米中関係の展開
著者
西川 吉光
著者別名
NISHIKAWA Yoshimitsu
雑誌名
国際地域学研究
号
6
ページ
219-238
発行年
2003-03
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00003840/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja国 際地域 学 研究 第6 号2003 年3 月
米 中関係の展開
西 川 吉 光* 219 は じ め に1972 年2 月、ニ ク ソン大 統領 が訪 中 し 、朝 鮮戦 争以来 の両国 の敵対 関 係 に終 止符 を打 つ と と もに、 米 ソニ 極 の冷 戦 構造 を米 中 ソの三 極構 造 に変 容 せし め るこ とに よっ て、“ デ タント と呼 ば れる新 た な時 代 が切 り 開ら かれ た。また こ の年 の秋 に は政 権 発足 間 もな い田 中 角栄 首相 が や はり北 京 を訪 れ、 日 中 関係改 善 の第一 歩 を記し てい る。 か よ う に、冷 戦下 国 際政 治 に とっ て も、 また 日本 外交 にお い て も、1972年 は大 きな 転換 点で あ っ た。 こ の外交 上 の節 目 から丁 度30年 が 経過 し た。 本 稿で は、 過 去四 半世 紀 余 に わた るア メリ カ と中国 の関 係を 振 り返 るこ とに よっ て、 冷 戦 後半 期 及 び ポスト冷 戦 期 にお け る両 国関 係 の変化 を 分析 し、 併 せ て今 後 の米 中 関係 の 動向 を探 っ て み たい。なお、ニ クソ ン訪 中 前後 の動 きに つい て は既 に研 究・ 文 献 も豊富 なた め、 ここ で はニ ク ソ ン失脚 後 を対 象 の起 点 とす る1)。 フ ォ ー ド 政 権 と 米 中 関 係 の 停 滞1974 年9 月、 ウ ォー タ ーゲ ート事 件 に よっ て ニ クソ ン大 統領 は辞 任 に追 い 込 まれ、 後任 に は副 大 統領 のジ ェラ ルド フ ォード が昇 格し た。 ホ ワ イト ハウ スに対 す る 信頼 回復 や同 盟 関 係 の修復 と並 ん で、 米 中関 係 の進 展が フ ォード に課 せら れ た大 きな課 題 で あっ た。75 年12月 、フ ォード はハ ワ イ に おい て 「新 太平 洋ド クト リン (い わ ゆ るフ ォ ードド クト リ ン)」 を発 表し (12月7 日)、 イ ンド シ ナ で の敗 北後 も、 ア メリ カが 孤立 主 義 とアジ ア から の撤退 へ向 かう こ とな く、 同地 域 の平 和 と安定 に 積 極的 に取 り組 む意志 のあ る こ とを明 らか にし 、 引き 続 き太平 洋 国家 とし て留 まる こ とを宣 言し た が 、 こ の発表 に先 立ち 、彼 は中 国 を 訪問 し た。 訪 中の 目的 は、 い う まで もな く対 中 関 係の 促進 を図 るこ と にあっ た。 大 統領再 選 を果 たし た暁 に は、 政権2 期 末期 まで に は中 国 との国 交樹 立 を実 現し た い と の意向 を 密か にニ ク ソン は中 国側 に伝 達 し てい た2)。 ニ ク ソ ンが 実 現 で き な かっ たこ の大 業 に取 り 組 むこ とがフ ォード の使命 で あ っ たの だ。 し かし 、ニ クソン訪 中 後 も台湾 問 題 は依 然 とし て国 交正 常化 を妨 げ る要 因 とし て米中 両国 間 に横 たわ っ た ま まで あ り、 加 え て、中 国 の 側で は周恩 来の 影響力 が低 下し たこ とで、74 年以 降米 中 関 係 は冷却 状 態 に陥っ てい た。 し か もベ ト ナ ムを 喪失 させ た 大統 領 とし て の負い 目 が、 フ ォード の行 動 *東洋 大学 国際地 域学 部教授220 国 際 地 域 学 研 究 第6 号2003 年3 月 を 大 きく制 約 する 要因 とな っ てい た。 大 統領 選挙 を控 え てい たフ ォード は、“ 台 湾切 り捨 て(= ぺ ト ナム の再 来)" が もた ら す世 論 や共 和 党 右 派の攻 撃を恐 れ、 結局 、国 交正 常化 を断念 する3)。 そ の た め、 ニ クソ ンが 中国 側 に約し た76年 まで の米 中正 常 化 は事 実上 反故 とな り、 フ ォード 自 身 の 訪 中 も 悪化 し た両 国 関 係を 改善 に向 か わ せる こ と はで き なかっ た呪 翌76年1 月に は周 恩来 が、また9 月 に は毛 沢 東 が相 次い で死 去し 、 以 後、 中国 国 内で は四人 組 と実務 派 との 激しい 政 争 が繰 り 広 げら れ る よ う になっ たた め、国 交正 常化 問 題 はフ ォード を破っ たカ ー タ ー政権 に引 き継 が れる こ と になっ た。 カ ー タ ー 政 権 と チ ャ イ ナ カ ー ド の 発 動 : 米 中 国 交 正 常 化75 年12 月 のフ ォード訪 中以 後 、米 中 関 係 は停 滞状 態 が続 い たが、 中 国で は77年7 月 の第 十 期三 中 全 会 で 復 権 を果 たし た郵 小平 が、政 権 を掌 握 しつつ あっ た。 彼 は「 アメ リカ の対 ソ交 易 や 技術 援 助 は、北 極 熊 にチ ョ コレ ート の餌 を与 える よう な ものだ」5)等 と述 べ、米 ソ デタ ント を 強 く批判 し 、ア メ リカ に 中国 との関 係強 化 を積 極的 に 働 きか ける よう になっ た。 一 方 のカ ー ター も大 統 領就 任 直 後 の77年2 月 には、中 国 の駐 米 事 務 所長 黄鎮 に対 し、両 国 の関 係正 常 化 をめざ す 意向 を表 明 し てい た 。 もっ と も、 共和 党 政権 の対 中 政策 を、 アメ リ カが中 国に一 方的 に譲 歩し 過 ぎ たと批 判的 なカ ータ ー は、米 中関 係 は より互 恵対 等 で あ るべ き との考 え方 を抱 いて い た6)。また国交 樹 立 の前 提 条件 とし て 中国 が 掲 げた ① 台湾 政府 との外 交 関 係断絶 ②台湾 との防 衛条 約 の破 棄 ③ 台湾 駐 留米 軍 の 完 全 撤 収 とい う三 原則 も、 交渉 上 の ネッ ク となっ た。 特 に バ ン ス国務 長官 は、 台 湾 との 関係 を軽 視し て共 産中 国 に傾 斜 し過 ぎ る こと はモ ス ク ワを刺 激 し、SALT の成 立 を も危う く す る とし て、 アメ リカ がい わ ゆる日 本 方式 を採 用 す るこ と に は反対 で あっ た。 また 発足 当初、 カ ー タ ー政 権 はパ ナマ運 河条 約 の成 立 に全力 を挙げ 、保 守 派議 員 の 反発 を 恐 れて台 湾 問題 に 手 を付け る こ とを 控 えた こ ともあ り、 対 中 関 係は停 滞状 態 が続 い た。フフ年8 月、 北 京 を訪 問 し たバ ン スは米 台 の政 府 間関 係 を残し た米 中正 常 化 を提 案し た が、 郵が 台湾 との 関係 断 絶 を強 く迫 り、 話 合い は進 展し なかっ た7)。 だ が、 第 三世 界 への 影響力 拡 大 や衰 えを見 せ ない軍 備増 強 が原 因 となって 、 アメ リ カの 対 ソ不 信 感 は70年 代 半 ば以 降急速 に高 ま り、また行 き詰 まっ てい るSALT 交 渉 を進捗 さ せ る必 要性 も強 まっ て い た。 そうし た中 、国 家 安 全保 障担 当 大 統領 補佐官 のブ レ ジ ンス キ ーは、 ソ 連 を牽 制 す るた め に 積 極的 に 中国 を活 用 する こ と( チ ャイ ナカ ード) を強 く主 張 し た8)。 彼 はバ ン ス国 務 長 官 の反対 を押 し切 り、米 中 関係 正常 化問 題 とSALT 交 渉 をリ ンケ ージ させ る よう カ ータ ー大統 領 の 説得 に務 め、 ニ ク ソン 訪中 後 、米 中 の関 係 改善 が足 踏 み状 態 の ままであ るこ とを 懸念 す るカ ータ ー もこ のブレ ジ ン ス キー の助言 を容 れ、ソ 連 の拡 張 を抑 え ると共 にSALT 交渉 を促 進 させ るた め、中 国 と の国交 正 常 化 を積 極 的 に推 し進 め るこ と を決意 す る。77 年11月 初 め、 在米中 国 連絡 事務 所 はバ ンスで は なく、 米中 接 近 に熱 心な ブレ ジ ン スキ ー の訪 中 を招 請し て きた。 こ れを受 け、 上 院 がパ ナマ 運 河条約 を批 准し た 翌月 の78年5 月 末、 自 ら訪 中し た ブレ ジ ン ス キーは、「い まや問題 は決 心 す るか どうか だ。 カ ータ ー大 統領 が こ の問題 で 決 心 す れば 、
