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詩教材「永遠のみどり」を読む

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(1)Title. 詩教材「永遠のみどり」を読む. Author(s). 奥村, 勉. Citation. 国語論集, 16: 36-50. Issue Date. 2019-03. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/10462. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) Ⅰ. 詩教材としての 「永遠のみどり」を読む 一 「永遠のみどり」を読むために. 奥. 村. 勉. 詩 人 原 民 喜 の作 品「 永遠 のみどり」は、教 育 出 版 教 科 書で中 学 校 三 年 国 語 科 の詩 教 材 として取 り上 げられ 「 原 爆 小 景 より」のタイトルで 「 水 ヲ下 サイ」という 作 品 とともに二 十 年 以 上 にわたり指 導 に供 さ れ てきた。平成三十年現在は 「語り継ぐもの」という小単元の形で教育出 版中学三年教科書に補充教材の扱いで掲載されている。 梯 久美 子 によると、この 「 永遠 のみどり」は、原民 喜 の自 死 直前 に広 島の 「 中 国新 聞 」に送 られた。そして一 九 五 一 (昭 和 二六 )年三 月 十 五 日付同紙朝刊に原 の死亡記事と同面 に掲載されたという。(1)後に 「 永 遠 のみどり」は被 爆 体 験をもとにした他 作 品 とともに 「原爆小景」 と題した作品集としてまとめられることになった。 この六十 年 以 上 も前 に創 作 された詩「 永 遠 のみどり」は原爆 投下 後 の情景を主として表現した 「原爆小景」の作品群の中では、直接的な情 景 表 現 を伴 わない唯 一 の作 品 である。また平 仮 名 表 記 によるスタイル も他 の作 品 とは異 なったものとなっている。そのよう な 「 永遠 のみどり」 について文学作品としての検討を行い、また現在の中学校における国語. ( 36 ). 詩教材「永遠のみどり」を読む. はじめに 平成二七(二〇十五)年七月、岩波書店から 『原民喜全詩集』が岩波 文 庫として発 行 された。また平 成三 十 (二 〇 十 八 )年 七 月 には原民 喜 の関 連 本 として岩 波 新 書 から梯 久 美 子 の評 論『 原 民 喜 死 と愛 と孤 独 の肖 像 』が発 行 さ れている。原 民 喜 の作 品 集 は彼 の没 後 何 度 となく 刊行されてきたが 「全詩集」としては昭和五三(一九七八)年の 「定 本 原 民喜全集」(青土社刊)以来のものとなる。太平洋戦争後の原民喜作品 の多 くは原 爆 投 下 後 の人 々 の姿 を題 材 としたものである。それらの作 品には人々の悲惨な光景が描き出されている。しかし、これらの作品を 中学校 国語 科教材としてみたときに、その作品から何を読むことがで きるのだろうか。そしてどのような扱い方ができるのだろうか ここで取り上げる原民喜の詩「永遠のみどり」は、詩集『原爆小景』の 中 に最 後 の一 編 として掲 載 さ れているものである。教育 出 版 の中 学 校 三年教科書に長年採用されてきた。この 「永遠のみどり」という作品に ついて、どのよう に捉 えることができるか。また作品 を授 業で扱う こと により中学三年生徒にどのような読み方を供することができるか検討 を加えたいと考えた。。 なお、本 稿 は北 海道 教 育 大学 釧 路 校「 国 語 を学 ぶ会 」例 会において 平 成 三 十 年 十 月 及 び十 一 月 の二 回 に分 けて提 言 したものを改 めて検 討し、二つの章にまとめ直したものである。. −36−.

(3) 永遠のみどり ヒロシマのデルタに 若葉 うづまけ 死と焰の記憶に よき祈りよ こもれ とはのみどりを とはのみどりを ヒロシマのデルタに 青葉 したたれ 文学作品としての 「永遠のみどり」. の他 にも、自 死す る前 から様々 な準 備 をしていたことが明 らかにされ ている。それらの準 備 は周 到 なもので近 親 者や 友 人 等 に対 しての遺 書 をはじめとして各 種 依 頼 、遺 稿 の取 り扱 いなどにわたっているという。. 三月十三日午後十一時三十一分、国鉄(現JR)中央線吉祥 寺 ・荻 窪 間 の鉄 路 に身を横 たえ自死 した。下 宿 には、机 上 に近 親 者・友人に宛てた遺書十七通と、押し入れに遺品と遺書二通があ った。押 し入 れに置 かれていた佐 々 木 基 一 宛 の折 カバンの中 には、 丹念に整理された自作と、いつか選集が出るときがあればと目次 も添えられており―以下略 (3). また 「原民喜全詩集」の解説によると詩集の原稿は、遺書とともに自 宅に置かれていた。若いころからの親友である長 光太をはじめとした 人々が詩集の刊行に力を注いだという。(4) この 「 永 遠 のみどり」は被 爆 体 験 をもとにした他 の九 作 品 とともに 「原爆小景」という作品群としてまとめられた。以後多くの出版社から 同様に全集・詩集が刊行されている。また同名の 「永遠のみどり」という 小説もあるが 「詩」とは別のものである。 近年になって太平洋戦争終結七十年に当たる平成二七 年 岩波文庫 から改めて 『原民喜全詩集』が出版された。次いで平成三十年同じく岩 波 から評 論 の 『原 民 喜 詩と愛と孤独 の肖像 』が岩波新書として出版 さ れた。それらの解 説 や 評 論 の中 でも、それぞれ 「 永 遠 のみどり」は原 民喜の作品中で非常に重要なものとして位置づけられている (5)。. (二)作品集「原爆小景」 原 民 喜 の被 爆 体 験 をもとに創 られた作 品 集「 原 爆 小 景 」は 「永遠の みどり」を含む十編で構成されている。それらの最後に 「永遠のみどり」 は置かれている。竹原陽子作成の年譜によると、これらの連作はまとま. ( 37 ). 科教材として取り扱う意義について考えてみたい。 なお対象とする作品は次の通りである。. 二. (一)「永遠のみどり」の成立 作品「永遠のみどり」は現在「原爆小景」という 作品集の最後 に掲載 さ れている。しかし先 の項で述べたよう に 「永遠のみどり」は彼の死 の直 前 に中 国 新 聞 社 に送 られたものだ。一 九 五 一 (昭 和 二 六 )年 七 月 には 早 くも細 川 書 店 から「原 民喜 詩 集 」が刊 行 された。原 民喜 の死 からわ ずか四か月後のことである。 何 故こんなに早く出 版 さ れたのか。その理 由が竹原 陽子 のまとめた 「原民喜年譜」(2)に示されている。 その年譜には、原民喜が 「永遠のみどり」を中国新聞に送付するなど. −37−.

