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映画「うつくしいひと」を巡って~一映画ファンの熊本復興支援の話~

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【図版9 2009 年度から 2016 年度までの練馬区内の動物死体の月別変動(練馬区 調べ)】 ■がタヌキ,□がハクビシンを示す 0 2 4 6 8 10 12 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 1月 2月 3月 2009年度 タヌキ ハクビシン 0 2 4 6 8 10 12 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 1月 2月 3月 2013年度 タヌキ ハクビシン 0 2 4 6 8 10 12 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 1月 2月 3月 2010年度 タヌキ ハクビシン 0 2 4 6 8 10 12 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 1月 2月 3月 2014年度 タヌキ ハクビシン 0 2 4 6 8 10 12 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 1月 2月 3月 2011年度 タヌキ ハクビシン 0 2 4 6 8 10 12 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 1月 2月 3月 2015年度 タヌキ ハクビシン 0 2 4 6 8 10 12 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 1月 2月 3月 2012年度 タヌキ ハクビシン 0 2 4 6 8 10 12 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 1月 2月 3月 2016年度 タヌキ ハクビシン

映画「うつくしいひと」を巡って

~一映画ファンの熊本復興支援の話~

豊住 伸治

(英語科) Keywords: 熊本地震,復興支援,映画,行定勲「うつくしいひと」

はじめに

昨年2016 年 4 月 14 日と 16 日、私が生まれ育った熊本を激震が襲いました。自分の好き な映画を通じて何か復興に役立つことが出来ないかと考え、様々な方の協力を得て 11 月 28 日(月)に本学園でチャリティ上映会を開催しました。このエッセイでは、その上映会の 記録を中心にして、この映画に関すること、被災地の支援に関することなどを自由に綴っ てみたいと思います。

1.被災した熊本で「うつくしいひと」を見る

地震が発生した後ずっと、故郷がどうなっているのか不安なまま少しウツっぽい状態で 1 学期を過ごしたが、やっと 7 月下旬に熊本に帰省して、街の被害を自分の目で見たり家 族や友人から被災の時の話を聞いたりすることが出来た。幸い、実家は熊本市の西で地盤 が固かったのか、瓦屋根が数枚少しずれただけで軽微な被害であったが、市のシンボルで 県民の精神的支柱と言ってもいい熊本城が至るところで損壊している姿を目の当たりにし た時は呆然とした。少しずつ復旧が進んでいるが、今年に入って修復に20 年、600 億の費 用がかかると報じられている。 映画館にも足を運んでみた。市内の映画館は未だ営業停止のところが多かったが、いち 早く再開した「Denkikan」というミニシアターで熊本を巡る一本の映画が上映されていて、 これを一日一回朝10 時の上映で見ることができた。因みに、私はこの映画館の前身の「電 気館」に高校・予備校の頃しばしば通っていた。74 年には今も忘れられぬ「砂の器」とい う邦画の名作を見ている。 この、40 分程の短編映画「うつくしいひと」は前年度の 11 月に熊本の観光振興プロジ ェクトとして県の企画で製作されたものであり、監督・脚本の行定勲氏を始めとして熊本 出身の俳優やスタッフで固められていた。映画は震災の後、その意味合いが変わり、観光