西川 :米 中関 係の展開 221 解 決 は容易 だ」 と関係 正常 化 を強 く迫 る郵 小平 に対 して 、 中国 の求 め る台湾 との「 断行、 撤 兵、 条 約 破 棄」 の三 原則 を受 入 れ る用 意が あ る こ とを伝 え ると と もに、 ニ クソ ン政 権 が誓約 し た台 湾問 題 に関 す る5 原則 を再確 認し た9>。 さ ら に「安 全 で強 大 な中 国 はア メ リカ の利 益 に叶 う こ と、 強大 な自 信 に満 ち全世 界 の実務 にか かわっ て い る ア メリカ は、中 国 の利 益 に叶 う 」(黄 華外 相 主催 歓迎 晩餐 会) と述 べ、両国 関係 の戦 略的 強 化 を訴 え た10)。さ ら にブレ ジ ンス キ ー は、国交 正常 化 の見 返 り として 、 中 国 が西側 の兵 器や 軍事 技術 を入手 する こ と をアメ リカ とし て容 認 す る考 えで あ るこ とも中 国側 に 示 した11)。 そし て7 月以 降、国 交正 常化 に向 け た米 中協 議 が極 秘裏 に開 始 さ れた。8月 に は日中 平和 友 好条 約 が締 結さ れ、10月 に は郵小 平 が来 日。 こう し た動 きに対 し て ソ連 は国 後 ・択 捉 及び 色丹 島 に師団 規 模 の地 上 軍部 隊 を配備 ・増 強 す る よう にな っ た。 国交 正常 化 に向 け た米 中協 議 は、 アメ リ カ の台湾 に対 す る防衛 兵 器の供 給 継続 問題 が 最後 まで 争点 とし て残 っ た。 し かし 、 インド シ ナ情 勢 の悪 化 を 受 け 、交 渉 の妥 結を急 ぐ中国 が こ の問題 を事 実上 の棚 上 げ とし た こ とで 合 意 が成 立、78年12月15 日 に米 中 の国 交正 常化 が発 表さ れ、 両 国 は反 覇 権 で連携 す る こ と等が 共同 声明 に盛 り込 まれた( 国 交 樹立 コ ミュ ニ ケ)12)。 そし て1979年1 月1 日 を もっ て ア メリ カ は中華 人民 共和 国 を正 式 に承 認 し、米 華相互 防 衛 条約 を 破棄 、 台湾 との国交 を 断っ た。 また1 月 に は郵小 平 副首 相 が訪米 、 ア メ リカ は新 た に中 国 と通 商 協 定 を締 結し た。 これに対 し 郵 は、中 国 西部 にア メ リカが( イラ ン革 命 で喪 失し た 基地 に代 わ る) 対 ソ情 報 収集 拠点 を設 け る こ とを認 め る と共 に、ベ ト ナム 懲罰 の 意向 を打ち明 けた13)。もっ とも、政 府 の 動 き を“ 台 湾切 り捨 で と米 議 会 が反 発し たた め、79 年3 月 に は防衛 的 武 器 の台湾 へ の供与 等 を 認 め る「台湾 関 係法(TaiwanRelationsAct) 」が制 定さ れ、4 月 にカ ー タ ーが これ に署名 し てい る1呪 さ て、チ ャ イ ナカ ード を 背景 にSALTII 締 結 を果た した カ ータ ー政権 で あ るが、国交正 常 化後 も ア メ リカ は中 国 との関 係 をさ らに 深 め てい っ た。一 向 に沈静 化 し ない ソ 連の 第三 世 界へ の攻 勢 に対 抗 す るた めに は中 国 との連 携強 化 は 不可 避 と のブレ ジ ン スキ ーの判 断 を カ ータ ーは重 視 した の であ る。 両 国 学生 ・研究 者 の交 流 促進 に 動 いた ほ か、 カー タ ーは在 米 中国 大 使 と会見 し安 全保 障 に関 す る両国 協議 を 打診(79年5 月)、SALTII 締 結後 の79年 夏 に は郵小 平 訪米 の 答礼 として、モンデ ール副 大 統 領が 訪中 し、貿 易 協定 の締 結 や輸 出 入 銀行 に よる 信用供 与 等 を約 束 す る。 さら にカ ー タ ーは中 国 へ の最 恵国 待遇付 与 を決 断し 、 米 議会 もこ れ を承 認し た。 軍 事 協力 も視野 に入 るよう に なり、 ブ ラ ウン国 防長 官 の訪中 が検 討 さ れ始 め た。 こ うし て79年春∼ 夏 にか けて 、 アメ リカ は中 ソ のバ ラン スを とり両国 を対 等 に扱 う という それ まで の 方針 を放棄 し、 対 中 関 係 を対 ソ関 係 より も優先 さ せ る(notabalancebutatilt) 姿 勢 を強 めて いっ た15)。 他 方、 中国 は ソ連 の支援 を背景 に カ ン ボジ ア に侵攻 した ベト ナム に制 裁 を加 えた( 中 越戦 争:79 年2 月) ほ か、79年4 月3 日 に は、 翌 年4 月11日 で期 限 が切 れ る中 ソ友 好同 盟 相互援 助 条約 を延長 す る考 えのな い こ とをソ連 に通 告 し た。 米 中接 近 に反発 し た ソ連 はベ ト ナ ムや インド への接 近 を一 層深 め、79年 春 に はソ連海 軍 の カ ムラ ン湾 使 用 が恒常 化 す る。4月 に は空 母 ミ ンス クが極 東 へ回 航 さ れた ほ か、SS −20 の極東 配備 も報 じ ら れる等 ア ジ アで も俄 かに 緊 張 が高 まっ た。
222 国際 地域 学研 究 第6 号2003 年3 月 そ の後、 ソ連 のア フガ ニ スタ ン 侵攻 事件 が生 起し た こ とで、 米中 はさ らに 緊密化 の度 合 い を 深 め てい く。事件 直後 、ブ ラウ ン国 防長 官 が急 濾中 国 を訪問 し、 郵小 平 ら と対 ソ戦略 を 協議(1 月5 ∼13 日)。こ れ は米 中 間 で は初 のト ップ レ ベ ルの軍 事会 談で あ り、国 防長 官 の訪 中 も初 め ての こ とで あっ た。 一 連 の会 談 を通し て両 国 は ①(対 ソ を意識 し た)安全 保 障面 で の 協力 の緊 密化 ② 中国 へ の地 質 探 査 用 衛 星 ラ ンド サ ットD の地 上 受 信施 設提供 ③軍 民 両 用 可能 な高 度 技術 の対 中 輸 出 協 議 の 開始 等で 合 意。 武器 の 供与 こ そ見 送 ら れた が、ラ ンド サ ット受 信施 設 は偵察 衛星 等 軍事 転 用 の効 く もの であ り 、 アメ リカ が事 実上 中 国 の軍事 力 強化 を援助 する形 とな っ た。 またブ ラ ウ ン一 行 の 出発 直 前、 カー タ ーは非 破壊 的 な軍 事 機器 の対 中輸 出 を許可 し 、以 後、 中 国 はア メリ カ から の 防空 レ ー ダ ー、 電 子戦 対抗 装 置、無 線 通 信装 置 、輸 送 ヘリ等 の ハ ード ウェ ア入手 が可能 となっ た。 レ ー ガ ン 政 権 と 台 湾 向 け 武 器 輸 出 問 題 米 中 の 国交 が樹 立 され、 ア メ リカ が中 国 を唯 一の合 法 政府 と認 める一 方、 中 国 も それ まで の台 湾 解放 の ス ロ ーガ ンを下 ろし 、 台湾 の祖国 復 帰 による 国家 統一 とい う新 たな政 策 を 掲げ る よ う にな っ た。だが80年 の米 大 統領 選 挙で は、カ ータ ーが 台湾重 視 を唱 え る共 和党 のレ ーガ ン 候 補に 敗 北。レ ー ガ ン は大 統領 選挙 中 から、台 湾 との公的 関 係復 活や米 台 関 係 の発展 を 公言し て憚 ら ず16)、政 権 発 足 後 も、 台湾 向 け武 器輸 出 問題17)を 巡っ て米 中 の 関係 は悪 化 し た。1981 年6 月、 ヘ イ グ国務 長 官が 訪中 し 、対 中武 器売 却制 限 を緩 和 す る用意 のあ るこ とが 伝 え ら れ た。 こ れ に は、 対 ソ牽 制 の狙 い に加 え て、台 湾 への武 器輸 出 を円 滑化 さ せ る意図 も込 めら れ てい た が、中国 側 を納 得 させ るに は至 ら な かっ た18)。同年12 月、レ ーガ ン政 権 は台湾 向 け武 器売 却 の 方針 を 決定 し たが 、 こ れに中 国側 は 強 く反発 、米 政 府 は82年1 月、 ボルト リ ッジ国 務 次官 補 を急 逡 北 京 に 派遣 し て中 国側 の 説得 に当 た らせ る一 方 、台 湾へ のF-X や 高性能 戦 闘機 の輸 出 は行 わ ない こ と とし たが19)、4月13日 に は6 千万 ド ル に上 る軍用 機部 品 の台 湾輸出 に 踏 み切っ たた め、ア メ リカ と中 国 の 間 に は、 ニ クソン 訪中以 来 最大 の緊張 状況 が 生 まれた20)。 そ の た め、82年5 月 に はブ ッ シュ副 大 統領 が 訪中し て事 情 を説 明 す る等両 国 の調 整 が重 ねら れ た 結 果、 ア メリ カ は ①長 期 に わた っ て台 湾 への武 器売 却 を続 け ない ② 台湾 向 けに売 却さ れる 兵 器 は、 その 性能 、 数量 にお い て米 中 国交 樹 立後 数年 間の 水準 を越 えない ③台 湾 への武 器売 却 を 次第 に 減少 さ せ る、 さ らに、 ④ 期限 は明 示 し ない が一定 の期 間を 経た 後、 本 問題 の「 最 終 的 解決 を めざ す」 との米 中 共同 声明( 台湾 コ ミ ュニ ケ)が発表 さ れた(1982年8 月17日 )。 玉虫 色 の コ ミ ュニ ケ に よっ て問 題 の棚上 げを図 り、 ひ と まず事 態 は沈 静化 に向 かっ たが 、 この時 期 を境 にレ ーガ ン 政権 内 部 に は、 対 ソ戦 略上 中国 を 過大 評 価 す べきで はない との考 え方が 強 ま り、辞 任し た ヘ イ グの 後任 で あ るシ ュル ツ国務 長 官 は、 中国 に代 わっ て日 本 をアジ ア政 策 の中 心 に据 え る方針 を打 ち出し た 。 こ うし た ア メリカ の対 中 姿勢 の変 化 に は、 後述 す る中 国 側 の外交 方 針転 換 も影 響し てい た。 もっ と も83年以 降 、皮 肉 に も米中 関 係 は一 転 緊密化 の様 相 を呈 す る ように なっ た。 近代 化 を急 ぐ 中 国 が ア メリ カか ら の資本 や技 術 の入 手 を最 優先 とし 、米 側 も高 度 技術 の対 中輸 出 規 制 を緩 和 さ せ