(4) って発 表 さ れたものではなく、自 死 前 年 の夏 から逐 次 発 表 されたよう である。以下十編の作品名を詩集掲載順に列挙する。 コレガ人間ナノデス 燃エガラ 火ノナカデ 電柱ハ 日ノ暮レチカク 真夏ノ夜ノ河原ノミヅガ ギラギラノ破片ヤ 焼ケタ樹木ハ 水ヲ下サイ 永遠のみどり このよう に、作 品 集 の中 で 「 永 遠 のみどり」は最 後 の作 品 として置 か 「永遠のみどり」だけが平仮名表記である。 れている。(6)また作品名も. う。他の九作品は原爆投下後の悲惨な光景を、その場に直面した人間 の姿 として直 截 に表 現 している。さ らに片 仮 名 による表 記 が読 む者 の 胸に突き刺さる。しかし 「永遠のみどり」だけが平仮名表記による表現 となっていて、優しさや慈しみさえ感じられる表現となっており、違った 世 界 の存 在 を感 じとることができる。この作 品 が作 品 集 の最 後 に置 か れた理由もそこにあるように思われる。 また、梯 久 美 子 はその評 論 の中 で、次 のよう に述 べてから「 永 遠 のみ どり」を紹介している。(9). ( 38 ). 最晩年の原は、朝鮮戦争の勃発によって、ふたたび原爆が使われ るのではないかという 恐 れと不 安 にさ いなまれていたという 。しか し一方で、自分達の世代の後に、新しい時代の新しい人々が現れる という希望を失ってはいなかった。. 一 般 に被 爆 体 験 を題 材 とした文 学 作 品 などでは峠 三 吉 の 「原 爆 詩 集」などにみられるように、悲惨と絶 望 そして怒 りを語ることが多い。 それは当然のことではあるが原民喜が 「永遠のみどり」を作品集の最後 に置 いたよう に悲 惨 と惨 憺 の先 に 「希 望 」を語 る意 味 も十 分 考 えなけ ればならないだろう 。 「永遠のみどり」の詩を受 けて梯 久美 子は評論を 次のように締め括っている。( ). 原は自死したが、書くべきものを書き終えるまで、苦しさに耐え て生き続けた。繰り返しよみがえる惨 禍の記 憶にうちのめされそ うになりながらも、虚無と絶望にあらがって、のちの世を生きる 人々に希望を託そうとした。その果ての死であった。. これらと同様な見方として、原民喜詩集の刊行にも尽力した友人の 一 人である佐々 木 基 一 の一文 がある。佐々木 は原民 喜の小 説 集「 夏の. −38−. (三)「原爆小景」の中の 「永遠のみどり」 若松英 輔 は 「原民喜全詩集」の解説で連作「原爆小景」について次のよ うに述べている。 これらの連 作で民喜 は、原 爆 投下 によって生 じた陰惨 な現実を描 き出 す 。彼 は自身 が見たものを言 葉 に刻むことにおいて極 めて誠 実だった。―中略―最初は妻にむかって紡いでいた言葉も、いつの日 か未知の、無数の死者たちへの献花になっていった。(7) さらに続けて次のように記す。 民喜は 「 永 遠 のみどり」と題 す る詩 も書 いている。そこに記 さ れて いるのは同名の小説の世界とは異なる光景である。そこで彼は決し て消えることのない希望を語 った。この作品は、民喜が残した詩篇 のなかでもっとも優れた作品の一つとなっている。(8) 若 松 英 輔 は、何故この作品 が最も優 れたものかについては述 べていな いが、 「原爆小景」における 「永遠のみどり」は、若松が述べるように悲惨 を乗 り越えるための希 望を語る最後の作品と捉えることができるだろ. 10.

(5) 花 」が一 九 八 八 年 岩 波 文 庫として出 版 さ れたときの解 説 に 「 あくどい 描写 や感傷的な誇張がみられない」として、原民喜の表現について次の ように記している。( ). 教師用指導書 」 である。( ) 「語り継ぐもの」は吉永小百合の随筆である。教師用指導者によると 筆者は原爆の問題を扱った映画やテレビドラマに出演し、被爆者との交 流の中で原爆詩と出会ったと説明される。それ以後 、原爆詩の朗読を ライフワー クとして取 り組 んでいる。その経 験をもとにした一 文 が 「語 り継 ぐもの」である。原爆 の悲惨 さを子 供たちにもわかってもらいたく て学 校に足を運 んだこと、さらに多くの人々に伝えたい思いでCDに納 めたことなどの体験を淡々と綴っている。 この随筆に添えるような形で 「永遠のみどり」が掲載されている。しか し 「 語 り継 ぐもの」という 吉 永小 百 合 の文 章では、この詩 に触 れる部 分 はない。. ― 略 ―「みどり」は広 島 の復 興 の象徴でもある。しかし、現 在 の世 界情勢を考えると、核兵器の恐ろしさと平和の尊さを訴え続けて いかなければ 「永遠のみどり」は失われてしまう 。作 者(原 民喜 )の 気 持ちを受 け継 ぎ、自 分 たちの祈りとして語 り継いでいかなけれ ばならない詩なのだということを感じさせたい。. (二)小単元「語り継ぐもの」の取り扱い この小単元は二時間扱いで想定されている。第一時では 「語り継ぐも の」を読んで感想を述べ合い、原爆詩に出会う以前の筆者の思いを把握 さ せる。第 二 時では原 爆 詩 に出 会 ってからの筆 者 の思 いをつかむ。その 後 、第 二時 の後 半で原民喜「永遠のみどり」を読み、そこに込められた 思いを読み取ることになっている。 さ らに教 師 用 指 導 書 では 「 永 遠 のみどり」についての授 業 展 開 例 で 「指導の際の留意点と評価」の項で次のよう指摘している。. 12. 吉 永 小 百 合 の文 章 と関 連 付 けるため、このよう な捉 え方 になったの. ( 39 ). 『 夏 の花 』は― 中 略 ― 惨 憺 たる壊 滅 が現 実 になった日 の凄 惨 な光 景 を眼 にした通 りに書き綴 った小 説である。凄 惨な光景 にもかか わらず、それを見る作者の眼は不思議に澄みきっていて、そのため そこには、どこにもあくどい描 写 や 感 傷 的 な誇 張 が見 られない。 一つ一つの言葉と文章のすべてが、正確無比で、鉱物質のようなピ カピカした光を放っている。. 国語科教材としての 「永遠のみどり」. この佐々 木の指摘は、作品集「原爆小景」の表現にも通じるものがあ る。特 に 「 永 遠のみどり」は原 民喜 が感 情 にまかせて書き上 げたもので はなく、冷静に一語一語を作品の中に置きながら作品として創り上げ た感がある。これらの点については次節でさらに考えてみたい。 三. 前節でみたとおり 「永遠のみどり」は原爆による悲惨と惨憺の中にあ って 「 希 望 」を語 るものとして捉えることができるだろう 。。その様な考 え方に立って中学校でこの作品を授業する場合に、改めて教材としての 「 永 遠 のみどり」に向 かい合 わなければならない。現 在 この作 品 は中 学 三年の補充教材「語り継ぐもの」という小単元の一部として掲載されて いる。 (一)「語り継ぐもの」と 「永遠のみどり」 まず教科書会社発行の、いわゆる教師用指導書を概観することから 始 めたい。参 照 したのは平 成 二 八 年 版 の 「 伝 え合 う 言 葉 中 学 国 語 3. −39−. 11.

