三 十 六 年 五 、 一 九 六 、 〇 九 三 三 、 三 二 二 、 六 〇 九 六 三 ・ 九 四 十 一 年 九 、 六 一 三 、 九 四 七 六 、 四 一 八 、 四 九 五 六 六 ・ 八 大 正 二 年 一 六 、 一 七 四 、 五 三 二 一 二 、 〇 三 三 、 二 四 七 七 四 ・ 四 七 年 一 六 二 、 三 二 七 、 △ 一 二 一 四 九 、 〇 一 九 、 六 九 八 九 一 ・ 八 十 二 年 四 七 、 九 三 二 、 九 四 〇 三 八 、 二 九 六 、 二 五 〇 七 九 ・ 九 昭 和 三 年 六 四 、 二 三 二 、 八 七 七 五 一 、 〇 三 九 、 五 三 七 七 九 ・ 五 八 年 六 九 、 六 六 七 、 九 八 九 五 五 、 七 四 四 、 六 七 八 八 〇 ・ ○ 『大 阪 商 船 株 式 会 社 五 十 年 史』 825ペ ー ジ 一47一
る こ と を 考 え て い た た め で あ っ た ろ う 。 第 3 表 は 『 大 阪 商 船 株 式 会 社 五 十 年 史 』 に 掲 載 さ れ て い る 表 で あ る 。 総 運 賃 に 占 め る 荷 物 運 賃 の 割 合 が 明 治 二 十 六 年 以 降 五 三 パ ー セ ン ト を こ す よ う に な っ た 。 運 賃 に 占 め る 荷 物 運 賃 の 比 重 が 年 々 高 く な る 傾 向 の 中 で 、 沖 縄 航 路 就 航 の 汽 船 は 台 湾 や 沖 縄 の 砂 糖 の 輸 送 と い う こ と が 大 き な ね ら い で あ っ た と 思 わ れ る 。 沖 縄 航 路 を 牛 耳 っ て い た 三 社 は 互 に 同 盟 を 結 び ( 明 治 三 + 七 年 ) 運 賃 を 値 上 げ し 協 定 を は か っ た が 、 間 も な く 同 盟 を 破 棄 し 自 由 競 争 を お こ な い 、 そ の 結 果 運 賃 が 大 幅 に 下 落 し た 。 黒 糖 一 挺 の 運 送 費 四 五 銭 が 一 五 銭 に ま で な っ た と い う 。 大 阪 商 船 同 様 他 の 船 会 社 も そ の 収 入 の 大 半 を 貨 物 の 運 賃 に お う て い た と 考 え ら れ る 。 沖 縄 航 路 に 限 っ た 場 合 、 客 賃 と 貨 物 運 賃 の 割 合 が ど う な っ て い た の か 、 資 料 に 目 を 通 し て な い の で 確 か な こ と は い え な い が 、 貨 物 の 運 賃 の 比 重 が 高 か っ た と お も わ れ る 。 競 争 の 結 果 、 沖 縄 か ら の 移 出 品 の 大 部 分 を 占 め る 黒 糖 の 運 賃 が 値 下 が り す る こ と は 、 当 然 船 ( 20 ) 会 社 の 収 入 に 響 び い て く る こ と に な る 。 相 互 に 競 争 を 演 じ た 大 阪 商 船 、 鹿 児 島 郵 船 、 広 運 会 社 の 間 に 明 治 三 十 九 年 航 路 同 盟 が 成 立 し た 。 航 路 同 盟 を 結 ぶ こ と に よ っ て 、 お 互 の 損 失 を く い と め る よ う に な っ た 。 運 賃 の 協 定 、 各 会 社 の 配 船 数 の 協 定 を お こ な う と 共 に 、 主 に 黒 糖 移 出 業 者 に 対 し て は 、 黒 糖 積 出 し の 便 宜 を は か る の で 、 荷 物 の 積 み こ み は 同 盟 汽 船 だ け に し て ほ し い 旨 申 し 入 れ て 了 解 を と り つ け 、 同 盟 汽 船 以 外 の 船 舶 を 締 め だ し た 。 同 盟 は 、 明 治 四 十 四 年 六 月 に 沖 縄 艀 船 株 式 会 社 を 設 立 し 、 同 盟 船 以 外 の 船 舶 の 荷 物 の 積 お ろ し を 妨 害 す る こ と ( 21 ) も あ っ た 。 球 陽 丸 を 有 し て い た 広 運 会 社 は 、 明 治 三 十 七 年 に ド イ ツ 船 ( 一 三 〇 〇 ト ン ) を 購 入 し 、 広 運 丸 と 名 付 け 本 土 ・ 沖 縄 航 路 に 就 航 さ せ た 。 そ の 就 航 を め ぐ っ て 、 前 記 三 社 間 に ト ラ ブ ル が あ り 、 明 治 三 十 七 、 八 年 頃 の 競 争 激 化 を さ そ う 結 果 に な っ た 。 一48一
