1 .はじめに 二〇〇〇年以前、台湾で制作されていたドラマといえ ば 、 主に家庭劇や時代劇であった(岩渕功一、 一九九八、 二九頁) 。 さらに、一九九二年以前、台湾では外国番組のテレビ放送時 間数が限定されていたので、アメリカのドラマが輸入されて も数が限られており、それ以外の国のドラマはほとんど導入 さ れ て い な か っ た。 し か し 一 方、 外 国 の ド ラ マ は 主 に ア ン ダ ーグランドもののビデオとして流通していた。なかでも、 日本ドラマ、アメリカ映画や香港カンフードラマが人気を博 し( 邱 秀 貴、 一 九 八 四 )、 ト レ ン デ ィ ー ド ラ マ、 時 代 劇 な ど の 日 本 ド ラ マ は、 台 湾 で 一 定 の 視 聴 者 を 集 め て い た。 一 九 九 二 年、 C A T V ・「 衛 視 中 文 台 」 が「 偶 像 劇 」 と 呼 ば れ る 中 国 語 吹 替 え の 日 本 ト レ ン デ ィ ー ド ラ マ を 放 送 し て か ら、日本ドラマは台湾で、既存のアン ダ ーグランドものに加 えて、マスメディアによってポピュラリティを獲得した。当 時、台湾では若い視聴者向けの現代的ドラマは多くなかった (岩渕功一、 一九九八) 。その状況下、 『東京ラブストーリー』 、 『 一 〇 一 回 目 の プ ロ ポ ー ズ 』 な ど の「 偶 像 劇 」 の 放 送 は、 ま も な く 一 つ の ブ ー ム を 引 き 起 こ し た( 羅 慧 雯、 一 九 九 六 )。 一 九 九 四 年 以 降、 「 緯 来 」、 「 J E T T V 」 な ど の 日 本 番 組 専門チャンネルが次々と設立され、しかも日本語で最新の日 本ドラマが放送された。かくして、日本ドラマのブームは拡 大していき、吹替えで日本ドラマを放送した衛視中文台の優 位 性 が 低 下 す る に 至 っ た。 つ ま り、 一 九 八 〇 ~ 一 九 九 〇 年 Ⓡ
台湾における日本恋愛ドラマと日本イメージの関係について
︱
李
衣
雲
(東京大学大学院生)代、台湾では現代を舞台とするドラマとして日本ドラマが重 要であったといえる。しかしこの状況も、二〇〇一年以降、 海賊版の強烈な影響の他に、日本ドラマの放送権料が高くて 最新作が購入されにくい(民生報、一九九九/一〇/一五、 第一五面)などの原因で、台湾の日本ドラマの視聴率は次第 に低迷していった。 現在、台湾で放送された日本ドラマに関する研究は、日本 ドラマがマスメディアの力を通じて一種の「日本=発展の指 標」を形成すること、台湾での日本ドラマによる日本文化の 流 行 に 対 す る 影 響 力 な ど が 主 流 で あ る( 李 天 鐸・ 何 慧 雯、 二〇〇二。 李明 璁、 二〇〇三。 岩渕功一、 一九九八) 。 しかし、 それらの論文は、この発展や流行文化の指標を一種の自明な 結果だと見なしたりしているが、このような日本イメージが いかに日本ドラマを通じて形成されたか、ということに言及 していない。岩渕功一(一九九八)は、日本ドラマが台湾の 視聴者を惹きつける理由として文化的近似性、リアルさ、構 成の完全さ、雰囲気や日本ドラマに現われる「美しい日本ア イドル、グルメ、ファッション、消費的物品や音楽など」を 挙げている。しかし、それらはいかに表現されているか、し かもどのような日本イメージを現しているか、についての考 察は不十分なものに留まっている。そこで、本稿は、二本の 日 本 恋 愛 ド ラ マ の 分 析 と 台 湾 視 聴 者 へ の 質 的 イ ン タ ビ ュ ー ( Qual tat ve Interv ew n g (1) ) を 通 じ て、 日 本 ド ラ マ が ど の よ うにして、しかもどのような日本イメージを演じたかという ことを検討する。 調査対象は各種の関連サークル、日本大衆文化の売店の常 連などから抽出された、日本大衆文化に対して好意を抱いて いる対象者二〇名であり、彼/彼女らは視聴者の代表性をあ る程度反映していると考えられる。対象者は男性三人と女性 一七人で、年齢が一六~三三歳である。台湾における日本ド ラマの視聴者の年齢層はおよそ三五歳以下、特に一五~二四 歳 の 学 生 や O L で あ り( 星 報、 二 〇 〇 一 / 四 / 一 〇、 第 八 面 )、 彼 / 彼 女 ら は 視 聴 者 の 代 表 性 を あ る 程 度 は 反 映 し て い ると考えられる。インタビューの内容は、日本ドラマをはじ めとして日本大衆文化に関する経験や感想、日本イメージな どのテーマに関するものである。また、日本ドラマの台湾に おける発展過程と現況を理解するため、ビデオレンタル店を 三 〇 年 以 上 に わ た っ て 経 営 す る 店 主( 対 象 者 A ) と J E T T V の元社員(対象者 D )をインタビューした(表 1 参照) 。 一九八〇年代はじめ、台湾では日本ドラマビデオの視聴者 は主に四〇代以上の女性で、長いシリーズの家庭ドラマや単 発のサスペンスを好む傾向にあった。一九八四~一九八五年 頃には、台湾では日本ドラマの市場が形成され始め、視聴者 も二〇代が主になった。その後、トレンディードラ マ (2) は日本 ド ラ マ の 中 の 主 要 な レ ン タ ル 対 象 に な っ て い っ た( 対 象 者 A (3) )。 先 に 述 べ た よ う に、 一 九 九 二 年、 衛 視 中 文 台 が 日 本 の
表1 対象者の基本データー 対象者 性別 年齢 職種や肩書き A 女 50 代 1970 年代から 30 年間ほど、台北市・汀洲街でビデオのレン タル店を経営してきた。店は約 20 坪である。 D 女 29 1998 ~ 2002 年には、日本テレビ番組専門チャンネル・「JET TV」で PR や支配人のスペシャル・アシスタントとして働い ていた。 F 男 20 大学生、日本語専攻。 G 女 28 日本語の翻訳者。日本漫画やアイドルに関連する同人誌作者。 自らが「Knk kds」のファンサイトやメールマガジンを持っ ている。1998 ~ 2000 年には日本の漫画用品と同人誌の販売 業者・SE 会社の協力を獲得して、対象者 U と台湾最初の古 い日本漫画と同人誌屋を開店していた。その小売店は 2000 年 に SE 会社に売られて、2004 年に閉店した。 H 女 26 芸能記者。『哈日大 FUN 店』などの日本アイドルに關する書 籍の作者。 I 女 19 大学生。日本アイドルグッズ屋の常連。 K 男 22 兵役中。 L 女 24 フリーランス。2000 ~ 2003 年、対象者 H と日本アイドルグ ッズ屋を開店していた。 M 女 16 日本漫画屋やアイドルグッズ屋の常連。 N 女 24 OL。台湾のジャニーズファンクラブのメンバー。 O 女 26 日本にいる台湾留学生。「L’Arc~en~Cel」のファンサイト を持っている。 P 男 17 高校生。アイドルグッズの常連。 Q 女 23 大学院生。 R 女 21 大学生。大学サークル・「ジャニーズ研究社」のメンバー。台 湾のジャニーズ・ファンクラブのメンバーで、日本のジャニ ーズ・ファンクラブでは複数の名義を持っている。 S 女 16 高校生。日本アイドルグッズ屋や漫画屋の常連 U 女 33 高校教師、台湾ドラマ・『流星花園』最初 5 話の脚本家、元『東 森共和国』という CATV 情報誌の「日本ドラマ・コーナー」 の作者 。 V 女 28 PC プログラマー。漫画屋と日本アニメ・グッズ店の常連。 W 女 26 同人誌漫画家。台湾で対象者 X と日本漫画やアイドルの同人 誌のイベントを主催した。 X 女 26 同人誌漫画家。対象者 W と日本のコミックマーケットまでに 毎年に数回参加してきた。 Y 女 32 台湾の漫画家。 Z 女 31 弁護士。日本にいる台湾留学生。ジャニーズ・ファンクラブ では複数の名義を持っているメンバー。