(6) だろうが、 「永遠のみどり」を一つの独立した作品としてみたときには、 もう少し検討の余地があるように思われる。 (三)教師用指導書における教材「永遠のみどり」 同じ教師用指導書では主題・要旨、詩の構成等について次のように解 説している。. 第一連、第二連、第四連が対句的で、命令形の文末表現により、 作者の願いが強く感じられる形となっている。 「ヒロシマ」という片仮名表記によって、世界的に知られた被爆都 市であることがイメージされる。 「う づまけ」「とは」などの歴 史的 仮名遣いや「よき」といった文語的表現がみられる。 また、第 三 連のみではあるが、反 復法 による強 調 表現がみられ る。. このように教師用指導書では必要な言語要素が網羅されているよう に見 える。一 方 、若 松 や 梯 のいう「 希 望 」という 言 葉で表 現 さ れている 世界が、指導書においては 「願い」という言葉で表現されていると言える だろう 。原 民 喜 の詩 に表 現 さ れたのは 「 希 望 」あるいは 「願 い」のどちら なのだろう か。 「 希 望 」という 言 葉 には強 い意 志 が感 じられる。しかし 「願い」はどう だろう 。一方「願 い」という 言 葉 は 「祈 り」という言葉と重 なり合 う 言 葉 のよう にも受 けとることができそう だ。また 「 希 望 」「 願 い」の両者をも包含するだろうか。 授業を展開する場合には、生徒から様々な考えが表出される。それ らを許 容 し生 徒 の感 受 性 を大 切 にしながら詩 の核 心 に迫 る必 要 があ る。そのためには、作品の主題などをどのように捉えたらよいのだろう。 なお、いわゆる赤 刷 り教 科 書 といわれる指 導 書 には、本 文 それぞれ に次のような注釈が付されている。 永遠のみどり. (原爆の落とされた広島) (広島市は三角州の土地にある) ヒロシマの デルタに (燃えさかるような生命感) 若葉うづまけ. ( 40 ). ○主題・要旨 作 者 である原 民 喜 は、妻 の死 によって孤 独 と絶 望 にう ちひしが ママ れて広 島 の生 家 に戻 った時 に被 爆 した。この死 には、死 者への鎮 魂 の祈りと、永遠の平和を強く願う気持ちがこめられている。. 現. ○構 成 第一連 平和を希求する作者の強い願いが、最初から直裁、簡明 な命令形として表現されている。 第 二連 被 爆 した人 々 の凄惨 な姿や 、焼 け尽くさ れた被爆 地 に 残された原爆の爪あとこそ 「死と焰の記憶」 であろう。 数年の時を経て、その記憶に 「よき祈りよ こもれ」とあ る。犠牲者への鎮魂の祈りがこめられた連である。 第三連 永遠の平和の希求と犠牲者への鎮魂が 「とはのみどりを」 の反復表現にこめられている。 第四連 第一連の 「 若 葉 」が、第 四 連 では 「 青 葉 」に成 長 して茂 る のと同 様 、人々 の平和への思いがさらにいっそう 結集し、絆 となって広がっていくことへの願いが感じられる。 四 連で構 成 さ れる文 語 表 現 を用 いた口 語 自 由 詩である。第 一 連、第二連、第四連が対句的に呼応している。 ○表. −40−.

(7) (原爆の高熱と爆風) 死と焰の記憶に (平和な世界になることを祈る気持ちでいっぱいになれ。) よき祈りよ こもれ (平仮名=「祈りのことば」のイメージ) とはのみどりを とはのみどりを. ② 連の構成の意味 同様に、連の対句的 表現、反復表現などに込められた意図をつまび らかにしなければならない。特に短詩形では連と連は緊密に結びついて いることが多い。また一つ一つの語が相互に関わりあって表現されている 場 合 もある。それらに着 目 しながら、連と連の関 係 性 を考えることが 必要になる。 ③ 表記と文脈の問題 表記については、 「ヒロシマ」など漢字表記が一般的な語についての片仮 名表記の意味を検討する必要がある。また作品中の 「永遠」という語に ついて漢字表記と平仮名表記による表現の違いについても考えなければ ならないだろう。また文脈の把握については、文末表現に込められた作 者の意図を時間軸で捉えることも必要になる。さらには文末の命令表 現の意図も探らなければならない。 ④ 比喩表現の意図 暗喩(隠喩)と明喩(直喩)の違いなどから、 「死と焰の記憶」の表現に ついてイメー ジ化 を図 ること。また 「 死 と焰 の記 憶 」という 比 喩 表 現 が 他 の連 とどのよう な関 係 にあるかを把 握 しておくことも必 要 になる。. 右. (岩波文庫二〇一五年七月). 原民喜年譜. (岩波新書二〇一八年六月). 死と愛と孤独の肖像」. これら四点を検討することから授業を構想したい。実際の授業を例 に、生 徒たちの反 応と併 せて、これらを検討す ることの必 要性 について 次の章で考えていきたい。 注 1 梯久美子 「原民喜. 同. 2 竹原陽子 「原民喜全詩集」所収 3 竹原陽子. ( 41 ). ヒロシマのデルタに (濃い緑があふれ落ちるほど茂ることを願う。) 青葉したたれ (四)「永遠のみどり」の授業を構想するために 実 際に授業を行うためには、もう少し教材としての 「永遠のみどり」 について検討しなければならない要素があるだろう。それは主題や詩の 構成などについての捉え方である。それらを授業者なりに明らかにして おくことで授業場面における生徒の読みを柔軟に受けとめることが可 能になることでもある。 ① 主題の問い直し 教師用指導書では主題を 「死者への鎮魂の祈りと平和への願い」として いる。ではこの詩 の中 から、その主 題 をどのよう に生 徒 が発 掘 す るか、 生徒自身がどのように気づくかをまず授業者は明確にしておく必要が ある。例えば、象徴的な語句あるいは文脈、比喩など、求める手がかり となる表 現 を明 らかにしておくことが必 要 であろう 。また 「 希 望 」「 叫 び」など、作 品の中 から生 徒が感 じ取 り導き出すであろう 主題の可能 性についても検討しておく必要がある。. −41−.

