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(1)

構文 être à + infinitif に現れる副詞

toujours/encore

話主の否定的評価をめぐって―

三 浦 龍 介

 現代フランス語辞書類によれば、構

être à + infinitif は進行相(「~してい

る」)

を示すとされるが、現代語におい

ては不適格な記述であると言わざるを

得ず(ex. ??Il est à écrire une lettre. 彼は

手紙を書いているところだ)、実際には

時間的・空間的副詞要素と義務的に共

起し、その副詞要素によりその用法を、

事態の展開中を示すアスペクト用法と

話主の否定的評価を示す評価用法の

2

つに分けることができる。本発表では

後者における否定的価値の生成プロセ

スについて検討する。

  具 体 的 な 場 所 を 示 す 補 語(dans

sa chambre, dans son bureau, au parc,

etc.)を伴い、進行相を示す用法(être

LOCALISATION à + inf. : il est dans son

bureau à parler avec son camarade) が あ

る 一 方 で、 こ の 構 文 は 副 詞

toujours、

あるいは

enocre と共起した場合(être

toujours à + inf.)、 も っ ぱ ら 話 主 の 否

定 的 評 価 を 示 す(ex. Eh ! non, elle est

toujours à me lancer des mots malins. / Il est

toujours à bavarder avec ses camarades !)。

この場合の否定的評価は

, 動詞自体に

内 在 す る 否 定 的 評 価(lancer des mots

malins / bavarder) に 還 元 さ れ る の み

であるとの反論が予想されるが、

être

toujours à + inf. は自律的に話主の否定

的評価を示すとみることが可能である。

事 実、Il est toujours là à vouloir m’aider

という発話においては、「頼んでもい

ないのに、おせっかいだ」のごとき否

定的な文脈が想定され、肯定的な解釈

(Il est toujours là quand j’ai besoin de son

aide.)を見出すことは難しい。

 一般に、話主の肯定的評価ならびに

否 定 的 評 価 を 示 す 表 現 は、 動 詞、 語

彙、構文を横断する通範疇的現象であ

り、いずれかの評価に特化した語彙や

文法形式を特定することは困難である

が、

être toujours à + inf. は、話主の肯定、

否定の評価極性に関して極めて偏った

特質をもつ文法形式であることがわか

る。これまでこの構文のモダリティ的

側面に光をあてた先行研究は皆無に等

しい、本発表では、この構文のアスペ

クト価値(

être LOC. à + inf.)を検討し

たうえで、評価用法において義務的に

現れる副詞

toujours と encore を分析し、

それぞれの操作(toujours の「潜在的差

異の排除」/ encore の「非断絶」)が être

toujours à + inf. における話主の否定的

評価にどのように貢献しているのかを

示し、その評価モダリティを構築する

過程を明らかにする。

(青山学院大学大学院博士後期課程満期退学)

(2)

フランス語の罵倒表現 me***! の用

法について

楊   鶴

  フ ラ ン ス 語 は « merde », « putain »,

« con », « bordel » 等々、豊富な罵り言葉

(juron)をもつ。本発表の目的は、罵り

言葉の中で最も代表的である « merde »

を取り上げ、その用法の多様性の考察

を通じて、罵り言葉のもつ一般的な機

能と、merde が表す独特な機能について

論じることにある。一般に罵り言葉は、

具体的な対人関係と発話場面において

発せられることにより意味をもつもの

であり、本発表では、« merde » が「誰

に向けて発せられるか」「どのような発

話場面に現れるか」そして「何を表す

か」に注目して、その機能を考察する 。

 罵り言葉は、話者自身、相手(聞き

手)、または第

3 者に向かって発するこ

とができる。話者は自分の失敗や相手

のばかげた行動、第三者への非難に対

して、意識的または無意識的に罵り言

葉を使用し、「ある対象に対してののし

る」という行為をはけ口として、精神

的な負担を軽減させようとしている。

 « Merde » は単語のみで発話される場

合と短文の形で発話される場合がある。

単語のみの場合は、ある行為やある言

動を受け、それに対しての驚きを表し

たり、不満を表したり、または怒り、

苦しみ、悲しみ、喜び、祈りなどさま

ざまな感情を表現することができる。

 短文の形で発話された場合において

は、冠詞の

de を伴い « la vie de merde »