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PRから復興支援を目指すチャリティ上映の作品となって、全国で少しずつその上映運動 が始まっていたのだ。映画ファンの一人としてそんな映画が作られたことは漠然と知って いたが、まさか被災した故郷でこんな形で接するとは思っても見なかった。 まず、この映画の概略を述べる。ストーリー自体はシンプル。市内の本屋でアルバイト をしている若い女性(橋本愛)が、本屋に来た中年男性の客と言葉を交わす。探偵業を営 む知り合いの若者(高良健吾)から華道の先生である母親に謎の中年男性が近づいている ことを知らされる。母親は高校生の頃8 ミリ映画を二人の男子生徒と撮って自分も出演し た経験があり、夜に初めてそれを娘に見せる。橋本愛はその男性に誘われるまま路面電車 や車で熊本のいろいろな所を廻ってゆく。実は、その謎の男性は母と共に映画を作った人 物であることが段々と分かって行き、映画のラストで二人が再会しようとする。 その中年男性を何と熊本出身の元東大教授の姜尚中が演じている。これが、ジェントル で知的で少しミステリアスという役柄にぴったりだ。少し浮きそうな台詞も彼が言うとそ んなにキザっぽくない(例えば、橋本愛に向かって言う「若い女は美しい。でも、老いた 女はもっと美しい。ホイットマンの詩だよ」)。8 ミリ映画は家の 襖ふすまに映されるのだが、30 数年前に撮られた素朴で手作り感溢れる映像が悪くない。制服を着て制帽を被り嬉しそう に映画を撮ってゆく男子高校生二人と女子高生。青春の初々しさと、過ぎた時代の郷愁を 感じさせる。熊本の名所であるアーチ型をした通潤橋をバックに高校生がキスを交わすシ ーンの構図もシャープで、この8 ミリは映画の中でとても効果的に使われている(その後 何回もこの映画を見たが、この8 ミリシーンは見るたびに心がざわつく)。因みに高校生が 着用する制服制帽は姜尚中の出身校である濟々黌高校のもの。熊本の人はそれが分かる。 作り手はさりげなくリアリティを盛り込んでいる。 全体の流れがいいのに加えてラストもさらりと都会的な終わり方をする。一編の洒落た 現代のメルヘン、の趣。私はこれを一本の映画としてもなかなかの佳作だと思った。 スクリーンに上映される映画を見ながらひときわ身に染みたのは、この映画には震災前 の熊本城の石垣、阿蘇の広々とした草原、美しい橋などが映っていたことだ。期せずして、 映画にその美しい風景が貴重な映像として記録されている。前日無残な熊本城の姿を見た ばかりだったので、スクリーンで震災前の雄姿を見ると少し涙が滲んだ。 因みに、行定監督は小学生の頃、熊本城で行われた黒澤明の「影武者」(1980 年)の撮 影を見に行き、ダイナミックにクレーンを使い演出を行う黒澤監督の姿をカッコいいと思 い監督を志している。熊本城と監督は強く繋がっていた。 もうひとつ、映画を離れるが、帰省の折に嬉しく思った余談を述べる。買い求めた地元 新聞の縮刷版を読んで知ったことだ。本震の2 日後に、行定勲監督と高良健吾君が熊本市 内のある小学校にトラックで水を届けるボランティア活動を行っていた。断水が続く地域

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PRから復興支援を目指すチャリティ上映の作品となって、全国で少しずつその上映運動 が始まっていたのだ。映画ファンの一人としてそんな映画が作られたことは漠然と知って いたが、まさか被災した故郷でこんな形で接するとは思っても見なかった。 まず、この映画の概略を述べる。ストーリー自体はシンプル。市内の本屋でアルバイト をしている若い女性(橋本愛)が、本屋に来た中年男性の客と言葉を交わす。探偵業を営 む知り合いの若者(高良健吾)から華道の先生である母親に謎の中年男性が近づいている ことを知らされる。母親は高校生の頃8 ミリ映画を二人の男子生徒と撮って自分も出演し た経験があり、夜に初めてそれを娘に見せる。橋本愛はその男性に誘われるまま路面電車 や車で熊本のいろいろな所を廻ってゆく。実は、その謎の男性は母と共に映画を作った人 物であることが段々と分かって行き、映画のラストで二人が再会しようとする。 その中年男性を何と熊本出身の元東大教授の姜尚中が演じている。これが、ジェントル で知的で少しミステリアスという役柄にぴったりだ。少し浮きそうな台詞も彼が言うとそ んなにキザっぽくない(例えば、橋本愛に向かって言う「若い女は美しい。でも、老いた 女はもっと美しい。ホイットマンの詩だよ」)。8 ミリ映画は家の 襖ふすまに映されるのだが、30 数年前に撮られた素朴で手作り感溢れる映像が悪くない。制服を着て制帽を被り嬉しそう に映画を撮ってゆく男子高校生二人と女子高生。青春の初々しさと、過ぎた時代の郷愁を 感じさせる。熊本の名所であるアーチ型をした通潤橋をバックに高校生がキスを交わすシ ーンの構図もシャープで、この8 ミリは映画の中でとても効果的に使われている(その後 何回もこの映画を見たが、この8 ミリシーンは見るたびに心がざわつく)。因みに高校生が 着用する制服制帽は姜尚中の出身校である濟々黌高校のもの。熊本の人はそれが分かる。 作り手はさりげなくリアリティを盛り込んでいる。 全体の流れがいいのに加えてラストもさらりと都会的な終わり方をする。一編の洒落た 現代のメルヘン、の趣。私はこれを一本の映画としてもなかなかの佳作だと思った。 スクリーンに上映される映画を見ながらひときわ身に染みたのは、この映画には震災前 の熊本城の石垣、阿蘇の広々とした草原、美しい橋などが映っていたことだ。期せずして、 映画にその美しい風景が貴重な映像として記録されている。前日無残な熊本城の姿を見た ばかりだったので、スクリーンで震災前の雄姿を見ると少し涙が滲んだ。 因みに、行定監督は小学生の頃、熊本城で行われた黒澤明の「影武者」(1980 年)の撮 影を見に行き、ダイナミックにクレーンを使い演出を行う黒澤監督の姿をカッコいいと思 い監督を志している。熊本城と監督は強く繋がっていた。 もうひとつ、映画を離れるが、帰省の折に嬉しく思った余談を述べる。買い求めた地元 新聞の縮刷版を読んで知ったことだ。本震の2 日後に、行定勲監督と高良健吾君が熊本市 内のある小学校にトラックで水を届けるボランティア活動を行っていた。断水が続く地域 で約150 人が避難していたが、そこは偶然私が通った小学校。片田舎のほんとに小さな学 校だ(在校中の50 年前、自分の学年はわずか 25 人の 1 クラス)。二人の善意の行為は心底 ありがたく思えた。