『
広 運 丸 就 航 の 前 後 は 日 露 戦 争 時 で 極 度 に 船 腹 の 不 足 し た 時 期 で あ っ た 。 そ の 頃 の 日 本 の 船 舶 状 況 を 『 大 阪 商 船 株 式 会 社 五 十 年 史 』 は 次 の よ う に の べ て い る 。 明 治 三 十 六 年 末 の 我 国 船 舶 は 千 五 百 七 十 隻 総 噸 数 六 十 六 万 二 千 余 噸 な る に 、 此 等 船 舶 の 大 部 分 が 御 用 船 に 徴 発 せ ら れ し 結 果 、 俄 に 船 腹 の 大 不 足 を 告 ぐ る に 至 つ た 。 弦 に 於 て 外 国 船 の 購 入 傭 入 が 盛 ん に 行 は れ 、 政 府 も 亦 非 常 時 対 策 と し て 宣 戦 布 告 に 先 だ ち 三 十 七 年 二 月 一 日 外 国 船 の 不 開 港 場 に 入 港 す る こ と を 許 し 、 以 て 外 国 船 の 傭 入 に 多 大 の 便 宜 を 与 へ た 。 ( 六 七 ぺ … ジ ) 右 の よ う な 状 況 の 中 で 、 明 治 三 十 七 年 三 月 以 降 那 覇 港 に も 外 国 名 の 船 が 出 入 す る よ う に な っ た 。 明 治 三 十 七 年 ( 22 ) 中 に 那 覇 港 に 出 入 り し た 外 国 名 の 船 は 一 二 を か ぞ え た 。 明 治 三 十 八 年 六 月 、 大 阪 商 船 は 沖 縄 経 過 大 阪 基 隆 線 を 開 設 し 、 そ の 航 路 に 就 航 し て い た 御 嶽 丸 は 宮 古 ・ 八 重 山 に も 寄 港 し た 。 当 初 は 三 週 に 一 航 海 で あ っ た の が 、 明 治 四 十 三 年 に な る と 、 二 隻 の 汽 船 で 毎 月 二 、 三 航 海 を お こ な い 、 那 覇 ・ 先 島 間 の 交 通 に 相 当 の 利 便 を 与 え た 。 航 路 同 盟 の 成 立 に ょ っ て 、 大 阪 商 船 二 隻 、 沖 縄 広 運 一 隻 、 鹿 児 島 郵 船 二 隻 の 計 五 隻 で 、 毎 月 本 土 沖 縄 間 の 航 海 を 一 〇 回 お こ な う よ う に な っ た 。 明 治 四 十 三 年 大 阪 商 船 は 鹿 児 島 郵 船 と の 協 定 が 成 立 し 、 大 阪 商 船 は 鹿 児 島 に お け る 荷 客 取 扱 業 務 を 鹿 児 島 郵 船 に 委 託 し 、 鹿 児 島 に お け る 業 務 を 縮 少 し た ( 大 正 四 年 に は 再 び 大 阪 商 船 は 支 店 事 務 を 開 始 )。 一 方 、 大 正 元 年 八 月 、 大 阪 商 船 は 那 覇 に お い て い た 在 勤 員 事 務 所 を 支 店 に 昇 格 さ せ 、 沖 縄 を 結 ぶ 海 運 を 独 占 す る よ う に な っ た 。 大 正 五 年 三 月 、 大 阪 商 船 は 沖 縄 広 運 株 式 会 社 を 買 収 、 四 月 に は 鹿 児 島 那 覇 線 に 遽 信 省 命 令 航 路 を 開 始 し 、 汽 船 一 隻 で 月 六 航 海 を お こ な っ た 。 八 年 以 降 は 、 二 隻 で 一 〇 航 海 、 昭 和 五 年 以 降 は 九 航 海 を お こ な っ た 。 ま た 、 大 正 一49一