のように「N + de merde」の形で頻用

される。このように文中や文末に現れ

る « merde » は、対象となる人物や事柄

をどちらかというと悪い方に評価する

役割がある。それに対して、« merde de

vache » のように、« merde » が文頭に

見られる場合は、本来の「排出物」の

意味合いが強くなるため、« putain de

vache » のように「牛」を評価したり、

特徴づけをしたり機能はなくなってし

まう。

 さらに、人物や物事を評価する場合

において、« tu es une merde » と « tu es

un imbécile » では、両者とも罵倒表現で

あるが、« merde » を使用することで、

より強く相手を貶めることができる。

« imbécile » は他人の知識や知能に対し

て侮辱しているのに対して、« merde »

が持つ意味範囲はより広く、比喩を伴

いながら知能だけではなく、相手のす

べてを否定するという意味合いを持つ

ため、より強く人の地位や物の価値を

下げ、侮辱的であるといえる。

 以上のように、« merde » の使用対象

と « merde » と発話された際に自分、相

手、第三者にもたらされる意味合いを

記述し、出現位置も観察対象とする。

最終的には、他の罵り言葉と比較しな

がら分析を行い、他の罵り言葉には見

られない « merde » の機能や特徴を明ら

かにすることにしたい。

(筑波大学大学院博士課程)

(3)

リリスムとジャーナリズム

テオドール・ド・バンヴィルの晩

年の詩篇をめぐって

五味田   泰

 19 世紀において、詩作だけで生きて

行けた詩人は、ユゴーを除けばほぼ皆

無であった。生計を立てるべく、ほと

んどすべての詩人は批評やコントなど

の形で定期刊行物に関わっていくこと

になる。この実践は詩人たちの詩作に

無影響ではなかった。ジャーナリズム

はモデルニテの育つ苗床であったので

ある。

 今回の発表では、その特異な一例と

して、バンヴィルの後期詩集と彼の

ジャーナリズムとの関わりを考察した

い。そもそも対象になることすら少な

いバンヴィルだが、晩年の詩集に対す

る考察はさらに少ない。しかし、そこ

にはジャーナリズムとリリスムのバン

ヴィル特有の混交、並外れてラディカ

ルと言って良い彼の立場が見て取れる

のである。

 バンヴィルとジャーナリズムの関係

はごく初期に遡り、20 台前半から小規

模な定期刊行物に寄稿を始めている。

彼はそこで多くの若き詩人と出会い、

匿名で共作を試みたりもしている。『綱

渡りのオード』収録の作品の多くは、

この時代に書かれ、風刺的な同時代の

エピソードを主題としているが、これ

らの詩は、まさにそうした小規模メディ

アに発表されたのだ。

 後期のバンヴィルも同様にして、

Le

National 紙や Gil Blas 等において、批評

やコントを定期的に寄稿しているのだ

が、彼の晩年の詩集

Nous Tous に収録さ

れることになる詩篇の発表の場になっ

たのも、同じ

Gil Blas なのである。バ

ンヴィルの生前に出版された最後の詩

Sonailles et clochettes も、発表媒体は

異なるが、新聞に定期的に発表された

ものである。こうした詩的実践は

1891

年のバンヴィルの死まで続くが、こ

れらの詩篇は死後出版の詩集

Dans la

fournaise に他の詩とともに収録される

ことになる。

 このシリーズの第

1 作となる Nous

Tous に寄せた序文から、晩年のバンヴィ

ルの詩学を垣間見ることができる。そ

れは、「新聞と詩の結婚」であるとい

う。1857 年の『綱渡りのオード』序文、

1873 年の同詩集への自注、および後期

詩集(1870 年以降)のパラテクスト等

の散文テクストを参照しながら、晩年

のバンヴィルのジャーナリズムと詩作

品の関わりについて考察していく。

(慶應義塾大学非常勤講師)

