J. S .バッハ「ゴルトベルク変奏曲」の装飾音奏法に関する諸問題(その1)
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(2) . 平成 6年3月. 北海道教育大学紀要 (第1部 A) 第製巻 第2号. MaICh ,1994. 2 ion( Sect i l 44 iけ of]取iuca t lofHokkaido Univers onIA) Vo Jouma ‐ ‐ ,No. 1.S.バッハ 「ゴルトベルク変奏曲」 の装飾音奏法に関する諸問題 -その1-. 中. 村. 隆. 夫. は じ め に. バロックの音楽作品の装飾音がどのように演奏される べきかという 問題は, 常に論議の的となっ ている. とりわけJ‐S.バッハのように作品が優れ, 演奏頻度も高い作曲家の場合には, 古くから 様々の研究が成されてきたが, 新 バ ッハ全集の刊行や彼の生誕300年 ( 1985 ) に焦点を合せた各種 研究によっ て, その内容はさ らに多様になっ た. これらの研究を比較 してみると, 装飾音奏法に対 する考え方は, かつての硬直したものからより柔軟なものへと変化しつつ あるように思える. 近年の研究には従前の考えを覆すような優れた見解や, より説得力のある意見が数多く含まれて いるが, これらがすぐにでも演奏家に採用され, 聴衆に提供されるという可能性は非常に少ない. 元来演奏家というものは因襲的, 経験主義的で, 理屈の上では正しいと思えることでも, 実際の演 奏になかなか適用 しようとしない傾向がある. また同時に, 優れた演奏家が必ずしも様式研究に熱 心であるとは限らないので, 研究の成果が演奏に反映されるまでには, 必要以上に多くの時間がか か る, と い う こ と に も な る の で あ る. そ こ で 私 は, J S バ ッ ハ 「ゴ ル ト ベ ル ク 変 奏 曲」 の 主 に ア ‐‐. リアを中心素材に, 演奏家の実際の演奏を参考にしつつ, 最新の研究を踏まえた装飾法を検証する こととした. 本稿を起こすにあた っ ては, F.ノイマ ンの研究に大いに触発されるところがあ っ た‐ 彼はその 著書 「正 しい装飾音奏法」 において, これまでバ ロック音楽全般に亙っ て多くの研究者が支持 し, 演奏家もそのまま採用する傾向にあっ た様々の演奏解釈につ いて疑問を抱き, これに鋭く迫る考え を表明した. 彼は繊密な論考によっ てこれらに疑義を 唱え, バ ロッ ク全体およびバ ッハの演奏法に つ いて再考を促しているのである‐ (注 :以下の引用文中, 文末に引用文献としてあげてあるものは, その該当 ページだ けを示 した). 1. 「ゴル トベルク変奏曲」 の各種の版. 本稿で参照 した版は以下の諸版 である. 1. 初版 (印刷) 譜 (バ ルタザール・シュミー ト出版, 17 41-2) の バッハ加筆訂正稿 (Pari ions J t s . Edi , MS17669 ‐ M.Fuzeau,1990). 2. ラルフ・カーク パ トリ ック編版 (G‐Schi 938 rmer ‐ 荒木雄三訳, 全音楽譜出版社) ,1 3. ベ ー レ ンラ イ タ ー 原 典 版 (新 バ ッ ハ 全 集 V / 2, ヴ ォ ル フ 編, 1977). 4. 「アメ リカの バ ッ ハ 資料集」 (Gerhard Herz, Bach Sources in 1984 ) から, 「ゴルトベルク変奏曲」 のフ ァク シミリ部分. A merica Barenrei ter , ,. 131.
(3) . 中 村 隆 夫 ベ 「 5. 「ア ンナ ・ マ グ ダ レー ナ ・ バ ッ ハ の ク ラ ヴィ ー ア 小 曲 集」 (1722 ,25) か ら ア リ ア」 ( ー レ. )) ンライター原典版 (新バ ッハ全集V-4, ダーデルゼン編, 1959 「ゴルトベ ルク変奏曲」 の自筆譜は現存 しないので, その研究の手掛かりはまず初版譜に求めら れる. カークパ トリ ック版は, 初版譜に忠実に従いつつ補筆箇所はそれと分かるように明示 し, 装飾音 符の符桁の数や実音符との間にスラーがあるかないか, な どの細部について も厳密に再現した良心 的な版である‐ また曲中の装飾音がどの様に演奏されるべきかの詳細な注釈を付し, 研究版と実用 版の両面を兼ね備えている. 974年に, 「ゴル トベ ルク変奏曲」 初版本の バ ッハの自家本が, ま っ たく思いがけずにフラ ンス 1 ) 現在はパ リの国立図書館が所有するこの本には バッハ自身による の個人蔵書から発見された1 . , ltempo di 一連の重要な訂正と加筆が含ま れている‐ 市販さ れている フ ァ クシミリ版か らも, a Gi i o (第25変奏) の表示を初め, 装飾やアーティ キュ レーショ ンに, バッ ga (第7変奏) と adag ハの書き込みと思しきものが確認できる‐ ベーレンライター原典版には, この自家本から得た新たな情報が取り入れられている. 装飾記号 については, 記号の細部にわた って厳密に扱おう とする態度が伺われる. また 「アリア」 では初版 譜に見当たらない装飾音が2つ 付け加え られているが, これらはアンナ・マグダレーナの小曲集か らのものであろう. 現在アメリカに, バッハの死後ほどなく書き写された 「ゴルトベルク変奏曲」 の完全な筆写譜が 5部あるが, その内の少なく とも2部は, バ ッハの最後の重要な弟子であっ たキ ッ テル (Johann Chri ian Ki l t te st ,1732‐1809) の 手 に な る も の で あ る こ と が 判 明 し て い る. こ の こ と を 紹 介 し た. 「アメリカの バッハ資料集」 には, その内の 「アリア」 の一部 (あるいは全体) が4種類, フ ァク シミリで掲載されているが, それら相互の装飾記号には微妙な違いが見出だされる. 「ゴルトベルク変奏曲」 の主題である 「アリア」 は, 同じものがやはり 「アンナ・マ グダレーナ 25-6) ・バ ッハのためのクラ ヴィ ーア小曲集」 に載せられている. 以前は前者の完成推定年 ( 17 と後者の出版年 ( 1741-2) を根拠に, このアリアが 「ゴルトベ ルク変奏曲」 主題の原曲である, という意見が支配的であっ た. しかしダーデルゼンはそれを否定 し, 「クラ ヴィ ーア小曲集」 の方 が 「ゴルトベ ルク変奏曲」 初版譜からのア ンナ・マグダレーナによる筆写である, と主張している (ベー レンライター原典版, p . またこれにともない彼は, これま で不明とされてきた ‐XXXV) この主題の作曲者は, 間違いなく バッハ自身であると確信している.. 夏. バッハの装飾音奏法の手掛かり. 装飾音奏法を探る手掛かりとしては, 以下の資料を基礎とした. バ 1. J .S . ッハ自身の手になる装飾音表 a. 「W.F. バッハのためのクラ ヴィ ーア小曲集」 巻頭の一覧表 (エクスプリカツィ オーン) b‐ ジャ ン・アンリ・ ダングルベールによる 「装飾記号一覧表 ( 1 689年)」 の忠実な筆写 2. バッハ自身, あるいは家族や弟子たちの手になる異稿 3. 他の演奏形態 (声楽曲, 管弦楽曲) での記譜法. 4. 同時代の理論書や他の作曲家の作品 132.