(8) 4 若松英輔 「原民喜全詩集」所収. 解説 (岩波文庫二〇一五年七月). 5 「原民喜全詩集」解説の中で若松英輔は 「民喜は 『永遠のみどり』と題する 作品の一つとなっている。」と記し、梯久美子は評論「「原民喜」の中で 「永遠の. 詩も書いている。(中略)。この作品は、民喜が残した詩篇のなかで最も優れた みどり」を紹介して 「のちの世を生きる人々に希望を託そうとした。その果て の死であった。」と結んでいる。 後に掲載されているが、これが原民喜の意図によるものか編集者の意図によ. 6 「原民喜全詩集」では 「永遠のみどり」は 『原爆小景』の第十作品目として最. 同. 同 右. 右. るものかは不明。 7 若松 英輔. (岩波新書二〇一八年六月). 8 若松 英輔. 右 一九八八年六月). 原民喜」所収解説. (岩波文庫. 作. 平成二八年). 一. Ⅱ. 詩を読む 中学校三年「永遠のみどり」の授業 授業にあたって. ( 42 ). 死と愛と孤独の肖像」. 同 夏の花. 中 学 国 語 3 教 師 用 指 導 書 」(教 育 出 版. 教師用指導書としては次のものを参照している。. 「 伝 え合 う 言 葉. (一)教材としての文学作品と授業 前章で検討してきたとおり国語科教材としての詩作品は、それ以前 に文学作品である。文学教育という言葉に代表されるように教科書掲 載 の作 品で‘何 を教 えるか’については古 くから多 くの議 論 が行われて 『文 きた。例えば 「文学言語の教育」(1)という考え方や「文学作品は 学的文章』によって書かれている」(2)その特質を児童生徒に伝えると いう 考 え方 など多 様 な見 解 が示 さ れている。また 「もともと文 学 作 品 は教材文として読まれるために書かれたものではない。国語の力をつけ るために、また読 むことにょって何 かが学 ばれるよう に、意 図 して書 か 「教科書は れてはいない。」(3 )ということなどもいわれている。一 方 、 単 なる資 料 群 である。教 師 はその中 から何 らかの価 値 を見 出 して 『学 習 材 化 』しなければならない」(4 )として文 学 作品の教 材 化をいう 論 もある。 このような点 からも文学 作品を教材として使用する場合、つまり授 業で取り扱う場合には、作品としての価値と言語能力を育成するとい う二つの観点から授業内容をみていかなくてはならないだろう。その様 な意味から前章では文学 作品としての 「永遠のみどり」に焦点をあてて 検討を加えてきたが、本章ではもう一方の言語能力の育成という視点 から学習指導要領 の内容に触れて 「永遠のみどり」の授業について検討 したい。. (二)学習指導要領の要請と授業 「永遠のみどり」の実践は平成十六年六月に実施した。この提言はそ の時の二クラスで行った授業の記録が主なものになる。. −42−. 9 梯久美子 「原民喜 梯久美子. 佐々木基一 「小説集. 11 10 12.