2.上映会の準備と当日

映画を見た直後は、これからこの映画の全国上映が広がるだろう、上映が熊本の復興に つながってほしいと思っていたが、帰京すると、自分が勤務する学校でチャリティ上映出 来ないだろうかと言う気持ちが段々と芽生えてきた。何か自分が故郷に貢献できることは ないかと考えた時、映画好きの自分なら、これをやれるのではないか。7 月の都知事選の 次の日、飲み屋で同僚数人にこの話をすると、面白い、応援したい、スタッフになるよと いう答えが返って来る。失敗してもいいからやってみようと思った。 自分は毎年、夏に大分で行われる湯布院映画祭に参加しているのだが、この映画祭に、 この「うつくしいひと」がチャリティ上映され監督もゲストで来るということを知った。4 月の地震では湯布院も被災しており熊本の復興を応援しようと上映の運びになったという。 参加した映画祭では上映の後にシンポジウムが開かれて監督の話を聞くことが出来たが、 監督の話もとても面白い。一緒に参加されていた監督のマネージャーであるプロダクショ ン「セカンドサイト」の吉澤さんに映画の上映会をやってみたい旨を伝えると、名刺を下 さって、これから連絡を取り合って行きましょうということになった。 さて、結果的に、11 月 28 日(月)に約 240 名の参加があり、監督に来校してもらいト ークも行われてチャリティ上映会は無事に終了の運びとなった。次に、その準備の過程と 当日のことを書いてみる(少し長めで申し訳ない)。 実は、当初、平日の放課後にやれば生徒も参加できるし、全校生徒1000 人の学校だから 親御さんにも参加いただき最高500 人くらいは来てもらえるのではないかと楽観していた のだが、これが、こういう「興行」(?)を経験したことの無い世間知らずの教員の甘いと ころで、生徒と親に参加を募った時最初何日間か反応が鈍く、参加の申し込みがほとんど 出てこなかった!これには、心底恐怖感を抱いてしまった。悲しいことに生徒には熊本の 被災もどこか遠い出来事の様だし、入場料が500 円であっても監督が来てもほとんど映画 に関心を示さないのだ。その名前に引かれて見に来るかと思っていた女優の橋本愛もほと んどの生徒が知らない(彼女なんて、朝ドラの「あまちゃん」好きのおじさんだけが騒い でいるのかもしれないし)。 もう本当に頭を抱えた。監督が来るのに参加者が30 名,40 名だったら申し訳が立たな い、どうすりゃいいんだ!10 万円ほど自腹を切って生徒を 200 人タダで入れて会場埋めて カッコつけるか、でもそれじゃ意味ないよなあ、と。

