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戦後社会科教育課程における国家観の考察

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Academic year: 2021

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(1)Title. 戦後社会科教育課程における国家観の考察. Author(s). 安藤, 豊. Citation. 北海道教育大学紀要. 教育科学編, 57(2): 113-124. Issue Date. 2007-02. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/451. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) 北海道教育大学紀要(教育科学編)第57巻 第2号 JournalofHokkaidoUniversityofEducation(Education)Vol.57,No.2. 平成19年2月 February,2007. 戦後社会科教育課程における国家観の考察. 安 藤. 北海道教育大学旭川枚社会科教育教室歴史教育研究室. AStudyofConceptofNation. −StateinSocialStudiesCurriculumatPostwar−Japan ANDOU Yutaka. DepartmntofEducation,AsahikawaCanpsu,HokaidoUniversityofEducation,AsahikawaO70−8621. 概 要 現状の社会認識に関する教科における「国家」の扱いは,一般に国民教育が想定している国民形成に相応 しい水準にはない.そこで教えられていることを要約すると,国家の定義としてドイツの法学者ゲオルク・ イェリネックの定義として普及している三要素(領域・国民・主権)が文字面のみでしか教えられておらず,. そしてそれの存立理由がもっぱら社会契約説のみでしたか教えられていない.この限りでは国民形成教育の 知識内容としては著しくバランスが欠けているということであった.. このような現状を現在の教科書記述の実情,学習指導要領の沿革などで明らかにした.そして,「国家」 についての国家学,政治学などの知見を検討し,社会契約説の問題性を指摘し,共同体とての国家の意味を 併せて教えることの必要性を指摘し,その教育内容の方向性について示唆した.. 章で,あっさりした,曖昧な記述で説明している (1)はじめに. のみであるとし,このような教育内容の現状を次. 嘗て,桜田淳は連続講座「人間学アカデミー」 の講義録である『国家の役割とは何か』(1)で,. のように評していた(3). 「国. 家」が学校教育の中でどのように教えられている. これは,乗馬にたとえていえば,馬に着ける鞍. かと問い,それを知るには教科書を見るのが手っ. とか手綱,さらに手綱のさばき方を議論しても,. 取り早いとし,中学「公民」,高校「現代社会」・ 「政治経済」の教科書を検討した結果,その実情. 「馬」それ自体を議論しないものです.日本は,. 民主主義体制の国家です.民主主義体制というに. は,ほとんどが「民主主義の発展過程とか三権分. は,国家を運営する一つの手続きに過ぎないわけ. 立の意義といった事柄の説明に終始」(2)し,「国. ですけれども,その運営の対象となる国家の意味. 家」については「領域(領土・領海・領空)」「国. は,あまり議論されてきませんでした.. 民」「主権」が国家の三要素である,との短い文. 113.

(3) 安 藤. 上の櫻田の指摘にあるように,戦後社会科は「国. 豊. 土」,「領空」,「領海」,「排他的経済水域」(200海. 家」を教えることを等閑視してきた.否,むしろ. 里)について記述している.そして領土問題を解. これを客観的に教えることを積極的に避け,逆に,. 説している.. 国家=国民の幸福や権利を抑圧する権力的装置,. ついでに指摘しておく.各社の領土問題の扱い. として一面化し,反国家であることが国民の人権. 方は経済主義的に傾いていて一面的である(扶桑. 擁護であるさえ描いてきた.これは「国家」概念. 社は「地理」を発行していない).排他的経盲斉水域と. の著しい錯誤であると言わざるを得ないであろ. のかかわりで漁業資源や地下資源を確保の重要性. う.. を指摘するのは,我が国が無資源国でもあり,国 ところで社会科の教科目標は「公民的資質」と. 益を教える上で,必要である.しかし,領土問題. されてきた.それは要するに国家運営を分担する. はすぐれて国家主権に属する問題である.逆に経. 国民の形成にあると理解してよいだろう(4).そ. 済的利益が希薄か皆無であれば,恰もそれらの領. うだとすれば,櫻田がいう「馬」そのものとして. 土は無価値であると思われてしまう.この意味で,. の「国家の意味」について,それとして教授しな. 主権侵害(被侵略)の側面を正面に据えた教科書. ければならないはずである.. 記述や授業設計が望まれよう.. しかるに,以下に述べるように,社会認識教科. における国家の扱いは国民形成の任務に相応しい 水準にはない. 本稿では,その現状と経緯,今後のあり方につ いて考察する.. 中学公民分野はどうか. ここでも,各社の記述内容の基本は,「国家の. 三要素」である.日本書籍新社と帝国書院は「三 要素」をそれとして記述しているが,他の6社は その記述に明瞭さに欠けるか明示がない.東京書 籍や扶桑社のように二要素(国民が記述されていな. (2)三要素と社会契約説 「国家」がどのように教えられているか.現行 の教科書について一瞥してみよう. 結論を先に述べる.中学校も高等学校も,櫻田. い)のみの解説となっている教科書もある(清水 書院は後に補足する).. たとえば,最大シェアの東京書籍は,領海(領 土・領海・領空)をイラストで説明しながら,次 のように記述する(原文中ルビ等省略)(5).これで. が指摘するように国家の定義としてドイツの法学. は地理的分野(1年生)の記述内容と殆ど同じこ. 者ゲオルク・イェリネックの定義として普及して. とを教えていることになる.「主権」がいつの間. いる三要素(領域・国民・主権)が,そしておそ. にか「経済」にすり替わっている.「主権」の意味,. らく1933年に締結された『国の権利及び義務に関. 重要性の説明が省かれている.. する条約』(第一条に,国の要件 国は国際法上の人格 を持つ為に,次の資格がなければならない.(イ)永久的住民,. 主権国家 世界の人々は,どこかの国の国民と. (ロ)明確な領域,困政府,及び(⇒他国との関係を取り結ぶ. して暮らしています.世界には190ほどの国があ. 能九 と規定されている)が参照されているだろう.. り,それぞれの国は主権をもっています.主権は,. そしてその存立の理由がもっぱら社会契約説の みでしか説明されていないのが実状である.. まず,中学校教科書(平成18年使用版・8社) を一瞥してみよう.. 中学地理的分野では,「国家」そのものではな. ある国か他国に支配されたり,干渉されたりしな い権利(内政不干渉の原則)や,他の国々と対等で ある権利(主権平等の原則)からなっています. 国際社会は,主権をもつ国々(主権国家)によっ. て構成されており,国家の主権がおよぶ範囲を領. いが,学習指導要領で「日本の位置と領域」を教. 域といいます.領域は,領土・領海・領空からなっ. 授するよう指示されているから,各社一様に,「領. ています.領海のまわり広い水域は経済水域とよ. 114.

