いざ、熊本へ・・・
第1班は、4月30日の深夜に出発となった。深夜にもかかわらず、民生児童委員協議 会の福住会長をはじめ、地域団体の代表の方が激励に駆けつけた。23時半、レジア ス号に乗り込み宝塚あいわ苑を出発した。
熊本県に到着すると
高速自動車道を降りると、目の前に現れたのは地震の影響で崩れた山肌だった。 見渡す限りこの風景であり、かつて私達が経験した阪神大震災の時は全く違う意 味での恐ろしさを感じた。
町の民家は・・・
センターまでの道のり
車を走らせボランティアセンターを目指すが、道路の陥没や、土砂崩れで道が 寸断され目的地にはなかなか到着できない。また、道路が真っ二つに割れ陥没 していたり、土嚢で土砂をせき止めている状態であった。現地では車載のカー ナビゲーションが機能せず、ナビ通りに進んでもほとんどがこのような通行止 めであった。ボランティアセンターに到着すると
そんな中、14時間程かけてボランティアンターに到着、佛教大学の後藤先生と合 流。すぐに、熊本県南阿蘇村や近隣の現況説明や、支援活動の場となる陽の丘荘 さんの現状、要請のかかっている支援内容等の協議が開始された。
いよいよ陽ノ丘荘へ
陽の丘荘では、地域密着型特養には医療職のボランティア要望が有り、元木に決定。 広域特養には阪本主任、グループホームには加藤主任が配属された。 震災の影響で情報が錯綜しているため、いざ活動を開始しても聞いていたことやイ メージと違う、連絡が行き届いていないといったイレギュラーは多々あり、災害時 のボランティア支援は、蓋を開けてみなければわからない事が非常に多い。 そのため、今後のボランティア活動への参加も、柔軟な対応ができるよう心掛ける 事が必要である。第
1班の宿泊場所
陽の丘荘には、以前運営していたデイサービスセンターが敷地内の別棟にあり、こ こが1班の宿泊場所となった。ボランティアの宿泊場所としては非常に恵まれた環 境であり、広大な敷地に立地されている施設だからこその恩恵であった。宝塚あい わ苑が福祉避難所として立ち上がったとしても、ここまでの環境は提供できないで あろう。また、ここに多くのボランティアが来ても困らないよう、簡易ベッドが多 数設置されていた。入浴は
入浴は、デイサービスの個浴、機械浴の浴槽を借りることとなった。
私たちが支援活動に入ったのは発災14日後であったため、水道以外のライフライ ンは復旧していた。
自衛隊の給水活動の様子、しかし・・
水は一日に複数回自衛隊の給水作業があったため、困る事はなかったが、第1班の 活動が終わりに近づくと、自衛隊による給水活動も徐々に減り、水不足となった。 そのため、第2班からは雨水をバケツに溜めたり、風呂の残り湯を活用したりと、 水確保のための工夫をする必要が生じた。
救援物資
日常生活品、食料、寝具等、救援物資は豊富な状態であった。これらの他、保温状 態を保つため、味噌汁は45リットルのゴミ袋に、米飯は発砲スチロールに入れる等 の工夫がなされているものもあった。第1班の3人も、陽の丘荘スタッフも同様、こ の物資で日々の食事をしのいだ。また、地元のスーパーも徐々に営業を開始し始め ており、第1班の活動後半には買い出しに行くことも可能となった。 物資の提供が迅速で抱負である点は、阪神大震災時とは大きく違っている。また、 この時期の利用者の食事については、施設内で調理し、提供時間や提供形態を変更 する工夫を行っていた。第
2班・第3班の宿泊場所と同じ志を持ったボランティア
第2班の活動8日目から、さくら館が「うえむら温もり診療所」の開設準備に入るた め、宿泊場所が「旅館、朝陽」に変更となった。朝陽は近隣の避難所になっており、 私たちボランティアと近隣の避難者が協同生活を送っていた。また、長崎県からの ボランティア、総合福祉施設「ぴーぷる長崎」さんと合流し、デイサービスセン ターが再開すると、その支援に共に関わる事となった。朝陽の食事メニュー、洗濯について
旅館、朝陽の朝食はバイキング形式であった。災害ボランティアとしては非常に恵 まれた環境であり、この食事も近隣の被災者と共にした。日常的な洗濯は、さくら 館デイサービスの洗濯機を借り、外に物干場を作って干すなど、生活への工夫が必 要であった。なお、第2班・第3班は朝陽で宿泊となったため、施設の洗濯機、乾燥 機をお借りして済ませた。環境