(4) . J. S.バッハ 「ゴルトベルク変奏曲」 の装飾音奏法に関する諸問題. ハ ッハ自身が書き残した装飾音表は, 以下の2つ である. 図版. la. 「W‐ F. バッ ハの ための小曲集」 より. 図版. lb. ジャ ン・アンリ・ ダングルベール 「装 飾記号一覧表」 の聾写. ヒ. V --‐. ,- ふr ‐ ‘. -. 1″. ‐ ‘. 1. ″. 謬今 繁益 みえ.. ム. - 署- l t. 1. , l ’〆′′r▼. 『‐キ ‐ 鯖雲 〃 ー. .. レ. -. 1. 二. ÷÷‐ ‐十一翼粋L. 1lrゴヂヨーM納骨 トヂぐiぬ一斧. 諺ル メ. 鱒 鑓 私 〆披 露 ;鮒一人 ,. 好 ↓・. fも. 133.
(5) . 中 村 隆 夫. 図版la はバッハの装飾音奏法を解読する決め手として, 必ず引き合いに出される基準である. しかしながらこれを バ ッ ハの装飾音のあらゆる場面に厳密に適用 することには, 前述のノイマ ン (p ) やエマリ (p .8) を初め複数の学者が疑問を表明している‐ .302 まだ幼い息子のために書かれた学習上の 「覚え」 の域を出ないもの この装飾音表が その理由は, であって, あらゆる場合の絶対的基準と見倣すほどの権威があるかどうか疑問 (バッハはこれ以外 の装飾音も,自作品の中で使用 している)であること‐ バ ッハのいろいろな作品にあたっ てみると, ある装飾音が必ずしも唯一つの奏 法を示すとは限らないので, 他にもその可能性があるかも知 れな 20年 (バッハ35才頃) 以後, 生涯変わらず同じ奏法を守っ ていた と いこと. そしてこれを書いた17 いう保証はないこと, 等である. 5 )で l bの存在を, 私自身はクロッ ツ 「バ ッハのクラ ヴィ ーア・オル ガ ン作品の装飾 法」 ( p .2 初めて知っ た. この表の筆写時期など, 詳細についてクロッ ツは何も触 れていないので, l a との 前後関係は分からないが, 両者は同じ奏法理念に基づい ている, と判断してよいだろう. 私はこれ までの研究者のほとんどがこのことに言及していないことから, 彼らもまたこの 表の存在を知らな いのではないかと思う. もし知っ ていたと したら, その意見は多少違っ ていた かも知れない‐ つま り, エ マ リ やノ イ マ ン の l a に対する不信感の理由の一つ は, それがバッハによる唯一の装飾音表. だから, というところにあ った. ところ がバッハが他にも同 じような表を残し, しかもその内容が ほとんど同種のものである となると, もしかしてlaの基準価値は, 従来いわれてきた以上に高い のかもしれない.. m. 「ゴル トベルク変奏曲」 の近・現代の演奏スタイル. 1 932一1 982 ) の2つの レ 現代の 「ゴルトベ ルク変奏曲」 演奏を語るときに, グレン・ グール ド ( 955 ) を避けて通ることはできない‐ 彼の躍動感溢れる個性的な演奏 (とりわ コー ド録音 ( 1 , 1981 955年録音のもの) は, それまでの謹厳で禁欲的な バッハの け彼がレコー ド界にデ ビューを飾っ た1 イメ ージを根底から覆し, 作品にひそ む魅力を再認識させる衝撃的なものであっ た. 彼の演奏から 推測して, あるいはグール ドはカーク パ トリック版に目を通していたの かも知れない. それという )が提案する装飾音奏法に ほぼ従 っ ている からだ グー のも,グール ドの演奏はカーク パ トリ ック2 ‐ , ) ル ドにしろカーク パ トリックにしろ, 権威ある音楽家の後世に与えた影響力は無視でき ない3 ‐ レコー ド演奏については, 以下の諸盤を参考とした.. 演. 134. 奏. 者. 録 音 年月. 録 音 場 所. 使用 楽器. ワ ンダ・ ラ ン ドフ スカ. 1934 .6. パリ. チェンバロ. ク ラ ウ ディ オ ・ ア ラ ウ. 1942 .1‐3. アメ リ カ. ピアノ. グレン・グールド (旧). 1955 ,10 ‐6. ニューヨーク. ピアノ. ヘルムート・ヴァルヒャ. 1961 .3. ハンブルク. チ ェ ンバ ロ. グス タ フ・ レオ ンハ ル ト. 1964頃. ドイツ?. チェンバロ. グレン・グール ド(新). 1981 ‐4‐5. ニ ュ ー ヨ ーク. ピアノ. ア ン ドラ ー シ ュ ・ シフ. 1982 .12. ロ ン ドン. ピアノ. ト ン・コ ー プ マ ン. 1987 ‐5. ユ トレヒ ト. チ ェ ンバ ロ.