トレンディードラマを放送してから、トレンディードラマは さらに台湾で人気を集めるコンテンツとなった(李天鐸・何 慧 雯、 二 〇 〇 二。 羅 慧 雯、 一 九 九 六 )。 さ ら に 、 台 湾 で 放 送 され、最も視聴者を引きつけた日本ドラマのジャンルが、男 女の恋愛を中心に展開された恋愛ドラマである(対象者 D 。 蔡 雅 敏、 二 〇 〇 三 )。 し た が っ て、 本 稿 は、 一 九 九 二 ~ 二〇〇〇年の間に台湾で放送され、人気を集めた日本トレン ディードラマの中でも、特に恋愛ドラマを分析対象として、 そ こ に 表 現 さ れ、 か つ、 台 湾 の 視 聴 者 に 解 読 さ れ た 日 本 イ メージを検討する。 本 稿 の 構 成 を 説 明 し て お こう 。 ま ず 二 本 の 日 本 恋 愛 ド ラ マ の 分 析 を 通 じ て 、 そ れ らが 共 有 す る 特 性 、 お よび そ れ らが 表 現 し た 日 本 イ メ ー ジ を 探 求 す る 。 次 に 、 日 本 恋 愛 ド ラ マ が 演 出 す る 日 本 イ メ ー ジ を 、「 日 本 」 の イ メ ー ジ 広 告 と 見 な す 視 点 を 示 し 、 さ ら に 、 第 四 節で 日 本 恋 愛 ド ラ マ が 引 き 起こ す 消 費 行 為 を 説 明 す る 。 し か し 、 こ の よ う な 日 本 イ メ ー ジ は ハ ビ ト ゥ ス や 準 拠 図 式 に 基 づ か な い 「 虚 像 (4) 」 で あ る 。 し た が っ て 、 日 本 ド ラ マ を 観 て 日 本 を 訪 ね る 台 湾 視 聴 者 は 、 実 際 の 日 本 に 接 触 し て 衝 撃 を 感 じ る 。 こ れ が 第 五 節 で 検 討 す る 課 題 で あ る 。 2.日本恋愛ドラマの分析 台湾で最も一般視聴者を引きつける日本ドラマは、恋愛ド ラマである。日本恋愛ドラマが台湾で人気を集める原因を、 乱 暴 を 承 知 で 言 い 表 す な ら ば 、 恋 情 を め ぐ っ て 形 成 さ れ る 「 非 日 常 性 」 だ と い え る。 恋 愛 ド ラ マ に 現 れ た 仕 事、 人 間 関 係などの恋愛以外のテーマは、全て愛情を際立たせる背景で しかない。この背景に関する知識の有無は、ドラマが主題的 に表現しようとする「恋愛」の深度に関係するかもしれない が、テクストに対する理解には大きな支障をきたさない。こ れが文化的なギャップという問題を越えて、日本恋愛ドラマ が台湾視聴者に受け容れられた大きな要因であると考えられ る。たとえ ば ドラマ『ビューティフルライフ』について、視 聴者は主人公の病名や病因を理解しなくても、病気の深刻さ を知れ ば 、この悲劇性を理解できる。逆に、文化や民間慣習 を題材とするドラマでは、ドラマで描写された事情を理解し なけれ ば 、そのテクストに感情移入しにくく、視聴を継続す ることに困難が生じるだろう。 本 稿 で は 二 つ の 日 本 恋 愛 ド ラ マ を 分 析 の 対 象 と す る。 ま ず、一九九三年に衛視中文台で放送された『東京ラブストー リー』である。このような日本の都市を舞台にした男女の恋 愛ドラマは、台湾で放送される日本ドラマの主流を成してい る 。『 東 京 ラ ブ ス ト ー リ ー』 は、 台 湾 に お け る 日 本 ド ラ マ・ ブ ー ム の 基 礎 を 築 い た 作 品 の 一 つ で あ り( 羅 慧 雯、 一 九 九 六 )、 二 〇 〇 二 年 ま で 繰 り 返 し 台 湾 の C A T V で 再 放 送され た (5) 。いま一つの対象とするドラマは『ビューティフル
ライフ』である。二〇〇〇年は台湾における日本ドラマ放送 のピーク期であり、合計一二個のチャンネルで九四本の日本 ドラマが放送されている。 J ET T V は二三本を放送 し (6) 、 その中で『ビューティフルライフ』が最も話題性と人気を集 め た 作 品 で あ る( 対 象 者 D )。 こ の ド ラ マ は 二 〇 〇 〇 年 四 月 に J ET T V で放送を終了したが、三ヶ月以内に二度の再 放 送 (7) をみる。その中の一回は、日本ドラマを滅多に放送しな い地上波テレビ局(台視)だったのである。以上、台湾にお ける話題性や人気という観点から、二作品を分析の対象に選 んだ。 研究方法では、映像や物語のテクスト分析法(北澤毅・古 賀 正 義 編、 一 九 九 七 ) に 基 づ い て、 Nap er ( 二 〇 〇 一 = 二 〇 〇 二 ) の 日 本 ア ニ メ の 分 析、 W llamson ( 一 九 七 八 = 一 九 八 五 a 、 一 九 八 五 b ) の 広 告 分 析、 さ ら に F ske ( 一 九 八 七 = 一 九 九 六 ) の テ レ ビ 文 化 の 分 析 方 法 を 参 考 に す る。 特 に Nap er に よ る テ ク ス ト の 展 開、 画 面 の 色 調、 ア イ テ ム 使 用 の 意 味 な ど の 分 析、 W llamson の テ ク ス ト に 隠 れ て い る 意 味 や イ メ ー ジ と 映 像 と の 繋 が り の 解 読、 お よ び F ske が 指 摘 し た テ レ ビ 番 組 の 構 造 的 要 素 で あ る ラ イ ト、 ア ングル、道具などの使用分析を参考にする。 2︱ 1 『東京ラブストーリー』 『 東 京 ラ ブ ス ト ー リ ー (8) 』 は 愛 媛 県 出 身 の 三 人 の 男 女 と 海 外 生活を終えて帰国した一人の女性との恋愛関係を描いたラブ ストーリーである。男性主人公「永尾完治」が、同級生で初 恋の相手「さとみ」と、職場の同僚で積極的にアプローチし てくるヒロイン「赤名リカ」の間で揺れ動くことになる。 このドラマでは、男女主人公がスポーツ用品店に勤務して いるので、日本のサラリーマン生活についてかなり多く描写 されている。 「リカ」は職場において「完治」の先輩であり、 仕 事 に 慣 れ な い 完 治 を 助 け、 主 人 公 た ち の 愛 情 や 人 間 関 係 も、こうした職場でのやりとりを通してある程度変化してい る。そこで繰り広げられる場面では、会社員は新商品販売の 依頼のため小売店に足を運んだり、出荷時にトラブルに巻き 込まれたりする様子が描かれている。また、サラリーマン達 のオフの生活では、仕事が終わった後に、洒落たバーや格調 の高いレストランで食事をすることや、同窓会が畳を使用す る日本風の居酒屋で開かれていたりする。これらの細かな描 写は、一種の「リアルさ」を表現している。 ま た、 F ske ( 一 九 八 七 = 一 九 九 六、 二 二 七 頁 ) は、 登 場 人 物に合わせた衣装が、 登場人物の外観上の 「もっともらしさ」 を 顕 示 し て い る と 指 摘 し て い る。 道 具 な ど も 同 様 な 効 果 を 持 っ て い る。 『 東 京 ラ ブ ス ト ー リ ー』 で は、 前 述 し た 店 の 装 飾は全て細部まで用意され、リアルさを表現している。たと え ば 、 バ ー の 装 飾 で は、 各 種 の 酒 の 瓶 や 華 麗 な 花 が カ ウ ン ターに並ぶ。さらに、登場人物の部屋のデザインも念入りに