(9) 学習指導要領の転換. 文 章 の指 導 においては 「 作 品 の主 題 把 握 」が重 視 さ れ小 説 や 物 語 の学 習では主 題 追求 の過程 に多 くの時間 が費や されていた。同 様 に詩の指 導においても詩人 が何を表現しようとしたかに指導の力点 が置かれて いた。 また昭和四十五年に示された 「文章を正しく理解する、豊かに鑑賞 することが読むことの主眼」という「読むことの指導」の考え方による指 導 が継 承 さ れ、平 成 十 年 学 習 指 導 要 領 に移 行 さ れてからも「 詩 の指 導 」などは、まだまだ 「 鑑 賞 指 導 」という 考 え方 が学 校では支 配 的 なの が現状となっていた。教科書においても、詩に表現されているテーマ性の 追求などが指導の中心となるような目標設定となっていた。(6). (二)平成十年学習指導要領が求めたもの ところが平 成十 年 に新たな学 習 指 導 要領 が公 示 さ れ、学 習 指 導要 領総則では生 徒 一 人 一 人 が自分 のものの見 方 をもち、考えをもって判 断し行動できることや自分の考えを的確に表現することが必要である と示された。これは、現行平成二十 年学習指導要領でも強調されてい る 「思考力 」「判断 力」「表現力」の育成 に先駆けるものだった。そして平 成二十九年学習指導要領へとつながることとなる。(7) このように当時の学習指導要領が大きな転換を図ったことによって、 国語 科教育の方向も知識重視、主 題追求などによる態度形成を重視 したものから、言語 活動を重 視し言語 活動 による言語 能 力育 成への転 換と流れを大きく変えることとなった。国語科の 「内容」にも大きな転 換 が図 られた。 「 表 現 」「 理 解 」という 言 語 能 力 の育 成 を 「 内 容 」とした ものから 「 話すこと・聞くこと」「 書 くこと」「 読むこと」という 言語 活動 による能力育成の 「内容」へと転換したのである。 また、これまでの国語科教育が 「特に、文学的な文章の詳細な読解に 偏 りがちであった」ことを指 摘 し、 「指 導 のあり方を改 める」とした。そ の上で 「指導計画の作成と内容の取り扱い」の中ではじめて指導にあたっ. ( 43 ). その頃の国語科教育は大きな転換期を迎えていた。平成十年十二月 に告示された学習指導要領は平成十二年度から移行期に入り平成十 四年度から本格実施されたのである。この学習指導要領の大きな改訂、 教科書改訂の中で、特に国語科ではこれまでの二領域一事項が三領域 一事項に改訂 されたことに留 まるだけではなく、授業のあり方も大き な変 革 を求 められていた。指 導 目 標 ・指 導 方 法 などもす べて再 検 討 を しなければならない状況だった。 そこで新 しく示 さ れた学 習指 導要 領 に基づく中学 校 国 語 科 授 業 は どのよう なものであればよいかという 観 点 から国語 科 授業 のあり方を 模索しなければならなかった。その様な中でおこなった試行授業の記録 である。 この実 践 は当 時 の新 しい学 習 指 導 要領 に移 行 してから二 年 が経過してからのものではあるが、それは生徒主体の授業とはどのよう なものか、言 語 活 動 を活 発 化 さ せる授 業 とはどのよう な授 業 か。その 様なことの検討が行われている中での試行的な実践の記録になる。 二. (一)中学校国語科の新たな方向 平成十年に大幅改訂された学習指導要領は国語科指導に対しても 大きな転換を迫るものだった。それ以前の昭和五十三年から途中一度 の改 訂 を挟 み平 成 元 年 まで続 いた約 二 十 年 間 の学 習 指 導要 領 の国 語 科は、 「内容」を 「表現」「理解」「言語事項」の二領域一事項として 「 表現 力 」「 理 解 力 」の能 力 の育 成 重 点 をおくものだった。特 に 「 理 解 」領 域 の 指 導における読みの指導では 「読書 力の育 成 」が長年 いわれ続けてもい た。(5) そのため当時多くの学校では読む行為が人間の成長に寄与するとし、 読書力を育成することが大切という考え方に基づいて 「心情を豊かに」 することを重視した指導が長年にわたって行われていた。特に文学的な. −43−.

(10) の転換を求めている。また 「目的や意図を明確にした読むことの指導が より一層大切になる。」 ことから 「文章内容や表現の仕方の特徴を読み 取ったり」などの 「多様な読むことの学習活動を意図的,計画的に設定 す る必 要 がある。」として言 語 活 動 の活 発 化 を求 めたのである。( ) これらのことから 「読むこと」の第二学年及び三学年で文学的な文章 に関する 「内容」としては、表 現の仕方に注意して読むことや文章を読 んで自分 の意 見をもつことなどが取 り上 げられるよう になった ( )。 これは授業目標を主題 追求を主とする目標 から生 徒自らの思考や 判断を重視する目標へと変換を求めるものだった。そして目標の変更に よって授業のあり方をも変えることにつながっていった。 例えば教科書の目標設定をみても、本教材が初出となった平成五年 版 教 科 書 では主 題 追 求 を重 視 した目 標 設 定 となっていて、次 のよう に 示されていた。. 「学習の手引」 (平成五年. 中学国語3 p148). 1死と向かい合った人間の真情にふれ、平和への願いを実感する。 2詩の主題を考え、自分の考えをもつ。 三『 永 遠 のみどり』における文末 表現の特 徴を指 摘 し、その効 果 について話し合ってみよう。 四「みどり」が象徴していることについて話し合ってみよう。 五『水ヲ下サイ』と 『永遠のみどり』の二つの詩の表記法の違い には、作 者 のどのよう な気 持 ちがこめられているか、三 百 字程 度でまとめてみよう。. ( 44 ). 12. 13. ここでは 「 詩 の主 題 を考 え」、自 分 の考 えをもつ」ことが求 められてい る。それが学習指導要領改訂後の平成十四版教科書では次のように改 められた。 『主 題 』 という文言 は消 えているが、 「 作 者の願いをとらえること」として従 来 からの 「主題. −44−. ての言語活動例が示されたのである。(8) 当 時 の国 語 科 教 育 関 係 図 書 などでは、 「主 体的 な言語 活動 の展開 」 などの見出しが掲げられ 「生徒一人一人が主体者となるような言語活 動を積極的に取り入れることが大切である。」と言語 活動重視の指 摘 がなされたものも出てくるようになった。(9) このよう なことから国 語 科学 習 では主 題 追 求 重 視 の指 導や 鑑 賞 重 視の指導は、 「詳細な読解に偏ったもの」ではないかということから授業 の在り方の見直しを図るようになった。 (三)平成十年学習指導要領国語科のねらい 平成十年学習指導要領国語科ではこれまでどおり 「国語を適切に表 現 し正 確 に理 解 す る能 力 」を重 視 す るとしたが、また 「 社 会 生 活 に必 要 な言 語 能 力 としての、互 いの立 場 や 考 え方 を尊 重 しつつ言 葉 により 伝 え合 う 力 の育 成 を重 視 し、新 たに 『 伝 え合 う 力 を高 める』ことを目 とした。( ) 標 に位 置づけている。」 このことにより、平 成 十 年 学 習 指 導 要 領 国 語 科 の 「 読 むこと」では 「表現の仕方に注意して読む」ことや「自分の意見を持つこと」などが重 視され、それとともに 「鑑賞」という言葉が 「内容」本文から消えていく ことにとなった。 「 主 題 」に関 しては第 一 学 年 の 「 内 容 」に残 さ れるのみ となったのである。また教師主導の授業形態は見直され、従来からおこ なわれていた 「 詩 の鑑 賞 指 導 」なども生 徒 の主 体 的 な言 語 活動 を展 開 するという観点で授業場面から姿を消していくことになった。( ) 11. (四) 授業目標の転換と指導方法の転換 このような学習指導要領国語科の変化は、当然授業のあり方にも転 換 を迫 ることになった。前 項 で述 べたよう に 「 読 むこと」の指 導では 「従 前 の読 むことの指 導 においては、文 学 的 な文 章 の詳 細 な読 解 に偏 りが ちであった」として 「多彩な学習活動が展開されるようにした。」と指導. 10.