(4)

フロベール『スマール』における

グロテスク

ユークの人物像に見られるラブ

レーの影響

山 下 英 夫

 ギュスターヴ・フロベールは

19 歳の

時、すなわち

1839 年に『スマール』と

題された聖史劇風の作品を書いている。

彼は同時期に書かれた作品『ラブレー

について』で、ラブレーのグロテスク

に関する考察をおこなっている。また

1838 年には友人エルネスト・シュヴァ

リエ宛の書簡に、最も評価する作家と

してラブレーの名を挙げている。これ

らのことから、『スマール』に登場する

「グロテスクの神様」の異名をもつユー

クが、ラブレーのグロテスクの影響下

で構想されていると仮定した。

 『ラブレーについて』のなかでフロ

ベールは、ラブレーのグロテスクをな

す笑いの特徴としてその普遍性を指摘

している。このことが何を意味し、ど

のようにユークの人物像に反映してい

るのか、ミハイル・バフチンの『フラ

ンソワ・ラブレーの作品と中世・ルネ

サンスの民衆文化』、ジャン = ポール・

サルトルの『家の馬鹿息子』を援用し、

考察した。

 ラブレーのグロテスクの普遍性は、

「小ブルジョワ劇場」に続く場面でユー

クの笑いが、彼に敵対する崇高なキリ

スト教的価値が世界から崩壊するのを

見て喜ぶ哲学者たちの笑いを、その発

声者もろとも消し去っていることにお

いてあらわされていると考え、考察し

た。ここでは哲学者たちの笑いを当時

のブルジョワたちの世界観を象徴する

も の と し て、 ま た、 存 在 す る も の す

べてに向けられたユークの笑いをフロ

ベールの世界観、すなわち彼が作品に

描こうとする別種の現実を象徴するも

のとして解釈した。

 フロベールはユークに、その笑いに

よって存在するすべての事物の価値を

卑小なものへと格下げさせ、ブルジョ

ワ的世界観を破壊させているが、同時

に彼にキリスト教の神のパロディを演

じさせ、世界の創造を行わせている。

フロベールはこの矛盾によってユーク

にスピノザの無限の世界を体現させ、

その笑いを広大無辺なカンヴァスに仕

立て、そこに世界の構成要素を撞着し

た形で描き込んでいることをあきらか

にした。また、ここではフロベールの

グロテスクがラブレー流の普遍的なも

のから汎神論的なものへと移行してい

ることを確認した。

 ラブレーのグロテスクが事物の崇高

な面を格下げしつつも否定せず、その

ことによって滑稽さを豊かに生み出し

ているのに対し、フロベールのグロテ

スクは事物の崇高な面を認めず、卑小

な面だけを真実としてとらえ、「存在」

を虚無へと還元する傾向をもつことか

ら、その滑稽さが不毛なものであるこ

とをあきらかにした。

 フロベールはラブレーの作品を考察

材料とし、『スマール』執筆をとおして

独自のグロテスクを模索していたとい

う結論に至った。

(名古屋大学大学院博士後期課程満期退学)

(5)