(4) 戦後社会科教育課程における国家観の考察. ばれ,…. とき,もう一つ注目することができるのは,学習 指導要領要領の(3)ア,イ,にかかわる基本的人権. このような記述内容になる理由は,後に述べる. や民主政治を説明する文脈でのそれの記述であろ. ように,学習指導要領に問題があるからであり,. う.蓋し,「人権」概念も「民主政治」概念も「国. 教科書作成者だけを責めることはできない.. 家」概念とペヤーだからである.. 現行の学習指導要領要領・中学公民分野の「内. このような観点から各社の教科書を検討してみ. 容」では,大項目(3)「現代の民主政治とこれから. ると,殆ど全てが「政治権力」や「国家」との闘. の社会」の中項目り「世界平和と人類の福祉の増. 争の産物として「人権」を位置付け,「法の支配」. 大」で,国際関係を教える基礎知識として「国家. や「法治主義」(殆ど両者が混同されている)のコロ. 間の相互の主権の尊重と協力,……」との文言で. ラリーとして「民主主義」を位置付け,それにも. 「国家主権」を教えるよう指示されており,これ にもとづいて各教科書は,イェリネックの定義を 採用しているからと解せよう.. ここには,我が国国民の国民生活と国際生活の. とづく政治を「民主政治」としている. 「人権」にかかわって,全社が,近代国家の成. 立に言及しているが,それをフランス革命に代表 させた市民革命の成果として意義づけている.そ. 根本条件である「国家」それ自体が何であるかを. して国民主権原理としてルソーの社会契約説を賞. 教えるようとする発想も指示もないのである.. 揚する.たとえばユニークな教科書として注目さ. そして,この分野の教科書の索引には,一社を. れた扶桑社も,社会認識としては重要な知識であ. 除いて「国家」との項目が存在しない.独立用語. るのもかかわらず,他社に比べて独自性に乏しく,. としては扱われていない.理由は先に説明した通. 絶対王制の強圧的な政治に対して,「(人々は)市. りである.. 民革命を起こし,近代的な国民国家をつくり上げ. それでも1社だけが「国家」を独立タームとし. ていった」とし,アメリカ独立宣言やフランス人. て取り上げている.帝国書院である.そこでは次. 権宣言などを契機に「生まれながらの自由・平等. のように記述されている(原文巾ルビ等省略)(6). 権」が人類社会に浸透していったと説明する.そ してエドマンド・バークの写真を添えている(7).. 国家と何か ある領土と,そこに住む人々があ. しかし,本文記述からバーグを連想する情報はな. り,その領土と人々を支配する政府が存在すると. にもないし,折角,他社には使用例がない国民国. き,国家が成立します.その国家かほかの国家に. 家とのタームを使いながら,ウエストファリア条. よって認められていれば,外国に対して国家とし. 約を囁失とする近代国家の価値を説明できないで. ての権利を主張することができます.つまり,国. いる.後にも述べるが,近代国民国家は,その一. 家は,領土,人口,主権という,三つの条件から. 部は権力との闘争の戦果であったとしても,「人. 成り立っています.. 権」を守る機能を担う制度として形成された要素. 主権とは,ほかの国がおかすことのできない,. を強くもっているのであり,それを含めて国民の. それぞれの国のもつ権利のことです.国際法の考. 福祉を維持,向上させることがその主な機能であ. え方では,主権国家は外国に対して,自国の領土. ると考えることができるのであり,権力悪や国家. や国民の安全を,国の権利として主張することが. 悪の立場から人権を意味づける姿勢は,国民教育. みとめられています.. としても不適切というべきであろう. さて,この点で最も注目できるのは,清水書院. 先に,それとしての説明がある教科書と挙げた ものの例である.それでもこの程度である.. ところで,教科書記述の「国家」を問題にする. である.この教科書は唯一「国家」についてまと まった説明を記述している.相対的にいうと,国. 民教育という観点から判断すると,最も優れた記. 115.

