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鈴木光太郎著 謎解き アヴェロンの野生児 新曜社,2019年

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DOI: http://doi.org/10.14947/psychono.38.32 227 書評

鈴木光太郎著

謎解き アヴェロンの野生児

新曜社,2019年

アヴェロンの野生児の話は,本邦で体系的に心理学を 学んだことがある人ならば一度は耳にしたことがあるだ ろう。そのあらましを本書の内容に即して書き出せば, おおむね以下の通りとなる。時は 1800年,フランス南 部のアヴェロン県で,ボロボロのシャツ1枚をまとい, 言葉をしゃべることも理解することもできない,奇妙な 少年が保護された。少年はしばらくアヴェロンの施設で 保護されていたが,その噂を聞きつけた時の内務大臣 リュシアン・ボナパルト(ナポレオン・ボナパルトの 弟)と,その後ろ盾を得た新進の学術団体である人間観 察家協会が,その少年をアヴェロンからパリに半ば強制 的に呼び寄せ,パリ国立聾唖学校に収容した。少年は ヴィクトールと名づけられ,聾唖学校の住み込みの医師 であるイタールのもとで教育を受けることになる。イ タールによる教育・訓練と,世話係として雇われたゲラ ン夫人との交流を通して,ヴィクトールは多少は知的な 振る舞いも身につけ,簡単な単語の理解もできるまでに なった。「野生児」たるヴィクトールと,彼に対するイ タールの教育の試みは世間の関心を呼び,聾唖学校には 見物客が引きも切らず,ヴィクトールとイタールはセレ ブが集う華やかな社交サロンに招待されもした。こうし てヴィクトールは,フランス革命から間もないパリで 「アヴェロンの野生児」として一大ムーブメントを巻き 起こす。しかし,そうした熱狂も長くは続かなかった。 ヴィクトールが成長し思春期を迎えるにつれ,性的な衝 動に突き動かされた無軌道な行動が目立ち始め,教育や 訓練の続行がしだいに困難になっていく。そして 1805 年,ついにイタールはヴィクトールの教育から完全に手 を引くことになる。その後ヴィクトールはゲラン夫人と ともに聾唖学校を去り,1828年にひっそりと亡くなった …。 アヴェロンの野生児は,人間の発達における環境要因 の影響の強さや重要さを説く際に,他の野生児の逸話 や,監禁や虐待を受けて育った子どもの事例とともに頻 繁に取り上げられる,ある種の鉄板ネタであると言える ―「文明から隔絶されて育った子どもが言語機能の喪 失をはじめとした非定型な発達を生じるという事実は, 生育環境こそが心の発達にとって重要な要素であること の証左なのだ」と。しかしながら本書は,ヴィクトール は「そもそも本当に『野生児』なのだろうか?」と序章 で問いかける。そのうえで,彼が 1800年に保護される までにどのような生活を送ってきたのかが(断片的な目 撃証言はあるものの)ほとんど明らかになっていないこ と,ヴィクトールに直接関わった専門家や関係者に,彼 の非定型的な発達は野生下におかれたことによるもので はなく知的障害によるものだ,と考えた者が少なくな かったこと,さらには,自閉症研究の第一人者のひとり であるウタ・フリスのように,ヴィクトールの行動傾向 は自閉症などの発達障害に起因するものであったと考え る現代の研究者もいること,などが本書全体を通じて指 摘される。つまり(議論の余地はゼロではないにしろ), ヴィクトールが「野生児」であったというのは疑わしい, というのが本書の取る基本的な立場ということになる。 それらを踏まえ,本書において重要な問いとして提示 されるのは,なぜヴィクトールは「野生児」として見い だされたのかということである。この点については主に 本書の第4章で詳細に議論がなされるが,端的に述べれ ば,さまざまな人物の思惑や当時のフランスの社会的文

The Japanese Journal of Psychonomic Science

2020, Vol. 38, No. 2, 227–228

Copyright 2020. The Japanese Psychonomic Society. All rights reserved.