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もう、最も素朴な手段、すなわち、知っている人、多少とも知っている方、来てくれそ うな人、来てくれるかもしれない方に手当たり次第(?)お願いしてみる、つまりメール を出す、手紙を書く、電話をかける作戦を取るしかなかった。。。(その後のプロセスの記述 は割愛) すると、まず卒業生の親御さんから返事が来はじめた。顧問をしている剣道部の卒業生 の母親から19 人確保しました、担当している韓国ホームステイの関係で知っていた母親か ら17 人確保しました、前年高 3 で教えた生徒の熊本出身の母親(面識は全く無かった)母 親からは同級生の親御さんを誘って4 人で行きます、といったメールがどんどん舞い込ん で来るようになった。朝起きてパソコンを開き続々来るメールを読んだ時、その有難さに 涙滲んだこともある。そうこうしているうちに、現役の生徒の保護者もぽつぽつ増えて行 った。退職なさっている旧教職員の方にも連絡させて頂いた。大学生の卒業生からも出欠 の連絡が入りだした。また、東京に住んでいる大学の友人や親しい映画仲間にもお願いし た。何とか200 名を超えそうになってきた。 また、割愛。とにかく、学内のポスター張り、学内関係者の挨拶と宣伝依頼、大学放送 研究会への昼の放送での㏚依頼、当日のビラ配りなど、もう、やれることは全部やった。 (各地の上映会はいつもこんな事をやってるんだろうなと思い至る)。 連絡を取り合っていた熊本市の観光振興課から配布しませんかと、高良健吾君が案内す る熊本観光案内の小冊子の見本が送られてきた。見ると、観光案内と言うよりも高良健吾 ミニ写真集。これは素敵なお土産になる、ファンなら非売品だからお宝(?)にもなるだ ろう。先方のご好意で、当日参加が見込まれる人数分の冊子をいただける事になった。 それから、総務省から熊本県に出向している時に被災し復興に尽力した卒業生(県の元 総務部長)の貴重な文章も届き、この文章に加えて、監督の紹介、映画の舞台になった名 所の紹介や熊本弁ミニ講座などを載せた配布資料も用意できた。この辺から、それなりに 参加者が満足できる上映会が出来るのではないかと思い始めた。 当日の数日前に監督の事務所から上映用のブルーレイも届き、上映会場の機器との相性 を事務室の方とチェックをしたりした。高1 の生徒 15 名ほど(「総合講座」で一緒に映画 を見ている生徒、東北被災のボランティアをやっている生徒)が資料の折込も手伝ってく れた。 さて、一気に当日。晩秋の晴れて爽やかな日だった。会場は大学の授業に使われる最大 500 名収容の中講堂。3 時半に入場開始。集まった約 240 名の内訳は、生徒・大学生が約 40 人(中高生が 30 数名)、後は親御さん、卒業生の親御さん(つまり 40 代から 60 代)。 そのおよそ8 割が女性か。最年長はスタッフの美術の先生が誘ってくださったお知り合い の90 歳のおばあちゃん。

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もう、最も素朴な手段、すなわち、知っている人、多少とも知っている方、来てくれそ うな人、来てくれるかもしれない方に手当たり次第(?)お願いしてみる、つまりメール を出す、手紙を書く、電話をかける作戦を取るしかなかった。。。(その後のプロセスの記述 は割愛) すると、まず卒業生の親御さんから返事が来はじめた。顧問をしている剣道部の卒業生 の母親から19 人確保しました、担当している韓国ホームステイの関係で知っていた母親か ら17 人確保しました、前年高 3 で教えた生徒の熊本出身の母親(面識は全く無かった)母 親からは同級生の親御さんを誘って4 人で行きます、といったメールがどんどん舞い込ん で来るようになった。朝起きてパソコンを開き続々来るメールを読んだ時、その有難さに 涙滲んだこともある。そうこうしているうちに、現役の生徒の保護者もぽつぽつ増えて行 った。退職なさっている旧教職員の方にも連絡させて頂いた。大学生の卒業生からも出欠 の連絡が入りだした。また、東京に住んでいる大学の友人や親しい映画仲間にもお願いし た。何とか200 名を超えそうになってきた。 また、割愛。とにかく、学内のポスター張り、学内関係者の挨拶と宣伝依頼、大学放送 研究会への昼の放送での㏚依頼、当日のビラ配りなど、もう、やれることは全部やった。 (各地の上映会はいつもこんな事をやってるんだろうなと思い至る)。 連絡を取り合っていた熊本市の観光振興課から配布しませんかと、高良健吾君が案内す る熊本観光案内の小冊子の見本が送られてきた。見ると、観光案内と言うよりも高良健吾 ミニ写真集。これは素敵なお土産になる、ファンなら非売品だからお宝(?)にもなるだ ろう。先方のご好意で、当日参加が見込まれる人数分の冊子をいただける事になった。 それから、総務省から熊本県に出向している時に被災し復興に尽力した卒業生(県の元 総務部長)の貴重な文章も届き、この文章に加えて、監督の紹介、映画の舞台になった名 所の紹介や熊本弁ミニ講座などを載せた配布資料も用意できた。この辺から、それなりに 参加者が満足できる上映会が出来るのではないかと思い始めた。 当日の数日前に監督の事務所から上映用のブルーレイも届き、上映会場の機器との相性 を事務室の方とチェックをしたりした。高1 の生徒 15 名ほど(「総合講座」で一緒に映画 を見ている生徒、東北被災のボランティアをやっている生徒)が資料の折込も手伝ってく れた。 さて、一気に当日。晩秋の晴れて爽やかな日だった。会場は大学の授業に使われる最大 500 名収容の中講堂。3 時半に入場開始。集まった約 240 名の内訳は、生徒・大学生が約 40 人(中高生が 30 数名)、後は親御さん、卒業生の親御さん(つまり 40 代から 60 代)。 そのおよそ8 割が女性か。最年長はスタッフの美術の先生が誘ってくださったお知り合い の90 歳のおばあちゃん。 有志のスタッフ教員、事務職員、そして生徒が裏方の仕事、つまり入り口のお金集め、 誘導、資料配布、質問の受付などの役をやってくれた。監督はマネージャーの吉澤さんと 一緒で来校。映画上映が始まった時、会場の入り口で音声のチェックをされ、もう少し音 声を上げるようにと指示を出された。映画館でなく大学の教室のようなところでも、最善 の状態で映画を見せようとするのがプロだと思った。 映画上映中、私は別室の高中の控室で行定監督と待機したのだが、その時、いろいろと 雑談したが、こんなことも聞いている。昨年4 本も新作を撮った中に有村架純と「嵐」の 松本潤が共演した「ナラタージュ」という映画があり、監督自身の快心作のようで「2 時20 分好きなように演出したけど有村がよく撮れている。見た人からトリュフォーみたい だと言われる。でも好き嫌い分かれるね」、と。この映画は教師と生徒の禁断の愛の映画ら しいが、今年の秋に公開予定で期待大だ。 映画上映後、監督のトークを聞くことが出来たが、相当に面白かった。爆笑の話あり、 熱く語る場面あり、ネタはいっぱい、語りも上手く、まるでエンターテイナーのようだっ た。 俳優としては素人の姜尚中氏に「ホイットマンの詩だよ」という台詞を自分のイメージ 通りに言わせるために20 数回リテイクしたこと、また撮影が終わると当の御本人が「次の 映画に出るときは、濡れ場をやりたいね」と発言したこと(笑)等の撮影エピソードがす こぶる興味深かった。 一方、今の日本のマスコミの報道の姿勢や復興支援の現状に関しては鋭い批判があった。 例えば、流行語大賞の候補に「前震」が入っていないのはおかしい(確かに私たちはこの地 震まで「前震・本震」など聞いたことが無かった)、「センテンス スプリング」なんて入 れている場合じゃない、また、建築資材が東京に集中し被災地に廻らないのでオリンピッ クなんかやっている場合じゃない、とも。 オリンピックと言えば、年末に初めて東北の気仙沼に高1 の生徒の「総合講座」のボラ ンティアの付き添いで行ったのだが、現地の方から、復興は遅れているし資材も上がり、 復興バブルになって以前は2 千万の家の物件が 3 千万に値上がっていると聞いた。2020 年 の五輪の予算も8 千億から 1 兆 8 千億に上がってしまった。五輪の金を被災地に使うべき ではないかと私も思う。 また、熊本で支援活動を行っている時、新築の家が崩壊した70 歳の方からは「あんたた ちにゃ、オレん気持ちは分からん」と言われたという。震災で大きな被害を受けた方は、 実は多くを語らない、ドキュメンタリーを撮ろうとカメラを廻しても本音をしゃべらない。 それなら、フィクションの形式ならば本当の気持ちを人物に語らせることができるから、 もう一本、被災地で生きる人の劇映画を作ろう、と監督は決意したという。