その人物の個性に沿ったものが選択され る (9) 活動的で意思が明 快 な リ カ の 部 屋 は デ ザ イ ン が 実 用 的 で、 色 調 に も 青 系 を 採 る。保守的な性格で幼稚園の保母として勤めるさとみの場合 では、家のデザインは質感の柔らかな絨毯や暖色系の色調が 用 い ら れ る の で あ る。 服 装 は、 ド ラ マ の 制 作 当 時 の 日 本 の ファッションを反映しているのと同時に、登場人物の性格を も表現している。リカのズボンはその積極的な個性を象徴し ているが、さとみの長いコートやスカートは、その保守的性 格を示している。このような個性によって組み合わされる服 装のスタイルは、 「陽性=積極的」 (ズボン)と「陰性=内向 的 」( ス カ ー ト ) の 対 比 を 表 現 し な が ら、 人 物 に リ ア ル さ を 与えているのである。 さらに、このドラマはタイトルに 舞台である「東京」を明 記するだけではなく、ドラマの印象的なシーンにも絶えず東 京タワーが登場する。また、三人の主要人物が地方出身のた め、 地方と東京を対比する話題が度々現れ、 「(日本の)東京」 の存在を印象づける。したがって、最初、ドラマが衛視中文 台で中国語の吹替えバーションで放送されたとしても、視聴 者は依然としてこれが「日本」のドラマであることを絶えず 意識させられることになり、画面に現れた街並みが「日本」 で、登場人物の振舞い、服飾やライフスタイルが「日本人」 のライフスタイルだと信じこむことができる。そこで、ドラ マに現れるファッションや消費文化は、 「(日本の)東京」と 結 び 付 い て、 「( 日 本 の ) 東 京 = フ ァ ッ シ ョ ン の 中 心 」 と い うイメージを形成するのである。 また、従来の台湾ドラマの主にセリフで登場人物の考えや 立場を表現する形式と異なり、日本の恋愛ドラマは動作や態 度、小道具の使用という象徴的な意味作用を利用して、場面 が必要とする雰囲気を作り出すことや人物の感情を表現する ことを重視している。たとえ ば 、小道具の象徴的な意味につ いてみると、リカが大雨の中で赤い傘をさし、約束を破って さとみに会った完治を待っているシーンは、 「赤い傘」で「リ カの情熱」を象徴するとともに、その情熱をもって「冷たい 雨 = 完治の約束の違反」に抗議しているといえ る )(( ( 。 以 上 を ま と め れ ば 、『 東 京 ラ ブ ス ト ー リ ー』 は 人 物 の 性 格 に合わせる服装、セットや日常生活の細部まで考えられたう えで、ストーリーにリアルさを与えている。また、撮影技法 や ロ ケ 地 の 選 択 で、 画 面 に 入 念 な 消 費 的 ラ イ フ ス タ イ ル と フ ァ ッ シ ョ ン 感 を 表 現 し て、 「 美 し い 街 = 東 京 」 を 描 写 し て いる。さらに、恋愛感情の繊細な表現によって構築されたロ マンチックな雰囲気は、視聴者の感情的な共鳴を喚起し、視 聴者によるテクストへの一層の感情移入や同一化を促すので ある。 2︱2 『ビューティフルライフ』 『ビューティフルライ フ )(( ( 』は美容師の男性主人公 「沖島柊二」
と車椅子生活の女性主人公 「町田杏子」 との恋愛物語である。 身体に障害があっても、将来の悲劇を見通しても、それでも 二人が愛し合うことを諦めない設定である一方、ドラマは柊 二の事後のモノローグを通して、一種の「運命の定め」のよ うな悲劇の雰囲気を作り出している。 このドラマも登場人物の仕事や日常生活をめぐる描写が多 く登場し、細緻なセット、服装、仕事の内容が具体的なリア リティを支えている。主役の男女は異なった社会的環境のな かで暮らしている。杏子の家は町の商店街の酒屋で、神棚、 畳、コタツといった日本風の小道具が満ちている。これらの 小道具は全て視聴者に対して「日本」への連想を喚起する手 がかりである。他方、柊二は人気美容師で、東京の高級住宅 街 で あ る 青 山 の 美 容 室 で 勤 務 し て い る。 街 並 み の シ ー ン に は、 度 々 お 洒 落 な 大 通 り や シ ョ ー ウ イ ン ド ー、 さ ま ざ ま な ファッションが現れる。美容室に出入りする女性たちの身な りも、日本(当時)の流行の先端を表現している。また、美 容 室 の 内 装 は 大 き な ガ ラ ス 窓 な ど を と り い れ た モ ダ ン な 装 飾、 お よ び 紅 白 の 入 り 組 ん だ 明 る い 色 を 多 用 し て、 一 つ の ファッショナブルな世界観を構築している。これらの流行的 なファッションや街並みは、登場人物が用いる日本語、杏子 の 家 な ど に よ っ て、 「 日 本 」 で あ る こ と を 視 聴 者 に 連 想 さ せ る。さらに、具体的でリアリティあふれる映像は、そのよう な「 日 本 」 が、 「 現 実 の 日 本 」 だ と 視 聴 者 に 信 じ さ せ る に は 十 分 で あ り、 「 日 本 = 流 行 の 先 端 」 と い う イ メ ー ジ を 作 り 出 すのである。 ま た、 『 ビ ュ ー テ ィ フ ル ラ イ フ 』 も 小 道 具 や 色 彩 を 象 徴 的 表現に使う手法を採っている。最も顕著な例は、ストーリー 的に重要な意味づけをなされたアイテム、柊二が杏子に贈っ た赤いハイヒールである。車椅子に頼る杏子にとって、ハイ ヒールは憧れである。実際に使用できないハイヒールは、杏 子の自由に歩きたいという願望を象徴しており、逆にまた、 彼 女 の 足 が 不 自 由 と い う 事 実 を 引 き 立 て る の で あ る。 さ ら に、その鮮明な赤色は生命力を象徴する意味を含む。杏子に 関する色は明るい色を主として、特に赤色がもっぱら使用さ れてい る )(( ( 。これらによって、女性主人公の生の欲望と、それ を 逆 照 射 す る か た ち で 死 の 悲 劇 性 が 強 化 さ れ て い る の で あ る。 そこで、 『ビューティフルライフ』 は 『東京ラブストーリー』 と同様、細緻なセットやロマンチックな雰囲気を重視し、リ アルな画面で深い愛情を視聴者に伝えているのである。 以上をまとめると、 『東京ラブストーリー』や『ビューティ フルライフ』のような台湾で人気を集めた日本の恋愛ドラマ は、さまざまな場面や小道具の象徴的な意味を利用して、ロ マンチックな男女の愛情物語という雰囲気を構築している。 イ ン タ ビ ュ ー か ら 拾 っ て み よ う。 対 象 者 U は『 東 京 ラ ブ ス ト ー リ ー』 に つ い て、 「 リ カ は 完 治 の た め に 、 誕 生 日 ケ ー キ