(5) 安 藤. 豊. 述になっている(ただし,同書の他のケ所には問題点. の章で扱われているだけで,中学校同様,「国家」. を多々指摘できる.原文中ルビ等省略)(8). それ自体についての説明がされていない. 試みに平成15年度使用の高等学校「政治・経済」. 政治の場としての国 現代の世界においては,. 教科書について,「国家の三要素」の記述をみる. 政治は国や地方公共団体(地方自治体)や国際機. と次頁の表のようである.問題は,それらの意義. 関など,さまざまな場で営まれている./ところ. についての説明がなく,ただ形式的に言葉を連ね. で,国(国家)とは何だろうか.国はきまった範. ているだけであることである.櫻田が指摘した通. 囲をもちそこで生活する国民から成りたってい. りである.. る./国は,対外的には独立を保ち,国内では秩. では,「国家」それ自体をどのように説明して. 序を維持し,国民の安全を守るとともに,経済,. いるだろうか.たとえば高校のこの分野では比較. 福祉,教育などさまざまな分野で国民が健康で快. 的シェアが高く,先に指摘したように中学校教科. 適な生活をおくることができるように支援するこ. 書(公民)では出色の記述をしていた清水書院の. とが重要な役割と考えられている./その役割を. 『新政治・経済』(平成17年使用版)は,「第1章. になうのが,国会や行政機関,裁判所など国の機. 民主政治の原理」の小見出し「政治と国家」で次の. 関である./国民のあいだには,さまざまな考え. ように記述している(原文中ルビ等省略)(9). や利害・欲求があり,そこには対立や争いがおこ ることもある.そこで国民相互の意思を調整し,. 私たちは,………………. 社会の一員として生活. そこで,社会の秩序維持. 協力しあえるようにまとまりをつくりあげること. している.‥……………・. が必要である./しかし,多様な意見の調整につ. するため,なんらかの方法で人々の利害を調整す. とめても,対立がなくなるとは限らない.それを. る必要が生じる.このような利害の調整活動を政. かぎられた時間で調整し,効率よく実行しようと. 治という.(中略).しかし,現実社会において,. すれば,国家権力によるによる強制もさけられな. 私たちにもっとも重大な影響を及ぼしているのは. い./このように,国には協力しあう国民の集ま. 国の政治,すなわち,国家による利害調整活動で. りという顔と,強制力をもった権力機関という,. ある.なぜなら,国家は強制力を行使しその領土. もう一つの顔がある.. に住む人々(国民)を統治する強大な社会集団で あって,………. 「国家」の表の顔は「協力しあう国民の集まり」,. .人々の行動をコントロールする. 強制力を政治権力(または単に権力)というが,. もう一つの顔は「強制力をもった権力機関」との. 国家の権力は,国内における最高の権力であるば. 特徴づけは,他の教科書がしている権力悪や国家. かりではなく,国外の権力から干渉されない独立. 悪から特徴づける記述を超えた,常識的で穏当な. して権力でもある.. 意味づけであるといえよう.. 現行指導要領の枠内でも,このような記述は可. この記述は「民主政治と法」との小項目に連続し. 能なのである.このようになっていない記述は,. ているのだが,その冒頭で上の記述を要約するよ. 発想にズレがあると考えてよいだろう.. うに次のように記述する(原文中ルビ省略)(10). 次に,高校教科書の場合はどうであろうか.発. 国家は,利害対立を調整するためのルール(社. 行形態,採択方式の関係上,多くを見ることが出. 会規範)を定め,そのルールを国民に強制するこ. 来ない.ここでも,学習指導要領にしたがってい. とによって,国家という社会集団の秩序を維持し. るのでそうなるのであろうが,殆どの場合国家の. ている.. 定義である「国家の三要素」が「現代の国際政治」. 116.

(6) 戦後社会科教育課程における国家観の考察 「国家」の記述についての比較 高等学硬公民科「政治経済」教科書(平成15年使用). 出版社略称 束. 書 実. 数 実. 数 救. 出 清. 水 清. 水 山. 川 第. 一 東. 学 桐. 原. 記述単元 単元 民主 単元民主 単元国際 国家の三要素 定義あり 三要素という 言葉はないが 用語は列配し ている (領域). 凶解あり. 凶解あり. 言葉はないが 用語は列配し ている ている. 言葉はないが 用語は列配し ている. 凶解なし. 凶解なし. 凶解なし. 凶解なし. 凶解あり. 凶解あり. 凶解あり. 凶解あり. (国民) 特に説明なし 特に説明なし 特に説明なし 特に説明なし 特に説明なし 特に説明なし 特に説明なし 国民を守り 特に説明なし 特に説明なし (主権) 注で説明. 特記事項. 政治の役割. 国家主義だけ 主権国家 特に説明なし 注でやや詳し 注で説明 国際法が時に 本文で説明あ 本文で説明あ 本文で簡単な で社会秩序が い説明 国家主権を制 説明あり つくられない 限する national. 「平和の表現」 「公共の利益」. 領土問題. ナショナリズ. ム. 日本の領土の 沖の鳥鳥を守 国連海洋法条 天皇主権から 地凶・領土開 約の規定の説 題 明あり. 地球化で国家. 主権の範囲は 狭まっている. 【注】記述単元:『国民』を主に取り壊っている単元 単元民主:民主政治の基本原理 単元国際:現代の国際政治 全般についていえることは,国家に三要素について触れていても,単に三要素が「存在する」だけの記述に止まり,三要素を「守る」という国家本来の役割 についてはほとんど言及されていない. 【出所】『歴史と教育』第75号(2003.7). つまりここでは国家像は,強制装置としてのみ に嬢小化して描いている.. そして殆どの教科書がそうなのだが,指導要領 がいう「民主政治の本質」の内容として同教科書 は,中学公民各教科書とほぼ同様に,絶対王制に. というのは,前節の小結で,現状における社会. 科教育における「国家」の扱いが嬢小化された情 報になっていると述べたが,その淵源が戦後教育 改革にあると考えるからである.. 敗戦直後,昭和20年8月17日に成立した東久爾. 抗して市民階級が中心になって市民革命を起こし. 宮内閣の文部大臣は前田多聞だったが,文部省は. これを倒し,「市民階級をはじめとする国民を主. 早くも9月15日に「新日本建設ノ教育方針」を発. 権者とする民主政治が成立した」と民主政治を意. 表し,教育再建の取り組みを開始した.. 義づけている.そして「(この)市民革命を推進. 詳しい経過は述べないが(12),この行政動向の. する原動力になった思想が,社会契約説である」. 初期の段階で公民教育刷新に関する検討が行わ. とし,ホップス,ロック,ルソーと,その系譜の. れ,その答申にもとづくカリキュラム原案という. 説明に1頁を費やしている(11). べき国民学校,中等学校・青年学校各『公民教師 用書』が作成された.. こうして,現行の教科書記述で見る限り,大勢. この公民教育構想は,12月に公民教育刷新委員. として「国家」それ自体としての説明,「国家の. 会が出した二つの答申(「公民教育刷新二関スル. 価値」については殆ど教えられておらず,教えら. 答申第一号」「同第二号」)にその性格が示されて. れているのはその形式的定義である「三要素」と,. いる.. 存在理由としては社会契約説のみで説明されてい るのが実状であることが再確認できよう.. それは,①家族生活・社会生活・国家生活・国 際生活における共同生活者としての知識技能の育 成,②従来の修身科と公民科を統合したもので(第. (3)戦後社会科教育課程における「国家観」 さて,いささか迂遠と思われるかも知れないが,. 一号),③普遍的人間性の自覚に国際協調の精神. と基本的人権尊重に立脚し,④わが国の教育が教 育勅語の趣旨にもとづく限りその立場に立って,. 行論の都合上,ここで視点を変えて戦後社会科教. ⑤道徳・法律・政治経済などに関する普遍的一般. 育課程における「国家」の扱い,あるいは位置付. 的原理とそれにもとづく国民道徳・わが国体など. けについて掻い摘んで論じておく.. わが国の特殊性,また個人道徳・社会道徳,合理. 117.