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50 分ほどの盛り上がったトークの後、会場の出口で参加者の方に募金をお願いさせても らった。監督がその募金箱の横に立たれた。いやあ、驚いたのは参加のお母様方の中に携 帯で監督と一緒に写真を撮ったり、握手したり、サインをもらったりされる方が続出した ことだ。これまで参加した映画祭でそんな光景は見たことないのだが、それもご愛嬌、お 母さん方は怖いものなし(?)なのだ。監督もにこやかにちょっと照れくさそうに笑顔で 応えておられた。 6 時半頃には募金終了、7 時前に片付けも終わった。反省会を予定していて監督をお誘い したのだが、8 時から目黒で打ち合わせがあるということでそのまま帰られた。自分とし てはこれが唯一心残り。 さて、大事なことを記録しておく。入場料を生徒・大学生・院生(武蔵大)が 500 円、大 人が1000 円に設定させてもらい、総入場料金が約 22 万円、監督の話の後に募った募金が 約18 万円(参加できず事前にいただいた寄付も加える)で、総額 40 万 9094 円となった。 因みに、8 月 23 日夜に東京飯田橋のある名画座でも監督が来館して行われたチャリティ上 映会の収益が約32 万円だそうで、本校の場合は学校で行われたのだから、かなりの金額だ ろう。これは学校近くの銀行から映画祭の口座に全て振り込んだ。今年の4 月の報道によ れば、昨年の4 月 25 日から全国 169 箇所でチャリティ上映会が行われて、熊本県に寄付さ れた総額が1786 万円だ。 当日の会場の様子