の蝋燭を一本一本つけながら声をかけるシーンは、すごく美 しい」という例を挙げている。あるいは、対象者 H (女性、 二 六 歳、 記 者 ) は、 「 日 本 ド ラ マ の よ う な 恋 を し た い 」 と 述 べている。また、日本恋愛ドラマはファッション、入念な背 景、ロケ地の美しい撮影などで、一種の「上品感」を視聴者 に感じさせている。たとえ ば 、日本ドラマは「ヒロインがい つも細やかで上品なものを使っているから、私のスタイルの 参 考 に し て い る 」( 対 象 者 U 、 女 性、 三 四 歳、 教 師 )、 「 心 を 動 か す 巧 み な ス ト ー リ ー を よ く 使 っ て い る 」( 対 象 者 N 、 女 性、二四歳、 O L )、 「流れが上手いし、撮影も美しい。脚本 は日常生活のなかの繊細な心の動きをつかんでいる。セリフ は 真 実 味 が 溢 れ て、 共 感 を 覚 え さ せ る 」( 対 象 者 R 、 女 性、 二 〇 歳、 学 生 )。 こ の よ う な 表 現 方 式 は、 登 場 人 物 の 性 格 や 行動にリアリティを与え、一層説得力を持たせてくる。 かくして、日本恋愛ドラマ自体の「上品感」やブランド力 が作り上げられ、日本(恋愛)ドラマを鑑賞するという行為 自体が、 「ハイ=ソサエティな感じ」を付与された行為となっ た。さらに、日本語や日本の象徴的なロケーション、日本的 な建築物などが視聴者に日本を連想させたので、ドラマの表 現したイメージが日本と接続され、高度な消費文化やファッ ションが溢れる「日本」イメージを形成していった。次節で は、台湾の視聴者にとって、このような日本イメージ、およ びそれが持っている意義や作用をさらに検討していく。 3 .日本恋愛ドラマによる「広告」的日本イメージ 前節で述べたように、現代的な生活を背景とする日本恋愛 ドラマは、職場で働く人物造形や実際の風景を巧みに織り交 ぜ る こ と で 説 得 力 あ る リ ア ル さ を 形 成 し て い る。 し た が っ て、 台 湾 の 視 聴 者 は 日 本 恋 愛 ド ラ マ が 表 現 し た 生 活 様 態 や 「日本」イメージを、 「現実の日本」だと信じ込んでいく。つ ま り、 対 象 者 R が 述 べ て い る よ う に 、「 日 本 恋 愛 ド ラ マ は 日 常生活を多く描写しているために、日本人が本当にこのよう な生活をしているかのように思わせやすい」のである。さら に、日本恋愛ドラマに現れたセリフやファッションも、台湾 人の日常生活に持ち込まれて使われる(聯合報、一九九八/ 九 / 五、 第 四 一 面 )。 そ れ に よ っ て、 日 本 恋 愛 ド ラ マ の 内 容 表 現 が 再 現 さ れ、 「 日 本 」 の「 上 品 感 」 も 思 い 出 さ れ る。 同 時に、日本恋愛ドラマによって形成された「日本」イメージ も強化されるのである。 したがって、視聴者は日本への印象を述べる時には、日本 恋愛ドラマの印象を日本イメージに投射することになる。日 本 ド ラ マ に よ っ て、 日 本 は、 「 恋 愛 が 美 し い し、 皆 が 服 装 や 化粧を重視する」 (対象者 H )、「ファッション感が溢れる」 (対 象者 L 、女性、二四歳、日本アイドルグッズ屋の店主) 、「日 本の生活は品が良い。そして、人々は丁寧で、街は綺麗だ」
(対象者 U )とイメージされている。このような 「日本」 イメー ジは、 「夢物語」 (対象者 U )を構築した日本恋愛ドラマが、 台 湾 視 聴 者 に「 日 本 = 上 品 感 」 を 思 わ せ る 主 要 な 根 源 だ と いう論点の立証でもある。 日本恋愛ドラマはロマンチックな雰囲気が溢れる夢物語で あると同時に、リアルな表現で、ドラマに現れた「日本」は 「 現 実 の 日 本 」 だ と 視 聴 者 に 信 じ さ せ た り し が ち で あ る。 そ こ で、 一 種 の 想 像 的 な「 場 」( W llamson 、 一 九 七 八 = 一九八五 a )が作り出されており、そこに完全に浸りきるこ とが可能であろう。対象者 U の日本恋愛ドラマに対する感想 を借用すれ ば 、日本恋愛ドラマは「それが真実だと感じられ た か ら、 ま る で『 実 際 の 商 品 目 録 』 の よ う で あ り、 一 つ の 一二時間の(日本に関する) 『広告』だ」ということになる。 W llamson ( 一 九 七 八 = 一 九 八 五 a 、 二 二 ︱ 二 八 頁 ) に よ れ ば 、「 広 告 は 意 味 の 構 造 を 創 り 出 し て い る の で あ る。 広 告 の「明示的な」機能 ― 『モノを私たちに売りつける』という 規定 ― でさえ、意味過程を含んでいる」のである。換言すれ ば 、広告の目的の一つは、たんなる「製品」に消費者の欲望 を誘発する意味を与えるのである。特に理想的なイメージの 転嫁を通じて、そのイメージと製品の結びつきは、論理的な 関連を持っていなくても、消費者の想像によって生じること に な る。 W llamson ( 一 九 七 八 = 一 九 八 五 a ) は 香 水 シ ャ ネ ル No.5 の 広 告 を 例 と し て、 女 優 カ ト リ ー ヌ・ ド ヌ ー ヴ の 顔 と シ ャ ネ ル No.5 が ポ ス タ ー に 並 置 さ れ る と、 消 費 者 に と っ て女優が持っているイメージが香水と連結されることを指摘 し て い る。 か く し て、 消 費 者 は シ ャ ネ ル No.5 の 所 有 を 通 じ て、女優のイメージが現す意味を獲得できることを信じ、さ らなる消費活動に引きこまれることになる。つまり、消費者 は広告に含まれている象徴的な意味を通じて「理想自我」を 想像し、 しかもその商品と融合して広告が表象する 「理想像」 を 達 成 し た い と 思 う よ う に な る( W llamson 、 一 九 七 八 = 一九八五 b 、二一五︱二一六頁) 。 日本恋愛ドラマも明白に「日本」に意味内容を与えるわけ ではない。日本恋愛ドラマは撮影技法やストーリーで、上品 で美しいイメージを構築している。それによって、視聴者の 憧れを誘発しながら、視聴者にドラマが構築した意味を受け 入れさせる。また、前節で述べた日本恋愛ドラマに使用され た 象 徴 的 な 表 現 手 法 も、 広 告 の 意 味 転 嫁 と 類 似 し た 作 用 を 持っており、 「気分」の創出を促すのである。 W llamson ( 一 九 七 八 = 一 九 八 五 a 、 八 二 頁 ) が 述 べ た よ うに、広告が創出した「気分」と、それと結びつけられた製 品は消費者のなかで同一化される。製品だけを見ても、広告 の創出した「気分」が想起されるようになる。そこで、日本 恋愛ドラマを一種の「広告」と考えれ ば 、ドラマが提示する 意味や感情と結び付けられるのは、日本恋愛ドラマという製 品 や 俳 優 だ け で は な く、 そ の ス ト ー リ ー の 発 生 地・ 「 日 本 」
でもある。俳優や 「日本」 は視聴者に とって、 たんなる 「物」 ではなく、日本恋愛ドラマが作り出す意味を付与された「憧 れ る 対 象 」 に な っ た。 さ ら に 、 W llamson ( 一 九 七 八 = 一 九 八 五 a 、 六 六 頁 ) は、 「 感 情 」 を 記 号 と し て 用 い、 商 品 と「記号としての感情」を結びつけてなんらかの情緒を喚起 することは広告の製作技法の一つであるが、広告がひきおこ したのは本来の感情ではなく、感情という観念でしかないと 指 摘 し て い る。 こ の 点 に つ い て、 日 本 恋 愛 ド ラ マ は ス ト ー リーで、たんなる観念を超える感情の移入、いわゆる登場人 物への同一化を誘発しうる。したがって、日本恋愛ドラマに 現われた「日本」とひきおこされた感情との結びつきは、ド ラマに魅惑された視聴者にとってさらに促されることになる だろう。 日 本恋 愛 ド ラ マ は 、 B ar th es( 一 九 五 七 = 一 九 七 六 ) の 用 語 を 借 用 す れ ば 、 一 種 の シ ニ フ ィ ア ン ( 意 味 す る も の ) と し て 、 「 日 本 、 美 男 美 女 、 フ ァ ッ シ ョ ン 、 恋 」 を 表 現 し て い る が 、 そ の シ ニ フ ィ エ ( 意 味 さ れ る も の ) が 「 ロ マ ン チ ッ ク な 、 フ ァ ッ シ ョ ナ ブ ル 、 ブ ル ジ ョ ア 的 な 、 繊 細 な 」 の で あ る 。 