(6) . J‐ S.バッハ 「ゴルトベルク変奏曲」 の装飾音奏法に関する諸問題. W. 「ゴル トベルク変奏曲」 アリア旋律声部のフ レー ズ構造. ) このことはバッハの装飾音奏法解明の バッハはしばしば装飾音を克明に実音符 で記譜するが4 , 重要なヒントとなる. パッ サカリア風低音主題は, 確固とした4小節フ レーズ8個からなっ ている これに対して旋律 ‐ 声部は, おおむね4小節 フレー ズであるが, 最後の2つのフ レーズ (8小節) だけは2+6小節と い う 変 則 的 な フ レー ジ ン グ に な っ て い る.. <前半1 6小節>. < 後 半16小 節 >. ① i, a, i i 4 ) , 青 ( a, i ② i, 萱, i ) 4 v ( ③ i, 辻, 遁, i 4 ) v (. ⑤ i, 五, 遁, i 4 ) v ( ⑥ i, 五, 遁, i 4 ) v ( ⑦ i, i i ( ) 2. ④ i, 韮, 滋, 背 ( 4 ). ⑧ i, 萱, 童, i ) 6 v, v, 西 (. 初めの3つのフ レーズでは, それぞれの第1小節 (i) はリズムも装飾音も同一 である‐ また残 りの3′ j 、節 (亘, 範, 曹) も, 第1小節 ほどではないがそれぞれ相互に対応している‐ 前半を締め 括る第④フレーズは, i, u, 範の各小節でほぼ同じリズムを反復した後, i vの終止に至る. 前半が整然とフレーズを構成しているのに対し, 後半はやや複雑で, それまでの構成要素が自由 に順序を入れ替えて現れるようにみえる. ⑦iは①②の五に, ⑦i iは①i vに対応している. また第 ⑧フレーズの 長 譲 ん 巣 ぷvは, 反復という点 で第④フレー ズのi, n, mに対応している‐ ス. V 各装飾音の分析 <第①フ レー ズ>. ま 一. 室 一. 室 一. 室. ①i [第1小節] (②i, ③iも同様) モルデント バッハのモルデントには短モルデント* と長モルデント÷』 の2通りがある エマリは短モルデ ‐ ントを基本と しながら, ときにはそれを長 モル デ ントで演奏することも -- 特に記号が付されて いる音符が長い場合 には -- 許されるだろう (p 24- 7) , と い う. そ の 理 由 と し て 彼 は, バ ッ . ハの記号自体, 長短の違いが明確ではないからとしている‐ カーク パ トリ ックもそのことにつ いて は同意見である (p 1 ) . .1 a (短モル デン ト). 譜例,. 穿. b (長モ ルデン ト). ′ 函 圧 触庭 Eヨ国産お E 占 細’. 135.
(7) . 中 村 隆 夫. これに対してクロッツは, 複雑ないい方で長モルデントの扱いは稀であると主張する. 彼はまず 「バ ッハの自筆譜では, 短いモルデント記号 しか見られない. (だが) 恐らく これは, バ ッハが短 7 )」 と い形のモルデントのみを用いていた, ということを意味するものではないであ ろう (p .11 いいつつ, その先あまり間をおかずに, 「作曲家たちが, モルデントの顔音の数はそれが付いてい る音の長さによっ て決 められる とのべている点については, 相対的には正しいといえよう. 他方, バ ッハは, モルデントにほとん ど常に非常に小さな記号を付しており, (中略) このことは, やは 20 )」 と り バ ッハが 『通常 は』 モルデントを全く 短いものと考えた, と推測させるのである (p .1 い う.. カーク パ トリ ック版は, 全曲を通してすべてのモルデントを短い記号で表している‐ 一方 ベー レ 0変奏」 (8箇所) と 「第26変奏」 (3箇所) のモルデント全部に短い記 ンライター原典版では 「第1 )を用 い ている 加筆訂正初版譜 には大ま かに 号 * を, それ以外の場所にはすべて長い記号 州}5 ‐ いっ て2通りの記号 が見られるのだが, これを底本にした ベーレンライター版は, 前述の2つの変 奏に現れる記号 (すべてバッハの加筆) を短い記号で表し, 彫版者が書き込んだそれ以外のものは 異なる記号 (バ ッハの加筆よりは長めの記号) で表すことによっ て, 両者を区別している. 記号の長さによっ て両者を弾き分ける べきかどうか, その判断は難しいというのが研究者全体の 意見である. 短モルデントを採用するのはアラウ, グール ド, ヴァ ルヒャ, 長モルデントを採用す る の はラ ン ドフ ス カ, レオ ンハ ル ト, コ ー プ マ ンで あ る. シ フ だ け は 初 め は 短 モ ル デ ン トを, 繰 り. 返しの後は3回のうち2回まで長モルデントを使うという興味深い奏法である. ところでエマリ は前記l a, bに加え, モルデントがその前の音符 とスラーで結 ばれていること 4 ) から, これをタイとして扱うこともできる (譜例lc) としている (p . .2 c エ マリの提案. 譜例,. 蓬隆. ( 昌 L .-- 学. スラーの意昧だけにつ いていえば, エマリは誤解しているのかもしれない. 本来このスラーは, モル デ ン トの開始を引き伸 ばすための もので はなく, この曲の形式であるサラ バ ン ドのリ ズム. ね 」‐. 1」 」. を示唆するものであることが確実だからである‐ かといって私はその理由. でこの魅力 的な秦法を否定するつ もりはない‐ いずれの意味であるにせよ, これをタイと見倣して わずかに装飾音のタイミングを遅らせると, サラ バ ン ドのリズムを一層際立たせ, 音楽的にもより 豊かになるからだ. それは装飾音本来の目的にも適っ ている. ) i [第2小節] (②五, ⑦iも同様) アッ ポジャ トゥーラそれとも先取音, はたまた後打音6 ①i 多くの演奏家はここを次のようにアッ ポジャ トゥーラで演奏する. a ラ ン ドフ ス カ. 譜例2. b カ ー ク パ トリ ッ ク. 9 へ 羊 群種目- ” 毒ー」ヒ = 鰯 圭 - - 考. aのように演奏しているのはラ ン ドフスカ, アラウ. bはカークパ トリ ック版の勧 める奏法で, グー ル ド, ヴ ァ ル ヒ ャ, シ フ, コ ー プ マ ンが 採 用 し て い る. 、 と こ ろ で こ の 小 節 に 対 し て, ダ ン ロイ タ ー (Bdward Dannreuther) と フ ァ ー ガ ス ン (p.116). はそれぞれ次の奏法を提案している. 136.