八 年 六 月 以 降 大 阪 商 船 は 鹿 児 島 基 隆 線 に 沖 縄 県 の 受 命 航 路 と し て 、 八 重 山 丸 を 就 航 さ せ 、 月 二 航 海 那 覇 ・ 宮 古 ・ 八 重 山 に 寄 港 す る よ う に な り 、 た ま に 、 西 表 に 寄 港 し た 。 昭 和 元 年 に は 政 府 の 命 令 航 路 と し て 大 阪 那 覇 線 を 開 設 し た 。 那 覇 先 島 台 湾 間 に 、 大 阪 商 船 の 湖 北 丸 ・ 湖 南 丸 の 二 大 型 船 が 就 航 し 、 那 覇 ・ 先 島 間 の 航 路 が 一 新 し た の は 昭 和 六 年 以 降 の こ と で あ っ た 。 那 覇 港 に 通 ず る 沖 縄 へ の 航 路 に 大 阪 商 船 は 着 実 に そ の 足 場 を か た め て い っ た 。 県 や 政 府 の 命 令 航 路 と し て 補 助 を 得 て 船 を 就 航 さ せ て い た の で あ る 。 大 正 十 四 年 十 月 、 大 阪 商 船 は 鹿 児 島 郵 船 と 航 路 協 定 を 結 び 、 郵 船 の 所 有 船 を 大 阪 商 船 が 傭 入 し 、 沖 縄 航 路 ( 本 土 沖 縄 間 ) を 大 阪 商 船 が 経 営 す る よ う に な っ た 。 昭 和 五 、 六 年 に 川 畑 汽 船 と 奄 美 共 同 汽 船 が 大 阪 商 船 の 独 占 的 な 航 路 に 割 り 込 ん で き た が 、 大 阪 商 船 に は 抗 し よ う も な く 、 川 畑 汽 船 は 昭 和 六 年 七 月 、 奄 美 共 同 汽 船 は 昭 和 七 年 十 月 い ず れ も 撤 退 し た 。 大 阪 商 船 株 式 会 社 の 沖 縄 航 路 進 出 を 主 に し て あ と づ け て み た 。 航 海 回 数 の 増 加 、 汽 船 の 大 型 化 が そ の ま ま 県 民 ぴ ぴ へ の 生 活 に プ ラ ス に な っ た と は い え な い も の が あ る 。 沖 縄 航 路 が 大 阪 商 船 に 独 占 的 に 経 齢 さ れ る こ と に よ っ て 生 じ た 高 運 賃 の 問 題 、 特 に 砂 糖 運 賃 の 高 さ は 、 大 正 ・ 昭 和 の 不 況 下 で 沖 縄 県 に と っ て 大 き な 問 題 と な 2 だ 。 前 に も ふ れ た よ う に 、 総 運 賃 に 占 め る 荷 物 運 賃 の 比 重 が 高 く 、 船 会 社 の 利 益 が そ れ に 負 う て い た こ と を 考 え る と 、 大 阪 商 船 の 乗 客 に 対 す る 待 遇 が 悪 か っ た と い う 風 評 は あ た り ま え の こ と で あ っ た の か も 知 れ な い 。 大 阪 商 船 に と っ て は 、 沖 縄 か ら の 移 出 品 た る 黒 糖 を 積 み 出 す こ と が 主 た る こ と で 、 客 を の せ る こ と は 従 的 な こ と で は な か っ た ろ う か 。 そ の こ と が 、 船 員 の 乗 客 に 対 す る 態 度 と な っ て あ ら わ れ た も の と お も え る 。 一50一
置 県 後 の 沖 縄 の 海 上 交 通 に つ い て
七
大 阪 商 船 の 鹿 児 島 那 覇 線 、 大 阪 那 覇 線 、 横 浜 那 覇 線 が 開 設 さ れ る 以 前 の 本 土 沖 縄 航 路 に 就 航 し て い た 汽 船 の 航 路 は 次 の コ ー ス で あ っ た 。 那 覇 港 を 出 て 奄 美 の 島 々 に 寄 り 、 鹿 児 島 を 経 て 神 戸 に 寄 港 し 大 阪 に い た る 航 路 で あ っ た 。 都 合 に よ っ て 他 に 寄 港 す る こ と も あ っ た が 、 大 阪 商 船 を は じ め 、 沖 縄 広 運 、 鹿 児 島 汽 船 ( 鹿 児 島 郵 船 ) の ほ と ん ど の 就 航 船 が そ の 航 路 を と っ て い た 。 明 治 三 〇 年 代 の 頃 、 一 航 海 ど れ だ け の 日 数 を 要 し た か 、 明 治 三 十 四 年 、 三 十 五 年 に お け る 鹿 児 島 汽 船 の 薩 摩 丸 の 航 海 を み る と 次 の よ う に な る 。明