(11) 追求」の流れが見て取れるものであった。. 「学習の手引」 (平成十四年. 中学国語3 p102). 永遠のみどり (題名 未来) 第一 連 ヒロシマの デルタに 若葉うずまけ ※「若葉うず まけ」の表現 にみられるとおり 「現在」のヒロシマ にはまだ若 葉 が渦 巻 いていないことが予 想 さ れる。現 在 か ら見た 「未来」への希求とみることができる。 第二連 死と焰の記憶に よき祈りよ こもれ ※「 死 と焰 の記 憶 」は遠 くない過 去 、原 爆 投 下 の悲 惨 な記 憶 の表 現となる。しかし一 方で 「よき祈りよ こもれ」の表現 はや はり 「未来」へ向かっている。そして、第三連へとつながる 表現となる。 第三連 とはのみどりを とはのみどりを ※リフレインは、強調表現である。第二連で示された 「よき祈 り」とは何か。どのよう な祈りなのか。その内実が見えてく る表 現となっている。しかも 「死 と焰の記 憶 」とは対 比さ れ た形 で表 現 さ れ 「 とはのみどりを」が一 層 強 調 さ れること になる。そしてそれは強く 「未来」を指し示す。 第四連 ヒロシマのデルタに 青葉したたれ ※ 再び繰り返しの表現となる。第一 連と唱 和 し、強い意志の 表 現 とも、また 「 願 い」「 希 望 」などの未 来 希 求 とも受 け取 れ る。 「 若 葉 う ず まけ」から「 青 葉 したたれ」と時 間 の永 続 性 が. ( 45 ). ①死と向かい合った人間の思いにふれ、平和を願う心を育てる。 ②文体の特徴に注意して、作者の願いをとらえる。 ○「永遠のみどり」について、次のことを話し合おう。 (1)文末表現の特徴と効果。 (2)「みどり」が象徴しているもの。. 平成十年学習指導要領に基づく授業の構想と授業の展開. 学 習 指 導 要 領 の要 請 に従 う ならば 「 効 果 的 な語 句 の使 い方 」「 文 章 表 現 の特 徴 」などに注 意 して読 み進 めながら「 自 分 の考 えをもつ」こと が目 標 にならなければならない。しかもそれは生 徒 自 ら読 み進 めるこ とを求めており、自らの考えを 「伝え合う」 ことが求められている。 このよう な教 科 書 に例 示 さ れた目 標 と新 たに学 習 指 導 要領 で示 さ れた目標の間で実際の授業をどのように展開するかが課題でもあった。 三. (一)教材としての 「永遠のみどり」と授業構想 授業を構想するために、次の四点から考える。 ① 連の構成について ア 連の構成を時間軸で把握すること 本 作品のよう な短詩 形の作品においては連の構成をどのよう に把 握するかが重 要となる。各連 は作 者の明 確な意図 によって配列され ていると考えられるからだ。 本 作 品 では、連 の配 列 に 「 過 去 ・現 在 ・未 来 」の明 確 な時 間 の推 移 が表現されている。まず各連の時間配列を検討する。. −45−.

(12) 片 仮 名 表 記 は原爆 投下 よって世 界 に認 知された 「広島」の象徴的な表現と捉えたい。. したたれ. 時間軸の象徴。 「うづまけ」から永続への意志。. ③主題について 主 題 追 求 、つまり作 品 のテー マ追 求 はこれまでの文 学 作 品 の授 業 に おいては主要 な授業 目標として取り扱われてくることが多かった。従っ て授業者は 「作品の主題」を掲げて生徒をそこにたどり着くよう導くこ とに力 点 を置 く傾 向 も見 られた。しかし 「 何 を学 ぶか」から「 どのよう に学 ぶか」に力 点 を置 くと、主 題 追 求 は主 要 な 「学 習 目 的 」ではなく、 生徒の様々 な読み方の結果として現 れるものとなる。つまり生 徒自身 によるその時 点 での生 徒 の 「 価 値 判 断 」となるだろう 。その様 に考 える と主題追求は 「学習の目的」から 「学習の結果」へと捉え直すことが必要 となる。ここでは、授業を通じて生徒が自分なりの判断を形づくるため の 「手がかり」としてのキーワードとして捉えておきたい。 ・平和への希求 ・悲惨からの脱却 ・作者の希望 ・作者の願い ・穏やかな日常 ・安らかな日々 ・平和の持続. (二)生徒主体の言語活動に向かう目標の設定 ① 題材の目標設定 目標設定は、当然その授業方法や学習展開を左右することになる。 そこで生 徒 の言 語 活 動 をどのよう に進 めるかを検 討 し、次 のよう な観 点から題材の目標を構想することとした。また各時間の本時目標は題 材目標を受けてさらに具体化し言語 活動を一層明確にした目標設定 とすることにした。 ・生徒主体の言語活動を促す目標設定 ・生徒が自分なりの根拠をもって発言できるような目標設定 ・生徒が課題を追求できることが可能な目標設定 この3点を観点として題材の目標を次のように設定した。. ( 46 ). 表現されている。 イ 連相互の関係を文脈として把握すること 四つの連は 「現在」にいる作者が 「過去」と 「未来」に感応するような 表現と捉えることができる。 「死と焰の記憶」という悲惨な体験とし ての 「過去」から 「祈り」による安寧な 「未来 」の希求である。それは体 験 していない 「 未 来 」漠 とした 「 未 来 」だが、作 者 はそれを 「 若 葉 」「青 葉」に託したと捉えることもできるだろう 。このような文脈で連相互 の関係を把握したい。 ② 語と語句の把握と表現について 永遠のみどり 題名であるとともに詩の全体像 ヒロシマ. 広島市を中心とした大地の広がり、原爆投下によ って被災した地域の広がり。 命令形 による強い意志。 「したたれ」に時間がつな がっていく。. デルタ. うずまけ. 平 和 の象徴 。祈 りの内実 は次 の連 によって示 さ れ る。 命令形。強い意志の表現。. よき祈 り. こもれ. とはのみどりを 平 仮 名 表 記 による祈 りとしての心 の表 出 。心 の中 あるいは口からこぼれ出た音声としての表現。繰り 返しによる意志の持続。. −46−.