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50 分ほどの盛り上がったトークの後、会場の出口で参加者の方に募金をお願いさせても らった。監督がその募金箱の横に立たれた。いやあ、驚いたのは参加のお母様方の中に携 帯で監督と一緒に写真を撮ったり、握手したり、サインをもらったりされる方が続出した ことだ。これまで参加した映画祭でそんな光景は見たことないのだが、それもご愛嬌、お 母さん方は怖いものなし(?)なのだ。監督もにこやかにちょっと照れくさそうに笑顔で 応えておられた。 6 時半頃には募金終了、7 時前に片付けも終わった。反省会を予定していて監督をお誘い したのだが、8 時から目黒で打ち合わせがあるということでそのまま帰られた。自分とし てはこれが唯一心残り。 さて、大事なことを記録しておく。入場料を生徒・大学生・院生(武蔵大)が 500 円、大 人が1000 円に設定させてもらい、総入場料金が約 22 万円、監督の話の後に募った募金が 約18 万円(参加できず事前にいただいた寄付も加える)で、総額 40 万 9094 円となった。 因みに、8 月 23 日夜に東京飯田橋のある名画座でも監督が来館して行われたチャリティ上 映会の収益が約32 万円だそうで、本校の場合は学校で行われたのだから、かなりの金額だ ろう。これは学校近くの銀行から映画祭の口座に全て振り込んだ。今年の4 月の報道によ れば、昨年の4 月 25 日から全国 169 箇所でチャリティ上映会が行われて、熊本県に寄付さ れた総額が1786 万円だ。 当日の会場の様子 切ない本音を申せば、全体としてもっと沢山集まって欲しかったなあと思う。何せ、昨年 はアニメの大ヒット作「君の名は。」が興行収入240 億円(5 月現在。歴代 4 位)を叩き出 しているのだから。 この話は、音楽を通じて東北ボランティア活動を継続して行っておられる卒業生のお姉 さんから聞いたのだが、ボランティア団体には、被災地支援コンサートを開き寄付を集め たものの、自分達が反省会と称して寄付金からかなりの金を使って打ち上げを行って、そ の残りを被災地に充てるような不届きな団体もあるとのことだ。怒りを覚えてしまう。 実は、控室で監督たちと待機している際に、「失礼ですが、これ今日の交通費です」と封 筒を差し出したのだが、監督とマネージャーは一瞬キョトンとした顔をされて、「いやいや 要りませんよ、そのまま熊本の寄付にしてください」とおっしゃった。2 人は行きも帰り も交通手段は電車だったが、2 人は本気でチャリティ活動なさってるんだと熱い想いを感 じた。これから一生、監督のあらゆる新作を見ていこうと心に誓ったのだ。 もうひとつ。事務室で映画祭当日、お金を集計した時の話だが、百円玉、十円玉、五円 玉、一円玉が何枚もあった。大人が出すとはまず考えられない。ああ、これは生徒が自分 の持っているなけなしのお小遣いから出してくれたんだなあと思うと、ちょっとジンと来 たのを覚えている。受験を控える高3も、高2の生徒もいた。参加してくれただけでも嬉 しかったのに。

3.上映会を終えて思ったこと

上映会を通じて感じたことを率直に書いておこう。終わった直後は正直もうこりごりだ と思った。とにかく参加者が集まらないのでは、という恐れはかなり大きかった。また準 備が結構大変だった。昨年は担任がないから出来たのだと思う。体調を整えるため外に出 て新作映画を見るのも控えたし。ばってん。寄付は沢山集まったし、多くの方に熊本の実 情を知ってもらい、支援について様々なことを考えてもらい、そして映画製作の楽しい話 を聴いてもらったことはよかった、やりがいのあることではなかったか。監督のような情 熱を持った人がいることを知ったのも嬉しい。 ここで思い出すのが、我々が生徒に日頃から言ってきたことだ(いや、たまにです)。「面 白いことをやろう、人と違うことをやろう」、と。また、現に、これまで実践した生徒もい ることを思い出した。剣道部の卒業生だが、在学中、日本を代表するアニメ作家宮崎駿さ んの大ファンで、高2 の時に、監督に学園祭である「記念祭」で講演してもらおうと何度 も何度も手書きの手紙を出し続け、つまりその間断られ続けたのだが、ついに所沢のお家 にご招待となった。ご飯をご馳走になり、その時また頼み、宮崎さんに「ボクの方針とし て、講演会みたいなものはやらないんだよね」と言われ、そうしたら、その話を聞いたス