(8) . J .S.バッハ 「ゴルトベルク変奏曲」 の装飾音奏法に関する諸問題 c ダ ン □イ タ ー. d ファーガスン. ダ ンロイターの奏法は, エマリが 「バッハの装飾音」 の 「後打音」 の項で 幾つかの例の一つ と , して 紹 介 (p 115) し て い る も の だ が, リ ズ ム は よ い と し て ア ー テ ィ キ ュ レ ー シ ョ ン に 私 は 抵 抗 を ‐. 覚える‐ フ ァ ー ガ ス ンの 奏 法 は先 取 音 (彼 自 身 は Nachschlag or‘af terbear と い っ て い る) と 見 る も. ので, 私にはこれが最もふさわ しいものに思われる‐ カーク パ トリックはその注釈版 (p 14 . ) で, ドルメ ッ チが同様の解釈を していると紹介しつつ, 彼自身はその立場を取らない‐ その根拠として彼は, 「用法に問題のある, ごくまれな例外はある が, (たとえば, C.P‐E‐ バ ッハが大変きらっ た経過的前打音あるいはナーハシュ ラークな ど)18 世紀初期の一般的傾向として, 装飾音はすべ て拍の頭で始められた. つ まり, その記号に支配され る音の初めから音価を取るのである‐ したがっ て, 装飾の 最初の音は, その同じ拍の上にく るバ ス その他の声部の音と重なる こととなる (p 10 - )」 という‐ しかし, もし彼がノイ マンの バ -- 「C .P .E. ッハは完全に新しい様式を教 育しようとしているため, 音楽の美学観という点か バ ら, 父 J .S ‐ ッハの考え方を代弁す るものとは受け取れないと一般に解釈されている. (中略) とく に下拍の規則については C P E バ ッハの著書が存在 しなければ, これほど広く賛同を得 る ... こともなか ったであろう (p 3 )」 という意 見‐ あるいはフ ュッ スルが上述の C.P‐B バ ッ ハ の 0 . 6 . 言葉につ いていっ た -- 「結局, バ ッハの息子は<息子の >時代を代表する理論家であり, 『試論』 が書かれたのは, イ ンヴェ ンショ ンとシンフ ォニアが作曲されてから30年たっ た後であり, さらに 『試論』 は父の時 )」 という意見 さらにはエマリの 代とは違っ た種類の音楽を対象として意図されたものであった7 ‐ -■ 「エマーヌエルの怒号はなによりもまず, 前打音が期待されると ころで (ロンバ ルディ ア・ス タイ ルで) 後打音を奏 したり, 装飾音のいらない所で後打音を奏したりする人々 に向けられたもの なのである‐ それにも関わらず, エマーヌエルの影響が20世紀の奏法にま で及んでいる つまり . , コ ンテクス トからみて文句なしに後打音 であると言う事が判明しない 限りは, 彼の父の鈎や小音符 はみな前打音とみなす ほうが安全であると, 未だに考えられているのである そう した態度に果た . して正当な 理由があるかどうかは, きわめ て疑わ しい (p 11 )」 - 等々の意見に同意することが で ‐ 2 きれば,もしかしてカークパ トリ ックもここを後打音(あるいは先取音) と解釈したかもしれな い . 先取音が明確に示されている典型的な例としては, J S バッハ 「カ ンタータ第8 4番」 第1曲の ‐. ソ プラノ・アリアがある‐. l h c. i b n. v r ‐ gnug ー-- e -. ハ ッハが作品中でこのようにはっ きりと (しかも曲中何度も) , 連続的に先取音を用いる例は非 常に少ない. だが彼が先取音を用いることはなかっ た, と信 じる者には衝撃的な例であろう ノイ . バ マ ン (p t p‐128) は, こ の 曲 を と も に 「シ ラ ブ ル の 先 取 Ant ic ipa‐ .313) と ッ ト (John But 137.
