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美的教育のための書写と書道の一考察

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Academic year: 2021

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(1)Title. 美的教育のための書写と書道の一考察. Author(s). 広川, 正治. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. C, 教育科学編, 26(1): 1-11. Issue Date. 1975-09. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/4694. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 広川正治:美的教育のための書写と書道の-考察. . ・ . , . . . - . ・ , . 』 , . ・ . : , .. 美的教育のための書写と書道の一考察 ・. 広. 川. 目. 正. 治. 次. ま え がき. 1 いうところの「芸術」 書道批判 1. 戦後毛筆習字が強張されてきた理由 2 , .芸術科書道の芸術性批判 1 書写の意義と目的 1 1 . 国語科としての書写の目的 2 . 「美しく」 書くこ との意義 1 1 1 書の芸術性 1 . 人格の個性的表現 2 . 感動・感情の意識的表現 3 . 美的教育のための書の指導 まえ がき. 戦 後, 学校教育の民主主義的転 換にあたって, 戦前 「習字」 とか 「書き方」 といって , 独立教科として しま った。とこ ろが 高 指 導されてき たその指導 が, 小・中の義務教育においては国語に 吸収されて. 校 に おい て は, そ れ が 「書道」 と して 「職 業」 「家 庭」 と と も に 芸 能 科 の 中 に 位 置 づ け ら れ, そ し. て 現代 は 「音楽」「美術」「工芸」 とと もに 完全 に芸術科として独立 した。. こ の こ と は理 論 的 に は 当 然 問 題 に な ら ざる を え な い 性 質 の も の であ っ た。 「新 教 育」 の 実 用 主 義. 的 観 点からすれば, 戦前の 「習字」 「書き方」という毛筆による文字を書くという指導は, 現代の国 民 の 日常生活からみて 当然教科として設定するにはあたらないものであっ たであろう。 硬筆の場合 と い え ども, 実 用 的側 面 か らい え ば, 現 代 は ま す ま す タイ プに か わ りつ つ あ る。 した が っ て, 文 字. を 書 く と いう こ と は, 国 語 指 導 の 一 環 と して 考 え ら れ る こ と に な る。 と こ ろ が同 じ 「文 字 を 書 く」と い う 営 み が~ 高 校 で は芸 能 科, さ らに は 芸 術 教 科と して考えられ, 指 導 さ れ て い る。 理 論 的 に 問 題 に な る ゆ え ん はこ こ に あ る。 「文 字 を 書 く」 と いう 同 一 の 指 導 が,. 一 方 では国語科 (それも言語学的側面と文学的側面とが問われるが, 今ここでは問わない)として, 他 方 で は芸術科として, 行なわれるという矛盾 がある。 学校教育に一貫性を求める立場からして, 当 然 問 題 に せ ざ る を え な い。. わ れ わ れの,・人 格 の 全面 的 発達 を め ざ す 立 場 か ら して, こ の 問 題 を どう 考 え た らよ い の であ ろう. か。 今後の わが国の国民教育 を民主的に推進する立場か ら, この面の指導をどのように考え, どの よ う に 展 開 す べ き で あ ろう か。. こ の 小 稿 の ね らい は, こ れ ま で 進 め て き た わ れ わ れ の 美的 教育 の 観 点 か ら, こ の 点 を 考 察 す る こ. と に あ る。 1 ▲. ・ . . , . . . ・ . 1 ● ● 1. , ,. . r ・. 一. , ・ ′ 1 ●. ・.

(3) . 広川正治:美的教育のための書写と書道の-考察. 1. いうところの 「芸術」 書道批判. 1, 戦後毛筆習字が強調されてきた理由 戦 前は小学校においても, 始めは 「習字」 として, 明治32年 の 小学校令からは 「書き方」 として, 毛 筆 習字は独立の教科 であっ たが, 敗戦とともに毛筆は廃 止されることになっ た。 その理由は要す. る に, 実用主義の立場で教育を考 えていたアメリカ占領軍の文教政策からして, 毛筆はすでに日常 生 活 か らはとり残された時代錯誤のものであること, たとえ古典芸能として維持発展させる べき文 化 的 価 値 を認めるとしても, 小学校の全教育課程のなかでは, 独立の教科として位置づけるには及 ば ぬ ものと考えられたのである? 中 学校では 「習字」 として, 国語の中で1, 2年 が必修となり, 高等学校は芸能科書道として選. 択 必 修 と な っ た。. 昭 和26年の学習指導要領改訂 にあたって, 小学校においても 「必要を認めるならば」 「第4学年以 上 の 適宜の学年では毛筆習字を国語学習の一部として課することになっ た。 しか し, 習字という 教 科 を 特設することは望ま しくないと して, これを否定 した@ 昭 和33年学習指導要領の改訂では, 従来の 「習字」は小・中学校とも 「書くこと」のなかで指導さ れ る こととなっ た。 そして「毛 筆によ る 書写」 は小学校第4学年以上において課することができ(年 「 ) 間35時間を越えてはならなし@ , 中学校では 主として第1学年で指導するものと し, その年間最低. 授 業 時間数の10分の2程度をこれに充てるようにする今 こととなった。 昭 和43年小学校学習指導要領改訂においては, 基本的には変っ ていないが, 毛筆書写は第3学年 以 上 の 各学年 で行なうこととなり, その指導時間数は各学年それぞれ年間20時間程度とすることに. な る◎ 中学校の場合は, 昭和44年改訂においても基本的な変化は見られない。. 高 等学校の場合はどうか。 昭和35年の学習指導要領の改訂で, 「書道」 は「家庭」 「職 業」 と切り 離 し て, 芸能科から芸術科と して, 「音楽」 「美術」 「工芸」 と と も に 独立 した。 昭和46年の改訂に お い て も, 「書 道」 を芸 術 科 と す る こ と に お い て は, 基 本 的 に は 変 っ て い な い。. 以 上, 戦後の小・ 中・高の学校教育のなかで, 敗戦直後は実用主義の観点から, 毛筆習字が廃止 さ れ たにもかかわらず, 昭和26年改訂から, 小学校にも毛筆習字が復活するよう になっ た。 その理 由 は どこ に あ る であ ろ う か。. ていた明 治・大正時代は, かつてのよう 戦 前, 欧米の文化から学びながら, 日本の近代化を進 め,. に 習 字 は, 学 問 を 身 に つ け る こ と でも な く, ま た, 書 は 心 の 鏡 な り と して, 修 養 の た め に す る も の で も な く, しだ い に, 実用 面 に 限定 さ れ る よ う に な っ て き た。 しか し, 昭 和 に 入 っ て, わ が国 が 中. 国 に 侵 略戦争を展開するようになり, いわゆる日本精神が強調されるに従って, その立場から東洋 文 化 と しての 書道が, そしてまた皇国民錬成・皇道精神教育のための書道が問題にされるようにな 「 っ た。 かく して, 昭和16年の国民学校令とともに, 日常生活に必要な実用のための 書き方」 (毛筆 習 字) が国語科のなかから芸能科として独立するの である。 日常生活に必要な書くこととしての習 字 が, いわ ば 「道徳」と して 独 立す るのである。 毛筆習字の道徳性のゆえに, 教育的に評価された の で あ る。. 戦 後は, 実用的硬筆習字から毛筆習字 が強調されるの は, 高校の書道が芸術として強調されるこ と と 関連 して, その芸術性が強調されるとこ ろにあるといえないであろうか。 たとえば上条信山氏 3年改訂の要点を指摘 しているなかで, 毛筆によ る 書写を国語の- は, 小学校学習指導要領の昭和3 環 と し て と り あ げ る こ と に な り, 「毛 筆 を 実 用 的 立 場 か ら と り あ げ る こ と に な っ た。 した が っ て,. 毛 筆 の 特殊性である『美しく 書く』 こと, 『造形における我の自覚』 といっ た芸術的性格は積極的に.