両 者 が 共 に 重 な り 合 っ て 、 一 つ の 「 進 歩 し た 現 代 的 日 本 に お い て 、 ロ マ ン チ ッ クで 優 雅 な 恋 情 」 と い う シ ー ニ ュ ( 意 味 表 象 ) を 形 成 し た 。 さ ら に 、多 く の 日 本 恋 愛 ド ラ マ 作 品 の映 像 が 累 積 す れ ば 、 そ れ ら の シ ニ フ ィ ア ン と シ ニ フ ィ エ 、 お よ び 形 成 さ れ た シ ー ニ ュ は 、 次 第 に 特 定 の ス ト ー リ ー 、 人 物 、 映 像 を 超 え 、 「 日 本 ( 恋 愛 ) ド ラ マ 」 と い う 「 モ ノ 」 に な り 、 し か も 、 ド ラ マ の 制 作 地 や 背 景 で あ る 「 日 本 」 と 連 結 し て い く 。 こ う し て 、 「 日 本 」 自 体 は 一 つ の 前 述 し た シ ニフ ィ エ を 含 む イ メ ー ジ と な っ て い っ た 。 日 本 恋 愛 ド ラ マ が 提 示 し た こ の よ う な「 日 本 」 の 理 想 的 イ メ ージ 、 お よ び そ れ ら が そ な える 伝 播 作 用 は 、 日 本 恋 愛 ド ラ マ に 「 日 本 を 広 告 す る 機 能 」 を 持 た せ て い る の で あ る 。 広 告 の 目 的 は 、「 モ ノ を 消 費 者 に 売 り つ け る 」こ と に あ っ た 。 つ ま り 、 製 品 の 存 在 を 知 ら せ たり 、 製 品 に 使 用 価 値 以 外 の意 味 を 与 え たり す る の と 同 時に 、 広 告 商 品 を 買 え ば 、 そ の 意 味 を 獲 得 で き る こ と を 消 費 者 に 信 じ 込 ま せ て 、 消 費 行 動 を 促 す の で あ る 。 次 節 で は 、 日 本 恋 愛 ド ラ マ は 一 種 の 「 日 本 」 の 広 告 と し て 、「 日 本 」 に あ る イ メ ー ジ や 意 味 を 与 え る と い う 視 点 か ら 、 そ れ ら が 誘 発 し う る 消 費 行 動 を 考 察 す る 。 4 .日本恋愛ドラマが促した消費行為 日本恋愛ドラマが「日本」に関する広告機能を持っている のだとすれ ば 、それらが表す意味はドラマに現われる製品と も結びつけられ、消費者にこれらの使用を通じて、ドラマで 演 じ ら れ て い る イ メ ー ジ を 分 け 合 い た い と 感 じ さ せ、 さ ら に、関連商品の消費欲求ないし消費行動を誘発する。たとえ ば 、『 東 京 ラ ブ ス ト ー リ ー』 が 放 送 さ れ た こ と に よ っ て、 主 役が着用しているレインコートが台湾で流行したことであっ
た( 聯 合 報、 一 九 九 八 / 九 / 五、 第 四 一 面 )。 ま た、 イ ン タ ビューでも「ある製品を日本恋愛ドラマで見たら、非常に使 い た く な る 」( 対 象 者 Q 、 女 性、 二 一 歳、 学 生 )、 「 い つ も 日 本ドラマのストーリーに従って自分の生活スタイルを変えて いく。日本ドラマのために一層日本のことを好きになった」 ( 対 象 者 L ) と い う 意 見 が 聞 か れ た。 対 象 者 H も U も、 日 本 ドラマに現れるファッションに追随したいと報告している。 視聴者は日本恋愛ドラマを観賞すると、登場人物と同一化し たいという欲望が生じる。この同一化のプロセスを通じて、 日本恋愛ドラマが表現した「上品感」や「ロマンチック感」 の達成を期待し、そして、登場人物やドラマに現れる製品の 使用、日本語の学習といった行為を通じて、期待の一部を満 足させていくのである。さらに、 李天鐸 ・ 何慧 雯 (二〇〇二) が指摘したように、日本ドラマに現われたスタイルは、台湾 の日常生活において実践されることができるものである。台 湾の視聴者は欲望が発生した後で、その欲望を満たすために 実 際 の 行 動 = 消 費 を 行 う こ と が で き る。 こ う し て、 一 部 の 日本恋愛ドラマの放送によって、ファッションや商品などの 流行が形成されていくのである。 このような日本恋愛ドラマが誘発した経済活動は外へ拡大 していく。前述した日本恋愛ドラマに現れる製品以外、ドラ マの役者も同様の経済的な波及効果を持っている。ドラマが 表 現 す る 生 活 ス タ イ ル は、 現 実 的 な 欲 望 の 産 物 だ と い え る し、演じられる役柄は視聴者と同一化する対象である。さら に、日本恋愛ドラマは、男女の両主人公を際立たせることに よって、視聴者の憧れ、およびその役柄と同一化願望を強化 し て い る。 Mor n( 一 九 七 三 = 一 九 七 六、 三 七 ︱ 七 四 頁 ) が 述べたように、スター/俳優と芝居の役柄とは相互に浸透し 合い、俳優は役柄の神話的要素やイメージの一部を吸い上げ ることができる。したがって、視聴者の役柄イメージに対す る同一化願望は、それを演じる俳優へ転嫁される。いったん 転嫁されれ ば 、 視聴者のその役柄に対する 「所有したい欲望」 もその俳優自身へと移行していき、視聴者を俳優に近づける ことを促し始めるのである。たとえ ば 、大多数の対象者は、 好きな俳優が演じた他のドラマや関連情報を探していたと報 告 し て い る。 視 聴 者 は 劇 中 の 役 柄 の 代 理 人 = 俳 優 へ の 接 近 を試みて関連情報の収集につとめるだけでなく、次第に視聴 者の興味はもとの役柄とは関係なく、俳優自身に関して他領 域 に ま で 拡 散 し て い く。 た と え ば 、 対 象 者 H は「 最 初『 To heart 』 を 観 た 時 に は、 堂 本 剛( 本 人 ) の こ と が そ ん な に 好 きではなかった。その後、テーマ曲がよいため、彼のアルバ ムを買った。そして、 彼のライブを見にいって、 面白かった。 私 は 段 々 ド ラ マ の 役 柄 で は な く、 堂 本 剛 と い う 人 が 好 き に なっていった。彼が出演する全てのドラマの役柄も可愛く思 うようになった」と述べている。 こ の 発 言 に も 現 わ れ て い る よ う に 、 役 柄 の 代 理 人 = 俳 優 に
接 触 す る過 程 で 、 視 聴 者 の な か で 役 柄 と 俳 優 の 相 互 の 浸 透 は ドラ マ の 放 送 終 了 な ど と 相 ま っ て 、 次 第 に 薄 ら い で い く 。 こ の とき 、 役 柄 と俳 優 の相 互 の浸 透 性 や 代 理 性 を 通 じ て 、 日 本 恋 愛 ド ラ マ が 誘 発 する 欲 望 は 出 演 者 と 関 わ る他 の 経 済 的 分 野 ( た と え ば 、 ア イ ド ル グ ッ ズ 、 俳 優 の 写 真 集 、 ア ル バ ム な ど ) に 拡 散 し て い く こと に な る の で あ る 。さ ら に 、 そ の 俳 優 が ま た 他 の ド ラ マ に 出 演 す れ ば 、 再 び 視 聴 者 を 惹 き 付 け る よ う に な り 、 既 存 の 欲 望 を 維 持 し た り 、 こ れ ま で の 消 費 行 動 が 強 化 さ れ た り す る 上 に 、 新 た な 欲 望 を 作 り 出 し て い く こ と に な る 。 なお、日本恋愛ドラマが誘発した想像や欲望は、もう一つ の 消 費 行 為 ― 日 本 へ の 旅 行 ― を 引 き 起 こ す( 聯 合 報、 一 九 九 八 / 九 / 五、 第 四 一 面 )。 