(9) . 中 村 隆 夫 ione de l laba」 の 例 と して 紹 介 して い る. l las i t. 先取音に関連して, 私は 「アメリカの バッハ資料集」 の研究報告 (p .240-5) と4種のファ ク t tel l, Ki t tell 1とし (Herzは Ki シ ミ リ (p .410- 7) にも興味を惹か れた. キッ テルの筆写譜 わ ll 第2小節の装飾音符は ( K i ) t t では ている) のうちの, 先に筆写されたと思われる一つ e , 2分小音符で記されている. れわれが知っ ている1 6分小音符ではなく, 明らかにその半分の音価 の3 ということは, キ ッテルはこの音型の演奏を譜例2dのように考えていた, ということではないだ ろうか. (もう一つの可 能性として, ロンバ ルディ ア・リ ズム での演奏もありうるのだろうか. 後 述するように, この先の第 7小節には同リ ズムが実音符で登場する‐ 同じ奏法をまず装飾音符で提 示 し, その後にリ ズムに疑問の余地のない実音符で再提示する, ということは考えにくい.) 確かにこの楽譜はバッハ自身によるものではない. だがバッハに直接手解きを受けた弟子であれ ば, 彼の装飾音奏法に実際に触 れる機会は多かったに違いないし, あるいはもしかして, バッハ自 身の弾く 「ゴルトベ ルク変奏曲」 を聴いたことさえあったかもしれない. そのような 立場にあっ た キッテルが, 師の楽譜から書き写す際にその演奏 を思い浮かべながら筆を進め, その結果それが先 取音的な記譜となっ た, ということは大いに考え られることである. もしそうだとしたら, この楽 譜が演奏に与えるヒントも決して小さ なものではない. ID) では -- お t t なお時期的にこれより後で書き写されたと見徴さ れる2つ目の筆写譜 (Ki e そらく 元譜 は同一のものであっ たと思われるが --, この小節はオリ ジナルと同 じ記譜 (16分小 音符) に戻っている‐ 譜例4 a. Ki t tell. 譜例4 b. Ki t tel亘. 〆. 、. .. ①i i [第3小節] (1拍目) モルデント, (2拍目) ターン十 トリラー 第1小節のモル デ ン トの演奏は, 演奏家によっ て<長・ 短>2通りがあったが, 第3小節 (後出 の⑤iも) では どの演奏家も短モルデントで演奏 している. 私の知る限りでは, 「アリア」 に出て くるモルデントが, 場所によっ て<長・短>2種類に印刷が区別されている, という版はない. 2 種に弾き分ける演奏が, 何を基準にそう しているのか, 私には確認できなかった. 138.
(10) . . S.バッハ 「ゴルトベルク変奏曲」 の装飾音秦法に関する諸問題 J ‐ タ ー ン十 トリ ラ ー に つ い て は カ ー ク パ トリ ッ ク は 5 a を, ノ イ マ ン は 5 bを提案する. (ア ンナ ・ マ グ ダ レー ナ の 小 曲 集 で は,こ の 記 号 は シ ュ ラ イ フ ァ ー 十 トリ ラ ー a カーク パ トリッ ク. 譜 例 5. 占 u i - -. 一のように記譜されている). b ノイ マ ン. ) 醐 端〉 且一 而. ここには装飾音を巡る様々な問題が凝縮されている. まず装飾音の開始につ いて, カークパ トリ ックを初め多くの意見は, トリラーに類するすべての 装飾音は下拍 (拍頭) で開始する, としている. 一方ノイ マンは (彼はこの装飾音を複合 トリルと 呼ぶ) , 「ターンまたは逆ターンで始まるこの種の トリルは, 当然, 最初の音が拍頭と一致するもの と従来考え られてきた. しかしながら一覧表 (筆者注: ヴィ ルヘルム・フリー デマ ンのための装飾 音表のこと) に割り切れる拍節の音型で掲載されている譜例 (それもごく少ない数しかない) 以外 には, 下拍で始めることが条件 づ けられていたと得心させる記録上の確証は, 18世紀前半では見当 たらないようである (p 20 )」 という. エマリ も同趣旨のことを述べており (p 0 ) , ふたり ‐3 ‐68一7 とも装飾音の先取が一般に思われているほど特殊ではない, という意見である. また トリラーを主音, 上部隣接音のいずれから始めるかについても, カークパ トリ ックやクロッ ツ等 「下拍開始」 派は, 「必ず上部隣接音から」 という固定的立場を, ノイ マンやエマ リ等 「上拍 開始もあり得る」 派は, 「主に上部隣接音からだが, ときには主音か ら」 という柔軟な立場をとっ て い る‐. さ らにノイ マ ンはこの小節について, 「カーク パ トリ ックの奏法はとく に望ま しくないと思われ る‐ 二つの4分音符の反復はこのアリア全体を通じて重要な動機となっ ているのであるが, カーク パ トリックの奏法はこの動機を不鮮明にしてしまう. 彼の奏法ではターンもアッポジャ トゥーラ・ トリルもともに下拍で始める仕組みになっ ているため, 第2音から第1音との同一性が奪われるか らである. 私は次の奏法 (筆者注:譜例5b) を提案する. この奏法は, 優雅さをまったく失わず, 同時に主旋律の線を強調する助けとはなっ ても, ほとん ど破壊 してしまうようなことにはならない (p 22 )」 と主張している‐ .3 ノイ マ ンの意見は説得力に富んでいるが, 私は彼の意見を全面的に受け入れることに多少のため らいを覚える. つまり, これとよく似た動機的特徴をもつ 「第10変奏」 の場合に, 同様の奏法を提 案するかどうか, 疑問に思えるからだ‐ ノイ マ ンはこのようなときにも, 「第2拍の トリラーを, 第1拍との同一性を重視 して主音で開始する」 というのだろうか‐ 譜例 6(第10変奏) a 原譜 b カーク パ トリ ッ ク *讐 … .rl rF でFr , n r一 ” - ー. 6. c ノイ マ ン? F 顎 不・ー. 」 ▲ : FF 一F ー ・ F,. F R. 3. もし①範に先取を採用するのなら,むしろここでは,彼が上記の意見を述べる直前にいっ ている, 「長年にわたっ てわれわれの前に立ちはだかっ てきた下拍コ ンプレックスから解き放たれさえすれ ば, (中略) 1音から2, 3, 4音, あるいは5音でも何音でもの先取音と, (中略) その時に応じ たリズムのさまざまな変化を結び付けることができる ( )」 という考えに基づい て, ター ン p .322 に相当する4音の先取 (譜例7) を適用 したほうがよいのではないだろうか. 139.