書 評

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228 基礎心理学研究 第38巻 第2号 脈が絶妙に組み合わさり,ヴィクトールは「野生児」と して(すべての関係者がそれを意図していたか否かにか かわらず)祭り上げられた,ということになる。アヴェ ロンで「野生児」が発見されたことを中央政府や新聞社 へいち早く報告したいという功名心にはやった人々のせ めぎあい,野生児発見の噂を聞きつけ,なんとしてもそ の野生児を自分たちの手中に収めるべく政府要人との太 いパイプを存分に活用して暗躍する気鋭の学術団体・人 間観察家協会,フランス革命後の活気に満ちたパリで刺 激的なイベントを日々求める市民たち,それらのさまざ まな要因がパズルのピースが互いにピタリとはまるよう に作用して,ヴィクトールは「野生児」として歴史に名 を残すに至ったのである。また「アヴェロンの野生児」 ブームが去るにあたっても,当時の政治的情勢の影響は 少なくなかった。皇帝ナポレオンによる帝政開始の余波 を受け,人間観察家協会が解散してしまうと(前述の通 りヴィクトールが思春期を迎えたことや,訓練を担当し たイタール自身の個人的事情も大きな要因であるが)野 生児研究の熱狂も一気に冷めてしまうのである。 本書では上述のような様々な(ともするとややマニ アックな)論点が,読みやすく説得力のある文章で次々 に提示される。複雑にからみあった当時の社会的背景に ついても,歴史に疎い私のような人間でもまったく苦労 することなく理解することができた。もちろん,読みや すいだけではなく本書の内容は非常に濃密である。膨大 な関連文献による情報はもちろん,著者である鈴木氏自 身が現地まで赴いて資料収集やフィールドワークを行っ て得られたオリジナルの情報が余すことなく盛り込まれ ており,本書を通読することで総論的なアヴェロンの野 生児についての物語と,その背後にあったであろう知ら れざる社会的力学関係を一度に俯瞰することができる。 本書は,発達心理学やその隣接分野の研究者にとって 必読の書であると言える。心の発達に環境因が大きな影 響を持つことに議論の余地はないにしても,そうした主 張の裏づけとなる古典的逸話を鵜呑みにすることなく, その妥当性を吟味することは,発達という現象について 深く考えるにあたって有益であるに違いない。 さらに本書の内容は,科学的研究一般に携わるすべて の人々に非常に重要な示唆を提供するように思われる。 多くの研究者は,自身の研究にどのような重要性や正当 性があるのか,その基準は個々人で大なり小なり異なる かもしれないが,日々自問自答しながら研究を進めてい るはずである。本書によって得られる示唆は,そうした 日々の問いかけについて,今一度メタな視点から考え直 すきっかけとなりうる。本書によって明らかにされるよ うに,アヴェロンの野生児は研究者や政治家,一般市民 など,当時の様々な人々の立場や思惑が交錯して生まれ た,いわば時代の徒花である。イタールをはじめ,ヴィ クトールに関わった個々人の信念や想いを遥かに超えた 「大きな力」が働くことで,アヴェロンの野生児は後世 まで語り継がれる物語となった(なってしまった)ので ある。こうした歴史的事実は,研究という営みは個々の 研究者の裁量をはるかに超え,その時々の社会的情勢や 学術的,歴史的文脈に強く影響されながら進んでいくも のであり,時には独り歩きするものだ,ということを私 達に改めて思い知らせる。個々の研究者がどのような研 究を志向し,結果としてどのような研究成果を得るの か,そしてその成果がどのように評価されるのか,と いったことには,研究者自身も意識することが難しい 「大きな力」が働きうる。研究とはそんなものだ,と言 う向きもあるかもしれない。しかしながら,自身のおか れた様々な文脈に思いを巡らせ,それらの文脈の中に自 身の研究をどのように位置づけるのか,そのうえで自身 の研究の重要性や正当性をどう見積もるのか,そうした 問い自体を常にアップデートする努力とともに研究を続 けることは,研究者として人類の共通知を蓄積する作業 に携わるにあたって必須の態度ではないだろうか。科学 的研究のありかたについて歴史から学ぶという点におい ても,本書の視点は重要なものであると考えられる。 (新潟大学 白井 述)

参照

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