西 川:米 中 関係 の展開 223 た こ と、 ア フ ガ ニ ス タ ン に お け る ム ジ ャヒ デ ィ ン 支 援 で 米 中 が 共 同 歩 調 を 維 持 し た こ と な ど が そ の 理 由 で あ っ た 。レ ー ガ ン 大 統 領 も対 中 貿 易 の 拡 大 を 重 視 す る 米 商 務 省 の 立 場 を 支 持 し 、輸 出 管 理 上 、 中 国 は そ れ まで の「 共 産 圏 扱 い 」(P 区 分 )か ら「 非 同 盟 友 好 国 扱 い 」(V 区 分 )に 変 更 さ れ た 。1983 年5 月 、 ボ ル ト リ ッ ジ 商 務 長 官 が 訪 中 し 、 高 度 技 術 の 輸 出 規 制 を緩 和 す る と い う ニ ュ ー ス が 伝 え ら れ 、9 月 に は ワ イ ン バ ー ガ ー 国 防 長 官 が 訪 中 し 、米 中軍 事 協 力 の 枠 組 み が 定 め ら れ る と と も に、趙 首 相 訪 米 とレ ー ガ ン 訪 中 が 取 り 決 め ら れ た21)。 そ し て84 年1 月 、 ワ シ ン ト ン で の 趙 紫 陽 ・レ ー ガ ン 会 談 で は 、 米 中 関 係 の 強 化 で 認 識 が 一 致 、 産 業 技 術 協 力 協 定 が 調 印 さ れ 、期 限 の 来 て い た 科 学 技 術 協 力 協 定 が5 年 間 延 長 さ れ た 。次 い で 同 年4 月26 日 に はレ ー ガ ン 大 統 領 の 訪 中 が 実 現 、 こ れ はレ ー ガ ン大 統 領 初 の 共 産 国 家 訪 問 で あ り 、 米 中 原 子 力 協 力 が 仮 調 印 さ れ た 。 規 制 が 緩 和 さ れ た 結 果 、 米 企 業 が 獲 得 し た 中 国 向 け 輸 出 許 可 は1982 年 当 時5 億 ド ル 程 度 で あ っ た も の が 、85年 に は50 億 ド ル に 跳 ね上 が っ た 。また86 年H 月 に は 米 海 軍 の 青 島 寄 港 が 実 現 し て い る。 中 国 外 交 の 変 化 : 独 立 自 主 の 外 交 路 線 米 中接 近 に対し て78年H 月 、 ソ連 もソ越 友好 協力 条 約 を結 んで 中 国 に対 抗す る姿 勢 を示し た が、80 年 代 に入 るや60年代 以 降断 絶状 態 にあっ た ソ連 と中 国 の関 係 に も変 化 が生 じ る よう になっ た。 既 に1971年3 月。 ソ連共 産 党第24 回党 大 会で ブ レ ジ ネフ 書 記長 は 「北 京 の中 傷的 な虚 構 の宣 伝」 に は 断固 反 撃す る と共 に、 両 国 の国家 関係 の 「単 な る正常 化 に と どまら ず、 善 隣友好 関係 の回 復 を もあ ら ゆる 方法 で促 進 する」と演 説、76 年2 月 の 第25回党 大会 で も、「平 和共 存 の原 則 に基 づ く対 中 関 係 の正 常化 の用意 」 に言及 する等 ソ連 サイド は折 り に触 れ両 国 関 係改 善 の働 き かけ を行 って い た。 中 国 側 はこ うし たソ連 の 態度 に 厳し く反発 し てい たが、 その 姿勢 を変 化 さ せた の は文革 の 終焉 と 毛 沢 東 の死 去、 そし て四 つ の近 代化 を めざ す経 済第一 主 義 の採 用で あっ た。 そ れ まで の中 国 の外 交 政 策 は、特 定 の勢力 を“ 主 要敵 ”とみ なし、 そ れに対抗 する 勢力 と の提 携 を図 る とい う考 え方 に 拠っ てい た 。具 体的 にはソ連 を 主要 な 敵 とみなし 、 反 ソ(覇 権) 国 際 統一 戦線 の 構築 に あた る とい う も の であ る。 し かし、 四 つ の近代 化 実現 に は、 長 期 にわ たる平 和 的 な国 際環 境 が必 要で あ り、 そ のた めに は ソ連を も含 めた す べて の国 との平 和共 存5 原則 に基づ く友好 関 係 を保 た ねば なら ない。 さら に 、エ スカレ ート す る米 ソ間 の危 険 な対 立 に 巻 き込 まれる 事態 を 回避 す る必 要 も高 まっ た。 こう し た内 外情 勢 の変 化 を受 け 、 中国 はそ れ までの 考 えを見 直し 、82年9 月 の共産 党 第12回大 会 で は 「 独立自 主 の対 外 政策 」 とい う 新た な 外交 の基 本路 線 を打 ち 出し た。 これ は、 如何 な る大 国 と も依存 関係 を持 たず、 また、 従来 は体制 を 異 に する諸 国 との関 係 準則 であ っ た 内政 不干 渉等 を定 め た 「平 和5 原 則 」を、 社 会主義 国 も含 む すべ て の国 との関 係 に適 用 する こ と等 を骨 子 とす る もので あ る。 既 に79年4 月3 日、 中 国 は期 限 満了 となる 中 ソ同盟 条約 の不 延 長 を ソ連 に通 告 する 際(期 間30年 の同 条約 は満了 の1 年 前 に締 約国 の 一 方が 廃棄 を通告 し なけ れ ば、 自動 的 に5 年間 延長 さ れ るこ と
224 国際 地域学 研究 第6 号2003 年3 月 に なっ て い る)、両国 間 の懸 案事 項 解 決の た めの話 合い を 呼び か け、同年9 月 から モ スク ワ で次 官 級 に よ る中 ソ交 渉 が再 開さ れて い た。 そ の後、 アフ ガニ スタ ン侵攻 事 件で 交渉 は一 時 中 断 を見 た が 、 い かな る前 提 条件 もつ け ずに 両国 関 係 の改善 交 渉を開 始 す る用意 が あ るこ とを 呼び か け たブ レ ジ ネ フ書 記長 のタ シ ケント演 説 (82年3 月24 日) を受 け、同 年9 月の 第12回 共産 党大 会 で胡 耀 邦 総 書 記 は3 大障 害 (中 ソ・中満国 境 へ の ソ連 軍 の駐 留 、ベ ト ナム のカ ン ボ ディ ア侵攻 に対 す る ソ連 の支 援 、 ソ連軍 の アフガ ニ スタ ン駐 留 ) を設 定 し、 対 ソ関 係修復 があ りう る こ とを表明 し た。 そし て82 年10 月 に は第t[可の中 ソ次官 級協 議 が北 京 で 開催 さ れるに至 っ た。 こ の直 後、 ブレ ジネフ が死 去 す るが (H 月10 日)、II 月 に始 まっ た中 国 第5 期 全人 代で 中国 は憲 法 を改 正し 、 そ れ まで あ っ た「 社会 帝 国 主 義」の語 句 を削除 、対 ソ敵意 の 緩和 を示 し た。 そ の後、 ア ンド ロ ポフ の死 去(84年2 月 )、 チ ェ ル ネ ン コの死 去 (85年3 月) と ソ連で は短命 政権 が続 いた が、 その 間 も両国 の次 官級 協 議 は年2 回 の ペ ー スで 続 けら れ、84年 に は経 済技 術協 力 協定 と科学 技 術協 力協 定 が 中 ソ間で締 結 さ れ てい る。 中 ソ関 係 に話合 い の機運 が出始 めた一 方、70 年代後 半 反 ソー色 で 米 中の一 体 化 が進 んだ米 ソ 関 係 に も微 妙 な変 化 が生 まれ る よう に なっ た。83年9 月 の訪 中の 際、ワ インバ ー ガ ーが歓 迎 宴で の スピ ー チで 中 国 との「戦 略的 協力 」 という 言葉 を4 回 も用 いた の に対し 、 張愛 萍国 防 相 は「 中国 は独 立 自 主 の対 外 政策 を遂 行し てい る」と述 べ るの みで 、ア メリ カか ら の技術 協力 に は期 待 す る もの の、「 戦 略的 協力 」に は一 切 触 れな かっ た22)。また84年 の 趙紫陽 首相 訪米 、レ ーガ ン大 統領 の 訪中 に 際 して も、 米 中 関 係 の強化 で は一 致し た ものの 、中 国側 はアメ リカ の対 ソ非 難 に は必 ずし も同 調 せ ず、 む し ろ 中 ソ関 係 改善 の必 要性 を強 調 す る姿 勢 を示 す ように なう たの であ る(米 ソ等 距離 外 交)23)。 こう し て80 年代 半 ば以 降、 米中 関係 はソ連 の 影響 力拡 大 に対抗 する とい う それ まで の「戦 略 的 連携 」 の 色 彩 は 次第 に 弱 まり、 代 わって 「 中国 の 近代 化」 に どう関 わ って い く か という、 より実 利的 な側 面 ( = 経 済・ 技術 ) が強 まりを見 せ る こ とに な る。 ブ ッ シ ュ 政 権 と 第2 次 天 安 門 事 件2 期8 年 のレ ーガ ン政 権 を継 い で、89年1 月、同じ く共 和 党 のブ ッ シ ュ政権 が発 足し た。そ の 北京 駐 在 経 験 から も窺 え るよう に 、ブ ッ シ ュ大 統領 は対 アジ ア外 交 に決 し て無 関心 で はな く、 大 統 領 就 任 直 後 の89年2 月 に は昭和 天皇 の葬 儀 参列後 、 自ら中 国 を訪 れてい る。し かし、 東 欧 情勢 の 急変 と そ れに 伴 うド イ ツ統一 問題 の浮上 、 欧州 通常 戦力 交渉(CFE )や戦 略兵 器 削減交 渉(START) 等 の 軍 備管 理、 冷戦 後 の欧州 の安全 保 障 体制 構築 、 そし てさ ら に90年8 月以 降 は イラ ク の クェ ート 侵 攻 に よ る湾岸 危 機・ 戦争 へ の対 応 等々 政権 発足 直 後 より次々 に生起 する重 要 案件 の対 応 に忙 殺さ れ、 比 較 的 静 穏 に推移 し たア ジア ・太 平 洋地 域 に対 して は本 格的 な政 策 を 展開 す る余 裕を もつ こ とが で きな かっ た。 一 方 、 経済改 革 が 進 み事 実上 の資 本 主義化 が 進展し つ つあ る中 国 国内 にお い て は、 その 弊 害 とし て、88 年 後半 から は20% を越 え る激 しい インフレ に襲 わ れたほ か、 党幹 部 の汚 職 な ど改 革 の矛 盾が 表面 化 し た。 また東欧 革命 や ソ 連に お け るペレ スト ロ イカ の影響 も加 わっ て、改 革 の 波 は政 治 に も