(4) . 広川 正 治: 美的教育 の ための 書写 と 書 道 の - 考察. は支 指さ れないことになっている叫 と学習指導要領を芸術的側面から批判 し, さらに, 「新しい指導 要 領 では 『美しく』 という考え方 を必要以上に警戒し, 書くことの中から 『美しく』 という考え方 を 完 全 に除去しょうと しているかの感がある霊 といい, また「小学校の 学習 指 導要領では, 一年か ら 六 年 ま での 指 導 目 標 およ び内 容 の 中 で 『美 しく』 と いう こ と ば がた だの 一 回も 使 わ れ て い な い 。 こ の こ と は 従 来 の 『書 き 方』 や『習 字』 の 目 標 が な が い あ い だ 『正 しく 速く 美 しく』 と いう 三 項 , , 目 を 掲 げ て き たのに 対 し画 期 的 だ と い わ れ て い る。 は た して こ れ でよ い の であ ろう か 美 しく と い 。. う 目 標 を削除したことは, 『書き方』 『習 字』 を一 括して 書写としたねらいの最も大きな表われであ ろう。 それは書写なるものの目標が, 実用性以外の何物をも要求しないという意味 である9 と実用 性 の み を強調 して, 「美しく一 という 芸 術性 を無視 していること を非難している 。 確 か に 目 標 お よ び内 容 で は た だ の 一 回 も 「美 しく」 はう た わ れて い な い が 「学 習 指 導 の 方 針」 の ,. な か では「文字や文 を硬 筆 で書写するときにも, 正 しく美しく書けるようにすること がたいせつ で あ る 叫 と い っ て い る か ら, 全 然 「美 しく」 を 無 視 し て い る わ け では あ る ま い つ ま り そ れ ほ ど 実 。 ,. 用 性 に 対して芸術性を強調するところに, 毛筆習字を強調す る書道専門家たちのねらい がある 氏 。 は こ の 学 習 指 導 の 方 針 で いう 「美 しく」と いう 点 に つ い て も, 「こ こ で は 毛 筆 の 意 義 が全 く 考 え ら れ. て い な いことになる。 文字を覚えることや, 筆順を正 しく書くことは, 硬筆練習で十分 であるし , む しろ その方が効果的であろう。 毛筆の果すべき役割はこれとは別 である叫 として 硬筆の美しさ , と 毛 筆 のそれとをはっきり区別 し, 「毛 筆 では人間性に直結した自由な造形活動 の結果としての美. しさ で ある。 毛筆的技法を硬筆にとり入れようとすることは, かえって読むことを中心の整斉を乱 す も の である。 硬筆の学習は普通妥当性のある字形によって, 機械的・画一的・没個性的に固定化 す る こ との方がむしろ正 しいの である雪 と主 張する。 また 「正しく書く」点に関しても 「国語的原 , 則 に 立 っものと人間性と直接っながる造形的原則に立っもの守 とを区別 しておるが 前者は硬筆の , , 後 者 は 毛筆の特質と考えていることは明らか であろう。 こ の ような考えに立つから, 毛筆習字 を国語科の一環とすることを否定し, 独立教科とすること を 主 張することになる。 しかし果して, 硬筆を実用性に, 毛筆を芸術性に限定すること が正 しい で あ ろ う か。 この点については後で検討することにして, 書道専門家たちの主張する毛筆書道の芸術 性 を さ らに検討してみよう。 日 常 生活のなかで, 実用として用いられることの非常に少くなった毛筆書写が, 何故に教科とし て の 必要性を主張しなければならないの であろうか。 それは「毛 筆 書 が文字 を素材とする東洋独特. の 芸 術 であり, しかもこれが純粋な抽象芸術と して, 世 界性をもつもの であるからである9 か かる芸術の本領はどこにあるか。 「わ れわ れの 現実生活は, 朝起きた時から夜寝るま で束縛の 中 に お か れ て い る。 な ん と か して 自 由 を 得 た い。 こ の 人 間 の 願 い を受 け 入 れ てく れ る も の の 一 つ に. 芸 術 の 世界がある。 一切の束縛から解かれて自由を与えられる。 人間の開放, これが芸術の本領 で あ る。 真に自由にな- )得た時, 真の我を見ることができる9 特に書は 「純粋 な抽象芸 術である」が 「 ゆ え に, 内なる 我 を 顕現 する」 という 点において, 非常にめ ぐまれた条件にあると主張さ れる? あ る い はまた, 「習字 が小中学校 では国語科に属 し, 高校では芸術科に 配当されている」 ことを 「馬 鹿 馬 鹿しい制度」 とし寧 「書教育の本質と意義を与えるものは それが一つの芸術教育であると , い う こ とである雪 と主張する井島氏は, その芸術性は「自 己の生 命的な自覚以外にはない今といい, 芸 術 教育は 「一 人一 人の 人間として彼自身の本来のいのちを自覚させるための教科乎であるという 。 さ ら に 氏は, 「端 的 な生 命的 感動の純粋な表現を意図する前衛書と, こどもたちの同じく偽りのな ・する書教育の書とが 作品形態の上で一脈相通じるも い 生 命 的感動をそのまま吐露させようと のを , 潜 め て いることも, 認められねばならぬ叫 と子どもたちの教育書が前衛書と一脈相通 じるもののあ Q U.