プルーストの『失われた時を求め

て』における寝室の一つの意味

作家の手法:言語的模倣・相互テ

クスト性を参考に

菊 池 博 子

 プルーストは、

『失われた時を求めて』

を脱稿した 1922 年に、雑誌社からのア

ンケートへの回答としての「文学理論」

を発表している。作家の生涯を通じて

の信念と思われるその理論は、ある哲

学理論を再構築した側面を持つと考え

られる。この推論を消極的に支えるも

のとして、リュック・フレスによる『マ

ルセル・プルーストの哲学的折衷主義』

の中の一節がある。第 1 篇『スワン家

の方へ』冒頭の寝室での語り手の「半

醒半睡」の状態について、フレスは言

う。「闇の中での周辺の空間との接触

は、人間の考えとプラトンが「場」と

呼ぶところのものを関連づけることに

なる」。プラトンはその「宇宙生成譚」

の中で、「物質世界の事物はイデアをモ

デルに生成され、その生成はコーラと

呼ばれる場で行われた」と述べている。

プラトンによる「場:コーラ」の特性

の説明の仏訳を二例挙げる。「我々は夢

の中でのようにしか、コーラを垣間見

ることはしない」。「我々は目を開けた

状態で夢を見る」。次に、前述のプルー

ストの「文学理論」を挙げる。「(文学

をするということは)眠ったままで、

知性の介入により覚醒がもたらされな

いようにしながら、自分の眠りを調べ

るのに必要な努力とほぼ同じ種類の努

力である」。

 一方、「コーラは、場であるのか、質

料であるのか」という議論がある。プ

ルーストの時代の仏語訳では「コーラ」

は「場」と訳されている。又作家は、

「コーラは場か質料か」なる問題の存在

を、アンリ・ベルクソンの発言「プラ

トンは『コーラは質料だ』とは言って

いない」から知り得た可能性がある。

この発言は、ベルクソンが学位論文の

副論文「アリストテレスの場所論」の

中でアリストテレスの『自然学』の中

の「場所論」の文を引用して自論を展

開する中でのものである。プルースト

は、アリストテレスの「場所論」を先

行テクストとし、『スワン家の方へ』で

のヴィヴォンヌ川での子供達の水遊び

の場面に、逐語的な模倣として用いて

いる。これは作家が「場所論」を熟読

していたと同時にプラトンの発言「コー

ラは場か質料か」を知ったことを意味

する。

 プルーストは、第1篇『スワン家の

方へ』での「語り手」の寝室には「場」

と「質料」の意味を与え、第5篇『囚

われの女』での寝室には、文学作品創

造に必要な「美(イデア)」を捉える

「半醒半睡」なる「場」の意味を与え、

又、第7篇『見出された時』では、「現

在」と「過去」の共通項がもたらす「時

間の外」において文学作品創造に必要

な「事物の本質(イデア)」が捉えられ

るとする。作家は、「コーラ」理論を再

構築し、「文学理論」や小説の記述の参

考にしているものと思われる。プルー

ストの「二項の間」概念は、プラトン

が源泉の一つと考えられる。

(お茶の水女子大学大学院

博士後期課程単位取得退学)

(6)

アンドレ・ジイドにおける音の権力

森   香 織

 アンドレ・ジイドにとって、自我と

いう問題は非常に大きな問題であり、

彼の作品は、その執筆活動そのもの及

びその受容が、自己に対して及ぼす効

果を実験、観察する為の場であり、そ

れによって彼は自己探索、自己発見を

行っていた。

 その自我の問題には常に他者の問題

が伴うが、ジイドの場合も例外ではな

い。ジイドの場合、他者の問題は、大

きく分けて以下の

3 つの形をとって現

われる。まず、教育等によって「自然

人」« humain naturel » たる自己の自由

を妨げ、道徳や規則等の中に拘束する

存在。次に、不安定に揺れ動き、絶え

ず変身可能な自己に対して、同化志向

性を誘発し、恍惚を伴った「高み」へ

の上昇を促す鏡像のような存在。最後

に、自己の理想像に対して上昇しよう

とする自己に対して、その人物が自己

に対して抱く(大抵不当と感じられる)