治
三
十
四
年
一 月 七 日 那 覇 発一
月
二
八
日
那
覇
発
二 月 二 五 日 那 覇 発三
月
一
五
日
那
覇
発
七 月 八 日 那 覇 発七
月
二
七
日
那
覇
発
八 月 二 九 日 那 覇 発明
治
三
十
五
年
一 月 二 七 日 那 覇 着 ( 二 〇 日 問 ) 二 月 二 二 日 那 覇 着 ( 二 六 日 間 ) 三 月 一 三 日 那 覇 着 ( 一 七 日 間 ) 四 月 = 二 日 那 覇 着 ( 二 八 日 間 ) 七 月 二 五 日 那 覇 着 ( 一 八 日 間 ) 八 月 = 二 日 那 覇 着 ( 一 七 臼 間 ) 九 月 一 二 日 那 覇 着 ( 一 四 日 間 ) 一51一三 月 三 日 那 覇 発 三 月 一 七 日 那 覇 着 ( 一 四 日 間 ) 三 月 二 〇 日 那 覇 発 四 月 五 日 那 覇 着 ( 一 六 日 間 ) 八 月 二 四 日 那 覇 着 九 月 一 〇 日 那 覇 着 ( 一 八 日 間 ) 天 候 に よ っ て も 航 海 日 数 に は 差 が で て く る が 、 右 の 発 着 表 か ら し て 、 那 覇 港 を 出 て 一 航 海 す る の に 二 週 間 か ら 四 週 間 を 要 し た こ と が わ か る 。 航 海 は 不 定 期 で あ っ た 。 各 会 社 と も 独 自 の ス ケ ジ ュ ー ル で 運 航 し て い た の で 、 同 じ 日 に 複 数 の 船 が 本 土 向 け 出 港 す る こ と が あ る か と 思 う と 、 一 週 間 も 便 船 が な い こ と も あ っ た よ う で あ る 。 積 荷 の 関 係 で 、 急 拠 航 路 を 変 更 し 、 先 島 へ 航 海 し て 出 港 の 日 を ず ら せ る こ と も あ っ た 。 一 二 月 か ら 四 、 五 月 に か け て は 黒 糖 の 移 出 で 那 覇 港 は に ぎ わ い 船 の 積 荷 も 多 か っ た が 、 黒 糖 製 造 の 時 期 を は ず す と 積 荷 の す く な い 場 合 が 普 通 で あ っ た 。 沖 縄 か ら の 積 荷 と い え ば 黒 糖 が 主 で あ り 、 黒 糖 の 輸 送 量 の 多 寡 が 各 会 社 の 経 営 に ひ び い た も の と お も え る 。 明 治 三 〇 年 代 に 、 黒 糖 輸 送 を め ぐ っ て 競 争 が 展 開 さ れ 、 一 挺 の 輸 送 費 四 五 銭 が 一 五 銭 に ま で な っ た こ と も あ っ た 。 が 、 黒 糖 の 争 奪 戦 が プ ラ ス に な ら な い こ と を さ と っ た 会 社 は 、 輸 送 費 の と り き め を お こ な っ た 。 そ の 上 、 同 盟 を 結 ん で 、 同 盟 に 加 入 す る 船 ま で 指 定 し 、 同 盟 加 入 以 外 の 船 に は 黒 糖 を つ み こ ま せ な い よ う に し た 。 台 湾 ・ 日 本 本 土 間 、 ジ ャ ワ , ・ 日 本 本 土 間 の 輸 送 費 以 上 に 沖 縄 ・ 本 土 間 の 黒 糖 の 輸 送 費 が 高 か つ た 。 輸 送 費 の 高 さ が 、 県 や 県 議 会 で 問 題 に な り 、 値 下 げ が な さ れ て も 、 本 土 と 台 湾 、 ジ ャ ワ と の 間 に く ら べ 高 運 賃 に お か れ た こ と に は か わ り が な か っ た 。 沖 縄 航 路 は 損 失 が 多 い と 、 船 会 社 は い っ て い た 。 製 糖 時 期 の 一 時 期 し か 荷 物 が な く 、 そ の 上 、 製 糖 時 期 で も 沖 縄 向 け の 積 荷 が す く な い の で 、 片 道 だ け の 積 荷 と い う こ と に な り 、 黒 糖 輸 送 費 が 高 く つ く の は 当 然 だ と い う こ と 一52 一