(5) . 広川正治:美的教育のための書写と書道の一考察 る こ と を 認 め た 上 で, 「す ぐ れ た 前 衛 的 芸 術 の 見 出 した 美」 を つ ぎの よう に 説明 す る。 す な わ ち,. 現 代 のその 美意識は「嘗っ て はさ ま ざま な権 威 に す が っ て のみ平 安 なる 生 活を維持 し得 る と信 じ て いた人類が, 現代に至って, 一切の外的権威に裏切られ失望 して, 遂に唯一絶対の権威 として 自 己 の 生 き て い る こ と そ の こ と (実 存) を し か 確 信 でき なく な り, せ め て もの こ とこれにす がって,. 新 し しい時代の平和と秩序を樹て なおそうとする時, このような世 界観に彩 どられた, 生の視覚的 な 自 覚を内容 として成り立った」 も のであり, 「一 応 あ らゆ る 外的権威に叛逆して, 専ら自己の生 命 的 な感動に最後の 拠り どころを求めざるを得ないところま で追いつ められたと解 してょい誓 と説 明・し て い る。. 以 上のような, 書道教育の代 表的理論家とみられる両 氏の考えは, 一応学校 教育における 書道の 芸 術 性の本質 を代表的に示 しているもの と思う。. 2, 芸術科書道の芸術性批判 戦 後高校の書道はもちろん, 義務教育学校においても, 硬筆習字 に満足せず, 毛筆習字を芸術と 「 し て 強調 してきた理由は, 前者の 「機械 的・画 一 的・没イ園性的固定化」を否定して, 人間 性 に直 結 し た自由な造形活動としての美しさ」 を肯定す ること, 一切 の束縛か ら人間を解放すること, そ, の こ と に よ っ て, 内 な る 我 を 顕 現 す る こ と を 強調 す る こ と に あ っ た。. 書 を国語科から独立さ せようとする理由も, それが 「自 己の 生命 的 な自覚」を本領とする芸術で. あ り, 「い の ち を 自 覚 さ せ る た め の 教 科」 であ る か ら で あ っ た。 い わ ゆ る 前 衛 書 を評 価 す る の も,. そ れ が 「端 的な 生 命 的 感動の純粋な表現を意図する」からであった。 ・ 東 洋 独特の書道が最近 欧米各国で高く 評価されるようになつてい るということ が, 毛筆書写を教 「 科 と して必要 とする理由の一つ としてあげられているが◎ これも要するに書のもつ 純 粋な 抽象芸 術 」 と い う 一 点 に あ る で あ ろう。. 資 本 主義社会における芸術の性格についてはす でに論 じてきたの で◎ 詳論することはさけるが, 資 本 主義を発展させるためには不可欠の生産技術の 科学的発達に伴う労働 者階級の科学的認識につ い て は, 資本家階級 はこれを認めることができず, 彼らはその 精神的より どころをますます観念論 に 求 め ざ る を え な く な る。 しか もさ ら に, 独 占 資 本 主 義 階段 に おい て は, い っ そう 深 ま る 矛 盾 の な. か で, 現実社会のあ らゆる客観性にたよりえず, 結局するところただ「内な る 我」 に依 拠せ ざるを え な くなる。 生産労働の疎外を基本とする人間疎外条件 が深刻化するなかで, ただ非合理的な直観 「 や 心 情 的 体 験 に 頼 ら ね ばな ら なく な る。 こ こ に, 「内 な る 我」 が, 生 命 的 感動」 が, 強調 さ れ る ゆ. え ん が あ る。. 書 芸 術の本領である と主張される 「人間の 開 放」は, 『期待さ れ る 人間像』 が主張する第一の要. 「 請 と し て の 「人 間 性 の 向 上, 人 間 能 力 の 開 発」 と 異 質 の も の であ ろ う か。 ま た そ の い わ ゆ る 内 な. る 我」 「自 己の 生 命 的な自覚」 は, 『人間像』 の 第 三の 要 請 である 「自我の 確 立」とは異質のもの で あ ろう か。 そこで主張される「一切 の 束 縛か らの自由」 や「機械 的・ 画 一的・没個性的固定化」. 「 の 否 定 は, 『人 間 像』 が期 待 す る「自 由 で あ る こ と」 「個 性 を伸 ばす こ と」 自 己 を 大切 に す る こ と」 な ど と は 異 質 の も の で あ ろう か。 決 して そう で は あ る ま い。 この 点 に つ い て は, こ れ 以 上 追 及 す る. 必 要 はなかろう。. 文 部省の学習指導要領 においては, 実用主義的立場から, 書道専門家たちの要求に押されて毛筆 書 写 を幾分強化 したということはでき るし, 特に高校に おいては, 筋を通した形で芸術科と しての. 書 道 へ と改訂 してきた。 文 部 省としては〔同 じく 「中教審」 としても〕独占大企業のい わゆる 「社会の」要請 か らす れ ば, す で に 論 じてきたように◎ 小,中学校の義務教育 では, 「西の科 学」 に 対す る 「東の 精神」と して 4.