西 川 :米中 関係 の展開 225 広 が り、 一 党独 裁 の政治 体制 に対 する 変 革 を求 め る声が 次第 に 強 まっ た。 改 革派知 識人 や 学生 は 民 主化 の推 進や特 権 廃止 を求 めて 積極 的 な行動 に 出始 め、 方励 之 ら は78年 の民 主化 運動 「北 京 の春 」 の際 に逮 捕・投 獄さ れた魏京 生 ら全 政 治犯 の釈放 を求 める公 開文 書 を 郵小平 に提 出し た(89年1 月)。4 月15 日、学 生 に同情 的 な胡 耀邦 元総 書 記 が(87 年 に解任) 死 去 し た際 に は、 そ の追 悼に 集 まった 学 生 ら の集 団が 彼 の名誉 回復 や民 主化 を求 める大 規 模な デモ を展 開し た。 そ の後 、五 四運 動70周年 や ゴ ルバ チ ョフ 訪中(5 月15日)、さ ら に、「中 国 にお け る重 要 事項 の 決定 は全 て鄙 小平 に委 ね ら れる」 とい う党 の秘 密 決議 を趙 紫陽 総 書記 が 暴露 す る(16 日) 等 の出来事 が 学 生 ・知 識人 ら の運動 を さら に活 発 、 エ スカレ ートさ せ たた め、 こ れ を「 動乱 」 と みなし た党 指 導 部 は5 月20 日、北 京 に戒 厳令 を 発布 し た。 そし て6 月3 日夜、 民 主化 を求 めて 天安 門 広場 に集 う多 数 の学生 、 市民、 労 働者 ら に対し 戒 厳 部隊 の人 民 解放 軍兵 士 が発 砲 、 さら に軍 は装 甲車 を出動 さ せ て彼 ら の強 制排 除 にふ みきっ た た め、 数千 人 の死 傷者 を 出 す流血 の惨事 とな り、 そ の模 様 は衛 星 放 送 を通じ て 一斉 に海 外 に報じ ら れ た(第2 次 天安 門事 件)。4 日 未明 、軍 は天安 門広 場 を制 圧し たが 、 こ の事 件に よっ て改 革・ 開放 政 策 は大 きな蹟 きを 見せ た。 民 主化 に 理 解を示し て い た趙 紫 陽総 書 記 は罷 免 され(6 月24 日)、 後任 に は上 海 市長 の江 沢民 が 選 出 さ れた。「勝利 宣 言」(8 日 李鵬 首 相)を 出し て 動乱鎮 圧 を賛 辞し 、さ ら に は民 主 化運 動 活動家 の逮 捕 ・摘 発や 極刑 を以 て その 動 きを封 じ 込 めよう とする等 「 反体 制」 の名 の下 に言 論、 表 現 の自由 を 圧 殺 する中 国政 府 の姿 勢に は、 世 界中 か ら 激し い非 難 と反 発 の声 が高 まっ た。 事 件後 海 外 に亡 命 し た 改 革派知 識人 も「民 主化 闘争 宣 言」 を出し 、 鄙小平 ・ 李鵬 指 導部 と対立 を 続 けた。 だ が、 新指 導 部 は内政不 干渉 とい う国 際 法 の原則 を楯 に、 諸 外 国か らの 批判 や 経済 制 裁 と真 っ向 から対 決 す る姿 勢 を とり 続け た。 経 済の 自由化 は進 めるが 政 治 の自 由化 は許 そう とし ない 中国 の 強権 姿 勢 に対 す る国 際世 論 の非 難 の 声 に押 さ れて、ブ ッシ ュ政 権 も事 件 翌 日 に は、 ①武器 輸 出 の停止 ② 軍関 係者 の交 流 停止 ③ 在 米 中国 人留 学生 の滞在 期限延 長 等 を 内容 とす る制裁 措置 を 発動 し た(6 月5 日)24)。 また 同じ5 日に は、方 励之 一家 を北京 の米 大 使館 が 匿っ たこ とか ら、中 国 政府 はこ れら の措 置 を内政 干 渉 とし て激 し く反 発し 、不正 報道 を 理由 にAP 通 信 記者 やVOA 北 京支 局長 を国 外 追放 処分 にし た。一 方 、米 政 府 の制 裁措 置 で は不十 分 との 議会 か ら の批判 を踏 ま え、 ブ ッ シュ政 権 は第2 次制 裁措 置 とし て、 次 官 補以 上 の全政 府 高官 に よる対 中 接 触 の停 止 と、 国際 金融 機関 に対 中 借 款 の停 止 を求 める方 針 を発 表(6 月20日)、 天安 門 事件 を契 機 に米 中 関 係 は一 挙に冷 却化 し た25)。 事 態 の改 善 を図ろ う と考 えた ブ ッシ ュ大 統領 は事件 直後、 密 かに ス コ ウ クロ フ ト大 統領 補 佐官 の とイ ー グル バ ーガ ー国務 副長 官 を 密 か に訪 中 させ た(6 月30日)。 こ れ は制 裁措 置 に反 する 行為 で あっ たが、 中 国側 の態 度 は硬 く、 その う えこ の事 実が暴 露さ れ、 人 権抑 圧 の中国 に 融和 姿勢 を 見せ た とし て、 逆 にブ ッシ ュ政 権 は米 世 論 や議会 の強い 反発 を浴 び る 結果 となっ た26)。 ブッ シ ュ は同 年12 月 に も再 び ス コウ クロ フト ら を 特 使 とし て北京 に派遣 し たが、 事 態 打開 の糸 口を 見出 す こ とはで き な かっ た。 その後、 翌90年1 月 に よう や く戒 厳令 が 解除 さ れ、 次い で同 年 夏 に起 き た湾 岸危 機が 、両 国 関係 改 善 を 促す契 機 となっ た。 イ ラ クに対 す る制 裁を 実行 あら し め るた め に は、 常 任理事 国 であ る 中国
226 国際 地 域学研 究 第6 号2003 年3 月 の協力 が必 要 であっ た か らだ。 中 国 は、 イ ラ クに対 する即時 撤 退 要求 、 経済制 裁、 ク ウェ ー ト 併合 無 効 決 議等 に賛 成票 を 投じ た ほか、 対 イ ラ ク武力 行 使容 認 決 議(678 号) につ いて もブ ッシ ュ政 権 の 働 き か け に応 じ 、 賛成 に は回 ら な かっ た が採 択 を棄 権し 、拒 否 権 の 発 動 は思 い 留 まっ た(]] 月29 日)27)。またア メリ カ はカン ボデ ィア和 平 の国 連協議 に 中国 を 参加 さ せる こ とに も成 功し 、両国 の関 係 は 回復 基調 に向 かっ た。 し かし 、冷 戦後 の安 全 保障 が 終 結し た こ とで、 中 国 の国際 的 重要 性 が低下 し た との 考 え 方 が米国 内 に 広 まっ た。 また、 民 主化 の 遅 れ は対 中 ビ ジネス へ の期待 感 を萎 縮 させ、 中 国 の国 防費 増 大 や第 三 世 界 に対 す る活 発 な武 器売 却 政策(SSM ミサイ ルをパ キ スタ ン、シ リア、イラ ン に、SAM ミサ イ ル を リビ ア に輸 出す る) は、 冷戦 後 の安 全 保障 に対 す る重大 な 懸念 材料 となっ た。91 年11月 、 ベ ー カ ー国務 長 官 が訪 中、 李鵬 首 相 や銭 外相 との会談 で ミ サイル輸 出 規 制や 人権 問題 を取 り上 げ たが、 中 国 側 の 姿勢 は固 く、 大幅 な 進 展 は得 られ な かっ た28)。 人 権 問題 が 取 り上 げら れ るこ と を中国 側 は、資 本主 義陣 営 に よ る「和 平演変 」 戦 略 と受 け 止 め警 戒 心 を強 めた が、 そ うし た中国 の頑 な な姿 勢が アメ リカ の人 権擁 護 派 や議会 の 反発 を招 く とい う悪 循 環 が生 ま れた。92年6 月、ブ ッ シュ大 統 領が中 国 に対 す る最恵 国待 遇 の更 新 を決 める と、民 主 党 の大 統 領候 補 者 クリ ント ン は中 国 を甘や か す措置 だ と これを 厳し く非 難 した29)。一 方 、プ ッ シュ 陣営 も間 近 に 控え た大 統領 選挙 を 意識 し て、 過去 の方針 を変 更 しF-16 戦 闘 機150機 の台 湾向 売 却 を決 定 し た(92 年9 月)30)。 こ れは82年 の台 湾 コ ミュニ ケに 反す る措 置で あ り、 反発 し た中 国 はパ キス タ ン へ の ミ サイル(M 一日) 輸 出 で対 抗 す る等両 国 関係 は再 び冷 え込 んでし まう。 か よう に、 新冷 戦下 、武 器 ・ 高度技 術 協力 を軸 に 急接近 を 見 せた米 中 関係 も、 第2 次天 安 門 事 件 を 契機 に後退 に向 かい 、改 革 開放 政 策へ の疑 念・ 不信 感 から 、人 権抑 圧 や非 民 主的 側面 とい う中 国 の 内政 問題 が米 中 交渉 の 重要 テ ーマ とし て取 り上 げ ら れる よう にな る31)。そし て 冷戦 の終 焉 に伴 い、 ア メ リカ に とっ てソ連 の脅 威 に対 抗 す るカ ード とし ての中 国 の価 値 は大 幅 に減 少し 、逆 に 「 中国 の 脅威 」 が 取 り沙汰 さ れ るよう に なっ てい く32)。 ク リ ン ト ン 政 権 と 包 括 的 関 与 政 策92 年 の大 統 領 選挙 の際、 貿易 促進 の ため に独裁 者 を甘 やかし てい る とブ ッシ ュ政 権 の対 中 政 策 を 激し く攻撃 し た クリ ント ンで あ った が、 彼 の政権 第1 期 にお け る中 国 政策 は試行 錯誤 の 連 続で 、一 貫 性 を 欠 く結 果 に終 わっ た。 当初 、 クリント ン政 権 は、 最恵 国待 遇 と人 権問 題 を リ ンケ ー ジ させ て 中 国側 に譲 歩 を迫 る戦 略 を とり 、政 治犯 の 釈放等 人 権状況 の改善 を 条件 に付 し た う えで 最恵 国 待 遇 を更 新 し た(93年5 月)33,。 また8 月 に は、 中国 のパ キスタ ン向 けM-ll ミサ イル輸 出 を 理 由 に、人 工 衛 星 の輸 出 禁止 等経 済制 裁 措 置 の発動 に 踏 み切 っ た。 し かし、 対 中 経済活 動 の振 興 を求 める経 済界 の強い 要望 や 、北 朝 鮮核 疑 惑問題 へ の対 処 か ら中 国 との協 力 が必 要 となっ たこ と、 さ らに「 銀 河号 事件」 や2000年 の オリ ンピ ッ ク北京 招 致失 敗 に よる 中 国 の反米 感 情 の高 まり等 を考 慮し 、 クリ ント ン政 権 は中国 政策 の抜本 的 見直 し に踏 切 り 、1993年