(11) . 中 村 隆 夫. 譜例 7. ノイマ ン? (コー プマ ン) . 「アリア」 にしても 「第1 0変奏」 にしても, トリラーを主音から開姶する場合と上部隣接音から める場合と では, 演奏者は一方を協和 (刺繍音の連続) 的に, もう一方を不協和 (僑音の連続) 始 ) と互いに異なる機能 で聴くことになる どちらか一方の演奏に馴染ん で しまっ た演奏者が 的に8 . , , 他方に切り替えることは, 感覚的にかなりの抵抗を覚えるだろう. (ただし, 演奏者が2つの演奏 に感じる違いが, そのまま聴き手にも同じように感じられるかどうかは疑問だ. つまり, 音符があ まりにも細いので, 開始が主音からなのか上部隣接音からなのか, 実際の演奏から聴き分けること はほとんど不可能なことが多いからだ) . ほとんどの演奏家はカーク パ トリ ックと同じ秦法だが, コー プマンはまずカーク パ トリ ックの提案のように弾き, 繰り返し後は同じ箇所を4音の先取 で と いう, まさに上述 したような演奏をしている. ①i v [第4小節] 記譜された複前打音, アッ ボジャ トゥーラ 第1拍の音型はちょうどシュライファーの転回形にあたる. 第3拍の8分小音符は, これを拍上開始のアッ ポジャ トゥーラと見ることに, 誰も異論はないだ ろう. ところ で前打音の長さはどの様に考えるべきなのだろうか. カーク パ トリックは演奏に際し 1 6分小音符) と, この小節 (8分小音符) の両方に8分音符の長さを提案 て, 第2小節第2拍目 ( しているが, 私にはそうは思えない‐ バッハの意図は装飾音符の時価の違いが示すとおり, 前者は ごく短く, 後者はやや長く演奏することだっ たと思える‐ なおペーレンラーター版 ではこの小節を はじめ, 初版譜で書き落とされたと見倣される装飾音符と主音符の間のスラーが, すべて補われて い る.. <第②フ レー ズ> . ,. . ・. . ・. .. ②i i [第6小節] ターン ターンの扱いは, 記号が音符上に置かれるか, 音符間に置かれるかによっ てやや異なるが, 研究 者間でもっとも異論の少ない記号である. この場合は音符上に置かれているので, 譜例8aまたは bのいずれかになる‐ アラ ウはb, ヴァ ルヒャ はcのように弾く‐ またグール ドは新盤ではaのよ うに弾いているが, 旧盤ではcのように弾いていた. 後出⑥ ”こ実音符によるターンがあることか ら, それとの区別を意識して, 「この小節ではaよりはむしろbである」 という見方が できるかも 知れない‐ なお第1・2拍の2個の前打音は, アンナ・マ グダレーナの小曲集では8分小音符で記 譜されている. 140.
(12) . S‐バッハ 「ゴルトベルク変奏曲」 の装飾音奏法に関する諸問題 J . b . . へ . . ′ず、. 分. . . . ②m [第7小節] 実音符によるロンバ ルディ ア・リ ズムのアッ ポジャ トゥーラ, 跳躍進行する前打. 音 ロンバ ルディ ア・リ ズムで記譜された1・2拍目は, 下降音型の パターンとしては第2・4小節 6分音符 に次ぐ新たなリズムの提示 である‐ 風変わりなのはヴァ ルヒャ の演奏で, 彼だけはここを1 2個一組にアーティ キュ レートした音型 (譜例10 ) で弾いている‐ (これについては後述する) バ ズムの特殊な取扱い ルデ ノイマ ンはロ ン について, 興味深い例を紹介 している (p ィ ア・リ . バ ッ ハ 「ロ 短 調 ミ サ」 BWV232の 自 筆 譜 で は, 「Dominus Deus 77一80) 楽章全体の中で第1 」 ‐ 小節後半のフルー ト声部に限っ てロンバ ルディ ア・リ ズム (譜例9a) が現れる‐ 他の声部にも, フ ルー トのそれ以外の小節にも,この曲を通して同じような記譜は見られない‐幾人もの学者が (そ のなかにはダー デルゼン, デュ ル, そ して留保つきでメ ンデルがいる) , この小節の示す<短-長 >リ ズムを曲全体 に使用す べきだと考えたのに対し, その 「見解への反論」 と 「もっ と説得性のあ る解釈」 を4項目にわたって述べた上で, ノイマンは次のようにいう‐ 「『主なる神』 は, C拍子における順次進行のi6分音符 (譜例9 b) で あ る か ら, フ ラ ン ス の 不 等音符を使用するにふさわ しい教科書的事例だっ たのである‐ しかもたまたま当時, ドレス デ ンの 首 席 フ ル ー ト奏 者 ビュ ッ フ ァ ル ダ ン (M.Buf fardin) は フ ラ ン ス 人 で あ っ た‐ ビュ ッ フ ァ ル ダ ン,. あるいはその弟子のク ヴァ ンツも (この曲が献呈された1733年当時, クヴァ ンツはまだ ドレス デ ン に滞在していた) ,この点に関しては=譜例9c=のように演奏しがちであっ たのではなかろうか? b 新バッハ全集版. 自筆譜 譜例9. -^. .. ′. 愈 r『 ′、. ヘ. ー. 、. 不等奏法. (中略) これら (筆者注: 自筆譜の) 短・長不等はバッハの 『フラ ンス風に奏さぬように』 という 本心を表す手段である.」 (おそらく新 バッハ全集の考えは, ノイマンと同 じものなのだろう, 出版 譜のこの部分は, その他のすべての箇所と同じく1 6分音符2個一組のアーティ キュ レーショ ンで印 刷されている‘) ヴァ ルヒャの演奏が, この特異な用例を意識 しての結果なのかどうかは分からないが, もしそう だとしたら, ここにそれを適用するのは無理な気がする. まず何よりも, ノイ マンもいうとおり, このような特別な記譜の仕方を,バ ッハは他の作品では行わなかった‐また 「ゴルトベ ルク変奏曲」 の場合には, 同じような音型が様々にアーティ キュ レートされ てゆく, その豊かなリズム展開の一 つ としてロンバルディ ア・リ ズムが存在しているように思える‐そのような観点から作品を見ると,. このリズムから生まれる音楽言語の魅力を敢えて否定するような解釈に, 私はどうしても同調しか ねるのだ. ‐. 141.