(6) . 広川 正 治: 美的 教 育の ため の 書写 と 書道の一 考 察. の 特 設 「道徳」 の補強剤と して作用する美術・芸術の領域では, 図工, 音 楽で充分であろう。 もち ろ ん, 多い に 越 した こ と は な い か も しれ な い け れ ども, 教 育 課 程 全 体 の な か で は, そう でなく と も 盛 り 沢 山 で 批 判 さ れ て い る の であ る か ら, こ れ 以 上 芸 術 教 科 を ふ や す わ け に は い か な い の であ る。. む し ろ, それにも ′まして 「期 待さ れる」 勤労人民と しては, 国語科としての書写能力を必要とする。 独 占 企業と書道界との文部省的妥協の産物が「毛 筆書写」 であ ったであろう。 高 校の芸術科 「書道」 は どうか。 これは後期中等教育の 「多様化」政策に合致するものと考える。 こ れ 以上詳論する必要はなかろう。 1, 1 1 1に 共 通 して い る 目 標 に「美 的 感 覚 を 洗 練 し, … … 情 操 と は い え一 言 付加 す れ ば, 書 道 1, 1 を 豊 か に 虎 と い っ て い る。 こ れ は い わ ゆ る 情 操 の ため の 教 育 の 目 標 であ っ て,この 点 に つ い て は,. す で にわれわれは文部省の小・中学校学習指導要領の図工科, 美術科の目標の批判のなかで指摘 し た 通 り, 芸術科書道についてもまた, 「自 我の 確 立 が民主主義である, という一面的強調によって, 世 界 の科学的客観性とは正反対の自我の内面に, 主観的ノふ清, 感情にこそ自我の本質をみようとす る 主 張によっ て, 実は自我を, 個性を無内容な幻想に してしまう無国籍・無思想の教育が学校のな か で 行 な わ れ てい く こ とに な る 「要す るに現 実生活からの遊離, 対象にたいす る客観的認識やそ れ を 深める論理の軽視または無視, 指導の無思想性・無系統性などが批判される。 そういう性格の 美 的 情操教育と, 天皇への敬愛の念という道徳教育 との関連に注意しなければならない讐 戦前は,. 毛 筆 習字が国家主義・軍国主義教育における道徳性のゆえに評価された。 戦後の毛筆習字は, 芸術 性 の ゆ え に 評 価 さ れ る。 そ れ は 何 の た め であ ろう か。 いう ま で も なく そ れ は, 『期待さ れる人間 像』. の 線 にそった道徳教育を, 側面から補強するためにほかならない。. そ れ で は 書 の 芸 術 性 をわ れわ れ は どう 考 え る の か。 そ の 点 に 論 を 進 め る に は, 紙 面 に 限定 があ る. こ と と, 何 よ り も い ま だわ れ わ れの 研 究 が不 充 分 であ っ て, 充 分 に そ の 点 を 検 討 す る こ と が でき な い 。 そ れ で, つ ぎに 小 ・ 中 学 校 に お け る 書 写 の 問 題 を検 討 す る こ と の な か で, あ わ せ て そ の 方 向 を 明 ら か に して い く に 止 め ざ る を え な い。. 1 1. 書写の意義と目的. 1, 国語科としての書写の目的 文 部省の学習指導要領に従えば, 戦後, 習字は独立教科としては認められず, 「国語 学習の一 部 と し て 課 す る」 も の と な り, しか も 硬 筆 習 字 が 原 則 で あ る。 こ れ は す で に の べ た よ う に, 初 等 普 通. 教 育 の目標である 「日常 生 活に 必要な」能力と して, 書くことのなかに位置づけられたからである。 文 字 を書くことは, 国語学習の目標からすれば, まず文字を記憶するための重要な手段 である。 読 ん で 憶 え る だ け で なく, 手 で 書く こ と を 通 じて 憶 え さ せ る こ と が大 切 であ る。 手 で 書 い て み る こ と. に よ っ て, 文 字 の 意 味 と と も に そ の 筆 順 や 字 形 を し っ か り と 記 憶さ せ る こ と が で き る か ら であ る。 し た が っ て, 小 学 校 で は ま ず 一 年 で は「文 字 を て い ね いに 書く こ と」 「文 字 の 形 に 注 意 して, 筆 順 に 従 っ て一 「点 画 に 気 を つ けて 書く こ と」 か ら 始 ま っ て, や がて「文 字 の 組 み 立 て 方 に 注意 して,. 形 を 整えて一 「文字の大きさや配列に注意 して」 「読みやすく正しく書くこと」 などが要求されるよう に な る。. 中 学 校においては, 書写 が国語科の ・一部であることについては変りないが, 小学校での目標のう え に さ らに, 「速く美しく書く能力と態度」 がめざされる。. 小 学校三年以後の毛筆書写の 場合もその目標は同様である。 要するに国語学習の一環としての書. 写 の 目的は, 日常生活における有用性 にある。. 以 上 が現在の義務教育学校における書写の目的であるが, 文部省のこのとらえ方にわれわれもま 5.

(7) . 広川正治:美的教育のための 書写と書道の一考察. た 賛 成 である。 む しろ, さらにその方 向を徹底すべ きであるとさえ考える。 人格の全面的 発達とい ん う わ れわれの教育目的観か らするとき, 現行の 義務教育の教育課程は形式的にいってもりたく さ で あ り, 羅列的である。 実用主義的にあ れもこれも というのでなく, 真に基礎的な能力 をこそ限定 し て 重 点 的 に 指 導 す べ き で あ ろう。 こ こ では 教 育 課 程 に つ い て 論 ず る わ け に は い か な い が, 基 礎 学. 力 育 成としての国語科の学習はきわめて重要である。 文字 を知らず, 文字を書けなければ, 文を綴 る こ と は でき な い。 そ の こ と は 思 考 能 力 に 直 接 的 に か か わ っ て く る の で あ る。 文 をつ づ る こ と を媒. 介 に してはじめて 正 しく語ることができる。 現代の 基礎学力の低下に は, 書くことの軽視が無関係 と は い え な い で あ ろう。 小 学 校 で は 文 字 を正 しく 書 く こ と を こ そ, い っ そ う 強 調 す べ き で あ る。 こ. れ こ そ現代の 日常生活に もっとも必要な基礎学力である。. 素 をも っ 文 字 はコ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ンの 道 具 と して の コ ト バ の 符 号 で あ る。 漢字 の も と は 象形 的 要. て い たと しても, 現在われわれが日常使用 している文字は, コ トバを伝達するために作 られた全く. 有 の 符 号 で あ る。 し た が っ て, 符 号 と して の 明 瞭 性 を 欠い て は コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ンの 道 具 と して の. なる。 義務教育の課 程で, 文字を正しく書くという 指導はその 意味で決定的な重 用 性 を失うこ とと‐ そ のう え 要 性 を も つ。 文 字 を, 誰 に も わ か る よう に 正 しく, 形 を整 え て 書く こ と が基 本 で あ っ て, る ら れ る の であ 。 で, し だい に 実 用 的 要 求 と して 速 く 書く こ と が 求 め. わ が国の文字 は漢字の伝 来にはじまり, 大和・奈良 時代に渡来した中国普唐の書風に従っ た漢字 9 か ら, 万葉仮名 を創り, さらに平安 時代において草仮名と して発達 して来たものである そ して, に 国 強 調 せ ざ る を え な い こ と は, 中 国 と して も 同 様 であ る と 考 え る が, わ が国 に お い て も つ ね 中 の. 書 道 の影響の もとで, 書道の 発達 に 従って文字 が創られてきた の である。 