(13) 題材の目標 ・人間として生きることの意味について考え、自分なりの意見や考 えをもつ。 ・文 脈 の中 における語 句 の効 果 的 な使 い方 に気 づき、自 分 の表 現 に 役立てようとする。 ②『永遠のみどり』の本時目標 本時目標は生徒たちが 『作者がどのように表現しようとしたか』を探 ることとして 「表現方法」に焦点化し、次の二点とした。. ・黒. ・白. ・灰. 学習課題を提示を受け手、各生徒は黙読しワークシートに詩にの中 に見える色を記入した。 [生徒が感じた主な色] ・みどり ・あお ・茶 ・赤 ・黄色 ・無. ②感想の発表 [初発の感想の一部] ○〈青 〉この詩の中 に希 望を感 じたけど、人々の心の中にある大きな傷 みをず っとおくに隠 しつつ、しっかりと立 っていよう とす る力 強 さ み たいなものを感じた。 ○〈 緑 〉「 永 遠 のみどり」と書 いているから。デルタとは何 か? 全 体 的 に よく分からない。 ○〈 茶 ・黄 ・黄 緑 〉人 間 は記 憶 を消 す ために対 照 的 な色 っぽい緑や 青 を 欲しがっているのでは。 ○〈みどり・青 ・水 色 ・赤 〉戦争 がや っと終わって永遠 のみどりを取 り戻 すことができ、死んでしまった人に祈りをこめて、とはのみどり、とは のみどりと ○〈 茶色〉詩の中で 「永遠 のみどりを」といっているので、まだみどりがな い。だから土の色、茶 ○〈 白 → 無 から始 め、色 をつくる〉前 向きな言 葉や 平和 への願いが大き く感 じられる。そしてこの詩の向こう には新しい色や 形がみられる。 ・ ・ ・. 【展開の段階①】―感想発表を受けての生徒の発言(一部) ・最 初はみどりっぽい色をイメージしたけど、考えると、原爆を落とさ れた直後で、まだ緑色はもどってきていなかいから、暗い色です。 ・平 和 を願 う 人 々 の祈 りが通じて光 が差 し込 んでくるよう なイメー ジ. ( 47 ). 本時の目標 ・作品の仕組みを調べ、作者の表現方法を発見する。 ・作品に対する自分の意見をもつ。 この目標に迫るため次のような学習課題を設定した。 学 習課題 「永遠のみどり」の中にある色を発見しよう。 この学習課題により生徒一人一人の感じ方の違いや生徒相互のイメ ージの違いを出発点として、違いの理由を考えることによって作者の表 現方法に迫ることができるのではないかと考えた。 (三)授業の展開 【導入の段階】 ①学習課題の提示. −47−.

(14) 「よき祈」りとは? 「れ」に込められたもの. 四. まとめとして. 【終末の段階】―生徒個々の考えをまとめる です。 ・「よき祈りよ」という言葉に、どれだけの人たちの願いがこもっていたか ・まだ木々がない。 分 かった。そしてこの詩 は人 々 が平 和 に向 かって希 望 に向 かって歩 み ・ぐちゃぐちゃになったヒロシマに緑が欲しい。 始めている詩だと思いました。 ・詩 の中 で 「 とはのみどり」が二 度 書 かれていて作 者 は、そのことを伝 え ・ヒロシマが悲惨な状況 から新たな若葉(平和)を大切に青葉へと深まる たかったんだと思います。 ぐらいに永遠に続くようにという願い。 ・永遠 に平和 が続 くよう に願 っていることが分 かりました。若葉から青 「 平 和 」この詩 は、人 との意 見 を交 わす ほど、意 葉への葉の成長の様子の時間が入っていて平和への希望がよく分かった。 ・作 者 が願 っていたのは 味が深 まっていき、自分の感じたことをありのままに表現できまし ・原 爆 で広 島 の緑 が消 え去 り何 もかも全てが無 に帰 ってしまって、また た。最 初は何回 か読んでもハテナばっかりだったのですが、作者の思い 緑が出るよう祈っている。 が伝わってきました。 【展開の段階②】ー生徒たちの発言を受けて ・最 初 僕は、この詩の色 は深 い緑や 明るい色だと思 っていました。でもこ 若葉うづまけ 「け」の意味 の詩 はそう いう 色 になって欲しいという 願いを込 めた詩で、本 当 は悲 時間・年月 ↓ 対句 しい詩だったということが伝わりました。 青葉したたれ 「れ」の意味 ・人々が願いを込めて自然を取り戻そうと緑を植えているのではないで しょう か。射る陽 光 、広 がる青 空 、豊 かな土 に、風 に揺れる緑 。そん な景色が想像できます。 死と焰の記憶に どのような 「記憶」か? ・永遠 に平和 が続 くよう に願 っていることが分かりました。若葉 から青 葉の成長 の様子の時間 が入っていて平和への希望がよく分かりました。 ・あなたのヒロシマに、永遠のみどりと平和が戻ることをお祈りします。 あなたの記憶がだんだんうすれていきますように。 よき祈りよ こもれ. とはのみどりを とはのみどりを 「『とはのみどりを』と二度書かれている。」とい う生徒の発言を受けて、 「祈り」を考える。. (一)言語能力の育成に向けて この授業 は、生徒の主体の言語 活動を活 発にするにはどうすればよ いか、一人一人の生徒の考えを深めさせるにはどうすればよいかという 観点で試行した授業であった。授業の結果としては、生徒の交流は活発 になり、ワー クシー トに書 かれた内 容も授業 の導入段階 よりは終末段. −48−. ( 48 ).

