巻頭リレー随想 量的世界の中の質的存在 東條加寿子 新年を迎えた。新な気持ちでよい年にしたいものである。 さて、2014 年は英語教育界にとっては激動の年になるだろう。小学校での外国語活動開始時期 の前倒し、小学校高学年での英語の教科化、大学入試改革等々、政策的判断が求められる大きな 課題が目白押しである。その背景に、2018 年問題(少子化)やグローバル化、情報化が渦巻いてい ることは言うまでもない。 「本はたくさん読むな。」 この随想を、旧年中に目にしたこの一節から始めたいと思う。新年なので タイトルも思い切り大上段に構えた。「本はたくさん読むな。」 100 年近く前の新渡戸稲造の言葉を、 哲学者 適菜収が新聞コラムの中で紹介している(産経新聞、2013 年 12 月 13 日「賢者に学ぶ」)。 「黒いインキで書いてあるものを読むだけならば誰でもできる芸当である。スタディということにな るといろいろ批判を下さなければならない。これがよい、これが悪いと判断しなければならな い。・・・ これがなかなかやれない。・・・だから、諸君が読書するには遅くてもいいから、一日に 何ページでもいいから、『この本にはこうあるけれども、どうか』というようにじっと考えてもらいたい」 (新渡戸稲造「読書と人生」) この一節を読んで、即座に想起するのは、今や危険水域に達したとも思える情報社会の進展であ る。適菜は、情報化社会では「あらゆる情報が容易に手に入る」ようになったが、ネット上でいとも簡単 に得ることができる情報は「自分の意見、世界観を補完してくれる」に過ぎないと述べている。大学で プロジェクト型の英語教育に取り組んでいると、思い当たる節がある。テーマを決め、調べて、英語で 発表することを学生に求める中で、教員は情報収集を目的化してしまってはいないか。学生は、自分 の意見を代弁している情報に遭遇することに満足し、他人の世界観を自分の世界観と錯覚してしま ってはいないか。大事なことは、情報の集積や最先端の情報にアクセスすることではなく、情報の価 値を見抜くこと。新渡戸のいう「考え方の芯」を鍛えて、価値判断ができる人間になることである。新 渡戸は、量ではなく質を問えと言っているのだろう。 英語教育にも量と質のせめぎ合いはあろう。例えば、語学習得のためにはクリティカル・マスを超え なければならないと言われている。クリティカル・マス(critical mass)は量子力学でいう臨界質量のこ とであるが、ここでは、「ある域に達するために必要な量」とでも言えばいいだろう。ちなみに、語学習 得のクリティカル・マスは一説には 2000 時間である。一日 12 時間勉強し続けるとして 6 か月の語学 留学に匹敵、週 4 時間程度の学習では約 15 年、年 35 時間程度なら数十年かけても満たない。こ のように見てみると、学校教育の中で量的充足を実現することはかなり困難である。 学校が、新渡戸の言う”スタディ”の場であるのなら、量的なものをばかりを追い求めたり、量的なも の量に甘んじてはいけない。量的なものの限界を知って質的なものへの転換を図る必要があろう。 量的世界の中の質的存在。教育がその質的存在になるとよい。
DSpace at My University: 英語教育リレー随想 48号(2014.1) 量的世界の中の質的存在
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