その本流は決して初めか び ら 芸 術 そ の も の がめ ざさ れて い た の で は なく, まさ にコ ト バ を 伝 達 す る た め に, 同 時 代 の 他 の 人 は ま と の み な ら ず, 後 の 世 の 人 びと に も 伝 え る た め の 手 段 と して 文 字 が 書 か れて き た の で あ る。 書 ず 実 用 と して 作 ら れ, 使 わ れ た の で あ る。 しか しそ の 実用 に 余 裕 が で き, 自 信 が でき る に つ れて,. そ の 文字にたいする愛情が生まれてくる。 文字のもつ形への愛 は, 書の形象を形成する。 度重ねて 同 一 の 文字 を書き続けることによ って, その生活上の慣れは, 度重ねて書かれる文字の形への愛着 さ へ と 発 展 す る。 コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ンの 符 号 と して 書 か れ た 文 字 が, そ の 受 け 手 た ち に よ っ て 評 価. れ る ことを媒介に して, 造形された文字 (書) は形象としての 書 (風) を形造っていく。文字(書) の 有 用 感と形への 愛が結びついて 書の形象を形 成していくのである。 平安時代の 日本の三筆といわ れ る 書風も, 中国に おける普唐の名 跡から学びとられたものに ほかならず, しかもその名 跡, たと え ば 普の王 義子に しても, わが空海の 「風信帖」が最 澄に 贈 っ た書簡であるように, その名 跡は多 く 尺 績 であ ることをみれ ば, 書は本来実用性にあることが明らかである。 わが国の父母の多く が, い ま だに義務教育にの ぞむ 「手紙 がま ともに書けるように」という要求は, 書芸術のために も改め て 受 け と め な お して み る 必 要 があ る よ う に 思 う。. 書 が現代の 国民生活に根 ざした生き た芸術になるためにも, 硬筆書写 をこそ, 日常生活の 有用性 と し て確実 に指導する必要 があるのではなかろうか。 国民生活の 必要性から遊離したところに, 真 の 芸 術は成長 しない。 かつては文 字を書く道具は毛筆であっ た。 しかし現代は硬筆である。 国民の 日 常 生活と しては, 毛筆は一般に古い筆であり, 新 しい筆は鉛 筆であり, 万年筆であり, ボールペ 「 ン で あ る。 この点会津八一氏の主張は傾聴に価するであろう守 国語科の一部としての 書くこと」 ら の 指 導 は, した が っ て, ま ず 何 よ り も 文 字 を 子 ど も た ち に し っ か り 定 着 さ せ る こ と で な け れ ばな. な い。 文字を伝達の 手段として, はっきりと読む人にわかるような明瞭さをもって, 楢書で正しく, 「 に 「文 字 の 大 き さ や 配列 に 注 は じ め は「て い ね い に」 「形 を 整 え て」 , さ・ら に は 文 字 の 組 み 立 て 方 」. 意 し て」 「読 みや すく 書く こ と」 を指導しなければならない。 小学校段階ではこ れを8教科の基礎.

(8) . 広川正治:美的教育のための書写と書道の一考察. 的 学 力として定着させねばならない。. 中 学校段階では, そう した書写が, しだいに書く目的に会うように,,しかもだんだん速く 書ける. よ う に 練 習 さ せ な け れ ばな ら な い。 速く 書く こ と と 関 連 して, や がて 行 書 へ と 移 行さ せ る。 そ の た. め に は筆順に従っ て書くことの指導が不可欠となるであろう。. 義 務教育学校での国語科の一部として指導される書写の目的は, まさに日常生活の有用性に ある し, 人格の全面的発達のためのもっ とも基本的一般的能力と して, 文字を正しく速く 書くことにあ. る。 2, 「 美 しく」 書く こ と の 意 義 実 用 の 立 場 か ら, 文 字 を正 しく 書く こ と が身 に つ い て いく に つ れ, そ れ が生 活 目 的 に 従 っ て 有用. 性 を 発揮するにつれ, 文字を書くことに喜びが伴い, 書かれた文字に愛着を覚えるようになる であ. ろ う 。 そ の 喜 び が, その 愛 着 が, 書の 美 へ と 発 展 す る の であ る。 文字 を 「正 しく, 速く 書く」 こ と が で き, 心 に ゆ と り が でき る に した が っ て, 「美 しく」 書 く こ と が 可 能 に な っ て い く の で あ り, 文 字 を 書 く こ と の 慣 れか らく る ゆ と り は, 書く こ と へ の 喜 び, 愛 着 を生 み 出 して いく の であ る。 す べ て. の 他 の芸術もそう であるように, 現実生活の 「有用性」か ら遊 離 したところで美 が成長するの では な い 。 も し生 活 と は 別 の と こ ろ で 「美」 が 創 ら れ た と して も, そ れ は 結 局 す る と こ ろ, 一 人よ がり の あ だ 花 で しか な い で あ ろう。. し た が っ て, 書 を芸 術 に 発 展 さ せ る た め に も, は じめ は, 今 は 古 い 筆に な っ て しま っ て い る 毛 筆. かフサではなく, 新 しい筆 (硬筆)でこそ 書く こ と の練習をすべきである。 まさに生活の有用性のた. め に 。 しか しこ こ で わ れ わ れ が 強調 す る 有用 性 は, いう ま で も なく 実 用 主 義 の「有 用」性 で は な い。. そ れ は要するにひろく資本主義的利害を基準に した 「有用」性 であ る。 結局するところそれは, 資 本 主 義社会を維持 していくという政治的・経済的方向にそって芸術の価 値をも判定するのである。. わ れ われのいう有用性は, 国民生活の要求に合致する有用性 である。 義務教育の段階では速く書く こ と と あ わ せ て, 行 書 を 書 け る よう に 指 導 した い。. 書 道 専 門 家 た ち の あ い だ に は, 芸 術 と して 美 しく 書く の は, 毛 筆 でな け れ ばな ら な い か の よ う に. 考 え る傾向が強いよう であるが, この点では, 書道における隷書 (古隷) や豪書の意義をどうとら え る の か。 さらに亀甲獣骨文のような古文を芸術書の立場からどう理解するのかが問われざるをえ. な い。 小学校で技術的にかなり無理のある毛筆で書くことの指導をはじめるのでなく, 硬筆でまず 形 を 整えて, 誰に でも明 瞭に読みとれる文字を正 しく, そしてしだいに速く書けるように指導する こ と に よ っ て, そ れ だけ で も か な り に 美 しく 書く こ と が 可 能 に な る であ ろう。 しか も 行 書 ま で と い. う こ と に な れ ばな おさ ら で あ る。. 子 どもたちが意識して 「美しく」すなわち, 書か れた文字に喜びが感じられ, 愛着を覚えるほど. に 書 かう と す る 時期 に こ そ, 芸 術 と して の 書 を, そ の 時に こ そ 毛 筆,で指 導 す べ き で は な か ろう か。-. そ の 時期はやはり, 義務教育終了後でよいであろう。 趣味と しても, 芸術書専門家の育成のために も。. 小 ・ 中 学 校 で は, 書写 は 独 立 教 科 と して では な く, 国 語 科 に 位 置 づ け ら れて い た と して も, そ の. こ と が決して子 どもたちの書に対する人格の美的要素の育成を無視することにはならないであろう。. そ の ことは文字を読むことに音楽的要素が含まれており, 理科の学習にさえ不可分に国語的要素が 伴 う の と同様である。 文字を書くことのうちにしだいに, おのずから芸術的美的要素 が伴う であろ う。 そうなるの が現実的・具体的指導 である。 1 1 書の芸術性は何か 1. 7 丁.