(7) 安 藤. 豊. 的精神の滴養などを教える(第二号),とするも. に必要な共同骨豊であるといふことを教へることが. のであった.. 大切である.かっては,国家は至上なものとされ. そしてこれにもとづき『教師用書』が作成され. たので,国家目的賓現のためには,個人の人間性 やその現賓の生活さへも無視されるやうにもなっ. た.. ちなみに,戦後社会科の形成は文部省による『公. たのである.したがって,国家目的賓現のために. 民教師用書』作成過程へのCIEの修正指示を通. は,賓際生活にそぐわない無理な要求がされ,そ. して行われた.46年年4月7日の『米国教育使節. の結果,かへって,表面だけをつくろうやうな偽. 団報告書』では社会科の導入が勧告されていたが,. 善的な傾向を生み,生活自身は少しも改善されな. 『教師用書』は再三再四書き直しが命ぜられ,そ. いことになりがちであった.. の過程で日本側担当官(青木誠四郎・勝田守一). のCIE提供文献による研究の進展もあって,社. ここでは国家至上主義は廃するが,国家を共同. 会科に近づいていった.そして,広領域の社会科. 体と発想する国家観が示され,公共善を尽くすこ. の方が日本の社会生活の全ての面を民主的観点か. とができるような国家の建設が理想として掲げら. ら吟味できるという理由から,新たに社会科の学. れている.. 習指導要領を作成することとなったとされる.. 斎藤利彦は,この文章は当時の文部省図書監修. この経過にみてとれるように,この公民科構想. 官,勝田守一の手によるものとしつつ,ここで示. は,社会科への模索といった過渡的なものではな. された国家観を「国家は道具であるという認識」. く,それと断絶した,日本的価値を内包する新教. としている(15).そして斎藤はここに丸山寅男な. 科であった.当時の文部大臣前田多聞が『朝日新. ど近代政治学者の永久革命論の影響を読み取る.. 聞』の座談会で「…アメリカは大変参考になるが,. その詮索は措くとして,ここでは先述の前田文. 日本の国情と違うところがあるから十分考えて,. 相の言説もふま. 識者のお考えも伺って,日本式の公民学というか,. 示されていたことに注目しておきたい.当時の勝. 公民科をつくりたい」(13)と述べたように,それ. 田の言説を,後の勝田の言動をコードにして読む. は,教育勅語の読み直しをも含む日本の国柄に適. べきではないだろう思量する.. 合する日本的民主主義の構築と,それを教育内容. え,国家を共同体とした国家観が. さて,しかし公民教育構想は前田の考え通りに. とする国民形成という課題を碇起していたのであ. は進まなかった.すでに公民教育刷新委員会の答. る.. 申第二号の審議過程で,前田が公民教育構想の前 46年5月に出された「公民教育実施に関する件」. 提とした教育勅語を清算する議論を抱え込んでい. (文部省通達)の「方針 一,純正な伝統の尊重」. たし,その後計画され日の目を見なかった教科書. に「国民の自尊心を高め,世界文化に貢献出来る. の執筆者には,丸山眞男・大塚久雄などいわゆる. 伝統を尊重し,この精神に基づいて新しい社会理. 近代主義者が予定された.そして,なによりも決. 念を体得させる」とあるのはその表れと解せよう.. 定的だったのは,CIEの教育勅語排除方針であっ. そしてこの『教師用書』では,敗戦の反省もふ. た.新公民科構想では「勅語の立場に立つ」とさ. まえて,公民教育の内容としての国家観を次のよ. れていたが,それと勅語排除は両立しなかったの. うに表明していた(14). である.また授業停止処分にされた修身を含む構 想はもはや成立し難かった.. 国家は個人をその一員とする共同骨豊なのだか. こうして日本国家をそれとして教えることを前. ら,個人と国家との繋がりは,もちろん重く見ら. 提として,国民形成を志向した公民教育構想は挫. れなくてはならない.しかし,囲家は各個人が協. 折したのである.. 力して公共の善のために蓋くすことができるため. 118. 先に公民教育構想と初期社会科は断絶してい.