実 景 の シ ー ン を 多 く 織 り 交 ぜ た 日 本 恋 愛 ド ラ マ は、 実 際 に 日 本 に 足 を 運 ん で み る モ チ ベーションを高め、そこで演じられる生活を「真実」である と信じこませるに足りる要素に満ちている。したがって、日 本で、自ら日本恋愛ドラマをイメージの通りに再現したいと いう消費者の欲望をも喚起し、視聴者に日本のロケ地、さら に は 放 送 す る テ レ ビ 局 を 訪 ね さ せ る。 「 日 本 ド ラ マ を 観 は じ めてから、私が最も憧れる国は日本になった。日本ドラマの 人物と同じような O L 生活を夢想していた。最も学びたい言 語は日本語だ。だから最初の旅行の目的地は日本であった」 ( 対 象 者 U )、 「 一 年 に 日 本 へ 六 回 も 行 っ た。 日 本 語 を 学 ん だ り、日本ドラマの服装をまねたりしている。日本ドラマでの 恋愛シーンのロケ地はどんなに遠くても、あの恋愛的雰囲気 を感じるために絶対に訪れにいく」 (対象者 H )のである。 旅行という過程において消費されているのは、視覚的な記 号であり、シミュラークルである。つまり、非日常的な空間 である外国で自分の「想像する異国」を消費することなので あ る( Clammer, 一 九 九 七 = 二 〇 〇 一、 一 九 四 頁。 Urry, 一 九 九 五 = 二 〇 〇 三 )。 こ の よ う な 旅 行 に お け る 時 間・ 空 間 的想像の消費という特性は、日本恋愛ドラマが想像を働かせ るという点と、共通の性質を持っている。それゆえに、消費 者は「想像する異国」を旅行することで、日本恋愛ドラマに よって生じたイメージを消費したり実践したりすることがで きるようにな る )(( ( 。 また、旅行がイメージの消費であるとすると、旅行者が重 視 す る の は、 「 表 層 的 な リ ア ル 性 」( Urry, 一 九 九 五 = 二 〇 〇 三、 二 一 五 頁 ) で あ る。 想 像 の 場 で あ る 旅 先 で、 旅 行 者は多くの文化の記号やイメージを収集する事に熱中するの である。日本恋愛ドラマもこのようなイメージや記号を作り 出 し て い た。 つ ま り、 一 種 の 場 所 ︱ 神 話 の 発 展 で あ る。 Urry ( 一 九 九 五 = 二 〇 〇 三、 三 二 二 ︱ 三 五 二 頁 ) は イ ギ リ ス の湖水地方を例として、場所︱神話の発展を解釈している。 湖水地方は、一八世紀から訪問客とその文学作品、読者、さ らに、英文学の権威ある作家の存在によって、文学の聖地と 自然の聖地とを融合させようと試みられ、固有の場所︱神話
を有する地域として発展し始めた。旅行者はこのような期待 を抱いて湖水地方に行き、文学作品に現れた神話的要素の具 現化やそのロマンチックな感覚を感じ取る。これと同様、日 本恋愛ドラマも視聴者に一種の記号的なイメージ、あるいは 神話的な雰囲気の源泉を提供している。視聴者は日本へ旅に 出て、日本恋愛ドラマのロケ地でドラマの表現内容 ― 文化的 「 上 品 感 」 や ロ マ ン チ ッ ク な 愛 ― を 思 い 出 し た り、 感 じ 取 っ たりするのである。さらに、ドラマの登場人物と同一化した り、その役柄の感覚を分かち合ったりするのである。対象者 U は日本恋愛ドラマを観て日本に 行きたいと思った理由につ い て、 「 私 は 一 種 の『 雰 囲 気 』 を 求 め る た め に 日 本 に 行 き、 自分が主人公となって、街頭を歩いていることを想像するの だ。あのドラマのストーリーは素晴らしいから、私にどうし ても日本へ行ってその雰囲気を体験したいという感覚を生じ させる」と報告している。 さらに、前述したように 、広告は「理想自我」を提供する と 同 時 に、 「 商 品 の 存 在 を 知 ら せ る 」 作 用 を 持 っ て い た。 日 本恋愛ドラマは「日本」の広告として、このような機能をも 持っており、旅行者に旅行代理店やガイドブックなどの媒体 から得た情報(一般の観光ルート)とは異なった訪問地を知 らせるのである。日本恋愛ドラマは日本の現代生活を背景に す る の で、 東 京 タ ワ ー や 大 阪 の 道 頓 堀 な ど の 名 所 だ け で な く、都会の大通り、お洒落な喫茶店、田舎の小さい駅などガ イドブックで紹介されていない場所に特別なイメージを付与 す る。 つ ま り、 旅 行 者 に ガ イ ド ブ ッ ク よ り 広 範 な、 「 日 本 」 に接触ルートや動機を提供しているのである。 5 .想像 と 実像 と のギャップ 日本恋愛ドラマは「日本」の広告として、理想化された日 本イメージを形成し、しかも、消費者にドラマが創り出した 「 雰 囲 気 」 を 感 じ と り た い と い う 欲 望 を 生 み 出 し、 ド ラ マ で 扱 わ れ た 製 品 の 使 用 や ロ ケ 地 へ の 旅 行 を 促 し て い る。 つ ま り、消費者の興味を日本恋愛ドラマから「日本」へ拡大させ るのである。しかし、言うまでもなくマスメディアである日 本恋愛ドラマに現れた「日本」は、映像の処理や選択を通し て形成された、一つのイメージである。さらに、それに対す る台湾視聴者の解読は、ドラマのストーリーや台湾の社会的 準拠図式、他のマスメディアによって形成されてきた日本に 関するステレオタイプなどの産物である。つまり、日本恋愛 ドラマが形成した 「日本」 イメージは、 台湾視聴者のハビトゥ スに基づかない「虚像」でしかない。さらに、広告はあるイ メージを製品と結びつける際に、その製品と他のイメージと の結びつきを排除してしまう。したがって、日本恋愛ドラマ は一種の日本の広告として、日本とあるイメージとの連結を 強化すると同時に、日本自体の多様なイメージを周縁化して
しまう。したがって、視聴者は日本を実際に訪ねて、日本人 や日本の産物に接する時、想像と実像とのギャップによって 破 綻 が 起 き か ね な い。 「 日 本 に は 多 く の ホ ー ム レ ス が い る。 それは日本ドラマには出てこないことだ。びっくりした」 (対 象者 H )、 「街で風俗や高利貸のティッシュを配っている人を 見た。日本の物価は想像できないほど高い。日本ドラマに現 れ る O L の 部 屋 は 全 て 豪 華 過 ぎ る 」( 対 象 者 U 、 R ) と い っ た意見は、こうしたギャップの素直な表明である。また、対 象 者 W ( 女 性、 二 六 歳、 漫 画 家 ) は、 「 日 本 ド ラ マ の た め に 行きたい名所もあるけど、やはり大多数の場所は画像を通し て見る方がより美しい」と述べている。 確 か に、 日 本 恋 愛 ド ラ マ を 観 て 獲 得 し た、 多 く の 日 本 イ メージと、実際に日本に行って獲得した感覚は、ある部分で は同じだといえる。対象者 N 、 U や V (女性、 三〇歳、 技師) が述べた 「日本の美感が繊細だ」 、「店員さんが丁寧だ」 といっ たことである。しかし、やはり実際の日本人と日本恋愛ドラ マの登場人物とのギャップは、旅行者に衝撃を感じさせる。 多 く の 対 象 者 は、 日 本 人 は「 表 裏 が 一 体 で は な い 」( 対 象 者 L )、 「丁寧だけど、本当に何を考えているか、どんな気分か がわからない」 (対象者 N 、 U 、 O [女性、二六歳、院生] ) と 述 べ て い る。 対 象 者 R も、 「 日 本 ド ラ マ は い つ も 繊 細 な 情 緒を繊細なストーリーに沿って描写しているので、日本人が 多分繊細で感情が豊かだと思っていた。しかし、出会った日 本人はほとんど冷たくて、日本ドラマのストーリーが彼らの 身に生じていることとは想像し難い」と回答している。 