で あ っ た 。 乗 客 の 運 賃 に つ い て は 、 値 下 げ を し た り 、 割 引 き を お こ な っ た り し て 、 好 意 的 な 面 を み せ な が ら 、 黒 糖 輸 送 費 に つ い て は 沖 縄 側 の 申 し い れ を う け い れ て く れ な か っ た 。 沖 縄 航 路 の 船 は 沖 縄 県 の 最 大 の 移 出 品 で あ る 砂 糖 に た か っ て い た の で あ る 。 船 会 社 に と っ て 、 乗 客 は 問 題 で な か っ た よ う で あ る 。 そ の こ と が 、 船 員 の 沖 縄 県 人 の 乗 船 者 に 対 す る 差 別 待 遇 と な っ た の で は な か ろ う か 。 紡 績 女 工 に 対 す る 船 員 の 態 度 は 特 に ひ ど か っ た と い う 。 明 治 二 、 三 十 年 代 に お け る 沖 縄 東 京 間 の 往 来 は 次 の よ う に な さ れ た 。 東 京 を で て 、 陸 路 大 阪 神 戸 ま で や っ て き て 、 神 戸 で 乗 船 し た 。 神 戸 を 出 た 船 は 鹿 児 島 に 寄 港 し た 。 寄 港 地 で 荷 物 の 積 卸 し が あ り 、 そ の た め 一 、 二 日 碇 泊 す る の が 普 通 で あ っ た 。 鹿 児 島 を で て 奄 美 の 各 島 々 に た ち 寄 り 、 那 覇 港 に 投 錨 し た 。 順 調 に 航 海 し て 神 戸 那 覇 間 四 、 五 日 を 要 し た 。 航 海 が 不 定 期 で あ っ た た め 、 神 戸 ま で や っ て き て 船 待 ち す る こ と ま で い れ る と 、 か な り の 日 数 を 要 し た こ と に な る 。 そ の 上 、 天 気 が く ず れ る と 、 所 要 日 数 が ど う な る か は 見 当 が つ か な か っ た 。 ( 一 九 七 七 ・ 一 ・ 二 〇 ) 〔 注 〕 ( 1 ) 那 覇 港 を 起 点 に 先 島 ・ 久 米 島 ・ 伊 平 屋 等 へ 主 に 就 航 。 太 平 洋 側 に は 回 航 し な か っ た 。 ( 2 ) 『 琉 球 新 報 』 ( 明 三 十 一 ・ 四 ・ 九 ) に 、 難 破 し た 山 原 船 の 積 載 荷 物 を 次 の よ う に 記 載 し て い る 。 ク リ 板 五 万 三 十 枚 、 薪 木 九 百 把 明 治 三 十 二 ・ 十 ・ 一 の 『 琉 球 新 報 』 に は 、 ク リ 板 三 万 枚 、 ナ カ 切 薪 木 三 千 丸 、 松 カ ラ ー 五 〇 〇 切 、 割 薪 木 三 〇 〇 丸 、 空 徳 利 一 〇 〇 本 一53一
( 3 ) 「 明 治 十 五 年 頃 沖 縄 開 運 会 社 が 航 路 を 開 き 」 と あ る が 、 沖 縄 開 運 会 社 の 設 立 が 明 治 十 五 年 で 、 航 路 の 開 設 は 明 治 十 六 年 の こ と で あ る 。 ( 4 ) 太 田 朝 敷 『 沖 縄 県 政 五 十 年 』 一 二 八 ペ ー ジ 参 照 ( 5 ) 『 沖 縄 県 統 計 書 』 、 明 治 三 十 年 代 の 『 琉 球 新 報 』 の 広 告 、 比 嘉 宇 太 郎 『 名 護 町 六 百 年 史 』 に は 開 運 会 社 と な っ て い る が 、 比 嘉 宇 へ 太 郎 『 名 護 海 運 史 話 酎 ( 昭 和 十 年 ) や 『 沖 縄 県 史 』 11 ( 上 杉 県 令 関 係 日 誌 ) に は 、 海 運 会 社 と な っ て い る 。 