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タジオジブリの社長(正確には、なる前かもしれない)の鈴木敏夫さんが情にほだされて 「じゃ、ボクがやってあげていいよ」となって、鈴木さんが記念祭に来て講演なさったと いうことがあるのだ。およそ20 年前の話で今さらの感があるが、高校生が情熱を持って実 現しようと努力し、それに対して大人が応えるというのはかなりいい話だと思う。また、 2011 年 3 月 11 日、大地震が起きた次の日、東銀座の岩手県のアンテナショップ前で街頭 に立ち募金活動を開始した高2 の生徒もいた。確か 3 週間ほど他の学校の生徒と共に立ち 続け数十万の寄付を集めたと聞いている。 生徒にそんなことを言っているなら、我々教員もやってしかるべきじゃないかという想 いが頭をかすめたのだ。実行してきた生徒は偉いなあと思う。私も退職まであと2 年半だ が、何とか一応一つ果たしたから、これで悔いなく身を引くことが出来そうだ。大げさか もしれないが。 もうひとつ、いろんな方にお世話になったことに感謝している。いちいちお名前は挙げ られないが教員、職員共に沢山の理解者がいてくださった。いい職場だとあらためて有難 く思う。

4.残酷だが美しい「うつくしいひと サバ?」

今年4 月 14 日、熊本地震が発生して丁度一年が経った日の夕方、六本木ヒルズ内の映画 館で「うつくしいひと サバ?」の完成上映会が開催された。勿論「うつくしいひと」の 続編だが、偶然ネットでこの上映会のことを知って抽選に応募したところ、運よく当選し てティケットを手に入れていち早く映画を見ることが出来たのだ。 実は4 月 8 日、9 日に熊本で熊本復興映画祭が開かれ、熊本城の敷地内にある二の丸広 場に1 万人(!)の参加者を集めてすでに無料野外上映されている。 この映画も前作同様45 分ほどの短編だ。タイトルの「サバ?」というのは、「お元気です か」の意味のフランス語だ。一番被害が大きかった益城町出身の日本人女性がフランスで 亡くなり、夫であるフランス人男性がその遺骨を益城に住む遺族である父親に届けに来る。 前作に登場していた探偵(高良健吾)たちがその協力を行うというのが物語の骨子だ。(男 性の発する「サバ?」というフランス語を魚の「鯖?」と勘違いした探偵たちが、男性を すし屋に連れて行くといった、まあ、息抜きのコミカルなシーンも入っている) 昨年7 月熊本に帰省した時に周りから、益城は見に行かない方がいいと言われた。理由 は、被害が大きすぎて見るとショックが残るからということだった。映画は、後半に探偵 たちが車で益城に入ってゆき、カメラが被災した街を捉える。大きなスクリーンで見ると 被害を目の当たりにするようで、もう、胸が苦しくなるようだった。 映画の中で、ある人物が「ここに長年住んでいたが地震で家が崩壊した。この絶望を癒

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タジオジブリの社長(正確には、なる前かもしれない)の鈴木敏夫さんが情にほだされて 「じゃ、ボクがやってあげていいよ」となって、鈴木さんが記念祭に来て講演なさったと いうことがあるのだ。およそ20 年前の話で今さらの感があるが、高校生が情熱を持って実 現しようと努力し、それに対して大人が応えるというのはかなりいい話だと思う。また、 2011 年 3 月 11 日、大地震が起きた次の日、東銀座の岩手県のアンテナショップ前で街頭 に立ち募金活動を開始した高2 の生徒もいた。確か 3 週間ほど他の学校の生徒と共に立ち 続け数十万の寄付を集めたと聞いている。 生徒にそんなことを言っているなら、我々教員もやってしかるべきじゃないかという想 いが頭をかすめたのだ。実行してきた生徒は偉いなあと思う。私も退職まであと2 年半だ が、何とか一応一つ果たしたから、これで悔いなく身を引くことが出来そうだ。大げさか もしれないが。 もうひとつ、いろんな方にお世話になったことに感謝している。いちいちお名前は挙げ られないが教員、職員共に沢山の理解者がいてくださった。いい職場だとあらためて有難 く思う。