まず、日本恋愛ドラマは主役の愛情をめぐって発生した人 間関係や事件を軸に構成されているので、主人公は視聴者に よって同一化する対象として、常にプラスの役回りを演じる ことになり、たとえマイナスの役割を振り分けられても、不 可抗力や許容されるべき理由を持っている。また、不誠実な どの好ましくない役柄は、ほとんどの恋愛ドラマでは目立た ない脇役 (あるいは主人公のライバル) として配されており、 視 聴 者 の 同 一 化 過 程 で は 見 落 と さ れ て し ま う。 「 日 本 ド ラ マ にもこんな人がいるけど、こんなものは恋愛ドラマのテーマ で は あ り え な い 」( 対 象 者 U ) の で あ る。 ま た、 テ ク ス ト を 視聴したりする時には、内面的な独白や現実には見えるはず のない場面(たとえ ば 、後ろを向いた表情や一人で家にいる 時の挙動など)を視聴者に見せる。そこで、視聴者は、いわ ば 「神の視点」に立っていることになる。しかし、現実世界 で日本人と接するとき、視聴者はテクスト内の登場人物と同 様、限られた手がかりによって相手の態度や言葉に含まれた 意味を推測するしかない。この推測の過程では、 「神の視点」 に立てるドラマの視聴とは違って、ハビトゥスや社会的準拠 図式などの差異が前景化することになる。それゆえに、日本 人への理解にはギャップを感じる可能性が高まるのである。 以上、現実世界の日本(人)に触れたことによって生じた
「実像」 と 「虚像」 のギャップを論じた。しかし、 たとえ 「虚 像」と「実像」の間に、ある程度の矛盾があるとしても、対 象者の多くは、短期観光での来日であるため、日本恋愛ドラ マからもたらされた「日本」イメージと、日本で実際に見た 光景について、あまり大きいギャップや幻滅を感じていない と報告している。対象者 U は、観光する時には、 「『形式的な もの』しか見えなくて、日本(人)に対して幻滅を感じるわ け が な い。 だ っ て、 物 事 の 表 層 だ け 見 た ら、 ( ド ラ マ と ) あ まり違っているとは思わない」と述べている。この点を考慮 す れ ば 、 想 像 の ギ ャ ッ プ や カ ル チ ャ ー ・ シ ョ ッ ク が 存 在 し て いるとしても、短期滞在タイプの旅行者が見た異国というの は、事実上、旅行者が持っている社会的準拠図式によって想 像された「異国」であり、旅行者が感じたい「想像された異 国」の実践にすぎない。観光サービスの消費は複雑で漠然と し た プ ロ セ ス で あ る( Urry, 一 九 九 五 = 二 〇 〇 三 )。 旅 行 者 の旅行地に対する認識や感覚は、およそ表層のレベルにとど まるものではないだろうか。しかも、認知的不協和の理論を ひくまでもなく、旅行者が望むイメージを保有し続ける傾向 は強いのではないかと思われる。 6 .おわりに 二 〇 〇 〇 年 以 前、 台 湾 で は 若 者 向 け の 現 代 ド ラ マ が 少 な かったが、この需要は主に外国ドラマで埋められた。日本ド ラマは、一九九二年に衛視中文台で放送される前から、すで にビデオレンタルのかたちでアン ダ ーグランドの世界で流通 しており、台湾視聴者は日本ドラマに慣らされていたという 側面がある。そこで、一九九二年に日本ドラマが表舞台に現 れてから、まもなくブームを形成していった。それらの日本 ドラマの中で、恋愛ドラマは主題が愛情にあり、現代的な生 活慣習や社会状況が背景であるので、異文化の視聴障壁が低 く、台湾で最も人気を集める日本ドラマになった。 「 日 本 」 イ メ ー ジ を 作 り だ し た 日 本 恋 愛 ド ラ マ に 関 す る 要 因は、物理的な側面と内容的な側面に分けて理解されるべき である。物理的な側面としては、入念なセットや撮影技法が もたらした映像の完成度の高さ、そして、あらかじめ放送さ れ る 話 数 が 決 ま っ て い る こ と が 挙 げ ら れ る。 放 送 話 数 が 決 ま っ て い る こ と で )(( ( 、 細 か な 物 語 設 定 や 伏 線 な ど に よ っ て ス トーリーの密度が相対的に増す。こうして、日本恋愛ドラマ は、商品としての信頼度が構築されていったのである。 他方、内容表現の側面では、日本恋愛ドラマは象徴的な小 道具の提示の仕方、言外の微細な表情表現、構図の繊細な美 しさなどを通じて、一種の非日常的な「夢物語」を構築して いた。それと同時に、セリフや細緻なセットが日常的な現実 感 を そ な え て い る た め、 視 聴 者 の 生 活 と 重 ね 合 わ さ れ や す く、強い同一化作用を持っている。したがって、日本恋愛ド
ラマに現われた「日本」を「現実の日本」だと信じこまされ 続ける傾向があり、その中で表現されたファッションや都会 の イ メ ー ジ、 現 代 的 な 生 活 を「 日 本 」 と 結 び つ け、 「 日 本 = 発展の指標」というイメージを形成した。さらに、恋愛ドラ マ で 表 現 さ れ た 意 味 が、 「 日 本 」 に も 転 嫁 さ れ て、 台 湾 視 聴 者に一種の理想的なイメージが形成されていった。その意味 で、すでに見たように、日本恋愛ドラマは「日本」のイメー ジ広告を果たしてきたといえる。そこで、ドラマ視聴に とど まらず、ドラマで使われた製品の購買、役柄に対する欲望の 俳優への転嫁、日本への旅行など、消費行為が拡大されてき た。日本恋愛ドラマをめぐり経済的循環が形成され、さらに その経済活動は恋愛ドラマ以外の分野にも拡大していく。 ところが、この「日本」イメージは、事実上映像やストー リーによって作り出された「虚像」に、消費者の主観的な欲 望が投射された想像であり、多面性を含みこんだ現実の日本 ではない。したがって、対象者たちは実際に日本へ旅行した 時には、日本恋愛ドラマと実際の日本との間に存在している ギャップを感じて、日本へのイメージを ダ ウンさせることも ある。ただし、対象者たちのような台湾視聴者は、ドラマな どの大衆文化に関する「日本」と実際の日本とを区別してみ る傾向にある。観光旅行は想像の消費行為である。しかもそ れによって接触した日本は表層的なものに限られ、時間も短 い。したがって、その現実と想像のギャップは、多数の対象 者にとって、 「日本」 イメージの幻滅をもたらさないのである。 しかしながら、日本恋愛ドラマはイメージを販売する「虚 像」であって、ハビトゥスなどに根を下ろすものではない。 したがって、その低い文化障壁(愛情)という要素は、台湾 でブームを起こせるとともに、他国での複製を容易にさせる という面を持っている。それに、二〇〇〇年以前にアジアの ドラマ市場で特別だとみなされていた日本恋愛ドラマの表現 形 式 は 習 得 さ れ う る も の な の で あ る。 事 実、 二 〇 〇 一 年 以 降、台湾では日本恋愛ドラマのようなシニフィアン(美男美 女、愛情やファッション)とシニフィエ(ロマンチックな、 ファッショナブルや精緻な)をそなえた韓国ドラ マ )(( ( や台湾ド ラマが出現し、しかも日本恋愛ドラマと相等の満足を得られ るということで、九〇年代の日本恋愛ドラマが保っていた優 勢が崩れつつある。しかし、韓国ドラマは流行の先端という 「韓国」 イメージを作り出したか、 本国製の台湾ドラマは 「台 湾」イメージをいかに表現しているか、両者と日本ドラマと の比較、 各自の特異性などは、 今後の検討課題となるだろう。 注 ( 1 ) 本稿が行った質的調査は、構造化した質問票ではなく、調 査対象者との研究に関する計画的な相互作用を通じて、いわ ゆる自由回答方式で、研究テーマを掘り下げるのである(北 澤毅・古賀正義編、一九九七) 。 ( 2 ) 日本では、 トレンディードラマの概念は、 一九八八年の「君
