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大正大学大学院研究論集39号 002大塚 秀哉 学内学術研究発表会要旨

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Academic year: 2021

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鎌倉時代における小山氏に関する一考察

大 塚 秀 哉 はじめに 平将門の乱で活躍した藤原秀郷の子孫は、東国の各地に在地領主として散在し、有力な武士団を形成していた。そ の秀郷の子孫の中でも、本発表で取り扱う小山氏は政光を始祖とし、秀郷流においては嫡流の立場に位置付けられて いる。そして、小山氏は鎌倉幕府のもとでは下野国の守護を務め、千葉氏や三浦氏と並ぶ伝統的な在地領主の一人と して存在していた。 鎌倉時代の小山氏に関する従来の研究は、和久井紀 明 (( ( 氏が「小山朝政譲状」の記載から小山氏に関連する所領・所 職などについて考察し、小山氏の在地における領主制について論じている。また、松本一 夫 ( 2 ( 氏は著書において、東国 守 護 や 西 国 守 護 の 事 例 を 通 し て 小 山 氏 が 保 有 す る 下 野 国 の 守 護 職 の 性 質 を 考 察 し て い る。 こ の よ う に 小 山 氏 の 所 領・ 所職などの小山氏の勢力基盤などの研究成果は多く蓄積されているが、小山氏の鎌倉幕府権力構造における位置づけ に関する研究成果は少ないように感じる。 本発表では、小山氏の東国社会における位置づけを把握する作業の一環として、まずは、小山氏の動向を把握して いく。そしてそのことを踏まえて、鎌倉時代において三浦氏や千葉氏が大きく衰退させてゆく中で、なぜ小山氏は勢 力を維持することができたのかを考察する。主に『吾妻鏡』に記載が多く動向を把握しやすい朝政・長村を扱う。

学内学術研究発表会発表要旨

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2( 一、小山朝政の動向 小山氏の頼朝政権への参加は、寒河尼が源頼朝の乳母であったことから、末子の結城朝光を伴って頼朝が滞在して いる隅田の陣を訪問し、朝光が頼朝の烏帽子子になることで始まるといわれている。 小山朝政は、伊勢神宮への砂金の献上や、頼朝の子の頼家・実朝の誕生の祝儀を勤めるなど経済力のある御家人と して活動していた。また、誕生の祝儀には千葉常胤や大江広元などの幕府を代表する有力御家人と共に関与している ことから、幕府内において有力な存在であったのである。そして、初期の幕府においては宿老という重要な立場であ り、朝政は実力を持った存在として幕府初期の未発達な政治機構を支える重臣の一人であった。 二、小山長村の動向 小 山 長 村 は、 「 小 山 朝 政 譲 状 ( 3 ( 」 に 見 ら れ る よ う に、 長 村 は 朝 政 よ り 長 村 は 武 蔵 国・ 陸 奥 国・ 尾 張 国・ 播 磨 国 と 広 範 囲に散在している所領及び下野国の「権大介職」や播磨国の「守護奉行職」といった強大な権力基盤を受け継ぐ。 長村の活動としては、将軍家の供奉人や近習・昼番衆に選出されていることから将軍との関わりが確認出来る。ま た、同じ性質を持つとされる三浦氏と仁治二年(一二四一)十一月二十九日に騒動を起こしている。そして、執権北 条時頼の長子の時輔と姻戚関係を結び、北条氏に接近していき立場の安定を図っている。長村が活動していた頃は幕 府内で執権政治の確立から得宗専制への変質の時期であり、そのことが影響し小山氏自体の立場の変化があった転換 期であったといえる 三、小山氏と垸飯 朝 政 期 ・ 長 村 期 に 共 通 す る 事 柄 と し て 垸 飯 の 事 例 が あ る 。こ の 垸 飯 は 主 に 主 従 関 係 を 体 現 し て い る 儀 式 と さ れ て い る 。 朝 政 の 時 期 の 垸 飯 は 一 族 全 体 で 担 当 す る 傾 向 に あ り、 朝 政 は 主 に 垸 飯 を 取 り 仕 切 る 沙 汰 人 を 務 め て い た。 し か し、

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22 頼朝死後、幕府の実権が北条氏に移行していく中で、垸飯もその影響を受け、北条氏中心の儀礼に変質していく。そ のことの影響を受け、朝政の垸飯での関与に剣役の事例が見られ、参加形態に変化が生じる。 長村の時期の垸飯は、執権政治から得宗専制への移行期での垸飯への参加であり、沙汰人を北条氏が独占すること から、朝政の時期のような沙汰人としての関与はないが、御行縢役での参加が確認出来る。朝政の時期のような沙汰 人や剣役などよりは格は下がるが、行縢役として関与し続けており、小山氏の力の大きさを物語っている。 おわりに 朝政の時期では、経済力を持ち、宿老の地位に位置づけられることから、幕府初期の未発達な政治機構を支える重 臣の一人であった。 長 村 の 時 期 で は 長 村 は 将 軍 の 近 習・ 昼 番 衆 な ど を 勤 め る 御 家 人 と し て、 将 軍 に 近 い 立 場 の 存 在 で あ っ た。 そ し て、 北条氏と姻戚関係を持つことにより、北条氏に接近し、立場の安定を図った。長村の活動時期は執権政治の確立から 得宗専制への変質の時期であり、そのことが影響し小山氏自体の立場の変化があった転換期であったといえる。 そして、小山氏の垸飯での関与としては、朝政の時期では沙汰人としての活動が多く見られる。しかし、垸飯が北 条氏中心の儀礼に変質し始めるとその影響を受け、参加形態に変化が生じる。それに対して長村の時期の垸飯は、北 条氏の主催する垸飯への参加という形をとるもので、朝政期のような沙汰人や剣役ではなく、行縢役に限定される関 与であるが、依然として垸飯において役割を持った参加をしている。 以上のように小山氏は幕府初期においては将軍権力を支える有力御家人としての政治的地位を有しており、執権政 治の確立期から得宗専制への移行期では、長村期における垸飯への関与が示しているように、依然として有力御家人 としての地位を維持している。このように小山氏は鎌倉時代を通して、強大な力を持った御家人の一人として存在し ていた。

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23 (()和 久 井 紀 明「 中 世 東 国 の 在 地 領 主 制 の 展 開 ― ― 下 野 国 小 山 氏 に つ い て ――」 (『 地 方 史 研 究 』 二 十 八 号 所 収、 一九七二) (2)松本一夫『東国の歴史的特質』 (岩田書院、二〇〇一) (3)『小山文書』 (『小山市史』史料編・中世所収)

参照

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