4.残酷だが美しい「うつくしいひと サバ?」

今年4 月 14 日、熊本地震が発生して丁度一年が経った日の夕方、六本木ヒルズ内の映画 館で「うつくしいひと サバ?」の完成上映会が開催された。勿論「うつくしいひと」の 続編だが、偶然ネットでこの上映会のことを知って抽選に応募したところ、運よく当選し てティケットを手に入れていち早く映画を見ることが出来たのだ。 実は4 月 8 日、9 日に熊本で熊本復興映画祭が開かれ、熊本城の敷地内にある二の丸広 場に1 万人(!)の参加者を集めてすでに無料野外上映されている。 この映画も前作同様45 分ほどの短編だ。タイトルの「サバ?」というのは、「お元気です か」の意味のフランス語だ。一番被害が大きかった益城町出身の日本人女性がフランスで 亡くなり、夫であるフランス人男性がその遺骨を益城に住む遺族である父親に届けに来る。 前作に登場していた探偵(高良健吾)たちがその協力を行うというのが物語の骨子だ。(男 性の発する「サバ?」というフランス語を魚の「鯖?」と勘違いした探偵たちが、男性を すし屋に連れて行くといった、まあ、息抜きのコミカルなシーンも入っている) 昨年7 月熊本に帰省した時に周りから、益城は見に行かない方がいいと言われた。理由 は、被害が大きすぎて見るとショックが残るからということだった。映画は、後半に探偵 たちが車で益城に入ってゆき、カメラが被災した街を捉える。大きなスクリーンで見ると 被害を目の当たりにするようで、もう、胸が苦しくなるようだった。 映画の中で、ある人物が「ここに長年住んでいたが地震で家が崩壊した。この絶望を癒 すのを簡単に手助け出来ると言うな」といった台詞を言う。これが、被災した人の本当の 気持ちの一つであると思う。監督が言う、記録映画としてカメラを向けても被災者は本音 を出さない、本当の思いはドラマでしか描けない、という部分がここだろう。 さて、フランスで亡くなった女性はかの地でコンテンポラリーダンスをやっていたとい う設定だ。そして今の益城にも、これを勉強している若い女性がいて、探偵の発案で、追 悼のためにダンスを踊ることになる(ここから先の三段落は映画の一番大事な箇所に触れ るので、映画を予備知識なしで見たい方は飛ばして読んでいただければと思う)。 彼女が、復興市という、食べ物の屋台があり民謡「おてもやん」で寛ぐ人たちがいる場 所の一角で力強く踊りを始める。エレガントだなと思っていると、彼女が突然大きな声で 絶叫する。すると、彼女の服装が黒に変わる。バックの風景が突然変わる。風景が震災の 被害のシンボルたる阿蘇大橋(若者が埋まってしまい亡くなった)、阿蘇神社の神殿(屋根 の部分がぐしゃりとひしゃげた)、熊本城の石垣(絶対崩れるはずがなかった)に変ってゆ く。その中で彼女が踊り続ける。美しい。名状しがたいが、被災の悲痛と残酷、鎮魂の思 い、しかし感じてしまう芸術の美しさ、未来への希望などなど、いろんな思いが混沌とし てないまぜになって、私の胸に迫って来てものすごく心を揺り動かされる。 あの「叫び」こそがやはり、被災者の心情の代弁だろう。即ち、悲しみ、怒り、不条理 な思い。私はこの叫びと、それに続くダンスのシーンがあるからこそ作品として際立った と思う。 映画史の中で、被災地の生々しい風景をバックにして、残酷だが、美しさまで感じさせ る映画をこれまで見た記憶がない。自分が熊本の出身だから身びいきになっているのでは なかろう。 この映画は末代まで見られて語り継がれるだろう。ここに被災のただ中で今を生きる人 たちの姿があるからだ。それにしても、風景とダンスとドラマを組み合わせた傑作を短期 間で作り上げてしまった行定勲監督に対し畏敬の念を感じる。スゴイと思う。 余談。5 月に「夜空はいつでも最高密度の青色だ」という日本映画を見た。これは最果 タヒという詩人の詩集からインスピレーションを得て、俊英石井裕也監督がシナリオを書 いて演出したものだが、渋谷を舞台に格差社会を生きる裕福ではない若い男女の異色の恋 愛映画である。これも力作だ。そのカップルの、地方から上京して看護師をしている女性 を、「うつくしいひと サバ?」でラストのダンスを踊る若い女性が演じていた!調べると、 この女優は石橋静河と言い、両親は俳優の石橋凌と原田美枝子であり、実際にコンテンポ ラリーダンスをやっていて海外留学もあるという本格派ダンサーだった。 つまり、昨年7 月当たりの時点でまだ無名と言っていい彼女を、映画の重要な役に抜擢 して演じさせていたということなのだ。あの踊りが本物の踊りであったからこそ一層観客

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の胸を打ったのだろう。先ほど「風景とダンスとドラマを組み合わせた」と述べたが、出 演者の人選についてもチャレンジして成功させている。監督には先見の明もある。

5.最後に

映画には力がある。人を元気づけ、心を豊かにし、知識を拡げてくれる。今回の取り組 みを通じて改めてそう思った。 さて、7 月 22 日熊本の「Denkikan」を皮切りに、札幌、伊勢、釜石の映画館や映画祭で 「うつくしいひと サバ?」の上映が始まる。監督たちは再度全国行脚を始めるのだろう。 頭が下がる。映画によって被災地支援の寄付が集まれば嬉しいと思う。 最後に、協力してくださった方々、上映会に足を運んでくださった方々、ご寄付をして くださった方々に心からお礼を申し上げたい。本当に有難うございました。また、“映画の 神様”にも感謝したい。

参照

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