像を押し付け、その像に還元しようと

したり、「現実」にひき戻したりする存

在である。

 つまり、他者という存在はジイドに

とって、自己をある特定の像の中に(本

意であれ不本意であれ)収めようとす

る力を持つ存在である。その関係性は、

良識の中に閉じ込めようとする他者と

そこから逃げ出そうとする自己の、ま

た他者に対して自己の鏡像であること

を強いる自己とそれに抵抗する他者の、

あるいは、理想に向かって飛翔しよう

とする自己とそこから引きずり降ろそ

うとする他者との闘争の様子を呈して

いる。

 さて、ジイドは作品を執筆すること

によって、彼やその周囲の人々や出来

事の一部を、現実とは別のコンテクス

ト(=作品という装置)の中に置きな

おし、その効果を観察することで、自

己発見や自己の再構成を行っていた。

そうであるならば、その作品中には、

上記の様な他者観が反映されているは

ずであり、作中の登場人物たちは、お

互いの間で自己または他者のイマー

ジュを巡って闘争を繰り広げているは

ずである。そうした観点から作品を読

み返してみると、登場人物たちは、そ

うした闘争を、見る、話す、聞く、読

む、書くといった様々な行動を通して

行っていることがわかる。

 発表者は今まで、そうした闘争のあ

り方や、その闘争において、ジイド研

究によく現れるテーマ(顔、身体、日

記、朗読等)がいかに機能し、時に登

場人物たちによって闘争の道具として

使われているかを研究してきた。その

一環として今回は、音楽、もしくは音

というテーマに着目し、そうした闘争

においてそれらが如何に機能している

か、そして、音楽を奏するという行為、

もしくは他者に聴かせるという行為を、

登場人物たちが如何に利用しているか

を考察する。

(慶應義塾大学大学院後期博士課程)

(7)

マルロー作品における身体性の表象

『侮蔑の時代』(1935)をめぐって

上江洲 律 子

 アンドレ・マルローが

1935 年に刊行

した『侮蔑の時代』は、ナチスの支配

下に置かれたドイツの強制収容所とド

イツに割譲される前のチェコスロバキ

アの首都プラハを舞台とする小説であ

る。彼のパートナーだったクララ・マ

ルローによれば、当時自らの強制収容

所の経験を作品化したドイツの共産主

義の作家ウィリー・ブレーデルから着

想を得たものとなる。実際に、主人公

のカスナーはブレーデルを彷彿させる

人物であり、ナチスへの抵抗という視

点から同時代の社会を描き出した作品

となっている。そのことから、同作品

は小説というメディアを通して反ファ

シズムの気運を高めるものとして受容

された。そして、そこに「新しい人道

主義的な友愛」が見出されるとして評

価されたのである。しかしその一方で、

マルロー自身の言及には「駄作」とい

う言葉が見受けられる。さらに、小説

技法という側面から否定的な評価も下

されており、現在、ほとんど顧みられ

ることのない作品だと言っても過言で

はない。本発表では、このような評価

を考慮しながらも、新たな観点から同

作品の読み直しを試みたい。その観点

とは身体である。

 身体に関する表象は、マルローがそ

れまでに手掛けた作品、『西欧の誘惑』

(1926)、『王道』(1930)、『人間の条件』

(1933)において、「新しい人間の概念」

を獲得するための模索の変遷として見

出すことができる。まず、

『西欧の誘惑』

で示されるのは、西洋における精神と

身体の二元論的な人間観および精神の

身体に対する優位性である。そして、

続く『王道』では、精神によって抑圧

されてきた身体の復権が描かれること

になる。それは、まさしく、「新しい人

間の概念」として見なすことができる。

ただし、ここで興味深い点は、その後

に発表される『人間の条件』において、

改めて精神に御される身体という構図

が示されることである。一見逆行とも

言うべき構図だと言えるが、その意義

を明らかにするものが、次に出版され

る『侮蔑の時代』となるのである。

 同作品では、上記で述べた精神と身

体の関係、具体的に言えば、『西欧の

誘惑』から『王道』へと受け継がれな

がら展開した精神と身体の関係の再構

築が再現されている。そして、『人間の

条件』と同じく強制収容所を物語の背

景としながらも、精神に虐げられるこ

とのない身体が描き出されることにな

るのである。本発表では、『侮蔑の時

代』と『人間の条件』において、この

ような対照性を生み出している要因が

永遠性の問題であること、言葉を換え

れば、「死に対峙する」人間の在り方と

いう問題であることを示す。ちなみに、

その問題は、処女作品となる『紙の月』

(1921)以降、マルローの作品に通底す

る主題である。身体に焦点を絞りなが

ら考察すれば、『侮蔑の時代』という作

品が、その主題への答えとしての役割

を担うものであることを明らかにした

い。

(沖縄国際大学准教授)

(8)

Le « papier blanc » de J.-M. G. Le

Clézio en 1969

Kenichiro OTANI

 Dans les années 1960, Le Clézio voulait

trouver la « réalité », le monde lui-même

avant de faire la distinction entre toutes les

choses par l’intelligence. Cela était l’une

des motivations principales qui le conduisit

à la création littéraire. Comme indiqué dans

l’entretien avec Roger Borderie, la « vérité »

pour Le Clézio représente un ajustement

avec la réalité.

