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万葉集「蒲生野贈答歌」をめぐって

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Academic year: 2021

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吉野和子   万葉集「蒲生野贈答歌」をめぐって はじめに   る。 歌、   る「 で、 筆、 使 い。 る。 る。 ず、 り、 り、 た。 来、 れ、 る。 る。 者、 歌であっても、 個々のことばの意味するところ、 歌の意味するところ、 ど、 く、 る。 の心をより正確に受け止めるのは簡単なことではない。   て、 さ、 さ、 ム、 調 む、 う。 る。 て「 」「 り、 る。 歌そのもののみと向き合うしかない。   一方で、 万葉集の中に複数の歌が載る作者や 『日本書紀』 『続日本紀』 集『 は、 き、 し、 て、 る。 ろ「 め、 く、 である。   稿 ぬかたのおおきみ

万葉集「蒲生野贈答歌」をめぐって

 

 

 

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成蹊人文研究   第二十六号(二〇一八) 天皇)が交わした以下の歌に焦点をあてて考察してみようと思う。 天皇の 生野 に遊猟したまひし時に、額田王の作りし歌 1- 20) あかねさす むらさきの 行き 行き野守は見ずや君が袖振る 皇太子の答へし御歌( 1- 21) 紫のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも   まずは題詞と歌のみで鑑賞する   え、 こんな歌を公表して大丈夫か、 と思うような、 秘密の恋の気配。 子( 皇・ と、 王( の、 の、 る。 668) 日、 地、 る。 り、 す。 野( たいして 守(禁をおかして入ってくる者を取り締まる番人) と言う。 しめ で、 し( 3- 394)」 も( 3- 400)」 る。 の「 者、 で「 」「 使 る。 る。 間「 」( れ、 た。 に、 え、 る。   」、   の、   さ、 さ、 」「 」「 彩、 さ。 る。 い。 時、 れ( )、 で『 た。 し、 か。 む。 い。 し、 や『 察、 た過去の解釈をのぞいてみるとまた異なった状況が見えてくる。

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吉野和子   万葉集「蒲生野贈答歌」をめぐって   重層的解釈と鑑賞   な、 子( る「 乱( 672)」 た。 て、 る。 し、 兄( 智天皇)の歌だろうか。 (以下、万葉集の歌の訓み及び訳は岩波新日本古典文学大系による) 中大兄の三山の歌一首( 1- 13)             いにしへ   しか       あらそ しき と、 た。 神代から、 このようであるらしい。 昔もそうだったからこそ、 今の世の人も、妻を奪いあって争うらしい。 反歌( 1- 14) 香具山と耳梨山とあひし時立ちて見に いんなみくにはら 南国原 時、 に来た印南の国原よ) 従来の説と山容   山、 山、 て、 て、 い。 は「 る。 ろ、 た、 る。 う。 か。 系( )、 は「 が、 ば、 く、 が、 自然であろう。なんとも雄大な楽しい話である。   の、 物、 物、 形、 見、 し、 る。 る( る( 9- 1756)。 る。 山、 山、 る。 200メ の、

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成蹊人文研究   第二十六号(二〇一八) だ。 山、 が、 い。 ち、 山。 い。 が、 い。 く。 ち、 て「 我々もツマをとりあって争うらしい」と考える。   性、 だ。 智、 武、 が、 的、 山、 姿 る。 とんどの注釈書が畝傍山を女性としている。そして 「をし」 「愛し」 て「 」( )「 」( )「 」( 解釈している。引用した新体系では 「をし」 「惜し」 と解釈し、 「畝 る。 山、 山、 る。 山、 とする説(新全集)もある。   「 は「 る。 然、 る。 使 使 え、 い。 と、 伝説であったと考えるのが自然であろう。   お「 は「 使 る。 は「 使 る。 使 い。 使 り、 る。 と「 て、 端( し「 の。 う。 る。 も、 歌「・・・ マ( つ( 2- 153)」 や、 724)紀の国行幸に従駕する夫に、 娘子にかわって作った歌として ・・ は( 4- 543)」 ど、 る。 例、 記、 る。 で「 君・

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吉野和子   万葉集「蒲生野贈答歌」をめぐって 例( 村・ 呂・ る。 を「 る。 り「 も、 る。 り「 た。 い。 そ、 しい。 」としている。   定、 末、 る。 国( の「 」、 国( 沿 の「 る。 呂、 呂、 れ、 る。 う。 や、 代、 代、 う。 末、 か。 く、 る。 し、 合、 容、 使 て、 れ、 れることになったと推定される。 題詞・左注からの考察   巻一の題詞においては、 天皇、 皇子、 皇女の作歌は例外なく「御歌」 は「 れ、 る。 い。 に「 り、 は「 る。 て「 る。 は「 一首」 となっており、 作者名を 「中大兄」 として皇子をつけていない。 ず、 ず「 り、 に、 る。 く、 歌、 る。 調 ず、 り、 い。 ば、

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成蹊人文研究   第二十六号(二〇一八) の歌として挿入したのではないかとさえ言えるのではないか。   も、 る。 は、 る。 が、 く、 れ、 い。 一( 1〜 75) で、 る( 1〜 53ま は藤原京 694〜 710)までの歌である。左注には 『日本書紀』 720) 『類 』(   721年 降、 代( で、 後、 に、 721年 降、 る。 54か 75ま い。 論、 も、 い。 ら、 る。 れる中の歌ではあるが、挿入された可能性は充分にある。   首、 んでいる。 わたつみの豊旗雲に入日さし今夜の月夜さやけかりこそ 1- 15) て、 は明るくさやかであってほしい)   は「 は、 に、 ず。 し、 す。 る。 る。 年( 661) 次、 が、 は「 り、 い。 し、 し、 か。 『日本書紀』に見る天智像から   で『 い。 た『

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吉野和子   万葉集「蒲生野贈答歌」をめぐって う。 し、 と、 は、 疑問をいだきたくなる。主な行跡を以下に書き出してみる。 舒明一三 641) 16)   才、 しのびごと をよむ (正 調 めの記述か) 皇極 645) 20)   鹿、 ろぼす(乙巳の変)   鹿 妻( ず、 たせた。 孝徳 649) ( 24)   変( 娘・ た。 りに、 まだ記録に登場しない天武天皇 《大 生まれている) 孝徳 653) 28) は、 る( 皇はひとり難波宮で没す) 斉明 658) 33) る有馬皇子を紀州藤白坂で絞首する。 661) 36)   路征西、九州に滞在     智即位せず政務を執る (天智六) 667) 42) 二月   母(斉明)妹(間人皇女 孝徳妃) 女( 女・ 妃・ 皇子母) を埋葬 (明日香   牽牛子塚古墳) 三月   飛鳥から近江へ遷都 天智 668) 43) 一月   即位 五月   蒲生野遊猟 669) 44) 十月   中臣鎌足没す(藤原姓を賜る) 671) 46) 一月   大友皇子を太政大臣に任ず 一二月     し、 唐( 618〜 907) す。 し( 663) が( 668) る。 は、 も、 国、

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