(13) . 中 村 隆 夫 ヴァ ルヒ ャ 譜例,。. へ ー↓ r. へ. へ .キ T. f主. . 日. 一 墓- -. 第3拍目の跳躍進行する前打音は, 16分音符の長さに扱うのが最良と思われる. カーク パ トリッ クは, もしこれを8分音符にすると 「和声の純粋さが弱まるであろう (p 4 )」 といっ ている‐ .1 ②i v [第8小節] 実音符による跳躍進行する前打音, アッボジャ トゥーラ, モルデント 第1拍は第7小節のリズムの継続. 第2拍の前打音は第4小節 (①汐) と同じ扱い‐ モルデント の扱いは, 演奏家によっ て長・短さま ざま (上・下声とも) である.. <第 ③フ レー ズ>. ③i [第9小節] (①i, ②iに同じ) ③i i [第10小節] 隻;声) リエゾン. (下声) トリラー, またはプラルトリラー, それともトリル? (上声) クロ ッ ツはリエ ゾ ンも装飾法のひとつに数えている (p . 上声第1拍最後の .230-7) 1 6分音符は, タイで次の拍に引き伸ばされ, 響きを豊かにする役割を担っ ている. (下声) カーク パ トリ ックはトリラーを提案し, 多くの演奏家 (ラン ドフスカ, レオンハルト, グール ド , コー プマン) もそれを採用 しているが, 他の2つの可能性もおおいにあり得る. つまり ここではバス声部が順次下行をなしているので, 開始のg音をタイで結びプラルトリラーとするこ ともできるし, そのタイを省いてトリル (アラウ, ヴァルヒャ, シフ) にすることもできる‐ いず れをとるかは演奏家の趣味とテンポできめられる, というしかないだろう‐ b プラ ル トリ ラ ー. a トリ ラ ー. 譜例”. ‘ 、 ,r. ー. --. e. 一 。. --. c トリ ル. ふ 一, ,. ③. ご 一. ③範 [第11小節] アルペッ ジョ, ターン十 トリラー バ カークパ トリ ッ クは 「J .S . ッハ は, 上行アルペッ ジョ と下行 アルペッ ジョ の記号を区別 して いることは滅多にない. この和音は上向きに分散させることもできよう (p )」 といいつつ, こ .15 こに下行アルペッ ジョを提案している. 上行分散 に贋れすぎた耳に, 下行分散はなかなか魅力的に 響く. 142.
(14) . S.バッハ 「ゴルトベルク変奏曲」 の装飾音奏法に関する諸問題 J‐. 工マリ は, バ ッハの同時代者た ちのなかに 「下から」 まと 「上から一 宇のア ルペ ッ ジョ 記号を 使い分けた人がいることに触れた上 で, 「バッ ハもこのような記号を使っ たかもしれないが, 私は この記号がはっ きりと自筆譜で書かれているのを見たことがないし, また, バッハがしばしば今日 21 )」 といっ ている. ふうな波線1を使うだけで満足したことも確かである (p .1 「 バ これに対しクロ ッツは, ッハの自筆譜を念入りに研究すると, ほとん どの場合にアルペッ ジョ 6-7)」 という. 彼によると 「上行形で演奏 記号の明 らかな違いを確認することができる ( p .21 するためのしるし, つまり記号の下につ いた鈎は, 多くの場合はっ きりと書かれている‐ これに対 し, 下行形で演奏するた めの記号, つまり記号の上端についた鈎ははるかに少ない. しかし, この 場合でも下端にあるべき上行の鈎が欠落していることが明らかに識別できるのである」 といっ て前 2者と異なる見解を示 している‐ クロ ッツの見解が, あるいは 「ゴルトベルク変奏曲」 の初版譜や他人の手による筆写譜でも確認 できるかもしれないと思い, それらを点検してみた. その結果, 初版譜 (バ ッハの加筆訂正版も) では上端にも下端にも鈎は見当たらなかっ た.「アメ リカ資料」の4種のフ ァクシミリのうち, キ ッ テルの2つの筆写譜は上端に鈎がある (つ まり下行アルペッ ジョ) ようにも見える‐ 筆写者不明の 他の2つ のものは, どちらとも判別し難い‐ ターン十 トリラーにつ いては第3小節と同じ. ③i v [第12小節] 再びアッ ポジャ トゥーラか先取音か‐ および開始前打音付き トリラー エマリはここに3種類の可能性を挙げ, 「この問題は, 奏者がこの楽章にみられるその他の小音 )」 といっ ている‐ 符をどう考えるかにかかっ ている ( p .71 譜 例12. b. a . . . . . . . . エマリの上述の考えは私も同感で, この小節を既出のフレー ズ①曹, ②酋に対応させると, 第2 拍のリズムは8分音符で開始するbが相応 しく思える (カークパ トリックもほぼbのような奏法) . i) に対応するとみて (両 第1拍は第2小節 (①a) に対応するのではなく, 後出の第18小節 (⑥i 者の装飾音符の付け方は微妙に違う) , やはり aやbのようにする べきだろう. 2小節の前打音は第1・2拍とも8 しかし, アンナ・マ グダレーナの小曲集 では, 第6小節と第1 分小音符で記譜されている‐ この同一性を重ん じると, cの可能性もなく はない.. 143.