叙 述 か ら し て 、 同 一 の 会 社 だ と お も わ れ る が 、 両 社 名 に 前 後 関 係 が あ る の か 、 誤 記 な の か は っ き り し な い 。 ( 6 ) 『 今 帰 仁 村 史 』 四 八 〇 ぺ … ジ ( 7 ) 比 嘉 宇 太 郎 『 名 護 海 運 史 話 』 二 ニ ペ ー ジ ( 8 ) 比 嘉 前 掲 書 二 ニ ペ … ジ 参 照 ( 9 ) 比 嘉 宇 太 郎 『 名 護 町 六 百 年 史 』 ( 二 九 四 ペ ー ジ ) に は 次 の よ う に し る さ れ て い る 。 第 一 次 大 戦 中 、 藍 数 年 間 は 海 運 界 の 競 争 は 激 烈 で あ っ た 。 名 護 、 那 覇 問 乗 客 運 賃 は 五 十 銭 か ら 二 十 銭 、 十 銭 、 五 銭 と 終 に は 五 銭 の 運 賃 に タ オ ル の 景 品 を 付 け て 客 引 き を 争 っ た 。
15 14
)
)
13 12 11 10 ) ) ) 、ノ 『 琉 球 新 報 』 明 治 三 十 二 年 四 月 二 十 五 日 『 新 八 重 山 』 二 一 二 四 ペ ー ジ 『 沖 縄 県 史 』 11 ( 上 杉 県 令 関 係 日 誌 ) 三 一 七 ペ ー ジ 『 大 阪 商 船 株 式 会 社 五 十 年 史 』 一 四 四 ∼ 一 四 六 ぺ … ジ 参 照 右 同 一 五 一 ペ ー ジ 『 那 覇 市 史 』 通 史 篇 第 二 巻 四 二 六 ぺ … ジ 一54一( 16 ) 『 大 阪 商 船 株 式 会 社 五 十 年 史 』 一 五 → ペ ー ジ ( 17 ) 右 同 一 五 ニ ペ ー ジ ( 18 ) 右 同 五 六 ペ ー ジ ( 19 ) 右 同 一 五 ニ ペ ー ジ ( 20 ) 鹿 児 島 郵 船 株 式 会 社 は 、 明 治 三 十 八 年 設 立 さ れ た 会 社 で あ る 。 『 沖 縄 県 史 』 1 ( 通 史 ) 五 四 五 ペ ー ジ の 「 第 四 章 ・ 第 6 節 諸 産 業 の 発 達 」 の 「 県 外 航 路 」 で 、 「 一 八 九 七 年 ( 明 治 三 〇 ) に は 、 鹿 児 島 郵 船 株 式 会 社 が 設 立 さ れ 、 本 県 の 本 土 航 路 に 沖 縄 丸 を 配 し た 。 」 と 書 い た が 、 鹿 児 島 郵 船 株 式 会 社 の 設 立 は 、 明 治 三 十 八 年 の こ と な の で こ こ で 訂 正 す る 。 鹿 児 島 郵 船 株 式 会 社 に つ い て 、 明 治 三 十 八 年 五 月 十 五 日 付 の 『 琉 球 新 報 』 に は 次 の よ う に 書 か れ て い る 。 鹿 児 島 汽 船 株 式 会 社 と 鹿 児 島 商 船 株 式 会 社 と の 間 に 於 て 株 主 の 協 議 纒 ま り 一 の 大 汽 船 会 社 設 立 の 運 び に 至 り し 由 は 過 日 既 に 報 せ し 通 り な る が 尚 ほ 聞 く 所 に 依 れ ば 此 大 汽 船 会 社 は 之 を 鹿 児 島 郵 船 会 社 と 称 し … … ま た 、 明 治 三 十 八 年 七 月 二 十 一 日 の 『 琉 球 新 報 』 に 次 の 広 告 が で て い る 。 鹿 児 島 汽 船 株 式 会 社 は 今 日 解 散 致 候 に 付 債 権 者 は 来 る 八 月 ; 二 日 造 に 債 権 請 求 相 成 度 候 也 明 治 三 十 八 年 六 月 二 十 四 日 ( 21 ) 『 沖 縄 県 史 』 1 五 五 二 ∼ 三 ペ ー ジ 参 照 ( 22 ) 那 覇 港 に 出 入 し た 外 国 名 の 船 は 次 の と お り で あ る 。 ビ グ ド 号 、 プ ロ ソ シ ウ ス 号 、 リ ヂ ア 号 、 ク オ ー タ 号 、 ダ ブ 子 号 、 ク ラ ラ エ ブ セ ン 号 、 ク ヘ イ タ 号 、 テ タ … ト ス 号 、 タ イ ラ ウ 号 、 ヒ ウ ギ ン 号 、 ア ミ ゴ ー 号 、 チ ュ サ ー 号 一55一