西 川:米 中関 係の 展開 227 9 月 、「 包括 的関与 (comprehensiveengagement )」 と名付 け ら れた新 政 策 を打 ち出 し た3呪 これ は、 あ ら ゆ るレ ベ ルで 広範 な課 題 につ い て中 国 側 との政 府間 協議 を積 極的 に 進 めてい く とい う もので、 ブ ッ シ ュ政権 の対中 政 策 ([ 建設 的 関 与]) を継 承 する と ともに 、米 中 経 済関 係重 視 の意図 も込 めら れて い た35)。 こ れ に基づ き、11月 に はAPEC シアト ル会議 の 際に クリ ント ン・江 沢民 の首脳 会 談が 催さ れ、 翌94 年5 月 末 には再 び最 恵国 待遇 が 延長 さ れ た。 し か も前年 と は一変 し て、 以後 、 最 恵国待 遇 と人 権 問題 を分 離 する 方針が 打 ち出さ れた36)。10月 に は対中 経済 制裁 が 解除 さ れ たほ か、ペ リー国 防 長官 が 天安 門 事件 以 後 の国防 長官 とし て は初 めて北 京 を訪 れ、 両国 の 軍事 交 流推 進、 軍 民転 換分 野 で の協 力 を 進 める等 関 係修復 に動 い た。5年 ぶ りの 米 中軍事 交 流の 復 活 を示 す動 きで あっ た。この 間、1988 年 に は143億ド ル であっ た アメ リ カの 対中 貿 易 額 は94年 に は481億ド ルに まで増 加 し た。 李 登 輝 訪 米 と 第3 次 台 湾 危 機95 年春、 台 湾 の李登 輝総 統 は母 校 コ ー ネル大 学 の同窓 会 に私 人 とし て 出席 す るた め、 アメ リ カへ の 入国 許 可 を求 めて きた37)。し かし米 政府 は こ れを認 めず 、5 月3 日 、国 務 省 は声明 を発表 し、もし ア メ リカ が李 登輝 の訪米 を認 め れば、 た とえ そ れが私的 訪問 で あっ て も「ア メ リカ と台 湾 の非政 府 間 関 係、 中国 と の政府 間関 係 の一 つ の極 め て重 要 な基礎 を損 な う こ とに な る」 と説明 し た。 クリス ト フ ァ ー国 務 長官 も国 連で 銭其 琢 外相 に対 し、 ア メリ カが李 総 統 に入 国 ビ ザを与 え る こと はない と の意向 を直接 伝 えてい た(4 月17 日)。 と ころ が声明 か らわ ず か3 週 間 後 の5 月22日、 クリン ト ン政 権 は一 転 して 李総 統 の非公 式入 国 を認 め る措 置 を決 定。94 年の 中 間選 挙 で共和 党 が 上下 両院 で多 数 を支 配し、 議 会 の外交 へ の影響 力 が 強 まっ た が、 先 の声明 を覆 し て の訪米 許 可 に も、 こうし た議 会 や 台 湾ロ ビ ーの圧力 、 そ れに マ スコ ミ の報 道 が影響 し てい た38)。6 月7 日、李 総統 はロ ス アン ジェ ル ス に到 着、予 定通 り同 窓会 へ の出 席 を果 たし た が、当然 、中 国 はこ の決 定に 強 く反発 し、 遅浩 田 国 防相 の 訪米 延期 等 高官 の相 互 交流 を中 断 し たほ か、駐 米 大使 を 本 国 に召 喚、 さ らに アメ リカ の次 期中 国 大 使 の承認 に も応じ な い 等一 連 の報 復措 置 を打 ち出 し た。 また中 国 は、 コ ーネ ル大学 にお け る 李 登輝 の「 全力 を尽 くし て 不可 能 な こ とにチ ャレ ン ジし てい く」 とい う発 言 を、 台 湾 の独立 を目指 す決 意 表 明 と受 け とめ、米 台 批 判 の キャ ンペ ーン を展 開 す ると と もに 、台湾 を仮想 敵 とし た初 の ミサ イ ル射 撃 演習 を実施 (7 月21∼26 日)、 そ の後8 、10、目 の各 月 に も台湾 付近 の海 域で 三度 軍事 演 習 を行 い 、 緊張 が高 まっ た。 そ の間 、95年8 月末 に は米中 次 官級 会 談 が再 開 さ れ、10 月末 に はニ ュ ーヨ ー クで クリント ン・ 江 沢民 会談 が行 わ れ関係 修復 に向 け て の動 きが 出始 めた が、96年3 月 に台 湾初 の総 統 直接 選挙 が行 わ れた 際、 再 び中 国 は15万人 の軍 隊 を集 結さ せ、 台 湾周 辺 と福建 省 沿岸 で ミ サイ ル発 射 を含 む三 波 の 大 規模 な軍 事 演習 を実 施 した(3 月8 ∼25 日)。 台 湾にお け る総 統 選 挙 の攬乱 、 アメ リ カの出 方 を窺 う こと、 独立 あ るい は現状 維持 を求 め る声 が 強 まりつ つあ る台 湾 に対 し て主 権保 全 の決 意 を誇示 す るこ と等 が その狙 いで あっ た。 こ れに対 し て 台湾 側 は厳戒 態勢 を とり、 ア メリ カ も空母2 隻 (イ ン
228 国 際地 域学 研究 第6 号2003 年3 月 デペ デ ン ス、 ニ ミッ ツ) を含 む大 機 動部 隊 を台湾 近海 に 派遣 し 中国 の動 きを牽制 、 日 本政 府 も「 我 が国 の領海 に極 めて近 い場 所 で もあ り、 万一 の不 測 の事 態 も懸 念し てい る」と憂 慮 の 念 を示 し た(第3 次 台湾 海 峡危 機)39)。 一 方 、米 艦隊 の派遣 を中 国 は非 難 し、 遅 浩田国 防相 の3 月 訪米 を再度 延期 さ せ てア メ リカ に対 す る不 満 を 表明し た が、 そ の後 、 オラ ン ダの ベ ーダで クリ スト フ ァ ー国務 長 官 と銭其 琢 外 相が 会 談 (96 年4 月)、米 側 は「 一 つ の中国 」政 策 の堅持 、台 湾 と は政府 間 関係 を発生 さ せない こ と、 また こ れ まで の三 つの米 中 共同 コ ミ ュニ ケ の遵守 を 確約。 し か も クリ スト フ ァー は外相 会談 前 に、 対 中 最 恵 国待 遇 の延 長 を発 表 する な ど低 姿勢 を打 ち 出し た。 大 統 領選 挙 を控 え る クリン ト ン政 権が 、 こ れ以 上 の中 国 との 関係悪 化 を恐 れた こ とや北 朝鮮 問題 で の中 国 の 協力 が 必 要 だっ た た めで あ る 。96年7 月 に はア ン ソニ ー・レ ー ク安 全保 障 担当 大 統領補 佐官 が訪 中、 こ れ は94年 以 来、 アメ リ カ の最 も地 位 の高 い人 物 の中 国訪 問で あ っ た。 米中 の 広範 な協力 関 係進 展 を訴 えた こ のレ ー ク訪問 を境 に 、 過 去1 年 続い た両 国 の 緊張状 態 は緩 和 へ と向 かっ た(米 中 関係 の改 善 )。11 月 に は クリ スト フ ァー国 務長 官 の訪 中 や、APEC マ ニ ラ会 議 の機会 を利 用し ての クリト ン 江 沢 民 の米 中首 脳 会談 が 実施 さ れ、 両 国 の定 期的 な 高官レ ベ ル の相互 交 流 の実 現に つい て 合 意し た。12 月 に は、2 度 に わた り延期 され てい た遅 浩 田国防 部長 の訪米 が 実現 する 等軍 事 交 流 面 の 動 き も生 ま れ、97 年3 月 に は中国 の軍 艦 が初 めて アメ リカ の軍港 ( サ ンデ ィエ ゴ) に 寄港し て い る。 建 設 的 な 戦 略 的 パ ー ト ナ ー シ ッ プ1997 年2 月、 郵小 平 が死 去し 、 第3 世 代 の指導者 が 中 国 をリ ード する 時代 に 入っ た。 一 方、 ク リ ント ン 政権 は中 国 との関係 改 善 を政 権2 期目 にお け る外 交 の最重 要 課題 に据 え た。 大 統領 選 勝利 直 後 の96年日 月20日 、 クリ ント ン は訪 問先 の オー スト ラリ ア連邦 議 会 で演説 し 、政 権2 期 目 の 包 括的 な アジ ア政 策 を発 表し たが 、 そ の中 で「 クリント ン・ ド クト リ ン」 と呼 ば れ る3 原 則 を提 示 し 、 よ り積 極 的 に中国 に関与し てい く方 針 を鮮 明 にし、 記者 会 見で も「 ア メリ カ の政策 は中 国 を封 じ 込 め、 孤 立 さ せ るこ とで は ない 。 