(9) . 広川正治:美的教育のための書写と書道の-考察. る必要 基 礎 的義務教育において は, す でに みてきたよう に, 毛筆習字 を芸術的教科と して特設す と音 工 ) 美術 (図 ては 育にあ 普通国民教 っ 科としても 育のための教 , は 認 め られない。 たとえ美 , とは, 普通教 楽 と で充分その目的を達成 しうると考える。 美的教育のため に毛筆習字を特 設するこ 「 たよう に, 手 本 の あ 育 全 体 の な か で 一 方 的 強 調 と な り, 結 果 的 に は, 戦 前 の 書 き 方」 が そ う で っ. ? 模 倣 と なるか, 抽象的ない わゆる 「創美的」あ だ花に な ら ざるをえないであろう. と え ら れる も の に そ れ で は わ れ わ れ は 書 の 芸 術 性 を どう 考 え る の か。 現 在 の 段 階 で は, 芸 術 書 考 る 前 者は 書形 象 二 面 が あ る よう に 思 う。 一 つ は お の ず か ら な る 面 で あ り, 他 は あ え て す る 面 で あ 。. に よ る 人格の個性的表現であり, 後者は書形象による感動・感情の意識的表現である。 1, 人格の個 性的表現 バ として 同 時 代の他の 人びとへの, さらには後世への伝達という生 活上の 必要から, コ ト の符号 コ ト バ が文 字 に な る た め 文 字 が 社 会的 に 共 有 さ れ る 文 化 と して, お の ず か ら 形 成 さ れて き た。 ま た と して 社 会 に 共 通 す に は 書 く 道 具 . 筆 が生 産 さ れ ね ばな ら な い。 文 字 がコ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ンの 手段. く受け る も のであれ ばこそ, 人間相互の 意志疎通の 実用性のう えに, さらには他の 人びとによりよ よ う に, 筆 に よ っ て 入 れ ら れ る も の と して, す な わ ち 快 き よ ろ こ び を も っ て 受 領 さ れ る 文 字 で あ る. 人間相互 書 く こ とがしだい に工夫されていくう ちに, 文字の書き方の美的な形が形成されていく。 書く人によ 書きぶりが の型 って ある文字 , の 文 字 による伝達 関係を媒介にして, 感性的により価値. 練の 結 果 と して の ゆ 形 成 さ れ て い く。 こ こ に 書 風の 美 が生 ま れ る。 美 は ま ず, 書く こ と の 技 術 の修 よ こ びの 情 を と り か らく る 書く こ と の よ ろ こ び であ り, そ う して 書 か れ た 書 が読 む 人, 観 る 人 に ろ 術 であ る た め に は よ び お こ す と こ ろ に,あ る。 芸 術 ( 虚t) は 何 よ り も ま ず 技 術 (Art) で あ る。 技. ない。 社 会 的 共有財 としての道具, 筆・墨, 書かれるもの, 亀甲・獣骨・ 木板・紙を欠く ことができ 筆順) そ のよろこ びは道具を素材とした書き行く線の動きから生ず る。 書かれた書 を, その動き ( 紙 のう え に 筆 に よ っ に 従 っ て 観 る こ と か ら 生 ず る。 こ こ で は 書の 美 の 分 析 的 検 討 は 許 さ れ な い が,. て 書 か れた線・形・ 墨色,筆の 流れの遅速緩急・点画の強弱・軽重 といっ た諸要. 素の総合された性. が 法 と して そ の 青 か ら 書 の 美 は 生 ず る。 そ こ に 書く 人 の 一 貫 性 がみ ら れ る と き, 書 風 と な る。 運 筆. れ 形象である。 書 人 な り に一貫性 をもつところに書風があり, 芸術一般か らいえば, そ が書芸術の まさ く 技 術をすぐれて修練した人によって創 造さ れたこのよう な書像が書の 形象である。 書の美は に こ の 形 象 の 美 で あ る。. る 協 書 形象が形成される過程には, 他の人 びととの現実生 活におけるいろいろな 人間関係があ 。 感動があ 感情があり や怒りの , 力 と 闘争 と, それに伴うい ろいろなよろこびと悲しみ, 恐れや驚き 統一性である 一貫性・総合性・ 諸関係の 形成さ れる社会的 。 換言す る。 人格 とは人生体験のなかで 験とのかか した人生体 れ ば, その個 人が環境に対処するときの人生観であり, 世界観である。 そう 形 象 へ 発展 す る の わ り の な か で こ そ, コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ンの 符 号 と して の 文 字 を 書く こ と も, 書の. 験 すなわ で あ る。 単にかかれた文字の形 が美しいのではない。 書の線や形の背後に 書者の人生体 , えるのである。 ち, 現実生活に対する意識がおのずから染み透っている。 その限り観る 者に感動を与 性的表現である 書 者 の 人生体験が染み透っているよう な文字形が書形象である。 書形象が人格の1母 お い て も, そ の と い う ゆ え ん で あ る。 ま た 少く と も 戦 前, 多 く の 名 跡 は 中 国 に お い て も, わ が 国 に. 書であれ ばこそ, 多 く は ただ実用的目的で書かれた手紙や草稿であっ た。 そう したあえて たくまざる か らなる ゆ え む し ろ 芸 術 的 な 美 しさ が に じみ 出 て, 観 る 人 を 感動 さ せ た の で あ る。 書 の 美の お の ず. ん で あ る。 な 性 格 か ら であ る 古 来, 「書 は 人 な り」 と か, 「書 は 心 の 鏡」 と か い わ れ て き た の は, こ の よう いことはす で ・ ノL と 考 え る。 こ の 場 合, 「人」 と い い, 「 」 と い っ て も, 決 して 単 に 主 観 的 な も の でな.