 En avril 1967, l’essai L’Extase matérielle

a été publié. Au travers de cet essai l’auteur

essayait de transposer la vérité en écrivant

tout par la main, sur le papier avec l’encre.

Cependant Le Clézio, qui habitait en

Thaïlande à ce moment-là, a commencé à

douter de sa compréhension des choses en

se confrontant à cette culture asiatique qui,

se fondant sur le « silence », nous permet

d’être en harmonie avec le monde.

 Reflétant son choc, on remarque, d’une

part, le livre perçu comme une prison dans

le roman Terra amata sorti en septembre

67, d’autre part, un spectacle où le narrateur

ne peut écrire que des signes imposés d’une

société sur le papier comme un prisonnier

dans l’article Comment j’écris en octobre

de la même année.

 Dans le roman Le livre des fuites sorti

en 1969, ces images d’un livre-prison et

d’un papier-prisonnier constituent le motif

central. On pourrait dire que Le Clézio

envisageait la problématique de son langage

par le biais du monologue du narrateur et de

la fuite du protagoniste. Dans le monologue

du narrateur intitulé « autocritique », cet

auteur examinait ce que l’acte d’écrire des

lettres sur le papier signifie.

 

La vérité présentée dans L’Extase

matérielle est un ajustement avec la réalité

en écrivant tout par le langage centripète

sur le papier. Mais le narrateur de ce roman

met en doute une telle vérité à l’absolu

exprimée par le langage fermé. La ville,

de laquelle le protagoniste fuit, est une

page blanche immense étendue comme un

piège sur le monde, donc toutes les choses

pourraient être gravées comme des signes

à l’intérieur. Rester là signifie devenir un

signe et imposer des signes, c’est-à-dire

l’emprisonnement dans le langage et la

perte de la réalité.

 Dans ce roman, le papier blanc pourrait

être considéré comme la chose à rejeter

et haïr au premier abord. Cependant

l’autocritique du narrateur et la fuite du

protagoniste sont justement la tentative

de purifier ce papier qui est noir et se salit

par la mauvaise utilisation du langage. Le

Clézio écoute attentivement l’histoire, non

pas l’Histoire sur le monde, et tente de la

transcrire sur le papier, s’approchant d’une

autre vérité avec son identité blanche.

(9)

Jacques Demy et le Voyage à Tokyo

Takeo YAMAMOTO

 Le Voyage à Tokyo, chef-d’œuvre de

Yasujirô Ozu, a-t-il inspiré Jacques Demy ?

Ses chefs-d’œuvre musicaux contiennent

des scènes qu’on pourrait considérer

comme son hommage au cinéaste japonais.

D’abord, dans Les Parapluies de Cherbourg,

concernant un amour tragique entre

Geneviève, jeune fille de 17 ans et Guy,

jeune garagiste de 20 ans qui reçoit une

convocation de l’armée, ils s’aiment pour

la première fois physiquement avant son

départ pour faire la guerre d’Algérie. Demy

ne filme pas directement cette séquence :

celle-ci est remplacée par trois courts plans

représentant le quartier nocturne désert où

habite Guy chez qui ils s’aiment. Quelle

façon raffinée de représenter une telle

séquence qui aurait pu être banale, si on

avait filmé directement les deux amoureux.

Est-ce une excellente invention de Demy ?

Le Voyage à Tokyo contient une séquence

qui évoque celle des Parapluies de

Cherbourg ci-dessus. Ce film japonais traite

de vieux parents à qui leurs enfants adultes

ne sont pas dévoués. Les parents habitent à

Hiroshima et rendent visite à leurs enfants

à Tokyo, où chacun a fondé une famille.