(8) 戦後社会科教育課程における国家観の考察. る,と述べたのはこのよう意味である.. こうして,GHQによる『教師用書』の書き直. ここには国家社会に類する文言は記されていな い.その内容構成は,個人とそれを取り巻く世界,. しの強要という形で,47年5月には社会科学習指. 身の廻りの共同社会からはじまって人類一般や国. 導要領(Ⅰ)が,6月には同(Ⅲ)が作成された.. 際社会一般に飛躍し,その中間に自国を置くのが. 要領は,冒頭で新しい社会科の意義を説いて,. 極めて弱い構成となっている.そして,人々の幸. 次いで,個人と個人・個人と自然環境などの相互. 福に対する熱意や本質的関心が社会不正への反発. 依存関係を理解することが最も大切だとした.し. 心と同義とされている.. かし,個人と国家あるいは個人と歴史との関係に. 共同社会の維持と運営,保守への責任ではなく,. ついての理解の要請は全く欠落させていた.それ. 不正の告発と暴露を基本発想とする戦後社会科教. は恐らくGHQの民主化政策や担当官の思惑が働. 育言説の源泉をみる思いがする.. いたと思われる.これは(Ⅲ)も同様であった.. また,たとえば,指導要領(Ⅰ)の第五学年の. 後に出された『小学校指導要領補説』では,社会. Ⅸに「国家統治にどんな施設が必要か」という「問. 科は「公民的資質」の育成と位置づけ直されたが,. 題」が配されてはいるが,それは行政施設の機能. (Ⅰ)(Ⅲ)を含め,その内容構成は個人・社会. を教えるという内容であり,それはそれで大事だ. から,いきなり人類社会・国際社会という普遍的. としても,国家の存在とその意味を教える内容と. 価値に飛躍し,日本国家をそれとして位置づけな. はなっていない.. こうして,戦後社会科はその出発において健全. いという特徴をもつものになっていた.たとえば『学 習指導要領補説』は次のように記述していた(16). な国家像を内容論として準備しなかったのであ る.そして,すでに指摘したように,それ以来教. 「社会科の主要目標を一言でいえば,できるだ. 育課程行政として社会科教育あるいは公民教育の. けりっばな公民的資質を発展させることでありま. 教育課程内容に,「国家」が正当に位置付けられ,. す.これをもう少し具体的にいうと,児童たちが,. 教えられる措置は今日までとられて来なかったの. H自分たちの住んでいる世界に正しく適応できる. である.. ように,仁)その世界の中で望ましい人間関係を実 現していけるように,∈)自分たちの属する共同社. 会を進歩向上させ,文化の発展に寄与することが. (4)人為的国家観と自然的国家観. できるように,児童たちにその住んでいる世界を 理解させることであります. ………. しかし,りっばな公民的資質ということは,. その日が社会的に開かれているということ以上の ものを含んでいます.すなわちそのほかに,人々. では,国民教育の教育内容として「国家」はど う教えられるべきだろか.それを考えるためには 「国家」論一般について一瞥しておく必要があろ う.. むろん,「国家」論は古代ギリシャ以来の重厚. の幸福に対して積極的な熱意をもち,本質的な関. 膨大な学譜があるのであり,それを相手にしよう. 心をもっていることが肝要です.それは政治的・. というのではない.ところで今日の政治学は「国. 社会的・経済的その他あらゆる不正に対して積極. 家」を正面から扱うことがなく,政治過程や政策. 的に反ばつする心です.人間性及び民主主義を信. 決定過程の分析に関心を集中させているとされ. 頼する心です.人類にはいろいろな問題を賢明な. る.そこでは「国家」とはM.ウェーバーが述べ. 協力によって解決していく能力があるのだという. た公認された権力の独占機関との定義に終始して. ことを確信する心です.このような信念のみが公. いるのが現状だといわれる.そして,これも戦後. 民的資質に推進力を与えるものです.. 言説の特徴の一つだとされる(17). 社会認識教育課程の現状が,国家=権力による. 119.