ア メ リカ は友人 とし てのパ ート ナー シ ップ を望 んで い る」 と語 っ た。 同 日 、 クリ スト フ ァー国務 長 官 は北 京 で江 沢民 、李鵬 ら と会談し 、 定期 的 な戦 略的 対 話 を行 う こ とで 一 致 し た。 また97年2 月 の一 般 教書 演 説 で クリト ン大 統領 は、 政 権2 期目 の対 東 ア ジア 外交 の 課題 とし て 、 「我 々 は中 国 と のよ り深化 し た対 話 を 進め てい かな けれ ば なら ない。 孤 立し た内向 きの 中 国 はア メ リ カ と世 界 に とっ て好 まし くない 。 国際 社会 の責 任有 る 活動的 な一 員 とし て正当 な役 割 を果 たす 中 国 こそ 望 ましい 」 と語 り、 中国 との対 話 の 促進 を掲げ た。 そし て オルブ ラ イト 国務 長官 (2 月)、 ゴア 副大 統領 (3 月 )が 相 次い で訪 中し 、97年10 月 に は、 中国 の国家 主 席 とし て は12年 ぶ り とな る江 沢民国 家主 席 の訪 米が 実 現 (97年10 月26日∼H 月3 日)、 米中 首 脳会 談 で は対 立 問題 を 残し な が ら も、 国際 関係 を 巡 る諸問 題 に つい て対話 と交 流を 進 め てい く こ とで認 識 が一 致、 会談 後、 国 際 的課 題 に対処し 、 世 界 の平 和 と発展 を 促進 す るた め、 両 国 間 の
西 川 : 米 中 関 係 の 展 開 229 「 建 設的 な戦 略的 パ ート ナ ーシ ップ の構 築 」 に向 けて協 力 関 係 を深 め るこ と等 をう たっ た米 中 共同 声明 が発 表さ れ た。 また、 両 国間 の 定期 相 互訪 問 、 ホット ラ イ ンの設 置 、 原子力 平 和利 用協 力 協定 の凍 結解 除、 核関 連及 び ミサイ ル技 術 の不 拡 散遵 守等 で も合 意し 、 翌年 の ク リント ン訪 中 も決 まる 等米 中関 係 の新 たな 幕開 け を印 象づ け た。98 年1 月 には コ ーエ ン 国防 長官 が訪中 し 軍 事海 上協 議協 定 を締 結、 そし て6 月 に はクリ ント ン大 統領 が訪 中し 、「 南 アジ ア」「 対人 地 雷」「 生物 兵 器禁止 条 約」に関 す る三 つ の共同 声 明 が発 表さ れ た ほ か、戦 略核 兵 器 の相 互 照準 解除 、 軍事 演 習 へ の オブ ザ ーバ ー 派遣、 海 上 事故 防止 等 の信 頼醸 成措 置 等47項 目 につ いて合 意 が なさ れ た。 さ らに 口頭 な がら、 クリ ント ン大 統 領 は上海 にお け る識 者 と の懇 談会 で、 台 湾問題 に関し て「 三 つ の ノー 」(① 台湾 の 独立 不支 持、 ②「二 つ の中 国」や「 一 つ の 中 国 、一 つ の台 湾」 不支 持、 そ し て③ 国家 とし て の地 位 を要件 と する国 際 機関 へ の台湾 の加 盟 不支 持 ) を 言明し 、 台湾 への 武器 売 却 は継 続 する ものの、 そ の独 立 は認 め ない との立場 を再 確認 し た。 この三 不 政策 の 表明 は中 国外 交 に とっ て は大 きな得点 で あ り、 台 湾 に とっ て は打撃 となっ た に れ が李 登輝 の「 二 国論 」 に繋 がっ た)。 大 統領 は訪 中 の前 に も後 に も他 の どの国 に も立 ち 寄 ら ず、6 月25日 か ら ま る まる9 日 間 を中 国訪 問 だ け に費や し た。 中国 政府 の 強い 要望 に添 っ た措 置だ と言 わ れ るが、 この単 独長 期訪 問 は クリ ン ト ン政権 の対 中 重視 の姿 勢 を示 し す と と もに 、 天安門 事件 以 来 の両 国 の ぎ くし ゃ くし た関 係 を清 算 す る と ともに、 中国民 主 化 の着 実 な進 展 を促 し米 中 関係 の安 定 を めざ そう とする アメ リカ の 意欲 の 現 れで もあっ た40)。他方、素通 り さ れた ば か りか、中 国 での 記者 会 見で も、米中 が一 致 し て日本 に 金 融 シ ステ ム不安 の解 消や 円レ ート の安 定 を求 める等同 盟 国日 本 に与 えた ショ ッ クは大 き く、政 権 発 足 当 初 と は著し く様変 わり し た ク リン ト ン 政権 の対 中 傾 斜 ぶ り に は、米 国 内 か ら も批 判 が 呈 さ れ た41)。 ア メ リ カ ー 極 支 配 へ の 反 発 し か し、 こ うし た復 縁 も冷戦 期 の再 現 とは なら ず、 そ の後 も米 中間 に は ぎ くし ゃ くし た状 態 が続 い た。98 年末以 降 、中 国 にお け る野党 「民 主党 」 への弾 圧 や気 功 集団 「 法輪 功」 の 取締 り・ 非 合法 化 が世 界 の耳 目 と批判 を 集 めた一 方、 ク リント ン 政権 がTMD (戦 域 ミサ イル防 衛)及 びNMD (国 家 ミサ イル 防衛 )計 画 を発表 す るや(99年1 月 )、 戦略 バラ ン ス を覆 そ う とす る もの だ とし て中 国 は こ れを非 難、また99年3 月、コ ソ ボ紛 争でNATO 軍が 空爆 を 開始し た が、国家 主権 の 原理 を重 んず る中 国 は、 アメ リカ一 極 支配 へ の警 戒 から対 米批 判 を強 め、同 年5 月7 日 、ベ オ グラ ード の中 国大 使 館誤 爆 事件 で そ れは頂 点 に達し た。 ア メリ カ は古い 地図 を 用い て攻 撃 目 標 を定 めてい た た め と釈 明 し たが 、中国 側 は納 得せ ず、怒っ た 若者 ら が米 大 使館 や領 事 館 に押し か け た。こ の間、4 月 に は朱 鎔基首 相が訪 米 した が、中国 のWTO 加 盟問 題 で一 定 の進 展 は見 た もの の、一度 公表 さ れ た共同 声 明 が中 国 側 の抗 議 で修正 され て再 公表 さ れる とい う事 態 となっ た。 さ ら に、米 議 会下 院共 和党 のコ ッ クス議 員 が中 心 となっ て、中 国 との国 家安 全保 障 上 の問題 点 を
230 国際 地域学 研 究 第6 号2003 年3 月 検 討 し た報 告書(通 称「 コッ ク ス報 告書 」)が99年1 月に採 択 さ れ たが(5 月25日全 面 公 表)、 そ こ で は ①3 年以 内 に中 国 は核 弾頭 装 着 の移 動式 ミサ イル を取 得 する 見込 み で、 そう な れ ばア メ リ カ の 現 有核 戦 力 と同 等 の先端 兵 器 に よって 米国 を攻 撃で き る能力 を保 持 する こ とにな る、 ② 中 国 政府 は20 年以 上 に わ たり アメ リカ の軍 事 技術 窃 取 を続け てお り、 ア メ リカ が保有 す る7 種類 の核 弾 頭 と再 突 入 装置 に関 す るデ ータが 盗 ま れた こ と、な かで もト ライ デン ト型 原 子力 潜水 艦搭 載 のMIRV ミサ イル(D-5 )に装 着さ れて い るW-88 弾 頭 の技術 が中 国 に渡 っ た こと で、 アメ リ カが 開発 中 の ミサ イ ル 防 衛 シス テ ムに よって も迎 撃 困 難 なMIRV ミサ イ ル を中 国 は取 得 し 得 る こ と ③米 国 の核 兵 器 関連 研 究 所 の防 諜 活動 の不 備 や 技術 輸 出 管 理 の不徹 底 が 技 術 の 漏 洩 を もた らし た こ と等 を 指 摘 し た42)。 こ の報 告 書 を裏づ け るかの よう に、99年12月 には、 ロ ス ア ラモ ス国立研 究 所 の 中 国人 科 学 者 リ ー氏 が核 弾頭W-88 の 技術 情報 漏 洩事 件 で逮捕 さ れ る とい う 事 件 が発 生 し、 ア メ リ カ 市民 の 反中 意識 は高 まっ た。 もっ と も、APEC の場 を利 用 し ての ク リント ン・江 沢民 会 談 (99年9 月: オー クラ ンド ) で関 係 修 復 が図 ら れ、11 月に は中 国 のWTO 加 盟 に関 す る米 中 合意 が 実現 し たが 、「歴 史 は繰 り返 す」か の 如 く、共 和 党大 統 領候 補の ブ ッ シュ・ジ ュニ アは、 クリン ト ン政権 の対中 外 交 を軟弱 だ と非 難 し た。 ブ ッ シ ュ ・ ジ ュ ニ ア 政 権 と9.11 事 件 クリ ント ン政 権 が中国 を“(戦 略的 )パ ート ナー”と位 置づ けた の に対 し、2000年1 月 に誕 生し た 共 和 党 のブ ッ シュ・ジ ュニ ア政 権 は、 大 統領 選挙中 か ら中国 を戦 略的 な “競争 相 手(competitor )" と捉 え、 また台 湾 防衛 の意 志 を強 調 す る等中 国 には硬 い 姿勢 を示 し た。一 方 、同 政 権発 足 後 の01年3 月 に は銭其 琢副 総理 が 訪米 し、中 国 の対 米重 視姿 勢 を伺 わせ た。オ リン ピ ッ ク誘 致 やWTO 加 盟 、 上 海 で のAPEC 開 催等 重 要案 件 の成 否 にア メリ カの協 力 が不 可 欠な た めであ る。 し かし 、 そ の直後 に起 きた米 軍 偵 察機 衝突 事件 で、米 中 関 係 は悪化 す る。