(10) . 広 川 正 治: 美的 教育 の た め の 書写 と 書 道の 一 考察. に 明 らかであろう。 「人間の 本質 は, その現実性においては, 社会的諸関係の 総体である翌 人格と い い, . 心 と い っ て も そ の 人 がこ れ ま での 人 類の 労 働 に よ っ て 形 成 さ れ た 社 会 的 共 有財 であ る 文 化 の. な か で, みずからも労働 し, 追体験 し, 再構成する過 程で, 客観的外界を認識するこ とによって形. 成 さ れ た もの に ほ か な らな い。 した が っ て 書 形 象 も ま た, そ の 人 の 書と して は個 性 的 であ り, そ の,. 人 の 人生体験としては主観的ではあっても, その内容・条件 は客観的・社会的存在にほかならない。 し か し, だ か ら と い っ て, 人生 体 験 が豊 か で深 い 人の 書 がす べ て 芸 術 的 であ る の では 決 して な い。. 書 の 芸祁テ性を決定するものはいうまでもなく, それを表現する書形象による技術にある。 2, 感動・感情の意識的表現 ヘ ー ゲル的にいえば, 「讃歌」 の芸術性は, 客体的・普 遍的側 面 のコトバ が主体的個別的側面の 信 仰 に ま で弁証法的に媒介されてい るという性格にあった。 「喜劇」 のそれは, 階 級社 会一 般の政 治 経 済 の本質を感情的に表現するところに, 階級社会的本質の感性的具体への弁証 法的媒介性にあ っ た。. 美 は つねに美的感情であり, 感ずるものはこの 我であるかぎり, 主観的である。 けれどもそれを 美 しい と感じさせるもの は自然や社会の客 観的存在である。 ある時, 誰かが何かに 美を感じたとい う こ と は偶 然のように見えても, 人間に美的 感情を触発するのは自 然や社会に客観的に存在する美 の 法 則 であ り, 美 しい と 感 じさ せ る 必 然 性 に もと づ い て であ る。 と は い え, そ の 美も ま た 普 遍 的 絶. 対 的 な ものではなく, 生産労働の社会的発展とともに発展する。 その意味では相対的である。 客 観的に存在する 自然や社会生活における美なる ものを創造的に再現するところに芸術がある。 芸 術 美 は現実生活の本質的側面を形象的に認識したものにほかならない。 これがわれわれの芸術に た い す る基本的な考え方であっ た。 それでは書の芸術性は何か。 書において認識される対象は何か。 そ れ は 絵画のように 直接外界を描くのではない。 一般的な言い方をすれ ば, 心を認識するのである。 わ れ わ れの 内 な る 意 識, と い っ て も 現 実 生 活 の な か で 感 じと ら れ た 意 識の 動 き であ る。 ま さ に 感動 で あ り, 感 情 であ る。 そ れ を 書 の 形 象 に よ っ て 表 現 す る と こ ろ に 書 の 芸 術 性 が あ る。 書 の 形 象 は どの よう に して 形 成 さ れ る か は す で に 前 項 での べ た。 す でに み ず か ら 習 得 して き た そ. の 形 象 を意図的に 駆使して, 自覚されている 感情や感動を書として 表現することによって, 書が芸 術 作 品 として創造される。 その時々の感情 を書として表現すると しても, 書として書かれるものは 文 字 であり, さらには文章であ るがゆえに, その文のもつ意味と書として表現 しようとする芸術的. 感 情 性 と が矛盾 す る もの であ っ て は な らな い であ ろう。 む しろ, そ の 両 者 が一 致 している時に こそ,. そ の 感 情の書的 表現も芸術的に 生きてくるであろう。 したがってその時々の 感動・感情を書として 表 現 す るといっても, 書として書かれる文 字や文章 が選択さ れる べきである。 これまで芸術 書を意 識 して 書く場合, 文は殆 んど文学的内容のもの・詩が書かれた。 書の美の書かれた文字の文学性に 対 す る 関係は, 音楽的には曲に対する演奏の 美に似ている。 ,大 き く 二 面 があ る。 時 間 書 の 形 象 は 筆の 線 質 か ら 成 っ て い る が, そ れ を 組 み 立 て て い る 要 素 に は. 性 と 空 間性である。 時間性には運 筆の速度・方向・リ ズムがある。 空間性には字形, 墨色をあらわ す 潤 渇・ 濃淡・線の細 大, そして余白のとり方などがあげられよう。 す べ て形の 美には, 一挙に投げ出された形態の空間的な構造性とともに, 時間的に創 造していく 力 動 性 とがある。 書の場合もまさにその通り であって, 家・隷・措にはより空間性が, 行・草・か な に は より時間性 が強く働くであろう。 以上のような書の 美を形成する 形象の諸要素を意図的に組 み 合 わ せな がら, 文字のもつ意味や詩情との関連において, その時々の 感動や感情, さらには思想 性 を も 形象的に認 識しなおして書が創 造さ れるとき, 芸術作品と しての書が生まれる。 今後の 書の 芸 術 的 発 展 は この 方 向 に お い て で は あ る ま い か。. Q J. . ・ . , . ・ . . ‘ ‘ ● ● ● . ● ● ・ . ・ . . ● . ● ● ′ ● . ・.