(9) 安 藤. 豊. 抑圧機構と描かれるのは,この反映であるともい. り,StatuSとほぼ同義で用いられていたという.. えよう.. ローマ帝国は,典型的な征服国家であったので,. ここでは,国民形成にかかわって,ある国民が. 国家を権力組織ととらえる権力国家観を生み出し. 一般的な「教養」として身につけているべきと考. た.ちなみに帝国を意味するimperiumは,ラテ. えられる「国家」についての知識内容の構成を考. ン語のimperito(命令する,支配する)に由来. 察する,との観点から考察する.ここでいった「国. するという.ギリシャ=ローマのポリス(国家). 民」概念もそれ自体問題だがそれは措く.また,「一. は,アリストテレスが,人間はポリス的動物であ. 般的な『教養』」とは,ヴァージニア大学のE・. り,国家は共同体であり作られるものではなく自. Dハーシュがいった「文化常識」を意識して使っ. 然にあるものであると論じたように,ポリスを守. ている(18). 護する神々への信仰を核とした,共通の粁,共同. さて,このような観点から見たとき,参照に価. 体意識,愛国心,市民意識によって結ばれた共同. する見解に慶野義雄・柳原修『国民の政治学 国. 体と観念されていたとする.しかし肥大化した. 家への覚醒』がある(19). ローマ帝国は,キリスト教という絶対的唯一神,. 本書は,様々な国家論があるが,それを2つに. 世界宗教という人為的な権威と他民族支配に必要. 分類するとする.人為的国家観と自然的国家観と. な人為的な権力とによる国家形成を志向し,自然. である.. にある共同体という国家観を変容させたとする.. この分類の仕方は,一般に近代国家を意識して. そして,この権力的国家観は,中世ヨーロッパ. 社会契約説と社会有機体説の二分法をとることが. の身分国家(estate−State),さらに絶対主義国家. 多いが,それも含めていわば歴史貫通的に国家観. に引き継がれた.. そして国家を社会契約としてとらえるホップ. を説明できる点で判りやすい分類法である.また, このアイディアは,佐伯啓思がルソーとヒューム,. ス,ルソーの国家観は,主権を分割不可能であり,. バーグを対置し,社会契約に基づく国家観=契約. 絶対であると説く限りで,権力的国家観に立って. 論的国家観と,国家としての継続性と統治の継続. いるといえるし,国家消滅を唱えたマルクス,エ. 性こそが国家の止統性の基礎とみる国家観=歴史. ンゲルス,レーニンも労働者階級主権の絶対的・. 的国家観とし,前者はフランス的,後者はイギリ. 専制的国家を生み出した限りで同根であるとす. ス的とした二分法に重なる発想である(20).歴史. る.. 的射程の長さでは慶野達の方が判りやすいといえ よう.. さて,慶野の本は,人的国家観,自然的国家観 を次のように解説する.. 人為的国家観とは,要するに権力国家観である. 一方,自然的国家観とは,要するに文化,国民 精神の共有という一次的な杵によって結合した継 続的共同体であるとする.. 国家を意味するもう一つの言葉にnation, natioがあるが,これはnatura,nature(自然,. とする.国家を意味する言葉であるState(英),. 出生,本性),native(土着)などと語源を同じ. Staat(独),丘tat(仏)などの語源は,人あるい. する言葉で,共通の歴史的過程によって獲得した. は集団の立場あるいは地位と意味するラテン語の. 共通の感情,すなわち言語,習俗,宗教,文化的. statusに由来する.古代ローマ時代に,やがてあ. 伝統などによる結びつきであり,国家と国民とを. る一人の人間あるいは集団に付与された優越し. 包摂する概念であり,そこでは国家は,人為的な. た,あるいは最高の政治的地位を意味するように. ものではなく,文化,伝統を共有する自然的共同. なったという.一方,これもラテン語に由来する. 体として捉えられとしている.. supearnus(梯子の最上段)がイタリア語のsov− ranoを経て「主権」を意味するsovereignyにな. 120. そして,アリストテレスが『政治学』で論じた ポリスがそれであり,古代ローマ帝国に変わっで.

(10) 戦後社会科教育課程における国家観の考察. ヨーロッパの支配権を握ったゲルマン民族は当初. の削除との方針が改められず,現在まで継続して. ローマ法を継承したが,やがてゲルマンの文化と. きたからである.大局的にいうと,東西冷戦終焉. 伝統に立脚する自然なる共同体としてのnation. を契機として我が国は国際社会で自立した国家と. への自覚が高まり,たとえばイギリスでは聖エド. して立たなければならなくなった.このような世. ワード王冠とイギリス国教会を核とする国家アイ. 界史的な条件の変換を背景に,国民的教養として. デンティーを確立したのがそれであるとする.. 健全な国家意識の回復と滴養を図らなければ,我. フランス革命を批判しイギリス立憲政治擁護の. 論陣を張ったエドマンド・バークは『フランス革 命の省察』で,イギリスの国家理念を端的に次の ように述べていたという.国家は「商売上の取り 決めのように一時的な利益のために設定され,当. が国は健全な国家運営が困難になろう.国民教育 はこの課題を担う分野であろう. バランスの取れた「国家学習」を内容構成する とは,どうすることか. それを端的にいうと,現行教育課程に,上述の. 事者の勝手気ままに解消される契約と見なされて. 2つの国家観を,就中,自然的国家観あるいは佐. はならない」のであって「現に生きている人々,既. 伯のいう歴史的国家観の知見をそれとして位置付. に亡くなった人々,これから生まれてくる人々の. け,学習指導要領要領に明記し,教科書記述とし. 間の共同体の組合(パートナーシップ)」なのであ. て相当量の分量を確保することであろう.. る(21),と. そして,このイギリスの国利は,伊勢神宮と三. 教科書がそれしか教えていない社会契約説は,. 近代国家の存立理由を弁明する点で,確かに一つ. 種の神器を,国家の一体性,永続性の象徴とする. の優れたアイディアではあった.それを最初に体. 我が国のそれと類似していると指摘している.. 系的に述べたのはホップス『リバイアサン』であっ たが,それはいわゆるピューリタン革命(イギリ. 以上が慶野の説明である。. スの歴史教科書では「革命」と教えていない)の混乱で,. 国王の権威が弱体化していた状況下で,イングラ (5)バランスのとれた「国家学習」の必要 −むすびにかえて− 「国家」をそれとして教える学習を「国家学習」 といっておこう.. 見てきたように,「国家」には二つの「観」が. ンド社会の秩序を再建し,それを救う上で一定の 説得力のある提言ではあった.しかし,ルソーの 『社会契約論』は該説を引き継ぎ,それを焼き直. し近代における全体主義理論に仕上げたもので あった.. そもそも社会契約説それ自体は,ある種の革命. あるのである.政治学の分野では常識的なことで. 理論である.現にある社会の現実,そこに至った. あろう.ところが,教育の分野,社会科=公民教. 経過や過去,つまり歴史を一切無視して,すべて. 育の分野では,ナショナルカリキュラムである学. を廃棄あるいは破壊し,現実を白紙と想定して,. 習指導要領をはじめ,これが「常識」ではないの. 各個人と国家が「契約」を結ぶと考える.卑俗に. である.すでに見たように教科書では清水書院の. いえば算盤でいう御破算であり,麻雀でいうガラ. 中学校公民教科書のみが権力以外の国家の機能に. ガラボンに当る乱暴な議論である.. 触れているが,他はおしなべて権力的国家観に. そしてこの理論は,歴史的にも実際的にも実証. たった記述になっているし,近代国家の説明では. されない,空想の産物である.歴史上も,現存の. 社会契約説のみとなっていた.. 人間にあっても,人々が国家と契約を結んだ事実. これは著しくバランスを逸した教育内容構成で. ある.GIIQによる教育改革の狙いの一つである 日本人としての国家意識の削除,アイデンティー. はない.. そしてルソーは,各人の自然権を担保した一般 意志による独裁を合理化した.『社会契約論』の. 121.