(15) 階の方が深まったように見える。 一方で、文学 作 品としての 「永遠のみどり」については、作者の思いに 言及する形で感想 の中 に生徒たち一人一人の心 情が示されている。そ れ自体が生徒の作品に対する価値付けであり、文学作品としての受容 の在り方のように思われる。それは授業の過程で生徒たちの中に生じて きたものである。 その後 中 学 校 においては平 成 二 〇 年 に現 行学 習 指 導 要 領 が示 され 一層言語活動の内容が明確にされて現在に至っている。( )また平成 三十三年度(2021年度)からは新たな学習指導領のもとでの国語科 となる。 「 思 考 力 ・判 断 力 ・表 現 力 」の育 成 、 「 主 体 的 ・対 話 的で深 い学 び」の実現が求められている。国語科の枠組みも 「知識及び技能」「思考 力 、判 断 力 、表 現 力 等 」として変 更 がなさ れた。言 語 活 動 も今 以 上 に 具体的な活動として求められている。さらには、今まで以上に小学校・ 中学校の接続が重視されてもいる。( ) このような中で従来のままの授業を続けることにはならないだろう。 柔 軟 な変 化 が求 められている。ただし、寄 って立 つところは今 回 の改訂 でも変わることのなかった部分である 「国語で正確に理解し適切に表現 する資質・能力の育成」である。これを拠り所として国語授業のあり方 を見直さなければならないだろう 。今回の改訂が強く求めているのは、 形式的な 「言語活動」の導入などではなく、国語の資質・能力育成に結 びつく国語科授業への授業改善だと考えたい。 14. (二)文学作品の授業の二側面 文 学 作 品 の授 業 は、作 品 に触 れた生 徒 それぞれが文 学 作 品 の価 値 を個々の生徒の立場で受容することである。先に触れたように 「もとも と文学作品は教材文として読まれるために書かれたものではない」から である。作品を読み、その作品に対してどのような意味づけをするかに ついては生徒の領分になる。一 方、生 徒がそれぞれに教材としての文学. 15. ( 49 ). 作品に出会った時、つまり授業としての文学作品との出会いは学習とし ての側面をもつことになる。それは言語能力の育成という側面でもある。 言語 によって思考し、判断し、表現す る側面である。従って文学 作品の 授業は、文学 作品の価値に触れる側面と国語科の資質・能力の育成と いう二側面から行われるものである。それは相反するものではなく、相 互に補い合い文学作品を受容する生徒の成長に寄与するものとなると 考えたい。文学作品の価値的な側面については、言語能力の育成ととも に深 められていくことになる。過去に行われていた文学作品の授業のよ う に、主 題 追 求 によって教 師の判断 に誘 導す るよう な授業 の在 り方 は 再考しなければならないだろう。. 1 関口安義は国語教育と読者論(明治図書一九九二年) のなかで次のように. 注. 文学教材とは、ことばの芸術としての文学作品を教材化したものであ. 述べている。. る。そこに見られることばは、第一次言語としての日常語から峻別され. た第二次言語なのである。文学教材指導の具体的内容は、まずはこの文. 学言語の教育にあるといってよい。. それに続き、例として 「日常語の」「花」は花以外に使われない。しかし書か. れた文学言語では 「美」「顔」などの意味も文脈の中で獲得することが可能で あると述べている。. 3 鈴 木 愛 理 「 国 語 教 育 における文学 の居 場 所」(ひつじ書 房 二 〇 一 六 年 ). 2 市毛勝雄 「文学的文章で何を教えるか」 (明治図書一九八三年). 4 浜本純逸 「国語科教育総論」 (渓水社二〇一一年). −49−.

(16) 社会、自然などについて考えを深め、心情を豊かにし、充実感楽しさを味わ. 5 この(読むこと)学習を通して、必要な知識や情報を得るとともに、人間、. う にす ることが大 切である。ー 中 略 ー 読むことの学 習 が生徒 の読 書 力 の育. い、読むことが人間の成長にとっていかに必要なものであるかを実感させるよ. 中学校指導書国語編. 文部省 平成元年七月p104. 成 に役 立つよう常 に配 慮 して指 導 を進めるべきであることを示 しているので ある。 6 中学 校 の国語 科の読むことの指 導 においては文章を読む能力と態度を一 層向上させることをねらいとしている。読み取り、また読み味わう力を付け ることであって、文章を正しく理解したり、豊かに鑑賞したりする能力と態 度を養 うことが、読むことの主 眼であることはいうまでもない。―中略―す. 文部省. 昭和四十五年五月. p42. なわち、読むことを通して、生活に必要な知識を獲得し、思考を深め、心情 中学校 指 導書 国 語 編. を豊かにして人間形成に寄与するという面を忘れてはならない。. 詩教材 「ミミコの独立」学習の手引. 平 成 十 年十 二 月. p25. 文部省. p16. 平成十 一 年九月. 文部省. 一九九九年. 明治図書. 平成十一年九月. 中学校学習指導要領(平成十年十二月)解説国語編第一章総説 9 中学校学習指導要領の展開国語編. 平成十年中学校学習指導要領解説国語編. p3. p5. 平成十年中学校学習指導要領解説国語科編には 「鑑賞」という言葉は使. 中学校学習指導要領解説国語科編(文部省)のp102では、多彩な学習. われていない。. 活動が展開されるよう「様々な文章を読んで効果的に活用したりするなど. の多様な読むことの学習活動を意図的、計画的に設定する必要がある。」と. p135. 平成十 年. 文 部科 学 省. 文 部科 学 省. 文部省. 中学校 学 習指導 要 領国 語編解 説. 平 成 二 九年. 平成二十年. 述べている。. 中学校学習指導要領解説国語編. 中学校学習指導要領解説国語編. (おくむらつとむ/北海道教育大学非常勤講師). ( 50 ). ※国語科教科書ではテーマ追求、鑑賞の例として次のようなものがある。. 平成四年二月. p106. ①「ぼく」の思いをとおして、人間の心のつながりについて考える。 中学 国語 1 教 育 出 版. ②人物の真情がえがかれているところを読み味わう。. う にす ることが大切であり、必 修 教 科や 選 択教 科 並 びに 「総 合 的な学 習 の. 7 生 徒 一 人 一 人が自 分 のものの見 方 や 考 え方 をもって判 断 し行 動できるよ. 文部省. に選択し判断する力、自分の考えを的確に表現する力などの能力育成を重. 時間」等において、知的好奇心や探究心、論理的に考える力、情報を主体的. 中 学 校 学 習 指 導 要 領解 説総 則編. 視する必要がある。 8 平成十年中学校学習指導要領国語編では第一章総説中学校国語科改訂 実践的な指導の充実を図る観点からも、説明や話し合いをすること、. 要旨の中で次のように示している。 記録や報告をまとめることなどの言語活動例を示すようにする。. −50−. 10 11. 12. 15 14 13.

(17)

表 現 さ れ て い る 。イ連相互の関係を 文 脈と し て 把 握 す る こ と四つの連は「現在」にいる作者が「過去」と「未 来 」 に 感 応 す る よ う な表現と捉えることができる。「死と焰の記憶」という悲惨な体験と しての「過去」から「祈り」による安寧な「未来」の希求である。それは体験していない「未来」漠とした「未来」だが、作者はそれを「若葉」「青葉」に託したと捉えることもできるだろう。このような文脈で連相互の関係を把握したい。②語と語句の把握と表現について永遠のみどり題名であるとともに詩

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