(11) . 広川正治:美的教育のための書写と書道の-考察. 3, 美的教育の ための 書の指導 今 後発展させる べき書の芸術性がこのような点にあるとすれば, われわれの美的教育の立場から, ど の ような指導が考えられるであろうか。. 前 項の考察からして, 人格の個性的表現としての 書の芸術性が, 感情の意識的表現と しての芸術 性 を 裏 づけていること, またそうなければ書は真に生きた芸術と して 教育力を発揮できないであろ . 義 務 教育段階においては, すでにの べた通り, 日常生活の有用性のなかでおのずから文字生活に 美 し さがに じみ出るように指導す べきである。 その点に集中することである。 生活環境を飾ること に つ いていえば, いわゆる装飾文字は, 美術(図工)科の 一部 と して指導す べきである。 書の観点 か ら は, 装飾をめ ざして指導すべきではない。 書の真の装飾性は, 文字を書くことの有用性からに じ み 出 る も の であ る し, あ る べ き で あ る。. 高 等学校以上の専門的書芸術の教育にあっては, 第一の指導は書形象の練磨にある。 そのために は ま ず, 古今の名 跡に従って, 各書体の運筆法・用筆法を身につけること である。 大切なことは,. そ の 習 練が単なる猿真似にならないように, それぞれの筆法による形が, 線質が, いかなる感性・ 感 情 の 認識によるものかを, その書全体の関連のなかで, 臨書しながらみずから再認識・再体験し て い く こ と であ る。 そ れ な しに は, み ず か ら の 書 形 象 を 習 得 す る こ と は で き な い。 み ず か らの 書形. 象 な しに, 書芸術を創造することは不可能である。 そのためには, 欧陽諭とか, 顔真卿とか, 特定 の 書 風 に限定す べきではない。 あらゆる性情を表現 しうる書法を身につけるためである。 この意味 で も 臨書指導は重要である。 自己の書形象を学びとるため に臨書するのであっ て, 手本を模写する. こ と で あ っ て は な ら な い。 臨 書す る と い う こ と は 鑑 賞 す る こ と で あ る。 た と え ば, 嵯 峨 天 皇 の 哀 翰 「 奥 澄 上 人」 に お い て は 敬 慕帰 依 さ れ て い た 最 澄の 入 寂 に た い す る お 悲 しみ を 運 筆 と と も に 学 , , び と ら な け れ ば な らな い であ ろう。 した が っ て ま た 臨 書 は 再 創 造 で も あ る。. し か し, その学習が特定なものに限定されると, 書の形・線はまことに抽象的なものであるだけ に, 普遍性を見ぃ出しえないのである。 客観的共通性の乏しい形や線からは芸術的形象は生まれな い。 ひ と り よ がり に 陥 る 危 険 性 も こ こ に あ る。 す ぐ れ た 芸 術 は つ ね に 独 創 に よ る もの でありな がら,. そ の 作 品がすぐれたものであればあるほど内に深く普遍性に支えられている。 美的直観を支えるそ の 普 遍 性 は どこ か ら生 ず るの であ ろ う か。 本 質 的 に は 現 実 社 会 の, そ れ と の か か わ り に お い て の 自. 然 の 客観的存在の真理・真実にある。 しかし形象と しての普遍性は, 書においては, それぞれの線 質 が どのような全体構造のなかでは どのような感情を触発するのかという科学的法則性にある。 そ. う し た線質のもつ心理的法則性に裏 づけられながら, しかも科学的理論からではなく, 芸術的形象 と し て の 筆 法 を 身 に つ け て い か な け れ ば な ら な い。 書芸 術 の 道 は 今 後 い よ い よ 険 しく 遠 い。 わ れわ. れ も ま た, 研究の不充さのゆえに, 紙面の不足のゆえに, 書形象形成の研究は今後にまたなければ な ら な い守. (註) 「 2年, 482ページ, ヤイデー女史 1 . アメリカ側の書道観については, 上条信山著 現代の書教育」 本耳社, 昭和4 の 書道観, 参照。 6年改訂版, 明治図書刊, 19ペー ジ参照。 2 . 文部省, 学習指導要領・一般筒, 昭和2 i 3年改訂版, 明治図書刊, 33ページ参照。 3, 文部省, ′ ・学校学習指導要領, 昭和3 3年改訂版, 明治図書刊, 28ページ参照。 4. 文部省, 中学校学習指導要領, 昭和3 5, 文 部省, 小学校学習指導要領, 昭和43年改訂版明治図書刊, 2 7ページ参照。 10.

(12) . 広川正治:美的教育のための書写と書道の一考察 6.. 7.. 上条信山著 「現代の書教育」112ページ。. 同 上, 115ペー ジ。. 3年版, 3 3ページ。 8. 文 部省, 小学校学習指導要領, 昭和3 9, 上条前提書, 143ページ, 傍点引用者。 10, 同 上, 126ペ ー ジ。 11. 同 上, 89 , 90ペー ジ 12. 同 上, 90ペー ジ参 照。. 1年, 16 0ページ。 13. 井島勉著「 書の美学と書教育」 墨美社, 昭和4 14, 同 上, 176ペー ジ。 15, 同 上, 164ペ ー ジ。 16, 同 上, 314ペー ジ。. 17. 同 上, 249ペー ジ。 18. 同 上, 249 , 250ペー ジ。. 19. 芸術としての書の 「世界性」 ということについては, 文部省も 「高等学校学習指導要領解説・芸術篇」 のなか で, 「なお, 近年, 広く欧米の人々の内に, 書芸術がしだいに理解され, 高く評価される傾向が著しくなり, 書 9 1ページ) といい, これを書教育の重 72年, 東洋館出版, 1 が国際間の理解や親善に果たす役割も大きいり(19 「 なお井島前提書の付 現代における日本の書の動向について 要性の裏づけにしているところである。 録 」 およ. 0. 2 2 1. 22. 2 3 . 4. 2 25. 2 6 ,. び 「書 をさ しはさ ん での 東西 交 流」 を 参照さ れ た い。. 本 紀要, 第2 1巻, 第1部C, 第22巻, 第1部Cの拙稿参照。 本紀要, 第25巻, 第1部C拙稿参照。 4 6ページ。 2 6年単版, 文部省印刷局, 12 文部省, 高等学校学習指導要領, 昭和4 , 12 , 12 7ページ, なお資本主義社会の 本紀要, 第25巻, 第1部C, 96 ,9 .芸術批判については, 第22巻, 第1部C, 拙 稿の 「芸術の階級性」 参照。 0年, 4 3ページ参照。 平 山観山著 「新日本書道史」 有朋堂, 昭和3 97 0年, 参照。 長 島健編 「会津ハー書論集一 二玄社, 1 5巻, 第1部Cの拙稿, 特に 「新教育」 的美術教育批判の項参照。 本 紀要, 第2. 27, マ ルク ス 「フ オイ エ ル バ ッ ハに かんす るテ ー ゼ」 六。. 28 2巻, 第1部Cの拙稿参照。 . 本 紀要, 第2 「 とした文献はつぎの通り, 上条信山著 「現代の書教育」 9 2 この章で特に参考 ,上 , 井島勉著 書の 美学と書教育」 . 「 「 二玄社 7 0年。 書の変相 1 9 田桑鳩著 臨書研究」 上下巻, 興文社, 昭和16年, 西川寧著 」 , (本学教授・函館分校). 11. ● ● 1 ‐ ● . 1 . . 1 . ● . ● . ●. .. .. .. ● ..

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参照

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