(11) 安 藤 核心部分は次のように論じている(22). 豊. 然的国家観,共同体としての国家についても教え るべきである.. だから,もし社会契約から,その本質的でない. 現行憲法第一条は,我が国の国体が,象徴天皇. ないもの取りのぞくと,それは次の言葉に帰着す. を中心とする立憲君主国であることを規定してい. ることがわかるだろう.「われわれ各々は,身体. る.そして,これを教える,たとえば学習指導要. とすべての力を共同のものとして一般意思の最高. 領小学6年社会,中学公民分野は天皇の地位や国. の指導の下におく.そしてわれわれは各構成員を,. 事行為を取り立てて教えるよう指示しているが,. 全体の不可分の一部として,ひとまとめとして受. 自然的国家観に立ってこそ天皇を中心とする我が. け取るのだ.. 国の国利を整合的に理解できるし,教えることが. この結合行為は,直ちに,各契約者の特殊な自. 己に代わって,一つの精神的で集合的な団体をつ くり出す.その団体は集会における投票者と同数. できると考えられよう.. ところで,この共同体としての国家観に橋爪大 三郎の次のような批判がある(24). の構成員からなる.それは,この同じ行為から, その統一,その共同の自我,その生命およびその. こうして大日本帝国という国家は,人間が人間. 意志を受けとる.このように,すべての人々の結. に対する忠誠心を持つことで組織されていた.こ. 合によって形成されるこの公的な人格は,かって. れでは,人民の決めた法律に人民が従う近代民主. は都市国家という名前をもっていたが,今では共. 主義の基本が成り立たないのはもちろん,王と人. 和国(Republque)または政治体(Corpspolitique). 民が統治契約を結ぶというヨーロッパ流の世俗的. という名前をもっている.. な国家にさえならない.そこでは,国家が,選択 不能な有機体,運命共同体のようなものになって. 要するに各人の身体,自我,生命,意思,すべ. しまう.. てが一般意志の指導下におかれるのである. では,一般意志を代表する立法者はどのような. 性格として位置付けられるか.ルソーはいう(23). 上の批判は,天皇を憲法の上においたと橋爪が 誤解する明治憲法が有機体国家観にたっていると し,そのような国家観は,大東亜戦争で経験した. 立法者は,あらゆる点で,国家において異常の 人である.彼は,その天才によって異常でなけれ. ように,運命的に国民を惨事に引きずり込んで1ノ まう危険性があると指摘したものである.. ばならないが,その職務によってもやはりそうな. たしかにそのような危険性は避けなければなら. のである.それは,行政機関でもなければ,主権. ない.しかし,自然的国家観が共同体への絶対的. でもない.共和国をつくるこの職務は,その憲法. 盲目的忠誠を要求しているとの必然性を論証する. には含まれない.それは人間の国とは何ら共通点. ことはできないし,逆に,イギリスのマグナカル. のない,特別で優越した仕事なのである.. タ以来の歴史をみれば判るように自然的国家観こ そが,国家を我が事として捉え,国家の危機を乗. 立法者は憲法を超越した存在なのである.つま り独裁者なのである.. り越えてきたのである.. 国家有機体説は,ドイツ流にせよ進化論を基礎. 考えてみればこのような反社会的,反国家的理. においたそれにせよ,それ自体外部から国家を規. 論が,絶対化されて唯一の国家理論であるかのよ. 定する試みの一つなのであり,人為的国家観に分. うに扱われ,国民教育で教授されてきたこと自体. 類されるものであろう.. 異常なことであった. これを相対化し,バランスをとる意味でも,自. 122. さて,このような国家観を教えることとして, さらにその内容を豊にするにはどのような視点が.