の瞳をタイホする!」に始まるとされる。トレンディードラ マとは、スタイリストがセットした衣装、有名なロケ地と音 楽で包装され、美男美女を起用して制作されたドラマである ( 大 多 亮 一、 九 九 六 )。 本 稿 は、 こ れ ら の ポ イ ン ト を そ な え る ドラマに対して、トレンディードラマという用語を援用して いる。 ( 3 ) 邱秀貴(一九八四)はアン ダ ーグランド時代に 台北市民の ビデオレンタルを調査して、日本サスペンス、ラブストーリ ー、時代劇がランキングのトップ 3 を占めていることを指摘 している。しかし、この調査は映画とドラマを分けていない ので、日本ドラマだけの市場状況は明らかにならない。 ( 4 ) 個 人 が 社 会 の 中 で 生 存 し、 行 動 や コ ミ ュ ニ ケ ー ト し た り、 物事を理解したりする時に根拠にするのは、個人が所属する 社会/集団によって形成されたハビトゥスや社会的準拠図式 ( scheme of reference ) で あ る。 こ れ ら は、 同 一 社 会 の 構 成 員でなけれ ば 、即応や理解しにくい共通の特質と暗黙の了解 を 持 っ て い る( Bourd eu, 一 九 八 〇 = 一 九 八 八、 Schutz, 一 九 七 四 = 一 九 九 一 )。 本 稿 で は、 ハ ビ ト ゥ ス と 実 践 感 覚 に 基づいて形成された社会への認識は「実像」 、それに 対して、 ハビトゥスや実践に基づいて作り出したのではない社会的認 識 を「 虚 像 」 と 定 義 し て い る。 ま た、 本 稿 で は、 「 イ メ ー ジ と し て の 日 本 」 が「 日 本 」、 現 実 の 日 本 が カ ッ コ な し の 日 本 というように使い分けている。 ( 5 ) しかも、当時、日本ドラマの新作は大体一時間八〇〇〇ド ル以上であったが、このドラマの再放送権料が半額の一時間 三五〇〇~四〇〇〇ドルまでに達した(民生報、一九九九/ 一〇/一五、第一五面) 。 ( 6 ) 二〇〇〇年の台湾での日本ドラマ放送番組表による計算結 果 で あ る( http://over -t me. dv.tw/drama/drama.ph p を 参 考) 。 ( 7 ) 対象者 D のインタビューに よれ ば 、台湾で日本ドラマの話 題性や人気度の指標は視聴率ではなく、 再放送の回数である。 ( 8 ) 一九九一年一月七日︱三月一八日 (全一一回) 、フジテレビ。 演 出 : 永 山 耕 三、 プ ロ デ ュ ー ス : 大 多 亮、 原 作 : 柴 門 ふ み、 脚本:坂本裕二。キャスト:鈴木保奈美、織田祐二。 ( 9 ) 台湾ドラマと異なり、日本(恋愛)ドラマは部屋のデザイ ンと物置き方などで、役柄の個性を表現することを重視して い る。 た と え ば 、 テ レ ビ 情 報 誌『 月 刊 TVnav 一 月 号 』 ( 二 〇 〇 五 年 一 一 月 二 七 日 ︱ 一 二 月 三 一 日 ) で は、 当 時 に 放 送 さ れ た ド ラ マ・ 『 熟 年 離 婚 』 の 美 術 ス タ ッ フ が、 主 人 公 の 家の客間を「ソファの上に飾られた置物たち。これらは洋子 ( 人 物 名 ) が 自 ら 選 ん で き た も の ば か り。 ほ と ん ど 高 価 な ラ イ ン ナ ッ プ に な っ て い る の だ 」( 六 三 頁 ) と 紹 介 し て、 部 屋 と登場人物の個性との関係を強調している。 ( 10) W llamson ( 一 九 七 八 = 一 九 八 五 a 、 四 八 頁 ) は 広 告 に 使 われた色彩を分析した時に、 色彩が持っている意味の利用は、 商品と広告の記号的表現との結びつきにとって、重要である と指摘している。 ( 11) 二〇〇一年一月一六日︱三月二六日(全一一回) 、 TB S 。 プロデュースと演出:生野慈朗、脚本: 北川悅吏 子 、出演: 木村拓哉、常盤貴子。 ( 12) 彼女の赤い車はその例である。 ( 13) 岩渕功一(一九九八、 三四頁)は、台湾の消費者に とって、 日本はアメリカのような「渇望されて達成したい夢想」では なく、ただ一つの「比較的連想を生みやすい」対象でしかな いと指摘している。しかし、本稿の以上の論述に よれ ば 、視 聴者は日本恋愛ドラマを通じて「日本」に対する憧れを生じ させているのであり、岩渕氏の論点に対しては再考の余地が
ある。 ( 14) あらかじめ話数が固定されている点は日本ドラマの特異性 だ。台湾ドラマは、視聴率によって数百話まで延長可能とさ れることもある。さらに、日本ドラマと比べると、韓国ドラ マの話数も長く、テレビ局にとっても宣伝しやすいし(民生 報、 二 〇 〇 一 / 一 一 / 二 二 c 6 )、 台 湾 視 聴 者 の 視 聴 習 慣 に も合っている。 ( 15) 二〇〇〇年以前、台湾では当時の韓国ドラマが僅かながら 導 入 さ れ て い た が、 視 聴 者 を 惹 き つ け な か っ た( 羅 慧 雯、 一 九 九 六 )。 と こ ろ が、 二 〇 〇 一 年 以 降 に 再 び 導 入 さ れ た 韓 国恋愛ドラマは、注二で述べた日本トレンディードラマの要 素を備えている。さらに、当時、日本ドラマが放送権料の高 さで台湾に輸入されにくいことは、韓国ドラマなどにとって 市場発展に有利な状況ができつつあると言えるであろう。 参考文献 Barthes, Roland(1957=1976) Mythologies, Ed tons du Seu l. 篠沢 秀夫訳『神話作用』現代思潮社 B ou rd e u, P e rr e( 19 80 = 19 88 )L e se ns p ra tiq ue , E dt o ns d e M nu t. 今村仁司・港道隆共訳『実践感覚 Ⅰ 』みすず書房 邱 秀 貴( 一 九 八 四 )『 台 北 市 民 使 用 録 影 機 的 行 為 與 動 機 之 研 究 』 国立政治大学新聞研究所修士論文 C la m m er , J oh n (1 99 7= 20 01 ) C on te m po ra ry u rb an J ap an , Blackwell Pub. 橋本和孝ほか訳『都市と消費の社会学』ミネル ヴァ書房 F ske, John (1987=1996)Television culture, Methuen. 伊 藤 守 ほ か 訳 『テレビジョンカルチャー』梓出版社 岩 渕 功 一 ( 一 九 九 八 )「 日 本 文 化 在 台 湾 」 台 北 : 『 当 代 』 no .12 5 一 四 ︱ 三 九 頁 李 明 璁 ( 二 〇 〇 三 )「 這 裏 想 像 、 那 裏実 践 」『 媒 介 擬 想 』 no .2 遠 流 四 二 ︱ 七 三 頁 李 天 鐸・ 何 慧 雯 ( 二 〇 〇 二 )「 遥 望 東 京 彩 虹 橋 」『 媒 介 擬 想 』 No.1 遠流 一五︱四九頁 羅 慧 雯 ( 一 九 九 六 )『 台 湾 進 口 日 本 影 視 産 品 之 歴 史 分 析 1945 ~ 1996 』国立政治大学新聞研究所修士論文 北澤毅・古賀正義編(一九九七) 『〈社会〉を読み解く技法 ― 質的 調査法への招待』福村出版 Mor n, Edgar(1973=1976) Les stars, Éd tons du Seu l.渡辺淳ほ か訳『スター』法政大学出版会 Nap
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