2001年4 月1 日、 中 国 内 陸部 を偵 察中 の米 海軍 の電 子 偵 察機EP-3 が追跡 し て きた中 国 軍戦 闘 機 と空中 接 触 し、 中 国 軍 機 は墜落 し て パ イロ ット は行 方不 明 、米 軍 機 は近 くの海 南島 の軍 用 飛行 場 に緊 急着 陸 す る とい う事 件 が発 生し た(「海 南島 事件 」)。 中 国 側 は米 国人乗 員 を拘 束 す る とと もに、米 軍 機 は中 国 主権 下 に あ る 排 他的 経 済 水域 の上 空で 国 際法 違 反 の通 信 傍受 を行 っ てお り、 また米 軍機 が 故意 に 急旋 回し た た め 中国 機 との衝 突 を招 い た とし て謝 罪 と補 償 をアメ リカ に 要求し た。 こ れに対 し米 側 は、 衝突 は中 国 軍機 の 挑 発行 為 が 原因 だ と反論 、乗 員 と機体 の返還 を求 め、中国 の求 め る謝罪 と補 償、米 側 の乗 員、 機体 返 還 要求 が 衝突 し、 両 国関 係 に緊 張 が走 った。4 月10 日、 アメ リ カが中 国 の要 求 に応 じ る格好 で 謝罪 文 を提 出 し た こ とで事 態 は沈 静 化 に向 かっ た が、 謝 罪 や帰 責 の内容 は曖昧 で 、パ イロ ットが行 方不 明 に なっ た こ とや許 可な く緊 急 着 陸し た 点 に米 側 が「 遺憾 の 意」 を表 し。 中 国側 が こ れを偵 察行動 に対 す る謝罪 と受 け 止 め米 人 乗員 を解 放 す る という “玉 虫 色 の解決 ” であ っ た。 米 側 は事 故責 任 につ い て は全面 的 に否 定し、 中 国 の求 め る偵 察 活 動の 停止 に も応 じな か っ たた め、 そ の後 も米 中 の対 立状 態 は 続い た。
西 川: 米中関 係 の展開 231 し か も、 ブ ッ シュ大 統 領 は1992年以 来 最 大規 模 の台湾 向 け 武器 売却 を決定 す る(4 月24日 )。 台湾 が強 く求 め てい た イ ージ ス艦 は 含 め ず中 国 側 に一 定の配 慮 は示 し た が、4 隻 の キッド 級 駆 逐艦 や8 隻の デ ィー ゼ ル潜 水艦 、12機 のP-3 対 戦 哨戒 機、MH-53 掃 海 へ り等総 額4a 億ド ル以 上の 売却 を許 可 し た。 さら にブ ッ シュ大 統領 は、台 湾 が中 国 か ら攻撃 さ れた場 合 、 台湾 を守 るた めに は何で もす る と 言明し 、米 軍 の武力 介 入 を公 然 と明 ら か にし た(4 月25日)。 アメ リ カ は台 湾 関係 法で 事 実上 の同 盟 関 係 を継 続し つつ、 武力 介入 に つい て は言 明し ない という 「戦 略 的 曖昧 さ」 の政 策 を とっ て き た が、 これ を覆 す もの とし て この 発 言 は波紋 を呼 んだ。 こうし た米 側 の 姿勢 に反 発し た中 国 は、米 側 の機 体 返還 要求 に応 じ ず、EP −3 を敢 え て解 体し た ほか、 巨 額 の賠 償金 も要求し た。 但 し、 こうし た 厳し い対 中 姿勢 を もっ て、 ブ ッ シュ・ ジ ュニ ア の対中 政 策 が前 政権 の それ と は断 絶 し た異質 な性 格 を帯 びた もの と即 断 する こ とはで きな い。2001年6 月、 下 院国 際関 係小 委員 会 で の証 言 で ジェ ー ムズ・ ケ リー国 務 省 東 アジ ア太平 洋 担当 次官 補 は、 地 域 への影 響力 行 使 の観点 から 中国 ぱ 競 争 相手 ”で はあ る が、 ア メ リカ は中 国 を“敵 ” と は見 なし て いな い と説明 し た。 さ らに ケリ ー は「 アメ リカ は中国 との関 係 を アメ リ カの国 益追 求 の観 点 から 築 く」 と前 置 きし たう えで 、 中国 と建設 的 な関 係 を発展 さ せ、 地 域 の平 和 と安 定、繁 栄 等米 中 共通利 益 を追及 し てい く との考 え を述 べた。この 発言 に は、4 月 の衝突 事 件 を踏 まえ、対中 関 係の 沈 静化 を 図 ろう とす る意図 も含 ま れ て はい るが、 と同 時 に、ブ ッ シ ュ・ ジ ュニ ア政 権 の基本 的 な対 中 姿勢 を読 み取 るこ と もで き る。 そ れ は、 中 国 を敵で もなけ れ ば同 盟国 で もな く、 対立 する場 合 も生 じ る が、逆 に 経済分 野 等相 互 利 益 を期 待で き る関係 で もあ る こ とを冷 静 に 捉 えたう えで 、 あ く まで もア メリ カの 実利 (国 益) に 即 し た現 実的 な 視点 から米 中 関係 を捉 え よう とする姿 勢で あ る。 硬軟 の 程 度差 はあ っ て も、 政 権発 足 後 のプ ッ シュ・ジ ュニ アの対 中 政 策 も、「 戦 略的 パ ート ナー」とし て中 国 を捉 えた前政 権 の「関 与」 政 策 が 基本 的 に は踏 襲 さ れ て い る と言 う こ とが で き よ う。2008年 の オリ ンピ ッ ク北 京 開 催 に プ ッ シュ 政権 が反 対 しな い との 方針 を打 ち 出し た こ とや、 電話 で の 米 中首 脳 会 談 実施 を受 け、7 月 に はEP-3 が返 還 さ れ、 また同 月下 旬 の パ ウエ ル国務 長 官訪 中 を契 機 に、米 中 関 係 は修復 に向 かっ た。 さ ら に9.11 事件 を契 機 に、 米 中間 の 協調 的 側面 は一 挙 に 強 まっ た。 対 テ ロ政 策 を推 進 す るブ ッ シュ ・ ジュニ ア 政権 とし て は、 中国 の 協力 取 り付 け が必 要 とな っ たか らだ。 ブ ッ シュ 大統 領 は事件 後 、 早速 江 沢民 主席 に自 ら電 話 を かけ て、 反 テロ 結束 の協 力 を 求 めた ので あ る。 新 疆 ウ イグ ル自 治 区 の分離 独立 をめざ す イ スラ ム過 激 派勢力 の活動 に悩 まさ れる 等少 数民 族 の分 離 独立問 題 を抱 え て い る中 国 とし て も、 イ ス ラム原 理主 義 勢力 の動 きが沈 静 化し 、 中国 西 方地 域 の不安 定 要因 を除 去で きる こ とは願っ て もない こ とで あ る。 それ ゆ え、江沢 民 もブ ッ シ ュ に全面 的 な協力 を約束、 湾 岸戦 争 で は国 連安保 理で の多 国 籍軍 の 武力 行 使容 認 決議 を棄 権し た の と は対 象的 に、中 国 は米 軍 のア フ ガ ニ スタ ン に対 する武力 行 使 を支持 し た ので あ る。10 月 の上 海APEC の 機会 を利 用 し て、 初 の江 沢民・ブ ッ シ ュ首脳 会 談 が実 現、 プ ッシ ュ・ジュ ニ ア は「中 国 は アメ リカ の敵 で はな く、 友人 だ」 と指摘 し 、建 設 的 な協力 関 係 の発 展 に向 けて 努力 す る こと を表 明し 、江沢民 も共同 記 者 会見 で 、「 テロ 撲滅 で両 国 は共通 の 責任 と利 益 を有 し てお り、ア メ リカ との協力 関 係 を発 展 さ せ る用 意 があ る」 と述 べ た。2002 年2 月 、ブ ッシ ュ大 統領 は中 国 を訪
232 国 際地域 学 研究 第6 号2003 年3 月 問 、江 沢民 との首 脳 会 談にお い て、対 テ ロ戦 争の 推進 や大 量 破壊 兵 器 の拡散 防 止等 で 合 意し た 。 前 年12 月、ア メリ カ は中 露 両国 が 反対 し てい た ミサイ ル 防衛計 画 を 進 める た め、ABM 条約 か ら の一 方 的 離 脱 を決 定し、 ミ サイル 防衛 を 予定 通 り2004年 に配 備 する 姿勢 を明 確 にし た が、 こ の首 脳 会 談 で は、 イ スラ ム 過激 派の抑 制 とい う共通 利 益 の確保 を優先 さ せ る べく、 対立 の 争点 とな る この ミサ イ ル防 衛問 題 は 意識的 に 議題 か ら避 けら れた。こ うし た 米中 協 調 の姿 勢 は、2002年10 月 のAPEC 会 合 で も喧 伝さ れ た。 総 括 : 対 立 と 協 調 が 併 存 す る 関 係 関 係正 常 化後 の米 中関 係 の転 換 点 は、1972年 に次い で79年、82年、89年 そし て先 の9.11 事 件 も新 たな一 つ の転 機 とい えよう が、 最 大 のタ ーニ ング ポイ ント は、 何 とい っ て も冷戦 の終 焉 で あ る。 そ もそ も政 治 体制 や イデ オロ ギ ーが 異な り、 アメリ カの資 本 ・技 術 の流 入 は歓 迎 す るが、 そ の政 治 的 な影響 は「和 平 演変 」 とし て極力 排 除 し たい中 国 と、 その 民主 自由 化 を求 め るア メ リカ の 思惑 に は 大 きな ズレ があ る。 対 ソ脅威 へ の対 抗 という共 通利 益 が消 滅し た以 上 、米 中 両国 の 関係 に西 側 同 盟 の よう な緊 密一 体化 を求 め る こ とはで き まい。 し かし 、中 国 は未 だ発 展途 上 の段 階 で あ り、 特 にそ の対米 軍 事脅 威 が顕 在 化 する の は先 の こ とで あ る。 他方、 眼下 の ビ ジネ スチ ャン スに 自 ら目を つむ り、 そ の益 を むざ むざ 他国 に譲 る の もアメ リ カに とっ て現 実的 な オプ ショ ン で はあ り 得な い。第2 次天 安門 事 件当 時 、130億ド ル だっ た米 中 間 の 貿 易 高 は、200年 に は1160億ド ルに まで増 加し てい る43)。 