(12) 戦後社会科教育課程における国家観の考察. あるだろう.. と括る. ところで,このような「社会科の解体」に私は賛同. 現代ドイツを代表する公法学者であるマルチ ン・クリールは,浩瀞な著書『平和・自由・正義 一国家学入門』の冒頭で,国家についてこれまで. するものである.なぜなら,この措置が公民教育とし. て知識と価値の教育の充実につながると考えるからで ある.. 戦後社会科は本文でも触れたように学校教育法の条. 超越的(哲学的),経験的に論じられてきたが,「存 在と当為」は媒介するものある限り,それは「あ れやこれの制度が創られたのはなぜなのかという, くなぜかを問う問い〉 によって」,その制度やルー ルを創り上げてきた人々の当為意識やその発達過. 規に基礎をおく知識・態度・能力の三要素を教科目標 としてきたが,教科自体は,その出自に規定され方法 教科と唱えられ,実地の授業のあれこれの実態は別に して,あたかも能力目標のみに規定された教科として 理解されてきた.. そして教授における方法と学習目標としての方法と. 程を考慮しなければならないと指摘している(25). この意味で,冒頭ふれた櫻田が,国家の役割は. の二つの方法重視がこの教科運営の基本路線とされて きた.たとえば「中学校社会科歴史」という場合,「社. 本質的に「秩序」を確保することであるとし,現. 会科」と「歴史」をどのように「結合」させるか,といっ. に果たしている役割にそくしてそれを機能論的に. たことが課題とされることが多々あった.そしてこの. 分析し,それを「力の体系」「利益の体系」「価値. 二つの方法重視の教授活動が経過するなかで,価値相 対主義的授業設計が良いとされ,結果的に知識と価値. の体系」の三つの機能として懇切に解説している. の教授が等閑視されるようになった.. のが参考になろう(26). 教授における方法重視の思想は,「詰め込み」「一方的」. また,佐伯啓思が,国家とは「共通の関心/利 益」を持って一定の歴史的・文化的背景を持った ルールに基づいて応答し合う人間の集団」(27)と. 規定し,「均衡体としての国家」を提唱し,その. 「教化」とされた戦前教育との対比で戦後教育の進歩 的要素と賞揚されてきた.本論の目的ではないし準備 もないので論じないが,この対比は不正確か事実誤認 かであろう.しかしもしそうだとしても,このような 教授思想はすでに教育の世界に定着しており,その使. 構造とその担い手について論じているものも参考. 命は終えたと評せよう.そしてもともともこのような. にしたい(28). 思想は教授活動一般にとって,いわば「常識」であって,. とりたてて賞揚するほどもなかったかも知れないので ある. 一方,学習目標における方法重視(=能力目標重視,. 【註】. 平俗に「学ぶ力の育成」と言われることが多い.最近 (1)桜田 淳『国家の役割とは何か』ちくま新書,2004. は「学習学」なる名称も登場している)は,教授活動. 年 (2)同上書 p.10,pp.13−14. が国民形成者として身につけるべき知識群(=社会認. (3)同上書 p.10. 識)の質,ここではその価値性というほどの意味で使っ. (4)嘗て次の拙稿で詳しく私見を述べた.安藤豊「『社会. ている,を不問にする陥穿に陥っている.. におけるそれと相侯って,上に指摘したように学習者. の変化』に対応した社会科教育内容再構成の視座を探. 「社会科の解体」は,このような問題点を克服し,. る」(北海道教育大学教科教育研究会編『教科数青学の. 知識と価値の教育の充実につながると考える.積極的. 今日的視座』2004年,所収).. 推進するべきであろう. 本稿が,社会科教育内容として「国家」を検討の狙. ただし,教科としての「社会科」は,現在,小学校 3年∼中学3年までであり,高等学校は平成元年の学. 上にするのもこの一環である.社会科を一切廃止して,. 習指導要領改訂で「社会科」の冠を外された.周知の. 歴史と地理を独立させ,それと連動した公民教育を構. 通りである.. 築する時期にきている.. しかし,このように「解体」された結果の高校にお. いても「国家・社会の一員とて必要な自覚と資質を養 う」(地理歴史科),「国家・社会の有為な形成者として の資質を養う」(公民科)とその教科目標にあるように,. 従前通り「公民的資質」を目標にしていることに変わ りはないと理解でき,この意味で本稿では「戦後社会科」. (5)『新編 あたらしい社会 公民』p.154,東京書籍, 平成18年使用版. (6)『社会科 中学校の公民』p.152,帝国書院,平成18. 年使用版 (7)『新しい公民教科書』p.71,扶桑社,平成18年使用. 版. 123.

(13) 安 藤 (8)『新中学校 公民』p.35,清水書院,平成18年使用. 版 (9)『新政治・経済』pp.6−7,清水書院,平成14年(平 成17年使用版). (1¢)同前 p.7 (川 同前 p.8−9 (1勿 とりあえず拙稿「戦後社会科もう一つのあゆみ□」 (『教科教育/社会科教育』No.440,1997年6月号所収, 明治図書). (13)『朝日新聞』四五年一○月ニー四日(復刻版) (14)『中等学校青年学校公民教師用書』p.3,片上宗一 編著『敗戦直後の公民教育構想』所収,教育史料出版会, 1984年. (15)斎藤利彦「戦後教育内容における国家像」p.296, 日本教育史学会『日本の教育史学』Vol.46,2003年 (16)上田薫など編『社会科教育史資料1』pp.460−461, 東京法令,昭和49年 (17)坂本多加雄『国家学のすすめ』pp.9−32,pp.60 −61,ちくま新書,2001年 (咽 E・Dハーシュ//中村保訳『教養が国をつくる−ア メリカ立て直しの教育論』第5章,p.181以下,ティピー エス・ブリタニカ,1989年 (1功 慶野義雄・柳原修『国民の政治学 国家への覚醒』. pp.18−31,ルーツ出版局,1994年 餉 佐伯啓思『国家について考察』pp.214−255,飛鳥 新社,2001年 帥 なお,エドマンド・バーク/半澤孝麿訳『フランス 革命の省察』p.123,みすず書房,1978年 佃 ルソー/桑原武夫・前川貞治郎など訳『社会契約論』. p.31,岩波文庫,1954年 錮 同前p.63. 糾 橋爪大三郎『政治の教室』p.125,PHP新書,2001 年 ㈲ マルチン・クリーレ/初宿正典など訳『平和・自由・ 正義一国家学入門』p.10,お茶の水書房,1989年. 鯛 桜田 淳『国家の役割とは何か』ちくま新書,2004 年 佃 佐伯啓思『国家について考察』p.277,飛鳥新社,2001. 年 (姻 同 前 pp.285−317. (旭川校教授ノ. 124.

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参照

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