Ceux-ci qui s’occupent de leur métier ne

peuvent pas chaleureusement les accueillir.

La fille aînée fait aller ses parents à Atami,

un site touristique près de Tokyo, ce qui

aurait fatigué la mère, qui se sent mal.

Puis elle mourra, juste après être rentrée à

Hiroshima : le public ne voit pas le moment

où elle meurt : cette séquence contient cinq

plans qui représentent le quartier où les

parents habitent, désert à l’aube. Ozu, de

même que Demy, ne filme pas directement

l’objet principal : ce procédé rend le sujet

délicat raffiné. La séquence de Demy

serait-elle inspirée d’Ozu ?

Certaines séquences des Demoiselles de

Rochefort évoquent également le Voyage

à Tokyo. Le film de Demy traite d’une fête

de la ville d’été de Rochefort. L’histoire

comprend quatre parties : l’arrivée des

animateurs de la fête, sa préparation, la fête

elle-même et leur départ. Dans la troisième

partie, deux héroïnes jumelles, Solange

et Delphine, Rochefortaises, dansent sur

scène. Avant cela, avec sa sœur cadette dans

les coulisses, Solange a dit qu’elle avait

perdu un de ses gants qu’elle utilisera sur

scène, l’a cherché et, peu après, l’a trouvé.

Cette séquence évoque celle du Voyage à

Tokyo, où le père a dit à sa femme qu’il

avait perdu son oreiller pneumatique, en

faisant sa valise. Demy rend-il hommage à

Ozu à travers cette séquence ?

(10)

