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中学 ・高校生の頃の私は毎日のように海に出 かけ,海洋生物の収集に夢中だ、った 。珍しいカ ニが採れると鎌倉の酒井 恒先生のお宅にお邪魔 したものである 。当時,酒井先生は「東京のお医 者さんでカニの博物館を経営されている人がいる ので,訪ねてみては」とよくお話しされていた。1969
年,このきっかけから友人と 小 田原甲殻類博 物館を訪ね,小田原先生とはじめて面識を持った 。 その日はご多忙にもかかわらず,若者に対して懇 切丁寧に対応してくださった 。先生は標本を手に とりながら,I
カニ採集の過剰で,脊髄をわずら い大きな手術ができなくなったんだ」と話された 。 それまでにして収集されたカニは当然のことなが ら,素晴らしいものだった 。空き病室のいたると ころにぎ っ しりと保管されていた全盛期の 三河一 色,紀伊南部などから得られた昔の採集資料は誰 もが太万打ちできないものばかりだった 。以来, 小田原先生との35
年に及ぶお付き合いがはじまっ た。 先生は 三浦半島がお好きで私が同地で活動す る以前から 三戸浜などによく採集にでかけられて 外房仁右衛門島にて (1 9 8 4年) 池 田 等 いたとのことである 。当時は「車も少なく午前中 採集して午後診療ができたんだ」とよく話されて いた 。先生のお話から,当時の自然環境は豊かで 現在とは比べ物にはならい ことがわかる 。三浦半 島 も開発の波に乗った頃,採集によくご一緒させ ていただいた 。私の自宅にお泊りになり,翌朝, 漁港を回り ,刺し網採集を行ったこともある 。 ま た,房総半島にもよくご一緒した 。鴨川に宿泊し, 外房の刺し網採集巡りをしたこともあ った。1970
年代までは,はさみを広げて3 m を超えるタカア シガニがいくつも揚がり ,それを運ぶため私はト ラックを出して同行させていただいたことを思い 出す。神奈川県立博物館や鳥羽水族館に寄贈され ている巨大タカアシガニ標本もその頃の採集品で ある 。 このように先生との思い出は多々あるが, ひとつ心 に残 っていることがある 。1977
年頃から 三浦半島の漁業者と 一緒に相模湾 で深海性蟹類の調査を行い,いくつかの無名の種 類が得られた 。 イケダホモラはその時の収穫のひ とつである 。葉山沖から採集したタラバガニの一 種も新種に違いないと思い,早速酒井先生のお宅56
に持ち込んだ。酒井先生もだいぶ興奮され,珍奇 種の奇抜な形態に夜も眠れなかったことを聞かさ れた 。数日後,酒井先生からお電話があった 。そ の内容は小田原先生の還暦祝いにぜひこのカニに 小田 原先生の名で献名して記載したいと ,私に了 解を求めるためだった 。 ところが, 小田原先生から私に「君が採集したカニに献名 されるのは申し訳なく辞退したい」というお電話 があった。酒井先生にも同様な連絡が入ったそう である 。 この件については酒井先生が説得され, ょうやく納得していただいたそうである 。 このよ うに1980
年,オダワラフサイバラガニが誕生 まで の経緯には,小田原先生の謙虚なお人柄をずばり 表した一帥があったのである 。 オダワラフサイバ ラガニは日本甲殻類学会のシンボルとなり,相模 湾,東京湾口のみ知られる日本の代表種として世 に出たことに影ながら力となれたことに幸せを感 じている 。ちなみに私は小田原先生の還暦祝いに オダワラフサイバラガニのガラス彫刻と額入り標 本をプレゼントした 。 生涯かかって収集された甲殻類を生命の星 ・地 球博物館に寄贈された後,晩年 の小田原先生は甲 殻類グッズコレクションを整理され,2001
年にご オダワラフサイバラガニ Lithodes odawarai: (Sakai, 1980)自身で「蟹民芸館」の本を出版された 。その後は, お地蔵に興味をもたれ, その写真撮影に, 三浦 半島各所を回られた 。その折によく私の勤務する 博物館にお立ち寄りくださった。昨年6 月お会い した時には昔話に花が咲き,タカアシガニを採集 した頃の話題がでた 。「うちにタカアシガニの標 本が