③地域密着型特養
活動内容
~地域密着型特養は夜勤のみの支援活動~
・洗濯物たたみ
利用者ごとに名札をつける
施設の洗濯物たたみ収納
・献立表の作成
・翌日の入浴準備
・巡視
・オムツ交換
・コール対応・硬縮予防のハンドクッション作り
・バイタルチェック
繰り返し実施朝の地域密着型特養の様子
地域密着型特養の利用者は、この震災でほとんどの方にADLの低下が見られ、震 災前は歩行可能であった方も、全て車いす移動となり、全介助状態となっていた。 それは、支援する上で「いつまでも元気でいきいきと過ごして頂く」という目標の 妨げになるだけでなく、職員の介助量の増加も引き起こすこととなる。震災の影響 で職員が不足している状況で、これは大きな問題である。また、生活機能訓練の早 期開始が必要という現実を突き付けられることとなった。利用者の食事について、 活動開始時点(発災2週間)では、紙皿に紙コップ使い捨て容器での提供であった。 発災当初は、利用者に提供する食事は一日一回で粥のみの提供、米は職員の自宅か らの持ち寄りであり、救援物資の到着は発災後3日目であった。環境 ①広域特養 詰所、デイルームに集結
広域型特養の震災直後の詰所の様子。色々なものが散乱しており悲惨な状態であった。 また、右は発災後2週間、支援活動開始直後の利用者の環境である。全員を見守るた め、一時的に全利用者を食堂に集約している状況である。余震が頻回に起こっていた ため、利用者の安全確保、すぐに避難できるように限られた職員で見守れるための工 夫である。第1班の活動中期(4日目)頃から、徐々に利用者を居室に戻し始めた。広域特養 本来の食堂と環境の落ち着き
全ての利用者が居室に戻り、食堂が本来の姿を取り戻した。また、少しずつ環境が 落ち着いてくると、入院していた医療依存度の高い利用者が施設に戻ってきた。第 2班の支援活動中に徐々に戻って来られ、3班が活動に入った時には
支援活動
・朝食介助
・口腔ケア
・デイルーム、居室へ誘導
・排泄介助、オムツ交換
・飲水介助
・食堂へ誘導
・昼食介助
・口腔ケア
・おやつ介助
・飲水介助
・排泄介助、オムツ交換
・整容
・食堂誘導
・夕食介助
・口腔ケア
活動の様子
通常業務に戻していこうとする中で、少しの時間をみつけて、中庭の散歩をして いる様子。下は第2班、第3班の活動の様子。第2班からはほぼ通常通りの業務に 戻り、食事介助やオムツ交換、口腔ケアが中心の活動であった。
心のケア
心のケアとして、空いた時間を利用してレクリエーションを行い、利用者、職員の 心を和ませる活動をした。持参したマニキュアや、持参したたこ焼き器で職員もご 利用者も一緒にたこ焼きを焼いて食べて頂いた。
環境 ②グループホーム
グループホームの被災当初の様子。居室やデイルームに荷物が散乱しており、日常生 活用品や食料等すべてを集約していたため、足の踏み場もない状況であった。
活動の様子
本来の利用者の居場所、スペース確保の為に、物の整理、環境整備から支援活動を開 始した。
支援活動
・食事運搬
・見守り
・口腔ケア
・リビングの清掃
・排泄介助
・ゴミ集めとゴミ捨て
・体操
・水分補給
・レクリエーション
・排泄介助
・食事運搬
・昼食準備
・排泄介助
・おやつ運搬
・おやつ介助
・レクリエーション
・排泄介助
・夕食運搬
・夕食介助
・見守り
活動の様子
日用品の買い出し、フロアの清掃、レクリエーション物品の作成、レクリエーショ ンの様子。
利用者の食事形態②
活動開始10日目の際の食事形態。器は通常の食器に戻り、徐々に普段通りの食事が 提供されるようになった。提供時間については、依然、職員数がそろった時間を見計 らっての提供(朝食は8時半、昼食は12時、夕食は17時半)であったが、阿蘇大橋 の崩落によって、職員の通勤時間が20分のところ2時間かかるため、第3班が活動を 終了するまでこの食事時間だけは通常に戻せなかった。インタビュー
活動の合間を縫って、居宅介護支援事業所のケアマネジャーに発災時の安否確認の 方法や、利用者への対応についてインタビューを行った。愛和会の福祉避難所の安 否確認マニュアルに生かしていきたい。もう一方は、一緒に支援活動を行ったボラ ンティア「ぴーぷる長崎」の職員の方です。