「すべてを語る」が読者に要請する

もの

ルソー『告白』における〈方法〉

の問題

淵 田   仁

 「すべてを語る

tout dire」は、ルソー

の自伝的テクストを貫くひとつ特権的

方法である。内的感覚による真理のす

べてを他者に対して曝すというこの行

為は、古典的研究である『透明と障害』

のなかでジャン・スタロバンスキーが

指摘したように、真理性の問題ではな

く真正性

authenticité の問題と密接に関

係する。すなわち、書き手の誠実さを

巡る問題であり、「すべてを語る」とい

う振る舞いこそが―たとえそれが不

可能な試みだとしても―ルソーの誠

実さを担保する装置となるのである。

しかし、「すべてを語る」に賭けられて

いたものは真正さないし誠実さだけで

あったのだろうか。

 本発表では、『告白』における「すべ

てを語る」という方法が読者に対して

何を要請しているのかを明らかにする。

言い換えれば、「すべてを語る」ことは

読者にある方法を要請する。その方法

が何であり、その要請のなかにいかな

る思想的背景が存在するのかを解明す

ることが本発表の目的である。

 なぜ読者の方法が問題となるのか。

なぜならば、「すべてを語る」という書

き手の宣言は一方的な〈契約〉を読者

に要求するからである。ルソーが読者

に突きつけるその契約とは〈すべてを

読む

tout lire〉ということである。読者

がルソーを正しく知ろうと欲するなら

ば、彼らは『告白』をすべて読まざる

を得なくなる。幾人かの研究者(ジャ

ン=フランソワ・ペラン、ヤニック・

セイテ等)はこの〈すべてを読まねば

ならない〉読者の責務について検討を

加えてきた。読者による読書行為が『告

白』をひとつの作品として成立させる

というのが彼らの主張である。ただし、

〈いかにしてすべてを読むべきのか〉、

言い換えれば〈ルソーはいかにしてす

べてを読者に読んでもらいたいのか〉

という読者の方法はこれまで検討され

てこなかった。

 そこで私たちは、〈すべてを読む〉た

めにルソーによって読者に課せられ

た方法とは啓蒙時代の哲学的スロー

ガンとも言える〈分析的方法

méthode

analytique〉である、という仮説を提示

する。哲学的伝統に由来する分析的方

法とは十八世紀においてコンディヤッ

クが定式化し、正しい思考の方法とし

て特権的に位置づけられたものである。

そして、ルソーは幾度もこの分析的方

法に対し批判を展開した。だが、

『告白』

はある意味分析的方法による読解を待

ち望むテクストとして書かれているよ

うに見える。ルソーのこの〈捻れ〉に

着目することで、来たるべきルソー読

解の一端を示すことができるのではな

いだろうか。

 以上の問題構成を踏まえ、本発表で

はまず『告白』にてルソーが提示する

読み方法に用いられている語彙に着目

する。ついで、それら語彙がコンディ

ヤックに代表される「分析的方法」と

関係することを示す。最後に、読者に

要請されるこの方法がルソーの自伝的

テクストにおいていかなる意味を有す

るかを指摘したい。

(日本学術振興会特別研究員)

(11)

共鳴し合う人格たち

ベルクソンの『道徳と宗教の二源

泉』における神秘家の呼びかけをめ

ぐって

平 賀 裕 貴

 アンリ・ベルクソンは、神秘家が呼

びかけを発信する際に、神秘家の人格

が決定的な役割を果たすと述べる。本

発表ではベルクソンが人格という概念

に込める意味を読み解くことで、神秘

家の呼びかけの伝播において、なぜ人

格が契機となるのかを考究したい。

 まず神秘家と人格という二つの主題

に対してベルクソンが考察を深めてい

く過程を確認する。ベルクソンが神秘

家を読み進める要因となったのは、『創

造的進化』(1907)で論じられた神の問

題である。同著で神は生命が湧出する

中心と定義されたが、この主張が議論

を巻き起こし、ベルクソンはカトリッ

ク神学者から非難を浴びた。ベルクソ

ンは即座に反駁しつつも改めて神と向

き合う必要性に迫られ、そこで手に取っ

たのが神との合一経験のうちで神的愛

に触れるキリスト教神秘家たちの著作

だった。

 一方、人格に関しては、1914 年およ

1916 年の講演で集約的に論じられ

る。講演内で人格概念の哲学史を踏ま

えながら人格をめぐる諸問題系を取り

上げ、人格とは各部分や諸段階には分

解不可能なひとつの運動に他ならない

という主張をベルクソンは展開する。

この観点に立てば、ベルクソンにとっ

て人格概念は、物質に抗する精神や、

空間に還元されない持続の系譜に連な

るものだと言える。

 こうして徐々に精錬されていった、

神との合一を果たす神秘家が有する人

格という主題が、

『道徳と宗教の二源泉』

(1932)におけるベルクソンの思考を読

み解く鍵となる。神秘家の人格はその

運動性によって神を起源とする創造的

感動を媒介するがゆえに、神秘家から

発せられる呼びかけは創造的感動への

誘いとなるとベルクソンは説明する。

だが注意すべきは、必ずしも神秘家が

実際に現前することで呼びかけが発信

されるのではない点だ。『道徳と宗教の

二源泉』で語られる神秘家の多くは数

世紀前に実在した人物であり、彼らを

代表的神秘家としてベルクソンが呈示

する以上、時空を超え彼らの不在にお

いてなお呼びかけに応答できる事態を

検討せねばならない。

 不詳の神秘家からの呼びかけに対す

る応答可能性を、『笑い』(1907)」の作

家論を補助線にして考えたい。ベルク

ソン曰く、作家は想像力により自身の

潜在的人格を登場人物に仕立てる。つ

まりベルクソンは、モデルとなる人物

との直接的接触ではなく、想像力によっ

て新たな人格を創出する術を明らかす

る。同様に『道徳と宗教の二源泉』で

も想像力の働きにより、呼びかけの聴

取者の内部で反響としての新たな人格

が出現すると語られる。したがって直

接性を条件とせずとも、神秘家の呼び

かけに共鳴する形で、ひとは新たな人

格を生み出すと考えることができる。

この点を踏まえ、

『道徳と宗教の二源泉』

では人格こそが、神秘家の呼びかけの

伝播およびその反響の契機となると本

発表では論述したい。

(立教大学大学院博士後期課程)

参照

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