それ ゆえ、「 対決 と依存 の併 存」、つ ま り、 覇 権 の阻 止 や台 湾、 ミサイ ル防 衛、 人 権 ・民 主化問 題等 々 で対 決し なが ら も、 相 互依 存 の 関係 を 保 ちつ つ利 益 を得 てい く路 線 を アメ リカ は 選ぶ こ とにな ろう。 経 済以 外 に も大量 破壊 兵 器 の拡散 防 止 等安保 常任 理事 国 で あ る中 国 の協力 を必 要 とす る分 野 は多 い。 北 朝 鮮 に対 す る中国 の影 響力 も、 朝 鮮半島 安定 化 をめ ざ すう えで 無視 で きな い要 因 だ。 中 国 と の経 済関 係 を強 化し、 中 国 の市 場 経済 化 に協力 す る とい う 関与 政策 によっ て、 ア メ リカ の国 益 を 追 求 し、 と同時 に、 独 裁的 共産 主 主 義国 家 も経 済の 開放 が進 め ば次第 に民 主 化 が進 み、 政 治 の安 定 要 因 も増 し て い くで あ ろ う との発 想 だ。 ノ ーマ ン・ エン ジェ ル的 な相 互 依存 バ ラ色論 は退 けつ つ も、 「 関与 」 と「 封じ 込 め」 の双 方を使 い 分 けな がら、 中国 の 出 方に 柔軟 に対 応し て い く。 中 国 の 側 も、現 在 の改 革、 開 放路 線 を継 続推 進し てい く う えで、 ア メ リカ との 強力 な 経済 関 係 は 必 要 不 可 欠で あ る。 アメ リカ に とっ て 中国 は第4 位 の貿 易 パ ート ナ ーであ る が、 中国 に とっ てア メ リ カ は日 本 に次 ぐ第2 位 の貿 易 パ ート ナーで あり、 かつ 最 大 の輸 出 先 で あ る。 アメ リカ との経 済・ 技 術 交流 が中 国 の発 展 に不 可 欠 であ る限 り、中 国 はア メリ カ のア ジ ア太平 洋地 域 にお け るプ レ ゼ ン ス を事 実 上 黙認し 続 け るであ ろ う。 かよ うに、 ア メリ カ も中国 も、 当 面 の課 題や 現実 的 な国 益確 保 を最 優先 の メル クマ ー ル とす る 限 り、 両国 関係 が大 き く荒 れ る事 は予 想 し難 い。 し かし 、 相互 依 存 の進 展や政 治 経済 の グロ ー バ ル化 が必 然 的 に米 中 の関 係 を緊密 化 さ せて も、 必 ずし もそ れは両 者 の協 調 関係 促 進を意 味 す る もの で は
西川 :米 中関 係の展 開 233 な い。 中国 が中 東 な どへ大 量破 壊 兵 器の 製造 技術 や ミサイ ル部 品 な どの輸 出 をし てい る との 疑惑 は 消 え てい ない。 アメリ カ の関 心が テロ 問 題 に シフト し たた め、 こ うし た 案件 は一 時的 に 沈静化 し て い る が、 い ずれ また表 面化 す る可 能性 は大 い にあ る。 そ もそ も米 中両 国 は同 盟国 で は ない。 中 国 が その長 期的 国 益 とし て アメ リカ の アジ アにお け る影 響 力 排除 を 狙い 、 また アメ リカ も中 国 が覇 権 的地 位 を獲 得す る こ とを阻 止し よう と考 える 限 り、人 権や 台湾 問 題、 国際 安 全保 障、 さ ら に何 ら かの 偶発的 な 事件 が ト リガ ー とな り、両 国 の関 係 が ぎく し ゃ くし た もの となる こ と も十 分 予想 さ れ る。 だが そ の際 も、一 時 的 に緊 張 が高 まりはし て も、 互 い の利 益 の存 在 ゆえに、 決 定的 な破局 は回 避 さ れよう。 こ うし て、 一 面協 力、 一 面対 立 とい う 複雑 な 関 係が 続 くこ とに なる。 そし て そ れ は、「一面 服 従、一 面 抵 抗」を 掲げ る中 国外 交 の基本 戦 略 と も 合 致し て いる ので あ る。 【 注 】O ニ ク ソ ン 訪 中 の際 、「上 海 コ ミュ ニ ケ 」が 公 表 さ れ た が 、 こ れ と は別 に、2 月22 日 の 周 恩 来 との 会 談 の 中 で ニ ク ソ ン は、 ア メ リ カ は ① 中 国 は 一 つ 、 台 湾 は そ の 一 部 と の中 国 の 主 張 を認 め る ② 如 何 な る台 湾 独 立 運 動 も 支 援 し ない ③ ア メ リカ の 台 湾 で の 軍 事 プ レ ゼ ン スの 縮 小 に 伴 っ て 日 本 の 勢 力 が 台 湾 に拡 が る こ と が な い よ う 抑 え る ④ 台 湾 問 題 の 平 和 的 解 決 を 支 持 し 、 台 湾 の 武 力 に よ る大 陸 奪 還 行 動 を 支 持 し ない ⑤ 中 国 と の 国 交 正 常 化 を 求 め 、 そ の達 成 に 努 力 す る、 と い う5 原則 を密 か に 中 国 側 に 確 約 し て い た 。 毛 里 和 子 他 訳 『 ニ ク ソ ン訪 中 機 密 会 談 録 』(名 古 屋 大 学 出版 会 、2001 年 )39 、279 ペ ー ジ。2
)WilliamBurr,ed. 、TheKissingerTranscripts (NewYork,TheNewpress.1998 ),p.3O,117.3
) ロ ナ ルド ・ レ ー ガ ンが フ ォ ー ド に 対 抗 し て 出馬 す る 準備 を既 に 進 め て お り、 フ ォ ー ド が党 の 指 名 を勝 ち取 る た め に は 共 和 党 保 守 派 か ら も支 持 を取 り つ け る 必 要 が あ り 、 中 国 と の 外 交 関 係 確 立 は政 治 的 に 危 険 す ぎ た 。JamesMann,AboutFace (NewYork,AlfredA.Knopf,1999 ),pp.68-9.そ れ に 、 キ ッ シ ン ジ ャー が75 年 末 に フ ォ ード に宛 て て 書い て い る よ う に 、 サ イ ゴ ン 陥落 に よ っ て 、 外 交 政 策 上 も 対 国 内政 治 か ら も、 ア メ リ カ は 台 湾 と の 関 係 に大 き な 変 更 を もた ら せ る わ け に は い か な か っ た 。 け だ し 、 もう 一 つ の同 盟 国 を切 り 捨 て る こ と に な る た め で あ る。WilliamBurr,ed.,op,cit.,p.372.4 )74 年 日 月 に 訪 中 し た キッ シ ン ジ ャ ー は 上 海 コ ミ ュ ニ ケ を 再 確 認 し た が 、75 年9 月28 日 、 ニ ュ ー ヨ ー ク に お け る 国 連 で の 会 議 で 、 キ ッ シ ン ジ ャ ー が 中 国 の喬 冠 華 外 相 に 対 し 、 同 年 末 の フ ォ ード 訪 中 時 に は国 交 正 常 化 は 達 成 で き な い 旨 を 伝 え た と こ ろ 、 中 国 側 は こ れ に 激 怒 し 、 ソ連 と の デ タ ン ト や ベ ト ナ ム 戦 争 解 決 の た め に 中 国 を利 用 し た の で は な い か と強 い 対 米 不 信 感 を 募 ら せ た 。JamesMann,op,cit.,p.69. 中 国 を 宥 め る た め 、キ ッ ジ ン ジ ャ ー は75年10 月 の 訪 中 時 、 情 報 分 野 で の米 中 協 力 を初 め て 中 国 側 に 提 案 し た。 また フ ォ ー ド 訪 中 (75 年12 月 )の 際 、米 側 は中 国 石 油 の 購 入 の 用 意 が あ る と 伝 え た ほ か 、フ ォー ド と キ ッ シ ン ジ ャ ー は、COCOM を 通 す こ と な く、 英 国 ロ ー ル ス ロ イ ス社 製 の スペ イ 航 空 機 用 ジ ェ ッ ト エ ン ジ ン の 中 国 へ の 売 却 を 承認 し た 。 同 エ ン ジ ン は英 国 のF-4 フ ァ ン ト ム 戦 闘 機 に 使 わ れ て お り 、中 国 が 自 国 の 軍 用 機 に 搭 載 す るつ もり で い る こ と は明 白で あ っ た 。 さ ら に こ の 時 の 会談 で 郵 小平 は米 側 に軍 事 転 用 可 能 な 高 速 コ ン ピ ュ ー タ ー の 購 入 を 要望 、 フ ォ ード 政権 は こ れ に も 前向 き に対 応 し 、 翌 年10 月 アメ リ カ製 の サ イ バ ー72 型 コ ン ピ ュ ―タ2 台 の輸 出 が 承 認 さ れ て い る。 中 国 の み を優 遇 す る も ので は な い と の ポ ー ズ を と る た め 、 ア メ リ カ は同 種 コ ン ピ ュ ー タ を ソ 連 に も輸 出 す る 措 置 を講 じ た が 、 ソ 連 が 既 に 他 の コ ンピ ュ ー タ を所 有 し てい た こ と を考 え れ ば 、 よ り中 国 に 便 宜 を図 っ た と言 わ ざ る を 得 ない 。 こ れ以 後 、 ア メ リ カ は 軍 事 目 的 転 用 可 能 な 技 術 を徐 々 に 中 国 に提 供 す る よ う に な る。Ibid.,pp.73-77,WilliamBurr,ed.,op,cit. 、p.4O3.ま さ に こ の時 期 、 米 中 軍 事 協 力 の 推 進 を 説 い た ピ ル ズ ベ リ ー の論 文 が 注 目 を集 め た 。MichaeiPillsbury,"U.S.-ChineseMilitaryTies?".ForeignPolicy,