(15) . . 中 村 隆 夫 <第④フ レー ズ>. 1 いリ. ジ 支 ム ー ‐.. ・1 ′.. y‐. 1′ 、 1ー,, u 4 一ー 1J = 1 ・n ‐1 戸‐ rri ▼ ‐ \1ー ′】■ 1 を1i 1 ーr ▼1 ,. 拶 も一 -. よ. “. 1. 」. 一. 一 1 」 月 ー. 1. 下}- - ′. 1 ・1 - ▼ ” に ン. ‐ .. ~ ↓が ー ・ 1. ー. ◆. ④i~曹 [第13~16小節] 実音符による後打音, アッ ボジャ トゥ ーフ このフレーズは, 初めの3小節に③卸のモティ ーフを繰り返し用いるという旋律構成になってお り, それまでの3フ レーズとは構造が異なる. 第13 4小節3拍目裏は実音符による後打音. 第14小節2拍目裏と第16小節1拍目拍頭の1 6分小 ,1 音符による前打音の長さ は, リ ズム 的にみて1 6分音符の音価が最も自然であろう. (因みに第1 4小 節2拍目裏の1 6分小音符は, アンナ・マ グダレーナの小曲集では8分小音符になっ ている) 第1 6小節第2拍の 「前打音 (8分小音符)十2分音符」 を, カーク パ トリ ックは大きな段落を意 識したのだろう, リズムを4分音符2個にとり (譜例13 ) , 「第3拍のオクターブDは, 第2小節の それとは違っ て感じのよい終結となる (p 5 )」 といっ ている. この考えは理に適 っ ており私も賛 .1 成であるが, 彼が①②③のi vで提案した音型に倣っ て, 8分音符十付点4分音符とするのも良い解 決の一つ だろう. このようなときに, 8分音符の代りにリズム的により自由な付点8分音符を用い ると, 音楽的流れはより柔軟なものとなる. カーク パ トリ ッ ク. (当 関 霊 譜伽3 β . 柔- * ・ 墓 、 ≧ リ ズムの柔軟な扱いは装飾音の本質 でもある. カークパ トリ ックは 「編者が付け加えた指示は, その点について何等かの指標を与えようとするものであり, リズムの自由につ いて, 多様に変化し 得るその細かい点を表示させることによっ てテキス トを混乱させることは無益 である (p 1 )」 .4 といい, 同じ趣旨のことを示唆している.. 小. 結. 尾. 紙数が尽きたので, 「アリア」 全体の2分の1にあたる前 半16小節で-旦筆を置き, これに続く 後半16小節及びその他の部分に関わる論考と 「まとめ」 は, 本稿の続編 -その2ーに譲ることとす る.. 144.
(16) . S‐バッハ 「ゴルトベルク変奏曲」 の装飾音奏法に関する諸問題 J.. 引 用 文 献 i 1. ラルフ・カークパ トリック編 「J 93 8 rmer ,1 ‐ 荒木雄三訳 全音 ‐S ‐ バッハ ゴールトベルク変奏曲」(G‐Sch $ 楽譜出版社 発行年不詳) 2. フレデリック・ノイマン 「正しい装飾音奏法」(為本章子訳 音楽之友社 199 2 ) 3‐ ウォルター・エマリ 「バッハの装飾音」(東川清一訳 音楽之友社 196 5 ) 4‐ ハンス・クロッツ 「バッハのクラヴィ ーア・オルガン作品の装飾法」(鷹野嗣雄訳 シンフォニア 19 1 ) 9 バ 「 上 P 正しいピアノ奏法 ]( 全音楽譜出版社 ) 5‐ C E ハ [ 東川清一訳 1 9 6 3 」 ‐.‐ ッ 6‐ Howard Ferguson “Keyboardlnt i i tat ty Press erpre on” oxford Uni ▽ers . Londonl975 “ ” 7‐ John But i i t Bachlnt tat ty Pressl990 erpre on Cambridge Uni vers. < 注〉 1)J 0 87 ベーレンライター原典版 全音楽譜出版社 19 76 序文参照 ‐S ‐ バッハ 「14のカノン」 BWVI 2) Ra l i t rkpa r ck (1911一1984 ph Ki , USA). チ ェ ン バ ロ 奏 者‐ 音 楽 学 者‐. 3) エマリは 「エディ ショ ンと音楽家」(東川清一訳 アカデミア・ミュージック 197 5 p ) で次のようにいっ ‐20 ている. 「ところが今日, この校訂者の誤りがふたたび, ラルフ・カークパ トリックのために新たに息をふき返し つつあるのである‐ (中略) カークパ トリックは非常に有名であるし, 有名であって当然なのだが, そのために, すでに何百人という人が彼のレコー ドを全面的に信頼し, カークパ トリックおよび, 1世紀前に旧全集で印刷され た誤りと一致するようにと, 手持ちのエディ ションを手直ししているに違いない‐」 4)「彼はあらゆる装飾音 (マニール) , あらゆる細々した装飾, 一般に奏法の概念に含まれるいっさいのものを, 本 式の音符を使って書きあらわすのですが, これが彼の作品から和声の美しさを奪うばかりでなく, 旋律の流れをも 聴きとれなくしてしまうのです‐」[ J 737年5月1 4日‐ 1 0 1/40 ] .A. シャイベ 『批評的音楽家』 -- ハンブルク, 1 (バッハ畿書1 0 「バッハ資料集」 白水社 198 3 2 2 6 一7 ) ‐p ‐ 5) この長い記号は縦線の位置が記号の中心より右にあるため, エマリやクロッツのいう 「トリラー十モルデント」 と同じ記号になっている.私の調べた限りでは,このような書き方をしているのはベーレンライター版以外にない‐ 6) 用語の用法は人と時代によってまちまちなため, つねに頭の痛い問題である. ここでは拍を強調し, 拍上で始ま る小音符を 「アッポジャ トゥーラ」 , 拍の直前に奏される小音符を 「先取音」 , 拍の最後尾に奏されるものを 「後打 音 (ナッハシュラーク)」 と呼ぶことにする‐ 後の2つは, どの様にアーティ キュレートされるかで区別する‐ IHe inzFu 7) Kar lウィ ーン原典版 「インヴェ ンションとシンフォニア」 装飾法について (音楽之友社 p ) ss ‐96 8) 「トリラーは様々な時代に, 前打音を何度も繰り返したものと説明されたが, これはバッハのトリラーを副次音 (筆者注:隣接音) で始まる装飾音とする定義と一致する‐」(クロッツ:p 9 ) .9. (本学教授・札幌校). 145.
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